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〈東北地方の民俗〉東日本大震災から生活回復への希求--福島県浪江町請戸地区の場合

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Academic year: 2021

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(1)東 日本 大震 災か ら生活 回復 へ の希求. 1 福 島 県浪 江町 請戸 地区 の場 合 1. 東 日本 大 震 災 か ら生 活 回復 への希 求. はじめ に. 研 究 の動 機 ● 震 災 前 の研 究 テー マか ら. 今. 村. 瑠. 美. 私 は 東 日本 大 震 災 前 ま で、 調 査 地 を 福 島 県 双葉 郡 楢 葉 町 木 戸 地 区 に設 定 し、 研 究 対 象 を 福 島 県 指 定 の無 形 の民 俗. 文 化 財 で あ る ﹁大 滝 神 社 の浜 下 り (ハマク ダ リ )﹂ と し 、 儀 礼 を 現 地 調 査 す る と と も に、 組 織 に も 注 目 し な が ら 研 究 を 進 め て いた 。. し か し 、 平 成 二十 三 (二〇 一 一) 年 三月 十 一日 に発 生 した 東 日本 大 震 災 で の被 害 、 ま た、 福 島 第 一原 子力 発 電 所. の水 素 爆 発 を 含 む 事 故 に よ り、 楢 葉 町 は 敬言戒 区 域 に設 定 さ れ 、 住 民 は 県 内 外 へ避 難 す る こと にな った。 そ の た め 、. 毎 年 四月 に行 わ れ て いた ﹁大 滝 神 社 の浜 下 り ﹂ は中 止 と な り 、 今 後 継 続 し て いく こ とも 大 変 難 し い状 況 にあ る。 さ. ら に、 これ ま で関 係 性 を 築 い てき た 話 者 や 祭 礼 関 係 者 の方 々な ど と連 絡 を と る こ とが 出 来 な く な り、 聞 き 書 き 調 査. や 祭 礼 にお け る参 与 観 察 な ど が 出 来 な いた め 、 研 究 を 進 め て いく こ とが 困 難 な 状 況 にあ った。. 謝.

(2) ● 震 災 後 の筆 者 の葛 藤. ま た 、 筆 者 自 身 楢 葉 町 か ら 北 へ約 二十 キ ロメ ー ト ル上 った と こ ろ に位 置 す る 双葉 町 の出 身 であ る。 そ し て、 家 は. 原 発 か ら 直 線 距 離 で 五キ ロメ ー ト ルと いう と こ ろ に位 置 す るた め 、 原 発 の事 故 発 生 から 長 期 的 な 県 内 外 への避 難 と. な った。 震 災 当 初 は 親 戚 の家 を転 々 と し 、 最 終 的 に は個 人避 難 と し て、 喜 多 方 市 で 避 難 生 活 を 送 る こ と に な った 。. し か し 、 個 人 避 難 を し て い ると 、 双葉 町 や 原 発 な ど の避 難 生 活 に必 要 な 情 報 が 皆 無 に近 いため 、 双葉 町 の指 定 避 難. 所 と な った 福 島 県 猪 苗 代 町 のリ ス テ ル猪 苗 代 と いう リ ゾ ー ト ホ テ ル へ父 親 だ け が 移 る こ と にな った。 こ の よう に家. 族 が バ ラバ ラな 避 難 生 活 、 ま た 、 環 境 が 異 な る こと への スト レ スな ど 、 今 ま で と は異 な る非 日常 の避 難 生 活 、 残 さ. れ た 故 郷 、 目 に見 え ぬ復 興 な ど を 踏 ま え た 上 で、 自 分 自 身 の研 究 を これ から 継 続 し て いく こ とす ら 考 え る こ とが 出 来 な か った 。. ● 震 災 後 の発 見. そ ん な中 、 震 災 か ら 四、五 か 月 過 ぎ よう と し た ころ 、 被 災 地 各 県 で は、 まだ ま だ ボ ラ ン テ ィ ア な ど の支 援 が な け. れ ば と り あ え ず の 生 活 も 出 来 な い状 況 で あ った が 、 民 俗 芸 能 の復 活 が 活 発 に 行 わ れ る よ う に な って いた 。 た と え. ぼ 、 福 島 県 の警 戒 区 域 内 に位 置 す る浪 江 町 請 戸 地 区 の 田植 踊 も 八 月 に は復 活 を 遂 げ て いる。 筆 者 は こ の よう な 光 景. を 異 様 に感 じ 、 な ぜ 、 衣 食 住 が 伴 わ な いう ち にそ の よう な 行 動 へ移 る の か、 も っとす べき こ とが あ る の で はな いか. と 強 く 思 って いた 。 そ し て、 そ の請 戸 の 田植 踊 の復 活 し て いく 背 景 や 過 程 が ど の よう に繰 り広 げ ら れ て いる の か興. 味 を 持 ち 調 査 を 進 め 、 シ ンポ ジ ウ ムな ど に積 極 的 に出 席 し て いた 。 それ ら を 通 し、 シ ンポ ジ ウ ム や学 会 等 で は、 被. 災 し た 民 俗 芸 能 の復 活 す る表 面 的 な 過 程 は押 さ えら れ て い るも の の、 被 災 した 人 た ち の現 状 や暮 ら し に結 び つく も. のが 感 じ ら れ ず 、 ま た 、 被 災 者 が 求 め て い るも のと は離 れ て い る と感 じ、 研 究 者 と被 災 地 で の温 度 差 を 痛 感 す る こ. 230.

(3) 東 日本 大震災 か ら生活 回復 へ の希求. と も 度 々 あ った 。 以 上 が こ の研 究 への第 一歩 と な った 。. 本 稿 では 、 筆 者 自 身 が 見 た こと 、 体 験 し た こと を 踏 ま え て、 震. 災 後 人 々 が ど の よう な避 難 生 活 を 送 り、 そ の中 で 何 を 求 め て い た のか を 考 察 し て いき た い。. な お 、 被 災 地 は 現在 も 決 し て安 定 し た と は 言 え ず 、 状 況 は 日 々. 変 化 し 続 け て いる。 こ の点 か ら 見 れ ば 本 論 は ま だ 、 中 間 的 な 分 析 で あ る こと を お 断 り し て お き た い。. 調 査 地 の 設定. 本 論 では 、 調 査 対 象 地 を 警 戒 区 域 内 で い ち 早 く 民 俗 芸 能 の復 活. を 遂 げ た 福 島 県 浪 江 町 請 戸 地 区 と す る。 そ れ は 、 東 日 本 大 震 災 に. よ り 、 地 震 ・津 波 で壊 滅 的 な 被 害 を 受 け た上 に 、 原 発 事 故 によ り. 敬言戒 区 域 に設 定 さ れ、 漁 業 ・農 業 と も に再 開 す る こと が 難 し い状. 況 に あ り 、 そ の点 で今 回 の福 島 県 にお け る被 災 地 の関 連 的 事 例 の. 一つと し て、 位 置 づ け ら れ る の で は な い か と 考 え た か ら で あ る 。. そ の中 で請 戸 住 民 が ど の よ う に 対 応 し て いる の か 見 て い く こ と. で 、 岩 手 県 、 宮 城 県 ま た、 福 島 県 内 でも 避 難 生 活 の特 徴 を 考 え る. 上 で のヒ ント が 見 え て く る 可 能 性 が あ る 。. さ ら に、 調 査 対 象 地 で あ る 福 島 県 浪 江 町請 戸 地 区 は 警 戒 区 域 に. 231.

(4) 設 定 さ れ てお り 、 現 地 で の聞 き 書 き 調 査 が 不 可 能 であ る。 福 島 県 は原 発 事 故 に よ る放 射 能 汚 染 の みが 重 視 さ れが ち. にな ってお り 、 混 乱 期 にお い て遠 隔 地 へ避 難 し て い る住 民 ら の避 難 生 活 が 明 ら か にな って おら ず 、 聞 き 書 き 調 査 に. 入 る研 究 者 も 少 な い のが 現 状 であ る。 そ の中 で被 災 地 で起 き て い る現 象 を 地 震 ・津 波 ・放 射 能 汚 染 の 三重 の被 害 を 受 け た 福 島 県 浪 江 町 請 戸 地 区 か ら 見 て いき た いと 思 った か ら であ る。. 調 査 地 の概 要. と ころ で調 査 地 の概 要 に つい て であ るが 、 福 島 県 浜 通 り の沿 岸 線 は岸 壁 が 続 く が 、 請 戸 地 区 だ け が 請 戸 川河 口 の. 別巻H. 浪 江 町 の民 俗 ﹄ で は 、 そ の特 徴 を 以 下 のよ う に 記 し て いる 。. た め 約 四キ ロメ ー ト ル にわ た る砂 浜 と な り 、 河 口が 唯 一の船 着 き 場 だ った とさ れ て いる。 ﹃浪 江 町 史. ﹁請 戸 の人 々 は 海 辺 に 住 み、 昔 か ら 魚 類 に恵 ま れ 、 製 塩 の盛 ん な 豊 か な 村 落 だ と いう 。 こ の 河 口港 は 、 全 面. 別巻 H. 浪 江 町 の民 俗 ﹄ よ れぼ 、 ﹁近 世 期 に は、 中 村 藩 の廻 米 の積. 二〇 〇 メ ー ト ル の海 中 に岩 礁 が あ り 、 そ れ が 天 然 の防 波 堤 の役 割 を 果 た し、 古 く から 良 港 と し て知 ら れ て いた。﹂ と 記 さ れ て いる 。 ま た 、 同 じ く ﹃浪 江 町 史. 出 港 と し て 、 ま た 、 藩 と 御 用 商 人 と 提 携 し 、 北 前 の品 々 や南 部 鉄 器 の荷 揚 げ の交 易 港 と し て繁 栄 を 極 め て いる 。. 他 に、 大 船 は 請 戸 の熊 川 平 助 所 有 のも の で交 易 船 と し て活 躍 し、 他 に市 十 郎 所 有 の 二艘 も 加 わ って いる。 そ の他. に、 漁 船 二十 余 艘 が 諸 々魚 を 獲 り 、 特 に 夏 か ら 秋 に か け て 鰹 漁 を 行 った と いう の で あ る 。﹂ と 記 さ れ て い る こ と. か ら 、 請 戸 地 区 は物 産 集 散 の本 拠 地 の航 路 の要 港 を 行 いな が ら 漁 業 を 中 心 に形 成 を は か って いた地 域 と いう こ と が 分 か る。. 文 久 元年 (一八 六 一) の ﹃初 夏 の 簿 冊 ﹄ によ る と、 ﹁田畑 合 計 九 十 九 町 六 畝 二十 一歩 、 内 三 十 一町 二反 二畝 三. 232.

