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住まいをめぐる回想と邂逅 −住経験インタビューの試み−

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≪定例研究会≫

住まいをめぐる回想と邂逅

− 住経験インタビューの試み − 京都大学大学院建築学専攻 准教授

柳 沢 究

1.はじめに 連続研究会のテーマが「回」ということで、今回「住まいをめぐる回想と邂逅」と いうタイトルをつけた。「回想」とはかつて経験したことを思いめぐらすこと、「邂 逅」とは思いがけなく出あうこと、めぐりあい。なかなかぴったりなタイトルだと思 う。住経験インタビューという試みにこの 5~6 年取り組んでいて、その成果をまと めた『住経験インタビューのすすめ』という本が昨日出版された。今日はその本の内 容を中心に、住経験を扱うことがどういうことなのか、その魅力や可能性を紹介し、 みなさんに、自分も住経験インタビューをやってみようと思っていただくのが目標で ある。住経験とは何か、なぜ住経験をインタビューするのか、そこに描かれた住まい の多様性、そこからの学びや魅力について話していきたいと思う。 2.なぜ「住経験インタビュー」か 2−1. なぜ「住経験」か ある人がこれまでにどのような家でどのように暮らしてきたかという、住まいとそ こでの生活にまつわる経験のことを「住経験」と呼ぶことにしている。この取り組み では自分の親にインタビューをするという枠組みを設定している。そこから出てくる さまざまな人の住経験を、家の間取り図や暮らしのエピソードと共に取り出して紹介 したい。 私は以前、自分で設計事務所をやっていて、主に住宅の設計をしていた。その時、 自分が面白いと思って設計したもの、例えば吹き抜けや土間、また個室がないといっ たような普通とは少し違う空間や生活を提案した際に、面白そうだと受け入れてくれ る人と、とてもそんな家に住めないと受け入れられない人がいるのは何故だろうか、 どうしてそのような差があるのかと疑問を覚えた。簡単に言えば住居に関する価値 観、住居観の違いがあるためなのだろうが、ではそもそも、なぜ住居観の差ができる のかと考えた時に、もしかするとこれは経験の違いからくるのではないかと気が付い た。土間がある家や個室がない家を嫌だという人の中に、そのような家に住んだ経験 をふまえて嫌だと言っている人はほとんどいない。住んだことがないから嫌だと言う

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のだ。つまり見知らぬことや経験したことがないことが怖いからではないかと考え た。要は食わず嫌いではないかということだ。 食に例えると大変わかりやすいのだが、日本人が和食を好むのは生まれてから一番 多く和食を食べているからである。例えば深海のオオグソクムシを食べる人はいない が、伊勢海老なら喜んで食べる。この違いは食べたことがあるかどうかである。食の 分野での研究成果を紹介すると、生物は一般に、特に幼児期は見慣れない食べ物を避 ける傾向がある。それを新奇恐怖 neophobia というが、その慣れないものも、機会が あって繰り返し食べていると、だんだん好きになってくる。また、たくさんの食べ物 を食べた経験を持つ動物は、新しい食べ物に出会った時も、それを受容する傾向が高 いという。偏食を回避するには、いろんな物を食べた経験を持って、いろんな物を受 容する嗜好を育てることが大事だと言われている。要するに、幅の広い食の経験を持 っていると、幅の広い食の好みができあがり、結果的に健康的な暮らしや幅の広い食 を楽しむことができる。そういった事が住まいについても当てはまるのではないかと 考えた。 2−2. 住経験と住居観 住まいにまつわる経験と価値観の関係をこのように表してみる。まず、ある家があ って、そこでの生活や家とのやり取りがある。そこで生じた体験や感情が住経験とな って、それを元に住まいとはこういうものだという価値観=住居観が育まれる。次に 住まいを選ぶ時には、その住居観を元に新しい家、暮らしを 作っていく。もちろんその途中には、テレビで見た話や学校 で教わったこと、時代の流行などが入ってくるのだが、おお まかにはそういった関係があるかと思う。ただ実際のとこ ろ、家を考える際に過去の住経験を振り返る人は少ないし、 住経験を意識する場合も直前の家のごく一部の経験に限られ ることが多いように思う。自分にあった家や生活を実現する ためには、もっと意識的に自分が実際に体験したことをフィ ードバックできると良いのではないかと考えている。 2−3. なぜ「インタビュー」か 住経験というのは個人の中にあるものなので、なかなか取 り出すのが難しく、まずは、どのようにそこにアプローチす るのかという事がテーマになる。今までにそのようなことを やった研究者として、代表的なのは西山夘三である。『住み方 の記』では自分の家について、どういう家でどのような生活 を送ってきたか、徹底的に記録を残している(図 1)。また 図 1. 西山 1978 , p143

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のだ。つまり見知らぬことや経験したことがないことが怖いからではないかと考え た。要は食わず嫌いではないかということだ。 食に例えると大変わかりやすいのだが、日本人が和食を好むのは生まれてから一番 多く和食を食べているからである。例えば深海のオオグソクムシを食べる人はいない が、伊勢海老なら喜んで食べる。この違いは食べたことがあるかどうかである。食の 分野での研究成果を紹介すると、生物は一般に、特に幼児期は見慣れない食べ物を避 ける傾向がある。それを新奇恐怖 neophobia というが、その慣れないものも、機会が あって繰り返し食べていると、だんだん好きになってくる。また、たくさんの食べ物 を食べた経験を持つ動物は、新しい食べ物に出会った時も、それを受容する傾向が高 いという。偏食を回避するには、いろんな物を食べた経験を持って、いろんな物を受 容する嗜好を育てることが大事だと言われている。要するに、幅の広い食の経験を持 っていると、幅の広い食の好みができあがり、結果的に健康的な暮らしや幅の広い食 を楽しむことができる。そういった事が住まいについても当てはまるのではないかと 考えた。 2−2. 住経験と住居観 住まいにまつわる経験と価値観の関係をこのように表してみる。まず、ある家があ って、そこでの生活や家とのやり取りがある。そこで生じた体験や感情が住経験とな って、それを元に住まいとはこういうものだという価値観=住居観が育まれる。次に 住まいを選ぶ時には、その住居観を元に新しい家、暮らしを 作っていく。もちろんその途中には、テレビで見た話や学校 で教わったこと、時代の流行などが入ってくるのだが、おお まかにはそういった関係があるかと思う。ただ実際のとこ ろ、家を考える際に過去の住経験を振り返る人は少ないし、 住経験を意識する場合も直前の家のごく一部の経験に限られ ることが多いように思う。自分にあった家や生活を実現する ためには、もっと意識的に自分が実際に体験したことをフィ ードバックできると良いのではないかと考えている。 2−3. なぜ「インタビュー」か 住経験というのは個人の中にあるものなので、なかなか取 り出すのが難しく、まずは、どのようにそこにアプローチす るのかという事がテーマになる。今までにそのようなことを やった研究者として、代表的なのは西山夘三である。『住み方 の記』では自分の家について、どういう家でどのような生活 を送ってきたか、徹底的に記録を残している(図 1)。また 図 1. 西山 1978 , p143 鈴木成文は『住まいを語る』で、建築の専門 家を集めて、その人たちがどのように暮らし てきたか、同じように間取り図に表しながら 時代的な特徴を分析している(図 2)。 先行研究の共通点は、建築の専門家が自分 自身の住んできた家を振り返るというスタイ ルを取っている事だ。一般の人を対象にした 研究も一部あるが、間取り図のようなものは 使わず、外形的な、具体性のないところにし か踏み込めていないものが多い。その理由 は、住経験へのアプローチに二つの困難があるからだ。一つ目の理由として、住経験 を表現するのに必要な空間把握や作図などの建築学的素養を、一般の人は備えていな い事である。もう一つは、結婚や家庭内の事情などのプライバシーに関係する住経験 を、他人が研究することの難しさである。それゆえ今までの研究は、建築の専門家で あり、そういった素養を持っている人が、プライバシーに関わらない自分自身のこと を対象にすることがほとんどであった。しかし、それでは建築の専門家の住経験しか 知る事ができず、研究の幅が狭く展開もないと思い、住経験をインタビューするとい う方法を考えた。 なぜインタビューという形式かというと、まず単純に口述と筆記の違いという点が あげられる。過去のことを思い出しながら書くのは難しいが、目の前にいる相手に聞 かれたことに答えるのはそれに比べれば随分楽である。言葉にこだわらずに話してい るうちに、記憶が芋づる式に思い出されるという点でも有効である。二つ目の点とし て、住経験の対象者の拡大があげられる。要は専門家ではない人を対象にできるとい うことだ。聞き手が空間把握や作図などの能力を持ち合わせていれば、誰にでもイン タビューする事ができるということで、(原理的には)無限に対象が広がる。さら に、なぜ「親」の住経験を聞くという設定なのかといえば、もともとは大学の建築学 生がインタビュアーになって住経験を聞く演習課題として始めたことがきっかけであ る。学生にとって身近でプライバシーが障害にならず、かつ人生経験が豊富なインタ ビュー対象者は誰かと考えた時、親が最適ではないかと思い当たった、というのが発 想の経緯である。 2−4.「親」の住経験インタビュー 手始めに、私自身が自分の父親に対してやってみた。まず年表の形式で書き出して いく(図 3)。私の父は 1943 年、戦中に浅草の【住居 1】で生まれたが、二年後 1945 年の東京大空襲で焼け出され、その父親(私の祖父)の郷里である長野県北佐久郡、 今の小諸に戻る。しかし元々住んでいた家には住めなかったので、山中の畑の側の農 図 2. 鈴木 2002

