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九州大学附属図書館記録資料館産業経済資料部門 : 教授

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九州大学学術情報リポジトリ

Kyushu University Institutional Repository

対米開戦通告の遅延と外務省の訂正電報 : 第九〇三 号と第九〇六号の東京発信時刻と日本大使館配達時 刻

三輪, 宗弘

九州大学附属図書館記録資料館産業経済資料部門 : 教授

https://doi.org/10.15017/1650887

出版情報:エネルギー史研究 : 石炭を中心として. 31, pp.1-24, 2016-03-28. 九州大学附属図書館付設 記録資料館産業経済資料部門

バージョン:

権利関係:

(2)

問題の所在 対米交渉打切り通告の電報第九〇二号は十四部に分割され、東京からワシントンに送信されたが、第九〇二号第十三部と第十四部の発信時間に十五時間の時間差がある。これに関連し、訂正電報の第九〇三号(表1のExtraが第九〇三号として本稿は論をすすめる。)と第九〇六号も十三時間から十四時間遅れていたことが、米軍の傍受記録から、新たに判明した。本稿は従来まったくわからなかった訂正電報の第九〇三号と第九〇六号の逓信省東京中央電信局の発信時刻が明らかになり、午後一時に米国務長官コーデル・ハル(Cordell Hull)に交渉打ち切り通告 1

をする予定ができなかったこと、またワシントンDCの日本大使館に責任を転嫁できなくなることを明らかにしたい。訂正電報の遅延の当然の帰結として交渉打切り通告のタイプ打ちの清書が間に合わなくなることになり、ワシントンDCの日本大使館の職務怠慢の責任にすることはできなくなるということになる。 東京裁判での「弁護方針(案)」に関する資料が、国立国会図書館の法務省極東国際軍事裁判資料(請求記号「平

資料二(日付あり)に分けて最後に全文を掲載した 2 種類(同工異曲で、違いは一部だけ)あったので、資料一(日付なし) 11法務05929」)の中に二

。この記録は、国立公文書館で平成一一年に公開された『A級裁判参考資料  真珠湾攻撃と日米交渉打切り通告との関係』に綴られ、海軍と外務省の「弁護方針(案)」の打合せの記録であり、弁護士を交えた当事者での話し合いの記録である。

 「最後通牒」手交ノ遅延ハ在華対 ママ日本大使館ニ於ケル事務遅延ノ為ニシテ我方ノ意図ニ反セルコト (註)詳細ハ外務省内部ノ決定ニ一任ス

 極東国際軍事裁判(所謂東京裁判)でワシントンDCの在米日本大使館の責任というストリーを日本側弁護団の「弁護方針」としたことがはっ

【論説】対米開戦通告の遅延と外務省の訂正電報

三 輪 宗 弘 第九〇三号と第九〇六号の東京発信時刻と日本大使館配達時刻

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きり書かれている。「事務遅延ノ為」にするためには、九〇二号の十三部までが一二月七日の早朝までには清書され、残るは交渉打ち切りが述べられている第十四部の暗号を解読し、それをタイプ打ちすればいいという状況下にあったことを示せばよく、霞ヶ関の外務省には落ち度はなく、出先の日本大使館の職務怠慢であると責任を負わせることができる。本論文で取り扱う第九〇三号と第九〇六号の訂正電報は、出先の職務怠慢として在米日本大使館に責任を転嫁できるのかどうかという点を左右する重要な電報であった。東京での発電時刻と在ワシントンDCの日本大使館に電報が届けられた時刻が、東京の外務本省の責任なのか、出先の日本大使館の責任なのか、どちらかを判断する決め手になるからである。朝日新聞の昭和二〇(一九四五)年一〇月二七日の紙面で「AP特約」記事として、AP記者が一〇月二五日に永野修身軍令部総長を訪問し、真珠湾攻撃の責任に関して質問を行い、永野元帥が「ある不明の理由によつて」遅らされたと答えたことが書かれている 3

。括弧書きの中に「(元帥はこれについて故意に東京で遅延させたものである旨示唆した)」との説明がある。記事の最後に「註」があり、「なほAP記者は以上のうちの『何らかの理由』に関し、これは東條大将のことを指すのではないかと推測してゐる。」と付け加えている。管見の範囲では、東京で遅延させられたことに言及したものはこれだけである。永野元帥が示唆したように、「東京で遅延」したのならば、東京の外務省の責任ということになり、外務大臣東郷茂徳の責任はA級裁判で追及されることになる。陸軍が遅延させたのならば、陸軍大臣を兼任していた東條首相の責任ということになる。東京で遅延させていないのならば、出先の日本大使館が予定時間の午後一時の通告時間に間に合わなかった全責任を負うことになる。 一  訂正電報の発電時刻

米軍の傍受外交電報一覧(表1)から、発信時刻がわからなかった分割された個々の電文、第九〇二号の第二部から第十二部、および訂正電報第九〇三号(表1のExtra、以下すべて同じ)と第九〇六号の発信時刻が新たに判明した。米国で発見した傍受外交電報一覧は米国国立公文書館のレコードグループ四五七、エントリー番号九〇三二の箱番号七三八(RG457: National Security Agency/ Central Security Service Entry#9032: Historic Cryptographic Collection Pre-World War I ThroughWorld War II Box738)に一覧表としてA1サイズほどの大きさの紙に手書きで書かれたものであった。黒色の下地に白抜きの文字で浮き上がるような文字で書かれたデータから表1を作成した。推測できることは、他の電報とともに訂正電報など九本の電報はワシントンの日本大使館に一二月七日午前八時から九時の間に届いたということである。表

いものから暗号機械に通して解読したであろう。註 できない。大使館では当然訂正電報を捜すべく、短いものや至急度の高 在米ワシントンの日本大使館では清書をタイプ打ちして仕上げることは ターで用紙の上に文字を打ち出すタイプ打ちでは訂正電が届かない限り、 ろう。今日のワープロであれば加筆修正は簡単にできるが、タイプライ 二社であればこの八時からの一時間の間に二回に分けて届けられたであ たと筆者は考えている。同じ電信会社であれば、同一時刻に届けられ、 正電九〇三号から一語訂正の九一一号電報までの九本がいっせいに届い 1の訂 入に従ひ同課より発電方要求ある迄発電を差控ふることとしましたが、 他方、外務省電信課長であった亀山一二は「第十四本目は主管課の申 9も参照されたい。

(4)

