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― ― 中国大陸 と 台湾 の 空間認知 に 関 する 意識調査

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(1)

229

1.はじめに

 中国大陸(以下では「大陸」と記す)と台湾では,日本語の共通語にあたる言葉として,いわゆる

「中国語」を使用している.これを大陸では「普通話」と呼び,台湾では「国語」と呼ぶ.

 「普通話」と「国語」では物の呼び方が異なることがあったり,発音の面で違いがあったりするこ とは,既に周知の事実である.しかし,指示詞については,日々頻繁に使われる日常言語の基本語で あって,物の呼び方が地方によって異なるのとは違い,同一の言語を使用している地域ではその使わ れ方はほぼ同じであると,従来暗黙のうちに了解されてきたように思われる.

 しかし,鈴木(2011)では,日本語小説中の指示詞の中国語訳を,大陸と台湾で出版された翻訳を 比較することにより,両地域における中国語指示詞 这・那 の使用実態に違いがあることを実証的 に示した.それによって, 这・那 の持つ遠近の違いから,大陸と台湾における遠近認知に違いが 存在すると主張している.

 本研究では,小説の翻訳を比較するという文字資料の調査ではなく,アンケートによる意識調査と いう方法を採用し,大陸と台湾における空間認知の実態を指示詞の面から比較する.果たして大陸と 台湾において一般の中国語ネイティブ達も小説の調査結果と同じような指示詞使用の違いを示すのか 或いは示さないのか,大陸と台湾との間で違いを示すとしたらそれはどのような違いとなって現れる のだろうか,という点について調査し,鈴木(2011)の結果を検証したいと考える.

2.先行研究における問題点

 鈴木(2011)では,『ノルウェイの森』の中の日本語指示詞「これ・それ・あれ」の中国語訳を,

大陸で出版された林少華の訳と,台湾で出版された頼明珠の訳とで比較している.下のグラフ1,

2,3は,『ノルウェイの森』の中の日本語指示詞「これ・それ・あれ」を中国語指示詞 这・那 を 使って訳したものに限定したとき, 这・那 が使用される割合をグラフで示したものである.グラ フ1,3を見ると,近称の「これ」に対しては大陸版,台湾版ともに 这 を90%以上使い,遠称の

「あれ」に対しては大陸版,台湾版ともに 那 を90%以上使っていて,2つの訳でほぼ同じような 傾向を示している.ところが中称の指示詞「それ」に対しては,グラフ2のように,大陸版では 这 を55%使っているが,台湾版では37%しか使っておらず,18ポイントの差がある.「それ」

中国大陸と台湾の空間認知に関する意識調査

 ―  这・那 の選択から見た距離感の違いについて ― 

鈴 木 進 一

SUZUKI Shinichi

論文

(2)

(鈴木2011 p. 163)

グラフ1 「これ」と 这・那

- 2 -

定 し た と き 、 “ 这・ 那 ”が 使 用 さ れ る 割 合 を グ ラ フ で 示 し た も の で あ る 。グ ラ フ 1、3 を 見 る と 、近 称 の「 こ れ 」に 対 し て は 大 陸 版 、台 湾 版 と も に“ 这 ” を 90%

以 上 使 い 、 遠 称 の 「 あ れ 」 に 対 し て は 大 陸 版 、 台 湾 版 と も に “ 那 ” を 90%以 上 使 っ て い て 、 2 つ の 訳 で ほ ぼ 同 じ よ う な 傾 向 を 示 し て い る 。 と こ ろ が 中 称 の 指 示 詞 「 そ れ 」 に 対 し て は 、 グ ラ フ 2 の よ う に 、 大 陸 版 で は “ 这 ” を 55%使 っ て い る が 、台 湾 版 で は 37%し か 使 っ て お ら ず 、18 ポ イ ン ト の 差 が あ る 。 「 そ れ 」に 対 し て は 、 2 つ の 翻 訳 の 間 で “ 这 ”を 使 っ て 訳 す か 、“ 那 ”を 使 っ て 訳 す か で ゆ

て い る の が 分 か る 。

グ ラ フ 1「 こ れ 」 と “ 这 ・ 那 ” グ ラ フ 2「 そ れ 」 と “ 这 ・ 那 ”

グ ラ フ 3「 あ れ 」 と “ 这 ・ 那 ”

(鈴 木 2011 p.163)

鈴 木 の 研 究 は 、 指 示 対 象 に 対 し て 使 用 す る 指 示 詞 の 遠 近 か ら 、 大 陸 と 台 湾 の 遠 近 認 知 の 実 態 を 比 較 し よ う と す る も の で 、 指 示 詞 に 指 示 機 能 が 明 確 に 表 れ て い る ほ ど 調 査 の 精 度 は 高 ま る 。 そ こ で 鈴 木 (2011)で は 更 に 「 そ れ 」 の 中 で も 指 示 機 能 が は っ き り と 現 れ て い る 「 そ れ が ・ そ れ は ・ そ れ を 」 を 取 り 出 し て 、 同 様 に“ 这 ・ 那 ”の 使 用 割 合 を 調 べ て い る 。ま た 、 『 ノ ル ウ ェ イ の 森 』か ら 得 ら れ た 結 果 を 検 証 す る た め に 、 別 の 小 説 『 東 京 タ ワ ー オ カ ン と ボ ク と 、 時 々 、 オ ト ン 』(以 下 で は『 東 京 タ ワ ー 』と 省 略 す る )に 対 し て も 、 「 そ れ が ・ そ れ は ・ そ れ を 」 に 対 し て 同 様 の 調 査 を 行 っ て い る 。 そ れ ら の 調 査 結 果 を グ ラ フ で 表 し た も の が 下 の グ ラ フ 4 か ら グ ラ フ 9 で あ る 。『 ノ ル ウ ェ イ の 森 』 の 「 そ れ は 」 (グ ラ フ 5)だ け が 大 陸 版 も 台 湾 版 も 、“ 这 ” よ り “ 那 ” の 割 合 が 多 い 、 し か し そ れ 以 外 は す べ て 、 大 陸 版 の 方 で “ 这 ” が “ 那 ” よ り 多 く 、 台 湾 版 の 方 で は “ 那 ”

グラフ3 「あれ」と 这・那

- 2 -

定 し た と き 、 “ 这 ・ 那 ”が 使 用 さ れ る 割 合 を グ ラ フ で 示 し た も の で あ る 。グ ラ フ 1、3 を 見 る と 、近 称 の「 こ れ 」に 対 し て は 大 陸 版 、台 湾 版 と も に“ 这 ” を 90%

以 上 使 い 、 遠 称 の 「 あ れ 」 に 対 し て は 大 陸 版 、 台 湾 版 と も に “ 那 ” を 90%以 上 使 っ て い て 、 2 つ の 訳 で ほ ぼ 同 じ よ う な 傾 向 を 示 し て い る 。 と こ ろ が 中 称 の 指 示 詞 「 そ れ 」 に 対 し て は 、 グ ラ フ 2 の よ う に 、 大 陸 版 で は “ 这 ” を 55%使 っ て い る が 、台 湾 版 で は 37%し か 使 っ て お ら ず 、18 ポ イ ン ト の 差 が あ る 。 「 そ れ 」に 対 し て は 、 2 つ の 翻 訳 の 間 で “ 这 ”を 使 っ て 訳 す か 、“ 那 ”を 使 っ て 訳 す か で ゆ

て い る の が 分 か る 。

グ ラ フ 1「 こ れ 」 と “ 这 ・ 那 ” グ ラ フ 2「 そ れ 」 と “ 这 ・ 那 ”

グ ラ フ 3「 あ れ 」 と “ 这 ・ 那 ”

(鈴 木 2011 p.163)

鈴 木 の 研 究 は 、 指 示 対 象 に 対 し て 使 用 す る 指 示 詞 の 遠 近 か ら 、 大 陸 と 台 湾 の 遠 近 認 知 の 実 態 を 比 較 し よ う と す る も の で 、 指 示 詞 に 指 示 機 能 が 明 確 に 表 れ て い る ほ ど 調 査 の 精 度 は 高 ま る 。 そ こ で 鈴 木 (2011)で は 更 に 「 そ れ 」 の 中 で も 指 示 機 能 が は っ き り と 現 れ て い る 「 そ れ が ・ そ れ は ・ そ れ を 」 を 取 り 出 し て 、 同 様 に“ 这 ・ 那 ”の 使 用 割 合 を 調 べ て い る 。ま た 、 『 ノ ル ウ ェ イ の 森 』か ら 得 ら れ た 結 果 を 検 証 す る た め に 、 別 の 小 説 『 東 京 タ ワ ー オ カ ン と ボ ク と 、 時 々 、 オ ト ン 』(以 下 で は『 東 京 タ ワ ー 』と 省 略 す る )に 対 し て も 、 「 そ れ が ・ そ れ は ・ そ れ を 」 に 対 し て 同 様 の 調 査 を 行 っ て い る 。 そ れ ら の 調 査 結 果 を グ ラ フ で 表 し た も の が 下 の グ ラ フ 4 か ら グ ラ フ 9 で あ る 。『 ノ ル ウ ェ イ の 森 』 の 「 そ れ は 」 (グ ラ フ 5)だ け が 大 陸 版 も 台 湾 版 も 、“ 这 ” よ り “ 那 ” の 割 合 が 多 い 、 し か し そ れ 以 外 は す べ て 、 大 陸 版 の 方 で “ 这 ” が “ 那 ” よ り 多 く 、 台 湾 版 の 方 で は “ 那 ”

