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「営業」と「事業」の同一性についての一考察 : 商号単一の原則に立ち返って

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(1)

「営業」と「事業」の同一性についての一考察 :  商号単一の原則に立ち返って

著者 笹久保 徹

出版者 法学志林協会

雑誌名 法学志林

巻 115

号 3

ページ 93‑134

発行年 2018‑03‑20

URL http://doi.org/10.15002/00023092

(2)

「営業」と「事業」の同一性についての一考察(笹久保)

九三

「営業」と「事業」の同一性についての一考察

──商号単一の原則に立ち返って──

笹   久   保   徹 一   はじめに

  平成一七年の商法改正及び同年の会社法制定によって、商法学者や実務家は若干の戸惑いを感じた。その主な理由

は、会社法という独立した法令が制定され、条文の文言や条文の構成が大きく変更されたことにあるが、ほかに、新

たな用語や新たな概念が導入されたこともその理由の一つであった。

  会社法で条文上新たに用いられることになった「事業」という用語も、そのような戸惑いをもたらしたものの一つ

である。会社法は、商法がそれまで用いてきた「営業」という用語にかえて、会社に関しては「事業」という用語を       はじめに

      会社法において新たに「事業」が用いられた理由       商号単一の原則について       本稿の試論

      おわりに

(3)

法学志林 第一一五巻 第三号

九四用いるとしたが(会社法二一条以下、会社法四六七条以下。なお、会社法も商人に関しては「営業」を用いる(会社

法二四条二項)。)、他方で、平成一七年改正後の商法は、従前と同じく「営業」を用い、さらに「事業」も併用した

(商法一四条以下)。

  現在に至っては、商法学者及び実務家の間において、会社法の「事業」は平成一七年改正前商法の「営業」と実質 的には同じであり、規制の実質は変わらず、用語の整理にすぎなかったとする認識で一致している

) (

。しかしながら、

現在もなお、会社が営むものの総体が「事業」であり、個々のものが「営業」であるとする指摘も見られる

) (

。釈然としない、後味の悪い思いが残る。会社法の「事業」と商法の「営業」は同一か否か、会社に関して「事業」と「営

業」を使い分けなければならない状況が本当に存在するのか否か、といった疑問が生じる。本稿は、このような会社

法の「事業」という用語と商法の「営業」という用語の関係を明確にすることを試みるものである。

  この問題は、喉に刺さった魚の小骨のようなものである。小骨がとれないからと言って命に別状はないが、放って

おけば事ある毎に煩わしい不快感をもたらすのである。本稿は、大問題を解決するものではないが、このような煩わ

しい不快感を取り除くための一考察であり、それは、一見すると全く関係ないと思われる商号単一の原則を再認識す

るための考察でもある。

二   会社法において新たに「事業」が用いられた理由

  平成一七年制定の会社法が新たに用いた「事業」という用語は、平成一七年改正前商法において用いられている

「営業」という用語と実質的に同じであるとされながらも、会社が行うべきものの総体は、「営業」と区別して、「事

(4)

「営業」と「事業」の同一性についての一考察(笹久保)

九五 業」と呼ぶとする指摘がしばしばなされる。  たとえば、次のような記述である。  江頭教授は、「第一に、会社法は、会社法制定前の『営業譲渡』の語を『事業譲渡』に変えたが、これは、商人は

商号一個ごとに一つの『営業』を営むものとされていること(八九八頁注

3

)との関係から、一個の商号しか持ち得 ない会社が行うものの総体は『営業』と区別して『事業』と呼ぶことにした 00000000000000000000000000000000という、用語の整理に過ぎない(相澤 哲=郡谷大輔「定款の変更、事業の譲渡等、解散・清算」商事一七四七号五頁[二〇〇五])。」(傍点筆者)と述べる

) 3

  北村教授は、「平成

(7

渡または一部を譲す全ることを営業の部の年を改正前商法は、会社含業めて商人がその営譲

渡(営業譲渡)とよんでいたが、会社法は、会社については『事業(の)譲渡』という文言に変えた。これは、個人商人は商号

個ごとに

つの『営業』を営むものとされていることとの関係から、

個の商号しか持たない会社が行 0000

うものの総体は『営業』と区別して『事業』とよぶことにした 0000000000000000000000000000ことによる(江頭

8 5 9

頁)。」(傍点筆者)と述べる

( )

  前田庸博士は「上述のように事業という言葉を用いることにしたのは、会社が複数の営業を営んでいる場合を考慮

したものといわれている。すなわち、会社の場合には複数の営業を営んでいても、商号は

つとされる(個人の場合 には営業ごとに複数の商号を用いることができる)ので、会社が営むべきものの総体については、個々の営業と区別 00000000000000000000000000

して事業という言葉を用いることにした 000000000000000000という。」(傍者)と述べ

) 5

、また、「旧会社法のもとで使われていた『営

業』という用語が会社法のもとでは『事業』という用語に置きかえられている。その理由は、会社が複数の営業(た 0000000000

とえば鉄道営業と百貨店営業)を営んでいる場合に、その総体につき個々の営業と区別して、事業という用語を用い 0000000000000000000000000000000000000000000000000000

た 0ものと説明されている。」(傍点筆者)と述べている

) (

(5)

法学志林 第一一五巻 第三号

九六

  田中亘教授は、「会社法は、平成

(7

年改正前商法の時代に『営業』譲渡といわれていたものを、『事業』の譲渡と改

めた(

( ( 7

条以下)。これは、商人は商号

個ごとに

いか係関のととこるてつれさとのもむ営業』をの『営ら、

個の商号しか持ち得ないという、用語の整会社が行うものの総体は『営業』と区別して『事業』と呼ぶことにした 00000000000000000000000000000000

理にすぎない(立案担当

( 3 9

ば、改意の渡譲業営るけおに法商前正え頁)とで、たのいなりわ変は質実の制。規味

についての判例は、会社法の『事業の譲渡』の意味についての判例と考えてよい(⇨(

))。」(傍点筆者)と述べる

7 )

  加美教授は「個人商人は、一個の営業につき一個の商号を用い、複数の営業には、複数の商号を用いることができるが、会社は、法人としての名称が商号とされ、一個の商号しか持つことができないため、会社が行うべきものの総 00000000000

体は、個々の営業とは区別して事業と表記した 000000000000000000000と説明されている(相澤=郡谷・商事法務一七四七号五頁)。」(傍 筆者)と述べる

