にして
著者 横山 照樹
雑誌名 經濟學論叢
巻 64
号 2
ページ 301‑353
発行年 2012‑09‑20
権利 同志社大學經濟學會
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000013738
【論 説】
マルサスの価値尺度論
―1823・24 年の資料を中心にして―
横 山 照 樹
は じ め に
マルサスは1823年に『価値尺度論』を出版する.そして,『原理』初版で は価値尺度として「穀物と労働の間の平均(a mean between corn and labour)」が 採用されていたが,『価値尺度論』では,商品の支配する労働が採用されるこ とになった.
そしてマルサスは,『価値尺度論』出版後も,様々な機会に価値尺度の問題 についての議論を行っている.現在資料として残っているものとしては,『価 値尺度論』が出版された年の4月から8月にかけて手紙を通じて行われたリ カードウとの議論,1823,24年に『クオータリー・レビュー』に発表された 書評論文,王立学術協会で1825年に読まれた『商品の供給』,1827年の2月 に出版された『諸定義』,そして王立学術協会で1827年の11月に読まれた『商 品の価値』がある.本稿では,これらの資料のうち,リカードウとの手紙に よる議論も含めて,1823年と24年の資料について検討したいが,その前に,
議論の便宜上,『価値尺度論』の内容について,簡単に振り返っておきたい1).
1) 以下の議論については,横山(2011)を参照.
1 『価値尺度論』における議論について
一般には,『価値尺度論』を問題にする場合,もっぱら「労働の不変価値と その諸結果を例証する表」における,労働の価値の不変性についての議論の みが取り上げられることが多い2).しかし,『価値尺度論』の内容を詳細に検 討してみると,極めて複雑な構成を取っていたことがわかる.すなわち,マ ルサスは,労働が不変の価値尺度であることを論証するさいに,2つの方法 で論証しており,また第2の方法の議論では,3段階に分けて議論が進めら れていたのである.
まず第1の方法についてであるが,それは『価値尺度論』の最初の方の箇 所で議論されていたものである.それによると,労働と利潤にのみ分解でき る商品の交換価値は,蓄積労働+直接労働+「労働で評価した全前払いに対 する利潤3)」(Measure, p.188;訳,23ページ)で表示され,それは商品が「支配 する労働量と同じでなければならない」(ibid.)から,労働が価値尺度として ふさわしい,というのであった4).
もう1つの方法は,労働の価値が常に変化しないことを論証することによっ て,労働が不変の価値尺度としてふさわしいことを論証することである.そ れをマルサスは,3つの段階に分けて議論している.
まず,穀物賃金が一定で,穀物を生産するのに必要な労働量が増大していっ た場合が検討される.ここでは,穀物の価値の中で占める賃金の価値が増加 しても,利潤の価値の減少がそれを相殺するので,穀物の価値は不変に止ま るのであった.そして,穀物賃金の価値が一定であるから,労働の価値も一 定だということになる.
2) たとえば,中矢(1980)25ページ以下を参照.
3) 以下では,「労働で評価した全前払いに対する利潤」のことを,単に「労働で評価した利潤」
と呼ぶことにする.
4) マルサスは『価値尺度論』の後の箇所で,蓄積労働+直接労働+労働で評価した利潤,のこ とを「価値の自然的要素」(Measure, p.190;訳,26ページ)と呼んでいた.そこで,今述べた ような価値尺度についての考え方を,「価値の自然的要素についての議論」と呼ぶことにする.
次にマルサスは,穀物賃金が変動した場合を考える.10人の労働を支配す る生産物を獲得するために必要な労働者数が増大すると,労働者に与えられ る生産物の割合は増大するが,それを相殺するように利潤の割合が同じ程度 に減少することが論じられた.したがって,この場合にも,10人の労働を支 配する穀物の価値は一定にとどまり,労働の価値も一定であるということに なる.
この2つの段階における議論に共通していたのは,生産物の価値は一定で あると仮定した上で,労働に与えられる割合が増加すると,それと同じだけ 利潤に与えられる割合が減少することによって,生産物の価値が一定に維持 されると議論されていたことである.すなわち,第1段階の議論では,生産 量100クオーターの価値が一定だと想定され,第2段階の議論では,10人の 労働を支配する生産物量の価値が一定だと想定されていた.
それに対して第3段階の議論では,労働の生産性と穀物賃金との両者が変 動することが前提されている.そして,「労働の不変価値とその諸結果を例証 する表」を使って,「一定の人数の賃金を形成する生産物の可変量の価値は,
2つの要素,労働と利潤」(Measure, p.196;訳,35ページ)からなっており,労 働の価値が増大すると,それを相殺するように利潤の価値が減少することに よって,「一定の人数の賃金を形成する生産物の可変量の価値」が一定に止ま ると,論じられるのであった5).
そして,『価値尺度論』においては,これら3つの段階の議論が順次展開さ れているが,第1や第2の段階の議論に第3の段階の議論が紛れ込んでいる ことに示されるように,議論は極めてわかりにくく,複雑なものになってい たのである6).したがって『価値尺度論』における議論は,マルサスの価値尺 度についての多様な考え方を示していると言えるかもしれないが,首尾一貫 したものになっているとは言い難いように思われる.
5) 以下では「労働の不変価値とその諸結果を例証する表」に基づく議論のことを,「不変価値を
例証する表についての議論」と呼ぶことにする.
6) この点については,横山(2011)32ページ以下の議論を参照.
2 リカードウとマルサスの手紙による論争
この節では,1823年4月から8月にかけて,手紙を通じて行われた,不変 の価値尺度に関するリカードウとマルサスの論争について検討したい.リカー ドウのマルサス宛の手紙としては6通が,マルサスのリカードウ宛の手紙と しては3通が残っている7).
2. 1 リカードウのマルサス批判
リカードウは,マルサスの『価値尺度論』を読んだ後に,それについての
『評注』を作成する8).そして,その内容に基づいて,4月29日付のマルサス 宛手紙で,『価値尺度論』の議論についての批判を展開するのである.リカー ドウは次のように言っている.
「私はあなたの尺度に対していつもお話してきたのと同じ異議を持っています―
あなたは不変な標準として可変な尺度を選んでいらっしゃるのです.わが国の住民 の半ばをうばう疫病が労働の価値を変更しないと誰が言いうるでしょうか.この変 動を諸商品の方へ転換して,それらのものが下落したのであって労働が騰貴したの ではないと言うことに我々は確かに同意することができましょうが,私はこの変化 のなかに少しも利益を認めることができません.」(Ⅸ, p.282)
マルサスは『価値尺度論』において,価値尺度として商品が支配する労働 を採用し,労働の価値は不変であると主張していた.それに対してリカード ウは,今引用した手紙の中で,労働の価値も他の商品と同様に変動するから,
7) この時期のリカードウとマルサスの手紙での議論を検討した研究として,羽鳥(1980),中矢
(1981),Hollander (1997) pp.321-332,中村(2009)第26章「リカードウの対応と批判」,2「マ ルサス宛書簡など」395-419ページがある.