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機具小屋【住居 2】にしばらく住む ことになった。そこで父親が亡く なる。風呂もトイレもないような 小屋だったので、ある時隣村まで 歩いてドラム缶をもらいに行き、 それを風呂にした。その後 1946 年 からはシングルマザーの母親が小 学 校 の 用 務 員 と な っ て 用 務 員 室 【住居 3】に住むようになり、そこ で の 暮 ら し が 高 校 卒 業 ま で 続 い た。それ以降は、大学入学後に寮 に入り、結婚して団地住まいを経 て、最後に戸建て住宅【住居 15】 を購入、という典型的なパターン である。インタビューをしている と、私が生まれる以前の知らない 話がどんどん出てくる。それはと ても印象深い体験だった。 父が覚えている限りの話を聞い て、そこから住まいの間取り図を 書くという作業をした。これが先 ほど出てきた学校の用務員室の住 まいの様子を平面図で表したもの である(図 4)。 用務員室は小学校と中学校をつなぐ渡り廊下に面しており、土間と八畳間二間の住 まいに母と男児四人で暮らしていた。当時は給食の味噌汁のみ用務員室で作っていた らしく、広い土間に味噌汁を炊く大きなカマドが二つあり、その隣にあるドラム缶は 先ほど話に出てきた、隣村まで 2、3 時間歩いてもらいに行って、その場で 7 対 3 に切 ってもらったものである。大きい方を風呂桶に、小さい方をタライにして、この家で も土間に置き風呂として使っていた。当直の先生たちがよく風呂に入りに来たという 話も聞けた。空襲の話は少し聞いた事があったものの、学校に住んでいた話は全く知 らず、個人的にはかなりショッキングであった。 親へのインタビューを行ってみて実感したことの一つは、自分の経験に基づく視野 の限界、つまり、これまで触れる機会のなかった住まいや生活が身近にさえあること に気づいたことである。用務員さんが学校に住み込んでいたことは知っていたし、そ の人たちに家族がいるということも考えてみれば当然なのだが、用務員さんの家族 図 3. 自分の父へのインタビューの試み(年表) 図 4. 自分の父へのインタビューの試み(平面図)

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機具小屋【住居 2】にしばらく住む ことになった。そこで父親が亡く なる。風呂もトイレもないような 小屋だったので、ある時隣村まで 歩いてドラム缶をもらいに行き、 それを風呂にした。その後 1946 年 からはシングルマザーの母親が小 学 校 の 用 務 員 と な っ て 用 務 員 室 【住居 3】に住むようになり、そこ で の 暮 ら し が 高 校 卒 業 ま で 続 い た。それ以降は、大学入学後に寮 に入り、結婚して団地住まいを経 て、最後に戸建て住宅【住居 15】 を購入、という典型的なパターン である。インタビューをしている と、私が生まれる以前の知らない 話がどんどん出てくる。それはと ても印象深い体験だった。 父が覚えている限りの話を聞い て、そこから住まいの間取り図を 書くという作業をした。これが先 ほど出てきた学校の用務員室の住 まいの様子を平面図で表したもの である(図 4)。 用務員室は小学校と中学校をつなぐ渡り廊下に面しており、土間と八畳間二間の住 まいに母と男児四人で暮らしていた。当時は給食の味噌汁のみ用務員室で作っていた らしく、広い土間に味噌汁を炊く大きなカマドが二つあり、その隣にあるドラム缶は 先ほど話に出てきた、隣村まで 2、3 時間歩いてもらいに行って、その場で 7 対 3 に切 ってもらったものである。大きい方を風呂桶に、小さい方をタライにして、この家で も土間に置き風呂として使っていた。当直の先生たちがよく風呂に入りに来たという 話も聞けた。空襲の話は少し聞いた事があったものの、学校に住んでいた話は全く知 らず、個人的にはかなりショッキングであった。 親へのインタビューを行ってみて実感したことの一つは、自分の経験に基づく視野 の限界、つまり、これまで触れる機会のなかった住まいや生活が身近にさえあること に気づいたことである。用務員さんが学校に住み込んでいたことは知っていたし、そ の人たちに家族がいるということも考えてみれば当然なのだが、用務員さんの家族 図 3. 自分の父へのインタビューの試み(年表) 図 4. 自分の父へのインタビューの試み(平面図) が、その子供たち含めて、学校の中で暮らしているという生活像を想像した事は、こ れまで一度たりともなかったのである。 二つ目としては、戦後の大変な時期の、風呂もトイレもない山中の小屋や小学校の 用務員室のような、我々の世代からはなかなか想像できない住まいを経験してきた人 たちと私たちとでは、現在の住宅を同じような視点で見てはいないだろうということ に、今さら気づいたことである。戦中戦後の厳しい食糧事情を経験した人とそうでな い人とでは、同じような食べ物を見ても感じ方は違うだろう。それと同じ事が住まい についてもあるのではないか。そういった経験に基づく差を無視したまま、住宅のこ とを考えていて良いのだろうかと、考えるようになった。建築学では平均化された人 間を対象とした建築をどうやって作るかと考えるが、それだけでは片手落ちになって しまう。特に生活行為と深く結びついた間取りや造作は、もっと個人的、個別的なこ とを考慮していく必要があると考えた。これが住経験というテーマに取り組もうと思 った問題意識である。 3.描かれた住まいと住み方の多様性 大学の授業として、学生たちに親の住経験を聞きとる「住経験インタビュー」をし てもらい、それをレポートにまとめるという課題にここ数年取り組んでいる。その中 で登場した興味深い住まいを紹介していく。 3–1. 住経験インタビューの方法 インタビューでは、扱う住経験の内容を、①住居遍歴 ②住生活の描写 ③住環境 の描写 ④主観的評価の 4 点にしぼっている。 ① 住居遍歴 生まれてからこれまで、どこのどのよ うな住居に住んでいたか、進学や就職、 結婚等のライフイベントと共に年表形式 に整理していく。そうすると人生と家と の関係が早くも見えてくる(図 5)。は私 自身の住居遍歴である。今の家が 13 番目 になる。 ② 住生活の描写 住 居遍歴に出 てきた全て の家につい て、一軒一軒生活の様子を聞いて書き出 図 5. 住居遍歴

