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密教研究 Vol. 1926 No. 20 003大北 善照「南山学派と東寺学派 P47-56」

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Academic year: 2021

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目 次 一 、 序 論 二 、 眞 言 宗 史 土 よ り 見 た る 兩 學 派 三 、 南 山 及 び 東 寺 教 學 の 興 起 と そ の 成 立 年 代 四 、 教 理 的 二 大 潮 流 よ り 兩 學 派 に 及 ぶ 五 、 兩 學 派 當 時 に 於 け る 佛 教 界 の 一 般 六 、 兩 學 派 の 學 系 に 就 て 七 、 南 山 學 派 の 學 匠 A 、 覺 海 大 徳 B 、 法 性 阿 闇 梨 C 、 宥 快 法 印 八 、 東 寺 學 派 の 學 匠 A 、 頼 寶 法 印 B 、 杲 寶 法 印 C 、 賢 寶 法 印 九 、 兩 學 派 教 義 の 特 異 點 A 、 教 主 論 B 、 修 行 論 C 、 機 根 論 D 、 三 種 即 身 成 佛 の 正 意 E 、 教 體 論 F 、 大 釋 同 異 論 G 、 菩 提 心 と 知 信 問 題 十 、 兩 學 派 時 代 以 後 の 状 態 A 、 南 山 宥 快 滅 後 の 形 勢 B 、 東 寺 三 寳 以 後 の 形 勢 十 一 、 結 論 南 山 學 派 と 東 寺 學 派  四 七

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南 山 學 派 と 東 寺 學 派  四 八 一 、 序 論 凡 そ 、 西 洋 哲 學 史 を 見 て も 亦 宗 教 學 史 を 見 て も 、 學 派 と 稱 せ ら れ る も の が そ の 學 の 上 に 於 て 如 何 な る 重 要 の 位 置 を 占 め 、 且 又 其 の 内 容に 於 て 豊 富 で あ る か は 吾 人 の 喋 々 す る ま で も な い こ と で あ る 。 例 へ ば 近 世 哲 學 史 に 於 け る 新 カ ン ト 學 派 、 西 南 學 涙 、 マ ー ル ブ ル グ 學 派 の 如 き は 其 の 好 適 例 と 云 つ て よ い 。 翻 つ て 我 が 宗 史 の 上 に 求 む れ ば 本 地 身 學 説 と 加 持 身 學 説 の 所 謂 新 古 兩 擧 派 の 對 立 あ り 、 古 義 内 に 於 て も 南 山 學 派 、 東 寺 學 派 の 對 立 あ り 、 南 山 に 於 て も 寶 門 、 壽 門 の 二 學 派 の 對 峙 あ り 、 此 等 は 皆 其 の 當 時 に 於 て 、 眞 言 教 學 に 對 す る 獨 自 の 見 界と 組 織 的 體 系 に 於 て 教 學 の 粹 と 謳 は れ 、 從 つ て 教 學 の 進 歩 は 實 に 隆 盛 を 極 め た も の で あ る こ と は 誰 人 も 周 知 の こ と で あ る 。 吾 人 、 早 々 よ り 宗 義 講 筵 の 席 に 於 て 南 山 成 立 の 義 、 東 寺 成 立 の 義 等 の 言 葉 が 繰 返 さ れ る 毎 に 、 一 種 の 疑 義 を 挾 み 氷 解 し 得 な か つ た の で あ る 。 即 ち 南 山 に せ よ 東 寺 に せ よ 同 じ く 高 祖 大 師 の 教 學 の 流 を 汲 む 正 統 派 で あ り な が ら 同 一 宗 義 の 上 に 幾 多 の 異 義 の 存 す る こ と 、 及 び 見 解 を 異 に す る 二 つ の 宗 義 が 、 共 に 宗 の 實 義 を 闡 明 し 高 祖 の 學 風 を 宣 揚 す る も の と し て 古 來 相 並 べ て 傳 承 さ れ て ゐ る こ と で あ る 。 此 等 の 疑 義 を 氷 解 せ ん が 爲 め 、 吾 人 は 柄 に も な き 廣 汎 な 題 を 撰 ん で 研 究 に 着 手 し た の で あ る 。 然 し 吾 人 の 短 才 を 以 つ て し て 、 か ゝ る 大 き な 問 題 を 探 究 す る こ と は 實 に 至 難 の 事 で あ り 、 加 ふ る に 從 來 こ の 問 題 に つ き 部 分 的 に 紹 介 さ れ た 事 は 見 受 け る け れ ど も 、 然 し そ れ が 概 説 さ れ た も の を 見 出 す こ と が 出 來 な い 。 こ ゝ に も 困 難 の 一 因 が あ る の で あ る 。 恐 ら く 不 完 全 な 研 究 に 終 る こ ご で あ ら う 。 