公社債価値論
その他のタイトル Values of Various Bonds
著者 今西 庄次郎
雑誌名 關西大學經済論集
巻 5
号 7
ページ 739‑764
発行年 1955‑11‑30
URL http://hdl.handle.net/10112/15739
公 社 債 価
値 公社債価値の特質
これは判 ここに公社債価値の特質と云うのは証券価値に於ける公社債価値の特質を意味する︒従て証券価値の一般的性質 公社債︑即ち貸借資本にして確定対価の証券の価値の中心をなす牧益価値が︑それに与えられる利益分配たる利 子を資本化歩合を以て資本化したものであることは︑云う迄もない︒而して公社債の利子が確定制となっていると は︑公共団体の財政︑会社の経理が悪くなっても当初定めた額は動かさず必ず支払うてゆくというのであるが︑それ に就いては今︱つ知らねばならぬ点がある︒それは︑公共団体の財政が豊であり会社の業況がよければ多い額に定 めてよく余り余裕のない公共団体や会社は少く定めるのが社会的に正しいというものでない点である︒
り切つているとも云われようが︑株式の配当が会社の挙げた利益を基としその合理的な分配が正しいとされ︑然も
その正しい大いさをきめることが仲々六カしいのと全く対照をなすところである︒兎に角︑公社債の牧益価値の対
象となる︑実体資本からの利益分配額は︑彼が定めている利子額をそのまま取上げてよく極めて簡単なのである︒
論︵今西︶ は既に知られていることが前提となっている︒
公 杜 債 価 値 論
今
西
庄
次
郎
論︵今西︶
公社債の利子に就いてはそのまま取上げて差支えなしとして︑それがそのまま通用するとは限らないのである︒
蓋し利子に就いてば公共団体︑会社の信用のレベル︑所謂格
G r
a d
e
に応じて社会的に妥当とせられる一定の大いさ
一体︑利子なるものは公共団体や会社の余裕︑能力に応じて定められず︑
寧ろそういう能力を充分備えている謂わば経済の優れた公共団体︑会社侭ど却て少くて済み︑然らざるもの仕ど多
こ れ
に よ
り ︑
向の批判は問題にならぬが︑それが彼の格に応じたものでなければならぬという批判の対象となるのだ︒この格に
応じた利子の大いさが︑例えば貸借資本一
00
円につき年八円︑即ち八パーセントだというとき︑現実の利子が恰
その公社債の牧益価値は正に額面通りの一
00
円であ
る︒併し今現実の利子がその格相応から外れた大いさとなっているとき︑例えば年八パーセントであるべきに八・
その牧益価値は額面価額とは別な大いさとなる︒つまり公 五︒ハーセント或は七・五︒ハーセントとせられたときは︑
社債の牧益価値は現実の利子が格に応じた利子と一致せぬところに取上げられるものとなるのである︒
然らば支払利子歩合が格相当の歩合と一致せぬことありやであるが︑これは寧ろ常態に近い︒先ず︑公社債の支
払利子は確定対価であり当初定められたものは償還期日まで持続せられるのに対し︑格相当の利子歩合は時日と共.
に変化するのが普通である︒従て︑仮令︑当初︑公社債の発行に際し格相当の利子歩合とされていてもやがてそれ
つまり或は格相当以上となり︑ 或は格相当以下となるわけであ
る︒次に︑発行時からわざと格相当の利子歩合とせられないことがある︒否︑これは案外多いのである︒格相当以
外と云えば︑格相当以上の歩合とせられるのと以下の歩合とせられるのとがあり得るように思わすが︑ は格相当のものでないとならざるを得ないのだ︒ もそれと一致する年八︒ハーセントとせられているならば︑ くなければならぬという性格を有つ︒ 先に述べた如く公共団体︑
この場合前 会社の余裕に応ずべきだという方 なるものが存在せんとするからである︒
公
社
債
価
値
公 社 偉 価 値
その更に仙くファクターとは何であろうか︒ これは一般に公社債は満期日を有つことである︒ 者は殆どなく︑全部と云つてよい位後者である︒これは何れの発行者も外部にその経済的地位を可及的に高く見せ んとするところから出る︒素より支払利子歩合を格相当歩合より小とすれば額面価格を以て発行することは困難で ある︒誰しもその価格にては応募︑買入れないからだ︒従て発行価格は額面以下の或る価格とせられる︒発行価格 を額面以下とすれば実は発行者にとりては格相当の歩合で額面価額を以て発行したのとその支払負担は等しくな り︑何等有利とならないのであるが︑然も表面上の利子歩合を低くするによる自己の格を誇示する方を選ばんとす る の で あ る ︒
それは兎も角︑公社債の牧益価値に於ては︑公共団体︑会社の格に応じた利子歩合がその公社債の対価歩合とし
て資本化歩合となるわけである︒勿論所謂格がそのまま利子歩合となるのでなく︑当該社会の夫々の時期に於ける
貸借資本証券に関する資金の需給関係によって与えられる一般対価率が基盤となりその上に格による各個の利子率
が与えられるのである︒従て︑想像せられるであろう如く︑その決定は仲々六カしい︒結局︑株式︑公社債ともそ
の公式の枠内にありとして︑株式の場合は分子の分配利
9閉 品
I]
詠 迭言守中︵﹇造容丙造囃
L A
片 ぐ ︑ 送 ︷ 耳 0
浩 呻
︶
の牧益価値は
益たる配当の方に問題としての複雑さと重要さがあるのに対し︑今公社債にありては分母の資本化歩合の方が問題
として複雑さと重要さを有しているわけである︒
によって与えられるとして︑単にこの公式のみによって事が終るもの
埜 山 競 苓丙油既 L 汁述
j山F . i
呻 公社債の牧益価値は
でないことを知らねばならぬ︒換言すれば更に或るファクターが仇き右の基本がモディファイされるのだ︒然らば
論︵今西︶ 改めて云う迄もな
く︑満期日とは公社債が証券たるを終了する日であり︑額面通りの資金が償還される日を指称する︒ つまり公社債
は凡て遅かれ早かれ額面通りの価値に還えるのである︒斯くて公社債の牧益価値は上記の公式通りに立ゆかなくな
るのだ︒蓋し現在額面以下の価値を有ち或は額面以上の価値を有つとしてもやがて満期日に到れば額面価値となら
ざるを得ず︑上記公式によって与えられる大いさに安住し得なくなるに至るからである︒即ち公社債の牧益価値は
上記公式を中心としながらも満期日額面償還を考慮しそれをアヂャストしなければならないのである︒吾人は証券
本質論で︑公社債には株式にない償還ということがあり︑証券は何時までも証券たるを続けるのが証券らしいとい
うところから︑証券として不完全なものとなるということを述べたことがあるが︑今その不完全の一つの︑然も大
ー 9
. 配
埜 詠
き い 事 態 に 直 面 し た わ け で あ る
