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土壌酵母の生物学的特性の解析と工学への応用 利用統計を見る

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土壌酵母の生物学的特性の解析と工学への応用

物質・生命工学科

兎束保之

1.酵母とよばれる微生物集団の輪郭をどのよ

  うに理解するか 学上の種が特定できなければ,あたかも材料の組成 を考えずに物性を測定しているようなものであり, 研究どころではない.  酵母菌は,アルコール発酵を通じて人類と最も長 い(5000年以上と推定されている)付き合いがある 微生物である.ところが,現在の生物学で酵母菌 (以後,単に酵母と表現する)と総称されている微 生物群のなかで,アルコール発酵能力を示すのは大 略半数にすぎない.一方で,酵母を理学的な生物学 の立場で研究対象にしようとすれば,最も基礎にな る分類学のところで,何を信頼して仕分けをすれば いいのか,しばらく戸惑うような生物群である.  簡単に表現すれば,酵母とはカビの仲間とキノコ の仲間のうちで,目に見えるような大きな形態を作 らず,単細胞のままで生活する道を選んだ生物集団 である.カビは菌糸の先端付近に胞子を作り,キノ コは子実体と呼ばれるおなじみのカサと柄がある大 きな形をつくり,カサの裏にあるヒダの表面に胞子 を作る.単細胞の酵母には胞子を作るものと作らな いものとがある.そして本来は作るものであって も,人間の手で培養されているうちに,胞子の作り 方を忘れてしまう事例が知られている.  カビ,キノコ,酵母を総合して菌類と呼んでお り,それらはどのようにして胞子を作るか,作られ た胞子はどのような形をしているかが,分類学上の 重要な仕分け規準になっている.単細胞で生活する 酵母は,たとえ光学顕微鏡を使っても,簡単に種 (シュと読み,生物分類学で他と区別できる最も基 本的な集団を意味する)を識別できるほど,それぞ れが個性的な細胞形態を示すわけではない.それだ けに,酵母の研究を志した人が,(野外に出て野鳥 の生態を観察するように)何時ごろ何処にどのよう な酵母がいるかという,基礎的な計数調査をしよう としても,コトは簡単には進まない.一・方で,科学 としての研究を目指す限り,対象にする生物の分類

2.人間生活に役立つ微生物の入手

 自然界から人間生活に役立つ微生物を求めようと すれば,目的にかなう機能を持つと期待される微生 物の純粋分離が第一段階である.次に実験室規模で の実験で,その微生物を上手に利用すれば有用物質 が得られると確証を得てこそ工業生産が期待でき, やがては一定規模の産業に成長する.人間の生活に 役立つ働きをするカビを求めようとするときは,各 地から採取した土を主な分離源とする.有用細菌 (バクテリア)を手に入れたいと希望するときは, 主としてドブや汚水貯まりを分離源とする.アル コール発酵をする酵母を新たに入手しようとすると きは,果実の傷口や蜜を持った花を分離源として使 うと,効率がよい.これらは,いずれも経験的に知 られてきた.

3.土壌酵母を研究対象に選ぶ

 私が山梨大学工学部の発酵生産学科へ赴任した当 時は,この学科の大多数の先生方はブドウからワイ ンを製造するときに働くアルコール発酵酵母(学名 はSαccharomyces cerevisiαe)の研究をしておられ た.ところが,学科のカリキュラムを見れば,アル コール発酵に限定された授業をしているのではな く,微生物が潜在的に持っている能力を見出して利 用する道筋を学ぶ構成になっていた.私は広義の発 酵,すなわち微生物の機能を活用して人間生活に役 立つ技術を課題にするのなら,何をしてもいいはず だ,と研究課題を選択する自由を意識した.学科内 の大勢に従ったアルコール発酵という狭い研究範囲 では,学科内の誰かと鉢合わせしないように研究課

