Title
社会主義諸国における国際会計の諸問題
Author(s)
宮井, 久男
Citation
沖縄短大論叢 = OKINAWA TANDAI RONSO, 3(1): 41-59
Issue Date
1987-03-31
URL
http://hdl.handle.net/20.500.12001/10624
社会主義諸国における国際会計の諸問題
宮 井 久 男
I
社 会 主 義 に お り る 国 際 会 計 「国際会計」概念は、論者によってさまざまな観点から多様に用いられて いる。たとえば、乙の概念は、国際会計基準やE C統一基準などのような国 際統一会計基準の設定問題、国際会社の会計問題、貨弊単位換算問題に関連 して用いられ、さらに、会計人の国際的交流、国際会議、各国への他の国の 会計実践の影響、理論の国際的普及過程、各国の会計事情・会計史研究、そ の比較研究、もっと一般化した理論的発展における共同作業までも包含する 概念としても用いられている。しかし、乙のような「国際会計」概念の広義 の規定では、近時、問題となり、現状においても論議怠れている国際会計問 題をとらえきれず、その深化もはかれないと考えられる。あまりにも広義に 用いられている乙の概念は、さらに焦点を明確にしながら概念規定8れてい く必要がある。そ乙で、乙こでは、 ζの概念の規定に、国際的な経済の一体 化を基礎にした会計制度の国際的発展、生産の社会化の国際的広がりに対応 した会計制度の確立という座標軸を設定して規定するζとにする。乙れらの 問題に関連した会計問題は、古くから部分的には存在していた。国際会社の 歴史は古く、さらに貨弊単位換算の歴史も古くから存在していたであろう。 しかし、それは、戦後の経済過程の変化、国際的な経済の一体化過程の特徴 からみれば、部分的であったろう。われわれは、戦後の経済過程の国際的一 体化の進行に関連して問題化してきた会計領域を指して「国際会計」領域と してとらえようというのである。それは、資本主義諸国にあっては、 1960 年代以降、多国籍企業問題に関連して議論されてきており、社会主義諸国に あっては、社会主義諸国聞の経済的諸関係、とりわけセフ(経済相互援助会議:コメコン)の発展を中心に展開されてきた。乙乙での展開は、乙のよう な意味での社会主義諸国における国際的会計調和化・統一化問題を取り扱う (1) のである。 E セ フ の 発 展 と 会 計 問 題 社会主義諸国における国際的会計調和化・統一化問題は、主に、セフの発 展との関連で展開されてきた。そ乙で、われわれは、乙の社会主義諸国にお ける会計の国際的調和化・統一化問題の性格を理解するために、セフがどの ように発展してきたのか、そして、現在どのような方向で活動しているのか を理解するととが必要である。そこでまず、セフに関して、会計の国際的調 和化・統一化問題を考察していく上で必要とされる程度に概括的にみていく (2) 乙とにする。 セフは、 1949年1月に、ソ連、チェコスロヴァキア、ハンガリ一、ブル ガリア、ポーランド、ルーマニアの6カ国によって制設された。乙れは、西 側のマーシャル計画を直接的な契機とし、その後の北大西洋条約機構(NA TO)の成立、対共産圏輸出統制委員会(COCOM)の発足などに対抗し た、軍事的・政治的性格の強い組織であった。そしてそれは、 1955年のワ ルシャワ条約機構に帰着していく乙とになった。 また、戦前の東欧諸国の貿易相手国が主に西側諸国であった事情を反映し て、セフの創設は、それまでの西側諸国にソ連が代位するという意味も含ん でいた。ソ連は、 1955年頃まで、東欧諸国の経済復興・社会主義建設に多 くの援助を行なった。各国は、ソ連の社会主義建設の経験に学びながら、一 国社会主義型の工業化を進めていったのである。その結果、東欧諸国のソ連 との貿易比率は急速に高まっていく ζとになった。 東欧諸国の経済復興と社会主義化の進展にともなって、その後、経済協力 関係が促進主れていった。 1956年5月のセフ第7回総会では、工業部門別 の常設委員会の設置が決定され、 1958年5月のセフ諸国労働者・共産党代 - 42一
表者会議では、資源=エネルギー開発・機械工業など製造業における協力に 関する強化の勧告が採摂された。国民経済計画の調整についての決定は、す でに1954年の第4回総会において、初めて採訳されていたが、次の五カ年 計画を1956年から各国同時に開始するよう調整され、 1961""1965年五 カ年計画の相互調整以降広い規模で実施されるようになるなど、国際分業体 制の基礎が形成怠れていった。乙のような中で、 1962年6月、セフ加盟諸 国党・政府首脳のモスクワ会議において、 「社会主義国際分業の基本原則」 が決定されるに至り、 1963年以降、国際的な経済機構が次々に稼動してい く乙とになった。つまり、 「友好」油送管の敷設、 「平和」統一電力系統の 建設、共同貨車プール、ベアリング生産協力機構などである。また、貿易の 一層の促進を目指し、 1963年10月には、 「振替ルーブルによる多角決済お よび国際協力銀行設立に関する協定」が締結され、国際経済協力銀行が、19 64年1月より発足した。 1969年4月のセフ第23回特別総会においては、ソ連の提唱による経済 統合推進プログラムの作成と国際投資銀行の設立を決定し、セフ加盟諸国聞 の一層の経済協力を促進するよう方針化された。 ζれに従い、 1970年7月 に、国際投資銀行が設立された。 1971年7月のセフ第25回総会において採摂された「セフ加盟諸国の協 力の一層の深化と改善・社会主義経済統合の発展の総合プログラム」は、乙 れまでの発展を踏まえながら、統合過程を飛躍的に発展させていとうとする、 画期的な文書となった。つまり、乙れまでの経済協力が、セフ加盟諸国にあ っては、経済の社会主義的改造と基礎建設の段階での協力であったが、 19 60年代後半には、不足している物資をいかに確保するかという観点から国 際分業体制をいかに作り上げていくかという経済統合が問題になってきたの である。 1975年に、乙の「総合プログラム」の展開として、セフ第29回総会に おいて、 f1976年一1980年多角的統合化措置に関する調整計画
