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モ ダ ニ ズ ム が 夢 見 たユ ー トピア: ドイ ツ 田園 都 市 建 設 の 歴 史(3)

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ヱ79

モ ダ ニ ズ ム が 夢 見 たユ ー トピア:

ドイ ツ 田園 都 市 建 設 の 歴 史(3)

‑E・ ハ ワ ー ドに 先 ん じた ド イ ツ の 田 園 都 市 構 想 一

島 美由紀

1.ド イ ツ 独 自 の 田 園 都 市 構 想

人 が 夢 見 る理 想 郷 の か た ち は有 史 以 来 数 限 りな くあ るだ ろ う し,ユ ー トピ ア に 関 す る言 述 も これ まで 無 数 に な され て きた 。 ユ ー トピア を現 実 と は縁 の な い無 用 の お伽 噺 と捉 え る声 に対 し,ユ ー トピア 像 の必 要 性 を説 く言 説 も多 い。 プ ラ トン は 『 国 家 』 の 中 で,自 分 が 思 い描 くよ うな 国 家 は 「そ れ を見 よ う と望 む 者,そ し て そ れ を見 なが ら 自分 自身 の 内 に 国家 を建 設 し よ う と望 む 者 の た め に」 は 「お そ ら く理 想 的 な範 型 と して,天 上 に 捧 げ られ て存 在 す る だ ろ う」と説 い た し1,「他 の時 代 に もユ ー トピ ア ンた ちが い な か った ら,人 間 は裸 で み じめ っ た ら し く,い ま だ に 洞 穴 の 中 で 暮 ら して い る こ とだ ろ う。 最 初 の 都 会 人 の 血 統 を 引 い て い る の は,他 で も な い ユ ー トピ ア ンた ち で あ る

… … 寛 大 な夢 か ら慈 悲 深 い 現 実 が誕 生 す る の で あ る 。 ユ ー トピ ア は あ らゆ る 進 歩 の 本 質 で あ る し,よ りよ き未 来 へ の 試 み で あ る。」と語 った の はア ナ トー ル ・フ ラ ンス2で あ る。 フ ラ ン ス を 自著 の 中 で 引 用 し た ユ ー トピ ア学 者 の ル イ ス ・ マ ン フ ォー ド 自身 は,現 実 とユ ー トピア の関 係 性 を さ ら に強 調 し,「 人 々 が夢 見 て い る都 会 や 大 邸 宅 は,人 々 が 最 終 的 に生 活 す る と ころ な の で あ る。」

と まで 言 っ て い る3。我 々 は 自分 達 が 住 む 今 日の世 界 が 決 して 理 想 郷 と は言 え な い こ とを知 って い る 。 で あれ ば,例 え ば100年 前 の社 会 改 革 者 達 が 提 唱 し

1文 献1 ,p.300.

2文 献2 ,p.18.

3文 献2 ,p.6.

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ヱ80 第100輯

た 都 市 計 画 の範 型 を 回顧 す る時,我 々 は そ の進 歩 的 で 寛 大 な夢 か ら何 らか の 改 革 理 念 を学 び,最 終 的 な 生 活 の場 へ 至 るた め に歩 を進 め る こ とが で き るの だ ろ うか 。

ドイ ツの 田 園都 市 建 設 運 動 は イ ギ リス にお け る田 園 都 市 建 設 に触 発 さ れ る か た ち で 約100年 前 に始 まっ た も の で あ る。 田 園都 市 の理 念 を広 め る媒 体 と な っ た の は1898年 に 出版 され た エ ベ ネ ザ ー ・ ハ ワー ドの著 書 『 明 日 の 田 園都 市 』4であ り,彼 の提 唱 した 田 園都 市 の 建 築 プ ラ ン は世 界 的 な関 心 を呼 び,今

日 に至 る まで 常 に 学 問 的 研 究 の 対 象 とな って きた 。 しか しハ ワー ドの著 書 出 版 に先 立 つ1896年 に 実 は ドイ ツ の社 会 改 革 者 が ハ ワ ー ド構 想 に よ く似 た都 市 改 革 プ ラ ン を起 草 し,そ の名 も 「田 園都 市 」 とい う副 題 を持 っ 著 作 と して 発 表 して い た 事 実 は ドイ ツ以 外 の 国 々 で は殆 ど知 られ て い な い 。 しか しプ ラ トン の言 う よ う に各 自が 抱 くユ ー トピ ア像 を 自 らの 内 に存 在 す る国 家 の範 型 と して捉 え,ま た カ ー ル ・マ ンハ イ ム に 倣 っ て ユ ー トピ ア の形 式 とそ の歴 史 的 ・ 社 会 的位 置 の相 関 関 係 に着 目す る な ら ぼ5,ド イ ツ の社 会 改 革 者 に よ る理 想 の都 市 構 想 は ドイ ツ とい う特 有 の土 壌 に生 まれ た 国 家 の範 型 とし て ユ ー ト ピ ア の 系譜 上 に 固 有 の 位 置 を占 め て も よい はず で あ る。 本 論 は ドイ ツ に お け る田 園 都 市 建 設 の歴 史 を 回顧 す る作 業 の 一 環 と して,ハ ワ ー ドに先 ん じて 田 園 都 市 モ デ ル を発 表 して い た ドイ ツ の社 会 改 革 者 の 仕 事 を紹 介 し なが ら,そ の ユ ー トピア 思 想 の 特 徴 に つ い て 考 察 す る もの で あ る。

2.社 会 改 革 者 テ オ ドー ル ・ブ リ ッ チ ュ と 土 地 改 革 論

テ オ ドー ル ・プ リ ッチ ュ(TheodorFritsch)は1853年 ザ ク セ ン の農 家 に 生 まれ た水 車 技 師 で あ った 。プ リ ッチ ュが 青 年 期 を迎 えた1870年 頃 か ら,ド イ ツで は産 業 革 命 に よ る社 会 の 変 貌 や ドイ ツ帝 国 の成 立 を背 景 に社 会 改 革 の 風 潮 が 高 ま っ て い た が,彼 も経 済 問 題 や 生 活 改 革 に 強 い 関 心 を 抱 くよ うに な

4文 献3 . 5文 献4

,p.214f.

(3)

モ ダ ニ ズ ムが 夢 見 た ユー トピア:ド イ ツ 田園 都 市建 設 の歴史(3) 181

る。 そ して業 界 紙 「ドイ ツ の製 粉 業 」の 発 行 を手 が け た こ と を き っ か け に徐 々 に出 版 事 業 に身 を投 じ,社 会 改 革 に関 す るパ ン フ レ ッ トの 発 行 や何 冊 か の 自 費 出 版 を行 っ た 後,1901年 に ラ イ プ ツ ィ ヒで 「 ハ ンマ ー 出版 社(Hammerver‑

lag)」を興 す。同 年 か ら「ドイ ツ精 神 の た め の ハ ンマ ー 新 聞(Hammer‑Blatter fUrdeutschenSinn)」 とい う定 期 刊 行 物 の 発 行 が 開 始 さ れ る。 「ハ ンマ ー 新 聞 」 は そ の発 行 理 念 と して"生 活 刷 新 の た め の 提 案"と い う性 格 を 前 面 に打 ち 出 し て お り,菜 食 主 義,禁 酒 運 動,中 流 階級 と手 工 業 階 級 の地 位 の 向 上 運 動,土 地 改 革,農 業 振 興 と い っ た,当 時 ドイ ツ で 様 々 に興 っ て い た 生 活 改 革 運 動6の プ ロパ ガ ンダ を多 く紙 面 に掲 げ て い た とい う7。

水 車 技 師 か ら社 会 改 革 者 へ と変 貌 を遂 げ て い く過 程 で,ブ リ ッチ ュ は社 会 的 弱 者,い わ ゆ る 特 た ざ る者"の 暮 ら し を 困難 にす る要 因 と して,土 地 の 私 有 と大 資 本 に 着 目す る よ う に な る 。1894年 『 二 つ の根 本 害 悪 一 土 地 成 金 と証 券 取 引 』8を著 し て土 地 改 革 に関 す る彼 の最 初 の 提 案 を行 うが,1890年 代 は1840年 代 に始 ま っ た ドイ ツ の 住 宅 改 革 運 動 が 土 地 改 革 と い う根 本 的 な視 座 を獲 得 し て 国 内 外 で の植 民 や ジ ー ドル ン グ建 設 運 動 へ と拡 大 し て い った 時 代 で あ った 。 ア メ リカ の土 地 改 革 論 者,ヘ ン リー ・ジ ョー ジ に影 響 を 受 けた ミ ヒ ャエ ル ・ブ リュ ー ア シ ャ イ ム(MichaelFIUrscheim,1843‑91)ら の 急 進 的 グ ル ー プ に よ る 「ドイ ツ土 地 所 有 改 革 同 盟(DeutscherBundfUrBoden‑

besitzreform)」(1888年 設 立)や,xx土 地 改 革 の 父"と 呼 ば れ た ア ドル フ ・ダ マ シ ュケ に よ る穏 健 な 「ドイ ツ土 地 改 革 同 盟(BunddeutscherBodenrefor‑

mer)」(1898年 設 立)等,こ の 時 期 に 結 成 さ れ た 土 地 改 革 グ ル ー プ や住 宅 建 築 共 同組 合 は数 多 い9。テ オ ドー ル ・ ヘ ル ツ カ が1889年 に資 本 主 義 と社 会 主 義 を折 衷 した 植 民 の 理 想 郷,「フ ラ イ ラ ン トー あ る社 会 的 な 未 来 像 」10を発 表 し,

6世 紀 末 の 生 活 改 革 運 動 に つ い て は 文 献5・6を 参 照 7文 献7 ,p.443.