) 8

  小林俊明教授は、「会社の場合には、その法人としての名称が商号とされ、複数の営業を営んでいても

個の商号 しか持つことができない。そこで会社法では、会社が行うべきものの総体については個々の営業と区別して『事業』 0000000000000000000000000000000

と表記する 00000ようになっている(会

( (

条・

( ( 7

条参照)。」(傍点筆者)と述べる

9 )

  鈴木正彦教授は、「商人は商号

個ごとに

つの『営業』を営むものとされているが、

つの商号しか持つことが できない会社が営む総体を『営業』と区別して『事業』と呼ぶことにした 00000000000000000000000000000とされる。相澤哲=郡谷大輔「定款の変更、

事業の譲渡等、解散、清算」商事法務

( 7

( 7

5

頁(

( 0 0 5

年)」(傍点筆者)と述べる

(( )

  金丸弁護士は、「会社法は、平

(7

い語用うい業』とく『事なはで語用う業』と改た『営いてれらい用で法商前正を 用いているが、これは用語を整理し、会社が行うべきものの総体を個々の営業と区別して事業と表記した 000000000000000000000000000000ものにすぎ

ず、平

(7

は及ぼすものでな更い(相澤・新会社法解を変改に正前商法のもとおにける従来の解釈説

( 3 9

( (

0

(6)

「営業」と「事業」の同一性についての一考察(笹久保)

九七 頁)。」(傍点筆者)と述べる

) ((

  このように、いくつもの文献において、会社が行うべきものの総体を、「営業」と区別して、「事業」と呼ぶとする

旨の指摘がなされている。ここで注目すべきは、これらの文献の多くのものが、平成一七年の会社法制定時における

立案担当者による記述を挙げていることである。

  それでは、その立案担当者の記述を見てみよう。立案担当者は次のように記述している。

「会社法では、会社が行うべきものについて、現行商法で用いられていた『営業』という用語を改め、他の法人法

制で一般的に用いられている『事業』という用語を用いている。

  このように用語の変更をした理由の一つは、会社法が他の多くの法人法制や組織法としての基本法的な役割を果

たしていることにかんがみ、用語の統一を図るという法制的な観点が挙げられる。

  また、現行商法における『営業』の概念が、個人商人に用いられる場合と会社に用いられる場合とでは、必ずし

も同義ではないのではないかという問題に対応しようとすることも、理由として挙げることができる。現行法の下

では、個人商人は、一個の営業のつき一個の商号を用いるという考え方の下、一の個人が複数の営業を営むときに

は複数の商号を用いることができることとされているのに対し、会社は、その法人としての名称が商号とされ(注

二)、一個の商号しか持ちえないため、仮に会社が複数の営業を営んでいても、一個の営業として取り扱うほかな

いという問題があった。そこで、会社法では、このような概念の差異を整理し、会社が行うべきものの総体につい

ては、個々の営業とは区別して、事業と表記することとしたものである。

(7)

法学志林 第一一五巻 第三号

九八

  これに伴い、現行法における『営業の譲渡』等の表現も、会社法では『事業の譲渡』等の表現に変更されている

が、改正の趣旨は前記のとおり用語の整理の問題であるから、これらに関する従来の解釈をただちに変更するもの

ではない

) ((

。」

  右記の引用部分において、会社法の立案担当者は、会社法で「事業」を用いた理由を二つ挙げている。第一の理由

は、他の法令との用語の統一を図るためである。第二の理由は、営業の概念が個人商人に用いられる場合と会社に用いられる場合とでは同義ではないのではないかという問題に対応して、概念の差異を整理し、会社が行うべきものの

総体を事業と表記して個々の営業と区別するためである。

  右の第一の理由ついて、異論はない。第一の理由のみが会社法で「事業」を用いた理由であるならば、従来の「営

業」がそのまま会社法上で「事業」に言い換えられただけであり、納得できる。しかしながら、第二の理由について

は釈然としない。念のため第二の理由の内容を確認すると、個人商人と会社における営業概念の差異を整理し、会社

が行うべきものの総体を「事業」とし、それを構成する個々のものを「営業」とするというのである。これに従えば、

会社法においては、正確には、「事業」と「営業」を使い分ける必要があることになる。立案担当者の述べているこ

とを具体的に示せば、ある一つの会社がデパートを経営し、同時に鉄道を経営している場合、この会社の行うべきも

のの総体、すなわち、デパート及び鉄道を合わせて「事業」と呼び、デパートと鉄道のそれぞれを「営業」と呼ぶことになろう。

  しかしながら、大多数の商法学者は、このような立案担当者による用語の使い分けの提案を無視しているようであ

る。平成一七年の会社法制定後において、先に紹介した商法学者も含めて、商法学者は、右記の具体例におけるデパ

(8)

「営業」と「事業」の同一性についての一考察(笹久保)

九九 ート及び鉄道を合わせて「事業」と呼び、同時に、デパートと鉄道のそれぞれも「事業」と呼んでいる(学者によってはデパートと鉄道のそれぞれを「事業部・事業部門」と呼ぶこともあるが、「営業」とは呼んでいない

) ((

。)。ほとん

どの商法学者が、平成一七年改正前商法の「営業」をそのまま会社法の「事業」と読み替えており、いたって単純に

対処することによって、無用な混乱を回避している。筆者も、このような大多数の商法学者の対応を支持し、それに

従うものである。

  本稿が追求したいのは、右記の第二の理由に関してである。さらに具体的に言えば、立案担当者が第二の理由を挙

げるに至った根拠の部分、すなわち、「現行法の下では、個人商人は、一個の営業のつき一個の商号を用いるという

考え方の下、一の個人が複数の営業を営むときには複数の商号を用いることができることとされているのに対し、会

社は、その法人としての名称が商号とされ(注二)、一個の商号しか持ちえないため、仮に会社が複数の営業を営んでいても、一個の営業として取り扱うほかないという問題があった。」とする部分である。この部分が、会社法にお

いて「事業」という用語を新たに用いることにさせた原因の一つでありながらも、理解が困難な箇所である。この部

分は、いわゆる商号単一の原則について述べているようであるため、次に、商号単一の原則について検討する。

三   商号単一の原則について

】   我が国の商法及び会社法においては、商号単一の原則を直接に定めた規定は存在しない。しかしながら、この原則

が認められることについて、判例・学説上争いはない。明文規定が存在しないこともあって、論者によって商号単一

(9)

