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(1)

茨城大学教育学部紀要(教育科学),28号(1979),57−74.      57

教育農場論VI

教育農場の再構築のために

石 原 秀志

(1978年10月18日受理)

Studies on an Educational Farm(W)

Hideshi IsHIHARA

(Received October 18,1978)

Abstract

Practice in an educational farm is discussed, not only from the point of view of labor studies, but also as a major component in the education of the whole man . This paper is the sixth in a series of articles on the edu.

cational farm, and reflects the fact that 1abor−followed learning in schoo1

education has recently attracted more and more attention.

1 はじめに

今から8年前の1970年夏,〈教育農場についての試論〉としてささやかな報告をした時,未だどの ような内容を展開しうるかについて必ずしも十分なプランができていたわけではないが,それをもと にして教育農場論序説,さらに4年後に序説皿を執筆する時点では,どうにかその後の構想らしいも のが固められつつあった。その結果,〈近代日本における教育農場の展開〉のテーマで,3年間に亘 って,日本の近代教育史上記憶されてよい三つの学校の教育実践と,その原動力となった創設者たち の教育思想についてまとめる作業を行った。それらの学校では,何れも,半世紀乃至はそれ以上に亘

って,歴史の重荷に耐えながら,今もなおその活動が続けられている。

〈展開〉として取り上げられねばならない学校は,これらの外にも数多くあることを知っているが,

それらについては別の機会に譲ることにして,いわば第皿部ともいうべき内容を表題に従って,今ま での教育農場論の総括として取上げてみようと思う。

2 教育農場の理念の再確認

序説において,我々が教育農場の概念として掲げたのは次のような内容であった。〈教育農場〉と は,それ自体,有機的な機構をもつ全一体的存在であるが,同時にそれは,そのような全一体を,進 んで教育財あるいは陶治財として活用することによって,青少年教育のために有意な存在たらしめよ

うとする(創設,運営,利用という方式を通して)活動の一切を含めた名称でもある。

一般的な概念では,農場とは,土地と動植物と施設と,それらを動かす人間の総体であると共に,

(2)

58      茨城大学教育学部紀要(教育科学),28号(1979)

その総体は同時に,生きて働いている一生産的活動を遂行する過程的存在でもある。我々は,く教育 農場についても,組織・施設的な存在面と,生態的過程的な活動面との二つを併せて考えるのである。

それは,静態的と動態的との二面性をもつといってもよい。要は,それらの二つの面が,教育活動の 場として統一されるのだということが重要なのである。用語の重複を承知の上で言えぽ,教育農場に おいて実践される農場教育それ自体が十分機能するような組織と場こそ教育農場なのである。学校を,

      1)

サれ自体発展しつつある社会として捉えようとしたのは羽仁もと子である(デューイも)が,教育農 場もまた,そのような発展,生長の過程をもつ統一的な社会として理解したい。

さて,我々は,〈教育農場の原理〉として,さきに,四つの特徴を挙げた。

1)生産と生活との統一の場 2)技術・経済・自然の統合の場 3)燗と自然との接点

4)環境教育実践の場

今は,その一つ一つについて再説することを省略するが,もしこれらの四つの原理をより統一的に捉 えるとするならぽ,

5)自然環境.技術(経済).燗につし、て雛験的学習の場

として,その全体像,全機能を表現することが許されよう。ecosystemの一員としての人間のモラル は,正しくこの自然と環境と技術とに,如何にしてより充実した整合性を与えうるかということに深

く関っており,そのことを教育の場で体験させるために,教育農場のもつ意義を指摘してきたが,そ のことはある程度まで,すでに取上げた幾つかの展開例を通して歴史的に証明されていると考える。

教育とは,凡そ,人間の,人間による,人間のための形成過程であると言えよう。しかしここで,

人間というとき,彼は個であると同時に共同的,類的存在でもあり,更にはeco systemのメンバーと しての存在でもある。更に,人間によるというとき,生活が,彼をとりまく自然を含むあらゆる環境 が,共同作用として働きかけることも,すでに述べた通りである。逆説すれぽ,く人間のみの,人間

のみによる,人間のみのための〉というものは,概念としてしか存在し得ない。教育農場は,この

〈人間のみの教育〉から教育を解放して,真の人間の教育を確立するために必要な場であると我々は

●    ●    畳    ●    ■

考えるのである。

3 教育農場の歴史的展開について一補足と総括一

近代日本における教育農場の展開ということが,凡そどのような教育理念と教育環境(主として時 代的社会的背景)のものに進められることになったかについては,展開1のなかで項を設けて,大要 を述べておいた。補足を含めて要約すれぽ,

1)国民教育としての近代日本の教育の主流が,近代国家の建設に有用な教育の貫徹(国家主義的,

富国強兵的)を指向していたこと,実業教育の強化も,正にそのような発想に基いていたこと。

21にも拘らず,明治以来の民権思想の高まりが大正デモクラシーへと拡大強化され,ナシ・ナリ ズムや資本主義国家への指向に対する批判,反擾として,西欧教育思想の影響を受けながら,大 正自由教育という一つの時代を生み出したこと。

3)そのような自由教育あるいは新教育の共通的性格として,個性尊重と体験の重視をあげること

ができるが,そこ1こは,自然の教育,郷土の教育,燗の教育,更には労作鯖軋earnj㎎by

Doingの教育という考え方が背景になっていて,〈教育農場〉的教育実践もまた,そのような潮

(3)

石原 :教育農場論W       5g

流の中での積極的試みとして組み込まれたこと。

などを挙げることができよう。

上にあげた幾つかの潮流の中で,教育農場の展開に最も強く作用した流れは何であったか。そのこ とを確定するのはかなり困難であるが,我々が取上げた恵泉女学園,自由学園ならびに家庭学校の創 設者たちは,何れも,決して単なる西欧的新教育の直輸入によってではなく,彼等の独自な教育思想 の形成と激育体験とを土台にして,瀧と燗経験の成熟をまって㌦しい鞘実践への出発に踏 み切っているということを重視すべきであろう。〈展開〉では取上げなかった玉川学園の創設者小原 国芳は,ある意味で,近代日本の代表的な労作教育の実践者であったが,彼もまた,若き日の河井み ちと同様に,広島高師付小に赴任した年に,〈夢の学校〉への期待が胸中に芽生えていたことは,単        6)

ネる遇然の一・致とは言い難いものを覚える。そのことは,あえて指摘しなかった幾多の教育実践者た ちについても基本的には妥当することであって,その意味では,一人の人間にとって,彼の幼少年時       7)

繧?驍「は年若き時代の真実なく体験〉は,森有正のいう意味でのく経験〉にまで高められて,やが て条件が熟した適当な時点で,一つの具体的な実践として果を結ぶことになるのだと考える。

