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シュティルナーの「原理」における教養批判 ~人文主義と実科主義をめぐって~

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(1)

シュティルナーの「原理」における教養批判 ∼人

文主義と実科主義をめぐって∼

著者

成田 龍一朗

雑誌名

教育思想

48

ページ

37-55

発行年

2021-03-31

URL

http://hdl.handle.net/10097/00131790

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シュティルナーの「原理」における教養批判

~人文主義と実科主義をめぐって~ 成田龍一朗(東京大学大学院・院生) はじめに 問題の所在と本稿の目的 1 「原理」の思想史的来歴と目的 2 人文主義と実科主義の特質 3 人文主義と実科主義への批判 おわりに 「原理」の教養批判の現代的意義

はじめに 問題の所在と本稿の目的

本稿ではマックス・シュティルナー(Max Stirner, 1806-1856)1の通信員時代 を代表する論文「現代教育の誤った原理――人文主義と実科主義Das unwahre

Prinzip unserer Erziehung: Der Humanismus und Realismus」(以下「原理」)で展

開された教養批判について検討する。 シュティルナーはその主著『唯一者とその所有』(以下『唯一者』)におい て反教育思想を展開したことで知られる。シュティルナーの『唯一者』まで の思索の変遷はヘーゲル主義期、ヘーゲル左派期、唯一者期と大別すること ができる。冒頭で述べた通信員時代とヘーゲル左派期は概ね一致すると言っ てよいだろう。「原理」は『ライン新聞 Rheinische Zeitung』において、1842 年の4 月の 10 日、12 日、14 日、19 日と四回にわたって掲載された論文であ る。シュティルナーはこの時期ヘーゲル左派の一角としてジャーナリストと して活動しており、『ライン新聞』や『ライプツィッヒ一般新聞 Leipziger Allgemeinen Zeitung』などに寄稿していた。しかし、その記事の多くがあく まで新聞の通信員として書かれた記事であり、シュティルナー自身の思想が 主題として体系的に語られているものは多くはなかった。その中でシュティ ルナー自身の思想を主題として表しているともいえる論文の一つが「原理」 である。この「原理」について、マッケイも「通信という境界をはるかに超

1 本稿でのシュティルナーの引用文献は、以下の文献によった。Max Stirner, Max

Stirner's Kleinere Schriften Und Seine Entgegnungen Auf Die Kritik Seines Werkes: "der Einzige Und Sein Eigenthum" Aus Den Jahren 1842-1848, London,2018.(KS と略記)

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えている」2のであり、「シュティルナーの小著の中で最も価値があり、最も 意義がある」3と指摘する通り、シュティルナー自身の思想が中心に語られて いる著作と言うことができる。「原理」はこの時期のシュティルナーの教育思 想のみならずシュティルナーの思想それ自体を知るためにも重要な論文なの である。また、「原理」の教養批判はヘーゲル左派期を代表する論文でありな がら、内容的に『唯一者』の反教育的視点を先駆けていると言うことができ、 既にこの時期に教養批判を展開したことは教育思想史上においても注目に値 する。例えばカストは「原理」の反教養批判を『唯一者』の反教育思想と同 列の線で捉えている4。一方で、「原理」で展開される教養批判は『唯一者』 ではなされない細かい粒度での教養分析が行われており、シュティルナーが 当時の教養をどのように捉えたのかを検討する意味でも意義がある。しかし、 カストが「シュティルナーのこの論考を扱ったほとんどの研究が『唯一者』 との類似性を認識している」5と指摘するように、「原理」の研究は主として 「原理」において教養批判と並ぶもう一つの主題である人格主義の議論と唯 一者の連関が対象とされてきた。教養批判については、詳細な研究は教育学 的見地からの検討が必要であるという制約上十分に行われてこなかった。確 かに、「原理」はアナーキズムの反教育思想という文脈では度々言及されてき た6が、それがどのような文脈で語られたものであったのかということ、思想 史的来歴や近代教育制度の確立、教育学の成立などの当時の教育状況を踏ま えた形では検討されてこなかったのである。本稿の目的はこれら状況に立ち 入る形で「原理」の教養批判を検討することにある。 「原理」での教養批判は具体的には人文主義と実科主義という当時の教育 原理の検討と批判に占められる。本稿ではまず、第一節で「原理」の来歴と 射程を示す。第二節では「原理」で検討された教養の特質を明らかにし、第 三節ではその検討を踏まえてなされた教養批判を見ることとする。そして、 「おわりに」では「原理」の教養批判の現代的意義を検討する。

2 John Henry Mackay, Max Stirner: sein Leben und sein Werk, Freiburg/Br.,1977, S. 106. 3 KS 234.シュティルナーの小著集の中のマッケイの解説。

4 Bernd Kast, Max Stirners Destruktion der spekulativen Philosophie: Das Radikal des

Eigners und die Auflösung der Abstrakta Mensch und Menschheit, München, 2016. 5 a.a.O, S.85.

6 例えば、ルース・キンナ著、米山裕子訳『アナキズムの歴史 支配に抗する思想と

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1 「原理」の思想史的来歴と目的

本節では「原理」の思想史的来歴や「原理」が書かれた経緯を明らかにす る。思想史的来歴については、シュティルナーの教養批判の前史となるヘー ゲル左派思想との関係を概観することで「原理」の思想史的位置づけを明ら かにする。経緯については「原理」の書かれた経緯と共に、その射程につい ても明らかにする。 まず、シュティルナーの教養批判の前史となるヘーゲル左派思想について 概観しておきたい。シュティルナーの教養批判は唐突に現れたものではなか った。シュティルナーの教養批判を先駆けるものとしてヘーゲル左派におけ るアーノルド・ルーゲのロマン主義批判7やブルーノ・バウアーの学殖 Gelehrsamkeit・ラテン語批判8などが挙げられる。これらの論を詳しく論じる のは別の機会を待たねばならないが、結論だけ述べておけば、ルーゲにおい て念頭に置かれたのはロマン主義全般であり、バウアーが学殖ということを もってまず念頭に置かれているのは大学での話であった。バウアーのラテン 語に対する批判はギムナジウムも念頭に置いているだろうが、それはあくま で大学の入学準備機関として捉えられたものであり、学校教育機関という捉 えられ方の上での批判ではなかった。以上のような批判対象という側面で見 ると、シュティルナーが「原理」で展開した批判の特徴はこれらの批判の方 向性を当時の学校教育に向けたことが挙げられよう。ここには彼の処女論文 である「学則についてUeber Schulgesetze」からの一貫した教育への関心9と共 に実際教育現場に身を置いていたということが大きい。しかし、シュティル ナーの教養批判は両者の教養批判からの領域の発展という範疇に収まるもの ではないことも、例えば両者が言及の影を見せてなかった実科主義批判が展 開されたことなどから予期されよう。 さて、「原理」はハインシウスによる「国家の視点から観察された学校と人 生との調和、あるいは人文主義と実科主義の調和」という著作を契機に書か れたものである。当時代表する教育原理として(新)人文主義と実科主義が

