はじめに
「抄録」の冒頭で述べたように課題設定す ると、『経済学批判』を『資本論』の視点か ら批判することになり、このテーマにおける 前者の弱点が明らかにされる。だが、それに よって後者、『資本論』における新しい展開 に照明が当てられることになる。その上、後 者も前者からの発展である以上、後者の新し い展開に通ずる視点を前者の中に再確認する ことができる。このような視点に立って、『経 済学批判』において検討すべき課題を整理す
ると、①交換価値概念、それに関連して等価 概念、②交換価値を一般的等価の定在とする 仕方、の2点が課題となる。
Ⅰ. 『経済学批判』における「交換価値」
と「一般的等価」
§1. 『経済学批判』における「交換価値」と「等 価」
『経済学批判』は、商品を使用価値及び交
価値と価値形態
─マルクス基礎理論の一解釈─
The Value of Commodities and the Form of Value:
An Interpretation of the Basic Theory by K. Marx
徳 江 和 雄
抄録
本小論は、マルクス経済学の最も基礎的な部分を解明することを目指す。このため『経済学批判』
から『初版資本論』までの商品論をフォローする(1)。
『批判』の商品論は、「交換価値」を基礎概念として「一般的等価の成立」を説き、それを「貨幣 成立」につなげている。では、交換価値とは何か、また、そこから「一般的等価の成立」はどのよ うに説かれているのかが、『批判』における中心論点となる。結論を先取りすれば、『批判』は、「交 換過程における商品世界の社会的行動による一般的等価の成立」と言う命題を設定したが、その命 題は論証されていないのである。以上が第I章のテーマである。
では、どのように論証されるべきであるのか。『初版資本論』は、新しく「価値」を基礎概念と して設定し、新しく「価値形態論」を展開することによって一般的等価概念を論証したのである。
では、価値とは何か、何故交換価値ではなく価値なのか。そして価値形態論はどのように展開され、
一般的等価概念はどのように証明されたのか。これらが『初版』における主要な論点である。以上が、
第II章、第III章が扱うテーマである。特に、第II章では、価値形態論の枢要をなす「簡単な価値形態」
が、『初版』の本文から付録にかけて一層分析を進展させたことが示される。
(1) 『経済学批判』(1859)は、 MARX ENGELS WERKE 13 (インスチチュート版、1964、Dietz出版;
MEW13と略称する)を、『初版資本論』(1867)は、 Das Kapital. (Otto Meissner版、1867、青木書 店からの復刻版)を用いている。引用文中の頁番号は、それら原典からのものである。
換価値の2つの視点から分析すべきことを明 記し、且つ、後者の交換価値こそ商品生産関 係を表現するものであるであるから、交換価 値の分析を通して商品から貨幣が成立するこ とを明らかにしようとした。それ故、交換価 値とは何か、が最初の重要問題となる。
交換価値の概念は、次の3点を含んでいる。
① 交換過程に現れるままの諸使用価値相 互の交換比率。マルクスは言う、「交換価値は、
さしあたり、諸使用価値が相互に対して交換 される量的比率である」(S16)(引用文中の イタリックによる強調はマルクスによる。以 下同じ)と。
② 純粋に質的規定。だが、この交換比率 において、諸使用価値は、「同じ交換価値」
であり、それ故「諸等価」として通用する。
マルクスは言う、「諸商品は、それらの自然 的存在形態にまったく無関心で、またそのた めの諸使用価値となる欲求の特性を考慮する ことなしに、特定の諸量において、相互に交 換され、諸等価として通用し、それの多彩な 外観にもかかわらず、同じ単位(Einheit)を あらわす」(S16)と。この「同じ単位」は、
労働であるが、それは、金採掘労働、製鉄 労働、小麦耕作労働、絹布織労働など、諸 有用労働の特別な諸形態に対して無関心な
(gleichgültig)「抽象的一般的労働」(S17)で ある。「交換価値を措定する労働は抽象的一 般的労働(abstrakt allgemeine Arbeit)である」
(S17)。
③ 質的規定を踏まえた量的規定。上の例 と異なり、諸使用価値が「異なる大きさの交 換価値」という量的区別をあらわす場合、こ れは、抽象的一般的労働の量的区別であり、
抽象的一般的労働の量的定在(Dasein)で ある労働時間(Arbeitszeit)によって測られ る。マルクスは言う、「諸商品の諸使用価値 に対象化された労働時間は、諸使用価値を諸 交換価値に、従って、諸商品にする実体であ るばかりでなく、それらの特定の諸価値量
(Wertgrösse)を測る実体でもある」(S18)と。
それ故「労働時間による交換価値の規定」と いう場合、交換価値は量的規定であると同時 に常に質的規定を前提した概念であることに 注意すべきである。というのは、労働時間に よって交換価値を規定するためは、全ての諸 個人の労働は、「一般的人間労働(allgemein menschliche Arbeit)」(S.18)に、所与の社会 におけるどの平均的個人も遂行できる「単純 労働(einfache Arbeit)」(S.18)に還元されて いなければならず、単純労働においては諸個 人の労働は社会的総労働、「労働なるもの諸 分 肢(Organe der Arbeit)」(S.18)と な っ て いなければならないからである。さらに、労 働時間による交換価値の規定では、一商品に 含まれる労働時間が、所与の一般的生産条 件のもとで同じ商品の新見本を生産するの に「必要な労働時間(notwendige Arbeitszeit)」