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題を選ぶだけで,神経をすりへらしてしまう.そん な不自由な立場に身を投ずるよりも,自由な発想で 手足を動かせ,先輩達との無用な摩擦や反目が起き ず,しかも自分の個性が生かせる独創的な研究をし たい,という思いが強かった.  満足な研究設備がない劣悪な環境の中で,世界の 耳目を集めている最先端分野への参加を目指せば, 負け戦の連続となり生き甲斐がない.山梨県という 狭い範囲に都市部から3,000メートル級の山々に至 るまで,さまざまな生態系が広がる土地柄を生かし た研究をしなければ絶対に損だ,という潜在意識も 持っていた.もうひとつの希望は,研究材料には欠 かせない素性が確かな微生物を得ようとすれば,そ れを供給してくれる機関が手近に存在してほしいと いう願いだった.ソレヤコレヤを満たす内容を求め て文献を調査した末に,世界中を見渡しても僅かな 数の専門研究者しかいない,土壌酵母を研究対象と して選んだ.なお,土の中を通常の生息場所とする 酵母を土壌酵母とよんでいる. 4.土壌酵母は細胞内に油脂を蓄積する  実験に使用した土壌酵母菌株は,当時の工学部付 属発酵化学研究施設(通称は発研)の後藤昭二先生 から分与していただいた.自然界に生息している微 生物は,文字通り千差万別の環境に適応して生活し ているから,同じ種に属しているが分離源が異なる 複数の微生物の間には,数多くの差異を見出せる. したがって,研究に使用する微生物は,分類と保存 を専門にする公的機関で純粋培養された,特定の菌 株を分譲してもらうのが通例である.この手続きを 踏まなければ,新しい発見があったとしても他人が 追試確認をできない不都合がおこる.幸いなこと に,発研はそうした公的機関のひとつであった.  土壌酵母が発見されたのは1946年である.アメリ カのR.L. Starkey博士が空中の窒素ガスを栄養源 にできる細菌(窒素固定細菌)を土壌から分離する 目的で実験していた.本来の目的であった窒素固定 細菌がコロニー(集落)を作って生育したあとに, それまでには見たこともなかった酵母のコロニーが 出てきた.いかにも酵母らしい形態を持った細胞の 内部に,食用としても利用できる油脂(oil, fat)を 油滴状(脂肪球とよぶ)にして蓄積していた.この 酵母の油脂を蓄積できる性質と,発見者の名前を記 念して,のちにLi、ρomyces stαrkeyiという学名が 与えられた.  私が研究材料にしたのは,このLipomyces star− keyi(以後L. stαrkeoriと略記する)に属するIAM 4753と記号番号を付けられた菌株であった. 5.土壌酵母の油脂蓄積量を制御する  医学の世界で病気の原因を解析したり治療法を開 発するときには,しばしば特定の症状(例えば肥満 や脳血管障害)が必ず発現する遺伝的性質をもった 実験動物を使用する.この原理をL.stαrheyiに適 用しようとした.細胞内に油脂を間違いなく大量蓄 積する培養環境条件を設定できれば,酵母が肥満す ると表現できる細胞内脂肪蓄積作用を抑制する医薬 品を開発する手段になる,と夢(研究目標)を描い た.  結果的に見れば,肥満防止薬の開発は実現できず に終わってしまった.ところが,この研究目標に 沿った実験を研究の初期に行なった成果が,その後 の研究方向に大きな指針を与えてくれた.第一・に, 培養液の中で増殖した酵母の菌体サイズを測定した り,菌体内部の脂肪球を単離して,その組成を明ら かにする新しい方法が開発できたので,自分達が必 要としている技術は自分達で開発する自前精神を醸 成できた.第二に,酵母を様々な環境条件下で培養 する技術が習得でき,酵母が生活している姿を全体 像として理解する研究姿勢が身についた.第三に, 微生物が自然界で生活している場はどのような条件 が満たされているところかを考察する生活習慣がつ いた.自然界から有用微生物を分離する方法に工夫 をこらし,分離した微生物を研究室内に移した後 で,培養方法にいくつかのアイデアを盛り込めば, 発酵工業全体に寄与できるだけの視野と独自の技術 が持てると自信がついた. 6.最少培地 微生物生理学の出発点  生物が無生物と区別できる最大の相違点は,自発 的に子孫を作るところである.微生物といえども, 子孫を残すためには,あらん限りの能力を総動員す る.生存し増殖するのに必要な最少限度の栄養源し かない環境では,微生物は自分の細胞を作っていく のに必要なほとんど全ての物質を自分の力で作り出 さなければならない.それをするには何億年にもわ たって受け継いできた遺伝子を総動員させ,機能単

