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〈ちくほう地域研究〉『福岡県地理全誌』にみる筑前の製薬(予察)

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Academic year: 2021

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(1)[ち くほ う地 域研 究]. r福 岡 県 地 理 全 誌 』 にみ る 筑 前 の 製 薬(予 察). 筑豊地域研究会会員 牛嶋 英俊. 一六. あ り、 廃 藩 置 県 直 後 の筑 前 地 域 を 知 る貴 重な 史 料 と な って い る。 原 本 は美 濃 紙 の罫 紙 に 毛筆 楷 書 で 書 か れた 和 装 本 だ が、近 年 、﹃福 岡県 史 ﹄に影 印 本 ( 写 真 版)が 収 録 さ れ て、 利 用 の便 が は から れ た。 ﹃全 誌 ﹄の資 料 的 価 値 に ついて はあ ら た め て述 べ る ま でも な いが 、 と り わ け作 成 が お な じ 調査 者 に よ つて短 期 間 に ほぼ 同 一基 準 で網 羅 的 お こな わ れ た こ と に よ る、 成 果 の均 一性 が あ る。 も っと も、 細 か く 見 てゆ く と 、 た とえ ば 物 産 の項 で甘 木村 の 大規 模 な 飴 生 産 が 欠 落 す るな ど 、 使 用 に あ た って は他 の資 料 と の比較 は欠 かせ な い。. り を抽 出 した こと があ る ( 註 2)。 そ の結 果、か つ. 下座 郡 の0 ・五% ( 一 . 一 十七 円 二〇 銭)を く わ え る と、. そ の内 わ け は、 薬 を 生 産 す る夜 須 郡 五 村 のうち 、. に 発 足 し たば かり の福 岡 県 が 翌 五年 に陸 軍 省 の全. ﹃福 岡 県 地 理全 誌 ﹄は、明 治 四 年 (一八 七 一)七 月. 身 が生 薬 の ひと つであ り、 飴 を 主 原 料 す る生 薬 も. 察 す るが 、 そ も そ も飴 は食 品 にと ど ま らず そ れ自. 今 回同 じ史 料 に よ って、 飴 な ら ぬ 薬 つく りを 考. 福 な商 業 地 と し て栄 え た 町 でも あ った。 ﹃筑 前 国. 木 は内 陸 の交 通 の要 衝 にあ り、 江 戸時 代 以来 、 裕. 夜 須 郡 の薬 生 産 のほ と んど が 甘 木 村 で あ った 。 甘. 八十 八 % 以 上 が 甘 木村 ( 朝倉 市 )に よ って いる。 生. 国 地 理 図誌 編 輯 にか ん す る指 令 をう け て作 成 し た. 少 な くな い。 飴 と 薬 は き わ め て近 い位 置 関係 の歴. 続 風 土 記 ﹄ (以下 ﹃続 風 土 記 ﹄と いう ) に は ﹁ 国中. 産 額 二位 の三並 村 ( 筑 前 町)は 六% にす ぎ な いから 、. 地 誌 であ る。 県 は これ を 臼 井 浅夫 に委 嘱 し、 そ の. 史 があ る。. とあ る。 福 岡 藩 の支 藩 秋 月 領 に 接 し な がら も 、 甘. は、 明 治 初 頭 の筑前 の製 薬 は、 そ の金 額 の半 分 を. ﹃全 誌 ﹄か ら薬 を つく る 町村 を抜 粋 す る と、そ れ. 生 産 金 額 の割 合 で み れば 、 県 内 の総 額 七 千 二 百. 夜 須 郡 甘 木 村 が 担 い、 他 の九 郡 と 地域 が の こり を. 木 だ け は陸 の孤島 のよう に本 藩 領 とさ れ て いた の. 二 十 四 円七 〇 銭 のう ち、 夜 須 郡が 三 千 五 白 八 十 五. 分 担 す る 構 図 にあ った 。. は筑 前 十 五郡 のう ち 九 郡 四十 三町 と 博多 に かぎ ら. ﹁ 凡 博 多 よ り 甘 木 の問、 人 馬 の往 来常 に たえ ず ﹂. に て民 家 多 き事 、早良 郡 姪 浜 に次 ぐ と ころ で 、﹁ 諸. 成 果 は 明治 八年 から 十 三 年 に か け て内 務 省 に進 達 された ( 註 1)。 