グラフ2 「それ」と 这・那

- 2 -

定 し た と き 、 “ 这・ 那 ”が 使 用 さ れ る 割 合 を グ ラ フ で 示 し た も の で あ る 。グ ラ フ 1、3 を 見 る と 、近 称 の「 こ れ 」に 対 し て は 大 陸 版 、台 湾 版 と も に“ 这 ” を 90%

以 上 使 い 、 遠 称 の 「 あ れ 」 に 対 し て は 大 陸 版 、 台 湾 版 と も に “ 那 ” を 90%以 上 使 っ て い て 、 2 つ の 訳 で ほ ぼ 同 じ よ う な 傾 向 を 示 し て い る 。 と こ ろ が 中 称 の 指 示 詞 「 そ れ 」 に 対 し て は 、 グ ラ フ 2 の よ う に 、 大 陸 版 で は “ 这 ” を 55%使 っ て い る が 、台 湾 版 で は 37%し か 使 っ て お ら ず 、18 ポ イ ン ト の 差 が あ る 。 「 そ れ 」に 対 し て は 、 2 つ の 翻 訳 の 間 で “ 这 ”を 使 っ て 訳 す か 、“ 那 ”を 使 っ て 訳 す か で ゆ

て い る の が 分 か る 。

グ ラ フ 1「 こ れ 」 と “ 这 ・ 那 ” グ ラ フ 2「 そ れ 」 と “ 这 ・ 那 ”

グ ラ フ 3「 あ れ 」 と “ 这 ・ 那 ”

(鈴 木 2011 p.163)

鈴 木 の 研 究 は 、 指 示 対 象 に 対 し て 使 用 す る 指 示 詞 の 遠 近 か ら 、 大 陸 と 台 湾 の 遠 近 認 知 の 実 態 を 比 較 し よ う と す る も の で 、 指 示 詞 に 指 示 機 能 が 明 確 に 表 れ て い る ほ ど 調 査 の 精 度 は 高 ま る 。 そ こ で 鈴 木 (2011)で は 更 に 「 そ れ 」 の 中 で も 指 示 機 能 が は っ き り と 現 れ て い る 「 そ れ が ・ そ れ は ・ そ れ を 」 を 取 り 出 し て 、 同 様 に“ 这 ・ 那 ”の 使 用 割 合 を 調 べ て い る 。ま た 、 『 ノ ル ウ ェ イ の 森 』か ら 得 ら れ た 結 果 を 検 証 す る た め に 、 別 の 小 説 『 東 京 タ ワ ー オ カ ン と ボ ク と 、 時 々 、 オ ト ン 』(以 下 で は『 東 京 タ ワ ー 』と 省 略 す る )に 対 し て も 、 「 そ れ が ・ そ れ は ・ そ れ を 」 に 対 し て 同 様 の 調 査 を 行 っ て い る 。 そ れ ら の 調 査 結 果 を グ ラ フ で 表 し た も の が 下 の グ ラ フ 4 か ら グ ラ フ 9 で あ る 。『 ノ ル ウ ェ イ の 森 』 の 「 そ れ は 」 (グ ラ フ 5)だ け が 大 陸 版 も 台 湾 版 も 、“ 这 ” よ り “ 那 ” の 割 合 が 多 い 、 し か し そ れ 以 外 は す べ て 、 大 陸 版 の 方 で “ 这 ” が “ 那 ” よ り 多 く 、 台 湾 版 の 方 で は “ 那 ”

230

に対しては,2つの翻訳の間で 这 を使って訳すか, 那 を使って訳すかでゆれ4 4ているのが分か る.

 鈴木の研究は,指示対象に対して使用する指示詞の遠近から,大陸と台湾の遠近認知の実態を比較 しようとするもので,指示詞に指示機能が明確に現れているほど調査の精度は高まる.そこで鈴木

(2011)では更に「それ」の中でも指示機能がはっきりと現れている「それが・それは・それを」を 取り出して,同様に 这・那 の使用割合を調べている.また,『ノルウェイの森』から得られた結 果を検証するために,別の小説『東京タワー オカンとボクと,時々,オトン』(以下では『東京タ ワー』と省略する)に対しても,「それが・それは・それを」に対して同様の調査を行っている.そ れらの調査結果をグラフで表したものが下のグラフ4からグラフ9である.『ノルウェイの森』の

「それは」(グラフ5)だけが大陸版も台湾版も, 这 より 那 の割合が多い,しかしそれ以外は すべて,大陸版の方で 这 が 那 より多く,台湾版の方では 那 が 这 より多くなってい る.ただ1つの例外である「それは」も見方を変えると,「 这 の割合については大陸版の方が台湾 版よりも多く, 那 の割合については,台湾版の方が大陸版よりも多い」ということが成り立って いる.しかもこれは『ノルウェイの森』と『東京タワー』の6つのグラフすべてについて成り立って いる.この意味において,鈴木(2011)では「大陸版では 这 の割合が多く,台湾版では 那 の 割合が多い」(鈴木2011 p. 173)と結論付けている.しかし,中国語指示詞は 这 と 那 の2系 統であることから,「 这 の割合は,大陸版の方が台湾版より多い」と更に簡単に表すことができる.

(3)

グラフ4「それが」と 这・那

- 3 -

が “ 这 ” よ り 多 く な っ て い る 。 た だ 1 つ の 例 外 で あ る 「 そ れ は 」 も 見 方 を 変 え る と 、 「“ 这 ”の 割 合 に つ い て は 大 陸 版 の 方 が 台 湾 版 よ り も 多 く 、 “ 那 ”の 割 合 に つ い て は 、 台 湾 版 の 方 が 大 陸 版 よ り も 多 い 」 と い う こ と が 成 り 立 っ て い る 。 し か も こ れ は 『 ノ ル ウ ェ イ の 森 』 と 『 東 京 タ ワ ー 』 の 6 つ の グ ラ フ す べ て に つ い て 成 り 立 っ て い る 。 こ の 意 味 に お い て 、 鈴 木 (2011)で は 「 大 陸 版 で は “ 这 ” の 割 合 が 多 く 、 台 湾 版 で は “ 那 ” の 割 合 が 多 い 」 (鈴 木 2011 p.173)と 結 論 付 け て い る 。し か し 、中 国 語 指 示 詞 は“ 这 ”と“ 那 ”の 2 系 統 で あ る こ と か ら 、 「“ 这 ” の 割 合 は 、 大 陸 版 の 方 が 台 湾 版 よ り 多 い 」 と 更 に 簡 単 に 表 す こ と が で き る 。

『 ノ ル ウ ェ イ の 森 』 『 東 京 タ ワ ー 』

グ ラ フ 4「 そ れ が 」 と “ 这 ・ 那 ” グ ラ フ 7「 そ れ が 」 と “ 这 ・ 那 ”

グ ラ フ 5

「 そ れ は

」 と “ 这 ・ 那 ” グ ラ フ 8「 そ れ は 」 と “ 这 ・ 那

グ ラ フ 6「 そ れ を 」 と “ 这 ・ 那 ” グ ラ フ 9「 そ れ を 」 と “ 这 ・ 那 ” 鈴 ( 木 20 11 p. 16

7) 鈴 (

木 2011 p.171)

し か し 鈴 木 (2011)に 対 し て は 、 次 の 2 つ の 点 か ら よ り 詳 し い 検 証 が 必 要 と 思

『ノルウェイの森』

グラフ7 「それが」と 这・那

- 3 -

が “ 这 ” よ り 多 く な っ て い る 。 た だ 1 つ の 例 外 で あ る 「 そ れ は 」 も 見 方 を 変 え る と 、 「“ 这 ”の 割 合 に つ い て は 大 陸 版 の 方 が 台 湾 版 よ り も 多 く 、 “ 那 ”の 割 合 に つ い て は 、 台 湾 版 の 方 が 大 陸 版 よ り も 多 い 」 と い う こ と が 成 り 立 っ て い る 。 し か も こ れ は 『 ノ ル ウ ェ イ の 森 』 と 『 東 京 タ ワ ー 』 の 6 つ の グ ラ フ す べ て に つ い て 成 り 立 っ て い る 。 こ の 意 味 に お い て 、 鈴 木 (2011)で は 「 大 陸 版 で は “ 这 ” の 割 合 が 多 く 、 台 湾 版 で は “ 那 ” の 割 合 が 多 い 」 (鈴 木 2011 p.173)と 結 論 付 け て い る 。し か し 、中 国 語 指 示 詞 は“ 这 ”と“ 那 ”の 2 系 統 で あ る こ と か ら 、 「“ 这 ” の 割 合 は 、 大 陸 版 の 方 が 台 湾 版 よ り 多 い 」 と 更 に 簡 単 に 表 す こ と が で き る 。

『 ノ ル ウ ェ イ の 森 』 『 東 京 タ ワ ー 』

グ ラ フ 4「 そ れ が 」 と “ 这 ・ 那 ” グ ラ フ 7「 そ れ が 」 と “ 这 ・ 那 ”

