タイ下院総選挙 -- タックシン派の圧勝と初の女性
首相誕生 (トレンドリポート)
著者
今泉 慎也
権利
Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア
経済研究所 / Institute of Developing
Economies, Japan External Trade Organization
(IDE-JETRO) http://www.ide.go.jp
雑誌名
アジ研ワールド・トレンド
巻
192
ページ
34-37
発行年
2011-09
出版者
日本貿易振興機構アジア経済研究所
URL
http://hdl.handle.net/2344/00004158
二〇一一年七月三日に行われた タイの下院議員総選挙(定数五〇 〇)において野党タイ貢献党が圧 勝し、二〇〇六年クーデタで追放 されたタックシン・チンナワット 元首相を支持する勢力が再び政権 を手にした。八月五日、タックシ ン元首相の妹のインラック・チン ナワットが下院の多数によって首 相に指名された。タイで最初の女 性首相の誕生である。 イ ン ラ ッ ク 首 相 は 、 一 九 六 七 年 生 ま れ の 四 四 歳 。 タ ッ ク シ ン 元 首 相 と は 一 八 歳 の 差 が あ る 。 チ ェ ン マ イ 大 学 卒 業 後 、 ケ ン タ ッ キ ー 州 立 大 学 で 行 政 学 修 士 号 を 取 得 し た 。 そ の 後 、 タ ック シ ン 元 首 相 の シ ン ・ コ ー ポ レ ー シ ョ ン ・ グ ル ー プ 内 で 要 職 を 経 験 し 、 携 帯 電 話 A I S 社 の C E O も 努 め た が 、 政 治 経 験 は 皆 無 で あ る 。 各 国 メ デ ィ ア は タイ の 最 初 の女 性 首 相 の 誕 生 を 伝 え た が 、 華 々 し い デ ビ ュ ー と は 対 照 的 に イ ン ラ ッ ク 政 権 に は国 民 和 解 と い う 難 題 が 待 ち 受 け て い る 。 タ イ に お い て は 、 タ ッ ク シ ン ・ チ ン ナ ワ ッ ト 元 首 相 を 追 放 し た 二 〇 〇 六 年 九 月 ク ー デ タ 以 降 、 元 首 相 を 支 持 す る 勢 力 ( タ ッ ク シ ン 派 、 赤 シ ャ ツ ) と そ れ に反 対 す る 勢 力 ( 反 タ ッ ク シ ン 派 、 黄 色 シ ャ ツ ) と の 政 治 対 立 が 深 刻 化 し た 。 一 方 が 政 権に つ く と 他 方 が 街 頭 で の 大 規 模 な抗 議 行 動 を 展 開 す る 悪 循 環 に 陥 っ た の で あ る 。た と え ば 、 昨 年 二 〇 一 〇 年 三 月 か ら 五 月 に は タ ッ ク シ ン 派 の 反 独 裁 民 主 主 義 戦 線 ( U D D ) が ア ピ シ ッ ト 前 政 権 に 対 し て 、 バ ン コ ク 中 心 部 な ど を 占 拠 す る 大 規 模 な 抗 議 行 動 を 展 開 し た 。 強 制 排 除 が 行 わ れ る ま で に U D D 側 、 軍 、 さ ら に 市 民 に 九 二 人 の 死 者 と数 百 人 の 負 傷 者 を 出 す タ イ 現 代 史 上 最 悪 の 惨 事 と な っ た 。 こ の 事 件 は 国 民の 間 で 深 ま っ た 亀 裂 を 修 復 す る こ と の 必 要 性 を 広 く 認 識 さ せ る も の で あ っ た 。 民 主 党 の ア ピ シ ッ ト ・ ウ ェ ー チ ャ ー チ ワ 首 相 ( 当 時 ) は 、 U D D と の 交 渉 の な か で 王 政 擁 護 、 メ デ ィ ア 改 革 、 経 済 格 差 是 正 、 憲 法 改 正 、 真 相 究 明 を 柱 と す る 国 民 和 解 ロ ー ド マ ッ プ を 二 〇 一 〇 年 五 月 に 示 し た 。 連 立 与 党 内 に も 早 期 の 選 挙 を 求 め る 声 は 強 か っ た が 、 ロ ー ド マ ッ プ の実 現 が 総 選 挙 の 前 提 で あ る と 主 張 し て 、 ア ピ シ ッ ト 首 相 は 選 挙 を 引 き 延 ば し た 。 懸 案 で あ っ た 選 挙 制 度 を 改 革 す る 憲 法 改 正 が 二 〇 一 一 年 三 月 に 発 効 し 、 ま た 、 そ の 実 施 に 必 要 な 選 挙 法 等 の 改 正 も 実 現 し た こ と か ら 、五 月 一 〇 日 、ア ピ シ ッ ト 首 相 は 下 院 を 解 散 し 、 五 〇 日 余 り に わ た る 選 挙 戦 が 開 始 さ れ た 。 