も つと も、 当 時 の福 岡 県域 は 旧福 岡 藩 領 を 引 き ついだ も のであ った か ら 、 調査 対 象 領 域 は 筑前 一 国 に かぎ ら れ、 明 治 九 年 に合 併 した 豊 前 ・筑 後域 は ふ く ま れ て いな い。. は 、 町村 ご と の地 理 的 記 述 に は じま り、 社 寺 古跡. 円 四 十七 銭 と 突 出 し た 値 を 示 し、 これ は 県内 生 産. は、 そ の地勢 的 経 済 的 な 理 由 に よ る。. か ら 戸数 や 職 業 構 成 ・物 産 と そ の数 量 金 額 ま で を. 額 のほぼ 半 分 の四 十 九 ・六% にあ た る。 隣 接 す る. れ、 糸 島 ・宗 像 ・嘉 麻 郡 は報 告 に 見え な い。. 網 羅 し て いる。 ま た 、 明 治 の町村 合 併 以 前 であ る. いず れ に せ よ、﹃全 誌﹄に よ るお お ま かな 把 握 で. た め、 項 日 は今 日 の大 字 単 位 ほ ど の詳 細 な も ので. ﹃福 岡 県 地 理全 誌 ﹄ (以下 ﹃全 誌 ﹄と いう)の内 容. ・甘木 の製 薬. 国 に通 ず る 要 路 な れ は、 商 人 多 く 集 り 交易 ﹂ し、. が当 時 の交 通 や 流 通 と深 く 関 わ る こと を 論 じ た。. の集 落 で の み行 な わ れ て いた こと を 指 摘 し、 こ れ. 内 陸 部 に お け る生 産 額 は 県内 の過 半 を し め る。. 筆 者 はさ き に こ の史 料 から 筑 前 に お け る飴 つく. 別製 薬額 の割合. 表1郡. て飴 つく り は ﹁飴 を つく る村 ﹂ と も いう べ き特 定. 邸那製蘂匪の割古. 一一 .各 地 域 の製 薬 ( 表 1). 一. 地域 史 資 料 と し て の ﹃福 岡 県 地 理全 誌 ﹄. [ち くほ う地 域研 究].

(2) 近 畿 大 学産 業 理 工 学部 かや の も り17(2012). 甘 木 に つぐ のが 九 百 二 十 八 円 六〇 銭 を 生 産 す る. ト に学 び 、 高 野 長英 とも 交 流 が あ った。 天保 十 二. 藩 の藩 医 を つと め た 人物 であ る 。 長崎 で シー ボ ル. ると あ る武 谷 家 は 代 々の 医家 で、 元龍 ( 立 )は福 岡. 鞍 手 郡 で、 県 内 総 額 の十 二 ・九% を しめ る。 隣 接. 年 (一八 四 一)に は博 多 大 浜 で筑 前初 の屍体 解 剖 を. ・遠 賀 川流 域 の製 薬. す る遠 賀 ・穂 波 郡 を 合 わ せ る と、 遠 賀 川 流域 の県. 道 上 に あ る が、 生 産 量 は多 くな い。. 上 上 津 役 ・熊 手村 ( 北 九州 市 八幡 西 区 )とも 長 崎 街. し め るが 、 鞍 手 郡 に くら べ てそ の絶 対額 は低 い。. 遠 賀 郡 では 生 産額 の 八〇 % を 垣 生村 ( 中 間市 )が. こな って いた こ とが 知 ら れ て興 味 ふ か い。. て著 名 な 武 谷家 だ が、 一方 では 伝 統的 な 製 薬 も お. 義 ﹂ であ ろ う か。 いず れ にせ よ 、洋 学 の医 師 と し. が って ﹃全 誌 ﹄ に あ る製 造 者 名 は 、 そ の間 の ﹁ 名. 地 の高 野 村 に 戻 った の は明 治 十 年 とさ れ る。 した. 痘 を お こな った こ と で知 ら れ る が 、東 京 から 出 身. そ の子 祐 之 も 西洋 医学 を 学 び 、 日本 で初 め て種. す で に故 人 で あ る。. (一八 五 二)に 没 し てお り 、﹃全 誌 ﹄編纂 のとき には. お こな って いる。 も っと も 本 人 は幕 末 の嘉 永 五 年. 鞍 手 郡 内 で は、薬 を 生 産 す る 五村 一町 のう ち植 木 村 が 四 十 二% 以 上 を し め る。 さ き の夜 須 郡 ほ ど では な いが 、 郡 内 に 中 心的 な製 薬 の村 が あ る と い う 共 通 の構 造 が う か が わ れ る。 鞍 手郡 に 隣 接 す る 遠 賀 ・穂 波 郡 は いず れ も遠 賀 川流 域 にあ た り 、 一. 三 郡 のな か で は県 下 の十 二 ・九 % を 産 す る 鞍 手. 