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フラスコ形の須恵器 フラスコのような形からの名で 一般に ちょうけいへい は長頸瓶と呼ばれま N こさい す 静岡県 湖西古窯 産 関東や東北にも多く見られる搬入品 胴の形や頸の太さや長さからみて7 世紀後半 ( 第 3 四半期 ) の作です すえき きりいしづ きりく 切石積み 切組み 石室にはと

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Academic year: 2021

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(1)

三鷹市教育委員会

三鷹市遺跡調査会

東京都三鷹市

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石室 墳丘1段目・平坦面 墳丘1段目の造成層 (自然土の締め固め層)   墳丘2段目 墓前域の拡張範囲

N

奥壁(鏡石) 側壁 礫床(礫敷) 玄門(柱石) 楣石(上の横石) 前門(柱石) 梱石(下の横石) 羨門(柱石) 閉塞(扉石) 玄室 前室 羨道 墓前域 げ ん し つ ぜ ん し つ せ ん ど う え ん ど う しきみ ぜんもん まぐさ げんもん かがみいし

石室模式図

(各部位の名称)

5c 5c' 5d 5d' 6a 6b 6c 6d 6d’ 6e 7a 玄室内床面 1段目平坦面の 上面 掘り込みの底面 Ⅱd Ⅱc Ⅱa  今風にいえば地盤改良工事。 建物や古墳の地下の基礎を堅 固にするために地面を掘り下 げ、版築と同様に種類の異なる 土を交互に層状に入れ、つき固 める土木工法です。  版 築 と よ ば れ る 本 来 の 土 木 工 法 は、木板で土を止め泥土を幾層にも つき固める技法をいいますが、本古 墳では黒色土とローム土(赤土)を交 互に段層積としていますが1枚の層 も厚く、簡易な工法で行われている ようです。  石室にはとても軟質な 石が使用されています。現 地に持ち込まれた石材を、 直立方体に切り出し、数段 に積み上げています。また 地震などで石が動かない よう、天地左右の石との間 が固定できる切組みと呼 ばれる細工が施されてい て見事です。  古墳の範囲を区画する溝状 の掘られた施設。古墳の周囲に あることから周溝、周堀などと 呼ばれます。墳丘の盛土とする 土を採ったところでもありま す。  フラスコのような 形からの名で、一般に は長頸瓶と呼ばれま す。静岡県・湖西古窯 産。関東や東北にも多 く見られる搬入品。胴 の形や頸の太さや長 さからみて7世紀後 半(第3四半期)の作 です。

切石積み・切組み

フラスコ形の須恵器

周 溝

掘り込み地業

版築的な土工法

す え き きりいしづ きりく しゅう こう じぎょう はんちく ちょうけいへい こ さい

(3)

羨門 墓前域 玄門 昭和期調査の内部平面 c c' b b' 前室 羨道 閉塞石 玄室 a a' 天井石 天井石 天井石 石積み(東側) 昭和期調査の内部立面 楣石 楣石 玄門柱石 羨門柱石 前門  大沢の国立天文台敷地内にあります土盛による高 塚古墳-天文台構内古墳-は、昭和 45(1970) 年 と 46 年に2度の発掘調査が行われましたが、詳し い内容がわからないままでした。  三鷹市教育委員会では、土地の管理者である国立 天文台と東京大学の理解と協力により、平成 16 年 度に測量、翌年度から断続的に 21 年度までの5箇 年間、将来の公開・活用を見据えた3度目となる再 調査を実施しました。  調査は古墳をできるだけ傷つけずに効率よく掘る ため、トレンチ(試掘溝)と呼ばれる細長い調査区を 設定し、墳丘や石室上部、古墳の周囲についての調査 を進めてきました。  昭和期の調査の再現、再確認を目的として開始し たところ、遺体を安置する玄室と呼ばれる切石積み の部屋が新たに発見され、合わせて3室構成となる 横穴式石室であることがわかりました。  市では学識者による古墳調査委員会を設置し、調 査方法や範囲などを慎重に検討し、合わせて文化庁 や東京都教育委員会から助言・指導を受けながら市 内の発掘調査を系統的に実施している三鷹市遺跡調 査会に調査を依頼してきました。  調査の結果、この古墳は全国的にも稀な上円下方 墳と呼ばれる特異な形と判明し、平成 17 年度に国 史跡に指定された府中市武蔵府中熊野神社古墳につ ぐ発掘で解明された4例目となったわけです。  ひと通り調査を終了し、土嚢や防水シートなどを 使った丁寧な埋戻しが行われ、今は現地で調査前の 古墳の姿を遠目で見ることができます。 のう

