Title
評価・選別を難しくしているものは何か
Author(s)
富永, 一也
Citation
沖縄県公文書館研究紀要 = OKINAWA PREFECTURAL
ARCHIVES BULLETIN OF STUDY(2): 77-105
Issue Date
2000-03-31
URL
http://hdl.handle.net/20.500.12001/8185
沖縄県公文書館 の事例で も、公文書 を歴史研究の対象 としての使用価値の面か ら評価 しようとする と、議 論が袋小路 に陥ることが経験上確かめ られている。その ような議論 は、公文書館 に引 き継がれた うえ、基準 によってふるい落 とした公文書 をす ら廃棄 させ ない ようなメカニズムを作動 させて しま うの だ。40 また、 こ れ も沖縄県公文書館の資料収集 に関わる事例 で、歴史研究的価値 をめ ぐる主観 と主観のぶつか りあい、いわ ゆる 「神 々の争い」 (マ ックス ・ウェーバ ー)が じっさいに裁判 とい う形 をとっておお や け に行 われたケー スがある。それについては、歴史研究的な観点か ら評価 ・選別 をす ることの、(行政的な手続上 は ともか く) 原理的脆弱性 をよ くあ らわ している事例 だ と思 うので、わた しが以前 に書 いた ものか ら抜粋 し、付録 として 本論の後 に付 してお く。 ドイツ人たち も、公文書の効用論的歴史価値 を決定す るための試み を行 った。Hans Boomsの紹介 す る ところによる と、 もともとアーキ ビス トたちは、 ドイツ観念論 を記録評価-適用 しようとしていたのだが、 それは うま くいかなかった。 この失敗 は、アーキ ビス トたちを して、記録の、将来における利用の可能性へ の議論へ と向かわせ たのだ とい う。41その背景 には、アーキ ビス トたちが、 自らを歴 史家 と規 定 していた こ とがある。それゆえに彼 らは、歴史家 に対す る奉仕者 として、歴史学 とは うま くやってい きたい と思 ってい た し、また、歴史的研究の要求 に沿 った評価 を行 うのだ とい う強い意識があった。 ところが、将来 において どの資料が有用 になるのかを決定で きる、 とい う楽観論者 は、やは り 「歴史神学」の域 に足 を踏み入れてい る。ヘーゲル的歴史認識論の伝統の中にあ って、彼 らは予言者の役 を演 じよ うと したの だ、 とBoomsは批 判する。42 目利 きか、価値の ミグス王か 球審A 「俺様 は、ス トライクとボールの判定 を間違 えた ことは一度 もねえ。ボールの軌道が1 ミリ違 って も俺様 にはわかるんだ」 球審B 「俺様 も間違 えた ことなどねえ。なぜ なら、俺様が宣言 しては じめてス トライクはス ト ライク、ボールはボールになるんだか らな」 (ア ンパ イアについてのジ ョーク)43 Boomsは、ついに適時的評価 をあ きらめ、同時代 の社会 の価値観 によって評価 ・選別 を行 うの だ、 とい う共時的な立場 を打 ち出す にいたった。44これは、評価 ・選別のための学問的な基礎 を、歴 史学 か ら社 会学 へ と転換 しようとい う試みで もあった と見 ることもで きる。 しか しなが ら、Boomsの提 唱 は、 自らが館 長 を務めた ドイツ連邦 アーカイブズで採用 される ところ とな らず、 また他所 において も成功事例 を作 り出す こ とがで きず、Booms自身 も後 に敗北宣言 ともとれるコメン トを した。 ドイツ連邦 アー カ イブズ館 長 、 国際
42 Booms,op.cit.,pp.91-92.Boomsのこの批判はもちろん正 しい。ところで、日本においてBoomsの名が比較的知 られているのは、彼の議論が紹介者を得たからであろう (安藤正人
、
F記録史料学と現代』)。 また、Booms紹介を受け て、Boomsの議論の実際への応用の方法について考察 したのが松井輝昭の 「現代記録の評価 ・選別と新聞記事 一自治体 文書館の視座から-
」(広島県立文書館紀要第4号、1997年)であった。他にもBoomsについての言及が幾人かの論者に よってなされているが、これらもおおむね好意的である。批判的言及としては樋口雄一のものがある (「公文書館 にお ける評価と選別 -原則的考え方-」、前掲)。また、富永一也の 「新 しい評価選別論の構築をめざして」(未公刊、平成 10年度公文書館専門職員養成課程修了論文として1999年3月に国立公文書館へ提出)は、Boomsが 「社会の価値観」 を 評価 ・選別の基準としようとしたことを批判 している。Boomsは ドイツ連邦アーカイブスの長を務めた人物であるが、 彼の議論は、ヨーロッパよりも北米において大きく取 り上げられたようだ。 43 わたしは、このジョークの原型をどこで読んだかを忘れてしまった。オリジナルのジョークは、確か登場人物が2 人ではなく、3人いたような気がするが、記憶がさだかでない。仕方がないので、本稿に有意なようにここに再構成 し て書いてみたが、もとのジョークは、もちろん、ずっとパンチがきいていた (と思う)0文書館会 議 (ICA)議長 とい った要職 につ き、アーキ ビス トとしての栄達 を極 めた この人物 も、 自己の唱 道 す る理論 においては勝利者 になれ なかった。45それで も、彼 の名 は記憶 され るべ きであ ろ う。 そ れ は もちろ ん、彼 の提示 した評価 ・選別の手法 によってではない (それは、われわれ実務屋 に とって何 の実効性 も持 た ないない ものだ)0Boomsが記 憶 され るべ きは、む しろ彼 のな した革命的 な発言 に よってであ る。た だ し、 彼 は議論全体 の 中であ ま り目立 たぬ ようにそれ を行 っているので、 ともす る と見落 とされて しまうか もしれ ないが。以下が問題 の発言 であ る。 アーキ ビス トは文書記録 (documentation)の価値 を、 その文書 そ の もの に求 め る こ とはで きない。そ こにはそれの 「客観的」価値 は存 しないのだ。文書資料 (documentary sources) には、文書 その もの に兄 いだ される もともと備 わってい る価値(inherentvalue)な どないので あ る。文書資料 は、 アーキ ビス トが評価 の過程で価値 を与 えて こそ価値 あ る もの となるのだ。46 つ ま り、Boomsは、アーカイブズ的価値 の源泉 を、最終的 には職業的ア ー キ ビス トその もの に置 い たの である。 この宣言 の重大 さとい うの はつ ま りこうであ る。彼 の主張 を受 け入れるな らば、アーキ ビス トたち が どの ような評価 ・選別モデル を作 ろ うと、それが精密 であろうが粗 略であろ うが、 もはやそれは本質的な 問題ではな くなる。 アーカイブズ的価値 の源泉 は、アーキ ビス トその もの にあ るのだか ら、 どの ような決定 をアーキ ビス トが行お うと、その決定 は原理 的 に無謬 である (誤 ろ うに も誤 りようが ないのだ)。す なわち、 アーキ ビス トの主観が絶対 になる。絶対 は、相対 と違 い、 さまざまな判断者 の主観 によって左右 されないわ けだか ら、 ここにおいて アーキ ビス トの主観 は客観- と転換す る。47 この項の冒頭 に、ア ンパ イアの ジ ョー クを置いたが、効用論的歴 史価値 の論者 はいわば 目利 きと しての能 力 を自慢 す る審判 にた とえ られ るだろ う
。
48-方、Boomsは、「俺が ルールなの だ」 とい う審判 に似 てい る。 これ らをそれぞれ 「目利 き型」 アーキ ビス ト、「ミダス型」 アーキ ビス ト49と呼 ぶ こ とに しよ う (た だ し、 Jenkinsonの主張す る、行政 か ら送 られて くる資料 を大切 に預 か る保 管 人 `custodian'と して の アー キ ビ ス ト像 は、行政の効用 に立脚 してい る点 では効用論の流れ なのだが、 自ら評価 ・選別 をす るアーキ ビス トで 44 Boomsの主張を簡単にまとめると、つぎのようになる.(D記録の価値は、記録そのものに内在する絶対的なもので はない。であるから、壇)記録の価値評価をするためには、外部の客観的モノサシが必要である0(参外部のモ ノサシが客 観的であるためには、個人の価値観ではなく、社会の価値観を基準としなければならない。社会の価値観は、社会事象 の分析を通 じて見出すことができる.(彰したがって評価 ・選別は、出所の原則によって部局のシリーズ別に行 うのでは なく社会的に重要な トピックに従って、主題分類的に行わなければならない。⑤ このようにして選別されたアーカイブ ズ資料は、同時代の価値観を後代に伝える文書遺産として新 しい意味を持つ。本稿においては、Boomsのアーカイブ ズ的価値の源泉を批判するのが目的であるので、富永前掲 「新 しい評価選別論の構築をめざして」で行った、Boomsの 評価手法についての批判はここでは行わない。ただ、Boomsがいうように、アーキビス トが価値の付与者であ り、文書 遺産の創造者であるのならば、評価の手法はそれほど重要なことではなくなるはずだ。45 Boomsの諦念がよくあらわれている論文が"Ueberlieferungsbildung"(注38参照)であるO特にp.29を見よ。また、 「HansBoomsは、最近、もはや自分の ドキュメンテーション ・プランの理論に拘束 されないむね宣言 した」 という証 言 もある (Eriksen、1993年)0"TheDebateonAppraisal,"op.cit.,p.134.
