研究ノート
「コミュニケーション活動の時間」の提案
―「自己表現活動」を中心に―
創価大学教職大学院 教職研究科教職専攻 堤 和 仁
Ⅰ は じ め に
明年,平成23年度4月より,いよいよ小学校5・6年生で週1時間,「外国語活動」
が完全実施される。しかし,小学校で英語教育を行うことに対しては,賛成派もいれ ば反対派や懐疑的な声も後を絶たない。
最も多く挙げられる問題点は,英語教育における小中連携である。移行期間に入 り,小学校英語活動の実施率が上がってくるにつれ,小学校英語活動と中学校英語教 育との接続や連携が話題に上ることが多くなっている。その理由として,松川は「同 じ中学校区内の小学校での英語活動の内容が違い,中学校入学時点で足並みが揃わな いこと,小学校で楽しく英語活動を体験した子供たちの学習意欲やコミュニケーショ ンに対する積極性が,中学入学後に低下していくこと,小学校で音声中心の活動を重 視したにもかかわらず,中学入学後,特に『話す力』が思ったほど伸びないこと」1)等 を挙げている。つまり,小中連携を考えていく上で,重要な手がかりとなるはずのこ のたびの改訂が,かえって混乱を招いていると考える見方も存在している。
また,別の問題点として考えられるのは,教師の外国語活動を行う目的認識の「ズ レ」である。小学校の外国語活動の目標は,「外国語を通じて,言語や文化について 体験的に理解を深め,積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度の育成を図 り,外国語の音声や基本的な表現に慣れ親しませながら,コミュニケーション能力の 素地を養う」2)と学習指導要領にも掲げられているように,小学校外国語活動の目的 は,コミュニケーション能力の育成が主眼である。さらに,「コミュニケーションへ の積極的な態度」とは,学習指導要領(2008)にあるとおり,「日本語とは異なる外 国語の音に触れることにより,外国語を注意深く聞いて相手の思いを理解しようとし たり,他者に対して自分の思いを伝えることの難しさや大切さを実感したりしなが ら,積極的に自分の思いを伝えようとする態度などのこと」3)である。しかし現在,小 学校や中学校における,それぞれの現場の教師の見方や考え方や,文部科学省をはじ めとする教育行政レベルでの施策やめざす方向性,そして,地域や家庭レベルでの
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ニーズそれぞれにズレが生じている。たとえば小学校においては,教師の英語を扱う ことに対する不安が大きく,そのため
ALT
等の活用も,決して効果的とは言えない 現状も存在している。また,日本社会全体のニーズも,英語を話せる子供たちを育成 することを好む傾向が強いと言えるだろう。社会全体がそのような認識にあることが 問題であると同時に,とりわけ親たちのニーズは,わが子が英語を話せるようになる ことである。つまり,子供に英語を習得させること自体が目的となっており,コミュ ニケーション能力を育成するという,外国語活動のねらいが軽視されつつある傾向を 筆者は懸念するのである。また,中学校においては,依然として「受験」という大きな障壁が,子供たちのコ ミュニケーション能力の向上を妨げ,「相手の思いを理解しようとしたり,他者に対 して自分の思いを伝えることの難しさや大切さを実感したりしながら,積極的に自分 の思いを伝えようとする態度」を軽視させる原因になっている。その上,グローバル 化の進展した現代社会においては,国際標準語としての英語をマスターしない限り,
激しい競争社会を勝ち進むことができない,と考えるのも至極当然のことと言えよ う。つまり,英語の習得=経済力=恵まれた生活,という将来への明るいイメージが 追い風になっている傾向があり,何のために外国語(英語)を学ぶのかという理念 が,国民意識としてしっかり根付いていないことが問題である。このように,社会全 体の外国語活動(英語教育)に対する理解に「ズレ」がある。
