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南北問題の学際的研究(最終報告)

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南北問題の学際的研究(最終報告)

著者 勝俣 誠, KATSUMATA Makoto

雑誌名 明治学院大学国際学部付属研究所研究所年報 =

Annual report of the Institute for International Studies

巻 15

ページ 47‑76

発行年 2012‑12‑01

その他のタイトル Trans‑disciplinary analysis on North‑South issues : Final report

URL http://hdl.handle.net/10723/1451

(2)

南北問題の学際的研究

勝 俣 誠

明治学院大学国際学部付属研究所における 2009-2011 年度の共同研究「南北問題の学際的研 究」は経済学者のみならず、政治学、歴史、哲学、倫理学などの他分野の研究者の発表・討論を 通じて現代世界の南北問題の変容と課題を探ることを目的とした。また経済学分野でもケインズ 経済学、レギュラシオン経済学、開発経済学、統計学、国際政治経済学など多様な専門からの考 察・討論が行われた。

共同研究者は以下の通りであった。

共同研究者(2012年3月現在)

勝俣 誠 本大学国際学部教授 コーディネーター 竹内 啓 元本大学国際学部教授

涌井 秀行 本大学国際学部教授 大木 昌 本大学国際学部教授 井上 泰夫 名古屋市立大学教授

中野 佳裕 国際基督教大学社会科学研究所助手・研究員

共同研究者の主たる研究の概要は以下のごとくであった。

-勝俣誠研究代表

ポスト開発期の分析・考察から引き出される経済成長・開発の在り方を様々な学問分野から疑 問視する論考を多様性と共生をキーワードとして研究が実施された。従来南北間で別別にそれぞ れの地域内社会で分析・考察され、かつ論じられてきた格差論を多様性と共生の原理に基づいた 共通の研究課題として設定するための研究・討論が展開した。

さらに地球共生社会展望分析のサーベイ対象として半世紀以上にわたり先進国でも途上国でも 国民の幸福の増大に資すると暗黙に了解され、広く受容されてきた経済成長ないし開発の概念に 関連する基本資料を取り上げ、分析・考察した。例えば 1970 代からローマクラブの「成長の限 界」報告、80 年代の持続可能な開発を打ち出したブルトランド報告、環境と開発の関係を地域 社会運動の参加も踏まえて開催された 90 年代の国連地球サミットのリオ宣言があげられる。さ らにこの知的作業が本格化する2000年代以降も研究対象とした。例えばフランス政府は2009年 にジョゼフ・スティグリッツを座長とした「経済実績と社会進歩の計測に関する委員会」報告を 発表し、新たな国民の幸福度を測る指標の重要さを指摘したが、この報告の批判的考察も不十分 ながら行われた。

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-井上泰夫共同研究者:欧米日、すなわち「北」地域の国内格差がこうした南北間の構造変化に 加えて、2000 年代に入り、各国内において格差問題が顕在化している現状を鑑みてその論点を 日本と欧州に焦点を合わせ整理した。特に国内格差を強めている先進国の長期経済停滞の各国別 マクロ分析に関しては 1970 年代以前の資本主義蓄積体制をフォーディズムとして特徴づけ、

1980 年代以降をポスト・フォーディズムとして位置づけ賃労働の再編成や経済の金融化などに 着目し蓄積体制の危機分析が主として行われた。制度学派経済学のレギュラシオン派に立つ同研 究はポスト開発期とポスト・フォーディズムの関連も初年度の関心領域とした。そこでは、従来 の分配による国民の福祉を重視した福祉国家から市場の原理の適用範囲を広範に可能にする規制 緩和、民営化を推進する国家への国家の変容およびその政治的実践としての緊縮政策も新たな分 析対象として探られた。

-海外研究協力者のママデゥ・ンジャイ(セネガルNGO・Intermondes代表、共著『西アフリカ における政治社会変動』,Enda-GRAF, Sahel, 2005)は西アフリカでの非国家主体による公共基礎 サービス供給活動から引き出された多様な共生原理について「南」からの問題提起をまとめ、南 北間の意味内容の齟齬を検討する作業に参加した。また同じく海外連携研究者マルク・アンベー ル(レンヌ大学教授、共著『コンビビアリズム(共生主義)』,La Decouverte, 2011)は欧州と日 本での有機農業運動の実践から引き出される多様性と共生原理の考察・討論に参加した。

以上の大ワクの問題設定で研究会が行われたが、大きく分けて世界経済の危機の現状分析と分 析を支える基本的概念の検討という2つの群ないしカテゴリーに分類できる。なお、この研究期 間中の2011年3月11日日本では「東日本大災害」が生じた。社会科学者としても見過ごせない 問題が次々とつきつけられている。そこで報告書の最後に、「参考資料」として、内外の研究同 僚が発した「3.11以降の世界」についてのメッセージを掲載した。

1. 現状分析群

1-1 2012年3月22日 明治学院大学 国際学部付属研究所

ユーロ危機の中の賃労働関係

井上泰夫(名古屋市立大学)

2008 年、アメリカ経済発のグローバル金融危機「リーマンショック」は、世界経済の動向に 影響を与えたが、100 年に一度の歴史的危機と言われたショックは、度重なる金融緩和、財政支 出拡大によって 1930 年型大恐慌の再来を事前に防止することができた。だが、このことは今度 は、各国の国内の社会的妥協の産物である財政収支が国際的な金融市場の攻撃を受けるという新 たなショックを引き起こした。2012年3 月現在になって2年余りに及んだユーロ危機は一時的 に消火したことになっているが、市場が政治に対して引導を渡すような力関係が依然として続い ている。

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リーマンショックは経済思想の観点に立つならば、1970 年代以来の新古典派経済思想に対し て歴史的な総括を象徴する出来事であった。この時点で、新古典派経済理論が主張し続けてきた 市場原理の徹底は、プラスだけでなく大きな社会的負の遺産を残すものであることが、30 年以 上に及ぶ金融規制緩和によって明らかになった。そして、リーマンショックへの対応において効 力を発揮したのは、1930 年代の大恐慌の教訓を踏まえて、ここでも政府による大きな介入であ った。大規模金融緩和という麻酔による処方箋は、新古典派思想の対極にあるケインズ的政策で あった。そして、2008 年のショックが覚めやらぬときに、ユーロ危機が起こった。この危機は、

したがって、資本市場による国家への新たな反撃を直接意味している。企業のみならず、国家の 発行する債券が格付け会社の対象になることによって、一国の財政バランスを規律づけるのは、

もはや国民的な妥協ではなくて、市場の動きであることになる。2008 年のグローバル金融危機 の火を鎮火したはずのケインズ的処方箋が今足元をすくわれている。

こうした一連の動きは資本主義の基本的な社会・経済関係である「賃労働関係」に大きな影響 を与えている。ユーロ危機のなかで浮き彫りになったのは、ドイツ経済の堅調であった。だが、

堅調であるにもかかわらず、ドイツ経済は決してドイツモデルになることができない。この 10 年来典型的な輸出主導型成長に特化しているドイツは、最大の輸出市場であるEU市場なしには、

成長のテンポを維持することができない。もし、ドイツ以外のEU諸国も輸出主導型成長にシフ トすると、世界的な需要不足が発生することになる。そして、ドイツの競争力は、製品の品質に おいてであるとはいえ、1990 年代以降の緊縮政策によって、賃金水準が抑制されていることも 知られている。そして、現在ではこうした賃金抑制政策がユーロ危機からの脱出のための有効的 な政策としてEU諸国での導入が推奨されている。