グ ラ フ 5

「 そ れ は

」 と “ 这 ・ 那 ” グ ラ フ 8「 そ れ は 」 と “ 这 ・ 那

グ ラ フ 6「 そ れ を 」 と “ 这 ・ 那 ” グ ラ フ 9「 そ れ を 」 と “ 这 ・ 那 ” 鈴 ( 木 20 11 p. 16

7) 鈴 (

木 2011 p.171)

し か し 鈴 木 (2011)に 対 し て は 、 次 の 2 つ の 点 か ら よ り 詳 し い 検 証 が 必 要 と 思

『東京タワー』

グラフ8 「それは」と 这・那

『東京タワー』

グラフ9 「それを」と 这・那

- 3 -

が “ 这 ” よ り 多 く な っ て い る 。 た だ 1 つ の 例 外 で あ る 「 そ れ は 」 も 見 方 を 変 え る と 、 「“ 这 ”の 割 合 に つ い て は 大 陸 版 の 方 が 台 湾 版 よ り も 多 く 、 “ 那 ”の 割 合 に つ い て は 、 台 湾 版 の 方 が 大 陸 版 よ り も 多 い 」 と い う こ と が 成 り 立 っ て い る 。 し か も こ れ は 『 ノ ル ウ ェ イ の 森 』 と 『 東 京 タ ワ ー 』 の 6 つ の グ ラ フ す べ て に つ い て 成 り 立 っ て い る 。 こ の 意 味 に お い て 、 鈴 木 (2011)で は 「 大 陸 版 で は “ 这 ” の 割 合 が 多 く 、 台 湾 版 で は “ 那 ” の 割 合 が 多 い 」 (鈴 木 2011 p.173)と 結 論 付 け て い る 。し か し 、中 国 語 指 示 詞 は“ 这 ”と“ 那 ”の 2 系 統 で あ る こ と か ら 、 「“ 这 ” の 割 合 は 、 大 陸 版 の 方 が 台 湾 版 よ り 多 い 」 と 更 に 簡 単 に 表 す こ と が で き る 。

『 ノ ル ウ ェ イ の 森 』 『 東 京 タ ワ ー 』

グ ラ フ 4「 そ れ が 」 と “ 这 ・ 那 ” グ ラ フ 7「 そ れ が 」 と “ 这 ・ 那 ”

グ ラ フ 5

「 そ れ は

」 と “ 这 ・ 那 ” グ ラ フ 8「 そ れ は 」 と “ 这 ・ 那

グ ラ フ 6「 そ れ を 」 と “ 这 ・ 那 ” グ ラ フ 9「 そ れ を 」 と “ 这 ・ 那 ”

( 鈴 木

20 11 p. 16

7) (

鈴 木 2011 p.171)

し か し 鈴 木 (2011)に 対 し て は 、 次 の 2 つ の 点 か ら よ り 詳 し い 検 証 が 必 要 と 思

『東京タワー』

グラフ5 「それは」と 这・那

『ノルウェイの森』

グラフ6 「それを」と 这・那

- 3 -

が “ 这 ” よ り 多 く な っ て い る 。 た だ 1 つ の 例 外 で あ る 「 そ れ は 」 も 見 方 を 変 え る と 、 「“ 这 ”の 割 合 に つ い て は 大 陸 版 の 方 が 台 湾 版 よ り も 多 く 、 “ 那 ”の 割 合 に つ い て は 、 台 湾 版 の 方 が 大 陸 版 よ り も 多 い 」 と い う こ と が 成 り 立 っ て い る 。 し か も こ れ は 『 ノ ル ウ ェ イ の 森 』 と 『 東 京 タ ワ ー 』 の 6 つ の グ ラ フ す べ て に つ い て 成 り 立 っ て い る 。 こ の 意 味 に お い て 、 鈴 木 (2011)で は 「 大 陸 版 で は “ 这 ” の 割 合 が 多 く 、 台 湾 版 で は “ 那 ” の 割 合 が 多 い 」 (鈴 木 2011 p.173)と 結 論 付 け て い る 。し か し 、中 国 語 指 示 詞 は“ 这 ”と“ 那 ”の 2 系 統 で あ る こ と か ら 、 「“ 这 ” の 割 合 は 、 大 陸 版 の 方 が 台 湾 版 よ り 多 い 」 と 更 に 簡 単 に 表 す こ と が で き る 。

『 ノ ル ウ ェ イ の 森 』 『 東 京 タ ワ ー 』

グ ラ フ 4「 そ れ が 」 と “ 这 ・ 那 ” グ ラ フ 7「 そ れ が 」 と “ 这 ・ 那 ”

グ ラ フ 5

「 そ れ は

」 と “ 这 ・ 那 ” グ ラ フ 8「 そ れ は 」 と “ 这 ・ 那

グ ラ フ 6「 そ れ を 」 と “ 这 ・ 那 ” グ ラ フ 9「 そ れ を 」 と “ 这 ・ 那 ”

( 鈴 木

20 11 p. 16

7) (

鈴 木 2011 p.171)

し か し 鈴 木 (2011)に 対 し て は 、 次 の 2 つ の 点 か ら よ り 詳 し い 検 証 が 必 要 と 思

『ノルウェイの森』

231

中国大陸と台湾の空間認知に関する意識調査

 しかし鈴木(2011)に対しては,次の2つの点からより詳しい検証が必要と思われる.

 ①鈴木(2011)では『ノルウェイの森』を中心に調査し,そこから得られた結果について別の小説

『東京タワー』を使って検証している.しかしこれら2作品の翻訳に携わっている翻訳者は,大陸版 2人,台湾版2人の合計4人である.もちろんわずか4人とはいえ,多くの読者を意識して翻訳してい るはずであるから,読者達とかけ離れた指示詞の使用法はされていないと思われる.しかしそれでも,

更に多くの中国語ネイティブも翻訳者と同じように指示詞を使用するのだろうか,という疑問が残る.

 ②日本語小説の翻訳者達は,高度な日本語に対する知識があり,それが母語である中国語の指示詞 の選択に何らかの影響を与えてはいないだろうか.日本語の知識を持たない一般の中国語ネイティブ 達も,翻訳者達と同じような指示詞選択をするのだろうか,それとも異なる選択をするのか,という 疑問が残る.

 以上のような疑問点を解決するために,本研究ではアンケート方式を採用し,大陸と台湾の中国語 ネイティブ達の指示詞使用実態を調査する.それによって,鈴木(2011)の主張する大陸と台湾の遠 近認知の違いを検証したいと考える.

(4)

232

3.調査方法

 アンケート調査は,以下の4つに示したような実施内容や実施状況の下で行われた.

3. 1.調査内容

 鈴木(2011)によると,小説『ノルウェイの森』の中の指示詞「これ・それ・あれ」に関する大陸 版訳と台湾版訳を比較したとき,両版において指示詞使用の違いを一番顕著に示していたのが「そ れ」の訳であった.具体的に言えば,大陸版では近称の 这 を多く使う傾向があり,台湾版では遠 称の 那 を多く使う傾向が認められた.そこで,このアンケート調査でも被験者達に「それ」が訳 されている部分で, 这・那 のうちどちらの指示詞を使うか尋ねることにした.まず『ノルウェイ の森』の中で指示詞「それ」が使われている文で,しかも大陸版では 这 を使い,台湾版では 那 を使って訳されている5か所を取り出した.これら5か所のそれぞれに対し,大陸版訳と台湾 版訳の2つの訳を用意し,指示詞が使われている部分を(这,那)のような選択形式にして,被験者 達に自分が適当と思う指示詞を選択してもらった.当然のことながら,被験者達には,どんな小説の 翻訳であるか,また元の翻訳においてどちらの指示詞が使われていたか,という情報は与えられてい ない.

3. 2.調査対象者

 調査対象者は,大陸の方は天津師範大学の大学生,男子20名,女子20名の合計40名である.年 齢は20から23歳までであった.一方台湾の方は,台北にある国立台湾師範大学の大学生,男子20 名,女子20名の合計40名である.こちらの年齢は20から22歳までである.

3. 3.調査時期と調査場所

 調査時期は,天津の方が2011年9月22,23日,天津師範大学の教室で行われた.台湾の方は 2011年12月25,26日,国立台湾師範大学国文系の教室で行われた.

3. 4.アンケート用紙

 アンケートの調査項目は全部で5項目からなり,すべて『ノルウェイの森』の中で日本語指示詞

「それ」が使われている部分の中国語訳を取り上げた.

 各項目はa,bの2つの小項目に分かれていて,aは林少華による大陸版訳で,bは頼明珠による 台湾版訳である.もとの翻訳の中で,aの林訳ではすべて 这 を使って訳されていて,一方bの頼 訳ではすべて 那 を使って訳されている.被験者達には,出典も含めてこの事実は知らせていな い.また,大陸版訳と台湾版訳の区別ができないようにするために,大陸で調査するときはすべて簡 体字で表現し,台湾で調査するときはすべて繁体字に直した.

 選択してもらう指示詞の部分は,(这/那)[天津の調査用紙]或いは(這/那)[台北の調査用紙]

の形式で選択肢を示し,さらに選択項目であることを明示するため字体を拡大し,更に太字にした.

被験者には自分が適当と思う指示詞を丸で囲んでもらうことにした.

