日本英文学会関西支部
第
9
回大会資料
プログラム
研究発表・シンポジウム要旨
日時:
2014
年
12
月
21
日(日)
11 : 00
より
会場:立命館大学衣笠キャンパス
(京都市北区等持院北町
56-1
)
日本英文学会関西支部
〒662-8501 兵庫県西宮市上ケ原一番町1-155 関西学院大学文学部英文学研究室 E-mail: [email protected]バスによる交通アクセス(いずれも「立命館大学前」で下車) ■JR京都駅から ・市バス50号系統(京都駅前B2乗り場、立命館大学行き、約35分) 【9:55、10:10発】 ・JRバス高雄・京北線下り(京都駅3番乗り場、栂ノ尾行き、約30分) 【10:00発】 ■阪急大宮駅から ・市バス55号系統(四条大宮6番乗り場、立命館大学行き、約20分) 【9:48、10:28発】 ■京阪三条駅から ・市バス15号系統(三条京阪前1番乗り場、立命館大学行き、約30分) 【9:51、10:21発】 ・市バス59号系統(三条京阪前2番乗り場、金閣寺・竜安寺・山越行き、約30分) 【9:40、10:00発】 ■JR円町駅から ・市バス15号系統(西ノ京円町5番乗り場、立命館大学行き、約10分) 【10:15、10:45発】 ※【 】内の時刻は、大会開始時間(11:00)前に正門に到着する便の出発時刻です。ただし正門か ら会場までは徒歩5分ほどを要しますのでご注意ください。 ※他に、阪急西院駅、JR京都駅、JR円町駅から市バス205号系統(金閣寺・北大路バスターミナ ル行き)にて「衣笠校前」で下車し、キャンパス東門から入るルートもあります。会場まで徒歩約 15分を要しますが、当日(日曜日)も7∼8分間隔で便が運行されています。
◇当日、キャンパス内の食堂は営業しておりません。恐れ入りますが、昼食につきましては各自ご 持参いただきますようお願い申し上げます。なお、一般控室(清心館507教室)をご飲食などのた めの休憩所としてお使いいただくことができます。 ◇控え室にて茶菓の用意はいたしません。あらかじめご了承下さいますようお願い申し上げます。 ◇キャンパス内は全面禁煙となっております。 ◇当日は必ず受付をお済ませください。 諒友館(懇親会会場) 清心館(大会会場) 清心門 東門 バス停(立命館大学前) 正門
〈清心館 1 階〉 〈清心館地階〉 〈清心館 4 階〉 書籍展示 開会式・総会・閉会式 英米文学シンポジウム 第 6 室 英語学シンポジウム 評議員・理事控室 合同役員会 エレベーター 受付 第 5 室 第 7 室 大会本部 第 1∼4 室 一般控室(会員・発表者) 入口 ■一般控室(会員・発表者) 地階 507講義室 ■評議員・理事控室/合同役員会 4階 548講義室 ■大会本部 4階 542講義室 ■書籍展示 1階ラウンジ
日本英文学会関西支部第
9
回大会プログラム
日時:2014年12月21日(日)11:00より 会場:立命館大学衣笠キャンパス(京都市北区等持院北町56-1) 大会受付 10:30より(清心館1階ホール) 受付、懇親会費納入 開 会 式 11:00より(清心館4階 549講義室) 挨拶 日本英文学会関西支部支部長 小 澤 博 研究発表 第1発表11:10∼11:50 第2発表11:55∼12:35 第3発表13:30∼14:10 第4発表14:15∼14:55 第1
室(清心館4
階543
講義室) 司会 大阪市立大学教授 野 末 紀 之1.Walter Paterの ‘Duke Carl of Rosenmold’ における「北方のアポロン」
武庫川女子大学大学院生 川 島 彩 那 司会 京都大学准教授 桂 山 康 司 2.【招待発表】彌耳敦と蘇峰 龍谷大学准教授 川 島 伸 博 司会 神戸市外国語大学准教授 吉 川 朗 子 3.ワーズワスのウェルギリウス『アエネーイス2巻』訳における翻訳手法 日本学術振興会特別研究員RPD 高 畑 時 子 4.草木も眠る十八世紀のパラダイス ―エドワード・ヤングの『夜想』と不死の人 同志社大学教授 圓 月 勝 博 第
2
室(清心館4
階544
講義室) 司会 大阪大学准教授 山 田 雄 三1.Reader and Spectator: A Paratextual Approach to the Practice of One-to-One Performance
University of Sheffield大学院生 庄 子 萌 2.声の殉教、石の列聖 ―Saint Joanにおけるコモンセンスを問う 関西学院大学大学院研究科研究員 磯 部 祐実子 司会 神戸大学准教授 芦 津 かおり 3.Shakespeare’s Sonnetsのバラの表象 ―詩人の心の表象 関西大学大学院生 浦 千 里 4.【招待発表】サミュエル・フェルプスとイズリントンの観客達 神戸大学名誉教授 田 中 雅 男
第
3
室(清心館4
階545
講義室) 司会 山口大学教授 鴨 川 啓 信 1.An Artist of the Floating World―道化性、悲喜劇、禅から読み解く楕円的作品世界 広島大学大学院生 大 山 美 代 2.わたしを問うプロセスの中で
―The Unconsoledにおける「過去」と「現在」の力学 神戸市外国語大学大学院生 伊 井 亨
司会 神戸市外国語大学教授 御 輿 哲 也 3.A Room with a ViewにおけるE. M. Forsterの「同志」観
大阪大学大学院生 米 田 亮 一 4.Joseph Conradの “Heart of Darkness” と釈しゃくちょうくう迢 空(折口信夫)の「死者の書」
海技大学校教授 田 中 賢 司 第
4
室(清心館4
階546
講義室) 司会 同志社大学嘱託講師 阿 部 美 春 1.(発表なし) 2.(発表なし) 3.死を乗り越える愛 ―メアリー・シェリーの『パーキン・ウォーベックの運命』と前期3作品の相違 同志社大学大学院生 岡 隼 人 司会 同志社大学教授 玉 井 史 絵 4.ある黒人看護師の「冒険」 ―Mary Seacoleの自伝を中心に 畿央大学准教授 竹 下 幸 男 第5
