第5章 年金保険制度の再編
年金保険制度のあり方は少子高齢化の進展と緊密な関係を持っている。今日では、先進 諸国にしても、中国にしても、少子高齢化の進展に対応できるように、年金保険制度改革 が進められている1。1980 年代以降、中国は改革開放政策を進めながら、年金保険制度を はじめとして社会保険改革を模索してきた。いくつかの実験段階を経て、都市部企業従業 員基本年金保険制度(以下、「基本年金保険制度」とする)が 1997 年 7 月から全国に展開 された。
本章では、中国の年金保険制度の形成および 1980 年代以降の改革を含め、中国の年金 保険制度の特徴と問題点を取り上げ、その背景を分析する。また、基本年金保険制度にお ける財源政策の変化および今後の課題を検討することも試みる。
第1節 計画経済期の年金保険制度
第1章において、社会保障制度の時期区分を行った。それに従えば、1949 年から 1980 年代半ば頃まで、計画経済のもとで行われていた年金保険制度は就業・生活保障の一部であ った。1980 年代半ばから年金改革が始まり、1997 年に新制度が創設された。今日では、計 画経済期に形成された年金保険制度の公務員・事業単位職員の部分が存続しているものの、
企業従業員を対象とする基本年金保険制度が主要な制度になっている。本節では、計画経 済期の年金保険制度を創設期、発展期、後退期、再建期に分けて検討してみる。
1.計画経済期の年金保険制度の創設(1949-57 年)
中国の年金保険制度は「労働保険条例」に依拠し、創設されたものである。1951 年に政 務院によって公布された労働保険条例は、年金保険だけではなく、すべての社会保険制度 の法律根拠となっている。当時の社会保険制度は、年金保険、医療保険、死亡保険、出産・
育児保険、労災保険から構成されていた。労働保険条例に基づく社会保険制度は、雇用側 から保険料を徴収し、被保険者に給付を行うようになっていた。
社会保険制度を立ち上げた当時、年金保険料率は従業員賃金総額の 3%に決められ、そ の 70%が企業にある労働組合に留保され、年金財源とされた。残りの 30%は、全国労働組
1 中国の場合は少子化より高齢化の問題が最も深刻である。
合委員会に上納し、調整基金として使われていた。第 2 章でも説明したように、年金改革 までの年金保険制度には必要費用がすべて政府から提供した生産資金から控除されており、
政府の財政資金とみなすことができる。
年金給付を受ける条件として、退職年齢と勤続年数は次のように定められている。男性 の場合は、満 60 歳以上の者で、勤続年数が 25 年、最終勤め先での勤続年数が 10 年以上と している。女性の場合は、50 歳以上の者で、勤続年数が 20 年、最終勤め先での勤続年数 が 10 年以上としている[「中華人民共和国労働保険条例」(1951)第 16 条]。後に、1953 年の改正によって、退職年齢は男女とも 5 年間縮小され、最終勤め先での勤続年数も 10 年から 5 年に引き下げられた。特殊業種の場合には、退職年齢は 5 年早くなることが認め られている。つまり、1953 年以降一定の条件を満たすならば、男性が 50 歳、女性が 40 歳 から年金を受けることができるようになった。後の分析でも触れるが、このような特例は 1990 年代の国有企業リストラに濫用されていた。保険料の納付期間ではなく、勤続年数を 受給条件としていたことに以下の背景があると考えられる。第 1 は、計画経済期の社会保 障は就業保障と生活保障をセットにしていたから、勤続年数を受給条件としていた。第 2 は、個人からの保険料納付がなかったため、納付年数という概念がなかった。
年金給付について、1951 年の労働保険条例は次のように定めている。年金給付額は退職 前の本人標準賃金の 35‐60%としていた。その割合は勤続年数によって異なっていた。年 金給付は当該者の死亡まで支給される。1953 年の改正は、年金の代替率を 50‐70%に引き 上げた。具体的にいえば、最終勤め先での勤続年数が 5 年以上 10 年未満の者は 50%、10 年以上 15 年未満の者は 60%、15 年以上の者は 70%である[「中華人民共和国労働保険条例 実施細則(修正草案)」(1953)第 7 章第 26 条]。
1952 年時点では、3,861 社の企業および 302 万人の被保険者が年金保険制度に加入し、
約 2 万人が年金給付を受けていた[宋(2001)、p.17]。1956 年末に、年金保険制度の被保 険者数は 2,300 万になり、適用率は 94%に急上昇した[鄭他(2002)、p.80]。
企業従業員に対する年金保険制度のほかに、公務員および事業単位職員に対する年金保 険制度も存在していた。それは、1955 年に公布された「公務員の定年退職に関する暫定方 法」によって制定されたものである。企業従業員の年金保険制度に比べて、公務員に対す る年金保険制度が 4 年も遅れた理由の 1 つとして、建国前に存在していた行政機関の職員 に対する供給制(衣食住などを含む)が 1955 年まで続けられたことが挙げられる[陳(2004)、
p.109]。供給制が賃金制度に取り替えられた後、公務員に対する年金保険制度が必要にな
り、作り出されたのである。公務員年金の財源は財政支出によって賄われる。それは予算 項目の行政管理費から支給され、不足した場合は財政補填されるようになっている。
公務員年金の受給条件は、男性 60 歳以上、女性 55 歳以上、男女を問わず勤続年数 15 年以上となっている。退職年齢の場合は、企業従業員より公務員のほうが 5 年長くなって いる。年金給付が勤続年数に依拠しているから、実際に公務員が受け取る年金は企業従業 員より高くなる。陳(2004)は公務員年金の代替率が企業従業員のそれより最高で 10 ポイ ント高い、50-80%であったと指摘している[陳(2004)、p.109]。それは代替率そのもの を高くしたのではなく、むしろ上述した理由でそのようになっていたと考えられる。
2.計画経済期の年金保険制度の発展(1958-68 年)
1958 年から 1966 年までは、年金保険制度が拡充された時期である。1958 年に国務院は
「企業従業員、国家公務員と事業単位職員の定年退職に関する暫定規定」を公布した。そ れによって、それまで分離していた 2 つの年金制度が統合された。年金給付に関していえ ば、最終勤め先での勤続年数が 5 年以上 10 年未満の者に対しては退職前の標準賃金の 50%、
10 年以上 15 年未満の者に対しては 60%、15 年以上の者に対しては 70%というように統一さ れた[侯(1994)、p.113]。軍人の退職年金制度も 1959 年に創設された。
さらに、集団企業の従業員に対して、年金保険制度の適用が強化された。1950 年代初期 には、集団企業は規模が小さく、企業数も少なかった。また、当時の集団企業には労働契 約を結ばない労働者が多く存在していたため、退職年齢の設定が統一されず、年金保険へ の加入も強制的ではなかった。1960 年代初め頃から、都市部の集団企業は次第に発展し、
国有企業に次ぐ経済規模になった。集団企業内において、長期の労働契約を結ぶ労働者も 大半を超えるようになった。そのような状況のもとで、長期労働契約を有する従業員に定 年規則や年金保険制度も充実させなければならなくなった。1966 年に「軽、手工業集団所 有制企業従業員定年退職に関する暫定方法」が通達され、同業種の都市部の集団企業およ びその従業員を年金保険の適用対象にした。それ以降、都市部における他の産業の集団企 業もそれを参考にして年金保険制度に加入するようになった。集団企業の退職者に与える 年金給付は労働保険より低く、退職前の賃金の 40-65%となっていた[鄭他(2002)、p.80]。
3.計画経済期の年金保険制度の凍結(1969-77 年)