それでは,一体どのような若き日の体験と,更には当時の新教育として注目を浴びつつあった幾つ かの流れとが結びついていったと考えられたらよいのであろうか。多少の想像を許されるならば,彼 等創設者の原体験は必ずしも同一ではないが,河井も,羽仁夫妻も,留岡も,小原やその他の人物も,

少年期から青年期にかけて,しぼしば社会的家庭的変動や没落の中で,経済上生活上の困苦を味い,

必要に迫られてしぽUま家庭を支えるための労働に従事して,勤労の価値を身をもって体験しており,

同時に教育者としての準備の時をもった中で,自然の中での労働ということの,教育一人間形成上の 意義を学びとってきたということに共通点を見出しうるであろう。同時に,彼等の殆んどがく労作教 育〉の思潮にも大きな刺戟をうけていたことを,あらためて想起しなけれぽならない。つまりは,

《璽奄゚に〈労作〉ありき という意味での幼少年期における体験が,やがて教育思潮としての〈労作      8)

ウ育〉や〈生産・生活教育〉にふれることによって,体験と理念との合一を生み出すに至ったとき,

彼等の教育的信念はゆるがぬものにまで高められていったと言うことが許されるであろう。

西欧には数百年に亘って生き続けた教育の場特に大学は少くないが・近代日本に限って言えぽ,少く とも百年を超えるものは数えるに足りない。一つは,徳川封建期から明治期への大変換という事情の ためでもあるが,その中でも,戦後に次々と設立された新しい教育機関は別として,〈展開〉でとり 上げた学校のように,何れも50年以上に亘って,その間にあの困難に満ちた戦争期を体験しながら,

創立者の理念が,今もかなりの程度学校の精神と運営の両面に亘って生きつづけているということは きわめて稀な事例と言うべく,その中で,我々の強調したく教育農場〉の教育が,今も健在であると いうことは,注目されてよいであろう。

4 教育農場と労作教育思想

我々は,教育農場の理念を四つの観点から論じてきたが,その中で,あえて独立した論点としては 取上げなかったけれども,労作教育的性格との関連については,序説1のうち特にαののく生産と生活

との統一の場〉においてかなりふれるところがあった。しかし,その面についての検討は比較的簡単 にしかなされていない憾みがあるので,あえて本項では標題に掲げ,多少の考察を付加しておきたい。

 さきに,全人の実現としての教育理想をめざす教育展開に労作教育が重視さるべきこと・さらに全       9)一体としての教育農場が,労作教育実践の場としても,すぐれて独自の機能をもつことを指摘したが,

(4)

60      茨城大学教育学部紀要(教育科学),28号(1979)

ここではまず,労作教育の理念それ自体について論じておこう。

小林澄兄がその代表作く労作教育思想史〉で明らかにしているように,労作教育という語は,

Arbeiterziehu㎎に由来するが, Arbという語自身が多義的であるように,労作という語(一部の 人々にとってはく労働〉)もまた多様な理解を含んでいるぎ)広義にはく身体的精神的自己活動〉を含 むが,厳密な本来的用法としては,教育的には,身体的活動(技術上の仕事と自然を扱う仕事を含め

て)を教科の一つとして,更には教育原理として取上げることだとしているy)

知的活動も確かに労作を必要とするし,しぼしぼすぐれた研究成果にも労作という表現を用いる。

しかし,教育の領域では,一般には,精神的活動を主とする分野や,芸術的活動を追求する分野の外 に,道徳的活動や身体的活動を主とする分野を含めて,夫々知・情・意の教育あるいは知徳体の教育

として取扱ってきたのであり,知育・徳育・体育の語が広く行われる所以でもある。

このような区分に対して,ある人々は技術に即して技育,労働あるいは労作に即して労育,更に遊 びに即して遊育の必要性を強調すぢ1塑れらの用語の適否は別として,そのような教育が,従来の学 校教育の考え方の中には充分に定着していなかったことを反省しての発言であり,ことに日本の教育

の偏知育的(より正しくは偏懇的熾つめ込み的ある鴨記憶偏謝器うべきであろう)な殿 に対するきびしい批判がこめられていると言わねばならない。しかもこのことは,既に40年の昔,成 城教育の創始者の一・人,小西重直が,Dewey, Natorp,Kerschensteiner らを批判しながら,独 自の労作教育論を展開した時に,明らかにしていたところであった。く教育は労作的に改善されねば        16)

ネらぬ〉とは,彼の多年の信念であった。

西欧特にドイツの教育思想の中で,19世紀末から1920年代にかけて,さまざまな教育改革の提案や 試みが登場する中で,労作教育(乃至は作業教育)も一定の評価を与えられたことは,

Kerschensteinerのく労作学校の概念〉が1912年来55年までに11版を重ねていることからも想像し

うるが,Liez,Gaudig,WolffあるいはOestreichらを中心とする Bund Entschiedner

Schulreformer(1919)などに代表される諸活動も,そのことを語っている。一定の批判を含みな がら,有力な教育理論家Natorp,Sprangerも,また夫々の立場から労作教育を評価した。もしも

ワイマール体制の崩壊と,ナチスの全面的支配による教育の民族主義的国家統制の強化がなかった 1)

以上の動きは,中に第一次大戦を挾みながら,ある程度は見るべき展開をなし得たかもしれない。

労作教育あるいは労作学校は,ある意味でComenius,Rousseau, Pe staloz zi,Fr6be1と共に

古いというべきであるが,同時にDewey,Kirpatrickらセこよって代表される進歩主義教育の系譜

として,20世紀前半の有力な教育思潮であり得た。この進歩主義が,教育工学やティーム・ティーチ ング,教科構造論等によって陳腐化されたとみるのか,それとも,脱工業化社会における人間の教育        18)

ニして,復権されるべき状況にあるのか,については慎重な検討と省察が必要であろう。

日本もまた,すでに述べたように,大正自由教育の流れの中で,労作教育的傾斜を積極的に経験し ているが,15年戦争は,一度はそれを変質させ,不毛なものにしたと言ってよい。蝕こ,戦後の一時 期を除いては,高度経済成長に焦点を合わせた教育体制,同時に進学熱の急上昇に伴う受験準備的学 習塾的教育環境の中で,そのような個性尊重と自発性とを土台とした労作教育の方式は,閉塞し,衰 退し,消滅していった。勿論我々がとりあげた幾つかの学校の外にも,さまざまな方式での労作教育