(5) 東 日本 大震 災か ら生活 回復 へ の希求. 歩 が 畑 、 三 町 七 反 四 畝 十 九 歩 が 荒 野 中 。 戸 数 一四 二、 内 寺 一、 社 家 一、 医 者 一、 給 人 一 一、 郷 土 一 一。 人 、. 八 六 〇 人、 男 四五 〇 人 、 女 三 八 一人 内 一 一山 伏 、 六 社 家 、 七 〇 給 人 、 一五 郷 土 、 六 医 者 。 馬 八 八。﹂ と いう 。 ま た 、 職 業 と し てそ れ に記 さ れ て い る他 、 船 乗 ・大 工 ・船 大 工が いた と いう 。 (中 略 ). 江 戸 時 代 にお い て は、 福 島 県 浜 通 り の物 産 集 散 の本 拠 地 は東 回り の航 路 の要 港 であ る請 戸 港 にあ った。 陸 上 の. 運 送 が 、 伝 馬 以外 は 考 え ら れ な か った 時 代 に は 、 大 量 の 物 資 積 出 し や 搬 入 は 回 路 に 頼 る ほ か は な か った の であ. る。 請 戸 川 の水 量 が 豊 富 であ り 、 しか も 数 個 の島 が 自 然 の防 波 堤 の役 目を し て いた の で、 築 港 も な い時 代 であ っ. ても 、 千 石 船 以 外 は こ の川 口港 か ら 出 入 り でき た と いう 。 こ の小 島 は失 わ れ て今 はな い。. 相 馬 中 村 藩 に は、 藩 用 の大 船 ﹁明 神 丸 ﹂ が あ った と 言 わ れ 、 米 の積 出 や物 資 の搬 入 の ため 、 しば しば 請 戸 に入. 港 し た 。 そ のた め 、 藩 の年 貢 米 を 入 れ る倉 庫 が 置 か れ 、 一つに は北 標 葉 郷 の年 貢 米 が 、 他 の 一つに は南 標 葉 郷 の. 年 貢 米 が 納 め ら れ て いた 。 地 元 請 戸 にも 鈴 木 氏 や 熊 川氏 な ど の よう に運 送 用 の大 船 を 持 つも のも いた。 大 堀 相 馬 焼 は 、 請 戸 港 か ら 積 み出 さ れ 、 様 々な 日用 雑 貨 類 が 各 地 か ら 請 戸 港 に運 ぼ れ てき た 。. 当 地 方 の交 易 の中 心 は請 戸 港 であ った の であ り 、 こ の役 割 は明 治 維 新 後 も 衰 え る こ とが な か った。 明 治 二十 六. 請 戸 間 に就 航 さ せ よう とす る計 画 を 樹 て た こ とも あ る。 ち な み. 年 (一八九 三 ) に は 、 か つて の盛 岡 藩 内 の千 石 船 を 運 航 し て いた 業 者 が 集 ま って 、 三 陸 汽 船 合 資 会 社 を 設 立 し 、 双鶴 丸 と いう 二 四ト ン の蒸 気 船 を 八 戸 か ら 相 馬. に 双鶴 と は 盛 岡 藩 南 部 氏 の紋 所 であ る。 しか し、 明 治 三十 三年 (一八九 八) に 日本 鉄 道 株 式 会 社 の海 岸 線 ( 現J. R常 磐 線 ) が 全 通 す る と、 物 資 運 送 は 鉄 道 に取 って代 わ ら れ 、 交 易 港 と し て の 役 割 は 急 速 に失 わ れ た 。﹂ と 記 さ れ て い る。. 鵬.

(6) か つ てか ら 現 在 に 至 るま で 、 請 戸 地 区 は 海 を 活 発 に 利 用 し 成 り 立 って い る こと が 分 か る 。 特 に、 注 目 さ れ る の. が 、 海 運 と の関 連 であ る。 しか し、 近 代 に入 って、 交 通 手 段 と の主 流 が 陸 上 へと変 化 し て い った こ と で、 漁 業 と農. 業 を 中 心 と す るよ う にな って い った 。 漁 業 を 中 心 と した 請 戸 地 区 でど の よう に人 々が 暮 ら し て いた の か次 章 で詳 細 に見 て いく 。. 論 文 の構 成. 第 一章 で は、 請 戸 に お け る 生 業 ・祭 礼 行 事 ・年 中 行 事 ・信 仰 を 中 心 に 、 震 災 前 の 日 常 を 描 く た め に 民 俗 調 査 の. デ ー タ を も と に記 述 し た 。 特 に、 生 業 を 軸 と しさ ま ざ ま な 民 俗 が 関 わ り あ いな が ら 存 在 し て いたが 、 そ れが 東 日本 大 震 災 によ ってす べ て失 わ れ た こと を 指 摘 した 。. 第 二章 では 、 震 災 後 ど のよ う な 被 害 を 受 け 、 避 難 移 動 、 避 難 生 活 を し て いた か、 詳 細 に見 て いく 。 そ の特 徴 と し. て、 避 難 状 況 は 個 々 に異 な り バリ エー シ ョンを 持 って い る点 、 避 難 生 活 の中 で は震 災 前 の経 験 と新 たな 状 況 の中 で 葛 藤 し て い る姿 を 記 述 した 。. 第 三章 では 、 人 々 の 日常 回復 への試 みと し て、 新 た に取 り 組 ま れ て い るも の、 そ し て、 そ の中 で起 こ って いる葛 藤などを記述した。. 終 章 では 、 第 一章 か ら 第 三章 で の べ てき た こと を ま と め 、 今 の状 況 の中 で見 ら れ る現 象 から わ か る こ とを 記 述 し て い る。. 脳.

(7) 東 日本 大震 災か ら生活 回復 へ の希求. 第 一章. 震 災 前 の請 戸 の人 々 の暮 ら しと 民 俗. こ の章 では 、 前 述 し てき た よ う に請 戸 地 区 は漁 業 を 軸 に生 業 が 成 り 立 ってき た 地 域 であ る こ と から 、 聞 き 書 き を. 生業. 主 体 と し た 民 俗 調 査 で得 ら れ た デ ー タ を 中 心 に民 俗 誌 を 記 述 す る。. 第 一節. (一) 漁 業 請 戸 地 区 の漁 業. 請 戸 地 区 は、 いわ き 市 の小 名 浜 や 四倉 ・久 ノ 浜 、 相 馬 市 の原 釜 な ど と 共 に、 浜 通 り の代 表 的 な 漁 村 と さ れ て い る。. 福 島 県 の海 岸 は 、 単 調 な 砂 浜 が 多 く 、 河 口に は 半 漁 半 農 の村 落 を 形 成 し て いた 。 請 戸 も そ の典 型 的 な 漁 村 であ る。 請 戸 地 区 は 、 他 の漁 村 と 違 い、 家 屋 が 密 集 した 状 態 で存 在 す る。. そ し て、 請 戸 地 区 で は、 長 男が 家 や 土 地 を 守 り 、 オ ン ツ ァ、 オ ン ツ ァ マと呼 ぼ れ る 二、三 男 は 、 十 五 歳 過 ぎ か ら. 旅稼ぎ ( 出 稼 ぎ ) と 言 わ れ る遠 洋 漁 業 に出 る。 旅 稼 ぎ か ら 帰 ってく る と船 方 とな って独 立 し、 家 屋 を 建 て、 生 活 を す るよ う にな ると いう 。. ま た 、 請 戸 地 区 の職 業 を 見 て いく と 、 漁 師 の他 に水 産 物 の製 造 業 、 卸 売 業 、 小 売 業 、 飲 食 業 ま た は旅 館 を 営 む事 業 者 な ど 、 漁 業 に関 連 す るも のが 多 い のも 特 徴 の 一つであ る。. さ ら に、 請 戸 は 四季 折 々 にさ ま ざ ま な 魚 介 類 が 獲 れ 、 築 地 な ど 首 都 圏 に出 す 者 も いるが 、 ほ と んど は地 元 に卸 す. 脳.

(8) 漁 師 が 多 い。 そ れ は、 漁 港 付 近 に、 水 産 物 の製 造 工場 、 飲 食 店 、 旅 館 が あ る こ と、 ま た 、 御 祝 い事 に は請 戸 で水 揚 げ さ れ た 魚 介 類 を 送 る こと が 多 いた め であ る。. 請 戸 地 区 は こ のよ う な 特 徴 を 持 って い るた め 、 町 内 だ け で はな く 、 隣 接 す る町 村 から も 請 戸 で獲 れ る魚 を 求 め て. く るお 客 さ ん も 日常 的 に多 い。 さ ら に、 請 戸 地 区 で は請 戸 の魚 市 場 が 五月 から 十 二 月ま で の毎 月第 三土 ・日曜 日午. 後 三時 に ﹁請 戸 の夕 市 ﹂ が 開 催 さ れ てお り 、 遠 方 か ら は中 通 り から 、 ま た 場 合 に よ って は県 外 から く る人 も いて大 変 賑 わ って いた と いう 。. ●漁法. 漁 法 と し ては 、 沿 岸 漁 業 が 中 心 と し て行 わ れ てお り 、 種 類 は船 曳 網 漁 業 、 刺 し網 漁 業 、 カゴ 漁 業 な ど が あ る。. 春 に は 、 コウ ナ ゴ 、 シ ラ ウ オ 、 メ バ ル 、 ア イ ナ メ 、 夏 に は 、 ス ズ キ 、 ホ ッキ ガ イ 、 秋 は 、 サ ケ 、 マ コガ レ イ 、 イ. シ ガ レ イ 、 ヒ ラ メ 、 タ イ 、 シ ラ ス 、 冬 は 、 シ ラ ウ オ 、 ナ メ タ ガ レ イ 、 ア ン コウ 、 タ コが 獲 れ る と いう 。. ●漁港と漁船. 請 戸 港 は 、 請 戸 川 河 口 に港 を 構 築 し、 そ こか ら 漁 船 の出 入 り が お こな わ れ て いる。 そ こ に は魚 市 場 や漁 業 組 合 も. 存 在 す る。 こ のよ う な 整 備 さ れ た 漁 港 は昭 和 三十 年 代 にな ってか ら であ る。 現 在 は動 力 船 の大 型 漁 船 が 多 いが 、 か. つて砂 浜 か ら 漁 に で る こ ろ は和 船 と 呼 ば れ る 一人 乗 り ま た は 二人 乗 り の小 型 木 造 船 が 多 か った。 請 戸 地 区 は こう し た 小 型 漁 船 を つく る船 大 工が 多 く いた 漁 村 でも あ った 。. 以 下 で は延 縄 漁 か ら 旅 稼 ぎ に行 き 、 震 災 以前 は ホ ッキ 漁 と 生 ま れ て から 請 戸 の海 と強 く 関 わ ってき た漁 師 から の 聞 き 書 き を も と に請 戸 の漁 業 の特 徴 を 見 て いき た い。. 236.

