呉 昌 碩 と 水 野 疎 梅
松 村 茂 樹
清末 民初 の上 海で
︑文 人職 業書 画家 とし て活 躍し た呉 昌碩
(
一 八四 四
︱一 九二 七
)
は︑ その 高名 を慕 って 訪れ る日 本人 士と 少な から ず交 際 して いる︒書 家の 水野 疎梅
(
一 八六 四︱ 一九 二一
)
も その 一人 であ る
︒
本 稿で は︑ 二人 がや りと りし た詩 を資 料に
︑交 誼の 実態 を明 らか に する と共 に︑ その 胸中 を分 析し たい
︒こ のこ とに より
︑近 代日 中文 人 交流 の一 深部 を明 らか にす るこ とが でき るだ ろう
︒ 一
︑ 初 めて の 出 会い 水 野疎 梅は
︑幼 名を 廉吉
︑名 を元 直︑ 字を 簡
また 廉 とい い︑ 疎 梅と 号し た︒ 福岡 の人︒書 家︒ 国権 主義
︑ア ジア 主義 を唱 える 玄洋 社 の一 員と して 朝鮮 に渡 り︑ 一旦 帰国 後︑ 前後 五回 にわ たっ て渡 清し
︑ 上海 を拠 点に 各地 を遊 歴し た︒ また
︑上 海で は︑ 楊守 敬︑ 呉昌 碩︑ 王 一亭
︑ 李 瑞清 ら と交 わ り︑ と り わけ
︑ 楊 守敬 に 入門 し
︑ 学書 邇 言 を書 き与 えら れた こと はよ く知 られ てい る︒ その 事跡 は 多く 埋没 して い たが
︑横 田恭 三氏 の
「
楊守 敬と 水 野疎 梅」
(
書 論 第二 六 号・ 一 九 九〇
︑ 九
︑一 八
・書 論 編 集室
所 収
)
︑
「
水 野 疎梅 とそ の交 遊」(
書 学書 道史 研究
第 二号
・一 九九 二︑ 六︑ 三〇
・ 書学 書 道史 学 会 所 収
)
︑
「
水野 疎 梅と 福 岡 の碑 誌」(
跡 見 学 園女 子 大 学 文学 部 紀 要 第 三 六 号
・ 二
〇
〇 三
︑ 三
︑ 一 五
・ 跡 見 学 園 女 子 大 学 所収
)
に より
︑照 明が あて られ た︒ 呉昌 碩と 疎 梅の 初め ての 出 会い につ いて
︑呉 長
「
呉 昌碩 先 生年 譜」
(
呉長
著︑ 河内 利治
・北 川 博邦 訳 わが 祖 父呉 昌 碩
・ 一九 九
〇︑ 三︑
図 1 呉 昌 碩( 左) と 水 野 疎 梅( 西 印 社 蔵
/ 呉 昌 碩 逝 世 八 十 周 年 書 画 篆 刻 特 集
・ 与 古 為 徒
・ 別 冊
・ 二
〇
〇 七
︑ 九
・ 澳 門 芸 術 博 物 館 所 収)
二
〇・ 東方 書店 所 収
)
は︑「
一九 一〇
(
宣 統二 年庚 戌
)
六十 七歳」
の 項 に︑ 日 本人 水野 疎梅 が上 海に 来り
︑王 一亭 の紹 介で 先生 を訪 問し 中国 画を 学ん だ︒ 疎梅 は葫 盧を 贈っ たの で︑ 先生 は
「
疎梅 贈葫 盧」
詩を 作っ て相 酬い︑あ わせ て注 に疎 梅が
「
長 髯は 腹を 過ぎ
︑苦 心し て詩 を為 る
」
こと をい う︒ と 記し︑一 九一
〇年 のこ とと して いる が︑ これ は誤 りで あろ う︒ 大正 三
(
一九 一四)
年 十一 月五 日発 行の
書 苑 四巻 第七 号
(
法書 会)「
記事
」
に
︑
「
水 野疎 梅支 那に 往か む」
とい う見 出し で︑ 筑 前の 水野 疎梅 書を 售り て今 大阪 に在 り︒ 近く 上海 に航 して 画を 呉蒼 石に 学ば む志 あり︒善 哉︒ 善哉
︒ と あ る
(
蒼 石 は呉 昌 碩の 別 字)
︒ こ の 時点 で は
︑ま だ 呉 昌碩 を 訪ね て い ない こと がわ かる
︒ 疎梅 が呉 昌碩 を訪 ねた のは
︑こ の翌 々年 の一 九一 六年 であ った らし い
︒ これ は
︑ 疎梅 の 詩集
疎 梅詩 存