の展開は見られる。しかし,そのような試みは,日本の教育全体の中では,まことに少数派的存在に すぎない。

教育農場即労轍育でないことはまえに指摘したところであるが}9擁糖展開の方式として教育

農場のもつすぐれた可能性についても我々は明らかにした。その点では,日本における労作教育の将

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石原:教育農場論V[       61

来は,教育農場活動の今後をも大きく左右することになるであろう。

5 教育農場を指向する新しい胎動その1

20世紀後半の教育は,第二次大戦のもたらした種々の影響を通して大きな変貌を遂げるに至った。

それは,一部の敗戦国や,戦争の傷痕を深く残した国々にとっては,何よりも戦禍による破壊と荒廃 よりの回復が国民的課顧であったこと,第一次大戦後もなお続いた西欧諸国の植民地支配が漸く終り,

第三世界にあって次々と独立する諸国にとって経済的社会的に低い水準からの上昇が急務であったこ と,同様に戦争の結果ソ連の影響のもとに社会主義国家の建設を開始した国々での新しい教育計画が 強力に進められたこと,平和的,軍事的両面よりの科学・技術の急速な発達が,東西両勢力を含めて,

糖の世界に轄い、影響を与えたこと_回濃上昇と新㈱と技術蝦と,これらの四つ腰邸

戦後教育のあり方を大きく規定したと見ることができよう。

そのような動きの中で,日本の教育に,戦後最大の影響を与えてきたのは明らかにアメリカである が,教育基本法の展開が主要な目標であり,6・3制の定着に努力が傾けられた50年代に次いで,

1960年代はアメリカの教育の現代化,構造化が日本にも紹介,導入された時期であるのに対し,70 年代に入ると,再び〈人間化の教育〉へと潮流は変り,その後多少の変動は続いているものの,今も        21)

サの基本的な考え方は大きくは変っていないと指摘されている。その点については,さきに序説その 皿において,日本の環境問題との関りにおいてアメリカめ環境運動に多少言及したが,〈環境教育法〉

  22)の制定による教育面での積極的取組みを含めて,上述の〈人間の教育〉への関心の高まりを見ること ができる。

ただ,我々にとって,より重要なのは,世界の教育の流れにのみ目をむけるのではなく,そのよう な流れを十分に評価しながら,なお,日本の現実に対するきびしい省察と,民族の将来に対して責任 をもって行動,選択する教育的英知と勇気とである。日本といい,民族といっても,それは決して偏 狭な国家主義,民族主義の視野に囚われるべきでなく,当然のことながら,世界の中にあって日本の 理想をよりよく追求するための教育は何なのかを模索することに目を向けねぽならない。現実への反 省と理想への熱意と,この二つをおいて,日本の教育の改革はあり得ない。

さて,我々は,日本でも,7(年代になってから,ことに経済の高度成長時代の終焉とほぼ併行して,

      23)

Vしい教育への胎動が始まりつつあることを指摘しておいた。環境教育の登場もまた,石油問題を中 心とするエネルギー戦略のエスカレートする中で,自然と人類の生存環境の保全を目ざす来るべき世 界と世代のための重要なプログラムの意味をもつに至ったのであった。その点については序説Eでや や詳しく論じたので,言及するだけに止める。

ここでは,更に進んで,我々の構想し,さらには幾つかの歴史的遺産を近代日本の教育史の中に見 出しうることを明らかにした教育農場の新しい動きが,極めて徐々にではあるが,次第に拡大しつつ ある点に光をあててみようと思う。

1972〜73年にかけての世界的な異常気象は,世界の政治,経済に大きな影響を与えたが,73年の

OPECによる石油戦略の展開は更に大きな影響を各国に及ぼし,日本もまた例外ではあり得なかっ

た。学校教育のあり方を教育内容の観点から根本的に洗い直すための作業が,教育課程審議会の名で 始まったのは73年10月であるが,その結果は,3年後の76年12月の答申となった。

その中で幾つかの重要な基本的立場があるが,審議の段階から打出された方向は,人間性豊かな教 育やゆとりある教育への転換ということであった。後者はことに今までの詰め込み教育への反省とい

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62       茨城大学教育学部(教育科学),28号(1979)

うかたちで具体化されることになった。それらの精神が,その後の文部省の作業その他に,十分生か されたかどうかはいささか問題があり,教育の現場からも適切な対応の可能性を危ぶむ動向も見られ たが,最終的には,教科の総時間数の大巾の削減と,生み出された時間の効果的な利用計画をめぐっ て,特別活動による積極的展開を指向する考えが幾つか示されることになった。

〈勤労にかかわる体験的学習〉もまた,それらの中で,人間性豊かな子どもたちの育成に深く関る       24)

ェ野として積極的に取上げられることになっている。この点についての,茨城県内の小,中学校長の 見解を含めての我々の考え方は,すでに述べる機会があったので,ここでは,ごくあらましを報告す

25)

ることにしたい。

今回の「基準の改善」の中で,勤労あるいは働くことのよろこびやその体験を通しての学習のもつ 教育的意義は,小中高教育の一貰性という枠組のなかで,かなりの評価が与えられた。それは,言う までもなく,基本法や学校教育法の精神の再確認でもあって,30年の歳月が風化埋没させてしまった ものを今一度見直し,現在の国民教育の歪みや混乱の是正のた戯こ,〈正則の教育〉に向けての努力 の姿勢を示すものと言える。

これらの点を考慮しながら,県下の現場の責任者にこの学習について意見を求めたところ,学習の 意義や必要性はかなりの割合で認め,学習は教科と特活あるいは主に特別活動で行うべきだとの考え が多く,教科の場合は理科,図工,家庭(小学校)技術家庭の次に美術(中学校),教科外では学校 行事が最も多く,内容としては,小中ともに生物育成の分野を殆んどの学校が取上げ,次いで整美,

製作の順となる。展開の場所は校内学校園(学級園,花壇その他)が圧倒的に多いが,校外の諸施設

(学校林,野外施設,宿泊施設,福祉施設等)の利用も積極的に考えられている。

以上略記したように,現場では〈勤労にかかわる体験的学習〉にはかなり前向きであること,具体 的には主として特活の中でその充実を図り,校内活動では学校園等を主体とする育成の仕事に次いで 整美や製作を考え,校外施設にも十分注目しているものと言える。

〈勤労に関る体験的学習〉の積極的意味を,今までの公教育における子供たちの労働からの遊離乃 至は労働蔑視への反省として捉えるとすれば,も一つの新しい胎動として,自然からの遊離あるいは 乖離への反省があげられることも,前に指摘したところであるが,最近における自然教育園,青年の 家,少年自然の家,野外活動センター,自然休養村等の急薩な拡充は,教育の場で,そのような施設