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が採摂 され、とれに依拠して、 「サユーズJ
ガス・パイプライン建設、ウスチ・イ リムスク製紙コンビナー卜建設などの協力プロジェクトが具体化された。また、乙の「総合プログラム
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IC.依拠しながら、各加盟国は、生産の専門化と 協業化の発展、科学技術進歩の促進とその利用の方向で努力している。i
総 合プログラム」を発展注せるような協力計画の作成は、 1976年のソ連共産 党第 25回大会でのブレヨネフ報告を契機として展開された。それは、 1976 年のセフ第30回総会で部門別長期協力計画の作成が決定され、 1978年の セフ第32回総会においては、燃料・エネルギー・原料生産、農業・食料品 工業、機械製作の三部門に関して、 1979年のセフ第33回総会においては、 消費物資と運輸部門に関して部門別長期協力計画が探摂され、実施されてきた。 さらに、 1981年のセフ第35回総会では、i
1981年一 1985年多角的 統合措置に関する調整計画」が承認され、一連の産業プロヲェクトの共同建 設、生産の専門化と協業化の措置、科学技術および標準化の分野における協 力などに関する措置が予定されてきた。 以上、セフの発展を概観してきたが、それは、戦後のソ連・東欧諸国聞の 国際関係の発展を実際的に意味していた。当初の主にソ連と東欧諸国との 経済協力関係は、 1971年の「総合プログラム」以降大きく変容していくと とになった。そして、乙の経済協力、経済統合化過程の進展は、さまざまな 会計問題を提起してきた。そ乙で、セフの発展が、どのような会計問題を提 起してきたかをみておきたい。 戦前の東欧諸国の経済水準は、チェコスロヴァキア、東ドイツを除き、ヨー ロッパ全体からみるとかなり低い状態であった。そして、それは、帝国主義 支配網の中 Kあって、農業、原料供給を中心とする従属国として位置づけら れていた。チェコスロヴァキア、東ドイツは、生産と資本の集積という点か らいえば、ヨーロッパの一連の資本主義諸国に接近していたが、工業生産と 圏内市場の未発達の聞に不均衡が存花し国民経済発展を阻害するものとなっ ていた。 とのような経済の発展水準に対応して、会計面での発展も戦後の社会主義 建設には、あまり役立たない状況であった。つまり、各国とも統一的な会計 規則・原則が存症しておらず、各企業は、それぞれの必要性に応じた多様な 形式・方法を適用していたし、また、外国資本の支配のもとで、その外国資-44-本の意図に従った窓意的な会計方法の適用がなされていた。解放前の遺産と して残された会計方法は、会計実践における未熟さ、多様な形式・方法の存 在、熟練した会計専門家の不足、具体的で正確な会計資料の不在など、社会 主義建設の要請を満たすものではなかった。乙のような状況の中で、東欧諸 国は、経済復興に着手することになるのである。そして、東欧諸国は、 1950 年代に、ソ連型の社会主義経済建設を進め、経済管理用具のーっとしての会 (3) 計面でもソ連の経験に多くを学びながら会計的裳備を進めていくことになる のである。 したがって、戦後1960年代中葉までの国際的な会計面での関係は、セフ 加盟諸国のソ連における経験に学Jに関係というようにとらえる乙とができる。 また、このようなソ連の経験に学~、関係やその後の国民経済五カ年計画の調 整の進展など、東欧諸国との関係の緊密化 K対応して、統計的把握・比較面 での要請も強くなっていき、統計的統一化が進められていく。そ乙で、会計 的には、 ζのような統計的観点からの会計指標の比較という乙とが徐々に展 開されていく乙とになる。 1960年代中葉までのセフ加盟諸国の経済建設の基本は、すでに述べたよ うに、ソ連型の自給自足的工業化を基本とし、その管理方法もソ連に学ぶ形 での中央集権型を基本としていた。その管理用具のーっとしての会計方法も ソ連型