16 Booms,"SocietyandtheFormationofaDocumentaryHeritage.''p.82.
1' これに対 し、効用論的な評価論は、個々のユーザーの効用に価値の基礎を置いていた点で、ユーザーの主観に依存 していたことは確かなのだが、個々のユーザーの主観から生まれる需要自体は、外部-表出されて、客観的に 「そこに ある」(実在する)。ここで相対が絶対に転化する。 4H Schellenbergは、arbiter(調停者)という言葉を使っている0 19 触れるものがすべて黄金に変わったというギリシア神話の王の名にちなんだのである
。
「目利 き型」 といい、「ミグ ス型」 といったが、現実はこのようにきれいに二分できるわけではない。 しか し、理念型 としてここに提示 してお くこ とは、今後の議論にとって有益であると思 うので、読者にはとりあえずJenkinsonの 「保管人型」 をも加えた三類型を 受け入れてもらって、つ ぎへ と読み進めてほしい。はないので、保管人型 アーキ ビス トとして、 と りあえず ここでは別枠 で考 えてお こう)。∽ アーカイブズ資料の価値 の源泉 は何か 耶 uき型アーキ ビス トに問題が多い ことを、すでにわれわれは承知 している。やは り、 目利 き型では、将 来予測の困難 さとい う原理的問題か ら、評価 ・選別は無理 なのだろ うか ?あるいは、その ような原理的問題 は抜きに して も、評価尺度 を、使用価値 とい う他者の主観 に源流 を持つ ものに依存することで、歴史学の風
見鶏
(Gerald Ham)になって しまい、アーキ ビス トの 自主性 を確 保 す る、 とい う観 点 か ら して戦略 的 に 間違っているのだろ うか ?Boomsの行 った大転換 、つ ま り価値のある もの を選 び出すので は な く、選 んだ ものが価値ある ものだ、 とい う理念は、 目利 き型の問題 を解決 して しまったのだろうか ?その こたえは と り あえず保留 してお き、 まず は、効用論 の批判か ら生 まれた ミダス型の有効性 を検討 してみ よう。 アーキ ビス トを価値の創造者、あるいは決定者 と位置付 ける議論 は、アーキ ビス トはプロフェ ッシ ョンと して存在 しな くてはな らない、 とい う観念 と結 びついているように思 うが、その意味でわた しが 目に した中 で最 もラデ ィカルな ミグス型 アーキ ビス ト論 は、安藤正人の ものである。彼 は、記録の評価 は、誰がやった にして も不完全 だか らこそ、プロフェ ッシ ョンとしてのアーキ ビス トの存在価値がある、 とい う。 この世 には、人間の手では とうてい完全 な解決がつかない問題がある。た とえば病 と死の問題 であ り、罪 と罰の問題である。人間はこれ らの難問の 「よ りま しな解決」 を、神 の ように万能 ではないが、特別に訓練 され高度 な知識 と技能 を備 えた専 門職の人々 (つ ま り医者や裁判官や 聖職者 )の手 に委ねることによって、何 とか 自己 を納得 させ 、社会 の秩序 を維持 して きた。51 この議論が成 り立つ な らば、そ もそ も評価 ・選別理論の必要性 自体 も揺 らいで くるのではないか と思 うが、 それはさてお き、わた しは、公職 につ く者であ るが、同時 に一市民 ・納税者の立場 か ら、公文書館の職員が、 価値の ミグス王 としてふ るまうことに反対である。 また、病 と死の問題 (た とえば脳死その他 の生命倫理の 問題)に して も、罪 と罰の問題 (た とえば死刑制度の問題 )に して も、医者や裁判官や聖職者 な どの 「専 門 家」に、「よきに計 らえ」 とまかせ て しまう気 に もなれない。逆 に、わた しは、人智 を超 える よ うな難 問 ほ ど、「専門家」 に決定 を委ねるのは好 ま しくない と思 う。 また、価値評価 (価格評価ではない 。 念 のため ) の領域 に踏み込むことに、行政 に携 わる人間は慎重 にならな くてはいけない と考 える。52科 学 者 を、皮 肉 を こめて 「現代の聖職者」 と呼ぶ ラ ップ (Ralph E.Lapp、アメリカの科学者 ・評論 家 ) は、米 国第28代大50 註
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参照。GeraldHamは、このタイプを、"archivistasakeeper"と呼んでいる。Jenkinsonを審判のジョークに 登場させたら、さしずめつぎのように発言するだろうか。審判C : 「A審判 もB審判も、偏向 しています。今の球がス トライクだったかボールだったか、選手たちがいちばんよく知っているはずなので、彼 らに決めてもらいましょう」。 これは、いうまでもないが、あまり愉快なジョークではない (仮想的にも現実的にも。現実だったら、もちろん大乱闘 が起きる)。アーキビス トが単なる保管人 (custodian)に留まることへの反発は、アーキビス トがプロフェッションと しての自己主張を強めるにしたがって、大 きくなってきた。また、最近では、電子的に作成、蓄積される記録の増大に ともない、公文書館が、単に現用でなくなった記録を受け取るだけの役割だけではなく、政府の記録管理に深 く関わら ねばならない状況も生まれてきている。Jenkinsonの議論には見るべき点もあるが、それはいずれ触れるとして、アー キビス トは 「評価 ・選別をすべ きでない」という見解については、本稿の趣旨と異なることをここで確認 してお く。 51 安藤正人 指己録史料学 と現代』、第5
章の注(
7)
による(
p.