以上に挙げた問題点から,単に英語を習得するだけではなく,コミュニケーション 能力を育成することを主眼とした小中連携の在り方について考察した。つまり,小学 校・中学校の9年間に,外国語活動や英語での学習をとおして,単に言語を学んだ り,英語での情報のやりとりを習得したりするだけではなく,自分の思いや考えを伝 えるためのコミュニケーション活動を目的とするものであり,人とのかかわりから人 間を学ぶことを理念とした「コミュニケーション活動の時間」の創設を筆者は提唱し たい。具体的には,あらゆるもの(自己,他者,自分以外の世界)と対話し,自己の 内面を表現する(自己表現)力を身につけるカリキュラムを軸とした領域である。
本稿では,そのモデルとなる授業を提案する。
Ⅱ 外国語教授法の変遷(英語教育の歴史)
本節では,外国語教授法の変遷の概観を振り返ることによって,どのような外国語 教育が今,求められているのかを考察したい。加賀田の概観したものを以下に記す。
江戸時代「オーラルメソッド」(口頭練習を中心とした教授法を意味する)
↓
「文法訳読式教授法」
↓
(文法を演繹的に提示・説明し,外国語を母語に,母 語を外国語に翻訳する過程を通じて言語習得を目指
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す方法)
大正11年「オーラルメソッド」
↓
戦後 「オーディオ・リンガルメソッド」
↓
(アメリカの構造言語学からの言語観,
行動義からの思想を支柱として発達した 教授法)
1950年代に変形文法理論や認知心理学立場から厳しく批判される
「コミュニカティブ・アプローチ」(学習者の言語運用能力の育成を目標とする)
「人間主義的教授法」(言語運用能力を育成のためには学習者中心でなければならな いとし,学習者の心理やクラス内で人間関係の研究を含む心理 学・精神力学からの影響を受けた教授法)
『人間学的英語教育の概念構築への一考察』より4)
このようにわが国の主な英語教授法の流れを観ていくと,構造言語学,行動主義心 理学,認知主義理論を反映した教授法に見られる「人間不在」の教育から,人間主義 的外国語教授法のように「人間中心」の教育に転換していることがわかる。しかし,
加賀田が「遺憾にも,我が国においてこの人間中心の外国語教育は十分浸透すること はなかった」5)と述べているように,現在の小学校現場で行われている「外国語活動」
を見てみると,必ずしも目標を達成しているとは言えず,いつの間にか「英語」とい う言語を教えることにとらわれてしまいがちなのではないだろうか。
Ⅲ 人間学的英語教育
こうした中,加賀田は「これからの英語教育を『人間学的英語教育』と称し,その 目的を単に『言語習得』に置くだけではなく,人間という存在を多角的に追求しよう とする『人間理解の促進』のための英語教育」6)としてとらえている。また,人間学的 英語教育の理念として,「希薄な人間関係,人間性の喪失,教育の荒廃が叫ばれる昨 今,英語教育においては,英語能力の向上に加え,これまで以上に『関係性』を軸と した授業づくりを構築し,異なる価値観を有する他者との交流を積極的に図り,心を 開いて理解しあう態度,およびコミュニケーション能力の育成を図ることが必要とな る」と述べている。そして,加賀田は人間学的英語教育の理念から「教育理念」「指 導目標」「指導内容」「指導方法」「評価」を「人間理解」の理念の基調として論じて いる7)。本稿では,加賀田が掲げている,「関係性」を軸とした授業づくりを構築する という理念に基づいた実践モデルを提案したい。
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Ⅳ 「コミュニケーション活動の時間」の理念
「関係性」を軸とした授業とはいかなるものであろうか。筆者は,「魂と魂の打ち 合いの授業」であると考える。昨今,社会全体の人間関係の希薄化とともに,情報化 社会で外からの情報にひっ迫していることなどによる,コミュニケーション能力の低 下が深刻である。その原因は,自己・他者とのコミュニケーション不全によるもので あろうが,このような社会状況を鑑みれば,よい意味での人間同士のぶつかり合いが ないと言えるだろう。本音で語り合い,ぶつかり合える若者も見られ難い現代では,
