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悪い時代の知識人 (特集 本の森への道案内)

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Academic year: 2021

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悪い時代の知識人 (特集 本の森への道案内)

著者

中里 成章

権利

Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア

経済研究所 / Institute of Developing

Economies, Japan External Trade Organization

(IDE-JETRO) http://www.ide.go.jp

雑誌名

アジ研ワールド・トレンド

巻

240

ページ

12-13

発行年

2015-09

出版者

日本貿易振興機構アジア経済研究所

URL

http://hdl.handle.net/2344/00003111

(2)

アジ研ワールド・トレンド No.240(2015. 10)  

12

生から聞いた被爆体験と、アメリ カの言葉を学びそれを教えること との間には鋭い緊張があったはず だ。それなのになぜ、先生は敢え てその緊張のなかに身を置いて戦 後社会に生きることを選んだのか。 伊藤先生を敬慕して、また、南ア ジア近現代史という「専門」の枠 から自由になって、本の紹介をし てみたい。選んだのは、二〇世紀 という悪い時代に向き合って生き た、知識人の生き方を伝える著作 二点である。長い研究者生活のな かで、私は何度か立ち止まって、 この種の本を手に取ったような気 がする。伊藤先生もそうすること があっただろうか。 ● ア ド ル ノ 『 ミ ニ マ ・ モ ラ リ ア 』( 法 政 大 学 出 版 局 )   トーマス・マンは、屈折した思 想遍歴を経て、ファシズムの手強   南アジア研究の共通語は英語で ある。かくいう私も英語で論文を 書いたりしているが、実は私は所 得の低い家に生まれ、外国語とい うものに縁のない環境で育った。 そんな私に英語の面白さを教えて くれたのは、伊藤先生という、穏 やかでいくぶん沈んだ雰囲気を漂 わせた、東京の区立中学の英語教 員だった。中学三年の七月、その 伊藤先生が、夏休みを目前にして 浮き足立つ私たちに、君たちがい いと言ってくれるなら話したいこ とがあると切り出した。ぼくは長 崎の原爆の生き残りだ、その体験 を話させてくれないか、というの だった。英語を勉強しようと思っ たのは、原爆を落とした国がどん な国か知りたかったからだ、と先 生は語りはじめた。夏になると私 はよく、しんと静まり返った蒸し 暑い教室を思い出す。私たちが先 い批判者となった。ナチス政権に よってドイツ市民権を剥奪される と、アメリカに移住して批判を続 け る 道 を 選 び、 一 九 四 三 年 か ら 『 フ ァ ウ ス ト 博 士 』 の 執 筆 に 取 り かかり、四七年に完成した。この 長編小説でマンは、物語の大枠を ゲーテの名作のパロディとして設 定し、一二音技法を使う前衛作曲 家の創作活動と、その内面の崩壊 の劇とを描くことを通じて、ナチ ズムを生み出したドイツ文化の根 底的な批判を試みた。この小説は 音楽小説としても有名だ。音楽に ついてマンに助言したのが、同じ くアメリカに亡命していたアドル ノだった。アドルノはアルバン・ ベルクの下で作曲を学んだことが あった。   「 傷 つ い た 生 活 裡 の 省 察 」 と い う副題を与えられた『ミニマ・モ ラリア』は、一五三のアフォリズ ム的考察の集成である。この切れ 味鋭いエッセー群を、アドルノは、 不安定な亡命生活のなかで、一九 四四年から四七年にかけて書き継 いでいった。題材は、副題が示す ように、ナチスに追われてアメリ カに亡命したドイツ知識人が経験 する些細な出来事から取られてい るが、それらは思いもかけない方 向に展開され変奏されて、全体と して、二〇世紀の社会現象全般に わたるラディカルな批判となって いる。たとえば、巻頭に置かれた エ ッ セ ー は、 「 マ ル セ ル・ プ ル ー ストのために」と題されている。 しかし、プルーストの姿は暗示さ れているにすぎず、芸術家や学者 といったいかにも知的な職業の世 界に蔓延する同調主義の病に向け て、批判の矢が放たれるという具 合だ。   本書はしたがって、どのような 順序でどのように読んでもよいタ イプの本に入る。私についていえ ば、この本に親しむきっかけとな ったのは、留学先のカルカッタに 持って行く本に加えたことだった。 留学の年に出た邦訳をたまたま買 ったものの、読み終えられなくて、 大した理由もなく持って行くこと にしたのだ。ところが思いがけな

●

特

 

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集

本の森への道案内

 

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人

中里

  成章

[南アジア近現代史]