(5)

233

中国大陸と台湾の空間認知に関する意識調査

 また被験者の言語環境に関する情報を収集するために,大陸版のアンケート用紙では,被験者の母 語が「北方語」,「南方語」,「その他」のいずれかを選択または記入してもらい,一方台湾版のアンケ ート用紙では,被験者が家族とコミュニケーションをとる際の言語として,「国語」,「台湾語」,「そ の他」のうちから選択または記入してもらうことにした.これによって被験者の普段使っている言語 が,指示詞選択に影響しているのか或いは影響していないかを調査する計画であった.しかし結果 は,天津ではほとんどが「北方語」を選び,台北ではほとんどが「国語」を選んだため,指示詞選択 についての影響は不明である.尚,アンケート用紙は本稿の最後に添付してある.

4.調査結果の統計

 今回のアンケート調査では,天津師範大学の学生,男女各20名の合計40名,また国立台湾師範大 学の学生も同数で,天津と台北で合計80名の学生が回答に協力してくれた.調査項目は全部で5項 目で,5項目のそれぞれに2つずつの大陸版と台湾版の訳および選択肢が付いているので,選択肢の

1 アンケート調査の基礎データ

地域,男女,

合計 調査項目

天  津 台  北

2020 合計402020 合計40

(1)

a13(65%) 16(80%) 29(72.5%) 15(75%) 16(80%) 31(77.5%)

7(35%) 4(20%) 11(27.5%) 5(25%) 4(20%) 9(22.5%)

b14(70%) 7(35%) 21(52.5%) 10(50%) 6(30%) 16(40 %)

6(30%) 13(65%) 19(47.5%) 10(50%) 14(70%) 24(60 %)

(2)

a18(90%) 16(80%) 34(85 %) 17(85%) 18(90%) 35(87.5%)

2(10%) 4(20%) 6(15 %) 3(15%) 2(10%) 5(12.5%)

b12(60%) 10(50%) 22(55 %) 9(45%) 12(60%) 21(52.5%)

8(40%) 10(50%) 18(45 %) 11(55%) 8(40%) 19(47.5%)

(3)

a17(85%) 13(65%) 30(75 %) 5(25%) 8(40%) 13(32.5%)

3(15%) 7(35%) 10(25 %) 15(75%) 12(60%) 27(67.5%)

b8(40%) 9(45%) 17(42.5%) 10(50%) 10(50%) 20(50 %)

12(60%) 11(55%) 23(57.5%) 10(50%) 10(50%) 20(50 %)

(4)

a14(70%) 10(50%) 24(60 %) 9(45%) 11(55%) 20(50 %)

6(30%) 10(50%) 16(40 %) 11(55%) 9(45%) 20(50 %)

b6(30%) 10(50%) 16(40 %) 8(40%) 7(35%) 15(37.5%)

14(70%) 10(50%) 24(60 %) 12(60%) 13(65%) 25(62.5%)

(5)

a14(70%) 14(70%) 28(70 %) 16(80%) 12(60%) 28(70 %)

6(30%) 6(30%) 12(30 %) 4(20%) 8(40%) 12(30 %)

b9(45%) 8(40%) 17(42.5%) 11(55%) 12(60%) 23(57.5%)

11(55%) 12(60%) 23(57.5%) 9(45%) 8(40%) 17(42.5%)

(6)

グラフ10

- 7 -

調 査 項 目 1 の 原 文 と a、 b 2 つ の 中 国 語 訳 は 次 の よ う な も の で あ る 。

(1) 「 今 も 言 っ た で し ょ ? 人 は 何 か の こ と で 嘘 を つ く と 、 そ れ に あ わ せ て い っ ぱ い 嘘 を つ か な く ち ゃ な ら な く な る の よ 。 そ れ が 虚 言 症 よ 。」

(『 ノ ル ウ ェ イ の 森 』上 p.252) a. “ 刚 才 说 了 吧 ,人 若 要 在 某 件 事 上 扯 谎 ,就 势 必 为 此 编 造 出 一 大 堆 相 关 的 谎 言 。 (这 / 那 )就 是 说 谎 症 。”

(林 p.147) b. “ 我 剛 剛 也 說 過 吧 ? 人 要 是 說 了 什 麼 謊 , 就 不 得 不 配 合 那 個 說 出 一 大 堆 謊 吧 。 ( 這 / 那 )叫 做 虛 言 症 噢 。 (頼 ・ 上 p.170)

原 文 は 会 話 文 で 、 先 行 文 中 の 「 人 は 何 か の こ と で 嘘 を つ く と 、 そ れ に あ わ せ て い っ ぱ い 嘘 を つ か な く ち ゃ な ら な く な る 」 を 、 後 続 文 の 文 頭 で 「 そ れ (が )」

に よ っ て 指 す 文 脈 指 示 で あ る 。

グ ラ フ 10 グ ラ フ 11

大 陸 版 訳 a で は 、 天 津 、 台 北 と も に 70%を 上 回 っ て “ 这 ” を 選 択 し て い る 。 更 に 台 北 の “ 这 ” の 割 合 が 、 天 津 の “ 这 ” の 割 合 よ り も や や 多 い 。 と こ ろ が 台 湾 版 訳 b で は 、 天 津 、 台 湾 と も に “ 这 ” の 割 合 は か な り 少 な く な っ て 、 天 津 で は 20 ポ イ ン ト 減 っ て 52.5%、 台 北 で は 37.5 ポ イ ン ト 減 っ て 40%と な っ て い る 。 ま た 大 陸 版 訳 の と き と は 逆 に 、 天 津 の “ 这 ” の 割 合 が 、 台 北 の “ 这 ” の 割 合 よ り も 多 く な っ て い る 。 a と b の 2 つ の 訳 を 比 較 す る と 、 明 ら か に 訳 の 違 い が 、 天 津 に お い て も 台 北 に お い て も 、 “ 这・ 那 ”の 選 択 に 影 響 を 与 え て い る の が 分 か る 。

調 査 項 目 2 の 原 文 、 中 国 語 訳 は 次 の よ う な も の で あ る 。

(2) 「 世 の 中 と い う の は 原 理 的 に 不 公 平 な も の な ん だ よ 。そ れ は 俺 の せ い じ

グラフ11

- 7 -

調 査 項 目 1 の 原 文 と a、 b 2 つ の 中 国 語 訳 は 次 の よ う な も の で あ る 。

(1) 「 今 も 言 っ た で し ょ ? 人 は 何 か の こ と で 嘘 を つ く と 、 そ れ に あ わ せ て い っ ぱ い 嘘 を つ か な く ち ゃ な ら な く な る の よ 。 そ れ が 虚 言 症 よ 。」

(『 ノ ル ウ ェ イ の 森 』上 p.252) a. “ 刚 才 说 了 吧 ,人 若 要 在 某 件 事 上 扯 谎 ,就 势 必 为 此 编 造 出 一 大 堆 相 关 的 谎 言 。 (这 / 那 )就 是 说 谎 症 。”

(林 p.147) b. “ 我 剛 剛 也 說 過 吧 ? 人 要 是 說 了 什 麼 謊 , 就 不 得 不 配 合 那 個 說 出 一 大 堆 謊 吧 。 ( 這 / 那 )叫 做 虛 言 症 噢 。 (頼 ・ 上 p.170)

原 文 は 会 話 文 で 、 先 行 文 中 の 「 人 は 何 か の こ と で 嘘 を つ く と 、 そ れ に あ わ せ て い っ ぱ い 嘘 を つ か な く ち ゃ な ら な く な る 」 を 、 後 続 文 の 文 頭 で 「 そ れ (が )」

に よ っ て 指 す 文 脈 指 示 で あ る 。

グ ラ フ 10 グ ラ フ 11

大 陸 版 訳 a で は 、 天 津 、 台 北 と も に 70%を 上 回 っ て “ 这 ” を 選 択 し て い る 。 更 に 台 北 の “ 这 ” の 割 合 が 、 天 津 の “ 这 ” の 割 合 よ り も や や 多 い 。 と こ ろ が 台 湾 版 訳 b で は 、 天 津 、 台 湾 と も に “ 这 ” の 割 合 は か な り 少 な く な っ て 、 天 津 で は 20 ポ イ ン ト 減 っ て 52.5%、 台 北 で は 37.5 ポ イ ン ト 減 っ て 40%と な っ て い る 。 ま た 大 陸 版 訳 の と き と は 逆 に 、 天 津 の “ 这 ” の 割 合 が 、 台 北 の “ 这 ” の 割 合 よ り も 多 く な っ て い る 。 a と b の 2 つ の 訳 を 比 較 す る と 、 明 ら か に 訳 の 違 い が 、 天 津 に お い て も 台 北 に お い て も 、 “ 这・那 ”の 選 択 に 影 響 を 与 え て い る の が 分 か る 。

調 査 項 目 2 の 原 文 、 中 国 語 訳 は 次 の よ う な も の で あ る 。

(2) 「 世 の 中 と い う の は 原 理 的 に 不 公 平 な も の な ん だ よ 。そ れ は 俺 の せ い じ

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総数は10となる.男女それぞれ延べ200回 这 或いは 那 を選択し,天津と台北の両地点でそ れぞれ延べ400ずつの 这 或いは 那 の選択結果が得られた.

