イラク戦争と図書館 (特集 災害と図書館)
著者
小林 磨理恵
権利
Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア
経済研究所 / Institute of Developing
Economies, Japan External Trade Organization
(IDE-JETRO) http://www.ide.go.jp
雑誌名
アジ研ワールド・トレンド
巻
210
ページ
40-42
発行年
2013-03
出版者
日本貿易振興機構アジア経済研究所
URL
http://hdl.handle.net/2344/00003755
二〇〇三年三月二〇日、米英軍 の 侵 攻 に よ り、 イ ラ ク 戦 争 が 始 まった。五月一日にブッシュ大統 領より戦闘終結宣言が発せられた が、その後も戦闘状態は続き、事 態は泥沼の様相を呈した。米軍の 撤退が完了したのは二〇一一年一 二月のことであり、 記憶に新しい。 二〇一三年三月には開戦から一〇 年目を迎えるが、開戦時の強い印 象はその後の社会変容のなかで薄 れつつある。戦争が図書館にもた らした影響について、今一度考え たい。
●図書館等の被害状況
ことに紛争・戦争という人為的 災害の状況下では美術品や文化財 の略奪が絶えない。また、戦禍に 紛れて重要文書を意図的に廃棄す る動きもある。イラクでも例に漏 れず、美術品や文化財の略奪や盗 難が相次いだと報告された。図書 館 の 被 害 状 況 を 中 心 に み て み よ う。 ①イラク国立図書館・文書館 防衛省の真向かいに位置するイ ラク国立図書館・文書館(一九二 〇年創立)は、二〇〇三年四月に 二 度 の 略 奪 と 火 災 に 遭 い、 建 物、 蔵 書 と も に 甚 大 な 害 を 被 こうむ っ た 。 蔵 書 の 約 二 五 % が 略 奪 さ れ た と い う。 と り わ け 焼 失 の 被 害 が 大 き かったのは、歴史的価値の高い文 書やマイクロフィルムである。こ の点について同年一〇〜一一月に 調査を実施したアメリカ議会図書 館の調査団は、無作為な略奪では なく、発火装置を用いた組織的な 犯行によるものであろうとの見解 を示している。一方で、蔵書の一 部は司書によって事前に安全な場 所 に 移 さ れ て お り、 難 を 逃 れ た。 また、司書が書架をさえぎる金属 製のドアを閉めたことで守られた 蔵書もあった。アメリカ議会図書 館の調査団来訪時にこのドアは開 けられ、そのなかの安全が確認さ れている。 ②大学図書館 大学図書館の被害状況は図書館 によって様々である。バグダット 大学は二つのキャンパスを擁する が、 そ の ひ と つ、 バ ー ブ・ ア ル・ ム ア ッ ザ ム キ ャ ン パ ス の ア ル ワ ジーリーヤ中央図書館では蔵書の 多くは守られたものの、略奪と放 火に遭った。一方で、もうひとつ のアル・ジャディーリーヤキャン パス中央図書館では窓ガラス、ド ア、コンピュータが失われたのみ に止まった。イラク北部にあるモ スル大学中央図書館では、放火は されなかったが、備品や蔵書の略 奪に遭った。 壊 滅 的 な 害 を 被 こうむ っ た の は、 イ ラク南東部に位置するバスラの大 放火された宗教関係中央図書館(Nabil al-Tikriti氏撮影、http://oi.uchi cago.edu/OI/IRAQ/mela/LibraryPix/036.html:2013/1/21最終閲覧) 焼かれた国立図書館の文書(McGuire Gibson氏撮影、http://oi.uch icago.edu/OI/IRAQ/mela/LibraryPix/08.html:2013/1/21最終閲覧)特 集
災 害 と 図 書 館
小
林
磨
理
恵
イ
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ク
戦
争
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館
