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経済史と経済理論  

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(1)

は し が き  

聾者ほ︑元来経済史を学ぶ砂たる劇初学徒であるが︑年来二つの問題に就て関心を持っている︒その⊥つは経済  

理論と経済史との関係の問題︑そしてもう一つはマルクス経済学と所謂近代経済学との対決の問題である︒もとよ  

り︑筆者の如き理論に暗い者にとって︑これが解明は難事中の難事であるが︑価格革命の歴史学的な研究に即して  

この二つの問題庭アプローチせんとするのが拙稿の課題である︒   

南本論にとって有益であった研究は︑   

D.勺e−iが PrOfit inf−atiOn and in−ustria−的rOWtF⁚TFe FistOric記COrd and cOnteBpOrary a宕−Ogie㌘  

Q竃rter−y lOurロa−Of EcOnOmics−召l● ㌣舛舛︵−父岩︶●   

P・ 

であるが︑ドイツ風の秩序理論にほ余り言及されていない︒この点の討究も本稿の一つの課題である︒  

経済史と経済理論  

経済史と経済理論  

1i主として価格革命の資本主義形成に於ける意義に関連して!  

家 名 田 克 男  

︵四九三︶ 仙九   

(2)

価格革命と資本主義との関係をE・l仁ハ\︑\ルトンが意識的に問題としてとりあげたのは︑彼の有名な仙九\二八  

︵1︶ 年﹁エコノミカ﹂の勅諭文においてである︒以下行諭にとって重要なので出来るだけ忠実にその論旨を追うことと  

したい︒   

即ち硬は︑ここで︑東洋航路の発見︑新世界の広大な市場の開拓︑そして就中︑メキシコ・ぺルーの貴金属︵tre㌣  

su旦 の流入と近代資本主義の勃興の関係紅ついて論ずるのを主題としたものであることを述べ︑特に研究の対  

象は十六・十七世紀に限られるべしとして︑二つの理由を挙げる︒即ち︑第仙はこの期間にアメリカの金銀︑東.  

西南インド︵諸島︶の市場が資本主義の発達に最大の影響を与えていたこと︑第二にほこの時期に英・仏・ネーデル  

ラウドに︑資本主義の重要な発展が見られた事実がこれである︒彼紅よれほ︑産業革命における工場制度︵factOry  

sy裟em︶の重大な実験は︑イギリスにおい亀は十六世紀︑フランスにおいては十七世紀に行われたという︒この点  

日本の学界において普通に言われているところと異るが︑それは彼の資本主義の定義に関係するものと思われる︒  

即ち︑披ほこれを土地以外の富が所得を確保する絶対的な目的のために用いられる組織と定義しているのであっ  

て︑この点注意を要する︒従って既にフィレンツェを始めとするイタリアの諸都市︑幾つかのフランス諸市払おい  

ては︑資本主義ほ有力な位置を占め︑アラビア数学︑複式簿記︑銀行業など資本主義に特徴的な要素が現れている  

となすのも当然の帰結といえよう︒   

次にハ︑︑︑ルトンは資本主義の起源を新航路・新大陸の発見によって起きた現象のみに帰することは出来ず︑他の  

要因が同じ方向に働いていたとして︑先ず強力な国展国家の役割を論ずる︒要するに︑それは︑国内の平和をもた    第三十巻 欝正号  

一E・l・ハ︑\\ルトンの学説   ︵四九四︶ 二〇  

(3)

らすことによって経済活動を盛ん忙し︑従来の地方分権的な煩雑な負担から企業者をして眉由ならしめ︑宿極的に  

国力増強をはかって産巣の奨励を行った点資本主義の展開に主要な役割を演じたとし︑十八世紀たおける繊維業に  

おける工場組織の発生のための基礎的な発明は一六一二年の特許法なくしてほありえなかったと論じたマックス・  

ウェーバーの言葉をひいている︒更に農業における資本主義に就いて論じているが︑農業それ自身の資本主義化よ  

りもそれは耕作の改善と改良作物・家畜の導入匿よって労働力の節約をもたらし︑都市への人口移動をひきおこし  

て商工業の労働力に対する増大する要求をみたしたという点において商工業の資本主義化監貝献した事実の方を強  

調してYいるっ次いで︑彼は資本主義精神論に言及して︑ウェーバーの見解に反対し︑カソリシズムと資本主義ほ両  

立しないものでないとして︑ゾムバルトの﹁フィレンツェにおける程宗教的熱情が熱烈で且つ強固な処ほ何処にも  

ない﹂という語をひいて反論し︑﹁資本主義ほプロテスタンティズムからの助けなくして起ったということほ有り  

得ないことであろうか﹂としているが︑カルヴィニズムの予定説が経済秩序の変化をうけ入れ易くしたということ  

は有り得ると付け加えている℃が︑何れ忙しろ︑これに対する評価ほ低いといわねぼならない︒そして最後にゾム  

パルトのいケ資本主義的精神に裁て︑ノそれほ金儲けに対するはげしい欲望という意味と事業経営の原則に対する知  

識という二つの意味を持つが︑前者粧就ては中世後期或は近世初期忙までさかのばることは出来ないし︑また︑後  

者はたしか紅資本主義の発展と平行しているが︑併しそれを第一の推進要素︵tbe prime mO完r︶であったことを  

証明することほ難しいであろうとハ︑︑\ルトンほいっている︒   

さて︑以上の様な諸現象は資本主義の勃興望月献してはいるが︑アメリカの発見と束印度への喜望峰経由の航路  

の発見とはその主要素︵principaactOrS︶であることをハミルトンは強調する︒即ち︑先ず︑アメリカからの新し  

い農作物︑象印度よりの新しい農作物とエ芸晶はそれに支払うためのより大きい工業力の形成を促進する︒新大陸  

経済史と経済理論  ︵四九五︶ こ仙   

(4)

植民地への移民と東洋の開拓地への移民は隆国の人口の圧力を緩和し︑国民生活を維持する畳を上廻る国民生産力   の余剰を増進する︒このような遠距離市場の開設は商工業の支配権をギルドから資本家へ移すのに重要な要素であ   った︒即ち︑古いギルドほ購売・生産・販売払おける新しい問題を解決することが出来なかったからであるという︒   併しハ︑︑︑ル†ソ虹よればこれ覧増して資本義の勃興笹とって重要なのが新大陸からの金銀め乱入である︒山   体新大陸へ︑の植民にとっては金銀への欲望が大きな刺戟であったが︑その獲得に成功し允のはスぺインのみであ  

る︒′言〇三年既賢ぺインにはイスパニョヲ︵HispaniO首︶から︑次いでキ㌣バ︵Cuba︶・ポルし﹁∴=‖Hリコ︵POrtO  

RicO︶から金銀が流入して来ていたが︑併し新大陸からは三三九年十方吾始めてアズテク︵A賢c︶から戦  

利品が到達して以来︑メキ雲・ぺルーの征服に平行して流入して来た︒しかしその量は未ださしたることがなか  

ったが︑やがて一五四五1﹂五六〇年の間におけるポトン︵20−OSi︶・グァナモアトへGuana首tO︶・ザカテカ  

ス︵Zacatecas︶における新鉱脈の発見と新製錬法の発明とによって新大陸の金特に銀ほ奔流の如くスぺインに流  

入して釆たおけである︒そしてこれ等の銀はセヴィラの貿易院︵dasade−aCOnlra−aciOn︶竺度委託され︑改  

めてアメリカから持って釆た人々及び銀商人に配られたのである︒︵この場合通関した金額は巨細となくA→Chi透  

deIndiasに記載された︒これを利用し空﹂とがハ︑︑ふトン論文のすぐれた点である︒︶しかも当時スぺインほイ  

ギリス●フラシス・ネーデルランドとは貿易関係があったから︑結局ヨーロッパ全土にスぺインを通じて銀は拡が  

って行ったわけである︒    さてこの様な金銀の流入と資本主義の成立の関係を彼は二つに分けて論ずる︒先ず第∴軋は︑この金銀は既に我   々日本の学界で周知のように東洋貿易に使用されて︑胡椒をヨーロッパに招来して莫大な利益をおさめたわけであ  

