時空間的地震リスク評価に基づく 地震防災戦略に関する研究
防衛大学校理工学研究科後期課程
装備・基盤工学系専攻 防災工学教育研究分野 林 孝幸
令和2年3月
目次
第
1
章 序論... 1
1.1
緒言... 2
1.2
背景... 2
1.3
地震被害想定の現状... 7
1.4
地震の実被害と被害想定... 15
1.5
本研究における提案... 27
1.6
本研究論文の構成... 37
第
2
章 地震動の空間相関を考慮した地域の確率論的地震動ハザード評価の構築... 39
2.1
緒言... 40
2.2
地震動強度の空間的な相関の評価... 42
2.3
地震動強度の空間的な相関の評価... 53
2.4
モデル地域への適用... 56
2.5
地震防災への適用... 66
2.6
結言... 72
第
3
章 地震動の空間相関を考慮した条件付き確率論的地震動ハザードマップの作成 手法の提案... 73
3.1
緒言... 74
3.2
確率論的アプローチによる地震動ハザードマップ... 75
3.3
モデル地域への適用... 81
3.4
地域防災における活用法について... 98
3.5
結言... 99
第
4
章 リスクの時間変化を考慮した地震防災戦略に関する検討... 101
4.1
緒言... 102
4.2
住宅建物データの作成... 103
4.3
地震動ハザードの設定... 126
4.4
揺れ被害の予測手法... 144
4.5
被害量の時間変化... 150
4.6
被害量の時間変化を考慮した地震防災戦略... 165
4.7
結言... 183
第
5
章 結論... 185
5.1
本研究の成果... 186
5.2
今後の課題... 189
5.3
将来の展望について... 191
参考文献
... 193
本論文に関連する学術論文・学会発表の一覧... 199
謝辞... 201
図一覧
図
1-1
地震動ハザードの比較... 21
図
1-2
地震動予測地図の使い分けの一例... 31
図
1-3
将来人口推計結果:総人口の推移... 36
図
2-1
推定残差の概要... 43
図
2-2
地震観測データの震源位置... 46
図
2-3
地震規模のヒストグラムと地震規模と震源深さの関係... 47
図
2-4
地震補正係数αと地点補正係数係β ... 50図
2-5
相関係数と離間距離の関係... 52
図
2-6
検討対象地域... 57
図
2-7
各ケースの超過面積ハザードの比較... 58
図
2-8
モデル地域... 60
図
2-9
超過面積ハザードカーブ... 62
図
2-10
サンプリング地震動分布... 65
図
2-11
地震ハザード再分解による各地震カテゴリーの貢献度... 67
図
3-1
神奈川県のハザードマップの例... 77
図
3-2 CPHM
の設定手順... 77
図
3-3 CPHM
の作成概要... 80
図
3-4
評価対象地域... 83
図
3-5
各地域の超過面積ハザードカーブ... 85
図
3-6
地震グループの設定... 88
図
3-7
地震ハザード再分解の結果(A0:
神奈川県)... 90
図
3-8
地震ハザード再分解の結果(A1-A6:
震度6
弱以上)... 91
図
3-9
地域A0
のCPHM
(震度6
弱以上)... 94
図
3-10
地域A0
のCPHM
(震度6
弱以上)-
他の目標地震シナリオを採用した場合- ... 95
図
3-11
地域A0-A6
のCPHM
(震度6
弱以上)... 97
図
4-1
整備した神奈川県の将来人口... 105
図
4-2
整備した神奈川県の将来世帯数... 106
図
4-3
地域区分... 107
図
4-4
世帯数の将来推計結果... 108
図
4-5
神奈川県の将来世帯数の分布の変化... 109
図
4-6
建て方別世帯の割合(市区町村別)... 111
図
4-7
神奈川県の建て方別世帯数と建物棟数の関係(市区町村別)... 113
図
4-8
神奈川県の都市計画基礎調査(GIS
データ)... 115
図
4-9
建物の残存率曲線... 118
図
4-10
残存率を用いた将来建物データの作成... 119
図
4-11
整備した神奈川県の将来建物数... 122
図
4-12
神奈川県の将来建物数の分布... 123
図
4-13
神奈川県の将来建物数の分布の変化... 124
図
4-14
整備した神奈川県の将来建物の新耐震率... 125
図
4-15
神奈川県地震被害想定の地震動ハザード1... 129
図
4-16
神奈川県地震被害想定の地震動ハザード2... 130
図
4-17
地域A0
のCPHM(
震度6
弱以上)... 134
図
4-18
地域A0
のCPHM
(震度6
弱以上)-
他の目標地震シナリオを採用した場合- ... 135
図
4-19
(参考)地域A0-A6
のCPHM
(震度6
弱以上)... 137
図
4-20
超過面積ハザードカーブの時間変化(震度6
弱以上:A0
)... 142
図
4-21
被害率関数(木造)... 146
図
4-22
被害率関数(非木造:RC
造)... 147
図
4-23
被害率関数(非木造:RC
造)... 148
図
4-24
建物被害想定結果(神奈川県地震被害想定の想定地震)... 153
図
4-25
建物被害想定結果(CPHM
)... 153
図
4-26
建物被害想定結果(CPHM2
)... 155
図
4-27
建物被害の時間変化1(神奈川県地震被害想定の想定地震)... 157
図
4-28
建物被害の時間変化2(神奈川県地震被害想定の想定地震)... 158
図
4-29
建物被害の時間変化3(CPHM2
)... 159
図
4-30
建物被害の時間変化4(CPHM2
)... 160
図
4-31
本検討で提案する最大クラスの地震のCPHM
(震度6
弱以上)... 168
図
4-32
各想定地震の被害:建築年代区分の被害内訳... 176
図
4-33
減災目標(戦略的低減効果)と耐震化率の関係... 177
図
4-34 2045
年建物の立地誘導ケース... 180
表一覧
表
1-1
被害想定における論点整理... 8
表
1-2
地方自治体の地震被害想定(主に地震動)の実施状況... 12
表
1-3
熊本地震の諸元(本震)... 17
表
1-4
地震本部による布田川-
日奈久断層帯の長期評価... 18
表
1-5
地震シナリオの比較... 21
表
1-6
地震被害想定項目(熊本県想定)... 23
表
1-7
熊本地震による熊本県内の被害と熊本被害想定の比較... 24
表
1-8
地方自治体の被害想定の在り方について... 29
表
2-1
地震補正係数αと地点補正係数β ... 50表
2-2
各ケースの超過面積ハザードの比較... 58
表
2-3
所与の震度の面積率に対する超過確率(今後30
年以内)... 63
表
2-4
所与の超過確率(今後30
