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﹃狭衣物語﹄第二系統本文 の 特徴 について

︱巻一天稚御子降臨譚以前 今   井   久   代

﹃狭衣物語﹄の伝本の複雑さはつとに有名である︒大まかな筋立ては変わらぬが︑細かな表現︑作中人物の会話︑心中思惟︑和歌などに大きな異同を抱えた古写本が多数現存するのである︒現代からすれば改作と見まごう大きな改変であるが︑﹃無名草子﹄では︑﹃狭衣物語﹄については改作されたと評されてはいない︒﹃無名草子﹄が改作とする﹃とりかへばや﹄は︑作中人物の性格のほか︑女主人公が最終的に結ばれる相手が色好みの宮の宰相から帝に変わる

などの筋立て上の変更もあったようで︑こうした大きな変更を含んで始めて改作と認識されたのだろう︒﹃無名草子﹄に引用された﹃源氏物語﹄も︑現行の青表紙本系本文とは全く異なり︑別本とも少々違う異文であるが︑むろん改作

された等の言及はなく︑桐壺更衣の描写として問題視されずに引用されている︒十三世紀前半に︑藤原定家と源光行親行父子が相次いで原典に近い証本を定めたのは︑﹃源氏物語﹄そして紫式部

への深い敬意があってこその︑特別な現象なのだろう︒﹃源氏物語﹄の両系統の本文が︑﹃狭衣物語﹄の異同の複雑さに比べれば同系統とみるほどの近さをもっているのは︑早くに本文研究が始まったことに加え︑原典に近いことが明白な︑来歴の確かな善本が︑二百年後も大切に継承されていたことを物語ろう︒一方で︑時雨亭文庫蔵﹃物語二百番歌合﹄所収歌のうち六十番

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歌﹁九重の雲の上まで昇りなば天つ空をや形見とは見む﹂は︑深川本など第一系統︑そ

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の他の一

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部に見える歌で︑定家がその種の系統の本文から同歌合を選んだことを推察させるのだが︑定家自身は﹃狭衣物語﹄の証本を作る︑あるいは所持本を善本として伝えるなどもなかったのだ︒﹃狭衣物語﹄の伝本系統の複雑さ

は︑定家が本文研究の対象としなかったからではあるのだが︑﹃源氏物語﹄に並ぶ作品として愛好しながら一愛好家にとどまろうとしたのは︑この作品に対する定家の理解と見識を推察させなくもない︒定家にとって﹃狭衣物語﹄

は︑すでに大きな異同と変改を抱えた作品としてこそ愛読すべき作品だったのではあるまいか︒現存写本は︑三系統︵巻一のみ四系統︑巻四は二系統か︶に大別されるというのが共通理解であるが︑いずれが原典に近いかは現在も決着をみ

2

ない︒それでも現在までに︑第一系統の深川本・内閣文庫本︑第三・四系統の古活字本・春夏秋冬四冊本をそれぞれ底本とする注釈書が刊行され︑それぞれに即した読みが重ねられている︒ところがこ

のなかで第二系統のみは他二系統との比較対照に際し断片的に言及されるばかりで︑この本文自体に即した論考は停滞している︒これは第二系統がいずれにせよ改変であるらしいこと︑また巻一から巻四まで揃って第二系統と目し得

る本文をもつ写本がなく︑巻ごとに第二系統と目し得る本文をもつ写本が異なっていること︑またその本文が多少の差はあれ︑他系統との複雑な混態を抱えていそうであることによろう︒深川本︵第一系統︶の本文とも︑流布本︵第三・四系統︶の本文とも︑異なる系統の改変本文︵異文︶︑という段階で研究が留まっているのである︒しかしながら﹃狭衣物語﹄の場合︑三系統が複雑に混融する多様な形の本文を残す多数の写本が残り︑かつもっと

も古い写本でも鎌倉時代を遡り得ない以上︑今後も原文に近い本文を見出すのは困難である︒だがその一方で︑十一世紀に成立したあと︑どのように改変が為されていったのか︑物語改変のエネルギー︑その方向性や特徴を探るため

にも︑深川本とも流布本とも対立的な本文が︑どのような世界観をもつのか︑あるいは一定の世界観があるのか︑またこの系統の本文にどのようなバリエーションが抱え込まれているか等を考究することは︑なお有効と考えられる︒

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原典を求める研究では軽視されてきた第二系統本文だからこそ︑改作という意識もないままに自由に改変されていった︑平安後期から鎌倉初期にかけての物語文学の様相を考える一助たり得るのではないか︒本論文では︑第二系統の本文の精読の試みの一として︑伝慈鎮筆本と伝為家筆本︵以下慈鎮本︑為家本と略す︶とを校合しながら︑巻一の天稚御子降臨譚までを中心に考究する︒またこのとき︑深川本︑流布本との大きな異同を比較しながら︑第二系統の世界がどのような特徴を持っているかを考えたい︒比較を簡略化するために︑第一系統は小学館新編日本古典文学全集︵深川本底本︶の本文及び頁数︑第二系統は為家本または慈鎮本の本文及び頁数︑第三・四系統︵流布本︶については新潮日本古典集成︵春夏秋冬四冊本︶の本文及び頁数を示し︑諸本の異同の傾向を把握するには中田剛直﹃校本狭衣物語﹄︵桜楓社︶を参考とした︒為家本・慈鎮本については﹃狭衣物語諸本集成﹄の翻刻によった︒

二︑為家本と流布本︱天稚御子降臨前まで慈鎮本の巻一の独自異文については︑前半部は前田本に近く︑後半部は為家本に一致するという指摘があ

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る︒また片岡利博は︑為家本の最初の方は流布本系の本文であり︑慈鎮本を第二系統の最善本とみるべきとす

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る︒実際︑天稚御子降臨の直前︑具体的には帝と東宮の御前でそれぞれに楽器が配布される箇所までの為家本は︑多少の異同もある