(S.19)でなければならないとされるからで ある。
交換価値概念の①は、ありのままの、日常 の交換における事象にすぎず、②及び③こそ が交換価値の分析的内容である。では、両者 はどのように区別されているのか? ②は、
交換価値を純粋に質的に分析し、その実体で ある労働の特質を究明する。「交換価値措定 労働は、それ故、抽象的一般的労働である」
(S.17)とマルクスが述べるように、多くの 場合、マルクスは、「交換価値を措定する労働」
(Tauschswert setzende Arbeit)と述べて、質的 分析を行なっている。だが、その反対に、労 働が交換価値を規定する場合は、③の労働時 間によって交換価値を規定している。即ち、
③は②の質的規定を踏まえた量的規定である ことは既に述べたが、商品の交換価値を②の 純粋に質的規定である抽象的人間労によって でなく、殆どの場合、③の量的規定である労 働時間によって規定していることは十分留意 されるべきである(2)。それ故、マルクスは言 う、「交換価値としては、全ての商品は、凝
固した労働時間の特定量であるにすぎない」
(S.18)と。
「労働時間による交換価値の規定」は、こ のように、商品(die Ware)が一般にその交 換価値を労働時間で規定する場合だけでな く、労働が交換価値として表現される場合に も用いられ、労働時間の発展によって交換価 値の発展を規定することを含んでいる。後 者の点は、交換価値表現の問題として次節
(§2)で検討される。ここでは、交換価値
と労働時間による交換価値の規定を重視する 立場に立つと、「等価」概念も次のような特 徴を受取ることに留意したい。
ⅰ)「等価」は、「同量の交換価値」である。
マルクスは言う、「1オンスの金、1トン の鉄、1q.の小麦、20エレの絹布が同じ交 換価値量であるとしよう。それらは、それら の使用価値の質的区別が消去されている等価 として、同じ労働の同等量をあらわす」(S17)
(引用文中の下線による強調は執筆者)と。
等価は、諸使用価値の区別が抽象された同質 なものを指し、しかも同質なものの同量を指 しているから、「等しい量の交換価値」とまっ たく同じ意味で使われている。
ⅱ)「等価」は、従って、等価関係にある 2つの使用価値のどちらにも適用可能な概念 である。
「1冊のプロペテイス詩集=8オンスの嗅 タバコ」において、両者には等しい労働時間 が含まれ、同量の交換価値であるから、8オ ンスの嗅タバコはプロペテイス1冊の「等価」
であるが、その反対に、プロペテイス1冊は、
8オンスの嗅タバコの「等価」である。これは、
「等価」概念の双方性(Gegenseitlichkeit)、あ るいは相対性(Relativität)というべき特徴 であるが、交換価値を一般的等価として表現
する段階にいてもこの特徴が確認されること は、次節(§2)で検討される。
§ 2 『経済学批判』における「一般的等価」
の成立
交換価値の表現はどのような視点から行な われるのか? 詳しく見ると『経済学批判』
では、3つの視点があることを確認できる。
ⅰ)質的視点。これは、諸個人の労働が同 じ人間労働として相互に社会的関係を結ぶ場 合、諸個人の労働は交換価値として表現され るという視点である。マルクスは、「交換価 値措定労働の条件」に関係して、「どの個人 の労働も、交換価値に表現される限り,この 相等性という社会的性格を持ち、諸個人の労 働が他の全ての諸個人の労働と同じものとし て関係する限り、交換価値に表現されるだけ である」(S.19)と述べている。
ⅱ)量的視点。これは一般的労働時間の表 現であり、諸個人の労働は、交換価値として 表現されるためには一般的労働時間として表 現されなければならないという視点である。
即ち、上に述べた質的表現に直ぐ続く段落 でマルクスは、「それ(交換価値に表現され る労働時間)は、個々人の労働時間であり、
全ての個人に共通の労働時間(allen gemeine
Arbeitszeit)としてだけの彼の労働」であり、
「一 般 的 労 働 時 間(allgemeine Arbeitszeit)」
(S.20)であると述べる。
ⅲ)一般的等価として表現される視点。諸 個人の労働時間が交換価値として表現される ことは、一般的労働時間として表現されるこ とであるが、そのためには一般的等価として 表現されねばならない。マルクスは、「個々 人の労働は、交換価値になるためには一つの
(2) 『批判』が、労働時間を重視した理由は、それが資本制生産過程を分析するキー・カテゴリーであり、
また諸価格の循環的変動を規制し、且つ貨幣の本質である一般的等価を導くキー・カテゴリーである、
という認識をマルクスが既に確立していたからであると考えられる。
一般的等価(allgemeines Äquivalent)になら ねばならない、すなわち、一般的労働時間と しての諸個人の労働時間の表現に、あるいは 諸個人の労働時間としての一般的労働時間の 表現にならねばならない」(S20)と述べて いる。
交換価値としての表現、一般的労働時間と しての表現、一般的等価としての表現。これ らはどのように関係するのか?『批判』にお けるマルクスの論述において、かかる視点は 実際にどのように具体化されているのであろ うか?