︒ 完 全 な 証 券 な れ ば そ の 牧 益 価 値 は の 公 式 通 り に 定 ま る 筈 で あ る
︒ 送 甫 守 命
・
証券一般の価値本質論で述べられた筈であるが︑凡て証券の価値ほ牧益価値と市場性価値より成る︒株式価値の
特質論ではその市場性価値の方は余り取上げられないが︑これは一般論で述べた以上に特に述べることがないから
である︒処が︑今公社債の価値の場合には市場性価値に就いても特に述べねばならぬことがあるのだ︒蓋し公社債
の市場性価値に就いてはその存在を否定するが如き見解が見受けられからである︒ これらの論拠とするところは︑
公社債の所有者は余り市場性に期待しないという点と公社債は広く分散所有されないため市場性が殆どないという
点にある︒改めて云う迄もなく︑証券の市場性価値とは証券を売らんとするとき或は現在売る意思はないが将来若
し売らねばならぬことが起ったとき必ず売れて欲しい︑又金融担保に入れんとするとき必ずとつて欲しいという要
望が基となり︑この要望の満足は︱つの経済的︑貨幣的価値ありとするところに成立するものである︒従て公社債
に於て所有者がそれら市場性を余り要求しないと云うならば︑それには市場性価値は余り成立しないわけである︒
が︑果して公社債に於ては市場性に対する期待はないであろうか︒確に︑公社債には株式と異り償還という事があ
公 社 債 価 値
論︵今西︶
四
公 社 債 価
‑
値
五
り或る年限の後必ず現金に換わり︑又その所有者は金融機関など大口のものが多く余り換金の事を考えず︑担保に
入れる必要を有たないのは事実である︒けれども凡ての所有者がそうだとも云えないのだ︒時には小口の所有者も
あり︑之等のものは株式所有者ほどではないにしても一般に市場性に期待するところがあり︑又大口所有者と云つ
ても全く市場性に期待しないものではない︒蓋し彼等が全然市場性に期待しないならぽ普通の貸借資本を以てし︑
証券形態のものとしなかったともみられるのだ︒殊に︑償還期というものがあるにしても︑その期限の長いものと
なれば︑その間に換金の必要は起らざるを得ないのである︒要するに︑公社債にありても市場性に対する要求は決
してないのではなく︑たゞ一般に痛切でないというのが真実なのである︒次に︑公社債は広く分散所有されないた
め市場性が殆どないという点であるが︑仮令市場性に期待するところがあっても︑証券に市場性そのものがないと
価値が成立し難いのは勿論である︒而して公社債の市場性如何であるが︑公社債は有力金融機関などにより大口に
所有せられ︑之等は殆ど換金の挙に出でないため日々の取引が少いのは事実である︒けれども発行額の大なる公社
債銘柄にありては︑仮令大口所有と云つても或る程度分散的となり︑殊に個人所有の進んだときには相当に分散
し︑供給︑売物の出るチャンスが多くなっている︒索よりそこに市場性の出来上るためには需要︑買手が対応的に
現れなくてはならず︑ これが問題だとも云えるが︑償還期限の長期な公社債となるにつれ価格変動も幾分伴うこと
となるので︑需要︑買物も事を欠かない状態となり︑市場性は次第に具わるに至るのである︒つまり公社債にあり
ても或る銘柄は市場性を具えているのだ︒勿論その市場性は如何に大きいものでも︑株式に比べてはそう大なもの
ではないが︑公社債の凡てが殆ど市場性を有たないということは過りであると云わねばならない︒然も︑尚指摘し
てよい点は︑公社債の市場性が銘柄によって大小のある事実である︒蓋し経済価値なるものは比較の行われるとこ
論︵今酉︶
註
本の関係︶の入ること断わる迄もない︒ 格に相当な利子歩合の決定は勿論二つの段階から成る︒ る ︒
︵ 一
︶
牧益価値の大いさ
一般公社債の価値の大いさ
一は公共団体︑会社の格の確定であり︑次いで.一定の格 ろに成立つものであり︑今市場性価値も同様であるからである︒以上︑公社債の市場性価値を否定する見解の論拠 の吟味をなしたのであるが︑結局その見解は支持し得られないところとなるのである︒
公社債にありては当該公共団体︑会社の格相当の対価歩合通りに支払利子が定められているときは牧益価値は額
面価額通りで特に取上げる要がなく︑支払利子が格相当の対価歩合と相違するところに額面価額と異る牧益価値が
成立すること︑延いて牧益価値決定の中心が格相当の利子歩合の決定にあることは︑既に公社債価値の特質論で明
かにされている︒然らばこの格相当の対価歩合は如何にして得られるか︒価値大いさ論としてはこ 4 から出発す
に応ずる利子歩合の把握である︒先ず格の確定から入るが︑格を規定するものは発行者の経済的実力である︒而し
て会社の場合経済的実力は会社の牧益力と企業能力の双方から成る︒企業能力とは営んでいる事業の安定度︑技術
生産設備の優秀さ︑資本構成のよさ等が綜合されたものである︒この資本構成の中に資産状態︵他人資本と自己資
斯る企業能力は株式牧益価値の大いさ論で取上げられている筈である︒株式牧益価値の基である株式配当力は︑会社の 現実の利益の企業能力に応じた適正な分配によって与えられる︒即ち︑株式の場合には企業能力は会社の政益に対し訂
公 社 債 価 値 論
︵ 今 西
︶
六
公 社 債 価 値
七
正的に利用されるのであり︑牧益価値につき牧益力の方がより力を有つ︒処が︑今社債のときには企業能力は牧益力と
並ぶ地位にあるのである︒
弦で一寸触れて置こうと思うのは︑公社債の場合には第一に財産状態を取上げるべく次いで牧益力だという見解
aである︒ダイスもこれに似たことを述べている︒この見解が︑株式は財産を分配するものでなく牧益の分配をなす
ものであるのに対し︑公社債は確定対価であり発行者の牧益が少くても元利を回牧し得る財産のあるのが決定的だ
れるのであり︑当該貸借資本が会社の他の資本と混つて如何に牧益を挙げつ 4 あるか︵新規発行のときはそれが加
わるべき会社の従来の資本の挙げている牧益振り︶が何より大切となるのだ︒更に注意すべきは︑当該貸借資本の
資産としての価値もそういう利益を挙げている度合によって定まるということである︒償還期限が来ても多くの場
合運用している当該貸借資本分たる資産を売却して返済することなく︑手許現金がないときはそれを担保として借
入をなし返済するのであるが︑その担保借入が滞りなく行われる︑つまり元本が確保されるや否やは全くそれが利
益を充分挙げているか否かによる︒牧益力が何より鍵となること最早明かであろう︒たゞ︑投ぜられた貸借資本分
を含めて会社資産が活用せられなくてもその価値が利子支払︑元本返済に事鋏かない場合もあり得るので︑単に牧
益カ一点張りでなく︑財産状態も意味を有つというわけである︒
C .