2
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7)
。もちろん、公文書の評価 ・選別が果た して 「人間 の手では完全な解決がつかない問題」に属するものなのかどうか、という前提に対する疑問もある。あるいは、評価 ・ 選別の理念を、「人間の手では完全な解決がつかない問題」の領域で考えてしまっているのではないか、 という疑問 も また浮かぶ。 52 むしろ行政は、「価値からの自由」(マックス ・ウェーバー)を常に念頭に置くべ きであろう。統領、Woodrow Wilsonの言葉 を引いて、少数のエ リー トが、重要 な決定 をす ることに対 して警鐘 を鳴 ら している。 私が恐 れるのは、専 門家でかため られた政府が出現することである。民主主義社会 において、 われわれがその任務 を捨て、政府 を専 門家の手 に-任 して しまうことは、とんで もないことだ。 もし仕事 のわかる少数の人び とだけが、科学的にわれわれの面倒 をみるような事態になったら、 われわれはいったい、なんのためにいるのだろうか。なぜ な ら、 もしもわれわれが仕事 を理解 で きない とすれば、その場合 に、われわれは もはや 自由な国民 とはいえないか らである
。
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ただ し、その後 、世界史の流れは必ず しもラップの懸念す る方向ばか りへ推移 したわけではない ようで、 じっさい、「専 門的知識人」の支配が解体 して きた ことが指摘 されている。桜井哲夫の議論 す る ところによ る と、1
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年代 に進行 した情報通信の発達、運輸手段 の発展 に加 え、先進国においては高学歴化 によ り、む しろ一握 りのエ リー トが社会計画 を担 う 「サ ン-シモ ン主義」 (あるいはテクノクラー ト支配 ) が揺 らいで きている とい う.
54ァ-キ ビス ト-プロフェ ッシ ョン論 は、それが制度 として存在す る国 にお い ては既得権 益擁護や権 限拡大が (手段で はな く) 目的 と化す るおそれがある し、存在 しない国においては、あ らゆるアー カイブズ的問題の万能薬 としての期待 をかけ られ、プロフェ ッシ ョン制度の確立が これまた 自己 目的化 しか ねないので注意が必要である。公文書館発展のための方策 を考 えるとき、専 門職の確立や権 限拡大 は、アプ リオ リな前提条件で はない。わが国の公文書館制度の発展 については、それによって達成すべ き理念 をよく 定義す る必要がある し、その実現の手段 としての方策の ひとつ としてプロフェ ッシ ョン論 は検討 されるべ き である。「評価 ・選別」業務の困難 さ、あるいは原理的不可能 さを強調 し、よってプ ロフェ ッシ ョンの必要 性 を説 くのは、エ リー ト主義的 とい うよ り以前 に循環論法 (しか もお手盛 りの) にちか くな る。 定点がな い 055 だが、 ミダス型評価 のいちばんの問題 は、これ まで見て きた ようなことよ りも、 ミグス型 アーキ ビス トの 「主観」 を 「客観」 に変 えるシステムが不在 なことだろう。 じつは神話の ミダス王 は、「価値」 を創造 したわ けではない。彼 は、商品の価値体系 において媒介 の役割 をす るところの、「黄金」 とい う商 品 を生産 したに す ぎないのであって、黄金が価値 を持つ ようになっている ところの価値体系 と、その体系 を支 える交換 シス テムはすでに存在 していたのである。 これに対 し、われ らが ミダス型 アーキ ビス トの場合 は どうだろ う。 Boomsい うところの、「アーキ ビス トが価値 を与 え」た文書資料 を、世間は黄金 と見 な して くれるだろうか。 il ラルフ・E・ラップ著、八木勇訳 F科学と社会の対話一科学革命と民主主義の危機-j(講談社ブルーバ ックス、 1966咋 )、p.180 154 桜 井耶夫 F自己責任 とは何か』(講談社現代新書、1998年)、pp.187-1880 55 この議論の構図を示そう。「なぜ、評価 ・選別にプロが必要か ?」
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「それは、評価 ・選別がほとんど不了.T能だからだ」。 「不可能なことはプロにもできないのではないか」
。
「それはプロにも不可能である。 しか し不可能だか らこそ、プロに 預けるのだ」
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「なぜ不可能なことをプロにまかせるのか ?」
。
「なぜなら、そのために社会はプロをつ くったからだ」。 プロフェッションの成立に関するこの 「神話」(あるいは思弁的仮説)は充分循環的な匂いがするが、ここから一歩す すんで、プロフェッションが成立 している分野の仕事を、そのまま人智の及ばぬ領域であるというふうに演揮的に判断 し始めると、循環論法も、より完成に近 くなる.評価 ・選別の理論が、現実から遊離する形で、むしろアーキビス ト-プロフェッションに奉仕的な形で提唱されているのではないか、という疑いは、筆者だけのものではない。辻川敦は、 安藤正人の紹介 した、カナダのTerryCookの評価 ・選別論 (「巨視的評価」
)
について、「評者 (辻川氏 自身のこと-筆 者注)の印象として、F巨視的評価Jは欧米での評価選別の実践から構築されてきた理論 というよりは、社会的認知度 の低いアーキビス トの専門性 ・独自性を強調 したいというバイアスのあらわれとみたほうが実態に近いのではないかと 思う」 と述べている。『歴史学研究』No.731(1999.12)、P.28。残念なが ら、その ようなことは期待で きない。そのため、 ミダス型 アーキ ビス トは、Booms自身が 自由主 義的多元主義の信仰告 白を行 っているに もかかわ らず、独善的で権威主義的なメカニズムの中で しか存在 し えないのだ。56それが、現在の 日本のパ ブ リックセクターにふ さわ しい といえるのか どうか 、改 め て考 える 必要 もない ことだろ う。 第ⅠⅠ部 :戟線拡大 ∼ ドキュメンテーシ ョン戦略 は価値 問題 を解決す るか アーカイブズ資料 は偏 っている ? ところで、適切 な評価 ・選別が行 われるのを困難 に しているのは、従来のアプローチが、 よ り大 きな社会 的コンテクス トを無視 して行 われて きたか らだ、 とい う主張 が あ る。 これ は、先 に と りあ げ た ドイツの HansBoomsの議論 に も通底す る ものがあるのだが、この種の議論 は、 ヨー ロ ッパ よ りもむ しろ北 米 にお いて盛んなようだ。本論の主題か らして無視 して通 り過 ぎるわけにはいかないので、はた して この説が妥当 であるか どうか、検討 してみる。そ こで まず、評価 ・選別論 の分野 で よ く知 られたGerald Hamの挑 発 的 な問いを、議論の入 り口 として本稿で も取 り上 げることとしよう。 われわれアーキ ビス トの、最 も重要 かつ知的に きつい (demanding)仕事 は、 われわれの時 代 における人類の経験の、表象 となる (representative)記録 を後代 に残すべ く、その よ うな 情報 を、よ くわ きまえて選択す る (informedselection)こ とであ る。 しか し、 なぜ われわ れは、その仕事 において、か くも不 出来 で なければな らないの だろ う (Butwhy mustwe doitsobadly?)057
いったい、何 をもって不 出来だ とい うのか?Hamの不満 はまず、アーカイブズ に残 る資料 が 、偏 った も のになって しまうとい うことにある。アメリカ新左翼 の歴史家、HowardZinnが、 ア メ リカ ・アーキ ビス ト協会の聴衆 を前 に指摘 した ように、アメリカのアーカイブズ記録 は、金持 ちや権力者の側 に、大 きく偏向 しているのだ とい う。Hamはまた、各 々のアーカイブズが、個別に資料の選別 ・収 集 を行 って い るため 、 同様の資料 をそれぞれが重複 して集めていた り、あるいは互いに競合 した りしている、 と見 る。個 々のアー カイブズにおける資料 に視野 を限定せず、む しろ世 の中にある歴史資料全体の ことを考 えた場合 、アーキ ビ ス トたちはそれぞれの限 られた資源 を無駄 に している、 とHamの 目には映る。 適切 な資料収集基準が発展 してこない原因を、Hamはアーキ ビス トたち を根 強 く支 配 して い る伝統 に求 める。彼が真 っ先 にや り玉 にあげるのは、Jenkinson流の、保管人的アーキ ビス ト像 (custodialimage)