8文 献8 . 9文 献9 ,p.32f.

10文 献10 .

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ヱ82

人 文 研 究 第100輯

「フ ラ イ ラ ン ト」とい う用 語 は 当 時 出 版 業 界 にお け る 流 行 語 の よ う に な っ た と 言 わ れ て い る し11,入 植 の 理 論 家 と して 知 られ る フ ラ ン ツ ・ オ ッペ ンハ イ マ ー も1896年 に組 合 を 設 立 して ドイ ツ 的村 落 共 同 体 の 復 活 を 目指 す ジ ー ドル ン グ 運 動 を 開 始 して い る。

も とよ り 自然 法 的 発 想 とし て の 土 地 の公 有 化 論 は プ ラ トン の 『 国 家 』 以 来 常 に存 在 して きた 。19世 紀 末 の ドイ ツ の土 地 改 革 論 者 達 が 共 通 して訴 えた の も土 地 の公 有 化,あ るい は土 地 を公 共 経 済 的財 産 と して 捉 え る地 価 の 導 入 で あ る。 ブ リ ッチ ュ も同様 に土 地 公 有 化 論 者 で あ っ た が,他 の 理 論 家 達 が 地 価 とい う問 題 に 焦 点 を絞 っ た り,ヘ ル ツ カ の よ う に ア フ リカ へ の植 民 を想 定 し て共 同 体 経 営 の 理 想 像 を提 示 した の に対 し,ブ リ ッチ ュ が 行 っ た の は土 地 改 革 を 伴 う都 市 建 設 の 提 案 だ った 。彼 は1895年 『 未 来 の都 市 一 田 園 都 市 』12とい う本 を著 し,翌 年 それ を 自費 出版 す る。 ハ ワ ー ドの 田 園都 市 構 想 が発 表 さ れ る2年 前 の こ とで あ る。

3."未 来 都 市"の 様 相

ドイ ツ に お け る土 地 改 革 運 動 の 目的 は そ もそ も急 激 な 工 業 化 が もた ら し た 都 市 の 劣 悪 な住 環 境 の改 善 で あ っ た 。 ロマ ン主 義 的 な 田 園 回 帰 を唱 え る社 会 改 革 者 も い た が,プ リ ッチ ュ は社 会 の 産 業 化 や近 代 化 を 全 面 的 に否 定 し て文 化 悲 観 主 義 的 に な る の で は な く,ド イ ツ の都 市 機 能 そ の もの が 変 貌 の 時 期 を 迎 え て い る とい う認 識 に立 っ て い た 。 中 世 以 来 の ドイ ツ の 都 市 が 防衛 とい う こ と を 目的 と し,そ の 目的 に適 っ た城 壁 等 の構 造 を持 っ て い た の に対 し,今 や 開放 的 な交 通 網 を持 っ た 交 易 お よび 産 業 都 市 を建 設 す べ き時 で あ る とい う 考 え で あ る。都 市 は まず 中世 的 構 造 の 制 約 か ら解 放 され ね ば な らな い13。し か し古 い構 造 に新 た な機 能 を接 ぎ木 し よ う と し て も不 合 理 お よ び 不 経 済 で あ

11文 献11 ,p.35.

12文 献12 . 13文 献12

,p.9.

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モ ダ ニズ ム が夢 見 た ユ ー トピ ア:ド イ ツ田 園都 市 建 設 の歴 史(3) 183

り,か つ 様 々 な 弊 害 を生 む 。 よ っ て 彼 が 提 案 した の は単 な る住 宅 改 善 や 都 市 の再 開 発 で は な く,近 代 的 な構 造 を 持 ち ほ ぼ200年 先 の 未 来 を見 越 して デ ザ イ ン され る よ う な,新 た な 都 市 の建 設 で あ る。

ブ リッ チ ュ の構 想 に よ る 黙 未 来 都 市"の 形 状 は円 形 で あ り,同 心 円 を描 く 7層 の 環 状 ゾー ン に分 か れ て い る。ゾ ー ニ ン グ は建 築 物 の 機 能 ご と に行 わ れ, ま ず 円 の 中心 部 は市 庁 舎 や博 物 館 とい った 公 共 建 築 物 が 占 め る。 そ して 最 も 外 側 に は 農 地 等 の 緑 地 帯 が 広 が る。 これ らの 環 状 ゾ ー ン の 区 分 を示 す の が 図 ①で あ る。

〔ゾ ー ンの 区 分 〕

1.モ ニ ュ メ ンタ ル な公 共 建 築 物 2.公 的 な性 格 を持 つ 建 築 3.高 級 住 宅 地

4.住 宅 地 あ るい は商 業 用 地

5.労 働 者 住 宅 地 あ る い は中 小 企 業 地 域

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6.工 業 ・倉 庫 地 帯

7.農 業 ・牧 畜 ・ガ ー デ ニ ン グ 用 地

ま乙一・・轟 鋤d・̀・6響

い蝋)1t輪こ叫い 騨 幽 勘 蝋 馬・匁 舶 璽 ㌦ 板 ド 綿 ⑭榊 曳 ら

,瓢 儲 ξ㌔'

♂轟一遊転

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竃ig・1:301星c隠 ・㊤inteituu臼.

①7層 の ゾ ー ニ ン グ:文 献12

各 ゾー ン は環 状 道 路 また は緑 地 帯 よ って 分 離 され て お り,郊 外 か ら中 心 部 へ と ゾー ン縦 断鉄 道 が 走 っ て い る の で 中 心 部 は都 市 の どの 部 分 か ら もア ク セ ス可 能 で あ る。 農 業 ゾ ー ンの 外 側 に は環 状 鉄 道 も あ り,鉄 道 と近 隣 の 河 川 へ

と通 じ る運 河 とが 都 市 と外 界 を結 ぶ 交 通 手 段 とな っ て い る。

この 都 市 構 想 の 特 徴 は都 市 が 内側 か ら外 側 へ で は な く,外 側 か ら内側 に 向

か っ て 成 長 す る よ う想 定 され て い る こ とだ 。図 ①で見 る半 径a‑cの 線 上 か ら

都 市 の 建 設 が 始 ま り,し か もa地 点 か ら 中心 部 のc地 点 に 向 か っ て建 設 が 進

ん で い く こ と にな っ て い る。 都 市 の建 設 は まず運 河 あ るい は鉄 道 の建 設 に適

した 場 所 を選 ん で 第6ゾ ー ンか ら開 始 され る。偏 西 風 を 考 慮 し て工 場 排 煙 の

影 響 を受 け な い 方 向 に第5ゾ ー ン を置 き,労 働 者 用 の住 宅 地 が 整 備 され る。

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人 文 研 究 第100輯

そ の後 一 般 の住 宅 や 商 店 街,公 共 建 築 ゾー ン へ と徐 々 に市 街 地 が 発 展 して い くの で あ る。図 ②が 示 す よ うに,第1ゾ ー ン ま で を具 えた 最 初 の 市 街 地 は模 形 の形 状 で あ る。 人 口が 増 加 す る に つ れ て それ が 扇 型 に広 が り,徐 々 に 半 円, そ して 円 形 へ と発 展 し て くの で あ る。③

寳ig・3:8eginirberMcSauung.

② 都 市 建 設 の 初 期 段 階:文 献12

害{⊆}6.箋)ritte6Stabiitnr.

③ 発 展 段 階:文 献12

こ の よ うな 都 市 建 設 の 過 程 で 最 も重 要 な こ とは,鉄 道,運 河,道 路 の建 設, 電 力,ガ ス,上 下 水 道 の 施 設 が 最 初 か ら長 期 的 計 画 に よ っ て シス テ マ テ ィ ッ ク に行 わ れ る こ とで あ る。 都 市 建 設 の際 の 指 針 は,美 的,効 率 的,機 能 的 で あ る こ とで あ り,14効 率 的 な都 市 構 造 と と して二 重 構 造 を持 った 道 路 が 紹 介 され て い る 。 つ ま り地 上 の道 路 と平 行 して地 下 道 を建 設 し,そ こ に電 気,ガ ス,水 道 等 の 供 給 網 を配 置 す る と同 時 に物 資輸 送 網 と して も利 用 す る とい う 案 で あ る。④

こ の未 来 都 市 の理 想 的 な規 模 と人 口 に つ い て の言 及 は な いが,都 市 が 半 円

14文 献12 ,p.8.