年金保険を含む社会保険制度が軌道に乗り始めたところで、文化大革命が 1966 年末から
始まった。それから 1976 年までの 10 年の間に、中国の社会と経済は混乱状態に陥り、社 会保険も停滞状況に陥った。その時期において、特に記しておきたいことは 2 つある。1 つは、労働雇用の全体を担当していた労働部が廃止され、労働保険業務を担当していた各 労働組合の業務が停止されたこと(ともに 1969 年)である。そのような状況のなかで、年 金保険をはじめ社会保険におけるすべての業務が麻痺状態に陥った。文化大革命にともな う年金保険の凍結は 1970 年代後半まで続いた。もう 1 つは、財政部の通達により、1969 年からそれまでに企業の労働保険基金から拠出してきた保険料が、企業の営業外支出にな ったということである。保険料は各企業の営業外支出から拠出するようになったとともに、
全国労働組合へ上納しなくなった。そのことは年金保険にあった社会プールの機能が失わ れたことを意味している。
4.計画経済期の年金保険制度の再建(1978-84 年)
1976 年に文化大革命が終わり、中国の社会と経済が徐々に正常な状態に戻りつつあった。
1978 年に、国務院により「企業従業員の定年退職および離職に関する暫定方法」と「高齢 と病弱の幹部の配置に関する暫定方法」が公布された。それによって、企業従業員と国家 公務員および事業単位職員の年金保険制度はそれぞれ再開され、1958 年からの統合から再 び分離されたのである。その後、「古参幹部に対する離休制度の確立に関する決定」によっ て、一部の人に優遇的な年金制度が加えられた。このような一部の古参幹部に対する優遇 的な年金制度は後に年金財政を圧迫する一因になった。これについては後に検討する。
1978 年から 1984 年までの時期において、年金保険制度を中心とする社会保険制度は再 建に成功したが、基本的にそれまでの就業・生活保障を継承したままとなっていた。
5.計画経済期の年金保険制度に対する評価
中国の年金保険制度は 1950 年代初め頃に創設されてから、社会的経済的な変動に影響 されながら 30 年間の複雑な歴史を歩んできた。ここで、計画経済期の年金保険制度の特徴 と問題点を検討してみる。
(1)計画経済期の年金保険制度の特徴
これまでの検討からわかるように、計画経済体制およびそれに付属している一連の制度 に制約され、計画経済期の年金保険制度は次のような特徴を持っていた。
第 1 の特徴は、重工業優先発展戦略に従い、都市部の国有・集団企業およびその従業員 と公務員を適用対象とした都市部雇用維持型職域保障のことである。第 2 次・第 3 次産業 における国有化運動が成功したことによって、年金保険制度の適用対象は自然に国有と集 団企業およびその従業員と公務員になった。農村労働者を年金保険制度から排除したこと は第 2 章で説明したように資本を都市部と重工業に集約させる意図があったからである。
第 2 の特徴は、低賃金・高就業の雇用制度と一体化した就業・生活保障型社会保障の中 核のことである。この特徴について 2 つの側面から検討することができる。1 つは、年金 給付の計算方式に関することである。日本の老齢厚生年金給付の計算方式と比べると、計 画経済期の年金給付の計算方式は非常にシンプルであった。日本の場合には定額部分、報 酬比例部分および加給年金額が含まれ、報酬比例部分の年金額は平均標準報酬月額×給付 率×被保険者期間の月数×物価スライド率となっている。中国の場合には、退職前の賃金 に依拠するだけで、平均標準報酬月額というような重要な概念はなかった。シンプルな年 金給付計算方式の背景として、ほとんど賃上げしていなかった低賃金政策が考えられる。
1950 年から 1970 年代末までの賃金状況を調べてみると、1952 年の全国平均賃金を 100 と するならば、1977 年に 104、1978 年に 110.3 にしか上昇していなかった[国家統計局綜合 司編(1990)、p.34]。政策的に賃金を一定水準に固定すれば、複雑な計算方式は不要とな る。もう 1 つの側面とは、高い代替率のことである。1950 年代に年金給付の代替率は 50
-70%に設定されていたが、改革開放前後になると、代替率は 80%か 90%に上った。古参幹 部や特殊な貢献をした一部の人に対して 100%かそれ以上の年金給付を与えていた[鄭
(1994)、p.122]。ILO の基準である 50%よりかなり高い代替率で行われてきた計画経済期 の年金保険制度は低賃金の補完として、低賃金・高就業の雇用制度と一体化したと考えら れる。そのぐらいの代替率がないと、低賃金・高就業の時代では労働者の引退生活を保障 できないであろう。
第 3 の特徴は、被保険者に保険料拠出義務がなかったことである。前述したように、企 業は従業員賃金総額の 3%を保険料として企業内の労働組合とその全国組織に納めていた。
被保険者に保険料拠出を直接要求していなかったため、年金給付の受給権利としては拠出 期間ではなく、一定の労働期間が求められていた。被保険者から保険料の拠出がないこと は先進諸国と異なり、社会主義国家の特徴であるといわれている。
第 4 の特徴は、賦課方式をとっていたことである。賦課方式とは、勤労世代から保険料 を徴収し、それを財源として定年退職者に年金を支給するという財政方式である。当該年
度に必要な年金資金はその年の保険料で賄われることが賦課方式の特徴である。公務員年 金は、財政の年度予算に組み込まれる。労働保険の場合も、企業の年度会計にある営業外 支出に依存していた。いずれにしても、年金給付はその年度の保険料収入で賄うようにな っていた。当時、人口構成が若かったことと、年金制度の適用が限定されていたため、賦 課方式が成り立っていた。しかし、高齢化が進展するようになると、事情が変わってくる。
第 5 の特徴は、年金財源が実際は政府財政資金で賄われていたことである。1969 年以降、
年金保険支出は企業の営業外支出で賄われるようになり、企業会計に組み入れられた。し かし、第 2 章で述べたように、企業会計になったとはいえ、利潤上納する前に、賃金や保 険料が政府財政資金で賄われていた生産資金から生み出された企業収益のなかから控除さ れる。保険料などの控除を除いた企業収益は財政に上納される。そのため、保険料は結局 財政資金とみなすことができる。
(2)計画経済期の年金保険制度の問題点
計画経済期の年金保険制度は当時の経済政策に従って行われたものであり、計画経済体 制を維持するために大きな役割を果たしたと思われる。また、短い期間にほぼすべての国 有企業と集団企業およびその従業員を年金保険に加入させ、彼らの老後生活を保障してい ることに対しても、高く評価するべきであろう。しかし、計画経済期の年金保険制度には 以下のような問題点もある。
まず、年金保険制度の適用対象が都市部の国有・集団企業およびその従業員と公務員に 限定されていたことが、公平性の観点から問われる。前章で分析したように、多くの農村 労働者と都市部の非国有・非集団企業の従業員を年金保険制度から排除したことは当時の 重工業優先発展戦略に従ったためであったが、1 つの経済政策に傾いたために、「全国民の 平等」という社会主義の理念から外れてしまった。後にも検討するが、労働市場の変化に よって、年金保険制度の適用範囲の問題が明らかになってくる。
次に、低賃金・高就業制度と一体化になった年金保険制度が企業責任で行われたことに よる問題である。第 2 章で分析したように、低賃金制度を実施していたため、年金・医療 などの社会保障給付は単位保障のルートを通して、貨幣賃金の補充として労働者に提供さ れていた。特に、1969 年以降は、年金保険における社会プールの機能がなくなり、企業が 単独で年金保険業務を行うことになった。そのため、年月が経つにつれて、企業は大量の 定年退職者を抱えるようになった。現役者より多い定年退職者に対して、年金給付を行う