はたして、緊縮的な賃労働関係の浸透は、各国の資本主義にとり良薬であるのか、それとも、

劇薬であるのか。

1-2 2008年12月11日 井上泰夫『世界金融危機と経済学』についての以下のコメントが各参

加者から出された。

 世界システム論的視座(ウォーラステイン)

 資本主義の矛盾(マルクス)

o 資本主義は危機の局面を経て発展するというテーゼ

 現在の危機をどのように把握するか

o ソ連崩壊による自由主義資本主義のグローバル化 o マネー資本主義の浸透

o 海外直接投資による中国の生産力増加により、中国の供給過剰。

o 財・サービスの輸入消費により米国の双子の赤字増大

o マネーに対する信用下落(そもそも信用には基盤が存在しない)

 対処方法

o 貨幣に対する信用を回復すること

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 そもそも金融とは経済活動をスムースにするためにある。今日のマネー資本 主義のように、金融レジーム自体が自己充足的なシステムとなること自体が おかしい。

o 世界規模の金融機関を設立する必要有り。

o 必要労働時間を見直す。

 産業革命以降の生産性の向上で必要労働時間は歴史的にみてかなり短くなっ ているが、現実を見ると、一方で労働集約が起こり過労死する労働者がいて、

他方で大量失業があるという労働市場の二極化が起こっている。

 21世紀は、マルクスが理想としていた生産力に達しているのではないだろう か?

o 中国・インドの資本主義的段階を分析し直す:原始的蓄積に近いのではないか?

 金融レジームの認識論的矛盾:人間の具体的な経験を離れて認識が構成されており、更に 倫理的抑制が不在。

o カントの認識論(『純粋理性批判』)

 普遍的で合理的な認識体系の基礎には必ず認識主体の経験がある。

 認識体系の限界は「物自体」によって規定される(柄谷行人はその著『トラ ンス・クリティーク』で、カントの「物自体」に他者性を見いだし、マルク スの経済学批判へと結びつけようとした。)

o カントの『判断力批判』において論じられているような regulative principle の不在

(複数の諸個人の特殊な趣味判断と普遍的な美的判断を結びつけて調和させるよう な倫理的規範が金融レジームにも必要なのでは?)。

 金融レジームに公共性を持たせる道を探究する必要有り。

 ボワイエの「人間主導的成長」概念に内在する倫理的な含意を更に発展させる必要有り。

経済学の認識論を超えた複合的な視点からの考察が必要。例えば、

o 世代間の責任・正義:ハンス・ヨナス『責任の原理』(1976 年)(Hans Jonas, The Imperative of Responsibility: In Search for an Ethics for the Technical Age, The University of Chicago Press, 1984)

o 経済と生態系の間の倫理:ニコラ・ジョルゲシュ=レーゲンの生物経済学(参照:

玉野井芳郎著『エコノミーとエコロジー』みすず書房、1978年)

o 非市場労働の再評価と、非市場労働に基づく社会の創造:アンドレ・ゴルツの最晩 年の著作が成長のデクレッシェンド論とエコロジーの問題に取り組んでいる(参 照:André Gorz, Ecologica, Paris : Galilée, 2008)。(その他:ゴルツ著『労働のメタモ ルフォーズ』)

 非市場・非貨幣のオルタナティブ経済運動に関して、経済成長の拡大局面と恐慌期のどち ら段階において運動が実質的な効果を上げるかを実証分析する必要がある。恐慌期におい ては、オルタナティブな経済運動を組織できない程に民衆の物質的基盤が疲弊してしまう ということがあるのではないか(特に高度に資本主義化し、多くの財・サービスが商品化

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している社会の場合)? アフリカのインフォーマル経済など、途上国のオルタナティブ に対する金融レジームのインパクトも調査する必要があるだろう。

 金融工学の問題:インターネットを使って瞬時に取引できるシステムの問題をどのように 分析するか。

 二十世紀社会主義の再検討。とくに冷戦終了後の元共産圏国家の社会発展の経路を分析す る必要あり。

 金融レジームの認識論上の矛盾についてはレギュラシオン/コンヴァンション理論におい ては、オルレアン著『金融の権力』(藤原書店、2000 年)、アグリエッタ・オルレアン編

『貨幣主権論』(藤原書店、2012年)などがある。

 農業生産の問題を考察する必要有り

o アフリカ・中南米・ヨーロッパ=農業生産国 o 中国・インドが食料輸入国になりつつある。

 二十世紀社会主義に関して、生産力の問題を分析する必要有り。

 1980 年代初頭に世界で起こった新自由主義の歴史の中で日本をどのように位置づける か? 英国サッチャー政権、米国レーガン政権の下で新自由主義が起こった。その後、日 本の新自由主義は 1980 年代中曽根政権下で起こった。当時、金融資本主義は日本におい ては中心的な話題ではなく、労使関係の衰退が問題とされた。他方で途上国では世界銀 行・IMF 主導による構造調整政策が推進され、先進国・途上国双方で新自由主義が起こ った。

 先進国と途上国の生産体系の違いをもっと意識して分析する必要あり。

o アフリカの特殊性をどのように扱うか。

o 例えばブラジルには工業化の基盤があるが、アフリカには存在しない。

 近代以降、人類社会において生産力が伸びたのに幸福度が変わらない。

o ゴルツはお金を使わない非貨幣労働を提案している。

o ゴルツの読み直しが必要か?

 エコロジーの問題

o 開発論の矛盾点である。

o アフリカが BRICs 並の経済社会規模になると、地球の生態系が持たない。しかし、

アフリカ諸国に経済成長・工業化を行うなというのは問題あり、その点がジレンマ となっている。(例:セルジュ・ラトゥーシュのポスト開発論と、アフリカの経済 学者達の経済成長擁護論との間の軋轢。)

1-3 2009年6月1日(第3回南北問題の学際的研究)

新古典派経済学再考―ラテン・アメリカと日本の「もうひとつの失われた10年」―

佐野 誠(新潟大学)

以下が討論の概略である。

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 今回の佐野報告は、プレビッシュ以来の南米構造派の流れがよくわかる。

 新自由主義への対案に関して、世界的には、制度派経済学の総合化という流れできている。

佐野氏の研究が制度派とどのように絡んでくるのか。

 アルゼンチンと日本の比較に関して。経済学のパラダイムは、極端に新しいものが出てく る可能性は少ない。基本的には規制強化か規制緩和。規制緩和の局面を佐野氏は新自由主 義サイクルと名付けた。資本主義そのものは、そのような循環的な性格をもっているの か?

 経済成長のモーター(機動力)をどこにおいて、どのように政策化していけるのか。異端 派総合の立場からどのように答えられるか。

質問:アルゼンチンと日本の比較に関して、両者を結びつける要素は何か? サッチャー、レー ガン、中曽根などが登場する土台は何か。

回答:サッチャー、レーガン等の登場の背景は、レギュラシオン学派に倣って説明すると、1970 年代までの高度成長の成功の失敗、そして利潤圧縮、オイルショックという問題が起こっ た。資本蓄積が困難になり、新自由主義が起こった。

 アルゼンチンにも、1970 年代前半に先進国以上の利潤圧縮問題があった。1976 年にクー デターが起こる前に、左右双方からテロが起こるほど、経済的状況が悪化した。スタグフ レーションが先進国のように突発的なものではなく、1950 年代より恒常的に続いていた ことが背景にある。このような経済状況において起こったテロを暴力で抑える政策がつづ いた。

質問:1971年の金ドル交換停止によってスタグフレーションが起こったと思う。

 この時期南米諸国に流入した「甘いお金」とはユーロ・マネーのことか?

