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静岡市付近災害年表 : その3

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静岡市付近災害年表 : その3

著者 長島 昭

雑誌名 静岡地学

37

ページ 23‑42

発行年 1978‑06‑25

出版者 静岡県地学会

URL http://doi.org/10.14945/00025628

(2)

静 岡 地 学 37号 (1978 ) 23 42 

開 その 3

麿

?'5' 

1900  7 8 明治33

8 820

‑21 927

28

台風が午後九州を横断し,四国欝岸紀伊半島陪端をかすめて遠州灘に入り,謄総沖に去った。

浜松で216mmの菱雨があった。磐田郡を中心に水害で床上浸水368,床下浸水684をだす。(静気誌〉

本 月 中 暴 甑 雨 多 く , 安 倍 川 出 水 し て 賎 機 村 内 堤 防 将 に 決 壊 せ ん と す 。 ( 静 関 市 史 〉 台風は8月訪日豊後水道を北上し,宮本海中部をへて沿海州方面に去った。 17日から20 にかけて大雨が降り,伊豆,東部,中部地方で200250mmに達し,自糸で325慨を測った。安倍)11出 水 , 賎 機 村 の 堤 防 は 一 時 決 壊 寸 前 の 状 態 と な っ た 。 ( 静 気 誌 〉 台風は26日沖縄をおそい 288時ごろ紀伊半島南曜をかすめ,大正崎をへて, 630 ころ浜松付近より上臨し,金曜山沖に去った。浜絵地方は28日4ζろから暴嵐雨となり,最大風速は 長持品SW45.0t,浜松SE25.2再 会 を 観 測 し た 。 ( 静 気 誌 )

28日 暴 風 雨 に て 招 魂 社 む 拝 殿 全 潰 す 。 ( 静 関 市 史 〉 227日午後5時より翌28臼午後3時までは暴風前と激浪があった。これにより家屋全潰4 8戸,大破19戸 の 被 害 を み た 。 ( 焼 津 市 誌 ) 9月初日暴風雨あり。居宅全潰せしものm戸,半潰せしもの26戸,其の他農作物の被害少からず。

(青島吋誌〉

92813暴風雨激烈,都内被害全潰315戸,半議349戸,大破532戸,稲作被害平均2割に及ぶ。

(藤枝市史) 伊豆・遠江の

(静気誌〉

(島田市史) (島田町誌) 928

1110I(地穣〕 緩諒伊豆沖35oN, 139 ,挺6.7, 強緩部は伊豆・

2時55 i海岸地で時計止まる。

12 jj  7Ir火災3 島田町扇町より出火し,扇町・帯封・柳町155戸を:能くO

明治34

423 3 10分 63013 

" ,78

12月 初 日 1902 

明治3 I5 5

6 62313  7 8 8 7

" ,8

9 s

7

6

明治36 l月16

7 113 

2 7 8

したため,静岡県は6月初日 ‑7月 8日にかけて大雨が降り,雨 量は大河内で317tmに迭した。安諮JI/出水のため,安西外新自の静岡市転染病院は浸水した。(静気誌〉

本月中暴風雨多く,安能)1/出水にて安西外新聞に在りし本市怯染病院は浸水し,将に床上に及ばんとす。

(静関市史〉

12月初日践機村(現静冊子有)牛蜜に大火ありo 21戸 焼 失 。 ( 安 倍 郡 誌 〉 全 国 桑 揚 凍 害 激 甚 切5地JII‑41'Cの 呂 本 記 録 で る 。 ( 気 象 災 害 年 表 〉 低気圧は東支那海から北京に進み 55日自本海を通過した。 5日から613にかけて雨と なり,大淀内 186mm,井JI/171 mmに 達 し た 。 ( 静 気 誌 )

大雨のため谷)1/の水で賎機中小学校地護岸がこわれ,床下に浸水した。(賎中風土記〉

78日 , 大 井 川 堤 坊 決 壊 , 南 部 流 域 に 被 害 あ り 藤 枝 市 史 ) 低気圧によって87"813にかけて静間県中部以東で大雨,伊東で日雨量348慨,各所 で出水,大井川の横須質街道の大井川檎,谷