括 し て取 りあ げ る 。. 郡 が 他 郡 に突 出 し、 遠 賀 川流 域 全 体 の八 十 三 ・四 % を し め る。 な か でも 植 木村 ( 直方 市 )の生 産 は 郡 の三 十 六 ・三 % と 他 を 圧 し て いる。 植 木 は中 世 以来 、 水 陸 の交 通 の重 要 な 拠 点 と し. 山部 村 でと り わ け 生 産 量が 多 い取 替 子 は ﹃筑 前. つ ナ し. て の歴 史 が あ り 、 近 世 では 対 岸 の 木 屋 瀬 ( 北九州. 国続 風土 記 附 録 ﹄ (以下 ﹃附 録﹄ と いう )土産 考 に. 藩 と 甘木 町 の関 係 に おな じ であ る。. あ え て本 藩 領 に維 持 す る こと は、 さ き に 見 た 秋 月. 本 藩 領 とさ れた 。 支 藩 領 に接 す る裕 福 な在 郷 町 を. 寺 藩 が 分知 さ れ た 以 後 も 植 木 に は代 官 が お か れ、. 製 造 さ れ て いた 。 そ の後、 安 政 五年 (一八 五 八 )刊. (一七 九 八)であ る か ら、 取 替 子 は こ の ころす で に. と あ る 。﹃附 録 ﹄ 土 産 考 の藩 への献 上 は 寛 政 十 年. 用 ゆ へから す ﹂. す。 腹 病 一切 に 用 て 験 あ り。 攻 撃 な り。 み た り に. を 伝 授 さ れ 、 これ を つく る﹂ 旨 の記事 があ り、 萬. が 小 倉 の小 児 科 医桜 山融 庵 から萬 金散 と いう 妙 薬. 称 し て いた。 ﹃附 録﹄竹並 村 天照 寺 の項 に は ﹁ 住僧. 六年 ころ 今 の名 に改 め たが 、 そ れ ま で は 天照 寺 と. 寺( 浄 土真 宗 本 願 寺 派 )は村 内 の寺 院 であ り、 明 治. も っと も 生 産 のす く な い竹 並 村 ( 北 九州市若松. 植 木 に つぐ のが 山 部 村 ( 直 方 市 )と 直 方 町 ( 直方. 行 の ﹃田嶋 外 伝 浜 千鳥 ﹄ ( 筑紫 野市 歴 史 博 物 館 蔵). 金 散 は寺 院 が製 造 販売 す る 薬 であ った 。 ﹃附 録 ﹄の. 鞍 手 郡 直 方 村 (ママ)杉 山 玄 丹 と 云者 製. 市 )で、 両 者 をあ わ せる と流 域 の生 産 額 の三 十 七 ・. の挿 絵 に ﹁ 取 替[ 子 ﹂ の張 り紙 が みえ る。 こ れ は原. 上 進 は寛 政 五 年 (一七 九 三)であ る か ら、 萬 金 散 は. ﹁ 取替 子. 九 % と な り、 植 木 村 を し のぐ。 直 方 町 は 東 蓮寺 藩. 田宿 ( 筑 紫 野市 )の名 物餅 屋 の壁 にあ る も ので、 描. これ 以 前 か ら作 ら れ て いた こと にな る 。. 区)の萬 金 散 の生 産 者 は 偏 照 寺 勇 超 と あ る。 偏 照. が 分 知さ れた と き 山 部 村 の 一部 を さ い て成 立 し た. か れ た経 緯 に ついて は検 討 が 必要 だ が 、 あ る い は. 能 丸 な ど は ひ ろ く知 ら れ て いる 。 売薬 行 商 で しら. 史 は古 く 、南 都 西大 寺 の豊 心 丹 、唐 招提 寺 の奇 効. 寺 院 が 宗 教 活 動 の 一環 と し て製 薬 ・施 薬 す る歴. 経 緯 が あ り、 両 者 は 歴 史 的 に も ほぼ 一体 に ち か い. 一七. こ のほ か、 高 野 村 ( 宮 若市 )で 二種 類 の薬 を つく. ら れ る。. こ のあ た り ま で売 薬 人 が行 商 し て いた こと も考 え. 通 過 す る宿 駅 的 な 町 であ り 、事 実 、 町 の出 入 り 口. 江 戸時 代 後 期 の直 方 町 は、 長 崎 街 道 が 町 な か を. 町 村 であ る。. あ った。 元和 九 年 (一六 二三 )に福 岡 藩 の支 藩 東蓮. 市 八 幡 西 区)か ら 分 岐 す る 赤 間 街 道 の宿 駅 で も. と. に は宿 駅 に 特 徴 的な 構 え 口が 設 けら れ て いた。. 内 生産 額 比率 は 十 五 ・四% にな る。 図1.山 内 陽亭 『田嶋外 伝 浜 千鳥 』 挿絵(筑 紫 野 市歴 史 博 物館 蔵).