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す。主に食事や家族の寝ていた場所、そのスタイル、椅子に座ってテーブルで食べ ていたのか床座だったのか、またベッドで寝ていたのか布団を敷いていたのか、子 供部屋はあったのか、どこで遊び、どこで勉強していたかなど。そのようなことは 家庭によって実に様々である。お客さんが来た時、正月やお盆に親戚が集まった時 など、非日常の時の使われ方にも大変個性が出る。 ③ 住環境の描写 ②の話を元に、家の間取り図を作っ ていく。(図 6)は私の実家である。こ の住環境の描写は、住経験インタビュ ーの中で一番の難所であるが、一番面 白い大事なポイントでもある。最初は 部屋の数や位置関係などを聞いて簡単 な平面図にし、それを見ながらキッチ ンはここだった、ここにタンスがあっ た な ど と 、 や り と り を 繰 り 返 す う ち に、不思議なものでだんだん間取り図 ができあがってくる。間取り図を描き上げるという目標があると、普段話さないよ うな込み入った話が出てくる。例えば空白の部屋があると、この部屋は何に使って いたのかという話になる。親戚が来た時に泊まる部屋に使っていたとか、普段思い 出したりわざわざ話したりしない細かな話が出てくる。現存しない家も当然あり、 また何十年も前の記憶を元にしているため、最終的に出来上がった図面はおそらく あまり正確ではない。しかしこの場合重要なのは、その住まいがその人の心の中で どのように記憶されどうイメージされているかであるから、その意味では十分意味 がある。 ④ 主観的評価 その家を気に入っていたかどうか、好きな場所、嫌いな場所はどこだったか、ど んな印象深いエピソードがあるか、そのようなことを聞いていく。これはとても大 事な点で、例えば同じような小さな家であっても、プライバシーがなく狭苦しくて 嫌だったと言う人もいれば、賑やかで家族の雰囲気がいつも感じられて良かったと 言う人もいる。経験というのは、常に客観的な事実と主観的な評価の組み合わせ で、評価が異なれば経験の意味は正反対になることがあるので、非常に大事なポイ ントである。 『住経験インタビューのすすめ』のベースとなっているのは、2013 年から 2017 年 図 6. 住環境の描写

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す。主に食事や家族の寝ていた場所、そのスタイル、椅子に座ってテーブルで食べ ていたのか床座だったのか、またベッドで寝ていたのか布団を敷いていたのか、子 供部屋はあったのか、どこで遊び、どこで勉強していたかなど。そのようなことは 家庭によって実に様々である。お客さんが来た時、正月やお盆に親戚が集まった時 など、非日常の時の使われ方にも大変個性が出る。 ③ 住環境の描写 ②の話を元に、家の間取り図を作っ ていく。(図 6)は私の実家である。こ の住環境の描写は、住経験インタビュ ーの中で一番の難所であるが、一番面 白い大事なポイントでもある。最初は 部屋の数や位置関係などを聞いて簡単 な平面図にし、それを見ながらキッチ ンはここだった、ここにタンスがあっ た な ど と 、 や り と り を 繰 り 返 す う ち に、不思議なものでだんだん間取り図 ができあがってくる。間取り図を描き上げるという目標があると、普段話さないよ うな込み入った話が出てくる。例えば空白の部屋があると、この部屋は何に使って いたのかという話になる。親戚が来た時に泊まる部屋に使っていたとか、普段思い 出したりわざわざ話したりしない細かな話が出てくる。現存しない家も当然あり、 また何十年も前の記憶を元にしているため、最終的に出来上がった図面はおそらく あまり正確ではない。しかしこの場合重要なのは、その住まいがその人の心の中で どのように記憶されどうイメージされているかであるから、その意味では十分意味 がある。 ④ 主観的評価 その家を気に入っていたかどうか、好きな場所、嫌いな場所はどこだったか、ど んな印象深いエピソードがあるか、そのようなことを聞いていく。これはとても大 事な点で、例えば同じような小さな家であっても、プライバシーがなく狭苦しくて 嫌だったと言う人もいれば、賑やかで家族の雰囲気がいつも感じられて良かったと 言う人もいる。経験というのは、常に客観的な事実と主観的な評価の組み合わせ で、評価が異なれば経験の意味は正反対になることがあるので、非常に大事なポイ ントである。 『住経験インタビューのすすめ』のベースとなっているのは、2013 年から 2017 年 図 6. 住環境の描写 までの 5 年間に 4 大学で実施した 59 人の住経験に関するインタビューである。そこに は計 351 の住居が登場する。情報の多寡・精度には幅があるが、幼少で記憶のない場 合を除く約 9 割の住居について、平面図とそこでの生活像が具体的に描かれた。対象 者の概要を説明すると、対象者 59 人のうち父親が 25 人、母親が 33 人、祖母が 1 人。 生年は 1932 年生まれの祖母を除くとほとんどが 1960 年代から 71 年、平均すると 1962 年である。子との年齢差はちょうど一世代分の 32 歳、経験居住数は 2~13 軒、平均 5.9 軒であった。実施したのは名城大学、京都大学、近畿大学、明石工業高等専門学 校で、地方別生地は中部 24 人、近畿 26 人、その他 9 人である。 3−2. 住居遍歴から見えること:ある対象者(1966,♀)の住居遍歴 1973 年に上田篤さんが発表した住宅双六(上田:1973)という有名な絵がある。高 度成長期の日本の庶民が人生の中で様々な家に移り住んでいく様子を、双六の形で表 現したものである。この双六では、ベビーベッドからスタートし、ゴールは郊外の庭 付き一戸建て住宅という、当時の住宅に対する一つの価値観が表現されているが、実 際はどうだったのか、というのが住居遍歴を見るとわかってくる。 ある対象者(1966 年生まれの女性)の住 居遍歴を例に見てみる。この人はライフス テージに合わせて5軒の住宅に住んでき た。1 軒目は 3 歳頃まで住んでいた名古屋 の木造平屋の長屋①で、この小さな家に 6 人で住んでいたが、子供が成長してきたの で新築の戸建て②に移り住み、その後 20 年この家で育った。 この家は子供の成長に合わせて、20 年の 間に 2 回増築されている(図 7)。左側が建 った当時の家、1 階部分は 2 部屋ほど増 え、2 階も最初は 2 部屋しかなかったの が、最終的に 5 部屋に大きく増築されてい る。その後結婚して家を出て、住宅双六的 にはふり出しに戻り木造賃貸アパート③に 住む。そこで 3 年間暮らすが、子供が 4 人 に増えたため、公営団地④に移り子育て期 の 9 年間を過ごした(図 8)。そんなに広い 住戸ではなかったものの、子供たちの成長 に合わせ、部屋の使い方や組み合わせをや りくりして住み続けたが、結局手狭にな 図 8. ある対象者の住居遍歴(公営住宅) 図 7. ある対象者の住居遍歴(増築)