るが︑ハ︑︑︑ルトンによれば︑これ等ほ疑いもなく︑彼のいう意味での資本形成︵capi−a=0首ati旦に︑従って    第三十巻 第五号   ︵四九六︶ 二二  

(5)

近代資本主義の勃興紅強力聖貝献したといわれる︒更に彼はもう山つの点に関して続けて次のようにいう︒  

併しながら︑更に重要な▼のは新大陸の金銀の流入によって激化した価格革命である︒諒価格の変勒ほ資本主義  

の発展を刺戟したり︑遅くしたりすることが出来たか︒明らかに価格の昂騰は皆等しく且つ同時に起るなら債権者  

の犠牲紅おいて債務者を益することによってのみ現実の秩序を乱すことは出来た︒資本家ほ階級としてほ︑いろい  

ろな価格の運動を通して獲得出来た伊ではなくて︑或る人は得をし︑或る人は損をしたのかもしれないと論じてい  

けないのであろうか︒もし全ての商品・サーヴィスが資本家によって売られるのならその議論は正しかろう︒併し ダ  

彼は土地用役と労働用役の二つは地主︵−and−Ords︶と労働者︵昏︒弓erS︶によって売られるものであるとして︑先  

ず地代と労賃の動向を検討する︒この点地代に関する詳細なデータは不足んているが︑イギリスに関する限りはか  

なり満足すべき証拠があって︑地代が価格に遅れることを示しており︑・ゾムバルトが主張した資本蓄積の源泉は地   ′  

代紅あるとの説紅対するストリーダー︵召nStried2r︶の批判を支持するものであると論じている︒  

︵3︶   ︵2︶  之に反し労賃の場合は比較的難がなく︑イギリスに関するロジャース︑フランスに関するダグネルの価格統計を  

︵4︶  

利用して価格革命の間紅おける物価と労賃の表をつくったウィーべの業繚が非常に有益であるとして︑ハミルトン  

ほこれを利用しっつ行論を展開する︒   

先ずイギリスの物価・労賃の表を掲げる︵一四五一−山五〇〇年=一〇〇%︶︒  

時   期︵年︶  

一五〇一− 劃五一〇  

山五一一−一五二〇  

山五二一1−二五三〇  

芸芸−1一五四〇  

経済史と経済理論   労賃︵%︶  物価︵%︶  

九五  一〇仙  

山一三  

山〇五   九五  九三  九三  

九〇   時  

期︵年︶  

一六〇三上ー〟六一二  

一六劇三1二ハニ二  

山六二三−−⊥二ハ三二  

一六三三−−⊥六四二   二五一  二五七  二八二  

二九州  

︵四九七︶ 二三   労賃︵%︶  物価︵%︶  

仙二四・五  

三届  二一皿八・五  

一五二・五   

(6)

右の統計並びに図表から如何なる結論を導き得るか︒▼   

この物価と労賃の較差は︑結局労働者のそれまでの収入の大きい部分をうばっで他の人々に移してしまったので  

ある︒しかも既紅見た如く地代も亦物価におくれるのであるから︑結局土地所有者は得る処がない︒従って約二百  

年の間︑英・仏の資本家は︑山九二ハ壬⊥九年の間︑物価と賃銀の同様な韓離から利益を得たアメリカの利得者と同  

じょうな収入を享受したに違いない︒例えば︑今︑十六世紀の初頭副00︑000ポンドの商品を生産したとした    次にスペインの物価とアングルレアにおける農民と漁民水夫の労賃の表を掲げる  

する︶︒︵次貢の表参照︶   二四三   一二四  劇五九三 − 二ハ〇二  

次紅フランスの表を掲げる四有二−一五〇〇=一〇〇︶   第三十巻 第五号  二五四﹂−−⊥五五〇  山五五山 − 叶五六〇  仙五六T−−一五七〇  一五七一− 叫五八二  山五八三−1﹂鼠九二  

山五六  山五五一−一五七五   時   期︵年︶  

仙五〇叫−−卜一五二五  

山五二六 −⊥五五〇  

二〇五   仙五七六−ト⊥六〇〇  一〇三    物価︵%︶   労賃︵%︶   七五  山三二  一五五  一七劇  山九八  二一九   五七  八八   一〇九  山一三   ハ四享⁝﹂二ハ五三  二ハ五三−−一六六土  山六六三 ⁝一六七二  一六七三 − 山六八  一六八三i二ハ九二  二ハ九三 −一七〇二  

時   期︷年︶  

血六〇一− 二ハニ五  

一六二六 −・二ハ五〇  

一六五二 −一六七五  

二ハ七六−−一七〇〇   ︵四九八︶ 二四  

三三一  

三〇八  

三二四  

三四八  

二二九  

三三九  

物価︵%︶  

二三七   

三四山  

二二〇   

二五二  

︵一五〇三−山 山年=山00と   山七五  副八七  山九〇  二〇五・五  二山六  二三三  

労賃︵%︶  

仙〇五  

山三六  

t 小四   

山〇三  

(7)

∽  

親 SOO  瑚 相  即 300  250  200 闇  刷  

械の発明﹂会社設立等の山一連の資本主義的現象を生む原因となったものであるとハ︑\\ルトンほ結論するのである︒   

これに対し︑東印度貿易の最初の開拓者たりしポルトガルや新大陸の発見者たるスペインほ︑何故に資本主義へ  

経済史と経済理論   場合︑六〇︑000ポンドが労賃に︑二〇︑  

000ポンドが地代に︑二〇︑000ポン   ドが利潤にあてられたと仮定すると︑利潤  

ほ二〇%となる︒賂る堅剛の表によって十  六世紀の末広なるとその品物ほ二五〇︑0  00ポンドとなる勘定であるが︑労賃ほ七  五︑000ポンド以上軋ほならず︑地代も  物価に追付かないのだから︑五〇︑000ポ  

ンド以上には行かない筈だとすると︑利潤  

は実に仙二五︑000ポンドになるわけで︑  利潤率仙00%︑実に四倍となるわけで︑  

以てその状払を想見することが出来る︒こ  

のようにして得られた特別の利益︵宅ind・  fa−−︶ は東洋貿易の利益と共紅資本蓄積の  源泉となり︑当時イギリス・フランス●ネ  

ーデルランド地方に展開された組織的な機  

︵四九九︶ 二五   

(8)

の顕著な進化を示さなかったのか︒まずスぺインにおいては第三表が示す通りアングルシア払おいても︑また恐ら  

くスペインの他の地方においても︑労賃の物価に対する遅れが小さかったからこそ琴大な利潤をあげ得ず︑疲って  

資本主義化が進まなかったのである︒しかしそれに加えてスぺイン人が新大陸の黄金郷紅満足して働くことなく東  

光に輝かんことを期待したことがその仙つの原因であるとして︑彼はここでもまた物価労賃のラッグを唯仙の原因  

とはしていないことほ注意すべきであろう︒また同様にポルトガルの場合についても植民地における民族の純潔の  

喪失が有能なリーダーをうばい︑ユダヤ人の迫害が実業面における有能な人材を失わせ︑宗教的熱狂またビジネス  

Ⅶ遂行をさまたげたことを理由として挙げている︒   

さてこのハミルトン論文は資本主義起源論としてそーークなものであったが︑特にハミルトン論文の第二の論点  ヽヽヽヽヽヽ  たる価格帯命の資本主義成立における意義についての学説をより積極的に自己の理論の歴史的例証として利用し ︵5︶  

て︑いわゆる経済学上の〝革命〟の第一歩を印したと白負したのが︑﹂九三〇年に出たケインズの﹁貨幣論﹂でみ  

った︒即ち︑1彼は前述したハ︑\︑ルトンの統討表を更に加工して所謂貨幣賃銀は生産費の単に半分を表し︑他の半分  

は諸価格と並行して動いたと仮定して︑諸価格の費用に対する比率を次の如く作成する︒   

イギリスの場合︵諸価格と費用とが劇五〇〇−山五五〇年を平均して均衡状態紅あったと仮定する︶︒   第三十巻 第五号  

時   期︵年︶  

山五〇〇−1一五五〇  

山五五〇 −一五六〇  

山五六〇 − 脚五七〇  

一五七〇1一五入〇  

一・−・一・ ○   六 二 六 ○  

価格の費用に対する此︵%︶  

一五五〇 − 〟五九〇︵平均−聾者︶ 六    ︵五〇U︶ 二六  

(9)

