白族の本主信仰 ―地域の守護神の儀礼に見られる 漢化と民族の独自性―
著者 横山 廣子
雑誌名 国立民族学博物館研究報告別冊
巻 014
ページ 381‑422
発行年 1991‑03‑29
その他のタイトル Benzhu [本主] Worship of the Bai [白] ― Sinicization and Ethnic Distinctiveness in Rituals of Local Guardian Gods
URL http://doi.org/10.15021/00003624
横 山 白族の本主信仰
白 族 の 本 主 信 仰
一 地 域 の守 護 神 の 儀 礼 に 見 られ る漢 化 と民 族 の 独 自性
横 山 廣 子*
1.中 国 の 少 数民 族 研 究 の展 望
(1)少 数 民 族研 究 に お け る広 い パ ー スペ ク テ ィヴ
(2)漢 族 社 会 との距 離 (3) 少 数 民 族 の宗教 と文 字 2.白 族 と本 主 廟
(1)白 族社 会 の背景 (2)本 主 廟 の復 興 (3)蒼 村 の本 主 廟
(4)多 様 な る本主 3.儀 礼 活 動 (1)儀 礼 活 動 の枠 組 (2)本 主 の 祭祀 (3)漢 化 の 浸透 4・ 地 域 の 守護 神 (1)漢 族 の 土地 神
く2)白 族 に お け る土 地神 と本 主 5.要 約
1.中 国 の少数 民 族 研 究 の展 望
(1)少 数 民 族 研 究 に お け る 広 い パ ー ス ペ ク テ ィ ヴ
広 大 な 中 国 大 陸 が,約30年 間 の 空 白 を 経 て 再 び 人 類 学 的 研 究 の フ ィー ル ドと し て 扉 を 開 きつ つ あ る 現 在,漢 族 研 究 に お い て は,こ れ ま で の 香 港,台 湾 に お け る 綿 密 な コ
ミ ュ ニ テ ィ研 究 の 蓄 積 を 踏 ま え,文 献 資 料 を 利 用 し,広 い パ ー ス ペ ク テ ィ ヴ の 中 で 漢 族 社 会 の 地 域 的 ヴ ァ リ エ ー シ ョ ン を 捉 え,あ る い は そ の ヴ ァ リ エ ー シ ョ ン を 超 え た 共 通 性 を 論 じよ う と す る 傾 向 が 見 え る[WoLF and HuANG l 980;EBREY and WATsoN 1986;WATsoN and RAwsKI l988]。 そ れ ら の 中 に は 少 数 民 族 社 会 を そ の パ ー ス ペ ク テ ィ ヴ の 中 に 入 れ て い る も の が わ ず か に あ る が,ま だ き わ め て 限 定 的 な 扱 い に す ぎ な い[NAQUIN l988]。 しか し,漢 族 形 成 の 歴 史 を 振 り返 る 時,少 数 民 族 社 会 を も 含 め た さ ら に 広 い パ ー ス ペ ク テ ィ ヴ の 中 で 議 論 す る 意 味 は 充 分 に あ る。
中 国 大 陸 の フ ィ ー ル ドが 長 期 に わ た っ て 閉 ざ さ れ て い た と い う事 情 は,少 数 民 族 研 究 に お い て も,も ち ろ ん 同 様 で あ る 。 しか し,一 般 に 各 少 数 民 族 の 社 会 は 漢 族 社 会 の
*東 洋 英 和 女 学 院大 学 人文 学部
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国立民族学博物館研究報 告別冊 14号 よ う な規 模 の広 が りを持 たず,し たが って 漢 族 研究 に と って の 台 湾 や 香港 に 該 当す る 周 辺 の フ ィー ル ドは,限 られ た 民族 に のみ 存 在 した。 例 えば 中国 西 南 部 の少 数 民族 の 一部 は東 南 ア ジァ 山地 部 に も進 出 して お り ,そ こで1960年 代 以 降 か ら本格 化 した人 類 学 的 研究 の成 果 は,今 後 ま す ます 中国 国 内 の少 数 民 族 研究 に生 か され て い くと思 われ る。 ま た,解 放 か ら60年 代 初 期 まで の 中 国 に お いて は,国 家 の 民族 政 策 の要 請 か ら, 民 族 調 査 研究 に と りわ けカ が注 が れ た 。少 数 民 族研 究 を主 体 とす る中 国 民族 学 は,文 化大 革 命 前後 の長 い 中断 か ら今El,再 び活 性化 して い る。 この よ うな 現状 に 立 って, 近 年 の 中 国少 数 民族 研 究 を振 り返 る時,こ れ ま で は個 々 の民 族 研 究 が 主 流 を 占 め,少 数 民 族全 体 あ る い は複 数 の民 族 を視 野 に 捉 え た 研究 が不 足 して い た こ とに思 い 至 る。
確 か に少 数 民 族 はそ れ ぞ れ が 固有 の文 化 や 歴 史 を持 って い る。 そ れ ら多 様 な 民族 を ち ょ うど 各地 の漢 族 を比 較 す る よ うに扱 うわ けに は い か な い。 しか し,少 数 民族 の社 会 あ るい は 文 化 は程 度 の差 こそ あ れ,い ず れ も漢 族 が主 体 と な って 構 成 され て い る中 国 とい う国 家 の 勢力 下 に存 在 して きた ので あ る。 この こと に思 い及 ぶ な ら,漢 族 社会 あ るい は漢 族 が 主要 な部 分 を 占 め る中 国社 会 を 念 頭 に 置 きつつ,少 数 民族 研究 を よ り 広 いパ ー スペ クテ ィヴ に お いて 展 開 す ると い う道 がお の ず と見 え て くる。
これ まで,中 国少 数 民 族全 体 を対 象 とす る議 論 の代 表 的 枠 組 と して は,社 会 発 展 史 に 沿 っ て各 民 族 の 社 会経 済構 造 を分 析 し,4つ の 発展 段 階,即 ち,1) 封 建 地 主 制, 2)封 建 領 主 制,3)奴 隷制,4) 原始 共 同 体制 の残 留 段 階 の い ず れ か に分 類 す る と
い う もの があ る。 これ は 解放 後 の民 主 改革 や社 会 主 義改 造 の実 践 に 際 して一 定 の指 針 と な った。 しか し例 え ば 漢族 と 同 じ く封 建 地主 制 に分 類 され た ウ イ グル族 と含 族 の社 会 の 中 国 の全 体社 会 に お け る基本 的 あ り方 の 違 い は,こ の枠 組 を通 して は 明 らか に な らな い。 個 々 の さ ま ざ ま な違 い は と もか く,こ の2社 会 は漢 族 社 会 と の関 係 に お い て 大 き く異 な って い る。 それ が 浮 き彫 りに な る よ うな 研究 の ア ン グル を求 め,そ れ に よ って 研 究 を進 める こと が肝要 で あ る。
(2)漢 族 社 会 と の 距 離
橋 本 萬 太 郎 は漢 族 を 「 漢 字 を 識 って い る人 び と,及 び 漢 字 を 識 ろ う と 願 って い た
〔けれ ど も,実 際 に はそ れ が か な わ な か っ た〕 人 び との 集 団 」 と捉 え た[橋 本 ・鈴 木 1983:3]。 中国 は 漢 族 の拡 大 に よ って 形成 され て きた の で あ り,そ の文 化 国家 と して の性 格 を振 り返 る時,こ の指 摘 の 的確 さが 明 らか に な る。 カル プ(D.H. Kulp)は 中
国支 配 の拡 大 の過 程 を次 の よ うな 中 薗(一 漢)文 化 の浸 透 の筋 書 きで 描写 して みせ た 。