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り、最終的に実家の近くに中 古の戸建て住宅⑤を購入した (図 9)。郊外の庭付き住宅を 得て大団円という双六的には 典 型 的 な 流 れ で あ る 。 し か し、インタビューの中でどの 家が一番思い出深いかと聞く と、最後の家ではなく団地の 住まいをあげている。子育て の一番大切な時間に、空間的 には狭いながらも、一生懸命 自分で創意工夫しながら住ん だことがとても思い出深いと 語られた。 最後の住宅では、広いリビングに座卓を置いて食事をとっている。元々この家族は ダイニングテーブルで食事をする生活をしていたが、家族が増えるにつれ、団地では テーブルで食事ができなくなり、床に座って食事をとり始めた。戸建てに移った時に は、家が広くなったのでダイニングテーブルを置くこともできたのだが、ダイニング テーブルでの食事を望むのは対象者のみで、他の家族は床に座って食べる方がいい と、床座の習慣が定着していた。結局今もそのスタイルが継続している。そういった 生活の習慣ができあがっていく過程が、住まいの一連の流れとして見ていくとわかっ てくる。また、空間のやりくりが得意とか、住まいに対する考え方も垣間見えてくる のが、この住居遍歴の面白いところである。 3−3. 住経験インタビューに見る住まいと住み方の多様な姿 「住経験インタビュー」をやっていて驚くのが、いろいろな家が出てくることであ る。先程の小学校の中の住まいや店舗付きの住宅、工場の中にある住宅、旅館に住む など、色々な職住一体の住まいもあれば、ありえないような間取りの家や、あるいは 家自体は普通なのに住み方が少し変な場合もある。それらは特殊というほどでもな いが、自分の知っているものとはちょっと違う、あまり目にする機会がない、しかし 世の中にはたくさんあるに違いない多様な住まいの姿である。それをいくつか紹介 する。 〈普通〉から少し外れた住まいの姿 ① ◯ 積極的な増築と改修を繰り返した住まい 同じ家に住みながら、何度も増築と改修を繰り返し、住まいを大きくしていくとい 図 9. ある対象者の住居遍歴(戸建住宅)

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り、最終的に実家の近くに中 古の戸建て住宅⑤を購入した (図 9)。郊外の庭付き住宅を 得て大団円という双六的には 典 型 的 な 流 れ で あ る 。 し か し、インタビューの中でどの 家が一番思い出深いかと聞く と、最後の家ではなく団地の 住まいをあげている。子育て の一番大切な時間に、空間的 には狭いながらも、一生懸命 自分で創意工夫しながら住ん だことがとても思い出深いと 語られた。 最後の住宅では、広いリビングに座卓を置いて食事をとっている。元々この家族は ダイニングテーブルで食事をする生活をしていたが、家族が増えるにつれ、団地では テーブルで食事ができなくなり、床に座って食事をとり始めた。戸建てに移った時に は、家が広くなったのでダイニングテーブルを置くこともできたのだが、ダイニング テーブルでの食事を望むのは対象者のみで、他の家族は床に座って食べる方がいい と、床座の習慣が定着していた。結局今もそのスタイルが継続している。そういった 生活の習慣ができあがっていく過程が、住まいの一連の流れとして見ていくとわかっ てくる。また、空間のやりくりが得意とか、住まいに対する考え方も垣間見えてくる のが、この住居遍歴の面白いところである。 3−3. 住経験インタビューに見る住まいと住み方の多様な姿 「住経験インタビュー」をやっていて驚くのが、いろいろな家が出てくることであ る。先程の小学校の中の住まいや店舗付きの住宅、工場の中にある住宅、旅館に住む など、色々な職住一体の住まいもあれば、ありえないような間取りの家や、あるいは 家自体は普通なのに住み方が少し変な場合もある。それらは特殊というほどでもな いが、自分の知っているものとはちょっと違う、あまり目にする機会がない、しかし 世の中にはたくさんあるに違いない多様な住まいの姿である。それをいくつか紹介 する。 〈普通〉から少し外れた住まいの姿 ① ◯ 積極的な増築と改修を繰り返した住まい 同じ家に住みながら、何度も増築と改修を繰り返し、住まいを大きくしていくとい 図 9. ある対象者の住居遍歴(戸建住宅) う、ありそうでない事例であ る(図 10)。この家には 50 年 間住み続け、その間に家の大 きさが約 2 倍に広がってい る 。 左 が 初 期 の 家 の 状 態 だ が、当初はほぼ最小限に近い 2 階建て、1 階で自転車修理 工場を営み、その奥にキッチ ンと寝室があるという小さな 住宅だった。その後、子供の 成長や商売の拡大に合わせ 3 回にわけて増築していく。ま ず隣の土地を購入、面積を倍増する増築をし、自転車修理工場だったのが自動車修理 工場になり、商売が大きくなるのに合わせて家も大きくなっていった。以前はなかっ たお風呂や子供の個室が作られ、部屋を作り変えるためにそれぞれの場所の使い方も 柔軟に変えられている。驚くのは、この増築がすべて対象者の父親のセルフビルドで 行われていることである。 またこの事例が面白いのは、この家で育った子供が自分の家を建てた時に、この家 で住んだ経験が影響していることだ。ある時期のこの家では、襖で仕切られた続き間 を使って 2 人の兄弟の子供部屋にしていた。その後ここで育った子供が大人になって 自分の家を建てた時、自身の 3 人の子供のための子供部屋を引き戸で仕切る続き間の つくりにした。このことについて、自分が子供の頃、兄弟仲良く続き間の子供部屋を 使った楽しい思い出があったので、自分の家でも同じ作りにしたとインタビューの中 で話している。つまり家づくりの際に、自分の住経験を自覚的に投影しているのであ る。このようなことは結構あるのではないかと思う。 〈普通〉から少し外れた住まい の姿 ② ◯ 一戸建て住宅をつなげた住まい もともとは西側の家に住んでい たが、その後奥の旗竿敷地が売り に出され購入した。しかしそこに あった家を建て直す余裕はなかっ たので、渡り廊下をつけて連結し て使うことにした(図 11)。これ は一時的な措置かと対象者は思っ 図 10.積極的な増築と改修を 繰り返した住まい 図 11. 一戸建て住宅をつなげた住まい

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ていたが、結局そのまま 10 年間住んだという。渡り廊下を 2 軒の最短距離の位置に つけたので、子供の寝室が通り道になってしまい機能的には疑問であるが、当時子供 たちは小さく、奥の家を「探検場所」と読んで遊んでいた。10 年後に建て替えられた 時には、2 軒連結した家の特徴を生かし、奥の家を解体、建て直しをしている間は手 前の家で生活し、半分できあがったらそちらに移り住み反対側を建て直すというよう に、仮住まいとして活用できたということだった。 住経験インタビューでは、このような 2 軒を連結させるという住まいは割と頻繁に 出てくる。一戸建てに限らず、アパートやマンションを繋いでしまう場合もあり、意 外と行われていることなのだと知り、驚いたことの一つである。 〈普通〉から少し外れた住まいの 姿 ③ ◯ お菓子屋の住まい 生活と仕事の場が一体となった 形式、職住一体型の住まいは、お そらく 30~40 年前は今よりもっと 数が多かったと思われる。これは お菓子屋さんの住まいである(図 12)。販売だけではなく自分のと ころで作ってもいる。何度か増改 築されていると思われる複雑な間 取りをしていて、土間が真ん中に T の字型に通っている。この大きな土間が出入り口 であり、菓子を製造販売する場であり、さらに日常の食事をする場所にもなってい る。見るからに生活と仕事が入り混じっていて、お菓子を買いに来たお客さんは、普 通にその家の玄関から入ってきて、生活の一部として使われている土間を通り買い物 して行くというような状態だった。 普段から家の中には家族だけでなく従業員やお客さんが出入りし、非常に活気があ ったようで、さまざまな日常のエピソード、思い出が語られた。祖父や従業員があん こを炊いている後ろ姿を覚えている、玄関を開けると甘い香りがわっと漂ってきた、 食事は仕事の合間に靴を履いたままとった、正月前は大変な慌ただしさだったとか、 色々な思い出がたくさん語られた。このような職住一体で家族がずっと昼夜問わず一 緒の時間を過ごしていることが一つの理由かと思われる。 〈普通〉から少し外れた住まいの姿 ④ ◯ 温泉旅館の住まい こちらは温泉旅館の事例である(図 13)。温泉旅館は家族経営のところが多く、当 図 12.お菓子屋 の住まい

