Author(s)
当山, 昌直
Citation
沖縄史料編集紀要 = BULLETIN OF THE
HISTORIOGRAPHICAL INSTITUTE(39): 21-72
Issue Date
2016-03-25
URL
http://hdl.handle.net/20.500.12001/20485
沖縄島南城市における生物文化に関する聞き取り
─知念盛俊氏に聞く─
当山 昌直 はじめに 沖縄の人々は、島の自然とともに生き、そして身の回りの生きものを利用しながら暮ら してきた。生きものの利用とともに、生きものと人との間に文化を生み出した。これらは 生物文化といわれ (1) 、長年自然との関わりのなかで培ってきた動植物の方言をはじめ、そ の利用方法などは、沖縄の人たちの遺産ともいえよう。しかしながら、沖縄に関して未調 査の部分が多く、よく知られていないのが実情である。 松井(1975)は、昭和 10 年生まれ前後を境に、方言語彙等の知識にギャップがあるこ とを報告しており、昭和 10 年生まれ以前は語彙が豊富で、それ以後になると大きく減少 するという。つまり、昭和 10 年生まれ以前の方々が亡くなると沖縄の多くの生物文化の 遺産が無くなるということである。これは、およそ半世紀前の調査に基づく指摘ではある が、これまで県内各地で動植物方言調査を実施してきた筆者は、同様な危機感を持ってお り、調査を急ぐ必要性を痛感していた。 今回、沖縄島南部の南城市佐敷字屋比久の知念盛俊氏(昭和9年生:図1)に動植物の 方言およびその利用について調査をする機会があった。知念氏は佐敷字屋比久の出身で、 戦前県庁に勤めていた父親の関係で那覇に住まれたこと もあったが、沖縄戦の十・十空襲を機会に実家がある字 屋比久に戻ってきた。沖縄戦の一時期、沖縄島金武村に 避難していたが、戦後はずっと屋比久で暮らした。琉球 大学生物学科を卒業後、高等学校生物教諭を務めた。教 職のかたわら、戦後の沖縄貝類研究の先駆的な研究をさ れ、沖縄の動植物に詳しい。さらに、自らの体験を科学TOYAMA Masanao: An Interview on Bioculture at Nanjo City, Okinawa Island.
(1) 沖縄の生物文化については当山 (2015) を参照。 当山 (2016) は、 生物知識と称し、 ほぼ同じ意味で取り 扱っている。
図 1 知念盛俊氏(2016 年 2 月 : 自宅書斎 にて)
的な視点で整理しており、動植物の方言名とそれに対応する和名の両方がわかるというこ とで大変貴重である。または生物の知識など、筆者の勉強不足の面もカバーしてくれ、調 査の精度をあげてもらった。今回は、その動植物の方言およびその利用(生物文化)につ いて調査した結果を報告する。 本稿をまとめるにあたり、調査に協力していただいた知念盛俊氏に感謝します。また、 田口恵氏には録音された資料を整理していただいた。この調査は、JSPS 科研費(課題番号: 26923003)の助成を受けて実施したものであることを記し謝辞とします。 1.調査方法 調査は沖縄島南城市佐敷字屋比久の知念氏自宅において、2015 年3月 21、22、28、30 日の合計4日間実施した。1 日の調査時間は体調を考慮して約2時間を限度とした。 聞き取りの方法は、タブレット端末を使用してパワーポイントにより動植物の写真をみ せ、これらの方言名とその利用や言い伝えなどについて教えてもらった。加えて、古い写 真についても生物利用の視点から解説していただいた。会話の模様はICレコーダーに記 録をし、後日テキスト化を行った。 2.調査結果 聞き取りした内容を、動物と植物にわけ、それぞれの種類ごとに衣食住等の利用を中心 に整理し、同時に方言も一緒に記した。インフォーマントの回答はなるべくそのまま記す ようにし(2)、方言の部分は分かりやすいように、ルビのかたちで漢字を含んだ標準語を振っ た。また、理解しやすいように内容を変えない範囲で手を加えた。加えて、話の流れがわ かりやすいように冒頭に見出し、または筆者の質問を入れ、その部分を《 》で示した。 本稿では外来語や和名などのカタカナと区別するため方言を太文字、動植物方言を下線が 付いた太文字で示した。これらの結果をもとに再度確認の聞き取りを行った。また知念氏 本人にも原稿をチェックしていただいた。 (1)動物 ── ─ 動物を食べる ヌマガエル 《どのような動物を食べましたか》バッタとかセミなんかを食べるというのは遊びです よ。特にバッタとかは。日常的に食べているのはアタビー(ヌマガエル)です。ヌ マガエルとクマネズミ。ヌマガエルは、まず、アカエルを叩きにタビースグイガといっていた。 (2) 知念氏の話はいわゆる 「ウチナーヤマトゥグチ」 (標準語で話しているが、 言い回しは方言になっている) に なっているところが多いが、 なるべくそのまま載せるようにした。
ア カエルをとりに タビートゥイガではなく、アタビースグイガといって、長い竹をちょうど蠅叩き みたいに使う。竹は、チンブク(ホテイチク)ではない。笊を作る竹、シマダキ(ホ ウライチク)があるだろ。僕の伯父が使っていたのは、1.5 mくらいのシマダキの 先をくだいて、その先をひらいて、これで叩くわけ。アタビーを蠅叩きみたいにね。 とりにいくのは夜じゃないよ、朝早く田んぼの畔から歩きながらね。田んぼの中に は入らないで、畔を歩きながらアタビーを叩くわけ。 《調理方法》田んぼからとってきたら、普通は、腹わた出して、熱いお湯に入れて、そし て皮をむくんですよ。そのあとは刻んで食べる (3) 。頭も含めて全部食べた。もう、油 で炒めるなんて贅沢ですよ。だから刻んで汁のだしにした。骨があるでしょ。炊い たら簡単にコリコリと折れる。また刻んだらわからなくなるので簡単に食べられる。 そんなに刻むといっても粗くしか刻まない。それからあまり大きな骨はないからね。 ── ─ 幼児を救った動物たち ヌマガエルやネズミなど 《幼児の栄養源》昔はメーニンナシというのがある。産後の制限ができないで、今年も 産んでその次年も産んで。それで、前の子が手が離れないうちに次の子が生まれ る。そうすると、前の子は栄養失調なるわけ。だから、カエルをとってきてあげた り、タコをとってきて、または買ってきてカマドの上に頭のところをさげておい て乾燥させてあげた。燻製みたいな感じですね。それを切ってしゃぶらせる。タコ はものすごく消化がいいし、タンパク質の栄養化も高い。調理もいらないので簡 単さ。だから、ムシチワラバー (4) の元気づけるのはこの辺 (5) ではタコですよ。そし て、タコがとれない、または買えないところはカエル。もちろん金のあるところは ちゃんと乾燥してない生鰹がある。あれをしゃぶらせるわけ。これは金のあるとこ ろだが、金のない貧乏人とかハルサーとかはタコですよ。タコは普通海でとれるタ コであればよかった。もちろんイカでもいいんだけど、タコの方がボリュウムがあ るさ。カマドの上のタコは、はじめは乾燥が早い足から子どもに切ってしゃぶらせ る。弟、妹ができたために、兄、姉はおっぱいが飲めないから栄養が行き届かな いで痩せてしまう。タンカー誕生一年ぐらいの子どもは栄養失調だから、方言で ウ (直訳:弟、妹見痩せ) ットゥミーヨーガリー、ムシチカカト-ンとか言った。だから、タコなんかあ げよったよ。アタビーももちろんあげるけど。それから、ネズミなんかもあげた。 (3) 戦前の那覇市におけるカエルの調理方法の聞き取りについては当山 (2002) に報告されている。 (4) 栄養失調で痩せている状態。 元気のない状態に加えて、 腸内寄生虫におかされている状態の子どもをいう。 ムシチャーともいう (知念盛俊氏による)。 (5) 知念氏の 「この辺」 はおおよそ南城市佐敷字屋比久周辺をさす。