結論を先取りすれば、マルクスの難解な論 述を通して、次のような筋書きを読み取るこ とが出来る。ⅰ)の質的視点はⅱ)の量的視 点に吸収され、交換価値表現も一般的労働時 間量の表現の中で行なわれる。これは、交換 価値、一般的労働時間の理論的表現と言うこ とが出来る。そして、そこに交換過程の視点 が導入され、交換過程における商品世界の共 同行動によって一般的等価が実現される、と いう筋書きである。即ち、交換価値の表現 問題は、理論的表現から現実の交換過程にお ける一般的等価の実現へと展開されるのであ る。それは、理論的世界に突如現れた新機軸 であり、一大飛躍であり、新しく質的視点が 復活したことである。だが、先を急がずに、
理論的表現から見ていこう。
マルクスは、『批判』では、交換価値の表 現を、「1エレのリンネル=2ポンドのコー ヒー」という簡単な等価関係式ではなく、『資 本論』のタームでいえば、簡単な価値形態で はなく、次のように、展開された価値形態に よって分析している(S.26)。すなわち、
1エレのリンネル=2ポンドのコーヒー、
1エレのリンネル=1/2ポンドの茶、
1エレのリンネル=8ポンドのパン、
1エレのリンネル=6エレのコトン、
である。その理由は、マルクスが『批判』に おいて労働時間によって規定される「交換価 値」概念を採用していることに求められる。
『資本論』の分析で明らかにされるように、「簡 単な価値形態」では必要労働時間で交換され たか否かは偶然であるのに対し、一商品の展 開された価値形態はその商品の確定した労働 時間を表現するからである(3)。では、この表 現形式は、どのような意義と問題点を持つの であろうか? マルクスが指摘する要点を整 理すると、次のように4点挙げることが出来 る。
ⅰ)1エレのリンネルの一般的労働時間が 無数の諸使用価値の異なる諸量で表現されて いる。どの使用価値も、その交換比率で1エ レのリンネルの等価となる。
ⅱ)個別の商品の交換価値は、無数に多く の使用価値でのみ、余すところなく表現され ている。
ⅲ)商品は、このような方程式の総和によっ てだけ、一般的等価(allgemeines Äquivalent)
として余すところなく表現される(文中のイ タリックによる強調はマルクス)。
ⅳ)1エレのリンネルが、他の全ての商品 で交換価値を測るから、他の全ての商品は、
反対に、この排除されたリンネルで自分らの 交換価値を測る。
さて、上のⅰ)及びⅱ)では、一商品(1 エレのリンネル)の対象化された一般的労働 時間と交換価値が、他の全ての商品の使用価 値で表現されることを示すが、同時に、一商 品は、ⅲ)のように、一般的等価として表現 されることになる。即ち、交換価値としての 表現が同時に一般的労働時間としての表現で
(3) 「商品の価値量は、他の商品種の多寡には影響されない。」、また「一般的社会的労働時間の対象化と しての、一商品の交換価値には、無数の異なる使用価値による、一商品の等価の表現が対応している。」
(S.27)
あるだけでなく、同時に一般的等価としての 表現でもあるのだ。これは、交換価値の理論 的な量的表現の一つの問題点、否、弱点で ある(4)。そして、この弱点が、ⅳ)の内容と 関係していることは予め留意されるべきであ る。ⅳ)は、一商品が他の全ての使用価値で 交換価値を測るから、他の全ての商品は、反 対に、その一商品でそれぞれの交換価値を測 る、という「尺度の特性」を示す(5)(この問 題点は後述される)。
では、次のテーマ、「交換過程における一 般的等価の成立」はどのように行なわれてい るのであろうか? マルクスは、①先ず、課 題を設定し、そして②それに解決を与える、
という形で論述しているが、②の解決におい て、再び交換価値の理論的表現に戻り、そこ に、交換過程における商品世界の社会的行動 を重ね合わせる、というやり方をとっている。
①課題の設定。マルクスは、商品が交換過 程でその存在を2重化しなければならないこ と、そしてそれの交換価値としての第2の存 在は、諸商品だけが対応しあう交換過程では、
他の一商品だけである、と述べ、次のように 課題設定している。
「如何にして、一特殊商品を対象化された 一般的労働時間として直接に表現するのか、
あるいは同じことだが、如何にして、一特殊 商品に対象化されている個人の労働時間に一 般性の性格を与えるのか?」(S.32)(6)