(9) 東 日本 大震 災か ら生活 回復 へ の希求. 請 戸 の漁 師 ● 話 者 が 漁 師 にな るま で. 話 者 の父 親 は も と も と 漁 師 を し て お り 、 話 者 の 兄 が 父 の跡 を 継 ぎ 、 話 者 は仲 買 人 にな る 予 定 であ った 。 そ の た. め 、 中 学 を 卒 業 し てか ら はデ ッジ ボ ウ コウ (丁稚 奉 公 ) と し て浪 江 町 の木 場 魚 屋 で 三年 間 働 いて いた。 デ ッジ ボ ウ. コウ と いう のは 見 習 い の こと であ る。 こ の木 場 魚 屋 は浪 江 町 の街 中 に位 置 し て おり 、 か つて から 現 在 に かけ て浪 江. 町 内 外 か ら 利 用 者 が 多 い。 そ し て、 三年 間 のデ ッジ ボ ウ コウ の後 に小 名 浜 の魚 屋 で仲 買 人 の資 格 取 得 の ため 二年 間. 修 業 を し て いた 。 し か し、 父 親 が 海 で遭 難 した た め 、 急 遽 兄 と 二人 で船 に乗 る こ と にな った。 父 親 が 遭 難 し た時 に. 船 だ け が 見 つか っても そ のま ま 乗 り 続 け ると 自 分 も 海 難 事 故 な ど に遭 う と いう 俗 信 の よう な も のが あ った ため 、 修. 理 を し てか ら 兄 弟 でそ の船 を 使 い漁 師 を し て いた 。 漁 師 を は じめ て から 、 長 男 は船 や家 な ど の財 産 が あ るが 、 話 者. は いず れ 別 に家 な ど を 構 え な け れ ぼ いけ な か った の で、 後 に旅 稼 ぎ ( 出 稼 ぎ ) と し て遠 洋 漁 業 に で た。. 旅 稼 ぎ には 全 盛 期 二〇 〇 名 ほど が 行 って いた と いう 。 そ し て、 旅 稼 ぎ から 帰 ってき て から 独 立 し本 格 的 に漁 師 に な った 。. ●話者が利用した漁船. 現 在 は モー タ ー や 魚 群 探 知 機 な ど の つ いた 動 力 漁 船 が 主 であ る が 、 そ れ 以前 は 和 船 と いう 木 製 の船 に 乗 って い. た 。 大 き さ は 一ト ン弱 であ り、 一人 、 二 人 が 乗 れ るく ら いで あ る 。 ま た 、 請 戸 は船 大 工 が 多 く い る地 区 で あ った 。. 昭 和 四十 年 代 く ら いま で は動 力 漁 船 が 出 てき て い る中 、 三軒 の船 大 工が 活 躍 し て いた 。 だ いた い和 船 を 造 船 す る場. 合 は 十 万単 位 でお 金 が か か ると いう 。 昭 和 五十 年 代 に入 ると 無 動 力 漁 船 から 動 力 漁 船 に切 り替 わ って行 く が 、 港 の. 築 造 が 始 ま る のが 昭 和 二十 四年 頃 か ら な の で、 砂 地 であ る請 戸 は昭 和 三十 年 く ら いま で は和 船 を 使 って いる人 が 多. 蜥.

(10) か った 。 話 者 も 昭 和 五十 四年 (一九 七 九 ) に動 力 漁 船 を 持 つ前 は、 和 船 に乗 り漁 を し て いた。. 船 の命 名 であ るが 、 屋 号 や 名 字 を つけ る人 も いた が 、 延 喜 が 大 事 とさ れ ﹁福 ﹂ と いう 字 を つけ る人 も いた。 基 本 的 には 船 の持 ち 主 が 命 名 す ると いう 。. 船 霊 様 は 和 船 の頃 、 新 船 した 際 に ミ ヨ シ ( 先 端 部 分 ) の底 か ら 二、 三 尺 ほど 箱 型 に彫 り、 夜 中 にご 神 体 を 入 れ て. いた 。 ま た 、 動 力 漁 船 の新 船 の時 は これ も 夜 中 に船 に行 き 、 ご 神 体 を キ カ ン バ (エンジ ンな ど が あ る場 所 ) に と れ. な いよ う に吊 る し てお いた 。 さ ら に、 繊 れ のな い女 性 が 色 紙 で人 形 の よう な も のを 二 つ織 り抱 き 合 わ せ に し たも の. を 作 り 、 人 形 の中 に 五 円玉 を 一緒 に入 れ 、 漁 師 にな る人 に渡 し て いた と いう 。 渡 さ れ た も の はご 神 体 と 一緒 に し て いた 。 これ は 、 海 上 安 全 のお 守 り のよ う な も の であ る。. ●漁法. 現 在 は 魚 群 探 知 機 な ど によ り 、 ど こ に魚 の群 れ が ど こ に い るか 分 か るが 、 それ 以前 は地 山 、 入 山 な ど の山 の位 置. を 目 安 にし て場 所 を 見 分 け て いた 。 ま た 、 毎 回チ ョウ メ イ を 持 って いき 絵 を 書 いて、 魚 群 の いる場 所 を 記 録 し て い た と いう 。. 和 船 の 頃 は 延 縄 ・ 一本 釣 りが 主 で あ り 、 延 縄 で は ナ メ タ フグ ・サ ンパ ク (イ ナダ )・カ ス ベ ・スズ キ ・ヒ ラメ な. ど 、 一本 釣 り で は ア イ ナ メ ・メ バ ル が 獲 れ た と いう 。 ま た 、 平 成 に 入 っ てか ら 白 魚 が 請 戸 ブ ラ ンド と な って い っ た。. 若 い人 た ち は、 これ ま で に述 べ た 延 縄 漁 を メ イ ン と し て い るが 、 延 縄 漁 の網 を 引 き 上 げ る の に体 力 を 要 す る た. め 、 体 力 的 に 厳 し く な ると ホ ッキ 貝 を 獲 る よ う にな る。 ホ ッキ の水 揚 げ 時 期 は六 月 か ら 一月 末 の八 か 月 間 で あ る 。. そ れ 以 外 の期 間 は 一本 釣 り や 仕 掛 け づ く り 、 漁 で使 う 網 の修 理 な ど を 行 って いた 。 ホ ッキ 漁 や 一本 釣 り とも 、 延 縄. 鵬.

(11) 東 日本 大震 災か ら生活 回復 へ の希求. にく ら べ ると お 金 にな ら な く 、 小 遣 い稼 ぎ 程 度 であ ると いう 。 話 者 も 体 力 的 な 面 から 昭 和 六 十 年 (一九 八 五) から 延 縄 漁 か ら ホ ッキ 漁 に変 え た 。. ● ホ ッキ 漁. ホ ッキ 漁 に は カ イ ゲ タ ア ミ と いう 網 を 使 い、 一号 九 ・五 セ ンチ メ ー ト ル か ら 四 号 八 セ ン チ メ ー ト ル の も のし か. 獲 っては いけ な いと いう 決 ま り が あ った 。 ま た 、 八 セ ンチ メー ト ル 以下 を 獲 ってき た 人 に は罰 則 な ど も あ った と い う。. ホ ッキ 漁 の漁 場 はウ ラジ リ マイ と ム ラカ ミ マイ が あ り 、 一年 ご と に漁 場 が 交 換 とな って いた。 そ れ は、 四号 以下. のも のが 獲 れ た 場 合 、 そ の年 漁 場 にな って いな い方 に放 流 し、 翌 年 ま で の成 長 を 待 ち 、 翌 年 規 定 の大 き さ のも のを. 獲 るた め であ る。 以 前 は現 在 のよ う な 規 定 はな く 獲 れ るだ け 獲 って いた た め 、 ホ ッキ が いな く な って しま った時 が あ った 。 そ のた め 漁 場 を 二 つ利 用 し て い る。. ● 漁 師 間 の言 い伝 え. 請 戸 で は コウ ナ ゴ が 獲 れ る と水 揚げ 量 が 多 く な る と 言 わ れ て い る。 そ れ は、 コウ ナ ゴ が スズ キ の餌 で あ る た め 、. スズ キ が 海 流 に の ってや ってく ると いう 知 ら せ の よう な も の であ る。 話 者 も か つて コウ ナ ゴ の群 れを 見 つけ 、 スズ キ の大 漁 の水 揚 げ に繋 が った 。 そ の時 は 一ト ン の水 揚 げ 量 で百 万 円 以上 にな った と いう 。. ●請戸漁業組合. 請 戸 には も と も と 請 戸 漁 協 共 同 組 合 が あ り 、 昭 和 六 十 年 (一九 八 五) に は 二 五〇 名 が 組 員 であ った。 し か し、 平. 鵬.

(12) 成 十 三年 (二〇 〇 一) に は 一八 〇 名 と 漁 獲 量 の減 少 と と も に、 漁 師 にな るも のも 減 って い った と いう 。 そ の よう な. こと も あ り 、 平 成 十 五年 (二〇 〇 三) に相 馬 ・双葉 漁 協 共 同組 合 に合 併 す る運 び とな った。 組 合 は、 組 合 長 、 副 組. 合 長 、 理事 、 代 表 監 事 、 組 合 員 で構 成 さ れ てお り 、 これ ら の役 職 は 十 五 名 程 で組 合 員 の推 薦 で決 ま る も の で あ る 。. 組 合 員 に な る 資 格 と し て は、 合 併 以 降 三 町 村 (双葉 、 浪 江 、 小 高 ) が 認 め た 人 が 入 れ る よ う にな って いる 。 ま た 、. 請 戸 支 所 では 組 合 の下 部 組 織 と し て、 漁 業 青 年 部 、 漁 業 婦 人 会 、 漁 業 船 会 が あ り 、 組 合 が 助 成 金 を 出 し て運 営 を し て いた 。 た と え ば 、 旬 の魚 を アピ ー ル した り す る仕 事 も あ った 。. ● 漁 業 に関 す る祭 礼 行 事 請 戸 には 漁 業 に関 す る祭 礼 行 事 が いく つか あ る。. ま ず 、 ア ンバ サ マ ( 安 波 祭 り ) であ るが 、 こ の ア ン バサ マは 以前 二 月十 四 日 ( 現 在 は 二 月 の第 三 日曜 日) を 祭 日. と し 、 豊 作 祈 願 ・海 上 安 全 を 目 的 と し て行 わ れ て いた 。 か つて は旅 稼 ぎ に行 って いた漁 師 たち も 、 船 を 降 り ア ン バ. サ マでお 祝 いす るた め に請 戸 に帰 ってき て参 加 し て いた と いう 。 ア ン バサ マで は本 神 輿 と樽 神 輿 とが あ り、 本 神 輿. を 家 柄 の良 い家 の者 、 代 々漁 師 を 行 って い る家 の者 な ど が 担 ぎ 、 樽 神 輿 を そ れ 以外 の漁 師 が 担 いで いた。 ま た、 神. 輿 を 担 ぐ 場 所 も 位 によ って決 ま って いた と いう 。 か つて は、 漁 師 も 多 か った の で担 ぎ 手 が たく さ ん いた。 担 ぎ 手 の. 服 装 は 、 ハ ッピ にサ ラ シ、 足 袋 であ る。 ま た 、 ア ン バサ マの直 会 の手 伝 い に は新 婚 の人 が 手 伝 いを し て いた と いう 話 も あ る。. 次 に、 一月 二 日 に行 わ れ るデ ゾ メ シキ であ る。 デ ゾ メ シキ で は、 新 造 船 を つく った 時 に親 戚 な ど から 祝 い旗 を 貰. い、 先 端 と 後 端 に シ ノダ ケ を 立 て、 先 端 部 分 のさ さ ら を 五 つ残 し紐 を 繋 ぎ そ こ に祝 い旗 を 前 に 五枚 、 後 ろ に 五枚 吊. るす 。 ま た 、 新 船 の場 合 はも ら った 祝 い旗 を す べ て吊 るす 。 不 幸 が あ った 船 主 以外 、 全 部 の船 で行 い、 前 年 の水 揚. 脚.