 回答結果は表1のようにまとめられる.表中,aは大陸版訳,bは台湾版訳を表す.また,括弧外 の数字は, 这 或いは 那 を選択した人数で,括弧内はその割合を百分率で示してある.

5.項目ごとの分析

 本節では,調査項目ごとに調査結果を分析する.それぞれの項目には日本語の原文と,aとして林 少華による大陸版訳,bとして頼明珠による台湾版訳を付けた.大陸版訳aではすべて 这 を使っ て訳されていて,台湾版訳bではすべて 那 を使って訳されている.ここでは調査用紙と同じよ うに(这/那)と書くことにする.また,項目ごとの調査結果を,前節の表をもとにグラフで示した.

 調査項目1の原文とa,b 2つの中国語訳は次のようなものである.

⑴ 「今も言ったでしょ? 人は何かのことで噓をつくと,それにあわせていっぱい噓をつかなく ちゃならなくなるのよ.それが虚言症よ.」 (『ノルウェイの森』上p. 252)

a.  “刚才说了吧,人若要在某件事上扯谎,就势必为此编造出一大堆相关的谎言。(这/那)就

是说谎症。 (林p. 147)

b.  “我剛剛也說過吧? 人要是說了什麼謊,就不得不配合那個說出一大堆謊吧。(這/那)

叫做虛言症噢。 (頼・上p. 170)

 原文は会話文で,先行文中の「人は何かのことで噓をつくと,それにあわせていっぱい噓をつかな くちゃならなくなる」を,後続文の文頭で「それ(が)」によって指す文脈指示である.

 大陸版訳aでは,天津,台北ともに70%を上回って 这 を選択している.更に台北の 这 の 割合が,天津の 这 の割合よりもやや多い.ところが台湾版訳bでは,天津,台湾ともに 这 の割合はかなり少なくなって,天津では20ポイント減って52.5%,台北では37.5ポイント減って40

%となっている.また大陸版訳のときとは逆に,天津の 这 の割合が,台北の 这 の割合より

(7)

グラフ12

- 8 -

ゃ な い 。は じ め か ら そ う な っ て い る ん だ 。… 」( 『 ノ ル ウ ェ イ の 森 』下 p.113) a. “ 社 会 这 东 西 ,从 根 本 上 就 是 不 公 平 的 。(这 / 那 ) 不 能 怪 我 ,本 来 就 是 这 样 。 … ” (林 p.241) b.“ 世 間 本 來 就 是 不 公 平 的。 ( 這 / 那 )不 能 怪 我。一 開 始 就 是 這 樣 了。… ”

(頼・下 p.81)

原 文 で は 、 先 行 す る 会 話 文 中 の 「 世 の 中 と い う の は 原 理 的 に 不 公 平 な も の な ん だ 」 を 、 後 続 文 の 文 頭 で 「 そ れ (は )」 に よ っ て 指 す 文 脈 指 示 で あ る 。 文 の 構 造 は 項 目 1 と 同 じ で 、 指 示 詞 が 「 そ れ が 」 か ら 「 そ れ を 」 に 替 わ っ た だ け で あ る 。 中 国 語 に は 日 本 語 の 「 は 」、「 が 」 の よ う な 助 詞 が な い の で 、 項 目 1 の 「 そ れ が 」 と 項 目 2 の 「 そ れ は 」 は 中 国 語 訳 上 で は 区 別 で き な い 。

グ ラ フ 12 グ ラ フ 13

大 陸 版 訳 a で は 、項 目 1 の と き よ り も 这 ”の 割 合 は 増 え 、天 津 で 85% 、台 北 で 87.5% ま で に 達 し て い る 。ま た 、項 目 1 の と き と 同 様 に 、 台 北 の“ 这 ” の 割 合 の 方 が 天 津 の “ 这 ” の 割 合 よ り も わ す か に 多 く な っ て い る 。

台 湾 版 訳 b で は 、 天 津 の “ 这 ” の 割 合 は 55% と 、 大 陸 版 訳 a に 比 べ 30 ポ イ ン ト 減 少 し 、 台 北 の “ 这 ” の 割 合 は 52.5% で 、 大 陸 版 訳 a に 比 べ 35 ポ イ ン ト も 減 少 し て い る 。 こ こ で も 項 目 1 の と き と 同 様 に 、 訳 の 違 い が “ 这 ・ 那 ” の 選 択 に 影 響 を 与 え て い る の が 分 か る 。 ま た 、 天 津 の “ 这 ” の 割 合 が 、 台 北 の “ 这 ” の 割 合 よ り も わ ず か に 多 く な っ て い る 。

調 査 項 目 3 の 原 文 、 中 国 語 訳 は 次 の よ う な も の で あ る 。

(3) 「 す ぐ に ぐ っ す り 寝 ち ゃ っ た わ 。あ る い は 寝 た ふ り し た の か も し れ な い け ど 。で も ま あ ど っ ち に し て も 、す ご く 可 愛 い 顔 し て た わ よ 。な ん だ か 生 ま れ て こ の か た 一 度 も 傷 つ い た こ と の な い 十 三 か 十 四 の 女 の 子 み た い な

グラフ13

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ゃ な い 。は じ め か ら そ う な っ て い る ん だ 。… 」( 『 ノ ル ウ ェ イ の 森 』下 p.113) a. “ 社 会 这 东 西 ,从 根 本 上 就 是 不 公 平 的 。(这 / 那 ) 不 能 怪 我 ,本 来 就 是 这 样 。 … ” (林 p.241) b.“ 世 間 本 來 就 是 不 公 平 的。 ( 這 / 那 )不 能 怪 我。一 開 始 就 是 這 樣 了。 … ”

(頼・下 p.81)

原 文 で は 、 先 行 す る 会 話 文 中 の 「 世 の 中 と い う の は 原 理 的 に 不 公 平 な も の な ん だ 」 を 、 後 続 文 の 文 頭 で 「 そ れ (は )」 に よ っ て 指 す 文 脈 指 示 で あ る 。 文 の 構 造 は 項 目 1 と 同 じ で 、 指 示 詞 が 「 そ れ が 」 か ら 「 そ れ を 」 に 替 わ っ た だ け で あ る 。 中 国 語 に は 日 本 語 の 「 は 」、「 が 」 の よ う な 助 詞 が な い の で 、 項 目 1 の 「 そ れ が 」 と 項 目 2 の 「 そ れ は 」 は 中 国 語 訳 上 で は 区 別 で き な い 。

グ ラ フ 12 グ ラ フ 13

大 陸 版 訳 a で は 、項 目 1 の と き よ り も 这 ”の 割 合 は 増 え 、天 津 で 85% 、台 北 で 87.5% ま で に 達 し て い る 。ま た 、項 目 1 の と き と 同 様 に 、 台 北 の“ 这 ” の 割 合 の 方 が 天 津 の “ 这 ” の 割 合 よ り も わ す か に 多 く な っ て い る 。

台 湾 版 訳 b で は 、 天 津 の “ 这 ” の 割 合 は 55% と 、 大 陸 版 訳 a に 比 べ 30 ポ イ ン ト 減 少 し 、 台 北 の “ 这 ” の 割 合 は 52.5% で 、 大 陸 版 訳 a に 比 べ 35 ポ イ ン ト も 減 少 し て い る 。 こ こ で も 項 目 1 の と き と 同 様 に 、 訳 の 違 い が “ 这 ・ 那 ” の 選 択 に 影 響 を 与 え て い る の が 分 か る 。 ま た 、 天 津 の “ 这 ” の 割 合 が 、 台 北 の “ 这 ” の 割 合 よ り も わ ず か に 多 く な っ て い る 。

調 査 項 目 3 の 原 文 、 中 国 語 訳 は 次 の よ う な も の で あ る 。

(3) 「 す ぐ に ぐ っ す り 寝 ち ゃ っ た わ 。あ る い は 寝 た ふ り し た の か も し れ な い け ど 。で も ま あ ど っ ち に し て も 、す ご く 可 愛 い 顔 し て た わ よ 。な ん だ か 生 ま れ て こ の か た 一 度 も 傷 つ い た こ と の な い 十 三 か 十 四 の 女 の 子 み た い な

235

中国大陸と台湾の空間認知に関する意識調査

も多くなっている.aとbの2つの訳を比較すると,明らかに訳の違いが,天津においても台北にお いても, 这・那 の選択に影響を与えているのが分かる.

 調査項目2の原文,中国語訳は次のようなものである.

⑵ 「世の中というのは原理的に不公平なものなんだよ.それは俺のせいじゃない.はじめからそ うなっているんだ.……」 (『ノルウェイの森』下p. 113)

a. 社会这东西,从根本上就是不公平的。(这/那)不能怪我,本来就是这样。……(林p. 241)

b. 世間本來就是不公平的。(這/那)不能怪我.一開始就是這樣了。…… (頼・下p. 81)

 原文では,先行する会話文の中の「世の中というのは原理的に不公平なものなんだ」を,後続文の 文頭で「それ(は)」によって指す文脈指示である.文の構造は項目1と同じで,指示詞が「それが」

から「それは」に替わっただけである.中国語には日本語の「は」,「が」のような助詞がないので,

項目1の「それが」と項目2の「それは」は中国語訳上では区別できない.

 大陸版訳aでは,項目1のときよりも这 の割合は増え,天津で85%,台北で87.5%までに達し ている.また,項目1のときと同様に,台北の 这 の割合の方が天津の 这 の割合よりもわずか に多くなっている.