魂と魂が打ち合うような,激しいやりとりの体験が必要である。しかし,「外国語活 動」であるのに,外国語を学ばないのかと言えば否である。筆者が強調したいのは,
子供たちがコミュニケーション活動を行うことに意義を感じ,その喜びを味わうこと である。筆者自身,海外に3年半ほど留学していた経験があるが,当時は人とのふれ あうことが目的ではなく,英語を話すことが目的であり,英語を話すために現地の人 たちとかかわっていた,かつての自分自身の姿を想起することがある。「語学」は他 者とコミュニケーションを図る「手段」であったにもかかわらず,それがあたかも目 的となってしまっていたかのような錯覚に陥り,帰国後,後悔した自身の苦い経験を 思い出す。故に,人とのかかわりについて考えたり,互いの自尊感情を高めるような アクティビティ(例えば,お互いの長所を述べ合う)を通して,人の特性(良さ)を 英語で表現する力や共感する力を小・中学校時代に,より高めておく必要があったの ではないかと回想する。
また,英語を話すことのできる日本人は決して少なくはないが,中身のない話をす る日本人が多い,とはよく聞く話である。たとえば,自国について(文化など)聞か れても答えられない,自分の考えをもてない,などがその一例である。このような「何 のため」という,外国語を学ぶための「理念」こそ重要である。つまり,「mind–to-
mind」から「heart-to-heart」
,「heart-to-heart」から「Soul to Soul」のコミュニケーショ ン活動を成立させられる子供たちを育てる「外国語活動」が必要である(英語にはheart-to-heart
「心の通う」とある。mind-to-mind
は知識と知識のやりとりという 意味合いでheart-to-heart”にかけて表現した。 Soul to Soul
は魂と魂の打ち合いと いう意味である)。小中連携の観点から述べれば,小学校では子供がコミュニケー ションを通して人とかかわる楽しさや歓びを感じる体験を積み,コミュニケーション そのものの本質をつかむことが,何のために外国語を学ぶのかという目的意識へとつ ながり,中学校での英語教育にスムーズに接続できると考える。では,
Soul to Soul
のコミュニケーションが出来る子供たちを育てていく授業とはどのようなものであろうか。それは,あらゆるもの(自己,他者,自分以外の世界)
と対話し,自己の内面を表現する(自己表現)力をはぐくむ授業である。筆者はこう
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した自己と自己以外の世界と対話する力が,真の「コミュニケーション能力」である と考える。そして,教師が子供と共に学び,この「コミュニケーション能力」を引き 出していくことが「人間教育」であると考える。
「自己表現力」とは,「自分の思い(感情)や考えを表現するという意味に加えて,
自己と自己以外の世界と対話していく中で感じ取る『感覚』を研ぎ澄ませ,言語やア クティビティで表現する力」と筆者は定義している。「感覚」に耳を傾け,言語化す る行為は詩人が行う行為と同じである。これは,詩心をはぐくむことにもつながり,
昨今の情報化社会の伸展にともない,自然体験よりもバーチャルな遊びに傾倒しがち な現代において最も重視したい視点である。また,教職大学院の実習研究を始める際 に,公立小学校の校長が述べていた言葉が今も心に残っている。すなわち「今,小学 校の教育現場は英語や総合など教科だけでなく,多くの仕事や課題が山積し,子供も 教師も目の前のことでひっ迫している。英語も大事だが「詩心」をはぐくむような授 業をして欲しい」との内容である。実際に教育現場を体験して,先の言葉が実感とし て感じられるようになったことも,筆者が本研究を進めていく重要な手がかりとなっ ている。
また「感覚」とは,外からの情報や教育に左右されない,自分が感じる事実である。
