物 遺
Ⅲ
器 土
調査 区全域 か ら、整理箱99箱分 の土器が出土 した。 なかで も調査 区南東の 2カ 所の上嵐 SK5769と5770か らは完形土器 を含 む奈良時代 の多量 の土器が出土 した。 この他 散在 す る 土壊 や井戸 か らも、 まとまった土器 の出土が見 られ る。調査区中央東寄 りに堆積 す る暗灰 褐砂質土 か らは奈良時代 の土器 にま じって古墳時代 の須恵器 が まとま って出土 した。
主要 な遺構 の出土土器 を井戸 出土土器、土墳 出土土器、墨書土器、硯、施釉陶器他、古 墳 時代土器 の順 に記述す る。
土器 の器名・ 製作手法 の分類 と呼称 につ いて は、既刊 の『平城宮発掘調査報告』 に従 う こととす る。
I群
土器・ Ⅱ群土器 の群分 けにつ いて は、土師器 で は判別 のつ くものにつ い て は極力 これを記載 す ることと し、須恵器 で は、多 くがI群
土器で あるためI群
土器以外 につ いて特記す ることと した。井 戸 出土 土 器 (fig.12・ 13)
SE5764
調査 区北端 の円形縦板組井戸。遺物 の出土 は少 な く、土 師器杯Aと
須 恵 器 壷M
各
1点
が 出上 した。土 師器杯
A(2)内
外面 の磨滅 が著 しく、調整手法 は不 明、 日縁 部 内面側 がわずか に丸 く肥厚す る。須恵器壷
M(1)、
砂粒 を多 く含 む胎土 で、 作 り が雑 である。SE5765
井戸枠 の抜 き取 り途 中で、崩壊 しそのままとな った井戸 。 遺 物 につ いて井 戸 枠 の内か外かの判別 はで きなか った。上 師器皿
A(3)は
、底部 か ら口縁部 にか けて をヘ ラ削 りす るcO手
法。須恵器杯B。
同蓋 (5。
6)6外
面 には火欅 が あ る。皿
C(4)底
部外面 を粗 くヘ ラ削 りす る。 火 欅 が見 られ焼 けひずむ。土師器壷
B(7・ 8)7は
精選 された胎 上 で、 底 部 にか けて 器壁 が うす くな る。8は
器壁 が厚 く、粘土紐 のつ ぎ目を残 す。土 師器甕
A(9)内
面 を縦方 向 にていね いにヘ ラ削 りし、外面 は縦方 向のハ ケロ調整 とす る。9は
、 ススの付着 が認 め られ るとともに、熱 を受 け、赤褐色 を呈す る部分があ る。 この他 に、放射1段
暗文 のある土 師器杯A口
縁部破片 が あ る。SE5767 SE5765の
西側 で検 出 した井戸、縦板1枚
だ けをか ろ うじて残 し、 井戸 枠 はす べ て抜 き取 られ る。遺物 は掘形 か抜 き取 りかの判別不可能。土師器皿
A(10)は
口縁部 を ヨコナデ、底部外面 を不調整 とす るaO手
法。 ラセ ン暗文 十 放射暗文 を もつ、I群
土器。須恵器杯
B(12‑14) 12・
14は 砂粒 を多 く含 む胎土 で、14は 焼成が甘 く、灰褐色 を呈 す る。13は 比較的精良 な胎土。
須恵器皿
A(11)は
、 日 縁部 はやや内湾気 味 に垂 直 に立 ち上が る。底部外面 は全面 ヘ ラ削 りとす る。胎土 には、砂 r05
0 1
SE5764
SE5765
廷 三 三 正 三 二 重璽≦型匿冨冨冨冨冨冨〓〓〕
11′〃〃/″″′″′′η
'''1,,
葵
僻
珍渕 ナ 凹
蒲
│Fig.12 井戸出土土器
(1:4)
SE5767
粒 を多 く含 む。蓋 の可 能性 も考 え られ る。
須恵器横瓶
(15)は
最下層 か ら完 形 で 出土 した。体部 を粘土紐 で成形 し、軽 く叩 いたあ と、横方 向 にナデ調整 を行 な う。 日頸 部 を取 付 け、 右端 をふ さぎ削 りで仕 上 げ る。 一部 に降灰 が認 め られ る。須 恵器甕
C(16)同
心 円当具 と平行刻 み 目の叩板 で成形 したのち、外面 は幅l cm前後 の ロク ロなで を
3〜
4 cm の間隔で横方 向 にいれ る。 内面 はナデ によ って当具痕 が ほとん ど消 され る。SE5768
調査 区南 の井戸 。土 師器甕
A(18)体
部 外 面 は粗 い縦 ハ ケロ。 口縁部 は内面 に粗 い横ハケ 目を施 したの ちに口縁部 全 体 を ヨコ ナデで調整す る。体部 内面 はナデ調 整 とす るが、成形 時 の指頭圧痕 を とどめ る。
須恵器杯
B蓋 (17)偏
平 。厚 手 で、胎土 に砂粒 や黒色粒 を含 む。 頂部 は ナデ調整。
土 境 出土 土 器
(fig.14‑18) SK5769
調 査 区南 の大 形 土 墳 。 平0 20 cm
fig 13 SE5768出土 土器
(1:4)
長 員 三 三 三 三
:三三 三 三 三
]:ZttZ:そ ZZZそ?´49ぺ ξ
::::::::::::::]7:::ZZZZZZZZZタテ ケ
42025
【三:::::::[::::;'テ〕 :3
0 20 cn fig 14 SK5769出土土 師器
(1:4)
=タ
面不整形 で浅 く、埋土 は単一 の赤褐色粘質土。大量 の上器 が出土 した。土 師器 は須恵器 に 比 べて細片が多 く、全形 の知 られ る資料 が少 ない。 このため今回 は計数処理 を断念せ ざる をえなか ったが、須恵器 に比べ土師器 の分量 は少 ない。