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北東コーナーの周溝。隅が少し丸い逆L字形をしている 盛土でつくられた古墳の中身は、バームクーヘンのよう な幾重もの土層が堆積している  古墳や埋葬施設の形態、規模を比較し、おおよその 築成年代を推定することは可能ですが、副葬品など が発見されれば、その年代がさらに限定されるとい うものです。本古墳の玄室からは、 フラスコ形の須 恵器と2点の坏形土師器が壊れない状態で発見され ました。ともに7世紀後半(第3四半期 660 年前後) のものです。これらの土器が発見されたことで、本古 墳の築成年代が決定されました。  ただ流通や追葬といった時間差も考える必要があ り、必ずしも古墳完成の時=土器の製作年代とは限 らないわけですが、年代を特定できる土器が本古墳 で発見されたことにより、古墳の比較や築造年代を 巡る研究、ひいては歴史研究に大きな一石を投じる こととなる重要な発見となりました。  本古墳は、四方を 周溝に囲まれた方形(南北 30 ~ 31m、東西 25 ~ 27m) の第1段目と、その上に円形 (直径 18.6m) の墳丘からなる2段構成の古墳です。高 さは墳頂近くの土が流失し現在 2.1m ほどですが、当 時は 3.6m ほどあったと考えられています。正面から 見ようとすると南側の小谷戸から望むことになります が、谷戸下からは7m ほどの比高であるため、見上げる ほどの高さであったに違いありません。  古墳の1段目は地盤改良の後、当時の表土面を固く締 めつけた平坦な硬化面を成形し整地します。石室の入口 側が南傾斜することから、後の造作で別な土で盛土し、 少し厚い段に仕上げています。  2段目の墳丘をつくり上げるには多量の土が必要と なりますが、実は古墳の周りには幅広い所で約 8m、深 い所で約 2m の溝が巡っています。この周溝の一つの 目的は採土の場でもあったわけです。墳丘の盛土の土に は周溝の底に見られるローム土(赤土)が使用されてい ることからもわかります。  古墳の主体となる石室は1段目に置かれ、上部は円形 の墳丘盛土のなかにすっぽりと収まる設計です。  南向きの入口部には石積みの墓前域、その南には溝が 途切れる「土橋」があり、唯一地続きの場が用意されてい ます。