軍 事 的征 服 に 続 い て 役人 が任 命 され た。 彼等 は故 郷 を 離 れ て 原 住 民 た ちの間 に 住
横山 白族の本主信仰
み,統 治 した。 役人 た ちは彼 の地 で土 着 の婦 人 を まず は 妾 と して,の ちに 正式 な妻 と して迎 え,家 族 を構 成 した。 そ こで は原 住 民 文化 とは別 の もの と認 識 され,い ま や 「中国 的 」 と知 られ る文 化 的 要 素 が広 が っ た。 この よ う に役 人 た ち は征 服 した人 々 の 中で 文 化 的放 射 の 中心 の 創設 者 と な っ た[KULP 1966:63]。
漢 族 の拡大 は・ 逆 の側 か らい うと少 数 民 族 の縮 小,す なわ ち少 数 民 族 の漢 化 に ほか な らない。 少 数 民族 の一 部 は 文化 的に 漢 文 化 を 受 け容 れ る こ とで 「漢 族 」 へ と転 身 し て い っ た と思 わ れ る。 そ して,転 身 に至 らない ま で も,各 少 数 民 族 は,こ れ まで 常 に 何 らか の漢 族 とそ の文 化 の影 響 に 曝 され なが ら存 在 して きた の で あ る。 各 少 数 民 族 の 社会 お よび文 化 の基 本 的性 格 は,ま ず 何 よ り も漢 族 のそ れ との類 似 あ る いは 相 違 とい うア ン グル か ら整 理 す る こと がで き るで あ ろ う。
上述 の橋 本 の指 摘 は,各 民族 と漢 族 社 会 と の 距 離 を判 断 す る基 準 と して,第1に 文 字 の使 用 状 況 が 考 え られ る こ とを 示 唆 す る。 俗 に い う 「 漢 化 」 が漢 字 を媒 介 に して 進 行 す る の は もち ろん だ が,漢 字 と異 な る文 字 シス テ ム を持 つ こ とは,「 漢 化 」 され て い な い と 同時 に,「 漢 化 」 されに くい こ と も意 味 す る。
文 字 と同 様 に漢 族 社会 と の距 離 の 指 標 と して,ま たす ぐに思 い浮 か ぶ のは,宗 教 で あ る。 解 放 前,今 日の よ う な 国家 的 な 民 族識 別 や 民族 的帰 属 の戸 籍 登 録 の制 度 が 整 っ て い ない 時 代,漢 語 や漢 字 を操 れ る少 数 民族 は短 期 的あ る い は長 期 的 に 漢 族 に転 身 し え た。 そ の 中 に あ っ て イス ラ ム教 徒 で あ る回族 は,漢 語 と漢 字 を用 い,漢 族 に 比 肩 す る経 済 活 動 を行 ない な が らも,宗 教 に よ って 漢 族 とは0線 を画 して い た[横 山 1988] 。 イス ラム教 の 信仰 は,言 語 と文 字 に お い て漢 文 化 に 依 存 す る 民族 に と って は,漢 族 と の間 に 距 離 を 維持 す る基 盤 とな った。
バ レル(C・S・Harrel1)は 中 国 の 民俗 宗 教 の基 本 的性 格 を 「仏 教,道 教,そ して公 式 的な 儒 教 の 伝 統 か ら同時 に 信 仰 を 引 き出 す折 衷 的 な シス テ ムで,し た が って必 然 的 に 同 じ現 象 に 対 して多 様 な 解 釈 を 含 む」[HARRELL 1974:203]と 表 現 す る。 こ こ で
「中国 の 民 俗 宗 教」 とい うの は 無 論,漢 族 の宗 教 に ほか な らな い。 そ れ を シン ク レテ
ィズム と表 現 す る か ど うか は 議 論 が分 か れ る と ころ で あ る が[佐 々木 1981;渡 邊
1986],少 な くと も漢族 の信 仰 対 象 の由来 が仏 教,道 教,儒 教 の い ず れ か1つ に は 限定
され な い こと は確 かで あ る。 これ は,回 族 な どの イス ラム教 徒 の 場合 の よ うに,あ る
1つ の 世 界宗 教 が 卓 越 して 信 仰 され,し か も民 族全 体が こぞ って そ れ に帰 依 す る状 況
とは 明 らか に異 な って い る。 中国 の諸 民 族 に お い て は,ラ マ 教 徒 や小 乗 仏 教 徒 が イス
ラム教 徒 と 同様 の 牲格 を備 えて い る と思 われ る。 これ らの 信仰 を持 つ こと は,漢 字 以
外 の 文字 シ ステ ムを持 つ こ と と同 様,当 該 の少 数 民族 と漢 族 と の間 の一 定 の距 離 を 意
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味 す る。
'(3)少 数 民 族 の 宗 教 と文 字
そ こで,中 国 の56の 民族 に つ い て 宗 教 と言 語 お よ び文 字 の 状 況 を,入 手 した 文 献 資 料 と筆 者 の見 聞に 基 づ い て整 理 して み た のが 表1で あ る1)。
ま ず,宗 教 に つ い て は,当 該 民 族 の大 半 が道 教や 儒 教 由来 の神 々を 崇 拝 す る こと な く,ユ つ の 世界 宗 教 を集 団 的 に信 仰 して い る場 合 を 明記 した。 具 体 的に は キ リス ト教 (表 中で は カ トリ ックと プ ロ テス タ ン トを 「キ リス ト教 」 と し,「ロ シア正 教 」 と区 別 した),イ ス ラム 教,ラ マ 教,小 乗 仏 教 の信 仰 が これ に該 当 す る。 世 界宗 教 で は あ る が,ラ マ 教 同様 に 大 乗 系 の仏 教 で,漢 訳 の 教 典 を 特 徴 と して い る,い わ ゆ る 中 国仏 教 は該 当 せ ず,こ の欄 に は記入 して い な い。 そ して,該 当す る世 界 宗教 が,信 者 が 民 族 の一 部 で あ って も,あ る地 域 に お い て集 団 的に 信 仰 され て い る場合 を[]付 きで, さ らに少 数者 に よ って信 仰 され て い る場 合 を()付 きで示 した 。
文 字 に つ い て 特 に注 目 した い の は,解 放 以 後 の一 連 の 国家 的施 策 が始 ま る前 の状 態 で あ る。 そ こで,解 放 初 期に お け る通 用 文 字 の状 況 と解放 前 の 使用 文 字 を 整 理 した。
さ らに,改 良 と新 規 を含 めて 解 放後 に 創作 され た 文 字 を 列 挙 した。 解 放後 は全 国 的 に 学 校 教 育 な どを 通 じて漢 語 の普 及 が 計 られ て お り,程 度 の 違 い こそ あ れ,す べ て の 民 族 に おい て 漢 字 が 使用 されて い る。 そ こで,そ れ を 特 に 表 に示 す ことは しな か った。
したが って,解 放 前 に 特 に使 用 され て い た文 字 が な く,解 放後 に 文字 が 創作 され る こ と もなか った 民 族 は,表 中に は何 も記 され て い ない が,現 在,漢 字が 使 わ れ て い る。
表1を 概 観 す ると,中 国 の西 北 部 か ら西 南部 に か けて 分布 し,イ ス ラ ム教,ラ マ教, 小 乗仏 教 を 全 民 族 的 に 信 仰 す る 民族 の 多 くが,文 字 に おい て も漢 字 と は異 な る民 族 文 字 を持 ち,漢 族 と距 離 を 置 いて い る こ とが 明 らかで あ る。 これ らの文 字 の 由来 を た ど る と,い ず れ の場合 も宗 教 と の関 わ りが見 られ る。 一 般 に 人類 の歴 史 に おい て,宗 教 が 文字 の伝 播 に大 きな 役割 を果 た して き たの は周 知 の事 実 で あ る。 ま た,蒙 古 族 な ど の よ うに,民 族 文 字 の 由来 自体 は現 在 信 仰 す る ラマ教 と直 接 の 関係 を持 た ない 場 合 で も,ラ マ教 を柱 とす る固 有 の 文化 が,民 族 文 字 の維 持 と発 展 に 寄 与 して い る。