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位として活性を発揮するタンパク質を作り出さなけ ればならない.ここでいう最少低限度の栄養源で構 成された培地を,最少培地という.  私が企画した研究では,最初にIAM4753菌株の 最少培地を決定し,そこへ何を余分に加えるか,反 対に何を欠乏させれば,細胞内部の油脂蓄積量が増 大したり減少するかを綿密に調査するところから始 まった.このように,生きている微生物の栄養条件 や温度,酸素供給量などの生活環境を計画的に人為 変化させ,その変化に応じて微生物の形態や代謝生 産物の種類,あるいは量の変動を調査する作業から 生命活動の本質に迫ろうとする研究分野を,微生物 生理学という.  L.stαrkeori IAM4753株の最少培地の構成は,唯 一の有機栄養源としてグルコース,そして無機栄養 源として10種類ほどの塩類だけでよかった.この最 少培地へ過剰気味に鉄,亜鉛,マンガンの塩類を与 えると,増殖だけは活発になるが細胞内脂肪球の大 きさは極端に小さくなった.反対に,亜鉛とマンガ ンの塩類を減少させると細胞増殖は抑制されるが, 細胞内脂肪球の大きさは目を疑うほど大きくなっ た.

7.酵母細胞内に形成される脂肪球を分離精製

  して組成を明らかにする  生体試料中に含まれている脂質量を定量するに は,大変古典的な方法が使われていた.試料を有機 溶媒で繰り返し抽出し,その有機溶媒を揮発させた 後に残る抽出物を重量測定していたのであった.  1970年代の山梨県中巨摩郡昭和町,田富町付近に は,昔ながらの屋敷林に囲まれた中に自家用野菜を 栽培する畑と,石灯籠を中心にした庭を持つ農家が あった.そのような農家の構えの中では農薬を使わ ないので,庭とその周辺では大型のカタッムリがた やすく見つかり,一度訪問すれば100から200も採取 できた.採取したカタツムリの腸管を取り出すと, そこには黄色からオレンジ色がかった消化液がつ まっている.この消化液には酵母の最外部を包んで いる硬い細胞壁をきれいに消化分解する力がある.  カタツムリの消化液でL. stαrkeyiの細胞壁を溶 解させ,むきだしになった柔らかい膜に包まれた細 胞に軽い浸透圧ショックを加えると,細胞内にある 核やミトコンドリアなどの細胞内器官(オルガネ ラ)と共に脂肪球が出てきた.遠心分離機を用いて 注意深く分画すると,脂肪球を単離できた.脂肪球 の組成を分析すると,外周はリン脂質とタンパク質 で構成された膜であり,その内部は食用にもなる油 脂(トリアシルグリセロール)であることが証明で きた.

8.少量のL.starkeyi細胞中に蓄積された油

  脂量を定量する方法を開発  前項に記した有機溶媒抽出に続く重量測定で酵母 菌体内に蓄積された油脂量を測定するには,ひとつ の測定値を得るのにグラム(g)単位の菌体を研究 室内で培養する大作業が必要だった.この問題点を 解決する手段を考案しなければならなかった.  その頃,血液中や尿中の特定物質量を測定して健 康状態を診断する,臨床検査薬が安価に入手できる ようになった.臨床検査薬のひとつに,幾種類かの 酵素と化学試薬を組み合わせたキットを用いると, 血液中の中性脂肪(トリアシルグリセロール)量を 発色の強さに置き換えて比色定量できるように工夫 されていた.これを使うことを前提にすれば,少量 の酵母細胞を残らず破砕して,細胞内部の油脂をム ラ無く分散させる手段の開発こそが,研究進展のカ ギになると気がついた.紆余曲折はあったものの, 約1年後に目指した手段を開発できた.この臨床検 査試薬を使う方法では,ミリグラム(mg)以下の 酵母を試料にして細胞内に蓄積された油脂量を正確 に定量できた.  この新しい定量法の原理を付記する.正月におせ ち料理に付きものであるカズノコをほぐして酵母と みなし,その1粒ずつを両手の親指の爪の間に挟 み,力を加えてつぶす作業をイメージする.そのよ うな作業を機械的に行うと考えればよい.この方法 で使った装置は直径5センチ(cm)ほどの塔の上 に水平になるように固定輪がついている.その固定 輪の外側に幾つもの試験管を装着した状態で上下左 右に激しく動かして,試験管内の物質を撹拝する目 的で作られていた.その撹拝物質を水に懸濁した酵 母と直径1mmのガラスビーズにしたのである.そ の作動原理から,ここで開発した酵母細胞の破壊法 をタワーミキサー法と名づけた.