       26)への需要が急速に高まりつつあることを証明している。

それらのうち,78年度末完成をめざして建設中の二つの教育施設一水海道市の自然休養村学童農

園施設と,茨城県麻生町の少年自然の家とは,その規模と企画の面で,全国的に注目さるべき計画と 言わねばならない。

学童農園施設の方は,水海道市が,農林省の自然休養村整備事業の指定を受け,同市菅生沼地区を 中心とする観光農業の育成計画を目ざすとともに,特にその域内に,く次の世代の担い手である学童 たちのための学童農園施設〉を実現しようとするもの噌ある。この企画は,前年度の佐倉市に次いで 全国で二番目のものであるが,詳細については同市の〈水海道あすなろの里=学童農園〉という計画 案内に譲ることとして,概要にふれると,東京から50Kπ圏に位置する菅生沼周辺104αの敷地にヰ心 となる2000㎡の学童宿泊センターを設け,農村生活の体験学習の拠点とする外,農業資料室,リク

リエーシ・ン農場,生産プロセス展示実習室,多目的教室(木竹工,陶芸,農村伝承技術教室),動 植物自然観察(管理実習)園,フィールドアスレの森や林産園,多目的広場その他が構想されている。

それらを通して 農村地域の生活や生産活動と一体化した農園で,自然・郷土色を生かし,…都市的 発想ではなく,計算つくされた計画でもない,むしろ学童農園活動の過程から生れる 創造的なもの

(7)

石原:教育農場論V【      63

       27・28)の実現を目指すものと述べている。

他方,茨城県の手で建設中のく鹿行地区少年自然の家〉は,文部省の公立少年自然の家の設置方針 に準拠して企画され,既設の中央青年の家等とはやエ異った内容をもった施設を目ざして77年度より 建設が進められているもので,茨城県の四つの教育目標(勤労教育,郷土教育,情操教育,福祉教育)

と密接な関連をもたせながら,勤労教育,自然・歴史教育,体育活動の夫々の分野に特色をもたせた 学習活動が展開できるよう意図されている。北浦を臨む14加の高台に,宿泊研修室,体育館,いろり の家(調理と食事の場),創作館等の外,各種の野外施設,教材園,家畜飼育舎,自然学習施設等を 設けることによって,勤労体験やふるさと体験を核にした学習の場を,児童生徒や一般青少年のため

       29)に提供する場が出現しようとしている。

一つは農林省と水海道市,他は茨城県と計画の推進主体は異っているが,この二つの企画に共通す るのは,自然やふるさととのふれあい,勤労的体験,さらには人間性の回復や共同意識の覚醒という ことであろう。それらは共に広義の社会教育施設ではあるが,県の社会教育課の資料に見られるよう に,小中学校の児童生徒らの宿泊研修利用は急速に増大しており,全国的にもこの種の施設の充実の 緊要性は高まっている智)ただ上の二つの施設はまだ始動していない。実際にスタートした時,どのよ うな問題や障害が出てくるのか,予測は難しいが,動植物を管理し,それらの育成にも子どもたちを 参加させることは,特に新しい試みであるだけに,特別な配慮が必要であり,指導体制や専任指導員 の育成にも十分な用意が必要であろう。

ごく最近,朝日新聞社によって設立された森林文化協会は,森林の存在と価置を見直し,自然と人 間性の復活を目ざす新しい運動体であるが,滋賀県朽木村の「朝日の森」1504αを拠点として,森林 の生産利用技術の研究を進めると共に,79年春完成をめざして自然研修所の建設が始っている。これ

もまた,ロッジやキャピンー宿泊施設を中心にして, 森林と人間を一体化しての,新しい文化の創 造を企図して,植物見本園,緑と家畜の広場,グラウンド,野鳥の森,林間の池などの緑のプラン

をもつ森林公園と青少年自然の家の総合化をねらった野心的な試みであり,〈21世紀に向って自然と の共存を探る〉構想は,民間サイドからの国土.国民糖的運動として評価することができよう讐)

第5報として取上げた北海道家庭学校の広大な森林を重要な部門とする430加の教育農場も,ある いは自由学園の埼玉県名栗や三重県海山町の植林地も,さらには早稲田の教授と学生たちによる岩手 県田畑村の〈思惟の森〉活動も.すでに15年から60年に及ぶ経験と実績をもっており,新たに発足し

ようとしているこれらの企画に対して示唆を与えるところは少くないであろう。

6 教育農場を指向する新しい胎動その豆

学校教育の活動の場を校外に求めようとする時,前節で取上げたようなさまざまな校外教育・社会 教育施設が,極めて重要な役割を果しつつあること,そしてその要求は一層増大する方向にあること を指摘した。

ただ,これらのいわゆる宿泊学習は,原則として,小学校では一泊二日,中学校では二泊三日であ る(文部省の設置基準要項)ため,体験学習とはいいながら,小学校で一回,中学校で一一回(この外 修学旅行が加わるが)利用するだけである。

戦前,大都市にある一部の小学校(時に中学校も)では,夏季林間学校や臨海学校を2週間前後に 亘って実施していたし,特定の地区の学校では独立の,あるいは共同の,宿泊施設を海や山に設置し たり,借入れたりしたのであった。ただその費用はほとんど父母たちの負担となるため,参加する子

(8)

64      茨城大学教育学部紀要(教育科学),28号(1979)

供は一部分に限られていた。

2年程前,〈都市の子供を山村に留学させるプラン〉が紹介されて反響を呼んだぎ)大都会の子供た ちを,過疎地でもある山地や高原地区の小学校に一年間通学させ,農山村の家庭の生活を体験させる

という試みである。3年目に入った今,幾多の問題が露呈されてきているが,自然や労働から切りは なされた都会の子供たちが,山や野や村での自然と生産と生活との体験を,村の学校に通いながらも つという着想は評価されてよい。

しかし,その場合にも,そのような選択の可能な子どもはほんの一握りにすぎない。文部省のグリ 一ンスクール構想の中にも,最初は,一定期間都市から農山村に移って学ぶという方式が見られたが,

結局は,少年自然の家の利用を如何に効率よく行うかという範囲を出ないのが現実である警βの そこで,〈留学〉しないでも,自然と労働とを体験させる手だてはないかと問われる。そのような 問いに対して,我々は,地域や学校の実情に応じて,適切な規模,場所,運営方式を考えた教育農場 の設置にょって,かなりの程度解決できるであろうという立場を主張してきた16)このことについての 具体的構想はあとで述べるが,比較的最近の動きをいくらか取上げることによって,実際に,現場に おいて,教育農場を多少とも指向する機運が高まりつつあることを指摘してみたい。

1971年から本格的に展開された第一次減反政策は,水田のイネ作付の調整をねらったものである が,その結果は,ある程度目標を達成し得た一方,国土の14%しか利用されていないこの国の豊沃な       37)