崩 壊 し て 不 通 。 ( 静 気 誌 )

§月 5日,この臼は晴天であったが9 にわかに激浪が起り,堤塘を打ち越え刻一刻と険悪の 状を議したので,沿岸の住民は終日防欝に努めて夜を殺した。翌7日もさ雲天となったが激浪はなお止ま ず,遂に堤塘の決讃4カ所 50間に及び,住家全潰7戸,半壊23戸,破損18戸,床上浸水108戸,床 下浸水270戸の被害を受けた。当日午後になって激浪は漸く平静に向ったo 焼津市誌〉

低気圧は6呂午後朝鮮海峡より日本海に入り,本州北部をへて,三控沖に去った。駿持湾北 部は16時ごろより階の愚が強まり,最大恩速は沼誇でSSW23.7m / s で あ っ た 。 ( 静 気 誌 )

島田溺時の劇場末広藤より出火し大津小路まで延燐す。

震源相模灘35oN, 139 oE, 6.5,  4分にわたる。箆震直

〈気象災害年表) 東北の強風にたちまち梅岸通りの両側に延焼し て,向日午後5時,鰯カ島南端に至って漸く鎮火,この火災によって域之腰 140戸〈内半燐4戸 ),鰯 カ島民家327戸(内半焼 10λ外に郵便電信局1,寺院 l500戸近い家鹿が焼失した。(焼津市誌〉

静岡県は71日未明より2日朝にかけて豪雨となり,伊意地方や西部の山間部では300n

以上に達したo 静気誌、)

7l日以来,梅雨前線が本州中部に停滞し,静間県は7告から8自にかけて再び大雨が持 り,天竜川流域では300.......400tmの 豪 雨 と な っ た 。 ( 静 気 誌 )

‑23‑

(3)

1904 

7g日,大認のた諮問墜沼番堤がこわされ,自溜が流された。 7}j 10 B乗越境が大関のため危険に な っ た の で 村 民 が こ れ を 防 い だ 。 ( 銭 中 風 土 記 〉 923I[気象〕 合成は沖縄寵方議上を北東に進み 923日11時ごろ遠州議よりよ醸し,浜松市の西を通 過した。静関燥は暴風関となり,最大産主連拭浜松E32.31予言,長誇呂S W32.2ffi/sであった。(静気誌〉

明 治37 I[気象〕 革審 〈藤枝市史〉

l月 3日I[火災] 1}j3B午後930分,露校図工鬼岩寺より出火,木町,Ij¥寂,上法馬の各区に延携し,全競 262戸,半壊5戸,合許267戸災厄に罷るo 忠太君E誌〉

121日I[ 火 災 ] 月 21日脅島三軒患に出火 20?焼失o 藤枝市史〉

午前2時半頃青島三軒謹から出火,折柄の西患に嬢らし,東方に延縫い飛火はこ軒麗迄及ぶ。民家お 4戸 半 壊 , 出 三 合 資 会 社 の 倉 躍 も 金 規 。 ( 脅 島 町 誌 〉 7}j  9I[気象〕 台愚は9日夜瀬岬付近に上陸し,彦根をへて能登沖に去った。 78日から11日にかけて大

....;  12Ij菊が降り,安能}II,大井川,天竜}IIおよび,東部や伊豆地方では500.....700慨に達した。

各河)fIの水位は次の通りであるO

蓄 土 }II 岩 村 11 6時 約3m 安 倍 )11 長 田 10 18時 約3m 大 井 }II 大 長 10 18特 約5m 天 竜 J r I 揖 環 10 18特 約5m

安倍JII10日 の 大 認 で 薬 科 嬬 の 一 部 が 流 失 し た 。 ( 静 気 誌 〉

10日,あけぼの橋流失,道路決壊 (賎中風土記〉

10日 , 前 島 よ り の 大 雨 に て 薬 科 橋 の 一 部 墜 落 す 。 ( 静 岡 市 史 〉 }j '"'' 9 I[気象〕 静 間 , 近 畿 以 昭 子 ば っ 。 ( 気 象 災 害 年 表 〉 8 ,[気象1 安倍J11の出水にて第2番 水 門 及 び 堤 塘 磁 壊 さ る ( 静 岡 市 史 )