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玄室から見た石室の上面。手前のU字形は楣石が折れ曲が ったようす 玄室西壁の切石積みと切組みのようす 玄室内に落下した天井石などの一部(黄色いもの)が見える  古墳で最も重要となる所は埋葬施設です。この古 墳は追葬が可能な横方向に入口を設ける横穴式石室 と呼ばれるものとして構築されています。墳丘の中 心、頂上の真下には埋葬する部屋である玄室があり、 南の入口に向かって前室、羨道のある3室構造です。  各室は天井石、壁石、部屋仕切り用の門柱石と両柱 の上に横断するは楣(まぐさ)石から構成され、床に は直径3~5 cm ほどの川原石が敷きつめられてい ます。玄室の平面形は三味線胴のような丸味があり、 これを胴張り形といいます。多摩川上・中流域の玄 室形状のひとつの特徴とされています。市内で発見 される横穴墓もこの形が多用されています。  入口部に附属した墓前域と呼ばれる空間には「ハ」 の字形に広がる川原石による積石が見られます。府 中市の熊野神社古墳の例とよく似た形です。  多摩川上・中流域の古墳の中には同類の石室がみ られますが、部屋数の違いや切石か川原石利用かの 別があり、首長クラスの墓と言われる中でも階層差 があるようです。単室より複室、川原石より切石とい う序列、つまり天文台構内古墳の被葬者はかなり上 のクラスということがいえそうです。  古墳づくりの土木と石工技術  何tもある石材を積むための基盤整備、つまり今風 にいえば地盤改良( 掘り込み地業)が行われていま す。石室より一回り広い範囲を、深さ 70cm ほどに 一端掘り窪め、改めて凹みの中に黒土やローム土を互 層に叩き締めて積み上げ、 版築的な土工法により強 固な地盤につくり変えています。  現地に持ち込まれた石材はこの地で加工され、墳丘 に土盛りする作業と並行しながら積み上げられたよ うです。石壁の外側から支える盛り土のなかに、石加 工時に出るたくさんの石屑が、面状に堆積していたこ とから推測されます。  石室の 切石積みは、簡単には動かないような細工 ( 切組み)が施されています。石積みが現代に至っ ても崩れ落ちないのは、こうした石加工の技が裏打ち されていたからにほかなりません。  

玄室

玄門

前室

羨道

羨門

墓前域

天井石

石室復元模式図

前門

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古墳企画模式図 0 9m Ⅱa層上面まで掘削 1層群を除去し、2層群~6層上面を確認 c c 土師器(2) 土師器(2) 土師器(5) 土師器(5)土師器(4b)土師器(4b) 土師器(3) 土師器(3) 土師器(4a)土師器(4a) 遺構確認面まで掘削 遺構確認面まで掘削 遺構確認面まで掘削 aa a’ 溝状遺構 (SD-4) Ⅲ層上面まで掘削 Ⅲ層上面まで掘削 1層群を除去し、 墳丘盛土及びⅡd層上面を確認 c c c’c’ Ⅱc層上面 まで掘削 Ⅱa及びⅡc層上面まで掘削 須恵器 (1) a a a’ a’ Ⅱd層上面まで掘削 Ⅱd層上面まで掘削 b b b’b’ a’a’ 小トレンチ① Ⅰb 層~Ⅱa 層上面まで掘削 b' b a a a’ a’ 工具痕→ Ⅲ層上面 まで掘削 Ⅱd 層上面 