ケインズは﹃此等の数字は甚だ粗略であり又細い点に就いては明かに不精確である︒併しそれ等は何れが就中利  

潤獲得者の時代︑従って叉︵節約の習慣が不変であると仮定すれば︶資本蓄積率の異常なる時代であったかを示す  

︵6︶  に役立ち得るであろう﹄といっている︒次いでケインズはフランスについて︑一七〇〇年にな?ても賃銀が上昇し  

なかった点を除けば殆んど同じ経過を現しているとして︑同じく統計を掲げる︒   

フランスの場合︵諸価格と費用とが一五〇〇1仙五二五年を平均して均衡状態にあったとする︶︒  

山五〇〇 −一五二五  

経済史と経済理論   一五八〇 −一五九〇  山五九〇 − 二ハ0〇  一六〇〇 − ハ血○  ハ山○ −一六二〇  二ハ二〇1山六三〇  一六三〇1二ハ周〇  一六四〇 −一六五〇  一六五〇−−⊥六六〇  一六六〇1二ハ七〇  二ハ七〇1二ハ八〇  二ハ八〇 − ハ九〇  一六九〇 − 山七〇〇  

時   期︵年︶  価格の費用に対する比︵%︶  

山00  

︸   ︸  

一五九〇 − 二ハ五〇︵平均−筆名︶二二六・五  劇六八〇−−一七〇〇︵平均−筆者︶一二四・茸   一六五〇−−∴六八〇︵平均−筆者︶ 山二四  

小六〇〇 − 二ハニ五    時   期︵年︶  価格の費用紅対する比︵%︶  

山 副八  

︵五〇こ 二七   

(10)

ケインズはこのイギリス・フランスに見られる状態を利潤インフレーションと名付け︑次のようにいう︒﹃フラ  

ンス及びイギリスにおける賃銀︵⁝⁝⁝・⊥はそれ等がスぺィンにおける程諸物価に比して騰貴していなかったか  

らである︒︵:⁚⁚:⁝・︶掛澗インフレージョンはスぺインにおいてはゃ五二〇−⊥有九〇年まで︑イギリスにおい  

ては︑仙五五〇年より一六五〇年まで︑叉フランスにおいてほ一五三〇年より仙七〇〇年まで︵一美00年より一  

六二五年まで介在せる甚しき不況を伴って︶持続したといわれ得る︒イギリスにおいて︑実質賃銀は一六八〇年よ  

り一七〇〇年まで急速に騰凧貝しっつあった︒然るにフランス紅おいては︑同様なる上進に関する何等の証拠も存し  

ない︒近代の世界の記録において︑商人︑投機者及び利潤獲得者にとって︑かくも長きに亙る︑又かくも豊富な機    次にスぺインに関しては︑前記の表とハミルトンがケインズに貸与した数字に基いた統計を掲げる︒  

スぺインの場合︵諸価格と費用とが一五〇〇−一五二〇年を平均して均衡状態にあったと仮定する︶︒   第三十巻 罪五骨  仙五一山五 − 山五五〇  一五五〇 − 劇五七五  二五七五 − 二ハ00  

時   期︵年︶  

山五〇〇−−⊥五二〇  

〟五二〇 − 副五三〇  

劇五三〇!−⊥五四〇  

一五四〇 −一五五〇  

小五五〇−−⊥五六〇  

劇五六〇1劇五七〇   価格の費用に対する比︵%︶  

山00  

劇 劇〇   

一二二   

一二五  

〟二六   

一〇六   脚六二五−i⊥六五〇  血〇三  

∵六五〇・− 二ハ七五  一山○  

二ハ七五11⊥七〇〇  二三九  

時   期︵年︶  

〟五七〇1仙五八〇  

山五八〇 −一五九〇  

劃五九〇1二ハ00  

山六〇〇 − 山六山○  

劇六一〇 − 二ハ二〇  

一六二〇 − 二ハ三〇   価格の費用に対する比︵%︶   

一一二   

一山五  

山〇六  

九四  

八四  

八四   ︵五〇二︶ 二八   

二血八   

二一三  

山二四  

(11)

︵7︶  

会は曽て存在しなか︑つた︒これ等の黄金時代に近代資本主義は生れた︒﹄と︒即ち諸国民の富ほ所得インフレーショ  

ンの間ではなく利潤インフレージョンの間紅増進される︒即ち諸価格が費用 ︵賃銀ほ費用の動きに関する唯山の利  

︵8︶  用される表示としてケインズは引用したわけである︶ より離れ去る時期においてであるとケインズは結論するので  

ある︒   

併し︑ここで注意しなければないのは︑ケインズの歴史紅対する考え方である︒この点に閲しケインズほ次のよ  

ぅ紅.いう︒先ず︑彼は︑﹃此の論著の観念を仮説的な場合に適用する代りに︑我々が諸価格の歴史における若干の  

︵9︶  周知の挿話をそれ等に照らして簡単に考察するならば︑それ等の観念は旧暦よく例証されるであろう︒﹄として論  

を進める︒先ず彼ほ﹃企業が活動的であるならほ節約がどうなっていようとも富は蓄積し︑叉企業が取っているな  

︵10︶ らば︑節約が何をなしていよ㌢とも富ほ衰退する︒︵⁝⁝⁝=・︶企業を動かす機関は節約ではなく利潤である︒﹄  

という基本視点から経済史の方法に就て発言する︒﹃此等の観念に照らして経済史をその遠き初めより書き改める  

ことは魅惑的な仕事であろう蓼それほ次の如き事柄を推測することである︒即ち︑シューメリア及びエジプト文  

明は︑アラビアの金とアフリカの鋼よりその刺戟を得たか否か︒それ等ほ貨幣的金属であったが故に︑地中海とぺ  

ルジャ湾とⅦ間の諸国を通じて︑又恐らくは更に遠方に亙って︑それ等が分配される中にそれ等の後に利潤の痕跡  

を残した︒アテネの偉大はどの程度にロクリアムの銀鉱に依存したかi貨幣的金属が他の物よりも一層真実の富  

︑︑︑︑︑︑︑︑︑11111111111ヽヽヽヽヽヽ1ヽヽヽヽヽヽ  

であるからではなく︑諸価格紅対するその影脊によってそれ等ほ利潤の拍車を供するからである︒以前の幾世紀か  

の間の相継ぐ帝国によって引上げられた財宝の蓄積を代表した処の︑ぺルソアの銀行準備のアレクサンダーによる  

播布は︑∧地中海沿岸地方における経済的進歩の爆発に対してどれ程の責任があったか︒カルタゴではそれの果実を  

収めようと試み︑そしてローマが最後にそれに成功した︒ローマの衰退と没落が︑従来の記録上における最も長き  

経済史と経済知論  ︵五〇三︶ 二九   

(12)

︵五〇四︶ 三〇  

第三十巻東五骨  

覧る是激しきデフレインヨソ高時代であ?たととは偶然の姦であるか否か︒中世の長き停滞は︑僧院生活  

ヽ・ヽ11111111111︑︑ 或はゴート人の狂暴によるよりも︑マロッパの貨幣的金属の貧弱な供給誓って︑表確実にまた必然的にもた ︵11︶ らされたのではなかったかどうか︒そして名誉革命はフィッブス氏に如何に負うところがあったか︒﹄と︒更に別 ヽヽヽヽ  