1905  6 7 8分,伊豆西8

( 静 気 誌 〉 し,対島海i挟より日本海高部を北東に進んだ。 7}j 18日から20日に かけて安信)I¥,大井川,天竜)11流域で雨量300慨 に 達 し た 。 ( 静 気 誌 〉 明治38 I1439

}j 18

‑20

8

1125

1906 

明治39 I223日 1849 224日 914 }j 13日

17日

明治40 14日 }j 18日

‑19日 8 7日 815

8}j 22日 '"''  25

暴風雨のため,井JII村関藤前大井)1/の南岸18丈 余 の 懸 巌 罷40関余崩壊し,一時大井川河 道を塞ぎ,出水を来し,人家2戸流失し 1戸半損ーとなれりO 此時I汚に於ける山崩にで人家l戸を理 没し, 7人 の 穆 死 者 を 出 せ り 。 ( 井)11村誌〉

〔火災〕 清水町字受新民より出火,折柄の強患にて焔る見る見る鍛え広がり,遂に港構を境に南関ま で境き払い,金協37戸,半競2戸,物置19棟を境失,午前320分鎮火せりo 静碍民友新聞〉

1125B,措水受薪自の内,通称濃町構劉東端より出火,檎失戸数37o 安倍郡誌〉

(気象災害年表) 駿河東 2分,弱震部は駿河西

( 静 気 誌 〉 駿河東4分,弱震部は駿河西

〔気象〕 本州に停滞していた構雨前線は13日活発となり,静開県東部から中部にかけて大雨を降らせ 3671,井JII361械 の 日 雨 量 を 観 樹 し た 。 ( 静 気 誌 )

〔気象〕 台患は18日午後足摺障に上陸し,山口県をへて華北に向った。静関県は18日から 19Bに かけて1001邸 側 の 降 悶 が あ っ た 。 ( 静 気 誌 〉

大雨のため,谷)11堤拐がこわされた。(824日にも被害がでた。) (践中風土記〉

〔気象〕 台嵐は815日朝,紀伊半島沖に接近し,同夜名古屋と津の簡を通過して福井付近より日本 海に去った。

浜松地方は15日昼すぎより暴思雨となり,最大風速29.6ffi/言 に 達 し た 。 ( 静 気 誌 )

〔気象〕 鴎大東島付近を北上した台風は824から26日にかけて潮崎の繭禅上で停滞;し消誠した。

また別の台風は小笠原諸島の璃海上を北詰進し 24臼朝八丈島の南に接近し, 25日は北東方菌に去っ 22日から26Bにかけて大罵が降り,ことに伊豆天城山付近で局所的な豪隅となり,湯ケ島では23 日から25日の3B聞の雨量は913慨に遣したD

安倍郡福ケ島村字藤代では山くずれにより,一部落ほとんど埋没し,死者および儲壊家罷を出し,大き な被害をだした。安倍郡の被害,死者15人,流失破壊20戸,床上浸水50戸,捕流失 1,堤防決壊31

(

大井川出水甚だしく,鉄構破誤し,汽車11日 関 不 遇 。 ( 藤 枝 市 史 ) 24自 , 賎 機 中 小 学 校 前 堤 決 壊 し , あ け ほ の 構 流 失 。 ( 践 中 嵐 土 記 〉 25日午前7時頃,梅ケ島藤代地内字詰向山と称する山岳鍛然崩壊し,山麓の民家4戸埋没し 2戸半 壊となり,望月為吉外23名の穆死者を出せりo 梅ケ島村誌〉

‑24‑

(4)

1908  622臼11気象3 台愚は6J.j 23自足摺締付近に接近して紀伊半島に上陸,静開県北部を通過し,麗島灘 iこ去 明治41年'"'‑'23 8 Iった。台愚の中心が伊勢湾付近に達したころより,天候が険悪になり,夕刻にかけて関西の嵐が強まり

