南アジア研究 第28号 006書評・大田 真彦「水島司・川島博之(編)『激動のインド 第2巻 環境と開発』」
6
0
0
全文
(2) 書評 水島司・川島博之 (編) 『激動のインド 第 2巻 環境と開発』. 提に基づき、環境と開発という「切り離すことのできない二つの相互 関係を、インドを対象に過去 200 年にわたって分析し、開発により常に 更新される環境とそれが引き起こす問題を明らかにし、さらに今後の 見通しを得ようとするものである」と、本書の意義を宣言している。. 2 各章の要点 第 1章(高橋昭子・水島司)は、インドでセンサス調査が実施され る1870 年代以前の「プレセンサス期」の人口動態を明らかにしている。 これまで、インドの人口動態に関する研究では、最初のセンサスが行 われる1870 年代初頭から1910 年代までを停滞期、1920 年代からを人口 増加・爆発期、1980 年代からを増加率減少期と見なし、そして、将来 は急速な出生率の低下による人口減期に突入すると理解されてきた。 しかし、1870 年代以前においても、1870 年代初頭から1910 年代までの 停滞期のような低い人口成長であったのかどうかは、明らかになってい なかった。筆者らは、現タミルナードゥ州のチングルプットという一地 域において、プレセンサス期に実施された人口や家屋数の調査資料を 駆使し、人口動態や村落別の人口を空間的・視覚的に提示している。結 論として、少なくとも当該地域では、プレセンサス期は、耕地の外延 的拡張を通じて着実な人口増加が見られた時期であり、1871年から 1921年は、大飢饉やインフルエンザにより、例外的に人口増加率が低 かった期間であったことが明らかにされる。 第 2 章(宇佐美好文)では、センサスが開始された1881 年から現在 までの、約130 年間における人口変動が扱われる。まず、1881 年から 1941年までの時期について、マドラスとパンジャーブの2 地域の比較か ら、北部のパンジャーブでは、出生率・死亡率とも南部のマドラスよ りはるかに高かったことなど、インド内の地域的差異の大きさが確認さ れる。次いで、1951年から2011年の時期についても、例えば合計特殊 出生率の低下に関し、タミルナードゥやパンジャーブなどに比べてビハ ールは依然として合計特殊出生率が高いという、国内の地域差が指摘 される。また、昨今の都市化についての分析も行われている。インド は90 年代の経済改革以降めざましい経済成長を遂げているが、他の途 上国のプロセスと比較して、人口都市化率は際立って低いこと、また、. 93.
(3) 南アジア研究第28号( 2016年). 大都市への人口集中が際立っていないことが指摘される。この背景と して、著者は、インドでは2000 年代以降、「センサス・タウン(2001 年センサスによれば、人口が5 ,000 人以上で、男性生産年齢人口の75 %. が非農業部門活動に従事し、人口密度が 400 人 / ㎢の場所)」の数が急 増しているという事実に着目する。農村と都市の境界に立地し、商業. やサービス業といった経済活動に重心を置いたセンサス・タウンの存 在が、大都市への人口集中を抑制する方向に作用している可能性を著 者は指摘している。 第 3 章(岡本勝男・堀野豊人)では、過去の降水量・作況データや 衛星画像から、降水パターンが農業生産に及ぼす影響と、水資源の利 用可能生を扱っている。インドのコメ生産量第 1 位のアーンドラ・プラ デーシュ州でも、小麦生産量第 3 位のハリヤーナー州でも、過去の降水 量情報と作物の豊凶情報を照らし合わせると、洪水や干魃のような極 端な事象が起きない限り、栽培期間の降水量が農業生産業に直接影響 する例は稀であったことが確認され、これには、灌漑システムの発達 が影響していたと指摘される。加えて、衛星画像や標高データから、チ ェンナイ市におけるため池などの地表水資源量についての推計が行わ れ、チェンナイの全市民が衛生的な水にアクセスできる量にはほど遠い ことが確認される。この事実を受け、地下水資源の持続的利用のため には、より内陸の山地に貯水池を作って飲料水を確保することや、海 水の淡水化を行うといった措置が今後重要になると指摘している。 第 4 章(川島博之)は、中国、日本、アフリカ、および全世界との 比較において、インドの食料生産の現状と展望についての情報を提供. している。60 頁程度の非常に大きい分量が割かれており、 FAO (国連. 食糧農業機関)の統計資料と著者の博学な知識に依拠して記述がなさ. れている。インドの今後の人口増加率は、国連などの従来予想の中で も、最も低い予想に沿って推移するであろうとの指摘がなされる。そ して、インドは食料を自給してきたこと、また、インドの食料生産の. 特性として、国土に占める農地の割合が非常に高い(世界平均は12 %、. 中国と日本は13 %、インドは57 %)こと、緑の革命で単位収量が増加. したこと、食肉生産に使用するための飼料としての作物需要があまり ないといった様々な統計的事実が確認され、最終的に、 「狭い大陸に12 億人が済むインドでも食料の自給が可能であった」ことは、 「21世紀に. 94.