であって、この強迫観念のためにアーキ ビス トはただ受動的に資料 を受 け入れるのみであったのだ とい う。58
56 ミダス型アーキビス トの生み出す 「価値」によって公文書館資料を選別保存することは、たとえていうならば、不 換紙幣を、信用の裏付けのあるなしにかかわらず、受け取 りを拒めば厳罰に処すことによってようや く流通させている ようなものである。商品の価値体系と貨幣の関係については、岩井克人 F貨幣論』(ちくま学芸文庫、1998年)を参照。 57 GeraldHam,"TheArchivalEdge,"p.326.そしてHamの挑戦的言辞はつぎのように続 く。「情報収集分野におい て、これほど広い付託を受けながら、選択過程がかくもランダムで、断片的で、連携がとれてなく、またこれほどしば
しば偶発的なものが他にあるだろうか」。なお、この論文は、もともと1975年に発表されたものである。
5hIbid.,p.328.アーキビス トのcustodialtradition(保管人的伝統)に対するHamの反感は根強い。特にHilary Jenkinsonはその代表格として批判されるわけだ。Jenkinson方式だと、アーカイブズに来る資料は 「残 り物」(lefto -vers)ばか りになってしまう、と。 Ham,SelectingandAppraisingArchivesandManuscripts,pp・2,9・
アーキ ビス トが 「歴史学 の風見鶏
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になって しまう危険性 に対 し警鐘 を鳴 らすHamであ るが、そ れ は資 料 の歴史的価値判 断 を歴史家が独 占す るこ とに対す る警告 であ って、アーキ ビス トの役割 を彼 は、氾濫する 情報 を適切 に選 び、扱 い得 る量 の歴史資料 と して将来の世代 に伝 える ことにあ る としてお り、そ こにおいて アーキ ビス トが歴史的価値判 断 を行 うことに、歴史家か ら文句 を言 われた くはない とい うわけである。つ ま り、評価 の イニ シアチ ブをい ったい誰が取 るのか、それは行政マ ンなのか、歴史家 なのか、はた またアーキ ビス トか、 とい う問題 なのであ って (資料収 集 において、アーキ ビス ト ・プロフェ ッシ ョンが受 け身の立場 に立 た され るのは もういやだ、 とい うこ とだ)、その限 りで は、彼 のい うpostcustodial(脱 保 管 人 的 ) な 評価 ・選別論 の枠組 み もや は り歴史学 の影響 を脱 していない といえるだろ う。
60っ ま り、アーキ ビス トなら、 公文書 の行政的 な価値 に しか注意 を払 わ ない行政マ ンや、その ときどきの流行 に研 究テーマ を左右 されがち な歴史家、 自分 の研 究分野 に しか関心 の ない研 究者 に比べ て 、 よ り偏 りの ない 、 「国民 の過 去 を映す鏡」 (a…mirrorofournationalpast)たる資料 を選ぶ ことがで き、「書 かれ るべ き歴史 を全 て」(allthehis -tory thatneedsto bewritten)保存す る こ とがで きる、 とい うわけだ。61じっ さい、われわれの中のあ る人 々は、アーカイブズ資料 中に欠 けている歴史研究上 の トピックや対象が 存在す る こ と (documentation gaps62)が 、たいへ んに気 になる らしいのだ。だか ら、た とえば 「人間の、 すべ ての過去 の、残 る痕跡 (evidence)はいか に部分的な (偏 った) ものであ ることだろ うか、 また、その 遺物 の残存 は、いか に偶然 に左右 される ものであ るこ とか」 とい う歴史家の嘆 きは、その ようなアーキビス トに よって真撃 に聞 き入 れ られ、評価 ・選別論 に持 ち込 まれる。63 ドキュメ ンテーシ ョン戦略 さて、Hamがや り玉 にあげた問題 は、 じつ は裏返せ ば彼 の考 える問題解 決 プ ロ グ ラム- とつ なが ってい るのであ って、た とえば、個 々の アーカイブズ機 関が、個別 に資料の選別 ・収集 を行 っているため、限 られ た資源が無駄 になっている、 とい う批判 は、複数の アーカイブズが連携 し、重複 しない よう、 また、競合 し ない よう評価 ・選別 を行 う、 とい う提案 となるわけだ。 また、アーカイブズ資料が トピック的に偏っている、 とい う問題認識 に対 しては、資料収集 に先 だって主題選定委員会 を設 け、基準 となる主題 を決め る ことが提 仙 "ArchivalEdge,"p.328. 61 Ibid.,pp.328-329,SelectingandAppraising,p.4.
62 Riehard Cox,AmericanArchiualAnalysis:TheRecentDeuelopTnentOf theArchiualProfession in the UntiedStates,Metuchen,N.J‥andLondon,1990,p.294において使用された言葉。
63 もとニューヨーク州立公文書館のアーキビス トBruceDearstyneが、DanielBoorstin(アメリカの歴史家。ス ミソ
ニアン協会の歴史 ・技術館館長、米国議会図書館長を歴任)の嘆きを著書で紹介 したもの。BruceW.Dearstyne,The
ArchiualEnteTPrLSe:Modem ArchiualPrinciples,Practices,andManagementTechTuqueS,ChicagoandLondon,
1993,p.103. Documentationgapsはたとえば、女性、マイノ7)ティ、弱者の歴史において先鋭的に現れるoL,oc cit. ただし、残 りにくいのは、 じつはマイノリテ ィの記録だけではない。Hamは、電話の発達によって、政治家たちが行 う重要な決定が手紙 という形で残 らなくなったことを嘆 く、歴史家のArthurSchlesinger,Jr.のコメン トも引用 してい る。Ham,SelectingandAppraising,p.330.確かに、電話に限らず、口頭で行 うコミュニケーションがすべて記録に 残るならば、後の歴史家にとってはこんなによいことはないだろう。 しか し、このようなことは、オーウェル的な監視 社会をもってすらその実現は難 しい。なぜならば、ことが重大であればあるほど、記録 され、そ して後に公表 されるこ とを予期 したうえでの発言と、それと知 らずに行 う発言が、同じであるはずはないからだ。たとえば、有名なニクソン ホワイ トハウスの秘密録音に多少なりとも信頼性を与えているのは、録音システムの存在を知る者が大統領 とその周辺 の人間に限られ、 しかも公表を前提 としていなかったことによろう (ニクソンは、アイゼンハワーやケネデ ィが同様の 秘密録音システムを持ち、その録音テープ大統領図書館で死後50年間非公開とされている事実を 「不公平だ」 となじっ ている。Nixonが秘密録音を行っているとき、まさか諸先輩と同じ扱いを受けられなくなるとは思って もみなかったわ けだし、思っていなかったからこそ大量のテープを取 り続けたわけだ0RichardNixon,IntheArena:A Memoirof Victory,Defeat,andRenewal,PocketBooks,SimonandSchuster,New York,NY,1990,pp.35-36)。
案 される。権力者 の記録 ばか りが公文書 に残 りやすい、 とい う ドキュ メ ンテー シ ョン ・ギ ャ ップは、アーキ ビス ト自身が時代 の 「レポー ター」 とな り、オー ラル ヒス トリー (聞 き取 り調査 を行 い、それ を記録化す る こと)や写真撮影の フィール ドワー クによって、普通の人 々の様子 を残す こ とで補 う。 さらには、ア ンケー
ト調査や他の統計的方法 に よ り、基礎 的 な社会 的 ・経済的デー タを作 成す る。64