(3) [ち くほ う地 域研 究]. れ る越 後 の毒 消 し売 り も 、蒲 原 郡称 名 寺 の非営 利 は薬 院 町 の製 薬 と ほ と ん ど 同義 語 であ る。 同 町 は. ( 中 央 区 )が しめ る。 し た が って、 那 珂 郡 の製 薬 と. 薬 差 止 め ﹂ が 通達 さ れ て おり 、宝 暦年 間 に おけ る. 売 薬 差 止 め ﹂ が、 翌 十 二年 には ﹁郷村 に おけ る 売. そ の後 宝 暦 十 一年 に は 田代 代 官 所 か ら ﹁ 壮年者. 一八. 的 な施 薬 が のち に 商業 化 した も ので あ る。 ﹃附録 ﹄ も と 那 珂川 下 流 左 岸 の薬院 村 地 内 に あ った が、 城. ﹁む か し異 国 よ り 博多 に船 の着 し時 、 薬草 多 く 渡. 下 見 村 に つぐ 生産 額 を しめ す 宰 府村 ( 太 宰 府市 ). 土 産考 は福 岡 安 国 寺 の磨 積 円、 材 木 町明 蓮寺 の保. し を、此 所 に薬 圃を か ま へて植 ゑ し所 ﹂ (﹃続 風土. もま た 筑 前 二十 一宿 の ひと つであ った から 、 御 笠. 売 薬 の盛 行 が う か が わ れ る。 隣 接 す る 原 田 ・山 家. 記﹄)と あ り、名 の通 り 古 く か ら製 薬 が さ か んな 地. 郡 にお け る 製 薬 は宿 駅 に おけ る 特 産 品 と いう 側 面. 下 町建 設 のと き 福 岡 城 の東 に移 った と いう。 旧地. の聞 取 り で は、 筑 前 の寺 院 に お け る施 薬 ・製 薬 は. 売 薬 、蓮 根 ﹂とあ. 童 円、 東 職 人 町大 長 寺 の神教 丸 をあ げ てお り 、 近. 糸 島 郡 や 御 笠 郡 に も 数 例 が あ る と い う。 ( 註 3). であ った 。 ﹃全 誌 ﹄に も ﹁土産. が 指 摘 でき る。. の製 薬 が 田代 の影響 を受 け た こと は じ ゅう ぶ ん に. 今 後 の課題 と し た い。. る。 古 く から 伝 わ る 薬 も多 く、 再 生 丹 は御 殿 医津. ・糟 屋 郡 の製 薬. にあ た る薬 院 村 は. ・博 多 ・福 岡 の製 薬. 田家 に伝 わ る薬 、爵 香 丸 は綱 場 町 の千 手孫 右 衛 門. 代 以前 に は ひろ く お こな わ れ て いた よ う だ。 近年. 博多 お よび 福 岡 地 域 は 、 県内 総 額 に対 す る割 合. が唐 人 から 教 わ った薬 であ る と いう 。 (註 5). と、 郡 内 の製 薬 は ほ と んど こ の三村 の目薬 であ つ. す る須 恵 村 ( 須 恵 町)と内 橋 村 ( 粕 屋 町 )を あ わ せ る. 糟 屋 郡 では 上 須恵 村 が 七 十 三 % を し め る。 隣 接. 考 え ら れ る。. では 東 町が 域 内 の四 〇 % 強 を 生産 し、 下 呉 服 町な. が いず れ も 一桁 台 に と ど ま る。 商 業 地 であ る 博多. ・御 笠 郡 の製 薬 早良 郡 に つぐ 生産 額 を しめ す のは御 笠 郡 であ る。. ど 他 の五 町を おお き く 引 き離 し て い る。 四 種 類 の 薬 の名 があ るが 、 いず れ も製 造 者 は太 田榮 蔵 の 一. 善 一郎 の長 男 と し て生 ま れ て いる。 善 三 郎 の生年. は 、博 多 中 洲 中 島 町 の紙 問 屋児 島 本 家 の九 代 当主. が 見 え る。 今 日洋 画 家 と し て知 ら れ る児 島 善 三郎. 中島 町 の ﹁万能 膏 ﹂ の製 造 者 に児 島 善 三 郎 の名. いた こと な る 。 