アジ研ワールド・トレンド No.240(2015. 10)
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生から聞いた被爆体験と、アメリ
カの言葉を学びそれを教えること
との間には鋭い緊張があったはず
だ。それなのになぜ、先生は敢え
てその緊張のなかに身を置いて戦
後社会に生きることを選んだのか。
伊藤先生を敬慕して、また、南ア
ジア近現代史という「専門」の枠
から自由になって、本の紹介をし
てみたい。選んだのは、二〇世紀
という悪い時代に向き合って生き
た、知識人の生き方を伝える著作
二点である。長い研究者生活のな
かで、私は何度か立ち止まって、
この種の本を手に取ったような気
がする。伊藤先生もそうすること
があっただろうか。
●
ア
ド
ル
ノ
『
ミ
ニ
マ
・
モ
ラ
リ
ア
』(
法
政
大
学
出
版
局
)
トーマス・マンは、屈折した思
想遍歴を経て、ファシズムの手強
南アジア研究の共通語は英語で
ある。かくいう私も英語で論文を
書いたりしているが、実は私は所
得の低い家に生まれ、外国語とい
うものに縁のない環境で育った。
そんな私に英語の面白さを教えて
くれたのは、伊藤先生という、穏
やかでいくぶん沈んだ雰囲気を漂
わせた、東京の区立中学の英語教
員だった。中学三年の七月、その
伊藤先生が、夏休みを目前にして
浮き足立つ私たちに、君たちがい
いと言ってくれるなら話したいこ
とがあると切り出した。ぼくは長
崎の原爆の生き残りだ、その体験
を話させてくれないか、というの
だった。英語を勉強しようと思っ
たのは、原爆を落とした国がどん
な国か知りたかったからだ、と先
生は語りはじめた。夏になると私
はよく、しんと静まり返った蒸し
暑い教室を思い出す。私たちが先
い批判者となった。ナチス政権に
よってドイツ市民権を剥奪される
と、アメリカに移住して批判を続
け
る
道
を
選
び、
一
九
四
三
年
か
ら
『
フ
ァ
ウ
ス
ト
博
士
』
の
執
筆
に
取
り
かかり、四七年に完成した。この
長編小説でマンは、物語の大枠を
ゲーテの名作のパロディとして設
定し、一二音技法を使う前衛作曲
家の創作活動と、その内面の崩壊
の劇とを描くことを通じて、ナチ
ズムを生み出したドイツ文化の根
底的な批判を試みた。この小説は
音楽小説としても有名だ。音楽に
ついてマンに助言したのが、同じ
くアメリカに亡命していたアドル
ノだった。アドルノはアルバン・
ベルクの下で作曲を学んだことが
あった。
「
傷
つ
い
た
生
活
裡
の
省
察
」
と
い
う副題を与えられた『ミニマ・モ
ラリア』は、一五三のアフォリズ
ム的考察の集成である。この切れ
味鋭いエッセー群を、アドルノは、
不安定な亡命生活のなかで、一九
四四年から四七年にかけて書き継
いでいった。題材は、副題が示す
ように、ナチスに追われてアメリ
カに亡命したドイツ知識人が経験
する些細な出来事から取られてい
るが、それらは思いもかけない方
向に展開され変奏されて、全体と
して、二〇世紀の社会現象全般に
わたるラディカルな批判となって
いる。たとえば、巻頭に置かれた
エ
ッ
セ
ー
は、
「
マ
ル
セ
ル・
プ
ル
ー
ストのために」と題されている。
しかし、プルーストの姿は暗示さ
れているにすぎず、芸術家や学者
といったいかにも知的な職業の世
界に蔓延する同調主義の病に向け
て、批判の矢が放たれるという具
合だ。
本書はしたがって、どのような
順序でどのように読んでもよいタ
イプの本に入る。私についていえ
ば、この本に親しむきっかけとな
ったのは、留学先のカルカッタに
持って行く本に加えたことだった。
留学の年に出た邦訳をたまたま買
ったものの、読み終えられなくて、
大した理由もなく持って行くこと
にしたのだ。ところが思いがけな
●
特
●
集
本の森への道案内
悪
い
時
代
の
知
識
人
中里
成章
[南アジア近現代史]
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アジ研ワールド・トレンド No.240(2015. 10)
くも、この本は、魯迅の『野草』
とともに、カルカッタで営まれる
インドの人々の生活の過酷さに打
ちのめされ疲れ切った私の神経を
慰める
枕 ちん
頭 とう
の書となった。本書を
手に取り、たまたま開いたページ
に見出されるエッセーを読む遊び
を、私は何度やったことだろう。
ア
ド
ル
ノ
は
献
辞
で、
「
こ
こ
に
わ
が
友に捧げるのは憂鬱な学問の一端
であり、その関るところは、いに