̲地を荒廃させるに至ったことは,我々の目に明らかである。75,77両年の比較的良好な作況と米消

費の落込みは,再び強力な調整策の10年間実施に踏切らせるに至った。 単なる無作付田に奨励金

を交付するという悪名高い農政は修正を余儀なくされたが,40万4叫こ及ぶ水田を今後どのように効果 的に利用するかが,ここ当分重要な技術的,経営的課題として残されるであろう。

そのような中で,すでに第一次減反時に,時の茨城県知事は,休耕田の一部を,小中学校の実習田,

学校園等として借入れ利用する案を提起した。以来凡そ5年間に,そのような休耕田を含めて,県下 の休閑,未利用地等の学校園への転換は徐々に進行し,県教委の勤労教育の推進や,新学習指導要領 の〈勤労にかかわる体験的学習〉の重視によって,その傾向はより加速化されつつあると言えよう。

水戸市の中心にある三の丸小学校や,近接の茨大附属小学校が,夫々別箇に,近くの那珂川べりに農 地を借入れ,農園の開設に着手したのは,この春のことである邑8)

ここ数年の間に,そのような活動を大小にかかわらず展開している学校は,県内だけでも,かなり の数に達するものと思われるが,一般新聞等で我々の知り得た事例は,見落しも多く,部分的に過ぎ

ないが,

翻けると次のようになるぎ)

期   間 幼稚園 小学校 中学校 盲学校 高校 村教委 県教委

1975〜77

4 15 3

1 1 1

1978(1〜10月)

11 2

1

2

合  計 4

26 5 1 1

2 2

うち県外 3 6

一 一 1

一 苦 2

苦山梨,栃木

ここにあげたのは極めて不完全な資料であるが,傾向はあらわれていよう。最近になって,そのよ

(9)

石原:教育農場論V【       65

うな活動が一層推進される機運にあり,山梨や栃木のように県をあげて休耕田を利用した学校農園設 置に取りくんでいる例が出て来つつあるこ認)新学習指導要領でその重要性が最も強調されていた筈 の高校の活動報告が殆んどないこと,中学校に較べて,小学校の方がはるかに活澄だと言ってよいこ

となどを指撤きる.例は僅かであるが,幼稚園での聴みもかなり積極的である?

以上を通して言えることは,幼,小,中,高の一貫教育体系が強調される最近の動ぎ㍗教育課程審 の答申は,少くともそのような立場を打出している)の中で,中学校以上,特に高校段階での対応の 鈍さやおくれが著しいこと,そしてそのような状況の背景に,強大な影響力としての受験体制に組み 込まれた中,高校教育のすがたを認めることができる。

高校については,職業高校の問題は早くから,富山での七三教育批判を含めて,内部,外部からの 論議が活澄であり,最近の烏山工高のような改革への徹底した取組みの例があるのに対し,普通高校 の場合,学習内容に関する論議はもり上らず,ほとんど増設や全入運動に関心が向けられてきたきら いがあ題)答申をふまえて今夏告示された学習指導要領でも,具体的な取組みは現場に委ねるという 立場を出でず,〈勤労体験学習〉の強調も,果してどれだけ定着できるか大きな問題を孕んでいる。

そのような状況の中で,前表にある唯一の高校一山形県の基督教独立学園の場合は,例外として

無視するには,高校教育・人間教育の本質に迫るエネルギーが,全校78名の生徒たちと,彼等の先頭

に立って歩む教鰍ちのうちにあまりをこも脈々とし磁っているというべきであろう讐)

なお,主として小学校における学校園(学校農園・菜園),実習田,観察園,学校林,校内緑化

(園芸.鯖.蝶委員会等を含めて)消学椥こおける校外の観察雛実醸場1)「土曜・一欄 による魚釣り,農場めぐり,栗拾い等(島根大附属小など4小学校,なお他の国立の付属でも同様な 試みは滋賀大をはじめかなり行われている),27年に亘って実習地や学校林を活用した勤労教育(茨城

県七会中1など,活動の形態は多方面に及んでいる。中には日立市のある中学校のように・花だん 手入れ等の作業にPTAがく学校ボランティア活動〉として,本来生徒活動たるべき領域に這入りこ

んでいる例もあるが轡これは今の教育をゆがめているく甘えの構造〉を示すものではないか。

休耕田や未利用地があるから学校農園でもというのでは発想が逆であって,子どもたちのためにど のような配慮が今必要なのかという問いかけが提起されねばならないρそこから新しい展望がひらけ ていくのである。

7 教育農場の将来像一再構築のためのプログラムー

我々の主張する教育農場及至はそれに類した場の設立や利用,運営が,さまざまなかたちで,県の 内外を問わず,教育の場において次第に拡がりを見せてきていることを前節において概観した。その

ような動きを,国民教育における人間化(現代化に対置して1への新しい胎動として捉えることがで

きよう。

それでは,一体,どのような形態の施設や利用の方式が望ましいのだろうか。その点については,

〈幼小中高各段階樋じての齢献の教育〉という内容で多少言及すると共課8年前の〈試論〉

の中で,簡単な構想を取上げておいた。その後の経済的社会的,教育的環境の大きな変動は,将来の 予測を益々困難にしていると言わねばならないが,とりあえず,次の四つの領域に分けて,我々の構 想を提示してみたい。

1)幼児・児童のための教育農場 2)生徒・少年期のための教育農場

(10)

66      茨城大学教育学部紀要(教育科学),28号(1979)

3)学生・青年期のための教育農場 4)社会教育施設としての教育農場 1)幼児・児童のための教育農場

ここ数年来,幼少一貫という枠の中で,特に幼稚園の5才児集団と小学校低学年との結合教育         49)

ェ試行の段階にある。一方,幼稚園の三年保育の拡大や,幼稚園・保育所の一体化など,二つの 行政系統にまたがる問題が依然として解決しない状況の中で,この標題に即した施設がどこまで 可能かを検討しなければならないが,そのことを承知の上で,言及してみたい。

幼稚園段階では,子どもにとって,遊びが仕事である。従って農場あるいは農園という方式は,

独自には困難であるが,小学校(ことに併設の場合)との共同禾1朔ならば,球根植えやイモ作り やイモ掘りなどの分野への参加は,ある程度可能である。一般的なのは観光農園あるいは共同施 設としての学童農園の利用であるが,より身近かなものとして,小規模でも,日常観察のための 場を園内の一隅に設けることが望ましい。

小学校の農園・農場は,前節で概観した通り,かなり一般化しつつあるが,今のところ多くの 学校では試行の段階であり,位置,面積,作付の種類,小家畜等を含めての利用計画については 模索中ということができる。

・形態について

〈試論〉で提案したのは次のような区分であった。(一部改変)