年以内)に相当する各震度の面積率... 63
表
2-5
神奈川県地震被害想定と超過面積ハザードの確率特性... 69
表
2-6
被害想定の地震シナリオの超過面積ハザードの生起確率... 71
表
3-1
評価対象地域とその地域の人口... 83
表
3-2 SPSHA
による所与の超過確率(今後30
年間)に相当する各震度の面積率.. 84
表
3-3
震度6
弱以上の面積のハザード再分解結果(EP30:6%) ... 89
表
4-1
整備した神奈川県の将来人口... 105
表
4-2
整備した神奈川県の将来世帯数... 106
表
4-3
建物2010
データの区分... 115
表
4-4
残存率曲線のパラメータ... 118
表
4-5
住宅・土地統計による耐震改工事の実施状況... 120
表
4-6
整備した神奈川県の将来建物数... 122
表
4-7
整備した神奈川県の将来建物の新耐震率... 125
表
4-8
神奈川県の地震被害想定... 128
表
4-9
神奈川県地震被害想定の想定地震:強震動の発生面積... 131
表
4-10 SPSHA
による所与の超過確率(今後30
年間)に相当する各震度の面積率... 133
表
4-11 A0
を対象としたCPHM
(震度6
弱以上):強震動の発生面積... 136
表
4-12
神奈川県に影響を及ぼす主な地震の発生確率(更新過程)... 139
表
4-13
神奈川県に影響を及ぼす主な地震の発生確率の時間推移... 140
表
4-14
超過面積ハザード(CPHM
:EP30
)のリスクレベルの時間変化... 143
表
4-15
被害率関数のパラメータ(木造:中央防災会議より)... 145
表
4-16
被害率関数のパラメータ(非木造:神奈川県被害想定より)... 145
表
4-17
建物被害想定結果(2015
年住宅建物)... 152
表
4-18
建物被害想定結果(神奈川県被害想定 表3.1
より一部抜粋)... 154
表
4-19 CPHM2
を用いた建物被害想定結果(2015
年住宅建物)... 155
表
4-20
リスクの時間変化1(CPHM2
)... 162
表
4-21
リスクの時間変化2
(CPHM2
)... 163
表
4-22
リスクの時間変化3(CPHM2
)... 164
表
4-23
最大クラスの地震を念頭においた所与の超過確率に相当する各震度の面積率... 168
表
4-24
減災目標の設定(減災目標率1.00
)... 171
表
4-25
減災目標の設定(減災目標率0.95
)... 171
表
4-26
減災目標の設定(減災目標率0.90
)... 172
表
4-27
耐震化施策... 173
表
4-28
減災目標(戦略的低減効果)と耐震化率の関係... 177
表
4-29 2045
年建物:立地誘導(分散ケース)... 181
表
4-30 2045
年建物:立地誘導(集中ケース)... 182
1
第1章
序論
2
第1章
1.1 緒言
近い将来,南海トラフ沿いの大地震や首都直下地震等の発生も懸念されており,日本にお いては地震防災対策が急務である。地域の地震防災対策においては,対象地域で想定される 地震被害を想定した上で,防災対策を検討することが不可欠である。政府や地方自治体の地 震被害想定では,対象とする地域や地点に被害を及ぼす可能性のある地震シナリオを選定 し,地震動や津波,液状化等の地震ハザードが決定論的アプローチにより評価される。この 地震ハザードを用いて被害を定量化し,地域防災計画等の施策が検討される。地震ハザード 評価は対策の最初の段階で実施され,最終的な施策を決定づける重要な役割を有しており,
その結果について十分な議論が必要である。本論文は,このような地方自治体の地震被害想 定とこれを用いた地震防災対策戦略をテーマとしている。
本章では,これらの背景や地方自治体の被害想定の現状を述べる。また,
2016
年(平成28
)熊本地震を例に地方自治体の地震被害想定と実被害を比較する。これらの内容から,地 震被害想定の課題を示し,その上で,本研究における提案として,地域の被害想定手法とこ れを用いた地震防災対策の方向性を論じる。1.2 背景
1995
年(平成7
年)兵庫県南部地震では,内陸活断層で発生したM7.3
の地震により近代 の都市において初めて震度7
の強震動が発生した。この地震は,全壊,半壊,火災などの建 物被害が25
万棟を超え,約6,400
人以上の死者を出す大震災を引き起こした。この被害に より,日本の地震防災対策において多くの課題が浮き彫りとなった。これらの課題を踏まえ て,この震災の5
か月後に,日本政府は地震防災対策特別措置法を交付した。この法律の第1
条には,以下に示す目的が規定されている。「地震による災害から国民の生命,身体及び財産を保護するため,地震防災対策の実施に 関する目標の設定並びに地震防災緊急事業五箇年計画の作成及びこれに基づく事業に係る 国の財政上の特別措置について定めるとともに,地震に関する調査研究の推進のための体 制の整備等について定めることにより,地震防災対策の強化を図り,もって社会の秩序の維 持と公共の福祉の確保に資することを目的とする。」
この目的を達成するため,都道府県が想定される地震災害を明らかにすることや,想定し た地震災害の軽減を図るための地震防災対策の実施に関する目標を定めるよう努めること が,
2
条以降に規定されている。また,地震に関する調査研究を推進し,調査研究成果を社 会に伝えるための地震調査研究推進本部(以下,地震本部と記す)が政府に設置されること となった。地震本部は,設置後,最初の10
年間で,地震に関する地震に関する基盤的調査 観測網の整備や調査観測データの流通・公開,被害を伴う地震発生時の速やかな現状評価の 公表,活断層や海溝型地震の長期評価(地震の規模や一定期間内に地震が発生する確率を予3
序論
測したもの)や強震動予測手法の検討,全国を概観した地震動予測地図の作成等の施策を実 施した1)。
地震本部が実施した長期評価2)は,地方自治体が被害想定を実施する際に主要な地震シナ リオを選定するという観点で,非常に重要な情報となる。内陸部の活断層については,日本
国内に約
2,000
の活断層があるため,調査を効率的に実施する観点から,活動度や活動した際の社会への影響度等を考慮し,約
100
の断層が選定された。地震本部では,この選定した 断層帯を「主要活断層帯」と呼んでいる。主要活断層帯の長期評価は,当初の10
年程度で 一通り調査が完了したが,評価の信頼度が低い断層帯については,調査が継続され,適宜,評価結果が更新されている。また,海溝型地震についても,千島海溝,日本海溝,南海トラ フ沿いの地震について同様に評価が行われている。
地震の被害を想定する上で,地震動ハザードの評価は欠くことができない。そのような評 価結果として,地震本部は
2005