(7)

モ ダ ニズ ム が夢 見 た ユ ー トピア:ド イ ツ田 園都 市 建設 の歴 史③ 185

害iB・8こGirafi'tbbi皆al)ba均n.

④ 二 重構造 の街 路=文 献12

L乙∠ 羅1

銭董9・2;6P{=Ωlf6ヒ鵬{gStd)e℃M轍 亀 も曇801覧 糊,

⑤ 螺 旋 状 に 拡 大 す る ゾ ー ン:文 献12

形 を越 え て 円 形 に成 長 す る ま で の 期 間 を プ リ ッチ ュ は150年 か ら200年 と想 定 し て い る こ とか ら,ハ ワ ー ドの 小 規 模 都 市 計 画 と は違 っ て 少 な く と も中規 模 以 上 の都 市 計 画 で あ る こ とが 推 測 さ れ る。 そ の 際 ゾー ン の 区 分 と形 態 は必 ず し も厳 格 に構 想 通 りで あ る 必 要 は な く,ゾ ー ン内 の建 築 物 に は多 様 性 が許 容 され る べ きで あ る し,多 角 形 の 都 市 に発 展 す る可 能 性 もあ る。 また 都 市 が 半 円 か ら円 形 へ と展 開 し て い く段 階 で 各 ゾー ン の幅 が 人 口増 加 に 応 じ て拡 大 し,最 終 的 に は全 体 が 螺 旋 を描 き な が ら成 長 して い くだ ろ う⑤,と ブ リ ッチ ュ は述 べ て い る。

機 能 性 や 計 画 性 を 重視 す る一 方 で ブ リ ッチ ュが 強 調 して い る の は都 市 の有

機 的 な 発 展 と い う こ とで あ る。 都 市 は交 易 と政 治 の 中 心 で あ る と同 時 に芸

術 ・文 化 活 動 の 中心 で も あ り,円 の 中央 部 に設 け られ た そ の た め の 機 能 と空

間 を充 分 に保 持 しな が ら発 展 成 長 し て い か な けれ ば な ら な い。 市 役 所,美 術

館,オ ペ ラ ハ ウ ス,大 学,図 書 館,聖 堂 等 の建 物 を配 した この 中 心 部 に は都

市 の オ ア シス と して充 分 な緑 地 と公 園 が 必 要 で あ り,高 級 住 宅 地 にお け る家

屋 は一 戸 建 て で あ る こ とが 理 想 と され る。 住 民 の健 康 と い う こ と を特 に重 視

す る未 来 の 都 市 で は,快 適 な住 空 間 を保 証 す るた め に 一 般 の住 宅 ゾー ン で も

各 ブ ロ ッ ク に 中庭 や 遊 園 地 が 配 置 され て お り⑥,さ らに 外 側 の 工 場 ゾー ン は

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一Z86

人 文 研 究 第100輯

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⑥ 住 宅 ブ ロ ッ ク 内 の 庭 と公 園:文 献12

緑 地 分 離 帯 に よ っ て 住 宅 地 と隔 て られ て い な け れ ぼ な らな い 。 この住 宅 を巡 る緑 地 空 間 の 多 さ に よ っ て,ブ リ ッチ ュ は この未 来 の 都 市 を「田 園都 市(Gar‑

tenstadt)」 と呼 ん で い るの で あ る15。

プ リッチ ュ の 未 来 都 市 とハ ワー ドの 田 園 都 市 構 想 に は 多 くの 類 似 点 が あ る。 ハ ワー ドが1898年 に発 表 した 理 想 の 田 園 都 市 もや は り同 心 円設 計 で あ り,街 は環 状 道 路 に よ っ て5層 の ゾー ン に分 か れ,そ の 外 側 を環 状 鉄 道 が走 っ て い る。 市 の 中 心 部 の 公 園 と公 共 建 築 物,住 宅 地 の 外 側 の工 場 地 帯,そ れ を 囲 む 農 業 地 帯 等 々 は,プ リ ッチ ュの 未 来 都 市 と よ く似 た 構 図 を示 し,そ の6 分 の1を 示 す ダ イ ヤ グ ラ ム⑨ を見 た だ けで も両 者 の 類 似 点 は顕 著 で あ る。

また,土 地 の 公 有 化 とい う点 にお い て も こ の二 つ の 構 想 は共 通 し て い る。

も とよ り私 有 財 産 で あ る土 地 の 高 騰 こそ が 住 環 境 悪 化 の 元 凶 だ と考 え て い た ブ リッ チ ュ は,土 地 の 公 有 化 こそ 都 市 の健 全 な発 展 の 前 提 条 件 で あ る と考 え て い た 。 プ リッチ ュ に よ る と,土 地 所 有 者 に よ る個 人 的 利 害 と私 有 財 産 を巡 る近 視 眼 的 な 政 策 に よ って,都 市 は これ まで 無 秩 序 ・ 無 計 画 に拡 大 して きた 。 土 地 は 自 治体 か ら住 民 へ の長 期 貸 与 とい うか た ち で使 用 さ れ るべ き で あ り,

15文 献12 ,p,21.

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モ ダニ ズ ムが 夢 見 た ユー トピア:ド イ ツ 田 園都 市 建設 の歴 史(3)

⑦ 半 円段 階 の 田園都 市:文 献12

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187

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⑧ ハ ワ ー ドの 田 園 都 市, 6/1の 図=文 献3

この 自治 体 に よ る土 地 の 管 理 とい う こ とが な けれ ば健 全 な都 市 計 画 は可 能 と はな らな い 。 ブ リ ッチ ュ の提 案 に よ る と,都 市 は まず 土 地 を所 有 して 場 所 ご との 地 価 と使 用 目的 に 見 合 っ た賃 貸 料 を設 定 す る。賃 貸 契 約 は60,90,120年 とい う スパ ンで 行 わ れ,住 民 は毎 年 賃 貸 料 を都 市 に納 入 す る。 地 価 の 漸 次 的 上 昇 に よ る安 定 した 賃 貸 料 収 入 に よ り,都 市 は 自治 体 とし て の財 源 を確 保 す る こ とが で き,地 方 税 を徴 収 す る こ とな く住 民 に充 実 した 公 共 福 祉 サ ー ビス を提 供 す る こ とが で き る。 し か も公 的 な受 託 に よ っ て建 設 さ れ る住 宅 は衛 生 的 に も審 美 的 に も優 れ て お り,家 賃 は現 在 の 都 市 の 半 分 で す む はず で あ る16。

共 同体 に よ る土 地 所 有 と地 代 の徴 収 と い う こ とに関 して はハ ワ ー ドも同 様 の 提 案 を し て い るが,ハ ワー ドの 田 園 都 市 の場 合,土 地 は法 的 に は 出 資 者 達 に よ る事 業 法 人 に属 す る。 こ の事 業 法 人 は イ ン フ ラ ス トラ クチ ャ ー を整 備 す る と共 に土 地 建 物 を所 有 して 住 民 や企 業 に賃 貸 し,家 賃 収 入 は 自治 体 の 〈中央 評 議 会 〉に 委 託 さ れ て 公 共 施 設 の建 設 ・ 維 持 に使 わ れ る の で あ る17。ハ ワ ー ド

の場 合,田 園都 市 は半 公 営 とい う性 格 を持 っ て い る が,自 治 体 に よ る土 地 の

16文 献12 ,P.15.

17文 献12 ,p.13.