吾 人 が 今 南 山 墨 派 、 東 寺 學 派 と 稱 す る の は 一 體 何 を 意 味 す る の で あ ら う か 、 南 山 學 派 を ば 覺 海 大 徳 を 其 の 祖 と し 法 性 阿 闇 梨 を 經 て 宥 快 法 印 に 稟 承 さ れ た 一 系 を 以 つ て 吾 人 は 南 山 學 派 の 名 稱 を 付 す る も の で あ る 。 而 し て こ の 學 派 は 宥 快 に 至 つ て 完 成 さ れ 所 謂 南 山 成 立 の 義 を 樹 立 す る に 至 っ た の で あ る 。 東 寺 學 派 ご は 頼 寳 師 に 其 の 源 を 發 し 、 杲 寳

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師 を 經 て 賢 寶 師 に 至 る 所 謂 東 寺 三 寶 を 以 つ て 東 寺 學 派 の 名 稱 を 付 す る も の で あ る 。 此 の 派 の 教 學 は 杲 寶 に 於 て 完 成 慣 れ 、 杲 寶 を 以 つ て 東 寺 の 教 學 を 代 表 す る も の と 認 め る も の で あ る 。 先 づ 研 究 の 順 序 と し て 、 前 半 に 於 て は 兩 學 派 の 我 宗 史 上 に 於 て 如 何 な る 位 置 を 占 め て ゐ る か を 論 じ 、 次 に 兩 教 學 が 如 何 な る 史 的 背 景 を 以 つ て 成 立 し た の で あ ら う か 。 當 時 の 我 が 佛 教 界 は 如 何 な る 運 命 に あ つ た か 、 學 系 及 思 想 傾 向 は 如 何 な る も の で あ つ た か 、 と 云 ふ 様 な 主 と し て 兩 學 派 の 史 的 教 理 的 背 景 を 探 究 し 後 半 に 於 て は 兩 教 學 の 特 異 點 を 探 つ て 學 派 的 の 特 質 を 究 め ん と す る も の で あ る 。 詳 細 な る 教 學 の 異 點 に つ き て は 後 日 の 研 究 に 讓 り 、 今 は 唯 主 要 な る 三 四 の 問 題 の み に つ き 其 の 異 點 を 指 摘 す る に 止 め る 。 最 後 に 結 論 と し て 兩 學 派 に 對 す る 態 度 及 將 來 の 教 學と 云 ふ 愚 論 を 付 し て 此 の 稿 を 結 ぶ 。 二 、 眞 言 宗 史 上 よ り 見 た る 兩 學 派 吾 人 は 今 兩 學 派 を 我 宗 の 教 學 史 上 よ り 論 じ て 、 果 し て 兩 學 派 が 我 教 相 史 上 に 、 如 何 な る 地 位 を 占 め 、 如 何 な る 過 程 に 於 て 發 達 し て 來 た か を 探 究 し な け れ ば な ら な い 。 そ れ に 先 立 ち 、 吾 人 は 我 が 教 相 史 を 其 の 發 達 の 状 態 か ら 區 別 し て 之 を 七 期 に 分 つ こ と が 出 來 る と 思 ふ 。 即 ち 第 一 發 生 前 期 ( 印 度 開 闢 よ り 龍 樹 菩 薩 開 塔 に 至 る 。 ) 第 二 發 生 期 (龍 樹 開 塔 以 後 よ り 弘 法 大 師 に 至 る 。 ) 第 三 發 達 期 ( 弘 法 大 師 入 定 以 後 よ り 頼 瑜 法 印 生 年 に 至 る 。 ) 第 四 註 釋 期 (頼 瑜 上 人 よ り 宥 快 滅 年 に 至 る 。 ) 第 五 暗 黒 期 (宥 快 滅 後 よ り 元 和 元 年 大 阪 落 城 に 至 る 。 ) 第 六 後 註 釋 期 ( 徳 川 初 期 よ り 明 治 初 年 に 至 る ) 第 七 現 世 期 ( 明 治 初 年 よ り 今 日 に 至 る ) 今 こ の 七 期 に つ き 、 各 簡 單 な る 説 明 を 加 へ て 我 宗 一 般 の 推 移 を 見 る べ き で あ る 。 第一 發 生 前 期 。 こ の 期 間 は 、 云 ふ ま で も な く 歴 史 的 暗 黒 時 代 と も 稱 す べ き も の で 、 未 だ 吾 人 の 信 す べ き 史 實 を 見 出 だ す 事 が 出 來 な い 。 恐 ら く 、 此 南 山 學 派 と 東 寺 學 派  四 九