7 Arnold Ruge, Der Protestantismus und die Romantik in; Hallische Jahrbücher für deutsche

Wissenschaft und Kunst 3-4, Leipzig, 1839-1840.

8 Bruno Bauer, Die posaune des jungsten gerichts über Hegel: den atheisten und antichristen.,

Leipzig, 1841.(ブルーノ・バウアー著、大庭健訳「ヘーゲルを裁く最後の審判ラッパ」 良知力・広松渉編『ヘーゲル左派論叢 第四巻』御茶の水書房、1987 年。)

9 この点に関しては、成田龍一朗「シュティルナーの『学則について』の一考察」『教

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二大潮流として存在し、論争が広げられていた。ここでは(新)人文主義と 実科主義の中身や実科主義の台頭過程を細かに描くことはしないが、従来の 教育原理である(新)人文主義に対して実科主義が産業革命などの後押しを 得て台頭し、1832 年には実科学校規定が発令され、上級実科学校と実科ギム ナジウムがギムナジウムの代わりとなっていた。このような中で教育学者・ 教育者たちは(新)人文主義側と実科主義側に分かれて論争を繰り広げたの であるが、この論争の中で、両者の調和を試みた論者も少なくなった。ハイ ンシウスもその立場に属していたのである。 シュティルナーは「ハインシウスはこの小冊子の中で、どちらかとも仲た がいしようとせずに、あの寛大と宥和を以て話している」とハインシウスの 立場を位置づけた上で、「これらは辛辣な断固とした態度のみによって仕えて きたので」あり、それを調和するのは「最大の不正」となり得ると批判する (KS 238)。「『調和 Konkordate』は臆病な手段への逃げ道のみを提供する」の であり、そこには「物事の精神に反した罪」しか残さないとシュティルナー は考えるのである(KS 238)。「調和」に対しては既に「B.バウアーの最後の審 判ラッパについて」でも同様に批判されていた。この論文について先に見て おきたい。シュティルナーはこの論文で「あらゆるものにおいて、共に折り 合い、調整し、和解すべきでないようなものが何かあるだろうか!」と、当 時の状況を述べた上で、「我々はこの折り合いと柔和に長きに渡って十分に苦 しめられてきた」と指摘する(KS.11)。バウアーの『ヘーゲルを裁く最後の審 判ラッパ』(以下『ポザウネ』)で、そしてそれを踏まえてシュティルナーの この論文で問題とされる和解はキリスト教と哲学との和解である。シュティ ルナーは「和解Aussöhnung と他者と我々自身に対する詭弁の時代は終わった」 とし、「ラッパ吹きはその最後の審判ラッパで力強く闘いの合図を吹き上げる」 と『ポザウネ』を評する(KS 17)。「原理」においても、このラッパ(ポザウ ネ)の音に呼応されたものであることは間違いないであろう。シュティルナ ーはまさに教育に対してそれを挑もうとした。また、冒頭で述べた通り、教 育に挑む契機も『ポザウネ』に用意されていたのであった。 さて、具体的に人文主義と実科主義を検討していく前に理解しておきたい のが「原理」の議論の射程である。具体的に言えば、シュティルナーの実科 主義の定義が通常なされるより広いということである。通常、人文主義と実 科主義の対比の中においてはこれらの立場はギムナジウムや実科学校に当た る中等教育の中の議論とされる。しかし、シュティルナーはディースターヴ ェークや教員養成所を、さらには「幼年時代」でなされる教育を実科主義に 含めている。さらに、ペスタロッチ主義者であるディースターヴェークはギ

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ムナジウムの議論にも参入していたとは言え、主な活動場所は初等教育であ り、教員養成所も同様であったから、シュティルナーにとって実科主義は初 等教育のペスタロッチ主義の流れを含んでおり、この「原理」自体もギムナ ジウムの教育内容に留まるものではないことが理解できる。このことは第一 に実科主義をその内容ではなく、理念に着目したことに由来する。実科主義 の理念については、シュティルナーは実科主義の人文主義に対する大衆的側 面に着目した。そして、それに該当するものとしてペスタロッチ主義も含め たのである。ペスタロッチ主義も大衆側に立つ立場であるという構造的特徴 に着目して、ペスタロッチ主義も実科主義と含んだのである。つまり、「原理」 における実科主義はその定義からして中等教育の実科主義と初等教育のペス タロッチ主義を含んでいた。そして、それゆえに、実科主義を以て「幼年時 代」から教育されること、このこともシュティルナーの批判の対象となった のである。そうであるから、シュティルナーが描く「原理」の議論全体も中 等教育に留まるものではないということが留意される必要があろう。

2 人文主義と実科主義の特質

以上の前提を踏まえ上で、本節ではシュティルナーが捉えた人文主義と実 科主義の特質について、見ていきたい。シュティルナーは人文主義と実科主 義を検討した上で、両者が調和を試みていることを指摘した上で、その不可 能性を示す。 まず人文主義を見ていきたい。シュティルナーがまず人文主義的教養につ いて指摘するのが「権力Macht としての教養」(KS 239)ということである。 実科主義が現れるまで人文主義が支配していた間、それは「服従の期間 Untertänigkeitsperiode」(KS 238f.)と呼ばれるようなものであった。どういうこ とだろうか。シュティルナーは「権力としての教養..は、それが欠如した無力 さの上に所有する者を高めたのであり、同様に、大なり小なり、その集団に おいて教養があると見なされている者は権力を持つ者、支配する者、押し付 ける者としてあったのである。というのも、彼が権威..Autorität であったのだ」 (KS 239)と述べる。人文主義的教養は権力として働き、所有している者とし ていない者を分け、所有していない者を無力な者と捉え、所有している者に 権威を与えていた。さらにシュティルナーは「全ての人がこの支配と権威に 十分な資格があり得る訳ではない」(KS 239)ことを指摘する。そもそも人文 主義的教養を手に入れられるか否かは生まれによって左右されていたのであ るし、「教養は全ての人の為のものではなかった」(KS 239)と述べられる通り、 そもそもそれを前提とされていたものではなかった。ゆえに、「教養は優位を