の所で注していう﹃歴史家は例によって此等の事柄を怠惰︑迷信︑奪移というが如き道徳的及び政治的諸原因に帰  

し﹂多くは貨幣的路影響を等閑に附しね十−−恰も今日の英国の困難な事情が労働者の怠惰︑労働組合の非文化主義  

︵12︶ 及び雇主の無能に帰せられるが如くである︒﹄と︒これ等はハミルトンの研究成果を利用しながら︑少くとも同時  

に政治文化的原因にも目をそそいだハミルトン空歩超えて︑価格史によってこ切な解釈しょうとするものであ  

り︑これは歴史学者に大きく影響を与えることになるのである︒    またいう︑﹃私が歴史家の特別の注意をひかんとする大体の結論は︑利潤インフレインヲン及び利潤デフレイン   ヨソのそれぞれの時期と国民的盛衰のそれとの間の驚くべき一致である︒スぺインの強大は・一茸二〇年より二ハ  

00年までの利潤インフレと時を同うし︑又その暗黒ほ二ハ00年より一六三〇年までの利潤デフレと同時的であ  

る︒イギリスの威力の興隆は︑その経済制度に対する貨幣の新しき供給の影響と同じ期間だけ後れ︑それ竺五八五   年よりハ三〇年までその最高点にあった︒無敵艦隊艶撃の年にフィリップの利酒インフレはまさに終りを告げ︑   モクザべスのそれが始まった︒而して我々がフランスとイギリスを比較するならば︑ルイ十四世の金融上の強味と   ジェームス二世の金融上の弱味との対照ほ︑フランスにおける賃銀が︑イギリネにおける如く︑十七世紀の最後の  

︑‖︶  

二十牛に諸価格に比して騰貴しなかったという事実によるものであると見られる︒﹄と︒   

︵1︶E↑Ham誉nゝmerican−窪Su蒜and−heriseOfcap蔓山sm︵望○⊥三︶・EcOnOmi︹a︵宰ヨJ−冨︶﹀pp・∽∽∞−び芦   

︵2︶T.ROgerS︼Hist︒ry︒fa昔邑tu︻eandp︻icesinEn昔nd︵−0000N⁝デ   

(13)

︵3︶く●D声諾邑︸HIs−Oi完かcOnO邑qu2de−ap岩p註tかdess2︻ai︻2S−desde已かesetdetOuニes pHi粥乳nか邑  

︵−等ふ︶.   

︵4︶G.Wiebe.Nu︻Gesc芝chted2︻P邑s℡叩く0−象Ondes舛5und堅ヨ:Ja訂旨undeユ︵−怒芋   

︵5︶ 1.M.Keyne∽︸AtreatiseOnMOney︵−詮○︶:訂p・芦p・−あff・鬼頭仁三郎訳﹁ケインズ貨幣論﹂第四分冊二九  

三三年︶︑山九九頁以下︒   

︵6︶Hbid・︸p・−窒・邦訳前掲書︑⊥八頁︒   

︵7︶lbidこpp︐−∽ゆ−忘P邦訳前掲書︑二﹂五−二ハ頁︒   

︵8︶−bidこp﹂芦 邦訳前掲沓︑二〇九頁︒   

︵9︶−bidこp.−血P邦沢前掲畜︑副九九頁︒  

︵10︶︻bid二 p.−金一邦訳前掲蓄︑二〇〇頁︒   

︵11︶Ibid..署●−∽○〜−竺卜邦訳前掲番︑二〇二−四真︒但し傍点ほ筆者︒   

︵∽︶︻bid●︶p.−ひ∽nOteN・邦訳前掲書︑二一芸莞   

︵13︶ibid:p・−巴● 邦訳前掲書︑二二一貫︒  

二 ネ フの批判  

以上のまうなハ︑︑\ルトン・ケインズ説に対して︑山九三七年の﹁経済史評論﹂においてシカゴ大学のネフほ次のよ  

︵1︶ うな批判を行った︒彼は先ず次のよう紅論ずる︒ハ︑\\ルトン・ケインズ説によると仰五四〇−二ハ四〇年の間匿お  

いてイギリスもフランスも同じょうに急速に大規模工業が発達したかの如く述べられているが︑これは誤である︒  

二皿四〇−六〇年︑二血六〇−九〇年︑山五九〇−二ハ二〇年︑一六二〇−由八年の四期紅分けて英仏両国の歩み  

︵五〇五︶ 三山   経済史と経済理論  

(14)

第三十巻 第五号  

︵五〇六︶ 三二  

を比較してみると︑第一期蔽おいてほ資本投下ほイギリスの方が盛んであり︑第二期においてほイギリスでは紙︑  

砂糖その他の新産業が導入され︑鉱業その他古くからの産米の発達も著しくなった︒フランスほむしろ資本投下が  

襲えて英仏がその経済発展において対照をなした時期であった︒第三の時期はイギり/スエ莫史の上でほ前期の連続  

で︑特紅一六〇四年以後の産出高は前期より大で新発明の採用も多かった︒山方フランスも︑ナンートの勅令の後で  

この時期は明るい時期であったが︑その発展はイギリスに及ばなかった︒欝四の時期でもまたフランスがイギリス  

紅及ばなかったことは︑グォルテール︵ぎーtaire︶の﹁ルイ十四世紀の御代﹂ALesi芝ede LOuis舛コ﹁Wと題  

する本の中虹も表れている︒かくしてイギリス払おける発達ほ明らかにフランスのそれを凌いだのである︒果して  

然らば︑この問題は価格革命が両国の広い意味の労働者の生活水準に如何なる影響を与えたかに集約されると論じ  

て︑ネフほこの論文でこの占巻かなり歯切れよく解明しているのである︒以下煩をいとわず彼の論旨を述べること  

とする︒  

︵2こ  さて︑右の点でハ︑︑\ルトンが依拠したウィーべの業績以後若干の新しい史料がある︒それによれば︑賃銀の騰貴  

率は従来の研究におけるより明らか紅高い︒尤もこの史料ほ広い意味の建築事業に携る人々のみを対象とするもの  

で︑この点で当面の資本主義の問題にとってほ間接的な推測を可能にするにすぎないのであるが︑生活水準の問題  

紅とってはやり有力な史料となるものであると考えられる︒それ紅よれば賃銀ほ二空○く二ハ四〇年の問約三倍  

近く紅なり︑ウィーべの表の示す処よりニ 

先ず︑こ欄場合︑一つの視点としてあげられるべきほ食生活の問題である︒即ち従来はこの点につき彼等の賃銀  

は全て貨幣でなされ︑しかもそれははとんど挙げて教程の食料品のため紅費されたものと仮定された︒しかも十六  

世のイギリスの下層階級の主たる飲食物はパン︑その次はビール或はエールであるといわれるが︑従来の価梅表︑   

(15)

特にログヤースのそれにおいてほ︑この品物そのものの価格は含まれず︑パンやビールの原料たる穀物の都市にお  

ける価格を以てそれ等にかえている︒然るにパンにしみビール軋しろ︑当時既に自家製することなく労働者達は皆  

完成品を買った事実を忘れてほならない︒ところで申すまでもなくこれらの食料品には原料以外の費用があるわけ  

で︑それが原料穀物の価格と同じく騰貴するためには原料の蛍に減少が奉ってほならないわけだが︑この点に関す  

る保証はない︒次紅︑これらの食料品をつく′るための労賃は普通の統計堅不されるよりは大であると考えられる︒  

即ち普通労賃紅加えて食物が治せられるからである︒併し労賃は原料穀物と同じ速さで騰貴するということは有り  

得ない︒更に薪が必要であるが︑これは廟しい統討虹よれば穀物より以上に騰貴しているが︑併し︑石炭が当時安  

ぐ︑モリザべス朝以後広汎に薪に代1て採用されていった事実がある︒尤も︑製パンにおいては石炭が使用されな  

かったが薪代ほロンドンのパン屋のコスト中十分の劃を占むる紅過ぎなかったからこの場合は問題とならない︒ま  

た技術水準はさして変っていないが︑併し当時製粉業が発達し始め︑安い粉が手紅入るようになったから︑結局パ  

ンは穀物程騰貴が早くなか′つたといってよい︒併しセールの場合は︑技術の面が大きな影響を与えた︒即ちホップ  

耕作の導入とモルトを乾燥する方法の改良によりエールに代って安いビールが現れて漸次常飲されたし︑一定量の  

原料からのピールの爵が増加し︑ホップの使用はモルトの節約になったという︒それと平行して︑企業を大規模化  

し薪に代えるに石炭を以てする等の改展が漸次なされ︑ロンドンでは数千ポンドの費用を以て飼のボイラー︑真鋳  

のサイフォン︑石炭嘘を具えた大きなピールエ場が現れたはどであった︒されば山五〇〇−二ハ00年の問安ビー  

ルと難もモルトと共軋騰督することほなかっlたといってよい︒   

かくして︑下層階級の主要物資たるパンとどールがそれぞれその原料たる穀物はど騰魯しないとすれば︑ロジャ  

ース︑ウィ﹁べ︑ハ︑︑\ルトシ等の緒権威の如く紅は十六世紀︑十七世紀初頭の生活物資の騰資を︑従って実質賃銀  

経済史と経済理論  ︵五〇七︶ 三三   

(16)