表1:米軍の外交電報傍受記録一覧

日本時間 日 DC時刻 日GM Time DC時刻

外交電報番号、内容 Filled by Japanese Intercepted by Navy 米軍の

至急度翻訳 外務省の

至急度 至急度の 改竄   901 対米覚書発電 TOK WASH 8:56PM 6 6:56AM 6 12:20 7:20AM Purple 館長符号   902 PT1 TOK WASH 10:00PM 6 8:00AM 6 13:10 8:10AM Purple 館長符号   902 PT3(乱れ) TOK WASH 10:40PM 6 8:40AM 6 13:58 8:53AM Purple 館長符号   902 PT2 TOK WASH 10:30PM 6 8:30AM 6 13:43 8:43AM Purple 館長符号   899 TOK WASH 11:10PM 6 9:10AM 6 14:53 9:53AM

  904 タイピスト使用

禁止 TOK WASH 11:54PM 6 9:54AM 6 15:00 10:00AM Purple

(Urgent) 館長符号   902 PT4 TOK WASH 11:55PM 6 9:55AM 6 15:20 10:20AM Purple 館長符号   902 PT9 TOK WASH 11:55PM 6 9:55AM 6 15:36 10:36AM Purple 館長符号   902 PT10(乱れ) TOK WASH 11:59PM 6 9:59AM 6 15:25 10:25AM Purple 館長符号   902 PT5 TOK WASH 11:54PM 6 9:54AM 6 15:46 10:46AM Purple 館長符号   902 PT12 TOK WASH 12:40AM 7 10:40AM 6 16:08 11:08AM Purple 館長符号   902 PT7 TOK WASH 1:07AM 7 11:07AM 6 16:18 11:18AM Purple 館長符号   902 PT13 TOK WASH 1:25AM 7 11:25AM 6 16:52 11:58AM Purple 館長符号   902 PT11(乱れ) TOK WASH 12:31AM 7 10:31AM 6 16:16 11:16AM Purple 館長符号   902 PT6 TOK WASH 12:30AM 7 10:30AM 6 16:24 11:24AM Purple 館長符号   902 PT8 TOK WASH 1:07AM 7 11:07AM 6 16:58 11:58AM Purple 館長符号

1275 大統領親電情報 WASH TOK 8:10PM 6 2:45 9:45PM 極秘、   

館長符号

Extra 訂正電報? TOK WASH 2:20PM 7 12:20AM 7 6:25 1:25AM 資料なし 資料なし △ (不明)

  905 大統領親電 TOK WASH 2:50PM 7 12:50AM 7 6:35 1:35AM Purple

(Urgent)大至急、  

館長符号   906 訂正電報 TOK WASH 3:32PM 7 1:32AM 7 7:15 2:15AM 資料なし 資料なし △ (不明)

  902 PT14 TOK WASH 4:38PM 7 2:38AM 7 8:10 3:10AM (Purple-

Eng) 館長符号

  907 覚書提出午后一時 TOK WASH 6:18PM 7 4:18AM 7 9:37 4:37AM Purple

(Urgent-Very Important)

大至急、  

館長符号   908 両大使への慰労電 TOK WASH 6:19PM 7 4:19AM 7 9:45 4:45AM Purple

(Urgent)大至急、  

館長符号   910 暗号機破棄 TOK WASH 6:44PM 7 4:44AM 7 10:07 5:07AM Purple

(Extremely

Urgent) 資料なし   909 館員への慰労電 TOK WASH 6:35PM 7 4:35AM 7 10:12 5:12AM Urgent 資料なし △ (不明)

 911 一語訂正電報 TOK WASH 8:35PM 7 6:35AM 7 12:00 7:00AM 資料なし緊急、   

館長符号 △ (意味不明)

  912   TOK WASH 9:47PM 7 7:47AM 7 14:00 9:00AM       出所:米国国立公文書館、RG457 Entry#9032 Box738

付記 1.外務省の至急度は、「日米外交関係雑纂 太平洋ノ平和並東亜問題ニ関スル日米交渉関係(日付順)」など参照    2.  逓信省東京中央電信局(Filled by Japanese)と海軍電信所(Intercepted by Navy)で傍受時刻(ワシントン州 Bainbridge Is)

   3.  DC時刻はワシントンDCに換算した米国東部時間    4.  GM Timeはロンドンのグリニッジ世界標準時間。

   5.  901号はPilot Messageと呼ばれている。

   6.  907号は1PM Messageと呼ばれている。

   7.  PT14には、英語でVery ImportantPlain English phrase書かれていた。

   8.  911号の至急度であるが、「大至急」と書かれている上からハンコで「緊急」と押印されている。意味不明。

   9.  911号には「大臣ノ御命令」とあるが、捺印がない。意味不明である。

   10.  至急度の改竄の欄で「-」は改竄なし。空欄は推測不可。○は改竄が行われ、至急度が下げられたということ。

   11.  空欄は不明である。資料がないことがはっきりしている場合は、「資料なし」と記入。

   12.  903の番号が見当たらず、Extraが903号と推測。

(5)

主管課よりの右発電要求は七日午後四時頃ありましたので直ちに発電方を手配しました。」と証言しているが、素直に読めば主管課のアメリカ局第一課の指示で、第十四部の発電を午後四時に行った。つまり第十四部は十三部よりも十五時間遅らせて電報を打電した。主管課の山本熊一アメリカ局長は極東軍事裁判で「なぜ十四部の発電を遅らせたのですか」という検察官からの質問に「私は特に遅らせたのではありません」と答弁している。亀山はアメリカ局の要求で「差控」えたと証言し、山本は「遅らせた」のではないと答えた。大本営政府連絡会議で発電時刻がどのように記録されているのか先ず確認しておこう。参謀本部第二十班(第十五課)が作成した『大本営政府連絡会議議事録  其の三』によれば、一二月四日に東郷外務大臣は「外交打切トシテハ此案文ヲ練リ明五日午後発電、六日翻訳トナレバ手交スルノハ丁度ヨイ日トナル」との発言が記され、「打電並ニ先方ニ手交スル日時ハ統帥部ト外相ト相談シテ決定スルコトトナレリ」と付記している。二日後の一二月六日の第七五回連絡会議の席上、「七日午前四時(日本時間)発信シ八日午前三時(日本時間)大統領ニ手交スルコトトス」と書かれている

(4

。「明五日午後発電」から「七日午前四時」に変更されたことがわかる。つまり打切り通告の第九〇二号の最後の第十四部の発信時刻は、「七日午前四時」になった。陸海軍と外務省アメリカ局が打ち合わせて、この時刻であれば、「八日午前三時(日本時間)大統領ニ手交」できると計算したのである。参謀本部第二十班(第十五課)の原四郎が執筆した『機密戦争日誌』によれば、「在米大使宛打電ノ時機ハ陸海部局長ニ於テ決定スルコトニ決ス」(