室(清心館4
階547
講義室) 司会 甲南大学教授 秋 元 孝 文 1.Poeがみた「フランス」 ―旧南部におけるフランス革命の表象 関西学院大学非常勤講師 岡 本 晃 幸 2.リチャード・パワーズの初期作品における「退避」と「物語」 近畿大学非常勤講師 大 内 真一郎 司会 同志社大学教授 石 塚 則 子 3.【招待発表】家庭の呪縛 ―禁酒小説における「離婚」の不在 大阪大学教授 森 岡 裕 一第
6
室(清心館地階501
講義室) 司会 大阪教育大学教授 家 木 康 宏 1.Agatha Christie作品の「ひねり」の構造 神戸大学大学院生 中 村 秩祥子 2.転移修飾は特殊な表現か ―日英コーパス分析にもとづく見解 京都工芸繊維大学非常勤講師 神 澤 克 徳 第7
室(清心館地階502
講義室) 司会 関西学院大学教授 楠 本 紀代美 1.「着く」「到着する」と訳されない動詞arrive 神戸学院大学准教授 出 水 孝 典 2.空項の語用論的認可条件 立命館大学教授 藏 藤 健 雄 司会 奈良教育大学准教授 米 倉 よう子 3.preceding / following の非対称性 ―文法化の観点から 京都大学大学院生 林 智 昭 4.【招待発表】Algate(s)とalway(s) ―中英語テキストを中心に 京都大学教授 家 入 葉 子 シンポジウム 15:10∼17:30 英米文学部門(清心館4
階549
講義室) 「第一次世界大戦開戦100周年」 司会・講師 関西学院大学教授 新 関 芳 生 講師 京都府立大学准教授 出 口 菜 摘 講師 大阪大学准教授 霜 鳥 慶 邦 講師 京都ノートルダム女子大学准教授 山 本 裕 子 英語学部門(清心館地階501
講義室) 「認知言語学は英語教育に何を提案できるか」 司会・講師 甲南女子大学教授 梅 原 大 輔 講師 京都教育大学准教授 児 玉 一 宏 講師 兵庫教育大学准教授 菅 井 三 実 講師 京都外国語大学講師 野 澤 元 総 会 17:40より(清心館4階 549講義室) 閉会式 18:00より(清心館4階 549講義室) 挨拶 日本英文学会関西支部副支部長 服 部 典 之 懇親会 18:30より(諒友館地階) 会費4,000円研究発表要旨
第
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室(清心館
4
階
543
講義室)
司会 大阪市立大学教授 野 末 紀 之 第1
発表(11:10より)
Walter Paterの ‘Duke Carl of Rosenmold’ における「北方のアポロン」
武庫川女子大学大学院生 川 島 彩 那 Walter PaterのImaginary Portraits (1887)の中の1篇、‘Duke Carl of Rosenmold’は、架空の人物カー ルを主人公とした短編小説である。19世紀ドイツのローゼンモルトの荒野にて、男女の遺骨が発見 される場面から始まり、この男の骨の正体とされる100年前に生きた大公の息子カールの生涯が語 られていく。彼はアポロンを詠った詩に影響を受け、共同体の文化発展のために奮闘する。最終的 に、カールは自国の持つ文化的発展の可能性に気づくものの、新しい思想を国内に浸透させる前 に事故で命を落としてしまう。そして、彼があこがれた啓蒙思想は、カールの生まれ変わりだと語 られる後のゲーテによって大成されるのだ。 カールは民衆によって「北方のアポロン」だと称えられるが、この物語における「北方のアポロ ン」とは何なのだろうか。また、カールはアポロンの役割を果たせたのだろうか。本発表では、カー ルが目指したアポロンと、彼が共同体に与えようとした光に焦点を当て、ペイターの代表作The Renaissance (1873)との関わりにおいて考察し、これらの問いについて論じていきたい。 司会 京都大学准教授 桂 山 康 司 第
2
発表(11:55より) 【招待発表】
彌耳敦と蘇峰
龍谷大学准教授 川 島 伸 博 明治23年、帝国議会の設立に先立ち、政治家たるに必要な資格として、高らかに「彌耳敦ノ書」 を挙げた熊本出身の若者は、日本の近代化とともに急速に右傾化し、第二次世界大戦時には、清 沢冽の言葉を借りれば、「戦争を勃発させるに最も力があった」プロパガンディストになっていた。 しかし、興味深いのは、その徳富蘇峰(猪一郎)が、敗戦の日に、ミルトンのSamson Agonistesを読 んだと述懐している点である。本発表は、世界的にみてもユニークなミルトン受容の例として、徳 富蘇峰とミルトンの関係を考察する。特に大正6年から国民新聞に蘇峰が連載した大作『杜甫と彌 耳敦』に焦点を当て、蘇峰がミルトンをいかに利用したのか、あるいは利用可能な形にしたのかに ついて検証していく。 司会 神戸市外国語大学准教授 吉 川 朗 子 第3
発表(13:30より)
ワーズワスのウェルギリウス
『アエネーイス2巻』訳における翻訳手法
日本学術振興会特別研究員RPD 高 畑 時 子 本発表はウィリアム・ワーズワス(William Wordsworth)のウェルギリウス『アエネーイス2巻』訳 における翻訳手法を探る。古代ローマの叙事詩『アエネーイス』が近代のイギリス詩人たちに盛んに翻訳されてきた中、原作の世界や文体を忠実に再現しようとするワーズワスは、一見、ロマン派 詩人としての傾向とは逆らっているように見える。だが、その翻訳法を分析すると、特に「運命」 に関して独特の翻訳をしていることが分かる。彼は原作者以上に運命 “Fate” を強調し、原作には ない個所でも運命を登場させ、性格付けまでして擬人化している(“this wretched fate” など)。また、 運命を取り巻く神々に関する翻訳部分においても訳者の個性が反映されており、神々 “dei” や神 慮 “numina” の訳に、“Gods” や “the divine will” などといった直接的な語を用いず、“the Powers” や