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手に入れ、主人を作り出す。教養はあの主人の時代において、支配の手段..で あったのだ」(KS 239)と述べられる通り、人文主義的教養は支配を正当化す るための手段となっていたことをシュティルナーは指摘するのである。 シュティルナーは「18 世紀に啓蒙主義がその光を広めるまで」(KS 240)の 高等教育を描くことで、なぜ人文主義的教養が権力としての教養になったの かを、その内容と構造に立ち入ることで検討している。彼は「高等教育は異 議が唱えられることなしに人文主義者の手の中に置かれ、ほとんど古典の理 解のみに基づいていた」一方で、「その横には、同様に古代に手本を求める別 の教育が信仰し、主として相当の聖書の知識という結果になった」と述べ、 人文主義と神学に支配されていたとする(KS 240)。シュティルナーはこれら 二つの教育について 両方の場合で古典の世界の最高の教育を唯一の素材に選びだしたということ は、自身の生がいかに尊厳あるものとして与えられていないかということを、 そして、自身のオリジナリティーOriginalität から美しい形を、自身の理性から 真実の内容を創造することができるところから、まだいかに遠いいのか、とい うことを十分に証明する(KS 240) と指摘する。人文主義や神学は現在の自分よりはるか遠い古典や聖書を学ぶ ことによって「像」になることを、乃至近づくことを求める。これはその前 提として、現在の自身の生では不十分であり、尊厳が認められるようなもの ではない、という自己否定的なメッセージを発する。ゆえに、不十分な者は 「見習い」として「形式と内容を学ば..ねばならなかった」(KS 240)のである。 つまり、「私」とは全く別の者になるために、新しく生まれ変わるべく形式と 内容を学ぶ必要があった。さらに、「古典の世界が古典と聖書によって女主人... として我々を支配した」(KS 240)と述べられるように、古典と学習者の関係 は支配的である。そして、「歴史的に証明されうるものは、主人と下僕の存在 は概して我々の営みの本質であった」(KS 240)と指摘される通り、学習に不 可避な服従性が本質化されてしまったのである。そして、その構造は教養者 と無教養者にもスライドされることとなる。つまり、「教育によって、それを 所有する者は無教養者の主人となった」(KS 240)と述べられることとなるの である。では、そのように支配が正当化される人文主義的教養の内実はどの ようなものなのであろうか。当然、「その支柱はラテン語とギリシア語である」 (KS 240)とシュティルナーも述べる。しかし、これについて彼は、「死に絶え、 遥か昔に埋葬された古代の遺物は、形のみが、いわば文学や芸術の幻影が保 持された」(KS 240f.)と述べる。つまり、もはや人文主義的教養の内容は死に 絶えて形式のみが保持されている。なぜ形式しか残らなかったのか、彼は「人

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間に対する支配が形式的な優位によって獲得され、守り通されたので、この 教養は絶えず形式的であり続けることは、なくすことができなかった」(KS 240f.)と述べる。支配の正当化するために、形式は必要であったのであり、中 身がなくなった後でもそれは「形式的」には保持されてきた。ここには新人 文主義が強調した形式的教養の意味の転倒が見られる。広く万人に必要と彼 らが主張する形式的教養を、むしろその形式を保持するがゆえに支配が続い ているとシュティルナーは述べたのである。これをシュティルナーは「それ は最終的に完全に文法的な教育に堕落する恐れがある」(KS 241)と指摘し、 もはやそこに中身が無くなり完全な形式になることを、つまり、形骸化する 可能性を指摘したのである。さらに言えば、確かに新人文主義は万人への教

育を要求しはしたが、このことは逆に「民衆的教養die volkstümliche Bildung

は、民衆は教養ある主人......に対して俗人的階級.... .Laienstande にとどまり、見知ら ぬ殿下をただ感嘆して見つめ、敬わねばならない」(KS 240)ということを教 えるに過ぎなかった。万人が教育システムに組み込まれることで、一層支配 を強める構造をもシュティルナーは指摘しているのである。 続いて実科主義について見ていこう。シュティルナーは「啓蒙主義から、 この形式主義Formalismus への反対の精神が整えられ、包括的で人間的な教 育の要求は失われることのない、普遍的な人権の承認を付けくわえた」(KS 241)と述べる。啓蒙主義により形式主義による支配関係は否定され、万人を 対象とした普遍的人権が認められた。これは、「現実的で人生に根差した教え の欠如は、従来の人文主義者のやり方のせいと理解され、実践的教育の要求 を生じさせた」(KS 241)と述べられる通り、教育にも影響を及ぼすこととな った。ここでは人文主義に対抗して、実践的な教育が求められることとなる。 ここにおいては「知識の現実性がその完成である」とされ、「全ての知識は人 生でなければならず、知識も生きられねばならない」とされることとなった (KS 241)。現実の生に実際に役立つ知識が求められることとなったのである。 このような実科主義の方針は、同時に人文主義からの解放をもたらすことに もなる。「古代の遺物の古典的形式の占有は撃退され始め、それに伴って主人 の権威はその後光を失った」(KS 241)ことにより、人文主義的教養から解放 された。これにより、「教養ある主人..の奇妙な...知識をうらやむことはなくなっ た」のであり、ゆえに、「大衆は彼らの俗人的階級.....を終えた」のである(KS 241)。 では、そのような実科主義の中身はどのようなものであっただろうか。ここ では「人生が差し出す全てのものとの我々の和解の基本方針」(KS 242)が描 かれることが第一に目指された。ここから実科主義は「人生の素材を学校に 導入し、それを通して何か有用なものを万人に提供し、この人生の準備の為