今 回 の 総 選 挙 は 、 二 〇 一 一 年 一 二 月 に 下 院 の 任 期 満 了 を 前 に 、解 散 に よ っ て 総 選 挙 を 前 倒 し す る も の で あ っ た 。 国 民 が タ ッ ク シ ン 派 の 野 党 タ イ 貢 献 党 と ア ピ シ ッ ト 首 相 を 擁 す る 民 主 党 と い う 二 つ の 大 政 党 の い ず れ を 選 択 す る か 、 そ し て 、 両 勢 力 が 拮 抗 す る な か で 中 小 の 政 党 が ど の よ う に 政 権 に 関 わ っ て い く か が 注 目 さ れ た 。 当初、民主党とタイ貢献党の勢 力 は 拮 抗 す る と 考 え ら れ て い た が、選挙戦が始まるとタイ貢献党 の優勢が続き、民主党は挽回する ことができなかった。八月一日に 表1 2011年下院議員総選挙の結果 合計 選挙区 比例区 定数 500 375 125 与党 タイ貢献党(Pheu Thai) 265 204 61 タイ開発国民党(Chartthai Pattana) 19 15 4 国家貢献開発国民党(Chart Pattna Puea Pandin) 7 5 2 民衆力党(Phalang Chon) 7 6 1 大衆党(Mahachon) 1 1 新民主党(New Democrat) 1 1 与党合計 300 230 70 野党 民主党(Democrat) 159 115 44 タイ矜持党(Bhumjaithai) 34 29 5 母なる大地党(Matubhum) 2 1 1 タイ国を愛する党(Rak Thailand) 4 4 平和を護る党(Rak Santi) 1 1 野党合計 200 145 55 (出所)筆者作成。 (注)英文名称は選挙委員会登録のものを用いた。 表2 選挙制度の主な変更 改正前 現 在 定数=選挙区400人、比例区100人 定数=選挙区375人、比例区125人 選挙区=1選挙区につき候補者複数 選挙区:1選挙区につき1候補者 比例区:8選挙区に分割 比例区:全国1区。 (出所)2007年憲法(2011年3月改正)・選挙法より筆者作成。
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タイ下院総選挙―タックシン派の圧勝と初の女性首相誕生 確定した最終結果では、タイ貢献 党 は 二 六 五 議 席( 改 選 前 一 八 七 ) を得て、 過半数を大きく上回った。 民主党は一五九(同一七二)にと どまった。 どうしてタイ貢献党は圧勝した の で あ ろ う か。 そ の 理 由 と し て、 第一に民主党政権がその支持基盤 の拡大に成功しなかったこと、第 二に、インラック首相という切り 札 が 効 果 を あ げ た こ と、 第 三 に、 選挙制度改革によって獲得議席が 押し上げられたことがあったと考 える。以下、順にみていこう。
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成
功
し
な
か
っ
た
民
主
党
の
支
持基盤拡大
そ も そ も 前 回 の 二 〇 〇 七 年 一 二 月 選 挙 を 含 めて 、 二 〇 〇 一 年 以 降 の 選 挙 に お い て タ ッ ク シ ン 派 が 常 に 勝 利 し て き た 。 た と え ば 、 二〇 〇 七 年 選 挙 ( 定 数 四 八 〇 : 比 例 区 は 八 〇 ) に お い て 、 タ ック シ ン 派 の 人 民 の 力 党 ( 当 時 ) が 二 三 三 ( 比 例 区 三 四 ) 議 席 を 獲 得 し た の に 対 し て 、 民 主 党 は 一 六 五 議 席 ( 比 例 区 三 三 ) に と ど ま っ た 。 選 挙 で 敗 れ た 民 主 党 が 政 権 に つ い た の は 、 二 〇 〇 八 年 一 二 月 の 憲 法 裁 判 所 の 判 決 に よ っ て タ ッ クシ ン 派 の 人 民 の 力 党ほ か 与 党 三 党 の 解 散 が 命 じ ら れ こ と 、 そ し て 、 タ ッ ク シ ン 派 の 一 部 ( タ イ 矜 持 党 な ど ) が 民 主 党 側 に 寝 返 っ た か ら で あ っ た 。 そ の 後 、 タ ッ ク シ ン 派 が 一 貫 し て 早 期 の 選 挙 を 求 め て き た の は 、 選 挙 す れ ば 自 分 た ち が 勝 つ と 信 じ て い た か ら で あ る 。