8) Cf. Ricardo (1992). 中村氏の分析が明らかにしているように,この『評注』の主要な論点は 手紙に現れているので,リカードウの主張については手紙の内容を検討したい.中村(2009)
380-395ページを参照.
労働を不変の価値尺度として採用するのには,異議があるというのであった.
そして,疫病で人口が大きく減少すると,労働の価値は上昇するはずであり,
それを労働以外の商品の価値が下落したと表現してもかまわないが,それに よって何も得るところがないであろうというのであった.
ところで,中村氏は,リカードウのマルサスに対する批判点について,『マ ルサス『価値尺度論』評注』の「評注Ⅰ」の分析から,次のように言われて いる.「一読して明らかなように,リカードウの批判は,労働の価値可変性に 基づいており,それを根拠に尺度選択の恣意性が指摘されている.彼の労働 の価値可変の根拠は,労働供給が増減可能な一般の商品との共通性(『原理』「賃 金」章冒頭を想起せよ)にあり,その限りで他のすべての商品と同様に,価値 不変を説く根拠はまったくなく,とくに労働を選ぶのは『恣意的』といわざ るをえない,ということに尽きるだろう」9)と.このようなリカードウの考え は,4月から8月にかけてのマルサスとの手紙での議論を通じて,変わらなかっ たと思われる.
さて,再び4月29日の手紙における議論に戻ると,リカードウは,マルサ スが『価値尺度論』において労働の価値の不変性を論証するさいに根拠とし ていた,「もし2つの可変量XとYの価値が,一定の価値Aに等しいならば,
XとYに起きるあらゆる変化において,Xが得るどのような価値もYにおい て失われねばならず,そしてYが得るどのような価値もXにおいて失われね ばならない」(Measure, p.195;訳,35ページ)という考え方について10),次のよ うに言っている.
「31ページ11)には労働を標準として選ぶ理由にかんする長い文章がありますが,私 はこの理由に満足しません.布切れが120ヤードの長さで,これがAとBとの間に
9) 中村(2009)382ページ.
10) このマルサスの議論については,横山(2011)27ページ以下を参照.
11) 『価値尺度論』の「31ページ」というのは,本文のすぐ上に引用した文章が出てくる箇所
(Measure, p.195)を指している.
分けられるとすると,Aに対して多くのものが与えられるのに比例してBにはより 少ないものが与えられ,そして逆の場合には逆になることは明らかです.このこと は全120ヤードの価値が100ポンドでも,50ポンドまたは5ポンドであっても正し いでしょう.そうすると,量が不変であるという理由で,そしてそれが常に2人の 間に分けられるという理由で,価値が不変だと仮定するのは,論点窃取(a begging of the quetion)ではありませんか.」(Ⅸ, p.283)
すなわち,初めに「布切れが120ヤードの長さ」だと仮定しておいて,「A に対して多くのものが与えられるのに比例してBにはより少ないものが与え られ」,その結果AとBの合計額は常に120ヤードになるから,「布切れ」の 長さは変わらないと主張するのは,「論点窃取」になっており,労働の価値の 不変性の証明になっていないというのが,ここでのリカードウの批判であっ た.
またこれと同様な主張は,8月15日付のマルサス宛の手紙でも繰り返され ることになる.その手紙でリカードウは,「私は依然として,あなたの尺度の 不変性とは,あなたがそれから出発なさる定義4 4であって,適正な議論によっ て到達なさる結論4 4ではないと思います」(Ⅸ, pp.351-352)と述べて,マルサス を批判しているのであった.
それでは,このようなリカードウの批判に対して,マルサスはどのように 答えるのであろうか.以下,マルサスの3通の手紙について検討していくこ とにしたい.
2. 2 7月21日付のマルサスのリカードウ宛手紙
マルサスはこの手紙の中で,商品が支配する労働が商品の自然的で絶対的 な価値を測定するとして,次のように言っている.
「それゆえすべては,商品が生産された場所と生産された時点での,その自然価値
と絶対価値(the natural and absolute values)が,それに用いられた(worked up)蓄 積労働と直接労働(the accumulated and immediate labour)に,労働が使われていた 時間に対する労働への利潤を加えたものから構成されるのか,そうでないのか,と いう問題にかかっているように思われます.それがこのように構成されていなけれ4 4 4 4 ばならない4 4 4 4 4ということは,資本や時間なしに労働だけが関係する場合には,商品の 自然価値と絶対価値は,それに使用された労働量によって決まるだろうという一般 的に容認されたこと(the general concession)から必然的に,そして不可避的に導 かれるように思われます.なぜなら,もしどこかで,資本なしに生産された商品が,
それに用いられた労働によって決定される自然価値と絶対価値を持っているのなら ば,資本と時間,そして労働の同じ量を使って生産された他の商品は,ちょうど前 払いがなされていた時間に対する利潤の額だけ,自然価値と絶対価値4 4 4 4 4 4 4 4 4が,前の商品 を超過しなければならないからです,そして前払いは労働だけからなるので,この 利潤は労働でしか計れません.」(Ⅸ, p.307)
この引用文の初めの箇所によると,マルサスの価値尺度の考えが正しいか どうかは,商品の自然価値と絶対価値(以下,略して自然価値と呼ぶことにする)
が,「それに用いられた蓄積労働と直接労働」と「労働が使われていた時間に 対する労働への利潤」の合計からなっているかどうかによる.そして,続けて,
このような考えの正しいことが説明されているのであるが,その内容を分析 すると次のようになるであろう.
マルサスはまず,労働のみによって生産された商品の自然価値が,「それに 使用された労働量によって決まる」ことは,「一般的に容認されたこと」であ る,すなわち誰でもが認めるだろうと言う12).そして,このことが認められ
12) この点は,リカードウも認めている.リカードウは,5月28日付のマルサス宛手紙で,次
のように言っている.「もしすべての商品が1日のうちに,また労働だけによって,資本の援 助なしに,生産されるとすれば,それらのものはその生産に使用された労働量の増減に比例し て変動するでしょう.…….このような事情のもとでは1日の労働の生産物であったすべての 商品は当然に1日の労働を支配するでしょう.したがって商品の価値はそれが支配する労働の 量に比例しているでしょう.」(Ⅸ, pp.297-298)
るならば,同じ労働量が用いられるが,生産するのに資本と時間を必要とす る商品は,「前払いがなされていた時間に対する利潤の額だけ」,労働のみに よって生産された商品の自然価値を超過していることは,「必然的に,そして 不可避的に導かれる」ことになる.そして,この利潤は,「前払いは労働だけ から成る」ので,「労働でしか計れ」ないのであった.