がほぼ流布本に一致し︑一方で慈鎮本は大きく異なる本文である︒また後述するように︑この慈鎮本の本文が第二系統の狭衣像の語り方と同様の略述や詳述を抱えているのである︒なお︑楽器配布以後の会話場面からは為家本と慈鎮本は近づき︑解釈しにくい表現までほぼ一致する︒慈鎮本との校合で為家本の誤記を訂正したり︑逆に慈鎮本の方が明らかな誤りの箇所もある︒和歌については両者に大きな異同が見られ︑慈鎮本には複数歌が列挙される傾向にある︒

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為家本の冒頭部分は︑諸氏の指摘の通り第四系統︵流布本︶に非常に近いが︑次のように︑注目すべき流布本系との大きな異同もある︒︵傍線部分︑為家本のみに確認され︑流布本にない本文︒点線囲み部分︑流布本に確認される

が︑為家本にない本文︶二つほど確認する︒①井出のわたりに異ならず見わたさるる夕ばへのをかしさ︑光源氏の身も投げつべきとのたまひけんもかくや︑な

ど︑ ひとり見たまふも飽かねば︑︵山吹の花を一枝折って源氏宮を訪問する︶︵為家本

く︑苦しくう思すさるる折々もあるべし︵為家本 ②覆ふばかりの袖のいとまなげに︑あたりこちたき御心ざしどもを︑大人びたまふままにありうきは頼まれぬべ

1

オ︑集成九頁︒新全集一七頁に相当︶

のをこりずまに身も投げつべき宿のふぢ波﹂若菜上巻︶︑山吹を﹁一枝﹂手折って源氏宮に会いに行き︑山吹を手ま 統のすべて︑第三系統の多くにも確認できる引用だが︑﹁身も投げつべき﹂は藤の花の歌であり︵﹁沈みしも忘れぬも 夕ばえ︑その山吹の花を折り取って源氏宮訪問︑という文脈に挿入された源氏物語引用である︒為家本ほか︑第一系 ①は青葉繁り︑満開の中島の藤は山ほととぎすを待ち顔で︑池のみぎわの八重山吹も井出のほとりを思わせ咲き誇る

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オ︑集成一四頁︒新全集二三頁相当︶

さぐる源氏宮の美しさに心奪われるという文脈にやや異質な引用である︒深川本では藤と山吹を﹁一房ずつ 00﹂手折るとし︑これならば文脈に添うが︑為家本同様に内閣文庫本など﹁一枝﹂とする本も多い︒藤の花は池の中島で咲いて

おり︑池の汀の山吹のように簡単に手折ることはできないので︑両方手折るのも不審である︒結局︑物語引用による文飾を好むか︑それとも自然な文脈を重視するかが︑異文の分かれ目と思われる︒慈鎮本では流布本と同様に源氏物語引用はない︒慈鎮本は全体的に仏典引用︑物語引用に消極的であり︑物語引用については︑堀河大臣が右大臣の秘蔵娘を噂するに際して﹁みづからくゆるの宮腹の娘のやう﹂︑あるいは東宮が狭衣の心情をはかるため﹁︵堀河大臣は

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二人をいっしょに育てて︶仲澄の侍従の真似す﹂︑と語る二カ所のみにみられ︑いずれも作中人物の軽妙な発話内の引用という︑極めて限定的な形での引用であるのが注目される︵巻一︶︒②は﹁大人びたまふままに苦しう﹂︵流布本︶と﹁うきは頼まれぬべく苦しく﹂︵為家本︶で︑大きく違っている︒この﹁うき﹂﹁頼む﹂表現は︑細かな異同を含みつつ第四系統以外は︑第一系統から第三系統まで広く確認される︒第一系統では︑直前に母宮が﹁天人などのしばし天降りたまひたるにや﹂︵新全集二三頁︶と恐れる叙述があるので﹁憂きは頼まれぬべき心地﹂は︑﹁この世が疎ましい身は天上界からの迎えを頼みにしてしまいそうな心地﹂と解釈さ

れている︵岩波大系︑小学館新全集訳

のためとげにあらはれたまへるとかたじけなくあやふきものに思ひきこえさせたまひて﹂とあり︑何を﹁頼み﹂とす ︶︒一方為家本では︑前に天人についての叙述はなく︑かわりに﹁この世の光 5

るのか︑それに﹁憂き﹂がどう関わるのか難解である︒流布本では﹁大人びたまふままに苦しう﹂となって﹁憂き﹂﹁頼む﹂表現が無くなるのは︑この表現の据わりの悪さのためだろう︒もっとも︑天人がしばし天降ったかと噂され

る身とはいえ︑第一系統のように昇天を頼みにすると解するのもやや唐突な感はある︒天人降臨が語られる﹃うつほ﹄﹃寝覚﹄︑いずれも昇天には至らないのだから︒

この箇所は︑慈鎮本では﹁この世の人のため阿弥陀仏の御かたちをわけて︑けふ︵希有︶のことなしたまひて︑へむ︵変︶じたまへる﹂とあり︑②部分の﹁覆ふばかりの袖のいとまなげにこちたき御心ども︑うきを頼まれ 0人の苦

しげにぞ見えたまふ﹂に続く︒この慈鎮本の叙述には︑源俊頼の﹁身の程のうきを思ふにまとはれて弥陀の教へもたのまれ哉﹂︵散木奇歌集

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︶を引歌に想定できるのではないか︒通常は憂愁は発心の契機︵つまり救いの糸口︶だ

が︑身の卑しさへの憂愁深さに囚われて極楽浄土の救いを頼みにも出来ない︑ぐらいの意味の和歌である︒これを引歌と考えると︑慈鎮本では︑周囲からは阿弥陀仏の顕現と囁かれる優れた人物ながら︑厚すぎる両親の愛情に︑狭衣

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自身は︵親の溺愛ゆえの︶憂愁にまつわられ︑憂愁が導く阿弥陀仏の教えを頼みにもできない︑くらいの意になろう︒校本によると︑ここに﹁阿弥陀﹂とある本は他にも多数存在する︒例えば伝飛鳥井雅章筆本︵狭

有︶では︑﹁この世の光のために阿弥陀仏の仮にせうのことをなして出でたまへるにやと天の下のめでたさになりたまへる︒言ひ知らぬ賤の男なども見たてまつりては︑我が身の上も皆忘られて思ふことなき心地しつつ︑あさましげ

