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Mary Barton as a Tale of Manchester Life, Not of John Barton

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Academic year: 2021

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1.客観批評

文学批評の目的のひとつに、「作者の意図をさぐる」というのがあります。こ の立場には賛否両論があります。最近の批評界の動向としては、否定的な見解の 人が多いようです。作品を解釈する際に、「作者の意図」などというつかみどこ ろのないものを探るよりも、読者の創造的(creative)な読みを重視するのです。

最近OxfordからManchesterに転勤した文学批評家Terry Eagletonは、否定派の ひとりです。いっぽう、肯定的な立場には、Virginia大学名誉教授のE. D.

Hirsch, Jr.がいます。彼は「文学批評の基準は作者の意図をさぐること」と断言

しています。引用しましたのは、EagletonがHirschの理論を要約している部分で す。「もし作者の意味するところに敬意が払われなければ、解釈の基準がなくな ってしまい、批評の乱立を招くだけである。」2

わたしはHirschの意見に共感します。文学作品の解釈には答えはひとつではな い、というのはわかります。しかし、その結果、何百という解釈が産まれ、それ ぞれに共感する人と反発する人を生じさせたあと、やがては忘れ去られていきま す。わたしはそんな批評はしたくない。ある程度時代の流れに耐えるような批評 がしたい。そのためには、普遍的な課題である「作者の意図」をさぐるしかない。

しかも、主観的に探ったのでは意味がない。「作者の意図」を客観的に証明して こそ、その批評は時代の流れに耐えるはず……。というわけで、本稿の目的は、

「Mary BartonにこめられたGaskellの意図を客観的に理解すること」とします。

その目的を達成するために、もっとも有効な方法は、作品の構造に着目するこ とです。作者は主題をできるだけ効果的に伝えるために、時間、場所、登場人物 などを巧みに設定します。ですから、そのような構造上の諸要素を分析すれば、

作者が何に重きを置いて物語を書いたのかが、明らかになるはずです。

Mary Barton as a Tale of Manchester Life, Not of John Barton

1

大 野 龍 浩

(2)

方法論の具体的モデルは、C. P. SangerとKarl Kroeberによる構造分析です。

The Structure of Wuthering Heights

という論文のなかで、Sangerは、作品中 の時間データに着目して作品の年代記を作成し、Earnshaw家とLinton家の登場 人物が三代に渡って対称的(symmetrical)に配置されていることを明らかにし ました。こんにち大概の版の『嵐が丘』に付されているあの系図は、Sangerの 発見を元にしたものです。一方、Kroeberは、Jane Austen、Charlotte Brontëそ してGeorge Eliotによる計17編の小説について、作中人物の登場頻度を頁ごとに 調査することによって、各々の文体上の特徴や作法上の相違を明らかにしようと しました。

以下、この二人の方法を援用して、Mary Bartonの構造を分析し、作者の意図 を明らかにしたいと思います。

2.構造分析

まず、Mary Bartonの主題をめぐる、対照的(contrastive)な解釈を紹介しま す。

Essentially, the narrative is a drama of working-class radicalisation and its consequences, both personal and social. (Daly xxiii)

[T]he novel concerns itself from the very first with the public role of women, especially but not exclusively Mary’s role. (Nord 154)

上段は、John Bartonが物語の中心、つまり労使間の社会問題が小説の主要な 話題とする解釈です。下段は、Johnの娘Maryが焦点、つまり女性の自立が物語 の主題とする解釈です。Dalyの主張も、Nordの主張も、論旨は一貫していて説 得力はあるのですが、「作者の意図」を謙虚に探った結果至った解釈というより は、批評家の主観的な関心で作品を切った結果至った解釈である感は否めません。

作品の構造にほとんど注意が払われていないからです。

そこで、SangerとKroeberの方法を援用して、Mary Bartonの時間の流れと作 中人物の登場頻度を分析してみました。その結果を報告する前に、元となるデー