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南 山 學 派 と 東 寺 學 派  五 〇 の 期 間 は 今 後 如 何 に 史 的 考 察 が 進 ん で も 、 之 れ が 史 的 事 實 と し て 認 容 さ る 、 に 至 る こ と は 出 來 な い こ と ゝ 思 ふ 。 然 し な が ら 吾 人 は 史 的 事 實 た ら ざ る が 故 に 、 古 來 の 傳 統 説 を 破 壊 せ ん と す る も の で は な い 。 少 く と も 密 教 の 起 原 を 龍 樹 以 前 に 遡 つ て 求 む る 古 來 傅 統 の 説 に は 、 何 物 か 確 固 た る 根 據 が な け れ ば な ら な い 。 果 し て 其 の 根 據 は 何 か 。 吾 人 は 之 を 二 様 に 解 し た い と 思 ふ 。 其 の 一 つ は 其 の 教 義 の 淵 源 に 神 秘 的 意 義 を 認 め ん と す る も の で あ る 。 即 ち 印 度 人 の 常 と し て 無 限 的 神 秘 的 を 尊 重 す る も の に は 、 有 限 的 肉 體 的 の 歴 史 上 の 人 物 に 其 の 淵 源 を 歸 す る 事 は 到 底 許 さ れ な い こ と で あ つ た 。 こ の 傾 同 よ り し て 、 龍 樹 よ り 更 に 遡 つ て 金 剛 薩 捶 、 金 剛 薩 捶 よ り 大 日 に 歸 す る と 云 ふ こ と は 當 然 の こ ご ゝ 云 は な け れ ば な ら な い 。 二 つ に は一 般 佛 教 の 談 ず る 所 は 龍 樹 を 以 つ て 祖 師 と し 、 更 に 龍 樹 よ り 釋 尊 に 遡 っ て 釋 尊 所 説 を 以 つ て 一 般 佛 教 の 本 源 と す る 。 然 し な が ら 密 教 に 於 て は 更 に 釋 尊 の 内 證 本 地 に 潮 つ て 大 日 如 來 を 立 て 、 一 切 の 根 源 を 大 日 如 來 に 求 め ん と す る の で ゐ る 。 即 ち 、 こ れ 又 神 秘 の 中 に 其 の 起 源 を 求 め る も のと 見 な け れ ば な ら な い 。 要 す る に 右 の 二 つ の 根 據 に 基 ひ し 、 大 日 よ り 龍 樹 に 至 る 間 を 全 く 神 秘 不 可 思 議 の 傳 授 と し て 談 ず る が 、 古 今 密 教 學 者 の 定 説 と す る の で あ る 。 こ れ に つ き て は 、 尚 ほ 詳 細 に 論 ず べ き 餘 地 あ る も 、 吾 人 は 唯 古 來 の 傅 統 説 に 準 じ て 之 を 説 明 せ ん と す る も の で あ る。 龍 樹 菩 薩 日 ﹁ 疾 前 無 藥 機 前 無 教 ﹂ と 此 の 故 に 諸 經 の 初 め に は 必 ず 衆 成 就 を 説 く を 通 例 と す 。 彼 の 起 信 論 に は 胃 頭 第 一 に 因 縁 分 を 置 く 、 此 れ は 社 會 の 事 物 一 と し て 必 要 に 迫 ら れ て 生 づ る こ と を 示 し た も の で 、 我 眞 言 宗 の 如 き も 此 の 世 に 出 ず る や 必 ず 出 で ざ る べ か ら ざ る 原 因 が あ る 。 吾 人 は こ の 原 因 を 説 か ん が 爲 に 、 第 一 を 發 生 前 期 と 名 け る の で あ る 。 此 れ 眞 言 宗 が 閻 浮 提 即 ち 現 社 曾 に 出 つ る に 當 つ て 、 如 何 な る 理 由 に 依 つ て 流 布 さ れ た か を 説 か ん と す る も の に し て 、 其 の 年 代 は 印 度 開 闢 以 來 龍 樹 菩 薩 の 開 塔 ま で 約 三 千 年 を 指 す も の で あ る 。 眞 言 宗 は 、 釋 尊 滅 後 八 百 年 の 頃 、 南 天 竺 の 龍 樹 菩 薩 と 云 へ る 人 不 思 議 の 縁 に 依 つ て 金 剛 薩 捶 よ り

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眞 言 の 教 法 を 受 け 傳 へ 、 金 剛 薩 捶 は 更 に 眞 言 宗 開 祖 即 ち 大 日 如 來 の 説 法 を 聞 き 、 之 を 結 集 し て 十 八 會 指 歸 理 趣 釋 經 の 二 書 を 作 り 此 を 合 せ て 龍 樹 菩 薩 に 授 け た の で あ る 。 こ れ 即 ち 龍 樹 菩 薩 の 南 天 鐵 塔 相 承 に し て 、 こ れ に つ き て は 古 來 多 く の 異 論 の 存 す る 所 な る も 吾 人 は 今 は 相 承 の 説 に 準 じ て 之 を 是 認 し 、 以 上 大 日 よ り 龍 樹 菩 薩 に 至 る 間 を 秘 密 相 承 時 代 と し て 之 を 發 生 前 期 と 命 名 す る も の で あ る 。 第 二 發 生 期 。 本 期 は 龍 樹 菩 薩 開 塔 よ り 、 高 祖 大 師 御 入 定 に 至 る 、 約 千 年 に 亘 る 期 間 で あ る 。 