上師器
皿
A 4点
。須恵器 の甕A(76)の
体部破片 とともに土墳底 か ら出土 した。 い ず れ も口縁部外面 を横 ナデ調整。底部外面 を不調整 と し、ミガキ を行 わ な い。
aO手
法 。 25を 除 く3点 (19‑21)に
は、 日縁部 内面 に粗 い放射状暗文 を施す。25の 底部外面 には木 葉圧痕 を とどめ る。19・ 25がI群
土器。tt B
器壁 が厚 く、高 台 は低 い。 調 整 不 明。I群
土器。tt A
口縁部 を ヨコナデす るが、以下 の調整 は不明。 Ⅱ群土器。tt C
口縁部 を ヨコナデ し、以下 は不調整 とす る。
高杯
2点
。27は か な り大 型 の高 杯 。 外面 に丁寧 な ミガキを施 す。脚柱部28は27と は別個体。脚柱部 は縦方 向の削 りによ って9 面 に仕上 げ る。脚部 内面下半 は粗 く削 る。脚柱部 内面 には成形 時 の余 分 な粘 土 塊 が残 る。甕
A(24)
日縁部 か ら体部 にか けて非常 に粗 いハ ケロを残す粗製 の甕。須恵器
杯
A(38‑40・
49・50)38・
40・ 49・50の4点
は焼 きが あま く、 灰 白色 か ら茶灰 色 に焼 き上が る。 いずれ も底部外面 にヘ ラ切 り痕 を とどめ る。 Ⅱ群土器。tt B
大 き さによ って、 日径19cm前 後 のAI(54‑60)。
口径15cm前 後 のAⅢ
(46‑48)。 日径12 cm 前後 のAⅣ
(43‑45)。 口径10cm前後 のAV(32‑37)。
ほ とん どがI群
土 器 で、 青 灰 色を呈 し、硬質 の焼 きとな る。34は 内面 が暗紫色 を呈 し、猿投産 の可能性 があ る。37は 高台 内面 に墨痕 が あ るが判読 で きない。
杯B tt。 身 に比 べ蓋 の 出土 量 が少 な い。 大 き さ によ って杯
BI蓋
(52・ 53)、 杯BⅢ
蓋 (41・ 42)、 杯BV蓋 (29‑31)に
分 け られ る。 41 以外 はI群
土器。41は 小砂粒 を多 く含 む胎上 で、灰 白色 に焼 き上 が る。上面全面 に暗灰緑 色 の 自然釉 がかか る。杯
E(51)
灰 白色 の軟質 の焼 き。表面 の磨滅 が著 しく調 整 手 法 は不明。tt B(65・ 66)
いずれ も底部外面 をヘ ラ削 り、 日縁 部 を ロク ロなで とす る。65は 灰 白色。66は 灰色 に焼 き上 が る。皿 C(63・
64)
杯Aと
同 じ く灰 白色 に焼 き上 が る。壺
C(61)
体部 を ロクロなで と し、底部 をヘ ラ切 り不調整 とす る。 日縁 部 を欠失 す るが ほぼ完形。高杯
(62)
脚柱部 か ら杯部外面 にか けて ロクロなで、杯 部 内面 は ヨコナデ とす る。精良 な粘土 で灰色 を呈 す る。壺
A(74)
完脇 土壊底で、甕
A(76)の
体部破片 に混 じって出土 した。体部下半 を ロクロ削 りと し、 その他 は ロクロ なでで仕上 げ る。肩部 に薄 い降灰 がみ られ る。壺K(72・
73) 72は
高 台 のない器形。底部外面 を除 く全面 を ロクロなで と し、底部外面 には糸切 り痕 を残 す。肩部 か ら頸部 にか けて濃緑色の釉が厚 くかかる。壺
Qと
同様の胎土・ 釉調を示す。73は、高台のつ く器形。頸部か ら上を欠失す る。体部下半の高台直上 に左上が りの平行 タタキが部分的に残 る。 タ タキで成形の後、 ロクロ削 りを行い最後 にロクロなでで調整す る。高台 と体部 との境 には 強いなでが入 る。肩部 に厚 く釉がかかるが、一部釉化せず灰色 となる。胎土 に黒色粒子を 多 く合み、削 りによってばか したように黒色粒子が流れる。 Ⅱ群土器。
壺
L(70)
体部下半の破片。外面 はロクロ削 りした後、 ロクロなでで調整。底部内面 に自然釉がかか52
Φ 61
0 21 4
29
こ ≦ ≡
=⊇
≧ 型 ≧ 当 b41
30
割
民 ξ
ξ:::::::[:::::i''14
` 〔 〔
::::::::I::::::i''I157
fig■5 SK5769出土須恵器
1(1:4)
キ
ヽ
フ
0 10cln
figユ6 SK5769出土須恵器
2(67‑75 1:4 76‑78 1
る。
壺
Q(67‑69)
いずれ も砂粒 を多 く含 む胎土で、灰色 に焼 き上 が る。肩部 。日 縁部 内面・ 底部 内面 に濃緑色 の釉 が厚 くかか り、67で は体部 か ら高台へ と流下 す る。体部 外面 を ロクロ削 りした後、全面 を ロクロなでで調整 す る。高台 は断面 が三角形 に張 り出す 特徴 的 な形 とな る。甕
A(76‑78)
口径59 6cm(76)、 日径54cm(77)、 日径52cm(78)を
計 る大形 の甕。76は 回縁部 か ら体部 中位 までの破片 が接合 で き、 底 部 の破 片 もあ る。底部破片 には焼台の痕跡 が4箇