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に全てを手に入れる」(KS 242)ということを目標にするに至るのである。そ こから教育内容としては二つのことが求められる。一つが「最も熱心に現代 の物事や状況に精通すること」(KS 242)である。当然人生と全てのものとの 調和を目指す限り、目の前の当のものに精通することは不可避である。そし て、その精通を基に現れる二つ目が「その世界や時代に順応する」こと、で ある。これも「あらゆる人に共通な必要」(KS 242)とされるものである。世 界や時代に順応することでより有用に生きることができるとされた。 シュティルナーはこの実科主義にも限界を見る。実科主義は「私たちがい つか取り組まねばならないあらゆる対象も、私たちにとって完全によそよそ しいものでも、私たちが克服できる範囲を超えてはならない」と述べられる 通り、ここで教えられる内容は「私たち」が克服できる範囲に限られた。こ れを超えることは有用性という観点からすれば無意味でしかなかった。そし て、「全てへの適用を見出すに違いない教育学は評判を得た」(KS 242)と述べ られる通り、教育学は上記二つの教育内容の教授を実現する方法(教授方法 論)を確立したがゆえに繁栄することになったと、シュティルナーは述べる。 ここにおいて、「あの実科主義の教育は全ての人を受け入れるから、平等..であ り、人は必要とするものにおいては経験豊かになり、それゆえに独立し、自 立するから、自由..である」(KS 242)と言われるに至るのである。実科主義の 実現により、人々は他者の権威から自立することができるようになった。し かし、それは、「その外部によそよそしいものを存在させないので、それ自身 で満ち足りる、我々の自我の統一と全能によって」(KS 242f.)であるに過ぎな かった。つまり、実科主義においては克服できない外部は否定されてしまう。 「それゆえ、その原理において、わずかばかりの知識も知らせないのである」 (KS 242f.)と述べられるが、ここにおいては自己完結した知識しかないのであ って、新たな知識はありえなくなる。そうであるから、シュティルナーは実 科主義について 自由..は確かに権威からの自立として現れたが、尚自己決定Selbstbestimmung に ついては空っぽであったのであり、それ自身として自由な........行為、顧慮なき....、す なわち、反省の流動から救われたある精神の自己啓示はまだ提供しなかった (KS 243) ここでの精神の自己啓示とは何か、ということは後で検討するが、ここでは 自由になった代わりに、自己が空っぽになってしまったという評価が明らか にされるのである。 さて、以上示してきた特徴を有する人文主義と実科主義との争いの中で、 実科主義は勝利を収めたように見えた。「形式主義的.....教育を受けた者はもはや

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一般的な教育の海面においては突出するはずもなく、自身は『高等教育を受 けた者』から『偏った教育を受けた者』へと変化された」(KS 243)と述べら れる通り、一般的な教育を目指す実科主義の前に人文主義は偏った教育とな った。しかし、「実科主義の教育を受けた全ての者も、他者との..平等や他者か. らの..自由から、いわゆる『実践的な人間......』から先へは進まないのである」(KS 243)と指摘されるように、実科主義はそこに内包されていた特徴ゆえに、「実 践的な人間」以上の人間を育てることができなかった。さらに、シュティル ナーはこの「実践的な人間」を目指すことに含まれる問題も指摘する。すな わち、「実践的な人間」を真に実現するためには人文主義を取り入れざるを得 ないという議論である。ここでは当時の教育状況は詳述しないが、事実レベ ルの問題として、プロイセンでは1832 年の「訓令」により実科学校でも「教 養身分出身の子弟」として、三年間の兵役の代わりに一年間の勤務のみとな り、さらに中級官吏職につく資格を保障されることとなり、ラテン語が教え られるようになった。実科主義はラテン語の教授を組み込むというやり方で 自身に人文主義を取り入れたのである。シュティルナーはこれに対し、「実科 主義の能力は否定されないのに、それが人文主義の長所を自身に取り入れた 時、なぜ実科主義も没落せねばならなかったのだろうか?」(KS 243)と問う。 ここで言う実科主義の没落というのは、実科学校の官吏養成学校化という側 面も含まれてはいると思われるが、むしろ、ここでシュティルナーがする議 論はさらに踏み込んで、教養の構造の議論にまで及んでいる。以下、それを 見ていこう。 まず、実科主義は人文主義の形式主義的教育を導入することで、「全ての学 習対象の生じ得る学問性や理性的な取り扱いによって、ますます容易になる」 (KS 243f.)。つまり、人文主義的教養を得ることは実科主義的教養の実現にも 役立つこととなる。この方向が「改良される」と、「実科主義は、人文主義と 同様に、全ての教育の使命が練達..を手に入れることであるということを出発 点とする」こととなり、そのことによって「敵をその強固な位置から押しの ける」ことが実現する(KS 244)。シュティルナーは 実科主義者が望むように、有益なことや有用なことのみを刻印されればよい。 しかし、そのあらゆる有用性は、唯一、形作ること、一般化すること、具現化 することにおいてのみ、求められるのであり、人はこの人文主義の要求を拒絶 することはできない。(KS 244) と言う。つまりは、本来あらゆる材料を有用なものとして扱うことを目標と した実科主義は、その有用性を徹底させるがゆえに、それに「練達」するこ とが求められるのである。実科主義の単に有用性に限定された教育は、その