 台湾版訳bでは,天津の 这 の割合は55%と,大陸版訳aに比べ30ポイント減少し,台北の

这 の割合は52.5%で,大陸版訳aに比べ35ポイントも減少している.ここでも項目1のときと同

様に,訳の違いが 这・那 の選択に影響を与えているのが分かる.また,天津の 这 の割合が,

台北の 这 の割合よりもわずかに多くなっている.

 調査項目3の原文,中国語訳は次のようなものである.

⑶ 「すぐにぐっすり寝ちゃったわ.あるいは寝たふりしたのかもしれないけど.でもまあどっち にしても,すごく可愛い顔してたわよ.なんだか生まれてこのかた一度も傷ついたことのない十

(8)

グラフ15

- 9 -

顔 を し て ね 。 そ れ を 見 て か ら 私 も 眠 っ た の 、 安 心 し て 。」

(『 ノ ル ウ ェ イ の 森 』下 p.275) a. “ 她 马 上 静 静 地 睡 了 ,或 者 说 是 装 睡 。但 不 管 怎 样 ,那 张 脸 实 在 叫 人 怜 爱 ,就 像 生 来 从 未 受 伤 的 十 三 四 岁 的 孩 子 脸 。见 她 (这 / 那 )样 ,我 也 放 心 地 睡 了 。”

(林 p.336)

b. “ 她 立 刻 就 沉 沉 地 睡 著 了。或 許 是 裝 成 睡 著 的 也 不 一 定。不 過 不 管 怎 麼

樣,那 臉 都 非 常 可 愛 喲。看 起 來 簡 直 像 從 出 生 之 後 一 次 也 沒 受 過 傷 的 十 三 、 四 歲 女 孩 子 的 臉 一 樣 噢 。 看 她 (這 / 那 ) 樣 之 後 我 也 就 安 心 睡 了 。 ”

(頼 ・ 下 p.191)

原 文 は 、 話 し 手 の ハ ツ ミ が 回 想 し な が ら ル ー ム メ イ ト 直 子 の 寝 顔 を 描 写 し 、 最 後 の 文 の 文 頭 で 「 そ れ (を )」 を 使 っ て 、 直 子 の 寝 顔 を 指 し て い る 。 ハ ツ ミ が 話 し て い る 現 場 に は 直 子 は い な い の で 文 脈 指 示 で あ る 。

グ ラ フ 14 グ ラ フ 15

結 果 的 に 言 う と 、 台 北 に お け る 大 陸 版 訳 a の 結 果 に は 、 5 項 目 の 調 査 結 果 の う ち で 、 他 の 4 項 目 と 一 番 大 き な 違 い が 現 れ て い る 。 異 な る 点 は 次 の 3 つ で あ る 。

1 つ 目 は 、“ 这 ” の 割 合 が 32.5%で 、“ 那 ” の 割 合 67.5%よ り 35 ポ イ ン ト も 少 な い 。 他 の 4 項 目 の 台 北 に お け る 大 陸 版 訳 a の 結 果 は 、 す べ て “ 这 ” の 割 合 の 方 が 多 か っ た 。

2 つ 目 は 、 台 北 に お け る 大 陸 版 訳 a と 台 湾 版 訳 b を 比 べ る と 、 台 湾 版 訳 b の

“ 这 ” の 割 合 が 50%で 、 大 陸 版 訳 a の “ 这 ” の 割 合 32.5%よ り 17.5 ポ イ ン ト 多 い 。他 の 4 項 目 で は す べ て 、大 陸 版 訳 a の“ 这 ”の 割 合 が 、台 湾 版 訳 b の“ 这 ” の 割 合 よ り 多 か っ た 。

3 つ 目 は 、 大 陸 版 訳 a の 天 津 と 台 北 を 比 べ る と 、 天 津 の “ 这 ” の 割 合 が 75%、

台 北 の “ 这 ” の 割 合 が 32.5%で 、 台 北 の “ 这 ” の 割 合 が 32.5 ポ イ ン ト 少 な い 。

グラフ14

- 9 -

顔 を し て ね 。 そ れ を 見 て か ら 私 も 眠 っ た の 、 安 心 し て 。」

(『 ノ ル ウ ェ イ の 森 』下 p.275) a. “ 她 马 上 静 静 地 睡 了 ,或 者 说 是 装 睡 。但 不 管 怎 样 ,那 张 脸 实 在 叫 人 怜 爱 ,就 像 生 来 从 未 受 伤 的 十 三 四 岁 的 孩 子 脸 。见 她 (这 / 那 )样 ,我 也 放 心 地 睡 了 。”

(林 p.336)

b. “ 她 立 刻 就 沉 沉 地 睡 著 了。或 許 是 裝 成 睡 著 的 也 不 一 定。不 過 不 管 怎 麼

樣,那 臉 都 非 常 可 愛 喲。看 起 來 簡 直 像 從 出 生 之 後 一 次 也 沒 受 過 傷 的 十 三 、 四 歲 女 孩 子 的 臉 一 樣 噢 。 看 她 (這 / 那 )樣 之 後 我 也 就 安 心 睡 了 。 ”

(頼 ・ 下 p.191)

原 文 は 、 話 し 手 の ハ ツ ミ が 回 想 し な が ら ル ー ム メ イ ト 直 子 の 寝 顔 を 描 写 し 、 最 後 の 文 の 文 頭 で 「 そ れ (を )」 を 使 っ て 、 直 子 の 寝 顔 を 指 し て い る 。 ハ ツ ミ が 話 し て い る 現 場 に は 直 子 は い な い の で 文 脈 指 示 で あ る 。

グ ラ フ 14 グ ラ フ 15

結 果 的 に 言 う と 、 台 北 に お け る 大 陸 版 訳 a の 結 果 に は 、 5 項 目 の 調 査 結 果 の う ち で 、 他 の 4 項 目 と 一 番 大 き な 違 い が 現 れ て い る 。 異 な る 点 は 次 の 3 つ で あ る 。

1 つ 目 は 、“ 这 ” の 割 合 が 32.5%で 、“ 那 ” の 割 合 67.5%よ り 35 ポ イ ン ト も 少 な い 。 他 の 4 項 目 の 台 北 に お け る 大 陸 版 訳 a の 結 果 は 、 す べ て “ 这 ” の 割 合 の 方 が 多 か っ た 。

2 つ 目 は 、 台 北 に お け る 大 陸 版 訳 a と 台 湾 版 訳 b を 比 べ る と 、 台 湾 版 訳 b の

“ 这 ” の 割 合 が 50%で 、 大 陸 版 訳 a の “ 这 ” の 割 合 32.5%よ り 17.5 ポ イ ン ト 多 い 。他 の 4 項 目 で は す べ て 、大 陸 版 訳 a の“ 这 ”の 割 合 が 、台 湾 版 訳 b の“ 这 ” の 割 合 よ り 多 か っ た 。

3 つ 目 は 、 大 陸 版 訳 a の 天 津 と 台 北 を 比 べ る と 、 天 津 の “ 这 ” の 割 合 が 75%、

台 北 の “ 这 ” の 割 合 が 32.5%で 、 台 北 の “ 这 ” の 割 合 が 32.5 ポ イ ン ト 少 な い 。

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三か十四の女の子みたいな顔をしてね.それを見てから私も眠ったの,安心して.」

(『ノルウェイの森』下p. 275)

a.   她马上静静地睡了,或者说是装睡。但不管怎样,那张脸实在叫人怜爱,就像生来从未受 伤的十三四岁的孩子脸。见她(这/那)样,我也放心地睡了。 (林p. 336)

b.   她立刻就沉沉地睡著了。或許是裝成睡著的也不一定。不過不管怎麼樣,那臉都非常可愛 喲。看起來簡直像從出生之後一次也沒受過傷的十三,四歲女孩子的臉一樣噢。看她(這/那)

樣之後我也就安心睡了。 (頼・下p. 191)

 原文は,話し手のハツミが回想しながらルームメイト直子の寝顔を描写し,最後の文の文頭で「そ れ(を)」を使って,直子の寝顔を指している.ハツミが話している現場には直子はいないので文脈 指示である.

 結果的に言うと,台北における大陸版訳aの結果には,5項目の調査結果のうちで,他の4項目と 一番大きな違いが現れている.異なる点は次の3つである.

 1つ目は, 这 の割合が32.5%で, 那 の割合67.5%より35ポイントも少ない.他の4項目の 台北における大陸版訳aの結果は,すべて 这 の割合の方が多かった.

 2つ目は,台北における大陸版訳aと台湾版訳bを比べると,台湾版訳bの 这 の割合が50%

で,大陸版訳aの 这 の割合32.5%より17.5ポイント多い.他の4項目ではすべて,大陸版訳a の 这 の割合が,台湾版訳bの 这 の割合より多かった.

 3つ目は,大陸版訳aの天津と台北を比べると,天津の 这 の割合が75%,台北の 这 の割合 が32.5%で,台北の 这 の割合が32.5ポイントも少ない.

 この現象は次の項目4でも現れるが,項目3では大差となっている.これは同じ大陸版訳どうしで 起こっている差なので,この原因は訳の違いによるものではなく,天津と台北の学生がもっている遠 近感の違いが大きく現れていると考えられる.

