富士山と日本陸軍の少年兵養成 ‑陸軍少年戦車兵学 校小考‑
著者 松本 武彦
雑誌名 山梨学院大学法学論集
巻 第76号
ページ 262(1)‑220(43)
発行年 2015‑07‑15
URL http://id.nii.ac.jp/1188/00003231/
論
富
説士 山 と 日 本 陸 軍 の 少 年 兵 養 成
││ 陸軍 少年 戦車 兵学 校小 考│
│
松 本 武 彦
目 次 はじ めに 一
先行 研究
・史 料 二
少戦 校の 創設 から 終焉 三
兵士 とし ての 少年 戦車 兵 . 志願 と採 用 . 入校 試験 . 待遇 四
少戦 校の 教育 活動 . 期間
・組 織・ 内容 . 戦争 末期
─ 262 ─
. 生徒 の殉 職 . 西富 士演 習場 五
少戦 校の 宣伝 活動 . 宣伝 によ る生 徒募 集 . 軍神 . 映画 .
﹁少 国民 総決 起大 会﹂ 六
少戦 校の 活動 と富 士山 . 設立
・募 集・ 入校 . 訓練 . 富士 登山 七
卒業 後 . 戦地 へ . 船舶 部 おわ りに
││ 敗戦 と閉 校
はじ めに 日中
戦争 以降 の中 国大 陸や 太平 洋︑ 東南 アジ アの 戦線 での 日本 軍の 主力 戦車 は︑ 九七 式中 戦車 と呼 ばれ た︑ 乗員 四名
︵戦 車長
︑砲 手︑ 操縦 手︑ 機関 手︶ のデ ィー ゼル エン ジン 車だ った
︒昭 和十 年頃
︵一 説に 昭和 十一 年︶ 開発 が
始ま り︑ 昭和 十三 年頃
︵一 説に 昭和 十二 年試 作車 竣工
︶完 成し
︑皇 紀二 五九 七年 に制 式化 され たの で︑ 九七 式と さ れた
︒秘 匿名 称で は﹁ チハ 車﹂ と呼 ばれ たが
︑﹁ チ﹂ は中 戦車
︑﹁ ハ﹂ は同 型の うち
﹁イ ロハ・
﹂即 ち三 番目 に設 計さ れた もの であ るこ とを 示し てい た︒ 最高 速度 時速 三八 キロ メー トル
︑超 濠能 力二
・五 メー トル
︑徒 渉水 深一
・〇 メ ート ル︑ 航続 距離 二一
〇キ ロメ ート ルと いう 能力 を備 え︑ 昭和 十七 年ま でに 東京 製作 所︵ 三菱 重工 業︶ にお いて
︑ 車体 一二 二四 輌︑ 機関 一六 一〇 台︑ 昭和 十五 年二 月か ら十 八年 十一 月ま でに 日立 製作 所亀 有工 場に おい て三 五五 輌
︵一 説に 二七 九輌
︶が 生産 され たほ か︑ 相模 造兵 廠等 でも 生産 され た︑ とい う︒ エン ジン は空 冷式 ディ ーゼ ルエ ン ジン 一七
〇馬 力で
︑前 輪駆 動だ った
︒兵 装は 五七 ミリ 砲一 門︑ 七・ 七ミ リ重 機関 銃二
︵砲 塔後 部お よび 車体 左前 面︶ で︑ 後に 高初 速の 一式 四七 ミリ 戦車 砲が 搭載 され たの が︑ 九七 式中 戦車 改で ある
︒装 甲は 実戦 にお いて 種々 改 良や 増強 がな され
︑一 部の 車体 で五
〇ミ リに なっ た︒ その 結果
︑重 量は 当初 一三
・五 トン であ った が︑ 最終 的に は 一五
・三 トン に達 した
︒昭 和九 年頃 で制 作費 はト ンあ たり 約一 万円 とさ れて いた から
︑九 七式 の一 輌あ たり の制 作 費は 約一 五万 円と する こと がで きる()
︒ 本稿 が考 察の 対象 とす る陸 軍少 年戦 車兵 学校
︵以 下︑
﹁少 戦校
﹂と 略記
︶に おい ても
︑実 習に 使わ れた のは
︑一 二気 筒︑ 一七
〇馬 力︑ 軽油 ディ ーゼ ルエ ンジ ンの 九七 式中 戦車 だっ た()
︒ 日本 にお ける 戦車 部隊 の歴 史は
︑大 正十 四年
︑久 留米 に第 一戦 車隊 が創 設さ れた こと に始 まる
︒同 部隊 は︑ 昭和 八年 戦車 第一 聯隊 とな る︒ 久留 米で の戦 車隊 創設 と同 年︑ 千葉 歩兵 学校 に第 二戦 車隊 が置 かれ