なる顔の行方も知らず笑みひろごりて︑あるは拝みたてまつり涙を流せば︑⁝⁝覆ふばかりの袖のいとまなくあまりこちたき御もてなしどもを︑うきは頼まれべく心苦しけれど﹂とある︒鍵語は一見慈鎮本に似るが︑﹁ぬ﹂は打消

の助動詞で俊頼詠に同じ慈鎮本と比べ︑雅章本では強意の助動詞で﹁憂愁は︵弥陀の救いの入り口かと︶頼みにして 0

しまいそう 00000﹂の意となり︑言外に頼みにしてもその憂愁ゆえに救われぬだろうことが暗示されるわけで︑俊頼詠から一ひねりされている︒また﹁阿弥陀仏﹂部分については︑為家本では単に﹁この世の光﹂で﹁阿弥陀仏﹂表現が失われ︑流布本などでは﹁第十六釈迦牟尼仏﹂に変わる︒これは法華經・化城諭品に見られる句で︑大通智勝如来の十六人の子どもは︑西の阿弥陀仏など︑四方に散じて仏となり︑末の十六番目の自分は釈迦牟尼仏であると語る一節である︒法華経は人々に知られた経典であるが︵巻一では天人の去ったのち﹁身色如金山  端厳甚微妙﹂と序品を狭衣が口ずさむ場面がある︶︑釈迦仏では先の俊頼詠との関連は考えようもなく︑﹁憂きは頼まれぬ﹂は前後の文脈から浮いてしまう︒流布本では﹁憂きは頼まれぬ﹂が消失し﹁大人びたまふままに﹂となるゆえんだろう︒

この他︑五月四日の菖蒲売りの描写や葎が門の女からの歌の前の部分に為家本と流布本の間には異同が集中し︑五月五日に池の菖蒲を目にしての口ずさみでも︑為家本は﹁一首︵手?︶に満てり﹂で第二グループをな

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す︵流布本は﹁音羽の山には﹂︒慈鎮本は﹁たもとすずし﹂で独自異文︶︒このように為家本巻一の初めは流布本に近いが︑多少の異同もあり︑総合すると︑流布本の方向にまとまりつつある途上の本文を思わせる︒また楽器配布場面以降は一転し

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て為家本と慈鎮本の本文は近くなる︒全体として︑第二系統と第三・四系統の二つの改変の本文が︑無批判にごく近くに併存していたことを想像させよう︒

三︑第二系統の世界︱慈鎮本を中心に第二系統の最善本である慈鎮本の異同を確認する︒おおよそ流布本系の本文が簡略化された形だが︑時折慈鎮本独自の詳述が加わり︑全体としてみれば︑両親や皇室一家の家族的親愛に囲繞され︑従妹の源氏宮への恋情や天界への憧憬などの己が思いを︑みずから押しつぶしてしまう狭衣の弧愁を描き出すのに貢献する叙述となっている︒﹁親たちを始めたてまつり︑よそ人も︑帝︑東宮なども︑一つ妹背と思しおきてたまへるに︑我は我と︑かかる心の付きそ

めて﹂︵新全集一九頁︒集成一一頁︶は︑諸本すべてが共有し︑狭衣の悲恋の基調を語る叙述であるが︑深川本等第一系統では禁忌の恋にまつわる物語引用や︑狭衣の超越的資質と道心の深さ︵を物語る仏典引用︶が大量に叙述され

るため︑周囲の愛に背き得ずに自らの愛を見失っていく青年の孤独が見え難くなっている︒対して第三・四系統は︑﹁覆ふばかりの袖のいとま無げ﹂︵集成一四頁・この辺りの叙述は第一系統になし︶前後の表現によく窺えるように︑周囲の溺愛に追い詰められていく狭衣を描くが︑慈鎮本はそうした傾向を一層強める本文である︒流布本︵第四系統︶と比べて慈鎮本︵及び楽器配布以降の為家本︶は︑一文が長いうえに︑主語が途中で転換することがしばしば

で︑会話の継ぎ目もわかりにくいが︑その文体には不思議と狭衣の屈折した心情を活き活きと伝える力がある︒慈鎮本では︑流布本のうち﹁この世はかりそめにあぢきなきものに思して﹂︵集成一五頁︶﹁いかなる折にか梵網経

にや︑﹃一見於女人﹄とのたまへると思し出づれば︑車の簾はうち降ろしつれど︑側の広く開きたるは︑隔てたまはぬなんめりかし﹂︵集成一六〜七頁︶のような︑狭衣を道心深き人物として描く叙述が略される一方で︑

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されどいかでかは︑さのみも︵覆従ひきこえさせたまはん︑夜となれば紛れたまふ夜な夜なは︑二所ながらうちも臥させたまはず︑起きあかさせたまひつつ︑後ろめたく思ひ聞こえさせたまふ︒帰ら

せたまひぬれば︑思ふままにも聞こえさせたまはず︑ただうち笑みて︑あるまじう言ひ知らぬわざをし出でたまはんが少しも違ふことはあるべきにもあらず︑少しにてもあはれをかけたまはん人は︑いひ知らぬ賤の女なりと

も︑玉の夜殿に育まんとを︵両思しおきつれど︑いかなることにか︑︵狭身のほどよりはいたくしづまり

て︑ありそ?︶ふ人は知らまほしげにも思しおきて1

か︑一行も書き流したまへる水茎の流れを︵女2ひとくだり

めづらしうゆかしきもの思ふ︑かごとばかりのゆくての情

暁の別れを思ひくづほれ︑入りぬる磯のなげきをひるよなく思ひきこえたまふ人々︑高きも下れるも︑さまざま け︑千夜を一夜になさまほしう︑鳥の音つらき3

あめれど︑︵狭その折につけて目とまりたま

ぐれ︑暁の軒端の風につけ思ひかけぬほど︑さすがに︑いづくにも︵狭訪れたまふことは絶えぬ︑蜻蛉に劣 ふ花紅葉霜雪雨風の気色につけつつ︑あはれまさりぬべき夕4

らぬ折などにつけ︑なかなかなる心をまどはせつつ︑いな淵のくちに思ひきこえたまふに︑我が︵狭心はいとどおこるにや︑見劣りのみしたまひつつ︑心留まることもなし︒おしなべて乱りがはしきものゆかしがりをぞしたまはざりける︒︵慈鎮本