年に「全国を概観した地震動予測地図」3)を発表した。これ は「震源断層を特定した地震動予測地図」と「確率論的地震動予測地図」から構成されてい る。前者は,決定論的アプローチから震源断層や地震規模などの地震像を特定して評価した ものである。ここで対象とする地震は,長期評価が実施された主要活断層帯で発生する地震 が対象となっている。個別の地震シナリオを対象とする分,詳細な評価となっている。一方,後者は,確率論的アプローチにより評価されたもので,地震の発生確率,地震が発生した場 合の地震動強度の生起確率を考慮して,特定地点の地震動強度とその発生確率を評価した ものである。主要な活断層や海溝型の大地震以外にも想定される中小規模の様々な地震を 網羅的に取り扱っている分,簡易な地震動評価ではあるものの,全国どの地域においても確 率と地震による揺れの強さの関係が評価されているのが特徴である。これらの両評価は,地 域や地点の地震リスクを知る上で相互補完的に用いられるものである。その後,これらは,
地震動評価手法や用いるデータの高度化が図られ,
2009
年に「全国地震動予測地図」とし て改定された。これ以降,長期評価の改定内容,「活断層の地域評価」などの新たな知見や 地震発生の確率値の変更を反映して,全国地震動予測地図は定期的に更新されている。都道府県などの地方自治体では,このような情報を参考にして地震被害想定を行う事が 可能である。しかし,地震被害想定における地震シナリオを選定する上で長期評価は参照し ているが,全国地震動予測地図の情報は,被害評価に直接的には用いられていない。地震動 の評価は地方自治体にて独自に行っているのが現状である。
最初に,兵庫県南部地震から
2010
年までの期間を振り返る。政府はこの期間に,東海地 震,南海・東南海地震,首都直下地震などの対策強化のため,被害想定や防災施策の検討を 実施している。また,地方自治体においても,地震本部の公開する情報や有識者からの意見 などに参考にして地域の災害対策のために地震被害想定を実施され,地震対策が強化され ている。この期間においても,日本では多くの被害地震が相次いだ。まず,2000
年鳥取県西部地震
(M7.3)
,2002
年芸予地震(M6.7)
と,西日本の内陸部直下で大きな地震が発生した。4
第1章
その後,海溝型の
2003
年十勝沖地震(M8.0
)が発生し,長周期地震動による長大構造物の 被害という課題を浮き彫りにした。2004
年新潟中越地震(M6.8)
では,再び,震源近傍で震度7
の強い地震が発生し,死者約70
人,15
万棟以上の建物被害となった。更に,2007
年能登 半島沖地震(M6.9
),2007
年新潟中越沖地震(M6.8
),2008
年岩手・宮城内陸地震(M7.2
) など死者を伴う被害地震が数年に一回の頻度で発生した。2003
年十勝沖地震については,地震発生の半年前に地震本部が公表した「千島海溝沿い の地震活動の長期評価について」において,想定がなされており長期評価の有益性が確認さ れた。しかし,頻発している内陸の活断層による被害地震は,主要活断層帯で発生したもの ではないため,長期評価が実施されていなかった。しかし,そのような長期評価以外の地震 を地震本部が全く評価していなかったわけでなく,全国地震動予測地図のうち,確率論的地 震動予測地図では,主要活断層帯以外の地震を取り扱っている。具体的には,「主要活断層 以外の活断層による地震」や「震源を特定できない地震」である。しかし,前述のように地 方自治体では,全国地震動予測地図の情報は直接的に被害想定や防災計画策定に用いてい なかった。これは,確率論的地震動予測地図を活用した被害想定を実施する手法が明確に示 されていなかったことも一因であると考える。また,主要活断層による大地震を考慮してお けば,より小さい地震の被害は包絡することができるという判断もなされたと推察する。な お,その後,M7
未満の地震や主要活断層帯以外の地震による被害が頻発したことから,地 震本部は活断層の個別評価だけなくその周囲の活断層も含めて総合的に評価する必要性を 認識し,活断層の地域評価 4)を開始した。2013
年に九州地域の活断層の長期評価が始めに 公開され,現時点では,関東地域,中国地域,四国地域について地域の活断層評価が公開さ れている。次に,
2010
年以降の期間を考える。この期間では,兵庫県南部地震以降の取り組みがま だ十分ではないことが課題として強く認識された。2011
年(平成23
年)東北地方太平洋沖地震(M9.0
)が発生し,東北・関東地方の太平洋 沿岸を中心に大きな被害が発生した.波高が10m
以上の津波が東北地方太平洋沿岸を襲い,東北・関東地方の広域で強い揺れにより建物被害が発生した。これにより,死者・行方不明 者は
2
万人を超えた。住家被害は,全壊・半壊だけで40
万棟以上,一部損壊を合わせると100
万棟以上の被害となった。また,東京電力福島第一原子力発電所の原子力事故や各地の 石油コンビナートで火災爆発事故が発生した。直接的な被害は東北・関東地域で発生したも のの,グローバルワイドで企業のサプライチェーンを途絶させるなど,世界へと被害は波及 した。内閣府は,この東日本大震災による経済被害を直接被害だけでも16~25
兆と評価し た5)。世界的規模の間接的な影響を含めた経済被害は計り知れない。2016
年4
月には,熊本県内において,内陸活断層(布田川-日奈久断層帯)による大地 震が前震,本震と続いて発生し,震源近傍の益城町や熊本市内等で甚大な被害が発生した.これらの災害報道では,「想定外」という表現がよく使われた.「想定外」の所以は,
2011
5
序論
年東北地方太平洋沖地震では,
M9
の地震が発生したこと,事前に設定していた津波ハザー ドマップの浸水域を超える津波が発生したこと,福島第一原子力発電所で原子力災害が発 生したこと,等であり,2016
年熊本地震では,九州地方で地震が発生したこと,前震に続 いて本震が発生し,益城町では震度7
の揺れが2
回発生したこと等,を示していると考え る.このような報道における「想定外」という表現は,時好の語句として用いられ,事実を 誇張して表現している面も否定できない.特に熊本地震においては,布田川-
日奈久断層帯 においてM7
クラスの地震が発生することは,事前に地震調査研究推進本部が,長期評価6) を実施し地震規模や発生確率を示していたし,前震発生直後から,余震も含めた大きな揺れ に対する注意喚起もなされていた7).それにもかかわらず,このような表現となるのは,実 際に事前の想定が十分か不十分かに関わらず,防災情報が一般社会に広く伝わっていなか った事が原因であろう。筆者は,このような事を通じて,事前の「想定」とはどのようにあ るべきで,それを一般社会にどのように伝えるべきか強く考えることとなった.内閣府は,東北地震太平洋沖地震の発生を受けて,
2013
年4
月中央防災会議において「東 北地方太平洋沖地震を教訓とした地震・津波対策に関する専門調査会」(以下,教訓調査会 と記す)を設置した。この専門調査会では,東北地方太平洋沖地震による地震・津波の発生,被害の状況等が分析され,今後の対策が検討された。この検討結果は