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9.L. starkeyiが油脂を蓄積する生化学的機構   の解析 高くなり,その高いイオン濃度が脂肪酸生合成に必 要な数種の酵素の活性を著しく阻害することが分 かった.  L.stαrleeyiが細胞内部に脂肪球として蓄積する 脂質は,食用にもなる油脂(トリアシルグリセロー ル)であり,細胞への蓄積量は培地に加える鉄,亜 鉛,マンガンの濃度で人為調節できる.この人為調 節が出来る事実を利用すれば,この酵母はなぜ油脂 を蓄積しやすいのか,という疑問に答える生化学的 機構が解析できるはずである.トリアシルグリセ ロールを生物が細胞中で合成(生合成)する道筋 (生合成経路)は熟知されており,その何段階にも およぶ生合成反応の積み上げの,どの段階で亜鉛や マンガンの濃度がどのような様式で作用しているか を特定しようとした.  生物の細胞中で化学反応が進むときは,酵素と呼 ばれる触媒機能を持ったタンパク質が関与する.酵 素は複雑な立体構造をもっていて,その立体構造が これから作用するべき相手(基質)を厳密に選び, たったひとつの働きかけ方(副反応を伴なわない反 応を進行させる)をし,できた物質(生成物)は一 種類の物質に限定されるようになっている.個々の 酵素タンパク質が触媒となる反応(酵素反応)を調 査するには,第一に細胞を破壊して,細胞内部に隔 離収納されている酵素タンパク質を細胞外部へ取り 出さなければならない.この細胞を破壊する手段と して,前項に記したタワーミキサー法を採用した. 少量の酵母から酵素を抽出できる確かな方法を開発 したと報告した論文は,200を越える別刷請求が世 界中から飛び込んだので,予め用意しておいた部数 をたちまちのうちに使いきってしまった.  培地に与えた唯一の有機化合物であるグルコース が,油脂の基本単位である脂肪酸になるまでには, 約20段階の酵素反応が必要である.その周辺の酵素 反応を加えて,40あまりの酵素反応が進行する速度 の測定を目的とした実験を行なった.培地へ鉄,亜 鉛,マンガンを高濃度に加えて油脂生成を抑制した 細胞と,これらを低濃度にした培地で油脂の蓄積を 活発に行なっている細胞とから得られた酵素の活性 を比較したのである.さらに,酵素の活性を測定し ている試験管の中へ亜鉛やマンガンを追加的に与え て,酵素活性がどのように変化するかを綿密に調べ た.これらの実験結果から,培地に亜鉛とマンガン を高濃度に加えると,細胞中でも両イオンの濃度が 10.胞子形成を忘れてしまったL. starkeyj’に潜   在能力を思い出させる  L.stαrleeyi IAM4753菌株は, IAM(lnstitute of Appplied Microbiology)の記号が示すように,東 京大学応用微生物研究所が配布元になっていた.そ

のIAMで何らかの不都合があったらしく,突然

4753菌株の分譲を停止してしまった.その機会に, 私達は研究に使う菌株を世界の標準菌株であるL. stαrleayi CBS1807へと切り替えた.  CBS1807菌株をオランダの研究機関から入手し て,先ず行なったのは胞子形成試験であった.先に も(第1項)書いたように,酵母の分類学で最も重 要なのは胞子を作るか,作らないかである.L. stαr− keyiを代表種とする.Lipomorces属の酵母はカビの 仲間の子嚢菌系酵母であり,胞子とそれを内蔵する 袋(子嚢)を作れるのが当然であると理解されてい た.ところが,酵母の分類と種の同定法を扱った書 籍に従って胞子形成試験を何回繰り返しても,書籍 に掲載されている写真のような胞子は観察出来な かった.かねがね,酵母を長期間人工環境で継代培 養を続けると胞子を作る能力を失うことがある,と 聞かされてはいた.その現象が今ここで起きている とすれば,世界の標準菌株であるCBS1807は,も はや生物学上の標準としての価値を失っている,と 考えなければならない.裏側から表現すれば,この CBS1807に胞子を作る能力を復活させられれば,こ の菌株は世界の標準菌株としての価値を持ち続けら れることになる.私は,この菌株が忘れてしまった 胞子を形成する能力を思い出させる手立てを用意し てやろう,と決心した.  酵母に胞子を形成させる際に使用する培地の多く は,天然物の水抽出物を希釈して用いている.その 手法にならい,身近で手に入る植物から水抽出物を 作り,次々と試験する宝探しを始めた.この実験を 担当した修士学生は,最初の1年間は全く成果ナシ でおわり,精神的疲労から研究室へは滅多に顔を出 さなくなった.そのころ私は,その学生がペン画を 最も得意な趣味にしていることを知った.ある日, 彼を私のオフィスへつれてきて,これから列挙する 10個ばかりの天然物を材料にして胞子形成試験を行