ことは、企業の財政基盤を脅かしていた。鄭(1996)によると、1956 年に成立した大連市 織布会社には、1994 年に 1,258 名の現役従業員がいたが、定年退職者が 1,503 名であった
[鄭(1996)、pp.33-34]。年金給付が現役者の賃金より多いことがその企業を破綻させた 要因の 1 つのようである。また、年金は低賃金の補完として支給されていたため、その代 替率が次第に高くなっていく。1980 年代初頭、年金給付水準は退職前の賃金の 80-90%に 上昇した。高い代替率が企業収益を減少させ、企業の存続を脅かす要因の 1 つであった。
これらのことは計画経済期ではあまり大きな問題となっていなかったが、市場経済化に なると、政府による財政支援が縮小されている過程で徐々に大きな問題となってきた。
さらに、被保険者個人が保険料を拠出せず、賦課方式で行われていた年金財政自体に問 題があった。年金財源が企業や財政に頼っていることは企業と財政にとって重荷になる。
一方、賦課方式は年金受給者が少ないときには財政的に余裕があるが、人口構造が少子高 齢化になり、年金制度が成熟になるにつれて、賦課方式は次第に成り立たなくなる。
第2節 年金保険改革への模索
1980 年代半ばになると、改革開放政策の進展にともない、従来の年金保険制度の問題が 露呈し始めた。それに対応して、年金保険制度改革が着手された。改革は地方において実 験的に行われていた。代表的な改革実験には次のようなものがある。例えば、1980 年代半 ばに、江蘇省泰州市・無錫市で行われた基本年金基金の社会プール化の実験、1990 年代初 期に広東省深圳市で行われた個人口座と共済基金の実験、そして、1990 年代半ばに上海市 で行われた個人口座による有期給付の実験などである。
1980 年代後半、1991-94 年、1995-97 年の実験段階を経て、1997 年 7 月に、「企業従 業員の統一基本年金保険制度の確立に関する国務院の決定」(以下、「決定」とする)が公 布された。それは、新たな都市部企業従業員基本年金保険制度を発足させた。
1.制度改革の背景
いうまでもなく、前述した年金保険制度における諸問題が年金保険改革を促した。被保 険者範囲の問題、高齢化の問題、国有企業の赤字問題と財政負担問題などが年金保険制度
改革の背景として、多くの先行研究によって指摘されている2。本論文はそれらの背景を外 部的要因と内部的要因とに整理し、筆者の意見を加えながらまとめておく。
(1)外部的要因
外部的要因とは、経済的および社会的変化に起因するものを指す。例えば、政府や企業 の財政状況、所有制構造や労働市場における変化および少子高齢化などである。
1)財政制度改革による企業財政の変遷
まず、企業側の財政状況を見てみよう。第 2 章と第 3 章で分析したように、財政制度改 革、特に利改税と拔改貸という 2 つの改革が国有企業にはじめて負債という認識を持たせ、
企業を行政関与から分離させた。それまでに、従業員賃金および社会保障・社会福祉の諸 費用は生産コストの一部として生産資金から支給されていた。生産資金は政府財政支出で 賄われていたため、企業には社会保険財政に対する危機感はなかった。しかし、財政制度 改革以降、政府財政の支援に依存してきた国有企業は、100%の財政支援を受けられなくな り、自分で生産資金を調達しなければならなくなった。それによって、企業はそれまでに 担ってきた年金保険などの社会保険財源調達機能を見直し始めた。収益のよくない企業が 年金給付を遅配したり、停止したりすることが多く発生するようになった。市場メカニズ ムへの転換に対応し、企業は次第に本来の生産活動に戻ったが、従来の年金制度の財政方 式のもとで企業を取り巻く環境は明るくなかった。企業からすれば、企業負担のみに頼る 年金保険財政のあり方は改革されなければならなくなった。
次に、政府財政の状況を見てみよう。第 3 章で分析したように、1980 年代半ばから中央 財政が収入と支出の両面において、地方財政を大きく下回るようになった。中央財政規模 の縮小、特に中央財政収入の激減は地方への移転支出が減少したことを意味する。そのよ うな状況のなかで、年金等の社会保険財源をすべて中央政府に頼ることは不可能である。
また、年金保険改革の後半になると、経済成長を維持するために中央政府が東南沿海地域 との格差を縮小するための西部大開発プロジェクトをスタートさせた。西部大開発プロジ ェクトの資金源はほとんど中央財政支出で賄うことになっていた。それに、公共事業およ び国防などへの支出を加え、中央財政はかなり厳しい状態となっていた。そのため、中央 政府にとって、年金保険を含む社会保険への支出を拡大したくないというのが本音であっ たのではないかと思われる。
2 これに関して、宋他(1998)、閻(2000)、中国研究所編(2001)、張紀潯(2001)、王(2001)を参照。
それでは、年金保険財源は地方政府に頼ることができたのか。答えは否である。中国で は、地域によってその財政力が大きく異なっている。歴史の長い、規模の大きい国有企業 を抱えている地域では、地方財政はかなり困難な状況にあった。そのため、地域によって は地方財政による年金保険への支援が難しい。以上のような状況のなかで、中央政府であ れ、地方政府であれ、年金保険財政に対する支援は制約されていた。そこで、年金保険制 度は新たな財源負担先を必要としていた。
2)国有企業の赤字拡大
国有企業の赤字拡大は、保険料の調達に更なる困難をもたらした。1990 年代半ばより、
国有企業の赤字拡大問題が顕著になってきた。小宮(1999)が指摘したように、1996 年に
「国有企業全体として、赤字企業の赤字総額が、黒字企業の黒字総額を上回り、また、赤 字国有企業は総数の過半数に達した」[小宮(1999)、pp.9-11]。存続できるかという難問 に混迷している赤字国有企業に定年退職者の年金を出せるはずはない。
赤字を縮小するために、赤字国有企業に経営の効率化が求められた。効率化を達成する ために、企業はリストラ策を打ち出した。中高年者が対象となった。定年退職の年齢にな った従業員はもちろんのこと、定年退職年齢より 5 歳から 15 歳も若い者も早期退職のター ゲットにされてしまった。こうして、企業のリストラ策は企業による従来の負担(賃金や 各種の保険料)を年金制度に移し変えた。しかし、企業を赤字経営から本当に解放するの であれば、年金などの負担を軽くしなければならない。そこで、年金保険制度改革によっ て、新たな負担を確保する必要があった。
3)所有制構造および労働市場における変化
市場経済化が進むにつれて、非国有経済が急速に成長してきた。企業形態は従来の国有 企業と集団企業だけの単純なものから、国有企業、集団企業、私営・個人企業、外資などを 含むその他の企業などへと多様なものに変化した。
第 3 章の分析の繰り返しになるが、改革開放政策によって、就業面と経済パフォーマン スの諸指標から非国有経済セクターの成長は著しい。就業面に関しては、2002 年末現在、
都市部の非国有・非集団企業の従業員は 7,000 万人に近いグループになり、国有企業に匹 敵するような規模となっている。1978 年から 2002 年までの間、都市部の非国有経済セク ターはすべての新規雇用を提供しただけではなく、国有経済セクターにおける雇用の縮小 分も補っている。農村部の郷鎮企業や私営・個人企業の成長も著しい。2002 年末現在、郷 鎮企業の従業員数は 1 億 3,288 万人で、私営・個人企業の従業員数は 3,885 万人に上昇し
た。農村部の郷鎮企業や私営・個人企業は市場競争を通して、従来の国有経済セクターに 集中していた第 2 次、第 3 次産業でかなりのシェアを占めるようになった。明らかに、非 国有経済セクターは国有経済セクターを超え、中国経済を支える新興勢力となっている。