Hamによ り、1970年代 において提 唱 された この ようなアプローチ は、1980年 代 に入 って ドキ ュ メ ンテー ション戦略 (documentation strategy)65と名付 け られ、何 人 かの戟 略 家 (documentary strategists) たちによって理論的 に展 開 されていった。66 ドキュメ ン トす る、 とは 日本語 で ドキュメ ン ト映 画 、 な ど とい う用法 と通 じる ものであ り、 と りあ えず実録戟略 、 とで も訳 しておいて よいだろ う。 この ような議論が出て きた背景 には、歴史学 にお ける社会 史 (socialhistory)の興隆 と、その資料 的要請 に応 え よ うとす る アー キビス ト側の姿勢があ った と見 ておか な くてはな らないだろ う。67 実録戟略の概念 をざっ と眺めた とき、驚 くべ きはその メ ンタリテ ィや提 唱 されるアプローチが 日本の文書 保存運動のそれ とか な りな程度 、パ ラ レルなこ とだ。 と くに、「記録 の創造」68、あ るいは一定 の地理的範囲 を設定 して、その 「地域 史料」 を残す責任 を負お うとす る 「地域 文書館」 の概念 な ど、 ドキュメ ンテーシ ョ ン戦略 との類似性 の有力 な例証である。であ るか ら、本稿で ドキュメ ンテーシ ョン戦略 を取 り上 げたのは、 評価 ・選別論 を トピックとす る以上 はそ うせ ざるを得 なか ったのが第一 の動機 であ ったが、それ以外 に も、 ドキュメンテーシ ョン戦略 につ いて論 じる こ とで、 日本 の公文書館 のあ り方 について考 えるこ とに もなるか らである。 まず、 ドキュメ ンテーシ ョン戦略 につ いて、わた しが気 にい らない ことは、それが、本稿 の前半で扱 った ような、価値 をめ ぐる諸 問題 について、何 ら新鮮 な洞察 をわれわれ に提供 しなか った こ とであ る。そ もそ も それは、「継続的価値 を持つ情報 を特定 し、選別す るに際 して、アーキ ビス トたちが経験 して きた大 きな間
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"ArchivalEdge,"pp.330-333. 65 アメリカアーキビス ト協会の用語集によれば、 ドキュメンテーシ ョン戟略の主要 な要素は、「実録 されるべ き宇宙(theuniversetobedocumented)の分析、固有の文書的問題の理解 (documentationgapsなどのことか)、そ してあ る論点、活動、あるいは地域についての適切な実録 (documentation)を保証するためのプランの形成」 であるとされ
る。A GlossaryforAr・chiuists,ManuscriptCurators,andRecordsManagers,SocietyofAmericanArchivists,
Chicago,1992の "DocumentationStrategy"の項による。
鵬 coxによれば、「ドキュメンテーション戦略」 というコトバが発明され、最初に定義されたのは、1984年のアメリカ アーキビス ト協会の年次大会においてであ り、分科会でHelenW.Samuels、LarryJ.Hackman、PatriciaAronnson らによって提出されたペーパーによるところが大 きいらしい。Coxは ドキュメンテーション戟略の概念的源流を、1970 年代初期から中期に遡るところの、「社会運動、マイノリティ問題、大衆の関心事、その他アーカイブズや歴史資料館 においてよくカバーされていない トピックを ドキュメントしようと格闘」 していたアーキビス トたちの努力に求めてい る。自身もドキュメンテーション戦略家であるCoxは、この概念の発達に影響を与えた論者にHamとBoomsを含めてい る。Cox,op.cLt.,Pp.293-294の注記2によるo L,7 1958年から1978年の間に、アメ7)カにおける社会史研究に基づいた学位論文は 4倍に増え、それまで若手歴史家の 人気を集めていた思想史を追い越 した。社会史は、歴史学のプロフェッシ ョンにおける 「唯一の成長産業」 (the growthindustry)だった。 PeterNovick,ThatNobleDreaTn:The `ObJeCtiuity Question'and theAmerican HLStOr乙CalProfess乙On,CambridgeUniversityPress(1988),p.440.
仙 第24回全史料協全国大会 (沖縄、1998年)のサブテーマは 「史料の保存 と記録の創造」であった。 テーマ設定に関 して、大会企画委員会はつぎのようにコメントしている (大会要綱、pp.45-46)0 「必要であ りなが ら文書や記録 となっ ていない部分があれば、それを記録化する」、「記録史料を保存すること自体が目的なのではなく、記録史料 を保存する ことにより地域や組織の姿を伝えていくことが 目的であるとするならば、-非記録事象の記録化もが (原文 どお り)課 題となってきます」。 69 Cox,op.cit.,p.294. 70 その深層にはもちろん、あらゆる資料を全量保存 したい、という心理が働いていると見て論理的には矛盾がない。 すべてを保存するためには、ひたすらCapabilityの拡大に走るしかないからである。 71 ただし、 トピック選別には問題が多い。 トピック選別の、認識論的な問題については、本稿の注41で論 じておいた。
題 のい くつ か を解 決す る
」
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ための もので はなか ったのか ?しか し、そ れはいつの まにか 、 ア ー カ イブズ資 料 にあれ も足 りない、 これ も足 りない 、 とい う話 になってい き、やが て社会 の姿 を実録す るには、親組織 の 公文書 の狭 い枠組 み に閉 じこ もっていて はだめだ、 とい う主張 になってい った。資料 の価値 を決定す るため に、 よ り大 きな社 会 的 コ ンテ キス トが必要 だ、 とい う出発 にお け る議論 が 、いつの まにか包括 的 な資料 を残 すべ きだ、 とい う議論 にす り替 わ っていたのであ る。 これ は、第一部 で批 判 した、理 念 的 な問題 を解 決 しない まま、Capabilityの拡大 をめ ざす姿勢 と選 ぶ とこ ろはない。つ ま り、評価 ・選 別 にお ける価値判 断の、 よ り根 本的 、原理 的 な諸 問題 に取 り組 もうとす る者の 眼か ら見 る と、実録 戦略 は、単 に評価 ・選 別の範 囲 を、組織 内部 か らよ り広範 な外部へ と拡散 しようと して い るだけであ り、 また、複 数 の機 関の協 同作 業 に よる費用節減効果 に よ り、実 質的 な事業資源 の拡大 をめざ す もので しか ないのであ る。70その アプ ローチ は、資料 を、出所 原則 に拠 るに しろ、 トピックに拠 るに しろ、 あ るい は他 の何 かの分類 法 に よるに しろ、価値序列 化 して選別 しなけれ ばな らない、 とい うわれわれの難問 につ いて何 の解 決 も与 えてい ないのであ る。その ような、価値 問題 を棚 上 げ に した ままの戟線拡大 は、実務 的 にい えば、われ われの仕事 を よ り煩雑 に、われ われの職務 の意義 を よ りあい まい にす る もの とい え よう。71 はっ き りと言 お う。実録 戟 略 は、価値 問題 を解 決 しない。歴 史学 の風 見 鶏 で あ って は い け な い 、 とい う Hamの勇 ま しいか け声 にかか わ らず 、それ は歴 史学 の要請 に奉 仕す る もので しか ない 。 実 録 戦 略 家 た ちの 真 の動機 をここで穿 聖す る気 は ない が 、 た とえ ばHamが 「彼 (ア ー キ ビス ト) は研 究 者 社 会 (research community)の ル ネ ッサ ンスマ ン (万 能人)」 たれ 、 と轍 を とばす とき、袖 の下 か らち らち らと鎧 がのぞい てい る気 がす る。72 しか し、そ れ は、仕方 の ない面 もあ るの だ。 本稿 の序 で も述べ た よ うに、 アー カイブズの概 念 があ ま りに も広 く、Hamや他 の論 者 が 評 価 ・選 別 につ いて語 る とき、彼 らは多 くの歴 史資料館 をそ こにふ くめている。73その経験 論 的 な面 にお い て 、 つ ま り、硯 72 "ArchivalEdge,"p.334. 73 これは、アメリカにおけるアーカイブズ成立史とも関連するのだが、それは本稿ではなく、続編で扱 う。 