“Heaven” と訳して巧みに神々の存在をぼかしているような所もある。これらワーズワスの翻訳法に 彼自身の思想が反映されていると本発表は推測し、その解明を目指す。 第
4
発表(14:15より)
草木も眠る十八世紀のパラダイス
―エドワード・ヤングの『夜想』と不死の人 同志社大学教授 圓 月 勝 博 本発表の目的は、エドワード・ヤング(Edward Young, 1683-1765)の『夜想』(Night Thoughts,1742-1745)に正当な関心を向けることにある。全9巻約1万行に及ぶ長編黙想詩『夜想』は、出版 当初から大評判となり、イギリス国内で版を重ねたことは言うに及ばず、ドイツ語、フランス語、 イタリア語、ポルトガル語、スペイン語、ロシア語などにも次々に翻訳されて、十八世紀イギリス 文学の代表作として、ヨーロッパ全土で熱心な読者を獲得した。ところが、現在のイギリス文学研 究において、ヤングの『夜想』と言えば、墓地詩という絶滅ジャンルの巨大な化石のようにみなされて、 ロマン主義の数ある先駆的作品の一つとして、軽く片付けられてしまっていることが残念でたまら ない。そこで、本発表においては、ヤングの『夜想』の独自性を明らかにすることによって、十八世 紀中期のイギリス詩の復権を試みたい。
第
2
室(清心館
4
階
544
講義室)
司会 大阪大学准教授 山 田 雄 三 第1
発表(11:10より)
Reader and Spectator:
A Paratextual Approach to the Practice of One-to-One Performance
University of Sheffield大学院生 庄 子 萌 Informed and inspired by various artistic themes, contemporary theatre practice in Britain today embraces diverse formal aesthetics and displays a wide variety of presentation. While the tradition of text-based theatre still flourishes, contemporary performance has simultaneously developed rich and complex theatrical languages which extend far beyond and are not contained by the verbal. I propose that the application of ‘paratext’ or ‘paratextuality’, as conceptualised by Gérard Genette enables us to examine this kind of contemporary performance. In this paper, I conduct a paratextual analysis of Walking:
Holding, a performance piece by Rosana Cade, to discuss the opportunities this approach offers. Walking: Holding takes the form of a ‘one-to-one performance’, a growing genre of performance during the past
decade which addresses the issues of disconnection amongst people due to fragmented communication and the lack of direct contact in the digital age. Regarding a performance piece as a text itself, I argue that the relationship between performer and audience can be considered as a paratextual element of this performance, which is an integral part of the meaning-making process of the piece.
第
2
発表(11:55より)
声の殉教、石の列聖
―
Saint Joan
におけるコモンセンスを問う関西学院大学大学院研究科研究員 磯 部 祐実子
ジャンヌ・ダルクはさまざまな媒体で題材となり、最も人気の高い悲劇のヒロインの一人といえ
るが、ジョージ・バーナード・ショーの描くSaint Joan(1923)の独自性は、EpilogueでのJoanの復 活と、それにもかかわらず彼女の最後の声に耳を傾ける者が不在のまま幕を閉じる孤独さにある。 1920年のJoanの列聖を尻目に、劇中第4幕での殉教からEpilogueでの復活、列聖、孤高の叫びと、 彼女への同情と崇拝が増す気運に抗うようにプロットが展開することから、列聖にこそ彼女の悲劇 を見出すことができると考える。本発表では、Joanを「話す/書く」と「聴覚/視覚」の古典的対立 をかく乱する殉教者として位置づけ、これらの二項対立とその転覆の狭間で多様性と鋭敏さを増 す彼女の「コモンセンス(commonsense)」に注目し、作品の悲劇性を考察したい。 司会 神戸大学准教授 芦 津 かおり 第
3
発表(13:30より)
Shakespeare’s Sonnetsのバラの表象