さて,これまで7月21日付の手紙における議論を検討してきたが,ここま での議論を見る限り,それは『価値尺度論』の最初の箇所で展開されていた,
「価値の自然的要素についての議論」と同様なものであると考えられる.
マルサスはその箇所で,まず,商品が労働のみによって生産され,販売さ れる時間が無視できる場合を考える.その場合には,商品の交換価値は投下 労働量によって決まる.しかし現実には,生産に一定の時間がかかるので,
その時間に対して利潤が支払われねばならないから,商品の交換価値が労働 のみによって決まることは,まれにしか起こらない.したがって,投下労働 量によって交換価値を測定することはできないことになる.そこでマルサス は,支配労働量によって価値を測定すべきであるとして,次のように言って いた.
「したがって,同じ国において,そして同じ時期では,労働と利潤にのみ分解す ることができる商品の交換価値は,それらに実際に投下された蓄積労働と直接労働 に,労働で評価した全前払いに対する利潤の様々な量を加えることによって得られ る労働量によって,正確に測定されるであろうということは,明らかである.しか し,これは必然的に,それらが支配する労働量と同じでなければならない,…….」
(Measure, p.188;訳,23ページ)
すなわち,商品の交換価値は,蓄積労働+直接労働+労働で評価した利潤,
によって測定され,それが支配労働量と同じになるというのである.
そして,この場合,利潤も労働で測定されることになるとして,次のよう
に言うのであった.すなわち,「しかしもし,供給の自然的条件の観点から,我々 が,ある他の媒介物に言及することなく,前払いされた労働量のみを考える のであるならば,我々は当然,利潤もまた労働量で評価すべきである」(Measure,
p.187;訳,22ページ)と.
したがって,7月21日付の手紙のこれまでの箇所は,『価値尺度論』の最 初の箇所の議論に基づいているように思われる.ところが,この手紙の同じ パラグラフにある,先に引用した箇所に続く部分では,これとは違った議論 が行われている.マルサスは,次のように言っている.
「しかしもし,時間が関係する場合にはいつも,商品の自然価値と絶対価値は労働 と利潤によって決定されねばならないとすれば,そしてもし,さらに,商品の支配 する労働が,商品に用いられた労働に利潤を加えたものに正確に等しくなければな らないことが明らかであるのならば,一定量の労働は常に同じ自然価値と絶対価値 を持たなければならないということ,すなわち,もし我々がその価値を他のすべて の商品の価値を評価するのと同じ方法で評価するならば,一定量の労働は常に,労 働と利潤を合わせた同じ量(the same quantity of labour and profits united)から構成 されるであろうということが,議論の余地なく導かれてきます.」(Ⅸ, pp.307-308)
この引用文の前半部分,すなわち,「時間が関係する場合にはいつも,商品 の自然価値と絶対価値は労働と利潤によって決定されねばならない」という ことと,「商品の支配する労働が,商品に用いられた労働に利潤を加えたもの に正確に等しくなければならない」ということとは,先に検討した,「価値の 自然的要素についての議論」から導き出されたものであるから,特に問題は ないであろう.問題になってくるのは,この2つのことを認めたならば,な ぜ「一定量の労働は常に同じ自然価値と絶対価値を持たなければならない」し,
「一定量の労働は常に,労働と利潤を合わせた同じ量から構成される」という 結論が出てくるのかということである.「労働」が「労働と利潤を合わせた同
じ量から構成される」ということが何を意味しているのか,この箇所の議論 だけからは,明らかにならないのである.それでは,ここでのマルサスの主 張をどのように考えたらよいのであろうか.
実は,「労働と利潤を合わせた同じ量」とほぼ同様な表現が,『価値尺度論』
の「不変価値を例証する表についての議論」の中に出てくるのである.説明の 便宜のために,「労働の不変価値とその結果を例証する表」を掲げてておく13). マルサスは,表から導かれる第1の結果として,次のように言っていた.
「しかし,10人の可変的な賃金を生産するのに必要な労働量は,想定された異なっ た事情の下において,第5列に現れるように,非常に異なっている.そして,10人 の賃金を生産するのに必要な労働量が増加するにつれて,労働で評価した利潤の量14)
13) マルサスの表では14行目まで数字例をあげているが,ここではそのうち7行目までを掲載
した.Cf. Measure, p.199(訳,40-41ページ).なお,マルサスは第8列4行目の数字を間違え ているので,訂正してある.この点については,玉野井氏の指摘(訳,40ページ)を参照され たい.なお表の分析については,横山(2011)31ページ以下を参照.
14) この「労働で評価した利潤の量」は,表の第6列「労働の前払い対する利潤」のことである
と思われる.
1 2 3 4 5 6 7 8 9
10人が生 産する穀物量,す なわち土地の様々
(クオーター)な肥沃度 需給によって決定 された各労働者の 穀物年賃金
(クオーター)
穀物賃金の前払い,
すなわち 10人の労 働を支配する可変
(クオーター)的生産物 前述の事情のもと における利潤率
(%)
前述の事情のもと で10人の 賃金を生産するの に必要な労働量
労働の前払いに対 する利潤量
一定の人数の賃金 の不変価値
仮定された様々な 事情のもとにおけ る 穀 物 100クオー ターの価値
仮定された事情の もとにおける,10人 の労働の生産物の 価値
150 150 150 140 140 130 130
12 13 10 12 11 12 10
120 130 100 120 110 120 100
25 15.38 50 16.66 27.2
8.3 30
8 8.66 6.6 8.6 7.85 9.23 7.7
2 1.34 3.4 1.4 2.15 0.77 2.3
10 10 10 10 10 10 10
8.33 7.7 10
8.33 9.09 8.33 10
12.5 11.53 15 11.6 12.7 10.8 13 労働の不変価値とその諸結果を例証する表
が正確に同じ程度に減少するのでなければ,第5列の人数が変化する一方で,第7 列の値,あるいは労働と利潤を合わせた量(the quantity of labour and profits united)
が,一定であることができないことは,明らかである.…….そして次のようになる,
すなわち,もし商品の自然価値が,その価値がそれによって構成される労働と利潤 によって評価されるのならば,一定の人数の穀物賃金の自然価値は,常に同じでな ければならない.しかしそのような賃金は,我々が始めた前提によると,それが交 換される労働の量と,必然的に等しいに違いない.したがって一定量の労働の価値は,
土地の肥沃度および労働の穀物賃金のうえに生じうる種々雑多な事情のもとで,つ ねに不変でなければならない.」(Measure, p.200;訳,42ページ)
この引用文の意味は,次のようなことであると考えられる15).表の第5列 に示されているように,10人の賃金を生産する労働量は非常に異なっている.