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依拠して整備されていたのである。乙のようなソ連の経験に依拠し た形での経済発展を基礎にしながら、より一層の発展を目指して各国は、経 済政策の転換をはかつていった。経済改革の実施である。それは、現象的に はソ連型の経済管理方式からの変容であった。中央集権的管理方式から企 業の権限を強化する分権化の道が模索され始めたのである。このような管理 方式の変化は、会計方法へもいくつかの変化を与えた。セフ加盟諸国は、各 同の特fI!!万式 l乙適合する会計方法を創造的に適用していったのである。乙乙 I乙、ソ連・セフ加盟諸国の会計上の多様化が進行する乙とになるのである。 ーJj、国際関係的にみるならば、セフを中心』乙、各国の経済的基礎には、ソ 連・セフ加盟i諸国との関係が大きな比重を持つようになっており、その意味 での会,i十的調樫の必要性も大きくなってきていた。したがって、乙の時期の会計面での特徴は、各国の経済管理方式に特徴づ けられた多様性の顕現とともに、もう一方での経済的発展の基礎である経済 的統合化の進展上必要な会計資料の入手という、二つの方向性が存在した乙 とに求められる。当初は、乙れらは矛盾なく進行するのであるが、経済統合 の一層の進展は、乙の二つの方向は矛盾することになってくる。 1970年代 に入つての経済統合の進展K関連する会計の国際的調和化・統一化問題は、 乙のような事情のもとに展開注れていくのである。 社会主義経済統合は、国民経済計画の相互調整が必須となる。社会主義国 は、それぞれ国家主権をもち、国家間で経済的統合活動を実j但しようとすれ ば相互に国民経済計画の一定の部分を調整するという形をとらぎるを得ない。 乙のような国民経済計画の相
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調整はそれが多面的となり多国間になればな るほど複雑なメカニズムを必要としてくる。貿易やその決済に関しでもそう であったが、この複雑さ繁雑さを回避するために、機械工業部門とか二国間 であるとか比較的少数部門あるいは少数国家間でまず統合活動、たとえば生 産協力とか共同事業とかを実施しようという志向が生まれる。さらにその統 (4) 合化過程が進行すれば、きわめて複雑なメカニズムを必要としてくる。乙の ような過程において、会計・統計の基礎的数値が必要になり、相互の形式的 調整を必要としてくるのである。経済統合の進展に応じて、会計の統一化・ 統合化がはかられていく必要性が生じてくるのである。 そ乙で、われわれは、次に、このような国際的会計の調和化・統一化がど のように議論されてきたかを戦後の展開過程を時期区分をしながらみていく 乙とにする。 四 国 際 的 会 計 調 和 化 ・ 統 一 化 問 題 の 推 移 ブルガリアのスパソフ(且・CnaCOB)は、社会主義諸国における国際的 会計の接近化問題が生じたのは、ヨーロッパ、アジアに一連の社会主義国が 成立し、諸国聞の協力・相互援助が対外政策の基本的要素になったζとを要-46-(5) 因として、戦後ただちに始まったとしている。スパソフは、社会主義諸国の 成立とその相互関係の開始が経済的一体化の開始を意味しており、乙ζに国 際的会計の調和化・統一化の起点があると述べているようであるが、乙の乙 とは二つのζとを含意しているのではなかろうか。一つは、社会主義的発展 の過程における相互協力・相互援助関係の緊密化からくる会計的調整・統一 化の必要性であり、いま一つは、戦後の各国の社会主義会計の確立過程での ソ連型会計の影響という点である。スパソフは、乙の二つを国際的会計の接 近化問題に関連してとらえているのである。戦後まもなく開始された接近化 という視角は、どちらかといえば、戦後社会主義建設を開始した国々が、先 行したソ連の経験に学ぶ、導入という過程による接近化過程である。そして、 その後の経済改革の進展は、各国の独自な経済運営方式を生み出させ、ソ連 型からの脱却・発展という段階における差異の認識、その調整化・統一化の 過程である。つまり、社会主義諸国における接近化は、戦後、大きく分けて、 二つの流れで存在したといえる。一つは、ソ連型会計の導入による接近化、 二つめは、各国の独自性の発揮からきた会計実践の差異からくる接近化の必 要性の発現である。われわれの当面している課題は、後者の問題が中心とな る。二つの大きな違いは、各国の社会主義建設が一定のレベルに達したとい う段階での相互関係という経済的基礎の発展を前提としているζとであろう。 したがって、乙乙で、社会主義諸国における会計の国際的調和化・統一化と いう時、二つの意味を持ち、広義には、戦後の社会主義諸国の会計の接近化 過程をも包括する乙とになる。そうではなく今少し狭義にとらえて、それを、 国際分業との関連で論じる場合は、セフを中心とした社会主義国聞の相互関 係、経済の一体化の進行という視角が中心に据えられて考察されてくるであ ろう。乙乙での問題は、後者に立って論じるものである。 社会主義諸国における国際会計の展開過程は、その時々に開催された国際 会議の内容や各国の研究者の研究成果により考察するζとができる。 ζのよ うな資料からその展開過程を時期区分すると、概括的には、五期に区分する 乙とができる。 社会主義諸国における国際的会計の調和化・統一化問題で重要な画期を成