︑同 部隊 が昭 和八 年 に戦 車第 二聯 隊と なっ た︒ 以降
︑昭 和八 年︑ 久留 米の 戦車 第三 聯隊 から 昭和 二十 年七 月︑ 独立 戦車 第九 旅団 隷下 に 編成 され た戦 車第 五十 二聯 隊ま で︑ 四〇 を超 える 戦車 聯隊 が編 成さ れ︑ 中国 大陸 やフ ィリ ピン
︑タ イ︑ マレ ー半 島︑
─ 260 ─
サイ パン
︑ラ バウ ル等 に﹁ 陸戦 の華 形﹂() とし て出 動︑ 転戦 した()
︒ 以上 の部 隊に 対し
︑戦 車戦 に特 化し た戦 術や 機械 工学 など の基 礎を 身に つけ た下 士官 を供 給す る学 校と して 当初 は千 葉の 戦車 学校 内に
︑さ らに 移転 して 富士 山西 麓に 設け られ たの が︑ 少戦 校で あっ た︒ この 学校 の沿 革︑ 設立 の 背景
︑教 育内 容︑ 学生 の特 質な どに つい て明 らか にす ると とも に︑ それ らと 大多 数の 生徒 がそ の自 然環 境の 下で 活 動し た富 士山 との 関連 につ いて 考察 しよ うと いう のが
︑小 文の 目的 であ る︒ 一
先行 研究
・史 料 少戦
校そ のも のに 関す る専 論は 必ず しも 充実 して いる とは 言え ない
︒少 戦校 の生 徒が
︑多 くは 高等 小学 校卒 業か 中学 校︑ 実業 学校
︑青 年学 校在 学中 の十 代な かば から 後半 の若 者︑ とい うよ りま だあ どけ ない ごく 少数 の少 年達 で あっ たか らで
︑少 年飛 行兵 など とあ わせ てい わゆ る少 年兵 全体 の考 察の なか で言 及さ れて きた にす ぎな い︒ そう した なか
︑高 野邦 夫は 陸軍 の少 年兵 の生 成と 展開 に関 して
︑大 部分 はア ジア 太平 洋戦 争の 始ま りと その 進 展・ 拡大 に対 応し たも ので あり
︑兵 器の 精密 化の ため 早期 の専 門的 知識
・技 術を 身に つけ る必 要が あっ たか らで あ る︑ とし
︑徴 兵よ りも 早期 に軍 人と して の教 育に 接し 得る こと が︑ 少年 達が 少年 兵養 成の 各種 の学 校を 選択 する 理 由と なっ てい た︑ と指 摘し てい る()
︒ また
︑安 田武 は︑ それ ほど 単純 では 無い かも しれ ない とし つつ も︑ 制服 や七 つボ タン
︑純 白の 絹の マフ ラー など 外見 にあ こが れて 多く の少 年兵 が死 地へ 向か った ので はな いか とし てい る()
︒以 上の 指摘 は先 駆的 なも のと して 貴重
だが
︑こ うし た指 摘と 同時 に︑ 彼ら の置 かれ た経 済的
︑社 会的 環境 にも 関心 を向 ける 必要 があ るの では ない だろ う か︒ 少年 兵研 究の なか で︑ 少戦 校に 比較 的ま とま った 言及 をお こな って いる のは
︑奥 村芳 太郎 であ るが
︑事 実問 題の 指摘 が中 心で ある()
︒ さら に逸 見勝 亮は
︑少 戦校 の生 徒募 集の あり 方を 検討 する なか で︑ 軍は 直接 小学 校な どへ 出む いて 宣伝
・勧 誘し たが
︑そ のほ うが 効果 があ った と認 識し てい た︑ とし てい る()
︒ また
︑加 登川 幸太 郎は 日本 陸軍 にお ける 機甲 部隊 の整 備に 関し て︑ その 契機 をノ モン ハン 戦と ドイ ツの 電撃 戦に 求め
︑た だし それ らに よっ て着 手さ れた 機甲 戦備 の充 実は 二年 にし て頓 挫し た︑ と指 摘し てい る()
︒ 地域 史研 究の 中で
︑少 戦校 にま とま って 触れ てい るの が︑
﹃富 士宮 市史
﹄で ある