工業生産総額、財政収入に占める割合などの指標からも非国有経済の成長を見ることが できる。1998 年にはこれらの新興企業の全国工業生産総額に占めるシェアは合計で 40%を 上回るようになっており、国有企業に匹敵するようになった[『中国統計摘要 1999』、p.100]。
また、国家予算収入のうち、非国有経済による収入は 1978 年の 13.2%から 1993 年の 39.4%
に上昇し、年平均 1.8 ポイントで増えた[樊「中国経済改革の動態的過程」]。
上記の分析によって明らかになったように、市場経済への移行過程において、非国有経 済セクターの成長は大量の就業機会を提供しているだけではなく、経済の持続的成長にも 大いに貢献している。社会と経済への貢献度から考えると、非国有経済セクターが従来の 年金保険制度に取り込まれていないことは、不平等のように思われる。すべての国民に社 会保険を受ける権利を与えるという考えに従えば、非国有経済セクターおよびその従業員 を年金保険制度の適用対象にすることは当然のことである。一方、非国有経済セクターの 企業のなかには、従来の年金保険制度に取り込まれないことによって、生産コストが低く 抑えられ、競争しやすくなると考えている企業もあった。しかし、公平に競争し合う市場 理念に従えば、国有企業であれ、非国有企業であれ、年金保険制度に同様な対応をするべ きであろう。政府から見れば、非国有経済セクターの経済力を借りて、年金等の社会保険 に新たな財源を作り出す意図もあるだろう。
4)急速の人口高齢化
1979 年に実施した1人っ子政策にともない、中国では急速な人口高齢化が進んでいる。
若林(1996)によれば、中国人民大学人口研究所の推測では、中国の高齢者人口割合が 7%
に達する年は 2002 年である[若林(1996)、p.209]。しかし、国家統計局が公布した「2001 年国民経済と社会発展統計公報」3によれば、2001 年末、65 歳以上の高齢者人口は 9,062 万人に達し、総人口に占める割合(高齢者人口割合)は 7.1%となった。中国も高齢化社 会4に突入した。現実には、中国の人口高齢化が予測より少々速いスピードで進んでいるこ とがわかる。ちなみに、「2004 年国民経済と社会発展統計公報」によると、2004 年末現在、
65 歳以上の高齢者人口は 9,857 万人に達し、高齢者人口割合も 7.6%に上昇した。
3 中国国家統計局HPに掲載されている資料である。http://www.stats.gov.cn/tjgb/ndtjgb/index.htm
4 総人口に占める 65 歳以上の高齢者人口の割合が 7%を超えると、高齢化社会と呼ぶが、その割合が 14%
を超えると、高齢社会と呼ぶ。
日本ではわずか 24 年で高齢者人口割合が 7%から 14%に達したということは有名であ るが、中国も約 26 年という速いスピードで高齢社会に入ると推定されている[若林(1996)、
p.207]。今後、中国の高齢化はどのように進展していくだろうか。国連の“The World Population Prospects”を参考しながら、それを検討してみよう。図表Ⅴー1 によれば、
中国では 65 歳以上の高齢者人口は 2005 年に 1 億人を突破し、高齢者人口割合が 7.6%に なる。その後、2020 年に 1 億 6,935 万人、11.9%に上昇する。さらに、2050 年に約 3 億 2,910 人、23.6%にまで急増していく。23.6%という指標は国民の 4 人に 1 人が 65 歳以上 の高齢者であることを意味する。
図表Ⅴー1 中国の将来人口推計(国連中位推計)
出 所 : United Nations, Revision,
http://esa.un.org
総 人 口 数 0 ~ 1 4 歳 1 5 ~ 6 4 歳 6 5 歳 ~ 0 ~ 1 4 歳 1 5 ~ 6 4 歳 6 5 歳 ~
1 9 5 0 5 5 , 4 7 6 1 8 , 6 0 5 3 4 , 3 8 6 2 , 4 8 5 3 3 . 5 6 2 . 0 4 . 5
1 9 5 5 6 0 , 9 0 1 2 2 , 5 9 6 3 5 , 4 9 4 2 , 8 1 1 3 7 . 1 5 8 . 3 4 . 6
1 9 6 0 6 5 , 7 4 9 2 5 , 5 8 0 3 6 , 9 9 3 3 , 1 7 7 3 8 . 9 5 6 . 3 4 . 8
1 9 6 5 7 2 , 9 1 9 2 9 , 2 9 9 4 0 , 4 1 4 3 , 2 0 6 4 0 . 2 5 5 . 4 4 . 4
1 9 7 0 8 3 , 0 6 8 3 3 , 0 0 4 4 6 , 4 8 3 3 , 5 8 1 3 9 . 7 5 6 . 0 4 . 3
1 9 7 5 9 2 , 7 8 1 3 6 , 6 3 8 5 2 , 0 6 0 4 , 0 8 3 3 9 . 5 5 6 . 1 4 . 4
1 9 8 0 9 9 , 8 8 8 3 5 , 4 6 3 5 9 , 6 8 2 4 , 7 4 3 3 5 . 5 5 9 . 7 4 . 7
1 9 8 5 1 0 7 , 0 1 8 3 2 , 4 2 8 6 9 , 0 4 2 5 , 5 4 8 3 0 . 3 6 4 . 5 5 . 2
1 9 9 0 1 1 5 , 5 3 1 3 1 , 9 8 8 7 7 , 1 0 7 6 , 4 3 6 2 7 . 7 6 6 . 7 5 . 6
1 9 9 5 1 2 1 , 9 3 3 3 2 , 2 4 1 8 2 , 2 7 4 7 , 4 1 8 2 6 . 4 6 7 . 5 6 . 1
2 0 0 0 1 2 7 , 3 9 8 3 1 , 5 6 7 8 7 , 1 0 8 8 , 7 2 3 2 4 . 8 6 8 . 4 6 . 8
2 0 0 5 1 3 1 , 5 8 4 2 8 , 1 7 7 9 3 , 4 0 6 1 0 , 0 0 2 2 1 . 4 7 1 . 0 7 . 6
2 0 1 0 1 3 5 , 4 5 3 2 6 , 3 8 4 9 7 , 8 4 8 1 1 , 2 2 1 1 9 . 5 7 2 . 2 8 . 3
2 0 1 5 1 3 9 , 2 9 8 2 5 , 8 3 4 1 0 0 , 1 2 1 1 3 , 3 4 4 1 8 . 5 7 1 . 9 9 . 6
2 0 2 0 1 4 2 , 3 9 4 2 6 , 2 1 3 9 9 , 2 4 6 1 6 , 9 3 5 1 8 . 4 6 9 . 7 1 1 . 9
2 0 2 5 1 4 4 , 1 4 3 2 5 , 8 4 7 9 8 , 5 6 9 1 9 , 7 2 7 1 7 . 9 6 8 . 4 1 3 . 7
2 0 3 0 1 4 4 , 6 4 5 2 4 , 4 1 4 9 6 , 6 1 4 2 3 , 6 1 7 1 6 . 9 6 6 . 8 1 6 . 3
2 0 3 5 1 4 4 , 2 9 7 2 2 , 9 7 9 9 2 , 8 1 8 2 8 , 5 0 0 1 5 . 9 6 4 . 3 1 9 . 8
2 0 4 0 1 4 3 , 3 4 3 2 2 , 3 2 4 8 9 , 0 8 2 3 1 , 9 3 7 1 5 . 6 6 2 . 1 2 2 . 3
2 0 4 5 1 4 1 , 6 9 3 2 2 , 1 7 2 8 6 , 9 3 0 3 2 , 5 9 1 1 5 . 6 6 1 . 4 2 3 . 0
2 0 5 0 1 3 9 , 2 3 1 2 1 , 8 4 2 8 4 , 4 7 8 3 2 , 9 1 0 1 5 . 7 6 0 . 7 2 3 . 6
年 人 口 数 ( 万 人 ) 年 齢 構 成 割 合 ( % )