2013
年9
月に公開さ れている8)。この中で,最も大きな課題は,事前にM9.0
の巨大地震がこの地域で発生する ことが想定されていなかったことであった。そこで,教訓調査会は,防災対策で対象とする 地震・津波の考え方として,以下の3
点を示した。 あらゆる可能性を考慮した最大クラスの巨大な地震・津波を検討
古文書等の分析,津波堆積物調査,海岸地形等の調査などの科学的知見に基づき想定 地震・津波を設定
そのための地震学,地質学,考古学,歴史学等の統合的研究を充実する
このような方針を踏まえて被害想定手法・項目を実施することや防災対策推進の効果を 定量的に示す手法を検討する方針も合わせて示されている。
また,この報告では,東北地方太平洋沖地震の津波被害が甚大であったことから,津波に 対する考え方が充実している。津波対策を構築するにあたっての,津波想定の考え方として は,以下に示す二つの津波レベルが示された。
発生頻度は極めて低いものの,甚大な被害をもたらす最大クラスの津波(レベル
2
津 波) 発生頻度は高く,津波高は低いものの大きな被害をもたらす津波(レベル
1
津波)これらのレベルの津波対策における基本的な考え方も合わせて示されている。レベル
1
津 波に対しては,住民等の生命を守ることを最優先とし,住民の避難を軸に,とりうる手段を6
第1章
尽くした総合的な津波対策を確立することとされ,レベル
2
津波に対しては,人命保護に加 え,住民財産の保護,地域の経済活動の安定化,効率的な生産拠点の確保の観点から,海岸 保全施設等を整備するとされている。しかしながら,揺れによる被害に対しては,そのようなレベルの考え方は示されていない。
揺れに対する対策として,従来と同様に「建築物の計画的な耐震化や必要性の啓発活動強化」
や長周期「地震動対策,液状化対策」を着実に進めることが述べられたのみである。
現在,政府の防災基本計画 9)には,この教訓調査委が議論された最大クラスの地震・津波 の想定が明記されている。これに基づき,政府や地方自治体の近年の地震被害想定では最大 クラスの地震と津波が検討されるようになっている。
7
序論
1.3 地震被害想定の現状
ここでは,地震被害想定の現状について整理する。なお,本研究にて取り扱う被害想定は,
地震災害を対象に,科学的・工学的知見に基づいて,定量的または定性的に被害を評価する ことを意図している。
1.3.1 地方自治体の被害想定
地方自治体の被害想定では,基本的に最大被害をもたらす地震(および津波)を対象とす るシナリオ型の評価となっている。一般的に,このような被害想定は次の手順で行われる。
まず,地域に最大の被害をもたらすと考える地震シナリオを設定し,それに対する地震動や 津波などの地震ハザードを評価する。次に地震ハザードに対する人的被害や建物被害,ライ フライン被害などの直接被害や経済的損失などの間接的被害を評価する。当然,被害評価を 行う過程では,建物数や人口などの地域分布というような評価対象の情報(資産情報)が必 要となる。これらの資産情報は,地域分布や数量が日々変化する可能性がある。また,場合 によっては建物の耐震性向上など脆弱性もまた変化しているため,最新の情報で被害定量 化を行うことが重要である。
評価は,地方自治体の依頼により,評価技術・知見を有する建設コンサルやシンクタンク 等が実施し,結果を委員会にて議論する形式で実施することが多い。委員会には,理学(地 震学,地質学等),工学(建築学,土木学等),社会科学(防災学,経済学等)の有識者の他,
地方自治体の防災関係者(危機管理部署,消防部署等)が参加し,数か月,場合によっては 数年の議論を重ねて想定の過程および結果を検証することとなる。
表
1-1
に一般的な被害想定について論点を整理して示す。分類の内,資産の把握,被害の評価については,次節にて述べる。ここでは,同表の,実施体制,対策計画への反映,の部 分について議論を進める。
8
第1章
表 1-1 被害想定における論点整理
分類 項目 論点
資産把握 対象物量の把握
(人口,建物数等) 最新データの把握
被害の 評価
地震シナリオ設定 「適切な」地震シナリオの設定
地震ハザード評価 評価手法
パラメータの設定
直接被害 想定項目(人的被害,建物被害等)の設定 評価手法
間接被害 想定項目(経済被害等)の設定 評価手法
実施
・ 体制
実施時期 想定の実施時期
実施者(評価者) 評価者の適切性
委員会 委員会の適切な運営
対策計画
への反映 防災計画への反映 被害想定結果の反映方法・合理性
9
序論
1.3.2 災害対策関連法令における被害想定の取扱い
国が定める地震災害対策の法令は,災害対策基本法,災害対策基本法施行令,災害対策基 本法施行規則,地震防災特別措置法である。他にも大規模地震特別措置法や南海トラフ地震 に係る地震防災対策の推進に関する特別措置法,首都直下地震対策特別措置法等の特定の 地震を対象とした対策法令も存在するが,ここでは一般的な地震を取り扱うこととし,これ らは検討対象外とする。以降では,これらの災害対策関連法令やこれに基づいて策定された 防災基本計画において地震被害想定(津波を含む)が直接的または間接的に,どのように記 載されているかを確認する。
災害対策基本法で「被害の想定」について直接的または間接的に記載されている箇所は,
災害対策基本法の「基本理念(第
2
条の2
)」と「指定避難所の指定(第49
条の7
)」の二箇 所である。基本理念には次のように記載されている。 我が国の自然的特性に鑑み,人口,産業その他の社会経済情勢の変化を踏まえ,災害 の発生を常に想定するとともに,災害が発生した場合における被害の最小化及びそ の迅速な回復を図ること
災害に備えるための措置を適切に組み合わせて一体的に講ずること並びに科学的知 見及び過去の災害から得られた教訓を踏まえて絶えず改善を図ること。
前者の文章の「社会経済情勢の変化」と「常に想定」という表現が印象的である。地震被 害は,人口や建物,経済など社会情勢によって様相が異なるため,「常に」被害の想定が必 要であると読み取れる。また,後者の文脈では「絶えず」という表現から,定常的に災害対 策を改善することが求められていることが分かる。現に,同法では,都道府県の地域防災計 画は毎年検討を実施することが求められている。但し,「被害想定」について直接的に毎年 実施することを求めているわけではない。
「指定避難所の指定」では,「市町村長は,想定される災害の状況,人口の状況その他の 状況を勘案し,指定避難所を指定することが必要」との記載がある。
災害対策基本法施行令,施工規則についても調べたが,特に被害想定を意図する記載はな かった。
次に,中央防災会議が災害対策基本法に基づいて定めた防災基本計画9)について確認した。
防災基本計画では,総則(第
2
編),地震対策編(第3
編),津波対策編(第4
編)の,様々 な個所で「被害想定」についての記載がみられる。まず,総則(第
2
編)については第2