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アジ研ワールド・トレンド No.210 (2013. 3)学図書館や公共図書館である。イ ラン・イラク戦争による荒廃から 一部しか復旧していなかったバス ラ 大 学 の 図 書 館 は 略 奪 の 嵐 に 遭 い、放火された。 ③他の施設 最も古くから写本コレクション を 所 蔵 す る 宗 教 関 係 中 央 図 書 館 ( M a k ta b a t a l-A w q ā f a l-Markazīyyah ) の 建 物 も ま た、 火災に遭った。しかし火災が起こ る前に、コーランの重要なコレク ションを含む大部分の写本は別の 場所に移され、武装衛兵の管理下 に置かれたため難を逃れた。 一方、 トラックに積まれ、また別の場所 に 移 さ れ た 一 部 の 写 本 は、 略 奪、 あ る い は 放 火 さ れ、 失 わ れ て し まった。写本を守っていた武装衛 兵が米軍に殺害されたり、武装解 除されたりしたため、図書館へ写 本を戻そうとトラックの移動を試 みた矢先の出来事だったという。 知恵の館 ( Bay t Al-Hikma ) は、 図書館、講義室、音楽ホール、コ ンピュータ室を備える芸術と人文 科 学 の 研 究 支 援 セ ン タ ー で あ る が、ここでも多くの蔵書や備品が 略奪され、放火に遭った。失われ た 一 〇 〇 の 写 本 に は、 九 世 紀 の コーランなど重要なものが含まれ ていたという。 イ ラ ク 科 学 ア カ デ ミ ー( al-Majma `a al-ʻIlmī al-ʻIrāqī )も略 奪 に 遭 い、 全 て の コ ン ピ ュ ー タ、 エアコンなどの電気機器や備品が 失われた。しかし幸いにも放火は されず、また、多くの蔵書が略奪 さ れ な か っ た。 こ の 点 に つ い て、 同機関を調査したシカゴ大学のナ ビル・アル・ティクリティは「こ の略奪は他で起こったような組織 的 な 犯 行 で は な い こ と を 示 唆 す る」と指摘している。 このように、多くの図書館や文 書館が戦時下で悲劇的な状況に置 かれた。略奪・放火の目的は、金 銭目当ての強盗と、政治的な資料 の廃棄・略奪とに大別されると考 えられる。前者の場合、散発的な 盗 み に 止 ま り、 放 火 は さ れ な い ケースもあるが、一方で後者の場 合は、とりわけ集中的な放火があ り、組織的な犯行によるものとみ られている。国立図書館の歴史文 書被害がその一例だろう。 戦争は、 現在を奪うことはもとより、過去 の 営 み を も 消 し 去 る 行 為 を 誘 発 し、全てを無にしてしまう。
●戦禍における司書の行動
司書らの尽力により、戦時下で 難 を 逃 れ た 資 料 も あ っ た。 『 バ ス ラ の 図 書 館 員: イ ラ ク で 本 当 に あった話』という一冊の絵本があ る。ここには、戦火にのまれたバ スラの図書館の蔵書三万冊を、仲 間と共に自宅へ運ぶことで守ろう としたある女性の実話が描かれて いる。 同様のことは他にもあった。イ ラ ク 写 本 館( Dār al-Makhtūtāt al-ʻIrāqīyyah ) が 所 蔵 す る イ ラ ク最大の写本コレクションは、ス タ ッ フ の 計 画 的 行 動 が 功 を 奏 し、 完全な状態で守られたという。そ の計画は米軍の侵攻より四カ月も 前に開始されていた。七八三台の トラックに積まれた約五万の写本 や貴重書は、米軍の侵攻前に無事 に防空施設に移された。 その結果、 開 戦 後 に 写 本 館 に 侵 入 し た 強 盗 は、コンピュータ、マイクロフィ ルム読取機、保存室の器具を盗み とるに止まった。また、写本を保 管 し た 防 空 施 設 は 米 軍 の 攻 撃 の ターゲットにならなかった。 二〇〇三年四月末に米軍によっ て写本を積んだトラックは国立博 物館に移動され、それ以降アメリ カの保護下に置かれた。このとき 欧米のメディアは、防空施設で写 本 が「 発 見 さ れ た 」 と 報 じ た が、 その背景には貴重な資料を是が非 で も 守 ろ う と し た 人 々 の 努 力 が あったのである。 他方、国立図書館・文書館の復 興に尽力した人物として有名なサ アド・エスカンダー館長は、二〇 〇六年一一月から二〇〇七年七月 荒 ら さ れ た 知 恵 の 館 の 図 書(Nabil al-Tikriti氏 撮 影、 http://oi.uchicago.edu/OI/IRAQ/mela/LibraryPix/012. html:2013/1/21最終閲覧)イラク戦争と図書館
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アジ研ワールド・トレンド No.210 (2013. 3)までの間、ウェブ日記を発信し続 けた。開戦から三年以上経過して もなお続く銃撃戦や自爆テロ、図 書館復興の妨げとなる停電やイン ターネットの不通…。少なからぬ 司書やその家族もまた、殺害され たり、誘拐されたり、傷つけられ たりしたことを告白している。館 長は日記によって、同僚、特に命 を失った人々の悲劇を食い物にす る こ と に 罪 の 意 識 を 感 じ る と 記 し、二〇〇七年七月に日記を終え たが、死と隣り合わせの図書館の 日常風景は、世界の読者に衝撃を 与え、泥沼化した「戦後」に再考 を促す効果を持ったといえよう。