法学志林 第一一五巻 第三号

一〇〇の原則に関する説明に若干の違いがあり、また、その内容に関しても争いがある

) ((

  圧倒的多数の学者に支持されている通説

) ((

の見解によれば、商号単一の原則とは、商人は同一営業につき複数の商号

を有することができないとする原則となる。別の言い方をすれば、一個の営業につき一個の商号しか有することがで

きないという原則である。通説は、商号単一の原則を営業単位で理解し、営業に商号を対応させて商号の数を制限す

るのである。通説は、商号単一の原則を認める根拠として、仮に一個の営業について複数の商号が認められるとする

と、第一に、一般公衆の誤解を生じさるおそれがあること、及び、第二に、他人の商号選定の自由の妨げになるおそれがあることを挙げる

) ((

  このような通説の見解に対して、少数説

) ((

は、通説と同様に、商号単一の原則は同一営業につき複数の商号を有する

ことができないとする原則であるとしつつも、さらに続けて、一個の営業に複数の営業所が存在する場合には、営業

所毎に異なる商号を有することができるとする。少数説は、商号単一の原則を営業所単位で理解し、営業所に商号を

対応させて商号の数を制限するのである。

  少数説を主張する松本博士は、「商号単一ノ原則ハ、一営業所ニ於テ多数ノ商号ヲ有スルコトカ一方ニ於テ一般公

衆ヲ誤解ニ陥ラシムルノ虞アルト他方ニ於テ他ノ商人ノ商号選定ノ自由ヲ不当ニ制限スルノ結果ヲ来スノ弊害アルト

ニ因リ条理上生スルモノ」と述べる

) ((

。この松本博士の記述にもあるように、少数説は、商号単一の原則を認める根拠

として、仮に一つの営業所において複数の商号が認められるとすると、第一に、一般公衆の誤解を生じさるおそれがあること、及び、第二に、他人の商号選定の自由を不当に妨げることになることを挙げる

) ((

  通説と少数説の相違は、商人が一個の営業について営業所毎に異なる商号を用いることができるか否かである。こ

の場合に、通説は営業所毎に別の商号を用いることはできないと解している。これに対して、少数説は営業所毎に異

(10)

「営業」と「事業」の同一性についての一考察(笹久保)

一〇一 なる商号を用いることができると解している。

】   裁判所の立場をみてみよう。公になっている判例集・雑誌等に掲載された商号単一の原則に関する判例は、極めて 少ない。おそらく唯一

) ((

と思われる判例は、大審院大正一三年六月一三日第一民事部決定である。

  大審院大正一三年六月一三日第一民事部決定

(大正一三年(ク)第二六四号、商号新設登記抹消ニ対スル異議却下決定ニ対スル抗告事件、民集三巻二八〇頁

) ((

  〔事実〕

  X(越後豊二・抗告人)は、越前国武生町泉百十二番地において、「丸越一商店」という商号の登記をなし、つ

づいて同一営業について「丸越商店」という商号を登記した。しかし、武生区裁判所登記所は後になした登記は許

すべからざるものとして、非訟事件手続法一五一条ノ二第一項(現行法の商業登記法一三五条一項に相当する)に

より、Xに通知した。Xは異議を申し立てたが、武生区裁判所はXの異議申立を却下した。

  そこで、Xが原審裁判所に抗告した。しかし、原審裁判所は、「商号ハ商人カ営業上自己ヲ表示スル名称ニ外ナ

ラサレハ一般生活上個人ヲ表示スル名称タル氏名カ単一ナルカ如ク同一営業所ニ於ケル一個ノ営業ニ対スル商号モ

単一ナルヘク一個ノ営業ニ付同一営業所ニ於テ数個ノ商号ヲ使用スルコトヲ許ササルモノト解スルヲ相当トス」

云々という理由で、Xの抗告を棄却した。

  これに対して、Xが抗告した。Xは、抗告理由において、商法は同一人の同一営業所における同一営業のために

(11)

法学志林 第一一五巻 第三号

一〇二する複数の商号の使用を禁じていないため、複数の商号新設の登記をしても決して不当ではないと主張している。

  〔決定要旨〕

  大審院第一民事部は、次のように述べて、Xの抗告を棄却した。

  「商

人カ数種ノ独立シタル営業ヲ為シ又ハ数個ノ営業所ヲ有スル場合ニ於テハ其ノ各営業又ハ営業所ニ付別異ノ

商号ヲ有スルコトヲ妨ケスト雖同一営業ニ付同一営業所ニ於テ数箇ノ商号ヲ有スルコトハ之ヲ認許スヘカラサルモ

ノト解スルヲ相当トス蓋斯ノ如キ商号単一ノ原則ハ商法ノ明文上之ヲ徴スヘキモノナシト雖若之ヲ是認セサルニ於テハ商人カ同一営業所ニ於ケル単一ノ営業ニ付幾多数箇ノ商号ヲ選定スルモ不可ナキニ至リ他人ノ商号選定ノ自由

ヲ故ナク制限シ又取引上弊害ヲ生スルノ虞アルコト明白ナレハ之ヲ是認スルノ必要アルハ各人ノ氏名単一ノ原則ニ

於ケルト異ルコトナケレハナリ故ニ同一ノ趣旨ニ基ク原決定ハ正当ニシテ本件抗告ハ其ノ理由ナ〔シ〕」

  この大審院決定は、個人商人の商号を扱った事案であり、いわゆる商号単一の原則が我が国の商法上認められるこ

とを明らかにしたものである。大審院の判断は、個人商人が同一の営業につき同一の営業所において複数の商号を有

することを認めないとするものであった

) ((

。大審院は、先に紹介した少数説を主張する松本博士の根拠付けと結論を、

ほとんどそのまま、その決定理由に採用したと思われる

) ((

。傍論部分も含めて考慮すると、この大審院決定によれば、

個人商人は、同一営業であっても、営業所が異なれば、全く異なる商号を有することが許されることになる。

  通説は、当然、この大審院決定に批判的であった。通説は、営業単位で商号の数を制限しようと考えており、各営

業所の営業は同一営業の構成部分にすぎないため、各営業所につき全く異なる商号を用いることは許されないと考え

ている

) ((

。なお、通説を支持する学者の多くが、支店の営業もある程度の独立性を有するため、所定の商号に営業所所

(12)

「営業」と「事業」の同一性についての一考察(笹久保)