の切下げせ︑結論することは出来ない︒   次に︑穀物価格紅代えるぬパシとピールの価格を以てしたとしても︑その都市における価格の昂騰率と賃銀の上  

昇率を比較することほ或る誤りをおかす︒即ち既に部分的に述べたように貨幣賃銀以外に何か現物給与があるのが   普通であるからである︒そしてこれほ十六世紀を通じてそれ以前より∴般化しているのが事実であると権酌ある研  

︵S︶ 究者は結論している︒併しょしそのようなものがなかったとしてもー当時の広い意味での労働者ほそ朝生活物資の  

靂︑を供給し得る斉の土地を持っているのが普通である︒だから価格革命にょる影響をのがれることが出来︑食  

料以外にその購売を行うことが出来たと思われる︒    次紅食料以外の諸物価の騰蟄と賃鋭の騰蟄との比較に進まなけれほならない︒この占に関するネフの結論ほ賃銀  

はパンの価格帯上らないが1他の飲食物とははぼ等しく︑石炭とか製造品よりは届く騰貴したという︒従ってハミ  

ルトンあたりがいう如くにほイギリスとスぺインの差ほ大でなかったといわなければならぬ︒とほいえ︑生産品の   価格廃貨が労賃の騰貴より低ければ一体生産者はどうやって利益を上げるのかという問題が出て来る︒これに対し  

ては︑技術的改良が新機械や改展嘩︵琵nsandf誓ロaC2︶.の採用︑企業規模の拡大︑新しい鉱石︵ボーキサイト︑  

亜鉛鉱等︶就中石炭の採用等によってなされ︑花︒そして特誓﹂れ軋あずかって力があったのが木材の騰爵であり︑  

これから来る圧力をさけんとして新技術が採用されたのである︑とネフほつけ加えている︒    以上要する紅︑ネフは︑第﹂に実質賃銀の低下ほロ汐ヤースやダヴネルの時以来考えられた程のものでほなかっ   たこと︑第二にもし従来いわれている︑﹁冨に実質賃銀が半分近くも低下したのなら︑所謂過少消費の現象を呈して  

却って広い意味の工業製品の需要が低下して生産力の進展に阻害的な役割を演じたであろうということ︑換言すれ ば過少消費を引き起さないだけの実質質銀のゆるやかな低下が利潤を増し蓄積を早めたのであること︑従ってイギ   

第三十巻 第五号  ︵五〇八︶ 三田  

(17)

リス軋比してフランスにおいては質銀の低落がひどかったため却って工業製品に対する要求がストップして広い恵 

昧の工業の発展が妨害されたのであると指摘し︑最後にかくの如く銀の流入による一般物価の騰貴と労賃騰貴の差  

の増大は必ずしも同じ結果をもたらすとはいえないから︑ハ︑\︑ルトン・ケインズ説は明らかに訂正を要する︑つま  

︵4︶  り産業の進歩の如何は価格革命からほ独立した条件に主どしてよっているということを述べて︑筆を置いているわ  

けである︒  

︵1︶1.U.Ne鴫︸ Prices andindustriaごapi邑ismin同一anCe andEng−and﹀−芝○−−の芦EcOnOmic Hi乳Ory評まewく 

︵−吟当︶∵E一M.Ca岩S・Wi−sOnu Essay∽in ecOnOmic芝stOry︵−寧ぎpp・↑○001−∽P   

︵2︶W■ 謬諾註g?and Otber㊥﹀Manusc︻ipts︒fthe PIiceCOmmittee at tbe Instit已e Of HistO害a−Resea︻Ch・   

︵3︶D・只nOpandG・Q・TOneS・Themedie邑masjS︵−諾ぎp・N声   

︵4︶望ef︸Op● Cit■−p・−∽P  

三 ハミルトンの反批判と学説の展瀾  

このようなネフの批判鱒対し︑ハミルトンはネフとの問紅本質的な差ほなく︑ネフ論文は自己の論文と同劇線上  

紅あるものとなしたのである︒  

︵l︶   即ちハミルトンほ﹁利潤インフレーションと産業革命﹂という論文の脚註においてネフ論文を反批判して︑実証  

的紅いってもネフの引用しているペグ.ァリソヂの研究ほ未だ完成されておらず断片的なもの軋すぎないから︑それ  

を基礎にして出した結論も最終的なものといえない︒またネフのいう英仏の発展の差もむしろ対外戦争・内乱・宗  

教争乱によって説明されるのでほないかと論じており︑特に﹃ネフ教授は︑風物庸をあげることによって︑アメリ  

経済史と経済理論  ︵五〇九︶ 三五   

(18)

︵五山○︶ 三六  

貸主十巻 第五号   カからの貴命属の流入は︑労働のコストと採掘業や製造業のための土地のコストを低下させるのを助け︑かくして  

大規模経営への資太投下を刺戟したVという私の主琴7.−ゼは︑これをうけいれている﹄といっている︒   

この点ケインズが﹃読者は︑私がこの概観の中紅経済的福祉の全部を包合していると想像してほならぬ︒実質賃  

銀の相対的に低き水準は︑必ず利潤インフレージョンの時期の山つの特徴である︒利潤インフレージョンを伴う資  

本の革の異常なる増大ほ︑義分経常消費を犠牲に供すること紅よってもたらされるからである︒︵:⁝・⁝⁝︶か  

くして︑我々が長き期間を考慮するならば︑労働者階級ほ利潤インフレーショソが彼等に課するところの強制的節  

︵2︶  

慾より︑彼等が蘭少せる消費の形紅おいて最初紅失うよりも遥かに多くを︑利得し得るであろう﹄と述べて︑ネフ  

の強調する好き労働者の消費の減少を認めても理論的には余りこれを重要視していない点からも︑この場合ハミル  

トンはケインズとイクオールと考えられるから︑ハミルトンによるネフ批判のうけとり方を察することが出来る︒  

要するに︑ハ︑︑\ルトンの論説の理論的な背景ほさしたる打撃をうけず︑以後ケインズ経済学の発展と平行してハミ  

ルトン自身も当初の論文より一層単的にケインズ的な理論に拠るようになり︑またその外にもますますケインズ的  

な方法に基く価格史研究が生み出されるようになって行くのである︒今その後の動向を示すに足るハ︑\\ルナソの論  

説の抜琴を掲げよう︒   

﹃プアレンレアの物価の山六五九−八九年の問の長期的な下降︵d︒WnSWing︶は予知し得るはど根強く︑多くの  

商業取引の中に吸収される程おだやかであった︒併し︑低落ほ購売力を精力的にして動的な債務者から惰眠をむさ  

ぼり受身な債権者にうつしてしまう︒在産品の値下り︵in詔ntOrydepreciati︒n︶と比較的硬直したコストの衝撃を  

通して︑下りつつある物価はまた上昇しっつある企業者階級の自由にし得る資本の主たる源泉たる企業利潤︵busi・  

︵3︶  ness prOfit︶ を下げるのである︒﹄   

(19)

