月次損益計算論への展開 五六
月次損盆計算論への展開
1年亥損益計算と月次損益計算との関連において一可
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一 われわれは既に経営計算制度の類型と短期計算の意義に関して、先ず経営諸活動の計数的把握とその管理との遂行にお ゆ いて経営計算制度の進展を理解した。そこでは古川栄一教授が既に指摘されるとおり、経営計算制度が一面では計算的報 告的機能において、又他面では経営管理的統制的機能において、その展開を考察して来たのである。 かような動向のうちにおいて、特に経営管理的機能を第一義的にして、経営内部的要講に基付いて黒頭し現象して来た 短期計算に注目し、この本来的経営計算としての短期計算が、経営計算制度のうちにあって如何なる意義をもつて認識さ れているか、又如何に意識されるべきであるかを若干学説的に整理して来た。すなわち年次損益計算と月亥損益計算との 関連において、それが経営機能的に考察されるとき、前者においては牧益性計算並びに牧益性管理の問題が、そして後者 にあっては経済性計算並びに経済性管理の問題が、顕在的に現われることを理解したのである。 換言すれば、経営計算制度に関する体系分類思考を通じて年次損益計算と月次損益計算の関連を考えることは、必然的 に月次損益計算に関するその経済的、社会的基盤並びに経営経済学的、発展的背景を理解する一つの手掛りと成るものと 思うからである。本小稿においては、これらが関連に続いて、年亥損益計算と月次損益計算との問題を月亥損益計算の側面から理解しよ うと考えるのである。すなわち、経営計算制度における月亥損益計算の意義を主体的にとり上げて、月次損益計算論とし て理解し、この月次損益劃算論への展開を極めて概括的にではあるが考察したいのである。 ①拙稿、経営計算制度の類型と短期計算の意義、︵年次損益計算と月次損益計算の関連において︶中部経済学界、第五号。 ② 古川栄﹁著、 ﹁経営計理論﹂第︸章。 同稿.月次会計制度、 ︵経営管理の新しい方法︶大蔵財務協会編、 ﹁最新月次会計制 度﹂一i一九頁。 ③山辺六郎稿、月次決算と原価計算、上掲書.二〇1四一頁。 山辺教授の見解は充分に理解できるのであるが、われわれは一には古川教授の見解の如く、経営管理と会計制度との関連において、 ﹁経営管理の新しい方法﹂としての意義において月次計算を理解する。その二は本来的な経営計算としての流れのうちに再認識し、 そしていわゆる管理会計的理解に進みたいと思う。この意味でわれわれは考察しているが、しかし常にドイツ式の短期損益計算論の 蒸し返しに成らないように充分留意してはいる。 二 ① 経営謝算制度の出現の意義は、黒沢清教授も指摘されるとおり、経営における入的統制管理にとって代って物的計算的 統制管理に発展したことにある。すなわち経営において、経営支配者たる主体による主観的経営管理統制から、客観的経 営管理統制に進展したところにある。かような基本的要素に加うるに、月次損益計算の揚合には、一般経済社会的情勢の 加速度的発展と、その変動流転の要因から政策付けられたる﹁計算の迅速性﹂という﹁つの要素が加味されて、ここには じめて月亥損益計算の擾頭並びにその後の展開が充分に理解されるものと思うのである。 かような意味において丹次損益運算の問題は、二十世紀に入って以来注目されて来たものと考える。先ずわれわれはそ の猛獣として︸九〇九年に求めて、シュマーレンバッハ︵中砿魯碁巨ぎ9︶の﹁棚卸計算をともなわない月次貸借対照表﹂ 月次損益計算論への展開 五七
月次損益計算論への展開 五八 及び、フォェル︵ρ蛸。巴︶の﹁工揚経営における月次損益計算﹂を指摘することができる。 しかしながら、既に久保田音 二郎教授も指摘しておられるとおり、短期成果計算への関心として、すなわち経営内部から短期的に計算的管理統制すべ き工夫として、ドノ・ツにおける十九世紀宋葉の若干の動向が見られる。例えば、一八八○年代においてフォエニックス会 社がすでに短期成果計算を採用していたという事例などである。しかし少くともわれわれは、これらに関しては、月次損 益計算への関心という意味において理解したいのであって、それが問題と研究は、正に今世紀に求めざるを得ないのであ る。 先ずシュマーレンバッハにおいては、月次損益計算の迅速性に問題の提起をなし、それが具体的に実際棚卸計算を省略 して月女貸借対照表を作成し、経営の管理に資せんとする思考である。この考は、具体的に実際経営管理者からの質問に よって端を発したものであり、ここからもわれわれは推察し得る如く、当時既に短期計算的乃至月女計算的経営管理思考 は相当に強く、又その必要性が存していたのである。