と ころで,19世 紀 後 半 以 降に 始 ま るカ トリ ックお よび プ ロテ ス タ ン トの 外 国人 宣 教 師 の 中 国に お け る布 教 活 動 は,西 南 部 を 中心 と す る い くつ か の少 数 民族 の0部 地 域 に 1)そ れ ぞ れ の 民 族の 中に は も ち ろん,こ の 表 に記 され て い る状 況 と合 わ な い人 々が 存在 す る。
例 え ば,都 市 の少 数 民 族 の 中 には民 族 語 を 話 さ な い者 も多 く見 られ,特 に解 放 後 は この傾 向が
強 ま って い る。 しか し,こ の 表 は各 民 族 の 全体 と して の状 況 を 記 す も ので あ るの で,そ れ らの
状況 は一 応 除 外 して 考 え る。
横山 白族 の本主信仰
表1 中 国 諸 民 族 の 宗 教 と 言 語 ・文 字t》
世界 宗教の集団
的信仰 解放初期の通用文字 蟹鯉 の使 峰 讐 の創
民 族 名2) 〔 〕:一 部 で 集
団 的 に信 仰 常 用 言 語 読:新 A:民 族 文 字 しい 読 み物 〈 文 字 系 統>3)
():漢 字 を基 礎 とす る民 族 特 ():少 数 が 信
仰
も豊富
漢 :漢 字 有の文字
*現在 あま り使用 されない文字 俄羅斯劇 ・シア正剃 ・シア語 iA読 1・シア文字〈 キ>1
塔吉克 族 イス ラム 教 タ ジ ク語 ウイ グ ル文 字
〈ア 〉
維吾爾族 イス ラム教 ウイ グ ル語 A読 ウイ グ ル文 字 *ウ イ グル 文 字
〈ア 〉 〈ロ 〉
撒拉族 レ スラム剃 サラール副 灘 {
烏孜別克族 イス ラム教 ウズ ベ ク語 A読 *ウ ズ ベ ク文 字
〈ア 〉
*ウ ズ ベ ク文 字
*ウ ズ ベ ク文 字
〈ロ〉〈キ〉
ウ イグ ル語 ウイ グ ル文 字
カザ フ語 カザ フ文 字〈ア〉
〈ア 〉恰薩克族 イス ラム 教 カザ フ語 A読 カザ フ文 字〈ア〉*カ ザ フ文 字
〈ロ〉
塔塔爾族 イス ラム 教
タ タ ー ル 語A読
*タ タ ー ル 文 字〈ア 〉
*タ タ ー ル 文 字
〈ロ 〉
*タ タ ー ル 文 字
ウ イ グル語 ウイ グル文 字 〈キ〉
カザ フ語 カザ フ文 字くア〉
〈ア 〉臓 孜馳 編 教 キル ギ ス語
A*キ ル ギ ス文 字 〈ア〉
*キ ル ギ ス文 字 〈ロ〉
ウイ グル 文字
〈ア 〉
カザ フ文 字 くア〉
裕固族 ラマ 教 西 部 ユ ー グ語
東 部 ユ ー グ語 漢
語 漢字
蒙古族 ラマ 教 モ ンゴル語 A読 モ ンゴ ル文 字
〔イ ス ラム 教〕 〈回〉
達斡爾族 (ラ マ教) ダ フール 語 *モ ンゴ ル文 字
〈回〉
漢字
土族 レ マ教
ト ゥ ー 語欝 [
東 郷族 イ ス ラム教
ト ン シ ャ ン語i灘 1
保 安族1イ ス ラム教 柑 ナン副 灘 1
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一
錫伯族 (ラ マ教) シボ語
漢語 A読(新 彊伊摯地区)
漢(東 北地区)
シボ文 字 〈回〉
漢字
満族 (キ リス ト教) 満州語
漢語 漢
*満州 文 字 〈回〉
漢字
赫哲族 ホジ ェ ン語
漢語 漢字
鞭 劇 1加 チ・ン 訓 灘 1
郡温克族 (ラマ教) (ロ シア正 教)
エヴ ェ ンキ語 モ ン ゴル語 漢 語
モ ンゴ ル文 字 〈回〉
漢 字
朝鮮族 〔 キリスト 教〕瞬 語 IA読 }ハングル文到 一 灘 i(キリスト 教)1灘 i漢 1灘 1
回族 1イスラム教 陣 i漢 陳字 [
蔵族 ラマ教
チ ベ ッ ト語A読 チベ ッ ト文 字
く印〉
門巴族 ラマ教 メ ンバ 語
チ ベ ッ ト語 チ ベ ッ ト文 字
く印〉
鼻族 〔キ リス ト教〕 イ語 A(宗 教的職能者が
大半)
イ文 字 *イ文 字 くロ〉
漢字
新 イ文 字
*新 イ文 字 くロ〉
一
顯 族1〔 キリスト教〕Pス 語 IA ト リス文字く・〉陶 ス文字〈・〉
納西族 〔ラマ教 〕
(キ リス ト教)
ナ シ語 A(宗 教的職能者の
み) 漢字 *ナ シ文 字 新 ナ シ文 字 くロ〉
恰尼族1(キ リス ト教)レ ・ 三語 1 [ 階 ・ ・ 二文字〈・〉
拉蔽i〔 キ リス ト劃 ラフ語 IA i・ラフ文字〈・>1新 ラフ文字〈・〉'
塞諾劇 1チノー語 l l l
一
白族 (キ リス ト教)
ペ ー 語漢 字
(白文)
一
景頗族 〔キ リス ト教 〕 チ ンポー 語
A*チ ンポー文 字
〈ロ〉
新 チ ンポ ー文 字 〈 ロ〉
麟1(キ リスト劃 ド・・ン副 l l
一
莞族 〔ラ マ教 〕(キ
リス ト教)
チ ャ ン語
漢 語 漢字
一
普米族 〔ラマ教 〕 ブ ミ語
一
路 巴族
ロ ツパ 語一
怒族 〔キ リス ト教 〕 (ラ マ教)
ヌ ー 語
横 山 白族 の本主信仰
阿 昌族 〔小 乗 仏教 〕 (キ リス ト教)
ア チ ャ ン語 漢字
苗族
〔キ リス ト教 〕ミャオ 語
A*ミ ャオ文 字
〈ロ〉
漢 字
新 ミャオ文 字 〈 ロ〉
餓 1(キリスト 劃 シェ語 1漢 鱒 1 磁 i〔 キリスト 教〕1ヤ 梧 1 陳字 [
壮族
(キ リス ト教)チ ワ ン語
漢 語
漢 字
*(方 塊 壮字) チ ワ ン文 字 〈ロ〉
布依族i〔 キリスト 劃 ブイ語 1 鱒 防 文字〈 ・〉
俸族 小 乗 仏 教
(キ リス ト教)
タ イ語
Aタ イ文 字 〈印〉 新 タ イ文 字 〈印〉
伺族 (キ リス ト教) トン語 漢 字
*(方 塊 個 字) トン文 字 〈ロ〉
仏綴1 !ムーラオ副 1灘 1
水 族 1(キ リス ト教) ス イ語 漢 字
*(水 書)
毛離1(キ リスト捌 マオナン副 1漢字 1
黎族 i P一 語 1 隣 卜 文字〈 ・ 〉
土家族
(キ リス ト教)トゥチ ャ語
漢語 漢字
騰 ド 1一 ラオ語l I漢 字 1
京族
〔キ リス ト教 〕キ ン語
漢 字*チ ュ ノ ム
侃族 〔小 乗仏 教 〕 〔 キ リス ト教 〕
ワ語
A *ワ 文 字 〈ロ 〉新 ワ文 字 〈ロ〉
徳昂族 小乗仏教 ド ウア ン語
タ イ語
チ ンポ ー語 タ イ文 字 〈印〉
布朗族 〔 小乗仏教〕 ブー ラ ン語
タ イ語 タ イ文 字 〈印 〉
高山族i〔 キリスト 教〕1高蠕 l l漢字 1
備 考1)こ の 表 は以 下 の 各文 献 を参 考 に し,文 献 間 の食 い 違 い を筆 者 が 調 整 して 作成 した 。 参考 文 献:羅 常培 ・傅 懸動 1954;『 回 族簡 史 』編 輯 組1978;『 満 族簡 史 』 編輯 組1978;
『 寄 族 簡 史 』編 輯 組 1980;『 壮 族簡 史 』 編輯 組 1980;国 家 民 族 問 題五 種 叢 書編 輯 委 員 会 『中 国少 数 民 族 』 編写 組 1981;『 高 山族 簡 史 』 編輯 組1982;『 黎 族簡 史 』 編輯 組 1982; 『撤 拉族 簡 史 』編 輯 組 1982; 『塔 吉克 族 簡 史 』 編輯 組 1982; 『 土 族簡 史 』 編 輯組 1982;r郡 倫 春 族 簡史 』 編輯 組 1983;『 郡 温 克族 簡史 』 編 輯組 1983;