S 23.4叫急であった。雨量は出番で 170mm,その他は50" ,150 mmであった。

( 静 気 誌 ) 7158[気象〕 低気圧が瀬戸内海から本州中部を通通し,静間際は風雨が強まった。とくに富士郡は, J.j 

'" 16臼│訪日未明から憂悶となり.富士宮では13時までに114慨を観測し,雨量は225慨に達した。

( 静 気 誌 〉 J.j  6I[銭象〕 台風は8J.j 7自午後土佐沖を通り,紀傍半島瑞部に上陸,名古屋付近をへて8日午前2時ど

" ,8日1.ろ佐渡島付近に去った。 78夕刻より暴風間となり,長津自は最大嵐速S32.9吟もを観測した。 爵量

は大井川上流から天竜)11流域にかけて400" ,60011nに達し,天竜)11は増水約4m,大井)11.富士川は約 2mに 達 し た 。 静 関 ・ 清 水 で は 多 数 の 龍 柱 が 樹 れ 列 車 の 進 行 を 妨 げ た 。 ( 静 気 誌 ) 811日I(気象] s.I  11日'"12日 , 前 線 の 活 動 に よ り 大 雨 , 瀬 戸 J ! I 金 吹 橋 流 失 。 ( 間 部 町 史 〉

'" 12日i小笠原高気圧が発達して,関東,東梅地方は気圧{頃度が大きくなった。 8J.j 11日午後から雨が強まり 沼津では18特から 19時までの1時間に43棚の議謂があった。 雨量は徳山350慨,白糸307慨,大河 299mm,出津21111nに達し,狩野)11,富士川,安倍JII,薬科)11は約3m,大井JII,天竜)112m増水 した。安倍JIIの安西揺は約55mに わ た っ て 破 壊 流 失 し た 。 ( 静 気 誌 〉 12自瀬芦)Il金吹橋流失,交通杜絶,各地に被害(大関)0 藤枝市史) 911I[気象〕 台風は9J.j 8自沖縄の荷方海上に達し,北東に転向して12日夜,八丈島村近を通過した。

'"''  12臼i駿河湾一帯は11日から 12日にかけて大設が打ち寄せ,長津呂は最大風速NE29.8吟主を観測した。

( 静 気 誌 〉 930 I[気象] 9月298四閣の南禅上に発生した低気在は遠州灘よりよ躍し,駿河湾に竜巻が発生し,安借

郡不二見村駒越の搭岸に襲来した。駒越の海岸につないであった漁船12獲をまきあげ12名が重軽傷を 負ったO竜巻は更に同郡三保村折戸をおそい13戸を破壊し,麗摂瓦を吹きとばし,被害は多かったが,

その関わずか2....3分 に 過 ぎ な か っ た 。 ( 静 気 誌 )

〔火災] 12月 四 日 午 後1040分頃江尻町(現清水市〉劇場富士見麗より出火,全焼21戸,半焼5 戸,物置10, 半 鑓 坊 堂 宇 し 稲 荷 神 社1を憐失し,同 1130分 鎮 火 し た 。 ( 静 岡 新 報 〉

〔地震〕 震諜申斐中部35.6oN, 1.80E6.2,強援部は駿却の大部分にわたり,伊豆ー遠江で

は弱緩を感じた。震度N溶 律 。 ( 静 気 誌 〉

917 '" 18 10月 288 11228 217 12 8

12

12 J.j 19日 1228臼 178 1909  l月 8臼 明治42

1月 訪 日 1657 813 22時鈎分 J.j  24日 4 7 4148

....  15 516臼

915臼午後,小笠原諸島南方海上に現われた台風は北北西に還さみ, 17日夜遠州灘に達し,

進路を北東に転じて伊豆帯端をかすめて18日夜東京湾をへて金華山沖に抜けた.17日から18日にかけ て伊豆地方や中部・西部の沿岸で大関が降り河域で白雨量373慨 を 観 測 し た 。 ( 静 気 誌 〉