三 村 は いず れも 近 世 長 崎街 道 上 に. これら 隣 接 す る 三 村 で ひ ろく 製 薬 が お こな わ れ て. 村( 筑 紫 野市 )は 原 田 ・山家 両 村 の問 に あ る から 、. が生 産 し て いる 。 さ ら に 十 八 ・八 % を 産 す る 下見. の二 十 八% 強 を あ わ せ る と 六十 七 % 強 を こ の二村. 〇% ち かく を し め 、 こ れ に つぐ 山 家 村 ( 筑 紫 野 市). 島 や 港 か ら の来 訪 が多 い の は、 目 の不自 由 な 患 者. の滞 在 治 療 を し た。 壱 岐 対 馬 を は じ め 日本 海 側 の. 道 )・出 羽 ・越 中 ・越 前 か ら も患 者 が 来 訪 し、 長 期. 村 に は 西 日本 に かぎ ら ず 、遠 く は 松 前 箱 館 ( 北海. な ど 高 名 な 眼 科 医 が い た。 と り わ け 須恵 ・上 須 恵. に高 場 氏 、 上 須恵 村 に 田原 氏 、 内 橋村 に は中 村 氏. ひろ く 知 ら れ て いる よう に、 江 戸時 代 の須 恵 村. た こと に な る。. は 明治 二十 六 年 (一八 九 三)年 、﹃全 誌 ﹄の編纂 は 明. あ り、 原 田 ・山 家 村 は いわ ゆ る ﹁ 筑 前 六宿 ﹂ の宿. 原 田村 ( 筑紫 野市 )が 三 十 八% 強 と 郡 内 生産 額 の 四. 治 初 年 であ る の で両 者 は 別 人 だ が 、 宝 暦 四年 (一. が 船 旅 に よ った た めと の指摘 もあ る。 ( 註 7). 店 であ る。. 七 五 四)五 月 二 十 四 日 の条 に は 目薬 を 商 う ﹁中嶋 町. 駅 があ った 。. 町 と伊 崎 浦 が そ れ ぞ れ 三〇 % 台 の併 立 状 態 にあ り 、. 福 岡 早良 で は生 産 が 一つの町 に集 中 せず 、大 工. あ り、 一部 には 都 市的 な 町村 も あ った。. ら って述 べ る。 こ の 一帯 は博 多 に隣 接 す る 地域 で. 良 ・福 岡 那 珂と 表 記 し て お り、 本 稿 でも これ にな. ﹃全 誌 ﹄では 旧城 下 町 にあ た る福 岡地 域 を 福 岡 早. 応 丸売. 和 平 次 ﹂ の名 が 見え 、 こ の ころ 田代 売 薬. 宝 暦 四年 (一七 五 四)十 一月 の条 には ﹁田代 江 口気. る売 薬 業 が 成 立 し て いた 。 ( 註 6) ﹃博多 津 要録 ﹄. の田代 領 にぞ く し 、 江 戸中 期 ころ 奇 応 丸 を主 と す. ( 鳥 栖 市 )であ る 。 田 代宿 は対 馬 藩 飛 地 (一万 石 余). 原 田宿 から 長 崎 街道 を 一駅た ど れ ば 肥前 国 田代 宿. ま た こ の地 域 は 肥前 ・筑 後 と の国 境 に ち か く、. 療 宿 場 ﹂ と定 義 し て いる。 ( 註 9). ( 註 8)今 日、須 恵 町 立 民俗 資 料 館 は これ らを ﹁ 眼. が あ り 、 す べて が 眼病 人 の宿 と 考 え ら れ て い る。. 須 恵 村 では 明 治 四 十 一年 の時 点 でも 十 三軒 の宿 屋. 眼 療 を 乞 ふ 人当 に数 百 千 人 来 り て寓 居 す ﹂ と あ る。. ﹃筑 前 名 所 図 会 ﹄ に は ﹁ 東 ハ奥 州、 西 ハ薩 摩 よ り. 達 し、 一種 の宿 場 町 の様 相 を 呈 し た。 奥 村 玉蘭 の. こ のた め 眼 科 医 の 門前 に は農家 が営 む宿 屋 が 発. 善 三郎 ﹂ が 見 え る ( 註 4)。. こ の両 町 で郡 の七 〇 %ち かく を し め る。. の博 多 進 出 が 知 ら れ る。 那 珂 郡 で は、 生 産 額 の九 十 六% ち かく を 薬 院 町.