The World Population Prospects. 1950-2050, The 2004
/unpp/
上述のように、中国における高齢者人口の急増と規模の巨大化は、中国における人口高 齢
迫を与えかねない。現実に、年金受給者(離退休 者
化の特徴である。また、高齢者人口の地域格差が大きいことと少数民族別の人口高齢化 の非一律性も中国の高齢化における特徴である。地域別で見れば、農村部より都市部のほ うが高い。また、上海、北京、天津などの大都市では高く、青海、寧夏、チベットなどの 内陸地域では低いと推定されている。
高齢者人口の急増は年金保険財政に圧
)5に対する在職者の比率が著しく低下している。図表Ⅴ-2 が示しているように、離退
5 中国では、定年退職者には離休者、退休者と退職者の 3 種類が含まれる。離休者とは、国内戦争時(1927
-37)、革命に参加した者、抗日戦争時(1937-45)の参加者のうち副県長以上および幹部級 14 以上の者 である。退休者は日本の定年退職者に相当する。男は 60 歳、女は 50~55 歳で定年退職する。退職者に関 して、定年退職の条件を満たさないが、労働鑑定委員会の認可を受け、労働能力を失った労働者は退職で きる。本論文においては、これらの者をすべて年金受給者と呼ぶ。
休者 1 人に対する在職者数は 1978 年の 30 人から 2002 年の 3 人に急落した6。今後、その 割合はさらに減少していくだろう。高齢者の急増によって、年金保険負担がますます重く なることは誰の目から見ても明らかな事実である。高齢者人口の急増という社会的変化が 従来の年金保険財源調達方法に対して、適切な対応を求めている。
図表Ⅴ-2 全国離退休者と在職者比の推移 年 離退休者(万人) 対在職者比 1978 314 1:30.0 1980 816 1:12.8 1985 1637 1:7.5 1990 2301 1:6.1 1995 3094.1 1:4.8 2000 3875.8 1:3.5 2001 4017.7 1:3.2 2002 4222.8 1:3.0
出所:『中国労働統計年鑑 1999』、p.541、『中国労働統計年鑑 2003』、p.515。
(2)内部的要因
内部的要因とは、制度の仕組みに起因するものを指す。例えば、賦課方式の財政方式、
適用対象の範囲設定、担当省庁の多角化などがある。これらの要因は制度が設定された当 初から潜在している問題であるが、経済的・社会的な外部要因によって顕在化してきた。
1)賦課方式の財政方式
前にも触れたが、賦課方式を成立させる重要な条件とは、制度の裾が十分に大きいとい うことである。つまり、引退者を支える現役者の数が著しく減少しないことと、引退者の 数が著しく増加しないことである。第 2 章で、筆者は中国の社会保障制度が制限主義のも とでの都市部雇用維持型職域保障制度であると主張した。そのような特徴を持つ社会保障 制度は制度設計の際に、年金保険制度の入り口を小さくした。つまり、戸籍制度は都市部 の年金保険制度の適用対象を制限していた。外部環境が変わらなくても、時間が経つにつ れて、制度は成熟すればするほど被保険者の増加より受給者の増加が激しくなる。それに、
国有経済セクターの衰退や少子高齢化の進展は賦課方式の欠点をさらに露呈してしまった。
6 同じような指摘は、閻(2000)、王(2001)などにもある。
裾が小さくなる現役者層が大きくなる引退者層を支えられなくなり、やがて後者が前者の 重荷になる。これは、賦課方式という制度の仕組みによる内部的要因である。
2)限定された被保険者範囲
計画経済期の年金保険制度は、主に国有企業と都市部集団企業の従業員、国家公務員お よ
はじめ単位ルートで行われている。しかし、それを監視管理して
3)まとめ
てきたように、①財政制度改革が統収統支の財政制度を変化させ、財政支
び事業単位職員にしか適用されていなかった。被保険者範囲については、前の項で多く を割いたため、ここでは省略することにする。ただし、閻(2000)が調べた結果を紹介し たい。閻(2000)は 1978 年と 1991 年における年金保険制度のカバー率を調べた7。それに よると、国家公務員および事業単位職員と国有企業の従業員のカバー率はいずれの年にお いても 100%であった。また、都市部集団企業従業員のカバー率は 1978 年の 70%に対し、
1991 年には 86%まで上昇した。しかし、それ以外の企業の従業員のカバー率はいずれも 0%
であった。1991 年に、都市部での年金保険カバー率が 92%であったのに対して、農村部で は 2.3%しかなかった。被保険者に対する制限は保険財政の不安定化をもたらした。
3)担当省庁の多角化 年金保険制度は企業を
いる担当省庁はかなり多い。年金保険業務に関しては、労働部、人事部、財政部、民政部、
中華全国総工会などの5つの省庁が、それぞれ役割を持っている。多くの担当省庁がかか わっているために、年金保険の資金調達や支払い業務に統一的な基準はない。それを改善 するために、改革によって担当省庁を一元化する必要がある。
(
これまで述べ
出による年金保険財政への支援が縮小された。財政制度改革後、事実上企業負担のみに頼 る年金保険財政のあり方は改革されなければならなくなった。つまり、年金保険制度は、
政府と国有・集団企業以外に新たに財源を負担してくれるところを必要とした。②企業改 革の進展につれて、企業形態は多様なものに変化し、非国有・非集団セクターおよびその 従業員に国民待遇として公的年金制度を実施しなければならなくなった。③非国有・非集 団セクターの経済力を借りて年金等の社会保険の財政難を助けようという政府の意図もあ るだろう。④人口高齢化が急速に進んでいるなかで、現役者に対して引退者の相対数が急 増しているので、従来の賦課方式という財政方式は対応しがたくなった。賦課方式の財政
7 それについて、閻(2000)、pp.36-38 を参照。
方式に対して、改革が要請されている。⑤多数の担当省庁が管轄する従来の制度には統一 的な基準が設けられにくく、担当省庁の一元化によって統一的な制度を必要とした。
以上のような事情によって、財源負担を合理的に分け合い、適用範囲を広げ、賦課方式
.制度改革の過程
開始にともない、年金保険改革も 1984 年に一部の地域で行われた。
そ
来
従業員年金保険制度改革に関する決定」を各地域に通達し、
労
会で「中共中央が社会主義市場経済体制の創設に 関
各地に伝え、
年
1991-94 年、1995-97 年、3 つの実験段階を経て、
新
を補完する要素が備えられるような新制度が求められていた。このような状況のもとで、
年金保険制度改革が始まったのである。
2
都市部の経済改革の
れは、1969 年以前のように、市や県の行政レベルで社会プール機能を復活させたもので ある。江蘇省泰州市・無錫市は基本年金基金の社会プール化の実験地として知られている。
1986 年に、国務院は「国営企業に労働契約制を実施するための暫定規定」を公布し、従 の労働力を配置する労働制度を労働契約制に変えた。それと同時に、雇用側と従業員側 が保険料を出し合う年金保険制度改革をスタートさせた。年金財政において収入より支出 のほうが多くなるときに、政府財政支出から補填を行うことも決めた。いわば、保険料の 三者負担の仕組みである。
1991 年に、国務院は「企業
働部と人事部が都市部の年金保険制度改革を担当し、民政部が農村部の年金保険改革を 担当すると決めた。1990 年代初期に、代表的な改革として、広東省深圳市で行われた個人 口座と共済基金の実験が挙げられる。
1993 年に、中国共産党第 14 回三中全
する諸問題に対する決定」が採択された。そのなかで、多段階の社会保障体制を作り上 げることが打ち出された。年金保険において、社会プール機能を有している「基礎年金口 座」と強制貯蓄機能を有している「個人年金口座」を結合させることが決められた。1990 年代半ばに上海市で個人口座による有期給付の実験が行われた。