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ていたが、結局そのまま 10 年間住んだという。渡り廊下を 2 軒の最短距離の位置に つけたので、子供の寝室が通り道になってしまい機能的には疑問であるが、当時子供 たちは小さく、奥の家を「探検場所」と読んで遊んでいた。10 年後に建て替えられた 時には、2 軒連結した家の特徴を生かし、奥の家を解体、建て直しをしている間は手 前の家で生活し、半分できあがったらそちらに移り住み反対側を建て直すというよう に、仮住まいとして活用できたということだった。 住経験インタビューでは、このような 2 軒を連結させるという住まいは割と頻繁に 出てくる。一戸建てに限らず、アパートやマンションを繋いでしまう場合もあり、意 外と行われていることなのだと知り、驚いたことの一つである。 〈普通〉から少し外れた住まいの 姿 ③ ◯ お菓子屋の住まい 生活と仕事の場が一体となった 形式、職住一体型の住まいは、お そらく 30~40 年前は今よりもっと 数が多かったと思われる。これは お菓子屋さんの住まいである(図 12)。販売だけではなく自分のと ころで作ってもいる。何度か増改 築されていると思われる複雑な間 取りをしていて、土間が真ん中に T の字型に通っている。この大きな土間が出入り口 であり、菓子を製造販売する場であり、さらに日常の食事をする場所にもなってい る。見るからに生活と仕事が入り混じっていて、お菓子を買いに来たお客さんは、普 通にその家の玄関から入ってきて、生活の一部として使われている土間を通り買い物 して行くというような状態だった。 普段から家の中には家族だけでなく従業員やお客さんが出入りし、非常に活気があ ったようで、さまざまな日常のエピソード、思い出が語られた。祖父や従業員があん こを炊いている後ろ姿を覚えている、玄関を開けると甘い香りがわっと漂ってきた、 食事は仕事の合間に靴を履いたままとった、正月前は大変な慌ただしさだったとか、 色々な思い出がたくさん語られた。このような職住一体で家族がずっと昼夜問わず一 緒の時間を過ごしていることが一つの理由かと思われる。 〈普通〉から少し外れた住まいの姿 ④ ◯ 温泉旅館の住まい こちらは温泉旅館の事例である(図 13)。温泉旅館は家族経営のところが多く、当 図 12.お菓子屋 の住まい 然その経営をする家族が旅館に住んでいるのは当たり前なのだが、温泉旅館での暮ら しがどのような生活か、知っている人も想像したことがある人もほとんどいないと思 う。そのようなことを知れるというのが住経験インタビューの面白いところである。 間取り図の赤いところが住居部分、青いところが旅館部分というふうに基本的には 分けられているが、1 階の家族用の居間やダイニング、父母の寝室が旅館部分と切り 離されているのに対して、2 階にある子供たちや従業員の個室部分は、客室が並ぶ廊 下を挟んだ向かいにある。子供たちが自室から客が利用する廊下に直接出ることにな り、境界がかなり曖昧になっている。実際、稼働率の悪い部屋を子供部屋として使 い、子供が成長して不要になるとまた客室に戻していたということだ。旅館の中には 旅館特有の空間がたくさんあり、大浴場をプールにして遊んでいたり、ステージのあ る大宴会場ではカラオケ大会、長い廊下ではサッカーをしたり、なかなか楽しい経験 をされている。 それ以外にも、仲居さんに遊んでもらったり、布団の上げ下げなど旅館の仕事を手 伝ったりもした。料理も手伝っていたので幼稚園の時にすでに鯉を捌くことができた という。このような仕事場と一体の住居では、一般的な住居と比べ、いろんな体験が できる。他者との関わりも多く生まれ、子供時代の思い出も大変豊富になっていると 感じる。子供の生育に与える影響という点でも、とても興味深い。 〈普通〉の住まいの様々な住み方 ① ◯ ダイニングに設けられたクローゼット ここからは住まい自体は変わっていないが、住み方がちょっと不思議な家を紹介 する。 図 13. 温泉旅館の住まい

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帰宅時や入浴後、リビン グやダイニングで着替えを する人はけっこういるよう に思う。家族に嫌がられな がらもわたしも時々するの だが、それを家の作りにも 反映してしまったという珍 しい事例である(図 14)。 現在の住まいの間取りを 見ると、ダイニングの真横 に大きな収納があるのがわ かる。これは対象者である この家の父親の衣類専用クローゼットである。なぜダイニングにクローゼットがある かというと、そもそもは、一人暮らしの時期にダイニングで着替えをしていた生活習 慣が、建て替え前の実家に持ち帰られたことが理由である。当時の家ではダイニング に風呂場が隣接していたため、ダイニングで着替える習慣はそのまま定着した。その 頃のキッチンカウンターには父親の衣類が山積みになっていたという。そのこともあ って、改築の際にわざわざ注文してダイニングにクローゼットを作ったのである。 インタビューでこの話を聞いて、息子は初めてダイニングテーブルの横にクローゼ ットがある理由を知ったという。このような習慣がある人でも、ダイニングにクロー ゼットを作ろうという、ある意味合理的な発想ができる人はなかなかいないが、この 家の父親は自分の生活習慣をよく自覚していて、それを貫いた。強い意志を感じる事 例である。 興味深い点としては、ダイニングで着替える習慣が生まれたのは、ワンルームでの 小さな生活や、風呂がすぐ隣にあるという前の家の間取りが理由であるが、新しい家 ではその理由は解消されているにも関わらず、その習慣は継続している。習慣や癖の 発生にはある程度合理的な理由があるのだが、その理由が失われても習慣は持続する ようである。 〈普通〉の住まいの様々な住み方 ②(間取り図 パワーポイント 31) ◯ 継続する集中就寝 次の例は子供が大学生になっても家族で川の字で寝ている家という事例である(図 15)。建築計画学では、家族が一室に集まって寝ることを集中就寝、夫婦や子供が 個々に分かれて寝ることを隔離就寝や就寝分離という。普通は子供が幼い時期は集中 就寝だが、部屋数が許せば、その後だんだん隔離就寝に移っていくことが良いとされ ている。しかし住経験インタビューをやっていると、部屋数が足りないわけではない 図 14. ダイニングに設けられたクローゼット

