第1部 学問を振り返る
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(2) . ございますけれども,私の理解では金澤先生は. か」と町長に尋ねました.「七保村をどうして. 地方財政史というのを,財政学そのものだとい. 知っていらっしゃるのですか」と町長は驚きま. うふうにとらえ,それを見事に完成したと言っ. した.「七保村には大瀬東作村長という方がい. ていいのではないかと思います.つまり,変革. らしたと思うのですが」と,彼がたたみ掛ける. の対象としての状況の形成と,形成した状況の. ように言いました.しかもそのあと,つらつら. 中に,いつも変革の主体を見いだそうとしてい. と 1918 年に大瀬東作村長が全国町村会の前身. る.それが業績をみると分かるのです.彼の第. である組織をここに作り,そして 1920 年に全. 一の業績は,そうした財政学の方法論を確立し. 国町村会ができる.そして,そこを中心にして,. たというふうに言っていいだろうと思います.. つまり大瀬東作村長が全国にげきを飛ばして,. 先ほどご紹介の業績の7を見ていただきます. 両税委譲運動が始まる.そう説明したので,も. と,主要業績の1ページ目,2ページ目を見て. ちろん町長もそのことを知っていたのですが,. いただくと4.で論文というところがございま. 感激され,驚かれました.. すが,ここに私は三部作と言っているのですけ. 旅行から帰ってもう一度,「両税委譲論展開. れども,正確には四部作ですが,上の方から見. 過程の研究」 ,それから今お話しいたしました. ていただいて「両税委譲論展開過程の研究」 ,. 4つの作品を読み直すと,読み直した当時,問. それから一つ飛んで,「田中義一政友会内閣に. 題になっていた税源委譲をはじめとする地方分. おける『地方分権論』の歴史的性格」 ,それか. 権の解答のすべてが含まれている.正しい問題. ら「預金部地方資金と地方財政」 ,右のページ. の整理をすると,そこには答えの半分が含まれ. にいっていただいて「日本補助金論序説」 ,こ. ているというふうにいわれますが,彼の業績を. の4つが,こうした業績です.三部作と呼んで. 見るとすべて含まれているのです.. いるのは,私は最初の1と,1と言いますと最. 両税委譲というのは,当時の国税であった地. 初にご紹介した両税委譲と田中義一の論文を一. 租と営業税という 2 つの税金を地方に移譲する. つに考えていいかと思いますので,そう申し上. という運動で,これは大正デモクラシーに重要. げたわけでございますが,この4つの業績を読. な課題でございました.それを突破口にこの4. むと,現在の状況で問題の軌跡は,すでに明確. つの作品は税源配分,それから補助金と地方財. に分析されている,こういうふうに申し上げて. 政調整制度の萌芽を,ここに見いだしていま. いいのではないかと思います.. す.金澤先生は 1920 年代に補助金プラス地方. 時間がないのに余談して申し訳ありません. 債の預金部資金,つまり,地方債による地方資. が,私は金澤先生とよく研究旅行をいたしまし. 金によって,恒久的な財政調整制度の原形態が. た.あるとき,当時三重県知事であった北川知. 出来上がっていくということを結論として明ら. 事からご招待を受けまして,2人で三重県に行. かにしていきます.つまり,政府間財政関係を. きました.その時はどこに泊められるか分から. 単に財政関係だけではなく,財政金融一体化し. なかったのですけれども,吉田本家という大山. た財政のしくみとして地方の財政体制としてと. 林地主の家に泊まりました.それは三重県の大. らえ,そこにおいて財政調整制度の萌芽を見出. 宮町にあったのですけれども,われわれはどこ. していきます.. に泊まるか事前には分からなかったわけです.. このようにして 1920 年代から,現在の補助. 大宮町の町長が私たちを接待してくれまし. 金制度による国策を遂行するという制度が形成. た.接待するといっても,うちの町にはこれし. されてくる.さらに税源配分の問題というふう. かないからと言って,カラオケボックスで接待. に,現在の私たちが目の前にしている地方財政. してくれたのです.そのときに金澤先生は,突. および国と地方の財政関係が 1920 年代に顔を. 然「この大宮町というのは七保村じゃないです. そろえて出来上がってくる.このような業績に.