(3)

タをどのようにして得たかを説明します。

まず、「総合年代記」(Comprehensive Chronology)を作ります。作品中の時 間データを基に、物語を場面に分け、その場面ごとに各々の登場人物が実際に登 場している(active)か、それとも他の人物または語り手によって言及されるだ け(referred)か、あるいは登場も言及もないかを調べたものです。さらに、場 面の長さを半頁単位の頁数で表すことによって、その場面が小説全体のなかで何 パーセントを占めるかもわかるようにしています。この表によりますと、Mary

Bartonは、1834年5月から1842/43年までの約9年間を147場面によって扱ってい

ることが明らかになります。3

さて、それでは、構造分析の結果を紹介します。まず、作中人物の登場頻度に ついて。

Figure 1はComprehensive Chronologyによって得たデータを基に、各人物が activeまたはreferredであった場面のパーセンテージを合計して、棒グラフにし

た も の で す 。 こ れ に よ り ま す と 、 最 も 多 く 登 場 し て い る の は 、M a r y

(active=66%; referred=22.4%; total=88.4%)であることがはっきりします。二番

(4)

目 に 多 く 登 場 す る の は 、 彼 女 の 恋 人 で の ち に 夫 と な る

Jem Wilson

(active=28.6%; referred=45.6%; total=74.1%)です。John Bartonは三番目で、

active=25.2%; referred=36.1%; total=61.2%です。この結果から判断すると、物

語の焦点はJohnをめぐる労働問題よりも、Maryとその恋愛の成就にある、と考 える方が自然な気がします。

みなさんのなかには、「最も多く登場する人物が物語の主人公とは限らないで はないか」と、この分析結果をいぶかられる向きもあるかと思います。確かにそ の可能性は否定できません。実際、Kroeberの調査によると、彼が分析の対象と した17編の小説中、3編において例外が発生しています。たとえば、Shirleyの場 合、

Shirley Keeldar appears 40 percent of the total pages, while Caroline Helstone 53

ですし、Felix Holtにおいては、

Felix 26 percent, whereas Esther Lyon 35

です(231-34)。ただ、Kroeberは、ある頁にある人物が一度でも登場 していればcountする、というやり方を取っていますので、精度が低い嫌いがあ ります。そこで、くだんのComprehensive Chronologyの方法によって、Gaskell の社会問題小説と一般的に言われていますRuthとNorth and Southについて、作

中人物の登場頻度を調べてみました。

(5)

Figure 2はRuthについて分析した結果ですが、さて、一番登場頻度が多い人物

は誰でしょう?Ruth(active=66.4%; referred=19.1%; total=85.5%)です。ちな み に 、 二 番 目 に 多 い の は 誰 で し ょ う ?B e n s o n牧 師 (

a c t i v e = 4 1 . 9 % ;

referred=12.4%; total=54.4%) で す 。 三 番 目 はLeonard(active=22%;

referred=22.4%; total=44.4%)です。

つぎに、North and Southの場合はどうでしょう?一番登場頻度が多いのは?

Margaret Hale(active=80.2%; referred=16.2%; total=96.4%)です。ちなみに、

二番目は?工場主で後にMargaretの夫となるJohn Thornton? じつは、

Margaretの父Richard Hale(active=43.7%; referred=26.3%; total=70.1%)です。

三番目こそJohn Thornton?じつは、Margaretの母Maria Hale(active=22.8%;

referred=33.5%; total=56.3%)です。Thorntonは四番目で、active=26.7%;

referred=29.3%; total=55.1%です。この結果から、North and Southを、

Thorntonが労働者に同情を示していく過程を追った社会問題小説とみなす解釈

には、疑念を呈せざるを得ないのですが、この問題はSymposiumの論題と離れ ますので、ここでは触れません。ここではっきりさせておきたいのは、「Gaskell

(6)