ハ 畑のネズミ ルエンチュは、芋しか食べてないから上等さ。ヤ家のネズミーエンチュは食べなかった(6)。 ── ─ ハルエンチュの捕獲と料理方法 《ネズミの捕まえ方》ハルエンチュはパ パチンコのネズミ取り ッティカサーがあるさ。あれで、捕ってきたもの を皮を剥いで、焼いてから腹わた出して、両足や尻尾はとって、だいたいお汁に入 れたりした。肉をとるなんていうのは難しいですからね。だけど、小さな子どもに は炊いてから、肉を一つずつとってあげる。発展途上国でもどこでも、子どもの死 亡率が高いですよね。カエルやネズミなどは、ある意味では子どもの命を救ったも のです。 《マングース》マングースもそうですよ。マングースヤ 罠 ーマといって、仕掛けを引っ張っ たら落ちるようになっている箱を作ってウサトウキビージ畑とかその辺においておく(7)。マン グースをとったら、そのまま開けたら逃げるから、箱ごと池に入れて窒息させるわ けですよ。それから料理する(8)。ネズミと同じような感じで料理する。お汁なんか にして味はウサギと同じですよ。ネズミよりボリュウムがあるけど、ネズミみたい にたくさんはとれない。 《それは戦後ですか》戦後しばらく。いや、戦前もとっていた。戦後は、もうなんでも かんでも食べてますよ。戦争終わって一番苦しかったのは一年ぐらいです。 《他の地域でもマングースを食べていましたか》食べていたと思うよ。1945 年(戦争中) はいくら艦砲があっても、畑には芋もあるし、サトウキビも残っているので飢え はしのげたが、その芋を食べたあとは、植えてないわけ。だから戦後まもなくは 食糧がなくなって、スーティーチャー(ソテツ)などを食べて飢えをしのいだ。 ── ─ 泥を使って調理する 《芭蕉と泥を使う》ワ 私たち ッター子どものころは、近くの海に行って魚をとった。魚をとった らヤーサドゥアクトゥすぐ食べる。食べる方法は、芭蕉の葉でくるんで、次に泥で 包んで、それをそのまま薪の中に入れる。 《泥はどれくらいの厚さですか》泥はタ田んぼの泥ードゥルで、魚に泥がつかないように包んだ。 バナナか芭蕉の葉がなかったら、ユーナ(オオハマボウ)の葉、それからンバシ(ク ワズイモ)の葉。ああいう物で包んで、その上を泥で包む。泥はちょっと固めの (6) 棲んでいる所によって呼び方が異なるが、 いずれもクマネズミと思われる (当山, 1989)。 (7) おおよその箱の大きさ等について聞いたところ次のとおりであった。 罠の入口は30cm × 30cm ぐらい、 奥行き は 50cm ぐらいでちょうど大きなネコが入るぐらいの大きさの板の箱。 蓋と餌の仕掛けとの間はヤマダキを天秤 のようにして箱の上にセットした。 マングースが仕掛けに触れると、 落とし蓋が本体の溝からスライドして落ちる ようになっていた。 餌はネズミなどを使用した。 時々、 ネコも罠にかかった。 (8) マングースを食べたことについては知念 (1995) を参照されたい。
ものでないといけない。そうやってちょうど炊 けるころになったら、泥がポロポロ落ちてくる。 泥が落ちてきて、葉っぱが見えてきたら、もう 炊けてる。 《 こ れ は 昔 か ら あ る 方 法 で す か 》 昔 か ら 大 人 が や っ た か ど う か は わ か ら ん け ど。 終 戦 直 後、 ヤ ひもじい思いをしているからねー ーサドゥアシェーヤー、ワ子どもたちラバーターどうし でやった。西表島調査の時、魚をとると若い連 中はすぐ串で刺して焼く。串刺ししたら、周囲が黒焦げですよね。そうじゃなくて、 芭蕉と泥で包む方法で焼かせた。若い連中がびっくりしていたよ。今はアルミホ イルがあるけど、アルミホイルも焦げたりする。これは全然焦げないね。芭蕉の 葉っぱの水分があったりするから、ガサガサにもならないし、ホンワカして炊ける。 西表では芋もそんなふうにしてやった。芋は簡単ですよ。芋はなにも包まないで 生の芋に泥を塗るんですよ。 《芭蕉を使った方がいいんじゃないですか》まあ、使った方がいいけど。どうせ芋は皮 をむいて食べるんだから、芭蕉で包んだりしなかったですよ。 ── ─ 貴重な食料だったオキナワウスカワマイマイ 《食用にしたカタツムリの種類》沖縄島南部では、オキナワウスカワマイマイ(図2)と パンダナマイマイを食べていたが、ウスカワマイマイが多かった。パンダナマイマ イは、ウスカワマイマイに比較すると固く、数も多くはない。ウスカワマイマイが 柔らかくて一番食べやすい。 《どのようにして食べましたか》チかたつむりンナン(ここではオキナワウスカワマイマイ) は、カ 芋 ンダバー畑にいっぱいいる。それを畑からとってきたら、上等の芋をちゃ んと洗って、生芋の皮がついたまま輪切りにしてザルに入れ、その中にチンナ ンを入れ、芋を一週間くらいチンナンに食べさせる。一週間したら、ウ 芋の糞を ムグス マ 排泄するわけ イルバーテー。そしたらチンナンの消化器は掃除され、芋のアンコみたいに置 き換わるわけよ。だから、ウムグスを出したら、そのまま炊いても中は消化途中 の芋しか入ってないことになる。これをお爺さん、お婆さんは当然のようにやっ ていた。この利用方法が、僕が一番感心している昔の人たちの生活の知恵。 《調理方法は》ウスカワマイマイ(チンナン)をそのまま茹でて、それから中身を抜く。 口から消化管は胴体にあって筋肉になっている。足のところの筋肉は残して、渦 図 2 オキナワウスカワマイマイ(城間恒宏 撮影)
巻きの内蔵で肝臓などは切り捨てる。消化管には芋が残る。そのあと、ウスカワ マイマイは、アメリカマイマイみたいにはよだれはあまりないが、一応カマドの 灰なんかで洗ったりした。灰で洗ってそのあとは、ア油味噌ンダインスー(9)の具にしたり、 切ってからお汁のだしにしたりした。 《どのような食べ方がありましたか》アンダインスーはおいしい。普通はアンダインスー には三枚肉を入れるが、三枚肉なんていうのは、時間がたつと固くなる。チンナ ンの身はあまり固くならないわけ。アンダンスーの具として、1匹を3つか4つ ぐらいに刻んで入れる。戦後は僕もよく食べた。おいしいですよ。昔は酢醤油み たいな上等のはないよ。昔は、別の家はわからんけど、僕の家では味噌汁のだし なんかにも使うけど、主にアンダンスーでしたね。 ── ─ 戦後に広がったアフリカマイマイ 《アフリカマイマイを食べましたか》戦後はアフリカマイマイをよく食べたが、固いんで すよ。アフリカマイマイは普通アンダンスーにしないな。汁のだしなんかにした。 このおかげで、沖縄の人はタンパク質不足にならなかったんじゃないかな。終戦直 後はたくさん食べたよ (10) 。いやいやながら食べたというよりは、もう生きるために。 また、終戦直後は今よりもたくさんあった。写真にもあったけど1トントラックに いっぱいとか。また、移入して、入った時期というのは貝殻も厚くて大きかったみ たい。終戦直後、アフリカマイマイを刻んでおつゆに入れて食べましたよ。少ない けど自分らでつくる味噌を使用した薄い味噌汁に芋と一緒に入れた。 《戦前からいたのですか》昭和 18 年か 19 年ころ、タイワンチンナマーといって金出し て買ってね、ソ 素麺箱 ーミンバコに入れて、芋なんかを入れて子どもたちが養っていた んですよ。方言でタイワンチンナマーともショクヨウチンナンともいう。タイワ ンチンナマーは台湾から入ってきたからといってるんですけど。戦前は、僕も父 親にせがんで、二つ買ってもらった。昔はソそうめんーミンが入っていた板の箱(ソーミ ンバコ)があるんですよね。それに入れて、野菜のくずなどを一緒に入れて養った。 食べるために養うじゃなくて、これが卵を産んで、孵化するのを楽しみにしてた ですよ。だから戦前は食べてないですよ。また、戦前からいっぱいいたわけでは なく増えたのは戦後ですよ。戦争の時に、子どもたちが飼育していたのがみんな 逃げ出して、田畑いっぱいにひろがった。だから現在は少なくなったけど終戦後 はいっぱいあったんですよ。それで、戦後、中南部ではアフリカマイマイが一番 (9) 味噌を方言でインスと呼ぶ (知念氏より)。 (10) 戦後、 アフリカマイマイを食べたことについては、 知念 (1995) にも詳しく記されている。