しかし,第6列に示されているように,労働で評価した利潤は,正確にそれ を相殺するように変動するので,第7列の値,「労働と利潤を合わせた量」は,
一定に止まることができるというのである.そして,商品の価値が労働と利 潤によって構成されるのならば,穀物賃金についても同様である.そして,
表に示されているように,穀物賃金の価値を構成する労働と利潤とは,その 価値を一定に保つようにお互いに相殺しあうのである.そして穀物賃金は,
それと交換される労働,表の場合には10人,と同じ価値であるから,穀物賃 金の価値が一定なのだから,労働の価値も一定であるということになる.
このような『価値尺度論』における議論と,先の手紙の議論とを比較すると,
どうなるであろうか.手紙の議論では,商品の価値が労働と利潤とから構成 されるということから,直ちに労働の価値の不変性が結論づけられていた.
しかし,『価値尺度論』の議論では,その両者を結びつけるためには,賃金の 動きを利潤の動きが相殺することが必要だったのである.ところが,手紙では,
この点についての議論が抜けているために,議論がわかりにくい,というよ
15) この引用文についてのより詳しい分析は,横山(2011)39ページ以下を参照.
りもマルサス自身の議論に照らしても,不十分なものになっているように思 われるのであった.
今まで7月21日付の手紙の内容について検討してきたが,その中には,『価 値尺度論』の中で展開されていた「価値の自然的要素ついての議論」と,「不 変価値を例証する表についての議論」とが,混在していたことになる.この ように『価値尺度論』の議論を使って,リカードウを批判することは,この 手紙の他の箇所でも行われていた.マルサスは同じ手紙の後の箇所で,次の ように言っていた.
「社会が進歩するなかで労働が同一の価値を維持するということがどうして生ずる のでしょうか,それを生産するためにより多くの労働を必要としなければならない ことがわかっていますのに? そして,この問題に対する回答はこうです,利潤は 全生産物のうちの労働に与えられる割合4 4に依存するのですから,労働量の追加によっ て引き起こされる価値の増大は,利潤額の減少によって正確に相殺されて,労働の 価値を同一のままにしておくということが必然的に生じなければなりません.」(Ⅸ, pp.308-309)
マルサスは,「社会が進歩するなかで労働が同一の価値を維持する」ことが できるのはなぜかという問題を設定する.これは,人口が増大していくと,
劣等地耕作が進展し,穀物の価値が上昇していくことになるので,労働の価 値も上昇していくのではないかということである16).それに対して,上の引 用文ではどのように議論されているであろうか.
まず,「利潤は全生産物のうちの労働に与えられる割合4 4に依存する」と言わ れている.この文から,マルサスがここで問題にするのが,全生産物の賃金 と利潤への分割であることが知られる.そして,全生産物の分割を考えた場合,
「労働量の追加によって引き起こされる価値の増大は,利潤額の減少によって
16) 周知のように,これはリカードウの賃金論の考え方である.
正確に相殺されて,労働の価値を同一のままにしておく」ことになると言わ れている.それでは,なぜそうなるのであろうか.
この点について手紙ではこれ以上のことは説明されていないので,再び『価 値尺度論』の議論を参照することにしたい.マルサスは,『価値尺度論』の中 で次のように言っていた.
「しかしながら,いずれかの生産物の価値が労働と利潤に分割できるときには,労 働に与えられる生産物の割合4 4が増大するにつれて,利潤に与えられる割合が同じ程 度で減少しなければならず,そして労働に与えられる割合4 4が減少するにつれて,利 潤に与えられる割合が同じ程度に増加しなければならないということは,例外の ありそうにない一般的な規則として,主張できるであろう.」(Measure, p.194;訳,
32-33ページ)
そして,この文章の最後に付された脚注で,このような考えは,リカード ウが『原理』の利潤に関する章で述べたことと本質的に同じであるとして,
リカードウの『原理』からの文章が引用されて,次のように述べられるので あった.
「この命題は,リカードウ氏によって利潤についての章の中で(リカードウ『原理』
128ページ17)),次のような言葉で非常に明確に,そして見事に述べられたものと本 質的に同じである,すなわち『すべての国とすべての時代において,利潤は,地代を 生み出さないような土地において,あるいは資本によって,労働者のための必需品を 提供するのに必要な労働量に依存している』と.命題は,利潤の変動の究極的な原因 に関しては不十分であるが,最も重要な真実を含んでいる.この真実からの論理的な 結論は,私にとって,労働の不変の価値であると思われる,しかしリカードウ氏は,
それとはまったく反対の結論の上に彼の体系を作った.」(ibid.;訳,33ページ)
17) Cf.Ⅰ, p.126.
したがって,「生産物の価値が労働と利潤に分割できるときには,労働に与 えられる生産物の割合4 4が増大するにつれて,利潤に与えられる割合が同じ程 度で減少しなければならな」いという命題から,「労働の不変の価値」という 結論が「論理的」に引き出されるというのである.そして,『価値尺度論』では,
今引用した箇所以降で,それが論証されていくのであるが,そこでは全生産 物の価値が労働と利潤とに分割される割合が問題にされているのであった18). このような『価値尺度論』における議論に対して,7月21日付の手紙では,
今検討した『価値尺度論』における命題と結論が述べられているだけで,ど のようにしてそれが論証されるかについてはまったく言及されていないので ある.したがって,ここでの議論も,『価値尺度論』の議論を前提にしないと,
理解するのが困難なものになっているのであった19).
この手紙について,もう1つ検討しなければならないのは,リカードウの 4月29日付けの手紙にあった,「わが国の住民の半ばをうばう疫病が労働の 価値を変更しないと誰が言いうるでしょうか」(Ⅸ, p.282)という批判に対する,
マルサスの返答である.
まず,人口の変動の問題について,『価値尺度論』でどのように議論されて いたかを見ておきたい.マルサスは,「もし,生産の増加なしに労働の報酬の 増加が起きる」と利潤は減少するが,「賃金の価値に関しては,この利潤の減 少は,労働者に与えられる増大した生産物を生産するのに必要な労働量の増 大によって,ちょうど相殺され,労働の価値を以前と同じに止める」(Measure,
p.197;訳,36-37ページ)20)と述べた後,人口が減少した場合について,次のよ
うに言っていた.