74 よく好まれるのは、「歴史」、「文化」、「表象」などの、つまりシンボリックで高度に抽象的な用語である (あるいは、 この方程式を逆にたどることも可能だ。つまり、多様な機関、事業をアーカイブズと呼んでひとつの枠組みや コミュニ ティにくくるためには、アーカイブズの概念範囲を拡大せねばならな くなる。そこでは、「歴史」、「文化」、・「表象」な どの抽象的な語 こそが、いわば 「ひとつのアーカイブズ」 イデオロギーを支える土台となることができる)。 Coxの議論は、あるときには行政体のアーカイブズについて論 じているかと思えば、また、べつの ところで、 より広 い歴史資料保存事業 も含めていた りで (そ して、それについていちいち断 りがあるわけではない)、ア-カイ7oズの多 義性に隠れて、その指 し示す範囲が 「出た り入った り」 している感 じだ。そうするうち、アーキビス トの使命は、いつ の間にか 「社会を実録するという、より広範な」 ものにされて しまう。Co又,pp.295-296.これと多少パラレルなのが、日本の全史料協である。全史料協 はその英語名を "TheJapan SocietyofArchives lnstitutions"というが、それはふたたび日本語に訳すると、「日本アーカイブズ機関協会」 となる。そのメンバーシッ プを見ると、本稿でいうところの 「公文書館」は、自治体史編纂室や (郷土資料館、民俗資料館、といった)各種 「資 料館」などの中にあって、数からいえばむ しろマイノリテ ィである。ここでもやは り、アーカイブズの語義が広範にお よんでいるのだ。それを考えると、筆者の属する沖縄県公文書館が、第24回全史料協大会 (沖縄)のホス ト機関として 提案 した入会テーマ、「公文書館法 と地方自治体の責務」が大会企画委員会の容れるところとならず、「地域 史料の充実 をめざして一史料の保存 と記録の創造」に替えられたのも、メンバー構成からすると当然の帰結であったのか もしれな い。この大会のテーマ設定の経緯およびそこにおいて提出された 「多様な会員構成に見合った幅の広いテーマ設定
」へ
の要請については、大会企画委員会の報告 「第24回沖縄大会を終えて」に叙述 されている (全史料協 F会報』No.47、I 999.3、pp.57-58)0 75 例えば、日本歴史学協会主催のシンポジウム (1999年6月、早稲E日大学小野講堂)において、東大史料編纂所教授の 宮地正人氏は、歴史学研究がこれまでの文献偏重から、より広範の資料利用へ と進んできたことに触れなが ら、利用者 の立場から、図書館、博物館、(公)文書館の、歴史資料館-の融合の意義 を説いた。 この議論の一端 は、新井浩文 伴文書館員 ・アーキビス ト問題について』参加記」(
『地方史研究』第49巻第5号、地方史研究協議会、1999年10月)pp. 135-137および奥平晋 「日本歴史学協会主催 シンポジウム 『文書館員 ・アーキ ビス ト問題 について』参加記」 (同、 pp.138-140)において触れられている。実の個々の要素 としてのアーカイブズの範囲が広 ければ広いほ ど、アーカイブズの概念はより抽象的にな り、 その使命 も、 よ り広い ものになる.74また、そ うなる と評価 .選別の枠組み も、公文書 が作 成 され るお お も との部分 における管理 の問題 よ りも、研究者 らエ ン ド・ユ ーザ ーの利便が強調 されて くる。なぜ な ら、そ う することで、多様 な機関 を、歴史資料の提供者 として、同 じアーカイブズ共 同体の屋根 の下 に置いて もよい ではないか、 と主張す ることがで きるか らである。 もちろん、動機 はどうあれ、エ ン ド・ユ ーザ ーの研究者 にとっても、それは悪い話ではない。 じっさい、ユ ーザーに とっては、相手が公文書館であろ うが 、他の呼 称をかぶせた資料館であろ うが、歴史研究 に必要 な資料 にアクセ スで きる こ とが大 切 なので あ り、個 々の 「アーカイブズ」の、組織 的背景の固有性 よ りも、歴史資料館 として育-的な枠組みが確 立 した ほ うが よい のである。75 しか しなが ら、研究利用の立場 か ら、資料の価値 を判断す ることが、評価 ・選別 の枠組 み を確 立するのを阻害することは、本稿前半 において議論 した とお りである。76 結論 :評価 ・選別論がめ ざすべ きもの 公文書館資料の 「価値」 をめ ぐる問題 について、これ までの議論 はコンセ ンサス を形成す るこ とがで きな かった。杏妙 なのは、議論が蓄積 され、整理 されつつ、 よ り先へ進 む、 とい う通常の学問に見 られる単線的 な発展の運動が、 ことわれわれの分野 、 とくに評価 ・選別論 においてはあては まらないように見えることだ。 それは、この分野が まだ確立 していない、はなはだ若い領野であるか らだ、 とい うふ うに単純 に説明す るこ とは無理 だろうO なぜ な ら、われわれは、特 にア-カイブズ資料 の価値の問題 について、時代 は違 え、場所 バリエ-ション も違え、同様の議論が繰 り返 し、 まるで亡霊の ように復活 しては、聞 き慣 れたテーマの、変奏 曲をかなでる のを聞 くか らだ。あるときは英語で、あるいは ドイツ語で、 または 日本語で。そろそろ議論 を整理 して、次 へとすすむ ときであろ う。77 実録戦略は、それ 自体 は価値問題の理念的枠組み を形成 しなかった。それはやは りアプローチ に留 まるの である。それは実録戟略家たちも認めていることだ し、戟略が よ り高次の 目的 ・理念 に奉仕す る道具立てで あることその ものは、何 もおか しなことではない。78だが、そのアプローチが奉仕すべ き、 よ り高 い 目的 と して、つ ま りはアーカイブズの理念 として、彼 らは表象 的 (representative)、 そ して文化 的 (cultura
l
)
なものを措定 している。「社会 を実録」す るのは、その ような資料 を特定す ることであ る とともに、 その よ うな行為 自体が文化的な営み となる。だが、 どの資料が表象的で 、 どの資料 はそ うで ないか 。何 を持 って 「文化的」 とみなすのか
。
79実録戦略 はその問いに答 える ものではない。 76 第Ⅰ部で も例をあげたのだが、 もうひとつだけアーキビス トの声 を紹介 しておこうO「さまざまな古文書資料館 (manuscriptrepositories)で資料整理業務を行った経験からわかったのだが、将来の利用の可能性 を考えて資料の評 価をしようとすると、す ぐに何 も捨てられなくなる、というジレンマに陥る。なぜなら、どの資料を手にとってみても、 それをもとに回答の出せる潜在的なレファレンスを思いつ くことができるからだ」
「べつの言い方をすれば、このこと は、われわれアーキビス トの間で昔からあるジョークを思い起こさせる。歴史家に向かってどの資料を残 しましょうか なんて、決 して聞くな。なぜなら F全部とっておけjというに決まってるからさ、 とね」。 LukeGilliland-Swetlar)d, "Historians,Archivists,andtheUseofArchives,"AmericanArchiuLSt57(Fall,1994),p,591,77 本稿では触れなかったが、デジタル化時代は、否応なくわれわれに対応を迫っている。 この新たなテーマをどう演 奏するのか。失敗すれば、今日の公文書は、次の世代によって全 く解読不能となってしまう。放っておいた場合の紙の 崩壊速度と、デジタルの 「時代遅れ性」(obsolescence)のスピー ドとを比べてみれば、われわれにとって差 し迫った問 題のありかがわかるだろう。また、評価 ・選別論が、領域として 「若い」かどうかは、今世紀初頭にすでに評価 ・選別 のディスカッションがなされていたことを考えると、そう決めつけるのに抵抗のある向きもあるだろうと思う。
7月 たとえば、LarryHackmanandJoanWarnow-Blewett,"TheDocumentationStrategyProcess:A Modeland aCaseStudy,"AmericanArchiuisl,50(Winter1987)や Coxの前掲書を見よ。
79 「文化」というコトバの多義性、暖昧さを考えると、そもそも、人間の営みに文化的でないものがあるのだろうか、
