• 検索結果がありません。

『朝鮮独立への隘路 ─在日朝鮮人の解放五年史』

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "『朝鮮独立への隘路 ─在日朝鮮人の解放五年史』"

Copied!
4
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

─111─

 在日韓国・朝鮮人からの様々な要求や問題の提 起に対して、「在日の特権」というレッテルを貼っ て誹謗と中傷を繰り返し、ヘイトスピーチで煽り 立てるグループが登場し、一部の同調者とともに 公然と路上に出没するようになっている。ネット 上で「在日朝鮮人」と検索すると、同じ文言のブ ログやサイトがずらりと並ぶ。無知と偏見をバケ ツリレーのようにコピペで拡散して来た結果であ る。

 「拉致問題」で襟の青いバッジが保守政治家の ファッションとなったことが示すように、「拉致 の刷り込み」が日本社会で広く進み、朝鮮学校を 高校無償化から除外することが「対北朝鮮制裁」

であるかのように喧伝され、地方自治体による補 助金カットの動きも顕在化している。これまでも 北朝鮮でなにかことが起こると朝鮮学校の生徒が ターゲットにされることがあった。ただそれは良 識を欠く一部の愚か者の所業であった。それがい まや朝鮮学校への嫌がらせを「北朝鮮への圧力」

とする風潮も見受けられるようになってしまっ た。しかも、それを伝える報道や首長のコメント の中には、「朝鮮籍」が朝鮮民主主義人民共和国 の国籍ではないこと、また国籍ですらないことを 知らないとしか思えないものも少なくない。

 「拉致の刷り込み」や「韓流」ブームの中で、

朝鮮半島の政治や経済、それに社会や言語・文化 について、一昔前の「わからない」「知らない」

というだけだった日本社会が、それなりの反応を

するようになったのは事実だ。ただ、それは「わ かった気になった」だけ「知っているつもり」と いうのが内実であろう。北朝鮮といえば「拉致と 核開発とミサイル」と反応できるようになっただ けであり、北朝鮮がわかったわけではない。「竹 島」といえば、「あれは日本の領土」と反応する ようになったが、竹島/独島領有に関する歴史上 の史料や事実をどう解釈するか、また国際法の受 容過程と現在の領有権の主張がどのようにリンク しているかといった知識や歴史解釈の深化がその 反応をもたらしたのでないことは明白である。

 在日韓国・朝鮮人─いまは「在日コリアン」と 呼ばれることが多いが、この呼称は90年代半ば以 降に一般化したものである─に関しても同じこと が言える。1945年8月15日の日本の敗戦とともに 大日本帝国の対外侵略は終焉を迎え、その日まで 皇国臣民とされていた朝鮮半島出身の「日本人」

で、いわゆる「内地」に残留せざるを得なくなっ た人々は「在日朝鮮人」と呼ばれることになった。

しかし、それは「臣民」「皇民」から「外国人」

へという法的地位・国籍の単純な変動ではなく、

在日朝鮮人の人々の思い・アイデンティティと、

新たな統治者

GHQ、そのもとで戦後処理を行う

ことになった日本政府の思惑とがぶつかり合う中 での地位・身分の変動であり、それ故に、複雑で 重層的な歴史事象が在日朝鮮人をめぐる「問題

(トラブル)」として扱われることとなった。

 鄭栄桓は、本書で、日本の敗戦直後からの在日 書 評

鄭栄桓著

『朝鮮独立への隘路 ─在日朝鮮人の解放五年史』

(2013 法政大学出版局)

秋 月   望

(明治学院大学)

(2)

鄭栄桓著『朝鮮独立への隘路 ─在日朝鮮人の解放五年史』  

─112─

朝鮮人を取り巻く錯綜した状況を、当時の在日朝 鮮人の新聞資料や日本の公権力の資料、GHQ側 の資料を駆使して描き出している。在日朝鮮人諸 団体の動きと

GHQ

の力を背景に植民地統治下と 同様に朝鮮人を自らの管理下に置き続けようとす る日本政府の施策に焦点をあて、さらには朝鮮半 島における分断統治と1950年の朝鮮戦争開戦にい たる本国の状況も視野に入れつつ、本国の状況と の連動性にも留意して1945年から50年までの5年 間に何が起きたのかを明らかにした労作である。