7

オ〜

分に大きな省略有︶

8

ウ︒集成十四〜六頁相当︒流布本と比べ慈鎮本では︑ゴチック部分が独自異文︒また囲み部

1

部分に﹁この世はかりそめに﹂の省略がある︒

2

から

4

の省略部は前後の内容の詳述で︑冗漫な印象を与えるだけ で文脈への影響はない箇所である︒さて試みに主語を補い︑適宜本文を校訂したが︑傍線部分が難解である︒引歌として俊頼と同世代︑藤原基俊の﹁誰故に迷ひそめにし心そも道 理しらぬいなふちの滝﹂︵基俊集︶を想定すれば︑狭

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衣の思わせぶりな優しさゆえに女たちを心惑わせながら︑誰ゆえにこうも迷い始めた心よと道理知らぬいな︵否︶淵の滝に︵源氏宮のことを︶思い申し上げなさるにつけ︑狭衣自身の恋心はますます沸き起こるからか︑見劣りばかり

なさって︑女たちに心留まることもない︑ぐらいの意になろうか︒親の庇護愛に逆らうように夜歩きする狭衣に︑両親は不安に眠れぬ夜を過ごしつつも諫めもできぬほどに溺愛し︑どんな身分の女でもと心待つのに︑狭衣はその身の程よりはまじめであり︑︵とはいえ︶評判の女性は知りたく思うのか︑手紙を送って女の心を乱し︑はかなく訪れて心惑わせつつ︑しかし狭衣自身は結局源氏宮への心を掻き立てられ女たちに心とどめることもない︑その結果まじめ

な振る舞いとなる︑といった文脈と読んでおきたい︒﹁帰らせたまひぬれば﹂から﹁心留まることもなし﹂までが一文で︑﹃源氏物語﹄ばりの息の長い文章であやにくな恋のありようを描出してゆくのだが︑接続詞や接続助詞の選定

が不適切なためか︑わかりにくい︒次も同様である︒まめやかなりといひなが

の類に人の言ふめるに へまことしき身の才などは唐土にや類あらん︑この世には今も昔も類なくものしてなどは聞きしと︑かならず世 たぐ たりものゆかしがりせぬ者はなき世のさがなりける︒まして輝やかせたまふ御顔容貌をばさるものにて︑御心ば ら︑いかでさだにおはせざらん︑男といふものはあやしきだに︑いかなるもひとわ1

鳴らしたまふ琴笛の音につけても雲居を響かし︑この世の外まで澄みのぼるを︑ゆゆしく思されて︑おとど︵堀 も︑いまめかしうたをやかなるところはまさりたまへりと︑よその人聞こゆめる︒弾き2

臣︶いみじく制しきこえたまへば︑ことに耳ならしたまはず︑まれまれの御事も耳たつる人は多かれば︑我︵狭衣ご自身︶もいとむつかしくて︑手も触れたまはねば︑むもむ︵無なる人におはしけるものうち誦じ︑催馬楽歌ひたまふなどよみたまへる

もただ習ひたまふことなし︒この御師と名乗るべき人もなけれど︑いかにしたまへるにか︑いと珍らかに︑ は︑聞かまほしうめでたきものに︑世の人聞こえたり︒されば何ごと3

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稚御子などのしばし天降りたまへるなめりと殿は思して︑今日や天の羽衣迎へに得たまはんと︑危ぶみていみじう静心なき思ひ心どものうちなり︒︵慈鎮本

8

ウ〜

9

ウ︒集成一六〜八頁相当︒ゴチ囲み右同︶

衣の優れた才を語って行く︒容貌︑漢才の次に︑ 慈鎮本では︑真面目ながらも好色心があるのは世評高き優れた貴公子にはありがちなこと︑と簡単にまとめて以下狭

1

では先の﹁一見於女人﹂叙述が省略されている︒道心と好色の間をゆらぐ流布本︵為家本︶の狭衣像とは異なり︑

つつ狭衣の書を絶賛する叙述がある︒対して慈鎮本では容貌︑漢才ときたのちに︑最後の音楽の才に特に焦点を絞っ

2

の省略部で流布本では狭衣の書を取り上げ︑書風の流行に言及し

て詳述するのだが︑傍線部分が難解である︒深川本には﹁︵狭衣琴笛何ワヌノデ無心にものすさまじき人ざまにや︑とぞ推し量られたまへど︑はかなき御言の葉︑けしきなどより始め︑ものうち誦じ︑催馬楽歌ひ︑経など読みたまへ

る︑聞かまほしく﹂︵新全集二七頁︶とあり︑ここの表現との関連が推察される︒あるいは﹁無心なる人におはしけるものから︑うち誦じ︑催馬楽歌ひ︑経など読みたまへるは︑聞かまほしう﹂の誤写だろうか︒いずれにせよ︑深川本では狭衣の種々の才芸を褒める一文として綴られ︑流布本︵為家本︶も

うでもない天賦の才で︑父大臣は天稚御子の迎えを恐れる︑と父の制止をかいくぐって発揮される楽才を語る文脈を 詠︑催馬楽︑読経などの声わざ︵うたい︶にも優れた音楽的才能を発揮して人々の耳目を驚かす︑だがそれは誰に習 開する︒しかし慈鎮本では狭衣の音楽的才能に焦点をしぼり︑父大臣に制され狭衣は楽器に触れることもないが︑朗

3

の省略部に書など狭衣の才芸の絶賛を展

なしている︒ここで思い合わされるのが︑五月四日の外出の際に﹁扇を笛に吹きたまへる夕映えの御かたち︑まことに光るや

う﹂︵集成二二頁︶と描写される場面である︒﹁扇を笛に吹く﹂は流布本・為家本のほか︑第三系統にも多く見られる表現であるが︑この他に﹁笛を吹きたまひつつほの見たまへる夕ばへ︑まことに光るやうに見えたまふ﹂︵慈鎮本︶