すのは、 1966年にセフを中心K開催されたモスクワでの専門科学会議であ った。セフ加盟諸国聞の経済協力の拡大や国民経済計画の調整という社会主 義的国際分業の進展は、その一層の検討と実践的解決を必要とする会計的国 際比較問題を提起してきた。セフ加盟諸国が、国民経済五カ年計画の計画期 間の調整を行ない、経済構造上にもその調整を一定程度反映し、そのレベル で経済協力・国際分業を展開する場合、それまでの単位る統計的比較レベル からより具体的でより会計的な指標の比較を必要としてきたのである。 1955 年に初めてとのような問題が国家代表者会議においてとりあげられ、 1960 年の第二回セフ加盟諸国の中央統計局長協議会においても乙の問題がとりあ げられた。しかし、内容的には、 ζの1966年のモスクワ会議が画期的なも のとして位置づけられる。 会議では、価値指標の国際比較とその比較可能性に関する理論と実務の議 論がなされ、とりわけ、国際比較のための指標システムの創設に論議が集中 した。その中で、次のような一致がみられた。つまり、国民経済計画の調整 と社会主義国際分業の深化・発展を進める上でその基礎となるべき国際比較 に利用する諸指標が、各国の経済的実態を相互関連的に明確にするようには なっていない。そ乙で、乙の目的を遂行するために、科学的に根拠のある国 (6) 際比較上の指標システムが速やかに作成される必要がある。会議では、乙の ような見解の一致に基づいて、指標システムの組織原則や個々の指標聞の相 互関係、その実際適用上の問題点、さらには各国の国民経済統計システムへ のその包括の可能性などについて議論された。これまでに、主l乙、統計的比 較問題としてではあるが、国際比較問題をテーマにした国際会議は開催され ていた。しかし、そこでの議論は、比較を必要とする個々の問題に関連して おり、乙のモスクワ会議とそれ以前の会議とは、性格的K明確に区別される。 乙の国際会議は、それ以前ζ展開主れてきた個別的問題 ll 乙関連する諸国間の 会議を発展させ、セフ加盟諸国の経済協力関係の発展に対応注せて総合的に 討議を試みた最初の会議であったと位置づける乙とができる。 そこで、われわれは、第一期は、 1965年以前の時期で、まだこの時期比 は会計の統一化についての論議は具体的にはなされておらず、国際経済比較 -48ー
は国民所得比較をはじめ統計的観点からの比較が問題となっていたとする。 1950年代にはすでに各国の国民経済五カ年計画の計画期聞を調整し、内容 的にも部分的ではあるが調整しながらセフ加盟諸国は経済活動を展開してい くわけであるが、 ζの時期は、会計比較の必要性を部分的には認識していた もののいまだにその具体的検討も実施されていかないそれ以降のための準備 期として位置づけるζとができる。 第二期は、モスクワ会議以降次に述べる 1971年開催の「企業の経済・統 計情報システム
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1<::.関する科学セミナーまでである。モスクワ会議の翌年、 1967年には、セフの経済問題常設委員会において、工業製品原価比較方法 の基本規則が作成された。それは、単一の貨弊単位による原価の再計算の方 法を提供するものであった。 つまり、乙の時期は、それ以前に実施されてきた個別問題に関する会議を 発展させ、セフ加盟諸国の経済協力関係の発展に対応させて、総合的に討議 を試みた時期とする乙とができる。乙の会議から、国際分業という経済的基 礎での会計問題、とりわけ、原価計算の比較問題が展開されていくととにな るのである。ただ、会計問題の共同の解決、その統一化への重大な注意は、 「総合プログラム」が作成される 1970年代に入ってからのζとであるとい える。 第三期は、セフ常設統計委員会によって主催された、 1971年の「企業の 経済・統計情報システム」に関する科学セミナーに始まる。 このセミナーの中心課題は、経済情報・会計情報・統計情報という各情報 聞のシステム的相E関係の再検討を行なう乙とであった。各国の代表は、そ れぞれの固における会計、統計 lζ関する現状と今後の展望について報告し、 とりわけ、東ドイツの統一会計・統計システム、チェコスロヴァキアの統一 (7) 社会・経済情報システムについての報告が参加者の注目を集めた。 乙の科学セミナーの意義は、 60年代中葉以降実施怠れてきた各国の経済 改革に対応して展開されてきた会計上の経験を、多面的に交流したという点、 そのことはまた、各国間の差異の認識が深められていったという点と、それ をセフ加盟諸国の中央統計局、財務省、その他の機関の専門家による直接的接触、交流がなされたという乙とにあった。 翌1972年には、ブルガリアのスウィスチョフにおいて、 「経済情報シス テムにおける会計
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という国際シンポツウムが開催された。 とのシンポジウムの開催された目的は、国民経済計算システムの構成要素 である会計に焦点をあて、その研究領域並びにセフ加盟諸国企業で実践怠れ ている方法と組織化に関して、相E
交流を行ない各国で科学的業務に従事し ている科学者、研究所関係者、財務省、中央統計局等の代表との相互関係を 強化し、会計問題に関するセフ加盟諸国聞の今後の協力関係の方法を検討す る乙とであった。シンポジウムでは、以上の目的に添った諸報告がなされた が、その中で、次のような一致点がみいだされた。つまり、各国において会 計理論の質的向上の努力が展開されてはいるものの、計算の機械化、自動化、 管理科学やサイバネティックスなどの領域における飛躍的発展に対して、会 計の質的側面での対応は、必ずしも十分ではない、という現状認識での一致 (8) である。そして、次のような勧告が提起された。会計領域における共同の科 学研究作業のプランの作成、理論と実務の代表者による定期的な会議の組織 化、計算概念・専門用語の内容と標識上の統ーのための比較辞典の作成の審 議、相E