さ て 龍 樹 菩 薩 の 南 天 の 鐵 塔 開 塔 に つ き て は 、 今 三 部 經 並 に 奥 疏 縁 起 に 依 れ ば 、 龍 樹 菩 薩 の 開 塔 を 以 つ て 西 暦 紀 元 前 百 五 十 七 年 ( 支 那 前 漢 孝 景 帝 初 元 七 年 辛 丱 日 本 第 九 代 開 化 天 皇 八 年 ) と し て ゐ る 。 思 ふ に 、 此 の 説 は 當 ら ず と も 遠 か ら ず 、 故 に 吾 人 し ば ら く こ の 説 を 採 用 し 、 此 よ り 計 算 し て 大 師 御 入 定 ま で は 九 百 五 十 六 年 な り 、 之 を 普 通 に 八 祖 相 承 と し て ゐ る の で あ る 。 即 ち 龍 樹 菩 薩 開 塔 し て 兩 部 の 秘 經 を 閻 浮 提 に 流 傳 し 、 更 に 菩 提 心 論 を 作 つ て 眞 言 門 に 入 る も の ゝ 要 心 を 説 き 、 釋 摩 訶 衍 論 を 作 つ て 眞 言 の 宗 旨 を 以 つ て 馬 鳴 の 起 信 論 を 解 釋 す 元 來 龍 樹 菩 薩 は 八 宗 の 祖 師 に し て 、 其 の 著 書 千 部 あ り と 云 ふ 。 然 れ ど も 眞 言 宗 の 著 書 と し て は 上 の 二 書 の み を 取 る の で あ る 。 龍 樹 菩 薩 の 弟 子 に 提 婆 龍 智 の 二 人 あ り 、 そ の 中 、 提 婆 は 顯 教 を 授 か り 龍 智 は 密 教 を 傳 へ た の で あ る 。 そ れ 故 我 宗 に 於 て は 龍 智 を 以 つ て 第 四 祖 と す る の で あ る 、 龍 智 は 七 百 歳 以 上 の 長 壽 に し て 其 の 顔 容 は 却 つ て 三 十 歳 計 り な り と 云 ふ 。 然 れ ど も 一 の 著 書 も な く 其 の 行 状 も 知 る に 由 な き 有 様 で あ る 。 龍 智 の 弟 子 に 善 無 畏 、 金 剛 智 の 兩 三 藏 あ り 。 共 に 支 那 に 來 つ て 眞 言 宗 を 流 布 し 、 支 那 の 眞 言 宗 は こ の 時 に 始 ま る 。 而 し て 善 無 畏 は 多 く 眞 言 宗 中 の 一 部 な る 胎 藏 部 に 從 事 し 、 大 日 經 疏 七 卷 を 譯 し 、 其 の 弟 子 一 行 と 共 に 大 日 經 疏 二 十 卷 を 造 る 。 金 剛 智 は 他 の 一 部 な る 金 剛 部 を 弘 め 、 金 剛 ,頂 教 王 經 を 始 め 共 の 他 の 經 を 譯 し 、 其 の 弟 子 不 空 と 共 に 金 剛 頂 義 訣 を 造 る 。 不 空 は 金 剛 智 の 弟 子 に し て 、 金 剛 智 の 死 後 再 び 印 度 に 入 つ て 龍 智 菩 薩 よ り 悉 く 密 教 を 授 か り 、 支 那 に 歸 つ て 一 大 翻 譯 事 業 に 從 事 し 、 其 の 譯 書 の 數 、 玄 弉 三 藏 に も 南 山 學 派 と 東 寺 學 派  五 一

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南 山 學 派 と 東 寺 學 派  五 二 劣 ら な い 程 で あ つ た と 傳 ふ 。 從 つ て 天 子 の 尊 敬 厚 く 、 當 時 支 那 信 侶 中 第 一 流 を 占 め て ゐ た 様 で あ る 不 空 の 弟 子 を 惠 和 阿 闇 梨 と 云 ふ 、 我 聖 武 天 皇 の 神 龜 十 八 年 支 那 に 生 れ 、 桓 武 天 皇 延 暦 二 十 四 年 に 隠 る 、 其 の 高 徳 の 人 で あ つ た こ と は 、 傳 記 に 記 す 所 で あ る け れ ど も 、 著 書 殆 ん ど 無 く 其 の 弟 子 も 支 那 人 の 中 に は 聞 ゆ る も の な く 、 唯 一 人 弘 法 大 師 あ る の み で あ る 。 大 師 三 十 一 歳 に し て 支 那 に 入 り 、 惠 果 の 門 に 投 じ て 眞 言 の 秘 法 を 悉 く 授 か り 三 年 に し て 歸 朝 し 始 め て 日 本 に 眞 言 密 教 を 傳 へ た の で あ る 著 述 甚 だ 多 く 其 の 重 な る も の は 十 卷 草 中 菩 提 心 論 を 除 く 外 九 卷 、 十 住 心 論 、 阿 字 義 等 あ り 。 こ れ 等 に 依 つ て 始 め て 眞 言 宗 な る 名 稱 を 下 し 、 以 つ て 眞 言 宗 な る 一 宗 を 定 成 せ ら れ た の で あ る 。 以 上 吾 人 は 龍 樹 菩 薩 の 開 塔 よ り 大 師 入 定 に 到 る 間 を 發 生 期 又 は 八 祖 相 承 時 代 と も 云 ふ の で あ る 。 