またそれは,「直感」「普遍的な精神」など,アメリカン・ルネサンスの巨匠,ラル フ・ワルド・エマソンが述べている世界でもある。自然を感じる,そして感覚を研ぎ 澄ますことによって自己の願いや思い,考えにも気付くことになる。これは自己省察 に至るプロセスそのものである。そうしたプロセスとは,自分の殻に閉じこもること ではない。自己省察を他者とのかかわりの中でぶつけ合わせることであり,自分の感 覚を見つめることでもある。故に自分以外の世界,人,モノとのかかわりこそが大切 である。否,そのかかわりがあるからこそ,自分自身も見える。アメリカの教育者・
ブロンソン・オルコット,ソクラテスが「自知」の大切さを述べているように,自分 を知ることで自己更新が可能となり,自分の願いに気付き,自己実現することでき る。
こうした意味で,「外国語活動」「英語教育」という言葉があるが,「ダイアローグ
(dialogue:対話)学習」(仮)との視点からコミュニケーション活動に取り組む必要
がある。
dialogue
とは,リーダーズ英和辞典では「対話,[共通理解を得るための]意見交換8)と訳され,オックスフォード現代英英辞典では
a formal discussion between two groups or countries, especially when they are trying to solve a problem, end a dispute
9)と 定義されている。この「ダイアローグ」によって,他者とのかかわりからお互いを理 解し合い,新しい価値を創ることができる。また,自分を知ることができ,それが自 己実現することにつながっていく。従来の知育重視の在り方から,こうした他者との かかわりや,お互いを理解し合い,自己実現をめざす授業を追究していきたい。そして,「ダイアローグ学習」とは,子供と教師が共にあらゆるもの(自分以外の
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世界,人,モノ)と対話し,「対話する力」を身につける学びという意味でもある。「学 習」と表現した理由は,国立
A
付属小学校においては,「○○授業」「○○教育」と いう言葉は使用せず,「学習」という言葉を用いていることに由来する。それは,子 供たちは本来,自ら学び営むという解釈によって成立している。つまり,子供と教師 がダイアローグをしていく中で新しい価値を創り,ダイアローグ自体を学び楽しむ学 習と定義することができる。そして,「ダイアローグ(対話)学習」という方向性で 取り組むもう一つの理由は,社会全体の人間関係の希薄化とともに,情報化社会で外 からの情報にひっ迫していたりすることによる自己・他者とのコミュニケーション不 全による,コミュニケーション能力の低下が深刻だからである。またそれだけなく,自己と自己以外の世界との対話こそ自己実現するために必要な営みである。
また,こうした自己表現活動を中心とするカリキュラムを作成していくことが,子 供たちのコミュニケーション能力を育成することができると考えている。こうした英 語という言語を教えるだけではなく,「コミュニケーション能力」を育成するために は,先に述べた「コミュニケーション活動の時間」の創設を提唱したい。つまり,英 語教育と外国語活動の一本化である。
ここで,大阪府寝屋川市の例を挙げて説明したい。文部科学省にある特区計画の概 要に「寝屋川市では『ふくらまそう夢・育てよう未来の宝』のスローガンのもと,『小 中一貫教育』を柱にした魅力ある学校園づくりに取り組んでいる。特区の特例によ り,21世紀を担う国際化に対応した人材を育成するために,小中学校において『国際 コミュニケーション科』を教科として位置づけ,小中学校9年間を見通した系統性・
継続性のある英語教育のカリキュラムを作成し,実践的英語活用能力を養い,コミュ ニケーション能力の向上を図る。中学校卒業段階で卒業者の平均が英検3級程度の英 語力を身につけることを目指す」10)とあるように,小学校と中学校が連携してコミュ ニケーション能力を向上させることを目的とした「国際コミュニケーション科」が創 設されている(中学校では「英語科」とは別に「国際コミュニケーション科」を設け られている)。
さらにこれに付け加えれば,検定にとらわれるのではなく,子供が自ら人とかかわ ろうとしたり他者との違いを認めたりする姿に自ら気付き,教師もそれを価値づけて いくための方法を構築していく必要があるとしている。その具体的な手だては,今後 の考察課題としていきたい。