(4) 書評 水島司・川島博之 (編) 『激動のインド 第 2巻 環境と開発』. 人類が食料危機に遭遇しないことを示している」と述べられる。 第 5 章と第 6 章は、農業生産に伴う窒素の使用量の増加による環境負 荷の問題を論じている。第 5 章(新藤純子)では、窒素循環のモデル. を、FAO の統計(FAOSTAT)、国連の人口統計、および関連文献(各品. 目の窒素含有率など)から作成し、農業生産に伴う窒素循環と環境汚. 染について考察している。耕地における窒素のインプット(化学肥料 と作物残滓や家畜ふん尿の投入等)とアウトプット(食用および飼料 用作物による吸収)のバランスは、1970 年代には日本と韓国以外のア ジア諸国では軒並み釣り合っていたのが、2000 年代になると、特に中 国、インド、およびバングラデシュでインプットが増大し、過剰となっ ていることが確認される。加えて、一つの国の中でも地域偏差が顕著 であり、インドでは、パンジャーブとデリー・ハリヤーナーが圧倒的に 窒素のインプットが多く、西ベンガル、ビハール、およびウッタール・ プラデーシュがこれらに続いていることが確認される。そして、窒素に よる水質汚染の概況について推計が行われており、2000 年代において は、中国ほどではないものの、インドでも、ガンジス河、マヒー河な どを筆頭に、かなりの窒素負荷量があり、水質悪化が明確に存在して いることが確認される。 第 6 章(関戸一平)では、インド国内の県レベルでのデータ(人口、 食料生産量、作物ごとの栽培面積、窒素肥料投入量、家畜飼養頭数な ど)を用い、州や流域レベルでの分析が中心であった窒素循環の先行 研究と比較して、より詳細な分析を行っている。分析の結果、パンジ ャーブ、ハリヤーナー、ウッタール・プラデーシュなどを含むヒンドゥ ースタン平野全体で、窒素負荷が非常に高くなっていることが確認さ れる。また、都市への人口集中が環境に与える影響についても検討が なされている。第 3 章で指摘されているように、都市への人口集中は他 国と比較して遅いものの、デリー都市圏では極めて高い窒素負荷が推 計されており、今後、都市地域では人口の集中に伴い、人間活動に由 来する窒素負荷が急激に高まっていく可能性が指摘されている。 終章(川島博之)では、インドでは今後、人口は低位予想に従って 推移するであろうことを改めて展望した上で、森林破壊、水不足、お よび水質汚染の3つの環境問題について論述がなされている。森林は、 農地の拡大による森林開墾が今後は起らないために守られ、また、水. 95.