のタンパク質源となった。 ── ─ カタツムリの喧嘩遊び 《カタツムリの喧嘩遊びに使う種類》オ 喧嘩遊び ーラセーに利用 するのはシュリマイマイ。シュリマイマイが大き いから。パンダナマイマイのような小さなマイマ イは、握り難いわけ。また、ウスカワマイマイは、 使ってない。殻が少し柔らかすぎて、そんなに丈 夫じゃないし、それに小さいし、丸っこい。僕ら はシュリマイマイしかやらんかった。ただ、ヤマ タニシの殻は固いので、インチキして隠しておく。 オーラセーの時に急にヤマタニシを出して、ポ コッと相手の殻を割ったりする。それから子ども の頃のジ 知恵 ンブンだけど、オーラセーには死んだあ との殻を使い、生きてるのは使わない。中味が 入っている生きたのが強いから。それをインチキ して使う。また、ジンブンのある連中は、非常に 細かいニービ (11) をさらに細かくして、殻の渦に入れて、その中に水を入れる。そして、 殻の底で沈殿して固まり、渦巻いてるところを見ても表面からははみえないように なっている。そうするとね、空の殻よりも土が入っている殻が強いわけさ。ワ 私のが ームン が一番チ強いューサンというようなことでオーラセーをやってね。あとでインチキがば れたら、メ げんこつ ーゴーサー。これは、南城市屋比久近辺の話だが、僕は那覇市の楚辺小 学校にも一時期居たことがある。楚辺近辺でもやっぱりシュリマイマイだった。シュ リマイマイ以外に使ってないんじゃないかな。 《喧嘩遊びの方法》喧嘩させる時はこうして握る(図3)。パンダナマイマイなんて小 さいから握れないけど、シュリマイマイだったら握れるわけさ。次に[両手で握手 をするように]お互い同士で握って、殻頂と殻頂をあわせ、そしてお互いに殻頂 がずれてないかどうか確認して、[合わせた殻頂に圧力がかかるように]押すわけ さ(図4)。ところが、殻の頂点からずらしたところは弱いので、ユ欲張りークーは、わ ざと自分の頂点をずらして相手の弱いところに当てて、急に押す。そしたら勝つ というインチキをするわけさ。タ誰がーガ一番チ強いのを持っているかューバームッチョーンってなった時 (11) 沖縄島南部にみられる島尻層群中の小禄砂岩のこと。 図 3 チンナンオーラセーの握り方を実演 する知念氏 図 4 チンナンオーラセーの戦わせ方を実 演する知念氏(相手側)と筆者(手前: 左手で写真撮影)
にね。また、強くするといって、ア 油を付ける ンダグヮー チキーしたけど強くはならなかった。 ── ─ マルタニシやフナを食べる 《アフリカマイマイが入る前の様子》戦前は、アフリカ マイマイが入ってくる前に食べているのはおそら く、ほとんどがウスカワマイマイですよ。それと、 ターンナ(マルタニシ)。ターンナはいつも稲刈 りが終わって田んぼを耕す時にとる。あのころは 農薬もなにも使わないからいっぱいいましたよ。この辺では一年中いつでも食べる わけじゃなくて、稲刈りの時にとって、フナもその時ですよ。その時はだいたい一 網打尽。那覇市場にはシ滋養強壮食ンジムン用として出ていた。 ── ─ ハブと貝 《ハブは食べましたか》ハブはあまり食べるものではなかった。ただね、傷薬としてハ ブの油を使っている。カマの傷などに、傷薬としてそれを塗る。ハブを捕まえた ら、油をとって塩漬けした。塩漬けをいろんな容器には入れるけどさ。今みたいに ね、小さなビンとか容器とかがたくさんあるわけじゃないわけ。昔、リョウフとか いうゼリー状の塗り薬があって、その容器とか。また、ハマグリの蓋をあわせたも のに入れたりなんかして保管をしたんですよ。つがいになったリュウキュウサルボ ウ(図5)もよく使った。油は持ち歩かないのでア 豚油の塩漬け ンダマースはこれに入れたんで すよ。アンダマースは、破傷風よけさ。豚油にたくさん塩を入れたもので、傷口が ふさがらないように、傷口からいつでも汁が出るようになっている。結局浸透圧だ よね。傷口が乾燥したら困るわけで、ジャクジャクしていたら破傷風菌が発生しな いわけさ。だからアンダマースはリュウキュウサルボウにも一緒によく使ったわけ さ。アンダマースを入れるのは、この種だけじゃないから、だいたいリュウキュウ サルボウのサイズ。これより大きいやつも使わないし、これより小さいやつもほと んど使っていない。イソハマグリとかいろいろあるけど。もうこの程度(リュウキュ ウサルボウの大きさ)ですね。リュウキュウサルボウはハマグリよりも深くて詰め やすいんですよ。これも昔の人の知恵ですね。アンダマース入れたり、ハブのアン ダとか、容器がたくさんあるという時代じゃないけど、貝を紐で口をしばったりす る必要はない。ちょうつがいがありますからね。このように二枚貝を使ったわけさ。 ── ─ 魔除け 図 5 ハブの油やアンダマースを入れた リュウキュウサルボウ
《魔除けの貝について》貝だったら、スイジガイだけど。クモガイも使う。屋比久でもやっ てましたよ。フ疫病返しーチゲーシといって、ゥワ豚小屋ーヌフールだとかにぶら下げてね。フー チというのは伝染病さ。昔の家には、玄関はないさ。だから門や入口だとかにぶら 下げたりなんかして。屋比久では今でもスイジガイだとかクモガイだとかあちこち ぶら下がってる所もあるはずですよ。 《シャコガイは使ってませんか》魔除けとしてシャコガイはこの辺では使ってないけど、 奄美大島に近い所は、よく石垣の所に飾られていますね。沖縄ではよく津堅とか 久高。あれはね、地べたに埋める所もあるんですよ。足を挟むといって、よく人 が歩く所にだとか、門の所の下に埋めておいて、悪霊などの足を挟むとか、魔除 けみたいなもの。 (2)植物 ── ─ 染料 《染料はどんなのを使いましたか》染料としてよく使ったというのは、サキシマスオウノ キ。方言ではウマヌタニギーまたはアカズミーギーともいう。赤い色に染めるよ。 サキシマスオウノキの皮を使う。皮をはいで、細かくして、煎じ汁だったかどうか わからんけどさ、とにかくシンメーナービー(大きな鍋)で炊いていたと思う。初 めは赤いというより橙色みたいなんだけど、染まった時には、赤くなるわけ。この 辺でやっているのをみたことがある。詳しくはわからんよ。とにかく子どもの時に みているだけだから。サキシマスオウノキはどこでもあるっていうわけではないか らな。この辺は、川や湿地帯があり、ハマジンチョウが生えるぐらいですから、サ キシマスオウノキは多かったですよ。方言では、子どものころは種子が馬の睾丸 に似ているというウマヌタニギーといった。年寄は赤く染めるという意味のアカズ ミーギーといっていた。 《昔は、芭蕉布を染めたんですか》私が見たのは芭蕉じゃなくて木綿ですよ。白い布で すよ。帯をつくったりするとかは戦前ですよ。戦後は食糧難で、その辺の話はよ くあるけど、染めて着けるとかという話はあまりきかない。 《シャリンバイは佐敷にもありましたか》あったんだけど。僕なんかは、染物に使ってい るとかなんとかいう話は覚えてないし、知らない。大きくなってからは染物に使っ ているとかいう話は聞いたことはあるけど、実際はわからん。実を食べたりとかい う話はあんまりないな。シャリンバイはざらにあるやつではないよな。 《フクギを染料に使いましたか》ここでも黄色い染料として使ったですよ。染めるのは木