︒設 立経 過や 背景 など のほ か︑ 地域 が少 戦校 に対 して どの よう な対 応を おこ なっ たか につ いて は︑
﹁反 対も 多少 あっ たよ うで ある
﹂と 述べ てい る()
︒
10
少戦 校に おけ る植 民地 出身 少年 兵︑ 特に 朝鮮 人少 年兵 の問 題を 明ら かに して いる のが
︑北 原道 子で ある
︒日 本に よる 植民 地支 配の 下で 少戦 校を 志願 した 朝鮮 人少 年達 の﹁ 悔悟
﹂﹁ 無念
﹂を 指摘 し︑ その 背景 とし ての 当時 の日 本 社会 にお ける 朝鮮 人差 別の 存在 に注 目し てい る()
︒
11
以上 の研 究を 通覧 すれ ば明 らか にな るが
︑少 戦校 に関 する 研究 や史 料は 決し て十 分で はな い︒ 従っ て︑ 上述 の北 原の 論考 のよ うに
︑少 戦校 出身 者へ の聞 き取 りを おこ なう など して
︑史 料が 少な いと いう 隘路 を切 り開 く努 力が 必 要だ が︑ 本稿 でも
︑後 掲の よう に少 戦校 出身 者へ の聞 き取 りを おこ なっ てい る︒ ほぼ 唯一 と言 って よい 原史 料と して
︑﹃ 陸軍 少年 戦車 兵学 校状 況説 明資 料 昭和 二十 年九 月五 日﹄ があ る︒ 防衛
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省防 衛研 究所 図書 館が 所蔵 する
︒少 戦校 の校 史と いう べき 部分 と昭 和二 十年 九月 つま り少 戦校 が機 能を 停止 した 時 点の 状況 を説 明・ 報告 した 部分 とか らな る︒ 少戦 校出 身者 およ び旧 教官 によ って 構成 され る若 獅子 会の 機関 紙﹃ 若獅 子﹄ は一 九六 六年 に創 刊さ れ︑ 二〇 一一 年に 五〇 号で 停刊 した
︒少 なく とも 二〇 年の 歳月 を経 て刊 行さ れた もの であ るか ら︑ その 記述 内容 は歳 月に よる 記 憶の 劣化 を蒙 って いる 可能 性が 大で あり
︑そ の意 味で は近 年な され た聞 き取 り調 査の 内容 が持 つ資 料と して の限 界 と同 様の 限界 を持 って いる が︑ おお むね 年一 回刊 行さ れた
﹃若 獅子
﹄に 蓄積 され た回 想や 記憶 によ って 再構 成さ れ た史 料は
︑重 層的 に使 用す るこ とで
︑十 分に 少戦 校史 研究 の用 途に 耐え うる もの と考 えら れる
︒ 二
少戦 校の 創設 から 終焉 少戦
校開 設の 背景 や経 緯︑ 開設 後の 教育 等の 展開
︑施 設設 備の 概要 は以 下の とお りで ある
︒ 少年 戦車 兵制 度お よび 少戦 校の 創設 には
︑そ の背 景と して いく つか の点 が指 摘さ れて いる
︒の ち︑ 少戦 校初 代校 長と なる 玉田 美郎 は︑ 一九 三九
︵昭 和十 四︶ 年の ノモ ンハ ン事 件が その 後の 戦車 関係 施策 に影 響し
︑戦 車聯 隊の 増 設と 主と して 中国 東北 部へ の配 備や 戦車 隊下 級幹 部︑ 中堅 の養 成す なわ ち少 年戦 車兵 制度 の設 置に つな がっ たと し てい る()
︒玉 田自 身が
︑戦 車第 四聯 隊を 率い てノ モン ハン での 戦車 戦に 参加 し︑ 九日 間の 戦闘 で戦 車の 三分 の一 を失
12
い︑ 八〇 数名 が戦 死し た() とい う体 験を 持っ てい る︒
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しか し︑ 部隊 の機 甲化 など 近代 装備 の急 速な 充足 が︑ 日中 戦争 の拡 大と 欧米 各国 との 国力 の差 によ り()
︑十 分に お