―詩人の心の表象 関西大学大学院生 浦 千 里 シェイクスピアの『ソネット集』(Sonnets, 1609)に於いては、「バラ」の表象による表現が多く見ら れる。その要因の一つは、その美しさが束の間の命を表象し、「棘」がマイナスイメージを表象して いるからである。「バラ」は、その香りや姿の美しさによって最も美しい花のシンボルであり、愛を 表象し、更には、純潔・美・若さを表象する花ではあるが、美しい花弁の下にその姿には似つかわ しからぬ鋭い「棘」を持つと言う否定的な側面も有している。語り手である詩人は、美の象徴とし ての「バラ」から、虫が付き、時の経過によって枯れ果てる短命さの実体に言及しながら、若年か ら壮年、老年、そして死へと向かう青年の美の必然の運命を描き出してゆく。更には、「棘」によっ て詩人への青年の不実な内面をも比喩的に描き出してゆくのである。それらの描写には青年の「現実」 の姿に、「理想」と言う虚構を織り込まざるを得ない詩人の心の葛藤が窺える。その葛藤は時間と 共に変化する「バラ」の姿に投影され、投影された「バラ」は時間と共に変化していく青年の真の姿 の表象となり、詩人の真情表明となっている。 第4
発表(14:15より) 【招待発表】
サミュエル
・フェルプスとイズリントンの観客達
神戸大学名誉教授 田 中 雅 男 年々高まり行くシェイクスピア崇拝熱は、1864年の生誕三百年祭で、一挙にその頂点に達する はずであった。ただ、ストラットフォードとロンドンではその熱気に微妙な差があった。ロンドンで は、その準備のためナショナル・シェイクスピア委員会が結成されたが、動きは緩慢で基金集めに 汲々としているその間隙を縫うように、労働者シェイクスピア委員会なるものが結成された。プリ ムローズ・ヒルでの樫の若木の植樹祭と農業会館での記念式典で、何とかロンドンの生誕祭を盛り 上げることが出来たのは後者の企画のおかげである。その中心にいたのはサミュエル・フェルプス、劇場規制法以降サドラーズウェルズ劇場で(カット版だが)シェイクスピア原作上演に心血を注いで きた老練俳優であった。彼の上演はイズリントン近郊の労働者達によって支えられ、彼らはまた観 劇を通して、原作を手に取る読者として成長していったのである。折から、ケンブリッジ・シェイ クスピアを基にした廉価なグローブ版の全集が出版されるに至った。そこで、原作復元運動と読者 層の拡大という視点から、生誕三百年祭の歴史的意義を振り返ってみよう。
第
3
室(清心館
4
階
545
講義室)
司会 山口大学教授 鴨 川 啓 信 第1
発表(11:10より)
An Artist of the Floating World
―道化性、悲喜劇、禅から読み解く楕円的作品世界
広島大学大学院生 大 山 美 代 Kazuo IshiguroのAn Artist of the Floating World (1986)は、Ishiguroが想像で描いた戦後日本や日 本人の姿が現実味に欠けるとして多くの日本人評者から批判され、フィクションとしての正当な評 価を妨げられてきた。本発表では、作品が西洋と東洋という二つの焦点を持つ楕円的世界を形成 していると提唱し、Ishiguroのイギリスと日本という二つの国の文化に基づく感性が魅力的な物語 効果を生んでいるとして、その真価を分析する。そこに生きるOnoという一人の人間の苦悩と信 念の物語は、どちらの焦点に偏ることもない普遍的な人間的現象として描かれている。語りを武器 に人生の悲喜劇を切り抜けていくOnoの生き様と、タイトルのfloating world (浮世)という概念を 含む、作品に生きる哲学の理解のために、本発表では道化性と悲喜劇、そして禅という新たな観 点を提示する。これまでIshiguroの作品に付されてきた穏やかな感傷主義から我々の視点を引き離し、 自己否定に陥ることのない一人間のたくましい生き方を可視化させることで、フィクションの世界 に描き出された人間像への新たな理解を訴えたい。 第
2
発表(11:55より)
わたしを
問うプロセスの中で
―The Unconsoled
における「過去」と「現在」の力学 神戸市外国語大学大学院生 伊 井 亨 本発表では、「わたしを問い続ける」Kazuo Ishiguro作品の中からThe Unconsoled(1995)を取り上げ、語り手Ryderの自己規定の試みを検証していく。この作品は名前のないヨーロッパの都市を舞台に「時 間」も「空間」も歪んだ特異な世界を描いている。演奏をするためにやってきた世界的ピアニストの Ryderは、状況の詳細がつかめないまま周りに振り回され、主体性を維持することができない。「現在」 への不快感を募らせる彼は、「過去」を「現在」に投影し、「自己」を更新していく。しかし円環のモ チーフや追憶の中で顕在化してくる両親の不仲が彼の試みを挫こうとする。彼が居心地良い場所 を作り出そうとすればするほど、皮肉にも両親の不仲という「過去」が彼を苦しめることになる。物 語中Ryderは「現在」と「過去」の力がせめぎあう場でさまよいつづける。場所の感覚が希薄であると きにアイデンティティをどのように確立していけばよいのか、“Homeless Writer”と自らを位置づける Ishiguroの問題意識が全面的に表れているのがこの作品である。
司会 神戸市外国語大学教授 御 輿 哲 也 第
3
発表(13:30より)
A Room with a ViewにおけるE. M. Forsterの「同志」観
大阪大学大学院生 米 田 亮 一
E. M. Forsterの小説の中では、男女間の人間関係の理想として、しばしば「同志」(“comrade”)で
あることが求められる。たとえばHowards End (1910)の第24章でMargaretは、ハワーズ・エンド邸
とその側に生えている楡の木の同志のように支えあう関係のうちに、イギリスの男女の関係の理想