1995 年に国務院は「企業従業員年金保険制度改革の強化に関する通達」を 金保険制度改革が加速された。
このようにして、1980 年代後半、
しい基本年金保険制度が 1997 年に創設されることになった。
第3節 基本年金保険制度の内容およびその問題点
.基本年金保険制度の内容
保険者に関する規定は次の通りである。国有企業、都市部 集
・従業員の三者負担となっている。具 体
険料を納付した被保険者に対して、定年退職後に年金が支給される。年金給 付
1
基本年金保険制度における被
団企業、その他の企業、都市部私営企業、企業化管理を実施している事業単位8およびそ の従業員を年金保険制度の被保険者とする。また、各省・自治区・直轄市政府が各地域の 現状に応じて、都市部における自営業者の年金保険制度への加入を決めることができる。
被保険者範囲は従来に比べて大幅に拡大された。
基本年金保険基金の財源に関しては、政府・企業
的には、国が負担する部分は次の 2 つである。それは、社会保険管理機構の人件費を含 む管理費用と、年金保険基金に赤字が出た場合の財政補助金である。企業が負担する部分 は、当該企業従業員賃金総額の 20%9に相当する保険料である。個人が負担する部分は、
当該企業従業員の本人平均賃金の 8%10に相当する保険料である。年金保険制度に、社会プ ールの役割を果たしている基礎年金口座と強制貯蓄機能を果たしている個人年金口座が設 けられている。個人年金口座には、個人が納付する保険料の全部と企業が納付する保険料 の 3%11が入る。基礎年金口座には、個人年金口座に繰り入れた企業側の納付分以外の保険 料が入る。
15 年以上保
は基礎年金口座からの給付と個人年金口座からの給付から構成される。基礎年金口座か らの給付は当該地域における前年度の平均賃金の 20%と定められている。個人年金口座か らは、個人年金口座にある積立金の 120 分の 1 を 120 ヶ月にわたって支給される。なお、
個人年金口座の積立金は原則として定年退職前に引き出すことが禁じられる。転職する場 合には、個人年金口座およびその積立金は本人と一緒に転職先に移る。個人年金口座内の 積立金がなくなった後は、基礎年金口座からの給付のみとなる。このように、中国の年金 保険制度は従来の賦課方式から、賦課方式と積立方式の混合型へと転換した。
8 計画経済期において、事業単位は国有企業と同様に予算経費で運営されていた。しかし、市場化になる と、事業単位の運営費用は自らの事業収入によって賄うようになった。これは企業化管理といわれている。
9 企業の経営状況にあわせて、20%に超えないように規定している。なかには個人年金口座に繰り入れる 部分が含まれている。
10 本人平均賃金の 8%というのは、2004 年になってからの基準であるが、1997 年以前の実験段階では 4%
が普通であった。1998 年より 2 年毎に 1 ポイントずつ引き上げるように計画されている。
11 賃金総額の 20%のうちの 3%である。1997 年時点では7%だったが、1998 年より 2 年毎に 1%を引き 下げ、2004 年に 3%になるように計画されている。個人納付と企業納付の保険料を合わせると、平均賃金 の 11%になる。
2.基本年金保険制度の実態
まず被保険者数と受給者数の状況を見てみる。1997 年以降の被保険者数と受給者数が大 幅
図表Ⅴ-3 年金保険被保険者・受給者増加率の推移
次に、被保険者と受給者の所属について検討してみる。1992 年以前と 2000 年以降につ い
に上昇した。被保険者数は 1992 年の 7,774.7 万人から、2002 年の 1 億 1,128.8 万人に 増えた。また、受給者数も 1992 年の 1,681.5 万人から、2002 年の 3,607.8 万人に増加し た。図表Ⅴ-3 は 1992 年から 2002 年までの被保険者と受給者の増加率の推移を表してい る。それを見ると、1999 年頃までは、年金受給者の増加率は被保険者のそれより高かった。
このような関係は 1999 年、2000 年において逆になっていたが、2001 年以降再び 1999 年以 前のように戻った。「決定」が公布された後、被保険者の拡大が一時的に強まったことと、
被保険者数の増加により受給者数の増加が顕著であることがわかる。
3 7 .5
3 .0
6 .1
2 .9
0 .2 - 1 .0 - 2 .3
1 2 .1
1 0 .0
3 .4 3 .0
5 4 .7
9 .4
1 3 .0 7 .8
5 .2 7 .4 7 .7 9 .4
6 .2 6 .6 6 .7
- 1 0 .0 0 .0 1 0 .0 2 0 .0 3 0 .0 4 0 .0 5 0 .0 6 0 .0
1 9 9 2 1 9 9 3 1 9 9 4 1 9 9 5 1 9 9 6 1 9 9 7 1 9 9 8 1 9 9 9 2 0 0 0 2 0 0 1 2 0 0 2
%
被 保 険 者 合 計 年 金 受 給 者 合 計
出所: 『中国労働統計年鑑 2003』、p.555。
て、所属別の資料がないため、1992 年から 2000 年までの期間とする。図表Ⅴ-4 からわ かるように、1990 年代半ばから国有企業の被保険者数は減少し、その他の企業の被保険者 数が増えている。また、1999 年から機関・団体および自営業者を含むその他に属している 被保険者数も急速に増加している。国有・集団企業の被保険者数の被保険者数合計に占め る割合は、1997 年には 96.0%だったが、2000 年には 76.0%に減少した。一方、非国有・非 集団企業の同割合は、1997 年の 3.9%から 2000 年の 24.0%に上昇した。適用範囲の拡大は
財源収入の増加をもたらす。また、非国有経済セクターの被保険者の大幅増加は、財源収 入が国有経済セクターから非国有経済セクターへ移動していくことも示している。
図表Ⅴ-4 所属別被保険者数の推移
6 , 5 3 9 .8 6 , 5 9 0 .8 7 ,0 0 6 . 1 7 ,1 3 0 . 8 7 ,0 4 4 .9 6 ,8 8 8 .4 6 ,6 4 7 .2 6 , 4 5 4 .5 6 ,4 6 6 .6 1 , 1 7 6 .7 1 , 3 1 8 .5 1 ,3 2 4 . 5 1 ,3 7 0 . 3 1 ,4 5 5 .5 1 ,4 3 7 .3 1 ,3 7 0 .3 1 , 4 7 9 .3 1 ,4 6 9 .9 4 5 8 .3 7 2 1 .56 4 2 .6 1 ,1 8 7 .7 9 7 7 .6
5 8 .2 9 8 . 8 1 6 3 .5 2 3 6 .8 2 5 8 . 0 3 4 5 .3
3 4 5 .7 2 0 3 .8
0 . 0 2 ,0 0 0 . 0 4 ,0 0 0 . 0 6 ,0 0 0 . 0 8 ,0 0 0 . 0 1 0 ,0 0 0 . 0 1 2 ,0 0 0 . 0
1 9 9 2 年 1 9 9 3 年 1 9 9 4 年 1 9 9 5 年 1 9 9 6 年 1 9 9 7 年 1 9 9 8 年 1 9 9 9 年 2 0 0 0 年
万人
国 有 企 業 集 団 企 業 そ の 他 の 企 業 機 関 、 団 体 等 そ の 他
出所:『中国労働統計年鑑 2001』、表 8-16 から引用。
図表Ⅴ-5 を参照しながら、年金受給者の所属を見てみると、すべての企業における受
給者数が増加していることがわかる。各種企業の受給者数の受給者合計に対する割合を計 算した結果、国有・集団企業が減少しているのに対して、非国有・非集団企業は上昇して いる12。しかし、各種企業の受給者の被保険者数に対する割合を計算してみると、驚くべ きことに、各種企業には大きな差が存在している。2000 年の数値を見ると、国有企業 1:2.8、