敗戦直後の日本で遂行された植民地支配の継続・

再編ともいえる朝鮮人への管理体制の新たな構築 過程を立体的・総合的に理解することができる。

この敗戦直後の5年間こそが、今日まで続く在日 朝鮮人を取り巻く状況の出発点であり根源であっ た。同時に、その歴史の複雑さから目をそらし、

植民地朝鮮の解放と在日朝鮮人の様々な動きを単 純化、矮小化した歴史の見方とそれへの無批判な 容認が、今日に至ってもなお差別と偏見を再生産 し、ヘイトスピーチを生み出すことにつながって いるといっても過言ではない。

 本書は9つの章からなっている。第1章から第 5章は、日本の敗戦直後の1945年から47年までを 扱っている。無条件降伏した日本政府は、太平洋 戦争の講話条約が批准されるまでは朝鮮は日本の 主権に属すとする立場をとり、在日朝鮮人につい ても、日本国籍を有するものとして植民地支配下 における「差別された日本人」としての朝鮮人へ の管理を継続しようとした。日本国籍を有すると しつつも、例えば朝鮮戸籍令の適用を受ける朝鮮 人の参政権は停止するなど、日本側の都合だけで 恣意的に権利と義務を解釈して朝鮮人を押さえ込 もうとした。法的な地位の観点からだけでなく、

「戦勝国民と錯覚し」「解放民族として思い上がっ ている」朝鮮人をあくまでも日本人の下に置いて コントロールし続けたいという欲求の表れでもあ ろう。GHQは、朝鮮人は「解放サレタル市民」

ではあるが「連合国民」には含まれないとして、

在日朝鮮人に対する日本警察の取り締まりや司法 権の行使を追認した。すなわち、日本に居住して いた朝鮮人は、「臣民」から離脱して外国人になっ たのではなく、様々な権利を制約され、時として 外国人と見なされる「日本人」として処遇される ことになったのである。その中で、自分たちの権 利と解放と独立を実体化しようとする在日本朝鮮 人連盟(朝連)と、それに強圧的にのぞむ日本の 公権力との軋轢が強まったのである。

 朝鮮の植民地統治のもとで、朝鮮人に対しては 朝鮮と内地の往来について渡航制限や恣意的な送 還という規制が行われていた。植民地支配の終焉=

植民地朝鮮の解放とともに多くの朝鮮人が日本か ら朝鮮に帰還したが、一方で、荷物の持ち帰りが 制限され、また本国の状況の不安定さ、再渡日の 制限などもあって日本に居住せざるを得ない朝鮮 人も少なくなかった。それを日本政府は、日本で の居住を阻止して警察権力をも動員して計画輸送 という名のもとに朝鮮に送還しようと躍起となっ た。また、様々な事情から日本に再渡航してくる 朝鮮人を「密航」として取り締まり、朝鮮人に対 する管理体制の整備を急いだ。鄭栄桓はこれを

「帰還の送還化」と呼んでいる。一つには日本が 戦争で荒廃し「外地」からの引揚者を多数受け入 れることになったため食糧事情が逼迫したことな どもその背景にあったのであろうが、困難な状況 は当時の朝鮮半島も同じであり、あまりに身勝手 な対応と言わざるを得まい。筆者が思うに、日本 自らの侵略の加害を糊塗するために自分たちの視 野の外に追いやってしまおうとしたのではなかろ うか。

 これに対して、朝連などの在日朝鮮人団体は

「居住権の確保」「生活権の擁護」の要求を掲げた 運動を展開した。しかし、日本政府は

GHQ

を後 ろ盾として在日朝鮮人の送還の画策と再渡日の阻 止といういっそう圧力を強める政策をとった。

(3)

  鄭栄桓著『朝鮮独立への隘路 ─在日朝鮮人の解放五年史』

─113─

 その法体系化が1947年の外国人登録令(外登 令)である。外登令では第11条で朝鮮人を「当分 の間これを外国人とみなす」としている。すなわ ち「みなす」ことが示すように、朝鮮人はあくま でも「日本人」であって「外国人」ではないとす るのである。にもかかわらず、「外国人」として の登録義務を課し、罰則も適用されるというもの であった。ちなみに、食糧の配給において外国人 には特例的な配給増量などがあったが、朝鮮人は その対象にはなっていない。この外登法に対し て、朝連・在日本朝鮮居留民団(民団)・朝鮮建 国促進青年同盟(建青)は、きちんとした権利を 有する外国人としての処遇を求める立場からそれ ぞれの組織で対応した。最終的には朝連と内務省 との間の覚書で、登録令で外国人としての一般的 な処遇を保証すること、警察の不介在、無籍者の 取り扱いにおいての条件を取り交わして在日朝鮮 人側は登録に応じることとなった。