12月4日)と記録されている。外交史料館に残る英文の第 たことがわかる。次にすすもう。 たことがわかる。発電時間が大本営連絡会議の決定よりも十二時間遅れ され、「八日午前三時(日本時間)大統領ニ手交」することに腐心してい み取れることは、第九〇二号の最後の十四部の交渉打切り通告が重要視 外務省電信課に指示が伝達されたのであろう。連絡会議の議事録から読 東京裁判での証言の通り、「午後四時」の発信は主管課のアメリカ局から き込まれたと欄外に注記されている。参謀本部と打合せた結果、亀山の   いる。○のルビの付いた十文字の「以下発電保留日曜午後」は後日書 された「午前四時」よりもさらに十二時間遅い「午後4時迄」となって 書きで書きこまれているが、この書き込みは大本営政府連絡会議で指定 九〇二号の第十四部の個所に「以下発電保留」「(日曜午後4時迄)」と手 9999999999

二  「一時間置キニ二箇ノ経路」は本当なのか

「本覚書ヲ十四部ニ分割シ一時間置キニ二箇ノ経路ヲ利用打電セルハ米側ガ一時ニ長文電信ノ送致セラルルヲ見テ我方企図ヲ察知スルヲ防止セントスル用意ニ出デタルモノナリ

(5

」と一七年七月に加瀬俊一は書いているが、この箇所は昭和二一年二月二八日付けで印刷された外務省編纂『日米交渉資料

昭和十六年二月~十二月

』にもそのまま踏襲されている 6

。昭和二一年二月二八日付けで外務省が刊行した『日米交渉資料

昭和十六年二月~十二月

』で「一時間置キニ二箇ノ経路ヲ利用打電 7

」と書いているが、事実なのだろうか。文字通り一時間置きであれば十四本の電文で十三時間かかることになるが、第一部から第十三部までの十

(6)

三本の電文に要した時間は傍受記録から判明するが、要した時間は三時間半である。後者の「二箇ノ経路」は、表1「米軍の外交電報傍受記録一覧」からは何も書かれておらず読みとれない。真珠湾査問委員会でも「二箇ノ経路」は取り上げられていない。昭和一七年七月の時点でローズベルト大統領の騙まし討ち演説を受け、ラジオ放送でこのことを知った時点で、外務省(加瀬)は開戦通告の遅延の対策を講じておく必要に気付き、何らかの工作に迫られたのであろう。加瀬は昭和一七年と東京裁判対策に迫られた敗戦後、それぞれ対策を講じたのである。奥村勝蔵陳述書「対米最終回答文発出前後ノ事情ニ関スル記憶 8

」(昭和二十年十月三十日  奥村記)によれば、「追記」の中で以下のように記し、二箇ノ経路ヲ利用打電」という話を「先日聞ク迄全然知ラ無カッタ」と述べている。

 「本省カラハ対米回答文ヲ電信スルニ当リ、同ジ物ヲRCA及 00000000Mackay 000000

両電信会社ヲ通ジ打電シタ由デアル 0000000000000000。…中略…実ハ私ハ此ノ事実ハ先日 0000000

聞ク迄全然知ラ無カッタ 00000000000。勿論之ハ対米回答発出ニ関スル最初ノ訓令ノ中ニモ言及シテ無カッタ。若シ之ガ事実トスレバ電信ノ解読ヲ或程度渋滞サセタデアロウコトガ推察サレルノデアル。」(傍点  引用者)

  「二箇ノ経路ヲ利用打電」は加瀬が思いつきで一七年に書き、東京裁判でも紙に記録が残ってしまったので、訂正できなかったのであろう。電信課長の亀山は東京裁判で「十四本目の電報は特に迅速且正確なる華府到着を期する為米国MKY及RCAの両路線を通じ一時間の差を置いて同文を夫々発電せしめました。」と述べ、部下に命じた東京中央電信 局での調査を踏まえ「東京電信局より十二月七日午後五時にMKY経由、午後六時にRCA経由夫々発送せられた趣であります。」と証言している。亀山は最後の「十四本目」だけに限定している。午後一時に手交する第九〇七号電報(所謂1  PM Message)に関しても「午後九時十分東京中央電信局より米国に向け発送せられた趣であります。」と語り、「東京中央電信局より米国向発電時刻は前述の調査によれば十二月七日午後六時三十分(MKY)及同午後六時二十八分(RCA)であった趣であります。」と「二箇ノ経路」が使われたと証言した

(9

。加瀬が昭和一七年七月に書いたものに沿って証言していることがわかる。外務省外交史料館所蔵の第九〇七号電文の原本には電送第46837と46838と二つの番号があり、発信時刻(外務省内分局)は

5時 01と二つの番号があり、鉛筆書きで7時 ている。一語訂正の第九一一号電文には電送番号が46899と469 30分という時刻が記され 8.30pm時刻が「 とつしか書き込まれていない。時刻は第一部から第一三部の電報の送信 録は確認できていない。第九〇二号の十四本には電送番号はそれぞれひ 系統で送られ、その結果同じ内容の電文がそれぞれ傍受されたという記 ている時点で、米の傍受記録からは第九〇七号電報も第九一一電報も二 いる。「九一一」も鉛筆書きである。筆者が調べた範囲では、本稿を書い 20分発と時刻が書き込まれて

830.pmと発電が保留されたことが手書きで書かれている。「 0.20am」と書き込まれ、第一四部は「日曜午後4時迄」 -

かである。最後の第十四部を十五時間留め置いたことを巧みに隠蔽する までに要する時間は十二時間かかるはずであり、虚偽であることが明ら シ一時間置キニ」打電したという記述どおりであれば第一部から十三部 時間間隔は、引き算して計算すれば三時間五〇分であり、「十四部ニ分割 020.am」の -

(7)

ための隠ぺい工作のために加瀬が思いついたのであろう。如何にも加瀬らしい文章である。十四本に分割された第九〇二号に関しては、外務省の電文記録を見る限り、一本目から十三本目までは「二箇ノ経路」が使われた形跡はなく、十四本目に関する亀山証言が唯一「二箇ノ経路」を裏付けるものである (1

。米側の傍受電報一覧でも、真珠湾査問員会でも他の電報会社ウェスタンユニオン社とMKY(Mackey)社を使った痕跡は見出せない。二つの電報会社を使って同文を送っているのであれば、傍受は二回になる筈であるが、私が調べた限りでは米側にはそのような記録はない。米側の資料に出てくるのはRCA社だけである ((