(4) 近 畿 大 学産 業 理 工 学部 かや の も り17(2012). 近 世 筑前 の代 表 的 な 目 薬 と し て知 ら れ 、 昭 和 十年. ん に ﹁目薬 ﹂ と あ る が、 これ は ﹁正 明膏 ﹂ を さ す。. 人 扶 持 ・三 人扶 持 を 給 さ れ て い る。 薬 の名 称 は た. と し て名 があ り、 お のお の百 二 十 石 の知 行 地 ・十. る。 幕 末 の ﹃福 岡 藩 慶 応 分 限帳 ﹄ に は藩 の眼科 医. 全 ・岡 正節 ・中 村 昌 ( 正 )宅 は いず れも 眼 科 医 で あ. ﹃全 誌﹄ に薬 の製 造 者 と し て名 前 が あ る 田 原養. であ った と 指 摘 で き る。. 額 と 比率 の両 方 に お いて製 薬 依 存 度 のた か い町村. を製 薬 に よ って いる。 薬院 町 ・山 部 村 は、 生 産 金. 町 に準 じ る千 二百 十 六 円余 の生 産 額 の十 九% 近 く. 薬 の町 であ った と いえ る。 鞍 手郡 山 部 村 も、 薬 院. よ って い る。 町 名 の由来 通 り、 薬 院 町 は 特異 な 製. 円 と多 額 の生 産 のな か で、 二〇 % ち か く を製 薬 に. り、 福 岡 の薬 院 町 は 酒 ・醤 油 な ど 千 八 百 三 十 四余. い。 最 も 高 価 な直 方 町 産 は 八厘 であ る 。. 甘 木 村 産 の単 価 七 厘 に対 し、 山家 村 産 は 六厘 と 安. 産 し、 山 家 村 で は 一軒 で六 千 貼 を 産 す る。 た だ し. と いう 。. し、 セ ンブ リ や オ ウ バ クを 代 用 す る こ とも あ った. が ら他 に産 物 が な く 、結 果的 に製 薬 割合 が高 い 町. 一方 で、 同 郡 高 野村 の よう に低 額 生 産 であ りな. は多 く 、 中 国宋 台代 の神 仙 太 乙膏 を 原方 と す るも. や 皮 膚 病 な ど の外 用 に用 いた 。 こ の名 を称 す る薬. でき る。 ハ マグ リ の 貝 に 入れ た 膏 薬 で、 あ かぎ れ. 目 を転 じ て、 個 々 の町 村 の総 生 産 額 に しめ る製 薬. テ イー バ ッグ のよ う に熱 湯 で侵 出 し て使 った。 香. う にな った 。 振 薬 と は薬 を布 袋 に包 み 、今 で いう. だ ったが 、 平 時 に は 婦 人 の産 前 産 後 に も 用 いる よ. よ ぶ 。 山 田振 薬 は 近 世 初 頭 の戦 乱 時 で は金 創 薬. 生産 地 は夜 須 ・御 笠 郡 を中 心 に八 郡 十 七 町村 に お. け ら れ る。 最 も ひ ろ く作 ら れた のは 山 田 振薬 で、. 各 町村 で作 ら れ た 薬 に、 同名 のも のも多 く 見受. 晶 性 の穎 粒 で目 薬 に 用 いら れ た か ら、 こ の名 を 冠. は東 南 アジ ア に 生育 す る龍 脳 樹 か ら採 取 さ れ る結. 龍 脳 丸 を 加 え る と、 三 郡 四 町 の生 産 とな る。 龍 脳. 龍 脳 円 は 二郡 二 町 で作 る のみ だ が、 ほぼ 同 名 の. 児 島 善 三 郎 が生 産 し て いる。. 五千 六 十 二貝 のう ち、 七 十 九 % 強 を博 多 中 島 町 の. の系 統 のも のか も知 れな い。 萬 能膏 は総 生 産 八 万. 入膏 薬 ﹁唐 人膏 ﹂ があ り、 博多 の萬 能 唐 人膏 は こ. 肥前 田代 に は オ ラ ンダ 人 か ら 学 ん だ と称 す る貝. のと 、 同 名 で も全 く こと な るも のも あ り、 内 容 は. 村 もあ り、 両 者 を 一律 に論 じ る こと は でき な い。. 