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のように﹁笛を吹く﹂形︑﹁御容貌の夕映え︑まことに光るやう﹂︵新全集三一頁︶のように﹁何もしない﹂形の三つの本文がある︒﹁笛を吹く﹂は第一系統内閣文庫本・平出本のほか︑第三系統︵蓮空本系︑鈴鹿本系等︶にも見られ︑﹁何もしない﹂は深川本の独自異文である︒紙ピアノならぬ﹁扇を笛﹂では間抜けに見えよう︒しかしながら常々父に制され︑のちに天皇の命にもしぶった狭衣が︑道中当たり前のように笛を吹いているのも奇妙であるし︵父不在と はいえ従者が報告せぬわけがない︶︑天人降臨が起きないのも不審である︒そうした逡巡が︑﹁扇を笛﹂と﹁笛吹く﹂の二つの本文を生み出すのではないか︒そして﹁何もしない﹂のが深川本だけであることからみて︑物語の展開から考えて不審な﹁笛吹く﹂︑あるいは間の抜けた﹁笛真似﹂を︑光る狭衣の姿としてここで描こうとしたのは︑原 オリ典の叙述であったと思われる︒狭衣はほんとうは笛を吹きたかったのだ︒父に制されつつも︑生来の音楽への憧れは強い

ものだった︒父不在の場に笛に関わる狭衣を描くゆえんである︒愛し子狭衣の才にゆゆしさを覚えるほどの両親の深い愛着︑溺愛を振り切れぬゆえに︑狭衣自身が天賦の音楽の才能︑音楽への志向をみずから抑え込んでいる構図は︑狭衣の源氏宮への恋情の比喩に他ならない︒天稚御子降臨場面において慈鎮本︵為家本︶は︑自ら天稚御子への決別の詩を作る狭衣を以下のように語る︒国王の袖を控ゑて惜しみ悲しみ︑親たちはかつ見るをだに飽かず後ろめたげに思したるに︑むなしき空を仰ぎて泣き悲しみたまはんも︑かく有り難き天稚御子の御迎へに思ひ憚るよしを︑いみじくめでたく面白く悲しく文

に作りたまひて︑言ひ知らずめでたき御声にて誦んじたまへるに︑天稚御子涙を流したまふ︒︵慈鎮本

の部分は﹁言ひ知らずかなしくおもしろく文つくりて︑笛を持ちながらすこし涙ぐみたまへる御顔は︑天人のならび 親の恩愛の絆への言及もない︒流布本︵集成三三頁︶の詩は慈鎮本などと同じ形で親の恩愛も詳述するものの︑結び 深川本︵新全集四四頁︶の詩は天稚御子の方から決別を告げられたのに対する答えの詩であり︑帝に言及するだけで 20オ︶

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たまへるにもにほひ愛敬こよなくまさりて︑めでたき御声にて誦じたまへるに﹂となり︑狭衣の胸奥の悲愁から逸れて外面の美しさの方に語りの焦点がうつっている︒この他︑﹁我もちたまへる笛に中将の君のを取り替へたまひて︑﹃これをだに形見に見たまへ﹄とのたまひて﹂と天稚御子が形見の笛を残し︑﹁珍らかなりつる御子の御容貌など思ひ続けられて︑恋しく︑面影におぼえたまへば︑形見にとて取り替へたまへりつる笛を︑なほ懐に引き入れて臥したま

へり﹂と弧愁を抱えるエピソードも第二系統の独自異文であり︑楽才︑そして天界への憧れという自らの心を︑叔父天

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皇や両親の深い愛情ゆえに自ら押し潰してゆく悲愁が点綴される︒天人の形見の笛の一方で︑地上で下賜された﹁身のしろ衣﹂女二の宮は︑周囲の愛情の証でありつつ源氏宮への恋を阻むものであった︒天稚御子降臨譚に続いて︑狭衣が源氏宮に始めて思いを伝える場面があるが︑ここには第二系統の独自異文が多

8

い︒全体として︑①兄のように親しみ信頼しきっていた狭衣からの告白を受けて動揺する源氏宮の︑信頼していたからこその苦衷が詳しく語られる  ②狭衣の源氏宮への告白のことばが詳述︒恋心を切々と語りながら︑同時に父母 の悲しみや︑恋情を告白してしまった愚かさを自嘲する言が繰り返され︑自ら心を押し潰す苦悩が独白的に展開する ③周囲がうたた寝する隙を突いての告白で︑周囲が起き出す前に一人抜け出す︒二人は兄妹と信じ切っている周囲と狭衣の言動との対照が鮮やかで︑﹁我は我﹂の悲恋が際立つ  などの特徴をもつ独自異文で︑第二系統の狭衣の悲恋の描き方として一貫している︒

四︑第二系統と流布本︱第二系統にうかがえる改変のあと楽器配布に続く会話部分は︑会話の継ぎ目がわかりにくく︑難解である︒

﹁今宵この音のある限り聞かせよ﹂と仰せらるるを︑狭衣

1よろづのことよりも︑﹃さらに戯れにても真似びはべ

(13)

らすな﹄と︵父堀河大臣申したまふを﹂︑

︵父思はす︑とも恨みむ﹂とのたまはすれば︑﹁あまたのもののなかに混じりては知らずながら 2ただその知らざらんことを︑今宵始むべきなり︒﹃聞かすは苦し﹄

も仕うまつるを︑

3混ぜてはそのままにもおぼえぬも︑まして

くもて悩みたる気色︑よろづよりもまさりてをかしう御覧ぜらる︒こと人々の︑﹁一つとおぼゆることのなき 4ひとりはいとどわりなきわざかな﹂と︑いた は︑いかでかつかまつるべからん︒﹂﹁中将の末々の才ばかりは誰かきこしめさせむ︒ただ彼を

人の代はりともに琴を替へつつ︑仕うまつらせばや﹂と権中納言奏したまへど︑﹁ 5よろづの

6一つをだにさばかり心強 からむに︑まして人の代はりをば︑よもせじ﹂とのたまはせて︑責めさせたまへば︑おのおのげにいとをかしき手つきなるに︑中将の君︑︵帝まめやかにうらみさせたまへば︵笛﹁大 殿の制