18) これは本稿の「はじめに」で述べた,労働が不変の価値尺度であることを論証する,第2の
方法の第1段階の議論になる.この点については,横山(2011)22ページ以下を参照.
19) リカードウは,7月21日付けのマルサスの手紙に対する返事である,8月3日付の手紙で,
今問題にしているマルサスの手紙の箇所を引用した後,「正直に言うと私はこの回答を理解す ることができません」(Ⅸ, p.324)と言っている.リカードウがこのように言うのも,無理は ないように思われる.
20) この引用文の内容については,横山(2011)36ページ以下を参照.
「しかしもし我々が,労働者のかなりの人数が外国に送られるか,あるいは,ペス トによって一掃されたと想定しても,その場合には労働に対する大きな需要があるこ とは疑いないが,しかし結果は同じであろう.生産物のより大きな量が必然的に労働 者に与えられるであろう,そして利潤は下落するであろう.以前と同じ労働量によっ て獲得された生産物の一定量は,価値のうち利潤を構成する部分の下落によって,価 値が下落するであろう,一方で,賃金の上昇による利潤の下落は,それらを獲得する のに必要な労働の増大によって,相殺されるであろう.」(ibid.;訳,37ページ)
すなわち,労働者数が何らかの理由で減少すると,労働需要が増大して「生 産物のより大きな量が必然的に労働者に与えられ」るかもしれないが,利潤 が減少することによって,「労働者に与えられる増大した生産物を生産するの に必要な労働量の増大」を相殺して,「労働の価値を以前と同じに止める」と 考えられているのであった21).
それに対して,この手紙では,マルサスは次のように述べるのだった.
「しかしながら,どんな数の労働者が輸入されたり輸出されたりしても,労働の価 値は同じままであろうとほのめかしたとき,私の表現は十分に注意深いものではあ りませんでした.これは,供給が,労働者数の増減によって影響を受けるようになっ た後にのみ,真実でしょう.もし20人によって獲得された穀物が10人の間に分割 されるならば,10人の賃金の価値はその生産に使用された労働量に利潤を加えたも のよりもはるかに小さいでしょう,また逆の場合は逆になるでしょう.」(Ⅸ, p.309)
この文章も意味の取りにくいものであるし,また後に見るように,マルサ ス自身も8月11日の手紙で,ここでの議論を撤回することになるので,その
21) 本文の引用文のすぐ次のパラグラフでは,労働者が移入されて,労働者数が増大した場合に ついて議論されている.マルサスはその場合にも,利潤の上昇は「労働者に与えられる減少し た生産物を獲得するのに必要な,労働のより小さな量によって相殺」(Measure, p.197;訳,37 ページ)されて,労働の価値は変わらないと述べている.
内容について検討することは,行わないことにする.ただ,ここで念頭に置 いておくべきことは,労働量が増減した場合,「供給が,労働者数の増減によっ て影響を受けるようになる」前には,労働の価値が変化するかもしれないと いう可能性に,言及していることである.すなわち,マルサスに誤解があっ たのかもしれないが,先に紹介した『価値尺度論』における,労働の増減が 労働の価値に与える影響についての議論に,完全に満足していたのではない ことを示唆しているように思われるのである.
なおこの手紙では,国が異なった場合の商品の価値の比較についても議論 されているが,基本的な考え方は『価値尺度論』における考えと同じなので,
ここでは検討を省略して,7月21日付以降の手紙について考察することにし たい22).
2. 3 8月11日付と8月25日付のマルサスのリカードウ宛手紙
マルサスの7月21日付の手紙以降のリカードウとマルサスの手紙として は,リカードウからマルサス宛のものとしては,8月3日付,8月15日付,8 月31日付23)の3本が残っており,マルサスのリカードウ宛の手紙としては,
8月11日付と8月25日付24)の2本が残っている.リカードウの手紙もマルサ スの手紙も,相手を説得するために様々な例を挙げて説明しているが,基本 的な議論の内容は,これまで見てきたものと変わらなかったように思われる.
そこで,以下ではマルサスの2本の手紙について,『価値尺度論』の議論との 関連で,いくつかの点を検討するにとどめたい.
まず,8月11日付の手紙について検討したい.先に見たように,マルサス は7月21日付の手紙で,労働者数の増減があった場合に労働の価値が変わら ないという「表現は十分に注意深いものではありませんでした」(Ⅸ, p.309)と 述べていた.ところが,リカードウは8月3日付の手紙で,今のマルサスの
22) 『価値尺度論』における考えについては,横山(2011)12ページ以下を参照.
23) この手紙が,リカードウのマルサス宛手紙としては,最後のものになる.
24) これが,マルサスからリカードウに宛てた最後の手紙になる.
文章を引用して,「これは実に大きい譲歩で,あなたの尺度をまったく覆すも のだと思います,なぜならもしそれが輸出されたり輸入されたりする労働者 について真であるなら,それはまたこの国で生まれてきたり死んでいったり する労働者についても真でなければならないからです」(Ⅸ, p.321)と批判する のであった.
マルサスは,その批判を受けて,労働者数が増減した場合の影響について,
新たに次のような議論を展開することになる.
「しかしながら,あなたは私の譲歩から,私がそれに固執していたならば,認めざ るをえないものよりもはるかに多くの結論を引き出そうとなさいました.実際それ は,労働者の食物が生産される時と,それが賃金として支払われる時との間の期間 に生ずる,例外的な非常に激しい突然の変化の場合を想定したにすぎません.この 期間が1年にもわたることは滅多になく,またその効果はその時期が過ぎた後には まったく終ってしまうでしょう.それゆえこの譲歩は,人口のどんな自然的増加にも,
また深慮(prudence)の結果からくる増加率のどんな停滞にも,適用されるもので はありませんでした.しかし実際には,なにも譲歩する必要はないわけです.」(Ⅸ, p.336)
すなわち,前の手紙で想定していたのは,「例外的な非常に激しい突然の変 化」であり,それが「1年にもわたることは滅多になく」,またその影響も限 定的であるから,そのような想定は現実の人口の増減には影響しないので,
先の手紙の内容はリカードウに譲歩したことにはならない,というのである.
したがって,労働の価値に影響するような急激な人口の増減は,きわめて短 期間ならばあり得るかもしれないが,たとえば1年というような期間で考え ると,ほとんど影響を与えることはないから,その問題を考慮する必要はない,
というのがマルサスの主張であった.