②課題の解決。これは、既に述べたように、
再び、リンネルの展開された価値形態に戻 り、そしてそれを顛倒形態にした上で、その 顛倒形態に交換過程における商品世界の共同 行動を重ね合わせるというやり方がとられて いる。即ち、「この表現は、商品が対象化さ れた一般的労働時間の特定量であるとただ考 えられた限り、理論的であった」(S.32)と 再確認し、それに直ぐ続けて、次のように述 べている。
「一特殊商品の一般的等価としての定在
(Dasein)は、上記の方程式の系列を簡単に 顛倒することによって、単なる抽象から交換 過程それ自体の社会的結果となる。かくして、
例えば、
2ポンドのコーヒー=1エレのリンネル、
1/2ポンドの茶 =1エレのリンネル、
8ポンドのパン =1エレのリンネル、
6エレのキャラコ =1エレのリンネル。
」(S.32)と。
到達した結論は、『資本論』のタームでい えば、一般的等価形態である。では、このよ うな解決の意義と問題点はどこにあるのだろ うか?マルクスが指摘するポイントを要約す ると、次の2点のようになる。
ⅰ)先ず、リンネル以外の全ての商品がそ れぞれの労働時間をリンネルで表現するか ら、リンネルは、その反対に、他の全ての使 用価値量で一般的労働時間を表現する。これ
(4) 一般的等価を交換価値と全く同義に用いている事例は数多くある。例えば、『批判』のS.20、S.27、S.32 などを見よ。
(5) 「尺度の特性」とは、「尺度するものが尺度される」という関係を指している。『資本論』のタームで いえば、展開された価値形態はその反対の一般的価値形態となり、また、その逆の関係でもあるとい う論理である。これに関して、マルクスは、モンタナリを脚注で引用している。『批判』、S.26、f.n.
(6) この引用文では、主語、諸商品(Waren)が省略されている。この課題設定を行い解決を与える段落が、
諸商品による共同行動とそれによる一般的等価の設定であることを考えると、こう解釈することが文 意に沿った解釈であると思われる。『経済学批判』(岩波文庫、武田他訳、1967年14刷、p.48)は、「特 定商品」、「個人の労働時間」を主語にしている。『マルクス資本論草稿集3』(大月書店、1995年3刷、
p.236)では、引用の前半部分で「一つの特殊商品」を主語にしている。
は、先に見た「尺度の特性」を一般的等価形 態に当てはめたものである。
ⅱ)「・・・全ての商品が自分らの交換価 値を一特殊商品で測るので、排除された商品 は、交換価値の妥当な定在、一般的等価とし ての妥当な定在となる」(S.33)。リンネルが 一般的等価として確定されると、展開された 価値形態は「2ポンドのコーヒー=1エレ のリンネル」という簡単な価値形態に戻る。
そしてコーヒーは、他のどの商品の一定量に 対しても直接に等価物として現れ、又、諸商 品もリンネル形態で諸交換価値として相互に 関係し合う。何故なら、「一般的労働時間が、
他の全ての商品と並ぶ、又全ての商品の外に ある、一特殊物、一商品として表現されてい る」(S.33)からである。
さて、ⅱ)が語る内容は、ⅰ)が語る内容 と全く異なっている。ⅰ)では、一般的等価 となったリンネルが一般的労働時間を表現す るのは、「尺度の特性」に従い、他の全ての 使用価値に関係するからである。ⅱ)が示す ものは、交換過程において諸商品が社会的行 動によって一般的等価を成立させるという新 機軸である。新機軸というのは、これが、交 換価値の理論的な量的表現に対して突如登場 し、一般等価を成立させるという新しい質的 規定を与えているからである。この新機軸と その内容は、後に見るように、そのまま『資 本論』に継承される。但し、『資本論』にお いては「価値形態論」という新しい理論分析 を伴って継承されているのである。言い換え れば、マルクスは、『批判』において、いわ ば直感的に、「交換過程における商品世界の
社会的行動による一般的等価の成立」という 命題を確立したのである。だが、この命題は まだ論証されていない、あるいは理論的に証 明されていないのである。即ち、新しく確立 された一般的等価をして一般的等価たらしめ ているものは何か? 商品世界の社会的行動 が、如何にして、一般的等価を設定するのか?