一〇三 在地の名称その他支店であることを示す文字を加えることは差し支えないとしている(例えば、A商店大阪店、B商店東京支店等

) ((

)( ((

)。

3

】   現在、圧倒的多数の学者が通説を支持しており

) ((

、少数説を支持する者は稀である

) ((

。このため、本稿は、以下では通

説のいうところの商号単一の原則を用いて議論を進める。

  ここで念のため、通説による商号単一の原則を確認する。通説の見解によれば、商号単一の原則とは、商人が同一

営業につき複数の商号を有することができないとする原則である。別の言い方をすれば、一個の営業について一個の

商号しか用いることができないということである。商号単一の原則を簡潔に記述すると「一営業につき複数商号を禁じる」、または、「一営業につき一商号のみとする」となる

) ((

  以下では、商号単一の原則をより明確に把握するために、個人商人の場合と会社の場合とに分けて、具体的な状況

を設定しつつ検討する。なお、会社法によれば、会社に関しては「事業」という用語を用いることが正確であるが、

混乱を避けるため、以後、本稿の「五  おわりに」までは、平成一七年の商法改正前および同年の会社法制定前に立

ち返って、個人商人の場合も会社の場合も統一して「営業」という用語を用いることにする。

  設定する状況は、個人商人に関して、第一、個人商人が一個の営業をなす場合に一個の商号のみを有するとき(一

営業・一商号の場合)、第二、個人商人が数個の営業をなす場合にその営業毎に各別の商号を有するとき(複数営

業・複数商号の場合)、第三、個人商人が一個の営業をなす場合に数個の商号を有するとき(一営業・複数商号の場

合)、及び、第四、個人商人が複数の営業をなす場合に一個の商号を有するとき(複数営業・一商号の場合)である。

(13)

法学志林 第一一五巻 第三号

一〇四同様に、会社に関しても、第一、会社が一個の営業をなす場合に一個の商号のみを有するとき(一営業・一商号の場

合)、第二、会社が数個の営業をなす場合にその営業毎に各別の商号を有するとき(複数営業・複数商号の場合)、第

三、会社が一個の営業をなす場合に数個の商号を有するとき(一営業・複数商号の場合)、及び、第四、会社が複数

の営業をなす場合に一個の商号を有するとき(複数営業・一商号の場合)である。

】   まずは、個人商人の場合から検討する。

  第一、個人商人が一個の営業をなす場合に一個の商号のみを有するとき(一営業・一商号の場合)。   個人商人が、一個の営業をなす場合に、一個の商号のみを有するときはどうであろうか。例えば、個人商人Aが、

商号αを用いて、八百屋を営んでいる場合である。八百屋の看板にαが記載されており、個人商人Aが取引先等に配

る名刺にはαと記載してある。この時、第三者は個人商人A(又は八百屋)をαと認識しており、何の誤解も存在し

ない。商号単一の原則(「一営業につき複数商号を禁じる」、または、「一営業につき一商号のみとする」)に反してお

らず、問題はない。この状況を図にすれば次のようになる。

(14)

「営業」と「事業」の同一性についての一考察(笹久保)

一〇五    【個人商人の図Ⅰ】

     個人商人A営業︵八百屋︶  商号α   第二、個人商人が数個の営業をなす場合にその営業毎に各別の商号を有するとき(複数営業・複数商号の場合)。

  個人商人が、数個の営業をなす場合に、その営業毎に各別の商号を有するときはどうであろうか。例えば、個人商

人Aが、商号αを用いて八百屋を営んでおり、同時に、商号βを用いて玩具屋を営んでいる場合である。八百屋の看

板にαが記載されており、個人商人Aが八百屋の取引先等に配る名刺にαと記載してある。また、玩具屋の看板にβが記載されており、個人商人Aが玩具屋の取引先等に配る名刺にβと記載してある。

  この時、第三者は八百屋を営む個人商人A(又は八百屋)をαと認識しており、何の誤解も存在しない。また、第

三者は玩具屋を営む個人商人A(又は玩具屋)をβと認識しており、何の誤解も存在しない。商号単一の原則(「一

営業につき複数商号を禁じる」、または、「一営業につき一商号のみとする」)に反していない。

  このように、個人商人が数個の営業を行う場合に、その営業毎に各別の商号を有することができることに関して、

判例・学説上争いはない

) ((

。商業登記法も支配人登記に関してこのことを前提とした規定を設けている(商業登記法四

三条一項三号)。

(15)

法学志林 第一一五巻 第三号

一〇六

  【個人商人の図Ⅱ】

     個人商人A

営業︵玩具屋︶  営業︵八百屋︶ 

商号β 商号α

  第三、個人商人が一個の営業をなす場合に数個の商号を有するとき(一営業・複数商号の場合)。   個人商人が、一個の営業をなす場合に、数個の商号を有するときはどうであろうか。例えば、個人商人Aが、商号

α及び商号βを用いて、八百屋を営んでいる場合である。八百屋に設置されたある看板にαが記載されており、別の

看板にβが記載されている。個人商人Aが取引先等に配るある名刺にαと記載してあるが、他の名刺にはβと記載し

てある。この場合、第三者は、個人商人A(又は八百屋)をαと認識したらよいのか、βと認識してよいのか迷って

しまう。世間一般的に、どちらの商号で認識すべきか判別できない。これでは一般公衆に誤解が生じてしまう。

  商号単一の原則(「一営業につき複数商号を禁じる」、または、「一営業につき一商号のみとする」)に反している。この状況を図にすれば次のようになる。

(16)

「営業」と「事業」の同一性についての一考察(笹久保)

一〇七    【個人商人の図Ⅲ】

     個人商人A営業︵八百屋︶ 

商号β 商号α

  第四、個人商人が複数の営業をなす場合に一個の商号を有するとき(複数営業・一商号の場合)。   個人商人が、複数の営業をなす場合に、一個の商号を有するときはどうであろうか。例えば、個人商人Aが、商号

αを用いて八百屋を営み、同時に、商号αを用いて玩具屋を営んでいる場合である。八百屋の看板にαが記載されて

おり、個人商人Aが八百屋の取引先等に配る名刺にαと記載してある。また、玩具屋の看板にαが記載されており、

個人商人Aが玩具屋の取引先等に配る名刺にαと記載してある。

  この時、第三者は八百屋を営む個人商人A(又は八百屋)をαと認識しており、何の誤解も存在しない。また、第

三者は玩具屋を営む個人商人A(又は玩具屋)をαと認識しており、何の誤解も存在しない。商号単一の原則(「一

営業につき複数商号を禁じる」又は「一営業につき一商号のみとする」)に反していない。

  個人商人が複数の営業をなす場合に一個の商号を用いることができるとする結論は、商号単一の原則から当然に導

かれるため、直接的に言及する論者は少ない。しかしながら、例えば、大隅博士は「個人商人が数個の営業を営む場

(17)