(3) . よって金澤先生は,当時の通説に対する厳しい. けではなく,時系列的に分析していることです.. 反論を加えています.. つまり,最初にお話をした「行財政の編成と財. 官治制と規定されている通説に対して,彼. 政構造の変化」は農村体制を,長野県五加村を. が挑戦したのは官治制ということだけではなく. 戦前から戦後改革期まで高い実証密度で実施し. て,変革の主体をそこに見いだそうということ. ています. 「近代日本都市史研究」でも巨大都市,. でした.両税委譲についても,古典的地方自治. 地方都市,農村という重層的構造を,自治的行. 論というふうに規定されている通説に対して,. 財政つまり市民的公共性の成立を実証的に追及. そこにどうにか現在の財政の原型を見出そうと. しています.. しています.そういう研究の成果になっていて,. 共同研究でしかも品質の高い実証でやってい. 私たちの変革すべき状況を認めるというのに,. るというのが,これはもう私はまねのできな. 複雑な論理を投入いたします.財政学の方では. い,おそらくもう今後現れない金澤先生の業績. 転位効果という,つまり戦争を契機に財政が格. です.こういう人は現れないだろうという緻密. 段に大きくなるということがあるのですが,日. な実証研究をやってのけたという2番目の金澤. 本ではこの転位効果が働かなかったという議論. 先生の偉大な業績なのです.. を彼はしながら,しかも日本の地方財政という. 3番目にご指摘しておかなければならないの. のは,大きな地方財政になる時期があったこと. は,研究の組織化ということです.1枚目の主. を強調します.それが結局は戦時期にその経験. 要業績のところで出ております「現代の公共事. を経たのだけれども,1920 年代に形成された. 業」と「公私分担と公共政策」という二つの. 財政のしくみが,そのまま戦後に,つまり私た. 研究を見事に組織化しています.この2つには. ちが変革すべき現象に通じたのか否かというこ. 単なる研究の組織化ということだけではなく後. とを金澤先生は明確にしたのだといえます.. 継者を育てていく,財政学を引き継ぐ者を育て. こうして金澤先生は財政学を完成させたので. ていくという彼の学問の王道を踏まえた研究活. はないかとさえいえます.私は彼が亡くなった. 動だったということを指摘していかなければな. と聞いたときに,さぞ無念だろうというふうに. らないことと思います.「公私分担と公共政策」. 思ったのですが,もう一度,全業績を読み直し. という業績では,林健久先生と加藤栄一先生が. てみると,ある意味で彼のやりたかったことを. 確立した財政学の方法論を後世に残すべく後継. 完成させたというふうに思われます.. 者の育成を実現したと考えてよいと思います.. もう一つご紹介をしておかなければならない. 早すぎる亡くなり方でございましたけれど. のは,金澤先生は極めて地味で緻密な実証研究. も,彼は明日に道を聞いたのではないかなとい. を財政学に持ち込んだということです.これは. うふうに思っています.私の方はいまだに自分. 飛躍的で空前絶後の業績だと思われますが,先. の業績をまとめていないけれども,彼は自分の. ほどご紹介いただいた業績で申し上げますと,. 論文をまとめ,自分の構想の引き継ぎをしたと. 主要業績の右の方にあります「行財政の編成と. 言えるだろうと思います.私と彼は生死を共に. 財政構造の変化」 ,それともう一つ左側にあり. した仲間ですので,彼の忠告に従って死の瞬間. ます「近代日本都市史研究」 .この2つ.いず. まで彼の志を引き継ぎ,一切の状況に異議を申. れも 10 名を超える研究者の,10 年を超える膨. し立てたいというふうに思っておりますが,金. 大な検証を費やした実証研究です.. 澤先生には「それももうわずかだ,すぐに行く. 私が孤独で研究したのとは対照的に,彼は学. から待っててほしい」というふうに伝えたいと. 問を組織化するということにかけては天才だと. 思います.どうもありがとうございました.. いえます.こうした実証研究を見ると,彼の偉 大さは地方財政を単に構造的に分析しているわ.