回答:

 その通り。アルゼンチンやチリが規制緩和をあれほどまでに極端に行っていなかったら、

ユーロ・マネーやオイル・ダラーは実際ほど流入することはなかっただろう。今回の金融 危機は、1980年代から起こった自由化サイクルの崩壊と言える。

コメント:1970 年代まで遡ると、金余り現象があって、資本が世界の新興工業国へ流れ込んで いくという現象が起こった。しかし、1980年代から資本の流入はアジアNEEDsに限定さ れていく。南米諸国の資本蓄積が不可能となる。

 南米の新興工業国の資本蓄積が低下し、アジアの新興工業国の資本蓄積が上昇するという 現象は、外生循環で説明できるだろう。東アジアは外生サイクルによって蓄積に成功した。

世間的には輸出政策によって成功したと言われているが、そのような政策決定論よりはむ しろ社会構造的なものに起因するところが大きいと思う。

 日本とアルゼンチンの間の根本的な相違にも注目する必要がある。それは、官僚機構や生 産力という実体経済の側面。

 まず日本の場合、何よりも重要なことは、1970 年代に高度成長が終わり、その後に自由 化が起こったということだろう。もし高度成長の前に自由化が起こっていたら、日本は文

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字通りアルゼンチン化していたであろう。

 次に、世界システム論の観点から言うと、国際的圧力によって南米が自由化を行ったとい う側面がある。日本の自由化も米国の圧力があった。

 最後に、日本における新自由主義の対案として何を目標にすべきか? これ以上経済成長 を目標とする必要はないだろう。むしろ将来の不安や生活を安定化することが大事なので はないだろうか? 経済成長や新自由主義を批判する人々は環境主義の立場から議論する が、「経済」としての対案を出していない点が問題である。

 ポスト新自由主義を目指す際の日本の目標として、

1. 成長は目標ではないことは確かである。

2. 中長期で見たとき、物を作り出さないようにする経済モデルが必要。

3. 日本版ニューディールを行い、よりまっとうな経済を作る必要がある。

 ラテンアメリカの人々にとっては所得を上げることが主要目標になるが、日本には別の目 標が必要。そうすると、目指すべきは北欧的な定常型社会モデルだろう。

 もうひとつ、人口問題を考慮しないとならない。少子化は問題である。なぜなら持続可能 性がない社会になるからだ。人口が少なくなるのは構わないかもしれないが、子供が生ま れなくなるというのは問題。出生率をどのようにして回復するのか?

 一つには、現在新評論の別の著者が取り組んでいる「安心社会」というコンセプトがある。

 もう一つは、南から学ぶという戦略が必要だと思う。

質問:メルコスルのような南米の地域経済統合から学ぶことはあるのか?

回答:地域経済統合を行うには、アルゼンチンとブラジルのように、ある程度経済条件が似通っ ている者同士が行う必要がある。

コメント:EU の場合、西ヨーロッパ内の統合はよかったが、東ヨーロッパが参入すると新自由 主義が強くなる。そして格差社会が強まる。

 EU 地域統合すると労働力の移動が激しくなり、労働者の間に格差が広がる。例えばイギ リスが典型例だ。

 ポスト新自由主義社会の日本のビジョンはどのようなものか。

 また、大学でどのように経済学を教える必要があるか。

 アフリカと南米に関して、

1. 類似点としては(1)経済のインフォーマル化が起こっていること。(2)開発国家をど のように再生するか、という問題。

2. 相違点としては、産業を見た場合、アフリカでは中抜き現象が起こっている。消費財産 業が無くなり、第一次産業部門とサービス業のみが残っている。そして中国などの新興 国が真ん中の消費財産業を担っている。

3. 戦後のアフリカ政治を見たとき、構造調整に並行して、アフリカでは 1978 年に、オル タナティブをもとめるラゴス・プランが提唱された。ところがその後 1981 年に、世銀 の立場を正当化するバーグ・プランが提案された。ラゴス・プランがなぜ潰されたのか、

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調べる必要がある。

4. 南米との相違点は製造業の問題。

5. 地域統合に関しては、アフリカは50カ国以上存在するので統合の条件が異なる。

質問:アルゼンチンの場合、蓄積はどのように達成されたのか? 開発様式はどのようなもの か?

回答:

1. 主要製造業の自動車産業は現地系資本であった。

2. 多国籍企業と新自由主義が、現地系企業と資本蓄積技術を破壊した(1980年代)。 3. その後、産業構造が壊れたままで経済が運営される。

4. 1990 年代に入りメルコスルの影響で自動車産業が少し回復するが、新自由主義のマネ

タリー・ポリシーが基本なので、経済の決定的な回復にはいたらない。重化学工業は育 たない。鉄鋼業なども民営化され、外資に買われる。

5. アフリカの産業構造はペルーのそれに類似している。

6. 開発主義をどのように復興するかということに関して、オドンネルという政治学者は、

官僚的権威主義体制の下でこそ新自由主義が成立したと指摘している。しかし代議制民 主主義そのものが純粋ではないので、新しい開発を代議制民主主義(オドンネルによれ ば「委任型民主主義」)に依存してよいのかどうか、という問題がある。

 これまでの討論の内容をいくつか踏まえつつ、新古典派経済モデルに変わる認識体系と経 済政策をどのように考えていけばよいのか、自分なりに考えて見ると、やはりエコロジー の問題について考えざるを得ない。この点に関して、社会思想の観点から迂回しながら本 質に迫ってみたい。

 まず、今日のエコロジー社会思想の中でも、オルタナティブな社会について重要な示唆を 行っている思想として、1)セルジュ・ラトゥーシュの脱成長論、2)マレイ・ブクチンの エコ自治体連合論、3)宮本憲一の維持可能な社会/地方自治論がある。これら 3 人は、

「もし生態系に配慮した社会をつくならば地方分権は必然的に必要である」ということ、

そして「国家社会の中に経済成長をともなわない複数の自律社会を構築しながら、各地域 社会で生産の自主管理が行われるべきである」ということに、見解が一致している。

 このようなエコロジー地域社会モデルと、近代の経済理論は、認識論上相矛盾するもので ある。なぜならそもそも近代経済理論は経済成長を行うことを前提としており、また、国 家社会の経済成長は必然的にある特定の地域に「成長の軸」を作ることを想定している。

経済学とは、経済成長を達成するための認識体系である。この経済学の体系によってエコ ロジー地域社会モデルをそもそも認識することは不可能である。

 では、どうすればよいか。ここに佐野氏が指摘した「漸次的に物を作らないですむ社会に する」という提案が関わってくる。物を作らない社会、生産を縮小する社会、という展望 は、経済学の分野ではニコラス・ジョージェスク=レーゲンによって提案された。彼の生 物経済学はエントロピー法則に基づいて、経済の均衡点は上昇するのではなく、漸次的に

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縮退すると述べた。したがって、ジョージェスク=レーゲンにとってはゼロ成長や定常型 経済は不充分であり、経済は究極的には「縮退」「収縮」しなければならない。このジョ ージェスク=レーゲンの理論におそらく欠けているのは、この経済(成長)の縮退がある 特定の成長の軸においておこるか、それとも複数の次元において起こるか、ということで ある。もし一極集中型の近代国民経済からエコロジカルな分権型地域社会へ移行するなら ば、この縮退は複数の次元で起こるはずである。認識論の問題として、これを経済学はど のようにモデル化できるだろうか?