これは、同時に、先に見た、交換価値の理 論的表現における「尺度の特性」による一般 的等価の根拠付けをも理論的に再検討しなけ ればならない問題なのである。尺度の特性に よるリンネルの一般的労働時間としての表現 は、交換過程の社会的行動による一般的等価 とは全く異なるものだからである(7)。更に、
一般的等価の理論的解明は、そもそも一般的 等価の前段階にある「等価」概念自体が再検 討されなければならないのであり、従って「交 換価値」概念自体が再検討されねばならない ことになるのである。
最後に、マルクスが以上の展開を総括し、
一般的等価の成立を貨幣の成立に結び付けて いる箇所を引用し、終わりとしよう。(引用 文中の番号付けは、執筆者による)
「(ⅰ)商品所有者たちが一般的社会的労働 としての自らの労働に交互に関係し合うとい うことは、交換価値としての彼らの商品に関 係し合うことに現され、(ⅱ)交換過程にお ける交換価値としての諸商品の交互的な相互 関係は、彼らの交換価値の妥当な表現として の一特殊商品に対する諸商品の全面的関係と して現され、(ⅲ)このことは、この特殊商 品による他の全ての商品に対する特殊な関係 として、それ故、一つの物の特定の、自然発
(7) この点は『批判』第2章「貨幣または単純流通」の第1節「諸価値の尺度」においても確認される。
金を一般的等価にし、価値尺度にする他の全ての商品の行動によって、諸商品は、使用価値とそれを 生産する諸労働の特殊性が消去され、金の諸量として量的にのみ異なる価値として現される。だが、
金は、どのようにして一般的等価になるのか? 「諸商品が金を一般的等価として排除する」からである のか、あるいは「金が全ての諸商品でその交換価値を直接に表現する」(S.50)からであるのか。金を、
一般的等価とする理論的根拠は、解明されるべき課題として残されたのである。
生的な社会的特性として現れる。」(S.34)
「このように、全ての商品の交換価値の妥 当な定在を現す特殊商品・・・は、貨幣であ る。それは、交換過程それ自体の中で形成さ れる、諸商品の交換価値の結晶である」(S.34)
Ⅱ. 『初版資本論』における価値と簡単 な価値形態
『経済学批判』(1859)が出版されてから8 年後、『初版資本論』(1867)が登場した。『初 版』の商品論は『批判』の商品論を抜本的に 改訂した。なぜなら、『初版』の課題は、新 しく価値概念を確立し、同様に新しく価値形 態論を展開し、それによって『批判』が提起 した「一般的等価の成立」という命題を理論 的に証明することにあったからである。その 根拠は、自らが設定した「一般的等価」概念 を『批判』自身が論証出来なかったからであ る。その主要な理由は、第Ⅰ章の末尾で見た ように、一般的等価概念の、そもそもの基礎 概念である「等価」概念が相対的な、曖昧な ものであったからである。一般的等価の成立 を論証するためには、新しい等価概念が確立 されねばならないのである。
では、新しい等価概念とは何か、また、そ れはどのように生み出されるのか、そしてそ れから新しい一般的等価概念にどのようにし て到達できるのか?しかし、この新等価概念 から新一般的等価概念までの道筋は、実は、
新しい価値概念の確立と、同様に新しい価値 形態論の展開という道程に他ならないのであ る。そして、価値形態論は、後述されるよう に、簡単な価値形態を初めとする3形態から なり、そこでは、簡単な価値形態が全体のコー ナー・スト−ンになっているのである。即ち、
簡単な価値形態は、一方で価値概念と関係し、
他方で展開された価値形態、更に一般的価値 形態へと展開される、という具合に枢軸的役
割を担っているのである。
われわれは、次節§1で価値概念の確立を 検討するが、§2では簡単な価値形態に含ま れる新しい等価概念の問題性とそれに対する 2つのアプローチについて概観する。§3及 び§4で2つのアプローチそれぞれを検討 する。「展開された価値形態」と「一般的価 値形態」は、次の第Ⅲ章で考察される。
§1 価値概念の確立
先ず価値を価値概念として考察しようとす ると、次の3点を指摘しなければならない。
① 価値は社会的実体(gesellschaftliche Sub- stanz)の物的表現(dinglicher Ausdruck) で ある。社会的実体とは「労働」であるが、「抽 象的一般的人間労働」とか、「同じ無差別 の単純労働」とか、「社会的必要労働」と か、として命名されている労働のことであ る。『経済学批判』と『資本論』における 労働についての理解は、根本的には同じで あると見なすことが出来る。なぜなら『批 判』も『資本論』も価値形成労働を「社会 的実体」とし、リンネル価値を形成する労 働も上着価値形成労働も、同じ抽象的人間 労働として相互に代替され、共に交換可能 性を持つものとして理解しているからであ る。ただし、両者における表現上の違いを あげると、ⅰ)『批判』では、使用価値形 成労働の具体性、特殊性に対し、価値措定 労働は、抽象性、一般性をあらわすという 具合に両者の対照的性格が強調されている が、ⅱ)『資本論』では2つの労働は、二 者闘争的なもの(Zwiesclächtiges)(初版、
S.7)として、その対立的性格が強調され ている。ここでは、価値形成労働は、具体 的有用労働の抽象・止揚・否定として与え られる。このような記述様式の変更は、価 値形態論の研究の深化と深く結びついてい る(後述)。
② 上では価値実体を分析して労働を問題に したが、今度は逆に、そのような労働が 価値として物的に表現されることが問題 となる。即ち、人間労働が価値として凝固 した「労働ゼリー」となり、「価値対象性