像を見出している。同様にA Room with a View (1908)の第12章において、人生の春を寿ぐ聖者の
ようなEmerson老人は、男女が同志になって初めて我々はエデンの園にはいることができるとBeebe
牧師に教え諭している。このように男女の関係、特に恋愛においてことさら同志であることが求め られる点に、同性愛者として彼にとってすでに同志である男性の方を愛したForsterだから見出せ
る彼特有の恋愛観の現れを確認できるように思われる。男女が同志であることの意義は様々あるだ
ろうが、本発表では特に、A Room with a ViewにおけるLucy、George、Cecilの三角関係を中心に、
Forsterの小説から立ち現れる「同志」としての男女の人間関係の意義について考察を試みたい。
第
4
発表(14:15より)
Joseph Conrad
の
“Heart of Darkness”
と
しゃくちょうくう釈
迢 空(折口信夫)の「死者の書」
海技大学校教授 田 中 賢 司 本論は“Heart of Darkness”と「死者の書」を比較対照し、暗黙知概念を援用した解釈を試みる。 両作品における類似性は、共に記憶が技巧的に表現され、様々な事実が多層的に作品世界の時空 に編み込まれながら絡まり合い、主要人物が貴種流離譚的に象徴化・伝説化されている点にある。 前著はアフリカ大陸奥地における歴史上の帝国主義時代、辣腕な一植民者の非業の死の恐怖が、 闇を基調にして浮き彫りにされている。彼の末期の言葉は、語り手により許嫁の名前であったとされ、 語りの最後で闇に封じられる。後著は古代、謀反の嫌疑をかけられた貴人が、処刑の直前に目に した女性に抱いた執着を幾世にもわたっていだき、後の世の女性に取り憑く模様が、闇を基調と した文体で綴られる。死者は生者を通して過去の痛ましい記憶や孤独を表出し、現世に執着する がゆえに虚しく解脱を模索する。両作品はまず雑誌で公表され、時系列さえ跳躍する圧縮が加え られて中編小説として結晶化しているが、両作品に共通する諸相について、本論ではマイケル・ポ ランニーの説く暗黙知概念を援用して解読する。
第
4
室(清心館
4
階
546
講義室)
司会 同志社大学嘱託講師 阿 部 美 春 第3
発表(13:30より)
死を乗り越える愛
―メアリー・シェリーの『パーキン・ウォーベックの運命』と前期3
作品の相違 同志社大学大学院生 岡 隼 人 メアリー・シェリーの『パーキン・ウォーベックの運命』は古今のメアリー研究者たちの間で評価 が高いとは決して言えず、ほとんど光が当てられていない作品である。しかし、メアリー研究を担 う者にとってこの作品は非常に重要な作品であるはずなのだ。なぜなら、本作には愛が無力にも敗れ去る過去3作品には決して見られなかった、死を乗り越えて次の世代へと受け継がれる愛が見出 せるからである。本発表は過去3作品との決定的相違点である愛の有効性を本題に据え、愛は他 者を救うことが可能であるというメアリーのこの段階で提示した愛の捉え方を紐解く。まず副題で ある「ロマンス」と騎士道の問題について論じ、リチャードの成長過程をpublicとprivateの視点か ら追う。次に政略結婚を強いられたエリザベスの悲劇について、本年の翌年に再出版された『フラ ンケンシュタイン』第3版の序文と比較しつつ考察する。最後に「結び」に当たるキャサリンの語り に焦点を当て、この作品の希望、つまり愛の断絶と無力さを超克した愛の継承とそれが齎す救い を見出す。 司会 同志社大学教授 玉 井 史 絵 第
4
発表(14:15より)
ある
黒人看護師の「冒険」
―Mary Seacole
の自伝を中心に 畿央大学准教授 竹 下 幸 男 クリミア戦争で活躍した看護師Mary Seacole(1805-81)の自伝Wonderful Adventures of Mrs. Seacolein Many Landsは、1857年に発表され、翌年には再版を重ねるほどの売れ行きを示した。当時のイ ギリスでは、非白人・女性の著作としては、先例が一つあるだけであった。その珍しさもあり、本 書は多くの人に読まれたが、それと同時にSeacole自身が当時のイギリス社会で有名人だったことも 人気を得た理由である。しかし、20世紀初め頃には、その存在は忘れられたものになる。本発表 では、この自伝に加えて、同時代の新聞や雑誌などの資料を踏まえて、このクレオール女性の実像 に迫ってみたい。イギリス社会の中ではマイノリティであったはずのSeacoleが、数々の「冒険」によっ て、いかにして有名人になっていくのか。また、なぜ数十年のうちに忘れられた存在になってしまっ たのか。自伝に書かれた内容を検証するとともに、本書が同時代の人々にどのように受容されたのか、 という点にも注目して論じてみたい。
第
5
室(清心館
4
階
547
講義室)
司会 甲南大学教授 秋 元 孝 文 第1
発表(11:10より)
Poeがみた「フランス」
―旧南部におけるフランス革命の表象 関西学院大学非常勤講師 岡 本 晃 幸Edgar Allan Poe研究においてフランスにおける受容史は重要な主題であった。しかし、Poeが作
品中でいかにフランスを描いたかに関しては、あまり研究されてこなかった。フランスを舞台にした 作品といえば、例えば、黒人奴隷反乱が表象されていると言われている “The System of Doctor Tarr
and Professor Fether” (1845)があるが、「人種」というアメリカ的主題と「フランス」という設定の間
にずれを指摘する批評家もいる。しかし、Poeが編集として勤めていたSouthern Literary Messenger
[SLM] にはフランス革命を主題にした文学作品などが掲載され、そこには奴隷制や階級に関わる不
安が表象されていた。本発表ではSLMの記事等旧南部におけるフランス革命の表象を考察し、Poe
第
2
発表(11:55より)