章「防災の基本理念」で「最新の科学的知見を総動 員し,起こり得る災害及びその被害によって引き起こされる被害を的確に想定するととも に,過去に起こった大規模災害の教訓を踏まえ,絶えず災害対策の改善を図ることとする。」との記載がある。また,第
3
章「社会構造の変化」では,人口偏在,少子高齢化,グローバ リゼーション,情報通信技術の発達等の社会構造の変化に伴う災害脆弱性の高まりについ10
第1章
て十分配慮すべしとの記載がある。また,第
4
章の「防災計画の基本的推進」には,「国は 地方自治体に対し被害想定の作成・改良を支援するための調査研究を推進するとともに」と の記載がある。その他,実践的な訓練のための被害想定を実施することについても記載があ り,「被害想定」を推進していることが読み取れる。地震対策(第
3
編)の第一節では,「地震災害対策の検討に当たり,科学的知見を踏まえ,あらゆる可能性を考慮した最大クラスの地震を想定し,その想定結果に基づき対策を推進 するものとする」との記載がある。これは被害想定の大前提となるシナリオの設定方針を示 したものであるが,「最大クラス」の定義については明確な記載はない。この表現からは,
地震規模や地震ハザード,被害など様々な観点での「最大クラス」が考えられるが,その点 は解釈により各自治体が判断するものと考えられる。また,同節には「国及び地方公共団体 は,被害の全体像の明確化及び広域的な防災対策の立案の基礎とするため,具体的な被害を 算定する被害想定を行うものとする」,「自然現象は大きな不確定要素を伴うことから,想定 やシナリオには一定の限界があることに留意する」との記載がある。更に,国が特定の大規 模地震について被害想定を行い,それ以外の地震は,地方自治体が地域の特性を踏まえた被 害想定を行うと示されている。ここでは「具体的な被害」という表現が用いられており,定 量的な評価を意図していると考えられる。
一方,津波対策(第
4
編)では,最大クラスの津波の想定や,国と地方自治体の役割等は,地震(動)対策と同様の記載となっているが,最大クラスの津波に対する設定方針の記載が 明確化されている点は異なる。最大クラスの津波に対しては,住民など生命を守ることを最 優先にハード・ソフトの施策を柔軟に組み合わせて対応し,比較的頻度の高い一定程度の津 波に対しては,人命保護に加えて,住民財産の保護,地域経済活動の安定化などの目的で海 岸保全施設等の整備により対応するものとされ,教訓調査会の報告内容を記載したものに なっている。
地震防災対策特別措置法では,第
1
条の2
において,地震防災対策の実施に関する目標 の設定として,「想定される地震災害を明らかにして,当該地震災害の軽減を図るための地 震防災対策の実施に関する目標を定めるよう努めるものとする」と示されている。また,第14
条では想定される地震災害等を住民に周知することが求められている。以上より,地方自治体が地震に対する被害想定を行う明確な根拠は,この防災基本計画お よび地震防災対策特別措置法にあるが,定性的,定量的,またはシナリオ・プランニング等,
様々な想定の方法や方針が考えられる中で,詳細は示されていない。科学的・工学的根拠に 基づく被害定量化が地方自治体において一般的に実施されている状況において,想定手法 の詳細を示すことが今後期待される。
11
序論
1.3.3 地方自治体における被害想定の実施間隔
前述のように政府の定める規定類では,地方自治体の被害想定について,最新の科学的知 見を総動員し,起こり得る災害及びその被害によって引き起こされる被害を絶えず的確に 想定することが記載されている。そこで,ここでは都道府県がどの程度の実施間隔で被害想 定を実施しているかを確認する。
調査に際しては,損害保険料率算出機構が被害想定手法について行った調査 10,11)および 内閣府による調査 12),各自治体のホームページにて確認できた限りで纏めた。表
1-2
に,都道府県の最新と前回の被害想定の実施時期を示す。なお,ここでの被害想定は地震(地震 動)を対象とし,津波については除外した。この結果によれば
1995
年の兵庫県南部地震以 降の被害想定は,概ね3
回の実施時期に分かれる。最初の期間は1995~2000
年である。この 時期は,兵庫県南部地震による大震災の教訓に従って,各自治体が被害想定を実施し,災害 対策を検討した時期にあたる。次の時期が2005~2010
年程度の期間である。兵庫県南部地震 の直後に被害想定を実施した自治体が再実施した時期と考える。再実施の動機は,中央防災 会議による南海トラフや首都直下地震などの各種想定,地震調査研究推進本部による様々 な地震関連情報の公開や被害想定手法の高度化,地域の社会環境変化などによると推察さ れる。最後の時期は,東北地方太平洋沖地震以降である。特に,この時期は,専門調査会に より最大クラスの地震・津波に対して検討する方針が示された。中央防災会議では南海トラ フや首都直下地震対策の被害想定が実施され,政府から様々な情報が公開された防災上の 大きな変革期でもあった。このような政府の検討状況も踏まえて,南海トラフの巨大地震の 影響下の自治体は,政府の被害想定の公開後にこれに準じた想定を実施した。表2-1
から は,兵庫県南部地震直後の時期に被害想定を実施して以降,再想定を実施していない自治体 も見られる。現在,被害想定を実施中であり,現時点では未公開の自治体も存在すると考え るがこの点は未確認である。いずれにしても,上述のように防災上の方針の転換,科学的・工学的知見の蓄積,社会環境の変化など,被害想定結果に大きな変化が予想される中で再実 施が遅れている自治体は,被害想定の実施に対して何らかの課題を抱えていると推察され る。予算や労力不足,または優先的に実施すべき事項があるといった施策実施上の問題や,
防災計画において最新の状況を踏まえた被害想定は必ずしも必要ではないといった運用上 の問題などが考えられる。実施間隔としては,教訓を反映すべき大地震がない限りは約
10
年程度に一回程度といった傾向がみられる。これは,社会経済活動が情報技術の発達などに より大きく変革していることや,人口増加や現象が激しい地域があること,評価技術の進歩 や地震に関わる新知見の蓄積といった観点を踏まえると,法律などに規定された主旨とは 残念ながらかけ離れていると考える。12
第1章
表 1-2 地方自治体の地震被害想定(主に地震動)の実施状況 都道府県 実施・公開時期
最新 前回 備考
北海道 2017.2 2011.3 2013年以降,定期的に被害想定を公開
青森 2016.9 1997.3
岩手 2004.11 -
宮城 2012,3 2004.3. 東北地方太平洋沖地震前の評価を中間報告として公開
秋田 2013.10 1997.3
山形 2006.3 1998.3 2002に断層を追加想定
福島 2018.9 1998.3
茨城 1997
栃木 2014.5 2004.2
群馬 2012.6 1998.3
埼玉 2014.3 2007
千葉 2016.3 2008
東京 2012.4 2006.5
神奈川 2015.3. 2009.