第 三 發 達 期 。 弘 法 大 師 、 既 に 眞 言 宗 を 完 成 し 其 の 形 は 既 に 一 定 し た の で あ る 。 此 の 處 に 到 つ て 徒 弟 た る も の の 一 言 も 之 に 容 喙 す る 所 な し 。 然 れ ど も 人 心 な る も の は 遂 に 自 ら 死 物 の 位 置 に あ る を 甘 ん ぜ ず 、 種 々 に 自 己 の 心 に 訴 へ て 解 釋 し 、 其 の 範 圍 の 許 す 限 り は 之 を 擴 張 せ ん と す る は 人 間 自 然 の 傾 向 で あ る 。 こ ゝ に 於 て 後 繼 者 中 に 異 論 を 生 ず る に 至 る は 免 れ な い 所 で あ る 。 釋 尊 滅 後 に 於 て 見 る も 明 か に 此 の 事 實 を 語 る も の で あ る こ と は 佛 教 史 を 一 度 繙 く も の ゝ 誰 し も 肯 首 す る 所 で あ る 。 眞 言 宗 も 又 此 の 規 則 を 脱 す る 事 が 出 來 な か つ た 様 で あ る 。 此 處 に 於 て か 、 伊 豆 の 立 川 上 人 な る 人 出 で ゝ 理 趣 經 金 剛 部 ) に 就 て 新 義 説 、 所 謂 立 川 流 な る も の を 主 張 す る に 至 つ た の で あ る 。 之 に 先 き 立 ち て 根 來 に 教 興 大 師 あ り 。 大 帥 は 大 日 經 ( 胎 藏 部 ) に 就 い て 、 加 持 身 教 主 の 説 を 主 張 し て 、 當 時 南 山 の 本 地 身 教 主 の 説 に 對 抗 し 、 新 義 古 義 の 分 派 の 源 を 見 る に 至 つ た の で あ る 。 思 ふ に こ の 間 に は 大 師 一 味 乳 水 の 法 流 に 二 つ の 新 義 派 生 じ 、 各 々 そ の 主 張 を 固 持 し て 讓 ら ざ る 有 様 で あ つ た 。 勿 論 加 持 身 説 の 義 は 興 教 大 師 に 源 を 發 す る も の で あ る が 大 師 當 時 に 於 て は 後 期 に 見 る 様 な 確 然 と し た 歸 別 は な か つ た け れ ど も 、 元 來 此 の 期 は 所 謂 事 相 萬 能 時 代 に 屬 す る も の に し て 、 野 澤 十 二 流 の 分 派 も こ の 時 代 に

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於 け る 産 物 で あ る 。 そ れ 故 教 相 方 面 に 於 て は 、 次 の 時 代 に 於 て 見 る が 如 き 盛 觀 ば 呈 す る に 至 ら な か つ た の で あ る 。 吾 人 は こ の 時 期 を 發 達 期 と 名 付 け 大 師 入 定 (仁 明 天 皇 承 和 二 年 ) よ り 、 頼 瑜 法 印 の 生 年 ( 後 堀 河 天 皇 嘉 祿 二 年 ) に 至 る 、 三 百 九 十 二 年 を 指 す の で あ る 。 第 四 註 釋 期 。 此 の 期 は 頼 瑜 上 人 の 生 年 よ り 宥 快 法 印 の 滅 年 に 至 る 年 代 に し て 、 此 の 時 代 に 入 り て は 前 記 の 事 相 萬 能 時 代 の 反 動 と し て 教 相 の 隆 盛 を 來 し 、 互 に 蘭 菊 そ の 美 を 爭 ひ し 時 代 に し て 、 我 宗 教 學 の 全 盛 時 代 を 劃 す る も の で あ る 。 此 の 時 代 に 至 り て 、 既 に 高 野 山 に て は 大 日 經 の 教 主 は 本 地 身 な る か 、 加 持 身 な る か 、 の 學 説 二 派 に 分 れ 互 に 相 降 ら ざ り し が 、 頼 瑜 僧 正 出 つ る に 及 び 。 前 期 に 於 て 述 べ し が 如 く 、 覺 鑁 上 人 に 萌 芽 せ る 加 持 身 教 主 説 を 傳 法 院 に 在 り て 主 張 せ し が 、 同 一 塲 所 に 於 て 二 派 の 學 説 あ る と 本 末 兩 寺 衆 徒 の 確 執 と 荘 園 所 屬 の 粉 擾 と に よ り 時 々 諍 鬪 反 目 絶 ゆ る 時 が な か つ た こ ゝ に 於 て 僧 正 は 同 門 を 率 い て 正 應 元 年 根 來 に 移 る こ と ゝ な つ た 。 其 の 後 聖 憲 僧 正 出 で ゝ 加 持 身 教 主 を 潤 色 し 、 所 謂 新 義 眞 言 を 確 立 す る に 至 つ た の で あ る 。 