(
一 九 二 二︑ 一
〇
︑一 序
・私 刊 本
/福 岡県 立図 書館 蔵
)
には じめ て見 える 呉昌 碩に まつ わる 詩「
奉呈 老 缶呉 蒼石 先生」
二 首に よっ てわ かる
︒ 七 十三 年書 画禅
︑南 宗衣 鉢証 心伝
︒ 披 胸丘 壑横 虚榻
︑落 筆雲 煙捲 素箋
︒ 海 外夙 欽常 夢寝
︑滬 中相 遇亦 因縁
︒ 先 生真 是丹 青仏
︑済 我慈 悲彼 岸船
︒ 葵 心夙 昔慕 高風
︑逸 韻
(
1)
横 生翰 墨中
︒ 豈 与倪 黄同 歩武
︑別 開面 目有 神通
︒ 今 日清 交比 氷雪
︑一 時恩 眷勝 衡嵩
︒ 千 里遠 来非 偶爾
︑画 堂叨 拝表 深衷
︒ 七 十三 年の 書画 は悟 りの 境地 に入 り︑ 南宗 画奥 義の 伝授 を得 てい る︒ 胸 中の 深遠 な意 境を 開い て空 の寝 台に 横た わり
︑筆 を下 せば 躍動 し白 い紙 をま くる
︒
海外 でも 夙に 尊ば れ私 も常 に憧 れて おり
︑上 海で お会 いで きた の も また 因縁
︒ 先生 はま こと に絵 画の 仏︑ 私を 慈悲 でも って 彼岸 に渡 して くれ る 船
︒ 古を 尊び 立派 な人 物を 慕い
︑す ぐれ た趣 が翰 墨の 中に あふ れて い る
︒ どう して 倪
や黄 公望 と共 に歩 もう か︑ 別に 風格 を開 き霊 妙さ が あ る︒ 今日 の清 雅な 交わ りは 氷雪 に比 すこ とが でき︑ひ とと きの 恩顧 は 衡 山や 嵩山 に勝 る︒ 千里 の遠 くか ら来 たの はた また まで はな いと
︑お 宅に 訪ね させ て い ただ きわ が真 心を 表し たい
︒ 山人 何事 出青 山︑ 千里 浮
層浪 間︒ 欲謁 先生 叨問 道︑ 鞠躬 来拝 古玄 関︒ 山中 に隠 棲す る私 がど うし たこ とか 樹木 茂る 山を 出て︑千 里の 彼 方 へ浪 のま にま にい かだ を浮 かべ た︒ 先生 に拝 謁し て道 を問 わせ てい ただ くべ く︑ 身を かが めて うや う や しく 古な る玄 関を 拝し たい
︒ つま り︑ この 詩の 内容 から
︑疎 梅は 呉昌 碩
「
七十 三」
歳の 年︑ つま り 一九 一六 年に︑は じめ て上 海で 呉昌 碩に 会っ てい るこ とが 窺え る︒ た だ︑ まだ この 時点 では 呉昌 碩の 自宅 を訪 問し ては いな いよ うだ
︒そ し て
︑ お そ ら く は 日 を改 め て 自 宅 を 訪 れ
︑ そ の 際 に 持 参 し た の が 胡 盧
(
瓢 箪
)
であ った らし い︒ この 時の こと を疎 梅は︑
「
古 瓢持 贈缶 廬」
詩(
前出
疎 梅詩 存 所収
︑ 以 下︑ 疎 梅 の詩 は すべ て 同様 の た め注 記 省 略
)
で︑ 一瓢 遠自 日東 天︑ 持贈 缶廬 吟榻 前︒ 山水 清游 知為 侶︑ 月華 芳 好同 縁︒ 応勧 海上 詩仙 酔︑ 更受 呉中 高士 憐︒ 羨爾 生来 多幸 福︑ 而今 無恙 伴名 賢︒一 つの 瓢箪 を遠 く日 本の 空よ りも たら し︑ 手づ から 缶廬 の詩 歌を 作る 寝台 の前 に贈 る︒ 山 水に 風雅 に遊 べば 友と なろ うし
︑月 下の 宴会 では 縁を とも にし てく れよ う︒ 海 上
(
上海)
の 詩仙 に酔 いを 勧め
︑さ らに は呉 中
(
蘇州)
の 高士 にい とお しま れる はず だ︒ お 前が うら やま しい 生ま れつ き幸 福が 多く て︑ 今も 恙無 く名 賢の 伴と なれ たの だか ら︒ と 詠じ てい る︒ これ を 受け
︑呉 昌碩 は
「
疎梅 贈 胡盧」
詩
(
缶 廬詩巻七
︑ 缶廬 集 巻 三所 収
)