法学志林 第一一五巻 第三号

一〇八合には(階上階下というように、同一場所でも差支えない)、その各営業につき各別の商号を有することができる。

この場合、その数個の営業につき一個の商号を用いることも差支えない。」と明確に述べている

) ((

   【個人商人の図Ⅳ】

     商号α個人商人A

営業︵玩具屋︶  営業︵八百屋︶ 

  商号単一の原則は、「一営業につき複数商号を禁じる」又は「一営業につき一商号のみとする」と記述することが

できるが、これまでの検討から明らかなように、この営業と商号の関係を逆にすることはできない。すなわち、「一

商号につき複数営業を禁じる」又は「一商号につき一営業のみとする」は、商号単一の原則の意味するところではな

い。

  本稿の扱っている問題との関係で重要となるため、繰り返し述べるが、商号単一の原則は、「一営業につき複数商

号を禁じる」又は「一営業につき一商号のみとする」と記述され、この営業と商号の関係を逆にすることはできない。

すなわち、「一商号につき複数営業を禁じる」又は「一商号につき一営業のみとする」は商号単一の原則の意味する

(18)

「営業」と「事業」の同一性についての一考察(笹久保)

一〇九 ところではない。個人商人が一個の商号を用いて複数の営業を営むことは、許されるのである。

5

】   次に、会社の場合を検討する。

  まず、前提として重要な点は、会社はその名称が商号であって、常に、商号を一個しか有しないということである

) ((

その理由については争いがあるも、この結論に関しては判例・学説上争いはない。

  第一、会社が一個の営業をなす場合に一個の商号のみを有するとき(一営業・一商号の場合)。   会社が、一個の営業をなす場合に、一個の商号のみを有するときはどうであろうか。例えば、会社Aが、商号αを用いてデパートを経営している場合である。デパートの看板にαが記載されており、会社Aが取引先等に配る名刺に

αと記載してある。この時、第三者は会社A(又はデパート)をαと認識しており、何の誤解も存在しない。もちろ

ん、商号単一の原則(「一営業につき複数商号を禁じる」、または、「一営業につき一商号のみとする」)に反しておら

ず、問題はない。この状況を図にすれば次のようになる。

   【会社の図Ⅰ】

     会社A営業︵デパート︶  商号α

(19)

法学志林 第一一五巻 第三号

一一〇

  第二、会社が数個の営業をなす場合にその営業毎に各別の商号を有するとき(複数営業・複数商号の場合)。   会社が、数個の営業をなす場合に、その営業毎に各別の商号を有するときはどうであろうか。しかしながら、前述

したように会社は一個の商号しか有することができないため、この状況は検討する必要がないことになる。

  第三、会社が一個の営業をなす場合に数個の商号を有するとき(一営業・複数商号の場合)。   会社が、一個の営業をなす場合に、数個の商号を有するときはどうであろうか。しかしながら、前述したように会

社は一個の商号しか有することができないため、この状況も検討する必要がないことになる。

  第四、会社が複数の営業をなす場合に一個の商号を有するとき(複数営業・一商号の場合)。   最後に、会社が、複数の営業をなす場合に、一個の商号を有するときはどうであろうか。例えば、会社Aが、商号

αを用いてデパートを経営し、同時に、商号αを用いて鉄道を経営している場合である。デパートの看板にαが記載

されており、会社Aがデパートの取引先等に配る名刺にはαと記載してある。また、鉄道の看板にαが記載されてお

り、会社Aが鉄道の取引先等に配る名刺にαと記載してある。

  この時、第三者はデパートを営む会社A(又はデパート)をαと認識しており、何の誤解も存在しない。また、第三者は鉄道を営む会社A(又は鉄道)をαと認識しており、何の誤解も存在しない。商号単一の原則(「一営業につ

き複数商号を禁じる」又は「一営業につき一商号のみとする」)に反していない。この状況を図にすれば次のように

なる。

(20)

「営業」と「事業」の同一性についての一考察(笹久保)

一一一    【会社の図Ⅱ】

     会社A商号α 営業︵デパート︶ 

営業︵鉄道︶ 

  先の個人商人における検討の際にも述べたが、商号単一の原則は、「一営業につき複数商号を禁じる」又は「一営

業につき一商号のみとする」と記述され、この営業と商号の関係を逆にすることはできない。すなわち、「一商号に

つき複数営業を禁じる」又は「一商号につき一営業のみとする」は、商号単一の原則の意味するところではない。よ

って、会社は、商号単一の原則に反することなく、一個の商号を用いて、複数の営業をなすことができる。

  会社が一個の商号を用いて複数の営業をなすことができる旨を直接的に述べる論者は少ない

) ((

。しかし、それは当た

り前だからであろう。右記の具体例(会社の図Ⅱ参照)のように、一つ会社が、デパートを経営し、同時に鉄道を経

営するといった複数の営業をなしうることは当然であり、時にそれらを「デパート部・鉄道部」とか「デパート部

門・鉄道部門」と呼ぶが、要するに、別々の営業ということである。多くの商法学者が、会社は数個の営業を営む場

合であっても数個の商号を有することはできない旨を指摘している

) ((

が、この際に当該論者は、会社が数個の営業を営

(21)

法学志林 第一一五巻 第三号

一一二みうることを当然の前提として論じている。

  本稿の扱っている問題との関係で、非常に重要であるため繰り返し述べるが、商号単一の原則は、「一営業につき

複数商号を禁じる」又は「一営業につき一商号のみとする」と記述され、この営業と商号の関係を逆にすることはで

きない。すなわち、「一商号につき複数営業を禁じる」又は「一商号につき一営業のみとする」は商号単一の原則の

意味するところではない。

  会社は、一個の商号しか有することができないが、その一個の商号のもとに、複数の営業を営むことができる。このことは商号単一の原則に反していないのである。

四   本稿の試論

】   本稿が考察していた本題に戻ろう。

  平成一七年の商法改正及び同年の会社法制定の際に、会社法の立案担当者は、「現行法の下では、個人商人は、一

個の営業のつき一個の商号を用いるという考え方の下、一の個人が複数の営業を営むときには複数の商号を用いるこ

とができることとされているのに対し、会社は、その法人としての名称が商号とされ(注二)、一個の商号しか持ちえないため、仮に会社が複数の営業を営んでいても、一個の営業として取り扱うほかないという問題があった。」と