 最後に、経済政策に関して。経済学が経済政策の理論として使用されるとき、どうしても 経済的な世界観を政府が民衆に一方的に押しつけてしまう。しかし、エコロジカルな地域 社会を実現するには、民衆の参加と地方分権を必要としており、したがって政策と社会認 識の決定方法が双方向的かつ複合的になってしかるべきである。このような政策方式と社 会認識をどのように行えばよいか。一つには、政策を実行する次元がどこにあるのか(国 家レベルか、地方自治体レベルか)という点が重要問題となるだろう。

1-4 2012年3月22日

南地域の開発展望:西アジアの資本主義的発展

モハマド・ナギサデ(農業経済学、本学名誉教授、テヘラン大学日本研究科長)

今、私の経済学からの関心は西アジア資本主義的な開発の軌跡を検討して、現在世界経済を席 捲している金融資本主義との関係を明らかにしてみることである。そこから「南」にとっての開 発の在り方が見えてくるだろう。

まず強調しなければいけないのは西アジアといっても実に多様化されていることだ。政治、経 済、風土、文化的背景はそれぞれ異なり一言では括れない。ただこの地域は「中東」などと呼ぶ べきでなく、「西アジア」とするのは正しい。

私の国イランも西アジアの一国だがそのGDPの8割は石油収入に依存していて、他の西アジ アの産油国(75-80%の石油依存率)と共通点を持っている。この点から、モノを生産し内外の 市場を開拓してその果実を国民間で配分するという産業資本主義と異なる。近代史からすればこ の石油依存型経済は、産業革命のような発展の段階を経たような資本主義ではないと言える。北 アフリカでは産油国のアルジェリアに近い経済体制だ。

また西アジアには農業がある国とない国が存在する。トルコとイランは農業部門が大きく、

GDPは1割~1割5分占めている。また農業労働雇用機会は2割ぐらいだ。これにたいしてサウ ジアラビア、クウェート、オマーンには明確な農業部門が存在しない。サウジアラビアは国家の 威信をかけて小麦を生産しているが、生産コストは1000ドルで販売価格は200ドルだ。

イランは果物の王国といっても過言でもなく、気候も多様化しており、バナナ、オレンジ、野 菜、ナッツ類、小麦など多様な農産物が市場化されている。

イランの農業経済の特質を見るため農地の所有の形態を見てみよう。

先ず第1段階は1960年代で白い革命(バーレビ国王)とも呼べる。地主から土地を買い上げ

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て小農に分配する農地改革を行った。次の第2段階は保守的な時代になり、改革にブレーキがか かった。しかし結果的には自作的な農家が増えている。このことはイスラム社会では私的な土地 の権利が尊重され、イランでは特に強いと考えられる。この点日本も似ているのではないか。例 えば成田の三里塚の農民の戦いのように、飛行場の建設に一農家でも土地を売らなかったために、

建設がストップしてきた。

このように西アジア資本主義的開発は多様化されている。石油依存型の開発もあり、商業資本 主義的な資本主義もあるが、少なくともモノづくり的資本主義ではないことはたしかである。商 業資本主義的な資本主義、産業革命以前型資本主義と言っても良いかもしれない。そこではバザ ール(伝統的市場経済)資本が強く、政治の影響力も強い。パーレビ国王を倒したのはバザール の商業資本が倒したという説もあるぐらいだ。

さて、金融資本主義は西アジアにおいてもグローバル化の中で恐ろしい力を持ち始めている。

実体経済で世界で動いているお金は50兆ドルとも推定されている。金融経済はその5~6倍の お金が動いているとされる。すなわち実体経済が金融経済によって支配されている経済が生まれ ているということだ。この点すでにレーニンは、最後の資本主義は金融資本主義に至るとしてい た。第二次世界大戦後の米国では、軍需産業は軍部と結びつき、ミリタリー・インダストリー・

コンプレックスという表現が1960年代にうまれた。

1980 年代に入って金融の自由化が推進され、世界全体が経済自由化に向かうべきとするワシ ントンおよびそこに本部を置く IMF 発のいわゆるワシントン・コンセンサスが時代を風靡する。

そして 1980 年代末の東アジア通貨危機以降は、ウォールストリート、格付け会社が世界の金融 市場を異常に拡大し、各国経済の動向および南北問題においても大きな影響を与えてきている。

本来、金融というのは血液の流れをよくするためにあり、実体経済のために存在していたもの

(Currency Equity)。しかし現在においては、金融経済は実体経済を抜きにして一人走りしてい

る。

実際、金融経済拡大には2段階あった。第1段階は預金者が銀行に預金して、銀行が企業に貸 しつけて、融資された企業がその借入金を実体経済のために使うという段階である。

この企業金融は今や株式による企業金融システムに移行している。企業自身が中心となって株 式を発行したり、様々な証券を使って市場からお金を集めることが出来るようになった。この段 階になると銀行の役割がなくなる。私企業が何もかも行えるようになる。この背後には、私企業 に有利になるような従来の規制の緩和の流れが存在している。こうした中でワシントン発の IMF・世界銀行による構造調整融資(SAP、Structural Adjustment Loan)が南に押し付けられてき た。

次に格付け会社(S&P・ムーディーズなど)を見てみよう。大手格付け会社は世界で 7 つし かなく、それを認めるのが米国のSEC(Security Exchange Commission)である。これらの大企業 は高い手数料をもらいつつ、各国の経済を格付ける。例えばアメリカはトリプル A となり、国 債が破綻したギリシャはDに没落した。その影響力が非常に大きくなっている。

さて1段階の金融システムから2段階の金融システムに移行するには高度な数学が必要となっ

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てくる。リスクを最小限におさえ、リターンを最大限にする高度な数式を生み出した学者として 以下の人物がいる。

・ハリー・マルコビッチ(資本価格モデルなるものを作成)

・マイロン・ショールズ

・ロバート・コックス・マートン →ノーベル経済学賞

1970年代までNASAで働いていたが、1970年代にアポロ宇宙政策が廃止され、その後ウォ ールストリートで研究を行った。

彼らは数式を元に、様々な融資を証券化する市場の登場に貢献した。その結果リスクの中身の わからない証券が市場で横行するようになり、2008 年のサブプライム問題にいきつく。サブプ ライムのようなリスクの高い融資を再び証券化し、外部からはすぐにこれらの金融商品の信頼度 がわからない状況が生まれていた。本来は銀行が安定的な成長を保証できる、じっくり、堅実型 経済が望ましい。

しかし実際は金融資本主義化で乱高下する急激な変化傾向を内蔵した経済システムが生まれ、

いわばギャンブリング社会ないし武者小路先生がかつて指摘されたカジノ・キャピタリズムとな っている。そこには倫理的な側面が決定的に欠けてきている。たとえばベルナール・マドフは 30年間にわたりSECの理事に就任していたが、ヘッジファンドや銀行向けマーケットメーカー

(値付け業者)として証券投資会社を運営していた 2008 年 500 億ドル詐欺で米連邦捜査局

(FBI)に逮捕された。

また通貨の動きも大切である。特にドルの影響力は未だ絶大で、基軸通貨として軍事・経済・

文化を支配しており、恐るべき存在だ。世界貿易においてドルが通貨として 6~8 割使われてい る。IMF もドルを守る役割をはたしている。世界の経済問題を米国が発行できる「ドル」をも って解決しようとしている。

しかし、アジア圏等2国間における通貨融通協定のように分散型基軸通貨の時代が徐々に始ま ってきている。

まとめ

こうした状況で南北問題としてどのように考えるべきか?