協力のための科学研究集団の創設、セフ付属科学・調整中央機関の 組織化。乙の機関は、会計の方法論の作成問題を取り扱う、とりわけ、勘定 計画の相互接近問題、会計バランスシェーマ問題、費用計算・製品原価計算 方法と企業内ホズラスチョートの適用のためのその利用問題、情報の保持者 としての第一次文書の方法論的原則問題、経営技術計算・会計・統計報告書 の統合問題、定期的報告書の作成問題などについて検討するととが予定され (9)7
こ。かなり包括的な議論の場を予定していたといえる。 第三期の特徴は、第一期の国際比較の必要性の認識と第二期のそのための 糸口としての価値指標に関する比較論議を踏まえて、 「総合プログラムJ
1<::. 基礎を置きながら、その具体化のための差異認識的会計問題の論議に移行し ていく点にある。その論議の過程で、会計の国民経済計算システム全体の中 での位置づけの見直しがなされ、東ドイツの例にみられる統一会計・統計シ ステムの検討に関連して、ソ連でも同様の実務化の論議が繰り広げられてい - 50一くととになる。その意味では、会計の統一化の必要性の認識を受けた論議の 継続と、もう一面では、差異の認識を深め、理解しながらその中から自国の 発展のために有効性を持っと考えられる会計方法を摂取してい乙うとの意図 が強く結合していった時期ともとらえる乙とができる。 第四期は、 1914年に開催された「工業企業コンビナートにおける管理、 計画化、コントロールの用具としての費用計算と原価計算」と題する国際会 議以降数年の時期である。 まず、乙の国際会議では、セフ加盟諸国における原価計算の諸問題が議論 され、各国の原価計算システムの成果と弱点について率直に交流が深められ た。乙の論議に関連しながら初めて、個々の国で実施されている費用計算と 原価計算の適用方法の比較が試みられ、そ乙で得られた結果から原価計算の 統一システムの創設の必要性が主張された。また、 ζの会議では、費用計算 と原価計算に関する統一用語の設定、多様な目的別の原価計算、いわゆる資 本主義会計でいう特殊原価調査についての検討が加えられた。主らに、 ζの 会議と並行してセフ常設統計委員会の会議が聞かれ、生産費計算の統一基準 の作成、とりわけ、原価の組成、原価指標、費目別分類、間接費配賦方法、 材料・仕掛品・製品の評価方法の統一化、ノルマ会計の定着化、機動的生産 官理のための情報利用にかかわる諸問題についてそれぞれ論議された。乙れ をうけて、セフ常設委員会は、 1976年から1980年までの将来計画に、「工 業製品原価の分類化・指標・計算方法の統一化の可能な方途について」とい
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うテーマを含めた。このように、乙の1974年は、社会主義諸国における会 計、原価計算の接近、調和化、統一化の展開においてきわめて重要な年であ (11) ったと位置づけられる。また、翌年の1975年には、モスクワでセフ加盟諸 国とユーゴスラヴィアの共同主催による「社会主義工業生産の管理組織」と 聞 いう国際科学技術会議が聞かれ、 ζのような万向を踏襲した論議がなされた。 したがって、この時期は、社会主義諸国における国際会計の展開期、具体 的な比較検討から差異を認識し、統ーへの糸口を具体的に模索していく時期 と特徴づけることができる。もちろん、乙の時期の検討の中でも、各国は、 比較検討から自国に役立つ方法、先進的経験の摂取に努力している。とりわけ、乙の時期に注目されたのは、ハンガリーで実践された直接原価計算であり、 各国が導入しつつあった特殊原価調査についてであった。 第五の時期は、第四期とも重なりながら進行した比較検討の成果の発表、 総括の時期である。したがってそれは、 1976年前後から現在まで継続する 時期として把握する乙とができる。乙の聞にも多くの国際会議が開催され、 会計問題の共同の解決の必要性、統一化の問題が議論されてきた。たとえば、 次のような国際会議が開催おれてきた。
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質と効率の向上のための会計と会 計カードルの位置と役割J(
1977年、ブルガリア、ソフィア)、 「企業に おける会計J(
1978年、ハンガリー)、 「費用一成果一効率J(
1978年、 東ドイツ、ライプチヒ)、そして全ソ科学技術代表者会議「生産管理の現代 的条件のもとでの会計の改善J(
1975年、モスクワ)。統一化問題でとり わけ重要な位置づけを与えられるのが、全ソ科学・実務代表者会議「経済メ カニズム改善の条件のもとでの会計J (