集団企業 1:2.5、その他の企業 1:8.9、機関団体 1:6.4、その他 1:65.2 となっていた。こ れまでの分析と合わせると、新年金保険制度は非国有・非集団企業の被保険者の拡大によ って国有・集団企業の定年退職者の年金給付を支えようとしていることが窺える。
図表Ⅴ-5 所属別年金受給者数の推移
1 , 3 3 9 . 4 1 , 4 5 0 . 9 1 , 6 6 7 . 1 1 , 7 8 6 . 7 1 , 7 5 7 . 2 1 , 9 8 4 . 3 2 , 1 9 6 . 2 2 , 2 8 4 . 4 3 3 8 . 4 3 7 6 . 0 3 9 3 . 6 4 2 8 . 9 4 6 6 . 9 5 0 8 . 5 5 2 5 . 3 5 7 0 . 5 5 9 3 . 9
2 , 1 4 4 . 1
1 3 2 . 8 9 3 . 5
5 7 . 9 4 0 . 6
3 . 6 1 2 . 6
1 8 . 8 2 5 . 5 3 4 . 2
1 5 3 . 4 1 1 9 . 8
5 . 3 3 . 6
0 . 0 5 0 0 . 0 1 , 0 0 0 . 0 1 , 5 0 0 . 0 2 , 0 0 0 . 0 2 , 5 0 0 . 0 3 , 0 0 0 . 0 3 , 5 0 0 . 0
1 9 9 2 年 1 9 9 3 年 1 9 9 4 年 1 9 9 5 年 1 9 9 6 年 1 9 9 7 年 1 9 9 8 年 1 9 9 9 年 2 0 0 0 年 万 人
国 有 企 業 集 団 企 業 そ の 他 の 企 業 機 関 、 団 体 等 そ の 他
出所: 図表Ⅴ-3 と同じ。
12 計算した結果、国有・集団企業の年金受給者数割合は、1997 年の 98.4%から 2000 年の 90.8%に減少し た。一方、非国有・非集団企業のそれは 1997 年の 1.6%から 2000 年の 9.2%に上昇した。
続 状況を見てみる。図表Ⅴ-6 によれば、基金の収入合計は、
19
図表Ⅴ-6 年金保険基金の収支状況
各種企業における基金収支状況を見てみると、国有・集団企業の収支非均衡化が目立つ。
図
いて、年金保険基金の収支
92 年の 365.8 億元から 2002 年の 3,171.5 億元に上昇した。支出は 1992 年の 321.9 億元 から、2002 年の 2,842.9 億元に膨らんだ。1998 年に基金収入より支出のほうが多いことも わかる。その差額は 52.7 億元である。2000 年以降、収支の差額が大きく改善され、2002 年に 328.6 億元となった。年金保険財政が徐々に安定になってきたことが窺える。
365.8 503.5
707.4 950.1
1,171.8 1,337.9
1,459.0 1,965.1
2,278.1 2,489.0
3,171.5
661.1 847.6
1,031.9 1,251.3
1,511.6 1,924.9
2,115.5 2,321.3
2,842.9
43.9 32.9 46.3 102.4 139.9 86.6
-52.7 40.3
162.6 167.7
328.6 470.6
321.9
-500.0 0.0 500.0 1,000.0 1,500.0 2,000.0 2,500.0 3,000.0 3,500.0
1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999 2000 2001 2002
億元
基金収入 基金支出 収入-支出
出所:『中国労働統計年鑑 2003』より引用、筆者作成。
表Ⅴ-7 を参照されたい。集団企業における保険基金財政の赤字化は 1993 年以降拡大し つつある。赤字額は 1993 年の 2.3 億元から 2000 年の 65.4 億元に上り、2000 年の支出額 の 4 分の 1 になっている。国有企業に関しても、1998 年と 1999 年には赤字財政に陥った。
しかし、その他の企業、機関・団体等およびその他の部分については、これまでに赤字財 政を一度も起こしたことがない。国有・集団企業における基金の収支状況は深刻になって おり、他の企業、機関・団体の加入がなければ、国有・集団企業だけでは年金保険財政が破 綻になる公算が大きいことは明らかである。国有・集団企業の年金赤字を救うために、他 の企業、機関・団体の役割は大きい。
図表Ⅴ-7 国有・集団企業における基金の収支状況
Ⅴ-8 を参照されたい。それ
出所:『中国労働統計年鑑 2001』、表 8-17 より引用、筆者作成。
年金保険基金の積立金残高の状況に関する分析は、図表
によれば、積立金残高は 1998 年に一度は減少したが、その後再び増加傾向になってき た。2000 年末現在、年金保険基金の積立金残高は 947.1 億元に達している。それは 1992 年の 220.6 億元に比べると、4 倍以上に増えてきた13。しかし、国有・集団企業の積立金 残高が 1997 年にピークを迎えた後下がる一方になっている。積立金残高合計に占めて いた国有・集団企業の積立金残高の割合は、1992 年にはほぼ 100%であったが、2000 年 には 30%半ばまで下落した。また、図表Ⅴ-7 を参照しながら、その内訳を見てみると、
集団企業における積立金残高の赤字拡大は驚くべき数字である。2000 年現在、集団企業 における積立金残高の赤字額は 188.6 億元に上り、当年の収入と匹敵する。
図表Ⅴ-8 年金保険積立金の分析
出所:図表Ⅴ-7 と同じ。
単位:億元
年
国有企業 収入
国有企業
支出 当年残高
国有企業 都市部集 都市部集団
の積立金 残高
都市部集団 企業収入
団企業支
出 当年残高
企業の積立 金残高 1992 311.6 271.7 39.9 201.3 51.4 49.4 2 14.6 1993 412.1 382.5 29.6 237.4 73.8 76.1 -2.3 13.1 1994 598.6 551.5 47.1 284 91.2 102.3 -11.1 2.5 1995 802.6 716.2 86.4 390.4 111.3 118.2 -6.9 -2.5 1996 968.6 861.8 106.8 506.8 139.2 151 -11.8 -16.1 1997 1,130.80 1,058.60 72.2 598.8 136.3 167.5 -31.2 -48.6 1998 1,213.70 1,288.90 -75.2 481.2 150.1 193.2 -43.1 -91.8 1999 1,567.00 1,590.80 -23.8 492.5 179.9 236.3 -56.4 -126.1 2000 1,698.30 1,646.80 51.5 542.1 199.8 265.2 -65.4 -188.6
0.0 100.0 200.0 300.0 400.0 500.0 600.0 700.0 800.0 900.0 1,000.0
1992年 1993年 1994年 1995年 1996年 1997年 1998年 1999年 2000年 億 元
0.0 10.0 20.0 30.0 40.0 50.0 60.0 70.0 80.0 90.0 100.0
%
積 立 金 残 高 合 計 国 有 ・集 団 企 業 積 立 金 残 高 積 立 金 残 高 合 計 に 占 め る 国 有 ・集 団 企 業 割 合
13 積立金残高は順調に増え続いている。2002 年末現在 1,608 億元に達した。2001 年以降、積立金残高の 内訳は企業と事業単位だけに分けるようになったため、国有・集団企業にかかわる内容が 2000 年までし か示されない。
3. る問題点 化
年金保険制度は 2002 年末で 5 年が経った。
従
加入者を確実に拡大させた。従来の制度 は
、政府・企業・従業員という三者負 担
一見、
こ