リチャード・パワーズの初期作品における「退避」と「物語」
近畿大学非常勤講師 大 内 真一郎 リチャード・パワーズ(Richard Powers)の作品のプロットには、主人公が外部の世界との葛藤を 通して、自己形成に至るという「教養小説」的傾向が認められる。主人公たちは、物語を語ること で世界における自らの居場所を理解しようとする。しかし、彼らの「物語」行為は、その否定的な 側面と分ちがたい。なぜなら彼らの「物語」行為は、常に「社会」から退避(withdrawal)し、閉鎖的 な共同体のなかに閉じこもるという形をとるためだ。パワーズは「物語」を「社会から隔絶した閉ざ された空間」として提示することが多い。語りの二重構造などは、「物語」に対する強い自意識を 示したものである。本発表では、「社会」からの退避を条件として、「物語」と主体が成立するとき、 そこで遠ざけられた「社会」はパワーズの作品のなかでどのような意味を持つのか、という問題を考 えるために、パワーズの「物語」論を初期作品を中心にして掘り下げてみたい。 司会 同志社大学教授 石 塚 則 子 第3
発表(13:30より) 【招待発表】 家庭の呪縛 ―禁酒小説における「離婚」の不在 大阪大学教授 森 岡 裕 一 禁酒小説のプロットにはいくつかのパタンがあるが、そのいずれにおいても、とりわけ「暗い禁酒 小説」と呼ばれる陰惨な作品においてですら、妻が家庭を出ることはない。すでに経済的に破綻し たDV家庭にあって、どうして妻たちは家庭放棄、あるいは離婚という手段を選ばないのか。現代 人の目にはごく自然に思える疑問を、本質的に「家庭小説」でもある禁酒小説に素朴にぶつけてみる。 これが本発表の主題である。発表の手順としては、禁酒小説におけるその問題の扱われ方の実態を 一瞥し、19世紀のアメリカ離婚事情、離婚をめぐるさまざまな言説、および「離婚小説」とも言う べき新たなジャンルの小説の勃興と禁酒小説との関係を探りながら、禁酒小説における家庭のもつ 意味合いを考えてみたい。
第
6
室(清心館地階
501
講義室)
司会 大阪教育大学教授 家 木 康 宏 第1
発表(11:10より)
Agatha Christie
作品の「ひねり」の構造
神戸大学大学院生 中 村 秩祥子 Agatha Christieの作品は、同じ語句または文が最初に読むときと、犯人がわかって再解釈すると きとで、解釈変化を起こすことが可能となる表現を多用している。 このように、最初と再度読むときとで、文脈前提が変化することで解釈が変化する点を利用した技法を内田(2011:231)は「ひねり」と称している。内田(2011)は、Sperber & Wilson(1995)の関連 性理論に基づき、これは、当該の言語表現で最初の読みのときは弱い推意と成していたものが、再 度読むときには強い推意となる現象としている。しかし、表意(言語表現に語用論的推論を加えた 解釈)においてもこの現象はみられる。
本発表では、Agatha Christieの作品がこれらの文単位の「ひねり」の技法を含みながら、最初の導 入部分が、実は事件解決の手掛かりを与えていたという構成になっている点を示して、構成におけ る「ひねり」現象を示す。 第
2
発表(11:55より)
転移修飾は特殊な表現か
―日英コーパス分析にもとづく見解 京都工芸繊維大学非常勤講師 神 澤 克 徳 本研究では、転移修飾(transferred epithet)と呼ばれる現象について言語学的分析を行う。Hall (1973)では、転移修飾が深層構造から派生していることが示唆されており、転移修飾の特殊性が 強調されている。このように、多くの研究者のあいだで、転移修飾は形容詞修飾の特殊例だという 暗黙の了解が得られているが、実はその根拠についてはほとんど議論されていない。したがって本 研究では、コーパスを用い、転移修飾を特殊例とすることに問題がないかどうか検証する。具体的 には、形容詞と名詞の結びつきの強さ(共起強度)を調べることによって、その表現がプロトタイプ なのか特殊例なのかを判定する。転移修飾を特殊例とする先行研究での主張が正しければ、転移 修飾は共起強度が弱い表現ということになる。調査の結果、いくつかの形容詞においては、転移修 飾の定義にあてはまるような表現の共起強度が、そうではない表現の共起強度よりも強くなること が明らかとなった。つまり、これらの形容詞では、先行研究で言われているような転移修飾が必ず しも特殊例ではない場合が存在するということである。第
7
室(清心館地階
502
講義室)
司会 関西学院大学教授 楠 本 紀代美 第1
発表(11:10より)
「着く」
「到着する」と訳されない動詞
arrive
神戸学院大学准教授 出 水 孝 典 この発表では、動詞arriveに関して、(i)どのような場合に定訳である「着く」「到着する」以外の 訳が用いられるのか、(ii)なぜ「着く」「到着する」以外の訳が用いられるのか、の2点を論点とする。 そこから、9冊の小説からの動詞arriveの実例315例とその和訳を用いて、以下の2つの結論へと導 くことが発表の目的である。(i)動詞arriveが「着く」と訳されるのは、基本的に視点が着点以外に ある場合で、それ以外の場合、視点が着点にある「来る」「やってくる」「現れる」「姿を現す」を用い て訳すことが多いが、視点に中立な「到着する」を用いることもある。(ii)動詞arriveに対してなぜ「着 く」「到着する」以外の訳が用いられるのかというと、視点が着点にある場合、「着く」の視点が着点 以外にあるという意味と衝突するため「着く」を用いることができず、「到着する」はやや堅いので文 脈上合わない場合があるからである。 第2
発表(11:55より)
空項の語用論的認可条件