綿ですよ。皮を煎じてね。実を使ったかどうかはわからんですよ。ほかの用途とし ては、屋敷林は普通。 《実は食べましたか》臭くて、ここでは食べない。屋敷林としてもよい。防風林、防潮、 防火とか。これは火にも強いんですよ。 《材木として使わなかったのですか》建材としての記憶はない。この辺では建材といっ たらイーク(モッコク)とかチャーギ(イヌマキ)ですよ。ここには、何年も植 えておくような土地がないでしょ。一応、チャーギなど屋敷に植えてはいるけど、 建材はやんばるからの輸入ですよ。 ── ─ リュウキュウバショウ 包み物や熱冷ましにも利用 《芭蕉は各家庭で織っていましたか》ほとんどの家庭で織っていた。芭蕉自体にウーといっ ていた。だいたい植えている所はヤ屋敷の後ろ側ーヌクシーですよ。 《ヤーヌクシーで足りましたか》あのころ、糸を作るのもあるけど、包装紙の代わりも やったんですよ。また、イ味噌甕ンスガーミの味噌を発酵するとき、カ甕ーミの蓋の上を 芭蕉の葉を炙って被せる。炙るのは葉をやわらかくするため。逆に葉をそのまま 使用したら破ける。火に炙ったら柔らかくはなるけど、簡単には破けない。だか ら弁当を包むのもそれでやったですよ。普通、芭蕉の葉は横にちょっとひっぱると、 スーと切れるんですよね。炙るとそういうのがなくなる。だから僕の印象として は、バサージンを作る、糸をつむいで、というのもわかるけど、日常的によく使っ ているというのはカーサ弁当ですよ。握り飯のようなものにアンダンスー入れて 包んで持った。お祝いの時にムチウンブーといって、竹で作った平たいザルみた いなのがあるでしょ。芭蕉の葉を炙ってからそれに敷いて、その上に餅やカステラ、 または焼き豆腐を置いたりなんかしている。そういう日常的によく使うから、家 屋の後ろに植える。やんばるの喜如嘉みたいに、何百坪ではなくて、ここは小規 模で、そんなに植える所はなかった。ここでは、芭蕉の織物は、主な仕事という よりは片手間でやっていた。 《昔は機織り機はありましたか》機織り機はありますよ。座って織るジ 地機 ーバタとか。 タ 高機 カハタというのは、ちょっと[座る位置が]高いというのがありますね。 《各家庭、何割ぐらいありましたか》屋比久だったら、そうですねそんなに多くはなかっ たと思うけど。半分。半分もないんじゃないか。だいたいそれをやる所は余裕の あるところですよ。それと、若い娘がいるところ。 《オジー、オバーはやらなかったのですか》オジー、オバーは目がダメだよな。首里では、
老眼鏡かけてやったりするはずだけど、ここでは娘がやっていたんじゃないかな。 《芭蕉の茎を熱冷ましに使わなかったか》使っている。幹をとってきて皮を剥いで、白 くなったところをまた一枚一枚剥いで、これをすりこぎみたいなボ 棒 ーグヮーで叩 いて、汁ジャカジャカーする。 《剥いだのを叩くんですか》そう。ジャカジャカーして汁がでてくるのを重ねて、枕に するとか、子どもだったら、敷いてからその上に背中から寝かせるとかで熱さま しにした。 《飲ましたりしましたか》飲ますんじゃないよ。 《葉に寝かせたりしましたか》ここでは葉は使わなかったですよ。 《那覇ではその汁で背中をふいたらしいです》それあるかもしれん。こちらはそうじゃ ない。汁ジャカジャカーしたのを敷き、その上に寝かすわけですよ。効果満点。 ── ─ ヒラミレモンの利用と語源 《ヒラミレモンの方言を教えて下さい》方言ではシークヮーサーですよ。 《どんなのに使いましたか》食べることと、あと芭蕉布に使う。シークヮーサーという 名前の通り、着古した芭蕉布は繊維がゆるゆるになるさ、シークヮーサーの汁に つけると繊維がシュとする。だからシークヮーサーというんです。 《どういう意味ですか》シーというのは酢なんですよ。シークヮーサーでこれを与える わけですよ。芭蕉布にシークヮースン。クヮースンというのは、くわせるとか与 えるという意味ですよ。あの家畜にム餌を与えるヌクヮースンというさ。クヮーサーは与え るものさ。ヌーサーというのはハ 畑する人 ルサーとかのサー。酢を与えるをシークヮース ンというんです。逆にシーをクヮースンというのは酢を食べさせるとか、与える とかになる。それで芭蕉の着物がくたびれた時にシークヮースンというんですよ。 《文献などに書いてありましたか》いやこの辺での話ですよ。この辺では、佐敷、屋比久、 外間も。外間のむこうもですね。だから、昔はバ 芭蕉着 サージンなんていうのは日頃着 ける着物。今は琉舞をする人たちがつける高級なのになってるけど、昔はヒン スームンがつける着物なんですよ。だからハ 畑へ ルカイ、イ 行くのにも チュシン、ヌ 何をするにしても ーシーニン、 ム ほとんどこればかり ルウリバカーイ、チ着けているよーねーチョーウセーヤー、だから繊維がくたびれるわけですよ。 それで、ヨロヨロになっている繊維を酢入れることで、シャンとしたバサージン にするということで、シークヮースンというんですよ。 《イメージがわかないけど、どんな感じになるのですか》ちょうど、縫いたての新し い芭蕉着のようになるよ。酸っぱいにシーサンというだろ。前にもいったように、
シークヮースンというのは、シークヮーサーのシーをクヮースなんですよ。シー をクヮースンの木だからシークヮーサーなんですよ。シークヮーサーっていうの は、酸っぱいものが出るからなんですよ。酢が出る、まあ難しく言えば酢酸。そ して、着古した芭蕉着をいきかえさせる。そのためにシークヮースンという。 《シークヮーサーでバサーを洗うというのはあちこち聞いていました》今の芭蕉布を 蘇らせるというのは、ここだけの話じゃないと思うよ。そういった意味ではシー クヮーサーは食べる以外にも大きな使命があったんですね。方言名は芭蕉布とセッ トみたいなもの。だから、田舎ではシークヮーサーを屋敷内に植えられている。 昔の人はね、ある一つのものを多面的に使っているというかね、食べるだけじゃ なくて、日常生活にもシークヮースンということでも使っている。 《はじめて聞きますがこのことは文献にありますか》ないですよ。シークヮーサーのそ ういうのは昔の人は常識かもしれないけど。 《方言は聞いていたけど気づきませんでした》方言名というのはだいたい生活のかかわ りがあるというね。 《洗い方について》ここではね、芭蕉布を洗うのに、ビ たらい ンダーレーとか、それから非常 に大きな丈の高いタライみたいのがあるさ。方言ではなんていうかな。昔の豆腐 作る時なんかに汁をためるようなもの。大きな桶よ。ここでは、それを使っていた。 それで、シークヮーサーも熟しているものじゃなくて、まだ皮が黄色くならない もの。あれを切って、そしてつぶして、種も一緒だったよ。着物はそんなにない からね、何回もやることはそんなになかったはずだから。自分のものは自分の家 でやっていた。だから特別にどこかの家だけがやるというような、たとえばこれ が上手で商売しているというようなことはこの辺ではなかった。もう、ごく普通 にやるけど、各家庭には毎年やるような着物の数はないので、毎年はやらないわ けさ。 《畑仕事している人には必要では》ハルサーに使っているといってもそんなになんてい うのかな、新しくするなんていうことはよっぽどじゃないかぎり、やらないですよ。 だから、バサーでも模様が入っているのがある。あのどっちかっていうと、方言 でトゥンジヘンジーっていうんだけど、ちょっとした買い物、ちょっとした所に 行く時につけるというの、そんなのはシークヮースンというのをやるわけだけど、 年に一度なんてやらないよ。たまにくたびれた時に再生するくらいのものだよ。 《方言の呼び方の種類はありましたか》基本的には全部シークヮーサーです。 《品種がありましたか》今いろんな品種がありますよね。例えば、クガニーグヮーかカー