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有用性ゆえに人文主義の形式主義との一致を見る。かくして、「数学において、 証明のパターン....を心に留めねばならないということ等々、すなわち、材料を 扱うことにおける熟練を、それの征服を目指して努力しなければならないと いうことに一致する」こととなるが、それゆえに「実科主義もようやく最後 の目標として、趣味を洗練させること..........を認め、形作る...活動を一番上に置くこ とになる」と述べ、実科主義の将来を予見する(KS 244)。実際の教育史にお いても人文主義と実科主義の争いはこれ以降もしばらくは続くのだが、例え ば、西原によって「このような実学主義〔実科主義〕も 19 世紀後半には新 人文主義の形式陶冶論〔形式教養論〕に配慮するようになり,すすんではこ れを重く見るようにすらなった」10と指摘されている通り、最終的にこの争 いはシュティルナーが述べるように実科主義が人文主義を理論的にも組み込 むこととなる。さらには、その際の形式的教養の身に付け方もシュティルナ ーが述べるような形でパラレルとなっており、シュティルナーがそのことを 早くも予期していたことは特筆に値するであろう。シュティルナーの議論に おいて特徴的なのが、実科主義による人文主義の導入はその構造的に必然で あったと議論するのである。実科主義の構造を読み取りすでにその構造ゆえ に人文主義へ接近せざるを得ないことを予期したのである。シュティルナー はこれを「勝者は、物質性の緑青から輝き、悪趣味な工場主.......より高等なもの ではなかった。ダンディズム......と工業主義....は愛らしい少年少女を獲物に争い、 粗野なシニシズムに現れるダンディーや白い布製品を身に着けた工場主とい うやり方で、しばしば魅力的なその武具を交換する」と述べ、人文主義と実 科主義の双方が奇妙にそれぞれのやり方を取り入れる様子を皮肉交じりに述 べ、シュティルナーはこのような実科主義を「没落せねばならなかった」と 評したのであった(KS 244)。 シュティルナーはこの二つの立場について 人文主義者は、とりわけ形式的な教育にかかっているという点において正当で あり、あらゆる材料を克服することにこれを見出さない点において不当である。 実科主義者は、学校においてあらゆる材料が着手されねばならないという点に おいて正当性を求めるのであり、そうであるからにはもし彼らが形式的な教育 を主要な教育として見なしたがらない時は、不当である。(KS 244) と述べる。人文主義は実科主義のようにあらゆる材料の克服を目指さないと 10 西原雅博「西洋近代語教授理論の系譜――『合自然の教育学』から『ナチュラル・ メソッド』へ――」『富山高等専門学校紀要』富山高等専門学校、第6 巻、2019 年、 11 頁(なお、〔 〕は筆者の加筆)。

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いう点で不当だが、同時に実科主義もあらゆる材料の克服を目指すのであれ ば形式主義的教育を導入しないのは不当となるのである。これはシュティル ナー自身の評価というより、シュティルナーの分析による二つの立場の内在 的問題点として指摘されている。これは「実科主義が、もし正しい自己否定 を実践し、物質主義的な誘惑に耽ることがなければ、その敵の克服と、同時 にそれとの宥和に至ることができる」(KS 244)ことを意味する。しかし、実 際問題として、当時の実科主義においては人文主義との宥和はなされていな かった。なぜこの宥和は実現されないのだろうか。シュティルナーは一方で 実科主義の理念を徹底するならば人文主義の導入は不可避としながらも、一 方では実科主義が人文主義を完全な形で導入しない、乃至はできないことに も理由があるとする。その理由が、彼らは実在論に代表されるような立場を とっているがゆえにであるからである。以下、それを見ていこう。 シュティルナーは「実在論者Realisten が抽象と思弁を前にして後ずさりす るほどの消すことのできない恐怖は、奇異の感じを与える」(KS 245)11と述べ、 実在論者による抽象と思弁に関する態度を、ハインシウスを「強固な実在論 者に一歩も譲らない」(KS 245)と評した上で、彼の文を引用する形で示して いる。ハインシウスはカント、フィヒテ、シェリング、ヘーゲル、ヘルバル ト、クラウスの名をあげ彼らに対し「人々は我々が何をするつもりなのか、 観念論に対する熱狂でドイツ国民は何を始めるつもりなのか、問う」(KS 245) と述べ、その不安を表している。彼らの思弁は実証的な学問にも、実用的な 生活とも、国家の有用性とも無関係で、不信と無神論に導き、精神を分裂さ せ、学問研究や国語も台無しにするのではないかとしている。「それは若者を 倫理的に善い人間に、思慮する理性的な人に、忠実な市民に、彼の職におい て有能で優れた労働者に、家庭内の幸せを築くため愛し合う夫婦に、そして ケアする父親になることを養成する知なのか」(KS 245)と懐疑的に述べ、彼 らの思弁があらゆるところに破壊をもたらすのではないかという危惧を示し ているのである。結局これらの思弁は「思想と知は無論範囲を拡大している 11 実科主義と実在論は原語は共に Realismus であるが、ここの観念論批判で使われる Realismus においては明らかに実在論者として述べられてきた哲学者の観念論批判が 意識されているので、観念論批判の文脈においては実在論と訳す。実科主義と実在 論のつながりは歴史的に見ても明確ではなく、シュティルナー自身もそれを明確に つなげている訳ではない。むしろここでは人文主義や実科主義と言った教養がなぜ 観念論を受容しないのか、という理由を探るために観念論批判の代表的立場である 実在論という名前を挙げた上で、それと同様の指摘をするハインシウスの論を紹介 した、と読むのが妥当であろう。

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が、前者はより明らかになり、後者はより確実になったであろうか」(KS 245) と述べられる通り、より明晰になっている訳でもない。さらに、 教義としての宗教はより純粋にはなったが、主観的信は混乱し、弱くなり、そ の支柱は折れ、批評と聖書解釈によって震撼させられ、あるいは熱狂や独善的 な見せかけの信仰へと変わった。では、教会はどうなったのか?――あぁ、―― その生活は分裂、すなわち死である。そうではないだろうか?(KS 246) と述べられる通り、ここで最も問題とされたのは信仰の問題であった。これ は実在論者の論としても同様である。なぜ実在論者はこのような態度を取る のか、シュティルナーは「彼らが自身の召命を見誤り、あらゆる彼らの力を もって無制約になる代わりに、制約し続ける」からであり、また、「彼ら自身 が抽象であるがゆえに、彼らは自身の完成から、救い出される真理への飛躍 から抽象化する」からであるとする(KS 246)。ここでは明示はされないが、 キリスト教に対する批判が明確にある。「原理」が書かれた時にはすでにバウ アーの『ポザウネ』やフォイエルバッハの『キリスト教の本質』が出ており、 その影響も強いと思われる。また、さらに言えば、実在論者とシュティルナ ーとの関係も重要ではある。ここでは実在論者の観念論批判の系譜を詳しく 述べることはできないが、差し当たって理解したいのは実在論者の観念論批 判と上記の理由の関係である。一つ目に関して言えば、実在論者は観念論者 に対し自己を無制約に捉えていると批判した。観念論批判の当初から言われ たのが観念論者は「エゴイスト」である、という批判である。このことは 2 年後にシュティルナーがエゴイズムを提唱することを踏まえれば興味深い。 シュティルナーはこの時点では自身をエゴイストだとは言わないが、実在論 者の批判を肯定的な意味に転じて逆に実在論者に批判を突き返す。二つ目の 理由に関しても、実在論者はその名の通り、自らが現実に根差しているとし、 観念論を思弁哲学だと、その自己観が抽象的であり中身を伴っていないと批 判した。しかし、シュティルナーはむしろ信仰を通して現実を見る実在論者 に、むしろ実在論者の方が抽象的ではないか、と批判するのである。この部 分だけ見るとシュティルナーは観念論側に立つように見られるが、観念論者 として展開はしなかった12。さて、この実在論批判の上でから、またこれま での論からもすでに部分的に現れている通り、シュティルナーは以上のよう 12 シュティルナーがどのような立場を取ったのか、ということは成田龍一朗「シュテ ィルナーにおける唯一者の概念」『教育思想』東北教育哲学教育史学会、第 45 号、 2018 年、を参照。