立命館大学教授 藏 藤 健 雄 本発表では、空項(null arguments)を意味論語用論的観点から議論する。まず、空項は語用論 的に文脈で卓立している個体の集合を指し、選択関数により解釈されるという分析を提案する。これにより、空項が(1)のようないわゆる中間作用域の解釈を持つことを説明する。次に、先行詞 が存在しない場合(2)と先行詞が選言的な場合(3)をとりあげ、語用論的な分析の妥当性を示す。 特に後者では、単一要素集合に関する制約を提案する。 (1)たいていの女性客は、[デザートが美味しければ]喜ぶ。 たいていの男性客は、[øまあまあなら]満足する。 (most > a dessert > if) (2)たいていの男性は自分の妻を信頼しているが、大多数の妻はそれほどø信頼していない。(ø=「自 分の夫」) (3)最初に女が[AさんかBさんを]殺害した。 次に夫が{[? AさんかBさんを]/*ø}殺害した。 司会 奈良教育大学准教授 米 倉 よう子 第
3
発表(13:30より)
preceding / following
の
非対称性
―文法化の観点から 京都大学大学院生 林 智 昭 本発表では、preceding/followingの通時的発達に関して、動詞語幹の機能的特質が喪失され、前 置詞としての振る舞いを示すようになるという、「文法化(grammaticalization)」における脱範疇化 の観点から考察を行う。前者は、分詞的用法から、主節・従属節の主語一致が見られない「懸垂 (dangling)分詞」的段階を経て前置詞的用法へ発達したとされ(Olofsson 1990)、辞書の記述にお いても存在が指摘されている(cf. 石橋・他(編)1961)。本発表は主にprecedingを分析対象とし、 OEDから収集したprecedingの用例584例の品詞的振る舞いを分類することにより、通時的発達を 分析する。following とは異なり precedingには懸垂分詞的用法、前置詞的用法がみられないことなど、 両者の用法には非対称性がみられると主張する。 第4
発表(14:15より) 【招待発表】
Algate
(
s
)と
alway
(
s
)
―中英語テキストを中心に 京都大学教授 家 入 葉 子 英語の副詞alwaysは、その史的発達の中で、一般に属格語尾であると考えられている-sを付加 して現在の形になった(cf. OED, s.v. always)。中英語では、まだ-sが付かないalwayの方が一般的で あり、1500年以降に少しずつalwaysが増加傾向を示す。Iyeiri (2014)では初期近代英語の文献を 中心に調査を行い、alwaysの使用が初期近代英語期全般を通じて徐々に定着していく様子を明ら かにした。本発表では、alwaysについての研究が少ない中英語期に焦点をあて、alwayからalways への推移を観察する。また、同様の意味を有し、同様に-sの有無により二つの形態をもつalgate(s) についても議論する。Algate、algates、alway、alwaysが整理されて本格的にalwaysへの収束が始まるのはやはり初期近代英語期の現象のようで、中英語期では、作品ごとに異なる傾向を示しながら、
4つの形態がゆるい関係を保っていることを明らかにしたい。扱うテキストはHelsinki Corpusおよび、
シンポジウム
要旨
英米文学部門(清心館
4
階
549
講義室)
「第一次世界大戦開戦100周年」
司会・講師 関西学院大学教授 新 関 芳 生 講師 京都府立大学准教授 出 口 菜 摘 講師 大阪大学准教授 霜 鳥 慶 邦 講師 京都ノートルダム女子大学准教授 山 本 裕 子 大会準備委員会から提示されたテーマは「第一次世界大戦開戦100周年」である。本シンポジウ ムが行われる12月下旬までに、国内外の幾多もの学会で同様のテーマが取り上げられ、関連書籍 の発刊も多数に上ることが予想される中で、おそらく時期的に最も後発となるこのシンポジウム は、何を問うべきなのだろうか? 課されたテーマは相当に重いものだ。文学研究の視点から“The Great War”を包括的にとらえようとする試みは、本シンポジウムの手に余るものであるがゆえに、今 回は、この多面体である歴史現象に対して、各講師はミニマルな視座からの小さな裂け目をつくる という姿勢をとらざるをえないだろう。しかし、同時代の文学者たちの受容のみならず、21世紀の 現代におけるこの戦争の扱われ方をも対象とする、各講師の発表によって作られる小さな亀裂が、 結果として新鮮な認識や解釈を垣間見せる空隙をつくることになれば、本シンポジウムは大きな成 果を上げることに違いないと確信している。“Future”
と
“Modern”
の
接ぎ木
―Mina Loy
と第一次世界大戦 関西学院大学教授 新 関 芳 生 Gertrude Stein、Ezra Pound、T. S. Eliot、William Carlos Williamsらに詩作を賞賛されながら、そ の寡作ぶりと難解さのゆえか、今では往時の評価のきらめきを失ってしまっている女性詩人MinaLoy (1882-1966)。彼女の詩的言語の評価に“logopoeia”という造語を用いたPoundは、Loyをアメ
リカでしか生まれ得ない詩人だと評しており、事実、現在でも彼女の文学史的な位置づけは、ア メリカン・モダニズムの先駆者というものであろう。しかしユダヤ系イギリス人として生を受けた彼 女の文学活動は、イタリアの未来派への接近を原点としており、その批判的継承と個人的葛藤が 揺籃期のモダニズムの土壌に接ぎ木された結果、彼女の詩の特異性が生み出されたのだ。アメリカ 生まれのexpatriateとはちょうど正反対となるこのような彼女の国籍離脱の方向性を補助線とすれ ば、第一次世界大戦下から戦後にかけてのtransatlanticな文学状況が浮かび上がることになるだろう。 彼女の伝記的事実と詩作を素描することで、このシンポジウムのささやかな導入としたい。
第一次世界大戦がもたらす言葉
―シェイクスピア没後300
年とT. S.