。可能性としてはRCA社とMackey社、ウェスタンユニオン社の三社を使い、九〇二号の一四分割された電文を三社に振り分け、一回だけ送信したということは起こり得るが、筆者の管見の範囲では、米外交傍受記録で記録として残っているのは、RCA社だけである (1

。同文を「二箇ノ経路」は加瀬の虚偽(第一部から第十三部)の作文であるが、亀山証言が正しければ、第十四本目は二系統の電信会社で送信したということはあり得るが、在ワシントン大使館勤務の職員や電信官の中で、二系統で受信したという証言をするスタッフは一人もいない。デイビッド・カーン(David Kahn)のThe Codebreakersによれば、第十四部と九〇七号の外交電文はRCA社とMackey社の二社が使われ、先に傍受されたのは二本ともMackey社を利用したものであるとしている (1

。ロバート・ビュート(Robert J.C. Butow)のTojo and the Coming of the Warでは、東京裁判での亀山証言に依拠してRCA社とMackey社の二社を経由し通信されたと書いている (1

。カーンもビュートの本に依拠しているのかもしれない。筆者はオリジナルの一次資料で Mackey社を使ったものが傍受されたということをまだ確認できていない。筆者の今後の課題である。表2「米軍外交電報傍受時間とRCAの受理の時間差」を参照されたい。

  三   九〇三号電報と九〇六電報  

配達時刻の微妙さと「一行程脱字」の謎

つぎに訂正電報に関する亀山電信課長の証言を俎上にのせよう。「覚書訂正電報二通の中一通は遅くも第十四本目覚書電報よりも先に日本大使館に配達せられ他の一通(一字訂正の指示電報)も亦遅くも華府時間十二月七日午前九時半頃迄には同大使館に配達せられたものと想像します。」

  亀山は二本の訂正電報(第九一一号ともう一通)しか言及していないが、先に届いたとしているのは九〇三号なのだろうか、九〇六号なのだろうか。八時五〇分頃に三本の訂正電報と第十四部は、夜間に止め置かれた東京からワシントンDCの在米日本大使館宛の他の外交電報とほぼ同じ時刻に一挙にまとめて届いていたと推定できるが (1

、亀山課長は「第

表2:米軍外交電報傍受時間とRCAの受理の時間差

外交電報番号 RCA

time stamp RCAを出発 時間差(分)RCAを出るまで の時間 (分)

901 (Pilot Message) 8:30AM -   70 - 902 part 2 10:13AM 10:23AM   90 10

902 part 4 12:19PM 12:27PM 119 8

902 part 10 11:33AM -   68

902 part 12 12:08PM -   60

出所:米国国立公文書館、RG457 Entry#9032 Box738

付記:1.  表1の米国傍受時刻とRCA受理の時間差を計算した。

   2.  RCAを出るのに要する時間は10分と8分であり、日本大使館に向かった。

   3.  「-」はデータなし。

(8)

十四本目覚書電報よりも先に」届いたはずであるとしている。註

たであろう (1 トンDCの大使館に届けられるか十分すぎるほど事前に研究調査してい 出すれば、東京中央電信局経由で、また米国の電報会社経由で在ワシン つくはずだと想定していた点は重要で、外務省電信課は何時頃電報を発 届けられていると判断している。亀山がこの時刻「午前九時半頃迄」に 寧に読者は読まれたい。亀山は「午前九時半頃迄」に一語訂正の電報が 15を丁

。電信課長であれば、日々の業務の常識の範囲内であろう。註で海軍が外務省から電信の様々な解読や通達などに要する消費時間に関する情報提供を受け、かかる消費時間を計算していることを詳細に記した。註を丁寧に読まれたい (1

。海軍大臣嶋田繁太郎と外務大臣東郷茂徳の間で、海軍が無通告を主張したということに関する東京裁判での対立点 (1

や交渉打切りが最後通牒を満たすのかという問題は本稿では触れないが、ポイントを絞り込み、註に記した (1

。二つの註を読者には丁寧に目を通していただきたい。一語訂正の電文第九一一号 11

は、第九〇二号の第三部の電文中の一語の訂正(proposalをassertionsに変更する)で、この第三部には七五文字の乱れがあった 1(

。第九一〇号で暗号機破棄を命じており、本来であれば、九一〇が到着後間をおいて第九一一号が遅れて大使館につくはずで、解読不能であったはずである 11

。指定のレベルでは「緊急」(米電報会社においてExtremely Urgentと訳されたのか、Kinkyuと訳出されたて届けられたかは不明)であった。「

902、 907、 908、 一一号は通常使われる「大至急」でなく「緊急」という指定であった 11 械が破棄されていたなら、第九一一号は解読できないはずであった。第九 があり、第九一一号には言及されておらず、指示通りに読んでから暗号機 909を読んでから破棄」という指示

。 訂正電報に関して亀山証言を引き続き検討しよう。 「対米覚書電報を暗号に組んだ後取調べました処最初の十三本中一本に 0000000000000000000000000000000

技術的誤 0000(一行程脱字したものの如く記憶します)があることが発見せ 00000000000000000000000000

られましたので直ちに訂正電報を発送しました。 0000000000000000000000(右は勿論極めて簡単なものでありました。)右訂正電報の発送せられた正確な時刻は外務省の火災に際して電信課 000000000000000000000000000000

記録が焼失した為調査し得ませんが 0000000000000000、六日より七日にかけ電信係官数名を終夜宿直勤務せしめて居りました故右は七日早朝よりも遅くなつたことはなかつたものと存じます。」(傍点  引用者)

 この亀山の証言に基づき再現すれば、外務省電信課で暗号を組み、それを東京中央電信局に送ったが、暗号に組んだ後の取り調べで、「一行程脱字」「極めて簡単なもの」が見つかったので、「直ちに訂正電報を発送」したので、「七日早朝に到着するように訂正電報を打ったということになる。「十三本中一本に技術的誤」がいつごろわかり、訂正電報をいつ発電したのか、はっきり述べていない。米軍の外交電報傍受記録一覧(表1)からいえることは、九〇三号の訂正電報は、九〇四号より大幅に遅れ、十四時間二十六分後の日本時間の十二月七日午後二時二十分に発電されており、「一行程脱字」というほどの小さい乱れであったかどうかは不明で、また米の傍受外交電報一覧(表1)で最も遅かった九〇二号の第八部の発電時刻同日午前一時七分との時間差は十三時間十七分である。「直ちに訂正電報を発送しました。」という証言は、真珠湾査問委員会で訂正電報に関して何も追及されていないことを踏まえて、「直ちに」という虚

(9)