ここでの「コミュニケーション活動の時間」の目的は,「自己肯定感の向上」と「ス キルアップ」,「多様性の理解」等を目 指 し て い る。具 体 的 に は,OECDの 掲 げ る
「キー・コンピテンシー」(生きる力)である。「キー・コンピテンシー」は3つのカ テゴリーに分類されるが,筆者の研究に深くかかわる要素は「社会的に異質な集団で の交流」のカテゴリーであり,①他者とうまく関わる能力:共感,②協力する能力,
③対立を処理し解決する能力のコミュニケーション能力としての「生きる力」を育成
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することが目的である11)。その内容は,「スキルトレーニング」と,「他者と交流する 良さを知る(体験的に)」こと,「自己表現する楽しさを味わう」ことである。
また,この「コミュニケーション能力としての『生きる力』」をもつ人間とはどの ような人間像か。それは,「地球市民」であるととらえている。池田(1996)は,「地 球市民」とは「地球規模で価値創造のできる人間」12)と定義している。池田は「地球 市民」の要件について,「それは決して,単に何カ国語を話せるとか,何カ国を旅行 したということで決まるものではない。国外に一回も出たことがなくても,世界の平 和と繁栄を願い,貢献している気高(けだか)き庶民を,私は数多く友人としており ます」と述べた上で,「『地球市民』とは,たとえば――
一,生命の相関性を深く認識しゆく「智慧(ちえ)の人」
一,人種や民族や文化の 差異 を恐れたり,拒否するのではなく,尊重し,理解し,
成長の糧(かて)としゆく「勇気の人」
一,身近に限らず,遠いところで苦しんでいる人々にも同苦(どうく)し,連帯しゆ く「慈悲の人」13)――と説明している。
そして,「この 智慧 と 勇気 と 慈悲 を具体的に展開していくためには,
仏法の世界観,なかんずく森羅万象(しんらばんしょう)の相依(そうえ)・相関性 の原理が,確かな基盤となると,私は思う一人であります」と結んでいる。
つまり,この「地球市民」のような「地球規模で価値創造のできる人間」になりゆ くためには,「森羅万象(しんらばんしょう)の相依・相関性の原理」が基盤になる ということである(ここでは,「森羅万象(しんらばんしょう)の相依・相関性の原 理」については詳しく触れない。)そして池田は,「アメリカ・ルネサンスの巨匠・ソ ローが観察しているように,『われわれの関係性は無限の広がり』をもっております。
この連関に気づく時,互いに生かし,生かされて存在する「生命の糸」をたどりなが ら,地球の隣人の中に,荘厳(そうごん)な輝きを放つ『宝石』を発見することがで きるのではないでしょうか」14)と述べている。つまり,自然(あらゆるもの)とのつ ながりを感じることが地球の隣人の中にある尊いものを見つけることができると解釈 できるのではないであろうか。では,具体的にそうした学習とはいかなるものである かを考察したい。
本稿で提案するのは,例えば,自分以外のものになりきり,その時に感じる感覚を 他者と交流する活動である。上記で述べたように,自分の感じる感覚を表現し,他者 とのかかわりの中で自分・他者を知り,新しい価値観を生み出すことができる。ま た,自分以外のものになりきること(特に人間以外のもの)は,客観的に自己を見つ けることができ,あらゆるものとつながり,一体感を感じることができると確信して いる。
ここで,教職大学院での実習研究の際に行った「自分以外のものになりきって,自 己表現する」実践を紹介する。
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筆者が以前,川の近くで石ころになりきり,その時に感じた感覚を子供たちに率直 に話すと,子供たちは目を丸くして話を聞いた。そして,石になりきる活動場面で は,生き生きと子供たちは石になりきろうと床の上で転がった。本授業を参観してい た現職教員は,子供たちに一体感が感じられたとコメントしている。本実践は,自己 肯定感の低い子供たちが,それを向上させるため,自分の夢について絵や言葉で表現 するという活動内容であったが,子供たちはなりきる活動をすることをとおして自分 の夢に対するイメージが膨らみ,自分はどうしたのか,どういうふうになりたいか,