﹃フィリップ五世︵一七〇〇−山七四六︶ は通貨のタームで純金を二五%︑純銀を約三七%だけその価格を増し  

た︒このおだやかな貨幣インフレはスぺインを十八世紀の最初の三十三年間における物価の世界的な値下り1こ  

れは経済的停滞を反映しまた停滞をたすけるも瓜であるが − から隔離するのに役立った︒偉大な才能を欠き時と  

して示す精神錯乱の徴候ある軋拘らず︑フィリップ五世ほ十七世紀の自分の父祖より比較にならぬ程優れていた︒  

十八世紀に入って早々︑百年以上の急誉︵standing︶ の絶え間なき凋落は止まり︑山七二五年まで安定は確立され  

た︒︵⁝⁝⁝⁚・︶経済的回復を増進するよりよき政府にとっての重要な要素は︑物価を混乱さや創意を窒息せしめ  

︵4︶  

希望を裳切りそして前世紀における荒廃をもたらした交互的な貨幣インフレとデフレを停止することであった︒﹄  

と︒政治家の有能無能はケインジアンであるかないかによってきまるかの如き口吻である︒また次の様にもいう︒   

﹃高水準の利潤は大なる所得を高める︒そしてそれは資本主義の社会においてほ全貯蓄を実際にもたらして来た︒  

l・M・ケインズ教授が指摘していた如く︑投資なき貯蓄ほfruit訂ssであることを証明したのみならず︑企業を  

抑圧し︑かくして貯蓄を制限したであろう︒現行の金利よりほるか上に利潤の正常な率を保つことによって︑物価  

︵5︶ を下廻る賃銀のラッグは︑事実行われた如く︑貯蓄が投資されるのを刺戟した﹄と︒   

﹃貨幣賃銀の搾取を通じて実質所得を無意識のうちに犠牲にすること紅よって︑労働者階級は︑ちょうどソブィ  

エット・ロシアの労働者や農民が政府の指示を通じて自己を犠牲粧しつつ最近紅おけるドイツの侵入者の撃退に役  

︵6︶ 立った工業の機械化に資金を調達して来たように︑物質的進歩を果した重荷を荷ったのである﹄︒   

更にいう︒﹃とほいえ︑価格革命の間経済的先進国において何か他のもので物価を下廻る労賃の大きなラッグよ  

り重要なものがあり得たと見ることは如何にしても不可経である︒資本主義ほ資本を必要とする︒物価と賃銀の高  

度堅息まれた比を通しての貯蓄はど資本を供給する手段として強力なものを想像することほ容易でないであろう︒  

経済史と経済理論  ︵五二︶ 三七   

(20)

︵五三︶ 三八  第三十巻 第五号  

物価が騰貴しっつあり︑主な生産費をなす労賃がヲッグしつつあった時の利潤の高率は︑生産的企業における貯蓄  

るTを  』、ノ  ヽ  

の接近の事実を容易に認め得るであろう︒   

︵1︶芽ml−−On㌔邑ニn!匡Onand−訂indus−Hia=2邑巨On−ヨ⊥00声Q邑e−−y富邑︑○岩cOnOmics盲N︶⁝  

Reimp.句C.1aneandJ・C・RiemeH岩a︸En−e︻p︻iseanニe邑a−C訂ロ㈹e︵−諾︶こ・だ皐▼才女nOte翠   

︵2︶只eyens︼At︻eatise・p・−声邦訳前掲苗︑二二二−三頁︒   

︵3︶謬ml−−On・Wa−andpHicesinSpain−琵⊥害︵−冨︶・pp・−軍よ;t・≦a−■Op・Cit・拳N−   

︵4︶Ibid.︸p・−望ごcit・≦aホ﹀Op・Cit・・p・N−・   

︵5︶Haml−−On﹀﹃岩!1ニnf−a−10n・⁚○邑usiOn⁝Cit・≦aざOp・Cit・こ・NN・   

︵6︶Hami−−On︐Waごーas−sen−2nCe=it・≦aアOp・Cit⁚p・NN・   

︵7︶Hamll−On盲icesandp−○慧S⁚Ou邑○!EcOnOmlcHis−○︻y長日︵−諾︶こp・∽∽00よ⁝Cit・買がOp・Cit⁚p・芸・  

四 イタリア学派   

ここで目をイタリヤの学者達に転じて見よう︒資本主義精神論争にも登場し︑吏紅は近年イタリヤの竃相竺時  

擬せられたり等して有名なイタジャの学者フアンファーヒ︵A・句an巾ani︶は﹁アメリカ発見の結果﹂︵已ロeffetO  

ecOnO已㌢de−−ascOperta筐Ameica﹀Riニn−ern・d・Sci2nZ2SOCia−2−Mar・こ箋︶と題して価格史を検討  

し︑塵た価格と賃銀とのギャップをもととしてフローレンスに関する利潤表を計算し︑特に自分のやり方はケイン    強く誘うものである︒何処においても︑他の事情がさして違わなければ︑資本主義は必ず繁栄することが出来  

と︒  我々はもはやハミルー・ソ・ケインズの積極的なからみ合い︑或いはハ︑︑\ルトンのケインズ的方法への忘  

(21)

︵1︶  

ズが仏・英における利潤インフレの役割を確定する以前において形をなしていたのであることをつけ加えている︒  

併し︑ケイン女の説のもとになったハミルトン論文に常に基礎を置いて︑フランス︑イギリス︑スぺインの利潤  

表の計算に研究を進めている様子を見ると︑やはりケインズの方法によるものと思われる︒これについで︑チポラ  

︵2︶ ︵C.M●Cip基a︶のミラノの貨幣に関する研究がある︒ここにおいてほ︑彼は先ず強力な国際的な通貨と国内にお  

ける通貨︵つまり日本の円とドルとの関係の如きもの︶との関係を考察して冨属貨幣の漸次的退化は繁栄と経済  

的進歩の指針である︒一方通貨の安定は不景気と停滞とのしるしである﹄とし︑また別にいう︑﹃通貨と交換レー  

トの安定は甚しい経済的沈下を通して盲rOughOut︶存在し得る﹄と︵ 更に彼紅は面白い議論がある︒それは︑  

価格革命の時期とずれるが︑ビレンヌ︵寧Pirenne︶によって唱導された︑マホメット・ジャルマーニ学説ト1つ  

まり︑マホメットの侵冠紅よる﹁地中海世界﹂の断絶︑そ訂結果中世社会が成立し雪﹂とを述べた︵MObOmet︒t  

︵3︶  CFa邑emagne﹀Paris=Bru莞−−es−認可︶ −を今論じているような視角から考えていったものである︒   

彼は︑去ず始めに︑歴史研究には積極的に経済理論が利府されなければならないと述べ︑次いで本論に入る︒当  

面の中世高期︵−eFautmOyen抄ge︶においては︑その精神構造︵−Fstruct彗ementa−−e︶や特に運搬費の甚だしい高  

値などから分業が行われないヵそして一つの社会紅分業が不足すれぼするはど︑その実収高森生産物︶︵rende針en−  

r註︶ は個々のそれも全体も共に小となる︒しかもこれに人口のど↑少数なことも加わるとそれだけ甚だしくな  

る︒ところで実収高は投資と消費に分ち得る︒当時投資ほ畳も少くなっていた︒例えば農奴制のような労働力の甚  

しい乱費は不充分な投資の結果であるし︑また戦争などで生産のための建築物︵例えば水車︑家畜小屋︑丹等々︶  

は破壊されることも多かったことは︑これまた投資減少の瞭因であったのである︒一方︑消費を見てみると︑これ  

はよく知られているように低い水準にあり︑加うるに︑交通の不便な恒﹂と虹よって外部からの食糧の流入が難しく︑  

︵五一三︶ 三九   

経済史と経済理論  

(22)