先ず言えることは金融システムのグローバリゼーションによって「南」の第3世界諸国が縛ら れてきていることだ。途上国は「北」の世界銀行や他の金融機関からの借り入れでダム、道路、

学校などのインフラを整備するようになっている。いまや「南」の経済の将来はその金融的な側 面の分析なしに考えることができないのではないか。

さらにヨーロッパの「南」が債務危機に見舞われている。ギリシャの国家破綻はユーロの抱え る域内の矛盾を露呈した。この国では50歳を定年としてそのあと遊べる制度を作ったが、70歳 までも働いている加盟国もある。またスペイン経済も危機に見舞われており、25%の失業を抱え てて国内に南北問題をかかえている。こうした状況に対して債務救済で決定的地位にある大債権 国ドイツは、他のヨーロッパの国をドイツ並みの「強い経済」にしたいと思っているが容易では

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ない。グローバリゼーション化された金融をどう各国の経済のニーズに合わせていくが問われて いる。

2. 分析概念検討群

2-1 2009年4月24日(第2回南北問題の学際的研究)

トマス・アクイナスの経済思想─政治社会的共通善実現の道具として─

報告者:桑原光一郎(上智大学大学院哲学研究科博士後期課程)

1. 研究の動機

学部時代:企業倫理に関心があったが、企業倫理学において扱われる倫理学は主としてカントの 道徳哲学(定言命法:categorical imperative)であった。カントの道徳哲学のもつ抽象的・形式的 普遍主義に疑問を持った。開発途上国に固有の文化に応じた多様な善の在り方があるのではない かと思う。その後、トマス・アクイナスの共通善思想と出会う。アクイナスは、民衆の生活に固 有のハヴィトゥスを重視しながらも、個々人、そして共同体の間で追求しうる共通善があること を主張。そこに、カントの形式的普遍主義に替わる倫理学の可能性を見出した。

2. 討 論

質問:研究の基本的アプローチについて。学説史的な方法論が欠如。

回答:哲学研究は、学説史にみられるような二次文献の吟味よりも、自分独自の考え方・解釈で 問題となる思想書を分析していくことが重要。

質問:アクイナスは労働をどのように考えていたか?

回答:労働は価格に反映されているとアクイナスは考えていた。

アクイナス研究者のTweneyは、アクイナス思想を労働価値説の潮流に位置づける。

質問:マルクスは『資本論』においてアリストテレスを引用し、アリストテレス思想に労働価値 説(価値実態)を見出していたが、アクイナスに関してはどうであるか?

回答:アクイナスが価値実態の問題に触れているとすれば、アクイナスとアリストテレスの間に 違いがある。

アクイナスは、アリストテレス思想における奴隷の問題について、奴隷自体よりも、生産 品(造られたもの=fatio/factum)に着目することが重要であると考えていた。この場合に おける生産品は有形・無形の両方を含んでおり、例えば無形のものとしては修道院の楽士 の歌が例として挙げられる。しかしアクイナス思想の全体としては、物財を中心に議論が 展開している。

質問:なぜマルクスはアクイナスを無視したのか?

回答:Tweney によれば「マルクスは最後のスコラ哲学者」である、とされる。マルクスはアク

イナスとかなり近似している部分がある。例えばフランスの現象学者ミシェル・アンリは

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その著『マルクス』の中で、両者の近似性について議論しており、とくにマルクスの疎外 概念がアクイナスのalienationに通じていると指摘している。

質問:ヘーゲルとアクイナスとの関係は?

回答:わからないが、ヘーゲルと同時期のドイツ観念哲学の潮流では、フィヒテがアクイナスか ら影響を受けている。フィヒテを通じて間接的にヘーゲルがアクイナスの影響を受けてい る可能性はあるのかもしれない。ただし、ヘーゲルに関しては、後期スコラ哲学から派生 したドイツ神秘主義、とくにマイスター・エックハルトの影響が強い。

質問:アクイナスが所得再分配・弱者救済・制度に着目していることは、現代における格差社会 の是正策に何らかの示唆を与える可能性があるだろう。ところで中世から市場経済が出て くるとされるが、(1)資本主義と市場の関係はどのようなものか? 市場と資本主義を媒 介するものが何かあるのか? (2)ポランニーのように、現代経済学では「社会」と「市 場経済」を区別する必要があるが、桑原氏の概念装置では両者の区別はどのようになされ ているのか。(3)新自由主義に対する対抗価値として、アクイナス思想はどのような貢献 があるのか?

回答:(1)と(3)に関して、資本主義の勃興期(11世紀~12世紀)の問題として捉えるか、資 本主義全体の問題として捉えるか、という二つの方法論がある。アクイナスの生きた時代 は資本主義の勃興期であるが、現代のように金融資本主義は存在していなかった。その点 からいえば、現代的意義が未だ見えにくい。(2)に関して、アクイナスの市場経済論は、

『神学大全』においては正義論と所有論の中に部分的に登場しているだけである。アクイ ナスの最大関心は衣食を足らしめることであり、これが彼にとっての「経済」に他ならな かった。(3)に関して、例えば現代の新自由主義を支える経済理論として新古典派経済学 がある。その基となった理論としてワルラスの一般均衡論がある。他方でワルラスは一般 均衡論とは別に社会経済と慈善(チャリティ)に関する文献も執筆しており、ワルラスの 本来目指した一般均衡という考え方が、今日の数理経済モデルが想定する一般均衡とは実 は異なっていたのではないかということが考えられる。ワルラスがアクイナスを読んでい たかどうかは定かではないが、アクイナス的な公正価格を目指す一般均衡論をワルラスに まで遡って議論していくことができるのかもしれない。

質問:アクイナスにおける「利潤」そして「蓄積」概念は?

回答:利潤は、共同体や人々に使用される手段である限りは善しとされた(utilitas としての利 潤)。蓄積に関しては、アクイナスは協同組合のような長期的な資金を必要とする活動に 関しては、利潤の蓄積は認められると考えていた。

質問:桑原氏の理論体系のなかで「市場」や「利潤」はどのように定義されるのか?

回答:「市場」=交換の場、「利潤」=AからBへ移転しても変わらないもの。

資本主義的な「市場」や「利潤」に関しては考えていない。アクイナスの思想体系におい ては資本主義は未だ考えられていない。

(15)

質問:negotiation を「商業」と解釈しているが、neg-otium(暇を否定する)ということなので、

商業の発達と関係しているのか? スピノザの『エチカ』ではcommerce(交流)という言 葉が使われているが、negotiatioとcommerceの関係はどのようなものか?

回答:ヨーロッパで商業が問題となるのは12世紀から13世紀にかけて。この時期に人口が4倍 くらい増加し、食糧等の生存のための物財を入手することが問題となる。物をとってくる と同時に、余っている物を与えることが重要課題となる。この時期、地中海交易が発展し、

イタリアのトレドからベルギーの都市まで交易網が形成された。

また、manui-agere(手で行う)という言葉が出てくる。「暇過ぎる」のはよくないことな ので、働く必要がある。この場合の「暇」とは、otium である。他方でサバティカルのよ うに将来のために何かを蓄積するための暇は善しとされた。

質問:神学者がこのような経済的問題を述べる理由は個人的なものか、それとも社会的要請か?