しかしながらこの段階はあくまでも経営内における個別的乃至静態 的管理統制の思考が強く、例えばこれがシュマーレンバソバにおいては、原材料や製品商晶の管理から問題が展開されて いるのである。換言すれば経営の財産項目に着目して、それによる管理、短期的管理の要請であった。これらの事情が比 較的完備されたる例として、例えば当時のドイツの銀行がニク月毎に銀行貸借対照表を公表しており、又取引所における 短期財政表の公示を義務付ける法令の公布がみられる。云うまでもなく当時は純粋に簿記的、試算表的なものから、部分 経営対照表、中間経営対照表などの各種の形態においてそれが遂行されていたことに注意したいのである。しかしシュマ ーレンバッハにおいては、その基本的思考はただ単に個別的乃至静態的管理統制の段階に浸るのみでなく、いわゆる漸進 的歩調をともなって、財産計算的管理思考とは別に、損益計算的管理思考への関心が築かれ、したがって具体的に提出さ れたる月次貸借対照表の可及的早期の作成問題を通じて、損益項目による経営管理への展開過程を見出すことができるの
である。 特にシュマーレンバッハの一九=二年の論丈﹁純粋商品勘定﹂においては、財産勘定と成果勘定との分離の問題が考察 され、かくて一連の成果計算を通じて経営管理的機能の問題が吟味されていくのである。この基本的思考はフォエルにも 相通ずるものであって、フォエルにおいては原価計算を基礎としながら、財産計算よりはむしろ損益計算を主体にして計 算馨理に進むのである.したがって・・エルでは、材料費の取り扱い方がその忠課題であ%例えば賃金計算を忠 に月女計算的思考を展開したレービン︵O●寓。H﹂O零一ロ昌︶などと同様に、 いわば経営部分的な取り扱いを問題にしたものと 云いうるのである。 ①黒沢清著、﹁原価会計﹂七七頁。 ②国。の魯目巴㊦喜き芦鼠。轟訪び貯震窪。巨①H毫①9霞ゆ一8PN乱.げ華墨噛蜀写瞬■轟’oΩの.90−U呆毒言①三一①δ■ ③O.岡。Φ拝言。銘籍魯ΦOΦ詞註き,§魁く巴器零弓巳巳§晩晒首寄匿§。慧。ぴ。p60⑩隔 ④、⑤久保田音二郎著、﹁短期損益計算論﹂ 一三f一八頁。 ⑥国.o曵魯目巴①9霧互∪塁名電Φ鼻。幹。巴ω巳。葬晩①巨。・。プ富囚8け。二9ω讐国﹄.ワ多蟹・’貯ぼ晩・c。讐oQψ望O一伊茸’ ⑦久保田音二郎著、上掲書、三六i三七頁。 ⑧O・嵐.ピ。乱毒ゆ奢毘︵馨鉾叶Φ暑き寓爵箋薦め霞白&。国籍国字三国①霞δびρお0①・久保田音二郎著、上掲書、三七頁。 三 月次損益計算に関して積極的に研究を向けたものとして、再忘するまでもなく先ず第一にシュマーレンバッハの一九一 二年の﹁月次利益計算﹂なる丈献が上げられる。シュマーレンバッハはここにおいて先ず、月次損益計算が経営計算制度 のうちで占める意義を認識して、その計算的理論体系を構想したのである。すなわち、計算原理については年吹損益計算 月次損益計算論への展開 五九
月次損益計算論への展開 六〇 におけると同様の原理が作用するけれども、しかもそこには実質的に例えば計算要素や評価原則の面において、注目すべ き問題が幾多存することを指摘したのである。かくしてその中心課題は経営費用及び牧益の短期的、月亥的認識と把握の 問題であり、就中シュマーレンバッハにおいては経営費用の側面における考察がその中心であった。したがってこの意味 から、月次損益計算の計算上の特徴を形造るものとして、月次損益計算しおける遡及計算・逆計算の利用と、原価計算的 計算思考の基盤とが注目されるわけである。前者においては見積数量又は見積金額と実際額との比較思考がその基盤であ り、後者においては月次損益計算と原価計算との実質的な関連を意味するところのものである。 周知のように、この論文においてシュマーレンバッハは、月亥損益計算への理論的考察の口火を切ったわけであり、以 後の月女損益計算に関する幾多の研究に対して大きな刺戟を与えたという意味において、その特徴がみられるのである。 更にこの論丈において、シュマーレンバッハのもう一つの特写としてわれわれが注目しなければならないのは、月次損益 計算の研究における財産計算的側面と損益計算的側面における研究の意識である。勿論シュマーレンバッハにおいては、 後者たる成果計算、損益計算的側面における考察がより重要ではあるけれども、前述の月読計算的経営管理思考の擁頭か らその進展にあわせて、財産計算的乃至財産管理的月次計算から、損益計算的乃至損益管理的月次計算への動向を決定付 けたところに特に注目しなければならない。 シュマーレンバッハにおいては、更にこの論文の再論ともいう意味から、一九二六年に﹁月亥成果計算再論﹂を発表、し た。ここでは前述の月次損益計算の理論的考察のあとをうけて、 一層具体的に内容を吟味して、いわゆる月女損益計算の 使命乃至終局的目標なるものを明確に認識把握せんと試みたのである。すなわちここでは、経営成果に対する経営内部影 響と経営外部影響とを認識し、このうち、特に経営成果に及ぼす外部的影響を除去して、計算的に可及的純粋なる経営利 益、経営成果を抽出把握せんと試みた。この結果抽出されたる純粋経営成果こそ、妻衣損益計算の終局的目標であり、こ