『 景 頗 族 簡 史 』編 輯 組 1983;『 標便 族 簡 史 』編 輯 組 1983; 『仏 倦 族 簡 史』 編輯 組
1983; 『瑠族 簡 史 』 編 輯組 1983; 『 裕 固 族簡 史 』 編 輯組 1983; 『布 朗族 簡史 』編
輯 組 1984;『 布 依 族 簡史 』 編輯 組 1984;『 個 族 簡 史』 編 輯組 1984;『 京 族 簡史 』
編 輯 組1984;『 毛 南 族 簡史 』 編 輯組1984;『 納 西 族簡 史 』 編 輯組1984;馬 寅 〔編 〕
387
国立民族学博物 館研究 報告別冊 14号 1984;施 正0〔 編 〕1984;『 恰 尼 族簡 史 』編 輯 組1985;『 基諾 族 簡 史 』編 輯 組1985 ; 『 蒙 古 族 簡史 』編 輯 組 1985; 『民 族 工作 』 編 輯 部 〔編 〕1985; 『阿 昌族 簡 史 』 編 輯 組1986 ;『 簾 族 簡史 』 編 輯組1986;『 徳 昂 族 簡史 』 編 輯組1986;『 独龍 族簡 史 』 編輯 組 1986;萢 玉 梅 1986;『 拉 砧族 簡 史』 編 輯 組 1986;桑 耀 華 1986;『 侃 族 簡 史 』編 輯 組 1986;厳 汝 欄 ・陳 久 金 1986;r怒 族 簡 史 』編 輯 組 1987;厳 克 雄 〔編 〕 1987;『 郵族 簡 史 』 編輯 組 1987;翼 慶進 ユ988;梅 益 〔編 〕1988;楊 一 星 ・張天 路 ・熊郁 1988。
2)中 国 の56の 諸 民 族 は,言 語 分類 に基 づ き イ ン ド ・ヨー ロ ッパ 諸 語,ア ルタ イ諸 語,シ ナ ・チ ベ ッ ト諸 語,オ ース トロ ・アジ ア諸 語,オ ースrロ ・ネ シア諸 語 の 順 に配 列 して あ る 。各 諸語 内で は,た とえ ば ア ルタ イ諸 語 な らば チsル ク語 系,モ ンゴル語 系,ツ ング ー ス語 系 とい うよ うな下 位分 類 ご とに配 列 した 。裕 固 族 の場 合 は,こ の 下位 分 類 にお い て 異 な る二 つ の言 語,つ ま りチ ュル ク語 系の言 語 と モ ンゴル語 系 の言 語 を 話 す 集 団 があ り,そ こで 常 用 言 語 の順 にそれ ぞ れ 西部 ユー グ語,東 部 ユ ー グ語 と分 けて示 した 。 3)文 字 系 統 は,以 下 の よ うな 略称 で 示 した:〈 キ〉:キ リル 文 字;〈 ア〉:ア ラ ビア文 字;
〈ロ〉:ロ ー マ文 字;〈 回〉:回 鵤文 字;〈 印〉:イ ン ド文 字。 ハ ング ル文 字,イ 文 字,ナ シ 文 字 は,独 特 の文 字 様式 を持 つ もので あ り,系 統分 類 か らは 除外 した 。
お いて,集 団 的 な キ リス ト教 へ の 改宗 とい う成 果 を 挙 げ て い る。 これ は 漢族 に おい て は起 こ りに くか った ことで あ り,「 通 例,中 国(漢 族 一筆 者)文 化 との 接触 が 最 も少 なか っ た人 々 ほど キ リス ト教 に 改宗 され や す く,中 国(漢 族)の 慣 習 を 徹 底 的に 取 り 入 れ てい た人 々 ほど 宣 教 師 の企 て に 影響 されに くい 」[FITZGERALD l941:220]と
い う観 察 は,全 民 族 的 に 何 らか の世 界 宗 教 を信 仰 し,漢 族 との 距 離 を保 って いた 民族 の場 合 を除 けば,基 本 的 に正 しい で あ ろ う。
興 味 深 い こ とに,中 国 西 南部 の少 数 民 族 の 一部 に は解 放 前 か ら民族語 の ロ ー マ字 表 記法 が存 在 して い た が,そ れ らは宣 教 師 に よ って 導 入 され た もの で あ る。 したが つ て 解 放初 期 の時 点 で す で に 民 族語 の ロ ーマ 字 表記 法 が存 在 した とい う事 実 は,0部 の地 域 に せ よ,そ の 民族 内に 集 団 的 な キ リス ト教 へ の 改宗 が あ っ た とい う歴 史 を示 して も い る。具 体 的 に は景 頗 族,傑 便 族,仮 族,拉 砧 族 な どが これ に該 当す る。 解 放 後 は解 放 前 の ロ ーマ字 表記 法 を基 礎 に 改 良 が加 え られ た。 ロー マ字 表 記 に よ る民 族 語 の 書籍 出版 事業 に お い て,こ れ らの 民 族 は周 囲 の他 の 民 族 に 一歩 先 ん じて い る とい う現 状 で あ る。 この場 合,ロ ーマ 字 表 記 法 の存 在 が キ リス ト教 布 教活 動 の一 定 の成 功 を 意 味 し て お り,布 教 が漢 族 に 比べ て 容 易 で あ った と い う事 実 は,ま た,宗 教 面 に お け る漢 族 と の距 離 を 示 唆 して い ると言 え よ う2)。
こ の よ うに,中 国 に お け る漢 族 社会 の拡 大 と各少 数 民族 の 社会 のあ り方 を 考 え る上 で,宗 教 は 「漢字 」 と と もに,大 きな鍵 に な って い る。 上 で 表 に整 理 した レベル で は 漢 族 社 会 との 距 離 が大 掴 み に示 され た。 さ らに,特 に,漢 族 と同様 に民 族 を 挙 げて1
2)た だ し,言 うまで もな く,表1に おいて,キ リス ト教信仰が少数者 にとどま っていたとか,
あるいはキ リス ト教信仰 がないか らとい って,す ぐに,そ の民族 が改宗されに くか ったと断定
はで きない。改宗 されなか った原 因には,単 に当該地域で布 教活動がなか った とい うだけの場
合 もあ り,さ まざまである。
横山 白族の本主信 仰
つ の世 界宗 教 を 信 仰 す る ことが な い よ うな少 数 民 族 に お いて,そ の 宗 教 信仰 活 動 が ど の よ うに 漢 族 と類 似 し,ま た一 線 を画 す か,と れ は従来 の研 究 で は あ ま り明 らか に な って い な い。 漢 族 の 宗 教 を どの よ うに 捉 え るか とい う問 題 と も関 わ り,難 しい 問題 で ほ あ る。 しか し,多 か れ少 な かれ あ っ たで あ ろ う漢 族 宗 教 の影 響 下 で,各 少 数 民族 社 会 が そ れに ど の よ うに 対処 した の か,何 を ど の よ う に受容 した のか,ま た どの 部分 で 独 自性 を 保 った か,こ の よ う な視 点で それ ぞれ の宗 教 を捉 え る こと は,そ の 民 族 文 化 に 対 す る よ り深 い 理解 に もつ な が る と思 わ れ る。 そ して,個 々の 民族 に つ い て そ の よ うな 研 究 を 積 み重 ね て い くこ とが,少 数 民族 を漢 族 を も含 めた 中 国 の諸 民 族 とい う広 い パ ー ス ペ クテ ィヴ に おい て 論 じる こと を可 能 に す る と考 え る。
そ こで以 下に おい て は,筆 者 が 実地 調査 を 行 な った雲 南 省大 理 の 白族 を取 り上 げて, 白族 に 「固有 」[梅 〔 編 〕1988a:20],「 独 特 」[雲 南 省 編 輯 組 1987:157]あ る い は
「 特 殊 」[唐 ・彰 1988:21]で あ る と言 わ れ る本 主信 仰 の実 態 を 明 らか に し,漢 族 の宗 教信 仰 との 比較 を通 して 漢 化 と民 族 の 独 自性 の 維持 につ い て 考 察 した い。
2.白 族 と 本 主 廟
(1)白 族 社 会 の 背 景