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い,その試験経過中に光学顕微鏡で観察した内容を 細大漏らさずペン画にして提出するように伝えた. その10個ばかりの天然物に大豆が入っており,その 抽出物を培地として(大豆培地)使うと,待ちに 待っていた胞子形成がおきた.件の修士学生がペン 画のスケッチを示しながら,色白な顔を赤く染め, 文字通り喜色満面で報告した姿は,忘れ難い思い出 である.  大豆培地の組成を分析し,その組成を化学試薬に 置き換えても胞子形成(△scus Eormation)は観察 できた.実験室で化学試薬を調合するだけで簡単に 作れる胞子形成用合成培地として,AF培地と呼ん

で発表した.大豆培地,AF培地がLipomorces属

酵母の胞子形成に適している謎を解析したところ, 酵母がこれらの培地で増殖する全期間(約3週間) を通じて,培地のpHが6以上に保持できる組成に なっていたことがわかった.

11.土壌からLipomyces属酵母を選択的に分

  離する技術  胞子を作るか作らないかが酵母分類学の入り口な ら,作られた胞子の形態から種を決定できるのが Lipomyces属酵母の特徴になっている.前項に述 べた研究でL.stαrleeyi CBS1807に胞子形成を誘導 する大豆培地,AF培地ができたからには,これら の培地がLipomyces属の全ての種にも有効である かを確かめた.幸いにも結果は合格であった.その 結果を利用すれば,自然界(野外)から新しく分離

したLipomyces属酵母をAF培地で培養し,形成

された胞子を走査型電子顕微鏡で観察するだけで種 の決定まで進める.残されている課題は1グラム (g)の土には細菌とカビを中心にして1億もの微 生物が生息しているという常識を克服して,極めて 少数しか生息していないLipomyces属酵母だけを 選択的(特異的)に分離する方法が開発できるかに かかっていた.  酵母分類学の成書を精査する作業から,3つのヒ ントが与えられた.はじめに,世界で初めてLipo− myces stαrleayiを分離したStarkey博士の実験で は,窒素を含む栄養源を与えていない培地を使用し た実績であった.次に,1,000ppmのシクロヘキシ ミド(タンパク質の生合成を阻害する抗生物質)に 耐性をもつこと.第3に,コロニーは粘性と流動性 がある多糖で覆われるので,見かけ上はキラキラと 光り輝くという記述であった.それらへ付け加えれ ば,それまでに私達が行なった微生物生理学の実験 から,Lipomorces属酵母はpH 2という強い酸性の 培地の中でも生育できる,と確信していた事実だっ た.窒素源を与えない培地を使えば,空中の窒素ガ スを栄養源として利用できる窒素固定細菌と,試薬 類の中に不純物として極めて微量に含まれている窒 素化合物を栄養源として利用できる特殊なカビと酵 母だけが増殖できる.pH 3以下では,一般に細菌 や放線菌は増殖できず,1,000ppmのシクロヘキシ ミドの存在下では,大部分のカビが増殖できない. これらの制限事項を乗り越えて増殖してコロニーを 作れるのは,Lipomyces属酵母ぐらいであろうと いう目算を持った.  最終濃度の2倍濃度にした窒素源を与えない(無 窒素)pH 3の液体培地を用意し,もう一方で寒天 を目標濃度の2倍にした寒天ゲルを作る.この両者 を加温して綺麗に溶解させたのち,等量ずつ混合す る.その混合の際にシクロヘキシミドを1,000ppm になるように加えてからシャーレに適量ずつ分注 し,室温まで自然放冷しながらゲル化させる.この ような寒天で固化させた培地の表面に,自然界から

採取してきた少量の土を均等に分散させたの

ち,25℃に加温しておくと,約1週間後には寒天培 地の表面に水玉のように輝くコロニーが出現する. その出現数は定量的であり,Lipomyces属酵母の 生息密度を求める目的には十分な精度をもった実験 方法が実現できた.