の理由を挙げた後、「そこで、会社法では、このような概念の差異を整理し、会社が行うべきものの総体については、

個々の営業とは区別して、事業と表記することとしたものである。」と述べた

) ((

(22)

「営業」と「事業」の同一性についての一考察(笹久保)

一一三   立案担当者による右記理由の前半部分、すなわち、「現行法の下では、個人商人は、一個の営業のつき一個の商号

を用いるという考え方の下、一の個人が複数の営業を営むときには複数の商号を用いることができることとされてい

る」という部分は問題ない。本稿が前述した個人商人に関する商号単一の原則の記述も同じである。

  しかしながら、立案担当者が述べた右記理由の後半部分、すわなち、「会社は、その法人としての名称が商号とさ

れ(注二)、一個の商号しか持ちえないため、仮に会社が複数の営業を営んでいても、一個の営業として取り扱うほ

かないという問題があった。」とする部分に問題がある。立案担当者は、右記理由の前半部分において個人商人に関

する商号単一の原則について述べ、「……に対し、」とした後、右記理由の後半部分において会社に関して述べている。

この文章の流れから、おそらく、右記理由の後半部分の会社に関する記述も、前半部分と同様に、商号単一の原則と

の関連から論じられていると思われる。

  右記理由の後半部分において立案担当者が述べているように、「会社は、その法人としての名称が商号とされ(注

二)、一個の商号しか持ちえない」ことは、確かにその通りである。しかし、なぜ、会社が有する商号が一個に限定

されることから、「会社が複数の営業を営んでいても、一個の営業として取り扱うほかない」ことになるであろうか

) ((

  本稿が、商号単一の原則に関して、第四、会社が複数の営業をなす場合に一個の商号を有するとき(複数営業・一

商号の場合)とする箇所で述べたように、商号単一の原則は、会社が一個の商号を用いて複数の営業を営むことを禁

じていない。すなわち、会社は一個の商号しか持ちえないが、その一個の商号のもとに複数の営業を営むことができ

る。そして、商号単一の原則から言えば、会社が営む複数の営業を、それぞれ別々の営業として取り扱っても問題は

なく、複数の営業をまとめて一個の営業として取り扱わなければならない、ということはない。

  立案担当者の記述が短いため、立案担当者が真に意図したところは不明確であるが、筆者は立案担当者の記述から

(23)

法学志林 第一一五巻 第三号

一一四一つの推測を抱くに至った。それは、立案担当者が商号単一の原則を誤解していたのではないかという推測である。

  本稿が何度も述べてきたように、商号単一の原則は、「一営業につき複数商号を禁じる」又は「一営業につき一商

号のみとする」と記述され、この営業と商号の関係を逆にすることはできない。すなわち、「一商号につき複数営業

を禁じる」又は「一商号につき一営業のみとする」は、商号単一の原則の意味するところではない。しかしながら、

立案担当者は、会社に関して、後者の場合も商号単一の原則であると考え、「一商号につき複数営業を禁じる」又は

「一商号につき一営業のみとする」も正しいと誤解したのではないだろうか。

  立案担当者がこのような誤解をしていたのではないかと考えると、立案担当者による右記理由の後半部分の記述、

すなわち、「会社は、その法人としての名称が商号とされ(注二)、一個の商号しか持ちえないため、仮に会社が複数

の営業を営んでいても、一個の営業として取り扱うほかないという問題があった。」とする記述が、抵抗感なく理解

できるのである。さらに具体的に言えば、立案担当者は、会社に関して、商号単一の原則が「一商号につき一営業の

みとする」を要求していると信じ、「会社は、……一個の商号しか持ちえないため、仮に会社が複数の営業を営んで

いても、一個の営業として取り扱うほかない……」と記述したのではないだろうかということである

) ((

  本稿の推測が正しいとすると、立案担当者が商号単一の原則を誤解したのは何故であろうかという疑問が生じてく

る(本稿の推測が誤りであったとしても、立案担当者が「会社が複数の営業を営んでいても、一個の営業として取り

扱うほかない」と記述するに至った別の理由とは何であろうか。)。筆者は、立案担当者の記述を何人もの商法学者等が引用しているという事実から、このような誤解は個人的なものではなく、立案担当者のような誤解を導く何らかの

原因とでも言うべき記述が存在したのではないかと考えた。

  そして、一つの文献を見つけることができた。その文献とは、鴻博士による名著『商法総則〔新訂第五版〕』(弘文

(24)

「営業」と「事業」の同一性についての一考察(笹久保)

一一五 堂、一九九九)である。

】   鴻博士は、その著書である『商法総則〔新訂第五版〕』の中で、商号単一の原則ついて次のように述べている。

「(d)商号単一の原則   日本商法には、商号単一の原則を直接に定めた規定はないが、商法上この原則がみとめ

られるべきことについては学説上争いがない。そして、この原則は営業所単位ではなく、営業を単位としてみとめ

られるものである。すなわち、商人が一個の営業をなすにすぎない場合には、これについて数個の商号を有するこ

とができないのである。個人商人は数個の営業をなすことができるから、その場合には、数個の商号を有しうるが、個人商人が一個の営業をなすにすぎない場合には、その営業について数個の商号を有することができない

。これに

対し、会社については、その営業は法律上常に一個の営業とみとめられるから、一個の商号しか有することができ

ない

) ((

。」

  右記の引用箇所は、一部の漢字がひらがな表記にかえられている点を除いて、同書の初版(一九七九年発行

) ((

)から

変更されていない。鴻博士は、右記の引用箇所において、まず、商号単一の原則が学説上争いなく認められているこ

と、鴻博士自身が同原則を営業所単位ではなく営業単位で捉え、通説の立場をとることを明示している。そして、個

人商人に関する商号単一の原則を記述した後、「これに対し、会社については、その営業は法律上常に一個の営業と

みとめられるから、一個の商号しか有することができない。」と記述する。

(25)