まで掘削 Ⅱa 層上面まで掘削 樹木 樹木 樹木 Ⅱa 層上面まで掘削 aa a’ 中心軸より東へ20m 中心軸より東へ15 m 6b上面まで掘削 Ⅲ層上面まで掘削 Ⅱa層上面 まで掘削 a’ a’ a a b b b’b’ 溝状遺構 (SD-4) Yトレンチ SX-6 SD-3 周溝南辺(西側) ローム層上面まで掘削 法面 法面 法面 法面 法面 土層ベルト3 サブトレンチ4 サブトレンチ1 サブトレンチ2 サブトレ ンチ3 溝状遺構(SD-2) 溝状遺構(SD-2) 土層ベルト1 土層ベル ト2 川原石が集めら れていた地点 磁器(13) 陶器(14) dd d’ cc c’ aa a’ b b b’ 墳丘中軸線 (BA,43) (BC,43) 周溝 の外側 周溝 の墳丘側 法面 周溝確認面 まで掘削 法面 法面 SX-3 SX-4 SX-4 SX-5 礫 周溝の南東コーナー 部分のプラン ↑ SP-2 aa a’ b b b’ 0 2m (BG,44) M F P L H K K2 U X Q Q Z Z W B D J E O Y bb b’ cc c’ dd d’ ee f f f’ aa a’ e’ 土層確 認坑 土層ベル ト 土層ベルト 土層 ベルト 土層ベルト 土層ベルト サブトレ ンチ 土層ベルト 土層確認坑 サブトレンチ2サブトレンチ2 サブトレンチ3サブトレンチ3 サブトレンチ1サブトレンチ1 未掘 部分 未掘 部分 未掘部分未掘部分 (石積み) (石積み) b h 土層確認坑 天井石① 天井石② 天井石③ サブトレンチ 性格不明落ち込み (SX-2) 性格不明落ち込み (SX-2) 地山面 地山面 法面 サブトレンチ3サブトレンチ3 性格不明落ち込み (SX-1) 性格不明落ち込み (SX-1) Ⅲ層上面 まで掘削 墳丘頂点 想定される墳形状 58 57 56 55 60m 59 54 墳丘頂点 58 57 56 55 59 60m 54 想定される墳形状 N 昭和期調査時の閉塞石(扉石)のようす 南に入口部を向けた横穴式石室  古墳といえば前方後円墳など雄大なものが思い浮 かびますが、古墳の大半は実は円墳で大小様々なもの があります。本古墳は古墳時代も終盤をむかえ、権力 の象徴を古墳の大きさで示す時代の幕が引かれる頃 に造られたものです。  本古墳は、周溝で囲まれた方形の1段目の中央に円 形の墳丘が築造された、とても特異な形をしたもの で、上円下方墳と呼ばれているもののひとつです。  ところで、古墳づくりを進めるためには企画プラン が あ っ た も の と 考 え ら れ ま す。上 図 は そ の 想 定 図 で す。基準点は重要な玄室の中央。入口方向に中心軸を 決定します。図の描画は調査によって判明した2段目 の墳丘の直径でまず円弧(茶)を描く。次にその円に接 する正方形を描き、それを外側に繰り返して描いたも の(緑)です。すると、調査で判明した周溝の外ライン や周溝に囲まれた第1段目の方形ラインとが多くの 箇所で重なっていることが図からもわかります(青)。  これまでの発掘調査で検証された上円下方墳は、東 京都府中市の武蔵府中熊野神社古墳をはじめ奈良県 ~京都府堺の石のカラト古墳、静岡県の清水柳北1号 墳そして福島県の野地久保古墳の4例ですが、基本的 には同じような図法で企画プランが読み取れるよう です。