(Wertgegenständlichkeit)」あるいは「価値 定在(Wertdasein)」を獲得することである。
③ ここから価値は、特定の使用価値によって 表現されなければならないことが、あるい は特定使用価値において「交換価値」とし て現象しなければならないことが要請され るが、その前に、「価値」は、交換価値の 実体(die Substanz des Tauschwerts)(初版、
S.3)として、商品(die Ware)に内在する もの、商品にはlatentに含まれるものであ る。すなわち、価値は、②に示されるように、
価値対象性、価値定在として現実に存在し なければならないものでありながら、商品
にlatentに含まれ、内在するものとして位
置づけられる。ここに、価値は、使用価値 の否定であるが、同時に特定の使用価値に よって価値対象性を獲得しなければならな いという、商品論における価値概念の難し さがあると思われる。
『経済学批判』に対する『資本論』の決定 的相違は、上の③にある。『批判』は、「交換 価値」をさしあたり諸使用価値の交換比率す なわち量的比率として捉えるが,一定の比率 において異なる使用価値の間に認められる
「おなじ単位(Einheit)」をも交換価値概念に 包含していた。この「同じ単位」の実体、し たがって「交換価値」の実体は人間労働であ る。そして交換価値は「価値量」としては人 間労働の量の堆積物であるから「労働時間」
によって測られる。それゆえ『批判』におけ る交換価値概念は、質的規定(「同じ単位」
とその実体である労働)とそれを踏まえた量 的規定を含む包括的概念として設定され、「労 働時間による交換価値の規定」として重要な 役割を果たすものとなっていた(『批判』の
SS.17-21を見よ)。
『資本論』においても、交換価値をさしあ たり量的交換比率として捉えるが、一定比率 において確認される「同じ単位」を「価値」
として規定して、それを明確に交換価値から 区別される「第3者」とし、且つ商品に内在 するものとしている。即ち『資本論』では、
価値は、「交換価値の実体」として商品に内 在するものであるが、他方では、「価値の実体」
が人間労働である、という具合に捉えられて いる。分析の深化を『経済学批判』と『資本 論』とで、シェーマ化して対比すると、『批判』
では、
量的比率(交換価値)⇒「同じ単位」(交 換価値)⇒人間労働と労働時間(交換価値の 実体)
であるが、『資本論』では、
量的比率(交換価値)⇒「同じ単位」(価値)
⇒人間労働と労働時間(価値の実体)
となる。
一定比率で等値される2財に存在する同 質なもの、「同じ単位」を交換価値としてで なく価値として独立に規定し、しかも価値 は、社会的実体(人間労働)の物的表現であ るが、交換価値のように直接現象するもの でなく、その前に交換価値の実体として商 品に内在するものである。このように価値 を定義すると、『資本論』における「交換価 値」の意味は、『批判』とは異なり、異なる 諸使用価値の等価値関係とその量的比率とい う現象形態に限定されることになる。それゆ え『資本論』では、商品に内在する価値、す なわち価値存在(Wertsein)が如何にして外 在化し「交換価値」に現象するのか、という 価値表現の課題があたえられる。しかし『批 判』では、社会的実体である労働の物的表現 が直ちに交換価値として理解されることにな るから、商品に内在するものも、直ちに人間 労働そして労働時間の対象化である交換価値 として理解される。ここから価値表現の問題
は、交換価値が如何にして交換価値として現 象するかという無意味な課題設定は出来ない から、個別商品に含まれる個別労働時間が如 何にして一般的労働時間としてあらわされる か、という具合に設定されることになる(『批 判』、SS.19-20,25-26)。すなわち『批判』の 交換価値概念からは、価値量を確定的に表現 する「展開された価値形態」が価値表現の分 析対象となるが、「簡単な価値形態」には繋 がらないのである。
§ 2 概観(簡単な価値形態に向けて)
前節までの記述を踏まえて、これから予定 される簡単な価値形態の解明までを概観する と、図のようになる。
簡単な価値形態は、例えば図の「20エレ のリンネル=1着の上着」である。A,Bは 基礎カテゴリーからのアプローチである。A は『経済学批判』からのアプローチで、『批 判』が確立した基礎概念「交換価値」に基づ いて「20エレのリンネル=1着の上着」は、「価 値形態」ではなく、同量の労働時間を含む「等 価関係式」として読まれることになる。そこ では、20エレのリンネルも1着の上着もそ れぞれが他方に対して「等価」となることは、
既に指摘した(第Ⅰ章、§1の末尾参照)(8)。 だが、問題はBである。
Bは、『初版』本文が確立した純粋に質的
「価値」概念からアプローチすることである から、「20エレのリンネル=1着の上着」は、
「等価関係式」ではなく、①一商品(リンネル)
による価値表現を示すものにならねばならな い。すると、②一商品の価値表現の材料とな る他の商品の使用価値(上着)は、「同じ労 働時間」を含む「等価」概念とは全く異なる、
新しい「等価」概念にならなければならない ことが示される。①の課題は、図のYによっ て、即ち、『初版』本文において「相対価値」
視点を確立することによって、「20エレのリ ンネル=1着の上着」を「相対的価値形態」
と読み替えることによって成就された。この ことは直ぐ次節で検討される。だが、②の、
全く新しい「等価」概念とは何か?