の純粋経営成果によって月次損益計算の重大なる使命が果され得るものと云わねばならない。 ⑤ かような考察の順を追ってシュマーレンバッハは、同年に再び﹁動的貸借対照表論﹂の第四版において、第一には利益 計算における経営影響と外部影響との分離の問題に一章を設け、主として経営成果計算乃至年次損益計算の観点から墾の 考察を向けたのである。続いて第二には月次損益計算の目的論を中心にして、主として月次損益計算の観点から同様の問 題を採り上げて一章を設けたのである。これらが目的論についての理解は後述する通りであるが、この一章は特に実際界 における当時のドイツ経済復興期を時代的背景にして、ドイツ商学士会の月齢損益計算に関する啓蒙運動の︼環として、 ⑧ 一九二八年に刊行されたる﹁月次成果計算の理論と実際に関する論意集﹂の冒頭に納められ、ここに理論研究分野のみな ﹁ らず実際界においても、月次損益計算の研究に一段と積極性が附与されたわけである。この論文集は、実際界における各 業界の月次損益計算の実例が中心となって発表されたる懸賞論文であり、当時の経営情勢を知る上にも、又月次損益計算 の研究状態を理解する上にも、極めて重要なる資料を幾多提供してくれるものと云わなければならない。
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自・ω号目普㊦口蜜。F寓8鉾一ざ冨Φ①零ヨ暮曾。。げ屡昌閏㈹一お誌噌国.め・げ三論3影ゴ5昌σqσq●評のω■一。。一1お9 拙稿、月次損益計算の理論的性格について.︵シュマーレンバッハの理論を中心に︶.彦根論叢、第二八号参照。 国.oロ量目巴8ゴ。戸︼︶δ奢①界窪謡冠毒σq動雲崔8餌三一号8国目ゆ茜。。自身目詰鳴二燈P9国.や気持円響q騨げ茜・MO噸oQoQ,一お一δc。. 拙稿、純粋経営成果の抽出把握について、 ︵月次成果計算の管理的使命から︶.彦根論叢、第三〇号参照。 国.ω魯巨巴魯冨。戸U濱舜琶一ω魯①⇔d目9嵩響轟b蔑rおP①・ 團。の。犀目巴Φ口ぴ舘げ一僧.餌●O’瞳oQむQ.帥NムーP⑩①● 国●oQoげ目普露げ舘戸塑・讐ρ’砂oQ.BcD!ωωP. 国’ω魯目白窪嘉。戸Uδ巨999ぎ匿O。貢ぎ胃Φ魯bβ 貌。︵切。巨富槻ΦN霞目δ〇三〇〇昌9勺轟恩。。創設目。轟些魯魯国国ho茜霞①魯5自己鵬ぽ 脅罠訂号勲酔己。び。茸δび露曽お障。。”oロω●ご一ω下︶ 月次損益計算論への展開 六一月次損益計算論への展開 六二 四 かような情勢のうちにあって、シュマーレンバッハは更に一九二七年に﹁コンテンラーメン﹂を発表し、原価計算理論 の実践的基盤を構想したのである。すなわちコンテンラーメンは、経営における会計制度の組織的建設を主眼においてい ゆ ることは云うまでもないところであるが、シュマーレンバッハ自身言明している如く、経営の会計制度は経済上の経営に とって、最も重要なる管理機関であるということが、このコンテンラーメンのうちに流れている一貫した基本的理念であ る。したがってそこでは、経営の計算制度がすべて最も合理的にそれぞれの機能を可及的に充分に発揮するように想定さ れているものと云わねばならない。換言すればコンテンラーメンでは周知のように、月次損益計算と原価計算とが可及的 に並行するように構想され、かつ又この並行が年次損益計算に対しても最も合理的に対応するように意図されているので ある。 コンテンラーメンでは以上のような基本的理念から出発しているけれ噛ども、就中その特徴とするところに、第一には月 次損益計算の迅速性が編み込まれ、第二には損益原因の確定性が意図されていることである。前者は月次損益計算の必須 要件の第一にも上げられるべきものであり、後者は月次損益計算の終局的使命を達成するためのいわば基本的前提とも云 うべきものである。ここにおいてシュマーレンバソハは、今世紀初頭以来の月次損益計算に関する理論的研究を集大成し、 それを経営計算制度のうちに有意義に位置付けると同時に、経営計算制度の具備すべき経営管理的機能の最上の使命を明 確にしたものと云い得るのである。 ・ シ.[マーレンバッハの月女損益計算に関するかような研究態度は、その後のこの分野の研究に永く継承されるところと 成っているけれども、特にシュマーレンバッハを中心にするいわゆるケルン学派の研究態度には、このシュマーレンバッ