(13) 東 日本 大震 災か ら生活 回復 へ の希求. げ の多 い順 に船 を 出 し、 決 ま った 範 囲 を 回 ってく る。. さ ら に、 万漁 餅 と いう のが 昭 和 四十 年 代 ま で行 わ れ てお り 、 一日 一万 円 以上 の水 揚 げ の時 に乗 り 子 や親 戚 、 兄弟. に餅 を 食 べさ せ て いた 。 後 に十 万 円 以上 にな ると 組 合 か ら 酒 一升 、 後 に 二十 万 円 以上 に変 わ って い った。. 以 上 のよ う に話 者 の聞 き 書 き か ら 、 請 戸 地 区 は漁 師 が か つてか ら 活 躍 し てお り、 漁 業 に関 連 す る行 事 が 多 く 、 ま た 、 海 に関 す る信 仰 も 強 い こと か ら 漁 業 が 生 業 の軸 にな って い る と いう こ とが 分 か る。. (二 ) 請 戸 地 区 にお け る昭 和 四十 年 代 ま で の農 業. 現 在 請 戸 地 区 に は 専 業 の農 家 が 一、二件 し か お らず 、 ほ と ん ど は 町内 外 に 会 社 勤 め を す る兼 業 の農 家 が ほと んど であ る。. し か し 、 請 戸 地 区 に お け る 昭 和 四十 年 代 ま で の農 業 は 稲 作 が 中 心 と な って お り 、 副 業 と し て養 蚕 が 行 わ れ て い. た 。 ま た 、 請 戸 地 区 で は農 作 業 を 中 心 に行 う のが 若 夫 婦 であ り 、 祖 父 母 は孫 の面 倒 を 見 な が ら 農 作 業 の手 伝 いを す. ると いう のが 一般 的 で、 二、三 世 帯 と 同 じ家 の中 に 住 む 家 族 や 同 じ敷 地 内 に 家 を 構 え る家 族 が 多 く 見 ら れ る。 そ れ. は 震 災 前 も 同 様 であ り 、 会 社 勤 め を し て い る息 子 ・娘 夫 婦 の代 わ り に孫 にご 飯 や 昼 寝 を させ 、 習 い事 の送 り迎 えな ど の面 倒 を み て い ると いう 話 も 聞 か れ る。. こ こ では 昭 和 三十 年 代 か ら 昭 和 四十 年 代 の農 業 の中 心 と な って いた 稲 作 に つ いてま とめ て いく 。. ● 播 種 ・育 苗. 現 在 の種 子 は 主 に農 協 か ら 購 入 し て い るが 、 昭 和 三十 年 以降 田植 え機 が 出 てく る前 は、 前 年 の収 穫 し た籾 から 採. 測.

(14) 取 し た も のを 使 用 す る。 ま た 、 保 存 方 法 は、 種 子を ズ タ 袋 な ど に入 れ 板 蔵 に置 いて おく 。 保 存 し て お いた種 子 は春. 彼 岸 過 ぎ く ら いか ら 選 別 を 行 う 。 種 子 の選 別 は、 ま ず 、 海 か ら 汲 ん でき た 海 水 を タ ライ な ど に入 れ、 そ れ に種 子を. 入 れ る。 浮 い てき た 種 子 は捨 て、 沈 ん で い る種 子を 選 ぶ 。 次 に、 選 んだ 種 子を 真 水 に浸 し、 二、三 週 間 つけ てお く 。. こ の時 の真 水 と いう の は、 風 呂 の残 り 湯 であ る。 残 り 湯 は温 か い の で発 芽 を 促 す た め であ る と いう 。. 昭 和 三 十 年 以降 田 植 え 機 が 普 及 し、 農 協 な ど か ら 種 子 を 購 入 す る よ う に な っ てか ら は、 浅 箱 に播 種 す る よ う に. な った 。 そ のた め 、 苗 代 田 は姿 を 消 し て い った 。 請 戸 地 区 の苗 代 田 は水 苗 代 と言 われ 、 苗 を 植 えな い専 用 の水 田が. あ った 。 ま た 、 請 戸 地 区 の苗 代 田 は共 同 用 のも の で はな く 、 各 家 そ れ ぞ れ 持 って いるも の であ る。 あ る話 者 の家 で. は 五畝 く ら い の大 き さ の苗 代 田を 所 有 し て い る。 水 苗 代 の作 り 方 は、 ま ず 、 水 田 に水 を 入 れ 肥 や しな ど を シ ホ ン コ な ど の道 旦ハ を 使 い混 ぜ てか ら 平 ら にす る。 そ し て、 平 ら に し てか ら 種 も みを 蒔 く 。. ま た 、 水 苗 代 のあ と 昭 和 二十 年 代 以 後 に保 温 折 衷 苗 代 と いう も のが 普 及 した 。 保 温 折 衷 苗 代 の作 り方 は、 水 田 に. 畝 を 作 り 、 畝 の上 の上 部 を 平 ら にな ら し、 種 も みを 蒔 い てビ ニー ルを かけ る。 ビ ニー ルを かけ 保 温 す る こ と に よ り. 発 芽 を 促 す 。 し か し、 風 通 しを よ く しな け れ ぼ いけ な いた め 、 ビ ニー ル の両 端 を 竹 で止 め るだ け な の で強 風 の とき. には 飛 ば さ れ や す く 苦 労 を した と いう 。 こ の方 法 は 田植 え機 が 普 及 さ れ るま で行 わ れ て いた。. ま た 、 豊 作 祈 願 と し て、 正 月 の 二 日 に苗 代 田 に餅 と 野 菜 ( お 煮 しめ )、 注 連 縄 を 持 って 行 き 拝 ん で いた 。. ● 耕 起 ・耕 転. ま ず 、 秋 の終 わ り (十 一月 く ら い) に 稲 株 を 起 こ す よ う に耕 す。 これ を 馬 耕 と 呼 ぶ 。 そ し て、 霜 が と け た 春 先. (彼 岸 く ら い) に 、 馬 耕 のと き に 大 き く 耕 し た 土 を 霜 が 溶 け て 細 か く 耕 し や す く な った た め 、 シホ ン コな ど を 使 い、. 土 を 細 か く し 、 平 ら にす る。 細 か く 耕 す 際 に肥 や しも 混 ぜ る。 これ を ハ ロウ ガ ケ と言 う 。 ハ ロウ ガ ケ が 終 わ る と 田. 蹴.

(15) 東 日本 大震 災か ら生活 回復 へ の希求. ん ぼ に水 を 入 れ る。 そ の際 、 畔 塗 り と 言 って、 田 んぼ の へり か ら 水 が 漏 れ な いよう にす る ため 、 土 盛 りを 行 い壁 を つく る。. 田植 え を す る にあ た り 、 田面 を や わ ら か く す る代 掻 き が 行 わ れ る。 現 在 は耕 運 機 やト ラク タ ー な ど が 用 いら れ る. が 、 そ れ 以 前 は マンガ ( 馬 鍬 ) が 使 わ れ て いた 。 マンガ を 引 く とき に馬 を 使 用 す るが 、 馬 を 誘 導 す る人 を ハナ ド リ. ( 鼻 ど り ) と 呼 ん で いた 。 ハナ ド リ を そ の家 の女 性 (嫁 )、 マンガ を 男 性 が 行 い、 田面 を 平 ら にす る。 代 掻 き を 行 う. のは だ いた い 田植 え の 一週 間 前 く ら いか ら であ る。 ま た 、 代 掻 き は共 同 で行 う こ とも あ り、 田植 え の際 と 同 じ メ ン バ ー で行 って いた 。 詳 細 は以 下 よ り 述 べ ると す る。. ●移植. ま ず 、 苗 の育 ち 旦ハ 合 によ り 、 田植 え の 日取 り が 決 ま る。 そ し て、 現 在 は 田植 え機 が あ る ため 、 家 族 だ け で行 う こ. と が でき るが 、 そ れ 以 前 は手 植 え であ った た め 人 数 を 必 要 と し て いた 。 家 族 、 親 戚 、 兄 弟 、 隣 近 所 で ユイ と いう 共. 同 の組 織 を 組 み、 田植 え ・代 掻 き を 行 って いた 。 こ の ユイ の中 で連 絡 を 取 り 合 いな が ら 、 最 終 的 に 日取 りを 決 め て. いく 運 び と な る。 た だ し、 ゴ ト ウ と 言 って 五 日働 い て六 日 目が 休 み とな るも のが あ り、 休 み に当 たら な いよう に注 意 し て いた 。 だ いた い 田植 え は 五月 下 旬 か ら 六 月 上 旬 に行 って いた 。 田植 え の前 日 に苗 代 田 で苗 引 き を し、 田 んぼ に運 ん でお く 。. 田植 え 当 日は 、 真 っ直 ぐ に苗 を 植 え ら れ るよ う に、 田面 に縦 横 の筋 を つけ るガ チ ボ ウ を 使 用 す る。 ガ チ ボ ウ を 引. く のが 男 性 で、 女 性 が 苗 を 植 え て いく 。 ま た 、 前 日用 意 した 苗 だ け で は足 り な い場 合 が あ る の で手 のあ いて いる女. 性 が 苗 代 田 で苗 引 き を 行 う 。 田植 え の際 、 子ど も にも 仕 事 が あ り 、 ナ エブ チ ( 苗 ぶ ち ) と い って、 田 んぼ の へり に. 苗 を 持 って立 ち 、 苗 が 足 り な く な ると 苗 を 渡 す 係 を し て いた 。 ま た 、 田植 え歌 の よう な も のが あ ったが 詳 細 は不 明. 脇.

(16) であ る。. 田植 え には 、 モ ンペ 、 ハンキ リ を 着 用 し、 裸 足 で行 って いた 。 ま た 、 雨 の 日 にガ チ ボ ウ を 引 く 人 が ミ ノを 着 て い た と いう 話 も あ る。. 田植 え で の食 事 は、 そ の家 の女 性 が 用 意 を し、 コジ ハンと いう オ ヤ ツ の時 間 に は団 子を 食 べ、 お昼 に は赤 飯 と お 煮 し め を 食 べ て いた 。 ま た 、 お 昼 頃 か ら お 酒 を 飲 んだ り す る場 合 も あ る。. 田植 え 後 には 、 親 戚 、 兄 弟 を 集 め 酒 を 飲 んだ り 労 った と いう 。 ま た 、 疲 れ た 体 を 癒 す た め に近 く の温 泉 に行 く と いう 話 も あ る。. ●除草. 現 在 は 農 薬 な ど が 使 用 さ れ 、 田 の草 取 り は ほと んど 見 ら れ な く な って しま った が 、 そ れ 以前 は、 田植 えが 終 わ り. 丈 の低 い草 が 生 え 始 め ると 、 タ グ ル マと い った 農 具 を 使 い中 耕 す る。 中 耕 す る こ と で空 気 が 土 に入 り苗 の成 長 に つ. な が ると いう 。 中 耕 は 田植 え 後 三 回 ほど 行 い、 七 月 半 ぼ く ら い にな る と、 タ グ ル マでも とれ な い草 が 生 え てく る の で手 で草 取 り を 行 う 。 これ は 一回程 度 であ る。. ●収穫. 稲 刈 り は 九 月 中 に行 う 。 現 在 は コン バイ ンな ど が 用 いら れ て い るが 、 それ 以前 は ノ コギ リ鎌 を 使 って刈 る のが 主. 流 であ った 。 刈 った 稲 を 田 んぼ に 組 み 立 てお いた キ ガ ケ に 掛 け 、 天 候 が 良 け れぼ 二 、三週 間 干 し て 乾 燥 さ せ る。 し. か し 、 浜 通 り 地 方 は九 、十 月 よ く 台 風 に み ま わ れ 、 稲 刈 り を 終 え て も 乾 燥 に 時 間 が か か った と いう 。 二、三 週 間 干 し た 稲 を 手ご き し 、 麻 袋 に 入 れ て 家 ま で 運 ん で いた 。. 脳.