エリオットの「コリオレイナス」 京都府立大学准教授 出 口 菜 摘 第一次世界大戦開戦から2年後の1916年は、シェイクスピアの没後300年にあたる。イギリスでは、 この偉大な国民的劇作家を召還するかのように、多くの記念本が出版された。もともと、「生誕/没後○○年」や「周年記念」といった式典や行事は、過去のある出来事や人物を思い出したいとい う、個人もしくは共同体の想いに基づいている。では戦時下、シェイクスピア作品は、どのような 想いのもとに読まれたのだろうか。また同時に考えたいことは、T. S. エリオットなど、当時の詩人 たちがシェイクスピアをいかに自分の作品に取り込んだかということである。先に述べたような状況 を経て、シェイクスピア作品には少なからず大戦の影が落ちている。つまり、シェイクスピア作品 が引用されたり、詩の枠組みに用いられたりする時、大戦によって加えられたイメージや解釈も取 り込まれている可能性があるということである。本発表では、シェイクスピア没後300年に関する 記念本と、“Coriolan”というタイトルがつけられたエリオットの未完の詩、“Triumphal March” (1931)
と“Difficulties of a Statesman”(1932)を取りあげ、第一次世界大戦がどのような言語空間をもたらし たかについて考える。
記憶の継承、歴史の教育、詩の功罪
―大戦100
周年と戦争詩人 大阪大学准教授 霜 鳥 慶 邦 第一次世界大戦100周年を迎えた今、イギリスではアカデミズムの内外で様々な動きを見せてい る。帝国戦争博物館の大規模なリニューアル、政府による大戦記念企画、それに対する批判運動、David Cameron首相とMichael Gove前教育相の発言をめぐる論争、大戦の正当性をめぐる修正主
義的論争、学校教育のあり方をめぐる議論など。このような現象における重要な争点のひとつが、
Wilfred OwenやSiegfried Sassoonをはじめとする一部の「反戦的」戦争詩人に代表される文学作品に
よって作り上げられた「神話的」「歪曲的」戦争記憶をめぐる問題である。本発表は、大戦の記憶を めぐるこの現在進行中の論争の検討を主な目的とする。この作業を通して、第一次世界大戦の戦 争詩の時代を超越した浸透と普遍化の過程、それが21世紀の戦争認識に与える影響力といった点 について考察すると同時に、第一次世界大戦と戦争詩をめぐる議論が、決して回顧的な性質のも のではなく、いかに今のイギリスの国内・国際政治状況と密接に関わる今日的アクチュアリティに 満ちた問題であるかを示したい。
戦争と記憶のアメリカン・シアター
―フォークナーと兵士の帰還 京都ノートルダム女子大学准教授 山 本 裕 子 第一次世界大戦は、アメリカの集合的記憶において、いまだに確固たる地位を占めてはいな い。それは、ワシントンD.Cのナショナル・モールにおける第一次世界大戦記念碑の不在に最も 顕著に表れているだろう。しかし、この事実は、戦後のアメリカにおいても戦争の記憶化/追悼 (memorialization)が不在であったことを意味するわけではない。むしろ、戦場とならなかったアメリ カ国内では、戦後あらたに記憶の戦争が勃発した。1920年代から1930年代にかけては、戦没者の 追悼のあり方についての議論が日夜メディアを賑わせ、同時に多くの「戦争文学」が出版されたの である。その一つであるウィリアム・フォークナーの『兵士の報酬』(1926)を、初めての近代総力戦 がもたらした「近代的な死」に対する文化表象の一つの表出として考えてみたい。負傷兵の帰還を めぐるフォークナーの群像劇は、競合する戦争観と記憶の戦域/劇場(theater)となったアメリカ国 内の様相を上演しているのである。英語学部門(清心館地階
501
講義室)
「認知言語学は英語教育に何を提案できるか」
司会・講師 甲南女子大学教授 梅 原 大 輔 講師 京都教育大学准教授 児 玉 一 宏 講師 兵庫教育大学准教授 菅 井 三 実 講師 京都外国語大学講師 野 澤 元 1980年代から90年代にかけて相次いで登場した重要な研究の結果、認知言語学は言語理論の 一領域として大きく発展した。言語理論に新しいパラダイムが出現すればそれを追う形で新しい外 国語教育理論が展開していくのが常である。認知言語学についても、Skehan (1998)のように理論 的に親和性のある教授法が提案されてきた他、近年ではHolme (2009)による「認知言語的シラバス」 の提案や、Tyler (2012)などによる実験をもとにした応用的研究の例もある。しかし現在までのと ころ、英語教育の世界でこの流れが浸透しているとは言い難い。 本シンポジウムでは、認知言語学のもたらした言語観をあらためて振り返りながら、日本の英語 教育の場でこのパラダイムによる知見をどのように生かすことができるのかを議論する。認知言語学 の成果に基づいた上級者向けの解説にとどまらず、初・中級段階の学習者にも役立てることのでき る実践的な視点を意識したい。構文理論と英語教育の接点
京都教育大学准教授 児 玉 一 宏 近年、理論言語学に基づく言語研究はめざましい発展を遂げ、言語現象に対する徹底した原理 的説明が先鋭的な形で続々と登場している。言語研究によって得られた知見を英語教育に活用す る意義については疑う余地のないところであるが、簡潔で一般性の高い説明を追求する言語理論を 英語教育にダイレクトに活用するのは必ずしも得策ではない。現場の英語教師が専門的な言語理論 を熟知し、学習者にとって有益な情報のみをうまく抽出し提示する能力が求められることを勘案す ると、むしろ学習効果の点で期待値の高い知見を活用し、「隠し味」を効かせた指導をいかに展開 するかを検討すべきであろう。 このような視点に立ち、本発表では、教員養成系大学での取り組みを踏まえ、中等英語科教育 の現場での構文指導に対して貢献できると思われる言語理論の活用の仕方について考察する。英 語の構文交替現象を取り上げ、学習者の文法意識の高揚につながるような指導のあり方を探るこ とにしたい。言語理論と教育実践との相互作用的アプローチ
兵庫教育大学准教授 菅 井 三 実 本発表では、言語研究の知見を英語学習に還元する演繹的なアプローチとは逆に、学習者に提 示する具体的な事例にどのような理論的概念が関与するかという方向から個別の指導事例を提示し、 その汎用性を検討するとともに、言語理論と実践授業の相互協力の方向性を探りたい。 背景として、勤務校の大学院に現職のまま大学院生として入学する小中高の教員と関わる中で、 現場の教員が言語理論を理解し児童生徒への授業に応用するという展開は事実上期待できない状況にある。学校現場の教員にとっては、言語教育と英語教育との相互理解を図るのに、授業での 具体的な応用例を挙げながら、その背景にある理論的基盤を提示するという手当てが必要である。 具体的な事例研究としては、基本語彙の多義性を取り上げ、英語教育の現状にも触れつつ、比 喩的拡張、プロトタイプ効果、ボトムアップ式学習法などの認知言語学の知見によって、どのよう な指導が可能かを検討する。