ブチーというのもあったですね。いろいろあったと思いますけどね。まあ、ここ にあるのは普通によくいわれているシークヮーサーというものです。 ── ─ 食用、または遊び等で食べた草木 《食用の草にはどのようなものがありましたか》ニンブトゥカー(スベリヒユ)は酢のも のとしてよく食べた。野山の草では、一番食べてるのはフーチバー(ニシヨモギ)。 ンジャナ(ホソバワダン)も食べた。戦争や終戦時は、チーファンプー(ツワブキ) も食べた。チーファンプーの茎の皮を剥いで、あれはアクが強いから流れる川につ けて、アクをぬいて食べた。それからヘゴの芯。あれはダイコンみたいにおいしい ですよ。ヘゴは、食べる習慣というよりは僕なんかは、戦争でなにもなくなってか ら食べたよ (12) 。 《ソテツ》方言でスーティーチャー。戦後は、何もないから、スーティーチャーも毒抜き して食べていますよ (13) 。 《毒抜きの方法は知っていますか》地元の人は水で洗ってからね。 《昔から食べていたかもしれませんね》茎なんかは、昔は食べてないんですよ。昔は実 を砕いて、毒抜きしてますよ。毒抜きは水にさらして、カビを生えさせました。 《毒が抜けたのがわかりますか》僕はその辺がわからんけど。 《幹も食べましたか》戦前は幹を食べてないが、戦後は幹もウムクジシリーで細かにし て食べた。しかしあれはね、ノコギリのカスみたいでなんの栄養もない。ご飯と 混ぜて、または芋と混ぜたりなんかしたけど、あんまり食べてないですよ。あれ、 食べられるもんじゃないよ。なにもないから食べたんだよ。僕らも一、二度食べ たかな、といったぐらいだよ。実は食べてるけど、もう実は(みんな食べていた ので)なかったよ。 《ソテツの実を食べたのはいつ頃ですか》割って白い中身を出して、水洗いをして食べ ていたはずですけどね。戦前は全然食べてないですよ。僕なんか食用にしたとい うのは、終戦直後ですよ。当時は食べ物がなにもなかったというくらいだったから。 《ヘゴ類》ぜんまい(ヘゴの芽)なんかは柔らかくてよく食べた。 《タラノキ》こっちにはない。 《シナノガキ》シナノガキは佐敷の植物調査した時には崖の所にはあったけどね。 《タイワンウオクサギ》方言でクサランギーワーといった。虫がよくつくんですよね。こ れは、実を食べるというよりは葉を食べていたんですね。若い葉っぱを野菜として (12) 後日確認したところ、 戦中、 現在の金武町に避難した時にヒカゲヘゴを食べたという。 (13) 戦後、 ソテツを食べたことについては知念 (1995) にも報告されている。
食べた。古い葉は使わない。葉っぱは、ヌ何と言ったかなーンディーガ、ちょうど青菜の野菜と同 じ扱いでさ、ジューシーとか野菜チャンプルーみたいに使った。 《クサギ》こっちはあるよ。あるけどそんなに身近にはないな。垣花城址とか山の中には いっぱいあるさ。この辺にはないんですから、利用についてはわからんね。 《モクタチバナ》これはあることはありますよ。小谷なんかにはいっぱいありますよ。生 活にはあまり使ってないですね。実は食べたことない。 《タイミンタチバナ》これは南部ではみないですね。これはやんばるですね。 《ヤマグワ》方言でクヮーギ。実はクヮーギヌナイといい、そのままでよく食べた。食べ てあまり腹に満たない。うんと熟したやつは、年寄りが酒に漬けて、色をつけて、 喜んで飲んだりしてましたよ。私も小さいころ見覚えがあります。だけどやっぱり 子どものころは食べに行きます。まあ遊びとして食べているんだが、お腹を満たす ものではない。 《他に使っていませんか》年とった桑はだめだけど、若くてまっすぐに伸びた茎はちょ うどユーナ(オオハマボウ)と同じで、樹皮がパーッと長く剥げるわけですよ。 それを池などの水につけておくと腐れて繊維が残るわけですよ。これで縄をなっ ている。 《遊びとは違いますか》遊びじゃないですよ。仕事というよりは生活。この桑の綱は真っ 白で、下駄の鼻緒、上等な鼻緒に使ったりしたんですよ。ちょうど、ユーナも同じで、 束ねて池なんかにつけて腐らせるわけですよ。そしたら白い繊維が残る。それを シルジナといってですね。下駄の鼻緒とか、ツルベの紐に使う。 《そんなに丈夫だったんですか》うんと丈夫ですよ。また、シュロでも縄作っていたよ。 スルガージナといって。スルガージナはね、漁民が重宝したですよ。簡単に腐ら ないですよ。またスルガージナは水をはじくんですよ。 《モモタマナ》方言ではクファディーサーといっている。クファディーサーはこっちでは あんまり使ってないですね。ウこれはリヤ、ナ泣き声でチクゥイーディドー、フ成長するドゥイーユル(人 の泣き声で大きくなるといわれている)といって、墓地などに植えており、あまり 屋敷林としては植えない。僕の墓地にも2、3本はありますよ。クファディーサー というと大きな屋慶名クファディーサー(図6)が有名 (14) 。 《ギーマ》ギーマはこの辺あんまりないですよ。今の南城市玉城の体育館のある所にはヤ ンバルヤマといってあそこら辺にはギーマがありました。だから名前もヤンバルヤ マといっていた。浦添市の茶山団地付近は、僕が学生の頃は山があってギーマなん (14) 琉球古典音楽の 「屋慶名こはでさ節」 「屋慶名節」 が知られており、 沖縄民謡でも歌われている。
かもたくさんあった。 《アカギ》アカギの実はあんまりおいしくないけど、口 に入れてかじったですよ。 《実を紙鉄砲などで遊びましたか》紙鉄砲の玉にはこ の実はだめ。アカギの実は大きいし、柔らかく て適しない。魚毒に使うハンタマーギー(サン ゴジュ)がよかった。ちょうど、紙鉄砲の材料 になる竹のホウライチクの大きさにハンタマー ギーの実が合っているのです。 《アカギは農具とかに使いましたか》これはもっぱら臼ですよ。年寄りに聞いた話だけ ど、オジーの所にウヮーヌムンといって叩くやつとか、生活用に使う杵とか臼が 三つぐらいあった。全部アカギでしたよ。アカギっていうのは乾燥しても割れ難 いんです。これも聞いた話だけど、臼用として木を切ったら長いこと池につっこ んでおくらしいね。長いこと水に浸けて、それから臼の形に彫り出すらしい。今 の公民館が建っている所は、ウ馬を浴びせる所マアミシーといって大きな池だったんですけど、 そこには臼用の木をウ これはどこそこの レーマーヌムンといって沈められているわけですよ。割れ ないように、長持ちさせるためにね。 