だか ら、実録戟略が方法論 に留 まること自体 を筆者は問題に しているのではない。筆者が反対するのは、 実録戟略が前提 としている、より抽象的な枠組みの もとに、行政の 「公文書館」 まで もが飲み込 まれて しま うことなのだ。アーカイブズ (あるいはその類似概念たる文書館)が経験論的にどのように規定されようが、 それはある意味で仕方ないことである。だが、「公文書館」 をそれに準 じて規定するのは、所与の ことと受 け止めるわけにはいかない。それには理由が必要なのだ.そう、アーカイブズ的な公文書館規定に賛成する に しろ、反対するに しろ、そこには 「公文書館」の理念が提出されな くてはならない。そ して、本稿のテー マであった評価 ・選別論は、そ もそ も理念に奉仕するための ものなのであるか ら、評価 ・選別論において、 適切な議論な り、理論な りを展開するためには、理念をはっきりさせな くては、無意味なのだ。そこで、本 稿の続編たる論考において、筆者は、公文書館の理念について語ることとしよう。
(物語篇 ) レコーズ星の こどもたち (評価 ・選別の倫理性 についての付論)*' 命の選択 つぎの ような仮想実験 を してみ よう。 どこか遠 くの、別の太陽系の惑星- と向か う宇宙船がある。宇宙船 には
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人の子供たちが乗 っている。子供たちは、地球での3
年間の留学生活 を終え、故郷 であ る惑星 「レ コーズ」に帰 るところなのである。この惑星、最新の宇宙船で も地球か ら1
年 もかかる距離 にある。惑星の 住民は地球人の植民者の子孫であ り、地球人 と見分けがつかないが、ある時点で突然変異を起 こしたらしく、 身体のメカニズムが多少地球人 とは違 っている。「ブズ」 とい う、地球 にはない赤い果実 を毎 日食べ ない こ とには死んで しまうのである。幸い、ブズに含 まれる赤い色の もとになった成分 (これ もブズ と呼ばれる) が、レコーズ人に必須の栄養素だ とい うことはわかっていて、それを合成することも可能だった。もちろん、 宇宙船にも合成 システムが搭載 されていて、毎 日赤いブズを子供たちに供給 していた。 さて、地球 を出発 して半年、旅は順調だった。 目的地 まであ と半年の行程。長い旅の中間点 を通過 し、宇 宙船のパ イロッ ト兼 こどもたちの保護者役たる3
人の地球人の大人たちはす こしほっとしていた。子供たち は元気その もの。その子供たちをもうす ぐ親元- と無事 に届けることがで きる。地球人たちは、重要 な使命 を果た しつつある満足感 を覚 えていた。そ してち ょっぴ り感傷的な気分 にもひたっていた。 ところが好事魔 多し、というのだろうか。ある日たい-んなことがお きて しまった。 子供たちにブズを供給 して きたシステムに異変が起 こったのである。出力が徐 々におちは じめ、ついには ほとんどゼロになって しまった。驚いたパ イロッ トたちは急いで トラブル原因の調査 とシステム復旧に乗 り 出した。原因はどうや らあるサブシステムの物理的な損傷 にあることがわかったが、なぜ損傷が生 じたか、 という原因まではわか らなかった。 とにか く地球人たちはシステム復旧にむけてベス トを尽 くした。ブズは 保存が きかないので、ス トックは3
日分 しかない。ス トックが尽 きれば子供たちは数 日を経ず して全員死ん でしまう。地球人は不眠不休で働いた。その結果、3
日間でなんとかブズの生産量 を従来の1
割 にまで戻す ことがで きた。だが、それがせいいっぱいの ところだった。宇宙船の孤絶 した環境の下では、システムのモ ジュールを組み替 えなおす以外に有効 な対処法はな く、一兆通 りもの組み合わせ を試行 した宇宙船のメイン コンピュータは、事故以前の生産量の1
割が復旧の最大値であることを告げていた。他の組み合わせは、 ど れもその値以下 になる。 地球人たちは善意である。彼 らは体力 ・知力の限界に挑 んだ。ある地球人などは、子供たちが助かるなら 自分の命などl苦しくない、神がその ような取引 きを認めるなら、います ぐそ うして もらいたい、 といいいな がら復旧作業 にあたっていた くらいである。他の地球人たちも気持 ちは同 じであった。彼 らは人事 を尽 くし た。そ して、部分的なが ら、システムの復旧に成功 した。 しか しそのことで、地球人たちは、倫理的な問題 に直面 して しまった。現在のブズ生産量で救 える子供た ちはせいぜい10人、無理 を して 1人あた りの配給量 を生存 に必要 なだけの ぎりぎりの値 にまで減 らした とし ても、あ と2
人が生存可能になるだけである (そ して、生存可能な最少量のみを摂取す ることは、成長途上 の子供たちの脳 に重大な障害 をもた らす ことが医学的に確かめ られている)。1
0人 (あるいは1
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人)の子供*
1 この論考は、はじめ本論とは独立に、時期的には先だって書かれ、やがて本論執筆のために未完のまま放置され ていたものに、ようやく手を加えて付論とした。論理的にはかなり未整理であるが、たとえ話として面白いと思ったし、 扱っている問題は今後もっと議論されてよいことだと考え、おおやけにすることとした。この付論を書 くにあたって、 加藤尚武 F現代倫理学入門』(講談社学術文庫、1
9
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年)、特にその第2
章 「10人の命を救うために1
人の人を殺すこと は許されるか」と第3章 「10人のエイズ患者に対 して特効薬が 1人分しかない時、誰に渡すか」を参考にした。を救 うためには、その
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人を選別 しなければならない。それは残 りの9
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人の子供にとっては、死の宣告を意 味する。それで も、 とにか く1
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人を選ぶ とすると、どのような方法があるだろうか。 選別の方法はいろいろ考えられる。ランダムに くじやサイコロで決める方法 もあれば、子供に IQテス ト や体力テス トなど、何 らかの形で数量化可能な試験 を施す、 というや りかたもあろう。仮 に前者 をランダム 法、後者 を数量比較法 と呼ぶ ことにする。数量比較法の場合、子供たちをある価値指標に沿って序列づけす ることになる。生 きる資格があるか どうかを、知能だの、運動能力だの、ある 「測定値」 を数量化 したもの に従って判断するわけで、何 とも非道徳的でや りきれない。想像するだに醜悪な感 じがする。そ もそ も、指 標 (知能、運動能力、学校の成績、家柄、遺伝)の選定や、性 質が異 なる指標 の測定値 どう しの重みづけ (たとえば知能点 と運動能力点の どちらにウェイ トを置 くか)、 といった基準づ くりには、作 る者の主観が大 きくかかわって くる。いったん基準がで きて しまえば、測定値 をインプッ トしてそこから得 られる数量は、 (誤差 を除外すると)誰が扱 って も同 じになる、 という意味では客観的なものだ。 しか し、基準 はそ うでは ない。作 った者の主観が基準の性質を左右 して しまう。基準のち ょっとした違いは、結果の違い となって現 れるが、それは子供たちにとって、生 と死の分かれ 目を意味する。 これに対 して、ランダム法だと、結果はまった くの偶然の産物であ り、主観 によって子供たちの生命が左 右 されることがないので、よ り公平なや り方である、 という見方 もあろう。 したがって、地球人たちも罪悪 感を覚えずに1
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人の子供たちを救済で きるのではないか、と。 しか し、はた してそうであろうか。確かに、 くじの結果その ものは地球人の意図 とは関係がないだろう。たとえば、地球人が、自分 と仲良 しの子を救う ために、「あの子は頭がいいか ら知能テス トの結果を重視する基準 を作ろう」 というような、数量比較法に おいては可能か もしれない 「操作」はで きない (くじは厳正に行われるもの とする)。 しか し、 いったん く じが行われ、結果がでたとしよう。結果か ら見ると、選ばれた1
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人はまさに くじという方式の故に助かった のであ り、残 りの9