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こな えな かっ たた め︑ これ を補 うた めに は﹁ 兵員 とく に幹 部の 資質 を向 上し
︑一 騎当 千の 強者 を養 成す るの 外な し﹂ とな った()
︒玉 田は
︑昭 和十 一年
︑第 七師 団司 令部 附︑ 陸軍 戦車 学校 教官
︑昭 和十 五年
︑公 主嶺 学校 戦車 教導 隊
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長を つと めた のち
︑昭 和十 六年
︑陸 軍少 将と して 千葉 戦車 学校 附︑ 少戦 校校 長と なる()
︒上 層部 も本 人も 第一 線部 隊
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の指 揮官 とし ての
︑ノ モン ハン の戦 訓を 何と かし て生 かそ うと した もの と言 えよ う︒ 少戦 校の 前身 は昭 和十 一年 八月 に千 葉市 黒砂 で設 立さ れた 陸軍 戦車 学校 内に
︑昭 和十 四年 七月 十四 日の 勅令 第四 八五 号に 基づ いて
︑昭 和十 四年 十二 月一 日生 徒隊 とし て設 置さ れ()
︑昭 和十 六年 十一 月二 十八 日の 勅令 第一
〇一 五号
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によ り︑ 同年 十二 月一 日︑ 初代 校長 玉田 美郎 のも とで 少戦 校の 開設 とな った()
︒そ の任 務は
︑﹁ 戦車 関係 ノ現 役兵 科
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下士 官タ ルコ トヲ 志願 シ召 募試 験ニ 合格 シタ ル者 ヲ以 テ生 徒ト シ戦 車関 係現 役下 士官 ニ必 要ナ ル教 育ヲ 実施
﹂し
︑ 加え て﹁ 予備 役下 士官 タル ベキ 特別 幹部 候補 生ノ 教育 ヲ実 施ス
﹂と され た()
︒
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昭和 十四 年十 二月 一日
︑第 一期 の生 徒一 五〇 名が 入校 し︑ 彼ら は昭 和十 六年 七月 第一 回卒 業生 とし て各 戦車 部隊 に﹁ 配付
﹂さ れた()
︒
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そう した なか
︑戦 車学 校生 徒隊 が所 在し た千 葉市 周辺 は︑ 都市 化が 進み また 多数 の部 隊が 駐在 して
︑少 年兵 教育 に不 備な 点も 現れ たた め︑ 少戦 校設 立委 員会 が戦 車学 校校 長な どに よっ て結 成さ れ︑ 戦車 学校 にお ける 学術 研究 な らび に既 成幹 部の 練成 教育 と生 徒教 育の 分離 をは かっ て︑ 生徒 隊の 新天 地へ の分 離独 立が 計画 され た()
︒そ の時 期は
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おお むね 昭和 十六 年後 半頃 で十 一月 には 近衛 師団 主計 大尉 が大 宮町 をお とず れ御 料地 拝借 権を 一万 円で 買収 し︑ 当 該地 内の 二七 戸の 移転 が進 めら れて いる()
︒少 戦校 の転 営場 所は
︑富 士山 の西 麓︑ 静岡 県富 士郡 上井 出︵ 現 富士 宮
22
市上 井出
︶で
︑こ の地 が選 定さ れた のは
︑北 隣に 西富 士演 習場 が存 在し
︑当 時の 満洲 に似 た地 形が 存在 する こと や
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