しえの哲学の本来の領域とみなさ
れていた正しい生活に関する教え
である」と述べているが、確かに
私は、不条理に満ちた環境のなか
に
あ
っ
て、
「
正
し
い
生
活
」
の
感
覚
を取り戻すために、本書を好んで
読んだのかもしれない。
逆説的な表現が多用され、決し
て読みやすいとはいえない本書へ
の道案内として、藤田省三の書評
がある(同氏「批判的理性の叙事
詩」
『精神史的考察』平凡社)
。知
られるように、藤田は丸山眞男門
下で、戦後民主主義の輝ける星と
して活躍し、後に方向転換した政
治学者である。この書評で藤田は、
亡命生活中のアドルノの立ち位置
を、
「
社
会
的
疎
外
か
ら
も
批
判
を
通
してさらに自らを疎外しようとす
る「
疎
外
の
辺
境 0
0
」」
と
評
し、
二
〇
世紀知識人のあるべき姿に関して、
「
二
十
世
紀
の
認
識
者
た
る
個
人
は
……、
[
一
九
世
紀
的
な
]
実
体
的
な
個人的主体がもはやありえないと
いう喪失感と没落感を公然と表明
する勇気を持つ者――持たざるを
えない者――の中にだけ、そして
同時に物象化する組織や同一化す
る集団などに決して埋没しようと
はしない者の中にだけ、辛うじて
創造的に再生する」と書いた。こ
の知識人の像は、藤田の理解する
アドルノの姿でもあったにちがい
ない。
●
パ
ト
チ
カ
『
歴
史
哲
学
に
つ
い
て
の
異
端
的
論
考
』(
み
す
ず
書
房
)
昨年の新書ベストセラーに、瀬
木
比
呂
志『
絶
望
の
裁
判
所
』(
講
談
社現代新書)があった。エリート
裁判官だった著者が、日本の裁判
所をソ連の強制収容所になぞらえ、
裁
判
官
の
生
活
を「
目
に
見
え
な
い
檻」のなかの生活だと告発してい
る。
そ
れ
が
妙
に
胸
に
こ
た
え
た。
『
絶
望
の
大
学
』
と
い
う
本
が
書
か
れ
る日がいつか来るのだろうか。
パトチカはチェコの哲学者であ
る。一九七七年、人権擁護を訴え
る「憲章
77」が発表された時、知
識人グループのスポークスマンの
ひとりとなり、警察の過酷な取調
べを受け、それがもとで亡くなっ
た。一九三〇年代、フッサールが
ナチス政権の圧迫を受けて
逼 ひっ
塞 そく
し
ていた時に、使者となってその下
に赴き、後に有名になるプラハ連
続講演――この講演の内容は『ヨ
ーロッパ諸学の危機と超越論的現
象学』のなかに組み込まれた――
を依頼したのもパトチカだった。
パトチカは現象学研究の先駆者の
なかに数えられる人だが、戦後の
社会主義体制の下では、パトチカ
のような哲学者が大学で教授職に
就くのは容易でなかった。講壇に
立つよりも司書や資料編纂の仕事
をした期間の方がずっと長く、し
かも発表に制約を課せられた困難
な状況のなかで、思索と著述を続
けたパトチカの主著のひとつとさ
れるのが本書である。
この本の終章は「二十世紀の戦
争と、戦争としての二十世紀」と
題
さ
れ、
「
震
撼
さ
せ
ら
れ
た
者
た
ち
の連帯」という概念が提起されて
い
る。
「
震
撼
」
と
は、
「
昼
」
と
「
生
」
と「
平
和
」
へ
の
信
頼
を
根
本
か
ら
揺
る
が
さ
れ、
二
〇
世
紀
が
「
夜
」
と「
死
」
と「
戦
争
」
の
時
代
であることに気づかされることで
あり、その極限的な形として、第
一次大戦中にヨーロッパの戦線の
塹 ざん
壕 ごう
のなかで死に向き合った若い
兵士たちの経験がある。パトチカ
はもちろん、二〇世紀という時代
を捉えたニヒリズムの深さを認識
していないわけではなかった。だ
が
こ
の
章
で
は
敢
え
て、
「
震
撼
」
の
経験をくぐり抜けて、生と死にお
いて真に問題なのは何か、明視す
ることのできるようになった者た
ちの、迫害され孤立させられるこ
とを恐れない、敵味方を越えた連
帯
こ
そ
が、
「
戦
争
と
し
て
の
二
十
世
紀」あるいは「戦争状態を永続化
させる動員措置」に対して「否」
といい、人間的自由の遂行として
の歴史を現出させる力になると書
いて、絶望的希望とでも呼ぶべき
ものを核にする抵抗の思想を説い
た。そして図らずも、本書刊行の
二年後、この思想に殉じることに
なった。
鉄のカーテンの内側で思索した
パトチカを西欧に紹介するために
尽力したのは、ポール・リクール
だった。
『レクチュール』
(みすず
書房)にそのパトチカ論「ヤン・
パトチカとニヒリズム」が収めら
れている。
(
な
か
ざ
と
な
り
あ
き
/
東
京
大
学
名誉教授)