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ヱ88 第100輯

管 理 と貸 与 とい う点 に お い て プ リ ッチ ュ の構 想 とハ ワ ー ドの そ れ は極 め て似 通 って い る と言 え よ う。

実 は土 地 の 公 有 化 とい う思 想 は本 来 ユ ー トピア 思 想 の根 幹 を成 す 要 件 の 一 つ で あ る。 プ ラ トン の 『 国 家 』 以 来 殆 ど の ユ ー トピ ア思 想 が,部 分 的 な 私 有 財 産 は認 め て も土 地 だ け は公 有 化 され るべ し とい う思 想 を貫 い て き た 。 完 全 な 土 地 公 有 化 が 理 想 だ とす れ ば,ハ ワー ド構 想 にお け る半 公 営 事 業 は トー マ ス ・ス ペ ン ス や エ ドワ ー ド ・ベ ラ ミー とい っ た 彼 の 先 駆 者 達 の思 想 か らの 後 退 を 意 味 して はい るが,都 市 の 大 き さ を人 口3万 とい う規 模 に限 定 して 企 業 家 の協 力 に よ り土 地 を確 保 す る とい う案 は ブ リ ッチ ュ の りベ ラル な構 想 よ り 実 行 可 能 性 とい う点 に お い て 優 れ て お り,現 に彼 の 案 に賛 同 す る 出資 者 を得 た ハ ワー ドの 田 園 都 市 構 想 は1906年 に レ ッチ ワ ー ス の 建 設 とい う成 功 例 を 見 た。 ブ リ ッチ ュ は現 存 す る小 規 模 都 市 を改 造 して 田 園 都 市 建 設 へ と進 め る こ と も奨 励 して い た が,彼 の 著 書 は殆 ど反 響 を 呼 ばず,1902年 に設 立 され た ドイ ツ 田 園 都 市 協 会 もプ リ ッチ ュ の名 に は言 及 して もそ の構 想 の 内容 に は全 く触 れ て い な い18。 「 田 園 都 市 の 父 」19と して 運 動 に契 機 を与 えた とい う功 績 は もっ ぱ らハ ワ ー ドに帰 す る こ とに な った 。

4.理 想都 市 計 画 の 系譜

1898年 に世 に出 た ハ ワー ドの著 作 は 実 際 に は1893年 に 書 か れ,出 版 社 が 見 つ か る まで5年 を要 した もの で あ る20。ブ リッチ ュ は 自分 こ そ 田 園 都 市 構 想 の起 草 者 で あ る と し てハ ワー ドの 爪 剥 窃"を 非 難 して い る が21,当 時 は 農 村 か ら都 市 部 へ の急 激 な人 口移 動 とそ れ に伴 う都 市 の 住 環 境 の悪 化 が 顕 著 な 社 会 問題 とな っ て お り,複 数 の 人 の 頭 に 同 じ解 決 策 が 浮 か ぶ の も 自然 な状 況 で

18文 献13

,p.100,文 献14,p.3f.

19文 献15 ,p.32.

20文 献16 ,p.33.

21文 献17 ,p.144.

(11)

モ ダニ ズ ム が夢 見 た ユ ー トピア ドイツ 田 園都 市建 設 の歴 史(3) ヱ89

あ っ た 。 ハ ワ ー ド 自 身,エ ド ワ ー ド ・ギ ボ ン ・ウ ェ イ ク フ ィ ー ル ド,ト ー マ ス ・ス ペ ン ス,ハ ー バ ー ト ・ス ペ ン サ ー,ジ ェ イ ム ズ ・シ ル ク ・バ ッ キ ン ガ ム ら の 改 革 案 を 挙 げ,自 ら の 案 を そ の 結 合 で あ る と 呼 ん で い る22。

⑨ バ ッキ ン ガ ム の 理 想 都 市

「ヴ ィ ク ト リア 」(1848):文 献18 ⑩ ウ ィ トル ウ ィ ウ ス に よ る理 想 都 市 の 型(紀 元 前1世 紀)=文 献19

そ もそ も理 想 都 市 の デ ザ イ ン 自体,ル ネ サ ン ス以 来 の 歴 史 を持 って い る。

ユ ル バ ニ ス ム ス

『ユ ー トピア 』の よ う に文 学 に記 され た 社 会 の 理 想 像 で は な いが ,理 想 都 市 計 画 は都 市 構 築 術 に主 眼 を置 い た ユ ー トピ ア 思想 の 一 形 態 とし て独 自の 系 譜 を持 ち,ブ リ ッチ ュ とハ ワー ドの 田 園都 市 構 想 は そ の よ うな 伝 統 に連 な る もの で あ る。

放 射 状 道 路 を持 つ 円 形 構 造 の都 市 形 態 は,ロ ー マ の 建 築 家,ウ ィ トル ウ ィ ウス が 紀 元 前1世 紀 に著 し た 『 建 築 十 書 』の 中 に既 に 記 され て い る23。⑩「 理 想 都 市 」 の 時代 とな る ル ネ サ ン ス期 に は,商 工 業 の重 視 や 火 薬 と大 砲 の 発 明 に よ っ て従 来 の 都 市 構 造 を刷 新 す る必 要 性 が生 じ て い た 。 実 際 に建 設 に至 っ た

22文 献3 ,p.103.

23文 献19 ,P.244.

(12)

190

人 文 研 究 第100輯

⑪ ダ ・ヴ ィ ンチ の 理 想 都 市 の 計 画 。 家 と 二 重 構 造 の 街 路 。(1480〜90頃)文 献22

⑫ デ ュ ー ラ ー に ょ る城 塞 都 市 の プ ラ ン。 『城 塞,邸 宅,村 の 防 備 計 画 に 関 す る 講 義 』(1527)よ り。:文 献 20

'ギ!乙 野● ・

⑬ ピ エ ト ロ ・カ タ ネ オ の 理 想 都 市 (1554):文 献22

⑭ ヴ ィチ ェ ン ツ ォ ・ス カ モ ッ ツ ィの 理 想 都 市(1615)=文 献19

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モ ダニ ズ ムが 夢 見 た ユー トピア:ド イ ツ 田園 都 市建 設 の 歴史(3)

「 パ ル マ ノ ヴ ァ」 ⑮ を初 め ,建 築 家 は こぞ っ て幾 何 学 的 構 造 の 理 想 都 市 像 を描 き⑫⑬⑭,建 築 論 も多 く書 か れ た24。 レオ ナ ル ド ・ダ ・ヴ ィ ン チ も そ の 都 市 論 の 中 で,用 途 に よ って 上 道 と下 道 を使 い分 け る 一 プ リ ッチ ュ の そ れ と よ く似 た 一 街 路 の二 重 構 造 化 を提 案

して い る25。 ⑪

そ の 後 も都 市 の 幾 何 学 的 な 構 築 と い う考 え は 建 築 家 や ユ ー ト ピ ア ン を 魅 了 し続 け

麟灘

灘 難

ヒ漏・遥り﹂

ヱ91

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⑮ パ ル マ ノ ヴ ァ(1593);ス カ モ ッ ツ ィの プ ラ ン に よ り ヴ ェ ネ ツ ィ ア の 北 西 約100キ ロ に作 ら れ た 要 塞 都 市 。 実 現 さ れ た 理 想 都 市 の 数 少 な い 一 例:文 献19

た26。1606年 に 反 宗 教 改 革 に よ る 抑 圧 的 空 気 を 厭 う か の よ う に 書 か れ た トマ ソ ・カ ン パ ネ ッ ラ(TomassoCampanella,1568‑1639)の 『太 陽 の 都 』27も 7層 の 環 状 ゾ ー ン か ら成 る 同 心 円 構 造 を 持 っ て お り⑯,ま た1619年 に は ド イ ツ の 宗 教 家 ヨハ ン ・ヴ ァ レ ン テ ィ ン ・ア ン ド レ ー エ(JohannValentinAn‑

dreae,1586‑1654)が,新 教 徒 の た め の ギ ル ド共 産 主 義 的 な ユ ー ト ピ ア で あ 『ク リス テ ィ ア ノ ポ リ ス 』28⑰を 描 い て い る 。

啓 蒙 思 想 の 影 響 を 受 け,防 衛 的 で は な く人 間 解 放 的 な 都 市 作 り を 目指 し た ク ロ ー ド ・ニ コ ラ ス ・ル ド ゥ ー(ClaudeNicolasLedoux,1736‑1806)⑱ や, フ ー リ エ 主 義 に よ る 理 想 都 市 ⑲,ま た バ ッ キ ン ガ ム に も 影 響 を 与 え た オ ー ウ ェ ン の 理 想 村 落 ⑳ や そ の ア メ リ カ で の 実 験 場 と な っ た フ ロ ン テ ィ ア 計 画

24文 献20 ,p.50.

25文 献21 ,p.272.

26文 献27 ,p.104.

27文 献24 . 28文 献25

.

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192 第100輯

⑯ 「太 陽 の 都 」(1602)か ら想 像 され るユ ー トピ ア の 形:文 献27

.