 こうした状況の中で、在日朝鮮人、特に朝連で は組織における活動の担い手、後継者の育成も課 題であった。朝連では積極的な民族教育が開始さ れ、朝鮮語や新しい歴史観の学習を行う初等学院 や活動家養成のための高等学院などが開設されて いったのである。

 在日朝鮮人にとっては、日本政府から絶えず加 えられる抑圧と干渉の中でいかに自分たちの権利 を守っていくかという課題と同時に、北緯38度線 で分割統治されていた本国の政治状況や独立問題 にどのように対応していくのかという課題もまた 担わなければならなかった。1945年12月末のモス クワにおける米英ソ外相会談で信託統治が決定さ れ、この信託に賛成する左翼勢力と反対を叫ぶ民 族派右翼勢力の対立が本国で顕著になり、在日朝 鮮人の組織間の対立を深刻化させる契機となっ た。本書では、朝連と早くから密接な関係をもっ ていた日本の左翼系団体や運動体、特に「朝鮮人 部」を設置して朝鮮人党員も多くいた日本共産党

との関係に焦点をあて、在日朝鮮人の日本の政治 状況への関わりについても考察している。

 第6章から第9章は、1948年から50年までが対 象である。38度線以南での国連監視下での選挙を めぐって、単独選挙への反対運動とその弾圧、南 北連席会議の開催、そして大韓民国と朝鮮民主主 義人民共和国の建国から朝鮮戦争前夜までの時期 にあたる。

 早くから民族教育を展開していた朝連は、1947 年11月に独自の教育内容を優先させるため日本政 府の認可無しでの自主的な学校運営を決断した。

ところが翌年、日本の文部省は教育基本法と学校 教育法を根拠に、届け出無しには一切の学校教育 を認めることはできないとして無届けの朝鮮人学 校の閉鎖を命じた。在日朝鮮人の激しい抗議運動 にも関わらず、学校施設の封鎖や多数の在日朝鮮 人の検挙などの弾圧の中で多くの朝鮮人学校が閉 鎖に追い込まれた。さらにはこの過程で、教育闘 争を牽引した朝青と38度線以南での単独選挙を支 持する建青・民団との対立が露骨に顕在化したこ とも、その後の在日朝鮮人運動を考える上での重 要なポイントであるとして具体的に論及されてい る。

 この教育闘争以降、朝連は日本共産党との関係 をいっそう深めた。8月に北緯38度線以南での単 独選挙の結果として大韓民国が建国され、続いて 9月に朝鮮民主主義人民共和国が建国された。朝 連は、自分たちを朝鮮民主主義人民共和国の国民 とし、正当な外国人待遇を日本政府に要求してい たが、日本共産党の朝鮮人党員は共和国の国民と いう立場と日本共産党の党員としての立場の両者 の整合性をどのように考えるかが問題であった。

この点について、本書の第7章で食糧の配給問題

─上述のように、連合国の外国人などには食糧の 特別配給が行われていたが、朝鮮人はその対象外 であった─と参政権の問題の二つについて当時の 議論を整理・考察している。この二つの問題をめ

(4)

鄭栄桓著『朝鮮独立への隘路 ─在日朝鮮人の解放五年史』  

─114─

ぐっては、在日朝鮮人組織の内部でも、日本共産 党からも、外国人としての特別配給の要求と参政 権の要求は矛盾するとの批判が提起されていた。

 こうした変遷を経て、敗戦後の日本での団体活 動を規制するために出されていた勅令を改定する かたちで1949年4月に団体等規正令が制定され、

朝連など在日朝鮮人の4団体に対してその法令を 適用して解散命令が下された。その根拠は条文の

「占領軍に反する行為」「暴力主義的方法の是認・

正当化」にあるとされ、さらに朝連の学校につい ても閉校処分が決定された。

 その後、日本政府は在日朝鮮人個人をより厳格 に管理するため、1947年に制定した外国人登録令 を改定し、切替申請制度を導入し、中央で一元的 な管理を可能とする「外国人登録原票」も導入さ れた。この当時、民団は、在日朝鮮人を大韓民国 国民として国籍を登録させ、韓国の在外国民登録 とも連動させることを要求したが、直接在日朝鮮 人を管理しようとする日本政府は、韓国政府の介 在を望まず、外国人登録に「大韓民国」を記載す ることだけを認めるにとどめた。