所 に認 め られ る。 自重 のためか底部 にか けて ひ しゃげ た俵形 に近 い形 とな るよ うだ。復原体部径 は約110cm、 復原高約90cm。 77は 日縁 と体部 の 破片が残 り、78は 日縁部 の小破片 のみである。 いずれ も日縁部端 に大 きな縁帯 をつ け、頸 部 か ら体部全面 を格子 ロ タタキで成形、 内面 には同心 円当具痕 を残 す。78の 頸部 には「刺 の線刻 があ る。砂粒 を多 く含 む胎土。tt C(75)
体部外面 に格子 ロ タタキ、 内面 に 同心 円当具痕 を残 す。外面 は タタキの後 て いね いななで調整 を行 うため、 タタキ はほ とん どなで消 され る。焼成 は軟質 で灰 白色 を呈す る。壺蓋
(71)
器 形 は壺 蓋Aに
類 似 す るが、形 が小 さいので壷Kや Lの
蓋 と考 えた。上面 が降灰 の た め灰 白色 とな る。 壷K
(72)と
壷Q(67‑69)は
、灰色 に焼上が り、濃緑色の釉がかか る。 陶 邑古窯跡群 の製品 とはあきらかに異なる。東海 もしくは北陸地方の製品の可能性がある。SK5770 SK5769同
様、土師器が少な く須恵器が多い。上師器
杯
C(80‑82)
いずれ も日縁部を ヨヨナデ し、底部外面 は不調整 とす るa0
手法。
I群
土器。tt A(83・ 84)
いずれ も口縁部をヨヨナデ し、底部外面 は不調整 とす るaO手
法。84では底部外面の中央 に指頭圧痕が残 る。83はⅡ群土器。84はI群土鴇 皿C(79)
日縁部を ヨコナデ し、底部外面 は不調整 とする。皿Cと
しては器高が大きい。甕
A(105)
日縁部を ヨコナデ、体部外面 は粗いハケロで調整す る。 内面 は粗 くヨコナ デす るが、指頭圧痕 も残 る。底部外面 にすすが付着す る。須恵器
杯 A(93・
94)
いずれ も底部外面 にヘラ切 り痕を残 し、 日縁部 内外面 はロク ロなで。93は砂粒の少ない精良な胎土で、焼成 は軟質。94は砂粒を多 く含む胎上で、焼成 は堅緻。外面 に重ね焼 きによると見 られる焼 けむ らがある。杯
B(89‑92) 89・
90 は杯BV。
底部外面 にヘラ切 り痕をとどめ、 日縁部 はロクロなで とす る。91は杯BⅡ
。 胎土 に黒色粒子を多 く含む。底部外面 に墨書がある。92は杯BI。
軟質で灰 白色 を呈す。日縁部外面中位か ら上が黒変す る。
杯
B蓋 (85‑88) 85か
ら87の3点
は、 日縁部A形
態で、全面をロクロなでとする。暗灰色。88は日縁部B形
態 で、頂部上面 を ロクロ 削 りとす る。日縁部内面 に幅l cm前後の降灰がみ られる。壺
M(104)
高台 と体部 の境が不明瞭で、高台の貼 り付 けや全体の調整が雑である。胎上 に砂粒を多 く含む。高杯
(106)
大形の高杯。脚柱部内外面か ら杯部外面をロクロなでとす る。 脚柱部 中位 に沈線が入 る。焼成 は軟質で灰白色。tt D(109)
内外面をていね いななで調整 と する。焼成 は軟質で灰 白色。tt B(107・ 108) 1071ま
体部外面 に格子 ロタタキを残す が、ていねいななでによって消 された部分が多い。体部内面 は、 日縁部直下 にのみ指頭圧=じ
79
85
` く 【 〔
:::::::::::::::::1::::::::::::::::'''4i284
9 0
93
95 96
﹄
o 20 cm
│
fig 17 土壌出土土器
1(1:4)
=7
痕があ り、それ以外の内面 には同心円当具痕が残 る。底部 には焼 き台 として使用 した杯
B
蓋が融着す る。体部上半 に厚 く濃緑色の釉がかか り、下半部 に流下す る。 ほば
1個
体分(の破片がある。胎土 や焼成、釉調が、
SK5769出
上 の壺Qに
類似す る。108は、体部外面 に粗 い平行 タタキロ。内面 に同心円当具痕を残 し、 日縁部 は ゴヨナデ とす る。甕
C
(110・
111)110は
内外面をていねいにヨコナデす る。体部外面 にはかすか に格子 ロタタキの痕跡が残 る。焼成 は軟質で、灰白色。1111よ外面 に右上が りの平行 タタキ ロ。 内面 に同 心円当具痕を残す。 口縁部 は内外面 ヨヨナデ。体部外面 はタタキの後、帯状 にヨコナデを 施す。焼成 は堅緻で灰色。 回縁部外面 に「 十卜」の線刻がある。
SK5773
須恵器
杯
B(101)杯 BV。
内外面 ロクロなで調整。tt A(102)底
部外面は不舜臨 その他はロクロなで。tt B蓋 (100)頂
部上面をロクロ削 りとし、日縁部 はロクロなで。「石」の墨書がある。
甕
E(103)外
面に粗い格子ロタタキ、内面に同心円当具痕を残す。タタキ成形の後、内外面にていねいななで調整を行 うためタタキ痕 と当具痕はほとんどなで消 される。体部は薄 く仕上げられる。肩部の
4箇
所に耳を付ける。耳は半円形の粘土板 に竹管状 の工具で穴をあけ体部に貼 り付ける。肩部に厚 く自然釉がかかり、体部中位へと流下する。 ほ ぼ 1個 体分の破片が残される。器欣 打台土、釉調などが、SK5769出 上の壷Qな
どに類似する。SK5774
須恵器
杯
B蓋 (95‑97) 95は
頂部上面をロクロ削 りとし、それ以外 はロクロなで。なでによる凹凸が顕著。 回縁端部が黒褐色 に変色 し内面に降灰がみ られる。胎土や日縁部 の形状などか ら