加 持 身 教 主 と は 、 眞 言 教 主 大 日 如 來 を 經 疏 の 上 に て 仔 細 に 定 む る 時 は 自 性 法 身 の 上 に も 本 地 身 (靜 ) 加 持 身 ( 動 ) の 二 面 あ り て 、 其 の 中 の 本 地 身 と は 言 思 の 境 界 を 超に た る 方 面 に 名 け し も の な れ ば 、 此 の 位 に 説 法 の 義 用 あ る べ き で は な い 。 説 法 の 位 は 加 持 身 な る こ と 疏 の 上 に 分 明 な れ ば 、 教 主 は 自 性 加 持 身 の 大 日 如 來 な り と す る 説 で あ る 。 次 に 本 地 身 説 方 に 在 り て は 、 覺 海 、 法 性 、 道 範 等 の 學 匠 に よ り て 盛 ん に 本 地 自 性 説 を 唱 導 せ ら れ つ ゝ あ り し が 、 其 の 後 長 覺 宥 快 法 印 出 で ゝ 大 い に 之 を 大 成 し た の で あ る 。 こ の 學 派 を 新 義 に 對 し て 古 義 と 稱 ず る も の で あ る 。 こ の 説 に 依 れ ば 自 性 身 を 新 義 の 如 く 本 地 加 持 の 二 つ に 區 別 せ ず し て 單 に 本 地 身 と な し 之 を 持 つ て 教 主 と 定 む。 宥 快 師 は 所 謂 而 二 門 修 生 門 の 根 據 に 立 ち 大 い に 南 山 の 教 風 を 大 成 し 所 謂 南 山 成 立 の 義 を 立 つ る に 至 つ た の で あ る 尚 ほ こ の 教 主 の 義 に つ き て は 後 に 詳 し く 述 ぶ る 事 と し て 今 は 簡 單 に 示 し て 止 め て 置 く 。 更 に 本 地 身 説 方 に あ り て は 宥 快 法 印 と 相 前 後 し て 東 寺 に 頼 寳 南 山 學 派 と 東 寺 學 派  五 三

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南 山 事 派 と東 寺學 派  五 四 杲 寶 、 賢 寳 の 三 寳 相 繼 ぎ て 輩 出 し 、 各 々 本 地 身 説 の 根 據 に 立 つ て 對 外 的 に は 新 義 の 加 持 身 説 に 對 し 對 内 的 に は 南 山 の 而 二 門 修 生 門 な る に 封 し て 不 二 門 本 有 門 の 義 を 高 調 し 、 以 つ て 東 寺 の 學 風 と な す に 至 つ た の で あ る 。 か く の 如 く 多 く の 俊 傑 殆 ど 時 を 同 じ く し て 輩 出 し 、 各 々 多 く の 權 威 あ る 註 釋 書 を 出 す に 至 れ り 。 殊 に 其 の 中 東 寺 の 杲 寳 高 野 の 宥 快 、 根 來 の 頼 瑜 は 古 來 註 釋 者 の 三 傑 と 稱 せ ら れ 、 各 自 に 獨 特 の 筆 を 以 つ て 眞 言 宗 の 根 本 著 述 二 十 五 卷 章 を 初 め 、 其 の 他 の 著 述 に 大 部 な る 註 釋 を 下 し た る 人 に し て 後 世 の 眞 言 宗 を 解 す る も の ゝ 羅 針 盤 に し て 、 皆 こ の 三 傑 の 註 釋 書 に 依 つ て の み 始 め て 宗 義 を 知 る 事 を 得 る の で あ る 。 故 に こ の 三 傑 の 我 宗 教 學 史 上 に 及 ぼ し た る 影 響 及 び 功 績 は 實 に 大 な り と 云 は な け れ ば な ら な い 。 吾 人 の 論 せ ん と す る 南 山 學 派 東 寺 學 派 な る も の も 要 す る に こ の 期 に 於 け る 宥 快 杲 寳 を 中 心 と し て 論 ず る こ と な る は 言 を 俟 た ず し て 明 か な り 。 第 五 暗 黒 期。 前 期 に 於 て 我 宗 教 學 の 花 は 一 時 に 咲 き 揃 ひ 其 の 研 究 の 盛 な る 空 前 の 盛 觀 を 呈 し 所 謂 應 永 の 大 成 な る も の は 成 就 し た の で あ る が 此 れ 實 に 絶 後 に し て 長 覺 宥 快 の 滅 後 は 應 永 に 點 ぜ ら れ た る 學 燈 を 維 持 せ る に 過 ぎ な か つ た 朕 態 で あ る 。 實 に 此 の 時 代 た る や 應 仁 の 大 亂 あ り て 京 都 は 兵 亂 の 巷 と 化 し 、 名 あ る 寺 院 佛 堂 は 多 く 兵 火 に か ゝ り 、 物 資 給 せ ず 書 物 も 散 亡 し て 研 學 の 便 を 失 し 、 各 寺 に 於 て も 又 時 流 に 應 じ て 益 僧 兵 を 蓄 へ 學 侶 方 と 行 人 方 と 相 分 れ 、 行 人 方 の 勢 力 は は る か に 學 侶 の そ れ を 凌 ぎ て 、 專 ら 對 外 的 に 兵 亂 を 妨 止 す る に つ と め た 様 で あ る 。 