筆 者 が 重 点 的 に 調 査 を行 な った 白族 の 村 落(こ こで は蒼 村 と呼 ぶ こ とに す る)は, 大 理 盆 地 の 北端 に 位 置 す る。 盆 地 は 面 積 約250平 方 キ ロの濁 海 とい う湖 の西 側 に 南 北 に 細 長 く開 けて お り,湖 の南 端 に は大 理 白族 自治 州 政 府 の所 在 地,下 関 が あ る。 こ こ か ら省 都 の昆 明 まで は東 南 に 約400キ ロ,西 へ行 く と ビル マ,北 上 す る と チ ベ ッ トに 到達 す る。 唐 代 以 降 モ ンゴル 軍 の到 来 まで,中 国 西 南部 は 「 南 詔 」,「大 理 」 な どの 王 国 の 支配 が続 き,中 国 の 中央 王朝 の領 域 の 外 に 存 在 した。 大 理 盆 地 に は そ れ らの 王 国 の 都 が築 かれ た。 白族 は この大 理 盆 地 の社 会 を主 と して 担 って き た民 族 で あ る。
大 理 盆地 は南 詔,大 理 の 時代 か ら今 日に至 る まで,少 数 民 族 が多 く居 住 す る中 国 西
南 部 に お け る経 済 的あ るい は 文化 的 な先 進地 域 で あ る。 そ の 第1の 理 由 は,当 地 の 社
会 が 漢 族 の 文化 を常 に 吸 収 して きた か らで あ ろ う。 そ れ は 前 漢 の 頃 か ら当地 に 逐 次 や
って きた 漢 族 を通 じて 進 展 して い た が[『大 理 白族 自治 州概 況』編 写組 1986:30‑32],
チ ベ ッ ト勢 力 に脅 威 を感 じた唐 の 支 援 の 下 に南 詔 が地 域 を統 合 して か ら,い よい よ本
格 化 した 。 南 詔 国 王 は高 官 に漢 人 を 登 用 した り,子 弟 を 成 都 まで 派遣 して 学 ば せ て い
る。 中国 西 南 部 が 元朝 の領 域 内 に 組 み入 れ られ ると,当 地 へ も中 央 政府 派遣 の役 人 を
は じめ と して 中原 の 文化 を担 った 人 口の 流 入 が増 大 した。 明朝 が大 軍 を送 って 雲 南 を
国立民族学博物館研究報告別冊 14号 平 定 し,元 代 も存 続 して い た 大 理 国 王室 後 蕎 の段 氏 の勢力 を0掃 す る と,漢 文 化 の浸 透 が さ らに 進展 した。 そ こで 明 清 代 に は科 挙 に及 第 して 役 人 とな る白族 が 少 な くな か っ た。 白族 の 上層 は漢 文 古 典 の 教 養 を 身 につ け,漢 語 を巧 み に操 った。 しか しな が ら, 大 理 盆 地 の 白族 の 集居 地 で の 日常言 語 は あ くまで も白語 で あ り,そ の他 の 点 で 盆地 内 に 住 む漢 族 との違 い が際 立 た ない 状 況 に お い て は,言 語 が 彼 ら と漢 族 とを 区 別 す る重 要 な要 素 とな った[横 山 1988]。
白族 農 村 は 水稲 を 中心 とす る二 毛 作 農業 に 立脚 して い る。 南 詔 国 の 中興2年,つ ま り唐末 の898年 に完 成 した 絵 巻,『 南 詔 図 伝 』[李 〔 森 燦 〕1982:132]に は,現 在 で も 当地 で 行 な わ れ て い る2頭 立 て の牛 に よ る黎 耕 が描 か れて い る。 大 理 盆 地 周 辺 の農業 技 術 は早 くか ら発 達 して い た。 南 詔 の 農 業 生 産 力 は,当 時 の 中 国 国内 の主 要 な 平地 部 の そ れ に 匹敵 す る と も言 わ れ る[藤 澤 1969:509‑518]。 水 田 は盆 地 の溝 海 寄 りの平 坦 な部 分 を 中心 に 広 が って い る。 山 寄 りの傾 斜 地で も水 利 条 件 の 良 い と こ ろに は棚 田 が 作 られ て い る。 水 稲以 外に 夏 作 で は トウモ ロ コ シ,冬 作 で は小 麦 と ソ ラマ メ が重要 な 作 物で あ る。 この基 本 的作 物 構 成 は,漢 族 で 代 表 され る 雲南 省 の 平 地部 農 耕 の類 型 に 属 す る もので あ る[CREDNER l 935:10‑11;TwEDD肌L l978:307‑308]。
大 理盆 地 の経 済 的 お よ び文化 的 な発 展 は,ま た,中 国 内地 の み な らず,東 南 ア ジァ や チ ベ ッ ト,イ ン ドな ど との 交 流 を も可 能 に す るそ の地 理 的位 置 と無 関係 で は な いで あ ろ う。 漢 代 の 「 蜀 身 毒 道」 は,四 川 か ら雲 南,ビ ル マ を経 由 して イ ン ドに至 る。 大 理 は このル0ト の重要 な 中継 地 点で あ る。 古 くか ら交 易 が大 理 の経 済 を促 進 させ て き た と思 わ れ る。 近 い と ころ で は 清末 か ら民 国期 に か け て,イ ン ド,ビ ル マ,香 港,上 海 な どを 股 に掛 け た大 理 商 人 の 活躍 が 特 に 目覚 ま しい が,そ の土 壌 は一 朝 一 夕 に生 ま れ た もの で は な い。 さ らに は 各 種 手工 業 技 術 の発 達 も特 徴 的 で あ る。 特に 建 築 に 携 わ る 白族 の 職人 は各 地 で 名 声 が 高 い。 大 理 盆 地 の人 口密 度 は 高 く,現 在,蒼 村 周 辺 の農 村 で は1人 当 た りの耕 地 面 積 は4ア ール に も至 らず,全 国 平均 の10ア ール を大 き く下 回 って い る。 これ は 白族 が そ れ らの 才覚 と技 術 を もって 盆 地 の 内外 で 農 業 以 外 の 収入 を 挙 げ て きた こと の結 果 で も あ る。
(2)本 主 廟 の 復 興
大 理 盆 地 を 歩 くと,あ ち ら こち らで寺 廟 を 目にす る。 南 詔 国 王 の手 厚 い 保護 を 受 け て 以 来,当 地 に 広 く普 及 して い っ た と言 わ れ る仏 教 の寺 も少 な くな い が[雲 南 省 編 輯 組 〔 編 〕1985:59],最 も多 い の は,白 族 が 「本主 」 と 呼ぶ 神 を祀 る本主 廟 で あ ろ う。
本 主 廟 は他 の寺 廟 と同様 に,注 意 さえ して い れ ば,そ の寺 院 建 築 特 有 の屋 根 で 遠 くか
横 山 白族 の本主信仰
らで も一般 の 住居 で は ない こ とが 知 れ る。 膓 に よ り建 物 や 敷地 に多 少 の大 小 はあ るが, 本 主 を祀 る主 殿 は少 な くと も10数 人程 度 な ら充 分 に 入 れ る広 さが あ る。 一 般 に煮 炊 き を した り,休 憩 した りす る空 間 を 伴 う。 場 合 に よ って は主 殿 とは別 に 「 子 孫 娘娘 殿 」 や 「 財 神 殿 」 など が 隣… 接 して 同 じ敷地 内 に 建 て られ て お り,か な りの広 さ と な る。
1917年 刊 行 の 『 大 理 県 志 稿 』 の巻 六 ・社 交 部 は 「各 村之 本主 廟 今 多 股 像 改 為初 等小 学 校」 と記 して い る。 こ こか らは,ほ ぼ 各 村 に 本主 廟 が あ った 様 子 が 窺 え る。 清 末 の 1909年,太 和 県(明 清 時代 の大 理 盆 地 の 行 政単 位)の 知 県,張 錫年 は,清 国 を破 った