A
D i c e a n d
W . J .
E i t e m a n ,
h T
e S
t o
c k
M a
r k
e t
,
1 9 5 2 . P . 4 1 7 .
公共団体の場合経済的実力は租税牧入力である︒公共団体は営利機関でなく当該貸借資本が投ぜられた財産が仮
令使用料を徴牧して使用させるとしても公共用であるので原価回牧まで目的としないのが普通であり︑結局利払︑
( 1 )
論 ︵
今 西
︶
というのであれば︑少し素朴であると云わねばならない︒ 一体︑社債に対する利子は通常は会社の利益から支払わ
746
論︵今西︶
元本返済とも税牧入力に負うところとなるのである︒かの公社債の判定には発行者の財産価値を第一に取上げるべ
きだという見解の支持せられないこと︑ この場合一層明かである︒
公社債発行者たる公共団体︑会社の格はその経済的実力によって定まることを述べたが︑純理的に云つてそれら
による発行者の格は千差万別とならざるを得ない︒併し実際問題としてそのように多数の格を考えることは格の活
用上困難となるところで︑多くの国に於てそれらは数階段に纏められてしまつている︒大体︑会社の格は一流︑ニ
流︑三流︑四流ぐらい︑公共団体の格は国家は別格として地方団体︑半官半民機関は一流︑二流ぐらいである︒夫
々最下の格以下のものもあり得るが︑これらは公社債発行者としての資格なしとして取扱われるのである︒
格の決定が一応終ったので格に相応する利子歩合の把握に移るが︑勿論これはその国の資金全体の需給関係に於
て確定対価貸借資本の需給関係が齋すその対価水準に格を関連さして決定せられる︒既に知れるところと思うが︑
一国の資本対価は郵便定期預金や銀行定期預金等の長期預金を最も基底とし︑その上に公社債的資金︑更にその上
に株式資金が位置し夫々の間に一定の対価の開きを有つところである︒勿論夫々の資金の需給如何ではその開きの
大いさは幾分ノーマルな開きから外れることがあるが︑やがて元に戻るというふうでノーマルな開きーー之も長期
的には変化するがー—ーは固い。而して定期預金的資金対価はそれが基本的であるだけ最も実勢を正直に反影し高過
ぎる低過ぎるということはなく︑然もそれは一般に公然となっており︑把握し易い︒斯くて︑当該社会に於ける定
期項金的資金と公社債的資金の対価のノーマルな開きを実証的に把握して置き︑その時の定期項金的資金対価にノ
ーマルな開きを加うれば︑その国その時の公社債の対価水準即ち利子水準が得られるわけである︒公社債の対価水
準を得れば之に会社︑公共団体の格を関連さし︑夫々の格に相当な利子率を把握し得られるのであり︑例えば利子
公 社 債 価 値
八
公 社 債 価 値
一流会社債七・五︒ハーセント︑二流物八︒ハーセント︑三流物八・五︒ハーセント︑
四流物九︒ハーセントとされるが如く︑又一流地方債年七・ニ︒ハーセント︑二流物七・五パーセントとせられるが如
く で
あ る
︒
この各格の間に有たす開きが社会の実情を考慮して決定さるべきこと勿論である︒
但し公社債対価水準の利用に就き注意しなければならないのは︑
時︑それは償還期限︑発行額等が一般尋常なものの大いさであるということである︒元来︑資本の貸借は公社債と
いうものが世に現れなくても存在するところで︑対価歩合は諸種のファクターによって定まるところである︒即ち
借手の如何︑期限︑貸借金額︑担保の有無︵元利払停頓した時の順位︶等がファクターとなる︒今公社債という証
券制度のものが出来たときその借手の如何というファクターは既述の格として一定の秩序を有つに至るのである︒
若し他のファクターも証券制度の下特別な秩序を有つに至るならば︑これは公社債の側に於ける事柄︑問題として
取上げねばならぬ︒然らばこの点如何にと云うに︑別にそのような事はなく︑従て証券制度を離れて存在している
事実をそのま 4 受入れてよいとなるのである︒例えば償還期限の点︑
九
その対価水準︑
り長ければ利子水準より幾分高く︑短ければ幾分低くされており︑公社債もこれを取入れねばならないが︑ その加
減の程度は実際に行われているところを取入れてよいのである︒担保の有無というファクターも大体同様で︑
こ れ
は公共団体の場合には問題とされず会社の場合にのみファクターとなるところであるが︑同一程度の借手︑期限の
貸借であれば担保がついているか否かにより水準的な利率の上で或る程度の開きが生ずるのを︑社債としてもその
まま受入れてよいのである︒但し近時主要な国に於ては社債には必ず担保をつけるものという制度が打立てられ︑
我国も今日殆どこれが確立するに至った︒従て社債という証券制度に於ては担保の有無による水準利率からの加減
論︵今西︶ 水準年八︒ハーセントというとき︑
一般にその国その時期で通常とされているよ 例えば年八︒ハーセントという
748
結局︑九八・六九円の牧益価値となるわけである︒
7.141 1
ょ
1 1 5 .