したまふに︑何しに参りつらん﹂と悔しきこと限りなし︒されどもえ逃るまじき御気色なれば︑いとしぶしぶに︑初々しく笛を取りなして︑ことに人聞き知らぬ調子ひとつふたつ吹きたまふを︑有る限りの人耳を立てて聞

き驚きたまへるさま︑いとこちたきに︑人は

7さらにおぼえさぶらはず︒﹂﹁これなん

れしを聞き取りて候ひしかども︑はかばかしう教えらるることも候はざりしかば︑いかにひがごと多く候ふら 8大殿のほの真似ば

む︒﹂

9かう虚言言ふ︑いとうたてあり︒

せたまひて︑﹁ 10大殿の笛の音にも似ず︑世の常ならねば︑誰伝へけん﹂とあさま

11すべてかくは思はず﹂などまめ立たせたまへば︑皇太后宮の姫宮たち︑みな上の御局におは

します頃にて︑心にくき御ありさまに︑何ごとも残りなく聞かせたてまつらじ︑と思ふ方のいとどしき心づかひもいたくせられたまひて︑まめやかに苦しく︑︵為家本

18

オ〜

は︑表現の変改がみられるものである︒試みに﹁侍り﹂﹁候ふ﹂を指標に発話部分を区切り︑漢字等を当てたが︑全 囲み部分は後掲の流布本系本文に類似表現がみられる部分である︒通し番号で両者の対応を示すが︑点線・波線囲み

20

  オゴチック部分は慈鎮本により校訂︶

(14)

体として発話の区切りがわかりにくい︒点線

に恨もう﹂﹁他の楽器に混ざっての演奏ならばそのままにもわからないが﹂の意かと思われるが︑こなれない表現で 右のように区切った︒また波線部分が難解で︑それぞれ﹁聞かせるのは苦しいと父大臣が思わせている︑と父子とも ん﹂以下になめらかに続く︒しかし﹁いかにひがごと多く候ふらむ﹂の謙遜は︑狭衣の発話内容としか思えぬので︑

7

囲みは︑﹁人は﹂に続く部分であるので人々の発話としたが︑﹁これな

ある︒特に後者は︑直前の﹁たくさんのなかに混じってならばわからぬうちに︵笛の演奏も︶致しましょうが﹂と同内容でもあり︑また﹁仕うまつる﹂に比べると︑﹁おぼえぬ﹂﹁わりなきわざかな﹂は天皇と東宮を前にしての発話に

ふさわしくなく︑独白めいている︒あるいは声に出すうちに︑途中で語尾が弱くなり︑独白に移っていく︑との体であろうか︒また︑帝の発案部分に﹁今宵のかくはこの候ふ限りの人々の才一つずつ心みん﹂とあるものの︑演奏時は

このくどい狭衣のことばや︑順番に独奏するの意としては曖昧な﹁おのおのげにいとをかしき手つきなるに﹂表現しかないため︑順に独奏しているのがわかりにくい︒後掲の流布本では︑﹁中将の御笛になりて﹂と順番が来たことを明白に示し︑発話の区切りも明瞭で︑よく整い︑わかりやすい本文となっている︒このように第二系統の本文は難解な箇所も多いが︑一方で会話の呼吸としてはテンポ良く︑人間関係をよく推察さ

せる︒すなわち︑帝と東宮の提案に︑日ごろから父堀河大臣からきつく演奏を止められている狭衣は︑父の命を持ち出し即座に見逃しを願い出る︒帝と東宮の命に対して最初に見逃しを願い出る発話者が第一系統や第三・四系統では﹁人々﹂や﹁権中納言﹂であるのに対して︑第二系統のみは狭衣になっているのだが︑帝の命への反論であるだけに︑臣下としては帝を軽んじている印象である︒逆に狭衣の発言であれば︑叔父への甘えが感じられる場面であろう︒そ

して帝はそれなら父堀河大臣もろとも恨もうと仰せになる︒狭衣は追い詰められ︑独奏の回避を奏上しようとして︑途中から困惑の独り言に化す︒その優美な狭衣の姿を見つつ︑人々︑とりわけ権中納言は︑一の才というほどのもの

(15)

もない我々は遠慮し︑諸芸優れた狭衣が楽器をひとつずつ演奏されては︑と言い出す︒帝が狭衣の演奏をこそ聴きたがっていることをふまえての追従言である︒すると帝は一つでも嫌がっているのに無理強いはできぬ︑と釘を刺す︒可愛い甥を︑自分が追い詰めるのは良いが︑かさに懸かって周りがからかうのは許さないというのだろう︒帝の命に従い周りは演奏を披露︑狭衣も参内を後悔しつつ笛を少し吹く︒囲み

7

と 昧になっている︒とはいえ帝は演奏に感動のあまり︑狭衣の謙遜を嘘言と難じつつ︑いったい誰から伝わったのだろ 謙遜とが混じり合い︑文脈が読み取りにくくなっているのではないか︒会話を描出するにあたり︑継ぎ目と流れが曖 の真似事を聞き知って身につけたのですが︑きちんと学んだこともないので︑間違った演奏でしょう﹂という狭衣の 演奏だ︒これが堀河大臣がほんの真似事のように吹いたのを聞き知っての演奏なのか﹂の趣旨の周囲の賛嘆と︑﹁父

8

の付近は︑﹁まったく聴いたことのない

うと驚き︑まったくこれほど素晴らしいとは思わなかったと︑まじめに次の演奏を促す︒帝と臣下でありつつ叔父と甥でもある親近感ゆえに︑兄関白も恨もうと戯れて独奏させてしまい︑思いもかけぬ素晴らしさに先を促さずにいら

れず︑など天稚御子降臨を招く禁忌の笛の披露に至ってしまう心の機微が︑行間からおのずと推察されるのである︒また帝東宮と廷臣の集まりながら妙に家族的な雰囲気が︑上の御局に后︵皇太后宮︶のみならず内親王たちも集まっ