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帰宅時や入浴後、リビン グやダイニングで着替えを する人はけっこういるよう に思う。家族に嫌がられな がらもわたしも時々するの だが、それを家の作りにも 反映してしまったという珍 しい事例である(図 14)。 現在の住まいの間取りを 見ると、ダイニングの真横 に大きな収納があるのがわ かる。これは対象者である この家の父親の衣類専用クローゼットである。なぜダイニングにクローゼットがある かというと、そもそもは、一人暮らしの時期にダイニングで着替えをしていた生活習 慣が、建て替え前の実家に持ち帰られたことが理由である。当時の家ではダイニング に風呂場が隣接していたため、ダイニングで着替える習慣はそのまま定着した。その 頃のキッチンカウンターには父親の衣類が山積みになっていたという。そのこともあ って、改築の際にわざわざ注文してダイニングにクローゼットを作ったのである。 インタビューでこの話を聞いて、息子は初めてダイニングテーブルの横にクローゼ ットがある理由を知ったという。このような習慣がある人でも、ダイニングにクロー ゼットを作ろうという、ある意味合理的な発想ができる人はなかなかいないが、この 家の父親は自分の生活習慣をよく自覚していて、それを貫いた。強い意志を感じる事 例である。 興味深い点としては、ダイニングで着替える習慣が生まれたのは、ワンルームでの 小さな生活や、風呂がすぐ隣にあるという前の家の間取りが理由であるが、新しい家 ではその理由は解消されているにも関わらず、その習慣は継続している。習慣や癖の 発生にはある程度合理的な理由があるのだが、その理由が失われても習慣は持続する ようである。 〈普通〉の住まいの様々な住み方 ②(間取り図 パワーポイント 31) ◯ 継続する集中就寝 次の例は子供が大学生になっても家族で川の字で寝ている家という事例である(図 15)。建築計画学では、家族が一室に集まって寝ることを集中就寝、夫婦や子供が 個々に分かれて寝ることを隔離就寝や就寝分離という。普通は子供が幼い時期は集中 就寝だが、部屋数が許せば、その後だんだん隔離就寝に移っていくことが良いとされ ている。しかし住経験インタビューをやっていると、部屋数が足りないわけではない 図 14. ダイニングに設けられたクローゼット のに、子供がかなり大きくなっても家族揃って川の字で寝ているという事例が 10 人 に 1 人ぐらいの割合で出てくることに驚いた。理由は人それぞれだが、この事例では 過去の経験が影響しているようである。 この家では真ん中の部屋に夫婦と次女が川の字で寝るという生活をしている。長女 は個別就寝であるが、次女は大学生になっても両親と寝ている。そこには、インタビュ ーの対象者である母親の住経験がある程度影響しているようだ。 この母親は子供の頃に自分の部屋を持った経験がなく、常に姉と一緒に寝ていた。 その上、姉妹の部屋は頻繁に母親が出入りする作りになっていた。そのため彼女に は、寝室がプライベートであるという意識が全くないという。リノベーションして作 った現在の家の 2 つの子供部屋を見ると、それぞれ入口が 3 ヶ所もあり、子供部屋を 絶対閉じさせないという方針のもとに作られていることがわかる。前の家では部屋数 が足りなかったので 4 人で揃って寝ていたが、現在の家は大変大きく、子供専用の部 屋を作ったにも関わらず集中就寝が続いている。プライベートな個室を持つ感覚が薄 いことが一つの理由だろう。現在の家に移って最初の頃は、夫婦の寝室で夫婦と次女 の 3 人で寝ていたが、いつの間にか寝場所がリビングに移り、寝室は物置になった。 場所を変えながらも集中就寝は 14 年間続いているという。長女だけはこのような 状況に反抗し、3 ヶ所ある入口の 2 ヶ所を塞いでいる。3 人の布団は寝室に置いてあ り、寝る時にわざわざ運んできて敷くという。習慣の力はなかなか強い。このような 習慣の力を、私は、住まいに働く一種の慣性力と呼んでいる。一度はじまった習慣と いうものは持続する力がある。この家も、自分たちが集中就寝をするのだという自覚 があれば、リビングで寝るようなことをせず、もう少し違った住まいの作り方ができ 図 15. 継続する集中就寝

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たのではないかと感じる。 〈普通〉の住まいの様々な住み方 ③ ◯ 優先される子供室 これは、大きな家なのに 集中就寝をしていた先ほど の家とは逆で、小さな家だ が子供の隔離就寝、個室を 子供に与えることを最優先 にした事例である。大阪の いわゆる狭小住宅の部類に 入るが、小さな敷地に 3 階 建て+ロフトという住まい で、部屋数は少ない。1 階 は玄関と水回りのみ、2 階 にキッチンとリビング、3 階に 2 部屋だけである。3 人の子供たちが小さな頃は問題なかったが、子供たちが成 長し長女と次女が中学生ぐらいになった時、3 階の 2 部屋をそれぞれの個室として占 拠した。そこから混乱が始まる。2 部屋しかない個室を姉妹に占拠され、母親はリビ ングに布団を敷いて寝るようになり、父親は次女の部屋から折りたたみ階段で上がる ロフトで寝ることになった。一番年下の長男は母親の寝るリビングと父親のロフトを 行ったり来たりするという、家族の力関係を反映した住み方をしている。 このような部屋数が限られた家で子供室を最優先で確保して、その結果、親が、居 場所がなくなってさまよい、リビングなどで寝てしまうことは珍しくない。夫婦のど ちらかがリビングで寝ている事例は時々見かける。10 年間ずっとリビングのソファで 寝ている人もいる。この家もこの状況が 10 年間続いた後、もう少しだけ広い家に引 っ越して家族全員に個室が用意された。しかしそこでも、父親の部屋だけが通り道に なっているという生活を続けている。この家に住んでいた対象者(父親)本人は、こ の家に対して全く悪い印象を持っておらず、子育て期に住んだ楽しい思い出の家とし て語られている。 こんな「住み替え」もあり ① ◯ 住むことは建てること 父親と祖父が大工の家で、金にならない自分の家は後回しという強い信念のもと、 建ぺい率を無視して敷地いっぱいに屋根と外壁を作り、内部は最低限の部屋だけを最 初に用意し、あとは住みながら手を入れていく方式で作られた家である。(図 17)は 図 16. 優先される子供部屋