(4) . 門野圭司(山梨大学准教授) 本日は,金澤先生の門下生の一人といたしま. ころに詰まった成果であると思います.. して,研究面において金澤先生が後進の育成に. 例えば,金澤先生が執筆された論文には, 「事. 傾けた情熱の大きさが伝わってくるいくつかの. 実の歴史具体的な解明」という言葉がしばしば. エピソードを,この場をお借りしてご披露した. 出てまいります.この 2 つのプロジェクトに参. いと思います.また.金澤先生がわれわれ後進. 加した人たちは,各自の研究テーマに対して. の者に遺してくださった財産についても触れた. 高い問題意識を持ち合わせておりましたけれど. いと思います.. も,ともすると,その問題意識の高さゆえに,. 私が大学院に進学いたしました頃は,新古典. 結論先取り的に論じてしまう,そういう落とし. 派を中心とする主流派経済学と,制度派やマル. 穴にはまりかねないという負の側面も抱えてお. クス派等の非主流派経済学との区別がかなり明. りました.しかしながら, 「事実の歴史具体的. 確でございました.特に修士課程は教育システ. な解明」 にこだわる金澤先生の御指導によって,. ムが完全に分断されておりました.私自身は金. 落とし穴にはまるのを未然に防いだという場面. 澤ゼミでございましたので,当然,非主流派に. が何度もございました.. 属しておりましたが,主流派経済学を学ぶ院生. また,こういうこともございました.研究. には,定評のあるテキストブックやコースワー. 合宿の場所を決める際に,出産間近の参加者が. クなど整った教育システムが用意されているの. いらっしゃるということで,研究合宿の場所. に対して,非主流派の院生には類似のものが何. を,いつもの箱根とか逗子とかではなく,その. も用意されておらず,何をどのように学ぶかは. 方のご自宅の近くに設定したということがござ. 完全に院生まかせといった状況で,今となって. いました.「何かあるといけないから参加を遠. は「隣の芝生」ではあったかも知れませんけれ. 慮しなさい」とその方に言うのではなく,金. ども,当時はそのことを常々不満に感じており. 澤先生も含め全員でその方の自宅の近くに出向. ました.ある時思い切って,ゼミ仲間と一緒に. くという,経済学のパレート効率基準からする. 金澤先生に不満を申し上げましたところ,真剣. とちょっと意外な対応をされたこともございま. に受け止めてくださり,やがて,金澤先生を編. す.. 者のお一人とする『現代の経済政策』というテ. また先生は,問題意識の希薄な者には容赦な. キストブックが完成いたします.. く指導を打ち切るということもございましたけ. それから,先ほどご紹介がございましたけれ. れども,基本的には院生をかなり丁寧に,例え. ども,金澤先生が編者となられた学術書のなか. ば,院生の草稿に対して通信教育の赤ペン先生. に, 『現代の公共事業』と『公私分担と公共政策』. と間違えてしまうほどに丁寧に筆を入れるなど. という 2 つの論文集がございます.この 2 冊の. の指導をなさいますので,この面倒見の良さが. 論文集は,ともに, 「博士課程のある大学院ら. 口づてに大きく広がっていって,留学生や社会. しく,共同研究プロジェクトに取り組んでみた. 人がどんどん門下生に加わりましたし,学外か. い」というわれわれ院生の要望を,金澤先生が. らも多くの研究会参加者を迎えることになりま. 快く受け入れてくださったことで実った成果で. した.とりわけ 2 つ目のプロジェクトの『公私. ございます.しかも,単にプロジェクトを組織. 分担と公共政策』は,そうしたバックグランド. するとか,若手に論文執筆機会を提供するとか. の多彩な参加メンバー同士の交流があったがゆ. いうことだけでなく,金澤先生らしさが至ると. えの成果ではないかと理解しております..