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に捉えられた人文主義と実科主義の特質に対して批判を展開していく。以下、 それを見ていきたい。

3 人文主義と実科主義への批判

以下、シュティルナーの人文主義と実科主義への批判を確認していこう。 シュティルナーは「学校は我々を事物の主人に、場合によっては我々の本性 の主人さえもならしめる」(KS 249)と述べ、学校教育が人を事物の、あるい は我々の本性の主人にすることは認める。しかし、「それは我々を自由な本性 の主人にはならしめない」(KS 249)と述べる。学校教育は自由な本性、すな わち意志を中心に教育しない。つまり、事物や我々自身を支配することは覚 えても我々自身を自由とすることは教育されない。しかし、「あらゆる徹底さ れ、広げられた知識も、知恵も洞察力も、弁証法的な精巧さも、思惟と意欲 の卑しさ前では我々を留めやしない」(KS 249)のである。つまり、従来の学 校教育の教育内容では「私」が事物を、時に自己をも事物にように捉え、支 配することを覚えるのみで、「私」が本来望んでいる、「私」が自由になるこ とには何らの貢献も果たさない。学校では「あらゆる性質の自尊心、あらゆ る種類の利欲、職権欲、機械的及び追従的な熱心な奉仕性、日和見主義者等々」 といった多くのことが古典的教養と結合して教えられているのにも関わらず、 「この教授全体は我々の倫理的行動にはどんな種類の影響も及ぼさない」の である(KS 249f.)。そのような教養に対し、「教養は形式的か、実質的 Materiellen か、せいぜいこの両方を求められるのが関の山なので、どんな教 養であっても真理のうちに、真なる人間の教育のうちにそれが求められるこ とはないのだ」(KS 250)と述べ、形式的教養たる人文主義と実質的教養たる 実科主義学校教育の限界と問題点を指摘するのである。このような学校教育 の下でどのような教養を教えようとも状況は変わらない。 確かに、「例えばディースターヴェークは『経験的原則』について話すべき 多くのことを知っている」と述べ、「実科主義者は生徒は彼が学ぶことを見つ け、理解せねばならないと要求することで進歩をもたらした」とシュティル ナーは認める(KS 250)。ここでディースターヴェークの名が挙げられること からも分かる通り、シュティルナーが念頭に置いているのはペスタロッチの 合自然的教育であろう。しかし、「ここでさえも対象は真理ではなく、何らか の実証(宗教さえも算入される)であり、生徒は真理以外の実証的知の総和 から導かれた一致と連関において指導される」(KS 250)と述べ、そこで教え られる内容は実証的知でしかなく、真理が教えられている訳ではないと指摘 する。「そこには経験や観察の四角さを超えた高みもない」(KS 250)と批判す

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る。四角さというのは、ペスタロッチが考案した直観の ABC における基礎 とされたものであるが、これに対し四角さを以て、それを超えていくような 精神をさらに促すようなことはないとするのである。結局これは「ものわか りのいい人に教育するのであり、それで十分だとされる。理性的な人などは はなから目指されていない」(KS 250)とシュティルナーは述べる。ここには 実証への信頼(ないしは妥協)があると指摘する。それは「それ自身を知覚....... すること....、それはあらゆる者の事柄のようには見えない」(KS 250)という理 由でそれ自身への知覚が放棄されて生じるものである。「人はそれはその形式 的側面、あるいは同時に実質的側面に従うべきだと言う実証的な意義を要求 し、教える。実証におとなしく従うのだ」(KS 250)と述べられる通り、実証 を以て実証そのものと、人文主義の形式的教養、実科主義の実質的教養に従 うことを強要する。なぜ人はこれに従うのか、学校では「形式的な訓練、実 質的な訓練Abrichten のみが目的とされ」るのであり、「ただ学者のみが人文 主義という動物の檻から出るのであり、ただ『有用な市民brauchbare Bürger』 のみが実科主義というそれから外へ出ることができる」からである(KS 250f.)。 つまり、形式的教養に従って学者になるまで、あるいは実質的教養に従って 「有用な市民」になるまでは学校からは卒業すること、逃れることができな い。ゆえに人はそれに従うのである。教育に訓練が必要かということは当時 においては議論になっているところであった。例えばペスタロッチは時期に よってもその判断が異なっているが、最後の著作である『白鳥の歌』では「専 門知識や技能への訓練 Abrichtung」を「陶冶された展開力を適用する」のに 必要だとした13。一方で、ディースターヴェークは訓練は合自然的ではない としていた14。しかし、ここでシュティルナーはそれらの議論の中で人文主 義も実科主義も、それを目標として教育がされる時点でそれは訓練でしかな いとしたのである。つまり、それらの教育は「私」の自由に根差すものでな い以上、「合自然的」ではありえない。シュティルナーにとってそれは当然拒 否されるべきものでしかなかった。確かに、実科主義は「実科主義者は単な る教養人ではなく、もの分かりのいい有用な市民を教育する」(KS 252)とし ているのであり、この点で優れているかのように見える。「『実生活こそ!』 こと言葉を以て人は大変多くのことを言っているのだと信じている」(KS 252)からである。しかし、「動物でさえも母親が乳飲み子に当たるところから 離乳させるや、徹頭徹尾実生活を送っているのである」(KS 252)と述べ、そ 13 Johann Heinrich Pestalozzi, Sämmtliche Schriften. Dreizehnter Band., Stuttgart, 1826, S. 32. 14 Adolph Diesterweg, Wegweiser für deutsche Lehrer, Essen, 1838