8
3f g
7.14
(1+
0.
0 7)3
1 .
225
る増加価値の現在価値が加わったものでなければならないとなる︒ 論 ︵ 今 西 ︶
採︑公社債の牧益価値決定の中心たる格相当の対価歩合即ち利率が得られたので︑具体的なその大いさ論に入ろ
う︒理解を容易にするため例を挙げて述べてゆくこととする︒
或る地方団体が表面利率(確定利率)年六•五パーセントを以て公債を発行せんとし、その格相当の利率年
この公債が永久公債の如く償還が定められていないときは右のま 4 でよいが︑このような例は稀であり︑多くの
ものは一定の償還期限を有つところである︒勿論この償還期限を有つによりその牧益価値の大いさは右と異ったも
のとなる︒今償還期限を三カ年とすれば︑三年後にその価値は一
00
円となるがゆえ
100
1
92.861 1
7.
14
P:
I
七・一四円の価値増加が得られるわけである︒つまり右の公債は九ニ・八六円の仕かに三年後に七・一四円とな
92 .8 6
, + 5
.83
1 1
9 8. 69P:
I
この場合額面一
00
円の牧益価値は
1 1
92. 86
P:
I
100
x
0, 06 5
0 .07
七パーセントであるとする︒ 例 ということは解消しているわけである︒
公 社 債 価 値
10
公 社 債 価 値
の方式を以てするものである︒
然らば何れが正しく︑
X 1 1 9
C O .
76 F9
九八・七六円となり︑結果は前の方式によるのと大体同じであるが︑幾分の差を存している︒
より用いるに足るであろうか︒両者の根本的な相違は︑前の方式では増加価値が複利的に
取上げられているのに対し︑後の方式ではそのことなく単純に年度割にされているというところにある︒従て両者
の何れが正しいかは︑増加価値は複利的に取扱うべきものであるか否かにか 4 る︒思うに︑公社債は細かい利子に
よって牧益を図る証券であり︑ この性格からは増加価値も複利的に取上げる方が合理的だと云われる︒たゞこのや
り方は計算が複雑であり︑その点面倒であるのみならず︑償還年限が余り長期でない場合には後者によるものと牧
益価値の大いさに余り開きがない︒斯くて応用という点からは︑数力年以内の短期償還期限の時は後者の方式を用
いて差支えなく︑ その期限が長期なるものに前者の方式を用うべしとなるとなるところである︒
論︵今西︶
1 .
2 1 x
1 1
1 1 9 .
5
+6 . 5 1 1 0
. 0
7 x 1 0 0
1X
3 R
+6.5
1 0 0
ーl
さ
3 現在の牧益価値を X
と し
合に就いて適用すると︑
= 0
. 0
7
1 0 0
ー
J
x +
1 9 . 5
" "0 . 2 1 x
処で︑右の如き牧益価値の計算方法に対し︑もっと簡便な方式を提唱するものがないでもない︒これは上例の場
1 0 7 . 6 9
ー
6 . 3 5
1 1 1 0 1 . 3 4 P : I
1 0 7 . 6 9
ー
1 0 0 7 . 6 9
ー
1 1 ( ,
0 6 5 ) 3
1 .
2 1 1 が︑七・六九円は三年後ならばそれだけ引くべき額であり︑現在ならばそれほどに及ばぬわけである︒即ち現在と しては三年後に七・六九円となるべき額を差引くべくである︒
1 1 6 .
3 5
P 3
勿論三年後には一
00
円となるがゆえ︑ この大いさはそのまま通用せず︑ 1 0 0 x 0 . 0 7
0.0 65
1 1 1 0 7 .
6 9
P 3
‑0
‑
. 二
五 円
で あ
る ︒
参考のために複利式の方法によって計算すれば︑先ず
1 .
1 9 5 x " =
1 2 1
X 1 1 1 0 1
. 2
5 P 3
x
ー1 0 0
3 7
1 1
0 . 0 6 5 x A x
ー1 0 0
3
1 0 0 x 0 . 0 7
│現在の牧益価値を X とする方式によれば︑額面一
00
円の社債の価値は
=0. 0 6 5
21
ーx‑100
1 1 0 .