一商品(リンネル)の価値表現は、他の一 商品の使用価値(上着)で行なわれるから、
上着という使用価値が直接価値になることで ある。これは、商品分析が与えた価値概念、「価 値は使用価値の抽象・止揚・否定によって成立 する」という概念の否定に他ならない。一商 品が自分に内在する価値を自分の使用価値で 表現できないことは価値概念から要請される が、自分の使用価値でない異種の使用価値と はいえ、それが価値を現すことは、「価値は 使用価値の否定である」という価値概念を否 定するものである。しかし、「他の使用価値 そのものに表現される価値」、「価値となった 他の使用価値」こそが、『批判』の等価概念 に取って代わるべき、新しい等価概念なので あり、純粋に質的な価値概念の設定によって 始めて明らかにされた等価概念なのである。
では、このような、新しい等価概念の成立は、
20エレのリンネル=1着の上着 A「交換価値」 B「価値」
↓ ↓
↑ ↑
Y「相対的価値形態」 Z「価値関係(価値形態)」
A、Bは基礎カテゴリーからのアプローチ
Yは『初版』本文のアプローチ Zは『初版』付録のアプローチ
(8) また、『初版資本論』付録、§3、b)、SS.768-769.もこの点を指摘している。
如何に説明されるべきであるのか?
図のY,Zは、簡単な価値関係式を解明す る2つのアプローチである。Yは、『初版』
本文によるアプローチで、それは、相対価値 視点を確立し、「等価関係式」を「相対的価 値形態」と読み替えることによって新しい等 価概念を解明できたが、なお、「20エレのリ ンネル=1着の上着」という量的関係式を分 析対象にしていた。図のZは、『批判』付録 のアプローチであるが、「本文」が確立した
「相対価値」視点を基本的に継承しつつ、「リ ンネル=上着」という純粋に質的価値関係式 を分析対象として取り出し、質的分析を深め ることによって新しい等価概念を一層豊富化 したのである。
§ 3 『初版』本文における「簡単な相対的 価値形態」
『初版』本文は、「相対価値」視点を確立し た。「相対価値」視点とは、等価関係式「20 エレのリンネル=1着の上着」の左辺を右辺 から区別し、左辺の商品(20エレのリンネル)
に価値表現のイニシャチブを与え(「相対的 価値形態」を与え)、従って、右辺の商品の 使用価値(1着の上着)を価値表現の材料と する(右辺の使用価値を「等価形態」にする)
ことである。相対価値視点によって表現され るものは、最早、「交換価値」ではなく、純 粋に質的に規定され、且つ商品に内在する「価 値」に他ならない。純粋に質的で、商品に内 在する価値であるから、価値は、自らを外在 化する、しかも諸商品の社会的関係において 外在化することを要請することになる。言い 換えれば、「相対的価値形態」としての「簡 単な価値形態」の確立は、価値概念の確立と 同時に進められたのである。
だが、新しい「等価形態」は、その内容が
「他の使用価値による価値の表現」であるか ら、商品分析が与える、「価値は使用価値の 否定である」という価値概念の逸脱・否定に 他ならなかった。では、『初版』本文は、如 何にして、新しい等価形態概念を導出したの であろうか? それは、まさに、「相対価値」
視点を強調することによってである。相対的 価値形態、相対的価値表現の内容を一言でい えば、リンネルが上着に関係し、上着の使用 価値を丸ごと(mit Haut und Haaren)価値物 に転化するのである。「丸ごと」というのは、
上着の物体形態(使用価値)を抽象・否定す るのでなく、そのまま容認・前提し、そのま まそっくり、その反対物である価値物に転化 すること、更にそれだけでなく、それを達成 するために上着の生産過程にまでさかのぼ り、上着を造る特定の具体的労働、裁縫労働 自体を抽象的人間労働の現象形態、実現様式 にするからである。
『初版』本文でマルクスは、リンネルも上 着も価値であることを前提して、リンネルが 自分の価値を上着で表現する仕方を、次のよ うに3点ほど挙げている(9)。
(1)「それ(リンネル)が自分自身の価値存 在を示すのは、さしあたり、他の商品、上 着が自分(リンネル)と同じものであると して、リンネルが上着に関係する(beziehen sich auf)ことによってである。」(S.16)(イ タリックによる強調はマルクス。以下同様。)