(17) 東 日本 大震 災か ら生活 回復 へ の希求. 家 に運 ん だ 籾 は籾 殻 を 取 り 除 き 玄 米 にす る籾 摺 り と いう 作 業 を 行 う が 、 請 戸 地 区 に は専 門 の籾 摺 り業 者 が 三軒 く ら いあ り 、 そ こ に頼 ん で いた 。. 玄 米 に し た も の は 俵 に詰 め 、 出 荷 用 の も の (六 十 俵 あ ま り ) は倉 庫 へ、 保 有 米 は 板 蔵 に 区 別 し て保 存 し てお い. た 。 蔵 に入 れ てお いた も の はも ち 米 二俵 と 他 二十 俵 であ る。 出 荷 用 の米 は農 協 から 頼 ま れ た蔵 方 と呼 ぼ れ て いる人 が と り にき て いた 。. ●労働者. 以 上 のよ う な 農 作 業 を 行 う に は手 作 業 と いう こと も あ り 人 手 を 要 し て いた 。 そ の ため 、 現 金 収 入 を 目的 と し た小. 作 を 雇 う 人 が 多 か った と いう 。 た と え ぼ 、 あ る家 で は 一反 歩 く ら い の畑 を 請 戸 地 区 内 の小 作 の人 に 一年 契 約 で貸 し. て いた 。 畑 を 貸 す 代 わ り に 田植 え と 稲 刈 り を 手 伝 い、 契 約 の賃 金 を 労 働 力 で支 払 わ せ て いた と いう 。. 他 に、 自 分 の家 の 田畑 の仕 事 が 終 わ る と 、 何 人 か でグ ル ープ を 組 み、 大 き な家 へ農 作 業 を 手 伝 に行 く者 も いた 。. そ のグ ル ープ と いう の は 一グ ル ープ 三 人 か ら 五 人 で形 成 さ れ 六 、七 グ ル ープ ほ ど 存 在 し た。 グ ル ープ に 入 る者 は現. 金 収 入 を 目 的 と す る若 い人 や 手 の空 い て い る嫁 な ど であ った 。 これ ら は地 主 より 采 配 さ れ る の で はな く 、 小 作 の中. でも 気 の利 く 中 年 の女 性 が 行 う も の であ った と いう 。 ま た 、 こ のグ ルー プ は農 閑 期 にも 、 護 岸 工事 を す る建 設 会 社 が 浪 江 町 と 南 に隣 接 す る 双葉 町 にあ った た め 、 そ こ で土 方 仕 事 を 行 い現 金 を 得 て いた 。. これ ま で述 べ てき た よ う に、 請 戸 地 区 はか つてか ら 漁 業 を 主 要 な 生 業 と し て成 り 立 ってき た集 落 であ り、 漁 師 だ. け でな く 、 漁 業 に直 接 関 わ る こと のな い事 業 者 た ち も 海 と 繋 が り を 持 ち 暮 ら し て いる。 ま た、 請 戸 地 区 は平 地 と い. う こと も あ り 、 荒 地 や 畑 を 開 墾 し て河 原 周 辺 に 田を 構 え、 稲 作 を 中 心 とす る農 家 も 少 な く な か った。 ま た、 そ れら. 245.

(18) の生 業 のも と漁 師 、 船 大 工、 木 造 大 工、 稲 作 を 中 心 と す る 農 家 、 酒 屋 な ど さ ま ざ ま な 職 種 の 人 々 が 暮 ら し て い る が 、 漁 業 に関 す る職 業 が 最 も 多 い地 区 であ ると 言 え る。. 年中行事. 以 上 のよ う に生 業 を 中 心 と し て成 り 立 って い る集 落 であ る請 戸 地 区 は年 中 行 事 にも 反映 し て いる。. 第 二節. 請 戸 地 区 の年 中 行 事 の特 徴 と し て、 上 記 で記 述 した よう に漁 業 ・農 業 を 中 心 と し て成 り立 って いる集 落 と いう こ. と も あ り 、 家 々 の行 事 や 行 事 食 にも 大 き く 反 映 し て い る。 こ こ で は、 昭 和 十 年 (一九 三 五) 生 ま れ の話 者 の家 の年 越 し 行 事 を 正 月 か ら 順 にま と め て いく 。. 年越し行事 ●大掃除. ま ず 、 年 越 し 行 事 であ るが 、 正 月 を 迎 え る に当 た り 一年 間 の汚 れ を 落 とす 大 掃 除 が 行 わ れ る。 し か し、 二十 八 日. か ら 三十 一日ま で は餅 つき や 正 月 飾 り な ど の準 備 が あ るた め 、 そ の前 ま で に終 わ ら せ る と いう 。 大 掃 除 は茅 葺 屋 根. だ った こ ろま で は煤 掃 き や 障 子 の張 り 替 えを 行 って いた 。 最 近 は窓 ガ ラ ス の拭 き 掃 除 、 庭 の掃 き 掃 除 、 神 棚 、 仏 様. (仏 壇 ) の 掃 除 を 行 って いた 。 神 棚 と 仏 様 は 戸 主 が 行 う と 決 ま って いる が 、 そ れ 以 外 の場 所 は 家 族 で行 う 。. ● 餅 つき. 次 に餅 つき であ るが 、 餅 つき は十 二月 二十 八 日ま た は 三十 日 に つく こ とが 多 い。 二十 九 日 は苦 餅 にな る と いう こ. 246.

(19) 東 日本 大震 災か ら生活 回復 へ の希求. と か ら つ い て は いけ な い 日 で あ る。 昭 和 四 十 五 年 ま で は 臼 と 杵 で つ い て お り 、 旦 那 が 杵 、 嫁 が 合 い の 手 を し て い. た 。 そ れ 以 降 は 餅 つき 機 で嫁 が つく よ う にな った と いう 。 餅 を つく 量 は六 升 で、 う ち 二升 が お飾 り餅 ( 供 え餅 ) と. な る。 お 飾 り 餅 は丸 い 二段 重 ね でそ の上 に みか んを 乗 せ る。 供 え る場 所 は神 棚 二 か所 、 床 の間 、 仕 事 場 とな って い. る事 務 所 、 氏 神 様 、 井 戸 の神 様 、 台 所 、 ト イ レ であ る。 これ ら に 供 え る飾 り餅 は 元 旦 の朝 に戸 主 が 供 え 、 そ し て、. 七 日 の朝 に 井 戸 、 氏 神 様 、 ト イ レ に 上げ て いた も のを 下げ る 。 台 所 に供 え た も のだ け 、 水 餅 にし て食 べ た と いう 。. ま た、 十 一日目 に は 仕 事 場 、 床 の間 に上 げ て いた お 飾 り 餅 を 下 げ 、 鏡 割 り を し て 日 に 当 て て 油 で揚 げ て 食 べ て い た。. お飾 り 餅 の他 に 食 べ る餅 と し て切 り餅 を 作 って お り 、 切 り 餅 は お 菓 子 が 入 っ て いた 箱 な ど を 使 い、 四 角 の形 を. 作 って いた 。 二十 八 日 に つく と 三十 日く ら い切 る時 に 丁度 い い柔 ら かさ で切 り やす いと いう 。. ●正月飾り. そ し て、 正 月 の神 様 を 迎 え るた め に、 正 月 飾 り を 用 意 す るが 、 現 在 スー パ ー な ど で買 ってく る家 が 多 い。 か つて. は 、 注 連 縄 を 絢 う 前 にお 風 呂 に入 って体 を 清 め 、 神 棚 のあ る部 屋 に莫 産 を 敷 いて父 親 に教 わ りな が ら 注 連 縄 を 絢 っ. て いた と いう 。 門 松 も 現 在 は飾 る家 が 少 な く な って い るが 、 か つて は新 芽 の出 て いる松 を 採 ってき てサ ンガ イ マツ にし 床 前 に飾 って いた 。. こ のよ う な 正 月 飾 り は十 二月 三十 一日 の朝 か ら 家 の男 性 が 作 り 、 そ の 日 の晩 に飾 る と され て いる。. 請 戸 地 区 では 年 越 し の 日を ト シト リ と 言 い、 男 性 が ト シト リ の昼 間 に正 月飾 り を 作 って いる時 、 家 の女 性 は そ の 晩 の料 理 ま た 、 正 月 料 理 の準 備 を し て い る。. 247.

(20) ● 神 棚 にあ げ るお 膳. ト シ ト リ の晩 は 神 棚 にあ げ る お 膳 と し て煮 魚 、 刺 身 、ご は ん 、 味 噌 汁 、 酢 の物 、 お 神 酒 、 箸 を 二 つ分 用意 す る 。. ま た 、 こ のお 膳 と 同 じも のを 家 族 分 用 意 す る。 用 意 が でき た ら 、 戸 主 が 神 棚 に上 げ 、 拝 む。 そ れ から 家 族 の食 事 と. な る。 こ の神 棚 に上 げ た お 膳 は元 旦 に下 げ る。 ト シト リ の料 理 に使 う 魚 は漁 業 関 係 者 から 貰 え、 こ の こ とを ト シ ト リ 魚 と いう 。. 正月行事 ●元朝参り. 食 事 が 終 わ り、 家 族 で団 攣 な ど を し て十 二時 を 迎 え た ら 請 戸 地 区 に あ る菖 野 神 社 に家 族 で元 朝 参 り に 行 く 。 ま た 、 元 朝 参 り と し て氏 神 様 に 三が 日 の 三 日間 朝 お 参 り を す る。. ●若水汲 み. 元 旦 に最 初 に行 う のが 若 水 汲 み であ り 、 そ の家 の戸 主 が 井 戸 か ら 水 を 汲 ん でく る。 汲 ん でき た水 は、 氏 神 様 と神. 棚 に上 げ る。 ま た、 若 水 を 沸 か し お 茶 を 入 れ て仏 壇 に も 上 げ て いた。 家 によ って 若 水 を 料 理 に 使 う と ころ も あ っ た 。 井 戸 のな い家 は、 水 瓶 に新 し い水 を 溜 め てそ れ を 若 水 と し て使 う 家 も あ った と いう 。. ●正月料理. 正 月 を迎 え る にあ た って切 り 餅 に し て いた も のを 雑 煮 、 あ ん こ (こ しあ ん)、 納 豆 、 豆 腐 餅 な ど に し て食 べ て い. た 。 豆 腐 餅 と いう のは 木 綿 豆 腐 を 布 巾 で水 切 り を し て か ら 、 す り 鉢 です り、 砂 糖 と 醤 油 で味 付 け し た も の で あ る 。. 248.