12.酵母分類学の新展開を学び,国内における

  Lipomyces属酵母の分布を調査

 酵母を分類するには,細胞と胞子の形態観察,ど のような物質を栄養源にして生育したりアルコール 発酵ができるかを調査する生理学試験,細胞呼吸に 用いられるキノン系分子の種類や遺伝子(DNA) の構造を調べる分子分類試験等の結果を総合して判 断している.これまでの研究経過から,顕微鏡を用 いる形態観察と生理学試験に関しては,私達は分類 学へ参入するのに求められる十分な経験を持ってい た.生体物質の分析にはある程度の技術蓄積はあっ たものの,DNAの抽出と構造解析の経験は浅かっ た.1990年代に入って,そのDNAの構造解析(塩 基配列順序)こそが生物の種を同定する必須手段と して登場したのである.

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  「ここでDNAを取り扱わないと,先輩達が積み 上げてきたLipomyces属酵母の分類学を完成でき ない」という,研究熱心な卒論学生の危機感に満ち た声に押されるようにして,本格的にDNAを取り 扱うことになった.その年度の終わる頃になって, 危機感を訴えていた学生の並々ならぬ努力の積み重 ねが実り,純粋なDNAの抽出に成功した.五ρo− myces属酵母は細胞外に粘性を持った酸性多糖を 分泌し,その化学的性質がDNAと類似している. 細胞からDNAを抽出するときに,その粘性酸性多 糖が混入しやすいので,純粋なDNAはほとんど手 にできないだろうと,私は半ばあきらめていた.純 粋分離に成功した卒論学生は,一般的なDNA抽出 技法に綿密な考証を加え,さらに実験操作の一段階 ごとに注意深く試料を観察した結果,DNA中に不 純物として混入しやすい粘性酸性多糖の除去に成功 した.  細胞の中にあるDNAは二重らせんを構成してい る.その意味するところは,DNAの塩基組成を分 析すれば,Aの分子数とTの分子数は等しく, Cと Gの分子数も等しい.生物の形態や性質を決定して いるのは遺伝子であるから,種が異なれば遺伝子の 構造(DNAの塩基配列順序)は異なり,その遺伝 子の塩基部分の組成比(モル分率)を分析してCと

Gの分を合計したGC含量(モル%)は,当然異

なってくるはずである.したがって,酵母の種を同 定するにはGC含量を測定して記載するのが,ひと

つの約束事になった.GC含量はモル%であるか

ら,0から100までしかない.数値の小さな差異を 問題にすると必然的に限界が出てくる.そうした欠 点を補う手段として提案されたのが,DNAの相同 性試験である.

 もしも,種が異なる生物から抽出した1本鎖

DNA同志を混合したとすると,二重らせんは作り にくい.2種類の生物が共通の祖先を持つならば,

混合した1本鎖DNA同志の一部分は二重らせんに

なるが,残りは二重らせんにならない.二つの種が 共通の祖先からそれぞれの種へと分化が起きた時代 が近いほど,二重らせんを作る部分が多くなる.こ の二重らせんを作る比率から,いま比較している生 物が同一の種であるか,異なる種であるかがわか る.ここでも0∼100%の比率という制約が付くの で,さらに厳密性を追求する方法が考案された.  長いDNAの中の特定領域を切り出して,その部 分の塩基配列順序を比較する方法が絶対的に信頼さ れるようになった.塩基配列順序を解析する対象に なるのは,全ての生物が持っている共通した機能を 担当しているDNAでなければならない.単細胞生 物から高等生物まで,共通している機能はタンパク 質合成である.その生合成の場になっているところ が,リボソーム(ribosome)といわれる幾つかの タンパク質とRNAが複合的に組み合わさって構成 されている細胞内器官である.リボソームを構成し ている物質群のうち,18S(S:遠心分離機で大き な重力をかけて液体中に浮遊している物質を沈降さ せながら,その沈降速度から物質の分子量を計算す るのに用いる単位)という大きさをもった部分の中 心的部品になっているRNAを作るのに必要な情報 を担っているDNA部分(18SrDNA)を取り出し, そこの塩基配列を分析して比較するのが酵母の分類 同定では定法になった.  L.starkeyi CBS1807から抽出したDNAを標準 として,山梨県内を含む日本各地の土から新たに分 離したLipomorces属酵母を新たな研究材料として