他 方 、 民 主 党 と し て は 政 権 に つ い て い る う ち に 自 党 へ の 支 持 を 拡 大 す る こ と が 必 要 で あ っ た 。 民主党政権はタックシン派支持 層を取り込むために、地方や弱者 救済のための政策を強化した。し かしながら、この時期の経済状況 は民主党政権が支持基盤を拡大す るうえで大きな制約となったと考 えられる。民主党が政権についた 二〇〇九年は世界的な金融危機の 影 響 で タ イ 経 済 も マ イ ナ ス 成 長 (二・三%)に陥ったからである。 二〇〇九年後半から急速な景気回 復が鮮明になったものの、国際的 な原油高などの影響による物価上 昇圧力は高まった。政府は価格統 制法などを適用して価格上昇をお さえたが、昨年には食用油の品不 足が生じるなどの混乱が生じた。 民主党内には、UDDによる昨 年二〇一〇年の「騒乱」によって タイ貢献党の支持の低下につなが るという見方もあったが、そうし た変化があったかは疑わしい。二 〇一〇年中に行われたいくつかの 下院議員補欠選挙においては、ひ とつを除いてすべての選挙におい て当該選挙区でもともと議席を得 て い た 政 党 が 勝 っ て い る。 唯 一、 補欠選挙で議席を失ったのは民主 党であった。また、今回の総選挙 によって各党が得た議席を地域別 にみると、二〇〇七年総選挙とほ ぼ同じ勢力図となっている。民主 党 は バ ン コ ク と 南 部 で 支 持 さ れ、 タイ貢献党は北部・東北部を中心 に広く支持を集めた。さらに他の 中 小 の 政 党 も 議 席 を 減 ら し た が、 そ れ ぞ れ の 地 盤 は お さ え て い る。 勢力図が基本的には変わっていな いということは、国民和解の達成 がいかに難しいかをあらためて示 すものである。 反タックシン派のPADの活動 が 民 主 党 に と っ て 大 き な 制 約 と なった面もある。民主党政権の成 立以降、タックシン派のUDDが 抗議行動を繰り返してきたが、二 〇一〇年になるとPADも民主党 政権に対して抗議行動をとるよう になった。PADはタックシン派 に対する政府の対応が手ぬるいと 批判したほか、カンボジアとの国 境問題をめぐって政府に厳しい対 応をとるように圧力をかけた。民 主党政権は選挙戦中に世界遺産条 約からの脱退を表明し、PADは 要求が満たされたとして選挙運動 最終日に集会を解散した。 さらに、PADが行った一種の 選挙ボイコット運動が民主党にマ イナス材料となった。タイの有権 者は、候補者ないし政党を選択す る 代 わ り に、 「 投 票 す る 意 思 が な い」という項目を選ぶことができ る。PADは有権者に棄権票を投 じることを求めるキャンペーンを 行った。選挙委員会によれば、P ADが目標として五〇〇万票には 及ばなかったものの、八〇万票ほ どの棄権票がみられた。PADの 支持者は民主党の方に投票する可 能性が高いと考えられ、PADの 運動は民主党に影響を与えた。 さらに、民主党政権への閉塞感 か ら 小 政 党 に 流 れ た 票 も あ っ た。 なかでも、風俗ビジネスで財をな し た と い う 異 色 の 経 歴 を も つ チューウィット・カモンウィシッ トは、率直な物言いと警察などの 汚職批判でバンコクを中心に人気 を集め、彼が創設した「タイ国を 護る党」は比例区で四議席を獲得 する大躍進を果たした。●インラック効果?
首相候補としてインラックの人 気 が タ イ 貢 献 党 の 圧 勝 へ と 導 い た。 「 タ ッ ク シ ン 」 人 気 は な お 根中 心 に 強 か っ た が、 新聞報道によれば、 (代理人) 六 日 の こ と で あ っ 明 確 な デ ー タ は な 女性が数多く参加していることが 指摘されており、このことはタイ 女性の政治意識の高まりを示唆し ている。女性有権者の支持を受け た 可 能 性 は 高 い と 考 え る。 ま た、 インラック陣営は政治対立を解消 するうえで誰とでも対話のできる 女性が適しているというメッセー ジを強調した。インラックは報復 の意思がないことを繰り返し、タ イ貢献党が勝っても軍への報復人 事 を 行 わ な い こ と を 明 言 し た。 タックシン元首相は、インラック を選んだのは和解するためであっ て、 報 復 が 目 的 で あ っ た な ら ば、 従兄弟のチャイヤシット・チンナ ワ ッ ト 陸 軍 大 将 を 選 ん だ と 述 べ た。 これと対照的に、民主党とアピ シット首相は選挙戦のなかで国民 和解を唱えつつも、昨年の騒乱の 責任がUDDやタイ貢献党にある と主張し、タイ貢献党が政権につ け ば 政 治 は 混 乱 す る と い う ネ ガ ティブ戦略も併用した。タイ貢献 党・UDDの幹部は責任は政府に あ る と の 従 来 の 主 張 を 繰 り 返 し、 反論したけれども、インラックは 一貫して和解を強調し、そうした 議論に与しない戦略をとったと考 えられる。