日本 の 「 維 新 」 の 影響 を 受 け た た めか,風 俗 改 良 を 唱 えて すべ て の本主 廟 を廃 止 した 。 中 に は小 学 校 に変 身 した廟 もあ った 。 しか し,や が て 本主 廟 は修 復 され て い った[『 民 族 問 題五 種 叢 書 』 雲 南省 編 輯 委員 会 〔 編 〕1983:71]。
そ して解 放 後,大 躍 進 か ら文化 大 革 命 の 時 期 に 再 び寺 廟 は破 壊 され た。 今 日,文 化 遺 産 と認 め られ る寺 廟 に つ い て は,行 政 的 な 保 護 あ る い は援 助に よ って全 国 的に 再 建 が 進 め られ て い る。 しか しそ の 範 疇に 入 ら ない 本主 廟 に対 して は 国家 的 な援 助 は届 か な い。 それ に もか か わ らず,現 在,大 理 盆 地 で は か つ て の 本主 廟 の ほ とん どが回 復 し て い る。
大 理 盆地 の 白族 農 民 は伝 統 的 に誰 もが,そ の 居 住地 に よ り,一 般 に1つ,ま れ に は 複 数 の本 主 廟 の信 徒 と な る。 本主 廟 の方 か ら言 えば,一 定 の居 住地 域 ご とに 廟が 建 て られ て お り,各 廟 に そ れ ぞれ 固 有 の 神 が祀 られ て い る。 そ れ らの神 々 は 「本主 」 と総 称 され る。 本主 廟 の管 理 す る領 域,つ ま りそ の信 徒 た ちの 居 住 範 囲 は,1つ の 自 然村 で あ る場合 が最 も多 い。 しか し場 合 に よ って は 自然 村 の中 の1地 区,あ る い は複 数 の
自然 村 か らな る こと もあ る。 本主 は地域 ごとに あ り,そ の 地 域 内 の人 と 家畜 を保 護 す る神 と信 じ られ て い る。
(3>蒼 村 の 本 主 廟
蒼村 は 人 口約7,500人,戸 数 約1,500戸 で,盆 地 内 で も特 に大 きな 自 然 村で あ る。 大 理 の村 落 は い ず れ も集村 の形 態 を と り,蒼 村 の 場合,民 家 が 街 道 か ら山 寄 りの傾 斜 地 に密 集 して い る。 この 蒼 村 に は2つ の本主 廟 が あ る。 一 方 の本主 廟 は 集 落 の南 に 寄 っ た 山側 に,も う一 方 は集 落 の北 端 の 湖側 に 位 置 す る(図1参 照)。 南 の廟 は 昔 は 山 の 上 に あ ったが 地 震 で 崩 れ,明 末 か ら清 代初 期 頃 に今 の地 点 に移 され た ら しい と い う。
当時 は と もか く,現 在 は 一般 民家 に取 り囲 ま れ た 中 に あ る。 北 の廟 が 建 造 され た の は
明代 の初 め と言 わ れ る。 そ のす ぐ隣… に は元 来,観 音 や 金 剛 を祀 る寺 が あ っ た。 清末 に
は北 の本 主 廟 の空 い て い る場 所 を 利 用 して私 塾 が 開 か れ て い た。 そ して 民 国期 の1920
国立民族学博物館研究 報告別冊 14号
図1 蒼 村 全 体 図
年 に北 の本 主 廟 と隣… の寺 の 建 物 を 使 って 小 学 校 が 開設 され た。 しか し解 放 直 前 の 時 点 で は,本 主 廟 は学 校 の敷 地 の一 角 に あ りな が ら廟 と して 機 能 して い た。
1958年,大 躍 進 の時 に 北 の廟 は 建 物 もろ と も,ま た 南 の 廟 は 内 部 が壊 され て しま っ
た。 南 の廟 は1982年 か ら修 復 が始 ま り,1983年 に 神 像 が 完 成 して 廟 の体 裁 が 一 応 整 っ
た。 一方,北 の廟 は まず 神 像 が1984年 に先 に 作 られ,臨 時 に 南 の廟 内 の建 物 に 保 管 さ
れ た。1986年 に北 の廟 が 完 成 し,神 像 を 安置 して 「開 光 」 (開 眼 供養)が 行 なわ れ た 。
横山 白族の本主信仰
そ して1987年,塀 を作 り,新 た に 別 の方 角 に 門 を設 けて 念 願 の北 の本主 廟 と学 校 の 敷 地 と の分 離 が 実 現 した。
こ の2つ の廟 は元 来 そ れ ぞれ 別 の本 主 を祀 って い る。 そ して2つ と もが 村全 体 の本 主 廟 と され,こ の 点 は他 村 で は あ ま り見 られ ない 特 徴 で あ る。 一 般 に1村 内 に 複数 の 廟 が あ る場 合 は,村 が 複 数 の地 区 に分 か れ,地 区 ご とに 廟 を持 つ とい う こ とが多 い。
南 の本主 廟 内 に は 「 趙 木 郎 感 応 土主 大 黒天 神 」 と 「天 郎 文 明薪 官 景 帝 」 とい う 「聖号 (神号)」 を持 つ2体 の本 主 像 が あ る。 ま た北 の廟 の本主 は,村 の北 の山 中 に あ る 洞穴
図2蒼 村 北 の 本 主 廟
図3蒼 村 南 の 本 主 廟
国立民 族学博物 館研究報告別冊 14号 に 住 む大 蛇 を退 治 した こ とで 知 られ る杜 朝 選 で,聖 号 は 「主 国太 清 真常 霊 帝 」 で あ る。
両方 と もが 全 村 の本主 廟 で あ る と い う事 情 を 反 映 して か,そ れ ぞれ の廟 に は他 方 の廟 を代 表 す る神 像 あ るい は神 牌 が 置か れ て い る。 本主 の妻 や 子(新 王太 子),子 孫 娘 娘, 痘 二 寄 寄(痘 神),財 神,閻 魔 帳や 「 善 悪 分 明 」 と書 か れ た 巻 物 を持 つ 判 官,牛 王 な どの 家畜 の神 とい った像 は,本 主 廟 一般 に よ く見 られ る もの で は あ るが,こ の2つ の 廟 は それ らの構 成 と配 置 が 特 に 似通 って い る(図2,図3参 照)。
廟 と神 像 の修 復 に要 した計 数 万 元 に 上 る資金 は,最 近 で こそ村 の土 木 建 築 の 出 稼 ぎ グル ー プか らの ま とま った 寄付 が加 わ った が,基 本 的に は村 の 各 世帯 か ら繰 り返 し集 め られ た寄 付 に よ って い る。 経 済 の好 転 が 背景 に あ っ た とは い え,決 して 少 な くな い 負 担 で あ る。 そ れ が 可能 で あ った こ とは,白 族 に と って の 本主 廟 の重 要 性 を 物語 る も の と言 え よ う。 廟 内 に は常 に 「 本主 某 々佑 下,清 吉 平 安,弟 子 某 々叩 敬 」 な ど と書 か れ た赤 い 布 が 何 枚 か 下 げ られ て い る。 村 民 が 特別 の祈 願 を こめ て下 げた もの で,そ の 色が あ せ る こ とは な い。
(4)多 様 な る 本 主
先 に も述 べ た よ うに 「 本 主 」 とい うの は大 理 盆 地 の各地 域 を守 護 す る神 の 総 称 で あ る。 蒼 村 の3柱 の 本主 は,個 性 豊 か な 本主 の群 の 中 の一 部 を垣 間 見 せ るに す ぎな い。
こ こで,多 種 多 様 な 本主 に つ い て 整 理 し,そ の全 体 像 の輪 郭 を捉 えて お きた い。
最 も早 く本 主 信仰 に注 目 した 徐 嘉瑞 は,本 主 を次 の9種 類 に分 けた一(1)自 然 崇拝 と農 業 に 関 わ る もの,(2)英 雄,(3)民 に対 して の功 績者,(4)開 国神 話 中の 人 物,(5)死 を も って 事 に つ と めた もの,(6)貞 女,(7)ト ー テ ムに 類 似 す る もの,(8)孝 子,(9)神 の 家族 や親 戚[徐 1979:278‑279]。 こ こで は本 主 自身 の 元来 の属 性 や 身 分 と,本 主 と して 祀 られ る よ うに な った契 機 の両方 が 分類 基 準 に な って い る。 こ の両 面 は 確 か に 不可 分 な場 合 が 多 い が,あ えて 分 けて 整 理 す る こ とで 本主 の 特 徴 が よ り明確 に な る よ うに 思 わ れ る。