(5) . ちょっと余談になりますけれども,私などは,. インディングにつきましては,さる高名な財政. デートの指導まで受けたことがございます.私. 研究者の方が「金澤論文によって目を開かれ. の連れ合いが結婚前は静岡に住んでおりました. た」とまでおっしゃっておられます.『公私分. ので,金澤先生に,どこかいいデートスポッ. 担と公共政策』では,多くの章で,「20 世紀型. トはありませんかとお尋ねしたところ, 「何で. 福祉国家に対比される新たな段階への日本福祉. おれが君のデートまで面倒みなきゃなんないん. 国家」が「構造改革」を主軸にして模索されて. だ」と口ではおっしゃいましたけれども,結構. いる点への疑義が表明されております.これは. 細かく穴場を教えてくださったという思い出が. 私の勝手な想像ですけれども,「事実を歴史具. ございます.といいましても,世代間の壁は厚. 体的に解明する」という研究方法の模範例であ. く,さすがの金澤先生もデート指導の方は的確. る金澤先生の序章があることによって,各章の. であったとは言い難いのではございますが.. 批判が説得力を増しているのではないかと個人. 冗談はともかくといたしまして,研究者の世. 的には感じております.. 界では,自分がいかに研究に情熱を傾けている. それから金澤先生は,2 年前の「財政史研究. かを誇示すべく教育には不熱心であることを自. の再検討」と題された京都でのシンポジウムに. 慢げに語る,逆に言えば,教育に熱心なやつは. おきまして,ご自分がこれまで行なってこられ. 能力が枯れて研究をあきらめたからだ,といっ. た財政史研究をふり返りつつ,「歴史のための. た発言に出会うことがしばしばございます.し. 歴史研究であってはならない,現状にどういう. かしながら,金澤先生が後進の育成に情熱を傾. 問題があるのかということを,本当のところを. けられたのは,断じて研究能力が枯れてしまっ. その専門の研究者としてしっかりと知ることに. たからではない,と声を大にして言いたいと思. よって,歴史研究というのは深まる」と述べて. います.といいますのも,『現代の公共事業』. いらっしゃいます.歴史研究を専門にされてい. や『公私分担と公共政策』で金澤先生が書かれ. た金澤先生の門下生のなかから,私を含めまし. た論文は,学界に対してかなりの影響を与えて. てついに歴史研究者が生まれなかったというの. いるからでございます.. は大変残念なことと思います.とはいえ,これ. 例えば,『現代の公共事業』で実証的に示さ. も同じシンポジウムのなかで「現状分析を進め. れた論点,文章をそのまま読み上げますと, 「高. るなかで,歴史研究の意義があらためて問い直. 度成長という国策に向けて限界ぎりぎりまで動. される」と金澤先生ご自身が述べていらっしゃ. 員されていた公的資金が,大量国債発行に依存. いますが, 『現代の公共事業』と『公私分担と. するかたちでさらに動員され,それが四半世紀. 公共政策』という 2 つの現状分析を通じて,金. も継続した特異性を有する日本財政の歴史的構. 澤先生が歴史研究の意義をあらためて問い直す. 造の解明」という論点の重要性は,今では公共. ためのお手伝いが多少なりともできたのではな. 事業研究者に広く共有されております.. いか,と勝手ながら感じております.. また, 『公私分担と公共政策』で示されたファ. 残念なことと申しますと,『現代の公共事業』. クト・ファインディング,これまた文章をその. 『公私分担と公共政策』に続く第三弾として,. まま読み上げますが, 「公的社会支出やその裏. ナショナル・ミニマムをテーマにした研究プロ. 面である国民負担率に関して,類型間に見られ. ジェクトが今年の 1 月に産声を上げたばかりで. る量的差異は,国民の享受する福祉サービスの. した.ナショナル・ミニマムというテーマは,. 水準を直接的に示すものではなく,特に,米国. 実は『現代の公共事業』の直後にわれわれ門下. を代表とする第一類型とスウェーデンを代表と. 生の方から金澤先生にご提案申し上げたのです. する第三類型との差は,供給主体の公私分担関. が,「ナショナル・ミニマムという重厚なテー. 係の特質に由来している」とのファクト・ファ. マを扱うには,君らではまだまだ力不足だ」と.