V群
土器、猿投産 と推定 される。96、 97はいずれ も日縁部を中心 にロクロ なでを施す。焼成 は軟質で灰白色か ら灰色。tt B(99)焼
成軟質 で灰褐色 を呈 す る。外面をロクロ削 り後 ロクロで。 口縁部か ら内面 にかけてロクロなで。 これ も
V群
土器 か。壷
E(98)底
部ヘラ切 り後、全面をロクロなでとする。内面にロクロなでによる凹凸が顕著。墨書 土器・ 硯 (fig。 19)
墨書土器10点。線刻土器
2点
が出土 した。SK5769か らは、須恵器杯
BV(37)「
厨」、須恵器杯BI(112)「
加」、須恵器皿C(63)
「 田」、須恵器杯
B(114)「
田」。SK5770か らは、須恵器杯BI(91)「
飯」。 SE5768か ら は、須恵器杯B(115)「
米」、須恵器杯B(119)「
大大」の線刻土器。 SE5764か らは、 須 恵器杯B(118)「
正」。SK5773か らは、須恵器杯B蓋
(100)「石」。SK5774か
らは、須恵 器杯B蓋
(113)「加」。調査区中央東 よりに堆積す る暗灰褐砂質土か らは、須恵器杯AI
(117)「大」、須恵器壺
G(116)「
+」 線刻土器が出土 した。硯 (120‑122)
蹄脚硯 (120)。 復原径25.6cm。 黒色粒を多 く含む胎土で焼成 は堅緻。脚部 に降灰が見 られ る。
圏足 円面硯 (121・ 122)。 121は 脚部下端 の破片、 長方形 の透 し。
ON34区
東 西 溝 出土 。 /8つ
111 1:6)
fig 18 土壊 出土土器
2(104‑■ 0 1:4
122は 脚柱部 の破片、逆台形 の透 しを入 れ る。
SK5769出
土。施 釉 陶 器 他 (fig。 19) 火舎状土器 (123 fig。 21)
底部外面 ロクロ削 り、体部 内外面 は ロクロなで とす る。体部下半 の破片 のため全形 は不 明 だが、上 に向 い徐 々 に径 を縮小 してお り、壷
Pの
体 部 に似 た形 状 に復 原 され る。 体 部 中位 に2条
の沈線 と、 2ケ 所 に円形 の透 しがあ る。透 し内 には唐草状 の簡単 な文様 が入 る よ うだ。下半 には貼花文 の手法 による草花文 を飾 る。草花文 は、別 につ くった陰刻型 で型 取 り した文様 を貼 り付 けた もので、唐三彩 の影響 を受 けた もの と思 われ る。小 さな黒色粒 子 を含 む胎上 で、外 面 の釉 も黒色粒子 が混 じりごま塩 状 とな る。 猿投産 と考 え られ る。ミニチ ュア土器
壺
A蓋 (125)
高 い宝珠形鉦 を もつ蓋。頂 部 上 面 に厚 く濃 緑 色 の釉 が か か る。SB5763の西南 隅柱掘形 よ り出土。猿投 窯 の製 品 と推 定。二 彩陶器
(124)
日縁部 の破片、 口径約36cmの 大形 の盤 にな る もの と思 わ れ る。 内外 面 と もに施釉 す る。 銀化 が著 しく、 白土部 分 は漆黒 色 に、緑釉部 分 は暗緑色 に変色 して いる。 きわめて精良 な胎土 で、焼成 は軟質。
不 明土製 品 (126 fig 20)
左右 と上端 は当初 の面 を残 し、下端 のみが折損 の跡 を とどめ る。粘土板上 に
,粘
土 を盛 り上 げヘ ラで文様 を作 り出す。文様 は金銅 仏 の宝冠 な どに類例 を見 ることがで きる。 中央 に3列
で連 な る円弧 は葡萄 の房 を形象化 した もので、 その上 には唐草 が左右へ それぞれ3 単 位反転 す る。葡萄 唐 草文 の変形 した文様 と考 え られ る。 用 途 は ま った く不 明 で あ るが、赴 125
fig 20 不明土製品
(1 :2)
火舎状土 器
(1:4)
即
fig 21
鶯 為
迭 ≧ 垂 圭 望 曇 士 曇 ± 主 121
0 20卿
fig 22 墨書土器・ 硯
(1:4)
"
下面のみが破断面 となるところか ら、ベースとなる板 もしくは円帯状のものか ら立ち上が り、何 らかの装飾的な用途を持 っていたものと推定 される。精良な胎上 で、焼成 は軟質。
表面 は黒色を呈す る。瓦の焼成 に類似する。
古 墳 時代 土器 (fig.26)
高杯 (127・
128)
蓋付 きの高杯。蓋127は頂部上面をロクロ削 りと し、 日縁部 内外面をロクロなで、頂部内面 はヨコナデとす る。高杯128は杯部外面をロクロ削 りと し、一条 の沈線を入れる。 3ケ 所 にヘラ切 りによる透 しを入れ る。
杯蓋
(129)杯
身 (130・131)
杯蓋では頂部外面をヘラ削 りし、日縁部内外面 はロクロなで、頂部 内面 は ヨコ ナデ調整 とす る。杯身では底部外面をヘラ削 りし、 日縁部内外面 はロクロなで、底部内面 はヨコナデ調整 とす る。 いずれ も身受 けと蓋受 けの端部 に一条の沈線がはいる。以上の高 杯・ 杯蓋・ 杯身 はいずれ も黒色粒子を多 く含む胎上で、焼成堅緻、灰色。壺 (132)
日頸部を欠失す る。体部上半 は、 カキロ調整。下半 には細かな格子 ロタタキを部分的に残 す。内面 はヨコナデ調整、ナデ痕が顕著。肩部 は降灰のため灰白色 となる。砂粒の少ない 胎土。焼成堅緻。底部 に「十」の線刻がある。有蓋高杯 と杯身