まず,本 主 の 元来 の属 性 や 身 分 に よ って分 類 して み た い。 それ は,大 別 す ると,超 自然 的 能 力 を 備 え た 自然 物 や 動 物 に 種 々 の神 仏 を 加 え た広 義 の 「神 格」,そ れ に対 す る人 間,の2つ に分 け られ る。 この う ち 「神 格 」 の 範 疇 は,① 自然 神,② 動 物神,⑧ 仏 教 由来 の 神,④ そ の他 の 神,の4種 類 に 細 分 され る。 特に 目立 って多 い の は,② に 含 まれ る龍神 と④ に含 まれ る大 黒 天神 で あ る。 一方,人 間 が 本主 と して祀 られて い る 方 は,身 分 や 立 場に よ り,⑤ 土 着 の支 配 者 や そ の 文 臣武 将 と彼 らの家 族,⑥ 中央 王朝 が 派 遣 した 文 臣武 将,⑦ 庶 民,の3種 類 に分 け る こ とがで きよ う。 本主 の素 姓 はす べ
394
e
横 山 白族の本主信仰
て 明 らか で あ ると は 限 らず,現 在 で は そ の名 や 「聖 号 」 しか伝 え られて い ない本 主 も い る。
と ころで,例 え ば⑤ の 土着 の 支 配者 の よ う な場 合 は,そ の 身分 自体 ゆえ,あ る い は そ の 身分 に あ って善 政 を 行 な った と い う一 般 的 評 価 ゆ え 本主 に な る こ とが あ る。 しか し・ ⑦ の 庶 民 の よ う な場 合 に は,当 然,必 ず 何 が 特 筆 す べ き行 為 が 本 主 と して祀 られ る契 機 に な っ て お り,そ れ が 口頭伝 承 され て い る。 そ こで,次 に 本 主 とな る契 機 に つ い て検 討 を加 えた い。
契機 と して 最 も多 い の は,人 々のた めに 功 績 を 挙 げ た と い う もの で あ る。 そ の 中で もと りわ け水 の管 理 に 関 わ る功 績 が 圧 倒 的 多 数 を 占 め て お り,上 の分 類 の① か ら⑦ ま で のす べ て の種 類 の本主 に お い て見 られ る。 特 に水 神 と も言 わ れ る龍 神 が 必 ず 雨 水 の 謂 節 と結 び 付 け られ るの は言 うまで もな い が,木 の瘤 や 牛,さ らに は南 詔 討 伐 で 唐 か ら派遣 され た将 軍 も洪水 や 旱 越 か ら入 々を 救 っ た功 に よ り本 主 と して 祀 られ[大 理 市 文化 局 〔編〕 1988:3,22,55‑57,147‑148ユ,大 理 建 国 の王,段 思 平 も水 害 の 原 因 で あ っ た龍 を 鎮圧 した功 績 で 鎮 龍 将 軍 と して祀 られて い る[大 理 市 文 化局 〔 編 〕 1988:
46‑47]。
こ の こ とは,本 主信 仰 が 当 地 の 自然 環境 や そ こで 営 まれ る生 活 と深 く結 び付 い て い る こ とを 示 して い る。 大 理 盆 地 は 西 を最 高 が4,000メ ー トル を超 え る点 蒼 山 の19の 峰 に よ って 屏 風 の よ うに仕 切 られ,そ こか ら海 抜2,000メ ー トル の湖 まで18の 渓 流 が 注 い で い る。 この地 域 の降 水 は90パ ーセ ン ト内外 が5月 頃 か ら10月 頃 の雨 季 に集 中 して お り[『大 理 白族 自治 州概 況』 編 写 組 'i.:5],乾 季 に 澗 れて い た川 が 濁 流 と化 して 猛 威 を 振 う ことが よ くあ る。 しか しそれ は 水害 の危 険 の一 方 で,灌 洩 に利 用 す る こ と
もで き,水 稲 耕 作 に 有 利 な 条 件 を提 供 した の で あ る。
次1千,結 末 に お いて 非 業 の 死 を 遂 げ る事 件 が 契 機 とな って本 主 に 祀 られ る 場合 が 多 い ・ こ れ に は さ ま ざ ま な 事 件 が あ る が,特 に 代 表 的 な3つ の タ イ プ を 挙 げ る こ と が で
き る。
第1に,人 々 を救 うた め に 自分 が 犠 牲 に な る とい う もの があ る。 例 え ば,蛇 骨 塔 の 伝 承 で 知 られ・ しか もい くつ もの地 域 で 本 主 と して祀 られ る段 赤 城 が典 型 的 な例 で あ る・ 彼 が本 主 と な った 契機 は,庶 民 出身 の 本主 に よ く見 られ る大 蛇 退治 の偉 業 で あ る。
大 蛇 は ま た水 患 の元 凶 で もあ り,こ れ に は 最 初 の水 の管 理 に 関 わ る功 績 と い う性格 も
認 め られ る・ しか し,大 蛇 の腹 の 中に 入 って これ を仕 留 め るが,自 ら も果 て る とい う
悲 劇 性 が,彼 の 本主 と して の威 力 を高 めて い る よ うで あ る。 無 事 に大 蛇 を退 治 した杜
朝 選 な どに 比 べ,段 赤城 を本 主 とす る地 域 は格 段 に数 が 多 い 。 また お そ ら く大 理 盆 地
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国立民族学博物館研究報告別冊 14号 内で 本 主 と して 祀 る廟 の 多 さで は 随0と 思 わ れ る大 黒 天 神 も,こ の 自 己犠牲 のタ イ プ の伝 承 を 持 って い る。 大 黒 天神 は天 上 の 神 の 命で 人間 を殺 害 す るた め に持 って きた毒 薬 を 身 代 わ りに飲 ん で死 んで しま う。
非 業 の 死 を遂 げ る第2の タ イ プ は,か つ て の 土 着首 領 の夫 人,慈 善 夫人 と阿 南 夫人 の場 合 で あ る。 敵 対 す る権 力 者 が土 着 の首 領 を 殺害 し,そ の夫 人 に言 い 寄 る。 しか し 夫 人 は夫 に対 す る貞 節 を 貫 い て 自害 し,本 主 と して祀 られ る こ とに な る。
第3の タ イ プ は,中 央 王 朝 か ら大 理 に 進 軍 した武 将が 当地 で 亡 くな り,本 主に 祀 ら れ た とい う もので あ る。 南 詔 を攻 めた唐 の李旛 将 軍 と そ の部 下 を祀 った もの が ほ とん どで あ るが,明 の武 将 とい う こと もあ る。 この タ イ プ の場 合,当 地 の人 々 に と って 敵 方 の者 を なぜ 祀 っ たか とい う問 題 が あ る。 李廊 らに つ い て は,唐 との 和解 を 求 め た南 詔 の統 治者 が祀 っ た とい う推測 が あ る[張 1983:ll8]。 しか し筆 者 は 大 理 市馬 久 邑 で 次 の よ うな 「 本 主 」 の 由来 伝承 を耳 に した。
〈 「本主 」 の 由来 伝 承 〉