回答:当時の思想背景としては、アウグスティヌスの商業論を土台として経済的な議論をすすめ ることが一般的であった。一般信者の生活に商業が浸透してきていて、信者が商業を営む ことの是非に関して応答する必要があった。アクイナスは危険思想家として排除されてい た。当時は、フランシスカンの農村に価値を置く思想が重視されていた。その後、16 世 紀初頭にイエズス会が設立され、商業と利子を認めるようになった。利子を容認する際に、

アクイナス思想が濫用された。結果、経済機会が拡大され、投資が許され、大航海時代が 幕を開けた。

コメント:現代思想の潮流に桑原氏のアクイナス研究を位置づけると、イタリアの思想家ジョル ジオ・アガンベンの最新作Il Regno e la gloria(2007)との関連が見出される。同著にお いてアガンベンは、古代ギリシャのオイコノミア概念が、中世ラテン語のディスペンサチ オに翻訳され、家計の統治から神による地上の統治という神学的な概念に発展し、このよ うな政治神学的な経済概念(神の摂理)が世俗化することで、近代資本主義社会勃興の思 想的素地を造ったと主張している。これは、1970 年代後半のミシェル・フーコーの「生

=政治」概念にも通じるものである。フーコーは「統治性」「生権力」という概念を用い て、近代社会において資本主義の発展とともに人口管理の技術が生まれ、社会の全体化が 行われたと議論している。その際にフーコーが統治の論理の主要概念として挙げたのが

dispositifという概念である。

質問1 :アリストテレスが「人間は政治的動物である」と定義したのに対して、トマス・アクイ ナスは「人間は社会的動物である」と定義した。ここで「政治共同体(ポリス)」と「社 会(ソキエタス)」との関係が問題となる。政治共同体とは人々の集合アイデンティティ が表象されることによって形成される共存の空間であり、communitas/universitas という全 体性の構築を前提とする。例えば現代政治理論(例:ハンナ・アーレント、コルネリュウ ス・カストリアディス、エルネスト・ラクラウ、J=L・ナンシー)は、社会(ソキエタ ス)と呼ばれるものは政治共同体から独立して存在するのではなく、政治共同体が形成さ

(16)

れることによって初めてその内部の集合関係として成立するものである、と考えられる。

つまり、「社会」と呼ばれるものは政治共同体に含まれるものである。これに対して、ア クイナスは「社会(ソキエタス)」を政治共同体の内部に所属するものと考えていたのか、

それとも政治共同体という全体性に対して異質で自律した空間と考えていたのか?

質問2 :アクイナスの共通善思想を近代社会において考察していく際に或る問題にぶつかる。例

えばフランスの政治哲学者クロード・ルフォールが言うように、近代社会はそれまでの神 学的世界や絶対王政といった制度化されたヒエラルキー的な世界観が一度崩れて、存在論 的な確実性が「空虚化(le vide)」する中、民衆の手によって新しい社会秩序を構築する という過程を経て形成された。つまり、近代(民主主義)社会は、存在論的な空虚性の上 に存立するものである。この近代社会の存在論的不確実性の上で政治理論を考えるポスト モダン政治理論家たち(エルネスト・ラクラウ、ジャック・ランシエール、スラヴォイ・

ジジェクなど)は先験的な倫理や規範を想定するのではなく、あくまで先験的な倫理や合 目的的価値が不在の状況の中で倫理というものを考えている。トマス・アクイナスのよう に神学的な存在論を想定し、先験的な共通善という概念を想定する思想を、このような近 代社会の根本条件(=存在論的不確実性)の中でどのように考えていけばよいのか?

回答:質問1について、アガンベンはアクイナスを意識している部分がある。イタリアの哲学者 にとってダンテとアクイナスを踏まえて議論するのは定石であるから。フーコーについて

は、彼の dispositif が直接アクイナス思想に由来するものかはわからないが、フーコー自

身はアクイナスを読んでいたであろう。

質問2について、アリストテレスの政治共同体概念は「ポリス」であり、これは都市国家 のことである。アクイナスが社会(ソキエタス)概念を導入する間に思想史上の大きな変 化があり、それは主としてストア主義の「コスモス」概念であった。アクイナスにとって ソキエタスはポリス同士の交換も想定するものであり、政治共同体には完全に含まれるこ とのない、外部への開かれた状態を含意するものである。柄谷行人の『トランスクリティ ーク―カント、マルクス』(2006年)におけるマルクスのSozial概念と、レヴィナスの社

会性(socialité)概念が、共に国家の全体性を超越する外部性へ向かう動きを含意してい

ることが指摘できる。さらに例えば近代民主主義の源泉であるとされている中世の思想と して、ウィリアム・オッカムの唯名論(nominalism)がある。これに従えば、共通善とい う普遍性は先験的な実質として存在せず、個体同士の契約によって達成される、と考えら れる。ところで、アメリカの哲学者マッキンタイアはその著 After Virtue においてトマ ス・アクイナスに依拠しており、共同体主義(communitarianism)を標榜している。「人間 個々人の中で何らかの形で善が分かっているので、共通善を求めることができる」という 考え方である。ただしこのような共同体主義的な考え方に対して、「善の概念が通約可能 なのは、米国のエリート知識人のように同質の知識と習慣を共有している人達の間だけで 可能なのだ」という批判もある。

質問:マッキンタイアのように先験的な善の存在を考えて倫理を考察する政治理論と、ラクラウ

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やジジェクのように先験的な善を想定しないで倫理を考察する政治理論は、根本的に対立 するものであるのか?

回答:対立というよりは、むしろどこに主眼を置くかによってアプローチが変わるといえるだろ う。

2-2 2009年7月16日

資本主義(市場社会)はいずこへ

報告者:平井俊顕(上智大学教授)

1:現状分析

1990年代以降の米国のバブル経済は2段階あった。

 ITバブル、ドット・コム・ブーム(1995年頃から)

2000年頃、IT企業の不正経理問題が露呈し、2001年9月11日同時多発テロで米経済が 減速した。その結果 FRB が金融緩和政策を行った。そうした中で金融界は住宅ローン市 場に注目したが結果的にサブプライム・ローンによる第二のバブルへと繋がっていった。

 住宅バブル(2006年がピーク)

2007年にサブプライム危機が生じ2008年リーマン・ショックとなった。

米国の経済政策原理は元来金融政策中心であった。それが、オバマ政権樹立後、「グリーン・

ニュー・ディール」の名の下で財政政策へと方向転換している。これは、米国(経済)史的には 画期的なことである。

先述の金融バブル時代は、FRB の外に巨大金融機関が設置されていた。オバマ大統領は、こ の巨大金融機関をFRBの監督下に置こうとしている。

今後の動向としては

 2009 年 6 月の時点で米国の金融市場は安定化したという報告があるが、その他の経済フ ァクターは依然として弱い。米国経済は失業率などの面で今後さらに悪化する傾向(最新 の失業率は9.6%)。

 中国経済は、大規模公共投資が功を奏して上向きである。

 EU は多国間統合体である故の独自の問題がある。まず、財政赤字 1%以下を共通目標に しているために、大胆な財政拠出政策がとりにくい。また、金融政策は欧州中央銀行