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人はまさに くじという方式によって救済 されなかったのである。この結果は、偶然のも の とはいえ、「くじ」 という方式 を採用 したために生 じたものであ り、他の方式を採用 していた場合 とは違っ た結果を導 き出 したゆえに、地球人たちの関与性は、数量評価法に比 していささか も減 じない。つまりやは り非道徳的な感 じは同 じように残るのである。 もしも、ブズ生産システムが全 く復旧 しなかったならば、つまりブズの生産が全 くで きないまま、子供た ちが 目の前でつ ぎつ ぎに欠乏症で死んでい く、という事態になっていたならば、地球人たちは自分たちの無 力 さを呪い、また運命の無情 さを呪ったであろうが、倫理的ジレンマに陥ることは決 して起こり得なかった。 いいかえると、地球人たちが直面 した倫理的問題は、地球人たちの無力 さからきているのではな く、「全貞 を救 うことはで きないが、ある選ばれた一部なら救済可能なので、それ を選 ばなければならない」 という 「限られた能力」か ら来ているのである。たとえば、脳死をめ ぐる倫理的諸問題は、医学的技術 が未発達で あったころなら起 こらなかった ものであろう。なぜなら、現在生命維持装置で 「生かされている」脳死患者 は、以前であれば手の施 しようがな く、医師 も最後に 「手は尽 くしましたが、残念で した」 といってそれで 終わったわけである。一般的に、全 くその能力がなかった段階か ら、限られた能力を獲得する段階へ移行す ることは、福音ばか りを意味 しない。 しか し、「限られた能力」は、この種の倫理的ジレンマの 「必要条件」か もしれないが、「十分条件」では ない。限 られた能力か らくる 「あれかこれか」の選択は、われわれ も常 日頃お こなっている ものである。1
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円の小遣いを、本 に使 って しまったら、それで ビールを飲むことはで きな くなる。A
さん と結婚すれ ばB
さんとは (同時には)結婚で きない (これは賓沢な悩みだが)。たとえば、経済学 という学問は、「資源 の希少性」 という大前提で発達 して きている。経済学はひとつの例だが、資源配分の問題 (それはつまり、選択の問題である)はひとり経済学のみならず、また学問のみならず、社会生活のあ らゆる場面に登場する。 われわれは、それか らいっときも逃れることはで きないのである。だか らといって、われわれは、 レコーズ 人の子供 を送 り届ける地球人の ような倫理的問題 に直面するわけではない。 さきほども述べ たが 、 「限 られ た能力」は倫理的ジレンマの必要条件ではあって も、十分条件ではない
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円の小遣い」 とい う限 られ た能力で もって、「あれかこれか」の選択 をすることにわれわれは少 しの道徳的問題 をも感 じない。 ところ が、 レコーズ人の子供たちを 「あれかこれか」の選択の狙上 に載せることには、たいへんな罪悪感 を持つだ ろう。そ してその理由はたぶんこう説明で きるであろう。われわれは、子供たちの 「生命」の価値 を、知能 だの運動能力だの、何 らかの数量化 を行 ったうえで相対的にランクづけることに抵抗感 を持つのだと。 そこには、子供たちの生命は、「絶対的な価値」 を持つ、 とい う前提があるのである。「絶対」の本質は、 「絶対」 というコ トバが、「相対」 とい う語 を反意語 に持つ ことか らわかるように、そ もそ も比較考量 を拒絶 する。「絶対」にモ ノサシをあてることはで きない。「絶対」 どうLを くらべ ることはで きない。「評価」
「基 準」
「比較」
「条件」 などは、「絶対」 とは 「絶対 に」な じまないのである。 記録はアーカイブズにあ らず ? ここで レコーズ星のこどもたちの話 は終わ りに して、現実 に戻ろう。本論で も指摘 したように、われわれ は、擬人化するほどまでに資料 を愛 している。Boisardのい うように、記録の廃棄はわれわれの多 くを不快 にさせる。それが昂 じれば、選別基準 をつ くることも、それに従って廃棄 をすることも、ち ょうどレコーズ 星人を前 に地球人が直面 したの と似た倫理的ジレンマを提供するだろう。 これは、多少おおげ さに聞 こえる かもしれないが、保存 を第-に考え、廃棄 を憎むわれわれの心性 をついた議論だ。アメリカのアーキ ビス ト Frank Evans(彼 はI
CA
アーカイブズ用語辞典の編纂者の一人である)によって提案 された、資料廃棄 に 伴 う罪の意識か ら逃れるひとつの方法は、廃棄 される資料 を、救済 される資料 とは何か別物 だ と見なす こと である。彼は、アーキ ビス トが選別 した ものが 「アーカイブス資料」 になるのであ り、それ以前 の 「記録 (レコーズ)」 とは区別 されるべ きだ、 とい う自身の立場 をこう説明 した。「アーカイブズの意味 を、 アーキ ビス トが選別するまえの記録 にまでひろげて しまうと、-アーキビス トをアーカイブズの廃棄 に関わ らせて しまうことになる」
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ここで働いている心理的メカニズムは、(不謹慎 な例 に思われるか もしれないが)人 間を生体実験の材料 に した旧 日本軍の7
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部隊が、捕虜を人間 と呼ばず、別の呼称 を用 いていた事実 と通底 する.
暮3 しか し、現実 を見 よう。われわれの多 くは、評価 ・選別業務 を通 じて、行政がそ もそ も作成する文書の少 なくとも9
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パーセ ン トは廃棄 しているのである。た とえそれが公文書館の職員ではな く、文書主管課の職員 によって行われてお り、あなたがそれを 「アーカイブズ」 と呼ばず、「記録」、 と呼ぶ ことで 自分は手 を汚 さ ず、 したがって何の阿責 も感 じない、 とい うのは自己欺膳である。いずれに しろ捨てているものは捨ててい るのだ。 しか しなが ら、ジ レンマの真の原因は、廃棄 とい う行為その ものにあるのではな く、公文書 を自己 目的化 して しまったことにあるのだか ら、ジレンマの真の解決法はただひ とつ、公文書 その もの を 目的化 (絶対化) しないことである。ある種の公文書 を継続的に保存するのは、それ自体が 目的 なので はな くて、 より上位の 目的に奉仕するためであるはずだ。つ まり、手段 なのだとい うことを確認 した うえで、より上位 の目的を明確化 してい くことだ。そ うでなければ、行政体 は、罪 もない彪大 な文書 をシュレッ ドし、焼却 し、*
2 TrevorLivelton,ArchiualTheoつ,,Records,andthePublic,TheSocietyofAmericanArchivistsandthe Scarecrow Press,lnc.,Lanham,Md.,andLondon,1996,p.70.あ るい は融解 す る、 まるで ナチ の絶滅 キ ャ ンプに も等 しい蛮行 を行 ってい る こ とに な るの だ。●4 だか ら、 繰 り返すが 、公文書 は 目的 で はない。 政 府 、行政 、公文書 仮 に行 政 の 目的が 、「公 共 の利益 を促 進 し、保護す る」 (ポ ール ・ア ップル ビー)●5 こ とにあ るの だ とすれ ば 、公文書 はその過程 にお いて生 み 出 され る ものであ る し、 またその 目的 に従 って選択 的 に残 されれば よい のであ る。やや 図式 的 にい う と、民主主義社会 にあ っては、公 文書 は、行 政 の活動 の痕跡 と して、それ を残 す こ とで 、効率 的 、継 続 的 な行 政活動 を可 能 に し、かつ市 民 的権利 を保証 す る もの とい う位 置づ けで 、あ く まで手段 と して残 され る。 だか ら、仮 に政府 が抑圧 的であ れば、公文書 もその ような抑圧装 置 の活動過程 で 生 み 出 され、その よ うな 目的 で使 われ るであ ろ う。その場合 、市民 に とって公文書 は、擬 人的 な愛情 を注 い だ り、 フェテ ィ ッシュな愛着 の対象 にす る どころで はない。 む しろ忌 むべ きもの、恐 るべ きもの になるだろ