l 9 5 x セントとなった︒償還期まで三カ年を残している︒
例
論︵今西︶
七・六九円を減じなくてはならない 某会社その格相当の利率年七︒ハーセントで社債を発行したが︑後︑金利低下して格相当の利率年六・五︒ハー 公
社
債
価
値
公 社 偵 価 値
同様に、第三年目償還分九八・七五円、第四年目償還分九八•四四円、最終年目償還分九八・一五円である。即
ち発行時の牧益価値としては︑各年目償還額が同額であるので︑
社としてはこの価値通りの価格を以て発行すれば恰度よいわけである︒尚︑実際には発行年の年末に早くも償還を
始めず一定の据置期間を置くのが多いが︑この場合の価値計算も︒フリンシ︒フルは殆ど同じであるので省略する︒
裸価値と利付価値
一般に証券の価値の大いさの表現形式に︑母体たる資本の価値だけを表わす所謂裸価価方式
v t o
a l
u e
"
w i
t h
i n t
e
ー
r e s t
"
o r
"
a n
d i
n t e r
e s t "
︵ 二
︶
A
と経過利益即ち既に生じている利益︵株式では配当︑公社債では利子と呼ばれること改
論︵今西︶
+6 . 5
1 0 0
1X
2
第二年目償還分の価値は
1 1
0 . 07
X 1
1
9 9 . 1 2 P : l
1 0 0
ーx +
6.5
さ
=0.07
X 1 1
9 9 . 5 3 p : j
この場合第一年目償還分の牧益価値は︑額面一
00
円のもの
例
或る会社その格相当の利率年七︒ハーセントなるに︑六・五︒ハーセントを以て社債一億円を発行し︑これを毎
年度二
000万円宛償還するとする︒ 結局これによれば一 01• 三四円となるわけである。
それらの平均となり︑九八・八円である︒従て会
7.52
確定しないがため裸価格のやり方は用いられないのである︒ 論︵今酉︶
e
めて云う迄もない︶を母体資本に加算して表わす所謂利付価値方式
t o v a l u e " f l a t "
とがある︒証券に分配される
利益は定められた支払日に急に生ずるものでなく日々に積まれて来たものであり︑従て或る支払日直後と支払日に
近い日とでは証券に与えられる︑つまり証券が抱いている利益は同じでない︒この点を取上げて証券を評価するな
らば︑利付価値方式の方が正確のように思われる︒けれども証券の抱いている利益はそのように月日の経過と共に
異るとしても︑一面から云えばそれらは支払日を知れば何人も判つていることで︑計算すればその大いさは正確に
擢み得るのである︒つまり利付とする方がより正確だと云うよりも︑馬鹿丁寧過ぎるとも云われるのだ︒結局︑.二
つの表現方式は何れも証券の価値を間違なく表わし得るわけで︑実は何れを用いても差支えはないのである
Cた ゞ
強いて云えば︑利付価値形式では母体の資本価値の変動が加算利益のため純粋に明瞭にせられない傾きがあり︑こ
の点裸価値形式の方が都合よしとせられるのだ︒吾々がこれ迄証券価値の大いさを裸価値の形式で取上げて来たの
はこれに従ったわけである︒
弦で一寸断つて置かねばならないのは︑上に述べたことは証券の価値に関し︑価格には必ずしも通用しないこと
である︒即ち︑公社債にありては︑支払利子は確定しているがゆえ価値の場合と同様︑利付価格と並んで裸価格も
用いられ︵裸価格の場合別に経過利子額を授受すること勿論である︶︑母体資本の価格の推移がより明瞭になるの
で寧ろ都合よしとせられるくらいであるが︑株式にありては︑売手買手によりて適正配当に対する認識が一致せず
探︑証券価値は裸価値︑利付価値何れの方式にて表現するも本来正当であるが裸価値の方が母体資本価値の推移
を明瞭にするということが︑今公社債に最も当てはまること贅言を要しないとして︑公社債にありても利付価値方
公 社 債 価 値
一 四
公 社 債 価 値
貸借資本は短期間が希望せられる一方︑
一 五
割引発行
I器
ue o f Bo nd at D i s c o u n t
と は
式を用いねばならぬ場合もあるのだ︒それは複利債
Qmp ou nd n t I e r e s t B on ds
の 場
合 で
あ る
︒
複利債とは普通
の社債に行われる一年中の一定期日に利子を支払うことをなさず︑或る期間︑例えば一年︑半年或は三カ月毎に利
子を元本に組入れ償還期日に元利合計を支払うものである︒即ち此種の複利債にありては利子も次の時期には元本
と同様に利子を生むのであるから︑ これを元本に入れる方が利便となるわけである︒併し複利債に利付価値方式を
とるべしとされる事情は更にあるのだ︒既に知れる如く︑裸価値の方式がよしとされたのは︑経過利益が確定して
いるときは母体の資本価値の推移をはつきりさすからであった︒而して複利債の場合でも経過利子は︑計算は複雑
であるが︑確定しないものでないのである︒即ちこの方向からは母体資本価値の推移をはつきりさすべく裸価値の
方式を用いてよいようであるのだ︒けれども複利債の場合母体資本価値の変動となったとき︑最初の元本分のみな
らず元本繰入れとされた利子分も変動するのであり︑それらをはつきりさすために利付価値方式をとるが好都合と
な る の で あ る ︒
複利債にも普通発行形式のもののほか割引発行形式のものがある︒
一定の利率と期間で元利合計が一定の纏まった金額となるのをその元本額で発行するやり方である︒
一日分の利子でも相当額となるので所謂勘定高く︑利子を一日につきいく
らという日歩を以て定められんとするのであるが︑同時に複利とせられ又割引発行とせられるのである︒之等の複
利割引債となれば︑上記利付価値表現方式の採用は愈々必要とならざるを得ないのだ︒
以上︑公社債価値の表現形式に就いて述べて来たが︑終りに︑前段の価値大いさ論で触れなかった事態︑即ち利
付公社債の価値計算の一例を挙げて置こう︒
論 ︵ 今 西 ︶ 一 般 に 大 口 の
10 8. 16
x
12 4. 38
ー
10 8. 16
1 1
16.
22
P] 12
4. 38
ー
14 .1 3
1 1
11 0. 25 P3併しこの種の利付社債の現在牧益価値は右の計算方法によらずとももっと簡便な算出法が可能である︒
償還期日の元利合計額即ち償還価額は
l O O x
( 1
+
0.
0 4)6
1 1
12 6.
53
P3
一 年
経 過
︑
結 局
︑
つまりあと二年の今日︑格相当利率は八パーセントから七︒ハーセントとなったのであるから︑半期
0.
︱1 0
・
ニ五円の大いさとなるわけである︒ これの現在価値分を減じなくてはならぬ
1 1
14. 13
P3
16 .2 2 (1+
0. 03 5) 4
これは償還のないとしての価値なるがゆえ
(1+
0. 04 )4 ,, 1 (1+
0. 03 5) 4‑ 1
1 1
124
. 3
8P J
0 .
16 98 6
0 .
14 75 2
1 1
1 08 .1 6x 而してこの時︑格相当の利率年七パーセントとなったがゆえ
例
l O O X
率 で あ っ た が ︑
当初額面一
00
円の現在の牧益価値は︑
(1+
0. 04 )2
"
"
10 8. 16 P: l
一年経過後の元利合計 一年経過後格相当の利率が年七︒ハーセントとなった︒ 論 ︵ 今 西 ︶
甲会社は年八パーセント︑半力年複利︑償還期限三カ年の社債を出した︒この年八パーセントは格相当の利 公
社 債 価 値
一 六
公 社 債 価 値
市場性価値の大いさ
0三五の複利による右の価額の現在価値が現在の牧益価値となるわけである︒
12 6. 53
1 1 1 1
11 0. 26 P3 12 6. 53 ( 1 +
0
. 0
35 )4
1 .