1.学校園一花壇,果樹園,学級園(学年園)を主体とする。

2 学校林一植林地,苗畑,見本園・林など。

a 学校農場一水田,畑,樹園地,見本園など。

4.教材園一見本園,見本林,花壇,野草園,水生動植物園など。

以上の外,芝生を含めた緑地帯を設けること,必要に応じて中,小家畜家禽舎,小鳥舎,淡水 魚等のための養魚池など。

・場所について

可能な限り校内あるいは隣接地に設け為止むを得ない時は,歩いて15分程度(・ミス使用が可 能な場合は更に遠距離〉まで,学校林の場合は,利用形態にもよるが,4〜5㎞あってもよい。

・面積について

広すぎて管理に苦労するのも,狭すぎて過密作業になるのもまずい。前節で紹介された学校で はほとんどが2〜10a程度となっている。ただ大規模校になると,全校児童を対象にする場合,

平均1㎡としても1000人では10aとなるが,10aを実質的に確保するには,区画や道路等のた

め20a程度が必要となる。もしも,附属施設や緑地帯,林地等をも設定するのであれば,合計50

aが一応の目安として考えられる。学校環境の緑化のためにも,新設校の場合,初めからこの程 度の面積を学校園用地として確保することが望ましい(将来拡張の余地をも念頭におく必要があ

 50)る)。その点では,公有林や民有林,永続性の期待できる農地等に隣接することが理想である。

。作付と管理・運営

小学校段階では,できるだけ栽培の容易な作物を小種目作るべきであって,事実多くの学校で は,水稲,さつまいも,ばれいしょ,とうもろこし等を主とし,だいず,らっかせい等も取上げ

られる。

理科の授業と関連させて,温室利用のメロン栽培(小松小)等の例もあるヵ野)指導者の経験や

(11)

石原:教育農場論V【      67

能力,あるいは地域の特産等がある場合,それらを対象とすることもできよう。動物飼育は小家 畜やにわとり,あひるなどの家禽,小鳥類に限定されるが,作物が灌水以外,休日の問題は少い のに対し,小動物は給飼を含めて,休日管理の体制を十分に配慮することが必要である。場合に

よっては,休みの日には家庭に持ち帰らせる方法がとられている。

・時間

全校的な活動では年間10〜20時間位はあてることができるが,我々の調査では,勤労体験学習

を毎週取上げるという学校は略半数の23校,その平均は最低をとって22時間となる。かりに%

を生物育成的活動にあてるものとして,年間凡そ25時間を計上することができ魂)

2)生徒・少年期のための教育農場

基本的には,幼児・児童のための施設,形態がほとんどそのまま,あるいは幾分高度化した形 で,温室等の導入を含めて活用できると考えられる。ただ,少年期という身心発達の段階を考慮

すると,生徒1人当りの面積は3㎡あるいは一坪,従って300名単位で約10aが必要であり,整 備や管理上の必要分を加えて20aとなる。従って適正とされる600〜900名の学校では,全校活 動を展開するためには,この2〜3倍の面積が望ましいことになるが,現状はこの水準からはる

かに遠い。

大部分の小,中学校で,夏の3ケ月の水泳訓練に使用されるプールのために,500〜600㎡の

スペースが必要であることを考える罰)年間を通じて大地にふれ,これと取組む教育の場のため に,その数倍の面積を用意することは,むしろ最低の配慮と言うべきである。現状では,特に人 口急増地域の場合,増築のスペースすら確保できない例が少くないが,少くとも,新設計画の場 合,以上のことに配慮すべきである。

場所についても,校内あるいは隣接地が一番望ましいが,場合によっては,よりよい環境の地 に設置する方が,生徒たちによい影響を与えるであろう。中学生や高校生にとって,20〜30分の 距離は,許される範囲であると考えられるし,学校林の場合は更に遠距離でも,適地があれば,

入手することが望ましし碧)中学校の3年間は,高校のそれと共に,子供から青年期へと身らとも に急速に発達し,成熟していく時期である。森や林の若木がこの時期に急速に成長するように,

子どもたちは,知的発達も含めて,急速に大人びて来るのであり,一段とたくましさを増すので ある。前に引用した〈思惟の森〉が,青年期の学生や同年代の勤労者たちに,精神的な意味でも 大きな影響力をもちうるのに対し,中・高校期の少年にとって,その精神と肉体を鍛えて逞しく する条件が,学校林には備っているであろう。同時にそれは,国土の緑化と保全に参加するとい

う過程を通して,彼等のモラルが国土愛にまで高められる最高の機会を提供する。

多くの私立学校にみられる中高一貫教育の場合,教育農場の位置づけはそれ程困難ではないが,

公立や私立の普通課程の高校の場合,〈農場〉の設置と運営には幾多の困難が横たわっている。

ここでも原則としては中学校のそれに準じたものとして設置することになるが,必要に応じて小 型の農業機械や,やや高度化された栽培施設(温室等)の導入が可能であろう警)その場合,熱意 と経験のある教師の指導が条件となる。クルプスカヤによれば,学校に必要なものとして「図画 教室,製図教室,実験室,工作室と実習農場」があげられる力響)普通課程高校を後期一般中等教 育の課程として捉える限り,規模はとにかくとして,〈実習農場〉の名に値いする施設の設定は,

教育課程の新しい段階に踏み切ろうとする現時点で,積極的に考慮さるべきであろう。

3)学生・青年期のための教育縫場

(12)

68      茨城大学教育学部紀要(教育科学),28号(1979)

青年期という区分は滴校生を含める場合もあるが5

P)ここでは通例縦って滴校卒業以後

一18才以上(法的には20才以下は少年)の段階とする。この段階では,短大を含む大学,専修

学校,訓棘施設等に分化すると共に凡そ60%が社会人となる時期でもある。

そのような段階や,教育機関での教育農場は,特定な分野を除いて独自なものを必ずしも必要と しないが,ただ広い意味で教育や福祉に結びついている学校等にあっては,農場的体験学習の場 が必要であろう。特に教員や福祉施設の指導員養成の学部,短大等にあっては,一定水準の施設

と学習の機会が用意されるべきであると考える。このことについては別の機会に論じたので,指

摘するに止めるヵξ?幼,小,中,高の各段階における指導力の基働養成することは,そ紡の

学校における生命の育成や自然,大地にふれ合う教育の定着と進展のために重要である。

4)社会教育施設としての教育農場

都市と農村一過密環境と過疎環境との結合としての教育農場

このことについては〈新しい胎動その1>で,最近の動きについて略述しておいた。学校教育 と社会教育との連繋や協力の必要性が強調されながら,現実には問題は少くない。

それにもかかわらず,各種の青年の家や少年自然の家,野外教育センター,自然教育園,自然 休養村,学童農園等は,広義の教育活動の場として,幼小中高の各段階の子どもや青少嫡こよっ て(多くは学校自体の企画に従って)活発に利用されてきていることもすでにふれた通りである。