(6) . いうことでその時は却下されてしまいました.. ろんでございますけれども,昨今の三位一体の. それが,その 5 年後, 『公私分担と公共政策』. 改革に関する金澤先生の一連の膨大な論考にも. が無事刊行されまして,次なるテーマを検討し. 貫かれている視点でございます.この視点とと. ておりましたところに金澤先生の方から, 「ナ. もに,対抗文化としての社会主義国が消滅し,. ショナル・ミニマムで行こう」とおっしゃって. 「危機論的アプローチ」が通用しにくくなった. くださいました.その矢先に,金澤先生が他界. 現時点において,林健久先生のお言葉を借りて. されてしまわれた.加えて, 過去の研究プロジェ. 表現するなら,自由主義的な資本主義国家と社. クトがいずれも 5 年を要しましたことから,次. 会民主主義的な福祉国家とが,左と右の両極端. 回のプロジェクトを金澤先生の還暦記念と位置. の間で揺れ動くというこれまでの横の関係から. づけて,これまでわれわれに与えてくださった. 上下の関係に,つまり,国民が天に向かって支. ご恩に報いるつもりで力を尽くそうと門下生で. え続けることをやめれば,いつでも下界の自由. 話し合ったりもしておりました.ナショナル・. 主義型へと降下してゆく,そういう関係へと変. ミニマム研究に金澤先生抜きで取り組まなけれ. 化した現時点において,あらためてナショナル・. ばならないと思いますと,二重の意味で残念な. ミニマムというものの意義を考えてみる,そう. 限りではございますが,つい先日,何とか悲し. いう仕事ができればと願っております.こうし. みを乗り越えて取り組んで行こうと合意するこ. た問いに答えようとする作業は,金澤先生のも. とができました.. う一つの顔でございました実践家としての,つ. 先ほど触れました財政史研究のシンポジウム. まり,神奈川県で取り組まれたような,政策形. のなかで,金澤先生は, 「明治維新以来,地方. 成の現場に飛び込んで試行錯誤を重ねながら学. 税率を揃えていこう,支出面での福祉国家的な. 術上の問いの答えを見出そうとする,そういう. ナショナル・ミニマムを保障しようという議論. 金澤先生の姿勢にも通じるものがあるのではな. と並行して,地方税のナショナル・ミニマムも. いかと思います.. 実現して地域間の負担水準の格差をなくしてい. はなはだ簡単ではございますが,金澤先生. こう,それで生じる財政力の地域間格差は地方. が後進の育成に傾けた情熱の大きさにつきまし. 交付税で保障していこう,そういうトレンドが. て,また,金澤先生が後進の者に遺してくださっ. 1980 年代から逆転していく過程,これをどう. た財産につきまして,私なりの受け止め方を述. とらえたらいいのかという課題が提起されてい. べさせていただきました.ご静聴ありがとうご. る」と述べていらっしゃいます.. ざいました.. この視点は,先の 2 つのプロジェクトはもち.