第三十巻 罪五考  

︵五山四︶ 四〇  

全ての共同体を絶えざる飢饉への恐怖の中匿おくから︑予備を増やすた︑め過度と思われるはどの日常消費の節約を  

行っていたのであ′つた︒  

衰らば︑この投資と消費の関係如何というに︑投資の大部分は封建的な強制的労役の形でなされる︒従ってこれ  

等労働主体︵農奴︶の購売力は増加し得ないから︑即ち農奴は何の報酬もなく︑自分の所有している土地で出来た  

ものをたべるわけであるから︑短期を考えて見た場合︑さしたる連関性はないといわなければならなぬ︒併し長期  

的観点からとらえるとき︑投資の貧弱︑絶えざる破壊︑投資の大部分の不生産性︵教会︑金銀細工等︶など考え合せ  

ると投資と消費との長期的低下傾向の平行を見てとることが出来る︒言葉をかえていえほ︑実収高の甚だしい永続  

的な減少という犠牲を払ってコンスタン・トな完全屏傭を実現し得た荘園組織を︑中世高期の経済の特徴とする︒  

ここでチポヲほ例のフィッシャーの数量の公式P‖増を援用して三一つの項目を検討してゆく︒即ち︑先  

ずM︵貨幣量︶︑Ⅴ︵流通速度︶を研究してヾとれ等は当時ともに小であった︒併し︑問題はMくの減少がQ︵市場  

出る商品と用役の量︶の減少によって相殺され得たかどうかということであるが︑当時のP︵物価水準︶の底い処  

を見ると︑全てMくが低くなったのであってQ︵そのうち特に労働用役︶喝減少していないのである︒要するに当  

時のヨーロッパ経済ほ恐るぺき貨幣デフレの下にあった︒ケインズもいっているように︑この様な例外的デフレと  

消費と投資の例外的な低下が時期を同じうしていると主張しても決していい加減なことではない︒両者ほ密接紅結 

びつき︑一ほ他の原因である︑とチポラほ結論しているあけである︒   

以上︑かくの如くケインズ理論は歴史研究の中に着々地歩を固めて来ているのである︒  

︵1︶≦la︻.い Op.Cit.u p.NN.   

︵2︶−bid.p.N∽.   

(23)

︵3︶C.M.Cip01−a︶EncOIe MahOmet etChaユemagne⁚−♂cOnOmie pO≡iq克au SeCOu蒜de−︑h邑Oire.Annaies︵−盟や  

NO−−pp●−−p︶  

五 ケインズ的方法の周辺 − 秩序理論  

さて︑上述のようなケインズ経済学の歴史研究への適用は概ね簡単なものであるから︑これを批判することは必  

ずしも難しいことではない︒既にヴィラールむ指摘している如く二︑三の批判点を挙げることが出来る︒   

例えば︑一番中心課題である物価と賃銀のギャップの問題に就て見た場合︑農・林・工業に細分された品目に分  

れた物価の動きを知ることが出来ても︑かんじんの物価の中にほ例えばインド香料の如き独占価格︑聖俗の儀主が  

売却する穀物価格︑更には織布の如き種々の経営様式の下に製造されているものもふくまれる︒とすると︑労賃も  

また種々の内容を持ち︑物価と労賃のヲッグといっても一義的に論ずることは出来ない︒   

また仮紅その点を無視するとしても︑現物給与の問題をどう考慮するのか︑また例として挙げられている商品の  

数は限られ︑而も商品価格と労賃のギャップは所謂物価水準と賃銀水準のギャップでほないのであるから︑そう簡  

単に論ずることは出来ないのではないか︒   また︑短期間において例えば小麦とライ麦との差の如き︑また長期に就いていえば発展の不均等の問題等︑集計  

的に考えられては全て意味を失するような問題は如何に扱うのであろうか︒  

︵1︶   そして吏に︑ケインズは新大陸からの銀を﹃掠奪品が到来した﹄というような言い方をしているわけであるが︑  

併しこれが単純なる掠奪でないことほ諸家のひとしく認める処であり︑毛織物と交換されて本国に流入していた事  

実を無視することほ出来ない︒つまり商品流通の事実︑更にこの奥にあるものを考えなければならないであろう︒  

経済史と経済理論   ︵五一五︶ 四則   

(24)

︵五二ハ︶ 四二   第三十巻 第五号  

以上要するに︑この時期の諸事実を考える際は当然のことながら先ず以て構造を異にする経済単化な縫う限り研  

究しなければならぬ︒その際これをどういう風に考えて筍くか︒   

この点で役に立つと考えられるのはドイツの学界担おいて論ぜられる方法である︒  

︵2︶  即ち︑ケルン大学のクラウスによって近来改めて経済理論と経済史の関係が考察された際︑しぼしぼ引用された  

ワルター・オイケンの考え方がこれである︒筆者は本学払おいてオイケンの体系に接し得るよき師を持つに拘らず  

怠慢ぬしてその錐系に関してほ殆んど知る処がない︒にも拘らず︑それ紅ついて敢えて論ずる厚顔を許されたい︒   

周知のように︑所謂理論と歴史のアンチィノミーを新しい角度から綜合せんとするオイケンの学説は現実態から  

始まって現実態に終るという方法をとり︑現実の正確なる観察紅基き︑重点抽出的抽象陀よって︑理想型たる経済  

体制‖==構造要素を抽出する︒この場合︑この理想型は二重機能を有する︒即ち二つにほ分析の進行と共に理論的命  

題を獲得するための基礎として働き︑二つにほ具体的な歴史的経済秩序の構造を理解認識するための手段として働  

くのである︒つまり﹃一切の形態要素−−ユそれによってあらゆる時と処において︑すべての具体的経済秩序が構成  

せられる!を全体として包括するのみならず︑簡潔且つ的確な条件状態を示し︑従ってその内部において︑個々  

の条件状態内で行ゎれる条件関連が思惟によって把握し得るのである︒さればかかる理想型ほ︑歴史的=個別的現  

︵3︶  実態 − その中からそれが獲得される ー と︑関連認識紅必要なる山般理論分析との問の不易な連続である﹄と︒   

この点︑後述するウェーバーの理想型が理論との連繋が比較的うすいのに比較して︑理論と歴史との全き統山を  

求めるオイケンの独自性があるように思われる︒しかもオイケンは理想型として挙げるものは中央指導経済と流通  

経済︑そして前者には全体中央指導経済︑滑資財の自由交換を伴う中央指導経済︑消費選択の自由を伴う中央指導  

経済︑職業と労働場所の選択自由を伴う中央指導経済の四つ示あり︑後者は市場型態︑貨幣体制及び貨幣経済の主   

(25)

要形態の三つの観点から考廃され︑また更に型を抽出して行き︑そしてこれ等を用いて或る時代︑或る国の経済の  

状態︵経済秩序︶を画き出さんとするのである︒そして特に彼は経済史と国民経済学との協力について論じて︑  

﹃国民経済学者ほ歴史家に︑一時代の経済秩序を純粋秩序形態11よ準正なる翠想型−トの通用によってのみ認識せ  

られることを語らねほならぬ︒そうすれば︑歴史家ほ個々の基体的経済秩序の認識を自らなしとげることが出来  

︵4︶ る﹄といっている︒従って上述のケインズ派への批判点に対しでとの方法を用うれば或いはその欠点を満たし得る  

かもしれないわけである︒   

さてオイケンは次のようにいう︒﹃全ゆる具体的経済は動的である︑常に︑そうして到る処において︒⁝て:二  

切の経済的生成は︑二種の形態によって表現される︒即ち具体的経済秩序の変化と︑この秩序内部で進行する経済  

過程の変化とによっ.てである︒つまり︑経済の秩序構造が変化を被るのである︒これが前者である︒次に日常経済  

生活は全く同山の方法で反復するものでなく︑財貨供給の方法と規模・生産諸力の配置・生産手段装置の大き苧・  

技術の適用及び立地が変化する︒これが後者である︒経済秩序の各構造変化ほ経済過程の方向転換を惹き起す︒け  

れどもその逆は寅とはならない︒経済過程の各推移は経済秩序を変形するの要はない﹄といい︑ついで︑﹁経済秩  

序の尭展⁝⁚・縮小は世界史上において交替している︒経済衰退は例えばローマ帝国末期戎いほ十六世紀末より十七  

世紀初頭へかけての過去の独逸帝国に存在した︒然るに経済発展は紀元前三世紀頃の地中海世界の東部或いほ十三  

︵5︶  世紀のドイツに存し︑⁝⁝巨大な発展過程を究極虹表現したものは産業革命である︒﹄が﹃その時紅おける経済秩序  

の発展と衰退とほ如何に解明さるべきであるか︒﹄を論ずる︒この場合特に注目すべきことは景気問題を論じている  

ことであ 

︵6︶  かったようには考えない︒むしろ︑古代にも中世にも亦近世初期にもー般にかかるものほ存在した︒﹄ と前記タィ  

︵五仙七︶ 四三   経済史と経済理論  

(26)