という自らの考えを述べたり,思いを表現したりするための話し合いを行った。こう した活動が想像力を広げ,創造(表現すること)すること自体を楽しむ子供たちの姿 を引き出していった。こうした過程が自己表現力を耕し,自身をより豊かなものに導 いてくれた経験は少なくない。
また,佐伯は,モノになりきることによって見えることについて次のように述べて いる。湯呑みの存在そのものに,おのれ自身の存在の全体を浸り込んで,内側から自 己を見るというとき,「湯呑みというのは,それに『なっている』という実感,存在 感として,おのれ自身の存在の確かさをもって感じられる,おのれの『からだ』であ る」と述べている。つまり,自分以外のモノになりきることによって自分の存在を感 じるということである。そして,なりきったモノから自己をみることによって「以前 には思いもよらなかった『おのれ』の別の姿がうかびあがってくる」15)と論じている。
つまり,なりきったものから自分を見ることによって自分を客観的に見え,違う自分 が見えるということである。
このように,モノになりきるという活動によって想像力が広がり,創造力が身につ く。そして,自己の存在を感じ,自己を客観(メタ認知)し,違う自分を見ることが できる。こうしたプロセスを経験していく中で掴みとれる感覚を,互いに交流させて いく活動が,結果的に自己を広げ,他者と交流する歓びを感じることになると考え る。こうした活動を主軸とした単元を構想していく中で,子供の学習意欲と自己肯定 感が高まり,「コミュニケーション能力」をはぐくむことができるのではないかと考 えている。中学校においては受験が存在し,そうした受験に必要な学習をしていく必 要も否定しないが,このような「感覚」を言語化していく授業をデザインすることに より,自己肯定感を基底とした,真の地球市民が形成されると考えている。
ここで,その具体的な実践モデルのイメージを提案したい。児童の実態がないの で,ここでは,簡単な実践モデルを提案したい。これは,中嶋(2002)の実践例(中 学生)を参考に小学生向けに筆者がアレンジして創作した実践モデルである。中嶋 は,以下にある「本時」の1,2の後,英語版なりきり作文(書く活動)に取り組ん でいる。本実践モデルでは,小学生の発達段階を考え,実際になりきる活動を取り入 れ,日本語で話したり,書いたりしながら授業者が英語に言い換える活動にしてい る。
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Ⅴ 実 践
なりきり作文の発想をアレンジした実践である。しかし,本実践は書かせるための スキルとしてではなく,「感覚」と「感覚」を交流させるための手段としてモノにな りきる活動を行う。
1.なりきり作文のような文章を読む。
例:くどうなおこ『のはらうた』など(日本語でも良い。国語と関連付ける)
2.気に入った部分に下線を引き,友だちと意見を交換する。
3.なりたいものを探してなりきる(触ったり,絵を描いたりしてそのものを演じる)。 4.感じたことや思ったことを話したり書いたりする(日本語)。
5.教師が日本語の表現を英語に変えてあげる。
6.ペアでもう一度英語で表現してみる16)。
(留意点)
・振り返りの時間をもつ。それにより,友達から客観的に自己を発見してもらうチャ ンスに恵まれることとなる。
・小学生という発達段階を考慮し,子供が表現したい言葉をシンプルな英単語や短い 英文で訳して伝える。
・外国語活動の授業以外(特別活動の時間など)でも外国人をゲストティーチャーで 招き言葉は通じなくても,外国人とかかわりたいという思いが引き出せるような場 の工夫を行う。上記の3と4は,ALTや外国人と活動することもできる。その場 合の留意点を以下に挙げる。