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 天文台構内古墳は、墳丘のかたちや石室構造、各種 の先進的な土木技術の採用などを総合すると、古墳時 代の終わり頃に地域一帯を支配した首長クラスの墓 と考えることができます。  ところで、7km ほど西にはやはり首長墓とされる 武蔵府中熊野神社古墳があります。本古墳に較べ、そ の作りや技術の差、古墳や石室規模が一回り大きいな ど相違点があるものの、相似形ともいえますが形も共 に上円下方墳であることや埋葬施設も同じ3室構造 の横穴式石室であるなど、同じ古墳時代の終末期に造 られた2つの古墳には不思議なくらい、とても多くの 共通点があります。  後の南武蔵には武蔵国府・国分寺が造営され、新し く律令制による国づくりの中に組み込まれる時代を 迎えます。その前夜、2つの古墳に関わる人物はどん な関係にあり、どんな役割を担った人だったのか。何 故、全国でも類例の少ない上円下方墳という形がここ で採用されたのか。また、首長である被葬者が支配し ていた領域はどこなのか、また集落や同じ頃に造られ た横穴墓との関係は?など、1つの古墳だけでは不案 内なことも、今後、2つの古墳の相互補完の研究が結 集すれば謎が解けてくるかもしれません。  こうした史実をひとつづつ解明するためにも、ま た、古墳の占地の地形、土地柄や街道筋にあるのかを 現地で実感することも大切なことです。三鷹市では、 実際の古墳を通して市民の方々とともに歴史や将来 を考える契機となることを期待しています。 東京都三鷹市 天文台構内古墳 2011年3月31日発行            監修 天文台構内古墳調査委員会 編集・発行  三鷹市教育委員会 三鷹市遺跡調査会 WC WC アインシュタイン塔 天文台歴史館 子午儀資料館 第一赤道儀室 正門 受付 コスモス会館 裏門 見学コース 立ち入りは ご遠慮ください 天文台通り 至武蔵境 至調布 『天文台前』 N 三鷹市 星と森と絵本の家 天文台構内古墳 国立天文台 バスのご案内(いずれの場合も、『天文台前』バス停下車) ●JR三鷹駅より 小田急バス 鷹51 「調布駅北口」行き 三鷹駅南口2番乗り場より乗車。 ●JR武蔵境駅より 小田急バス 境91 「狛江駅北口」行き 武蔵境駅南口3番乗り場より乗車。 ●京王線調布駅より 小田急バス 境91 「武蔵境駅南口」行き 調布駅北口11番乗り場より乗車。 京王バス 武91 「武蔵小金井駅」行き 調布駅北口12番乗り場より乗車。 見学のご案内 天文台構内古墳は、国立天文台常時公開コース見学(自由見学)の見学路から、 ご覧になることができます(コースを外れて古墳に立ち入ることはできません)。 見学できる日 年末年始(12/28 ~ 1/4)をのぞく毎日 見学時間 10 時~ 17 時(入場は 16 時 30 分まで) 見学は無料。なお見学者用の駐車場はありません。 また近隣には、下記の見学施設があります。どうぞご利用ください。 三鷹市星と森と絵本の家 ☎0422-39-3401 火曜日休館  出山8号墓保存・公開施設 ☎0422-45-8351 水曜日休館 大沢の里水車経営農家「しんぐるま」 ☎0422-45-1151( 内線 3315) 水曜日休館  5km 0 N 秋川 谷地川 川口川 北浅川 平井川 南浅川 大栗川 浅川 乞田川 三沢川 多摩川 仙川 野川 鶴見川 善福寺川 妙正寺川 神田川 目黒川 境川 相模川 中津川 古墳・古墳群 切石積横穴石室の古墳 横穴墓 武蔵国府 北大谷古墳 武蔵府中 熊野神社古墳 29 30 25 24 26 27 28 20 19 22 21 23 17 16 15 14 12 13 35 34 33 32 31 6 3 4 5 2 1 8 11 7 多摩川流域の主要な後・終末期古墳および横穴墓の分布図 府中市教育委員会2005『武蔵府中熊野神社古墳』に一部加筆 18 36 37 39 38 40 鶴見川 呑川 早淵川 谷本川 1.大田区多摩川台古墳群 9. 世田谷区砧古墳群 17.府中市高倉古墳群 25.日野市坂西横穴墓群 33.川崎市第六天古墳 2.大田区多摩川台5号墳 10. 世田谷区喜多見稲荷塚古墳 18.武蔵府中熊野神社古墳 26.日野市七ツ塚古墳 34.川崎市法界塚1号墳 3.大田区観音塚古墳 11. 狛江市狛江古墳群 19.国立市下谷保古墳群 27.昭島市経塚下古墳 35.川崎市馬絹古墳 4.大田区浅間様古墳 12. 調布市狐塚古墳 20.国立市青柳古墳群 28.昭島市浄土古墳群 36.八王子市小宮古墳 5.世田谷区等々力渓谷横穴墓群 13. 調布市下布田古墳群 21.多摩市塚原古墳群 29.八王子市北大谷古墳 37.横浜市赤田谷古墳 6.世田谷区野毛古墳群 14. 調布市下石原古墳群 22.多摩市稲荷塚古墳 30.あきる野市瀬戸岡古墳群 38.横浜市三保杉沢古墳 7.世田谷区殿山1号墳 15.調布市飛田給古墳群 23.多摩市臼井塚古墳 31.川崎市加瀬第9号墳 39.横浜市稲荷前古墳群16号墳 8.世田谷区大蔵1号墳 16.府中市白糸台古墳群 24.日野市梵天山横穴墓群 32.川崎市加瀬第3号墳 40.多摩市中和田横穴墓群 国土地理院発行の空中写真ー1948年GHQ撮影ーを利用して作成(標高読み取り後加筆) 41.5 50 0 300m N 横穴墓群 湧 泉 湧泉(伝承) 周辺の遺跡と横穴墓群 (三鷹市大沢)

参照

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