新潟 1998.3. -
富山 2011.6 1998.3
石川 1998.3 -
福井 1997.3 -
山梨 2005 1996.3
長野 2015.3 2002
岐阜 2013.2 2003 2004年に追加想定実施
静岡 2013.11 2001.5
愛知 2014.5 2003
三重 2014.3 2006
滋賀 2014.3 2005
京都 2014 2008
大阪 2007.3 1997.3 2014年に内閣府の南海トラフ被害想定結果を検証
兵庫 2014.6 1999.3
奈良 2005.3 -
和歌山 2014.3 2006.3 1995年にも実施
鳥取 2018.12 2005
島根 2018.3 1997.3
岡山 2014.5 2003.3 2013年に南海トラフの想定,2014年に内陸活断層の
想定
広島 2013.10 2007.3
山口 2015.11 2008.3 2014.3に南海トラフの想定
徳島 2013.11 2005
香川 2014.3 2005.3
愛媛 2013.12 2002
高知 2013.5 2004.3
福岡 2013.3 1997.12
佐賀 2016.4 2010
長崎 2006.3 -
熊本 2013.3 1997.3
大分 2013.3 2008.3
宮崎 2016.4 2007.3
鹿児島 2014.2 1997
沖縄 2014.3 2010
13
序論
1.3.4 被害想定の現状からみる被害想定の在り方に関する考察
被害想定の現状の観点から考察される被害想定の在り方について筆者の意見を以下に纏 める。
(1)
被害想定手法や活用法の明確化地震被害想定は防災計画の基礎となる重要な情報である。昨今,被害想定では,科学的・
工学的な手法を採用して,被害を定量的に示すことが一般的である。また,そのような定量 的な評価結果は減災目標の設定や経過確認をする上で大変有効である。このような手法の 詳細や活用についてより明確化することが期待される。その際には,以下の点に留意して地 震被害想定ガイドラインとして手法や取扱いが明確に示すことも可能と考える。
被害想定手法の標準化や取り扱うデータの一般化
災害対策において考えるべき「最大クラス」の地震の客観的な選定法を示すことが必要 である。
防災基本計画に記載された「最大クラス」の地震被害に対して,どのように対策を計画 すべきか方針設定の考え方が必要である。方針設定に際しては,そのシナリオの発生確 率や現実的な対応可能性なども論点となろう。
防災基本計画に定められた「自然災害の不確定性要素の留意」は,被害想定の定量評 価の不確実性を示した重要な記載であるが,どのように留意するべきかを示すことが 重要である。
継続的な被害想定実施のために,再評価の必要性を判断する基準を示すことが必要で ある。
(2)
「最大クラス」の地震の考え方現在,政府の防災基本計画には,最大クラスの地震・津波の想定が明記されており,政府 や地方自治体の地震被害想定ではこれが検討されている。しかし,想定された最大クラスの 地震・津波の地震ハザードは,地震動が極めて大きくなるケースや,津波溯上域が非常に広 域になるケースがあり,有効な対策の立案に苦慮する場面も見られる。最大クラスの地震・
津波の発生確率が極めて小さい場合には,これを長期的に対応する地震と位置付け,より小 さい規模の地震や地震ハザードを当面の対策の対象とする事もなされている。最大クラス の地震を,最大限の地震ハザードを発生させる地震と定義すると,その科学的検証が困難で あるため,過度に保守的な設定になる事を懸念する。
(3)
被害想定と対策方針の分離各種規定では,最大クラスの地震・津波に対する想定の必要性が注目を集めるが,被害想
14
第1章
定のシナリオ設定においては,最大クラスだけでなく小被害から大被害まで様々な規模の シナリオを想定し,現状の対策の限界や現実的に整備できる対策の限界を把握することが 重要と考える。想定した地震に対して,必ず何らかの対策が必要という前提を置くと,最大 クラスの地震の設定や地震動の評価の検証において偏った判断がなされる可能性がある。
最大クラスの地震に対して適切な防災施策を実施することが求められる方針であるとする と,低い地震シナリオの採用や被害の少ないハザード結果に結果を誘導してしまうことが 懸念される。よって,被害想定と対策方針は分離して考えることが重要と考える。
(4)
確率論的アプローチの積極的採用地震被害想定ではシナリオ型の評価が一般的であるが,被害想定と対策方針の分離のた めにも,確率的評価の必要性を提言したい。地方自治体において財的リソースや人的リソー スに限界があり,現実的で合理的な施策の採用が不可欠である。最大クラスの地震の被害に 対して対応が可能である場合は問題ないが,困難な場合には,より小さい規模の地震を対象 にどの程度の地震被害に対して対応が可能か,または対応するのが適切なのかを,議論する ことが重要となる。その際に,その対象シナリオの発生確率を確認することも議論の中で必 要であろう。発生確率が高い地震シナリオやその被害に対しては,短期的により確実な対策 を実施し,確率が低い地震シナリオや被害に対しては,長期的に取り組むことの判断が可能 となる。
15
序論
1.4 地震の実被害と被害想定
1.4.1 2016 年熊本地震の発生と地域の被害想定
2016
年4
月,熊本県内において,内陸活断層(布田川-日奈久断層帯)による大地震が 複数発生し,震源近傍の益城町や熊本市内等で甚大な被害が発生した。4
月24
日夜間に発 生したM6.5
の地震は前震,26
日未明に発生したM7.3
の地震が本震とされ,気象庁は一連 の地震活動を平成28
年(2016
年)熊本地震(以下,熊本地震と記す)と命名した。熊本地震の本震と平成
7
年(1995
年)兵庫県南部地震(以下,兵庫県南部地震と記す)は,都市の近傍で発生した内陸活断層による地震であること,地震規模が
M7.3
であること,未明に発生したこと等,共通点がみられる。その兵庫県南部地震の発生により,政府・自治 体の被害想定の在り方が見直され,現在の地震被害想定の基本となっている。中央防災会議 においては,首都機能に大きな影響をあたえる首都直下地震や,日本周辺で最大規模の広域 災害となることが予想される南海トラフ周辺で発生する大地震に対して,人的被害,建物被 害,ライフライン被害,経済被害等の各種被害について定量評価がなされた。一方,地方自 治体においても,各地域で発生する可能性のある大地震に対して,同様の被害項目について の定量評価が行われた。このような定量評価結果に基づいて,地域において必要とする対応 力が確認され,地域防災計画が策定されている。
このような地域防災計画における地震被害想定の在り方については,古くは兵庫県南部 地震の発生以前において日野 13)が論じている。地方自治体において被害想定が実施されて いるものの,その結果が地域防災計画へ反映されていない点について考察したものである。