(7) . 平松博(元神奈川県税制企画担当部長) ご紹介いただきました平松でございます.. 基盤として,水や大気などの自然環境,騒音や. 先程,神野・門野両先生からは,財政学の研. 廃棄物などの都市環境,市民生活の様々な分野. 究者としての金澤先生の業績や御苦労について. にわたって,環境の現状と課題を検討し,その. お話がございました.. あり方を見直す中で,税制がどのように活用で. 私は,行政マンとして金澤先生に接してまい. きるかを論議するという,これまでにない,新. りましたので,先生が,この揺れ動く社会経済. しい試みでございました.. の課題について,とりわけ,神奈川県の環境問. この生活環境税制の議論を行うため,地方税. 題について,どのように向かい合ってきたのか,. 制等研究会の下に,翌平成 13 年 6 月,生活環. 大変なご苦労をおかけした一人として,先生の. 境税制専門部会が設置され,金澤先生に部会長. 足跡をお話したいと思います. をお願いいたしました.. 先生の名前は,長洲元知事が提唱した地方の. 最初の年は,水と大気の課題を取り上げ,2. 時代構想の頃から存じておりました.その縁が. 年目は水の問題に絞り込み,それぞれ分科会方. 深まりましたのは,平成 12 年,今から約 10 年. 式で行いましたが,毎月の開催とその打ち合わ. 前からです.. せは,先生にとっては,時間を大きくさき,エ. 平成 10 年 12 月に設置された神奈川県版の政. ネルギーを使うという大変なご苦労であったと. 府税調とも言えます,神奈川県地方税制等研究. 思います.. 会から,平成 12 年 5 月,第1回目の答申として,. 水や大気の課題を真正面からとらえて検討す. 岡崎前知事に,超過課税や外形標準課税などの. るということになりますと,法律や国の省庁と. 財源確保策,生活環境税制という新しい税制の. の関係もありまして,所管する県庁内の関係組. 考え方について,座長である神野先生から報告. 織は非常に幅広く,プライドを持って仕事をし. がございました.. ている職員との激しい議論には,周囲も心配い. この報告を控えて,神奈川県では,平成 12. たしましたが,先生は,一方では,楽しんでお. 年 4 月,財政の健全化と,職員の自己変革に強. られました.. い思いを抱いておられた岡崎前知事の下で,神. 先生は,激論する職員ほど高く評価してお. 奈川らしい税制づくりを行う組織が創設されて. り,先生と対立した職員が次第に先生の足元を. おりました.. 固め,県庁一体となっての取組の強力な戦力と. 私は,その組織の事務を取りまとめる者とし. なっていったことは言うまでもございません.. て,地方税制等研究会のメンバーである金澤先. この専門部会には,研究者ばかりでなく,さ. 生と初めて言葉を交わすこととなりました.先. まざまな分野の方,30 名の皆さんが入り,か. 生の最初の印象は,ややぶっきらぼうで,一見. なり激しい議論が毎回,交わされておりました.. すると,少し恐いところがございました.それ. 経済・労働・環境等の諸団体や企業人,行政の. でいて,とても繊細で,思いやりのある方とい. トップ,NPO などそれぞれ強い持論をお持ち. うことでございました.. の方々ばかりでしたので当然です.. 先生との本格的な議論は平成 13 年に入って. しかし,先生は,それでも,全ての委員に発. からで,研究会から答申いただいた生活環境税. 言を求め,相反する意見であっても少数意見と. 制の具体化,これは,一つの税目や税体系を作. して尊重いたしましたが,同時に,利害ばかり. るというものではございません.県民の意思を. ではなく,市民の視点に立った発言の重みを追.