《ハリツルマサキ》方言では、マッコウといっていた。これは、年よりの盆栽みたいな感 じの遊びとしては使ったはずだけど。 《実は食べましたか》食べてないですね。 《パパイヤ》方言でチーミといっていた。これは子どもを産んだあと、おっぱいが出ない 時にこれを食べさせます。ゥ 豚の肉 ワーヌシシなんかといっしょにね。お乳の分泌をよく するということで。だから、チーミのチーというのは乳ということですよ。昔から 知られていることなんだろうけど、肉と一緒に炊くと肉が柔らかくなる。それから この辺では、果物として食べるというよりかは、どっちかというとチャンプルーと して青い時に食べているんですよ。熟したのも食べんこともなかったけど果物とし ての価値よりも青い野菜として、デークニシリーなんかですったり、あるいは細か く切ってポークと食べた。とにかく、子どもができた時なんか、乳がでないとかいっ たら、これを探して食べさせたですよ。 《どこに植えましたか》屋敷にあったよ。 《アタイグヮーといってる場所ですか》アタイグヮーというのは、ちゃんとしたナ葉野菜ッパ なんかが植えられた所でアタイというんですよね。トーナバーや茄子を植えたり、 図 6 屋慶名クヮディーサー (1965 年4月、 沖縄県公文書館所蔵)
いろんなものを植えてますね。アタイというのは小さな畑なんですよ。手入れし てちゃんと草もとってあるんですよ。チーミは、大きくなるからね。そこじゃな くて、芭蕉みたいにヤーヌクシーで、あまり手入れはしない場所だった。屋敷の 周囲にアタイにもならない所とかね。だから、ちゃんとした畑には植えないですよ。 《スイゼンジナ》方言でアカナバー。屋比久にもあったけど、あんまりわからんな。虫の くわない野菜としてさ、手入れしなくてもいいので、手がかからない。葉の表はグ リーンで、裏側は紫がかっている赤。裏が赤いからアカナバーといって、屋敷に植 えていた。 《ナシカズラ》方言でクーガーですね。ここにはないですよ。名護以北じゃないこれ。 《バンジロウ》方言ではバンシルー。もう子どものおやつですね。実が小さくて山にある やつはモーバンシルーといっている。子どもは時期がきたらすぐとりに行ったり、 人の屋敷に生えてるやつも目を盗んでとったり。子どもの時はそれがひとつの冒険 でした。 《便秘するという話がありますけど》食べすぎたらよ。ビワとかバンシルーはもともと 果物として屋敷に植えている。それでもやっぱり山の中にあったりしたんですよ。 モーバンシルーはカヤモーの境界の目標として植えられていた。 《カヤモーというのは共有地ですか》いや個人有地ですよ。だからカヤモーがない人は ヤ 茅を葺く ーフチの時に買うわけですよ。古いカヤモーはだめなんです。ながいことなっ てるのは腐ったのがあるから。だから、一年半から二カ年くらいのカヤが一番上 等。だからそれを見計らって買うわけですよ。他の所では字有地のカヤモーがあっ てそこで共同管理し順番よくユイマールみたいに決めてやっている。字津波古に は字有地でカヤを供給する所だったわけですよ。 《イヌマキ》方言でチャーギ。チャーギヌナイはガキの時よく食べた。 《アマミアラカシ》僕は南部ではみてないな。あるかも しれんけど、僕はよくわからん。 《タイジョ》方言でヤマンムですね。この辺もあります けどね。これはヤマンムナットゥといって、餅米 粉にこれを練りこんでつくるナットゥの材料によ く使ったんですよ。 《ナットゥとは》ナントゥ(図7)ですよ (15) 。ここでは、 ナットゥというんですよ。 (15) 那覇市で使われている方言名。 図 7 旧正前の那覇市の店頭に並ぶナン トゥ(2016 年2月)
《どこで栽培していたんですか》これは荒地ですよ。よくない畑など。ジョウバタには 植えないですよ。ジョウバタというのは、金になるサトウキビを植えたりする畑。 ヤマンムは、今は金になるかもしれないけど、昔は自分の家で消費するぐらいで すから金にならないんですよ。 《デンプンをとったのですか》デンプンをとるというよりは、生を炊いて練りこんでい るのが多かったですね。デンプンはサツマイモの方が効率はいいわけですよ。ウ ムクジシーリーといって、ブリキに釘で穴あけて、裏をとがらして、裏を使って こする。ヤマンムは、この辺ではどっちかっていうと、副食用というんですかね。 これは、例えば屋敷の後ろにウー(リュウキュウバショウ)があるとすると、ウー の屋敷の境目の明るい所に植える。ウ これは レー、ホ 這うよーねー ーイドゥスセー、イ 石垣 シガチだとか、 ウ この辺の垣 マリカーヌカチに這わせて、そして、収穫できる時に掘り出して、ナットゥの 材料にするとかいうことぐらいですよ。 《フクマンギ》方言はよくわからん。実は食べたことあるけど、これ小さくて。近くにあ りますよ。飼っているメジロの餌として利用した。 《ヤマモモ》ここには野生のものはないです。昔は、売りにきよったけど、どこからきて るのかわからん。 《シシアクチ》これも南部にはないんじゃないですか。 《ハマダイコン》方言わからんな。これミ 南城市新原 ーバルの海岸なんかにもいっぱいありますよ。 ハマダイコンは、根は匂いなど大根に似てるけど、小さいですよ。食べなかったか らか方言わからんな。 《ノビル》方言はニービラ。とって食べた。これは非常に香ばしいです。だから、ジューシー メーに入れて食べる。 《どの辺に生えていましたか》あちこちにいっぱいありますよ。糸数城址なんかにもいっ ぱい生えている。石灰岩地に多いですね。 《オオバコ》方言でヒラファグサといって。ヒラファというのは平たい葉っぱという意味 ですよ。ニーブターが腫れた時、火に炙ってからニーブターに貼り付けて、吸い出 し軟膏の役をするんですよ。火に炙らないでそのまま貼ると破れやすいが、炙ると ぴったりときれいに貼れる。それから、薬ものとして豚肉なんかと一緒にしてお汁 にした。 《熱さましに使いましたか》どこかで聞いた覚えもあるけどわからん。 《オオアブラガヤ》子どもはハルヌカンスイといいよったですよ。別に方言があるんです が思い出せない。これはあの辺あちこちに生えてますね。これは葉がするどいんで
すよ。指なんかすぐ切れるんですよ。子どもたちはそれよく知ってるんです。実を 口いっぱい入れてカスは「フッ」ってはきだす。甘酸っぱいですね。 《おいしかったですか》イいいえーィ、おいしくないですよ。酸っぱいですよ。 《アキノノゲシ》ナガディラーといいます。うさぎの餌。人間も食べる。これは畑の害草 といわれて嫌われている。 《実際食べたことありますか》これ食べたことない。 《エビヅル》これノブドウか。これは山とかモ草地ーを歩いていて出くわしたら食べるけど、 わざわざとりにいって食べたなんていうことはない。あまりおいしくないですよ。 苦くて。 《ウスベニニガナ》これは方言がわからないですね。あの紫の花が咲くウスベニニガナだ けど。これはねウサギの餌にしか使ってないですね。 《オニタビラコ》チャンチャクナーといいます。この辺では食べていないけど、これもウ サギの餌です。これは別にフツウナーと名がついてるわけさ。ナーというとナッパ なんですよ。だから、食べていたんじゃないかとは思うんです。実際、僕は食べた 経験をしてないですね。 《シマアザミ》方言ではチバナーといいます。これはウサギ、牛の餌ですよ。牛が大好物です。 《ツワブキ》これ方言ではチーファンプーといいます。これは戦争中に食べました。食べ たのは茎じゃなくて、葉柄ですね。 《山羊にもあげましたか》山羊はあまり好まないです。これアクが強いんですよね。だ から人間が食べる時も、皮むいて、河川の所でひたしてあく抜きをしてから食べ るということがあった。僕も二・三回食べたことあるけど、おいしくないですよ。 《ハルノノゲシ》方言ではマーオーファという。だからマーというのは本当という意味。 オーファは野菜。これおいしいですよ。 《どんな調理でしたか》野菜チャンプルー用。真和志高校にいるころ野草を食べよう というグループを作って、一カ月に二、三回やったことあるよ。その時に食べた。 おいしかったですよ。昔も、戦後しばらく、普通の家でも食べてた。 《ホソバワダン》方言でンジャナといってます。ンジャナは、薬用として、肉類なんかと 炊いて、シ 煎じ薬 ンジグスイとしてよく使ったりした。それから胃薬として、これの生汁 をしぼって飲む。 《昔の話ですか》今もやってますよ。それから、芋、芋というよりも地下茎。あれは黄色さ。 それを煎じて飲む。今でも使ってる。これは多和田真淳さんの薬草の本にもある はず。そしてンジャナは、畑にあるのよりは、やせ地、山にあるのがよく効くといっ