(21) 東 日本 大震 災か ら生活 回復 へ の希求. ま た 、 香 り づ け と し てク ル ミを 入 れ る人 も い る。 現 在 はオ ー ブ ント ー スタ ー で餅 を 焼 いて いるが 、 囲炉 裏 が あ った ころ は 囲 炉 裏 に 五徳 を 立 て、 そ の上 に金 網 を か け て弱 火 で焼 い て いた 。 餅 以 外 には お 煮 しめ 、 酢 の物 、 魚 の煮 つけ を 正 月 の料 理 と し て食 べ て いた 。. 餅 は 三 が 日 食 べ ら れ て いた が 、 三日 の晩 に はご 飯 を 炊 い てト ロ ロを か け て食 べ て いた 。 これ を 三 日 ト ロ ロと いう 。. ●正月行事. 正 月 の行 事 と し て良 い年 を 送 れ るよ う にと さ ま ざ ま な 行 事 が あ る。 た と えぼ 、 悪 い噂 聞 かな いよう に元 旦 の晩 に. ﹁悪 い噂 聞 く な 、 耳 を ふ た い でお け ﹂ と言 わ れ て いた 耳 ふ た ぎ と いう も の、 良 い年 を 迎 え る こと が でき る よ う に枕. の下 に折 り 紙 で折 った 宝 船 を 入 れ る初 夢 が あ る。 ま た 、 請 戸 地 区 で は 一月 二 日 に船 主 が 安 全 祈 願 、 大 漁 祈 願 を す る. た め 、 身 内 、 親 戚 を 船 に乗 せ て獲 れ た 量 の多 い順 に船 を 出 し、 あ る範 囲 を 一周 す るデ ゾ メ シキ が 行 わ れ、 こ のデ ゾ メ シキ には 浪 江 町 内 外 か ら の見 物 客 も 来 てお り 、 大 変 賑 わ って いた 。. ●新年会. さ ら に、 請 戸 地 区 で は、 正 月 を 迎 え てか ら 隣 組 単 位 で行 わ れ て い る新 年 会 であ る。 も とも と 一月 三 日 に行 わ れ て. お り 、 家 の代 表 者 が 組 頭 の家 に集 ま り 、 昨 年 の報 告 や 隣 組 組 頭 の引 き 継 ぎ が 行 わ れ た 。 組 頭 の家 にあ た る と料 理 や. 酒 な ど を 料 理 し な け れ ば いけ な い。 しか し、 仕 事 を し て い る人 や 三が 日 はゆ っく り 休 み た いと いう こ と から 三週 目. の 日曜 日 に変 わ り 、 組 頭 の家 で行 って いた 新 年 会 も 負 担 が あ る と いう こ と で、 日帰 り で温 泉 に行 く よう にな った と いう 。. ㎜.

(22) 小正月行事 ● オ ンナ ノト シト リ ・オ ンナ シ ョウ ガ ツ. 一月十 四 日 は オ ンナ ノ ト シ ト リ と 言 わ れ てお り 、 女 の 人 は 何 も せ ず に ゆ っく り し て い いと 言 わ れ て いた 。 翌 十 五 日は オ ンナ ノ シ ョウ ガ ツと 言 わ れ 、 朝 に小 豆 ご 飯 を 食 べ て いた 。. ● 稲 穂 つけ. ま た 、. さ ら に、 一月 十 四 日 に ミズ キ の木 を 採 ってき て、 つき た て の餅 を 小 さ く 丸 め 、 枝 の先 に付 け る。 餅 は食 紅 を 溶 か. し て赤 く 染 め た も のと 、 白 い餅 の 二色 であ る。 そ れ を 神 棚 の脇 に 一年 間 飾 って おく 。 これ を 稲 穂 つけ と い い、 家 の 女 性 や 子 供 で つく る。. ● そ の他 の小 正 月 行 事. こ の小 正 月 以 降 に も さ まざ ま な 行 事 が 行 わ れ て お り 、 一月 十 五 日 に 子 ど も が 五、六 人 で グ ル ープ を 組 み 、 夕 方. 十 七 、十 八 時 く ら いに ﹁オデ ハン ニ ャ ( お 出 般 若 )、 オデ ハン ニ ャ ( お 出 般 若 )﹂ と 言 いな が ら 家 々 を 回 り 、 餅 、 菓 子 、. お 金 を も ら って いた と いう カ セド リ と 呼 ぼ れ るも の、 一月 十 六 日 に菖 野 神 社 に て区 長 、 役 員 、 組 頭 が 集 ま り祈 祷 し ても ら う 村 祈 祷 が 行 わ れ て いた 。. 春 の行 事 春 の行 事 であ るが 、 二月 か ら 六 月 ま で の行 事 であ る。 ●節分. 250.

(23) 東 日本 大震 災か ら生活 回復 へ の希求. ま ず 、 二月 に は節 分 が あ る。 節 分 は、 大 豆 を い って、 イ リ マメ に し 一升 枡 に入 れ 、 神 棚 に納 め て おき 、 二 月 三 日. の節 分 の 日 に 撒 く 。 ﹁ 鬼 は 外 、 福 は 内 ﹂ と掛 け声 を か け な が ら 、 ま ず は外 に 向 か って鬼 を 追 い出 す よ う に撒 き 、 そ. れ か ら 各 部 屋 に撒 いた 。 撒 き 終 え ると 、 自 分 の年 の分 拾 って食 べた と いう 。 後 に豆 撒 き の後 の掃 除 が 大 変 と いう こ と か ら 落 花 生 に変 わ って い った 。. ●針供養. そ し て、 現 在 は姿 を 消 した 行 事 であ るが 、 か つて は嫁 入 り 前 に和 裁 を 習 う 人 が 多 く 、 二 月 八 日 に針 を 習 って いる. 人 た ち が 師 匠 の家 で会 食 を した 。 そ の際 、 豆 腐 に針 を 刺 し て供 養 し て いた 針 供 養 が 行 わ れ て いた。. ● ア ンバ サ マ ( 安波祭り). 二 月 の行 事 の中 で ア ン バ サ マ ( 安 波 祭 り ) と いう 祭 礼 行 事 が 行 わ れ て お り、 請 戸 地 区 を 代 表 す る祭 り で あ った 。. ア ン バ サ マ は漁 業 者 を 中 心 に 運 営 さ れ て お り 、 海 上 安 全 ・大 漁 祈 願 を 目 的 に漁 業 者 によ る神 輿 渡 御 も 行 わ れ て い. た 。 ま た 、 祝 い事 のあ る家 々 に は神 楽 ・田植 踊 が 回 って歩 い て いた と いう 。 そ し て、 ア ン バサ マの際 、 各 家 で は親 戚 や 親 し い人 な ど を 招 待 し、 お も てな しを し て いた と いう 。. ●春彼岸. 三月 に入 ると 春 彼 岸 が あ るが 、 入 日 ・中 日 ・お か えり の 三 日間 を 通 し、 先 祖 への供 養 を す る。 ま ず 、 入 日前 に墓. 掃 除 を 済 ま せ てお き 、 入 日 に は仏 壇 の花 を 取 り 換 え る。 ま た 、 中 日 はお 墓 参 りな の で、 花 や線 香 な ど の準 備 を し て. お く 。 そ し て、 中 日 の朝 に家 族 でお 墓 参 り を す る。 お墓 に 供 え る も の は、 アズ キ 、 キ ナ コ、 ジ ュウ ネ ン のお は ぎ. 胴.

(24) と 、 お 菓 子、 果 物 、 であ る。 し か し、 六 、七 年 前 く ら いに 烏 に 散 ら か さ れ る た め お 墓 に食 べ物 を 供 え ては いけ な い. と な った 。 よ り 、 朝 、 お 供 え 物 を し て、 夕 方 回収 し にお 墓 に行 って いた 。 ま た 、 中 日 に家 で は、 お はぎ と お煮 しめ を 食 べ て いた 。 三 日目 のお か え り は御 団 子を 作 って仏 壇 にあ げ て いた と いう 。. ● 桃 の節 句. 三月 の桃 の節 句 で は、 雛 壇 を 飾 り 、 三月 三 日 に雛 壇 の前 で散 ら し寿 司 な ど を 食 べ お祝 いす る。. ● 端 午 の節 句. ま た 、 五 月 の端 午 の節 句 で は 、 現 在 は鯉 幟 を 庭 先 に 建 て、 鎧 兜 を 床 の間 に飾 る 家 が 多 いが 、 昭 和 四十 年 代 は 菖. 蒲 、 ヨ モギ を 家 の 近 く か ら 採 っ てき て藁 屋 根 の ひ さ し 三 か 所 に刺 し 、 そ し て、 菖 蒲 湯 に入 っ て過 ご し て いた と い う。. ● テヤ スメ. さ ら に、 五月 に は、 田植 え 後 の休 みを テヤ スメ と 言 って、 農 作 業 を し て は いけ な い日が あ った。 実 家 に帰 る人 も. いた が 、 柏 餅 を 作 り 、 隣 近 所 や 実 家 に配 って いた 人 が 多 か った 。 ま た 、 農 作 業 で 日頃 でき な い家 の掃 除 な ど を す る 日 に当 て て い る人 も いた 。. 夏 の行事 ●盆踊り. 湿.

(25) 東 日本 大震 災か ら生活 回復 へ の希求. 現 在 は 八 月 のお 盆 の時 期 に盆 踊 り を す ると こ ろが 多 く みら れ るが 、 請 戸 で は 八 月中 に若 野 神 社 や神 様 と呼 ば れ る. 四か 所 で祈 祷 を し てか ら 晩 に盆 踊 り が あ った 。 これ は青 年 団 が 主 催 で櫓 を 移 動 さ せ な が ら 行 って いた。 子供 たち は 浴 衣 な ど を 着 て楽 しん で いた と いう 。. 盆行事 ●墓掃除. 八 月 に入 り 先 祖 の供 養 と し て盆 行 事 が あ る。 盆 を 迎 え る に当 た り 、 ま ず 、 墓 掃 除 から 始 め る と いう 。 現 在 は、 八. 月 に入 ってか ら お 墓 に行 き 墓 石 磨 き や 草 刈 り な ど を 行 う が 、 土 葬 だ った 頃 は草 が た く さ ん生 え て いた ため 、 盆 前 に. は 何 度 も 草 刈 り を し、 海 か ら 砂 を 持 ってき て、 斜 面 を 整 え て いた 。 ま た 、 ど こ か の家 で墓 掃 除 を 始 め る と そ れを 見. 計 ら って次 々 に墓 掃 除 を す ると いう 。 しか し、 早 す ぎ ると 盆 の時 に草 が ま た のび て良 く な いと いう 話 も あ る。. ●盆棚作り. 十 三 日 に経 机 を 使 う 家 や も と も と 仏 壇 に引 出 の テー ブ ルが つい て い るも のが あ る の で、 そ こ に マ コモ で でき た盆. 莫 座 を 敷 き 、 そ の上 の蓮 の葉 を 敷 い て、 ト ウ モ ロ コシ、 キ ュウ リ、 ト マト 、 ナ スな ど の野 菜 、 モ モ、 メ ロンな ど の. 果 物 、 昆 布 、 柳 箸 を 置 き 、 盆 棚 を 作 る。 ま た 、 十 三 日ま で に七 夕 様 と言 って、 浜 竹 を 三本 採 ってき て、 竹 に折 り紙 な ど で飾 り 付 け を し 、 仏 壇 の脇 に 一本 ず つと 墓 に供 え るも のを 一つ作 る。. ●墓参り. 以 上 の準 備 を 終 わ ら せ 、 十 四 日 の朝 に家 族 で墓 参 り に行 く 。 そ の際 、 餅 、 花 、 果 物 、 塔 婆 、 七 夕 様 を 供 え る。 ま. 漏.