14 75
勿論前の計算法によると同一結果となっている︒
一 七
複利割引債の牧益価値の計算には右の第一の方法が至難である反面︑後者の方法によれば極めて簡単に算出出来
るところである︒
︵ 三 ︶
吾々は公社債価値特質論に於て︑公社債にも市場性価値があるがその大いさは株式などに比べ遥かに小であるこ
とを知つている︒而してその理由は︑公社債にも市場性はあり︑銘柄によって大小があるが︑
あるからであった︒然らば公社債のその市場性を規定するものは何であろうか︒今価値大いさ論としてはこ 4
か ら
出発すべきこととなる︒ 一般に極めて微少で
公社債の市場性の大いさを規定するファクターとしては︑当該証券の分散度︑馴染まれている程度︑人気度等が
挙げられる︒株式の市場性の場合具体的市場を有つや否やがファクター︑否第一のファクターとして挙げられてい
る︒従て今公社債の場合これを挙げなくてもよいのかと考えられるところであるが︑それでよいのだ︒
一般に市場性大で具体的市場のつくられること容易であり︑具体的市場を有つ銘柄にても尚その上に市場性の大小
があるというふうである︒併し公社債にありては市場性が稀薄で具体的市場を有つに至るのは容易でなく︑謂わば具
体的市場を有つ線以下での市場性の大小となる︒これ特に具体的市場を有つや否やをファクターとしない事情であ
論︵今西︶
一 体
︑ 株
式 は
756
斯る変動は主として資金需給︑ る︒按︑分散度であるが︑ 論︵今酉︶
一部の人は︑市場性という中 これはどの範囲の人々に所有せられているかその所有者の数である︒当該証券の発行高
が多いときは分散度が増す傾向にあるが︑公社債にありては一人で大口に所有する場合もあるので︑数量の多いこ
とと分散度とは並行するものでない︒従て株式の市場性に於ける如く数量は分散度と並ぷ地位にあらず︑分散度の
内部的事項となっているに過ぎない︒次に馴染まれている度合であるが︑これが何故市場性に響くかと云えば︑新
ている度合は発行会社歴史の新旧︑ 規発行のときは多くの人に応募され易く︑既発行については買手が起り易くなるからである︒而してこの馴染まれ
・リレーションズの行届いている程度︑当該公共団体︑会社が過去
︒ ハ ブ リ ッ ク
に公社債を出している回数等によって定まる︒次に人気度とはもてはやされる程度のことであるが︑
のファクターとなるのは勿論売買の促される度合に響くからである︒人気度を最も左右するものは相場の程よい変
動 で
あ り
︑
延いて金利の変化によるが︵これは凡ての公社債に共通することであ
り︶︑今各証券そのものの性状に就いて云えば償還期限の長い往どその可能性に富む︒
には売買市場性の仕か金融の担保にとられる担保市場性が含まれており︑この担保には償還期限の短いもの仕ど歓
迎せられ︑従て償還期限の長いほど人気度を高め市場性を大にすると云うのは矛盾すると考えるかも知れない︒併
し担保物として償還期限の短いもの仕ど喜ばれると云つても︑それは一年乃至一年半以内に限られ二年以上となれ
ばその性格は殆どなくなること︑然もそれら一年前後の償還期限となったものは実質的には最早資本証券たる証券
でなく一種の通貨証券︵手形の如きもの︶となっていることを知らねばならないと思うのである︒ これが市場性
公社債の市場性は以上のファクターできまるとして︑出来上る市場性は株式侭どに千差万別とはならない︒従て
それらは普通︑普通以上︑普通以下の三種ぐらいに纏めても不正確でない︒而して証券の市場性価値は︑株式︑公社
公 社 債 価 値
一 八
公 社 債 価 値
一 九
債夫々に於て市場性が平均的で普通のものは当り前として生ぜず︑それ以上︑以下なるに於て生じ︑以下のものは
マイナスの価値となるところである︒このことは証券の市場価値本質論に述べられている筈だと思うので︑弦には
最早論じない︒勿論公社債の場合も同様である︒つまり市場性普通の公社債には市場性価値はなく︑普通以上の公
而してそのプラス︑ 社債にはプラスの価値︑普通以下の公社債にはマイナスの価値を齋すのである︒
マイナスの市場性価値であるが︑他の証券に於けると同様︑それは価値の中心たる牧益価値を
拡大︑縮少する形にて生ずる
dこの事は同じ程度の市場性を有つ公社債にて牧益価値の異るいくつかの銘柄につき
実証研究︵価格が価値通りになるという前提の下に︑ そのようになっていると思われる銘柄を選んでやるの外なし︶
をなすによって明かにされる︒但し公社債の市場性は上記の如く普通程度のものを中心として上下大したものとな
らないので︑市場性のよいものでも一
・0 1
と か
一
・0
0
五︑悪いものでも
0・ 九
九 と
か
0
・九九五というように
牧益価値を拡大或は縮少する率即ち市場性価値は小とならざるを得ないのだ︒勿論之等の数字はその国その社会の
その時の実際界が与えるところで理論的に定められない︒従て実証研究を併用し C 把握するより外にない︒
公社債市場性価値の大さ論として是非批判しなければならないのは︑公社債にありては市場性価値を特別に取上
げる必要なしという見解である︒これは市場性価値の存在を否定するものでないが︑牧益価値と共に取上げ得るし
に於ける格相当
. 蓋 国 官 蓋
x
述
E曲 塩
j
拇
. 苓
益 服
.