ハの基本的理念がその枢軸ともなって見られるのである。われわれは以下にこの分野に関するクルン学派の研究態度を概 観すると共に、他の若干の当該研究をも理解しなければならないのである。
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国●oQoげ巨窪一〇昌び帥oFU霧国。β富ロ胃舘暮6戸一b目津。噛一⑩MN﹁ 国・ω。げ巨巴①5鍔。戸暫・騨・O■響#b嵩曽魑おω9 土岐政蔵訳、 ﹁コンテンラーメン﹂八頁。 土岐政蔵稿、月次損益計算、簿記、第七巻第﹁号、=一一一六頁。 久保田音二郎稿、 益計算、神戸大学会計学研究会編、 ﹁シュマーレンバソバ研究﹂二一七一二四六頁。 五 コンテンラーメンを基底とする短期損 月次損益計算に関する研究は前述の如く、先ず財産計算書至財産管理的思考から着手されたのであるが、その後の進展 は一早くシュマーレンバッハによって、損益計算的乃至損益管理的思考に発展したものと云わねばならない。しかし一九 こ○年代から三〇年代にかけて、再び財産管理的月次計算の意義が再認識されなければならない段階に入った。すなわち 中間貸借対照表乃至経営対照表を中心にする財産的短期計算の意義に反省を加えた、、ヘステ︵目ゆ。のεや、マルトイール ︵図●自葺Φ霞︶、更にはフィッシャー︵9固乙・魯。じの所説がそれである。 ベステにあってはすべての概念がシュマーレンバッハのそれを継承しており、したがって一九三〇年の彼の主著である ﹁短期成果計算論﹂において、当該研究の集大成がなされているわけであるが、マルトイール及びフィッシャーにあって は若干その趣を異にするところが見られる。例えばマルトイールにあっては、財産的短期計算の形態において、勘定計数 による在高の認定と同時に、在高の管理統制目的の達成への要請、並びに勘定分割の構想から至善貸借対照表への計算的 工夫という意味においては、その出発点においてシュマーレンバッハと軌を一にするも、その未実現損益の合理的把握か ら財産管理統制思考におい、ては、原則的にシュミット︵国’の。国目一山け︶の所説を支持するところが理解される。 月次損益計算論への展開 六三月次損益計算論への展開 六四 またフィッシャーにあっては、明かに申聞経営対照表︵㎞N宅一跡O︼PΦ昌び一一転炉N︶と短期成果計算︵巨星守蓉おΦ国躊。曜ω困㊦辛目凝︶と の二つの形態が対立的に短期計算論︵ざ震呼轟蒔㊦b霞㊦。ぼq口σ電︶のうちに構想されているわけである。すなわち短期計算は、 財産的短期計算と損益的短期計算との二つの対立において、その相互依存の関係において、経営態様の短期的管理統制が 可及的充分に果され得るものであるとしている。かような意味においてマルトイール及びフィッシャーの見解は、主とし て財産項目に注目し、︺種の資本及び財産に関する計算からして、そこに生ずる短期計算の目的論については、シュマー レンバッハを初めとするケルン学派の見解とはやや異なるものであると云わなければならないが、両者の終局的な計算意 図においては、必ずしも離れたものでなく相互に通ずるところのあることが理解されるものと患う。 月亥損益計算に関するケルン学派の研究態度として、シュマーレンバッハについでベステが指摘されることについては 異論のないところである。前述の如くベステにあっては、基本的にはシュマーレンバッハを継承しているけれども、その 支脈に亘ってはベステ自身の幾多の進展が跡付けられるのである。すなわ.ち例えば月次損益計算の目的論に関しては、第 一に経営指導を上げてシュマーレンバッハと同︸思考に向くけれども、月訳損益計算と原価計算との関連においては、シ ュマーレンバッハの]部修正と共に更に﹂段と発展をみせている。ベステにあっては、この点シュマーレンバッハの不明 確なままに残された問題を整理して、経営純損益の計算的役割が原価計算における経営態様の管理統制目的と如何なる関 連を有するか、したがって経営管理を意図する原価計算と月次損益計算とは、両者重複した目的を持つことになるのでは ないかという一つの問題を追求したものと思われる。 かくてベステにあっては、久保田教授も指摘される如く、月亥損益計算は原価計算と違って期間的なる管理統制がその 目標であり、しかもその計算対象が積極及び消極の要素に求められるから、原価計算とは重複せず、おのずから性格を異 にした経営計算であることが明確にされたのである。この意味でシュマーレンバッハのあとをうけて、年吹損益計算.と月