〔火災〕 江尻(現清水甫)失火, f云馬町50戸 延 焼 。 ( 静 簡 保 賂 原 郡 誌 〉 35.8 oN, 139.8 oE, 6.7 , 強震部は伊豆の一部,弱震部は伊豆駿河遠江

にわたるO震度m, 沼 津 。 ( 静 気 誌 )

〔火災1 12s呂午後925分頃,島田市向島小字ニ軒撞から出火し,此の火災は災害極めて軽徴 であったけれども,嬰するに特筆大番すべき消防組の韓大な功績であった。(四ケ町村郷土史資料〉

島 問 印 島 ニ 軒 麗 か ら 出 火 , 捺 失 数 戸 。 ( 島 田 市 史 ) ζ火災〕 江尻紺屋町失火し, 30戸 延 棟 。 ( 静 岡 県 建 原 郡 誌 〉

〔火災] 18臼,島田町宮小銘理髪活から出火,関所は大井神社に北隣して比較的静かな場所であ ったが当夜酉の風が非常 lこ烈しく,出火と同時に逸平く駆けつけた第 1消防組が活動に若手した慎は既 に笥部数戸へ延焼していた。斯くして居宅26繰,物量3棟を全焼するにき在ったO

(思ケ町村郷土史資料〉

震源伊豆大島南方沖34.8oN, 139.5 oE, 6.8, 伊R東海岸地方では強震を感じた。震度 ( 静 気 誌 〉 震源房総沖35.2oN, 141.oE, 8.2 ,強麓の誌域は伊豆駿持,弱震部は遠江にわたるO

震度V ( )

824日7時ごろ温暖前線が通過し,駿荷湾で突嵐が記り,沼津で最大愚速SSW15.41

を観測した。 ( 静 気 誌 )

47日7時ごろ混暖前総が通過し,駿河湾で甫闘の突風が起り,沼津でSW18.3円 台 を 観 測 し た 。 突 風 の た め 近 海 で 議 船 数 斐 が 遭 難 し た 。 ( 静 気 誌 〉

南北にのびる気圧の谷に伴って太平洋岸沿いに発達した抵気庄が通り,静関市から興津にか けてと,伊豆半島西部に140側内外の雨最があったO各持)11は増水し,一時交通の柱然した所があった が , 大 き い 被 害 は な か っ た 。 ( 静 気 誌 〉

した低気配が関東沖で急速に発達した。静関県は商劇場が強まり最大風速は沼 WNW泊 五 吟S'浜松14.6吟主を観測した。出方郡大瀬崎近付に出漁中の漁船60斐は不幸にもこの暴風 に遭遇し,約半数はかろうじて静浦および江ノ滞付近に譲着したが,その他は難破し,数名の負傷者を

( )

6 9日I(気象3 低気圧が本州を損既し,静隅県の梅岸地方では南東ないし南西の愚が10吟主をこえ,

静関,島田,浜松で 150""'160mmの爵量があった。

富士川,大井川,天竜)/1は水栓が2.4m""' 2.7 mに達し,所により堤防の破損,交通の一時途絶,低地の 浸 水 な ど が 起 っ た が 大 き な 被 害 は な か っ た 。 ( 静 気 誌 〉

Fh u 

(5)

7月 5自I[気象〕 梅南部線上に発達した抵気在が太平洋沿いに東進した。静間県は70mm""'100mm程度の降爵が あり,伊豆中部では120'"''130育 館 の 爵 量 に 達 し , 各 河 J f I は 増 水 し た 。 ( 静 気 誌 〉