0 泄
j被 又共に取上げるに如かずという説である︒そのやり方は公社債の牧益価値の公式
の利率の決定に当該公共団体︑会社の経済的実力の仕か市場性をも取入れるのである︒確にこのやり方でも牧益価値
の大いさが市場性によって幾分大或は小とせられたと同様となり︑然もそれが牧益価値と複合したものが端的に得
られることとなり︑極めて合理的のようだ︒けれどもこのやり方に於ては又牧益価値と市場性価値とがはつきり区
論︵今酉︶
( 1 )
認識に立つものに外ならない︒ 別されず︑特に牧益価値の正確な大いさが明確にされない鋏点を有つ︒従て便宜的な場合は兎も角︑純理的には両
転 換 社 債 の
社債は普通の一般社債と転換社債
C o n v e r t i l i l e
B o
n d
とに二大別され︑ 後者の価値は一般のものと幾分異った
プリンシプルで与えられること周知のところと思う︒従て一般社債の価値論を終えた以上︑転換社債の価値に入ら
ねばならないが︑その前に転換社債の性質に就いて述ぺなければならない︒勿論こ 4 では価値論の前提として必要
なる知識としてゞあるがゆえ︑その概要に止められる︒
転換社債とは︑社債権者の一方的な選択により︑発行のときに定められた条付の下に︑発行会社又はその関係会
社の株式に転換し得る社債である︒転換社債の概念は転換される証券の種類︑
( 1 )
が︑私は︑発行会社の株式に限らず傘下会社の株式をも含め︑社債でなければよいという見解をとるものである︒こ
れは︑転換社債は社債の確定性と株式の投機的乍らより大きい利益を牧め得る性質の二つを具備するものとの根本
S .
S .
H u e b n e r , h T e S t o c k M a r k e t , 1 9 3 4 . P . P .
2 8 6
ー2 8 8 .
転換社債にありては︑所有者は普通の社債権者と同じように確定した利子を受け︑株主に優先して弁済を受け得
ると共に︑会社事業の好転した場合など有利とみられるときは株式に転換し多き株式配当を受け︑或は高値に売却
︵ 一
︶
転 換 社 債 の 特 性
価 値
者別々に算出する方法を守るべしとされるのである︒
公 社 債 価 値 論
︵ 今 西
︶
範囲により広狭種々に規定きれる 二
0公 社 債 価 値
まで制限なく認めるもの︑発行日から一定期間内︑ 社業績の冴えないときインフレ気構えのときなどーーにも社債発行を行い得︑又直ちに増資困難な場合にも初め社 債から出発して資金調達を可能とするのである︒アメリカなどでは転換社債は寧ろ長期︑巨額の資金を調達する目 的に利用されている︒尤も転換社債には所有者︑発行者双方に不利益を齋す点がないでもない︒先ず所有者にとり ては会社牧益が上昇せず折角の転換権も何等意味がなかったこと 4 なることあり︑牧益が漸く好転し株式に転換し
ても株数増加などのため下落して利益とならぬことがある︒会社にとりては転換が行われたため債務が減少し自己
資本が増加して経理が健全化するというよりも寧ろ自己資本の圧迫を来し︑牧益率の低下に困ることがある︒又好
況時に転換が行われるときはプレミアム附増資の利益を喪うこととなるわけである︒尚︑会社そのものでないが︑
旧株主としても会社株数の増加に牧益の伴わぬところから配当低下と株価下落の不利を蒙ることがある︒
右は転換社債の得失︑性格の概要に過ぎないが︑弦ではそれで充分だと思う︒それよりも述べて置かねばならな
いのは︑転換社債の︑否その転換権の具体的内容である︒これにより転換社債は色々に種別せられるところである︒
先ず被転換証券であるが︑これは︑冒頭にも一言した如く発行会社又は傘下会社の株式であるとして︑その株式は優
先株︑普通株の何れたるを問わない︒而して優先株︑普通株の何れか一種のときと双方を混えるときとがある︒次に
転換の比率であるが︑我国の証券を例として社債額面一
00
円につき五
0円 全 額 払 込 普 通 株 一 . 一 株 と い う よ う な パ ー
の場合が多い︒併しアメリカなどではパー以下も認められている︒尚︑額面五
0円全額払込普通株一株につき社債
額面五
0円というような表わし方をする例もある︵転換価格という︶次に転換期間であるが︑発行日から償還期日
論 ︵
今 西
︶
して利益を牧めることが出来るわけである︒
一定期間据置後一定期間内︑ 一定期間据置後償還期日までの四 一方︑発行会社は之を利用し︑普通ならば社債発行困難な場合ー会
760
種がある︒勿論社債権者にとりては制限のないのが最も都合がよいが︑発行会社や株主の都合から制限のつけられ
る方が多い︒尚︑転換期間中と雖も何日でも請求が認められず︑配当︑利子の支払を簡単にするため期間内の一定
の日︑例えば営業年度末︑利子支払日に限る例が多い︒我国でも営業年度末とすべきことを法律で定めている︒
我国に於ける転換社債は終戦後一部の事業会社や百貨店会社によって発行せられた程度で^
期に入っている時期に於ける価値とに分ち取上げねばならない︒先ず前者から論究する︒ アメリカに比べては
比較にならぬほどである︒殆ど終戦後発行せられたのでインフレに対応した社債発行という見方もあるが︑実際は
急速な増資を不利とする会社の都合によったものであった︒このことは︑それらの殆ど凡てが償還期限三年ぐらい
の短期のもので︑被転換証券は発行会社の普通株に限られ︑然も発行に当り旧株主に株式数に応じ優先応募を認め
転換社債の価値に就いては︑未だ据置き中で転換権行使期に至らない時期に於ける価値と転換期即ち転換権行使
転換社債も社債である以上︑社債としての価値を持たざるを得ない︒その大いさは一般社債の牧益価値大いさ論
に於で述べた如くにして定まる︒併しこの価値は転換社債としては本決まりとならないのだ︒つまりそれがそのま
4 現実的となる場合もあるが又現実に生きない場合もあるのだ︒而して之を決するものは︑当該社債が転換圏内に
入っていないか入っているかである︒即ち入っていなければ右の社債価値がそのまま当該転換社債の価値として生
きるのに対し︑入っているときは右の価値は通用せず違った価値を有つに至るのである︒
( 1
1 )
転 換 社 債 の 価 値