偽の発言を行ったのであろう。十三時間という時間は、相当時間が経過しており、直ちに発送したことにはならない。仮に外務省電信課が直ちに発電したとしても、陸軍参謀本部が留め置いたかもしれないが、亀山電信課長は止められたことは知る立場にあった。九〇六号の訂正電報は東京中央電信局から午後三時三十二分に送信されている。この二本の訂正電報がワシントンDCの電信会社に届く時間が午前三時前後と言う微妙な時間であり、九〇三号は午前三時に間に合い、九〇六号は間に合わない時間であった。読者はこの微妙な時刻に注意を喚起されたい。第九〇二号の第一部から十三部の中の三本(第三部、第十部、第十一部)に「乱れ」があり、

程脱字」は第三部の中の乱れを指すのだろうか 11 170文字が判読できなかった。亀山の言う「一行

。米軍の傍受からわかるのは、米軍の解読班は七五文字(75

  letters garbled

第三部)、四五字プラス八から一〇文字(45  letters garbled or missing 第一〇部)、五〇文字(50  letters missed 第一一部)の文字が乱れのため判読できなかった 11

。同じことが電文を解読した日本大使館でも起こったであろう。また亀山電信課長の「七日早朝」が意味するものは何時ごろなのか。「七日早朝」とはワシントン時間の午前三時ごろなのか、はたまた午前七時ごろなのか、一体どちらなのだろうか。「直ちに訂正電報を発送しました。」のならば、なぜ「七日早朝」になるのか。亀山は矛盾する発言を行っている。「一行程脱字」はいったいどの箇所を示すのか、文字の乱れなのか、脱字があったのか、不明のままである。筆者が外交史料館の発電原稿と米軍傍受電報を一語一語照らし合わせたが、「一行程脱字」はまったく不明で、どの箇所なのか突き止めることができなかった。そうであれば、亀山の作為的な虚言である可能性も頭の片隅において検討する必要がある。「一行程 脱字」の可能性としては、Part 3 の「the American Government」(後続の文の主語)が米傍受記録では抜けているので、考えられるのはこの三語の箇所だけである。「一行程脱字」は米軍の傍受で補われた可能性もあるが、補われたのであれば七五文字、四五文字、五〇文字も併せて訂正されたであろう。また何らかの言及があるはずである。亀山はワシントン時間の「早朝」の午前三時までに日本大使館に届くべく「大至急」の指定で打電したのであろうか、それとも陸軍参謀本部の指示を受けた逓信省が至急度を落としたため、午前八時から九時の間に他の電報と一緒に訂正電報が届いたのであろうか。すぐに発信したが、陸軍が止めたのであろうか。後段で紙幅を割こう。亀山は九一一号の一語訂正電報に関しては「電報原文に依れば十二月七日午後七時二十分外務省内電信分局より東京中央電信局に発送せられて居りますから(弁護側文書第二〇五〇

- A)当時の実情に照らし遅く も其の一時間後には東京中央電信局より直接米国に向け、発電せられたるものと思考します 11

。」と詳細かつ具体的に述べ、外務省電信課から東京中央電信局経由で一時間後に米国に向け訂正電報が発電されているとの認識を伝えている 11

。米軍の傍受記録では、午後8時

のように証言している 11 東京裁判で訂正電報に具体的に言及しているのは、結城司郎次で以下 東京中央電信局の間で電信の発電に要した時間は一時間ほどであった。 されているので、亀山の証言は正しいことがわかる。外務省電信課から 35分に東京から発電

 「前述の訂正電報が解決された結果両君は折角打ち終つた頁をもう一度打ち直さなければなりませんでした。又覚書から脱落してゐた一、二行

(10)

の文章を挿入するように指示してゐるもう一通の電報のため、右の頁のみならず行がずれて次に続く頁まで打ち直さねばならなかつたのであります。」  九〇三号と九〇六号電報の内容をこの結城証言から推測すると、電文の乱れに関する電報と、脱落した箇所の一行か二行の追加の指示の電報であったとしている。結城証言はほぼ同じ頃に二本の訂正電報が届いたことを示している。亀山は「一行程脱字」しか話していない。「一行程脱字」は九〇三号なのだろうか、九〇六号電報なのだろうか。それとも前述したように、作り話なのだろうか。主語になる三語の「The American Government」なのだろうか。亀山が九〇二号第十四部よりもはやくワシントンDCに届いているとしているから、「一行程脱字」は九〇三号で通知されたとみなし話をすすめよう。用心深く本稿では「一行程脱字」は事実なのか疑いながら、筆を走らせよう。表1「米軍の外交電報傍受記録一覧」を眺めよう。九〇三号はワシントンDCで傍受されたのは、ワシントンDC時間で

1: 九〇六号は 25AMであり、

2: 時刻のスタンプと比べると 受理の時間差」に示したように、実際に米海軍傍受時間とRCAの受信 15AMである。表2「米軍外交電報傍受時間とRCAの

ろう。九〇六号が2: 言に従えば、九〇三号は「一行程脱字」で、九〇六号は電文の乱れであ り、そのように東京の外務省では想定していたのかもしれない。亀山証 急で打電されていれば、午前三時までに米国電信会社に届いたはずであ 1時間の時間差があるから、九〇三号は大至

15AMということは、ワシントンDCの電信会社 とを意味している(表 「明朝」(日曜日午前八時から九時)に届けられることになったというこ トに間に合わず(大至急という前提でも)、電文の乱れに関する電文は に届くのがさらに一時間を要するのであれば、午前三時のタイムリミッ

1と表 2から)。第十四部は3:

刻は Pilot Messageう所謂は、米海軍(ワシントン州ベイブリッジ島)傍受時 時から九時ごろに届くと計算したのであろう。午後一時に配達せよとい 一時間かかるとすれば、十四部は間違いなく一二月七日の早朝つまり八 (ワシントン州ベイブリッジ島)に傍受されているが、この時間にさらに 10AMに米海軍 4: 決め込み、米国側の調査不十分を知悉した上で一切言及しない方針で臨 担当者は、九〇六号の訂正電報に関しては、「知らぬ存ぜぬ」の洞ヶ峠を きなくなるからである。西春彦弁護士をトップとする外務省の東京裁判 通した。なぜなら大使館の責任にして、東郷外務大臣をかばうことがで いうシナリオは成り立たなかったが、東京裁判ではこの物語の筋で押し はずであるが、第十四部よりは早く届く、つまり早朝の三時には届くと の段階で「大至急」で発電されなかったこと、発電時間に気づいていた 一切触れなかったのは当然である。推測の域を出ないが、亀山はどこか 東京の外務本省にあることは明白になる。亀山が九〇六号に東京裁判で で打電され、至急度も下げられていたとすれば、開戦通告遅延の責任は した。九〇六号の訂正電報が午前三時に微妙に間に合わないタイミング ことで、出先の日本大使館の責任という物語で東京裁判を乗り切ろうと たことも間違いないであろう。九〇六号電報については、一切触れない の真珠湾査問委員会で訂正電報が取り上げられていないことを知ってい こまで知っていたのであろうか。東京裁判への出廷時には、亀山は米国 37AMである。亀山は九〇六号の電報の発出時刻と至急度をど