(8) . 及していまいりました.. 体的な事業がスタートしておりますが,その後. また,この専門部会を創設するに当たって,. も,かながわ県民会議の座長として,水源環境. 部会長をお願いした金澤先生が強く主張された. 保全・再生施策の点検や新たな施策の検討を,. のは,会議の全面公開です.これは,会議の傍. 亡くなられる直前まで行っていただいたところ. 聴レベルのものではなく,各委員や事務局の発. でございます.. 言の一言一句を文書化し,ホームページにも掲. さて,最後に,先生との 10 年に及ぶ交流を. 載する,それも短期間のうちに市民が自由に閲. 通して,金澤史男さんという人間についての,. 覧できるようにするというもので,事務局の職. 私なりの思いをお話したいと思います.. 員は,会議終了後,直ちにテープ起こしを行う,. 私は,先生は,研究者としてばかりでなく,. まさに深夜の作業でありましたが, 不思議にも,. 実践家つまり運動家として,類まれな能力と熱. 職員からは不満も出ず,早く公開したいという. 情をお持ちであったと思います.. 思いでした.. そうした視点に立って申し上げますと,ま. さらに先生の行動の特筆すべきことは,くり. ず,先生は事実よりも真実を誠実に探求した方. 返し,何年にもわたって開催した県民集会やシ. です.多くの方々のご意見を,財政学者として. ンポジウムです.集会は数十回,1 万人以上の. は専門外の,自然科学や土木工学関係のご意見. 方が参加されました.. にも真摯に耳を傾け,それでいて,自分なりに. この集会は,主に水源環境の保全をメイン. データを検証し,分析し,次のステップにつな. テーマとして開催されました.荒廃するダム湖. げ,真実を追い続けました.. 上流の森林,鹿の食害や山蛭の大量発生,アオ. 2 つ目として,目的を達成するためには,極. コによる水質汚濁,地下水の汚染や水量減少,. めて現実的で柔軟な考え方を持っておられまし. 里山の減少等々,山の頂から海岸まで,また,. たので,名を捨てて実を取るという手法も理解. 県域を超えて,山梨・静岡までを対象とした水. されておりました.専門部会からの提言を,そ. 源環境の保全・再生,流域の管理を議論の対象. のままでは具体化できない中で,相談に伺った. といたしました.. 私に対して,一歩でも二歩でも進めばいいでは. こうした集会を先生が全てリードし,発言す. ないですかと,再々,励ましをいただきました.. る姿に,専門部会の各委員の方々が,積極的に. 三つ目としてこれは,私の感じてきたもの. コメンテーターとなり,発言し,様々な関係者. で,同時に先生を信頼してきた根底にあるもの. に働きかけていただき,大きな県民運動に発展. です.. したところであります.. 水源環境の保全・再生の取組は,神奈川の豊. 通常, 行政が設置する審議会の委員の方々は,. かな水源環境を次の世代に残すことを目的とい. 議論するのが役割で,それを市民に提起し,市. たしましたが,先生の視野には,もう少しレベ. 民からの激しい批判を受けるのは行政マンの責. ルの異なるものが入っていたのではないかと思. 務と思っておられますが,県民負担の増税議論. います.. が伴うものであっても各委員が市民の批判の矢. 一つには,この国の形づくりの基本として,. 面に立つという,誠に驚きの連続でした.. 住民が積極的に参画できる,あるいは参画した. こうしたことは,金澤先生への信頼と,先生. くなるシステムを作り上げたいという思い,二. が,行政関係者や専門部会の委員を,その気に. つには,行政情報を全面的に公開することを行. させたリーダーシップによるものと思います.. 政に強く求める一方で,住民もまた,自ら地域. このような金澤先生の熱意とご苦労のお陰に. づくりの責任を担い,受益と負担の関係を逃げ. より,神奈川県における総合的な水源環境の保. ずに考えていただきたいという,民主主義社会. 全・再生施策はまとまり,平成 19 年度から具. の形成に向けた願い,三つには,岡崎前知事が.
(9) . くり返し強調されていた,行政の前例踏襲主義. という,将来の世代への発信ができたのではな. の打破や,指示待ち人間からの脱却を,行政マ. いかと思います.. ンと市民との議論を通して変革し,さらには,. ロシアの歴史学者,プレハーノフの著書に,. 縦割り行政の固定化を,水源環境の保全という,. 「歴史における個人の役割」というものがござ. 全組織で考えなければならない,生活者の視点. いますが,金澤史男先生は,見事に歴史におけ. が必要な組織横断的な課題を突き付けることに. る個人の役割を十二分に果たしてお亡くなりに. よって崩したかったのではないかと思います.. なりました.. このような思い,社会変革の実践家としての. ご冥福をお祈りいたします.. 熱意があったからこそ,水源環境の保全・再生.
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