内部で行う業務から社会サービス機構(例 え
基本年金保険制度におけ
(1)基本年金保険制度の創設による変 1997 年の「決定」によって導入された基本
来の制度に関する資料が少ない状況のなかで、新旧制度に対して統計上の比較は難しい が、全体的に見ると以下のような変化がある。
第 1 は、基本年金保険制度の創設は年金制度の
国有企業、集団企業および政府機関と事業単位の従業員を適用対象にしていたが、国有 企業と集団企業の減少によって、従来制度への加入者数が減った。一方、人口高齢化の進 展によって、従来の年金制度が抱えている年金受給者は増え続けている。従来の年金制度 に関する資料がないため、正確な分析はできないが、現存している従来の年金制度の加入 者を含めると、年金制度に加入している人は大幅に増えたと思われる。公的年金制度の加 入者は増えたが、皆年金の視点から見ると、基本年金保険制度の適用率はまだ低いといわ ざるを得ない。それについて、次の項で検討する。
第 2 は、財源は企業全額負担(雇主全額負担)から
に転換した。このような転換は、政府と企業の負担を軽減し、個人に保険料納付の意識 を喚起した。しかし、政府が担う役割に対しては明確な定義を定めていない。政府責任の 曖昧さは負担額だけではなく、中央政府と地方政府の分担という点にも表れている。朱
(2001)によれば、1998 年から 2001 年までの間、年金保険基金への支出は、中央政府が 90%以上を占め、地方政府が 10%未満であった。地域間の格差に対して中央政府が調整して いるものの、地方政府の役割が計画経済期に比べると縮小したようである。
第 3 は、財政方式が従来の賦課方式から賦課方式と積立方式の混合型に変わった。
のような変化は世界銀行が主張している 3 階建て14の 1 階と 2 階部分に見えるが、現実 には異なっている。後でも触れるように、現段階では個人年金口座に資金が入っていない。
そのため、これまでの基本年金制度は従来の賦課方式と変わっていないといってもよい。
従来制度の基金に関する資料はなく、基礎年金口座と個人年金口座に関する情報もないた め、残念ながらより詳細な分析ができない。
第 4 は、年金給付は従来の制度と比べ、企業
ば銀行、郵便局)による業務へと転換された。これは年金給付業務の社会化と呼ばれて
14 つまり、1 階部分は賦課方式の基礎年金で、2 階部分は強制的な積立方式の個人勘定で、3 階部分は任 意の私的年金である。
いる。2001 年に、年金給付業務の社会化率は 98%に達し、社会サービス機構による基本年 金の支給を基本的に実現した。年金給付業務の社会化は従来企業が行わなければならなか った業務負担を軽減させ、本来の生産投資活動に専念できるようにさせた。
第 5 は、基本年金保険制度の管轄省庁が労働社会保障部に一本化され、担当省庁を横断 し
2)基本年金保険制度における問題点
えず、次のような問題を抱えている。第 1 は、
せるための政策的意図がはた ら
ていた問題が解消された。しかし、保険業務を労働社会保障部に一本化したことによっ て、資金調達や支払い業務に関する基準が統一されると考えられるが、現実にはそうでは ない。地方にかなりの権限を持たせているため、基本年金保険の保険料率や給付額に地域 格差が存在している。
(
基本年金保険制度は成熟した制度とはい
皆年金の視点から被保険者範囲はまた狭いという問題がある。1997 年の「決定」は、「基 本年金保険制度は都市部すべての企業およびその従業員に拡大しなければならない。都市 部の自営業者にも逐次に基本年金保険制度を実施しなければならないが、その保険料納付 と年金給付水準について、省・自治区・直轄市政府が本決定の主旨を参照して定める」15 とされている。しかし、2002 年末現在、現行の年金保険制度における被保険者数は 1 億 1,129 万人にとどまっている。2002 年末現在、都市部のすべての就業者は 2 億 4,780 万人である が、年金保険の適用率はわずか 45%でしかない。1997 年以降、被保険者範囲はこれまでの 国有・集団企業の従業員から拡大し、改善しつつあるが、十分とはいえない。皆年金の視 点からこのような状況をさらに改善しなければならない。
第 2 は、今までの被保険者拡大には、保険料収入を増加さ
いていたのではないかという疑問がある。年金保険制度改革を求める要因に、年金保険 財政の赤字問題があった。第 2 節での分析からわかるように、年金保険基金の赤字問題は 主に国有・集団企業部門にある。それを解消するためには、財源政策の変化が必要である。
財政支出を増やさないという政策方針のもと、被保険者数を増やして、保険料増収による 財源を拡充することは一番簡単であろう。保険料増収は古くて、経営状態の悪い国有・集 団企業からは期待できないが、平均賃金の高い新興経済勢力からは容易であろう。前掲図 表Ⅴ-4、5 が示したように、近年、非国有・非集団企業における被保険者の拡大は国有・
集団企業の定年退職者の年金給付を支えている。
15 これについて、焦主編(2001)を参照。
第 3 は、年金受給要件が緩いため、年金保険財政が圧迫されている問題がある。この問 題
う問題がある。第 2 節で述べた よ
保険には、積立方式の個人年金口 座
は企業による早期退職策の不正利用を指している。経営の合理化を求めるために、実施 されている早期退職策は、年金保険に財政問題をもたらしている。夏(2001)によれば、
1980 年代後半から 1990 年代初期および 1998 年以降、企業は経営の合理化を図るために、
数多くの早期退職者を作り出したと指摘している。早期退職させる手段としては、偽りの 病名をつけること、偽りの職種を報告すること、従来の適用範囲を不正に拡大することな どがある。同論文では、2001 年に社会保険事業管理センターが実施した「10 都市における 早期退職の調査報告」を紹介している。それによると、1997 年から 2000 年まで、当該 10 都市における早期退職者数は 18 万 7,611 人で、それは定年退職者合計の 29.3%に相当す る。そのため、年金保険基金は 6.45 億元の減収と 23.31 億元の支払が余分に発生した。さ らに、この調査結果に基づき、全国の状況を推測すると、4 年間で全国の早期退職者が 213 万人、保険基金の減収が 73 億元、余分支払が 265 億元(両者合計 338 億元)となる。これ らの数値は早期退職による年金保険基金への影響があることを示している。早期退職に対 する厳しい監督は徹底的にしなければならない。そもそも、早期退職は企業経営を助ける 1 つの手段であり、失業対策とも強く関連している16。
第 4 は、なぜ積立方式の個人年金口座を創設したかとい
うに、1997 年以降の年金保険制度は賦課方式と積立方式の混合型財政方式がとられてい る。なぜ賦課方式の基礎年金口座の上に、積立方式の個人年金口座を創設したかという問 題に関して、多くの先行研究では高齢化の進展による基金不足を防ぐ手段であると説明し ている。確かに、そのような効果があることは否定できない。しかし、それだけではなく、
個人年金口座の創設が被保険者拡大の呼び水となっているのではないかと思う。つまり、
国有・集団企業以外の多くの賃金労働者を年金保険制度に加入させるために、拠出した保 険料の一部が個人年金口座に納入されることによって、いずれ必ず自分に戻ってくるとい うインセンティブ機能を果たしていると考えている。
第 5 は、個人年金口座の「空帳」問題17がある。年金
が設けられているが、実際にその口座には資金が入っていない。個人年金口座の創設当 初、基礎年金口座と一緒にしていたことがこの問題の原因である。そのような制度設計の もとで、基礎年金口座が赤字になると、個人年金口座に属しているはずの保険料が不正に
16 第 4 章を参照。
17 これは、個人年金口座に資金が入っていない状況を指している。