(11)

んだのであろう。九〇六号の訂正電報において「七五文字、四五文字、五〇文字」の判読不可の乱れがワシントンDCに打電されたのであろう。「(蓋し覚書の文面の至急処理方に関する訓電は右覚書発電に先立ち発電せられたものであるからであります。)」とあるが、第九〇一号電報「訓令次第何時ニテモ米側ニ手交シ得ル様文書整理其他予メ万端ノ手配ヲ了シ置カレ度シ」を受け、井口貞夫参事官深夜午前三時(三時半)まで訂正電報と後続の第十四部の電報の到着を鶴首して待った 11

。もう電信会社から至急電報が届くことはない時刻になったので、井口は一旦電信官を帰宅させ、少しでも睡眠を取らせ、日曜日に出直させたのであろう。米国の電報会社は「大至急」(Very Urgent)の指定であれば、電信会社は大使館に電話をしたうえ、午前三時までに届いたものは日本大使館に届ける取決めになっていたはずである。また日曜日の朝は午前八時から九時にかけて配達することになっていたのではないだろうか 11

。このシナリオであれば、亀山証言と井口貞夫のとった指示の符節が合う。外交官にとっては電報の東京発信時刻と現地大使館に届く時刻との時間差は日々の業務の常識となっていたであろう。井口武夫『開戦神話』に井口武夫が電信官の吉田寿一に行ったインタビューが紹介されているが、「堀内さんが『いつもは八時だけれども今日は日曜日だしあとはたった一本だからたいしたことはないから……少し遅らせて九時にでることにしたらどうか』ということを言って……帰った。事務所に着いたのが(註  午前)九時十五分位だった。」と回想している。堀内正名主任電信官は「七日午前九時半頃、大使館宿直者ヨリ至急電接致シ居ル旨電話連絡アリ。」と陳述している 1(

。亀山の証言をさらに引こう。  「対米覚書十三本迄の分は解読完了に最大六時間半を要すと認められる 0000000000000000000000000000000

ものでありますから 000000000右の内最後のものの到達した後に解読に0著手せられたとしても華府時間十二月六日午後九時半頃迄には解釈を完了し得た筈 000000000000000000000000000

で、而して事実は各電報は到 00000000000000著毎に解訳せられた筈でありますから之が 0000000000000000000

浄書は右午後九時半に着手し得た筈であります 000000000000000000000。(蓋し覚書の文面の至急処理方に関する訓電は右覚書発電に先立ち発電せられたものであるからであります。)更に覚書十三本迄の分に対する技術的訂正電報は東京時間 000000000000

十二月七日払暁発電せられ如何なる場合にも第十四本目覚書電報(大使 00000000000000000000000000000000

館に配達せられた時刻は華府時間十二月七日午前六時乃至七時 0000000000000000000000000000頃と推定せられます。)より先に発送せられて居たことは確実でありますから日本 00

大使館に於ては遅くも華府時間十二月七日午前七時前後迄には其の配達 00000000000000000000000000000000

を受け遅滞なく之が解釈を完了し得た筈であります 00000000000000000000000。又最後の一文字訂 0000000

正の電報は遅くも華府時間十二月七日午前十時を過ぎずして接到且解読 00000000000000000000000000000000

を完了し得た筈であります 000000000000から大使館の担当係官に於て六日より七日にかけ適当に休息就眠したとしても覚書十四本全文の完全なテキストは遅くも同七日午前十一時頃迄には之が浄書を完了し得た筈であります。」(傍点  引用者)

 この亀山証言では、電文の解読に六時間半かかるとしている 11

。前述したように、亀山はこの訂正電報に関して部下に命じて東京中央電信局で調査しなかったということは考えられないので、訂正電報が第九〇三号と第九〇六号の二本であったことも承知していたはずである。番号が付されている以上、また当然記録を残す必要から、送信された電文の写しが東京中央電信局から外務省電信課に届けられていたはずである。他の (ママ)

(ママ)

(12)

電文同様、指定のレベルもチェックしたであろう。第九〇三号と第九〇六号の二本の訂正電報があったにもかかわらず、亀山の証言では、訂正電報はどちらか一本としている。また至急度のレベルダウンには何も言及していない。もう一点看過してはいけない点は、亀山課長が「午前七時前後迄には其の配達を受け」「遅滞なく之が解釈を完了」と述べている点である。午前七時にはワシントンの日本大使館に届けられ、タイプで清書する仕事だけが残っていたとして、霞ヶ関の本省の責任ではないとしている。表1をみると、九〇三号(Extra)と九〇六号は「払暁発電」ではなく、東京中央電信局から午後二時二〇分と午後三時三二分に発電されている。

四  九一〇電報と九一一電報

暗号解読機の破棄と一語訂正

第九一〇電報(暗号機械破棄)は亀山の予測では「華府時間十二月七日午前十時」であったが、実際には「八時から九時の間」に届いている。暗号機械破棄電報の後に一語訂正の九一一号電報を打ったのは理解できないが、同じ頃に日本大使館に届き、大使館の電信官が訂正電報を探すべく、短い電文から解読したために、九一一号の一語訂正は、訂正することができた。九一一号電報は表

1と表

(ワード)訂正のためにタイプを打ち直しても充分に間に合うという見通 同じであれば、八時二十分頃であろう。この時刻に第三部にある一語 ら九時頃に大使館に届けられたのであろう。平日と日曜日の配達時刻が され、先に届いていた電文と一緒に日曜日の配達時間である午前八時か ントンDCにちょうど八時前後に米国の電報会社で受理のスタンプが押 2から推定できることは、ワシ 大使館では読めないはずであった 11 であれば、九一〇号電報で暗号解読の機械が破棄されている以上、日本 の大使館が早めに手渡すのを未然に防ごうとしたのかもしれない。本来 れば、間に合わなくてもよいとの判断もあっただろう。ワシントンDC い。実際意味のない一語訂正であるので、時間が切迫して間に合わなけ プライターを打ち直すために必要な時間であると想定したのかもしれな ンの日本大使館がはやく米国に通知しないために、このページだけタイ の見通しを述べた。推測の域を出ないが、一語訂正の電文は、ワシント 時半」には届き、「午前十時を過ぎずして接到旦解読を完了し得た筈」と 九本の電報が届けられたと推定している。亀山は証言で、九一一号は「九 たように、筆者は八時一〇分から九時にかけてこの第九一〇電報を含め す必要はないし、この単語を置き換える意味などまったくない。前述し たこのページだけ差し替えればよいので、最初から全部タイプで打ち直 であるから、ここだけ単語を置き換えればいいのだから、タイプ打ちし しが亀山電信課長にはあったかもしれないが、謎が残る。一語(ワード)