⑱ ル ド ゥ ー の 理 想 都 市,シ ョ ー(18 世 紀 末):文 献27

一,..a,

⑰ 「ク リ ス テ ィ ア ノ ポ リ ス 」(1619)文 25

麟難

⑲ フー リエ 主 義 者 の 理 想 都 市(1822):文 献27

一 ツ

⑳ オ ー ウ ェ ンの 理 想 村 落(1818)文 献18

等 ⑳,理 想 の 共 同 体 の か た ち は常 に人 々 の 心 の 中 で デ ザ イ ン さ れ て きた し,そ れ らは互 い に多 くの類 似 点 を見 せ る。

ドイ ツで は オ ー ウ ェ ン と フー リ

エ に触 発 され た ヴ ィ ク トー ル ・エ

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モ ダニ ズ ムが 夢 見 た ユー トピア:ド イ ツ 田園 都 市建 設 の歴史(3) ヱ93

メ ・フー バ ー が1848年 に労 働 者 の 自 主 経 営 管 理 に よ る住 宅 地建 設 を提 唱 した29。 ⑳有 機 的 な 都 市 とい う よ り労 働 者 の た め の 村 落 だ が,ド イ ツの ジ ー ドル ン グ構 想 の先 駆 け とな っ た 。 美 的 で 機 能 的 な住 宅 地 作 り とい う思 想 は そ の後 も多 く の建i築家 達 に よ っ て 引 き継 が

⑳ オ ー ウ ェ ン に よ り 計 画 さ れ た イ リ ノ イ 州 の ニ ュ ー ・ハ ー モ ニ ー(1824):文 献27

れ,例 え ば都 市 の 区 画 ご との機 能 と交 通 網 を考 慮 した ゾー ニ ン グ は コル ビュ ジエ の都 市 計 画 ⑳に も見 る こ とが で き る。 レ ッチ ワ ー ス建 設 に よ っ て成 功 例

ガ ヒデ ン  サ バ  ブ

を見 た 田 園都 市 理 念 は世 界 各 国 に広 ま り,田 園都 市 や 郊 外住 宅 地 型 の 田 園 郊 外 が建 設 さ れ た が30,⑳⑳ ユ ー トピ ア ン達 が 歴 史 的 に そ の 理 想 要 件 の 根 幹 とし て

⑳ フ ー バ ー の 労 働 者 コ ロ ニ ー(1848):文 献16

、蔑..・ 拝

幅冷

⑳B・ タ ウ ト 『都 市 の 解 体 』 田 園 に お け る 労 働 共 同 体 集 落 の 図 二文 献28

29文 献16 ,p.22.

30日 本 で は1907年 に 田 園 都 市 の 理 念 が 紹 介 さ れ た が,む し ろ郊 外 住 宅 地 と し て 解 釈 され た 観 が あ る。 文 献26,p.174ff.

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194 第100輯

⑳ コル ビ ュ ジ エ に よ るア ル ジ ェ リア の ヌ ム ー ル 計 画(1934)=文 献30

麟 灘   纏

覇 難 縣 騰 慧 難

⑳ ハ ワ ー ドの 影 響 を 受 け た オ ラ ン ダ の 田 園 都 市 構 想(1905)=文 献31

婁遡

畳 川犀 多市 郁園 田 圃面 平地 管経

きた 土 地 の 公 有 化 とい う思 想 に お い て は,ハ ル トマ ン も指 摘 す る通 り31本 来 の 田 園 都 市 構 想 は 継 承 さ れ て い か な か っ た と言 わ

ざ る を得 な い 。

⑳ 東 京,田 園 調 布 全 体 計 画 図(1922)=文 献26

5."未 来 都 市"と 反 ユ ー トピ ア ・反 ユ ダ ヤ 主 義

従 来 指 摘 さ れ て い る通 り,多 くの ユ ー トピア は 自 らの 内 に反 ユ ー トピ アへ 逆 転 して い く要 素 を孕 ん で い る32。 プ ラ トンの 『 国 家 』に お け る体 制 維 持 的 要

31文 献16 ,p.34.

32文 献32 ,p.78.

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モ ダ ニ ズ ムが 夢見 た ユー トピア:ド イ ツ 田園 都 市建 設 の 歴史(3) 195

素,モ ア の 『ユ ー トピ ア』に透 け て 見 え る優 性 思 想,19世 紀 末 のベ ス トセ ラ ー と な っ たベ ラ ミー の 『 顧 み れ ば』33にお け る 国 家 統 制 等 々,そ こに は 自由 と平 等 の 場 と して 我 々 が 想 像 す る ユ ー トピ ア とは相 反 す る契 機 が 隠 さ れ て い る。

プ リッ チ ュ の 「 未 来 の都 市 」 も例 外 で は な く,そ れ が 彼 の 田 園 都 市 構 想 が 当 時 の 社 会 改 革 者 達 に よ っ て 黙 殺 さ れ た 理 由 で あ る と言 わ れ て い る。

7つ の層 に ゾー ニ ング され た 「 未 来 の都 市 」 は,実 は は っ き り と した 階 層 秩 序 を示 す 。 中 で 最 も重 要 視 さ れ て い る 中心 部 に は聖 堂 や 美 術 館,公 的 な施 設 が 集 め られ て お り,そ の 「 古 典 地 区 」 は 「聖 な る部 分 」34と呼 ば れ,特 別 の 地 位 を 占 め る。また 住 宅 地 に も階 層 が あ り,「裕 福 な人 々 に は高 級 な住 環 境 を 提 供 す べ き」35だ とい う考 え よ っ て準 備 さ れ る高 級 住 宅 地 は よ り中央 に,ま た 労 働 者 階 級 の住 宅 地 は周 辺 に位 置 して い る。階 層秩 序 に よ って 裏 打 ち され た ブ リ ッチ ュ の価 値 基 準 は,街 が 螺 旋 状 に発 展 して ゆ く段 階 に お い て 「 価 値 の 少 な い もの を外 側 に追 い や りな が ら有 機 的 に成 長 す る」36とい った 表 現 に表 れ て い る。この こ と は 中央 に 公 園 を配 して 殆 ど階 層 秩 序 を持 た ず,住 民 の協 力 的 精 神 を基 盤 と した 自治 体 を 目 指 した ハ ワー ドの 田 園都 市 とは 明確 な相 違 を示 す 。 都 市 計 画 が現 存 す る社 会 秩 序 の保 持 を志 向 す る例 はル ネ サ ン ス の理 想 都 市 に も見 られ37,ダ ・ ヴ ィ ン チ もそ の 都 市 論 の 中 で 「 人 民 は す べ て 服 従 し,そ の 上 流 階 級 に よ っ て 動 か さ れ る 」38と説 い て い る。 ま た1848年 に 発 表 さ れ た バ ッキ ン ガ ム の 「ヴ ィ ク ト リア 」 構 想 に お い て も7層 の 同 心 円 ゾ ー ンが 社 会 階 層 に従 っ て配 置 され39,バ ッキ ンガ ム の 理 想 が 同 時 代 の価 値 を秩 序 正 し い か た ち で 実 現 す る こ とだ っ た こ とが窺 わ れ る。 ブ リ ッチ ュの 場 合,黙 秩 序"の 偏 重 に加 え て見 受 け られ るの が 民 族 主 義 志 的 志 向 で あ る。 『 未 来 の 都 市 』の 中

33文 献33 4文 献12 5文 献12 6文 献12 7文 献19 8文 献21 39文 献20

P.21.

Pユ0.

p.12f.

p.244.

P.269.

pユ52.

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ヱ96 第100輯

に繰 り返 し登 場 す る"秩 序","理 性",漢 的"と い った 言 葉 は,ひ とた び 爪ド イ ツ 的"と い う言 葉 が 登 場 した だ け で ドイ ツ的 な価 値 観 の裏 打 ち を露 呈 さ せ る。 実 は 『 未 来 の都 市 』 に お い て 明 確 な 民 族 主 義 的 言 表 が 成 され る の は一 カ 所 の み で あ る が,『 未 来 の 都 市 』出 版 の翌 年 に補 遺 の よ う な か た ち で 発 行 され た 小 冊 子 『 新 し い共 同体 』40には,ブ リ ッチ ュの 民 族 主 義 と優 性 主 義41が はっ き り と打 ち 出 され て い る 。彼 が 提 案 す る新 し い共 同 体 に お い て は,倫 理 的 ・ 身 体 的健 全 さ を基 準 に選 ば れ た 住 民 達 が 「自 由 で 曇 りの な い ドイ ツ精 神 文 化 の発 展 」42を目指 す ので あ る。ドイ ツ 田 園 都 市 協 会 が ブ リ ッチ ュの 提 案 に殆 ど 言 及 せ ず,は っ き り と距 離 を取 っ た の は,む し ろ この よ うな イ デオ ロ ギ ー に 対 す る警 戒 か らだ った と言 わ れ て い る43。今 日 で は殆 ど忘 れ られ た 存 在 と も 言 え る ブ リ ッチ ュ だ が,実 は彼 は世 紀 転 換 期 の 重 要 な 反 ユ ダ ヤ 主 義 イ デ オ ロ ー グ の 一 人 で あ った 。

ブ リッチ ュ の社 会 意 識 が 形 成 さ れ た1870年 代 は,ユ ダ ヤ人 市 民 権 の確 立 や 株 価 の 暴 落,東 方 ユ ダ ヤ人 の 流 入 等 を背 景 に して 近 代 反 ユ ダ ヤ 主 義 の第 一 波 が 起 こ った 時 期 で あ る。 トラ イ チ ュケ や チ ェ ンバ レ ン とい った 著 名 な 学 者 や 政 治 家 が 反 ユ ダ ヤ 主 義 を鼓 舞 す る よ う に な り,ブ リ ッチ ュ も社 会 改 革 と同 時 に反 ユ ダ ヤ主 義 に傾 倒 して い く。1887年 に 『 反 ユ ダ ヤ 主 義 者 の教 理 問 答 』 を 自 ら出 版 して以 来,1933年 に没 す る まで 約40冊 の著 作 を著 して い るが,そ の 殆 どが 『 贋 神 ヤ ハ ヴ ェ の証 明 』44や『 ユ ダ ヤ人 の成 功 の秘 密 』45とい っ た 反 ユ ダ

40文 献34 .