1980年、パクー)である。そζで は、セフの統一勘定計画創設問題、会計上使用する定義・概念・指標・専門 用語の統一化問題、会計システムの個々の要素の統一化問題が提起され、ま た、責任ある中央国家機聞による計算の変化と発展に関する各国の情報交換 を組織し、『社会主義諸国における会計』という本のシリーズ第二版を準備 し、専門用語辞典を発行し、『社会主義諸国における会計理論』という本、 教科書、参考書の企画を作成、国際的な著者集団を編成し、セフ諸国の国家 的会計士協会を連合する国際社会主義会計士協会を創設し、セフ付属の独立 U3) した常設会計委員会を創設する乙とが提案された。 乙のように、会計統一化の必要性の認識は深められ、とりわけ、原価計算 の統一化へと具体的作業に取りかかろうとしているようにみえる。しかし、 その結果、差異の認識は思ったよりも深く、各国の歴史、経済運営方式に強 く根ざしており、単なる形式的統ーでは必ずしも十分にその役割を果たせな い乙とも理解されてきた。現在、その分析を総合的に再整理するために、多 角的に比較検討し、成果を集約する作業が進行しているものと考えられる。 それはまた、原価計算の統一化を基礎づける国際分業の現状認識にも当然の 乙ととして関連してくるものであって、その意味では、会計面での統一化過 -52-程、調和化過程の基礎準備過程の終了時期に近づいているものとみられない とともない、近年の国際会議の内容や各国の研究者の研究成果にあらわれた 内容は、乙の基礎的準備過程の終了時期を裏づけているようにも恩われる。 W 現 状 と 課 題 社会主義諸国Kおける国際的会計調和化・統一化問題に対して、いくつか の見解が提示されている。この領域の現状と課題を考察するうえで、まず、 ζの問題に対する諸見解の特徴をみておきたい。 ポーランドのパリジンスキー (3.Oapbl3HHcKHli )は、統一化につい て基本的に支持しながらも、その実践的な具体的方途の点から疑問を提示し ている。つまり、第ーに、乙のためには、多くの複雑な理論的作業を必要と している。第二K、各国に存在する会計上の特質の解消には、長期間を要す る。第三K、統一化が実施されるζとにより、各国に存在しているζれまで 蓄積されてきた成果が統一化の名のもとに喪失されていく危険が考えられる。 第 四 に 、 統 一 化 を 実 際l乙行なうには、膨大な物質的・財務的費用が必要と される。統一化の意義を考えても、実践的にはかなり困難なのではないかと いう見解である。 統一化に対する真正面からの反対意見は、あまりないようであるが、パリ ジンスキーのような実践可能性からの懐疑論者は一部に存在している。し かし、大勢は、その実践可能性は十分存在しており、統一化は必要かっ可能 であると考えている。また、積極的支持者にあっても、それが容易な乙とで あるという認識はない。そこで、積極的支持者の中でもいくつかの見解が提 示されている。たとえば、チェコスロヴァキアのべーニッシュ(J1.6eHe山) は、統一化への過程は、長期間を要するであろうとの理解から、まず、各国 は、現在各国において必要とされている会計の分析性・活動性を高めるとと を達成する努力を行ない、その情報を管理意思決定のためにより広範に利用 するよう努力すべきであると述べている。また、ブルガリアのダナイロフ
( !l.且aH a H JI 0 B)は、統ーにはこ段階が必要で、あるとし、まず、方法論の接 近を行ないそして統一化へと進展すべきであると述べている。同じく、ブル ガリアのスパノフ(!l.C n a C 0 B )は、統一化のためには、各国の経験の中 に含まれている積極的側面を抽出していく乙とを提起し、実際的な統一化を 推進していく場合、会計用語の統一化、相互の類似の会計用語の研究から着 手し、そして、統一の勘定計画の創出とその適用に関する訓令の創設が必要 であると提起している。これは、各国の会計の実際を理解する上で、きわめ て重要であり、焦眉の提案であろう。乙のような考え方は、すでに、東ドイ ツのコ'ル(
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凋JI)とガイスラー(r.ra
JlC ClJep)がとの問題に注意を 与えていた。ダリェジャール(Sl.!lOlJelKaJl)は、以上の論者と異なって、 会計の統一化に先行して、各国で形成され、機能している財務管理・刺激化 システムの形態が接近、同一化される必要があるとしている。そして、その 凶 進行に応じて必然的に会計の統一化は進行するのであると結論づけている。 ζの見解は、非常K興味深いものである。 ζれまでの諸見解では、セフの 諸活動は、一定レベルの相E関係を作り出し、乙れからそれを一層進展さ せていくうえで、会計の調和化・統一化が必要になってきているのであると いう理解であるが、ダリェジャールは必ずしもそのような理解に立たず、そ の形成基盤との関係から考えた場合、国際関係からの要請からだけではなく、 それぞれの圏内的要素の接近がその基礎の部分において接近・同一化されな ければ、その統一化の基礎が確立されないのではないかと提起しているので ある。見方によれば、乙の見解は、さまざまな論者が統一化に長期間を要す るであろうといっているが、その内容を明らかにしているものといえるかも しれない。 ソ連では、次のような学者が研究活動を展開している。マッケピッチュー ス (I1 .C.MaUKeBH~ 回 C )、ストゥーコフ (C.A.CTYKOB)、カシャ ーエフ (A.H.Ka凹 ae B )、コルムノフ(10.B. K 0 P M H 0 B )、その他で ある。 コルムノフは、主に製品原価の比較問題を研究しながら、次のような見解 を示している。確かにセフ加盟諸国の費用・原価計算を統一方法で算出する - 54ととには、大きな効用が存在する。そして、その実現も作業的には可能であ ろう。しかし、セフ加盟諸国における経済的発展水準にはなお一定の差異が 存在し、その具体的な計画管理方式においても差異が存在する。