8月 路 島 I[地欝〕 麓諒近江鯖}fI(江護地震), 35.5 oN, 136.3 oE, 7.4 , 近 年 に なL

18時30分!遠江の大部分で強震,伊立では弱震を感じた。麓援V沼捧,大河内,接塚, N伊東,理御殿場,護軍部椅

(

10 8I[気象〕 台風は沖縄東方海上を北東に進み,八丈島付近を通過した。駿汚湾沿岸はs12時ころから しだいに設が高まった。安能郡長田村用宗海岸の小鼓)fIは逆流を起し,広野水内心戸2枚(鱈約2.1m 高さ約3.6m)が破壊され,付近の水関200haに議水が侵入した。このうち80haは全没または韓首まで 達した。 L、ったん袋入した揚水は設のため小坂}IIの河口iこ作られた斡れきの堤にせきとめられ,減水に か な り の 時 間 を 嬰 し た 。 ( 静 気 誌 〉 1910  725 I[気象] 豪雨むため瀬戸JI¥本支読む出水甚だしく構梁盤落,流失道路の敏損,沼地の荒されたもの少

明治43年 な か ら ずo (稲葉村誌〉

間部町,朝比議)1¥も毘様にして金請を戸,半議2;:ゴ,死者1名,床上設水115戸,出燭流失埋没155

反歩を生じたりo (間部員T史〉

8 7 I[気象〕 合最は8月号呂田留萌方講上に達し, 11 B爵総沖に去った。 7日 か ら 訪 日 に か け て 関 が 降 '"''  10iりつづき 9日は諒雨量300慨を越す豪雨の既が多く 4自問に降った爵最は金谷854l11l770mm 御鍛場692mm,静関679r,浜桧669r,湯ケ島606mmに達した。河JIIは増水し,狩野)11の水位は関南 村近付で 101730分に7.8m,また混津では毘日 19特 に4.8mに達した。

て浸水し,流失家翠38芦,浸水家巌10511戸におよび大きな被害があった。 安能郡長田村付近も浸水 した家屋が多く,静関市では賎機山山腹の北東の一部が崩壊し,静関商業学校の寄宿舎が倒壊し,安倍 )11の堤前は2個所で決壊し,市内南西部一帯にはん離し,栄町・清水尻辺でも水深約1.2mに達した。

また安倍)11以西でも大きな被害があった。朝比奈川は葉梨村高田地内で、堤防約60mが決壊し,高田,中 上薮田は揚流に洗われ葉梨}I/と合して下薮田,時ケ谷,藤枝町,広播村など付近一帯は大海水と 化 し た 。 こ の 水 は 東 海 道 を 越 え て 間 設 津 村 , 競 津 町 に 流 入 し , 被 害 は 多 大 で あ っ た 。 ( 静 気 誌 〉

明治438月の水警の状況

降関数日,巴JIIの汚水溢れ,千代田村上ケ土方面は一帯に湖の如く変じ,家屋は濁水に浸され,深き は床上45尺に及び,伺れも其住家を棄て避難せしとLO其被害甚しかりさo 千代田村誌〉

洪水にて玉川村中沢堤防及結山前堤関何れも破壊せられて,金久保播亦半瑳落す。其他の荒れたるこ と 甚 し 。 ( 安 倍 郡 誌 〉 87B.....l15日間と13日の豪罰は誠に前代末路の大関最で, 7, 8, 98自陣の降雨量 のみでも瀬戸}I/流域地方では877ミリに達した。このため山腹の崩壊は郡下で1,200有余カ所, 首余町 山林は荒箆し,土砂の流失と濁水の氾濫によって付近の家麗人畜を没し,かっ耕地を流失し たばかりでなく,月中の底を高めて水量が露み, 89時には志太地先瀬戸}I/で水位15すを示しf

このため各処の播梁は流夫し,堤防は決議し,道路の決議,人家の流失,人畜の死傷相ついで起った。

就中瀬戸JI/上流青島村志太地先心境塘が決壊したため向掛から落下する濁水は騒然として襲来し,瞬時 にして田野を没し,橋裂を流失し,余勢をかつて鉄道綾路に沿ってー護線に本町に向って奔流し,とっ さの間に隷路上にみなぎり,午後2時には交通全く絶えて全町浸水しない家はなく,湖水と変じた。家 財家具が流失するもこれを~又拾するに由なく,婦女幼童は辛じて神社寺院または二階麗等に身を以て免 れる有様であった。水勢の最も猛烈を極めた焼津北尽民で避難に遅れ進退窮って盤上に留い上り,翌10