41優 生 学 的 都 市 構 想 は イ ギ リ ス に も 存 在 し て お り

,科 学 者 の フ ラ ン シ ス ・ガ ル ト ン (SirFrancisGalton,1822‑1911)が1910年 に 発 表 し た 「何 処 か 知 ら ず 郷 (Kantsaywhere)」 の 構 想 で は,進 化 論 的 な 意 味 で 優 秀 な 人 種 が 田 園 都 市 か ら 生 ま れ る と 説 か れ て い る 。(cf.Voigt,Wolffang,DieGartenstadtalseugenisches

Utopia.In:Bollerey,Franziska,GerhardFehl,KristianaHartmann(Hrsg.) ImGrUnenwohnen‑imBlauenplanen.Hamburg,1990,p301‑314)。

42文 献34 ,p.7.

43文 献16 ,p.33.

44文 献36 . 45文 献37 .

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モ ダ ニ ズム が 夢見 たユ ー トピ ア:ド イ ツ 田園都 市 建 設 の歴 史(3) ヱ97

ヤ 思 想 の喧 伝 書 で あ る 。 中 で も 『 反 ユ ダ ヤ主 義 者 の教 理 問 答 』を改 訂 した 『 ユ ダ ヤ 問 題 の手 引 書 』46は,1919年 か ら44年 ま で の 問 に49版 を重 ね る ほ ど多 くの 読 者 を得 た 。 これ らの 著 作 は歴 史 的 解 説 や ユ ダ ヤ教 義 の 紹 介 とい った 学 問 的 な粉 飾 を施 し て は い るが,基 本 的 に 黙ユ ダ ヤ 人 は 「 人 種 的 変 種 」,「劣 等 民 族 」47であ っ て人 類 全 体 に とっ て 有 害 な存 在 で あ る"と 説 く誹 諦 の 書 で あ る。 また,前 述 の 『 二 つ の 根 本 害 悪 一 土 地 成 金 と証 券 取 引 』 で 扱 わ れ て い る財 産 と土 地 所 有 の偏 在 とい う問 題 も,ブ リ ッチ ュ の プ ロパ ガ ン ダ の 中 で は 大 都 市 住 民 に見 られ る倫 理 的 堕 落 と共 に 「ユ ダ ヤ 禍 」 と結 び つ け られ,最 終 的 に 「 不 可 視 の 支 配 者 」 で あ る ユ ダ ヤ 人 の影 響 を排 して ドイ ツ民 族 の 没 落 を 防 が ね ば な らな い とい う論 旨 に発 展 して ゆ く48。これ らの 害 悪 か ら 自 由 な,健 全 な都 市 作 りの提 案 と して 著 され た の が 『 未 来 の 都 市 』 で あ る。

『 ユ ダ ヤ 問題 の手 引 書 』が1931年 に30版 を重 ね た 時 ,版 元 の ハ ン マ ー 社 が 発 行 す る 「 ハ ン マ ー 新 聞 」に ヒ トラー が 次 の よ うな推 薦 文 を寄 せ て い る。 「 私 は ウ ィー ン に お け る青 年 時代 の 早 い 時 期 に,既 に この本 を熟 知 して い た 。 私 は この 本 が 国家 社 会 主 義 的 反 ユ ダ ヤ 主 義 の運 動 を準 備 す るの に特 別 の 貢献 を 果 た した と確 信 す る者 で あ る。(...)こ の手 引 が さ らに版 を重 ね,い つ か 一 家 に一 冊 具 え られ る こ とを 望 む 。」49また,同 年 の 「 ハ ンマ ー 新 聞 」に載 っ た 当 時 の ナ チ 党 宣 伝 部 長,グ レ ゴー ル ・シ ュ トラ ッサ ー の以 下 の よ うな 発 言 に は, プ リ ッチ ュ の影 響 力 の大 き さが 窺 わ れ る。 「これ まで2000回 に も及 ぶ 集 会 を 重 ね る う ち,私 は ブ リ ッチ ュ に よ っ て 民 族 主 義 思 想 を学 ん だ とい う人 間 に何 百 とな く出会 っ た 。 彼 らは今 日我 々 の 国 家 社 会 党 の 地 方 組 織 で 堅 固 な 基 盤 を 形 勢 して い る人 物 達 で あ る 。 」50

46文 献38 . 47文 献38

,p.7.

48文 献39 ,p.6f.

49文 献7 ,p.448.

50文 献7

,p.448.文 献40に は ヒ トラ ー ユ ー ゲ ン ト の 指 導 者 バ ル ド ゥ ー ア ・フ ォ ン ・ シ ー ラ バ に 対 す る ブ リ ッ チ ュ の 影 響 が 言 及 さ れ て い る 。p.428.

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198 第100輯

しか し ブ リ ッチ ュ の イ デ オ ロ ー グ と し て の活 動 は著 書 の 出 版 や 新 聞 の 発 行 に よ る ば か りで は な か っ た 。 彼 の 出版 社 で あ る 「 ハ ン マ ー 社 」 は書 物 の 出 版 の み な らず 「ユ ダ ヤ 人 の店 で 買 うな!(KauftnichtbeiJuden!)」 とい った 反 ユ ダ ヤ 的 ス ロー ガ ン を掲 げ る ポ ス タ ー や フ ラ イ アー の類 が 大 量 に 印刷 ・配 布 され る拠 点 で もあ っ た 。「1890年7月 以 降,ラ イ プ ツ ィ ヒか ら は毎 日3,4 千 の フ ラ イ ア ー が 世 に送 り出 さ れ て い た 」51とい う記 録 が あ る。ハ ンマ ー 出 版 社 の メ デ ィ ア が 発 す る これ ら の プ ロ パ ガ ン ダ が,世 紀 末 か ら ヴ ァイ マ ー ル 時 代 に か け て第 二 波 と呼 ぼ れ る反 ユ ダ ヤ 主 義 の 高 ま りを醸 成 した こ と は容 易 に 想 像 され る。

そ して 社 会 改 革 者 ブ リ ッチ ュ の も う一 っ の側 面 は,共 同体 指 導 者 と して の そ れ で あ る。 まず は1907年 に 「 ハ ンマ ー新 聞 」の読 者 の 中 か ら 「ドイ ツ刷 新 共 同体(DeutschErneuerungs‑Gemeinde)」 が 結 成 さ れ,ベ ル リ ン北 西 に位 置 す る プ リグ ニ ッ ツでxx郷 里"を 意 味 す る 「 ハ イ ム ラ ン ト(Heimland)」 と い う名 の ジ ー ドル ン グ建 設 が 開 始 さ れ る52。『 未 来 の 都 市 』 お よ び 『 新 しい 共 同体 』 に お け る構 想 を実 現 す る場,そ し て 「 地 と大 地 」 の イ デオ ロ ギ ー 発 現 の場 が 出 来 した わ けで あ る。1910年 代 に は既 に ハ ワ ー ドと ドイ ツ 田 園都 市 協 会 の活 動 に よ り「田 園 都 市 」とい う概 念 が 普 及 し,田 園 都 市 建 設 活 動 も始 ま っ て い た が,ブ リ ッチ ュ に よ る と 「 彼 等 の 意 味 す る もの は,庭 を持 っ た 一 戸 建 て の 高 級 住 宅 地 とい っ た もの に す ぎず 」,「ハ イ ム ラ イ ド」 の プ ロ ジ ェ ク トこ そ が 土 地 改 革 を伴 った 理 性 的 土 地 共 同体 と して有 機 的 な 「 田 園 都 市 」 へ と発 展 して い くは ず で あ っ た53。 「 ハ イ ム ラ ン ト」プ ロ ジ ェ ク トは最 終 的 に は失 敗 に終 わ るが,団 体 と して の 「ドイ ツ刷 新 共 同体 」 は後 に秘 密 結 社 的 な 「 ゲ ル マ ン騎 士 団(GermanenOrden)」 を下 部 組 織 と して 持 つ 「 帝 国 ハ ンマ ー 同 盟

51文 献41 ,p.70.