應 仁 の 亂 後 更 に 元 龜 天 正 の 亂 世 と な り 、 僧 俗 共 に 兵 事 を 事 と し て 天 下 は 全 く 暗 黒 時 代 と 化 し た の で あ る 。 如 是 き 世 運 に 準 じ て 我 眞 言 宗 の 如 き も 事 相 教 相 共 に 衰 へ 、 名 あ る 大 徳 の 出 つ る を 見 な か つ た 。 特 に そ の 二 三 を 示 す な れ ば 高 野 山 に あ り て は 宥 快 後 に 長 譽 ・ 成 雄 ・ 仟 遍 ・ 融 應 ・ 其 等 の 出 つ る あ る も 前 期 の 教 學 に 比 し 、 實 に 凋 落 の 感 な き を 得 な い の で あ る 。 而 し て 東 寺 學 派 は 如 何 に と 之 を 見 る に 當 時 高 野 に 比 し 兵 火 の 巷 中 に あ り し 東 寺 は 荒 癈 限 り な く 、 東 寺 の 學 燈 は 全 く そ の 後 を 絶 ち 我 宗 教 學 史 上 記 す べ き 一 人 の 學 匠 も 見 な い 有

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様 で あ る 次 に 根 來 は 如 何 に と 云 ふ に 聖 憲 和 尚 の 新 義 説 大 成 以 後 僅 か に 快 深 ・ 眞 憲 ・ 日 秀 ・ 頼 譽 ・ 頼 玄 等 あ る の み で 東 寺 に 比 し て は 稍 盛 大 の 觀 あ る も 前 世 紀 に 比 し て は 見 る 蔭 も な き 萎 靡 を 見 た の で あ る 。 加 ふ る に 根 來 は 未 曾 有 の 法 難 に 遭 ひ て 破 滅 し 新 義 の 勢 力 は 智 豊 兩 山 に 移 る こ と ゝ な つ た の で あ る 。 又 高 野 山 の 如 き も 織 田 信 長 の 包 圍 を 受 け 、 之 と 戦 ふ 等 の 奇 態 の 現 象 も こ の 時 に 生 じ た の で あ る 。 斯 く の 如 く こ の 期 に 於 て は 南 山 ・東 寺 ・ 根 來 の 三 派 共 に 教 學 史 上 の 暗 黒 時 代 に し て 吾 人 は こ れ を 暗 黒 期 と 稱 し 宥 快 上 人 の 滅 年 よ り 元 和 元 年 大 阪 落 城 に 至 る 間 を 此 の 時 代 に 屬 せ し め る の で あ る 。 第 六 後 註 釋 期 。 前 期 に 於 て 麻 の 如 く 代 れ た る 天 下 は 、 徳 川 氏 一 度 天 下 の 權 を 掌 握 す る に 至 る や 、 世 は 太 平 に 歸 し 、 加 ふ る に 家 康 の 佛 教 に 對 す る 態 度 や 專 ら 秀 吉 の 態 度 を 繼 承 し て こ の 保 護 奨 勵 を 事 と し 、 大 い に 佛 教 の 回 復 を 計 つ た の で あ る 。 さ れ ば 佛 教 中 に 於 て は 續 々 有 爲 の 名 匠 碩 學 を 出 す る に 至 り 、 我 が 宗 の 如 き も 多 く こ の 學 者 を 出 し 、 一 度 暗 黒 時 代 の 悲 運 に あ り し 我 宗 學 も 再 び 多 く の 註 釋 家 を 出 す に 至 っ た の で あ る 。 先 づ 高 野 山 に は 蓮 花 三 昧 院 の 頼 慶 あ り 、 學 識 頗 る 深 く 且 又 家 康 の 信 任 を 得 て 大 い に 我 宗 學 興 隆 の 上 に 盡 力 し 、 次 い で 秀 翁 の 如 き 近 世 性 相 學 の 大 家 を 生 み 、 江 戸 の 靈 雲 寺 に は 觀 眼 ・ 淨 嚴 ・ 慈 雲 師 の 如 き 眞 言 律 の 唱 導 を 見 る に 至 り 、 殊 に 淨 巖 ・ 慈 雲 師 の 如 き は 數 多 の 著 書 が あ る 又 圓 珠 庵 契冲 の 如 き 、 國 學 者 を も 出 す に 至 つ た 更 に 智 豊 兩 山 よ り は 亮 典 ・亮 汰 ・ 運 敞 等 の 三 大 註 釋 家 を 出 し 、 又 曇 寂 法 住 等 の 如 き 本 地 加 持 和 融 説 を 主 張 す る も の 出 で 、 我 宗 の 教 學 史 第 二 の 註 釋 期 を 劃 す る に 至 つ た の で あ る 。 第 七 現 勢 期 。 明 治 初 年 よ り 今 日 に 到 る 期 間 を 指 す も の に し て 此 の 間 に 於 け る 宗 學 者 と し て 指 を 屈 す べ き は 別 處 榮 嚴 ・ 佐 伯 旭 雅 ・ 原 心 猛 ・ 上 田 照 遍 ・ 釋 雲 照 等 そ の 最 も 傑 出 せ る 人 と し て 維新 前 後 の 佛 教 多 難 の 際 に 處 し て 或 は 官 に 訓 へ 、 或 は 民 間 に 説 き て 時 局 を 拾 收 し 、 教 學 の 伸 張 僧 儀 の 改 善 に 盡 し 、 以 つ て 各 派 の 隆 盛 を 見 る に 至 つ た 。 そ の 功 は 永 久 滅 す べ か ら ざ る も の で あ る 。 以 上 吾 人 は 我 宗 史 を 七 期 に 分 つ て そ の 動 靜 を 述 南 山 學 派 と 東 寺 學 派  五 五