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たのではないかと感じる。 〈普通〉の住まいの様々な住み方 ③ ◯ 優先される子供室 これは、大きな家なのに 集中就寝をしていた先ほど の家とは逆で、小さな家だ が子供の隔離就寝、個室を 子供に与えることを最優先 にした事例である。大阪の いわゆる狭小住宅の部類に 入るが、小さな敷地に 3 階 建て+ロフトという住まい で、部屋数は少ない。1 階 は玄関と水回りのみ、2 階 にキッチンとリビング、3 階に 2 部屋だけである。3 人の子供たちが小さな頃は問題なかったが、子供たちが成 長し長女と次女が中学生ぐらいになった時、3 階の 2 部屋をそれぞれの個室として占 拠した。そこから混乱が始まる。2 部屋しかない個室を姉妹に占拠され、母親はリビ ングに布団を敷いて寝るようになり、父親は次女の部屋から折りたたみ階段で上がる ロフトで寝ることになった。一番年下の長男は母親の寝るリビングと父親のロフトを 行ったり来たりするという、家族の力関係を反映した住み方をしている。 このような部屋数が限られた家で子供室を最優先で確保して、その結果、親が、居 場所がなくなってさまよい、リビングなどで寝てしまうことは珍しくない。夫婦のど ちらかがリビングで寝ている事例は時々見かける。10 年間ずっとリビングのソファで 寝ている人もいる。この家もこの状況が 10 年間続いた後、もう少しだけ広い家に引 っ越して家族全員に個室が用意された。しかしそこでも、父親の部屋だけが通り道に なっているという生活を続けている。この家に住んでいた対象者(父親)本人は、こ の家に対して全く悪い印象を持っておらず、子育て期に住んだ楽しい思い出の家とし て語られている。 こんな「住み替え」もあり ① ◯ 住むことは建てること 父親と祖父が大工の家で、金にならない自分の家は後回しという強い信念のもと、 建ぺい率を無視して敷地いっぱいに屋根と外壁を作り、内部は最低限の部屋だけを最 初に用意し、あとは住みながら手を入れていく方式で作られた家である。(図 17)は 図 16. 優先される子供部屋 建設当初の間取り図である。1 階は 四畳半が唯一の居室で、あとは資材 置き場の土間と大工の作業場、2 階 には資材置き場と 2 つの部屋ある が、なぜかここには親戚が居候して いて、対象者家族 3 人は 1 階の四畳 半だけで生活をしていた。本人いわ く、工場の一部を間借りしているよ うな感覚だったという。 父親が早くに亡くなり、母と子供 2 人の生活だったので、不用心だと いう理由から、夜は近所にある祖父 の家に行って寝ており、2 軒を行っ たり来たりする生活をしていた。 (図 18)は最終形態である。娘で ある対象者は途中で家を出るが、そ の母親はこの家に 49 年間住んだ。子 供が成長するにつれて、2 階の資材 置き場が姉妹のための続き間の子供 部屋になり、風呂はまき焚からライ オンの吐水口が付けられるなど豪華 になった。居室や玄関も付け足され てはいるものの、材料は大工仕事の 余り物の寄せ集めであちこちが仕上がっておらず、結局 49 年間最後まで完成しない まま、建て替えられた。ここで生まれ育った対象者は、仕上げもなく、ただ間仕切り だけされたような部屋を嫌々受け入れて、なんとか自分で工夫して住みこなしていた ことが、自分の住居観の原点だと語っていた。 こんな「住み替え」もあり ② ◯ 同じ間取りの家を繰り返し建てること 対象者とその家族が住んだ 3 軒の家が、ほとんど同じ間取りをしていたという珍し い事例である(図 19)。対象者は 11 歳から 23 歳まで新築の戸建て[住宅 A]に住んだ が、12 年後にその土地が区画整理の対象となり立ち退くことになった。その時に建て た家が[住宅 B]と[住宅 C]である。[住宅 B]には当時 23 歳になっていた対象者が 1 人で住み、その後結婚してからもずっと住み続けている。対象者以外の両親と兄弟 は[住宅 C]に住んだ。A に住んでいた家族が B と C に分かれたわけだが、A と B と C 図 17. 住むことは建てること 図 18. 住むことは建てること

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の作りがほとんど同じなので ある。 一方に洋風のダイニングや 台所があり、他方に引き戸で 仕切られた和室が続き間にな っていて、そこに立派な仏間 や床の間があり、南に面して 縁側があるという、昔の田の 字型の農家の名残を残した、 いわゆる地方続き間型住宅の 典型的な間取りである。しか し典型的であるにしても似過 ぎている。東側、図面右上の部分には若干の差があるが、居間と台所の大きさも位置 も共通しているし、柱の位置も仏壇の位置も全て同じである。ここから言えるのは [住宅 B]と[住宅 C]は明らかに[住宅 A]のレプリカ、複製として作られていると いうことだ。 新しい家を作る時は前の家で不便だったところを改良したり、生活に合わせて間取 りを変えたりと、なにかしら考えるものだが、ここにはそのような意図が全く見えな い。なぜこのようなことになったかと考えると、[住宅 A]から[住宅 B][住宅 C]に 移った理由が立ち退きだったことは理由の一つだろう。 家が狭くなった、こういう生活がしたいなど、具体的な不満や必要があって家を建 て替えたわけではないから、まあ同じ家でもいい、と考えたかもしれない。あるい は、工務店がサボって図面を使いまわしたのではないかという憶測もしうるのだが、 対象者本人は、家を変える必要がなかったからだと説明している。このインタビュー をした娘は、変化を嫌う父親の性格がにじみ出ているとコメントした。私たちが家を 作る時は今までと違う家を作る、あるいは新しい生活に合わせた新しい家を作るとい うことを当然と考えてしまいがちであるが、あえて同じ住まいを再生産するという選 択もあり得るのだと知り驚いた事例である。 特殊な事例ばかりを紹介したように見えたかもしれないが、これらはインタビュー の対象者本人にとっては普通の家として語られた住まい、住み方である。「普通の 家」とはどのようなものか聞かれると、たいがいの人は自分の家、あるいはテレビや 雑誌に出てくる住まいを思い浮かべると思う。普通の人は「普通の家に普通に住んで いる」と思っているが、これは少し疑わしい。そもそも我々は他人が住んでいる家の ことをほとんど知らないからだ。 建築家や住宅関係の仕事をしている人を別にすれば、間取りは当然のこと、他人が 図 19. 同じ間取りの家を繰り返して建てること

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の作りがほとんど同じなので ある。 一方に洋風のダイニングや 台所があり、他方に引き戸で 仕切られた和室が続き間にな っていて、そこに立派な仏間 や床の間があり、南に面して 縁側があるという、昔の田の 字型の農家の名残を残した、 いわゆる地方続き間型住宅の 典型的な間取りである。しか し典型的であるにしても似過 ぎている。東側、図面右上の部分には若干の差があるが、居間と台所の大きさも位置 も共通しているし、柱の位置も仏壇の位置も全て同じである。ここから言えるのは [住宅 B]と[住宅 C]は明らかに[住宅 A]のレプリカ、複製として作られていると いうことだ。 新しい家を作る時は前の家で不便だったところを改良したり、生活に合わせて間取 りを変えたりと、なにかしら考えるものだが、ここにはそのような意図が全く見えな い。なぜこのようなことになったかと考えると、[住宅 A]から[住宅 B][住宅 C]に 移った理由が立ち退きだったことは理由の一つだろう。 家が狭くなった、こういう生活がしたいなど、具体的な不満や必要があって家を建 て替えたわけではないから、まあ同じ家でもいい、と考えたかもしれない。あるい は、工務店がサボって図面を使いまわしたのではないかという憶測もしうるのだが、 対象者本人は、家を変える必要がなかったからだと説明している。このインタビュー をした娘は、変化を嫌う父親の性格がにじみ出ているとコメントした。私たちが家を 作る時は今までと違う家を作る、あるいは新しい生活に合わせた新しい家を作るとい うことを当然と考えてしまいがちであるが、あえて同じ住まいを再生産するという選 択もあり得るのだと知り驚いた事例である。 特殊な事例ばかりを紹介したように見えたかもしれないが、これらはインタビュー の対象者本人にとっては普通の家として語られた住まい、住み方である。「普通の 家」とはどのようなものか聞かれると、たいがいの人は自分の家、あるいはテレビや 雑誌に出てくる住まいを思い浮かべると思う。普通の人は「普通の家に普通に住んで いる」と思っているが、これは少し疑わしい。そもそも我々は他人が住んでいる家の ことをほとんど知らないからだ。 建築家や住宅関係の仕事をしている人を別にすれば、間取りは当然のこと、他人が 図 19. 同じ間取りの家を繰り返して建てること どのような生活をしているかということは全く知らない。人の数だけ「普通」があっ て、その「普通」がみな微妙に違っているというのが、住経験インタビューで様々な 人の家を見て痛感するところだ。 住経験インタビューというのは対象者とその聞き手、さらにその話を聞く人、その 三者を繋いで、住まいや住み方の「普通」とは何なのかと考えるとても良い機会にな ると思っている。これはまた同時に、典型的でもなく、あるいは特殊でもないため に、歴史に記録されることなく、放っておいたら何十年後にはどこにも残らないよう な住まいや生活の姿でもある。 4.住経験インタビューからの学び 面白がることが研究の一番大事なことだと思っているが、ここでは住経験インタビ ューがどのようなことに役立ちうるかという点について話したい。建築を学ぶ学生や 家づくりを考えている人にとって、大きく三つの視点で役立つと考えている。 4−1. 時代/地域/文化が異なる住まいの理解 親の住経験インタビューの発表会を授業ですると、みんな他人の家のことを知らな いので大変盛り上がる。そこで出てきた感想に以下のようなものがある。 「8 畳の部屋に 7 人で暮らすことは想像できない」 「昔は脱衣所がなかったなんて信じられない」 「寒冷地では冬にベランダが冷凍庫代わりになるなんて」 「教科書に載っている田の字型農家に父が住んでいて驚いた」 ある時代、世代には当たり前だった生活習慣や価値観、今とは違うそれらに実感を もって触れられる良さがある。また時代だけではなく、身近ではない国や地方の異な った風習も知ることができる。本やテレビで知るのとは違って、音や匂い、当時の思 いや感情のこもったエピソードとして聞くので共感の伴った理解に繋がると思う。 時代/地域/文化が異なる住まいの理解 ① ◯ 伝統的な農家での 1960 年代の暮らし これは伝統的な田の字型農家での生活である(図 20)。1960 年代の岐阜の山奥の農 家だが、そこでの暮らしが非常に生き生きと描かれた事例である。 2 階は養蚕のための部屋になっている。引き戸で仕切られているので、冠婚葬祭の 時は全ての戸が取り払われ計 36 畳の大広間になりとても広かった、縁側の板の間の 部分では干し柿を作り、裏にある倉庫では脱穀をしたり、家の味噌を作っていた、便