そ乙で、現 時点では、各国の計算・報告システムを一般化・統一化する乙とを急ぐので はなく、費用・原価の組成上、特に存在している国家的差異を除去し、費用 ・原価の比較を現実化する具体的実務的解決の方向をとる乙とが合目的であ ろうと述べている。ストゥーコフもセフ加盟諸国において計算された原価指 標は比較される必要があるとの基本的観点を示し、ただ、その場合、原価計 算の統一化の道は簡単、容易ではないであろうと述べている。しかし、乙の 作業は、実施されていくであろうし、それは多くの研究者の集団的な複雑で、 ( 15) 多くの労力を必要とする乙とになろうと述べている。 ソ連の研究者の中にあって、マッケピチユースは、多くの貴重な研究成果 をあげている。近著「セフ加盟諸国における会計の組織化』においても、積 極的な提案を行なっている。 まず、マッケピッチユースは、その基本的考え万を提示している。それは、 会計の各国システムの統一化の可能性の確証という乙とである。その乙とは、 1984年6月K開催されたセフ加盟諸国経済協議会の方針に一致している。 そこでは、セフ加盟諸国の経済的・科学技術的協力の一層の発展と深化の基 本的方向性が示され、具体的なーっとして、経済情報の収集・処理・保存・ 伝達・利用に関連する標準化、統一化の必要性という要請に合致しているの である。その基本的考え方の根拠はど乙にあるのであろうか。会計システム の統一化の必要性の成熟化について、次のように述べている。第ーに、各国 で実施されている計画化方法の接近と長期的な国民経済計画の調整領域にお ける協力の拡大であり、第二に、各国の価格形成システムの接近、第三l乙、 セフ加盟諸国の為替・財務関係の統一システムの発展とその公式化、第四』乙、 統計領域における共同の活動、そして、第五に、コンピュータの導入状況、 (16) 等々である。 ζのような諸要因が、会計の国際的統一化を要請しているとみ るのである。乙の領域における議論は、まさしく、乙のような諸要因をいか に評価するかにその是非がかかってくるのである。マッケビュースは、以上
のような諸要因の成熟が、その必要性を提起しているとして、その漸進的接 近と統一システムの創設に対するシェーマを提起しているのである。乙のよ うな作業にあたって、マッケピチユースは、各国の会計実践を綿密に分析し ている。乙の分析を踏まえてのζとであるが、マッケピチユースは、次のよ うな提起をしている。つまり、会計における専門用語・基本概念の統一化の 必要性に関する提起である。乙の乙とは、会計システム要素の統一的な理解 を保障するのにぜひとも必要であり、会計用語・概念の国際的な辞典の作成 問題を提起している。マッケピッチユースの研究上の大きな注意は、まず、 会計の情報的構造の基礎として位置づけられる勘定計画に与えられている。 現行のセフ加盟諸国の勘定計画を分析し、統一的な国際的勘足計画の創設に 関する提案を行なっている。さらに、生産費計算・製品原価計算 K対しでも 注意を与えている。乙乙で、マッケピッチユースは、製品原価の国際比較上 困難な障害として、各国に存在する不一致を検討している。内容の検討とそ の形式的処理のための専門用語・形式の統一化の提案を積極的に提起してい るのである。マッケピチユースは、また、各国の会計バランスシェーマにつ いても検討している。 筆者は、三年前の拙稿において、その時点の総括として、次のように述べ た。
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第五の時期は、第四期とも重なりながら進行した比較検討の成果の発 表、総括の時期である。したがってそれは、 1976年前後から現在まで継続 する時期として把握する乙とができる。会計統一化の必要性の認識は、原価 計算の統一化へと具体的検討に移されていった。その結果、差異の認識は思 ったよりも深く、各国の歴史、経済運営方式に強く根ざしており、単なる形 式的統ーでは必ずしも十分にその役割を果たせないζとが理解された。乙の 時点で、その分析を総合的に再整理するために、多角的に比較検討し、成果 を集約する作業が現在進行しているものと考えられる。それはまた、原価計 算の統一化を基礎づける国際分業の現状認識にも当然のζととして関連して くるものであって、その意味では、会計面での統一化過程、調和化過程の基 間 礎準備過程の終了時期に近づいているものとみられない乙ともないJ
。さて、 基本的な認識としては、乙の理解で良いのではないかと思われるが、その後 CU E - υの展開を踏まえて考察した場合、現状はどのように把握され、残された課題 はどのように設定されてくるのであろうか。 1971年のセフ第25回総会において採釈された「総合プログラム」は、 セフ加盟諸国聞の経済関係を飛躍的に発展させた。そして、それに対応しな がら、会計問題の検討も進展してきた。すでにみてきたように1970年代
κ