ている。濃縮されているのかね。今、僕の屋敷にもあちこち生えていますよ。 《ニシヨモギ》方言はフーチバー。フーチというのはお灸のフーチ。 《フーチの体験は》ありますよ。ヤーチューといっていたけど、ヤーチュー痛いから、 子どもが悪いことをした時に、ヤーチュースンドーといって戒めとしてあるけど、 実際は医療ですよね。この辺では、それを作っているのはみたことないです。こ れをつついて乾燥させてやってる工程はわからん。どこかで買ってきているはず だけど、ヤーチューに使うフーチ自体はあるよ。もっぱら、これは野菜としても使っ ているし、それから胃薬としてね。汁をしぼって、フーチバージルといっていた。 胃や腸にも使ったんじゃないかな。僕の所では胃潰瘍の人、酒のみの人だとかよ く愛用していた。それとね、これ香ばしいんですよね。フーチバージューシーといっ て香ばしい香りがするさ。山羊汁に入れる風習は山羊の肉が好きじゃない人がこ れ入れる。ほんとに山羊の好きな人は山羊の匂いがしないとおいしくないという さ。フーチバーを入れた汁を食べる人はほんとは山羊が好きじゃないわけさ。邪 道みたいなもんですね。 《スベリヒユ》ニンブトゥカーといっている。これもやっぱりあちこちにあった。佐敷の あまり高い草の生えない所や砂利のある所だったら今もある。空き屋敷なんかによ く生えるのがありますよ。 《どんなにして食べましたか》これはそのままでは酸っぱいですよ。茹でて酢の物とし て食べる。またそのまま刻んで醤油つけたりして食べました。 《どれくらいの頻度で食べましたか》この辺ではたまたま食べるくらいで。これ栽培し てるとかはないですよ。 《やんばるではお店で販売していました》いやこの辺では、販売するなど、ぜんぜんそ んなことないですよ。 《ツルソバ》シーボージャーといいますよ。これも葉を酢の物にして食べてますね。 《実は食べなかったですか》実は食べないな。 《スベリヒユよりは食べるのが多かったのですか》食べるのは、スベリヒユよりこれが 多かったです。これは、空き屋敷だとか荒れた屋敷なんかにもよく生えていたです。 これは炒めるというよりは茹でて、刻んで酢の物として食べる。お汁に入れて食 べるなんてことはないですよ。これは、もう戦前からそうしている。今はぜんぜ ん食べてないですよ。 《ツルグミ》方言でクービ。年寄りは小さな茎だとかさ、皮を煎じてのむ。脚気の薬とか なんとかいっていた。効くかどうかわからんけど。
《これは佐敷ではどの辺に生えていたんですか》この辺の斜面に。子どもの頃は、 マ どこそこに ーナカイ、クツルグミの木があるービヌキーガアンといって熟するころいってクービヌナイを食べ ていた。これと、チャーギの実、大好物でしたよ。友達とのト 採り競争 ゥイバーケー。チャー ギもどこそこにあるといって、去年どこで採ったからといってまた採りに行くと いうようことをしていた。子どもたちはだいたい場所覚えていた。 《子どもはお互いに場所を教えますか》うん。 《野イチゴ類はどんなのがありましたか》この辺では、野イチゴ類はホウロクイチゴがあ るし、ナワシロイチゴがあるしヘビイチゴがあったけど、ヘビイチゴは食べなかっ たですよ。 《方言ではなんといってましたか》方言ではね、ホウロクイチゴはタカイチバー、タカ イチュビともいう。ナワシロイチゴは方言わからんな。あれは小さいからさ。ヘ ビイチゴは食べないけどさ。あれも小さい。 《ヘビイチゴはどの辺にはえていますか》大里城址公園なんかに今も生えているよ。 《リュウキュウバライチゴ》この辺でみてないですね。 《リュウキュウイチゴ》これもない。中部の自然公園施設で写真をとった。 《ツルナ》方言でハマナ。この辺の海岸にもあります。食べてるけど、アクが強いからよっ ぽどじゃない限り食べないですね。南部で、これが一番多いのは字具志頭の海岸で すよ。 《ネンジュモ》方言でモーアーサ(図8)。これはね、戦前は乾燥して、戦に備えて防空壕 に入れておいた。これを水にもどしたら野菜として使ったですよ。昔は背丈の低い 草地なんかに生えて、雨降りあとなんかはこれをとってきて乾燥して、戦時中は非 常食として保管してあった。戦前も食べていましたよ。 《どんなして食べていましたか》チャンプルーとか、なんとかにして食べていました。 《戦後も食べてましたか》戦後も食べてますよ。今はもう全然食べていない。振り向き もしない。 ── ─ 住居、建材など 《テリハボク》方言でヤラブ。実は熟すると、皮がむけ て、丸い繊維ができてくる。実に穴を開けて中身 をくり出して、息を吹いて「ヒュー」って鳴らした。 玩具の材料として使った。 《フクギ》方言でフクジ。この辺では黄色い染料に使う 図 8 雨降りのあとに増える道端のネン ジュモ
ぐらい。 《建材に使いましたか》家を作るのには使ってないと思うけど。 《タブノキ》これは建材には使ってないんじゃないかな。 《センダン》子どもの頃は、セミがよく止まる木として遊びに利用した。センダンは、木 目がいいですから、家具の引き出しとか、タンスの表などに使ったりしてますよ。 あれは、木目がきれいなだけじゃなくて、乾燥してもねじったり曲がったりして変 形しないんです。 《佐敷でも大工が使っていたんですか》使ってますよ。 《自分で木を植えたんですか》自分で使うというふうにして長いこと植えてあるという のはほとんどないですよ。どっかにまとめて植えてあるとか、どこかの材木ヤ店ー から買っていたと思いますよ。 《特に使う目的で屋敷に植えるのはみてはないですか》みてはないですね。まあ、一本、 二本というのは使うのはあるかもしれないけど、実際家具に使っているというの は、カ家具屋グヤーしか使ってないですよ。自分の家で家具作るのはないですよ。昔は、 自分で作るというのもあったかもしれないけど、どうだろうね。僕なんかが知っ ている家具専門というのは、タンス作る、なに作るなんていうのは特殊な大工で すよ。みんな各家庭自分でタンス作ったら大変だと思うよ。だから[普通の家では] 作られているタンスを買ってくるとか。まあ、センダンでジ上等だよョートードーという 感じ。屋敷林から切って、それを売ったりなんかはしてると思うんだけどね。し かし、それだけを商売にしているとか、それだけを仕事にしているだとかいうのは、 まずこの辺にはいないです。 《モッコク》方言でイーク。これはやんばるにしかない。イーク、チャーギ(イヌマキ)といっ て、これもう建材の最高峰ですよ。 《ここでも使っている人はいましたか》いましたよ。昔のエーキンチュは全部、イーク とチャーギですよ。あの、シージャーギー(イタジイ)なんて使うところは金の ないところだよ。 《シージャーギーはここにもきましたか》佐敷の冨祖崎はヤンバル船がつく所ですよ(図 9b)。ヤンバル船は、与那原も行ったかもしれんけど、冨祖崎にも来ました。久志、 辺野古と縁故の深い人が冨祖崎にいますよ。それから東村の有名な方ですが、知念、 久原の縁故ですよ。フ船持ちニムチャーですが台風なんかで帰れなくなり、あそこでユー ベーグヮーをつくったという話は聞いています。 《冨祖崎に港があったのですか》だから、建材だとか、日頃は薪だとか、ヤンバル船で