しかし,「例外的な非常に激しい突然の変化の場合」で,「1年にもわたる
ことは滅多」にないとはいえ,労働価値の変動をマルサスが認めたことをど のように考えるかという問題は,依然として残っているように思われる25). この手紙は,先に検討した7月21日付の手紙よりも長文の手紙であり,マ ルサスはリカードウの批判に対して,自説を擁護しているが,基礎になって いる考え方は7月21日のものと同じで,「価値の自然的要素についての議論」
と,「不変価値を例証する表についての議論」とであった.また8月25日付 の手紙についても,同様であった.以下では,同じ議論の繰り返しになるので,
該当箇所を紹介するにとどめたい.まず8月11日付の手紙では,前者の考え 方について,マルサスは次のように言っている.
「しかしもし利潤を,ある商品の生産に前払いされた蓄積労働および直接労働の量 と,それが販売された時に値する労働との差によって評価すれば,その商品が私の 述べた労働量を支配するだろうことは確実です.そこで私はこの方が,かの短い期 間にその価値を変じたかもしれない貨幣によるよりも,はるかに自然4 4で正しい4 4 4利潤 の評価方法でないかどうかお尋ねしましょう.」(Ⅸ, p.338)
また,後者の考え方については,マルサスは次のように言っている.
「しかし労働の賃金は疑いもなく他の商品と同様に労働と利潤からできているので すから,価値尺度としての労働の不変性と,一定数の人々の賃金に仕上げられてい る労働の積極価値(the positive value)が増加するにつれて,利潤(その全価値のも う1つの構成部分)の積極価値は正確に同じ度合で減少するという私の命題との関 係をあなたが理解できないと言われると,この問題についてあなたがどう考えてお られるのかまったくわからなくなります.」(Ⅸ, p.339)
25) この問題は,1825年の『商品の供給』でも論じられることになるが,その考察は別の機会
に行いたい.
一方,8月25日付けの手紙における議論では,「価値の自然的要素につい ての議論」が基礎になっていた.マルサスは次のように言っている.
「それゆえ私には,商品の自然的価値を決定する事情は,前払いされた蓄積労働お よび直接労働の量にその使用期間についてのその労働に対する利潤を加えたもので なければならないように思われます.そしてもしこのようにして得られた労働の量 が平均してその支配する労働量に等しいならば,商品の価値を決定する事情4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4の手近 な尺度,言いかえると不変の価値尺度がただちに与えられます.」(Ⅸ, p.365)
さて,これまで,マルサスのリカードウ宛の3本の手紙を検討してきた.
ある意味当然かもしれないが,そこでの議論の基礎になっていたのは,『価値 尺度論』で展開されていた議論であった.すなわち,「価値の自然的要素につ いての議論」,「不変価値を例証する表についての議論」,そして全生産物の価 値が労働と利潤に分割される割合についての議論であった.これら3つの議 論は,リカードウの批判に答えるために様々な形で用いられているが,それ が何らかの形で連携して用いられているというよりも,リカードウの個々の 論点に対して,それを批判するのに最も有効であるとマルサスが考える議論 が,個別に用いられているのであった.
この辺に,マルサスの『価値尺度論』の議論の1つの特色が示されている のではないかと,考えられる.すなわち,そこでは様々な議論が展開されて いたが,それらが言わば,ばらばらに展開されていて,何らかの統一ある論 理へとまとめられてはいなかったのではないかということである.その点が,
リカードウの批判に対してマルサスが再批判するさい,明確になってきたよ うに思われるのである.
3 「高物価と低物価」における議論
3. 1 「高物価と低物価」についてマルサスは1823年に『クオータリー・レビュー』に「高物価と低物価」を 発表した.この節では,この論文における議論が,『価値尺度論』の議論とど のように関係しているかを検討したい26).
この論文は,トゥックが1823年に出版した『過去30年間の高物価と低物 価についての思索と詳細』に対する書評として書かれたものである.マルサ スによると,この本は「過去30年間に穀物と他の商品との価格に起こった,
変動の原因についての研究」(High, p.225)であった.そして,トゥックはその 研究の結論として,「物価は,金と紙幣との間の違いの範囲を超えては,通貨 の価値の変更によって影響されなかった」ということ,例外的な場合を除い て「戦争中の価格の上昇と平和の時期の下落との間には,目に見える一致は 存在しない」ということ,そして「過去30年間に起こった物価の変動は,紙 幣と地金の間の相違を除いて,……,ほとんどもっぱら天候の変化に帰せら れる」(High, p.226)ということを述べていた.
しかしマルサスは,「我々がこれらの結論すべてについてトゥック氏に同意 することができると,我々は言うことはできない」(High, pp.226-227)として,
この論文では,トゥックの本の中で提供されている「扱われている問題に適 用できる非常に広範囲の事実」(High, p.227)に基づいて,トゥックの結論を 批判していくのである.
そして,マルサスはこれらの事実から証明される命題として4つをあげて いるが,その第1のものとして,次のように述べている.
「第1に,すべての交換価値,そしてしたがってすべての商品の価格は,需要に
26) なお,この論文で行われている当時の経済状況の分析については,横山(2010)1-15ペー
ジを参照.
比較した供給にまったく依存しており,そして,それらを生産するのに必要な労働 によって,この労働が供給の主要な条件であるということ以上には,影響を受けな い.27)」(ibid.)
この命題は,マルサスが『原理』初版第2章「価値の性質と尺度について」, 第3節「交換価値に影響する生産費について」で述べていたことと同じ内容 であると思われる.マルサスはその節の中で,次のように言っていた,すな わち,「需要に対する供給の関係は,現実のものであれ偶然のものであれ,市 場価格であろうと自然価格であろうと,価格の決定における支配的原理であ り,そして,生産費はそれに従属的に働きうるに過ぎない」(1st ed., p.76)と.
したがって第1の命題は,『原理』の価値論におけるマルサスの基本的な考え 方を示していると考えられる28).
この論文でマルサスは,4つの命題について順次検討していくが,そのさ いの基礎理論になっていたのは,第1の命題,すなわち『原理』の価値論で 展開していた需要供給論であり,そのことは第2の命題について議論してい る箇所で,「一般に認められている需要と供給の原理」(High, p.235)に言及し ていることにも,示されているであろう.そして,マルサスは第4の命題に ついての議論の中で,『価値尺度論』に言及することになるのであった.
3. 2 「高物価と低物価」と『価値尺度論』
まず,第4の命題について次のように述べている.
27) これ以外の3つの命題は,次のようなものである.すなわち,第2の命題は,需要に比較
した供給は,天候の変化によって大きな影響を受けるということ,第3の命題は,商品の供給 が需要に比べて不足するとき,取引は活発で利潤も高いということ,そして第4の命題は,需 要に比べた供給の不足や過剰は,貴金属価値の下落や上昇を必然的に伴うということである.