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所の肥溜めから肥を畑に撒くのと、五右衛門風呂を焚くのが子供である対象者の仕事 だった、井戸水を汲むのが大変なので、風呂の水は 2、3 日に一度しか換えなかっ た、などなど、当時を体験している人からすれば当たり前のことだろうが、このよう なディテールまで話を聞く機会はなかなかない。夜になると屋根裏から蚕が桑を食べ るカサカサという音が響いていたなど、1960 年代の中山間部の農家の生活が目に浮か ぶように語られている。もちろん、こういうことを本や資料で知識としては知ること はできる。しかし、これを親の体験として聞いた学生にとっては、今後農家を見る目 が全く変わる程の、意義深いインタビューだったのではないかと思う。 4−2. 空間と生活行為の関係の理解 家を建てる時、購入する時、「家は一生に一度の買い物」と言って、憧れの理想の 家を求める人が多いが、欲しい部屋や機能を全部とりあえず詰め込んでしまうとだい たい失敗する。なぜなら、新しい家では新しい生活が始まる、というのはだいたい幻 想で、家は変わっても生活は変わらない場合がほとんどだからだ。 ダイニングテーブルを設け、食事は家族でテーブルを囲んで、と思っていたのに、 ダイニングテーブルは物置になってしまうこともあれば、リビングで映画鑑賞でもし ようとゆったりとしたリビングにしたが、いつのまにか洗濯物置き場やコート掛けに なってしまった、などということには心当たりのある方もおられるかもしれない。他 図 20. 伝統的な農家での 1960 年代の暮らし

代/地域/文化が異なる住まいの理解 ①

統的な農家での1 9 6 0 年代の暮ら し N 物置部屋 蚕部屋 蚕部屋 板の間 倉庫 台所 寝室( 父母) 塩の専売 兄弟の部屋 寝室( 祖母) 食事の部屋 床の間 板の間 掘りごたつ 校の頃、 たら ロに めら れた な場所) ( 学校帰り ) 門 ( 農作業) 洗面 脱衣所 土間 畳 板の間 ビー 玉 遊 び 野 球 ごっ こ ホタ ル見物 障子の張り 替えの時は、 こ の池に放り 込んで糊をはがし た 大根などの野菜を 冬に 出し ておく と 、 凍っ てし まう ので、 畑に埋めておいた 脱穀の手伝い 祖母がウサギの毛を 刈る 柿剥きの手伝い 大きな釜で大豆を 煮る 味噌づく り の手伝い 肥溜めを 畑に まく 手伝い ( 嫌な思い出) 蛇やミ ズスマシ、 アメ ンボを 捕まえて遊んでいた ガラス戸は道路が舗装さ れる前は 特に汚れたので、 窓拭きが子どもの仕事だった シマウリ を 漬ける お客さ んが 来るのであまり 使わない部屋 小売を手伝う 桑を干し ておいた 手伝っていると においが瑞々し い 軒下に柿や芋を吊るし て干し ておいた 屋根の上に籠を置いて大根や芋を干し た 蚕が桑を食べる「 カサカサ」 と いう 音がすごく 聞こえる 味噌蔵 池 置場 場 ムロ 上段が神棚 店の売り 上げが 隠し てあった ムロ 蚕部屋 ①1952年生 ♂  ②1952~70年( 0 ~18歳) ③長野県飯田市/木造2階建   持家築約60年/持家 ④祖父母・ 両親・ 本人・ 弟 2 階 ガラ ス戸+雨戸 子どもが風呂焚きを担当 井戸の水を 汲んで き て 火を 炊く 水が硬水だと 最初はこな れないので祖父は 2 番目 に入る。1 番は子ども 水汲みが大変なので、2、 3 日に1 度し か水を 変え ない さ 1800) 納 戸 倉庫 台所 寝室( 父母) 塩の専売 兄弟の部屋 寝室( 祖母) 食事の部屋 床の間 板の間 掘りごたつ 小学校の頃、 怒ら れたら こ のムロに 閉じ 込めら れた ( 嫌いな場所) ( 学校帰り ) 門 ( 農作業) 洗面 脱衣所 土間 畳 板の間 ビー 玉 遊 び 野 球 ごっ こ 桑 の 木 で チャ ン バ ラ 自 転 車 の タ イ ヤ 転 が し ホタ ル見物 障子の張り 替えの時は、 こ の池に放り 込んで糊をはがし た 大根などの野菜を 冬に 出し ておく と 、 凍ってし まう ので、 畑に埋めておいた 脱穀の手伝い 祖母がウサギの毛を刈る 柿剥きの手伝い 大きな釜で大豆を 煮る 味噌づく り の手伝い 肥溜めを 畑に まく 手伝い ( 嫌な思い出) 蛇やミ ズスマシ、アメ ンボを 捕まえて遊んでいた ガラ ス戸は道路が舗装さ れる前は 特に汚れたので、 窓拭きが子ども の仕事だった シマウリ を 漬ける お客さ んが 来るのであまり 使わない部屋 小売を手伝う 桑を干し ておいた 手伝っ ていると においが瑞々し い 味噌蔵 池 まき置場 まき置場 ムロ 上段が神棚 店の売り 上げが 隠し てあった ムロ 1 階 ガラ ス戸+雨戸 子どもが風呂焚きを 担当 井戸の水を 汲んで き て 火を炊く 水が硬水だと 最初はこな れないので祖父は 2 番目 に入る。1 番は子ども 水汲みが大変なので、2、 3 日に1 度し か水を 変え ない ( 深さ 1800) 納 戸 畑

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