 項目1,2の結果では, 这 の割合が多いのは,大陸版訳aでは台北,台湾版訳bでは天津であ ったが,項目3では,大陸版訳aでは天津,台湾版訳bでは台北と逆になっている.天津と台北の どちらで 这 の割合が多くなるかについては,天津が台北よりも多くなることもあるし,逆に台北 の方が天津よりも多くなることもあることが分かった.これに関しては,第7節において再び,全体

(9)

グラフ16

- 10 -

こ の 現 象 は 次 の 項 目 4 で も 現 れ る が 、 項 目 3 で は 大 差 と な っ て い る 。 こ れ は 同 じ 大 陸 版 訳 ど う し で 起 こ っ て い る 差 な の で 、 こ の 原 因 は 訳 の 違 い に よ る も の で は な く 、 天 津 と 台 北 の 学 生 の 遠 近 感 の 違 い が 大 き く 現 れ て い る と 考 え ら れ る 。 項 目 1、 2 の 結 果 で は 、“ 这 ” の 割 合 が 多 い の は 、 大 陸 版 訳 a で は 台 北 、 台 湾 版 訳 b で は 天 津 で あ っ た が 、 項 目 3 で は 、 大 陸 版 訳 a で は 天 津 、 台 湾 版 訳 b で は 台 北 と 逆 に な っ て い る 。 天 津 と 台 北 の ど ち ら で “ 这 ” の 割 合 が 多 く な る か に つ い て は 、 天 津 が 台 北 よ り も 多 く な る こ と も あ る し 、 逆 に 台 北 の 方 が 天 津 よ り も 多 く な る こ と も あ る こ と が 分 か っ た 。こ れ に 関 し て は 、第 7 節 に お い て 再 び 、 全 体 と し て 天 津 と 台 北 の い ず れ が 多 く な る か を 見 る こ と に す る 。

調 査 項 目 4 の 原 文 、 中 国 語 訳 は 次 の よ う な も の で あ る 。

(4)

い っ た い 自 分 が 今 何 を し て い る の か 、 こ れ か ら 何 を し よ う と し て い る の か さ っ ぱ り わ か ら な か っ た 。大 学 の 授 業 で ク ロ ー デ ル を 読 み 、ラ シ ー ヌ を 読 み 、エ イ ゼ ン シ ュ テ イ ン を 読 ん だ が 、そ れ ら の 本 は 僕 に 殆 ど 何 も 訴 え か け て こ な か っ た 。

(『 ノ ル ウ ェ イ の 森 』上 p.63) a. 若 问 自 己 现 在 所 做 何 事 , 将 来 意 欲 何 为 , 我 都 如 坠 雾 中 。 大 学 课 堂 上 , 读 克 洛 岱 尔 ,读 拉 辛 ,读 爱 森 斯 坦 ,但 ( 这 / 那 ) 些 书 几 乎 对 我 没 有 任 何 触 动 。 (林 p.34) b. 自 己 現 在 到 底 在 做 著 什 麼,往 後 將 要 做 什 麼,我 完 成 不 知 道。大 學 的 課 程 中 我 讀 了 克 勞 岱,讀 了 拉 辛,讀 了 艾 森 斯 坦,但 是 (這 / 那 ) 些 書 幾 乎 對 我 沒 發 生 什 麼 作 用 。 (頼・上 p.46)

原 文 で は 、 直 前 に 出 て く る 3 人 の 名 前 ク ロ ー デ ル 、 ラ シ ー ヌ 、 エ イ ゼ ン シ ュ テ イ ン に よ っ て 彼 ら の 著 作 を 表 し 、「 そ れ (ら の 本 )」 で そ の 著 作 を 指 し て い る 。 調 査 項 目 1 か ら 調 査 項 目 3 は ま で は す べ て 会 話 文 に お け る 指 示 で あ っ た が 、 こ の 調 査 項 目 4 と 次 の 項 目 調 査 5 は 、 地 の 文 に お け る 文 脈 指 示 で あ る 。

グ ラ フ 16 グ ラ フ 17

グラフ17

- 10 -

こ の 現 象 は 次 の 項 目 4 で も 現 れ る が 、 項 目 3 で は 大 差 と な っ て い る 。 こ れ は 同 じ 大 陸 版 訳 ど う し で 起 こ っ て い る 差 な の で 、 こ の 原 因 は 訳 の 違 い に よ る も の で は な く 、 天 津 と 台 北 の 学 生 の 遠 近 感 の 違 い が 大 き く 現 れ て い る と 考 え ら れ る 。 項 目 1、 2 の 結 果 で は 、“ 这 ” の 割 合 が 多 い の は 、 大 陸 版 訳 a で は 台 北 、 台 湾 版 訳 b で は 天 津 で あ っ た が 、 項 目 3 で は 、 大 陸 版 訳 a で は 天 津 、 台 湾 版 訳 b で は 台 北 と 逆 に な っ て い る 。 天 津 と 台 北 の ど ち ら で “ 这 ” の 割 合 が 多 く な る か に つ い て は 、 天 津 が 台 北 よ り も 多 く な る こ と も あ る し 、 逆 に 台 北 の 方 が 天 津 よ り も 多 く な る こ と も あ る こ と が 分 か っ た 。こ れ に 関 し て は 、第 7 節 に お い て 再 び 、 全 体 と し て 天 津 と 台 北 の い ず れ が 多 く な る か を 見 る こ と に す る 。

調 査 項 目 4 の 原 文 、 中 国 語 訳 は 次 の よ う な も の で あ る 。

(4)

い っ た い 自 分 が 今 何 を し て い る の か 、 こ れ か ら 何 を し よ う と し て い る の か さ っ ぱ り わ か ら な か っ た 。大 学 の 授 業 で ク ロ ー デ ル を 読 み 、ラ シ ー ヌ を 読 み 、エ イ ゼ ン シ ュ テ イ ン を 読 ん だ が 、そ れ ら の 本 は 僕 に 殆 ど 何 も 訴 え か け て こ な か っ た 。

(『 ノ ル ウ ェ イ の 森 』上 p.63) a. 若 问 自 己 现 在 所 做 何 事 , 将 来 意 欲 何 为 , 我 都 如 坠 雾 中 。 大 学 课 堂 上 , 读 克 洛 岱 尔 ,读 拉 辛 ,读 爱 森 斯 坦 ,但 (这 / 那 )些 书 几 乎 对 我 没 有 任 何 触 动 。 (林 p.34) b. 自 己 現 在 到 底 在 做 著 什 麼,往 後 將 要 做 什 麼,我 完 成 不 知 道。大 學 的 課 程 中 我 讀 了 克 勞 岱,讀 了 拉 辛,讀 了 艾 森 斯 坦,但 是 (這 / 那 )些 書 幾 乎 對 我 沒 發 生 什 麼 作 用 。 (頼・上 p.46)

原 文 で は 、 直 前 に 出 て く る 3 人 の 名 前 ク ロ ー デ ル 、 ラ シ ー ヌ 、 エ イ ゼ ン シ ュ テ イ ン に よ っ て 彼 ら の 著 作 を 表 し 、「 そ れ (ら の 本 )」 で そ の 著 作 を 指 し て い る 。 調 査 項 目 1 か ら 調 査 項 目 3 は ま で は す べ て 会 話 文 に お け る 指 示 で あ っ た が 、 こ の 調 査 項 目 4 と 次 の 項 目 調 査 5 は 、 地 の 文 に お け る 文 脈 指 示 で あ る 。

グ ラ フ 16 グ ラ フ 17

237

中国大陸と台湾の空間認知に関する意識調査

として天津と台北のいずれが多くなるかを見ることにする.

 調査項目4の原文,中国語訳は次のようなものである.

⑷ いったい自分が今何をしているのか,これから何をしようとしているのかさっぱりわからなか った.大学の授業でクローデルを読み,ラシーヌを読み,エイゼンシュテインを読んだが,それ らの本は僕に殆ど何も訴えかけてこなかった. (『ノルウェイの森』上p. 63)

a.  若问自己现在所做何事,将来意欲何为,我都如坠雾中。大学课堂上,读克洛岱尔,读拉 辛,读爱森斯坦,但(这/那)些书几乎对我没有任何触动。 (林p. 34)

b.  自己現在到底在做著什麼,往後將要做什麼,我完成不知道。大學的課程中我讀了克勞 岱,讀了拉辛,讀了艾森斯坦,但是(這/那)些書幾乎對我沒發生什麼作用。 (頼・上p. 46)

 原文では,直前に出てくる3人の名前クローデル,ラシーヌ,エイゼンシュテインによって彼らの 著作を表し,「それ(らの本)」でその著作を指している.調査項目1から調査項目3まではすべて会 話文における指示であったが,この調査項目4と次の項目調査5は,地の文における文脈指示である.

 結果は,調査項目1,2と同じような様子を見せている. 这 の割合が,大陸版訳aでは天津で

60%,台北で50%であったのが,台湾版訳bになると,天津が40%と20ポイント減少し,台北でも

37.5%と12.5ポイント減少している.ここでも大陸版訳aと台湾版訳bとの違いが, 这・那 の選

択に影響を与えていると言える.また, 这 の割合を天津と台北で比べると,aの大陸版訳では天

津が60%であるのに対し,台北は50%と10ポイント少なく,bの台湾版訳でも天津が40%である

のに対し,台北は37.5%と2.5ポイントとわずかに少ない.

 a,bいずれも,天津の方が台北よりも 这 を多く選択している.これは同じ訳で比較している ので,天津と台北の学生の距離感の違いが現れていると考えられる.