(5) 南アジア研究第28号( 2016年). 不足は、農業用水の需要が減少するために深刻化しないと予想される が、最後の水質汚染については、窒素循環の関係から、特に人口集中 に伴う都市部の河川や水路の汚染が深刻であり、今後、インドは、下 水道と下水処理場の整備に努力する必要があると締めくくられている。. 3 考察 本書の持つ特性と意義は、第一に、圧倒的な「計量性」であると言 えるだろう。本書では、人口、食料生産、降水量などの分野について、 様々な統計資料や GIS を駆使することにより、200 年という長期スパン. で、空間的にもインド全土を対象とし、更にインド内の地域的差異に も言及している。そのマクロスケール(長期・広域)での計量的情報 量は圧巻である。地域研究という分野は、村落レベルのミクロスケー ルのものが現在でも一般的であるように思われるが、本書は、高い計 量性という点で、非常に特徴的であると言える。 第二に、本書は、多くの情報を提供するインフォーマティブな内容 となっていることである。読者は、非常に多くの図表や地図が提示さ れていることに驚くだろう。評者は、個人的に、基本的な情報でも実 は正確には知らずに驚いたことが多く(例えばインドの人口および人口 増加率の長期変動、食肉消費量の長期趨勢など)、勉強になった。また、 日本や中国、その他のアジア諸国との統計比較が多く、インドの世界 史的な位置づけが明瞭になるように工夫されている点も、非常に勉強 になる。 もちろん、単に情報を提供するだけでなく、個別の分野についても、 プレセンサス期という史料的な制約が非常に強い時期について、南イ ンドの一地域ではあるものの、人口動態を明らかにした第 1章、センサ ス間の平均変化率の推計に基づいていた従来の議論に対し、非常に大 きな地域差や年次変動が人口変動にはあったことを明らかにした第 2 章、窒素循環に関し、県レベルの統計を使用することで、従来の州レ ベルの分析を更に深めた第 6 章など、インド地域研究として、先行研究 に対し新たな発見を付け加えている。 他方、評者が違和感を生じた点について3 点言及する。第一に、本 書のタイトルは「環境と開発」であるが、農業・農村セクターのトピ ックが中心となっており、 「環境」および「開発」という用語からの現. 96.
(6) 書評 水島司・川島博之 (編) 『激動のインド 第 2巻 環境と開発』. 代日本での一般的なイメージとは若干異なっている感がある。いわゆる 環境問題や開発問題の内容を期待して購入した読者からすれば、トピ ック的に戸惑ってしまう可能性が否定できないと思われる。 第二に、本書は、マクロスケールの計量的情報に優れている反面、村 落調査などを通したミクロなダイナミズムについては言及していない。 第三に、 「環境問題は人口問題である」という視点で、マクロな統計 を駆使し、展望を立てるという作業は意義深いが、一方で、各分野の 専門家から見れば、捨象されている側面も見受けられるのではないか。 例えば終章で、森林破壊に関する言及があるが、森林の管理・保全に ついては、人口だけでなく、所有権や制度・政策的側面のあり方が強 く影響する。例えばインドでは、1976 年に森林が州管轄事項から中央 と州の共同管轄事項に変更され、更に1980 年に森林保全法が制定され たことにより、商業伐採や農地転用が中央政府の許可なしには実施的 できなくなるという制度変化が起こっている[増田、三柴 2003] 。森林. 減少の最も大きなファクター(間接要因)の一つが人口増加であるこ. とに異論の余地は少ないが、その他の要素を考慮せずに、突然の断定 を行うことには違和感を覚えた。 若干の違和感を最後に指摘したものの、本書は、既に述べたように、 高度な計量的情報を備え、高度にインフォーマティブであるという、他 に類を見ない特性と意義を有している。インドの人口、農業、食料、窒 素汚染といったトピックについて、その世界史的な位置づけも含め、包 括的な情報を得るには最適の書であり、是非一読をお勧めしたい。 参照文献. 増田美砂・三柴淳一、 2003、 「インドにおける林地の創出およびその役割の変化」 『 、筑波大学農林 技術センター演習林報告』 、 19、 1-40頁。. おおた まさひこ ●九州工業大学. 97.
(7)
関連したドキュメント
福島第一廃炉推進カンパニーのもと,汚 染水対策における最重要課題である高濃度
経済学研究科は、経済学の高等教育機関として研究者を
添付資料 4.1.1 使用済燃料貯蔵プールの水位低下と遮へい水位に関する評価について 添付資料 4.1.2 「水遮へい厚に対する貯蔵中の使用済燃料からの線量率」の算出について
添付資料 4.1.1 使用済燃料貯蔵プールの水位低下と遮へい水位に関する評価について 添付資料 4.1.2 「水遮へい厚に対する貯蔵中の使用済燃料からの線量率」の算出について
発電機構成部品 より発生する熱の 冷却媒体として用 いる水素ガスや起 動・停止時の置換 用等で用いられる
添付資料 4.1.1 使用済燃料プールの水位低下と遮蔽水位に関する評価について 添付資料 4.1.2 「水遮蔽厚に対する貯蔵中の使用済燃料からの線量率」の算出について
添付資料 2.7.1 インターフェイスシステム LOCA 発生時の現場環境について 添付資料 2.7.2 インターフェイスシステム LOCA
「二酸化窒素に係る環境基準について」(昭和 53 年、環境庁告示第 38 号)に規定する方法のう ちオゾンを用いる化学発光法に基づく自動測