多 様 であ る。. れ に博 多 下 新 川 端 町 の萬 能 唐 人 膏 も含 め る こと も. 萬 能 膏 は 四 郡 五 町 と博 多 中 島 町 で作 ら れた 。 こ. 村 別 では 甘 木村 が 三軒 で 一万 三 千 百 四十 五貼 を. 代 ま で製 造 販売 さ れ て いた。 単 位 を ﹁ 貝﹂とする のは、 紅 絹 で包 ん だ 練 り 薬 を 貝殻 に入 れ て販 売 し た こと に よ る。 これ ら須 恵 の目 薬 は 地 元 だ け でな く 、 売 薬 人 に よ り各 地 に売 り ひろ め ら れた 。 ﹃附 録 ﹄土 産 考 に は 三 .薬 品 の概 観. の割合 を 見 ると 、 最 大 の生産 額 を しめ す 甘 木村 は. 月牛 山 の ﹃婦 人 寿 草 ﹄ に は ﹁ 松 永 弾 正 の振 り薬 、. ﹁広 く諸 国 に販 く ﹂ と あ る。 上 須 恵 村 の生 産 量 が. 薬 以 外 に生 蝋 ・蝋 燭 ・瓦 ・菓 子な ど 多 様 な 産 物 が. 此 れ産 前 後 の妙 薬な り﹂ と あ る。. 三 千 貝 と きわ め て多 い こと は、 彼 ら の商 業 活 動 の. あ る。 こ れら を ふ く む 総 生産 額 は七 万 一千 九 百 五. 最 大 で あ りな が ら 、 総 生 産 額 の 三 ・九 五 % の低率. え る。 ( 註 10)こ の た め、甘 木 村 の製 薬 金 額 は 県 下. 生産 の中 心 は夜 須 ・御 笠 郡だ が 、 な か で も 甘木 村. ら れた 。 山 田振 薬 と 同系 統 の処方 の婦 人 薬 であ る。. こ れ に次 ぐ のが 安 神 ( 心 )散 で、 六 郡 十 町村 で作. い る。. 単 位 が ﹁貝 ﹂ と あ り、 薬 の形 状 が 他村 と異 な って. で は植 木 村 の生 産 量 が多 い。 西唐 人 町 の龍 脳 円 は. す る 二種 類 の薬 は 目薬 と 考 え ら れ る。 甘 木 村 以 外. 以 上、 町村 問 に お け る製 薬 を 生 産額 で 比較 し た。. 結 果 と思 わ れ る 。. 十 七 円余 に およ び 、 二位 の博 多 中 島 町 の 二倍 を超. に と ど ま る。. の葉 山太 郎 右 衛 門 が 全体 の 五十 三 % を 生産 し て い. そ の 一方 で、 製 薬 依 存度 のた か い町 村 も存 在 す. つ いで、 黒 丸 子 が 五 郡 八 町村 で作 ら れ た。 黒 丸. キナ キ ナ 丸 と いう 特徴 的 な 名 の薬 が夜 須 郡 三並 ・. 上 を 甘 木 村 が 生産 し て いる。 生 産 量 は 多 く な いが 、. こ の ほか 、 大補 湯 は 三 郡三 町 で作 ら れ た。 名 の. 子 は熊 肛、 いわ ゆ る ﹁く ま の い ( 熊 の胆 嚢 )﹂ を 用. 下秋 月 村 、 御 笠 郡原 田村 の三村 で つく ら れ て いた 。. る。. げ れ ば、 福 岡 薬 院 町 十 九 ・三 二% を 筆 頭 に 、 鞍 手. いる薬 の 一種 で、 江 戸中 期 に後 藤 艮 山 が熊 胆を 主. る。 総 生 産 額 に しめ る 製 薬額 十% 以上 の町村 を あ. 郡 高 野村 十 八 ・九 二% 、 山 部村 十 八 ・七 三 % 、御. 薬 に処 方 した 。 た だ し市 販 の製 剤 では 熊 胆 を減 ら. と おり 気 力 体 力 を養 う 薬 で、 生 産 量 の八十 三% 以. 笠 郡 下 見村 十 一 ・〇 五 % 、夜 須 郡 三並 村 十 ・〇 一. こく がん し. % と つづ く。 た だ し そ の内 容 に は大 き な 違 いが あ. 一九.