理由として,想定結果の信頼性が高くないこと,想定単位が多きすぎること,想定項目が大 雑把すぎることを挙げている。ここで挙げられた想定単位および想定項目の課題について,
現在はデータの精緻化や計算機能力の向上,最近の地震災害の教訓等から,より現実的な想 定と地域防災計画への反映が実施されており,改善がなされたものと考える。想定結果の信 頼性については,地震シナリオの妥当性,資産データの信頼性,評価手法の精度,等の多く の課題を含み,継続的な課題と考える。地震という自然災害が対象である以上,被害の定量 評価結果は,誤差を含むものとして取り扱う必要がある。この誤差については,筆者は,地 震シナリオや地震動の評価が最も大きな影響を及ぼすと考える。例えば,戸松ら14)は,直下 地震を対象とする場合,震源パラメータの設定のわずかな揺らぎにより被害想定結果が大 きく変わることを示した。また,同様に筆者も15),南関東地域のプレートの沈み込みに伴う 震源の特定できない地震を対象に複数の地震シナリオを仮定して被害想定を行った。結果 から,被害量がシナリオによって大きく変わることが示され,地震シナリオの選定における 不確実性の大きさが認識された。
しかしながら,熊本地震は,その存在が明らかになっている内陸の活断層で発生したもの であり,想定される地震シナリオと実際に発生した地震で,比較的差異が少ない地震であっ たと考える。地震本部は,主要活断層の長期評価として,熊本地震が発生したとされる布田
16
第1章
川-日奈久断層帯の地震発生確率や地震規模を評価し
2002
年に公表した(以降,これを第 一版評価16)と記す)。その後,新たな調査研究成果に基づいて2013
年2
月に評価の改訂版 を公開した(以降,この長期評価を第二版評価 6)と記す)。第二版評価では,第一版評価か ら,活動区間が追加され,より多様な地震発生の可能性が示されていた。一方,熊本県の最新の地震被害想定は
2013
年3
月に公開されている17)。この時,想定さ れた地震シナリオの一つが「布田川-日奈久断層帯による地震(M7.9
)」である。この地震 シナリオの設定は第一版評価を参照したものである。地震本部による内陸活断層の長期評 価にて想定した類似の地震シナリオが,現実に発生した初めてのケースであると考える。以上より,熊本地震は,地震シナリオの不確実性が少ない状態で,想定と現実の被害を比較 できる。このことから,地震被害想定の妥当性を確認するとともに,今後の地震被害想定の 在り方についての考察において重要であろう。
そこで,本節では,布田川-日奈久断層帯を対象として,熊本県による事前の被害想定と,
実際の被害を比較し,想定の妥当性を確認する。また,この結果から,今後の地方自治体に おける地震被害想定の在り方について考察する
1.4.2 2016 年熊本地震と被害の概要
(1)
地震の概要熊本地震は,内陸地殻内の浅い領域で発生した地震であり,前震の
28
時間後に,より規 模の大きい本震が誘発されて発生したことが特徴的である。前震は,2016
年4
月14
日21
時25
分に発生した。前震の地震規模はM6.5
(暫定値)であり,地震本部の評価 18)によれ ば,日奈久断層帯(高野-白幡区間)の活動による地震とされている。続いて発生した本震 の地震規模はM7.3
(暫定値)で,地震本部の評価19)では,布田川断層帯(布田川区間)に よる活動と評価している。表1-3
に本震の地震諸言を示す。益城町宮園では,前震,本震と もに震度7
を観測した。また,西原町小森は前震が震度6
弱,本震が震度7
であった。前震 と本震の震央位置は5km
程度しか離れていない。そのため,益城町のように両地震の震源 に極めて近い地域では,それぞれの地震により強震動が発生した地域があった。また,余震 活動が激しく,前震・本震以外にも最大震度6
以上を記録する大きな余震も4
回発生した。なお,地震本部の第二版評価では,地震発生規模および発生確率は表
1-4
のように評価さ れていた。本震が発生したとされる布田川断層帯(布田川区間)の今後30
年以内の地震発 生確率は,ほぼ0~0.9%
で,地震規模は単独で発生する場合M7.0
程度とされており,熊本地 震本震の方が,地震規模が大きい。また,前震の震源とみられる日奈久断層帯(高野-白幡 区間)の地震発生確率は不明で,単独で発生する場合の地震規模はM6.8
程度とされていて おり,実際の地震規模の方が小さかった。本検討では,被害想定と実地震との比較を,本震を対象に進める。
17
序論
表 1-3 熊本地震の諸元(本震)
前震 地震発生日時 2016年4月14日21時26分
地震規模 Mj6.5 震源深さ 11km
震源位置 北緯32度44.5分,東経130度48.5分
主な観測震度
震度7:益城町宮園(6.6)
震度6弱:熊本東区佐土原(5.9), 熊本西区春日(5.9), 宇城市不知火町(5.7), 西原村 小森(5.7), 宇城市松橋町(5.7), 熊本南区城南町(5.6), 玉名市天水町(5.5), 宇城市 小川町(5.5), 宇城市豊野町(5.5), 熊本南区富合町(5.5)
本震 地震発生日時 2016年4月16日1時25分
地震規模 Mj7.3 震源深さ 12km
震源位置 北緯32度45.2分,東経130度45.7分
主な観測震度
震度7:益城町宮園(6.7),西原村小森(6.6)
震度6強:菊池市旭志(6.4), 南阿蘇村河陽(6.2), 宇土市浦田町(6.2), 嘉島町上島(6.2), 合志市竹迫(6.2), 宇城市豊野町(6.1), 大津町大津(6.1), 宇城市松橋町(6.0), 宇城市 小川町(6.0), 熊本中央区大江(6.0), 熊本東区佐土原(6.0), 熊本西区春日(6.0), 震度6弱:南阿蘇村中松(5.9), 熊本美里町馬場(5.9), 宇城市不知火町(5.9), 熊本南区 城南町 0(5.9), 熊本南区富合町(5.9), 菊陽町久保田(5.8), 熊本北区植木町(5.8), 阿 蘇市内牧(5.8), 菊池市隈府(5.7), 山都町下馬尾(5.7), 氷川町島地(5.7), 和水町江田 (5.7), 大津町引水(5.7), 南阿蘇村河陰(5.7), 御船町御船(5.7), 玉名市天水町(5.7), 熊 本美里町永富(5.6), 菊池市泗水町(5.6), 合志市御代志(5.6), 玉名市横島町(5.6), 阿 蘇市一の宮町(5.5), 上天草市大矢野町(5.5), 天草市五和町(5.5), 八代市鏡町(5.5) 注:気象庁HP20)より引用。()内の数値は計測震度。
18
第1章
表 1-4 地震本部による布田川-日奈久断層帯の長期評価
断層帯 区間
地震規模(M)
発生確率※1 備考 単独発生時 同時
発生時
布田川 断層帯