GC含量, DNA相同性試験,18SrDNAの塩基配列

順序をもとめた.それらの結果から,日本各地に分 布しているLipomorces属酵母の約75%はL. stαrkeyi であり,残りがL.kononenkoαe, L. tetrαSρorUS, L.」’αponiCUSだった.アメリカとヨーロッパからは 分離例が多いL.lipoferは見つからなかった. L. ノαρoηjcμ8は25年ほど前に日本の研究者が自宅付近 の土を南アフリカの研究者に送り,そこから発見さ れたという歴史をもっていた.その後は南アフリカ の土から2菌株が分離されていたものの,日本の土 からは新しい菌株が分離された報告がなかった.そ れが,はからずも山梨県の桃畑の土から分離できた のは幸運であった.  L.stαrkeyiは1メートル離れた地点から分離し た菌株の間でさえ,パルスフィールドゲル電気泳動 (PFGE)で調べると,染色体の構造に大きな差異 が出てきた.ところがL.」αρoη‘c碗は,日本産菌 株と日本からは約2万キロメートルも離れた南アフ リカから分離された菌株の間に,染色体構造には殆 ど違いがないという,意表をつかれるような発見も あった.

13.Lipomyces属酵母が生産する粘性酸性多

  糖の施用で農産物の増収 L.stαrkeyiは粘性がある酸性多糖を作るので,

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細胞からDNAを分離するときには邪魔な存在であ ると述べた(前項).見方を変えて,土壌中に生息 しているこの酵母が果たす生態学的機能を考える と,この粘性酸性多糖こそが最も大きい意味を持っ ているように予測された.土壌は水の中で長時間浮 遊して沈まないほど微小な鉱物粒子が主体をなし, 少量の動植物の遺体断片が加わっている.それらの 構成要素の表面や間には空気が入り,水が毛細管現 象で保持されている.仮に,乾燥した微小鉱物粒子 が集合している中へ蜂蜜が一滴だけ落ちれば,蜂蜜 を粘着材として多数の微小鉱物粒子が集まって集塊 になる.ここで比ゆ的に表現した蜂蜜の代わりに, 動植物の遺体を栄養源にしたL.stαrheoriが粘性酸 性多糖を生産して分泌したと考えれば,この酵母を 中心にして土壌鉱物粒子の集塊ができる.このよう な集塊を土壌肥料学では団粒とよんでいる.  L.starleayiの中から粘性酸性多糖を特に作りや すい菌株を選抜し,上手に液体培養すれば,液体培 地中に与えたグルコースの70%以上が粘性酸性多糖 に変換され,培地中に蓄積される.これを濃縮粉末 化して畑の土に少量混ぜれば,畑の土が団粒化す る.団粒は土壌鉱物粒子にくらべればはるかに大き いから,団粒と団粒の間は空気が通りやすく(通気 性がよい),その隙間には草木の細い根も入りこめ る.一時的に大量の雨が降った場合には,大きな隙 間を通って水が流れやすい(排水性がよい).根は 呼吸に必要な空気を隙間から得やすいばかりか,粘 性酸性多糖には保水力があるので水も得やすい(保 水性がある).この多糖は酸性であるところにも意 味がある.植物にとって肥料成分になる無機栄養分 の多くは,陽イオンになる性質がある.そのような 陽イオン類は多糖の酸性部分とゆるやかに結合し て,雨水にさらされても流出しない(保肥性があ る).多糖が示すこれらの諸性質は,いずれも植物 の生育にとって好ましい.  予測される内容からは,畑にL.starkeyiが生産 する多糖を適量施用すれば,少ない肥料で作物が生 育し,収穫量が増えるはずである.この内容を実験 仮説とし,それを実験的に証明しなければならない のが科学である.そこで,実験用圃場をつくり,そ の圃場を上記の多糖を施用した部分と施用しなかっ た部分とに分けて,大麦と小麦を播種した.多糖施 用区は発芽率こそやや低かったものの,その後の生 育は目覚しかった.最終的な施用区の収穫量は,非 施用区に比べて大麦で2.5倍,小麦で1.5倍になっ た.  圃場を使った穀物栽培に限定せず,工学部の屋上 を利用して葉菜類や果菜類などをフラワーポットで 栽培試験した.いずれも予想以上の増収になった. その研究に興味をもった南陽理工学院(中国の河南 省)の院長先生が,わざわざ私の研究室まで実情を 見に来られた.翌年には同学院から訪問研究員が派 遣され,1年間滞在し,技術を習得して帰国した. その翌年には,私が家内同伴で招かれて,中国各地 で講演する機会に恵まれた. 14.分子生物学への踏み込み  私の研究姿勢は,生物が生きている姿(換言すれ ば生命現象のおもしろさ)を全体像として理解する ところにあったから,積極的に分子生物学に踏み込 もうとはしていなかった.ところが,大変優秀な学 生だった一人が,どうしても分子生物学を研究課題 にしたいと主張した.私自身にも,大学院学生にな るときに指導教授の意向に逆らって自分の希望を実 現させた記憶があるので,その学生の希望を受け入 れることにした.研究課題にしたのは,エリスリ トールという糖アルコール(通常の糖は構成してい る原子の組成比がC。H2。Onであらわされるが,糖ア ルコールは水素が2個増えてC。H2。+20nとなり,水 素が増えた分だけ糖よりも還元されている)をL. starkeoriが適応的に栄養源にする現象の第一段階に 作用する酵素を精製し,作用機構を解析すること だった. 15.過去の経験と最新技術を組み合わせて前進  酵母細胞がエリスリトールを細胞内部へ取り込ん でから,これを唯一の有機栄養源にする能力が有る か,無いかは,酵母の分類学では重要な指標になっ ている.それにもかかわらず,代謝経路はまだ知ら れていなかった.私が予想した代謝経路の第一段階 は,糖アルコールから脱水素(水素をうばう,すな わち酸化)して糖に変換するという生化学反応だっ た.その酵素の仮の名称をエリスリトールデヒドロ ゲナーゼ(erythritol dehydrogenase:EDH)とし た.  初めに遭遇した難関は,エリスリトールを唯一の 有機栄養源にした培地へL.stαrkeyiを植えついで も,その環境に適応して菌体の増殖へ至るまでの速