 調査項目5の原文,中国語訳は次のようなものである.

(10)

グラフ19

- 11 -

結 果 は 、 調 査 項 目 1、 2 と 同 じ よ う な 様 子 を 見 せ て い る 。“ 这 ” の 割 合 が 、 大 陸 版 訳 a で は 天 津 で 60%、台 北 で 50%で あ っ た の が 、台 湾 版 訳 b に な る と 、天 津 が 40%と 20 ポ イ ン ト 減 少 し 、台 北 で も 37.5%と 12.5 ポ イ ン ト 減 少 し て い る 。こ こ で も 大 陸 版 訳 a と 台 湾 版 訳 b と の 違 い が “ 这 ・ 那 ” の 選 択 に 影 響 を 与 え て い る と 言 え る 。ま た 、“ 这 ”の 割 合 を 天 津 と 台 北 で 比 べ る と 、a の 大 陸 版 訳 で は 天 津 が 60% で あ る の に 対 し 、 台 北 は 50% と 10 ポ イ ン ト 少 な く 、 b の 台 湾 版 訳 で も 天 津 が 40% で あ る の に 対 し 、台 北 は 37.5% と 2.5 ポ イ ン ト と わ ず か に 少 な い 。 a、b い ず れ も 天 津 の 方 が 台 北 よ り も“ 这 ”を 多 く 選 択 し て い る 。こ れ は 同 じ 訳 で 比 較 し て い る の で 、 天 津 と 台 北 の 学 生 の 距 離 感 の 違 い が 現 れ て い る と 考 え ら れ る 。

調 査 項 目 5 の 原 文 、 中 国 語 訳 は 次 の よ う な も の で あ る 。

(5) あ た た か い ベ ッ ド の 中 で 君 の こ と を 考 え て い る の は と て も 気 持 の 良 い も の で す 。ま る で 僕 の と な り に 君 が い て 、体 を 丸 め て ぐ っ す り 眠 っ て い る よ う な 気 が し ま す 。そ し て そ れ が も し 本 当 だ っ た ら ど ん な に 素 敵 だ ろ う と 思 い ま す 。

(『 ノ ル ウ ェ イ の 森 』下 p.104) a. 在 温 暖 的 被 窝 里 想 你 是 十 分 惬 意 的 事 。恍 惚 觉 得 你 就 在 我 的 身 边 ,弓 着 身 子 睡 得 很 熟 很 熟 。倘 若 ( 这 / 那 ) 是 真 的 ,那 该 多 美 呀 !我 想 。(林 p.235) b. 躺 在 溫 暖 的 床 上 想 著 妳 心 情 非 常 舒 服。覺 得 好 像 妳 就 在 我 身 旁,縮 著 身

體 沉 沉 地 睡 著 似 的 。 並 想 道 如 果 ( 這 / 那 ) 是 真 的 話 該 有 多 美 好 啊 。

(頼 ・ 下 p.73)

原 文 は 、 小 説 中 に 出 て く る 手 紙 の 中 の 文 章 で あ る 。 先 行 文 中 の 「 ま る で 僕 の と な り に 君 が い て 、 体 を 丸 め て ぐ っ す り 眠 っ て い る よ う な 気 が し ま す 」 と い う 想 像 を 、 後 続 文 の 中 の 「 そ れ (が )」 に よ っ て 指 す 、 文 脈 指 示 で あ る 。

グ ラ フ 18 グ ラ フ 19

グラフ18

- 11 -

結 果 は 、 調 査 項 目 1、 2 と 同 じ よ う な 様 子 を 見 せ て い る 。“ 这 ” の 割 合 が 、 大 陸 版 訳 a で は 天 津 で 60%、台 北 で 50%で あ っ た の が 、台 湾 版 訳 b に な る と 、天 津 が 40%と 20 ポ イ ン ト 減 少 し 、台 北 で も 37.5%と 12.5 ポ イ ン ト 減 少 し て い る 。こ こ で も 大 陸 版 訳 a と 台 湾 版 訳 b と の 違 い が “ 这 ・ 那 ” の 選 択 に 影 響 を 与 え て い る と 言 え る 。ま た 、“ 这 ”の 割 合 を 天 津 と 台 北 で 比 べ る と 、a の 大 陸 版 訳 で は 天 津 が 60% で あ る の に 対 し 、 台 北 は 50% と 10 ポ イ ン ト 少 な く 、 b の 台 湾 版 訳 で も 天 津 が 40% で あ る の に 対 し 、台 北 は 37.5% と 2.5 ポ イ ン ト と わ ず か に 少 な い 。 a、b い ず れ も 天 津 の 方 が 台 北 よ り も“ 这 ”を 多 く 選 択 し て い る 。こ れ は 同 じ 訳 で 比 較 し て い る の で 、 天 津 と 台 北 の 学 生 の 距 離 感 の 違 い が 現 れ て い る と 考 え ら れ る 。

調 査 項 目 5 の 原 文 、 中 国 語 訳 は 次 の よ う な も の で あ る 。

(5) あ た た か い ベ ッ ド の 中 で 君 の こ と を 考 え て い る の は と て も 気 持 の 良 い も の で す 。ま る で 僕 の と な り に 君 が い て 、体 を 丸 め て ぐ っ す り 眠 っ て い る よ う な 気 が し ま す 。そ し て そ れ が も し 本 当 だ っ た ら ど ん な に 素 敵 だ ろ う と 思 い ま す 。

(『 ノ ル ウ ェ イ の 森 』下 p.104) a. 在 温 暖 的 被 窝 里 想 你 是 十 分 惬 意 的 事 。恍 惚 觉 得 你 就 在 我 的 身 边 ,弓 着 身 子 睡 得 很 熟 很 熟 。倘 若 (这 / 那 )是 真 的 ,那 该 多 美 呀 !我 想 。(林 p.235) b. 躺 在 溫 暖 的 床 上 想 著 妳 心 情 非 常 舒 服。覺 得 好 像 妳 就 在 我 身 旁,縮 著 身

體 沉 沉 地 睡 著 似 的 。 並 想 道 如 果 (這 / 那 )是 真 的 話 該 有 多 美 好 啊 。

(頼 ・ 下 p.73)

原 文 は 、 小 説 中 に 出 て く る 手 紙 の 中 の 文 章 で あ る 。 先 行 文 中 の 「 ま る で 僕 の と な り に 君 が い て 、 体 を 丸 め て ぐ っ す り 眠 っ て い る よ う な 気 が し ま す 」 と い う 想 像 を 、 後 続 文 の 中 の 「 そ れ (が )」 に よ っ て 指 す 、 文 脈 指 示 で あ る 。

グ ラ フ 18 グ ラ フ 19

238

⑸ あたたかいベッドの中で君のことを考えているのはとても気持の良いものです.まるで僕のと なりに君がいて,体を丸めてぐっすり眠っているような気がします.そしてそれがもし本当だっ たらどんなに素敵だろうと思います. (『ノルウェイの森』下p. 104)

a.  在温暖的被窝里想你是十分惬意的事。恍惚觉得你就在我的身边,弓着身子睡得很熟很熟。

倘若(这/那)是真的,那该多美呀! 我想。 (林p. 235)

b.  躺在溫暖的床上想著妳心情非常舒服。覺得好像妳就在我身旁,縮著身體沉沉地睡著似 的。並想道如果(這/那)是真的話該有多美好啊。 (頼・下p. 73)

 原文は,小説中に出てくる手紙の中の文章である.先行文中の「まるで僕のとなりに君がいて,体 を丸めてぐっすり眠っているような気がします」という想像を,後続文の中の「それ(が)」によっ て指す,文脈指示である.

 項目1,2,4,と同様に, 这 の割合は,大陸版訳aでは天津も台北も70%であるが,台湾版訳

bでは天津が42.5%と27.5ポイント減少し,台北も57.5%と12.5ポイント減少している.ここでも 訳の違いが 这・那 の選択に影響していると考えられる.台湾版訳bの 这 の割合は,台北が 57.5%,天津が42.5%で,台北の方が15ポイント多い.

 5項目の調査結果を総合して,次の3つのことが分かる.

 ①調査項目3と4の台北における調査結果を除き,残りの8つの調査結果では,大陸版訳aではす べて 这 が 那 より多く選択されている.これにより大陸版訳aについては,天津はもちろん台 北でも, 这 が選択されやすいのが分かる.それに対して,台湾版訳bの方は,天津でも台北で も, 这 が 那 より多いときもあればまたその逆のときもあり,はっきりした違いは現れていな い.

 ②同一の項目で比較すると,大陸版訳aでは 这 を多く選択していたのが,台湾版訳bになる と 这 を選択する割合が減少している.これは調査項目⑶の台北を除いて,残りの9つの調査結果 すべてで起こっている.このことにより,大陸版訳aと台湾版訳bの違いが 这・那 の選択に影 響していることが明確に分かる.

 ③調査項目3の大陸版訳aにおいては,天津と台北の 这 の割合が,調査結果の中で一番大きな

参照

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