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の標語自体には価値がないとシュティルナーは指摘する。実科主義のもくろ みは、「原則に従って行動し、思考する単に原理に基づく人々........Leute von Grundsätzen」をもたらすのみで、「根本的な... .prinzipiellen 人間」はもたらさな いのである(KS 252)。また、「有用な市民」というのも問題になりうる。「実 科主義的教育は丈夫で有能で健全な性格を、不動の人間を、忠実な心臓を、 作り上げるのを好む」と述べ、「それは我々卑屈な使用人的な畜群Geschlecht にとっては計り知れないほど大きい利ではある」とシュティルナーも認める (KS 252f.)。しかし、畜群ということばからも明らかな通り、「やはり、彼ら は共に、隷属した....人間以外の何ものでもない」(KS 251)のである、と指摘す るように、ここでの有用というのは群畜としての市民にとって有用なのであ って、それは隷属した人間と表現せざるを得ない。実科主義によって 幼年時代Kindheit、我々は自身に課せられるあらゆるものに慣れさせるのと同 様に、我々は後に来る実証的生活を認め、それにふさわしくし、その時代にふ さわしくし、それらの下僕Knecht に、世にいうところの善き市民になるので ある。(KS 251) と批判する。早くも幼年時代から実科主義的な教育が行われ、その時代の「下 僕」になるよう訓練されるのである。「四角さ」の批判やこの幼年時代の批判 からして、民衆学校やペスタロッチ主義への批判の度合いも小さくないとい うのは重要であろう。そして、それは教育学への批判にも表れる。以下、教 育学への批判について見ていこう。 まず、シュティルナーは教育学に対して、「最も熱心に現代の物事や状況に 精通することが求められ、それがその世界や時代に順応するというあらゆる 人に共通な必要を満たすので、全てへの適用を見出すに違いない教育学は評 判を得た」(KS 242)と指摘する。確かにドイツにおいては、貧困という状況 を打破すべく展開されたとも言えるペスタロッチ主義の流入が教育学の成立 を促したと言えるので、これは妥当であろう。ここでは「あの教育は全ての 人を受け入れるから、平等..であり、人は必要とするものにおいては経験豊か になり、それゆえに独立し、自立するから、自由..である」(KS 242)とされた。 ペスタロッチの基礎的教養は全ての人に教育を開く契機となったのであり、 職業的教養を教養理論に組み込み実生活の自立を促したのであった。さらに、 教育学と哲学との関係については、シュティルナーは「彼らは哲学以上のも ののみを、もう一方で人文主義や実科主義以上の計り知れないもののみを信 頼する」(KS 245)と批判的に言う。教育学は哲学や人文主義、実科主義を超 える「計り知れないもの」のみを信頼する。ここでシュティルナーが何を「計 り知れないもの」と言うのかは明言されていないが、教授方法論の根拠とし

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て想定する何かや、教育という行為の根拠として想定する何か、それは例え ば合自然的教育で想定される人間観(つまり求められる教育と子どもが本性 的に合うという人間観)であると推察できる。さらに、シュティルナーは「人 はそれはその形式的側面、あるいは同時に実質的側面に従うべきだと言う実 証的な意義を要求し、教える。実証におとなしく従うのだ」と述べた上で、 「他の領域で知られたのと同様に、教育学においても、打開に至る自由を、 抵抗する力の言葉を得ることを許されない」と述べ、教育学は実証に従わせ るのであり、それが自由をもたらすことを否定するのである(KS 250)。シュ ティルナーは「単にそれを教える...だけならば、彼は最高で巧妙な方法をもっ........... て.、常に状況に適合し、隷従的な奉仕の心へと退化するのだ」(KS 251)と述 べ、教授方法への批判も展開する。当時は近代教授方法学の確立期でもあっ た。とういうより、近代教授方法学こそが教育学の中心であった。そのよう な中で、シュティルナーはペスタロッチ主義の導入により、まさにディース ターヴェークなど15が展開した教授方法論を、「技巧」に過ぎず、「隷従的な 奉仕の心」を植え付けうると批判したのである。そして、この批判は教育学 の展開の牙城となっていた教員養成所への批判にもつなげられる。シュティ ルナーは 実科主義者は欠陥を感じはしたが、最も卑劣な方法でそれに対策を講じた、そ れは、観念無き、不自由な「実務家Praktiker」を教育するということで、であ る。大半の教員養成所生はこの痛ましい転換の生き証人である。彼らはその優 秀さに手を加えられることで何度も手を加え、調教されることで何度も調教す るのだ。(KS 254) ここで言う欠陥とは、従来の教育では知識が意志にまで至らぬということで あるが、この欠陥に対して、実科主義は「実務家」を教育するとして、いわ ば問題をすり替えた。これによってそれに適う教育を行う教員を養成する教 員養成所の生徒は何度も「調教」されることで、自身も「調教」するように 仕立て上げられていったのである。 15 当時は既にヘルバルトも教授論を展開してはいたが、「原理」ではヘルバルトはハイ ンシウスの引用文に出てくるのみであるのでシュティルナーがヘルバルトまでをも 念頭においていたかは定かではない。ペスタロッチが図形認識の基礎を「四角」と したのに対し、ヘルバルトが「三角」としたことを留意すれば、シュティルナーは 「四角」と述べたことから、さらには当時のヘルバルトの受容はまだ大きくはない ことから、ここでは直接的にはペスタロッチ主義を念頭においていたと考えるのが 妥当であろう。