を作 るこ とに なる︒そ の冒 頭で
︑ 不 縣市 肆縣 秋空
︑胡 盧胡 盧来 自東
︒ 腰 繊脛 縮彎 若弓
︑安 得漢 書穏 置胡 盧中
︒ 癖 古博 物疎 梅翁
︑游 屐著 破詩 則通
︒ 持 贈一 笑胡 盧同
︑艾 蔵古 緑丹 駐紅
︒ 商 店に 懸け られ ず秋 空に 懸け られ
︑胡 盧よ 胡 盧よ 東か らや って 来た
︒ 腰 はほ っそ り脛 は縮 んで 弓の よう に彎 曲し
︑ど うし て後 漢書 費長 房伝 にい うよ うに 胡盧 の中 で落 ち着 けよ うか
︒ 古 を癖 好し 物知 りな 疎梅 翁︑ 出歩 いて 着物 は破 れて いる が詩 は通 達し てい る︒ 手づ から 贈っ てく れ一 笑す るこ と胡 盧と 同じ
(
胡盧 に笑 の意 あり
)
︑ 古緑 を蔵 する よう な老 年の 風采 に紅 顔を 留め るか のよ うな 若い 心が
あ る︒ と述 べて おり
︑疎 梅を 高く 評価 して いる
︒ こ れは 作詩 年代 順に 収録 され てい る 缶廬 詩 には じめ て見 える 疎 梅に 関す る詩 で︑ この 六首 前の
「
瑤 笙示 呉梅 邨画
」
詩 が一 九一 六年 の 作と 前出
「
呉 昌碩 先生 年譜
」
は 記し てい る
(
手稿 によ ると して いる)
︒ そし て︑ この 四首 後に
「
疎 梅游 倦東 帰索 詩
」
詩が あり︑こ れに
︑ 時丙 辰十 月二 日︒ 時に 丙辰
(
一 九一 六
)
十月 二日 のこ と︒ とい う注 が付 され てい る︒ さす れば︑
「
疎梅 贈胡 盧」
詩は︑ 缶 廬詩 にお ける 配列 から
︑一 九一 六年 の作 であ るこ とに なる
︒さ らに は︑ 松 丸東 魚 編 呉 昌 碩書 画 集
(
一 九 五八 初 版
/一 九 七一
︑ 七
︑ 一第 三 版 発 行・ 西 東 書 房
)
に︑ 呉 昌 碩が 疎 梅 か ら 贈 ら れ た 胡 盧 を 画き
︑ こ の
「
疎梅 贈 胡盧
」
詩
(
詩に 一 部語 句 の 異同 あ り)
を 題 した 作 が 収め ら れ てお り︑ 落款 に︑ 疎梅 贈古 胡盧︑画 竟復
小 詩︒ 就正︒丙 辰新 秋︑ 呉昌 碩老 缶︒ 疎梅 が古 い胡 盧を 贈っ てく れ︑ 画き 終わ って 更に 小詩 を書 き付 け た
︒斧 正を 請う
︒丙 辰
(
一九 一六)
新 秋
(
七月)
︑ 呉昌 碩老 缶︒ とあ る︒ これ より 少な くと も︑ 呉昌 碩が 疎梅 から 贈ら れた 胡盧 を画 い たの は︑ 一九 一六 年の 旧暦 七月 であ った こと が窺 える
︒ 以 上を 総合 する と︑ 疎梅 は一 九一 六年 の旧 暦七 月ま でに 呉昌 碩と 上 海で はじ めて 会い
︑次 いで 自宅 を訪 ね︑ 胡盧 を贈 り︑ 同年 の旧 暦十 月 二日 には 帰国 に あた っ て呉 昌碩 に詩 を 求め てい るこ と にな る︒ よ って
︑ 呉昌 碩と 疎梅 の出 会い を一 九一
〇年 のこ とと する 前出
「
呉 昌碩 先生 年 譜
」
の記 述は 訂正 され ねば なら ない だろ う(
2)
︒ 二
︑ 深 まる 交 誼 呉 昌碩 の知 遇を 得た 疎梅 は︑ この 年の 旧暦 八月
︑自 らの 詩集
︑つ ま り 疎梅 詩存
の 封面 を書 いて もら って いる
︒呉 昌碩 は︑
「
疎 梅詩 存」
呉 昌 碩 と 水 野 疎 梅図 2 呉 昌 碩 与 水 野 疎 梅「 胡 盧 図」(
部 分
/ 松 丸 東 魚 編 呉 昌 碩 書 画 集(
一 九 五 八 初 版
/ 一 九 七 一
︑ 七
︑ 一 第 三 版 発 行
・ 西 東 書 房 所 収)
と 篆書 で書 き︑ そし て行 書で