明 の太祖 洪武 帝 が病 床 に 伏 して い た時,意 識 が朦 朧 と す る 中で,眼 前 に 多 くの武 将 が 不 安 げ に 俳徊 し,現 わ れ て は 消 え,消 え て は 現 わ れ る の を見 た。 そ れ に よ って 太 祖 の病 状 は ま す ま す悪 化 した。 そ こで 臣 下 の 劉基 が次 の よ うに 進 言 した 。 「陛下 が昏 迷 中 に ご覧 に な った のは,そ の服 装 か ら推 察 す る と こ ろ,南 詔 の 戦 場 で 亡 くな った唐 将 た ちで しょう。 そ の霊 魂 が さ ま よ って い るの だ と思 われ ます 。 陛 下 は史 官 に お命 じに な って唐 朝 が 南 詔征 伐 に派 遣 した武 将 に つ い て 調査 し,そ れ に 基 づ い て 各 武 将 の 忠 魂 を も って戦 地 の各 村 落 の 『 本 主 』 に 封 じ られ た らよ い と存 じ ます。 忠 魂 はそ れ ぞ れ の廟 に祀 られ れ ば お の ず と安 寧 を 得 て,陛 下 の ご病 気 もす ぐに 平 愈 す る ことで しょう。」 進 言 の よ うに 唐将 を本 主 に 封 じる と,は た して そ の 効 き 目が 現 わ れ た。
明 の太 祖 が この よ うに 功 績 の あ った武 将 を各 村 に神 と して封 じて 以来,白 族地 域 に は 「本 主 」 と一 般 に称 され る神 が存 在 す る よ うに な った。
この伝 承 に は 非業 の死 を遂 げた 武将 た ちの さ ま よえ る霊 魂 の力 に対 す る畏 怖 の念 が
看 取で きる。 そ こか ら翻 って 考 え る と,第1あ るい は 第2の タ イ プ の場 合 に も英 雄性
や貞 女 性 も さ る こと な が ら,非 業 の 死 そ の ものが 本 主 と して 祀 られ る重 要 な 要 素 の1
つ で あ る と推 論 す る こと も可 能に な る。
横山 白族の本主信仰
3.儀 礼 活 動
(1)儀 礼 活 動 の枠 組
信 仰 は儀 礼 に お い て,つ ま り人 々 と超 自然 的存 在 との 相 互行 為 に お いて,具 体 的 な 形 を と って展 開 す る。次 に儀 礼 の レベル で議 論 を進 め るた めに,ま ず こ こで,白 族 の 儀 礼活 動全 体 の枠 組 を見 渡 して お こ う。
白族 の儀 礼 活 動 は,そ の契 機 の点 か ら3種 類 に 分 け て 考 え られ る。 まず,年 中行 事 と して毎 年 季 節 の推 移 の 中で 繰 り返 され る儀 礼(年 中儀 礼)と,人 の 一 生 の節 目に 行 な わ れ る儀 礼(人 生 儀 礼)が あ る。 年 中儀 礼 に つ い て は後 で 詳 述 す る。 人 生 儀 礼 は, 誕 生 と命 名,結 婚,そ して 死 の 各段 階 に おい て 世帯 単 位 で 執 り行 な わ れ る。 年 中 儀 礼 と人 生 儀 礼 は,そ れ ぞれ の時 間 的枠 組 の 中で生 起 す る ことが ほぼ 予定 されて い る。 そ れ に 対 して,さ ま ざ ま な状 況 へ の対 応 と して行 な わ れ る儀 礼(状 況儀 礼)が あ る。 こ れ に は 例 えば 世 帯 に おい て は,家 の新 築 に伴 う一連 の儀 礼,家 族 が遠 方 に 出か け る前 や 病 気 に な っ た場 合 に行 な う儀 礼 な どが あ る。 ま た地 域 単 位で は,火 災 や 旱越 に対 処 す るた め,あ るい は新 しい神 像 の開 眼 供 養 の た め な どに儀 礼が 催 され る こ とが あ る。
白族 の年 中儀 礼 は,さ ま ざ まな 集 団 を単 位 に展 開 す る。 そ の 中で 村 民 一般 に と って 最 も基 本 的 な 単位 は世 帯 で あ る。 表2の 右 の欄 に 蒼 村 の 各世 帯 が 関 わ る年 中儀 礼 の 一 覧 が記 され て い る。 村 内 の どの 世帯 も春 節,本 主 節,清 明節,端 陽節,火 把節(た い まつ 祭 り)・ 7月 の祖 先 祭 祀,中 秋 節,冬 至 節,山 神廟 参 り,竈 神 の 祭 祀,立 春 に 際 して は儀 礼活 動 を行 な う。 か つ て は1月 と10月 の墓 参 も厳 格 に 守 られ た が,現 在 で は 略 して しま う世 帯 の方 が 多 い 。3月3日 の杜 朝 選 の祭 祀 や醐 蝶 会,あ るい は 「 続 三 霊 」 (gz〃sa nan)3)は,盆 地 内の 特定 の廟 あ るい は地 点で 行 なわ れ る村 落 を超 え た活 動 で, 世帯 あ るい は個 人 レベル の 「 参 拝 客 」 とい う性 質 の有 志 の 参 加 が見 られ る。
世帯 単位 で 行 な わ れ る年 中儀 礼 の い くつ かに お いて は,同 時 に 父系 出 自集 団 あ るい は地 域 集 団 を単 位 とす る儀 礼活 動 も行 な わ れ る。 父 系 出 自集 団 の 活 動 は祖 先 祭 祀,つ ま り旧暦7月 の 祖 先 供 養 や 清 明節 な ど年 数 回 の墓 参 時 に見 られ る。 祖 先 祭 祀 は解 放 前 か ら既 に一 部 に おい て,世 帯 あ るい は同 じ屋 敷 地 内 の ご く近 い 関係 に あ る数 世帯 の範 囲 内 のみ で 行 な わ れ るに と ど ま っ たが,解 放 後 の 祭 祀 活 動 の 中断 を経 て 現 在 は この傾 向 が一 層 強 ま って い る。 他 方,地 域 集 団 単位 の 活 動 が 見 られ る年 中儀 礼 は火 把節(た
3)漢 語で 「 編三霊」 と表わ されるのは,白 語 の当て字である。大理盆地 の3カ 所の本主廟を巡
る祭 りであるた め,こ のような字を 当てるのが適当だとの意見 もある。この祭 りでは,か つて
は男女の交流が盛んで,多 くの村 から行列を なして祭 りに参加 した。 イタ リック体 表記は白語。
国立民族学博物館研究報告別冊 14号 表2蒼 村 の 年 中 儀 礼
宗 教 的 組 織 の 活 動 各 世 帯 の 活 動
翻日 劇 洞経会の活動1些 霧需欝 騨 日期 期 日 旧暦) 活 動(
・月馴 玉皇誕 鷹 呈壽鱒 金闘玉皇玄 1月1日 〜3日 春 節 1月 中 墓 参
1月16日 本 主 節(か つて は14EI〜17日)
2月 〜3月 頃 清 明 節 3月3日 *〈 杜 朝 選 の 祭祀>
4月15日 *〈醐 蝶 会>
4月24日 *〈続 三 霊>
5月5日 端 陽節
6月25日 火 把節 7月1日 〜14日 祖 先 祭 祀 (1日 祖 先 迎 え;14日 焼 包)
8月15日 中秋 節
10月 中 墓 参
11月 頃 冬 至 節 12月 中 山 神廟 参 り
12月23日 竈 神送 り(12月30日 迎 え) 12月 〜1月 初 め 立 春
・肺 日μ 元会 庸 元一品賜翫 官紫微大
・月・ 釧 本主誕 1本主主国太清難 霊帝 2月3日i文 昌誕 1擁 聖娼 帝君甦 永 2月・ 釧 }太上老君道徳鱒 2別9日陣 音誕 礁 灘 藻灘 広大霊
3月3日1杜 朝選 の剰
3月・ 剛 財擬 1鐵 如意黒虎玄髄 公大 3月28日陣 王誕 1輔 天斎裡 大帝 4月8日i太 擢 瞬 本師釈迦牟尼仏
4月15日 乾元四品考較火官;本 境
徳道治水龍王
5.月13日
単刀赴会 嚢難 聖関聖帝君昭朔
5月28日隊 膿 隊 陛齢 有感神祇
明6日1 麟 購 北六司星誕
6月24日 関公誕 太 上神威英文雄武昭明翔 漢天尊
明7日! 陣 好 金甲禰
7月・5日t中 元会 摩 二品赦罪地官龍 大 7月・8日i本 擬 1本主天郎文明縮 景帝
8月3日睡 翻 陣 嗣 蠣 王糖
8月・5日i瀦 老祖会1響 楚 土慈航太乙尋声救 8月2刺 孔子誕 隆 婆葺聖蜘 孔子興儒盛 9月9則 九皇会 塵 罐 誤 肇利支天大
10月15日
下元会 下元三品解厄水官洞陰大
命
11月19日
太 陽誕 太 陽炎光旭 日帝君 日光普
照天尊
12月23日