社会系教科教育学会『社会系教科教育学研究』第8号 1996 (p. 87)
【書
評
】
小西
正雅著『戦後民主主義と教育一呪縛を解く』
(明
治
図
書.
1995.
9)
1,240
円
1。「妖怪」一戦後民主主義
「一つの妖怪がヨーロッパを歩き回っている一共産
主義という妖怪が」という一文で始まるのはマルクス
の『共産党宣言』である。共産主義は単なる「妖怪」
ではなく,現実を伴ったものだというのが『共産党宣
言』の主張である。筆者小西氏は,この一節を念頭に
おかれたのかどうかは分からないが,戦後民主主義を
「妖怪」になぞらえる。この戦後民主主義という妖怪
の身上は,アメリカの民主主義とソ連からのマルクス
主義に由来し,戦前への痛恨という状況の中で,両者
が結合して産み落とされたという。この「妖怪」戦後
民主主義は,機械的な善悪二分論に立ち,自らをすべ
て善と主張し,悪を「過去の日本」「大資本」「校長」
にあてがう認識構造を持つという。しかもこの「T妖匣」
は,「競争原理が働」かず「風通しが悪い」教育の世
界に「棲みつき」,しかも「真面目な教師が妖怪の餌
食」になったという。教育領域として,「価値がらみ」
にならざるをえない特質を持つ領域が「妖怪の侵入」
を許しているとの認識から,次の四つの領域を取り上
げている。 I章 人権教育,11章 異文化理解教育,
Ⅲ章環境教育,lV章平和教育の四つであり,順次
その「誤謬」が批判される。
2.各章の要点
I章の人権教育については,戦後民主主義の持つ機
械的善悪二分論や機械的平等主義のため「悪人告発型
人権教育」に陥っており,そこに欠けているのは自ら
の内なる差別性や自己責任の原則だという。誰にでも
存在する醜さや悪を素直に見つめ,それを教育におい
て抑圧するのではなく,「健康的」な他者への攻撃と
して「昇華」させることが必要とする。
II章では「見世物小屋異国趣味」教育となった異文
化理解教育を批判する。この教育においては,異文化
の珍しい風俗習慣の「理解」が求められ,また,当該
文化の成立する理由を問う「説明」までもが求められ
る。「子どもたちに何かを数えわからせるという授業」
観に立つ限り,理解や説明を強制する授業にならざる
をえないという
人とうまくつきあうことでは。必要なのは,相
なく,異文化との接触対主義や共生,外国
で
工
藤
文 三
(国
立教
育研
究
所)
ストレスが起きるのは当たり前だとする構えであり,
それを教育において生かすことだと説く。
Ⅲ章では,「価値がらみ」の性格を持つ環境教育を
漢字や算数を教えるのと同じ方法で扱うため,結果的
に教え込みになっていることが指摘される。また子ど
も達のいう環境破壊の「 ̄切実」さは,単に学習された
ものにすぎず,むしろ厂自分がいま生きていること,
生活していること自体が環境破壊」であることを実感
させることこそが環境教育であると指摘する。
Ⅳ章では,匚不戦平和型反戦教育」ではなく「避戦
平和型反戦教育」の意義を主張する。前者は子ども達
に匚不戦の誓い」や平和への祈りをさせる教育であり,
後者は,「戦争の可能性を肯定」しながら,戦争の回
避を探ることの重要さを訴える教育だという。しかも
日本の平和教
戦=反戦,避戦=好戦と解釈育の不幸はこの両者の
されてしま区別ができず√
った点にある不
という。
3.近代日本人の自我意識と戦後民主主義
筆者の主張に仮に従いながら考えてみると,なぜ日
本の戦後民主主義はこのような形態と「誤謬」に陥ら
ざるをえなかったのであろうか。イデオロギーへの熱
狂,形式的二元主義とその一面のみを楽天的に信じる
傾向は,戦前と戦後に共通しているのではないだろう
か。その意味からすると筆者がこの書で指摘する戦後
民主主義の特質とは,必ずしも戦後に特有のものでは
なく,戦前から日本人の精神的傾向として存在し続け
ていたものの戦後的形態なのではないのだろうか。
筆者は匚あとがき」で,自分の戦後民主主義批判の
背後にある匚ニーチェ的なもの」の存在を指摘してい
る。このことは戦後民主主義批判と標榜しながらも,
筆者は結果的に,日本人の近代的な自我意識や価値意
識の性格の分析を念頭に置かざるをえない地点に到っ
ているように思われる。
この書は,戦後民主主義と教育の関係を主題として
掘り下げるという点では,中途半端に終わっている。
しかし,上記のような教育の根底に流れる人間観や価
値意識の特性を考えさせるという点で,興味深い論点
を提供しているといえよう。
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