︑ 丙 辰秋 仲︑ 安吉 呉昌 碩篆
︒ 丙 辰
(
一九 一六)
秋 仲
(
八月)
︑ 安吉 の呉 昌碩 が篆 書で 書い た︒ と 記し てい る︒ 帰国 に あた り
︑ 疎梅 は
︑
「
留別 呉 蒼 石先 生」
詩を 作 り︑ 蘇 州 に行 っ た(
疎梅 詩 存 に
「
游蘇」
詩 が見 え る
)
後︑ さら に
「
重留 別 缶廬」
詩 を作 って︑ 零 丁遠 夢草 堂秋
︑又 恋缶 廬多 別愁
︒ 一 片飛 帆滄 海上
︑古 呉天 未幾 回頭
︒ 志 を失 った 私は 遠く 草堂 の秋 を夢 見た もの だが
︑そ れに わを かけ て缶 廬を 恋し く思 い別 れの 愁い に満 ちて いる
︒ 一 隻の 船が 大海 の上 を飛 ぶよ うに 行く が︑ 古の 呉の 空を いま だい くば くも なく 振り 返っ てい る︒ と 述べ てい る︒ 末句 の
「
呉」
が呉 の地 と呉 昌碩 を掛 けて いる こと は言 う まで もな い︒ 翌年 の一 九一 七年︑呉 昌碩 夫人 の施 氏が 病没 し︑ 疎梅 は
「
呉俊 亡 室 施氏 輓詩」
詩 を作 って いる
(
俊
は 呉昌 碩の 名)
︒ その 翌 年の 一 九 一八 年
︑ 疎梅 は 上 海に 渡 り︑
「
王 一 亭招 飲 一品 香
︑ 老缶 在室
」
詩を 作 って いる
(
3)
︒つ まり
︑呉 昌碩 の友 人で あ り弟 子で もあ っ た 実業 家の 王一 亭に
︑上 海福 州路 にあ った 西洋 レス トラ ン・ 一品 香に 招 かれ
︑そ こで 老缶 すな わち 呉昌 碩に 再会 した ので ある
︒こ の詩 の四 首 後に
「
胡 盧持 贈缶 翁一 亭両 先生
」
詩 があ り︑ おそ らく は改 めて 呉昌 碩 と王 一亭 を訪 ね︑ また 胡盧 を贈 って いる こと がわ かる
︒こ の中 に︑ 呉 翁王 郎拍 手笑
︑形 容奇 古真 天工
︒ 呉
(
昌 碩)
翁も 王(
一亭)
郎 も拍 手し て笑 い︑ 形状 は奇 古で 真に 天の なせ るわ ざと いう
︒ と あり
︑呉 昌碩 の気 に入 りよ うが 窺え る︒ この 年︑ 呉昌 碩は
︑疎 梅が 帰国 にあ たり 贈っ た詩
(
こ れに 該当 する 詩は
疎梅 詩存
に 見え ず
)
に和 し た「
疎梅 将東 帰︑詩 来言 別︑ 和 之
」
詩
(
缶 廬詩巻 八所 収
)
を作 って おり(
4)
︑こ の中 で︑ 海鑿 深杯 沈酔 否︑ 梅開 孤嶼 再来 無︒ 海の よう に満 杯の 酒を 飲ん で酔 いつ ぶれ てい るの か︑ 梅が 離島 に 開 けば また 来て くれ るの か︒ と︑ 疎梅 への 想い を吐 露し てい る︒ そ して
︑こ の二 年後 とな る一 九二
〇年 の秋
︑疎 梅は 三た び呉 昌碩 を 上海 に訪 ね︑
「
訪 呉昌 碩先 生賦 呈」
詩三 首を 作っ てい る(
5)
︒ 蕭斎 長物 一氈 青︑ 止酒 詩成 靖節 醒︒ 七十 七年 秋更 好︑ 黄花 開遍 白雲 停︒ 書斎 の贅 沢品 は一 枚の 青い 毛氈
︑禁 酒し て詩 を成 せば 靖節
(
陶 淵 明
)
も 酔い が醒 める︒ 七十 七歳 の秋 は更 に好 く︑ 黄色 い花 が遍 く開 き白 い雲 は停 まっ て い る︒ 折来 海上 傲霜 枝︑ 非仏 非仙 満意 詩︒ 不信 加餐 果英 落︑ 古精 神見 古東 籬︒ 折し も海 上
(
上海)
に やっ て来 た霜 の寒 さに 屈し ない 菊の よう な 私
︑仏 徒で もな く仙 人で もな く詩 人に 満足 して いる
︒ 養生 を信 じず 果た して 落ち ぶれ てい るが
︑古 の精 神を 陶淵 明が 菊
図 3 呉昌碩筆 疎梅詩存 封面 (福岡県立図書館蔵)