 朝鮮半島で朝鮮戦争が勃発するのは1950年6月 25日のことだが、日本の敗戦以来、植民地支配の 終焉と朝鮮の解放の中で日本社会にまっとうな居 場所を構築しようとしてきた在日朝鮮人の様々な 活動を、日本政府は

GHQ

を後ろ盾として抑圧・

弾圧して、植民地支配下とは形式は異なるもの の、朝鮮戦争開戦にいたる南北の分断・対立状況 と世界の冷戦の深化をも巧みに利用しつつ、引き 続き在日朝鮮人を管理する体制を作り上げたので ある。

 本書を一読すると、歴史の展開やそれぞれの組 織の主張や論議などで、構図の理解にやや難解さ を感じる部分がある。それは著者の叙述に起因す るものではなく、在日朝鮮人をめぐる状況と論点 の複雑さによるものである。日本政府の対応は、

主権が停止された中で

GHQ

を後ろ盾としながら

在日朝鮮人に対する優位性を確保して自らのコン トロール下に置こうとするものであった。一方、

日本に残留することになった朝鮮人の側でも、日 本統治下での身の処し方や活動の方向性、それに 解放後の祖国建設の方針、思想性の違いによって 立場の幅がきわめて広かったうえ、日本の侵略か ら解き放たれた朝鮮半島の戦後処理が、アメリカ とソ連によって北緯38度で南北に分割統治される ことになったこともあいまって、主張や議論が上 下左右に揺れ動いた。それが日本敗戦直後からの 在日朝鮮人を取り巻く状況をさらに複雑にしてい くのだが、だからこそ、その複雑さを含めて我々 は知る必要があるのではなかろうか。

 同時に、敗戦国となった日本で、政府のみなら ず革新政党をふくめ、国民の多くが自国の植民地 支配と朝鮮人の心情についていかに無自覚で無理 解だったかを痛感させられる。進歩的知識人とさ れる森戸辰男の例などにも示されているように、

民主的であろうとすること、民主的でリベラルな 態度でのぞむという姿勢だけでは、日本の侵略を 被った他者の心情や要求を汲み取ることができる わけではない。

 日本の敗戦から68年。今でも敗戦直後に民族学 校を廃校に追い込んだ日本の論理に新たな装いを こらして朝鮮学校への干渉と抑圧が続けられ─む しろ強化され─、一時期は新たな展開がみられる かとも思えた外国人の参政権問題についても進展 がみられないまま議論が棚上げされた感がある。

 排外主義の跋扈が目に余る現在、日本社会の構 成員としていまいちど自分たちの社会の敗戦から の「再出発」のなかで、何が起きて何が起きな かったのかを見直すことが必要である。日本社会 の内部の在日朝鮮人のあり方と、日本政府や日本 社会の関与を明らかにしようとした労作である本 書も、その最良のテキストの一つとなろう。

参照

関連したドキュメント

  もう一つ、韓国の社会科学に大きな衝撃を与えた出版物が1981年にアメリカで現れ

にする。 前掲の資料からも窺えるように、農民は白巾(白い鉢巻)をしめ、

強者と弱者として階級化されるジェンダーと民族問題について論じた。明治20年代の日本はアジア

It turned out that there was little need for writing in Japanese, and writing as They-code (Gumpers 1982 ) other than those who work in Japanese language was not verified.

北朝鮮は、 2016 年以降だけでも 50 回を超える頻度で弾道ミサイルの発射を実施し、 2017 年には IRBM 級(火星 12 型) 、ICBM 級(火星 14・15

変容過程と変化の要因を分析すべく、二つの事例を取り上げた。クリントン政 権時代 (1993年~2001年) と、W・ブッシュ政権

「欲求とはけっしてある特定のモノへの欲求で はなくて、差異への欲求(社会的な意味への 欲望)であることを認めるなら、完全な満足な どというものは存在しない

フランス語 ドイツ語 中国語 朝鮮語 スペイン語 ロシア語 イタリア語 ポルトガル語 アラビア語 インドネシア語