(131)は
、6世
紀前半代。杯のセ ット(129・
130)は
、6世
紀中葉 と考え られる。ま とめ
時期
既刊の『 平城宮発掘調査報告』に従 い、主要な遺構の土器の時期を、平城宮土器 編年の中に位置づけてお く。井戸出土土器では、SE5765出 土土器 は、杯
Aに
暗文がな く、底部か ら回縁部 までをヘラ削 りす る
cO手
法によつてお り、平城宮土器編年Ⅳ期。 ただ し 放射1段
暗文のある土師器杯A口
縁部破片が出土 してお り、 井戸 の構築 は平城宮土器編 年Ⅲ期に遡 る。SE5767出 土土器 は土師器皿Aが aO手
法 で ラセ ン暗文 十放射暗文 を もつ ところか ら、平城宮土器編年 Ⅲ期に位置づけられる。土墳 出土土器 で は、SK5769出
土土 器 は、皿Aが aO手
法で製作 され、粗 い放射状暗文を持つ ところか ら、平城宮土器編年Ⅲ 期の新段階頃 と考え られる。SK5770出 土土器 は、杯Cが ao手
法で調整 されるとともに、杯C・皿
Aと
もに暗文がな く平城宮土器編年Ⅳ期 もしくはV期
に位置づけられよう。特徴
今回検出 した土器群の特徴 として特記 されることは、東海地方周辺の古窯産土器 が多 く含 まれていることである。SK5769の 火舎状土器、SK5774の 杯
B蓋
、SB5763の ミニ チュア土器 はV群
土器、愛知県猿投窯産 と推定 される。SK5769の 壼類、SK5773の
甕 は産 地がはっきりしないが、東海地方かあるいは北陸地方 に窯を求め得 るか もしれない。特 に 数量的には後者 の上器が目立つ。SK5769か
らは壷K・Qや
壷A蓋
をはじめ として、 図示 できなか った破片を含めると、かなりの量の出土がみ られる。また器形では、杯皿類が少 な く、SK5773か ら出土 した甕をはじめと した貯蔵形態 のみが出上 してお り注 目され る。ざらに、計数処理を経た結果ではないが、土器を多く出土した
SK5769と 5770の2箇 所の
上壊か らは、巨大な甕をはじめとす る、貯蔵形態の出土が顕著である。
22
fig 23 SK5774出 土土器
fig 24 SE5767出 土土器
fig 25 SK5770出 土土器
1閣
且
g26
古墳時代土器(1:4)
2J
埓 瓦
軒丸 瓦
8点
、軒平 瓦5点
、丸瓦674点 、 平瓦2810点、導7点
が 出土 した。1は6275Aで
、 高 台瓦窯 で生産 され藤原宮 か ら運 ばれて きた瓦 で あ る。2は 6282Bbで
、 瓦 当裏 面 の接 合 粘 土 は多 い。6282Bbは
従来年代 を新 しく考 えて いたが、 1988年 の二 条 大 路 南 側 溝 の発 掘 で木屑層 か ら出土 した ものがあ り、古 く遡 るか ど うか検討 を要 す る瓦で ある。3は 6282G
で、6282B〜
Hの
中で は瓦 当裏面 の接 合粘上 が最 も少 な い瓦 で あ る。4は 6313Aaで
、 小 型 の軒丸瓦。5は 6691Aで
、顎 に幅 1.7cmの 面 を もつ 曲線顎 で あ る。6は 6695Aで
、 直 線 顎 。7は 671lAで
、 直線顎。67HAは
平城 京羅 城 門跡 で の出土 が知 られ る。671lAの
中 には平瓦部 凹面 に模骨痕跡 を残す もの と残 さない もの との両者 が あ り、本例 は模骨痕跡 を残 さな い。
8は 6721Dで
、顎 に幅1.5cmの 面 を もつ 曲線顎 で あ る。6721Dは
後 に拒 割 れ が生 じるが、本例 は抱割 れ以前 の もので あ る。他 の軒丸瓦4点
、軒平 瓦1点
につ いて は、型式 を確定 で きない。丸瓦 は、総数674点66kg、 平瓦 は、 総数2810点 232kgであ る。
3 m方
眼 の中 で丸 平 総 計 10kg以上 の瓦 を出土 したのは6区
であ り、い ず れ も SK5770、
SK5769、
SE5768、
SE5767、 SE5766、
S
E5764のよ うに土 壊 又 は井戸 か ら出土 した瓦が多 く、総量 の
35%を
占 めて い る。したが って、同 じ型 式番号 の瓦 が それ ぞ れ
1点
づつ しか出土 して いない こと と考 え併せて、発掘区 内 での瓦葺建物 の存在 は否定的 にな らざ る をえない。 なお、埓 が7点
出土 して い る が、OF区
んゝらON
区の間で散漫 に分 布 してい る。
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fig 27 軒瓦 (1 : 4)
3 木 製 品・ 石 製 品・ 金 属 製 品 木製品 (fig.28‑30)
5基
の井戸 SE5764〜5768からの出土品である。板状品・ 棒状品 な どを含 め37点 が出土 したが、小破片で原形の不明なもの、井戸枠の断片 と思われるものなどを除 き、25点のみ を報告す る。斎串 (1・
2)
祭祀具 としては斎串2点
が井戸 SE5765埋 土か ら出土 して いる。1は