(5) [ち くほ う地 域研 究]. 剤 キ ニーネ に由 来 す る と考 え ら れ、 実 際 に解 熱 剤. キ ナ キ ナ は キナ ( 機 那)の樹皮 から つく ら れ る解 熱. 検 討 す る問 題 点 は多 い。 本 稿 はそ のた め の 一歩 に. ち で各 地 に流 通 ・販 売さ れ て い った か な ど、 今 後. で きな か った が 、 生 産さ れた 薬 が ど のよ うな かた. 一一〇. と し て売 ら れた 。 よ く 似 た 名 の ﹁キナ キ ナ 円 ﹂ が すぎ な い。. 註. フ ァベ ット風 の文 字 を 描 く 共 通 の薬 袋 を 使 用 し て いる。 ( 図 2) 田代 ・ 原 田両 宿 の製 薬 の近 親 性 を し. 二〇 〇 九 年 註 3 .鷺 山 智 英 氏 の教 示 によ る. 一九 七 八 年. 註 4 .秀 村 選 三 ほ か ﹃博 多 津 要 録 ﹄ 第 三巻 本文化協会. 註 5.近 藤 典 二 ﹃博多 津 要録 ﹄ 第 二巻 解 説 一九 七 六 年. 二 〇 一 一年. で は甘 木 村 を超 え る. 一九 九 三 年. 西日. 註 10.た だ し町 ご と の金 額 であ るた め 、博 多 全 体. 年. 註 9 .須 恵 町 誌 編 集 委 員会 ﹁ 須 恵 町 誌 ﹂ 一九 八 三. 註 8 .﹃糟 屋 郡須 恵 村 々是 ﹄ 一八 七 八 年. 史 編 ・福 岡 藩 文 化 ( 上). 註 7 . 石瀧 豊 美 ﹁ 上 須 恵 の田 原眼 科 ﹂﹃福 岡 県 史﹄通. 文化庁. 註 6 .さ いた ま 民 俗文 化 研 究 所 ﹃田代 の売 薬 習 俗 ﹄. 本文化協会. 西日. 註 2.牛 嶋 英 俊 ﹃飴 と 飴 売 り の文 化史 ﹄ )弦 書 房. 一九 八 八年. 註 1 .﹃福 岡県 史 ﹄近 代 資 料編. 述 を 抜葦 し、 そ こか ら 見え てく る も のを 概 観 し た。 製 薬 地域 の偏 在 や 生 産 薬 の内 容 の分 析 を 通 し て、. ∼六. め す例 と いえ よ う 。. 四 .お わ り に. 田 宿(筑 紫 野 市 歴 史 博 物 館 蔵). 以 上、﹃福 岡 県地 理全 誌 ﹄か ら製 薬 に かん す る 記. (2-1)(2-2). 当 時 の社 会 の 一端 が 伺 え る か と思 う 。 今 回 は 言 及. 福 岡 県 地 理全 誌 一. 幕 末 の肥前 田代 でも 作 ら れ て お り、 西 洋 人 や ア ル. 代 ・原 田 宿 の 薬 袋 図2.田. 献)(2-2)原 (2-1)田 代 宿(註6文.

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参照

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