(26) た 、 請 戸 で は十 四 日 の晩 、 十 五 日 の晩 、 十 六 日 の晩 と 三 日間 合 わ せ て 四度 墓 参 りを す る。 供 え る の は十 四 日 の朝 だ け で、 他 は 線 香 だ け であ る。. 十 六 日 の朝 に盆 棚 に供 え て いた も のを 盆 莫 座 で包 み、 昆 布 で結 び 、 カ ラ ム シ の葉 を つけ て、 キ ュウ リ の馬 と 一緒. に海 に流 し て いた 。 流 す 際 、 線 香 一束 を 持 って いき 、 火 を つけ 浜 に刺 した 。 し か し、 海 が 汚 れ る と いう 理由 から 十 年 く ら い前 か ら 燃 え るゴ ミ に出 す よ う にな った 。. ● 盆 の松 明. ま た 、 十 三、十 四 、十 五 日 の晩 に家 の門 口 で迎 え 火 を 焚 く 。 そ し て、 三十 日盆 に盆 の終 わ り と共 に送 り火 を 迎 え火 と 同 じ く 門 口 で焚 く 。 これ は戸 主 の仕 事 であ る。. ● 二十 日盆 ・三十 日盆. 二十 日盆 には お 墓 参 り を す る こと はな く 、 仏 壇 の花 や 果 物 を 取 り 換 え る。 三十 日盆 も 二十 日盆 と 同 じく 墓 参 りす. る こと は な く 、 仏 壇 に初 な り のカ ボ チ ャを 供 え、 夕 方 に送 り 火 を 焚 い て、 盆 の行 事 を 締 め る と いう 。. 秋 の行 事 ●月見. 九 月 に入 り 、 ス スキ 、 ハギ 、 キ キ ョウ 、 栗 の枝 を 採 ってき て、 花 瓶 に生 け 、 縁 側 に出 し た テー ブ ル の上 に、 ブ ド ウ や 青 リ ンゴ 、 栗 、 十 五以 上 の奇 数 の団 子と 一緒 に供 え る十 五夜 を 行 う 。. 254.

(27) 東 日本 大震 災か ら生活 回復 へ の希求. ● 十 日市. 十 月 に入 り 、 請 戸 地 区 のあ る浪 江 町 の代 表 的 な 十 日市 が あ る。 これ は、 明 治 六 年 頃 から 出 羽神 社 ( 浪江神社) の. 祭 日と し て十 月 十 日よ り 三 日間 市 が 立 つよ う にな った 。 こ の十 日市 に は浪 江 町 民 の他 に隣 接 す る 町村 から も 見 物 客. な ど が 来 て いた 。 ま た 、 請 戸 で も 子 供 が 十 日 市 を 楽 し み に し てお り 、 お 小 遣 い を も ら っ て友 達 同 士 で バ ス に 乗 り 、 十 日市 が 開 か れ る権 現 堂 地 区 ま で行 って いた と いう 。. ●恵比寿講. 十 月 二十 日は 恵 比 寿 講 を 行 う 。 請 戸 地 区 に は鮒 を 売 り に来 る人 が い て、 そ の人 から 鮒 を 購 入 し、 鮒 が 生 き て いる. た め 金 魚 鉢 な ど に移 し、 お 頭 付 き の魚 や 豆 腐 、 吸 い物 のお 膳 と 一緒 に神 棚 に供 え拝 んだ 。 そ し て そ の鮒 は 翌 日 に 川 に戻 し た と いう 。. 以 上 のよ う に請 戸 地 区 の年 中 行 事 の特 徴 と し て、 上 記 で記 述 した よう に漁 業 ・農 業 を 中 心 と し て成 り立 って いる 集 落 と いう こと も あ り 、 家 々 の行 事 や 行 事 食 にも 大 き く 反 映 し て い る こ とが 分 か る。. ● 行 事 食 か ら 見 え るも の. た と え ば 、 正 月 の飾 り 餅 を 供 え る場 所 は、 神 棚 や 氏 神 の他 に、 農 家 で は苗 代 田 へ、 船 方 は船 へ供 え る と いう 。 ま. た 、 正 月 料 理 で は、 年 末 にト シト リ 魚 と い って船 方 か ら 多 く の魚 を 貰 い、 刺 身 、 煮 魚 を 中 心 に魚 料 理が 正 月 の御 馳. 走 と し てた く さ ん 出 てく る。 こ のト シト リ 魚 のお 返 しと し て、 一月 二 日 に行 わ れ るデ ゾ メ シキ に て、 酒 一升 と み か. ん 一箱 を 返 す 。 魚 を 使 った料 理 は 普 段 か ら 食 べら れ て いる も のだ が 、 特 に、 年 末 年 始 、 田植 え 後 、 春 と秋 の 彼 岸 、. 翫.

(28) 桃 の節 句 、 端 午 の節 句 な ど 各 行 事 の際 は豪 勢 に振 る舞 わ れ る。. 浪 江 町 は 、 半 農 半 漁 の集 落 、 平 地 農 村 集 落 、 市 街 地 、 山 村 集 落 な ど 自 然 環 境 や住 民 の生 業 が 異 な る様 々な 地 区 を. 抱 え て い る。 こう した 違 いが 年 中 行 事 を 多 様 な も のと し て い る。 請 戸 地 区 は そ の中 でも 半 農 半 漁 の集 落 に当 て はま. 祭 礼 ・信 仰. り 、 生 業 を 生 か し た 行 事 が 見 ら れ る。. 第 三節. 四巻 ﹄﹁奥 相 志 ﹂ に よ る と、 近 世 末 の請 戸 (当 時 は受 戸 ). ま た 、 漁 業 を 中 心 と した 集 落 と いう こと も あ り 、 デ ゾ メ シキ や ア ン バサ マと い った 海 上 安 全 や大 漁 祈 願 と い った 信 仰 が 強 く 見 ら れ る 行 事 が 多 い。 た と えぼ 、 ﹃相 馬 市 史. の様 相 を ﹁請 戸 の人 々 は海 辺 に居 住 し、 昔 か ら 魚 に恵 ま れ 、 製 塩 が 盛 んな 豊 かな 村 であ った﹂ と言 って いる。 海 を. 別巻H. 浪 江 町 の民 俗 ﹄ で は 、 ﹁漁 師 は ﹁死 より 産 気 を 嫌 う ﹂ と い って、 身 内 に お産 が あ る と、 か つて. 生 活 の場 と し た 漁 師 は 、 危 険 を 伴 う 仕 事 柄 であ る た め 、 特 に 、 船 の安 全 と 大 漁 を 願 って の 信 仰 心 が 強 い。 ま た 、 ﹃浪 江 町 史. は ﹁船 止 め ﹂ と言 っ て、 七 日間 船 に 乗 ら な か った が 、 現在 は そ の 日数 も 短 く な って い るも の の厳 格 に守 ら れ て い る﹂ と いう 。. 以 上 、 第 一章 で は生 業 を 通 し働 く 場 所 を 与 え るだ け で はな く 、 生 業 を 軸 に信 仰 を は じめ 、 年 中 行 事 、 祭 礼 行 事 な. ど 暮 ら し のす べ てが 関 り 合 いな が ら 請 戸 地 区 の暮 ら し は成 り 立 って いた と いう こ とが 分 か る。 し か し、 東 日本 大 震. 災 によ り これ ら のす べ てが 失 わ れ 、 更 に、 そ の中 で培 わ れ てき た 技 術 も 避 難 生 活 を 送 る にあ た り使 えな い状 況 にあ. 漏.

(29) 東 日本 大震 災か ら生活 回復 へ の希求. る。 次 章 で は、 請 戸 の人 々が ど のよ う な 被 害 に合 い、 ど の よう な 避 難 生 活 を 送 って いる の か見 て いき た い。. 257.

(30) 第 二章. 第 一節. 震 災 後 にお け る浪 江 町 ・請 戸 住 民 の行 動. 東 日本大震災 におけ る福島県浪江町および請戸地区 の被害状況. 福 島 県 浪 江 町 は マグ ニチ ュー ド 九 ・○ 震 度 六 強 が 計 測 さ れ 、 十 五時 三十 三分 に大 津 波 の第 一波 が 浪 江 町沿 岸 部 に. 到 達 し 、 以 降 数 度 の大 津 波 の到 達 によ り 、 沿 岸 部 は壊 滅 的 な 被 害 を 受 け た 。 津 波 ・地 震 に よ る 死者 一八 四名 、 家 屋. 被 害 は 全 六 三 三戸 内 津 波 によ る流 出 六 〇 四戸 、 地 震 に よ るも の 二十 九 戸 、 大 規 模 半 壊 以下 は未 判 定 とな って いる。. 更 に 三月 十 二 日 の十 五時 三十 三分 に東 京 電 力 福 島 第 一原 子力 発 電 所 一号 機 の水 素 爆 発 、 三 月十 四 日十 一時 一分 に. 三号 機 も 水 素 爆 発 を 発 生 、 十 五 日六 時 十 分 に は 二号 機 の爆 発 音 と度 重 な る原 発 事 故 に よ り、 四 月 二十 二 日○ 時 ち ょ. う ど に半 径 二十 キ ロメ ー ト ルを 敬言戒 区 域 に指 定 さ れ る。 ま た 、 同 日 の九 時 四十 四分 に は計 画 的 避 難 区 域 が 設 定 さ れ. 避難状況. た 。 こ の原 発 事 故 によ り 、 浪 江 町 民 は県 内 外 、 国 外 に余 儀 な く 避 難 す る こ と とな る。. 第 二節. 以 上 のよ う に福 島 県 は地 震 ・津 波 被 害 に伴 い原 発 事 故 も 併 発 し、 警 戒 区 域 ・計 画 的 避 難 区 域 が 設 定 さ れ、 県 内 外 に避 難 し て い る状 況 であ る。 詳 細 は以 下 の表 の通 り であ る。. 鵬.