ヒノキの柾 目薄板の上端を圭頭状 に、下端を剣先状につ くつたもので、上端近 くの両側縁 に 2ケ所の切込みを入れる。奈良国立文化財研究所編『木器集成図録
近畿古代篇』(以下
『 木器集成図録』 と省略
)で CⅣ
型式 と分類 されるものである。長14.5cm、 幅1.8cm、 厚 さ1.9mln。
2は
スギ板 目板製で、両側縁上端近 く1ケ所 に切込みを持つCⅢ
型式 の ものである。長16.4cm、 幅2.lcm、 厚1.3mm。
尖端板
(3)一
端を剣先状 につ くり、形状 は斎串に似 るが、通常の ものに比べてやや厚 く、 また割面をそのまま残す ことなどか ら斎串 と は見倣 し難 い。残長17.lcm。 幅1 6cm。 厚3.lmlll。 井戸 SE5764曲 物内出土。
木簡状木製 品
(4)
いわゆる付札状木簡で、上下両端近 くの両側縁に三角形の切込みを入れるもの。ただ し、両端 ともにその切込み部分で縦方向に折れる。 ヒノキ柾 目材で、表面 には削 り痕 が明瞭に残 る。 ほぼ中央の一側縁 に1ケ所、他の側縁 に2ケ所、紐の当た りか と思われる 凹みが認 め られる。墨痕が見 られないことか ら、文字を削 りとった後 に破棄 されたもので あろう。長25.9cm、 幅3 0cm、 厚6.7mm。
尖端棒
(5‑7)
井戸 SE5768枠 内か ら3点
を検出 した。5・6は
ヒノキ製、7は
スギ製で、 いずれ も一端を削 り出 し、尖端状 に整え る。長 さは5が
24.lcm、6が
29.6clll、7が
31.5cm。丸棒
(8)
ヒノキの割材 か らつ くる断面円形の棒。残長22.3clll、 径1.6cm。 井戸 SE5768掘 形出土。箸 (9・
10)
箸 と思われる棒状品が井戸 SE5765埋 土か ら2点
出土 している。いずれ もヒノキの木片 を小 割 りにしたのち、棒状 に整形 したものである。9は
断面隅丸方形で長18.6cm。 10は断面長円形で長15 3cm。
角棒
(11)
ヒノキ割材か らつ くる角棒。先端 をやや細 く整 え る。残長9.3cm。 井戸 SE5765出 土。
横櫛
(12)
『木器集成図録』 にAⅡ
式 と分類 され る横櫛の断片。l cmあた り11〜12本の歯を挽 き出 している。 イスノキ製。SE5765枠 内出土。
薬壷
(13)
扁球形の体部 に直立す る短い口縁をつ くり出す。下半を欠損 しているため底 部の形状 は不明。漆をかけない白木作 りである。 ヒイラギ材の横木取 り。腹径5,8cm、 日径3.3cm。 器壁の厚 さは一様ではないが、4 nlln前後である。SE5765掘 形出土。
円形山
物底板
(15‑18)計 4点
。いずれ もヒノキ柾 目板製。15・ 16・ 18の3点
は SE5767埋 土 出土で、15には4ケ 所、16には3ケ 所の木釘孔が残 る。15は直径16.lcm、 厚7.Omm。 16は直径16.7cm、 厚7 01nlll。 18は全体のほば半分の断片で、腐食が進行 し釘穴 の有無 も判然 と
しない。復原径16.9cm、 厚6.9mlll。 17は SE5768枠 内出上で、一面 に黒漆をか ける。 同時 に 出土 した側板断片にも湾曲する内面 に黒漆が認め られることか ら、漆 は曲物容器内面 に塗
‑4
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︱ ︱ ︱ ︱ ︱
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︱ ︱ 脚 側
︱ ︱ 阿 凶 同 H I ︲ l l l l
Ⅲ I キ ー ー ー ー ー
︲ ︱ I U 円 H H H H H H 日 H U
∩ H H 日 日 目
︱ ︲ 日 姻 拙
く F 下 =弓 ) 柑 Z〈 三 壬 三 溢 と Ь
13 14
0 10cm
fig 28 木製品
1(1:2、
12は1:1)
%
色写 /〃
o 20cm
23
fig.29 木製品
2(1:3)
27
られて いた ことが判 る。木釘孔 が3ケ所 あ り、 うち 1ケ 所 には木釘 が残存 す る。 直 径17.7
cm、 厚7.6mm。
工具柄
(19)
アカ ガ シ亜属 の割材か らつ くる何 らか の工 具 の柄 。 握り部 分 を細 く削 り出 し、上半分 を隅丸方形 に整 え、 その一面 に斜 め方 向の溝状 の切欠 きを 入 れ る。縄 な どをか けるための ものか。 用途 は不 明。長18.4cm。
檜 扇未製 品 (20‑23)
SE5765埋
土 か ら4点
が一括 して出土 した。 いず れ もヒノキの薄 板 で、 圭 頭 状 を呈 し、 ほ ぼ中央 で最大幅 を持 ち、本 を細 くしてお り、形状 は檜扇 に似 る。 ただ し、厚 さが約l mmと 薄 す ぎる こと、 そ して要 の部分 に子とも切欠 き もな く、東 ね ることが不可能 な ことな どか ら 扇 の完成 品 とは考 え られ な い。失 敗作 で で もあ ろ うか。長 さはいずれ も24 0cm前後。 幅 は 2,7〜3 2cm。円形 曲物
(25‑27)