(ECB)に一任している。各国状況に合わせて政策を行うのは難しい。今後EUの経済状 況は深刻になる。

 日本の場合は、日本独自の問題がある。成熟経済にある上に、族議員の影響で包括的な財 政政策ができない(財政政策の硬直化)。特定の地方の土建屋などにお金が回る仕組みに なっている。

全体的にみると、オバマ政権下で協議されている金融政策法案(=金融機関の監督)が成立す

(18)

るかどうかは非常に重要である。

2:社会哲学の転機 ネオリベラリズムの崩壊

ネオリベラリズムはサッチャー(英)に影響を与え、経済学だけでなく、政治にも影響を与える。

「規制緩和」(deregulation)がテーマとなる。その典型例がロンドンの金融自由化(ビッグ・バン)

ネオリベラリズムの自己矛盾的過失

 不在化現象:証券は元来、市場がそれ自体存在しない。金融工学の産物である。証券市場 が下向きになったとき、市場が不在になる。売ろうと思っても売ることがで きない。

 不透明化現象:ヘッジ・ファンド→オプション取引で取引するとき、届け出義務が無い。

3:経済学の転機(マクロ経済学/政策分野における)

米国経済政策の基礎理論の流れ

1) 1950年代以降:ケインズ派(Keynsian):戦後米国のマクロ経済学派(サミュエルソンなど)

2) 1970 年代以降:マネタリズム:シカゴ学派(フリードマンなど)がリードして、経済理論

分野だけでなく、政策現場においても論争が起こる。

3) 1980 年:ヴォルカー・ショック(FRB 議長)と呼ばれるマネタリズムの採用でデフレ政策

を強行し、失業率が上昇した。

4) 1984~1985 年頃:マネタリズムが有効性を持たなくなる。その理由としては、マネタリズ

ムの定式であるMV=PTにおける、V(貨幣の流通速度)が、仮説とは異なり現実の経済で は安定化していないため。

5) 1980 年「新しい古典派」(New Classical Economics)の台頭(シカゴ学派右派)したが、こ

の派はマネタリズムとは異なる政策をとる。

6) 以後、「新しい古典派」に属する経済学者がノーベル賞を受賞するが、その特徴は教条的な 反ケインズ主義であり、ミクロ的基礎の重視する点にある。

7) 2008年金融危機以後:新ケインズ派(New Keynesian)の登場

 社会保障を認める

 「新しい古典派」と異なり、市場では価格メカニズムが上手く働かないことを前提とする。

 「新しい古典派」が押し出す「ネオリベラリズム」に対して、「ニュー・リベラリズム」

を理念とする。

 思想的には福祉国家主義に近く新ケインズ主義左派(例:スティグリッツ、クルーグマン、

キャサリン・ローマー)にその傾向が見られる。

4:ケインズの今日性

 大不況の対策を打ち出した経済政策理論家(例えば、オバマのケインズ観がこれに相当する)

(19)

 資本主義社会の根底にある不確実性を分析した理論家(この点は、あまり政策論争の中で は取りあげられない)

5:米国社会の今後

モラルの問題が大きい。金融機関や GM の自動車メーカーなどの大企業文化が支配。貧困に 苦しむ大衆を切り捨てて大企業エリートを優遇する社会になっている。モラルの問題を解決する 必要がある。

質問:

 米国金融バブルを支えてきたシャドウ・バンキングシステムは直接金融のパラダイムであ る。一般的には間接金融は古いと言われているが、今回の金融危機の影響でこの論点がど のように変わるだろうか。

 ネオリベラリズム政策の下で増加する非人間的労働に対する対案として、デンマークはフ レックス・セキュリティ政策を行っていると報告されたが、日本では大企業と中小企業の 二重構造が存在するために実行しにくいのではないだろうか。

 EUにおける経済政策実行の難しさについて

 結論において、ネオリベラリズムとは異なる形で市場社会は進行すると報告された。しか し、今日エコロジーなどの制約に直面していることを考えると、現代資本主義を牽引する 金融主導型経済はこれまでのようには展開しなくなるのではないか。

コメント:今回の金融危機を契機に米国ではネオリベラリズムが崩壊し、新ケインズ主義が台頭 してきた。これが経済パラダイムの変化だけでなく、もっと幅広い政治イデオロギーや社 会規範(社会哲学)においてどのような変化を与えるだろうか。例えば、米国における自 由主義の精神(エトス)が、新ケインズ主義の台頭でどのように変化するか、研究して見 ると面白いかもしれない。また、自由主義パラダイムを超えたパラダイムが(米国の外 に)登場する可能性を調べてみてもよいかもしれない。

 米国の新ケインズ主義は、経済政策の理論として政策現場で力をもっているが、フランス の例をみると、ケインズ的な政策を成功させるためには、市民社会の再構築という側面も あるといえるのではないだろうか。例えばフランスでは、スーザン・ジョージらが参加す

る ATTAC という市民組織がある。この市民組織は金融投機を防ぐためにトービン税を導

入したり、エコロジカル・ジャスティスを目指す経済政策を、市民の側から政府に提案し

ている。ATTAC が再評価しようとしている経済学者の一人がケインズであり、同市民組

織は、新自由主義グローバル化の歪みを是正するための強力な国家的イニシアティブを重 視している。このようなケインズ的経済政策や強い福祉国家像が市民社会の側から提案さ れている事実をみると、ケインズ的な福祉国家政策が成立するためには、市民社会と国家 との間で新しい(ルソー的な意味での)「社会契約」が行われることを必要条件とするの ではないだろうか。この点から言えば、今回の米国における新ケインズ主義の台頭を、市 民社会を支える政治哲学の変化とともに検証していくと面白いかもしれない。

(20)

 フランスの事例をみると、2000 年以降、新自由主義グローバル化に代替するパラダイム を提唱する3つの社会運動/社会理論が登場している。1つは前述したATTAC によるケ インズ的福祉国家の再構築。2 つ目は、社会学者ジャン=ルイ・ラヴィルやベルナール・

エムらが提唱する「連帯経済」論。これはカール・ポランニーの経済人類学に基づいてい る。3 つ目は、哲学者セルジュ・ラトゥーシュが提唱するポスト開発/脱成長論。これは、

グローバル化の根底にある資本主義と、近代資本主義の発展と共犯関係にある近代国家の 双方から離脱した自律社会を途上国と先進国の各地域に創造していこうとするもので、

1970 年代に玉野井芳郎氏が提唱した「地域主義」や宮本憲一氏の地方分権論を、政治 学・倫理学の方向へ発展させたものである。フランスではこれら3つのオルタナティブを 求める運動が拮抗しているが、今後米国ではどのようなオルタナティブ・パラダイムが生 まれるだろうか。調べて見ると面白いかもしれない。

質問:マネタリズムはサプライサイド経済学に基づいているが、サプライサイド経済学が今後ど のように変わっていくか。

コメント:

 社会の論理と市場の論理は必ずしも相容れない。

 近代社会の根本価値のひとつである基本的人権を潰してまで市場化を進める点が、ネオリ ベラリズムの問題である。

 「新しい古典派」に代表される「狭義の経済学」に対して、政治経済学は人間社会の基礎 に基づいた学問である必要がある。市場と社会の連関を時系列に見ていく必要がある(=

勝俣アプローチ)。

 現代社会では、労働法市場を含め、全ての物事が市場に変えられてしまう。このような趨 勢において、同時に市場から離脱する運動がある。フランスの脱成長運動がそうであるし、