冨祖崎に運んだ。 《冨祖崎に船着き場の跡が残っていますか》今はもう運動公園になっている。その側は マ 塩田 ースナーもあったんですよ。マースナーは戦前、戦後までやっていた。やり方は、 塩田で砂まいて、砂しいて、潮をまくようにかけて、乾燥させて、また潮かけて、 あとは、濃縮したものを、また潮でこすわけさ。 《なんでこすんですか》潮でこす。また潮入れるわけさ。海水を入れ、濃縮して、濃縮 したやつを暖めるわけですよ。 《どんな鍋を使いますか、シンメーナービのようなものですか》シンメーナービどころ じゃない。もっと大きいのですよ。 《写真はないですか》いや、あれ戦前の話だのに。もうこんな話は聞けないですね。冨 祖崎のマースナーは戦後までありましたけどね。マースナーといって塩田だけど、 ナーというのは庭という意味さ。マースを作る庭という意味。戦後もしばらく小 規模だけど、ちょっと塩作っていた。図9cの白くなっているところが、マースナー で広かった (16) 。周囲は石が積まれていた。それで干潮になると魚が取り残され、ちょ うど魚垣みたいになっていた。 《写真撮っていないですか》いやいや、終戦直後だから、僕なんかが中学2年か3年こ ろですよね。カメラはもっていないですよ。 (16) 後日、 空中写真を利用して知念氏より確認。 図 9 1945 年1月米軍撮影の南城市佐敷字屋比久付近 (a : 字屋比久の知念氏の自宅付近、 b : 冨祖崎、 c : 塩田、 沖縄県教 育委員会所蔵)
a
c
b
《マースをやるんだったら焚きますよね。薪はどうしていたんですか》ヤンバル船が冨 祖崎に入るから、薪はやんばるからそこに運ばれた。 《この辺のもの使わなかったですか》この辺のものは使わんよ。木材、木の材料という のが無いのに。ススキでは火が弱いし、またススキだったら量的に大変であるわ けさ。キ木の薪ダムンじゃないとだめだった。もし、ススキだったら、馬車の三台も四 台も一日に燃やしてしまう。だから、マースナーに使うのは全部キダムンですよ。 やっぱりキダムンにはかなわない。それはもうほとんどヤンバル船でやんばるか ら運ばれてきた。 《キダムンはイタジイが主ですか》そうですね。 《冨祖崎の船はどこから来ていたんですか》久志と、それを越した所とかその辺ですよ。 この辺の裏側(東シナ海側)からは来てないですよ。 《国頭からはきましたか》やっぱり国頭は遠すぎるかな。名護市瀬嵩とか嘉陽とか汀間 とかが主だったんじゃないですかね。久志はあんまり入っていないかな。久志も 入っているかもしれんけど。よくわからんけどね。 《ここからは何を出していたんですか》こっからは生活用品なんかを運んでますよ。生 活用品は、洋服とか、あそこのマチヤグヮーの品物、たとえば、アミグヮーとか タンナファクルーとか、あんなのを運んでますよ。 《船頭は佐敷の人ですか》佐敷の人、地元の人たちですよ。 《どのような船ですか》あの時のヤンバル船は、帆船ですけどね。ここではヤンバルブ ニといっていたね。 《冨祖崎の付近の様子》今でも馬天の新開入口、今は埋め立てして新開になっているけ ど、あそこにクジラ解体工場というのがあったんですよ。バスで側を通ると血を 流したりして臭いわけですよ。ヒゲクジラのヒゲなんかを知念高校の教員になっ てから、そこで交渉してもらって知念高校の生物教室においてあった。今も標本 があるかどうかわからんけどね。あの辺の解体する様子などを写真撮っておけば よかったなあなんて思ったりするけどね。写真なんていうものはある意味では言 葉以上のものですから、港や塩田の話など、下手な説明よりも写真が一番いいん ですよ。 《イヌマキ》ここでは方言でチャーギ。これは建材としては最高です。ここでも植えてい ましたよ。僕の祖父なんかはヤ 家 ー作るといって植えました。切ったあとは池の水に 浸けてあったんですよ。そして戦争なったもんだから畑の端に埋めて逃げたわけで すよね。そして戦後なったら、この辺をアメリカーがブルドーザーでやってしまっ
てなにも無くなってしまった。 《チャーギの価値》家を造るなんていうのは、イークだとかチャーギなんかを使ってる というのは、ある種の誇りだったんですよね。いい建材、いい家を造っていると いう意味で、ワ 自分たちの家は ッターヤーヤ チ イヌマキを使っているぞー ャーギチカトーンドーってから自慢にもなった んでしょうね。イーク、チャーギといって、イークよりもチャーギの方がこの辺 では重宝がられていますよ。 《イークとチャーギは家のどの部分に使っていたんですか》それはあまり気づかなかっ た。チャーギはどっちかっていうと真っ直ぐしてるでしょ。イークは曲がったの があるわけさ。あれはケタの曲がった所などに使った。チャーギは座敷の柱とか、 それから床板。あと、貧乏人はシージャー(イタジイ)、シージャーギー (17) (イタジイ) を使っている。 《シージャーギーも水につけましたか》これはそんな余裕ないですよ。ヤンバル船から 載せてきて、早く造らんといけないから。だからシージャーで家を造るなんてあ まりこだわりないわけさ。誇りにもならないし。もうヘ 早く造りなさい ークチュクレーっていう 感じ。それから、大工も一流じゃないわけさ。 《チャーギで家を作る》チャーギやイークで造るといったら、一流の大工で。この材料 というのは非常に貴重だから、切り損ねたり、なんかしたら大変。丁寧にやらんと。 イーク、チャーギで家を造ったというのは大工も誇り。だから、同じエ 金持ちの家 ーキヤー はイーク・チャーギで、ウ上はワービはカ瓦葺きなんだよなーラヤルバーテー。そして、ヒ貧乏人はンスームン はシージャーギーで茅葺であるわけ。 《木の使い方》シージャーギーでもさ、家を造るのにヌチジヤーとフインチャーという のがあるさ。それによって丁寧さがちがう。このヌチジヤー(材にほぞを掘って 繋ぎ、礎石もある)と、それから地面に穴を掘って直接柱を埋めて建てるフイン チャーとがある。ヌチジヤーの場合、シージャーでもちゃんと、角とって、あの 三寸角とか四寸角とか、角材を使うか丸太を使うかによっても違う。だから、角 材にするのもティーンというのがあって、この曲がった削るやつ。あれで、コー ンコーンといって削る。削っていったら鱗みたいになっていきますよ。あれをま たカンナでなおす。同じヒンスーのところでも角材を使っているかそのまま木の 丸太を使っているかによってもまた違いがあるわけね。それで、ヌチジというの は角材じゃないとヌチジヤーにはならんわけ。まあ、丸太にもヌチジあるかもし れないけど。ヌチジで丸太を使うのはだいたいハジバーヤ。雨風にさらされる軒 (17) 樹木の方言には語尾の最後に木を意味する 「ギー」 がつくことがあり、 両方使われることがある。