外に,子供会その他の地域団体や組織による利用も増大しつつある。我々の期待は・それらの施 設が,観光を含んだリクリェーシ・ンやスポーツ,キャンプ,ナリエンティールング等に充分な 配慮が払われている反面,鹿行地区少年自然の家や水海道学童農園等の建設に取り入れられてい る教育農場的考慮がまだ稀薄であるという点を認識しながら,農場活動体験の場としての機能に ついても積極的に活かす努力がなされてよいであろうということにある。

以上に関連して,注目したいのは,都市住民のふるさと作り運動の一環でもあり,過疎山村の 教育施設としての活用ともいうべき運動が,各地に芽生えつつあることである。

茨城県北の里美村は,過疎化による小学校の統廃合にゆれているが,この夏,柏市の団地の子

ども100名が村を訪れ,2泊3日の生活体験をし,自然とのふれ合いや村の子どもらとの交歓の

時をもった忠8)この点について 都市を高層化し,至れりつくせりの設備をし,鉢植の草花を飾っ てみても,それで不良環境の補いにはならない。都市に自然をとり戻し,きれいな空と水と緑と を豊かにしない限り,人づくりの理想からはるかに遠い と述べた教育心理学者は, 都市の学 校の思い上りやエゴイズムを棄てて,農山漁村と手を組み考え合ってみること,そのためには,

,   A県のA校が廃校に迫られているのに,B市のB校が児童数増大でプレハブでも間に合わず,校 庭はいよいよ狭くなるという時,A校を存置して,むしろ増築してB校と共有とし・夏にはB校

が田園教場として使用,その他の時にはA校で施設,設備を利用する一かくして大都市の学校

のすべてが,農山漁村に,自然的環境に恵まれた,ほんとの意味の林間学校や臨海学校をもつだ ろう・というプラソを提起している碧)

実現には多くの解決されねばならない問題があるとしても,今までの過疎地の小中学校や分校 の統廃合が更に過疎を推進しているという悪循環を考えるとき,経済合理主義が教育の世界に強 引に這入りこむ事実を反省しながら,このような無謀とも言える教育交流の実現にむけて,教育 計画の180°の転換を可能にする強力な公共投資が進められるべきではないだろうか。

(13)

石原:教育農場論W       6g

8 結びにかえて一大地に根ざした教育の復権を一

〈教育農場〉は,農場ではあるが,農業のための農場ではない。教育のための農場である。教育と は,ここでは人間教育であり,全人教育を意味する。

小,中学校を中心に,その他の段階(制度検討委の表現では楷梯)を含めて,子どもや青少年の人 間としての全面的発達のために,農場という自然,農地という大地の上で,総合的に展開される教育 活動を我々は教育農場とよんできた。農場は原自然でなく,農地は原大地ではない。それは,人間の 技術や文化が作り出した一つの統一された生産のシステムであり,人為生態系である。我々は,その ために農場を構築し,その総体的な活動を通して,子どもたちの学習の場たらしめ,人間の豊かな成 長の場たらしめうることを確信する。

十数年に亘って,働くことを通しての教育経営を実践して来た兵庫県のある教師は,u学校におけ る労作の体験樋して,碓本来の姿をとり戻していく実践 を試み,労働こよって燗植の正し い協力関係が生れてくることを経験しているが,汗を流して校庭を堀起し,作物を育てることによっ て,あるいは兎を飼育することによって,如何に多くの事を学び,責任と愛情と畏敬が育っていくか を,土の感触と自然の中での偉験を通して認識している曹

三年前,農学原論を専攻する著者によって一りの教育提案が発表された。比叡山麓で農業を営みな がらつむぎを織り,文化活動一雑誌発行を続けている一人の老農と共に五箇山の廃村を訪れたことを 出発点に,数百年続いた平家落人の部落を,如何に再生しうるかについて想を廻らす。その間,大地 から離反する教育を鋭くえくつ出し,近代化とその教育制度に反省を加える。多くを紹介する要はな いが, 大地を離れて人間は存在し得ない…人間と大地とのかかわりについての体験的学習が重視 されるべきであり,都市への,大地にはぐくまれた人間のエネルギー供給が困難になりつつあること,

ルソーのエミールに見るロビンソン・クルーソーの評価,ゲーテの教育郷とく畏敬〉,クロポトキン の〈合成された教育〉=知的なものと肉体労働との統一,ベイリの自然学習一自然への共感にふれ,

人間形成への視点の欠落した日本の農本主義者らを批判する。農業学習によって国民的教養としての 職業学習(職業教育ではなく)を身につけうること,〈少年自然の家〉ではまだ人間とのかかわりを 労働を通して体験的に学習する場となり得ないことを指摘し,最后に,過疎地域(前記の部落)を農 業学習郷として活かす方法を模索している鍛)

さきに里美村での都市と農村との交流の萌芽について少しく触れたが,ここでは,そのような取り 組みが,より根源的に捉えられている。

夫々の市や町や村の学校が,夫々の規模や状況に応じた教育農場を設置することが望ましい。もし も不可能ならば,交流方式も含めて,さまざまな校外展開の方法が可能である。そのような機運は,

徐々にではあるが.生れつつある。国民的エネルギーの再生のためにも,日本の国土の再生のために も,やがては世界の平和的な再生に十分な責任をもちうる次代の担い手の育成のためにも,く教育農 場〉は必要な役割を果しうるに違いない。

1)羽仁もと子:それ自身一つの社会として生き,成長し働きかけつつある学校1932(教育三十年1950)

2)科学技術庁が1984年実施を計画している国際科学技術博覧会のマスターブランでは,宇宙科学,大気の科

(14)

70       茨城大学教育学部紀要(教育科学),28号(1979)

学,水の科学,大地の科学が人間の科学を核として統合される。自然一環境一技術一人間というエコロジー的 発想を背後に見出す078・9・23いはらき参照,拙稿:自然・環境・技術・人間(要旨)1977

3) 我々は,自然的,社会的,技術的環境をシステムとして考え,結合すべきである。環境教育はこのニード に対して独特な適任者である。それは,我らの地球が与えてくれるもの一エコシステムについての組織的理解 に関して最も基本的な情報を示してくれるのだ。 N.McInnis:OPPortunity for change(What makes Education Environmental)1975,PP.51

4)恵泉女学園の創設は河井みち52才の時,自由学園の創設は羽仁吉一44才,もと子46才,家庭学校は留岡 幸助35才(北海道分校・農場は50才)の時であるが,何れの場合も,人生の旅路をかなり過ぎた時期になっ て(いわゆる)教育農場的活動は開始されている。