52ブ リ ッ チ ュ は 『未 来 の 都 市 』 第2版(1912)の 後 記 中 で も 「ジ ー ド ル ン グ 協 会 ハ イ ム ラ ン ド(Siedlungs‑genossecschaftHeimland)」 へ の 参 加 を 呼 び か け て い る 。 53文 献12 ,p.32.

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モ ダ ニ ズム が夢 見 た ユ ー トピア:ド イ ツ田 園都 市 建 設 の歴 史(3) 199

(Reichshammerbund)」 に 成 長 し,ヴ ァ イ マ ー ル 時 代 に 入 る と そ れ ぞ れ が 「ド イ ツ 民 族 攻 守 同 盟 」 と 「ト ゥ ー レ協 会 」 に 吸 収 さ れ る 。 「ゲ ル マ ン 民 族 主 義 イ デ オ ロ ギ ー の 信 じ 難 い コ ン グ ロ マ リ ッ ト」54と も 言 わ れ る 「ゲ ル マ ン 騎 士 団 」 の 機 関 誌 「ル ー ネ ン(Runen)」 は,こ の 時 「フ ェ ル キ ッ シ ャ ー ・ベ オ ー バ ハ タ ー 」と名 を 変 え,そ れ が1920年 に ナ チ 党 に 買 収 さ れ て ナ チ 党 機 関 紙 と な る の で あ る55。40冊 以 上 の 著 書 を世 に 残 し た ブ リ ッ チ ュ の 著 作 家 と し て の 活 動 は 実 は 理 想 の 共 同 体 を 設 立 ・運 営 す る た め の 手 段 に 過 ぎ ず,共 同 体 指 導 者 と し て 行 使 し た 力 こ そ 彼 が 反 ユ ダ ヤ 的 民 族 主 義 の 展 開 に 及 ぼ し た 最 も危 険 な 影 響 で あ っ た と 言 わ れ て い る56。

ブ リ ッ チ ュ 自 身 は 「ド イ ツ 民 族 自 由 党(Deutschv61kischeFreiheitspar‑

tei)」57の 帝 国 議 会 議 員 だ っ た の で ナ チ 党 と は 直 接 の 関 わ り を 持 た な か っ た が,1933年 に ブ リ ッ チ ュ の 葬 儀 が 名 誉 国 民 的 な 扱 い で 行 わ れ た 時,ナ チ ス 政 府 の 内 相 ヴ ィ ル ヘ ル ム ・ブ リ ッ ク が 「ブ リ ッ チ ュ の 著 作 は,闘 争 の た め の 最 初 に し て 最 善 の 装 備 で あ っ た 」 と い う 弔 辞 を 寄 せ て お り,ユ リ ウ ス ・シ ュ ト

ラ イ ヒ ャ ー は 「い つ か ド イ ツ の 子 供 達 は,ブ リ ッ チ ュ が ド イ ツ 民 族 の 救 済, ひ い て は ア ー リ ア 人 種 の 救 済 に 貢 献 し た と言 う だ ろ う 。」と い う 賛 辞 を 贈 っ て い る58。 歴 史 家 のR・ フ ェ ル プ ス は,ブ リ ッ チ ュ を 「お そ ら く ヒ ト ラ ー 以 前 の 最 も重 要 な 反 ユ ダ ヤ 主 義 者 」59と 呼 ん で い る が,反 ユ ダ ヤ 主 義 の イ デ オ ロ ー グ と し て 多 面 的 に 活 躍 し た シ ュ ル ツ ェ=ナ ウ ム ブ ル ク や ア ル フ レ ー ト ・ロ ー ゼ ン ベ ル ク と 同 様 に,プ リ ッ チ ュ も ナ チ ス の 文 化 政 策 に 対 し て 直 接 ・間 接 的 に

54文 献41 ,p.107.

55文 献40 ,p.63.

56文 献7 ,P.445.

571893年 「反 ユ ダ ヤ 主 義 ド イ ツ 社 会 党(AntisemitischeDeutsch ‑SozialePar‑

tei)」 と し て 結 成 さ れ て 以 来 解 散 と 和 合 を 繰 り 返 し,「 反 ユ ダ ヤ 主 義 民 族 党 (AntisemitischeVolkspartei)」 や 「ド イ ツ 社 会 改 革 党(Deutsch‑SozialeRefor‑

mpartei)」 を 経 由 し て い る 。 文 献41,p.68f.

58文 献7 ,P.449.

59文 献7 ,P.443.

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200 第100輯

様 々 な影 響 を与 えた 人 物 で あ る こ とに 間違 い は な い だ ろ う。

6.田 園都 市構 想 か ら国家構 想 へ

し か しそ の 民 族 主 義 的 志 向 に も拘 わ らず,ブ リ ッチ ュ の 田 園都 市 構 想 が従 来 の理 想 都 市 計 画 を集 約 す る よ う な仕 事 で あ っ た こ と は否 定 す べ か らざ る事 実 で あ り,そ の 意 味 に お い て そ れ は従 来 以 上 の 評 価 に値 す る もの で あ る60。ま た ハ ワ ー ドの 田園 都 市 構 想 が 自治 体 経 営 の た め の提 案 で あ っ た の に対 し,ブ リ ッ チ ュ の そ れ は 国家 構 想 へ と拡 大 して い く射 程 を 明 確 に持 っ て い た こ と も 考 察 に値 す る。 ブ リ ッチ ュ は 田 園 都 市 を,国 家 を形 成 す る共 同体 の ユ ニ ッ ト と し て考 え て い た 。 そ の こ とは 『 未 来 の都 市 』 の後 半 部 で 彼 が 都 市 住 民 の健 康 に言 及 す る とき明 らか に な る 。 高 額 な家 賃 に起 因 す る家 屋 の狭 阻 さや 居 住 者 数 の多 さ,そ れ に比 例 す る死 亡 率 や 婚 外 子 出 生 率 の 高 さ,結 婚 や健 全 な家 庭 生 活 へ 至 る困 難 は結 果 的 に 国 民 的 ・国家 的 な損 失 を招 く。 所 有 地 の 売 買 が 禁 止 さ れ て い る イ ギ リス の住 環 境 が 良 好 な 国 家 経 済 の 基 盤 とな っ て い る の と は対 照 的 で あ る61。 住 環 境 の 問題 は最 終 的 に は国 家 的 な 問 題 で あ るが,国 家 と い う もの の抽 象 的 な性 格 故 に真 に 実 行 可 能 な 国 家 規 模 の 改 革 を提 案 す る者 は 少 な い。 そ れ は問 題 の 表 面 の み に と らわ れ て そ の根 源 に あ る 「 土 地 」 を見 な い か らで あ り,従 っ て まず 都 市 レベ ル に お け る改 善 策,つ ま り田 園 都 市 の建 設 か ら着 手 す る こ とに よ り漸 次 的 に 国 家 の 理 性 的 な再 建 へ の 道 を 歩 む べ き

だ62,と い う のが ブ リ ッチ ュ の 結 論 で あ る。

『 未 来 の 都 市 』 が 書 か れ た1890年 代 の ドイ ツで は ,急 激 な都 市 人 口 の増 加 に よ る 出生 率 の 低 下 や疾 患 の増 加,犯 罪 率 の 上 昇 や ハ ン ブル ク に お け る コ レ ラ の 流 行 等 が 同 時 に起 きて い た63。 「 健 康 」 とい う イ デ オ ロ ギ ー が形 成 さ れ始

60文 献42 ,p.162.

61文 献12 ,p.28.

62文 献12 ,p.29.

63文 献9 ,p.22f.

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モ ダニ ズ ムが 夢 見 た ユー トピア:ド イ ツ 田園 都 市建 設 の歴史(3) 20ヱ

め,健 康 食 品 の 製 造 や 菜 食 主 義 コ ロニ ー の建 設64,ま た公 的 な機 関 に よ る衛 生 面 で の イ ン フ ラ ス トラ ク チ ャ ー の整 備 が 始 ま る65。「 健 康 問題 」 は 「国 家 的 問 題 」 とな りっ つ あ っ た 。 ブ リ ッチ ュ に とっ て も共 同 体 経 営 の 目標 は,出 自 の 定 か な らぬ 大 資 本 と文 化 的 影 響 を排 し て 中 流 階 級 の み か ら成 る健 全 で 平 等 な 国家 を建 設 す る こ とに な る。 そ れ が 彼 に とっ て の 「 理 想 的 な 範 型 と して の 国 家 」 で あ り,プ ラ トン に倣 っ て 言 うな らぼ,そ れ を見 ん と欲 し ま た そ れ を望 む 者 達 に とっ て は お そ ら くそ の 国 は ド イ ツ とい う精 神 風 土 上 に 存 在 し た の だ。ナ チ 党 は政 権 掌 握 翌 年 の1934年,国 内 の様 々 な 住 宅 改 善 運 動 組 織 を全 て 統 括 し て 「労働 戦 線 住 宅 局(HeimstattenamtderDeutschenArbeitsfront)」

を作 っ て い る66。

ブ リ ッ チ ュ の 田 園 都 市 構 想 を,ユ ー トピ ア と同様 に現 実 超 越 的 方 向性 を持 つ が 「 真 に革 命 的 な機 能 は持 た ず 現 存 す る存 在 秩 序 に有 機 的 に組 み込 まれ る もの と し て」67,あ る い は個 人 の 思 想 の 産 物 で は な くむ しろ集 団 的 意 識 に 属 す

⑳ ナ チ ス 時 代 の 都 市 構 想(1935)二 文 献 29

蕪 鱗 雛 讐

⑳ ナ チ ス 時 代 の 理 想 的 村 落 プ ラ ン (1939):文 献29

64文 献11 ,43.