Cf. High, p.227.
28) 『諸定義』の定義40「いずれかの場所また時における一商品の価値,市場価値ないし現実価値」
でも,第1の命題と同様なことが言われている.Cf. Definitions, p.111(訳,180ページ).
「さて我々は,第4の命題,すなわち,豊かな供給あるいは不足した供給の時期が かなり継続したときには,そしてそれは経験によってしばしば事実であることが見出 されるのであるが,それは,それが起きている国において,かつて真実に近いと考え られた価値を評価するある方法によると,貴金属の価値の下落や上昇を必然的に伴 うという命題について,トゥック氏の著作が提供する証拠の考察に進もう.」(High, p.246)
すなわち,財の「豊かな供給あるいは不足した供給の時期」が長く続いた 場合には,「貴金属の価値の下落や上昇を必然的に伴うという命題」を,トゥッ クの本に含まれている資料を使って検証しようというのである29).そして,
その場合,貴金属の価値の測定は「かつて真実に近いと考えられた価値を評 価するある方法」によって行われるというのである.
この第4の命題についての議論では,過去30年間に金の価値がどのように 変動したのかが問題になる.それを明らかにするためには,「価値を評価する ある方法」とは何なのか,すなわち何によって価値を測定するかということ が問題になる.
マルサスは,まず,スミスが『国富論』第1編第5章で労働を価値尺度と している文章を引用した後30),スミスは他の箇所ではそれに固執していない ので,それが一般的に採用されたわけではないと述べ,自身の『価値尺度論』
に言及して次のように言っている.
「マルサス氏はそれ〔労働が価値の尺度であるという原理〕を,『価値尺度論』とい う表題のパンフレットで,その正確性の新しい証拠とともに,最近復活させた.そし
29) 言葉の順番からいくと,今の引用文では,貴金属の価値は財の「豊かな供給」の場合「下落」し,
「不足した供給」の場合「上昇」することになる.しかし,第4の命題が最初に述べられた箇 所では,貴金属の価値は財の「不足した供給」の場合に「下落」し,「豊かな供給」の場合は「上 昇」することになっている.こちらの方が適切であると思われる.Cf. High, p.227.
30) マルサスが引用しているのは,「したがって,労働が価値の唯一の正確な尺度であるとともに」
という言葉で始まる文章である.Cf. Smith(1776)p.54〔『国富論(1)』73ページ〕
て,彼は,その適用において,アダム・スミスの間違いに陥いるようには思われない ので,それは公平な吟味(a fair trial)を受けると期待しても良いであろう.そしてそ れが最終的に確立されるならば,それは,疑いもなく,価値に関連するあらゆる問題 に,現在において非常に大きく必要とされていることが認められるに違いない,明瞭 性と正確性とを与えるであろう.」(High, p.247)
すなわち,『価値尺度論』では労働が価値尺度として採用されたが,それは 価値の問題について「明瞭性と正確性」を与えることになるとして,自画自 賛ではあるが,高く評価しているのである.そしてこれに続く文章では,労 働を価値尺度として採用して,次のように言うのであった.
「もしこれらの権威者に基づいて,我々が,我々の問題にしている事例について,
商品が支配する労働を価値尺度として採用すると,労働の地金価格の一般に認めら れている上昇から,地金が価値においてちょうどそれだけ下落したということが,
直ちに分かるであろう.」(ibid.)
したがって,『価値尺度論』への言及とそれにすぐ続く文章とを見ると,マ ルサスが『価値尺度論』の議論にしたがって地金の価値の変動を考えていた ことは明らかである.支配労働を価値尺度にして地金の価値の下落が明らか になったので,これで問題についての結論が出たことになる.したがって,
地金の価値を測定する尺度を何にすべきかの議論は,これで終わっても良い はずである.ところが,マルサスは,労働以外のものを尺度にした場合,金 の価値がどうなったかについて,さらに考察を続けていくのである.そして そのさい,様々なものが価値尺度として採用されることになる.
マルサスは次のように述べている.すなわち,地金の価値は,穀物を価値 尺度にしたときには,労働を価値尺度にした場合よりもさらに下落すること
になり31),また「マルサス氏によって以前提案された2つの間の平均」(ibid.)
を採用すると,地金の価値の下落は,労働で測った場合よりは大きく,穀物 で測った場合よりは小さくなる.そして商品に含まれている労働という,「リ カードウ氏の尺度」を採用すると,「地金価値の下落という同じ結論が疑いも なく導かれるであろう」(High, pp.247-248)と言っている.したがって,地金の 価値を穀物,穀物と労働の平均,そして投下労働量というどの尺度で測っても,
支配労働量で測った場合と同様に,価値は下落したことになる.
ところが,マルサスはこの4つの尺度で納得できずに,さらに次のような 議論を展開する.
「もし,ある1つの基準,あるいは1つや2つの組み合わせを拒否して,我々が金 1オンスを国のすべての商品と順番に比較していくことを行うと,尺度は最も扱いに くい(clumsy)ものであり,変化の大きさをうまく決定することはできないが,し かし我々は,結論は地金の価値の大きな下落を示すであろうということを,一瞬で も疑うことはできない.」(High, p.248)
すなわち,何か特定の商品を価値尺度として地金の価値を測定するのでは なく,「すべての商品」によって,測定しようというのである.それでは,こ れは具体的にはどのようなことが考えられているのであろうか.今の引用文 が出てくるパラグラフの最後の箇所で,マルサスは次のように言っている.
「しかしながら,貨幣の価値を,多数の商品の支配力(the power of commanding the
mass of commodities)と同義語と考えた場合,改良された機械の効果を含めても(我々
はそれを問題についての正しい見解であるとは考えないのであるが),なお地金の価 値は大きく下落したように思われる.」(ibid.)
31) マルサスは穀物を,「アダム・スミスによって実際に不幸にも採用された尺度」(High, p.247)
と言っている.
したがって,貨幣の価値を「すべての商品と順番に比較していく」と述べ ていたが,それが今の引用文では,「多数の商品の支配力」によって測定する ことであると言われているのである.ところで,ここで述べられている考え 方は,『原理』初版第2章第1節「価値の様々な種類について」で述べられ ている,価値の測定法についての考え方に近いように思われる.マルサスは,
次のように言っていた.