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13

  アジ研ワールド・トレンド No.240(2015. 10) くも、この本は、魯迅の『野草』 とともに、カルカッタで営まれる インドの人々の生活の過酷さに打 ちのめされ疲れ切った私の神経を 慰める 枕 ちん 頭 とう の書となった。本書を 手に取り、たまたま開いたページ に見出されるエッセーを読む遊び を、私は何度やったことだろう。 ア ド ル ノ は 献 辞 で、 「 こ こ に わ が 友に捧げるのは憂鬱な学問の一端 であり、その関るところは、いに しえの哲学の本来の領域とみなさ れていた正しい生活に関する教え である」と述べているが、確かに 私は、不条理に満ちた環境のなか に あ っ て、 「 正 し い 生 活 」 の 感 覚 を取り戻すために、本書を好んで 読んだのかもしれない。   逆説的な表現が多用され、決し て読みやすいとはいえない本書へ の道案内として、藤田省三の書評 がある(同氏「批判的理性の叙事 詩」 『精神史的考察』平凡社) 。知 られるように、藤田は丸山眞男門 下で、戦後民主主義の輝ける星と して活躍し、後に方向転換した政 治学者である。この書評で藤田は、 亡命生活中のアドルノの立ち位置 を、 「 社 会 的 疎 外 か ら も 批 判 を 通 してさらに自らを疎外しようとす る「 疎 外 の 辺 境 0 0 」」 と 評 し、 二 〇 世紀知識人のあるべき姿に関して、 「 二 十 世 紀 の 認 識 者 た る 個 人 は ……、 [ 一 九 世 紀 的 な ] 実 体 的 な 個人的主体がもはやありえないと いう喪失感と没落感を公然と表明 する勇気を持つ者――持たざるを えない者――の中にだけ、そして 同時に物象化する組織や同一化す る集団などに決して埋没しようと はしない者の中にだけ、辛うじて 創造的に再生する」と書いた。こ の知識人の像は、藤田の理解する アドルノの姿でもあったにちがい ない。 ● パ ト チ カ 『 歴 史 哲 学 に つ い て の 異 端 的 論 考 』( み す ず 書 房 )   昨年の新書ベストセラーに、瀬 木 比 呂 志『 絶 望 の 裁 判 所 』( 講 談 社現代新書)があった。エリート 裁判官だった著者が、日本の裁判 所をソ連の強制収容所になぞらえ、 裁 判 官 の 生 活 を「 目 に 見 え な い 檻」のなかの生活だと告発してい る。 そ れ が 妙 に 胸 に こ た え た。 『 絶 望 の 大 学 』 と い う 本 が 書 か れ る日がいつか来るのだろうか。   パトチカはチェコの哲学者であ る。一九七七年、人権擁護を訴え る「憲章 77」が発表された時、知 識人グループのスポークスマンの ひとりとなり、警察の過酷な取調 べを受け、それがもとで亡くなっ た。一九三〇年代、フッサールが ナチス政権の圧迫を受けて 逼 ひっ 塞 そく し ていた時に、使者となってその下 に赴き、後に有名になるプラハ連 続講演――この講演の内容は『ヨ ーロッパ諸学の危機と超越論的現 象学』のなかに組み込まれた―― を依頼したのもパトチカだった。 パトチカは現象学研究の先駆者の なかに数えられる人だが、戦後の 社会主義体制の下では、パトチカ のような哲学者が大学で教授職に 就くのは容易でなかった。講壇に 立つよりも司書や資料編纂の仕事 をした期間の方がずっと長く、し かも発表に制約を課せられた困難 な状況のなかで、思索と著述を続 けたパトチカの主著のひとつとさ れるのが本書である。   この本の終章は「二十世紀の戦 争と、戦争としての二十世紀」と 題 さ れ、 「 震 撼 さ せ ら れ た 者 た ち の連帯」という概念が提起されて い る。 「 震 撼 」 と は、 「 昼 」 と 「 生 」 と「 平 和 」 へ の 信 頼 を 根 本 か ら 揺 る が さ れ、 二 〇 世 紀 が 「 夜 」 と「 死 」 と「 戦 争 」 の 時 代 であることに気づかされることで あり、その極限的な形として、第 一次大戦中にヨーロッパの戦線の 塹 ざん 壕 ごう のなかで死に向き合った若い 兵士たちの経験がある。パトチカ はもちろん、二〇世紀という時代 を捉えたニヒリズムの深さを認識 していないわけではなかった。だ が こ の 章 で は 敢 え て、 「 震 撼 」 の 経験をくぐり抜けて、生と死にお いて真に問題なのは何か、明視す ることのできるようになった者た ちの、迫害され孤立させられるこ とを恐れない、敵味方を越えた連 帯 こ そ が、 「 戦 争 と し て の 二 十 世 紀」あるいは「戦争状態を永続化 させる動員措置」に対して「否」 といい、人間的自由の遂行として の歴史を現出させる力になると書 いて、絶望的希望とでも呼ぶべき ものを核にする抵抗の思想を説い た。そして図らずも、本書刊行の 二年後、この思想に殉じることに なった。   鉄のカーテンの内側で思索した パトチカを西欧に紹介するために 尽力したのは、ポール・リクール だった。 『レクチュール』 (みすず 書房)にそのパトチカ論「ヤン・ パトチカとニヒリズム」が収めら れている。 ( な か ざ と   な り あ き / 東 京 大 学 名誉教授)

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