臼午前に変り漸く小舟で救助し,停車場に避難せしめたものが30余名の多きに達した。この救助に捺し て総体が転覆したため,焼津北の2名が溺死するなど穆筈と混雑は実に名状すべからざるものがあった。

当時沿岸町村の調査によると破堤311カ所,沿岸の決議延長5.190関,建物の被害3.195戸,死者30 に及んだ。島田競捧閣は全く濁流の海と変じ,交通杜絶の惨状を呈した。この惨状に念、拠出動せる消防 組は先ず新麗議岸浜地を関さくして排出口を作り,減水を国ると共に避難者の趨食運搬,町内の連絡に 小舟を操従して数百に捧り自覚しく活動した。全町潟水の知き洪水の把議は8月 9B午 後 3時遂に鰭ケ 諮問を被壊し,その奔流と共に数戸の家麗と60余隻の漁訟はたちまち海中に押

u奈 さ れ た が , 幸 い に も 人 畜 に は 死 傷 は な か っ た 燐 誇 市 誌 〉 8月 7臼より 11自に玉三る 5日間及び13Bにおける畿南のため,瀬戸川流域の山地崩壊を来たし吉来 稀なる惨害を愛らしめたり。其の山地崩壊の箇所及面績をあげれば下の如L‑o

東 益 津 村 82カ所 5万坪 葉 梨 村 42カ所 27 150 稲 葉 村 145カ所 179 10 瀬 戸 谷 村 630カ所 37 920

902カ所 627 180 (志太郡誌〉

朝 比 奈 川 堤 防 欠 壊 鈎m,間部町被害,家崖全壊12戸,半壊破壊 14戸 , 死 者1,床上浸水317戸,床 下浸水150戸 , 構 梁 流 失 ム 堤 関 破 壊53カ 所 (990関 ),道路流失破損 18カ所(πG間 ),田畑流失 埋没104皮,田知浸水190IBJ,宅地、浸水S町,宅地埋没流失 1反,山林雑地浸水埋没89反。

明治以後における最大規模の洪水害であったと云えるo8)j上侍にやってきた大聖台風は本邦のほぼ全 域にわたって豪雨を降らせ各地で大水害を生じた。静間県でも87日から13臼にわたって降水が連続

し,狩野}I/,安倍)1/でもはんらんしたO瀬戸JfI,朝比奈川流域においても,

FO   つ ム

(6)

1日葉梨村高田地先において詣流部の攻撃斜面にあたる右岸堤が約60mにわたって破堤した。洪水量 は濁流譲状をなし,高出,薮田,持カ谷を流下した。そして葉梨JIIのはんらん水と合流して五十海, 7.1< 

守に進み,最大浸水深は白面上3mに達し,耕地一帯は大湖水化した。この地域は東北は朝比奈JfI堤防,

騎西は山地,東甫は葉梨川堤防によってかこまれた盆地状のところで,そこにニつの河川の流出水によ って増水した水位は高くなり湖沼化したO葉 梨)11は曲流部の八播橋付近の左岸が欠壊,朝比奈川下流低 地を洗い流し,東講道線は4日間も交通社絶した。また,瀬戸JII自身も下流でダムアップしたため,は んらん水はノてックウォ}ターとなり,被諜はさらに大きくなった。朝比奈川と葉梨JIIはともに出水速度 が単く水位が急増したこと,川1

'揺がせまく排水が十分でなかったこと,地形的にあい路であること ,7.k 流の正力により逆流をおこしたこと,盆地状の地形をしていることなどが災害を大きくしたといえるO

(間部町史〉

明治438月の水害は稀有のものであった。四国南方梅上に達した台風は7日明からこの地方に雨を 降らせ, 11日房総沖に去るまで連日大雨を降らせた。 9設は日調量8∞ミワを越す,豪雨となった。記録 によると78, 98時間のみで島田777ミリ,静関679ミリ,藤枝は実に877ミワに達したと伝え られているO そのため県下の河水はともに増水甚だしく,特に瀬戸川はその極に達し 9日志太に於て 最高水位l5寸 と な り , 徹 宵 警 戒 に 当 っ た 。 翌 訪 日 午 前9 m分頃勝草橋まず落ち,正午にいたり 忘太堤防83関 , 稲JII堤防42間決壊し,痛々たる瀬戸JIIの趨流はこのニ大字は恕ちにして濁流の内につ つまれ水勢は速く商新麗,青木,前島に達し,交通は全く杜絶した。溺死者22名を出し,