井 戸 SE5764・ 5768の 俗 に 日玉 と呼 ばれ る下 枠 に 使 用 されて いた円形 曲物 が3点
出土 した。 25は 井戸SE5764に用 い られ て い た もの で 、 直 径42.6cm、 高31.9cm。 側板 の上下縁 に箱 を はめ る。 いずれ も1列
外3段
綴 じ (綴 じ方 の 呼〕 27 40cm
28
Fig 30 曲物
(1:4)
□ 圃 剛
︱ 湖 ︱
國 絹
︱︲ レ ー︲ N 日
咽 衛 賜 口 脚 H 俄 R サ
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fig。
31 10Cln
石製 品・ 金属製品(2:3)
"
称 は『 木器集成 図録』 の分類 に拠 る)。 上箱 は13カ所 で、下範 は8カ所 で木 釘 どめ。 側 板 の綴 じ合わせ は 1カ 所で、
2列
前 内5段
後 内5段
。 内面 には縦平行線 のケ ビキを約 8 mm間 隔で いれ る。26・ 27は 井戸SE5768の下枠 と して使用 されていた もの。 26は 下 段 で、 下 半 部 を欠損す る。直径26 2cm。 上縁 には絶 をはめ、1列
外3段
綴 じ。側板 の綴 じ合 わせ は1 カ所 で、2列
前 内4段
以上後 内3段
以上。 内面 には縦平行線 のケ ビキを約7 mm間隔で いれ る。27は 上段で、や は り下半部 を欠 く。直径 は28 3cm。 上縁 には箱 を はめ、1列
内3段
綴じ。側板 の綴 じ合 わせ は 1カ 所 で、
2列
前 内4段
以上後 内4段
以上。 内面 には約7 mm間隔 の縦平行線 のケ ビキ と、約l cm間隔 の斜平行線 のケ ビキをいれ る。用途不 明品 (14・
24) 14は
ヒノキ柾 目板 の小片 を半 円形 に整 え、つ まみ状 の作 り出 しを こ しらえ た もの。身 の部分 の中央 に一孔 を穿つ。SE5765出土。24は ク リの柾 目板 を クサ ビ状 に一 端 を薄 く 整形 した もの。腐食 が著 しく、使用痕等 は不明瞭である。残長15.8cm。 幅12 5cm。 厚2 3cm。
SE5768掘形 出土。
石 製 品・ 金 属 製 品 (fig.31)
砥石 (1・
2)
いずれ も石英斑岩 ない しは花 南斑岩製 であ る。断面不整方形 で、長軸方 向 の4面
を使用す る。 1 1よ小型 の砥石で、長5,3cm、 幅3.7cm、 厚3 0cmを 測 る。 一側 縁 が 研 ぎ減 りで若干内凹す る。SK5769出土。2
はやや大型 で、長7.2cm、 幅5,Ocm、 厚 6.Ocmで あ る。長軸方 向の4面
お よび下端面 を使用 してお り、各面 に研 ぎ傷 が残 る。上下両面、左 右両面 ともに非対称 に研 ぎ減 る。SB5752北側 の上娯 出土。鉄 釘
(4‑7)
鉄 釘 は 計4点
出土 して い る。4〜 6は
折頭釘 で あ る。上端 を叩 きのば し、 ほぼ直角 に曲げて釘頭 と した ものであ る。4の
みが完形 で、長9.Ocm。 残 りの2点
は下 端 を折 損 して お り、 それ ぞれの残長 は6.4cmと 4.3cmで ある。銹化 のあま り進 んで いない ものにつ いて は表面観 察 に よ って、 また銹化 の進 んだ ものにつ いて は折断面 の観察 か ら、脚 の断面 はいずれ もほぼ正 方形 を呈 す る ことが判 る。 出土地点 は4が
SE5765埋土、5は O032区
黄褐粘土、6は SB5
757内 の小穴。方頭釘 と して は、7の 1点
のみが出土 した。銹化 が著 しいが、 折 断面 の観 察 か ら、脚 の断面 は正方形。残長1,4cmo SE5765掘 形 出土。丸 輛
(8)帯
金 具丸 輌 の表金具で、 ほば完形品。 内面 の三隅 に鋲足 を鋳 出 してい る。銹化がすすみ、保存状態 は 良 くない。本来、表面 に漆 が塗 られていたか どうか も不 明。高2.Ocm、 幅3.Ocm、 厚4.Omm。SK5770出土。
不 明鉄製 品
(3) SB5753庇
西端 の柱穴 か ら出土 した断面長 方 形 の棒 状品 で、長9.5cm。 偏平 な面 の一端 に突起 があ り、 もう一端 には、 それ と直交 す る面 に突 起 がつ く。突起 の位置か ら見 てかすが いとは考 え られない。何 らかの工具 の軸部 であろ う か。不 明青銅製品(9)
瓜実 を縦横 に四分割 した形状 を とる小型 の青銅製品。外面 の中 央 に円錐台状 の突起 がつ く。外面 には縦方 向に4条
の溝状 の くばみがあ るのに対 して、 内 面 は平滑。高2.6cm、 幅2.3cm、 厚2.Ocmo SE5764枠 内出土。∂0
Ⅳ
1 条 坊 と遺構 の 占地
本調査 区 は左京三条一坊七坪 の ほぼ中央部 に位置す るが、発掘調査 で見つか った各遺構 が七坪 の区画 に対 して どのよ うな位 置 にあた るのかを検討す るために、 は じめ に七坪 四周 の条坊 の復原 を行 い、つ ぎに道路・ 建物等 との位 置関係 を検討 したい (fig。
33