ていて︑めったに聴けぬ狭衣の演奏に聴き惚れている状況に難なくつながる︒さらに﹁いとどしき心づかひもいたくせられ 00﹂は︑周囲の驚嘆に応えようと︑いつの間にか日ごろの父大臣の制止も忘れて夢中になる︵ここで﹁扇を笛﹂挿話が活きてくる︶狭衣の心中を示唆しよう︒天人降臨譚の最後では︑﹁皇太后宮の御方より︑取りあへたりけると見えて︑織物の小袿おし出でられたまへり︒皆賜はりわたすに︑二宮のたてまつりたる菖蒲の二重織物の御衣︑︵帝

ガ︶御手づから中将の君にかづけさせたまふとて︑﹃この身のしろ衣おろかに思ふまじくなむ﹄とてうちかづけさせたまふもかたじけなければ︑うち畏まりたまひて︑︵為家本

29

オ︒慈鎮本による校訂部分はゴチック︶﹂と︑皇太后宮

(16)

方からも禄が出て︑先の歌への駄目出しのように二宮の衣裳を下賜されるという第二系統の独自異文があるが︑これも普通の権勢家のような家庭的雰囲気に自然に連続している︒続いて流布本である︒

﹁おのおの︑今宵の音ども手を尽くして聞かせよ﹂とのたまはするを︑誰も︑﹁一つにかき

しさも紛らはして仕うまつらめ︒いとわりなきわざかな﹂と仕うまつりにくくわびたまふ︒なかにも中将は︑ 3まぜてこそ︑あや

1よろづのことよりも︑さらに戯れにもまねびはべらぬものを﹂と奏したまふを︑﹁

ことを︑今宵始むべきなり﹂とのたまはすれば︑﹁教ふる人だに侍らば︑たどるたどるも仕うまつるべきこ 2ただその知らざらむ そ︒おのおの手を尽くしたまはむなかに︑たどたどしう始めはべらむは︑げに類なき世の例にやなりはべらむ﹂とて︑ことのほかに手も触れたまはねば︑﹁いとかばかりの心ばへとも思はずこそありつれ︒ことのほかにこ

そありつれ︒年ごろ︑大臣の思ひたるにも劣らずこそ思へ︑かばかりのことをだに言ふままならざりければ︑まいてよろづ推し量られぬ︒よしよし言はじ﹂とまめだたせたまふに︑いとわびしくて︑かしこまりて取り寄せた

まひて︑﹁物に

3まぜつつおのづから形のやうにまねびさぶらひなむ︒

める気色のをかしさにぞ︑恨み果てさせたまふべくもあらず御覧じける︒他人々も︑なかなか心ことなるべき夜 こと 4一人はいとわりなきわざかな﹂と悩 の御遊びと心づくろひしつつ︑とみに手も触れたまはで︑﹁中将四五の才ばかりにだに候はぬ物の音を︑紛れなくひきあらはしはべらむ面恥づかしさよ︒

権中納言奏したまへば︑﹁ 5よろづの人のかはりに琴を替へつつ仕うまつらせばや﹂と︑ わびしう︑﹁かうと知らましかば︑参らざらましものを﹂と悔しけれど︑のがるべきかたなくて︑笛もうひ 笛になりて︑﹁さていかに︒仕うまつるまじきか﹂とたびたびまめやかなる御気色にて責めさせたまへば︑いと とて︑責めさせたまへば︑おのおの心づくろひいたくしてひき出でたる物の音ども︑いとおもしろし︒中将の御 6一つをだにさばかり心こはからむに︑まいて人のかはりはすべくもあらざめり﹂

(17)

うひしげに取りなして︑殊に人の聞き知らぬ調子一つばかり吹き鳴らしたまへるを︑上は︑音には聞きつれど︑いとかくまではおぼしめさざりつるを︑今まで耳馴らさざりける恨めしさをさへひき返しおほせられて︑賞でお どろかせたまふさまいとこちたし︒聞く限りの人々も︑さらにこの世の物の音とも聞こえぬに︑涙もとどめがたけれど︑なかなかなるほどにてやみぬるを︑﹁いとあるまじきこと﹂と責めのたまはすれど︑﹁ただかばかり

なむ

8大臣の戯れに教へはべりて︑これよりほかには

7すべておぼえさぶらはず﹂と奏したまふを︑﹁

たて︑虚言をさへつきづきしくも言ふかな︒ 9いとう

10大臣の笛の音に似るべくもあらざめり︒

11すべてかく苦しと思は れば︑さらに言はじ﹂とおほせらるれば︑いとわびしうて︑皇太后宮の姫宮たちなどの︑上の御局におはしますころにて︑﹁心にくき御あたりに︑何事も残りなく聞かれたてまつらじ﹂と思ふかたさへいとどしきなるべ

し︒︵新潮集成二八〜三〇頁︶会話の鍵語をみると︑第二系統とほぼ同じ流れであることがわかるが︑いくつか違いもある︒まず︑帝の命を受け︑最初に人々から独奏を嫌がる発言が出︑それに続いて狭衣の願い出がある︒また狭衣は演奏したことがないと発言するのみで︑第二系統のように父堀河大臣から止められているので︑と父を持ち出すことはない︒このため帝も父大臣

を恨むとは言わない︒一方囲み

2

と する他の公達に対して︑今度は狭衣の肩を持つ帝の情愛なども活写されている︒会話の最後も微妙に表現が異なり︑ 統では︑狭衣が帝に断られ黙ってしまってから権中納言らの発言が出るため︑帝におもねって独奏から逃げようと 父大臣もろとも恨むと悪い冗談で答えるなど︑会話の呼吸におのずと親しさが滲むのが第二系統である︒また第二系 0000 親しさを説明するのが流布本である︒一方︑諸臣を前に会話の口火を切る若輩の狭衣︑父を持ち出して固辞し︑帝も んでみせ︑結果︑狭衣は断り切れなくなる︒帝との親昵関係ゆえに断れなくなるのは同じだが︑帝のことばによって

3

の間は第二系統にはない部分で︑帝は父大臣に劣らず可愛がってきたのにと恨

(18)