の小説においては、最も多く登場する人物が主人公である可能性が高い」という ことです。

作中人物の登場頻度の調査結果から、作品の焦点がJohnではなくMaryにある ことが示唆されました。その信憑性を調べるために、こんどは二人をめぐる筋の 流れを図表化してみました。

Figure 4は、JohnとMaryについて、場面ごとに、activeであれば2 points、

referredであれば1 point、まったく登場しなければ0 pointを便宜上与え、全147場

面について調べることによって、二人に関する筋の流れを視覚化したものです。

これによりますと、John Bartonは、労働組合の用事でGlasgowにでかけてか ら(Scene 61/62)、10日後にManchesterに戻ったのをJemに目撃されるまで

(Scene 114)、物語の表舞台から姿を消しているのがよくわかります。いっぽう、

Maryのほうは、この間はもちろん、最初から最後まで途切れることなくactive

です(批評家の中には、「Maryは後半からしか活躍しない」と言う人があります が、4その人たちは構造上の裏づけのない発言をしていることになります)。いず

(7)

れにせよ、筋の流れを視覚化した結果も、作品の焦点がMaryにある可能性を示 しています。

さらに、別の角度から、この仮説の信憑性を調べてみましょう。時間の流れです。

Figure 5は、Comprehensive Chronologyを軸に、場面のパーセンテージを月

ごとにまとめたものです。これによりますと、1840年3月の描写が小説の半分以 上(53.19%)を占めているのがわかります。いったい、この月には何が描かれ ているのでしょうか?

(8)

それを説明するには、もう少し細かく時間の流れを区切ったほうがわかりやす いので、さきほどと同様の仕方で、場面のパーセンテージを日ごとにまとめてみ ました(Figure 6)。

これによりますと、最も多く頁数が割り当てられているのが、1840年3月20日 で、9.26%です。この日に起こったことは、6年ぶりに再会した叔母のEstherの 情報から、

Harry Carson殺害の真犯人が父のJohnであることを察知したMaryが、

殺人容疑で逮捕されたJemの無実を証明するための方法を模索し始める、という ものです。二番目に多く頁数が割り当てられているのは、翌々日の1840年3月22 日(8.19%)です。この日には、MaryがLiverpoolを訪ね、Jemの無実を証明し てくれるはずのWill Wilsonにやっとの思いで用件を伝えた後、老船乗りの

Sturgis宅に宿を借りるまでが描かれています。三番目は同年年3月18日(5.66%)

で、Willの旅立ち、Johnの出立、Alice Wilsonの容態の急変、そしてHarryの遺 体のCarson家への搬入が描かれます。四番目は1840年3月23日(5.23%)。Jem の裁判と無罪判決が主として扱われます。五番目は3月19日(5.01%)で、

Harryが殺害されたこととJemが逮捕されたことをMaryが知る場面。要するに、

頁数が多く割かれている1840年3月18日から23日までの6日間の中心的な話題は、

Jemを救うためのMaryの尽力です。

したがいまして、時間の流れの分析からも、物語の焦点がMaryにあることが 裏づけられることになります。

3.作者の告白

以上考察してきましたように、作品の構造を調べる限り、物語の焦点はMary にあるように思われます。そうしますと、よく引用されます、 「Johnこそが中 心人物」という作者の告白をどう解釈したらいいのでしょう?

‘John Barton’ was the original title. [...] Round the character of John Barton

all the others formed themselves; he was my hero, the person with whom all

(9)

my sympathies went, with whom I tried to identify myself at the time [of writing]. (Letters 74)

結論を先に言いますと、この告白は額面どおりに受け取れない、ということに なります。この告白は、「Mary Bartonに描かれているほど、工場主は労働者に 対して冷酷ではない」とするW. R. Gregの批評に対する弁明としてなされた経緯 があるため、労使対立の部分にのみ焦点を当てた見解になっている可能性が大き いです。つまり、小説のなかで言いたいことがA、B、Cとあったとして、Bにつ いて批判されたので、その点について反論したわけです。批判されなかったA、