変量益計算との関連から月・次損益計算を再認識して研究に進んだ態度として、われわれが次にみるワルプ︵国.暑く覧ご︶を上 げ、それから更に原価計算と月次損益計算との関連から月次損益計算を理解せんと試みた態度として、ベステを上げるこ とが出来るであろう。 ﹁ ベステとはやや観点を異にして、シュマーレンバッハの純粋経営損益の性格に対して検討を加え、損益的短期計算に関 する基本的問題を提出したのはワルプである。ワルプにあっては、周知のように経営の早期の概観と迅速適切なる経営の 管理統制とのために、経営内部計算で短期的に経営純損益を把握しなければならないが、この純粋経営損益をワルプは、 ﹁動的経営利潤﹂といい、通例の年次損益計算によって算出されるべき利潤を﹁企業利潤﹂としてこれに対比する。した がって純粋経営損益という観点から、年吹損益計算と月次損益計算とを明瞭に区別し、年次計算から算出される決算利潤 と、月次計算から把握される経営利潤との、両者の性格上の相違とその関連について積極的に解明を意図したのである。 @@ ③ @@ 目bゴ。。・叶ρU冨犀目弓N守冨け黄㊤国罵。圃の冨畠昌目昌晩.おωO・ 閑.富巴冨霞。∪δ国三零冨属包窓郎巴砂富葬巴ロ電国。=育。ぎ茸画切①茸δ誹5一貯編二旨9 久保田音二郎著、上掲書,一八七一一 九四頁。 Q●直下げ㊦督∪δざ旨隔艮㎝甑囎営農8ぎ導蝉N三ω。げ窪菖鎚N§幽ざ旨h巳ω二σ身①国馬。登霞8け琵崔晩、おω9 久保田音二郎著、上掲書、 八七i九五頁。 久保田音二郎著.上掲書.六六頁。 甲芝巴堂φ彗①唇筈巳局昌σqω晩①窪田ββ昌創09巨9超Φ≦一昌戸おMcD曽N●いず≦●円曽貯げ弓晩●MPω02曾αδiU沼・ 占 IN 月次損益計算論に関する所説の概観として続いてわれわれは、 シュネットラー︵賠r. OQO犀]ρ①けけ一㊦弓︶とトラウトマン︵薯肖蚕− 暮暴導︶を理解しなければならない。先ずシュネットラーにあっては、久保田教授も指摘されるとおり、短期成果計算論 月次損益計算論への展開 六五
月次損益計算論への展開 六六 は狭義に解しており、いわゆる損益的短期計算を取扱っているものと考えられる。更にこの場合月給損益計算は、工揚の ・計算制度の︸環として取上げているのであって、したがってシュネットラーにおいては、一方に月次損益計算が年亥損益 計算と結び付くその関連のうちに、月次損益計算の目的を理解するわけであるけれども、同時に又、他方において原価計 算に結び付く内面的な側面に注目するわけである。かような意味においてわれわれは、シュネットラーの見解は、クルン 学派の所説と大同小異の関係にあるものと考えるのである。ただシュネットラーにあっては、純粋経営損益の抽出把握に ︸つの問題を見出し、この問題が終局的には成果分割にまで及んでいる。しかしながらシュネットラーにあっては、月次 損益計算の問題と成果分割の問題とに密接なる関連をもたせてはいるけれども、しかしそこにはそれぞれ両者を特殊的に 意義付けているのであって、この点シュマーレンバッハの見解と、シュネットラーの所説とはやや異る趣が理解されるの である。 これを換言すれば次のようにも云うことが出来るであろう。すなわちシュネットラーの成果分割は、要するに企業損益 から営業外の損益と中性項目の損益とを可及的除去するとき、そこに経営純損益が抽出されるという基本的思考に立脚し ているのであるが、シュマーレンバッハにおいては常に純粋経営損益を抽出把握する過程において、この成果分割を意義 付けるのであって、いわばシュネットラーとは、成果分割論の位置付けの相違として認識され得るものと思う。この意味 で成果分割に関しては、シュネットラーはそれが実際にはシュマーレンバッハの所説をより一層特殊化したものと考える ことが出来るであろう。 かくて月亥損益計算における比較性の原理と、成果分割における理論的可能性とが、相関々係に存するものと云おねば ならない。すなわち前者の側面から考察を深めた立揚としてシュマーレンバッハをとり上げ、後者の側面からその問題点 を指摘した立場として、シュネットラーの見解が理解されるのである。ともあれシュネットラーにあっては、結局、工業
経営の計算制度はその経営経過の管理のために内部経営的価値移転を可及的正確に把握することと同時に、経営成果にお ける中性的成果要素を充分顧慮して、経営活動固有の純粋経営成果を月次的に把握することに主眼がおかれなければなら ないとするのである。 工業経営の計算制度のうちにかように月次損益計算を意義付けたシュネットラーの見解より、更に一層この点を強調し た所説として、われわれは最後にトラウトマンの主張に注目しなければならない。トラウトマンにあってはその著書名の 如く、 ﹁産業の正常成果計算﹂は必然的に短期成果計算それ自体でなければならないというところに帰着している。すな わち経営計算制度の諸部門のうち、短期成果計算に最も重要性をおき、短期成果計算を土台にして経営の統制に向き、そ こに経営比較の制度を確立しようと努めたのである。 ﹂ トラウトマンによれば短期成果計算は、経営の過去の期閥の成果を回顧する性質にあるに拘らず、]方にはその計算の 短期性の故に近い将来の認識乃至予測に意義が見出されなければならないのである。したがって短期成果計算に依らずし て経営は正確な内部統制管理が行い得ないのであり、しかも少くともその経営統制管理の確実化が期待し得ないとするの である。かくして経営間の比較性原理に基付いた短期計算を正常成果計算と称して、その意義を理解しているのである。 以上においてわれわれは月次損益計算それ自体に焦点を向けて考察されて来た所説を整理しながら、月次損益計算論の 展開として概観したのであるが、次にこれらの要約の意味からも、月亥損益計算論の内在的問題を若干とり上げて整理し 理解したいのである。 ①b・の魯器茸諺噛Oざξ一.買玉註σQ。国璽2σq鰐霧︸邑琶掌おω甲久保田音二郎著、上掲書、九五1九八頁。 ②b・ω魯琴琶の屑﹄︶書斎。。ぼ三お筆。。・露直下。。誓一色自⇔。霧ざぎ二⑩お嘘鉾ωG。・土岐政蔵著、﹁工業会計概論﹂一三一一五頁。 ③堵.5.聾巨㌍巨㍉民誤町芭一①多レ.霞巨實.h。奮器。ぎ毎φお鴇. ④黒沢清著、﹁経営比較﹂一Q四一一〇五頁。 月次損益計算論への展開 六七
月次損益計算論への展開 六八 七 月亥損益計算と年次損益計算との問題は、これを形式的関連の問題と実質的関連の問題に分けて、考察することができ る。先ずその形式的関連においては、両計算の計算期閤的概念が理解されなければならない。既にシュマーレンバッハが その著﹁動的貸借対照表論﹂において指摘している如く、月次損益計算は年次損益計算と対比して、短期損益計算として の特殊なる特等を有するものである。すなわちそれは先ず第︸に、計算期間的概念において、通常一ク月の期間単位と云 っても必ずしも暦年の一ケ月と合致せねばならないわけではなく、この点に関しては、むしろ原価計算乱書に対応するこ とがより実際的といわねばならない。したがって計算期聞的には年女損益計算と同︼範躊にありながら、月次損益計算は その短期性、すなわち月次的原価計算的なるところにその特質が惹起されて来るわけである。 ゆ このことは計算形態乃至計算方法に関しても云うことが出来る。概括的にはシュマーレンバッハも指摘している如く、 月次損益計算は年次損益計算の計算原理をそのまま利用するものである。すなわち計算原理として、①時点在高計算と期 間変動計算、②帰納的︵後天的︶計算と演繹的︵先天的︶計算、③直接計算と間接計算、の分類が月次損益計算においても 通例とられるところである。この計算原理に合せて月次的経営費用の把握方法を類型すれば次の五つの計算方式になる。 e 月次的費用の帰納的計算、 ω 棚卸計算法による時点在高計算、 ② 記録計算法による期間変動計算、 目 月次的費用の演繹的計算、 ③ 予定割当計算による先天的計算、
㈲ 逆算法乃至遡及計算法による見積費用計算、 ⑤ 時聞基準引当法による引当計算。 これらの計算方法によって、すべての経営費用が月次的に確実に把握され得るものとは必ずしも云い得ないけれども、 月次損益計算の計算上の特質は、先ずこのような計算方法に基付いて理解されるものと思う。同時に面この計算原理は、 経営牧益の月次的把握に際しても、極く一部分の修正によりその適応性を見るのである。 かくして月次損益計算は、年次損益計算とその形式的関連において、同一範疇のうちに理解されうるかの如き感を呈す るけれども、それが計算の内容を問題にするいわゆる実質的関連においては如何に成るであろうか。この点にこそ月次損 益計算と年次損益計算との関連の問題があり、又同時にここに月次損益計算の特質も理解され.なければならない。 実質的関連において先ず注目すべきは、月次損益計算の固有の計算目的乃至計算機能である。これについては再言する までもなく、シュマーレンバッハが既に︺九二六年にその目的論として整理しているところであるが、月次損益計算の第 一の目的は経営経過の測定であり、その二は経営賞与金制度の基準としての意味であり、第三に資金流動性の確保、第四 に牧益性の指標、そして第五に年次決算への早期的見積が上げられる。これらの目的は要するに、月次計算が財産計算的 乃至財産管理的愚考に基付く場合と損益計算的乃至損益管理的思考に基付く場合とに類型されて、久保田教授が既に指摘 される如く、次の四つの目的概念となるであろう。 e財産を管理統制の容体とする場合、 ω 財産構成による経営態様の管理統制、 ② 経営財務政策のための牧益性管理、 目 純粋経営損益を管理統制の客体とする場合、 月次損益計算論への展開 六九