﹁あさむ﹂第二系統から﹁責む﹂流布本へと変わる︒すなわち︑﹁かう虚言言ふ︑いとうたてあり﹂の第二系統の揶揄めいた口調が﹁いとうたて 00000︑虚言さへ 00つきづきしく言ふかな﹂の流布本の非難に変わり︑波囲み

11

部では︑﹁まった

くこんなに素晴らしいとは思わなかった﹂の第二系統の驚嘆から︑流布本は﹁すべてこんなふうに︵私

いやだと思うのなら︑もう言うまい﹂と拗ねた拒絶に変わっている︒帝のことばに﹁わびし﹂と追い詰められて笛を吹く流布本は︑周囲の驚嘆のなか狭衣自身がいつしか演奏に没頭してゆき︑天稚御子を呼ぶほどの妙技を披露してしまう第二系統とは色合いが異なっている︒

五︑まとめ第二系統の本文は︑これまで改変後の文学性に乏しい作としてさして研究の対象とされず︑第一系統︑第三・四系統の本文との比較対照に言及される程度であった︒実際に読んでみると︑会話の継ぎ目の曖昧さ︑一文の長さ︑また

しばしば作中人物の長ゼリフになり︑時間の逆転も頻繁に出てくるので︵先掲の禄の場面も︑直前に﹁人々まかでたまひぬ﹂とあり︑時間の逆転がある︶︑確かにわかりにくさはある︒その意味では悪文ともいえようか︒

しかしながら︑第一系統に多く引用される物語や仏典は︑ときに物語のスムーズな展開を妨げる夾雑物でもある︒さまざまなエピソードや心理描写が詳しく数多く加わる一方で︑﹁覆ふばかりの袖﹂引用部分の長いエピソード等︑両親の盲愛を語る部分が省略︑縮小︑後退しており︑結果として︑自分を慈しむ肉親たちがこぞって自分と源氏宮を兄妹と見なすなかで︑﹁我は我﹂の恋情を抱いてしまった青年の悲恋がみえにくくなっている︒比較的第二系統に近

い第三・四系統︵流布本︶の本文も︑第一系統ほどではないが︑第四節に明らかなように︑文として整えられる一方で︑会話の呼吸が失われている︒今回は取り上げなかったが︑深川本の当該箇所はさらに冗長な会話と化し︑﹁わび

(19)

し﹂﹁むつかし﹂と追い詰められて笛を吹く狭衣を描いてゆく︒これらに比べて第二系統は︑稚拙な文ではあるものの︑一貫した主題に沿って︑自らの思いを押し潰す狭衣像を描き出し得ているようにも思うのである︒

1 校本によれば︑前田家本︑鈴鹿乙本・雅章本・宮内庁四冊本︑宮内庁三冊本・松井本︒なお五十五番

め一致するのは前田家本のみのようである︒ 110番ともに語句まで含 p319文とみるべきと説く︵など︶︒ 通じ︑狭衣物語の改変は院政期から既に盛んで︑書写期の最も古い︵鎌倉初期︶深川本・慈鎮本共に既に末流の混合混態本 や吉田幸一﹃深川本狭衣とその研究﹄︵古典文庫︑一九八二年︶は︑深川本を原本を残す最善本とするが︑片岡利博は右書を   直両氏の見解を整理しまとめてわかりやすい︒なお︑三谷栄一﹃狭衣物語の研究伝本系統論編﹄︵笠間書院︑二〇〇〇年︶  2 片岡利博﹃異本の愉悦狭衣物語本文研究﹄︵笠間書院︑二〇一三年︶﹁狭衣物語諸本の分類と系統﹂は︑三谷栄一・中田剛

3 西臺薫﹁伝慈鎮本狭衣物語について﹂︵﹃論叢狭衣物語

4本文の諸相﹄新典社︑二〇〇三年︶

4 片岡利博注

p1611の書﹁狭衣の楽才﹂︒ 5 片岡利博注

の改変とも思われる︒ 稚御子言及があるのが自然であり︑第一系統の父母溺愛場面での言及は唐突の感がある︒﹁憂きは頼まれぬべく﹂表現のため ﹃うつほ﹄﹃夜の寝覚﹄ともに音楽の場面で降臨が語られる︒その意味では第二系統以下のように楽才を語る場面で初めて天 思惟として︑狭衣を天人の降臨かと怖れる叙述があるため重複を避けたか︑と指摘している︒天稚御子と音楽の関係は深く︑ 頭部は﹁天地をも動かしたまひつべきを﹂︵集成一七頁︶である︶ことについて︑父母の溺愛を語る場面で既に︑母宮の心中 笛の音につけても⁝天人も驚かしたまひつべければ﹂︵新全集二六頁︶という独自異文に変わる︵例えば第三・四系統では冒 下りたまへるにや︒今日天の羽衣迎へきこえたまはむ﹂が︑第一系統では削除され︑そのかわりに楽才を語る冒頭部が﹁琴 3の論文では︑第二系統以下狭衣の楽才を語る場面︵集成一七〜八頁︶の末尾の大殿の心中思惟﹁天稚御子の天 6 三谷栄一注

2の書﹁狭衣物語の伝来︱巻一を中心として﹂︒

させたか﹂﹃後期物語への多彩な視点﹄笠間書院︑二〇〇七年︶︒ 皇子が当初の形だったが︑世の憶測に配慮し第五皇子に構想変更した痕跡と推察する︵﹁東宮実仁の死は﹃狭衣物語﹄を変質 二は慈鎮本の独自異文﹁二条の摂政などぞきこえさせける﹂に着目し︑堀河大臣は幼帝︵弟︶の摂政になった︑つまり第二 7 堀河大臣を第二皇子とする本文︵為家本など︶と第五皇子にする本文︵慈鎮本など︶がある︒この箇所については︑稲賀敬

(20)

比べるのに簡便である︒  8 三谷栄一﹁源氏宮と狭衣の恋﹂︵﹃狭衣物語の研究異本文学論編﹄︵笠間書院二〇〇二年︶に三系統並べての考察が載り︑見

キーワード狭衣物語︑伝本研究︑改作︑異本の価値

参照

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