。訂正電報第九一一号が残っており、他の二本の訂正電報が「外務省の火災に際して電信課記録が焼失 11

」ということが起こり得るのであろうか。通常これらの電報は纏められているはずであり、火災で焼けたなら一緒に全部焼失するはずである。訂正電報の東京発信時刻が判明することで、ワシントンの日本大使館に責任転嫁ができなくなるために二本の訂正電報を焼却したと考えるのが説得的で合理的である。訂正電報の証拠隠滅は開戦通告遅延が明らかになった時点で企図されたのであろう。亀山は訂正電報の時刻が何を意味するか十分に理解していた。亀山電信課長にとって幸いなことに各種の真珠湾査問委員会で訂正電

(13)

報が取り上げられていないことを確認した上、訂正電報には言及せず、極力触れるのを避けた。東京裁判ではどのようにでもとれる「早朝」という表現を使い、第九〇三号と第九〇六号の訂正電報とその至急度の改竄の二点は曖昧模糊として逃げ切りを図った。内容には言及しなかったし、できなかった。「遅くも華府時間十二月七日午前七時前後迄には其の配達を受け遅滞なく之が解釈を完了し得た筈であります。」と述べ、検察側の知識の欠如を巧みについて逃げ切った。亀山一二は昭和二〇年一一月一六日にアキン(アースキン)中佐と会談しており、また亀山参事官は翌年三月一八日にマッカーネスと会見し、「日米開戦当時ノ電信ハドウナツテ居ルカ」と問われ、「一九四二年一月九日夜ノ外務省火事及一九四五年五月二十五日ノ爆撃ノ為焼失セリ」と答えている。敗戦後の米軍や総司令部の聞き取りを通して、米軍がどのような情報を欲しているか把握できたであろう 11

。またこの時の二度の聞取りを受けて、米側が何を知っているか察知できたであろう。

おわりに

外務省は訂正電報に関しては口裏を合わせて、アメリカ側が訂正電報に充分な注視をしていないことを見抜いた上で、訂正電報の発信時刻や至急度には触れない戦術で東京裁判に臨んだ。西春彦次官(東郷外務大臣の東京裁判での弁護士)と山本熊一局長は回想録でも東京裁判の作戦を墨守し、加瀬俊一のように露骨にワシントンDCの日本大使館の責任(職務怠慢)にはしなかったが、結果として霞ヶ関の本省の責任とせずに 出先の日本大使館に責任を転嫁し、本省の作為を黙秘した点では同じである。開戦通告(交渉打ち切り)のような重要な電報で電文が三箇所も乱れることがあるのだろうか。陸軍参謀本部が逓信省東京中央電信局に圧力をかけて、脱字など判読不可能に細工をしたうえで、ワシントンDCに向け打電した可能性はないのだろうか。もちろん偶然のミスが重なり文の乱れが生じることもあるだろう。この点も頭の片隅に置かなければならないであろう。亀山一二電信課長は東京中央電信局から写しが送付されてきた段階で、不可解な脱字に気付き、大至急で訂正電報を発信する必要に迫られた。この訂正電報が第九〇三号、第九〇六号電報であった 11

。このように推理するのが、現時点では無理のない推理であろう。亀山証言では「一行脱落」した箇所が特定できず、三箇所の電文の乱れは九〇三号の中にあるのか、九〇六号の訂正電報で伝えられたのか、不明である。訂正電報の九〇三号と九〇六号で実際どのような訂正が伝えられたのかわからないが、傍受時刻が表

ことで、資料 1の米軍の傍受記録から明らかになった 1と資料

た。外交官西春彦は仮面をつけてマスコミで喝采を受け続け、傍受電報 も問題はない。しかし、どこかの時期に真実を話さなければならなかっ 務大臣をかばうために大使館の責任にしたことは当然なことであり、何 誠実さに欠けていることに気付くだろう。亀山が東京裁判で東郷茂徳外 たことを示している。加瀬の様々な戦後の発言は、中味がなく抽象的で、 に宣伝したが、そのことは彼が参謀本部と一緒に十五時間遅延工作を行っ であった。加瀬俊一は戦後も大使館責任論を繰り返し書き、異常なまで 館ニ於ケル事務遅延ノ為ニシテ我方ノ意図ニ反セルコト」が破綻したの 2に書かれている「手交ノ遅延ハ在華対日本大使 ママ

(14)

の米側の曲訳とか誤訳とかを問題視することで、核心から目を外した。山本局長は回想録で何も話さなかった。戦後も日本大使館の責任を書き続けた加瀬俊一や原四郎の著書の問題点とその動機の解明が次の課題となるであろう。加瀬は東郷茂徳と松岡洋右の弁護資料の蒐集を行い、陸軍の原四郎は陸軍側の開戦通告問題の対策担当者であった。二人の東京裁判の担当者は、裁判の終了後も東京裁判の方針をいつまでも墨守し、虚構を真実であるかのように大使館の責任を書き続けた。九〇三と九〇六号電報の東京発電時刻から交渉打切り通告遅延が出先の日本大使館の責任ではなく、東京で遅延させられたことはもはや明白であろう。亀山証言の「払暁発電」は事実ではない。二系統で送られたという根拠についても、米国に残る傍受記録や真珠湾査問委員会関係資料を丹念に読み返し、RCA社とMackey社の二つの電報会社を利用して、別々に電報が打たれたのかどうか、同時に打たれた電報は何なのか、調べなければならない課題がはっきりした。本稿を次の言葉で結びたい。大使館の責任に転嫁し続けた外務本省の戦後の体制を歴史家はどのように評価していくのだろうか。後世の歴史家は西春彦次官、山本アメリカ局長、開戦時の対米通告を処理した加瀬と亀山の両課長をどのように評価していくのだろうか。アメリカ局のもう一人の課長であった大野勝巳が戦後作成した調書(いわゆる大野調書)で、外務本省でなく日本大使館の責任であると結論付けた。この事実を歴史家はどのように理解すればいいのだろうか。高田利種海軍少将は小生に東京裁判は「猿芝居」だと語ったが、十五時間遅延した九〇二号の最後の十四部と十三時間と十四時間後に発電された二通の訂正電報の経緯を語らずに、ワシントン DCの日本大使館の職務怠慢であると結論付けることができるのだろうか。東京裁判で演じられた「猿芝居」を「芝居」でない正夢に変えようとした大野調書と外務本省の姿勢は、もう一つの「茶番劇」である。この「茶番劇」も歴史家の研究対象になりつつある。