入ってからのとの領域での議論は大きく進展した。各種の会議の議論は、経 済統合を基礎の部分で支え、さらに一層発展させていくためには、会計の接 近そして統一化へ移行するのは当然であるという見解が支配的であった。ま た、そζで懸念されている見解も、会計の統一化への全面的否定ではなく、 ζれを達成していく上での方法論的問題提起となっている。 1970年代の議 論は、統一化の必要性の確認とその差異の明確化、そして、その差異の現象 化する基盤の認識に当てられてきたといえる。それらの総括的成果も徐々に 現れてきている近年、乙の領域での議論は、具体的にとの課題をどのように 遂行していくかというレベルに移行していくように思われる。もちろんそれ は、個々の国の事情を考慮した形で進められる必要があり、まず、差異を残 しながらの形式的統一化をはかりながら、会計の現象基盤である管理方式の 接近化の努力に伴った本格的な統一化へというプロセスになるであろう。た だ、社会主義における経済統合は、資本主義における場合と異なり、 「社会 主義国の万が(いまのところユーゴスラビアを除けば)、国家権力の経済へ の介入が全面的であり、国家権力の管理・指導が前面にあらわれる。乙のこ とが国家聞の経済的協力・結合に関係すると、一つの国への他の国からの経 U8) 済への介入、つまり主権への介入、侵害というととになり易j く、十分な合 意形成を必要とするであろう。しかし、乙の時点でいえる乙とは、 1970年 代に入って展開されてきた基礎準備過程から、確実に一歩先をいく議論の展 開が、これからなされていくであろうと予想される。 このような状況を踏まえて、今年、ブルガリアの会計専門家の提唱による 国際シンポジウムが計画された。テーマは、〈セフ加盟諸国における会計シ -_""'~_.l.J_ J:lUr:f;C 1--"'-- _ ~ ,_i
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9) ステムの統合、必要性・可能性・問題点〉であり、乙の時点での総括と、具 体的展開のための問題点の解明を内容としている。今のと乙ろその詳細はわか ら な い が 、 ま た 、 一 つ の 新 た な 段 階 に 近 づ き つ つ あ る よ う に も 思 わ れ る 。 注 意 深 く 見 守 っ て い く 必 要 が あ る 。 注 (1)
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国際会計」概念については、拙稿「社会主義諸国における国際会計の展開J
f
沖 大 経 済 論 叢 』 第8巻 第1号、 1984年、 2...7ページにおいて検討している。 (2) セフの発展については、大崎平八郎編『社会主義経済論』有斐閣、第13章「社 会主義世界体伽I
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(木村英亮氏執筆〕、 1986年および岡・山内・宮鍋・竹浪『社 会主義経済論」筑摩書房、第12章「経済協力の展開J
(竹浪祥一郎氏執筆〕、1976 年に主に依拠している。 (3)ソ連の経験を活用する形態としては、印刷物での会計上の基本原理・組織化・会 計技法の紹介、ソ連の法令や規程lζ習勺た制度の整備、ソ速において出版された会 計舎の翻訳、そしてソ連の工業企業における会計の組織化に関する視察とその経験 を引き出すための会計専門家の招聴などであ「た ( H.C.MaUKeBH4回 C,AH3J1H3 KaJlbKy凋HpOBaHHs ce6eCTO日MOCTH npoAyKUHH B CTpaH・
ax C:3B.M.
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1977,
c. 7 - 13. 。) (4) 鈴木重靖『現代社会主義貿易論J有斐閣、 1981年、 252ページ。(5) 且.CnacoB
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0 6 YH闘中日KaUHH CHCTeM 6yxraJlTepcKoro y4. eTa B cTpaHaX-4J1eHaX C:3B. < 6yxraJlTepcKHii y4eT > 1 9 86, N o・8,c. 59.(6) B.CHM4epa, Me蹴AyHapo且Has Hay可Has KOHφepeHUHs
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目
np06J1eMaM MeTOAO Jl OrH 悶 Me~AyHapoAHWX cOH3MepeHHii C~ OHMOCTHWX nOKa3aTe且eii.< BeCTHHK cTaTHcTHKH> 1966,
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No. 9
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c. 50-51.(8)
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Me班 且yH8po且HbllI CHM目03HyM no ByXI'8J1・ TepcKoMy y司eTy.<( Byxl'8J1TepcKH量 y'le T > 1972,
No. 11,
C. 66 - 72
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c. 16.O
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TaM >Ke,
c. 23 - 30.間 拙 前 掲 稿 、 18ページ。
側 鈴 木 重 靖 、 前 掲 書 、 253ページ。 (l~且.Cnacou