「それ〔価値という言葉〕が,貨幣のような指定されたある1商品と交換される 品物の能力と関係ないとすると,それは,3または4,5または6,8または10を 合わせたものと交換される能力に,多数の商品を組み合わせたもの(the mass of commodities combined)に,あるいは,この多数を最も近似的に表している労働を支 配する能力に,関係しているに違いない.」(1st ed., p.61)
この初版の文章では,価値が「多数の商品を組み合わせたもの」に関係し ていると言っていることから,価値がいわば「多数の商品」のバスケットに よって測定されると考えていたものと思われる.これは,今考察している論 文における,価値を「大部分の商品の支配力」によって測定するという考えと,
同様なものであると思われる.その意味では,価値尺度についての考え方が,
『原理』初版のレベルにまで戻ってしまっているようにも考えられるのである.
したがって,これまでのこの論文における議論では,『価値尺度論』で述べ られていた支配労働量という価値尺度以外に,様々な尺度が持ち出されてい るのであるが,さらに続けて,次のような議論が行われている.
「さらに,もし我々が,金属貨幣と他の諸商品をそれらの供給の相対的条件によっ て測定すると,そのような貨幣の価値は,さらにより著しく減少したように思われ るであろう.商品の主要な供給の条件は,その品物と,それを生産するのに用いら れた資本の部分との,両方に用いることが必要な労働に,前払いに対する通常の利
潤を加えたものであることは,経済学者によって認められている.そのときの必要 労働か通常の利潤かのどちらかが得られないときには,供給は当然下落するであろ う.」(High, pp.248-249)
今度は価値を「供給の相対的条件」32)によって測定しようというのである.
それでは「供給の相対的条件」とは何かというと,それは今の引用文では,「そ の品物と,それを生産するのに用いられた資本の部分との,両方に用いるこ とが必要な労働に,前払いに対する通常の利潤を加えたもの」であるという.
すなわちその商品の生産に直接用いられた労働と,その商品の生産に用いら れた資本を生産するのに用いられた労働との合計,それをマルサスは「必要 労働」と呼んでいるが,それに「前払いに対する通常の利潤」を加えたもの だというのである.
そして少し後の所でマルサスは,「商品が支配する労働量は,明らかに,利 潤を加えた,それに用いられた(worked up)労働量に等しく,そしてしたがっ て,供給の自然的な,そして必要な条件を表すのである」(High, p.250)と言っ ている.したがって必要労働と利潤の合計は,その商品の支配労働量に一致 することになるのである.
ところで,ここで述べられている商品の供給条件についての考えは,本稿 の「1 『価値尺度論』における議論について」で紹介した,『価値尺度論』の 最初の箇所で展開されている「価値の自然的要素についての議論」と,ほぼ 同様なものであるように思われる33).そこで見たように,マルサスは,商品 の交換価値は,蓄積労働+直接労働+労働で評価した利潤,によって測定さ れ,それが支配労働量と同じになると考えていた.そして,『価値尺度論』で は,このようにして得られた労働量は,商品の供給条件を表すことになると
32) すぐ次の箇所では「供給の相対的条件」を,「一般的基準(general criterion)」(High, p.249)
と呼んでいる.
33) 本稿,2ページを参照.
言われているのである.
「諸商品の供給条件は,……,それぞれが適当な自然4 4価値を保持すること,すなわ ち生産者に,生産し蓄積する力を引き続き同じ程度に与える物を獲得する手段を保 持することが,必要なのである.…….しかし資本家に特有の前払は服地ではなくて,
労働からなる.しかも他のいかなるものも与えられた労働量を表示しうるものでは ないから,この点では,労働がまったく独自の地位をしめるものであること,商品 の供給条件,または自然価値を表示しうるものは,商品が支配する労働4 4の分量であっ て,他の商品の数量ではないことは明らかである.」(Measure, p.189;訳,24-25ページ)
すなわち,蓄積労働+直接労働+労働で評価した利潤は,その商品の支配 労働量と等しく,「商品が支配する労働4 4の分量」は,商品の供給条件を表すこ とができるのである.
そうすると,今考察している論文における「必要労働」に「前払いに対す る通常の利潤」を加えたものは「供給の相対的条件」を測定するという考えは,
『価値尺度論』の最初の箇所で述べられていた考えと,同様なものであるとい うことになる34).
さて,マルサスはこのような議論の後,供給条件によって金と穀物,ある いは穀物以外の商品とを比較しても,金の価値の低下は明らかであるという 議論を展開した後に,第4の命題についてのこれまでの議論をまとめて,次 のように言うのであった.
「そこで,商品の価値を評価するためにかつて採用されたどのような尺度によって
34) この論文における議論と『価値尺度論』における議論との違いは,論文においては『価値尺 度論』におけるように,利潤が労働で測定されるということが明確化されていないことである.
しかし,先に見たように,「利潤を加えた,それに用いられた労働量」は「商品が支配する労働量」
に等しいと言われていたので,利潤を労働によって測定することが,想定されていたと考えて 良いであろう.
も,すなわち,我々が1つのものを取ろうと,いくつかのものを取ろうと,すべて のものを取ろうと,商品に用いられている労働を取ろうと,あるいは供給の必要条 件である労働と利潤の量を取ろうと,地金の価値は,平均して,1792年から1813年 までにかなり下落したに違いなく,そして同じ基準(criterions)によると,地金の 価値は1813年以降かなり上昇したに違いないように思われる.」(High, p.250)
すなわち,マルサスは,金の価値を「1つのもの」,「いくつかのもの」,「す べてのもの」,「商品に用いられている労働」,「供給の必要条件」という5つ の尺度によって,考察してきたと言っている.そしてそのどの尺度で測っても,
金の価値は1792年から1813年までは下落し,1813年以降上昇した,という のであった.
さて,これまで,1823年の「高物価と低物価」における第4の命題につい ての議論を中心に検討してきた.そこでは金の価値の変動を明らかにするた めに,何を尺度にして,金の価値を測定するかが問題とされていた.マルサ スは,『価値尺度論』における議論に基づいて支配労働量によって価値を測定 することも行っていた.しかし,それで議論が終わるのではなく,労働以外 の多数のものを価値尺度にして議論を行っていた.そこで言及されたのは,
スミスが採用した穀物であり,リカードウが採用した投下労働量であり,マ ルサスが『原理』初版で採用した穀物と労働の中間や多数の商品であり,そ して『価値尺度論』で言及した供給条件であった.
ただし,最後の供給条件は,『価値尺度論』の議論では,蓄積労働+直接労 働+労働で評価した利潤は,その商品の支配労働量と等しく,その支配労働 量は商品の供給条件を表すことができる,という議論が行われたのであり,
商品の供給条件を価値尺度としたわけではなかった.その意味で,この議論は,
『価値尺度論』における議論から逸脱しているようにも思われるのである.
先ほど述べたように,マルサスはこの論文の中で,『価値尺度論』における 議論を,価値の問題について「明確性と正確性」を与えるものと高く評価し