布田川 7.0
程度 7.5
~ 7.8 程
度 7.8
~ 8.2 程度
ほぼ
0~0.9% 本震(M7.3)
宇土 7.0
程度 不明
宇土半島 北岸
7.2 程度 以上
不明
日奈久 断層帯
高野-白旗 6.8
程度 7.7
~ 8.0 程 度
不明 前震(M6.5) 日奈久 7.5
程度
ほぼ 0~6%
八代海 7.3 程度
ほぼ 0~16%
※1:今後30年以内の地震発生確率(2016/1/1時点)21)
19
序論
(2)
地震被害の概要熊本地震について,内閣府の報告22)等を参照して人的被害・建物被害の概要を纏める。熊 本県内の被害は,全県合計とほぼ同等であることから,比較対象である熊本県内のみの被害 を記載する。
熊本県内の人的被害は,死者
270
名,重症者1,184
名,軽傷者1,553
名である。また,住 家被害は,全壊8,657
棟,34,491
棟,一部破損155,095
棟となっている。また,地震後の火 災の発生は15
件である。これらの被害は前震,本震のいずれの被害によるものかは明確で はない。4
月16
日の午後より雨が降り始め,土砂災害の危険性があったため,熊本市,八 代市,宇土市等で避難勧告が発令された。そのため,避難所には,4
月17
日の朝の時点が最大で
183,882
名が避難した。その後,2016
年11
月中旬に熊本県内の避難所が設置された。交通は九州自動車道,国道等多くの箇所で損傷し通行止めとなった。電力は,一部の地域で 停電も発生したが,九州電力によれば
4
月20
日には,ほぼ解消した。上下水道は断水し,現時点でも復旧していない。通信は,通信事業者が,不通エリアに移動通信局等を設置する 等の対策を実施し数日で復旧している。都市ガスは,熊本市に供給する西部ガスによれば,
家屋倒壊等により供給が不可能な家屋以外は,
4
月30
日に復旧した。また,震源に近い山間部では,土砂災害が各地で発生した。土砂災害は,道路の損傷や閉 塞,家屋の損傷や埋没等の被害を発生させた。
20
第1章
1.4.3 熊本県の地震被害想定と実被害との比較
(1)
地震シナリオの比較熊本県の地震被害想定(以下,熊本県想定と記す)は,
2011
年に発生した東日本大震災以 降から始まり,二年度に渡って調査が実施され,2013
年3
月に公開された。地震本部の長 期評価および中央防災会議の検討を参照し,地震シナリオとして5
つの内陸活断層と南海 トラフの巨大地震が採用され被害想定が実施されている。5
つのシナリオの内,最も被害の 大きい地震は「布田川-
日奈久断層帯(中部・南西部連動型)」である。これらは,第一版評 価に基づいて震源が設定されていたため,布田川断層帯の布田川区間は認識されているが,第二版評価で追加された宇土区間・宇土半島北岸区間は,考慮されていない。
一方,実施に発生した本震の断層は,余震記録等から,評価されていた布田川区間を北側・
南側に延長されたものと評価されており 18),この南側の断層を評価していた第二版評価の 方がより現実的な評価であったといえる。もし,第二版評価に従えば,熊本市中心部により 断層が近く,強震動の発生が想定される宇土区間との連動による強震動についてより現実 的に評価されていたと考えられる。なお,熊本県想定は,第二版評価と同時期に公開された ため,第二版評価の内容が「参考」として追加されているものの,これらの情報に基づく被 害想定は「今後,実施していく」と記述されている。
また,熊本県想定では,断層の全区間が連動した際の,最大の地震規模を
M7.9
と設定し ていた。被害想定結果が保守的に想定されていることから,これを否定するものではないが,第二版評価では,様々な区間の連動の可能性も指摘されており,短期間において複数の地震 が時間差発生することも可能性の一つとして検討する余地があったのではないかと考える。
地震動は,熊本県想定は,全区間連動の最大規模を
M7.9
とし,複数の震源パラメータを 設定し波形合成法により評価しているため,熊本地震(本震)と比較して全体的により大き い評価となっている。21
序論
表 1-5 地震シナリオの比較
項目 熊本県想定 熊本地震
対象地震 布田川-日奈久断層帯
(中部・南西部連動)
本震:布田川断層帯(布田川区間)
前震:日奈久断層帯
(高野-白幡区間)
地震規模 M7.9 本震:M7.3
前震:M6.5
図 1-1 地震動ハザードの比較 熊本地震(本震)の推計震度分布
(気象庁HP21)より引用)
熊本県想定18)における震度分布 布田川-日奈久断層帯(ケース3)
22
第1章
(2)
効果的な想定項目及び手法の設定熊本県想定における評価項目は,建物被害,人的被害,ライフライン被害,交通・輸送施 設被害,生活支障等,災害廃棄物,その他被害である。項目の詳細を表
1-6
に示す。これら について,地震および津波,または,両者に対して設定されている。今後の復旧・復興を検 討する際の経済的被害が考慮されていないものの,今回の地震被害に対して十分な項目が 設定されていると考える。表
1-7
表1-6
に,主な項目について熊本県想定と本震の被害を比較して示す。本震被害は,内閣府,県,事業者の発表に基づく。また,熊本県想定にて未評価の項目及び,熊本地 震の被害の未集計項目は「-」と記した。なお,季節等の時間に関する条件については最大 のものを示した。
建物被害及び人的被害は,熊本県想定がより大きな地震規模を設定しており,広範囲によ り大きな強震動となる評価になっているため,想定の方がより大きな結果となっている。ま た,ここには記載しないが地域別の内訳についても,想定の方がより大きい。なお,想定に おいては一部破損の評価がなされていない。一部破損の世帯は一時的に避難する場合もあ り,後述の避難者数との乖離につながった可能性もある。
ライフライン被害としては,全体的に過小評価となっている。熊本県想定では,道路交通 被害は,橋梁・高架による被害を実施している。実際の災害では土砂災害により多く道路閉 塞が発生しているので,過小評価となっている可能性がある。また,上水道の想定は,熊本 県想定では人口単位,実被害は世帯単位で比較したが,熊本県の
1
世帯あたりの平均人数が2.4
人程度(2019
年時点)
であることを考えると実被害の方が大きかった可能性がある。また,実被害では復旧に数か月を要した地域もあった。想定では,二日後までの評価しか示されて いないことから,復旧計画とその場合の復旧期間の見積もりなども必要であろう。また,上 水道と同様に他のライフライン項目においても時系列的な評価がなされていない。復旧中 の被災者への対応を計画する観点からも,時系列の評価は必須であろう。
避難者数は,前述の通り,本震後に大雨の危険があり避難勧告が出されたことから,想定 を上回る避難者となった。実際の地震規模が小さかったことも含めると,想定は過小であっ た可能性がある。