日本においても若者の間で自給自足の運動が起きたり、自由時間を増加させる動きがある。

そのような脱市場化/脱商品化した社会へのビジョンを平井さんはお持ちだろうか。

回答:

 シャドウバンキング・システムについては、オバマ政権下での FRB による規制措置がど れだけ機能するかを調べていく。

 日本においてフレックス・セキュリティを導入することが難しいのは、一つには、日本で は労働組合の力が弱まっていることがあげられる。しかし、オランダにおけるフレキシビ リティとセキュリティとの間のバランスの取り方から何か学ぶことができるのではないか。

 世界では「成長こそが良いことだ」という神話が蔓延している。しかし、例えば 1972 年 にローマクラブが発表した『成長の限界』がそうであったように、資源危機など、成長神 話への限界も考えられる。今後、成長神話が覆される可能性もあるだろう。

 勝俣先生の質問に関しては、市場社会と異なる形で社会を見る必要があることは賛成。

 ネオリベラリズムがもたらす構造改革という発想は、制度のことなので、元来経済理論に はそぐわないことがある。規制緩和の論理に関しては、社会思想の中で検証していく必要

(21)

がある。

 市場社会という「悪魔のひき臼」(by ポランニー)をどのように制御していくかが、これ からの課題。

2-3 2011年3月2日

偶然と社会科学

報告者:竹内 啓 参加者:勝俣誠、柴田有、涌井秀行、井上泰夫、中野佳裕

『偶然とは何か?』(岩波新書、2010 年)を 2010 年刊行した。どうしてこの本を書いたのか。

国際学部で日本経済論を担当。元々は東京大学の経済学部で統計学を専攻した。数理統計学。最 初はマルクス経済学の鈴木鴻一郎先生のところで勉強した。はじめから近代経済学の市場経済主 義に違和感を持っていた。確率的なモデルを使って経済分析をするので、その背景にある科学の 論理に興味があった。30 年近く前に東京大学教養講座で行った偶然と必然の問題について取り 組んだ。『偶然と必然』(東京大学出版会、1982 年)として出版された。その後、長い間いろい ろ考えたことを『偶然とは何か』として出した。

日本語で「偶然」と「必然」は対になっているが、英語では対になっていない。「偶然」をど う考えるかは、「必然」をどう考えるか、「必然」の否定として現れる。昔、九鬼周造が偶然性に ついて執筆した。ただし、私が書いた本は哲学を論ずることではない。

世の中には本質論というのがある。「彼が悪いことをしたのは、もともと悪い人間だから。良 いことをするのは偶然だ。」という考え方を止めよう、という前提に立つ。つまり本質論を論じ ることを棚上げにする。因果論的必然についてのみ考える。

因果論的必然に考えることの端緒には、近代科学、とくにニュートン力学がある。ニュートン 力学は偶然性を排除する。ニュートン力学における因果論は、神学にみられる目的論とは異なる。

普通の科学的な意味での因果論のみをあつかう。

ラプラスの考え。偶然と確率論。通説によれば、「ラプラスは、人間の知識が限定されている から偶然という概念が出てくる、と述べた」と解釈される。しかし、彼が言っている完璧な知性 とは神様のこと。神様のみが決定論。そして、「確からしさ」を考えるために確率論を導入した。

確率的に扱う現象は、偶然現象のモデルとして扱う。サイコロの例。正しいサイコロを振って いれば、1の目が出てくる確率は1/6である。何回も振っていれば、1/6に近づく。

確率論の論争には、どれが正しい確率概念か、ということを巡って三つくらい論争がある。し かし、私の意見によれば、抽象概念としては「確からしさ」が確率概念の定義。それを現実の現 象に結びつける際に、様々な論が生じる。

客観確率と主観確率の例。保険に入る者の例。家が火事になる確率。家が焼けたらおしまいで、

家が焼けない場合は保険料の支払い損。主観確率はこういう考え方。主観確率が客観確率と同じ になる必要はない。

(22)

20 世紀的な議論では、大数法則が中心。イアン・ハッキングが、「偶然を飼い慣らす」と表現 し行われている。しかし「偶然を飼い慣らす」という考え方だけではない。大数法則だけではな い。学生の頃、「偶然と必然の弁証法」という話があった。同じ偶然が何度も起こると必然にな る、という考え方。私は嘘だと思う。偶然が積み重なると、また新しい偶然が起こる。どんどん 違う方向へ行く。それが、生物の進化について起こると考える。

ニュートン力学は、ある一点から別の一点までの因果法則を理解すると、それ以外のことは起 こらない、という考え方。これでは新しいことは起こらない。100%予定説。ところが、生物に は、新しい生物が生まれるということが起こる。ダーウィンは、生物進化を説明した。ところが 19 世紀の進化論は教会とかなり議論した。進化論は創造説を否定するので、教会と議論になっ た。ところが進化に於ける偶然の役割について、難しい議論がある。偶然を大数的に考えるのな らば、生物の進化は考えられない。

他方で、19 世紀には「進歩」という考えがある。ところがニュートン力学には進歩という考 えがない。「進化」と「進歩」は同じである、という考えが19世紀にあったが、それはダーウィ ンの考えではない。進化は、新しい環境への適合であるので、新しい形態が前の段階よりも退化 することがある。これが進化には退化の可能性も含まれる。この理屈をどう説明するのか?

遺伝子生物学の発展がこの問いに答えるのに役立つ。上の遺伝子は残りの遺伝子をコントロー ルする役割をもっており、それがひとつでも変わると進化が起こる。

「歴史における進歩は必然だ」という考え方は、マルクス主義の教条になっている。マルクス もエンゲルスも、進化と進歩を同一視した点で問題がある。マルクス主義の中には偶然が入って こない。これはマルクス/エンゲルスがダーウィンを誤解したものではないか?

要するに、私の意見は、偶然が起こらなければ新しいものは生まれない。例えば或る人物の個 性は、歴史的必然性とは関係ない。

例えば第一次世界大戦後にロシア革命が起こった。ロシア革命は 20 世紀を規定する大きな革 命であったが、レーニンがいなかったら起こりえなかったろう。レーニンがいなかったボルシェ ヴィズムとインテリ革命主義が結びつくことはなかったろう。マルクスの考え方では、生産力が 発展したあとに共産主義が興るはずだった。しかし、ロシア革命ではそうではなかった。だから、

無理が重なる必然が出てきた。スターリンが登場するなど。だから、今から思えばよくソ連が 70 年も維持されたと思われる。しかし、ロシア革命の最初は、相当偶然的なものであったと考 えられる。人々が「社会主義をつくろう」と意志をもって創ったわけではない。

運、不運は、人間が主体的に対応しなければならない。社会において起こる運、不運は、運が 良かった人が不運を被った人を助ける必要がある。不運の分配が必要。これが福祉政策の根本的 な考え方。自由主義経済政策は、何でも自己責任に帰趨させるところが問題。

偶然を考えることができるのは人間のみ。なぜなら「そうであるかもしれない」ということを 考えられるから、偶然というものが起こる。偶然は想像の世界と関わる。

近代社会に入り、人間が頭数で数えられるからこそ、偶然という考えが出てきた。統計学が出 てきて、大数法則の時代が到来した。大量(mass)という考えが現れることで、統計学による管 理が現れる。その後、大量技術の時代になる。フォーディズムがその典型。このとき問題となる

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