た等の事実から指摘出来るところである︒
公 社 債 価 値 論
︵ 今 西
︶
公 社 債 価 値
然らば転換社債が転換圏内に入っているか否かは如何にして決まるのであろうか︒これは右の社債価値と転換に
よって得られる株式の時価額即ち転換によって得られる株式数と一株当り時価︵時価そのままでなく︑今期の予想
配当による経過配当額を控除したものが正確である︶との積とを比較し︑後者が一定額以上多いときは転換圏内に
入っており︑然らざれば圏内に入っていないのである︒或は比較の一方の株式の方に価格を用いたことに対し︑価
値論に価格を持出すのは理論的でないと考える者があるかも知れない︒併し今の処未だ価値の大いさに触れておら
ず︑唯その前提たる転換が行われるや否やを問題にしているのであり︑然もこの転換するや否やは株式の価格の大
いさによって決められるのである︒最も注意すべきは︑株式の価格が転換社債の社債価値と等価であっては転換す
る と
せ ら
れ ず
︑
一定額以上大でなければならない点である︒これは等価程度の価格では少し下落すれば転換出来な
くなり︑転換が確実視されないからである︒然らばどの位等価から大なる価格でなければならないかであるが︑国
により又当該会社株式の情勢により︑更に転換期までの時期の長短による︒これを我国に就いて云えば︑据置期間
一カ年前後として一株当り一
0円ぐらいのところである︒要言すれば︑我国を例として︑転換によって得られる株
式価格が等価計算の価格より一
0円以上高いか否かにより転換圏内にありや否やがきまるとなるのである︒
右の方法により転換社債が転換圏内にありとなった場合︑初めにも述べた如くその価値は社債としての価値と別
な大いさを有つに至るのであるが︑その大いさは如何になるであろうか︒先ず考えられるのは︑株式の時価︵経過配
当額を控除する︶に転換によって得られる株式数を乗じた大いさである︒処で︑これに対しては︑株式の価格を取上
げるのは転換した株式を売却する前提に立ったものである︑株式に転換した後もそれを持続する人のあることをも
考えねばならぬ︑之等の人にとりては転換された株式の価値が問題となり転換社債の価値としては恰もそれらの株
論︵今酉︶
ニ ︱
11
.
762
例
論︵今西︶ 債
式の価値が乗り移った形となる筈である︑との意見が提出せられるのである︒而してこの意見に対しては又株式を
売却する考の者があり価格こそ問題となるところだとの反駁がなされる︒素より株式の価格と価値の価額が等しけ
れば何れにてもよいわけであるが︑多くの場合両者は︑例えば価値が七
0円であるのに価格が六
0円 で
あ っ
た り
︑
価値が六
0円であるのに価格が七
0円であったりするように︑
であろうか︒これは当該株式の時価が価値より大なるときは価格を︑又価値が価格より大なるときは価値を取上げ
るところである︒蓋し価格が価値より大なるときは転換社債を転換して得る株式を売却するのが常道であり︑又価
格が価値より小なるときは転換して得る株式を所有するが常道であるからである︵株式の価値が六
0円であるのに
価格が五
0円というときは勿論転換されない︒転換社債はそのま 4 債還をうけ株式は別に購入せられるからであ
る︶︒尤も株式の価値の計算は相当厄介な仕事で︑それが価格より大であるか小であるかの判定は大衆投資者には
六カしく︑延いて売却すべきに持続とし持続すべきに売却とするということが行われ︑結局転換社債の価格は価値
通りに定まらない傾向にある︒併しこれは転換社債の価格の話であり︑価値としては本来上記の如くに定まるので
ある︒但し転換社債の価値は右の如くより大なる転換株式の価格又は価値が基となって定まるといつても︑それに
転換によって得られる株式数を乗じたものが直ちに求める大いさでないことを知らねばならない︒蓋し未だ据置期
間中で転換は直ぐに行われ得ないのであり︑転換期まで或る期間を待たねばならないが︑このため現在転換した場
合に比べ株式の配当と転換社債の利子の差額だけ利益をうけること少くなり︑この額を控除しなければならないか
ら で
あ る
或る会社の転換社債は利率年一
0パーセントにて額面一 ︒
00
円につき普通株五
0円払込二株の割合で転換出
公 社
価 値
一致しないものである︒然らば何れを取入れるもの
ニ 四
公 社 債 価 値
( 1 )
I b i d .
, P . P
2 9 6
ー.
2 9 8 .
一 三
五 円
で あ
る ︒
以上述べ来ったところは︑転換社債の未だ転換期に入っていない時期に於ける価値である︒従て︑既に転換権行
使期に入っている場合の価値論が残っているわけである︒
この場合は被転換証券たる株式の価格が高いときは直ぐに転換が行われる一方︑安いときは転換が行われずその
で あ
る が
︑
ま 4 持統される︒勿論後者のときは社債としての価値を有つところだ︒而してその転換と不転換を境する株式価格
勿論転換期前の転換圏内にありや否やを決する価格とは同一でない︒
によって得られる株式数で除した大いさとなすのは正当でない︒
C o n v e r s i o n E q u i v a l e n
t
となしているが︑.境界価格は実際は夫々の国の投資知識︑投資行動のレペルによるところ
である︒例えば転換社債額面一
00
円が五
0円払込株式二株に転換というとき︑我国などでは五五円ぐらいでない
と転換は行われない︒蓋しその程度以下の価格では︑何時価格が下落して売却差益が解消するかも知れず︑又転換
株式を持続するにしても社債を出して獲得する仕どの価格でないとされるからである︒
転換によって得られる株式の価格が境界価格以上となれば勿論転換の手続がとられ︑
すに至る︒従て転換社債の価値ということもなくなる筈である︒たゞその転換手続中に於ける社債の価値は考えら
70X2
11
14 0P 3
論 ︵ 今 西 ︶
50X0.15X2‑1911
P 5
:I
価格六五円とするとき︑転換社債の価値は
二 五
やがて転換社債は姿を消
来るとし転換期まであと一カ年残っているとする︒その株式の配当年一五パーセント︑現在の価値七
0円 ︑
140ー5"u1
35
11
3