月次損益計算論への展開 “ 七〇 ③ 純粋経営損益による経営態様の管理統制、 ㈱ 経営純損益の構成要素たる費用及び牧益への管理統制、 これを要するに、月亥損益計算は純粋経営損益を把握する過程において、経営経過の測定並びに管理統制を意図し、そ してその終局の目標としての純粋経営損益を把握し、これにより経営全体の態様を概観せんとするのである。したがって 例えば経営各部門に亘る経営経過の管理統制を基盤に求めて、その上に経営全般の管理続制が築かれるが如きであって、 かくしていわゆる経営指導に向くわけである。
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国.の爵巨普聲び霧戸∪ヤ舜巳。。魯Φbd富匿鴨N卜亀一﹂おωc。・土岐政蔵訳、 ﹁動的貸借対照表論﹂ 国●oQ。︸巨普§びき買自。轟荘。げ①O。詔言昌び電Φ§昌d昌晩“お一ド国6隔.汐竃.国・・影ξ晩.ゴω.↓c。ω. 国・ω魯葭筥窪♂器戸∪唄昌鉾巨一。・魯Φ匹昼匿嘘尊b蔑H.一6障cD嘘のoQ.鵠N一ωOO・ 久保田音二郎著、上掲書.一〇〇頁。 八 四三頁。 以上の計算目的に続いてわれわれは、月次損益計算の計算対象乃至計算要素に理解を求めねばならない。 一般的に月次 損益計算の計算対象は、前述の計算目的の概念から二大別され、財産項目︵勘定︶と損益項目︵勘定︶に分けられるが、こ の見解を押し進めるならば、既にシュマーレンバッハが指摘しているように、前者は財務簿記︵計算︶の範躊であり、後 者は経営簿記︵計算︶の範疇に到達するものと思われる。 したがってわれわれはここで、 シュマーレンバノハが財務簿記 と経営簿記とから経営計算制度を考えたと同じ思考をもつて進み養いのである。この意味で月亥損益計算における数量計 算と価値計算の問題も、同じように理解されなければならない。 例えばシュマーレンバッハが結論付けているように、月次計算における財産計算と損益計算の関連については、財産計算も勿論重要ではあるけれども、損益計算はそれ以上に企業経営にとって意義が存する。又数量計算と価値計算について は、数量計算は時として価値計算の及び得ない限界に至って効果の生れる場合も少くないが、しかし原則として価値計算 のもつ意義には及びえないのであり、それ故数量計算は価値計算の補佐的、補充的意義に留らざるを得ないのである。け だし経営計算制度が終局的には、企業経営の経済性を測定し評価すべきであるという基本的理念に基付いているからであ る。しかしながらここでわれわれが注意しなければならないのは、年次損益計算の場合とやや異って月次損益計算の場合 には、前者の関係における財産計算が、書落に後者の関係における数量計算が、その月次計算の計算機能乃至計算目的の ために、可成りの範園にまで問題に成り得る場合の存することである。 さてしからば月亥損益計算において、特に計算対象乃至計算要素に関して問題が提起されるのは如何なるところに在る か。これは云うまでもなく、]つは計算期聞的要素からめ制約と、他の一つは計算機能的要素からの制約によるものであ って、要するに経営費用及び経営牧益の短期的、月亥的把握の問題である。概括的にみれば、年次損益計算においては特 に牧益の認識において、原則的には実現主義を採るけれども、月次損益計算においては、身魂の揚合にも費用の時と同様 に、発生主義乃至いわゆる生産主義によるわけである。したがってかように認識されたる費用及び牧益は、それぞれの測 定並びに把握において年次損益計算とは若干異った様相を呈し、更に費用及び牧町の評価に亘っては、それが財産項目乃至 経営財産勘定への重大なる影響をともなって、年次損益計算とは可成り異った結果となり、異なった結論に至るのである。 これは例えば手近かな消費財を例にしてもよく理解できる。すなわち消費財に関する月次的費用を把握する場合に、先 ず価値計算のみで把握し得る揚合と、価値計算及び数量計算の両者を併用してその管理目的を達成する場合が存する。例 えば見積消費量と見積消費財とを、それぞれ実際消費量と実際消費額とに対比しながら、そこに所期の目的を可及的充分 に果す丁合である。更に、価値計算のうちでも、仕入価格により、販売価格により、いわゆる計算価格によってそれぞれ 月次損益計算論への展開 七一