︵有二八︶ 四四  第三十巻 第五号  

ソズと同じような見解町立ち︑景気変動の原因ほ投資であるとなしている︒即ち ﹃一時期における投資の増加を  

﹁好況﹂といい投資の減少を﹁不況﹂という﹄と論じていることほ実に興味深いといわなけれはならない︒併しな  

がら︑彼は続けていう︒﹃然らばこの投資変動は︑その時々に何故発生するかに就ては︑全く山国並に一.時代の全  

歴史的状態に制約されるのである︒景気の自己法則的=強制的なる運行なるものほ︑留って存在したこともなく現  

に存在もしない﹄と︒或は﹃即ち二般史的にのみ︑換言すればその時々の一国払おける歴史的存在と生成との全体  

関連の認識払おいてのみ︑具体的なる経済発展と具体的なる経済衰退とが認識されるのである︒蓋し経済秩序と実  

︵7︶  際的日常経済生活の各変化は︑山般史的生成の部分だからである︒﹄ ともオイケンは諭しているのである︒この点  

︵&︶  において我々は経済法別の独立性を過少評価するものというべきであって︑我々はこれに組することが出来ないの  

である︒  

︵9︶   次に﹁近代資本主義﹂の著書ゾムバルトをあげる︒彼の基本的な考えほ﹁経済理論と経済史﹂という論文の中に  

︵10︶  平易にまとめられている︒この論文ほその主著﹁近代資本主義﹂の批判に対して自己の見解︑特に自己の経済史方  

法論を述べたものであるが︑彼ほ先ず次のようにいう︒   

普通歴史家紅ほ理論ほいらぬとの考えは誤りであり︑例えばサロルド・ロジャースの価格史の如き︑種々賞讃す  

べき例示を提供するに拘らず︑これを歴史ということは出来ない︒一体価格史等というものほない︒価格は本来何  

も説明しない現象である︒それほ徽候︵SymptOm︶として経済発展の段階の異なるに従い異ってくるたぐいのもの  

である︒ロジャースのざっとした注釈︵runmin的COmmentary︶ ほ技術的なn急esの無差別の蓄積以上の何もの  

でもない︒そこにはそれらをつなぐ糸がなく︑統∵閏な考えがない︒尤も彼もまた経済生活の山般的な探究をしよ  

うとした研究を書いたが︑僅かな弥立した論文以上のものを生むことが出来なかった︒それは理論的な修練が不足   

(27)

していたからである︒或は自己の理論と信じていたものが駄目であったからである︑とゾムバルトほいうのである︒   

次に例によ・つて段階理論を批判し︑ついで自己の理論を展開する︒即.ち︑・経済組織 ︵ecOnOmic system︸  

Wirtschaftssystem︶を以てする︒彼は︑この語な以て︑物質的欲求を満足させ準備する形式︵mOde︶とし︑この  

経済組織は一つのユニット︵unit︶であり︑しかも々れの申の経済過程の各構成要素︵eachcOnStituente−ement  

Of the ecOnOmicprOC2SS︶が或る特徴を現すとして︑その構成要素として次のようなものを挙げる︒日経済観ま  

たは経済精神︒ゾムバルトほ経済生活における人間の行為を決定する目的︑動機︑主義の総体をかく呼ぶ︒出入間  

は本来社会的動物である︒経済行動は必然的に多数の人々に影響するっ之等の人間の行為を組織し︑お互いの関係  

を規制する諸々の方法が工夫される︒各々の人々は気ままな主観に従うことは許されず︑また他人に何を期待し他  

人から何を期待されてよいかを知っている紅違いない︒言いかえるとこれらの人間関係ほ個々人から独立した外的  

な経済形態︵ヨr−㌢af−sfOrm︶によって決定される︒つまりimp2rSO邑な規制体系︑客観的な秩序といったも  

のがこれで︑それが経済過程の第二の構成要素である︑とゾムバルトはいう︒斡財の現実の生産に目を向けると︑  

そこにおいては道具︑機械といったものが発明され︑実用化される︒これらの技術的考案・方法が第三の構成要素  

とされている︒更好日の経済観・経済精神を分けて闇欲望充足の原則と営利原則︑㈲伝統主義と合理主義︑㈲共同  

主義︵SO−idarity︶と個人主義︑日の経済形態︵規制と組織︶を分けて︑闇拘束と自由︑②私企業と生産手段の公  

有︵Pub−ic︒WnerShip︒ftbemea宏OfprOductiOn︶︑㈲使用のための生産と市場のための生産︵宕rkeFrwirt.  

00︒Faft︶︑㈲個人事業︵indi邑ua−c︒nCernS︶と社会的事業︵sOCia−izedcOnCernS︶︑囲の技術を分けて︑仙経験的  

技術と科学的技術︑闇停滞的技術と革新的技術︑㈲組織的機械的技術と非組織的技術としているのであって︑要  

するこれ等を組み合せて︑経済組織の内容を定めるのである︒次いで︑経済時代︵ecOnOmicepOCF萄irtscFafts︐   

経済史と経済理論  

︵五一九︶ 四五   

(28)

言二〇︶ 望ハ  

欝三十巻︑第五甘  

epOChe︶針規定するのであるが︑ゾムバルトはこれを以て山つの経済組織が夷際に現れ︵re已叫旦そして経済生  

活がその経済組織軋属する諸特徴を露わ紅する仙連の時期であると規定する︒そしてこの様な経済組織の間竺種  

の規則正しい連続が見られ︑それは心理的法則︵Psyc邑Ogica=a房︶に基くとゾムバルトはいう︒即ち︑例えば  

経済史のコースにはデモクラレイとアクストクラレイの交替がはっきり見られる︒闇ヨーロッパにおいてしぼしぼ  

みられた未開の経済的アレインジメソト︵デモクラシイ︶闇放牧羊飼の中に見られる経済的アレイン汐メソ▼﹁︵アリ  

ストクラレイ︶㈲村落共同体︵デモクラレイ︶㈲荘園組織︵アリストクラレイ︶㈲手工業組織︵デモクラシイ︶㈲  

資本主義︵アリストクラシイ︶の展開がこれであるとゾムバルトは称するのである︒そしてその場合︑人間が何等  

かの経済組織をはなれて物質的欲求紅対して組織した準備をするなどということは考えられながら︑三の経済組  

織が発展し始める時︑他の経済舶織は既紅存在しているに違いないという様な考えを述べているのであるが︑とに  

もかくにも︑我々はここにオイケンの考え方とよく似た見解を見るのである︒そしてゾムバルトの場合と難も︑経  

済組織︵ecOnOmicOrgani邑iOn︶は国家・法・宗教・芸術・哲学・科学・言語とならんでディルタイの所謂tF2  

cultu邑systeさの一部であり︑全ゆる歴史的事実はその内の何かに関連を持つこと紅よって塩味を関与されるに  

至るという考え方があるのであって︑換言すれほ経済組織そのものをもたらすのは人間の精神であるといった考え  

方が根底にあることが注意されなければならない︒   

然らば価格革命はこの上述の観点と如何に連関するのであろうか︒彼によれほ︑貴金属は国家︑技術と並んで資  

本主義発展の基本条件︵Grundbe瓜ingu叢en︶であり︑それは層々の点で経済生活に影響を与え︑そしてそれが豊  

富なるこ七紅よって白ら奇跡を行う︒即ち︑資金属ほ資本主義の発展をつよめる方向において市場を形成する︒ま  

たそれは営利性向︵Erwerbstrieb︶を強めそして計算性︵R2Ch2nm訝sigk2it︶を完全ならしめるから資本主義精神   

参照

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