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度が培養フラスコ毎に違ってしまうという現象だっ た.そうなると酵素を取り出すのに十分なだけの菌 体を集められない.その事態に対しては,それまで にたっぷりと経験を積んできた微生物生理学の実験 手法で乗り切った.集めた菌体をタワーミキサーで 破壊し,遠心分離した上澄み部分を粗酵素液とし た.EDHの補酵素がNAD+であることは間もなく 分かった.精製には硫安塩析が極めて有効であっ た.  EDHが触媒として働く反応は,生成物が少量し かできない性質を持っていたので,反応生成物の化 学構造を決定するのが難しかった.そこで塩析で得 た部分精製酵素を使い,30年ほど前に習得しておい たNAD+をリサイクル使用しながら反応生成物を 蓄積させる実験系を組み立てて,大量取得に成功し た.大量取得した反応生成物を高速液体クロマトグ ラフィー装置で徹底的に精製した.精製品のNMR スペクトルをとって化学構造を解析した.つづいて 京都大学の化学研究所で,少量試料で測定できる旋 光計を使わせていただいた分析によって,L一エリ スルロースが反応生成物であると判明した.  硫安による塩析で得た部分精製酵素を各種クロマ トグラフィーとポリアクリルアミドゲル電気泳動で 精製を重ね,単一のタンパク質にまでした.そのN 末端からアミノ酸配列順序を分析していくシークエ ネーター(sequenator)にかけて, EDHタンパク 質の構造解析にまで進んだ.そこまでの成果が挙が るには,初めに分子生物学を研究課題にしたいと訴 えてきた学生以外に,松郷誠一教授,講師の長沼孝 文さん,助手の西村克史さんとその友人達,そして 何人かの修士,卒業論文学生などの協力があった.  紙面の関係でここには記載しきれないが,学術研 究を実際に微生物工業に応用する試みも積極的に 行ってきた.L. stαrkeoriを効率よく培養する無発 泡好気培養装置の開発はその一つである.発酵タン ク内に張りめぐらした酸素透過性の高いシリコンゴ ム製のチューブを介し濃縮した酸素を供給すること で,培養の妨げとなる泡の発生を抑えることに成功 し,粘性酸性多糖の大量生産に目処がついた.この 技術は山梨TLOを通じて目下特許申請手続き中で ある.そして,2003年度春の学会で報告する予定で ある.ようやく工学らしい実験データが出てきたと ころで定年を迎えた.これから先は企業にお任せし ようと考えている.

参照

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