5)小原国芳が玉川学園を開設したのは42才の時であるが,沢柳より成城小主任に迎えられてから10年後であ

り,(→方)沢柳が成城小を開始したのは京大総長をやめて2年,52才の時であったoく南日本新聞社:教育とわが生

涯小原国芳1977>参照◎

6)同上 P.133

7) 本当の経験と思想とは,学校教育とは全く逆に,人生の終りになって,一箇の人間が成熟をとげた時に始 めて明らかになるのである… 経験と体験とは共に一人称の自己,すなわち「わたくし」と内面的にっな がっているが,経験では《わたくし》がその中から生れてくるのに対し,「体験」はいつも私がすでに存在

しているのであり,私は「体験」に先行し,またそれを吸収する… 。く森有正:経験と思想1977,P・10・

P.33〜〉

8)陽明学の中心としてのく知行合一〉は,道徳的領域の問題であると共に,実践的にはこのようなかたちでの 人間形成をも包含するものと考えられよう。彼は,見聞の知ではなく実践を伴う知を説き,〈格物致知〉論を ふまえて自発,実践,自由(即物)主義の教育を主張する。〈佐藤:教育人名辞典1962>参照。

9)拙稿:教育農場論序説1970,教育農場の概念

10)Arbeitの語源としてのArb od.Erbeは相続,奴隷等の意をもつが, Arbeitは農的労役,賦役から発し

て,漁業,手工,工場作業にも拡大,18世紀には頭脳的学問的精神的内容も加わる。小林は,実際的すぎる労       ●

働,創造創作の意を欠く作業に対し,教育上は労作の語をとる。小林:労作教育思想史,1934,p.48,71●      ■  ●      ●  ・

なお,篠原はArbeitschuleを作業学校として扱う。篠原:独逸教育思想史(下),1947,十8−10 11)前出,序説,注12を参照。

12)知徳体育の他に日本の教育で欠けているのは遊育と労育ではないか…日本では(労働の尊さ)働くことを       ●  ●       ●   ●

通して社会参加,社会奉仕の尊さを教えない… 。

清水:教育の二つの盲点,望星1976・6      1 13) 子どもは,遊びと労働参加を通じて人間らしく生きるための英知を身につけていく。それなのに…彼らの

まわりには遊び場も仕事場もないoまさしく教育喪失! 。

梅根:学校は何を失っているか一遊びと労働の経験の場を取戻せ一月刊エコノミスト1972・4 14) 従来の教育は記憶偏重と非難すべきであって,知育偏重とは非難すべきではない

●  ●  ●  ■

赤井:明星学園の教育,愛と理性の教育1964

15) 田園教育舎の創設者H.Liezもまた,一方的悟性陶冶,記憶偏重,試験制度,信頼感の欠乏等,学校教育

の弊を改めるための教育を考えた 。

篠原:前出,8−11

16) 専門教育は別として普通教育においては初中高等の別なく一般各種の労作的体験は勿論,少くとも何らか の勤労的労作を体験しうる機会を与えることが,今后の教育改造における最も重要な緊急問題 である。

●  ●  ●  ●  ■

(15)

石原:教育農場論W       71

小西:労作教育1930序文及びp.244

17)事実,第一次大戦後の新生ドイツ憲法では,労作教育が小学校の必修教科として規定されるに至ったのであ

ったo

小西:前出,序

その後のナチスによるArbeitDienstが極端な国家主義,民族主義の宣教の具と化したとき,〈労作教育〉

は崩壊に追いやられたといえる。

18)W.van Til:進歩主義教育Progressismは時代おくれか1965教育学全集II教育の思想1967, p.194

19)拙稿:試論1及序説(1の皿)「概念」p.44ぐ・・全一体としての農場こそは,労作教育実践の場としても〉      ●  ■   ●       ■

独自の機能をもつ。

20)アメリカでは,15年間進歩主義教育協会として活動したあと,1955年に全来教育協会の名に復したころか ら,学問的水準や国家目標の欠落が注目されるに至り,それら一連の動きは,国家防衛教育法1958の制定を はじめ,新匪教育計画の実践へとっながっていくのであるが,1955〜56にかけての学長らの訪ソによりソ連 の教育水準の評価や,57年秋のソ連のスプートニク成功とが大きな刺戟となっているのは明らかであり,日 本の58年の教育課程の改訂も,同じような認識に基いている。EJ.キング:世界の学校教育1967

(邦訳1971)P.200,221を参照。

21)元木:アメリカの教育事情,技術家庭科教育78年9月号 なおよリラデイカルな立場からの発言としては,

       

P.イリッチ:脱学校の社会1970,p.51〜53(邦訳)一今日学校の中で消滅させられつつあるのは教育その

       

烽フなのである。

22)1970年10月に成立,同時に連邦教育局の中に環境教育庁が設置され,環境教育諮問委員会が発足した。

細谷外編:教育学大事典1,1978(小金井による)

23)例えば拙稿,序説p.44及び注20,41,42等。

24)この表現は,高校教育課程改正案発表直後軍国化につながるという意見の表明もあったが,それは撃栄その ものへの過剰意識の反映ではないか。憲法や基本法が規定しているのは,国民の〈勤労権〉と,教育目的とし

ての〈勤労と責任を重んずる〉姿勢なのである。

25)拙稿:〈勤労にかかわる体験的学習〉と技術科の役割一茨城県下小中学校長の見解をふまえての一考察 第三回教員養成大学学部技術科教育研究集会集録77・7・13

26)国立青年の家,同じく少年自然の家は全国で数ケ所に過ぎず,公立少年自然の家も100程度しか設けられて いな%農林省所管の自然休養村も略同じで,自然休養林は91,11万加となっている。参照78・9・4及

27(夕)朝日

27)水海道市:自然の大きな教室一水海道あすなろの里く学童農園整備事業>1977・4なお77・9・17朝日を

も参照。

28)共同宿泊施設の殿堂一「青少年自然の家」建設へ77・8・30いはらき

29)茨城県:鹿行地区少年自然の家;青少年共同宿泊施設建設計画;同建設の基本方針 (茨城県教委社会教育 課資料1977)

30)〈少年自然の家>78・9・27朝日(夕)

31)78・9・4朝日,〈朝日の森〉特集記事参照。

32)拙稿:近代目本における教育農場の展開五一自由学園一茨大教育紀要26,1976,p.14a なお,富山県 立短大のA教授を中心として,数年に亘って続けられている荒廃森林の回復を目ざすく草刈十字軍〉として知

られた運動にも,ただ放置されている森林の保護育成のみではなく,過疎地の復生を含めての国民教育的なも のへの願いがこめられているo

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