月次損益計算論への展開 七二 結果が異なり、又計算価格のうちにあっても、それが正常価格により、時価すなわち再調達価格により、消費財消費時の 時価により、更に経営価値計算による比例原価価格によって、それぞれ異って来るのは必然的である。これは一例として いわゆる外部仕入の消費財を採り上げたのであるが、すべての分野においてこれと同様の現象がみられるであろう。した がって特にいわゆる中性項目並びに附加項目に亘っては、月女損益計算の問題が正に評価原理をめぐってその焦点の一つ を見ることとなる。 かように問題の一端をみてもわかるように、ここに至って月次損益計算は特に原価計算と密接なる関連に至る。前述の 如く月亥損益計算は通例、企業経営の内部において採られている他の経営計算制度を適用してその目的を遂げる場合が多 いのであり、したがって簿記乃至原価計算、,更には両者を併用した上で、月次損益計算が実行されることが多いのである。 特に原価計算を一つの基盤として利用する場合には、あたかも隠亡損益計算が原価計算の自己発展であるかの如き感を呈 する。このとき月亥損益計算は、原価計算上の利益の月亥的累積であるとも云われる。 しかしかような意味でそれでは、月次損益計算の問題はすべて原価計算の問題倶して内包されてしまうであろうか。換 言すれば、月次損益計算は確かに原価計算の自己発展であるけれども、それが発展形態であるが故に、そこには原価計算 の観点からは透視出来難い問題点も養女惹起されるであろう。例えばいま計算要素のうち費用の把握をとってみても、通 常原価計算では固定費、比例費という費用概念範疇でとらえられる場合にも、月次損益計算にあっては多く時留置、数量 費という費用概念範疇で問題提起されるのである。 月次損益計算と原価計算との関連についてその考察はここに許されていないので、他日を期することとして、最後に注 意したいのは、純粋に経営活動による経営成果のみを抽出把握するために、例えば景気変動の如きいわゆる経営外部的成 果影響を可及的計算的に除去して、その結果、純粋経営損益を把握する場合に、その基本的加養は、年次損益計算におい
ても月衣損益計算にあっても同じであるけれども、それが実際には、年次損益計算においては時間比較思考がその基本的 理念であり、これに対し月次損益計算では、より多く経営比較思考によって、その可能性並びに比較性が意義をもつて来 ⑤ るのである。このことはシュマーレンバッハの最近著﹁動的貸借対照表論﹂の第十一版においても、われわれがよく理解 できるところである。換言すれば、年亥損益計算においては、すべての面に原理的には継続性の原理が基本的であるのに ⑥ 対し、
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⑥ 月次損益計算にあってはいわゆる比較性の原理がその指導原理と考えられるからである。 国■ωoげ巨煙出昌び塑。げ甲の。ぎ。。け犀。ロけ。昌同⑦oゴ四丁昏σq弼昌q勺同①♂℃o出鼠犀■①b自賞;一⑩ω轟・ 土岐政一高訳、 ﹁原価計器︷と価格政策﹂ 一六五f一 六八頁。 ∪①話①︸びρ餌。餌●○●.刈b⇔寓■●6σ①’oQoQ●n①一ωも⊃・ 阪本安一稿、月次損益計算、簿記、第七巻第四号、 一六−二二頁。 この野鶴に関しては、例えば阪本教授により具体例と共にわかり易く述べられている。 ︵月次損益計算.簿記、第七巻第五号. 二六一三四頁。︶ 土岐政蔵著、 ﹁計算価格論﹂第八章参照。 團●oΩ。げ目巴①口ぴ9。戸U図昌9旨尻魯①巨昼昌N嬬=bg嘗.お伊90Qω■お轟一MOD6 土岐政蔵訳、 ﹁十一版・動的貸借対照表論﹂ 二一八 ーニニ八頁。 久保田音二郎著、 ﹁直接原価計算論﹂=一一二〇頁。 拙稿、月次損益計算の管理会計的意義、 ︵本来的経営計算としての 特質を中心に︶彦根論叢、第三四号.二九四−三〇七頁。 九 以上においてわれわれは、先に経営計算制度の類型と月次損益計算の意義を考察したのに続いて、月次損益計算が発展 段階的に月次損益計算論として、如何なる機能的意義を具備するに至ったかを若干整理し、更にその機能的意義における 月次損益計算論への展開 七三月・次損益計算論への展開 七四 実際上の問題点を、月次損益計算の計算自体の特徴として理解した。したがってそこでは常に年次損益計算との関連にお いて、その関連に注目して来たことは云うまでもな.いところである。 周知のように我が国では、月次損益計算が本来的に経営計算制度としての意義が少く、したがって全く年次損益計算の 補助的乃至下請的意義に留っている場合が多いのである。それが実際には例えば、戦時中のように軍需工場指令によって 月次計算的計算要請が経営外部から附与されたところにも、その経営内部的障害と共に、発展の阻害があったものと思わ れる。また極く最近に至っては、各国に亘って原価計算の理論的並びに実践的研究が著しく進展したために、この月次損 益計算の固有の問題もそのうちに融合し、化体した感がないでもない。しかしながら最近の管理会計的理解の展開的動向 に照らしても、われわれは月次損益計算の問題を今一度認識し、したがって月次損益計算論として、新しい意義の問題を 熟慮しなければならない段階にあると信ずる。 ︵附記︶ 本小稿は、去る昭和三十一年十一月に行われたる中部地区経濱学会の研究例会において報告せるもののうち、その後半に 相当する部分に砦干加筆せるものである。 ︵一九五七・一・二八︶