参 照)。まず、南北方 向の条坊 であ るが、 七坪 は東 を東一坊坊間路、西 を東一坊坊 間西小路 に面 す る。東一坊坊 間路 に関連す る遺構 は3ケ所 で見 つか って いる。①平城宮南面東 門 (壬 生 門、平城宮跡第 122次 調査)、 ② 当該 七 坪 位 置 にお ける西側溝 (奈良市 1983年 度 調 査)、 ③ 左京七条一坊十一坪位置 にお け る東側溝 (奈 良市 1983年度調査)、 で あ る。 ② の西 側 溝 と
③ の東側溝 の調査地 が2 5kmも 離 れて い るために、東一坊坊間路 の幅員 を遺構 か ら直接 に 確認 す る ことはで きないが、壬生 門 の中心 が東一坊坊 間路 の中軸線上 にあ り、 かつ、東一 坊坊 間路 の国上方眼方位 に対 す る振 れが朱雀大路調査 (奈良市、 1974年
)で
確 認 した北 で 西 に15分41秒 で あ ると仮定 す る と、② の位置 で は東西両側溝心 々で21.3m、 ③ の位 置 で は 21.9mと な る。両者 の数値 が近似 す る ことか ら、 この推定 が妥 当性 を持 つ もの と考 え て東 一坊坊 間路 の位置を復原 した。東一坊坊 間西小路 に関連 す る遺 構 と して は当該坪西側で同小路西側溝 とおば しき溝 が見 つか って いるが、 この溝 は前述 の東一 坊坊 間路 の推定位置、 および、朱雀大路推 定位置 か ら復原 され る同小路西側溝 の位置 に対 して約6.3mも西 に寄 った位 置 にあ り、 西 側 溝 と断 定 す ることがで きない。 したが って、 ここで は東一坊坊間路 の推定位置 と朱雀大路推定位 置 の中点 に東一坊坊 間西小路 が あ る もの と推定 してお く。
つ ぎに東西方 向の条坊 であ るが、七坪 は南 を三条条間路、北 を三条条間北小路 に面す る。
三条条間路 の遺構 は見つか っていな いが、三条条 間北小路 の遺構 は朱雀大路 に面 す る左京 三条一坊―・ 二坪間で見つか って い る (奈 良市1986年 調査)。 ここで確 認 され た小 路 心 を 東 へ延長 し、三条条 間北小路 の位 置 を求 め、三条条 間路 もこの小路 の南450月ヽ尺 の位 置 に 平行 す ると仮定 して復原 した。条 坊 の振 れ は南北方 向で採用 した15分41秒 を用 いた。
このよ うに して復原 した結果 がfig。32で あ る。南北道路SF5776、 東西道 路SF5777と も に七坪 の中軸線近 くにあ る ものの、 それぞれわずか にずれ る。南北道路 は中軸線 に対 して 西へ約
7mの
位置 にあ り、東 西道 路 は中軸線 に対 して南へ、同 じく約7mの
位 置 に あ る。また、南北道路 の幅員 が
3.6m(側
溝 心 心 間距離、約10大尺)で
あ るの に対 して、 東 西 道 路 はその倍、72m(約
20大 尺)と
な って い る。 このよ うな規格 性 か ら見 て も、 両 道 路 は 同時 に存在 した一連 の もの と考 え られ る。南北道路 の東側、東西道路 の北側 で側 溝 が途切 れ た よ うな状況 であるか ら、両道路 は坪 の中央付近 で鍵 の手 に折 れていたので あ ろ う。 こ れ らの ことは両道路 の東側、 お よび】ヒ側 の区画 を よ り広 く確保 しよ うと した結果 と見 る こともで きよう。
A期
の正殿 と考え られる SB5758と 東西道路が位置をそろえることなども、両道路が坪 を細分す るものではな く、七坪 内の一体的な地割 りにもとづ く施設であること を示 しているのであろう。
七坪内における正殿推定建物の位置であるが、
A期
の正殿 SB5758は 前述 のよ うに道 路 の東側 にあ り、南北中軸線 の東約18mに
西妻、東西中軸線の南約4mの
北側柱筋 が くる。一方、
B期
の正殿 SB5753は 西妻を南北中軸線 に合わせ、南側柱筋 は東西 中軸線 の北約2mと
いう坪の中軸線 を もとに地害1り したとも言える配置をとっている。tab.2
関連 条 坊座 標一 覧表点 条坊道路 種 別
X座
標Y座
標 備 考二条大路
壬生門 東一坊坊間路
三条条間北小路
条坊計画線
F]心 西側溝心 東側溝心 北側溝心 南側溝心 小路心
‑146,019,36
‑145,99410
‑146,26010
‑148,44750
‑146,148.63
‑146,155.41
‑146,15202
‑18,58621
‑18,318.60
‑18,32804
‑18,29646
‑18,541.00
‑18,54100
‑18,54100
朱雀F争心(第16次調査
)か
ら70大尺南 の点 第122次調査実測図 奈良市昭和58年度調査概報
奈良市昭和61年度調査概報
東一坊坊間路
東一坊坊間西小路
X=‑146,15161 A
Y三 ‑18,45154X=‑146,15100 B Y=‑18,317.88
X=‑146,28481 C Y=‑18,450.93
X=‑146,284.20 D Y=‑18,317.28 tab 3七
坪 四 隅 の 復原条坊座 標 値
¬ │ │ │
+D IIFξ
i:与;::│―Ч 年 ― ど
引可
0三条条間路
fig 32 七坪遺構配置図