Cについては触れていないのです。それに、

「文学批評の主体はあくまでテキス

トであり、作者の主観的な見解は、テキストにこめられた意図とはかならずしも 一致しない」とするHirschの主張に、5わたしは共感します。

Eassonは述べています、

「出版後、『もともとのタイトルはJohn Bartonだった』

とGaskellは述べているけれども、その前から考えられていた副題が示唆してい るように、Maryの愛とManchesterの市井の人々の生活とは、つねに彼女の創作 上の意図の中心的なものであった」と。6

結論として言えることは、構造的な裏づけをとってみる限り、「作品の焦点は

JohnにではなくMaryにある」というEassonの主張が正しく、Mary Barton: A Tale of Manchester Lifeというタイトルは、作品の内容と構造をじつに忠実に表

現したものだ、ということになります。

1.

本稿は2002年10月6日に大手前大学で開催された日本ギャスケル協会第14回大会の シンポジウム「『メアリ・バートン』再読」のために用意した原稿を推敲したもの である。

2. “if we do not choose to respect the author’s meaning then we have no ‘norm’ of in- terpretation, and risk opening the floodgates to critical anarchy” (60).

3.

与えられた紙面の都合上、Comprehensive Chronologyを挿入することは控える。

実物は、拙稿

“Is Mary Barton an Industrial Novel?” The Gaskell Society Journal

(10)

15 (2001): 14-20. を参照されたし。

4.

たとえば、

Although the title directs that Mary should bear the responsibility of the central figure, she does not step forward in this role until the latter part of the story” (Hopkins 76).

5. “the author’s subjective stance is not part of his verbal meaning even when he explicitly discusses his feelings and attitudes” (241); “[the textual meaning] must be represented by and limited by the text alone” (242).

6. “Despite Gaskell’s claim after publication that ‘John Barton’ was the original title, the original names [“A Manchester Love Story” and “A Tale of Manchester Life”]

suggest that Mary’s love was, along with Manchester life, always central to her design” (73).

Works Cited

Chapple, J. A. V. and Arthur Pollard, eds. The Letters of Mrs. Gaskell. Manchester:

Manchester UP, l966.

Daly, Macdonald. Introduction. Mary Barton: A Tale of Manchester Life. By Elizabeth Gaskell. Harmondsworth: Penguin, 1996. vii-xxx.

Eagleton, Terry. Literary Theory: An Introduction. 2nd ed. Oxford: Blackwell, 1996.

Easson, Angus. Elizabeth Gaskell. London: Routledge & Kegan Paul, 1979.

Hopkins, Annette B. Elizabeth Gaskell: Her Life and Work. London: John Lehmann, 1952.

Gaskell, Elizabeth. Mary Barton: A Tale of Manchester Life. Ed. Edgar Wright. The World’s Classics. Oxford: Oxford UP, 1987.

---. Ruth. Ed. Alan Shelston. Oxford: Oxford UP, 1985.

---. North and South. Ed. Angus Easson. Oxford: Oxford UP, 1982.

Kroeber, Karl. Styles in Fictional Structure: The Art of Jane Austen, Charlotte Brontë, George Eliot. Princeton: Princeton UP, 1971.

Nord, Deborah Epstein. Walking the Victorian Streets: Women, Representation, and the City. Ithaca: Cornell UP, 1995.

Sanger, Charles Percy. “The Structure of Wuthering Heights.” 1926. Rpt. in Wuthering

Heights. By Emily Brontë. Norton Critical Edition. 2nd ed. New York: Norton,

1972. 286-98.

Figure 1はComprehensive Chronologyによって得たデータを基に、各人物が activeまたはreferredであった場面のパーセンテージを合計して、棒グラフにし た も の で す 。 こ れ に よ り ま す と 、 最 も 多 く 登 場 し て い る の は 、M a r y

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