「2002年ソウルスタイル」展から得た教訓
著者 李 文雄
雑誌名 国立民族学博物館調査報告
巻 44
ページ 241‑247
発行年 2003‑12‑26
URL http://doi.org/10.15021/00001866
李文雄
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李 文雄
日本の国立民族学博物館が開催した特別展「2002年ソウルスタイル一子さん一家の 素顔のくらし」は,韓国の生活文化展示の新しい章を開く画期的な展示として記録され
るに十分なものだったであろう。この展示は日本の研究者たちによって企画および調査 研究され日本で展示されたが,このような規模の調査と展示は韓国でも前例がないとい う点で,この特別展は日本人の観覧者たちが現代韓国の生活文化について理解する手助 けとなるだけでなく,生活文化研究のための記念碑的なプロジェクトとして記録される ことだろう。
人々はおよそ,自分たちが住んでいる社会の中で現在進行している社会文化的な変化 について,特段の意識を持っていないものである。一般人はもちろんのこと,社会文化 現象を研究する研究者たちですら,これに関しては同様である。異文化については高い 関心を示しつつも,自文化の研究や自文化の変化そのものについては特に注目していな い。おそらくこのことは,誰でも日常的に接している自己の文化について,その変化を 意識できずにいるためだろう。
だが,異文化に接した時には,生活様式を構成している諸要素の一つ一つが自文化の 方式とは違って新鮮に感じられ,またその差異に注目することにもなる。このような点 から生活文化の研究において,国内の学者たちに注目できない部分まで外国人学者の研 究が研究対象にしている例が多いが,その点は人類学の研究において広く知られている 事実である。まさにこのような点が,今回の民博の特別展において基礎となった佐藤浩 司先生の生活財調査にうまく現れている。ある家族が所有し,使用している一切合財の 生活財を徹底的に映像で記録し,分析し,かっ生活財全体を民族学博物館の所蔵品とし て購入して特別展を企画したことは,実は韓国では想像だに出来ないばかりか,発想自 体からして新鮮なものだった。
この特別展は,日本人の観覧客たちにとっては現代の韓国文化の理解に大きな手助け となっただろう。日本の文化においては,個人のプライバシーを尊重する観念が,韓国 よりも遥かに強いものと思われる。韓国を旅行した目本人観光客たちが,韓国人の家庭 を直接訪問し,韓国人が暮らす現場の生々しい姿を観察する機会を得るということは,
難しいことであったはずだ。また,もしもそのような機会を得たとしても,他人の家に 入って台所の冷蔵庫を開けてみるとか,箪笥や倉庫を開けて,その中に何がどのように 保管されているかを覗き見ることが出来るような機会を得るということは,難しかった であろう。このような点からして今回の特別展は,多くの人々の好奇心を充足させるに 十分なものであったことだろう。別の面では,単にある生活財の存在それ自体を超えて,
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韓国人がそれらをもって何をしていたのか,どのように暮らしていたのか,そしてそこ にどのような意味を与えていたのかに関心を持つこととなったならば,この特別展は韓 国文化一般の理解に重要な基盤を提供したこととなろう。
「李さん一家」の生活財が日本に渡り展示され,民博の収蔵品として永久保存される ということには,重要な意味があると韓国側でも考えている。この3,000余点の生活財 は,今や李さん一家の手を離れたのであう。この生活歯は,一軒の韓国人家庭の「2002 年のタイム・カプセル」として,日本の一博物館に永久所蔵されるということになる。
おそらくこれは,韓国側ではまったく試みすら出来ない重要な作業だと思われる。韓国 では,文化現象が常に変化の過程にあるため,そのようなタイム・カプセルを作る必要 性を感じることが出来ないかもしれない。だが,時が経ち数十年・数百年後には,過去 の生活の姿がどのようであったのかを目に出来る資料がないということを残念に思うこ
とだろう。
私の個人的な経験によっても,この点は明らかに実感したことがある。現在の民博の 韓国生活財所蔵品の中には,私の故郷である嵐山で蒐集されてきたものが少なからずあ る。これらは,1936年の夏に玉本の民俗および社会医学的調査チームが車山の達意で現 地調査を行った際に蒐集されたものである。この調査には,民俗学的調査を担当した東 京のアチック・ミュ一当アムの宮本由太郎・小川徹・村上清文など同人3名と,社会医 学的調査チームである東京帝国大学の学部生12名が調査員として参加した。この時に調 査地である達里と蔚仙の姿を記録した映画([財団法人]宮本記念財団所蔵;13分35秒)