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密 教 研 究 誌 第 二 十 號 を 迎 え て  五 六 べ た の で あ る が 此 の 動 靜 を 見 る に 其 の 註 釋 期 に 屬  置 に あ る か 且 又 學 派 全 盛 時 代 の 前 後 が 如 何 な る 状 す る 、 南 山 東 寺 の 兩 學 派 が 宗 史 上 如 何 に 重 要 な 位  態 で あ つ た か を 知 る 事 が 出 來 た の で あ る 。 密 教 研 究 誌 第 二 十 號 を 迎 え て ﹁ 二 十 ﹂ と 云 へ ば 人 生 に 於 い て に 成 年 期 で あ る 。 本 誌 は 此 處 に 二 十 の 號 を 迎 ふ 。 誠 に 歡 喜 に 堪 え な い 。 成 年 の 號 に 達し た 本 誌 の 前 途 は 、 陽 春 を 迎 ふ る 天 地 と 共 に 、 益 々 多 幸 でなく て は な ら ぬ 。 そ れ だ け 密 教 學 界 の 爲 め に 多 忙 な り と ぜ ざ ろ を 得 な い 緊 禪 一 番 更 に 踴 躍 を 試 む べき で あ る 。 顧 み る に 本 誌 の 過 去 は 可 成 り に 惨 れ るも の で あ つた 。 年 四 回 配 本 の 約 束 が 達 成 さ れ な い で 三 回 配 本 に 終 つた こご も あ つた 。 内 憂 外 患 相 次 い で 可 成 り 、 苦 痛 を 體 験 し 來 つた 。 然 し 如 何 な る 事 情 あ り と も 斷 じ て 癈 刊 す べ か ら す 、 大 學 に に 必 ず 研 究 發 表 の 機 關 以 か る べ か ら す と い ふ を 、 唯 一 の 信 條 と し 、 本 誌 は 此 處 ま で 成 長 し 來 つ た の で あ る 。 如 是 事 情 を 如 是 信 條 の も と に 、 此 の 處 ま で 本 誌 を 成 長 せ し め 來 つた 常 事 者 諸 師 の 苦勞は 、 到 底 外 見 者 の 推 察 を 許 さゞ る も の が あ つた に 相 違な い 。 私 は 讀 者 諸 師と 共 に 、 本 誌 の 今 日 な あ ら し め ら れ れ 當 事 者 諸 師 に 絶 大 の 感 謝 を さゝ ぐ る も の で あ る 。營 利 本 位 の 雜 誌 さ へな かく に 繼 續 し 難 い も の で あ る が 、 本 誌 の 如 き 純 粋 研 究 、 殊 に そ れ が 密 教 と い ふ 特 殊 の も の で あ る だ け、 私 の 感 謝 の 念 は 層 一 層 甚 深 な も の と な つ て 來 る 。 そ れと 同 時 に 本 誌 の 今 日 を あ ら し め ら れた 後 援 者諸 師 讀 者 諸 師 に も、 甚 深 の 敬 意 を 表せ ざ る を 得な い 。 若 し 本 誌 自 身 に 口 あり て 發 言 す ろ を 得 ば 、 何 の 位 喜 ぶこ と で あ ら う 。 成 年 號 以 後 の 本 誌 の 發 展 、 こ れ又 諸 賢と 當 事 者と の 倍 大 の 努 力と 後 援 と に 待 つ も の 甚 大 なりと し な く て は 取 らぬ 。 願 く ば 本 誌 の 愈 々 完 備 充實 し そ の 特 色 を 發 揮 せ んこ と を 。 但 本 誌 創 刊 當 初 以 來 非 常 の 努 力 を 與 へ て ゐ ら れ 六 東 條 先 生 、 既 に 故 人と な つ て ゐ ら れ る こと は 悔 み て も 猶 餘 り あ るこ と で あ る 。 先 生 の 胸 中 に は 本 誌 上 に 御 發 表 下 さ る べま 幾 多 有 益 な 密 教 學 上 の 所 見 を 藏 し て ゐ ら れ お こ とは 事 實 で あ り 、 又 本 誌 の 發 展 と い ふ こ と に 就 い て も 十 二 分 に 力 強 い 御 意 見 を 有 し て ゐ ら れたこと も 事 實 で あ る 。 け れ ど も 今 は す べ て聽 く を 得な い 。 冬 の 夜 永 に そゞ ろ 悲 し く 又 寂 し く 思 は るゝ は 先 生 の 御 他 界 で あ ろ 。 虚 白

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