(31) 東 日本 大震 災か ら生活 回復 へ の希求 都道府県名. 人数. 32. 岡山. 16. 1. 北海道. 71. 33. 広島. 16. 2. 青森. 57. 34. 山口. 1. 3. 秋田. 83. 35. 徳島. 1. 4. 岩手. 33. 36. 香川. 2. 5. 宮城. 579. 37. 愛媛. 14. 6. 山形. 258. 38. 高知. 7. 7. 福島. 14,517. 39. 福岡. 21. 8. 茨城. 832. 40. 佐賀. 5. 9. 栃木. 391. 41. 長崎. ll. 10. 群馬. 211. 42. 熊本. 4. 11. 埼玉. 784. 43. 大分. 4. 12. 千葉. 589. 44. 宮崎. 7. 13. 東京. 992. 45. 鹿児 島. 7. 14. 神奈川. 512. 46. 沖縄. 31. 15. 新潟. 613. 16. 富山. 21. 17. 石川. 41. 18. 福井. 13. 19. 山梨. 67. 20. 長野. 60. 21. 岐阜. 21. 22. 静岡. 84. 23. 愛知. 38. 24. 三重. 6. 25. 滋賀. 2. 26. 京都. 39. 27. 大阪. 68. 28. 兵庫. 24. 29. 奈良. 4. 30. 鳥取. 1. 31. 島根. 12. 259. 平成 二十 四年九月 三十 日現在. 人数. 浪江町住民避難状況. 以 上 、 表 のよ う に全 国 各 地 、 避 難 し て い る状 況 であ る。 ま た 、 国 外 にも 十 名 が 避 難 し て いる と いう 。 表 から も 分. か るよ う に、 避 難 先 と し て県 外 で は、 福 島 県 に隣 接 す る県 、 都 市 部 、 交 通 の便 が 良 いと こ ろが 選 ば れ て いる。 さら. 都道府県名.

(32) 二本松市 二本松市. 岳 下 住 民 セ ン ター. 二本松市 二本松市. 旧平石小学校 安達運動場. 二本松市 二本松市 二本松市 二本松市. 杉田多 目的運動広場 杉田農村広場. 二本松市 二本松市 二本松市. 大平農村広場 永田農村広場 二本松市計. 福島市. 笹谷東部. 福島市 福島市. 南矢野 目 北幹線第一. 福島市 福島市. 森合町. 残居個数. 220. 66. 286. 220. 66. 100. 96. 4. 98. 87. 11. 64. 60. 4. 82. 71. ll. 244. 238. 6. 建設技術学院跡. 30. 24. 6. 杉 田 住 民 セ ン ター. 33. 30. 3. 234. 193. 41. 64. 58. 6. 66. 59. 7. 54. 44. 10. 1,069. 960. 109. 182. 171. 11. 208. 192. 16. 196. 182. 14. 18. 17. 1. しの ぶ 台. 112. 84. 28. 福島市 福島市. 宮代第一. 128. 46. 82. 宮代第二. 48. 40. 8. 福島市 福島市. 旧佐原小学校 福 島市計. 32. 29. 924. 761. 本宮市 本宮市. 石神第一. 57. 52. 5. 石神第二. 56. 44. 12. 本宮市 本宮市. 栗木平 小田部. 27. 26. 1. 42. 42. 0. 本宮市 本宮市. 和田石上 高木. 18. 18. 0. 84. 82. 2. 本宮市 本宮市. 恵向. 137. 136. 1. 本宮市計. 421. 400. 21. 相馬市 相馬市. 大野台第8 相馬市計. 93. 93. 0. 93. 93. 0. 川俣町 川俣町. 中山工業団地第一 中山工業団地第二. 10. 9. 1. 20. ll. 9. 30. 20. 10. 川俣町. 川俣 町計. 260. 3 163. に、 新 潟 県 や 静 岡 県 はそ れ ぞ れ に原 子力 発 電 所 を 構 え、 福 島 第 一原 子力 発 電 所 の関 係 社 員 や作 業 員 を 含 め て そ れら. 桑折 町計 郭内公園 塩沢農村広場. 入居戸数. 286. に避 難 し な が ら 仕 事 を し て い ると いう 話 も 聞 か れ る。. 桑折町 二本松市. 建設戸数. 福 島 県 内 には 浪 江 町 指 定 の仮 設 住 宅 が 三十 か 所 建 設 さ れ て い る。 そ の詳 細 は 以下 の表 の通 り であ る。. 名称 桑折駅前. 平 成 二十 四年 十 一月 二十 七 日現 在. 市 町村 桑折町.

(33) 東 日本 大震 災か ら生活 回復 へ の希求. 以 上 のよ う な 仮 設 住 宅 や 借 り 上 げ 住 宅 に落 ち 着 く ま で に は 五、六 か 所 、 そ れ 以 上 の避 難 場 所 を 移 動 し てき た 。. 繰 り 返 さ れ る避 難 移 動. 浪 江 町 は 始 め に津 島 地 区 に避 難 す るよ う に指 示 を した が 、 津 島 は高 線 量 地 域 であ るた め 結 果 的 に避 難 所 を 転 々 と. し な け れ ば いけ な い状 況 にな った 。 移 動 の繰 り 返 しと 慣 れ な い集 団 で の避 難 生 活 に疲 れ が 出 る人 が 続 出 と いう 結 果 にな って いく 。. 以 上 の こと を 踏 ま え 、 具 体 的 にど のよ う に避 難 し てき た か を 事 例 一から 事 例 四 の順 に見 て いき た い。. 事 例 ■ 震 災 以 前 専 業 農 家 を 行 って いた 人 ● 地 震 発 生 か ら の行 動 と 避 難 場 所 一か 所 目. 話 者 は 長 男 夫 婦 、 孫 、 話 者 夫 婦 、 話 者 の義 父 母 の 四世 帯 で 暮 ら し てお り、 三 月 十 一日 は 、 お 昼 ご 飯 を食 べ 終 え 、. い つも の よ う に 孫 た ち と 昼 寝 を し て いた 。 そ の時 に地 震 が 起 き 、 地 震 が 収 ま った後 に 庭 に 出 て様 子を 窺 って いた 。. 話 者 は 町 が 毎 年 八 月 五 日 に清 橋 、 請 戸 を 対 象 に行 って いた 災 害 訓 練 ( 津 波 避 難 訓 練 ) に参 加 を し て いた ため 、 地 震. のあ と には 津 波 が く ると いう こと を 知 ってお り 、 地 震 後 、 働 き に出 て い る長 男 以外 で嫁 の実 家 が あ る清 橋 の マン カ. イ に車 で避 難 を した 。 しか し、 災 害 訓 練 に参 加 しな か った 者 や 昔 か ら 住 ん で いる人 、 特 に高 齢 者 は請 戸 に は津 波 が. 来 な いと 思 って いる た め 逃 げ な い人 も 多 か った と いう 。 そ の 日避 難 し て か ら は 、 地 震 の た め 家 の家 財 が 倒 れ て お り 、 寝 る場 所 が な か った の でビ ニー ル ハウ ス の中 で寝 泊 ま り を した 。. ● 二か 所 目. 261.

(34) 三月 十 二 日 にな り 、 合 流 した 長 男 と 話 者 で連 絡 のと れ な い親 戚 を 探 し に出 て いた 。 し か し、 朝 七 時 前 に 町 の放 送. によ り ﹁原 発 が 危 な い状 況 にあ るた め 、 十 キ ロ圏 内 の人 は避 難 し てく だ さ い﹂ と いう のが 流 れ た の で、 八時 に津 島. 中 学 校 に向 か って出 発 を した 。 津 島 中 学 校 に向 か った の は、 浪 江 町 が ﹁津 島 方 面 に向 け て避 難 し てく だ さ い﹂ と い. う 指 示 が あ った か ら であ る。 そ のた め 、 津 島 に向 か って い る途 中 は道 路 が 凄 く 混 ん で混 雑 し て いた ため 、 急 遽 南 相 馬 市 小 高 地 区 の上 浦 に避 難 を す る こと にな った 。 そ こ に は 二晩 寝 泊 り を した 。. ● 三か 所 目. そ し て、 三月 十 四 日 にな り 、 南 相 馬 市 原 ノ町 地 区 の馬 事 公 園 が 避 難 所 とな って いた ため 、 移 動 し、 そ こ にも 二晩 寝泊まりをした。. ● 四か 所 目. し か し 、 そ こ も 危 な い と い う こ と か ら 、 同 じ原 ノ町 地 区 にあ る石 神 第 二小 学 校 へ移 った 。. ● 五か 所 目. 依 然 と し て東 電 が 危 な いと いう 状 況 に変 わ り が な か った が 、 三月 十 七 日 に石 神 第 二小 学 校 へ群 馬 県 から バ スが 来. て、 群 馬 県 のホ テ ル コ ニフ ァー いわ び つ へ避 難 と な った 。 群 馬 県 へ避 難 す る過 程 は南 相 馬 市 と東 京 都 杉 並 区 が 防 災. 関 係 の協 定 を 結 ん でお り 、 さ ら に、 杉 並 区 と 群 馬 県 吾 妻 町 が そ の協 定 を 結 ん で いた た め であ る。 ま た、 群 馬 県 に杉. 並 区 の保 養 所 が あ る こと か ら 群 馬 県 へ避 難 でき る運 び と な った 。 そ こ に は、 浪 江 町民 五十 人 、 南 相 馬 市 民 一七 〇 人 が 避 難 移 動 し てき た と いう 。. 262.

(35) 東 日本 大震 災か ら生活 回復 へ の希求. ●六か所目. そ れ か ら 二か 月 間 家 族 八 人 によ り 避 難 生 活 を し、 そ のあ と に、 浪 江 町 の指 定 避 難 所 とな る福 島 県 猪 苗 代 観 光 ホ テ ル に移 動 と な った 。. ●七か所目. そ し て、 話 者 夫 婦 は福 島 市 の仮 設 住 宅 への入 居 が 決 ま り 、 六 月 十 八 日 に入 居 、 長 男 家 族 は借 り上 げ 住 宅 に、話者 の義 父 母 は 病 院 へ入 院 と な り 、 現 在 ま で過 ご し て い る。. こ の話 者 は 三月 十 一日か ら 仮 設 住 宅 に入 居 す るま で、 計 七 か所 の避 難 移 動 を 繰 り 返 し て いた。. 事 例 一■ 震 災 以 前 漁 師 を 行 って いた 人 ● 地 震 発 生 か ら の行 動. 話 者 は 震 災 以 前 請 戸 地 区 で ひと り 暮 ら しを しな が ら 漁 師 を 行 って いた 。 三 月十 一日 は 一本 釣 り の道 旦ハ 作 りな ど 漁. に出 る準 備 を 行 って いた と いう 。 そ の最 中 に地 震 が 起 こり 収 ま る のを 待 ち 、 そ し て、 漁 協 へ向 か った。 そ こ で、 津. 波 が 来 ると いう 話 にな って いた の で家 に避 難 す る こと に した 。 幸 い、 話 者 は沿 岸 から 家 ま で七 キ ロメ ー ト ル離 れ て. い る の で津 波 の被 害 はな か った 。 こ の 日、 請 戸 の漁 師 のう ち 十 八 隻 が 沖 出 しを し、 う ち 二隻 が 津 波 に よ り転 覆 し て. い る。 津 波 が 引 いた 後 、 十 隻 が 請 戸 に戻 り 、 六 隻 が 相 馬 港 へ行 った 。 地 震 の後 津 波 来 る の で船 を 沖 出 しす る と いう 言 い伝 え が あ った 。. ま た、 話 者 は ﹁三 月 十 一日 の 二 日 前 あ た り に、 延 縄 、 刺 し網 漁 を し て い る 一部 の 漁 師 が 今 ま で 二、三 万 円 の水 揚. げ が 三 倍 く ら い に な る と いう 現 象 が 起 こり 、 これ は地 震 が 来 る と いう こ と を し ら せ て いた のか も し れ な か った。﹂. 鵬.

参照

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