家財の流失おびただしく,真lこ穆強たる光景を草した。なあ潜戸JIIに於ては上流i官接も弼る所堤防の決 山の崩壊が続出した。特に千葉沢の崩壊は最もはげしかった。付近の河としては朝比奈川が高田地 先で堤防30間決壊し,その水は上薮田に流れ,葉梨Jr!と合して下薮田,時ケ谷,五十海は濁流に洗われ,

広犠付近一帯は大湖水化した。一方青島地区では栃111)11,内瀬戸J!I溢れ,南部一帯も一大向流の状態と な っ た 。 被 害 状 況 は 次 の と お り で あ る 。 (9日から12自 の 被 害 藤 枝 市 史 )

0 0 5 0 0 0 0 0 1 6

5 0 m 1 0 0 0 0 2 ω 建 物

108 

29  85  46  213  135  324  510  1882  3.332  被害地反別

4.8 1

  460.0 

750.0  L0.0 139. 0  490. 0  285.4  660.0  12112.2  17, 961. 

2777. 0  10.0

83.0  76.0  129.5  1

  659.0 

11.0  26.5  75.0  5.918.0 

破堤カ所数 95  28  13  13  152  311 

(静気誌) 1910年 ( 明 治43年 )8 月 7 日 ~8 月 10 日の台風の被害

(青島商工誌〉

9日連続の豪雨となって伊太川,大津谷)11,栃山川お 島出金町も7.1<びたしとなった。 i日市内では融仮躍,鶴 救助船ニ駿によって人命救劫にあたり 脅島村内山林崩壊380カ所に及ぶO

島田町, 8fl5Bから降り始めた雨が7,

よび六合・大津の谷川も氾濫 ヶ谷〈現松葉町〉が被害が甚だしく,

住民は山腹の法信寺へ避難した。 i日島田地域被害。

家 崖 流 失 18戸 , 全 讃 18戸 , 半 漬 75 浸 水 床 上 725 持 下 ,2100

田畑荒寵 83317 熔 荒 廃 205 宅地荒廃 6417 (島田市史) 六合村,折柄の霧雨の為め拐山)11,東光寺JII等空前の大洪水となり,東光寺誌に於ては住家1;:ゴ,付 属建物S擁 を 全 潰 流 失 し 3芦をとド讃し,東光寺山内も1棟流失,区内良間余すところなく不毛と化し 白岩寺裏山崩壊の為め関知ケ苓区に於て2戸理没し,栃山)11沼離の為め,栃山宿通りの 被 害 甚 だ し し 往 還 は 荒 れ 河 原 の 如 く , 付 近 の 住 宅 は 仰 れ も 床 上 浸 水 し て 僅 か に 流 失 の 難 を 免 れ 得 た の みであった。東海道往還栃山JII橋流失,省線(東海道線)は拐山J11構 以 東 は 焼 津 に 至 る 間 , 要 所 々 々 を 洗い流されて全く不通となった。此の水害は8月 9日 10B両日最も甚だしかった。主なる被害は下の 通りであるo

全 潰 理 没 家 展 10戸 , 破 損 半 壊 84戸 , 流 失 壊 没 2p,浸水家屋 502戸 , 負 傷 者 1名 , 家 畜 死 2 78カ所1413間 , 破 損 33カ所287関,道路埋没延長 47カ所695間 , 破 損41カ所800 間 , 流 失 埋 没 の た め1年 乃 査15カ年免粗地となりたるもの毘533404歩 , 畑21526歩 , 宅 地3.8 山林311102O

8月 9日からg自問に渉る菱雨は空前の出水となり, 1比の月の初めからの襲爵の為め千葉註

i

つ ゐ

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