(1)  第九〇七号往電で「往電第九〇一号ニ関シ本件対米覚書貴地時刻午后一時ヲ期シ米側ニ(成ル可ク国務長官ニ)貴大使ヨリ直接御手交アリ度シ」と訓令され、その前の第九〇一号で「全部(十四部ニ分割打電スヘシ)接受セラルルハ明日トナルヤモ知レサルモ」とあり、明日になるかもしれないと伝え、「右覚書ヲ米側ニ提示スル時期ニ付テハ追テ別ニ電報スベキモ右別電接ノ上ハ訓令次第何時ニテモ米側ニ手交シ得ル様文書ノ整理其他予万端ノ手配ヲ了シ置カレ度シ」と東郷大臣から在米野村大使に訓令されていた。(

である。(『新国策』、一七二八号、二〇~二五頁) するにとどめる。井口が紹介したのは、日付のついたもの(資料二)の方 を開始した。資料一と資料二は、この点を誤魔化しているが本稿では指摘 が三〇分真珠湾攻撃を遅らさせたために、三〇分間早くコタバル上陸作戦 ている。コタバル上陸作戦と真珠湾攻撃は同時刻の予定であったが、海軍 に、コタバル上陸作戦の時刻と真珠湾攻撃時刻の問題点が詳細に論じられ    最後通牒問題新資料発掘と開示

その2対米最終覚書と手交時期」   と資料2に関して、国策研究会『新国策』の二月号井口武夫「日米開戦   2)不明な文字の解読に関しては、井口武夫氏に助言をいただいた。資料1   英語の文献では、コタバル(Kota Bharu)上陸作戦と真珠湾攻撃の時刻の問題点に関しては、ファイスの著書で真珠湾攻撃の

Herbert Feis, The Road to Pearl Harbor: The Coming ことが指摘されている。 1時間前に始まった

(15)

of theWarBetween theUnited StatesandJapan.Princeton:Princeton

University Press, P341. (

請求記号「平     3)『A級裁判参考資料真珠湾攻撃関係日本側資料』(国立公文書館所蔵、

( 11法務05932」) 132」     府連絡会議議事録其の三』、請求番号「中央戦争指導重要国策文書1   4)防衛研究所戦史部図書館所蔵、参謀本部第二十班(第十五課)『大本営政

(   密戦争日誌上』(軍事史学会編、錦正社、平成一〇年、一九四~九五頁)。 得スルニ至ラザリシガ如シ」と書いている。大本営陸軍部戦争指導班『機   武]次長参拝ノ為西下第一部長代理)外相ト会談右ヲ主張セルモ外相納 セラレアルヲ以テ之ヲ変更スルヲ得ズ之ヨリ先昨夜陸海両次長(田辺[盛 後三時頃ト主張セルガ如キモ既ニ連絡会議ニ於テ事前ニ交付スル如ク決定 され、一二月六日には「対米最後通牒文の交付時期ニ関シ作戦課ハ八日午 シ在米大使宛打電ノ時機ハ陸海部局長ニ於テ決定スルコトニ決ス」と記録   ヲ容レ武力発動直前ニ外交打切ノ申入ヲナスニ決ス其案文ハ外相ニ一任   『機密戦争日誌』によれば、一二月四日では「両総長已ムナク右

( いた文章である。 書)」の中の「東條内閣(東郷大臣)中ノ交渉経緯」の四二六頁。加瀬が書    5)「日米外交関係雑纂太平洋ノ平和並東亜問題ニ関スル日米交渉関係(調

研究者としの良心を欠いている。 た。(『中央公論』二〇〇七年一二月、一四八四号、七二頁)。細谷と佐藤は ているわけがない。そのようなことを示す箇所は探しても見当たらなかっ が傍受・解読されていることを知っている」と述べているが、加瀬が知っ 戦争回避の機会は二度潰えた」では「加瀬はすでにアメリカで日本の電報    電文が削除されている。細谷千博と佐藤元英の対談「発掘日米交渉秘録 昭和五三年復刻、細谷千博解題)一七年七月に掲載された傍受した英文の   6)外務省編纂『日米交渉資料

昭和十六年二月~十二月

』(原書房、 (

しがき」参照。「はしがき」の日付は「昭和二十二年二月」となっている。 度潰えた」(六〇~六一頁参照)、前掲『日米交渉資料』の序文および「は     7)同右、細谷千博、佐藤元英「発掘日米交渉秘録戦争回避の機会は2   この対談の中で細谷は「加瀬はすでにアメリカで日本の電報が傍受・解読されていることを知っている」と述べているが、事実誤認である。佐藤元英もこの発言を肯定しているが、ぜひ根拠を示し、反論していただきたい。井口武夫氏からこの点の示唆を受けたが、平成二八年二月に刊行された、『新国策』の井口論考(註2)を参照されたい。

  この対談で昭和二十一年の「経緯ノ部」は、「東京裁判を意識して、かなり編集したものではないか。そういえるのですね。」と佐藤は述べているが、この点はその通りであろう。(

Radio Corporation of 打電シタ」との話を伝え聞いたのであろう。RCA社は Mackayの対策に取り組んだ同僚から「同ジ物ヲRCA及両電信会社ヲ通ジ この二名は一七年七月に作成された『日米交渉経緯』を読んだか、東京裁判 同文ノモノガ二通ヅツ来タル記憶ナシ。」と述べている。(同上、五三頁) 信官の堀内正名は「対米覚書ハ二個ノ経路ニ依リ打電セラレタル由ナルガ、 する記録」(『外交史料館報』、八号、平成七年三月、五二~五三頁)主任電    8)原口邦紘「史料紹介昭和十六年十二月七日対米覚書伝達遅延事情に関 American ServiceがRCAと略称され、R.C.A. Communication Inc.も使われた。本稿ではRCA社と表記した。(

からは二系統で送られたということは確認できないが、カーンの著書によ 逓信省の東京中央電信局に電送されたのであろうか。米国の傍受電一覧表 か記述がなく、五時三〇分である。同じ頃に二本が外務省内電信分局から の原本には電送第46837と46838があるが、発信時刻はひとつし   六四頁。雄松堂書店『極東国際裁判速記録第六巻』所収。九〇七号電文    9)「極東国際軍事裁判速記録第二五三号」(以下二五三号と略記する。)二

参照

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