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小
選
挙
区
制
の
復
活
が
勝
敗
を
さらに鮮明に
今回の総選挙の直前に行われた 選挙制度改革において、一選挙区 につき一候補を選ぶいわゆる小選 挙区制が復活したことは、タイ貢 献党の獲得議席数を底上げする効 果があったと考えられる。クーデ タ前の一九九七年憲法は、下院議 員選挙について、政党名簿方式の 比例代表制と小選挙区制の並列制 を採用していた。タックシン元首 相が率いたタイ・ラック・タイ党 が二〇〇一年、二〇〇五年の総選 挙で圧勝したひとつの要因に小選 挙区制があったと考えられた。そ こで、二〇〇六年クーデタ後に起 草 さ れ た 現 行 の 二 〇 〇 七 年 憲 法 は、小選挙区制を廃止し、ひとつ の選挙区から複数の候補を選出す る方式へと変更した。また、比例 代表制については、全国を八つの 地域に区分し、それぞれの地域で 名簿を作成することにした。 しかしながら、国会議員のなか には選挙制度の改革を求める声が 強かった。二〇〇九年に国会の政 治改革・国民和解特別委員会がま と め た 六 項 目 の 憲 法 改 正 提 案 に は、小選挙区制の復活を含む選挙 制度改革が含まれていた。当時与 党の民主党内には小選挙区制の復 活 に 消 極 的 な 意 見 が 強 か っ た が、 連立を組む他の与党が強く主張し たため、小選挙区制の復活を容認 せざるを得なかった。そこで小選 挙区制を認める代わりに、比例定 数 の 大 幅 な 増 員 が 行 わ れ た ほ か、 全国をひとつの選挙区とすること となった。比例定数の増加が現職 首相を擁する民主党に有利と考え られたからである。 しかしながら、 総選挙の結果をみると、比例区に おいても民主党はタイ貢献党に大 きく溝をあけられた。民主党が期 待した 「アピシット効果」 よりも、 「 イ ン ラ ッ ク 効 果 」 が 大 き か っ た のである。●
タ
イ
貢
献
党
の
公
約
は
実
現
す
るのか?
タイ貢献党が過半数をとったこ とで、連立をめぐる政治的混乱は 生じず、連立政権作りが速やかに 進んだ。投票日翌日の七月四日に は、タイ国民開発党(一九議席) 、 国 家 貢 献 開 発 国 民 党( 七 議 席 )、 民 衆 力 党( 七 議 席 )、 大 衆 党( 一 議席) 、新民主党(一議席) 、との 連立が発表された。この連立政権 は三〇〇議席を確保する。 しかし、選挙委員会による当選 確 定 作 業 は 時 間 が か か る こ と と なった。国会召集に必要な九五%タイ下院総選挙―タックシン派の圧勝と初の女性首相誕生 の議員の当選が確定していること が必要であるが、それを満たす数 の議員の当選が確定したのは七月 二七日のことであった。審査に時 間がかかった理由は、タイ貢献党 の比例代表名簿に含まれていたU DDのリーダー一〇人が同党の党 則および選挙法の規定上、党員た る資格を有するかが争点となった ことにある。特に逮捕され身柄を 拘束されたままになっているチャ トゥポーン・プロムパン(同党の 名簿第八位)の取り扱いが最後ま で残り、国会が召集される八月一 日になって当選が確定した (なお、 二選挙区で再選挙、一選挙区で投 票の再集計が行われた) 。 閣僚人事については、前政権で は三人であった副首相を五人へと 増員し(三人が他の大臣を兼務) 、 インラック首相を支える体制を明 確にした。また、懸案であったU DDメンバーからの大臣起用は見 送られ、 UDD側に不満を残した。 インラック首相は自分が全体の調 整に力を入れ、各分野はそれぞれ の専門チーム、担当大臣に委ねる ことを表明している。 閣僚人事も固まり、関心はイン ラック政権がその公約をどれだけ 実行するかに移っている。選挙戦 では民主党・タイ貢献党双方が公 約を競ったが、バンコク都内の電 車 網 な ど イ ン フ ラ 整 備 に 加 え て、 最低賃金の引き上げなどの方針は 重なる部分が多い。法人税率の引 き下げ(現行三五%を二三%、さ らに二〇%)とともに、最低賃金 の全国一律三〇〇バーツへの引き 上げや大卒初任給の一万五〇〇〇 バーツへの引き上げ策を掲げてい る。急激な引き上げによるコスト 増 は 中 小 企 業 へ の 影 響 が 強 い 一 方、昨年から懸念されているイン フレを強めるとして懸念を表明す る声もある。