法学志林 第一一五巻 第三号

一一六

  このように、鴻博士は、「会社については、その営業は法律上常に一個の営業とみとめられる……」と明記してい

るのである。この鴻博士の記述が引き金となって、後の会社法の立案担当者や商法学者等が、会社が実際には複数の

営業を営んでいても、その総体を一個の営業として取り扱うしかない、と考えるようになったのではないだろうか。

さらに言えば、後の会社法の立案担当者や商法学者等が、会社に関して、商号単一の原則を「一商号につき複数営業

を禁じる」又は「一商号につき一営業のみとする」であると誤解するに至ったのではないだろうか。なぜなら、会社

の営業が法律上一個の営業とみとめられる旨の記述は、鴻博士が記述する以前に、公に刊行された文献において見あたらないためである。

  鴻博士による同書の記載のみから、鴻博士が真に意図したところを正確に理解することは難しい。同書の記載のみ

では、鴻博士が、商号単一の原則を会社に関してどのように理解し、その中で営業をどのように位置づけていたかを

把握することが非常に困難なのである。

  鴻博士には同書の初版(一九七九年発行)

) ((

以前に、商法総則に関する著書が存在する。石井博士との共著

) ((

である石

井照久=鴻常夫『商法総則(商法Ⅰ)〔第三版〕』(勁草書房、一九七五)である。この著書における商号単一の原則

に関する記述は、次である。

「(ハ)商号単一の原則   これは同一の営業については、一個の商号しか使用しえないという原則である。会社については、その企業は法律上一個の企業とみとめられているから、常に単一の商号しか使用しえないが、自然人で

ある商人についても、同一の営業については一個の商号しか有しえない(商登二八Ⅱ

・五一Ⅰ

3

参照)と解すべ きである(通説・判例)。……

) ((

(26)

「営業」と「事業」の同一性についての一考察(笹久保)

一一七   この引用箇所は、同書の第二版(一九七一年発行)においても一言一句同じである

) ((

。第二版は石井博士の単独執筆

であるため、右記の引用箇所は石井博士の見解ということになろう。

  右記の引用箇所において、石井博士は、「会社については、その企業は法律上一個の企業とみとめられているから、

常に単一の商号しか使用しえない……」と述べている。この部分は、先に挙げた鴻博士による記述(「会社について

は、その営業は法律上常に一個の営業とみとめられるから、一個の商号しか有することができない。」)と酷似する。

しかし、石井博士は、「会社については、その企業 00は法律上一個の企業 00とみとめられているから」(傍者)と記述 しているのであり、鴻博士のように「会社については、その営業 00は法律上常に一個の営業 00とみとめられるから」(傍

者)とは記述していない。すなわち、鴻博士は、自身の単独執筆の著書において、石井博士が「企業」と記載した箇所を「営業」に置き換えているのである。鴻博士がどのような意図で、「企業」を「営業」に置き換えたのかは、

やはり、今となってはその真意を知ることは難しい。

  筆者は、鴻博士が「企業」と「営業」の関係をどのように考えていたかを直接的に示す記述を見つけることができ

なかった。しかしなから、そのことを間接的に示していると思われる大変に興味深い記述を見つけた。

  鴻博士は、一九六七年に発行された『標章・商号・不正競争判例百選』の「判批」において、次のように記述して

いる。「営業(企業)の単複の決定に関連し、会社についての商号単一の原則を考えるにあたって、『会社が数個の営業を

なす場合』を予定すること自体には、西原博士が批判されているように、たしかに大きな疑問が存するし、……

) ((

(27)

法学志林 第一一五巻 第三号

一一八

  この記述から少なくとも言えることは、鴻博士は、西原博士の見解を支持しつつ、一九六七年時点において既に、

商号単一の原則を考えるにあたって「会社が数個の営業をなす場合」を予定することに否定的であったということで

ある。そして、右記の引用箇所において鴻博士は、「営業(企業)」と記載し、「営業」と「企業」を併記している。

鴻博士が、先に紹介した石井博士の著書において「企業」と書かれた箇所を自身の単独執筆の著書において「営業」

と置き換えた理由が、ここにあるのではないだろうか。鴻博士は、商号単一の原則を考える場面において、「営業」と「企業」を同一又は類似するものとして捉えていたのではないかと考えられるのである

) ((

3

】   鴻博士が右記の判例百選の「判批」において支持した西原博士の商号単一の原則に関する見解とは、いかなるもの

であろうか。西原博士が商号単一の原則をどのように考えていたかを検討してみよう。

  鴻博士が右記の判例百選の「判批」において引用している西原博士の文献は、西原寛一『日本商法論  第一巻〔第

二版〕』(日本評論社、一九五〇)である。この西原博士の著書における商号単一の原則に関する記述は次である。

   「二  商号の数   商号が企業を表彰する名称であると解するならば、一個の企業につき一個の商号のみを有すべきことは、当然で ある。これを商号単一の原則(

Grundsatz der Firmeneinheit

)という。従って、一個人が数個の営業を営むとき、

即ち一個人が数個の企業の主体たる地位を占めるときにも、商号は各企業毎に存在する(非訟一七三条一項二号は

(28)

「営業」と「事業」の同一性についての一考察(笹久保)

一一九 これを予想する)。勿論、企業の種類が異なるのであるから、同一名称を商号として採用することは差支ない。会

社形態の企業は、法律上それ自体一個の企業として取扱われているから、単一の商号を用い得るのみである

  これに反し、一個の企業につき数個の商号を有することは、公衆誤認の虞れがあるから、当然認められないと解す

べきである

。……

。従って、企業の数に応じて商号が各別に存し得る、と解せられるのである。産と営業財産との区別においても現れている) い手となることを認め、その会計及び組織が事実上独立性を有すれば足ることとしている(個人企業に対するかかる寛大性は、私用財 の人格名と企業名とが一致するのである。これに反し、個人企業においては、法は同一人格者の目的の無限性に顧み、複数の企業の担 であり、その会計・組織は一体としてのみ規制されている。即ち、会社企業は、法律上これを一個の企業として要請されるが故に、そ 独立によって基礎づけられているか否かの点に求むべきであろう。そして会社は、有機的関連のある特定の目的のために生まれたもの ないと思う。抑も営業(企業)の単複は、何によって決定するか。……結局、企業の単複は、企業目的の差異が会計及び組織の相互的 される。しかし、この場合を例外視して、商号と営業との関係を稀薄化することは、通説の商号概念構成の立場から見ても、穏当では  

通説によれば、会社の商号は全人格の名称であるから、たとい数個の営業を営む場合にも、一個の商号を有し得るに過ぎないと為  

大決大正一三・六・一三民一民集三巻二八二(()