・ALTとの出会わせ方を工夫する。筆者は,堀川小学校(富山県)の外国語活動の 実践を参観したことがあるが,授業者は,ALTが来る授業までの準備として,伝 えたいという思いが自然と出るような英語(学びの題材)との出会わせ方をしてい る。例えば,危機的な状況(海外の宿泊ホテルでお風呂の湯が止まらないなど)を 想定してジェスチャー(非言語)で人に伝えたいことを伝える活動を通して,伝わ る喜びとなかなか伝わらないもどかしさを子供に経験させて,ALTに伝えたいこ とを準備して,ALTと出会わせている。
・ALT・外国人と「感覚」と「感覚」の交流の場を設ける。ALT・外国人もモノにな りきり,その感覚を表現し,子供と感覚を交流する場を創る。外見(肌の色など)
や言葉が異なっても,自分と同じように感覚を表現するということを認識し,交流 することによって同じ人間であるということを体験することにより,「人間理解」
につながる。また,その前段階に
ALT・外国人が英語を教えるだけではなく,
ALT・外国人も子供に日本語では何と表現するのかを聞くなどしてお互いがこれは
何と言うのだろうかと聞き合えるような雰囲気をつくる。例えば,自然の中で日本−169−
にしかないものを
ALT・外国人が子供に訊いて,ALT・外国人が日本のものを知
ろうとすることによって,日本にあるものや外国にあるものは何かを考えることが できる。そうした交流の中に,子供が英語ではどのように表現するのかという素朴 な疑問が生まれ,コミュニケーションが発生すると考える。Ⅵ ま と め
上記に述べた
Soul to Soul
,生命と生命の響き合いのコミュニケーションができ る子供たちを育てる「外国語活動」のカリキュラムを含めた具体的な授業を今後現場 においても継続的に研究していきたいと考えている。引 用 文 献
1)松川,大下:小学校英語と中学校英語を結ぶ―英語教育における小中連携―高陸社書 店,2007,p.3
2)文部科学省:小学校学習指導要領 外国語活動編,2008,p.7 3)文部科学省:小学校学習指導要領 外国語活動編,2008,p.7―8
4)加賀田哲也:人間学的英語教育の概念構築への一考察,大阪商業大学論集,第5巻第1 号,p.469―470
5)加賀田哲也:人間学的英語教育の概念構築への一考察,大阪商業大学論集,第5巻第1 号,p.470
6)加賀田哲也:人間学的英語教育の概念構築への一考察,大阪商業大学論集,第5巻第1 号,p.472
7)加賀田哲也:人間学的英語教育の概念構築への一考察,大阪商業大学論集,第5巻第1 号,p.473―476
8)リーダーズ英和辞典第2版+プラス,研究者,2003
9)オックスフォード現代英英辞典,オックスフォード大学出版局,2000 10)文部科学省,平成15年・16年認定の特区計画の概要,
http : //www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/016/siryo/05082601/004_2/006.htm,
(2010―12―10アクセス)
11)キー・コンピテンシーについてのノート,
http : //www.intweb.co.jp/teian/competency.htm,(2
010―12―10アクセス)12)池田大作,『地球市民』教育への一考察,
http : //www2.sokanet.jp/html/edu - div/materials/text0003.html,
(2010―12―10アクセス)13)池田大作,『地球市民』教育への一考
http : //www2.sokanet.jp/html/edu - div/materials/text0003.html,
(2010―12―10アクセス)−170−
14)池田大作,『地球市民』教育への一考
http : //www2.sokanet.jp/html/edu - div/materials/text0003.html,(2
010―12―10アクセス)15)佐伯 胖,「わかり方」の探求―思考と行動の原点―,2004,p.178―179
16)三浦 孝,弘山貞夫,中嶋洋一:だから英語は教育なんだ―心を育てる英語授業のアプ ローチ,2002,p.52―58
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