65文 献6 ,p.48.

66文 献44 ,p.584.

67文 献4 ,p.202.

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202 第100輯

る もの と して68ユ ー トピ ア で は な くイ デ オ ロ ギ ー の体 系 に分 類 す る こ と は可 能 で あ る。 しか し何 を 革 命 的 と呼 ぶ か は存 在 現 実 の どの段 階 に基 準 を置 くか に よ って 流 動 す る こ とは マ ンハ イ ム も認 め る通 りで あ る し69,個 人 的 思 想 で あ るユ ー トピア も そ の個 人 の 社 会 的基 盤 に基 づ い て い る とい う点 に お い て は 集 団 的 と も言 え る70,ブ リ ッチ ュ の 存 在 超 越 的 思 想 を 真 に個 性 的 に し て い る の は,そ の イ デ オ ロ ギ ー性 よ り もむ し ろユ ー トピア 思 想 に特 徴 的 な観 念 が 複 合 的 に表 れ て い る点 な の で あ る。

マ ン フ ォ ー ドは 『ユ ー トピ ア の系 譜 』 の 中 で 近 世 の ユ ー トピ ア像 の 変 遷 を 記 述 す る際,「 田舎 の 大 邸 宅 」,「石 炭 の町 」,「国 家 的 ユ ー トピア 」とい う3つ の主 要 な 観 念 を挙 げ て い る71。「 田 舎 の大 邸 宅 」 は,人 が 防衛 の た め に城 壁 を 築 くこ とをや め,個 人 的 自由 を享 受 し よ う と して 快 適 な郊 外 へ 住 む こ と を望 ん だ 時代,つ ま り中 世 社 会 の 秩 序 が 近 代 社 会 の そ れ に変 貌 し よ う とす る際 に 生 まれ た ユ ー トピア のパ タ ー ンで あ る。 「 石 炭 の 町 」とい うユ ー トピ ア は産 業 時 代 の 産 物 で あ り,個 人 的 ユ ー トピア の 欠 陥 を 「 集 合 的 代 表 制 」 とい う制 度 で 償 お う とい う精 神 に裏 打 ち され て い る。 製 品 の 生 産 と販 売 を都 市 活 動 の 中 心 と し,蓄 積 され た 資 本 の公 正 な 分 配 とい う 目標 を持 っ て い た 。「国家 的 ユ ー トピ ア 」は上 記 の二 つ を結 び 合 わ せ る結 合 組 織 で あ り,「 国 民 国 家 」の 社 会 神 話 で あ る。 マ ン フ ォー ドに よ る と 「 石 炭 の町 」 と 「田 園 の大 邸 宅 」 との 和 解 は,同 一 社 会 内 の 他 の集 団 との 共 通 性 を強 調 す るた め に 「 他 の ユ ー トピア 国 家 か らの 侵 略 の危 険 性 を常 に 喧 伝 す る こ とに よっ て 」72行わ れ る。ブ リ ッチ ュ の ユ ー トピ ア は工 場 の設 置 を起 点 に置 く産 業 都 市 で あ りな が ら 田 園 の快 適 さ を保 持 す る 田 園都 市 で あ り,か つ そ れ が 最 終 的 に は国 家 構 想 で あ る とい う点 に お い て ハ ワ ー ドそ の他 の理 想 都 市 構 想 とは一 線 を画 す る もの で あ る 。 マ ン

68文 献32 ,p.31f.

69文 献4 ,p.207.

70文 献4 ,p.214.

71文 献2 ,p.189ff.

72文 献2 ,p.214.

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モ ダニ ズ ム が夢 見 た ユ ー トピア ドイ ツ田 園都 市 建設 の歴 史(3) 203

フ ォ ー ドは 「ユ ー トピ ア 的 国 家 」 を 「 奇 跡 同 然 」,「紙 上 の世 界 の 完 成 に過 ぎ ぬ」 もの と し,上 記 の和 解 が 「 実 施 さ れ る道 具 立 て を一 層 注 意 深 く調 査 して み る と した ら,さ ぞ か し興 味 深 い こ とで あ ろ う」 と言 っ て い るが73,ブ リ ッ チ ュ が提 唱 した 類 の ユ ー トピア の 虚 偽 性 は,実 現 の段 階 に至 る と興 味 深 い で は済 ま され なか っ た こ とは歴 史 が 示 す通 りで あ る。 ユ ー トピア 思 想 と社 会 的 現 存 の結 び 付 き を 言 う な らば プ リ ッチ ュの 田 園 都 市 構 想 は ドイ ツ社 会 に特 徴 的 な現 象 で あ っ た こ と は言 を待 た な い が,ブ リ ッチ ュの 都 市 ユ ー トピ ア は上 記 の3段 階 の ユ ー トピ ア要 素 を個 体 発 生 的 に具 有 して い る点 に お い て 個 性 的 と呼 ぶ に値 す る もの で あ り,そ れ は理 想 社 会 の探 求 で あ る ユ ー トピ ア の系 譜 上 に よ り強 く記 憶 され るべ き もの で あ ろ う。

ドイ ツ 田 園 都 市 協 会 が プ リ ッチ ュ の思 想 とは距 離 を取 っ た と は言 え,そ の 後 の 活 動 に お い て 民 族 主 義 思 想 か ら全 く自由 で あ っ た わ けで は な い し,ド イ ツ 最 初 の 田 園 都 市 で あ るヘ レ ラ ウの 歴 史 に も国 家 社 会 主 義 思 想 は容 易 に溶 け 込 ん で い た の で は あ るが,そ れ につ い て は また稿 を改 めて論 じ るつ も りで あ る。

【文 献 表 】

1.プ ラ ト ン 『国 家 』(下),第 九 巻,藤 沢 令 夫 訳,岩 波 書 店,1979.

2.ル イ ス ・マ ン フ ォ ー ド 『ユ ー ト ピ ア の 系 譜 』 関 裕 三 郎 訳,新 泉 社,2000.

3.Howard,Ebenezer,Tomorrow:apeacefulpathtorealreform.

London,1898。(reprint,editedbyRichardLeGatesandFredericStout)

London1998.(1902年 にGardenCitiesofTo‑Morrowと し て 再 版 さ れ る 。)『 明 日 の 田 園 都 市 』 長 素 連 訳,鹿 島 出 版 会,1968.

4.カ ー ル ・マ ン ハ イ ム 『イ デ オ ロ ギ ー とユ ー ト ピ ア 』 鈴 木 二 郎 訳,未 来 社, 1968.

5.副 島 美 由 紀 「モ ダ ニ ズ ム が 夢 見 た ユ ー ト ピ ア:ド イ ツ 田 園 都 市 運 動 の 歴

73文 献2 ,p.210.

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204 第100輯

史 一 世 紀 転 換 期 の 生 活 改 革 運 動 一 」In:「 人 文 研 究 」 第96輯,1998, p189‑214.

6.長 谷 川 章 『世 紀 末 の 都 市 と 身 体 』 ブ リ ュ ッ ケ,2000.

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21.レ オ ナ ル ド ・ダ ・ヴ ィ ン チ 『レ オ ナ ル ド ・ダ ・ ヴ ィ ン チ の 手 記(下)』 浦 明 平 訳,岩 波 書 店,1958.

22.ウ ル リ ヒ ・ コ ン ラ ー ツ/ハ ン ス ・G・ シ ュ ペ ル リ ヒ 『幻 想 、の 建 築 』 藤 森 健 次 訳,彰 国 社,1966.

23.ア ー サ ー ・ コ ー ン 『都 市 形 成 の 歴 史 』 星 野 芳 久 訳,鹿 島 出 版 会,1968.

24.ト マ ソ ・カ ン パ ネ ッ ラ 『太 陽 の 都 』 近 藤 恒 一 訳,岩 波 書 店,1992.

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26.東 秀 紀 『漱 石 の 倫 敦,ハ ワ ー ド の ロ ン ド ン 』 中 央 公 論 社,1991.

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