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シュティルナーは以上の批判を以て「『学校と人生との調和..』なんてものは ない」(KS 255)と述べる。「学校が人生であるべしとされる、そして、その外 で人格の自己開示が使命であるべし、というのがあるのだ」(KS 255)と述べ、 人格が先にあるのではなく、学校の内容が先にあって、それに人が従わされ ているとする。「原理」の冒頭では「学校の問題は人生の問題なのである」(KS 238)ということが述べられた。そこでは「学校の問題」が「人生の問題」と して扱うに値するものである、という意味に述べられたのであるが、ここで はその意味が大きく変わることとなる。もはやその意味は「学校の問題」が 「人生の問題」として強制されている、という意味となるのである。さらに、 シュティルナーは「彼らは共に、隷属した....人間以外の何ものでもない。しつ けの悪さに基づいた我々の善き素地は強制的に窒息させられ、それによって 意志から自由の意志への発達も封殺させられる。そうであるからして、学校 生活の成果は俗物根性Philstertum であるのだ」(KS 251)と述べ、学校を隷属 した人間しか養成せず、俗物根性しか実現しないと結論づけたのである。

おわりに 「原理」の教養批判の現代的意義

以上のようにシュティルナーの人文主義と実科主義への批判は、人文主義 と実科主義の根本的な構造から必然的に生じたと言えるものであった。そう であれば次に検討されるべきは、それが現代においても妥当なのかというこ とであろう。「おわりに」ではこのことを検討したい。 まず「原理」の教養批判の意義を指摘した先行研究として、バッシュとマ ルティンを見ておきたい。バッシュは「シュティルナーの時代の教育原理に 対する彼の告発は、我々においても有効である」16と述べ、「原理」の教育論 が20 世紀初頭の当時にあっても妥当であるとしている。バッシュの「シュテ ィルナーは学校が生命となることを望んでいる」17というシュティルナー解 釈は本稿とは対立するが、少なくとも「我々が子供の思考力を発達させれば させるほど、我々が彼の行動に対して合理化し、分析し、明確に意識するこ とを教えるほど、我々は彼の中で彼の存在の自発的な顕現、彼の真の自己の 自然で不可欠な開花を殺す危険性が高くなる」18と述べ、教育という営みそ れ自体と「真の自己」が相容れない可能性を指摘したという点ではバッシュ の指摘は本稿とも一致する。この見方はマルティンにも引き継がれている。 16 Victor Basch, L’individualisme anarchiste. Max Stirner. Paris 1904, p.40.

17 Ibid., p.39. 18 Ibid., p.41.

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マルティンは「原理」の英訳の序文で「『誤った原理』とは学校のことである と思われる。というのも、それはほぼすべての場所で個人と限りなく相容れ ないからである」19と指摘し、あらゆる学校が個人と対立する可能性を指摘 した。 これらの評価の一方で、本稿が問題としておかなければならないのは、シ ュティルナーが問題にした人文主義と実科主義の地域性・時代性である。人 文主義的教養を目指すギムナジウムも、実科主義的教養を目指す実科学校も ドイツ独特の教育制度の問題である。まさに当時の教育状況を踏まえて、シ ュティルナーの教養批判を解釈するということが本稿の特徴であった。これ らの学校制度はドイツでは現代でもその名前は見られる訳だが、学校制度の 複雑化や教育内容そのものの変化という側面を踏まえれば、シュティルナー が見た人文主義と実科主義は当時のドイツの教育状況に限定されたものであ る、ということを指摘することは一定程度の妥当性を持っている。それゆえ に、「原理」という論文のみ見るのであれば、この論文の教育批判それ自体も その制約を受けている、という指摘もまた一定程度妥当ではある。しかし、 ここで忘れてはならないことは、近代教育の成立期に当たる当時の教育を代 表した二つの潮流である人文主義と実科主義は近代教育の原型となっている のであり、その本質的な部分が学校教育全体に引き継がれていったというこ とである。近代化が進む当時において、シュティルナーを含む多くの思想家 が近代の本質とともにその問題を指摘したのと同様に、この教育論において も近代教育の本質とその問題を指摘したという側面があるということである。 「原理」においては、シュティルナーはあくまで当時の教育状況を問題とし たのであり、自らの教育批判が近代教育の批判そのものにも通用するのか、 という問題は明確には表れていない。しかし、『唯一者』に至って近代教育批 判へと至る際に、「原理」は近代教育の本質を表すものとして明確に意識され たのである。その点において、バッシュやマルティンの評価は現在でも妥当 であると言えよう。また、このことは現代の日本ということにおいても同様 のことが言えよう。現在みられる学校教育での教育内容を自律性に代表され る人文主義的価値のものと、有用性に代表される実科主義的価値のものとで 分類することは難しい作業ではないことは明白であろう。しかし、これらの 教科を子どもに強制する正当化論理がどれだけ十全に存在するのかは疑わし い。教育学の一つの伝統が子ども中心ということにあるのであるとすれば、 19 J. J. Martin, Introduction, in: Max Stirner, The False Principle of Our Education, Colorado

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その主体性への信頼から内在的に反教育という論理が出てくる。シュティル ナーが「原理」を通して現在の我々に問うのはこの問題なのである。 「原理」でシュティルナーが教育に突き付けた問題、それは近代教育は構 造上子どもを「主体」的にはさせることはできないという問題だとまとめる ことができよう。教養の目的が普遍的な人間としての自律にあろうとも、資 本主義社会における社会人としての自立にあろうとも、これらの目的は当の 子どもの人格そのものには置かれていないのであり、そこには隷属というこ とが不可避となる。もちろん、そうであるなら、それでは当の子ども、つま り目の前にいる個々の子どもの人格を中心に教育を行えばよい、ということ は理論的な可能性としては残る。そして、それが「原理」で教養批判と共に 展開されたシュティルナーの人格主義であった。シュティルナーは『唯一者』 では教育を全面的に否定する方向を強めるのだが、「原理」においては、人格 主義の名の下で新たな教育が提示されており、その点で現代教育学と問題を 共有しているといえる。この人格主義については別の機会に検討したい。し かし、反教育的視点から言えば、この人格主義においても「人格と呼ばれる 中心点において共に走る」(KS 253)ことしか許されていないことは強調して おきたい。教育者が被教育者に何か意図を持って働きかければ、その時点で 隷属が成立する。それは教育者が被教育者の人格を中心に考えてそうしたと しても、である。このシュティルナーの人格主義を教育といえるのかは定義 によるところであろうし、少なくとも近代教育学の範疇を脱しているという ことができるであろう。

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