。」

  この西原博士の引用箇所から、西原博士が商号単一の原則をどのように考え、その際に「営業」と「企業」の関係

をどのように捉えていたかを探る。なお、企業法説の先駆者である西原博士は、商法=企業法説を貫徹しており、企

業概念

) ((

を徹底して用いるところに特徴がある。

  右記の西原博士の引用箇所から、次の四点を導き出すことができる。

  第一に、西原博士は、「商号が企業を表彰する名称であると解する」と述べているため、商号を企業の名称であ

(29)

法学志林 第一一五巻 第三号

一二〇ると考えている。

  第二に、西原博士は、「一個の企業につき一個の商号のみを有すべき」と述べているため、一個の企業は一個の

商号のみを有すると考えている。

  第三に、西原博士は、「会社形態の企業は、法律上それ自体一個の企業として取扱われている」と述べているた め、一つの会社が一個の企業であると考えている

) ((

  第四に、西原博士は、「一個人が数個の営業を営むとき、即ち一個人が数個の企業の主体たる地位を占めるとき」と述べているため、原則として、一個の営業が一個の企業を形成すると考えている

) ((

  右記の四点から、西原博士は、企業と商号を一対一で対応させ、会社と企業を一対一で対応させ、営業と企業を一

対一で対応させていることがわかる。そして、その結果として、西原博士は、会社、商号、企業、及び、営業の関係

が一対一対応であると考えていたことがわかる。

  本稿において検討を要する状況は、会社(一個の商号しか有しない)が複数の営業を営む場合である

) ((

。この状況を、

西原博士の右記見解の観点からみてみよう。

  西原博士の見解によると、会社が一個の商号を有して複数の営業を営む場合とは、どのように考えることになるの

であろうか。例えば、会社Aが、商号αを用いてデパートを経営し、同時に、商号αを用いて鉄道を経営している場合である。西原博士は、会社、商号、企業、及び、営業の関係を一対一対応と考えているため、一つの会社は、一個

の商号を有する一個の企業であり、一個の営業のみを有することになる。これを図にすると次となる。

(30)

「営業」と「事業」の同一性についての一考察(笹久保)

一二一    【西原

図Ⅰ】

     会社A商号α企業営業︵デパート・鉄道︶ 

  この西原図Ⅰにおいて注目すべきは、会社Aが経営しているデパート及び鉄道は、全体として一個の営業として捉

えられている点である。西原博士は、商号単一の原則を論じる場面において、一個の営業が一個の企業を形成すると

考えている。このことは、右記の西原博士の引用部分の注*

において、西原博士が「営業(企業)の単複は、何に

よって決定するか。」と記載し、営業と企業を併記していることからも窺える。

  なお、西原博士の見解のもとでは、会社、商号、企業、及び、営業の関係が一対一対応となる必要があるため、こ

の一対一対応が崩れる状況、すなわち、一つの会社が二個の営業を有する場合や、一つの会社が二個の企業を有する

場合は認められないことになる。つまり、西原博士の見解からは、次のような二つの図(西原図Ⅱ、西原図Ⅲ)は成

立しないことになる。

(31)

法学志林 第一一五巻 第三号

一二二

   【西原

図Ⅱ】

     会社A商号α企業 営業︵デパート︶ 

営業︵鉄道︶ 

(会社、商号、企業、及び、営業の関係が一対一対応となっていない

ため、西原博士の見解によると理論上認められないことになる。) 

   【西原

図Ⅲ】

     会社A商号α

企業 企業営業︵デパート︶ 

営業︵鉄道︶ 

(会社、商号、企業、及び、営業の関係が一対一対応となっていない

ため、西原博士の見解によると理論上認められないことになる。) 

(32)

「営業」と「事業」の同一性についての一考察(笹久保)

一二三   次に、既に検討しているが、確認のために、商号単一の原則に関する通説の見解から、会社(一個の商号しか有しない)が複数の営業を営む場合を検討しよう。  商号単一の原則に関する通説の見解によると、会社が一個の商号を有して複数の営業を営む場合とは、どのように考えることになるのであろうか。例えば、会社Aが、商号αを用いてデパートを経営し、同時に、商号αを用いて鉄道を経営している場合である。  前述したように、通説において、会社が一個の商号を用いて数個の営業を営むことは、商号単一の原則に反しない。なお、通説においては、西原博士の見解と異なり、企業概念を考慮する必要がない。右記の具体例を通説の観点から図にすると次となる。   【通説

図Ⅰ】

     会社A商号α 営業︵デパート︶ 

営業︵鉄道︶ 

(33)

法学志林 第一一五巻 第三号

一二四

  この通説図Ⅰ、ならびに、西原図Ⅱ及び西原図Ⅲを見比べると、全体として類似していることがわかるであろう。

西原博士が成立を否定する西原図Ⅱ及び西原図Ⅲは、そこから企業の部分を除けば、通説図Ⅰと同一になるのである。

西原博士が重視する一対一対応が崩れることになる通説図Ⅰの状況、すなわち、会社が一個の商号を用いて複数の営

業を営むことができること及びそのように観念すること自体に対して、西原博士は疑問を呈する。先に西原博士の著

書を引用した箇所の注*

商とら、たかるあで称名の格人全は号のに社ば、会れよに説「通が、士博原て、西いおい

数個の営業を営む場合にも、一個の商号を有し得るに過ぎないと為される。しかし、この場合を例外視して、商号と営業との関係を稀薄化することは、通説の商号概念構成の立場から見ても、穏当ではないと思う。」と述べているの

は、このことを意味していると思われる。

  以上から西原博士の見解をまとめると、西原博士の見解によれば、会社、商号、企業、及び、営業の関係が一対一

対応となる必要があり、商号単一の原則に関する場面において、会社は、一個の企業とみとめられ、一個の商号しか

有することができず、一個の営業しか営むことができない、ということになる。

】   鴻博士は、商号単一の原則に関する通説の見解ではなく、右記の西原博士の見解(=企業法説を貫徹する立場)に

従ったのではないだろうか。鴻博士は、西原博士のように、商号単一の原則に関する場面では企業と営業が一対一対応であると考え、「企業」=「営業」と捉えて、石井博士の著書の中で「企業」と記載されていた箇所を自身の単独

執筆の著書において「営業」と置き換えたのではないだろうか。また、鴻博士は、西原博士のように、会社、営業、

商号の関係も一対一対応であると考え、自身の単独執筆の著書において「会社については、その営業は法律上常に一

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