は,60余年前の福山の人々が生きていく姿を活き活きと見せてくれる貴重な映像資料と して現存している。この時に蒐集された生活財は,その後にアチック・ミューゼアムの 所蔵品に加えられ,最終的に今では民博の所蔵庫に入っている。私はこの生活面所蔵品
を「民博の蔚山コレクション」と呼び,その背景についての情報を集めて,『民博通信』
(1996年,No.73:pp.16−29)に一編の文章として発表したことがある。このコレクション の生活財は,1930年代に主に農家で使用されていたものとして,今や白山においてすら も探し出すことが出来ないようなものである。繰り返せば,もうこのようなものを見る ためには日本の民博の所蔵庫に来るしかないのである。
今回の特別展を通して民博に構築された韓国人家庭の「2002年のタイム・カプセル」
も同様の性格のものだと思われる。「李さん一家」の生活面は,時が経つほどに価値を増 したコレクションとなるだろう。李さん一家はこの生活財を民博に譲渡し,新しいもの を揃えた。もちろん生活様式に少なからぬ変化があることだろう。だが明らかなことは,
このタイム・カプセルが,今後もいっでも2002年のソウルのある都市家庭の生活財を民 族誌的現在(et㎞ogrgphic present)の状態で語ってくれるという点だ。これは,韓国文化 研究のための一つの貴重なデータベースが民博に構築されたということを意味する。
私はこのプロジェクトの初めから資料蒐集と調査を経て特別展まで,そしてこのシン
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ポジウムに参加するまで,現場を観察できる機会を持つことが出来た。これは私にとっ て実に幸運なことであった。朝倉敏夫・佐藤浩司両先生のパイロット・サーベイ,大野 木啓人・中西島風先生のソウルでの現地調査,そして佐藤先生の李さん一家調査現場に ソウルで接し,ソウルから運送されてきた李さん一家の家財が日本の民博に到着する現 場,そして展示を準備する現場も直接見る機会が私にはあった。この全過程の緻密な計 画と体系的な管理は,私が得た貴重な教訓だった。そして何よりも,佐藤浩司先生の体 系的で徹底的な生活面の調査と管理,そしてコンピュータでデータベースを構築すると いう研究は,私個人だけではなく韓国の「チプ研究会」構成員全員に生活財研究の一つ の貴重な模範を呈するものだった。
佐藤浩司先生は,今回のシンポジウムで李さん一家の生活財資料をコンピュータ上で 整理し,多様な次元で提示するデモンストレーションを行って下さった。彼の分析方法 は,生活財調査を更に一段階進展させた重要なものだったと思う。今後,彼のデータベ ースと分析結果がCDに作り上げられ,より多くの研究者たちに公開されれば,「佐藤浩 司方式」は必ずや新しい研究分野を開拓した功労を認められることだろう。
特別展は幕を下ろし,李さん一家の生活感は民博の新しいコレクションとして残った。
だが私はこの段階でこのコレクションと特別展の意味を更に活かすため,一つ提案をし たい。その提案とは,この生活財を使用していた主人公である李さん一家の生活史(li飴 histOly)研究である。李さん一家はソウルの普通の市民ではあるが,彼(女)らの社会文 化的な背景を理解しないまま,彼(女)らの生活財だけで韓国文化一般を理解しようと することは無理だと考えられる。彼(女)らの出身地域の背景・社会階層・学力・職業 などとともに生活財コレクションを分析して初めて,韓国文化に対するいっそう意味深 い描写が可能であろう。実のところ李さん一家は,韓国文化の中で伝統と現代の両方の 軸を見せているという興味深い事例である。この家族の出身が韓国で伝統的な両班文化 の要素を最も濃く残していると言える安東地方であり,また現在までも故郷と緊密な接 触を保ちつつ生活しているという点からして,この生活財コレクションは韓国文化の現 住所であるばかりか,「伝統」と「現代」の両面をあわせ持つ良い事例となりうる。だが 一方で李さん一家は,首都ソウルで三代が同居しており,ホームページや家族新聞を作 るなどしており,他の一般家庭ではなかなか見られないような特性を持っている。現代 韓国の一般家庭の生活を代表する事例としては見難いという点も,このコレクションの 性格を理解する上で必要な部分なのである。このような点は,李さん一家の生活史が作 成されれば,もっと広い韓国文化の脈絡から理解され位置づけられることとなるだろう。
今回の民博の特別展「2002年ソウルスタイルー李さん一家の素顔のくらし」は,
実に大きな文化イベントであった。これを成功裏に終わらせた民族学博物館に心から拍 手を送りたい。最後に,このプロジェクトを現場で引っ張っていらした朝倉敏夫先生と 佐藤浩司先生の推進力と創意的探究心に,私は深い敬意を表したいと思う。
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