(2)「上着が同じ人間労働の対象化であると して、即ち上着がリンネル自身の価値実体の 対象化であるとして、リンネルが上着に関係 する(beziehen sich auf)から、リンネルは上 着を自分に質的に等値する。」(S.16)
(2)「’ 上着の使用価値がリンネル価値の現
(9) 以下の原文の拙訳では、牧野紀之訳『初版資本論第一章』(鶏鳴双書、1973)、牧野道場訳『初版資本 論の付録』(同、1974)を部分的に参考にした。
象形態になるのは、ただ、上着という材料
(Rockmaterial)が抽象的人間労働の直接の体 化物であるとして、リンネルが上着に関係す る(beziehen sich auf)ことによって、かくし て、上着材料がリンネル自身に対象化されて いる労働と同じ労働の直接の体化物であると して、リンネルが上着に関係することによっ てである。」(S.18)
(3)「裁縫労働が人間労働の直接の実現形態 であるとして、(リンネルが)裁縫労働に関 係する(beziehen sich auf)ことなしには、リ ンネルは、価値としての上着に、あるいは 受肉した人間労働としての上着に関係する
(beziehen sich auf)ことはできない。」(S.19)
(1)「上着が自分(リンネル)と同じもの である」、(2)「上着が同じ人間労働の対象化 である」、(2)’「上着という材料(Rockmaterial)
が人間労働の直接の体化物である」、という のは、「上着の使用価値が価値である」とい うことである。上着がそうなる根本的理由は、
(3)「裁縫労働が人間労働の実現形態である」
からである。この3重内容は、すべて、リン ネルが上着に関係する(beziehen sich auf)こ との内容である。リンネルが上着の使用価値 を「丸ごと」価値に転化する行為の内容であ る。この行為の結果、上着は価値物となる。
即ち、新しい「等価」概念が誕生したのであ る。即ち上着は、リンネルによる「相対的価 値」表現の結果、「交換可能な使用価値の形 態」(S.17)という新しい「等価形態」を獲 得する。リンネルは、この等価形態にある上 着において、自分の使用価値と異なる「価値 形態」を獲得する。自分の使用価値と異なる、
上着という使用価値によって価値対象性を実 現したのである。ここでは価値は、使用価値 と対立関係にあるのではなく、価値と使用価 値とは相互に反映し合う(reflektieren sich in
einander)(S.20)という新しい特徴を示す。
『初版』本文においてマルクスは、「相対的 価値形態」の分析によって新しい等価概念を 発見した。それ故、マルクスが如何に「相対 価値」視点を重視したかは、全ての等価関係 式を「相対的価値形態」としたことからも伺 える(10)。だが、この発見は、相対的価値表 現の、いわば、腕力によるものであり、われ われは、かかるアプローチの問題点を2点挙 げることが出来る。
第1点。相対的価値表現は、リンネル自 身に含まれる価値の自己表現であるが、それ の材料となる上着の価値存在、上着に含まれ る価値がどのように関わるのかが明確ではな い。リンネルによる相対価値表現(2)は、
「上着が同じ人間労働の対象化である」とし て、リンネルが上着に関係することであっ た。だが、これは、上着の使用価値をリンネ ル自身の価値実体、人間労働の対象化にスト レートに転化させる、ということを示してい る。だが、使用価値リンネルに異なった使用 価値上着が等置されているというのが事実で ある(本文中の太字による強調は執筆者によ る。以下同じ)。この、異種2財の等置関係が、
上着もリンネル同様価値であることによって
「価値関係」に転化され、使用価値上着が新 しい等価形態になることは、次節で明らかに される。
第2点。「相対価値」視点の分析によって、
『批判』の等価概念と全く異なる、新しい等 価概念が与えられたことは既に述べた。だが、
リンネルの相対価値表現が3重の内容を持つ ことに比較すると、新しい等価形態がそれを 十分反映した内容を与えられていない、と言 う印象は免れない。これは、相対的価値表現 が強調されたことに主な理由があるが、相対 的価値表現自体が、リンネルの価値だけでな くリンネルの価値量の表現によって完結する
(10) 第I形態は、『初版』本文のS.15、第II形態はS.24、第III形態は、S.25を参照。