宗 心 九
員宗連合學會研究紀要
一ー第二十二輯ー一
嘩 和 52年 12日
虞 索 迪 合 亭 會
真 宗 研 究
真 宗 連 合 学 会
第
二
十
二
輯
八 第
部
真
会
V 宗
研 究
第二十二輯
信 因 称 報 説 の 成 立 を め ぐ っ て ⁝
⁝ ⁝
⁝ ⁝
⁝ ⁝
⁝ ⁝
⁝ ⁝
⁝ ⁝ 梯
親鸞の鬼神不礼について:………•山
ーー人間における虚妄性の否定
I
世 親 の 浄 土 観 試 論
⁝ ⁝
⁝ ⁝
⁝ ⁝
⁝ ⁝
⁝ ⁝
⁝ ⁝
⁝ ⁝
⁝ ⁝
⁝ ⁝
橋
ー﹃教行信証﹄﹁証巻﹂所出の維摩経説について
行巻における諸仏についての一考察⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝小 H 次
妻 道
本 芳
崎龍
親 鸞 聖 人 の 如 来 観
⁝ ⁝
⁝ ⁝
⁝ ⁝
⁝ ⁝
⁝ ⁝
⁝ ⁝
⁝ ⁝
⁝ ⁝
⁝ ⁝ 稲 垣 不 二 麿 (
‑ ︱
‑ ︶
ー ー 一 試 論 ー ー
明 ( ︱ ︱
︱ ‑ ︶
契 ( ‑
︱ ︱ ︱
︱ ‑ ︶
生︵竺︶
実 円
︵
一
︶
学 会 彙 報
親 鸞 の 入 滅 は 一 ︱ 一 六 三 年
⁝ ⁝
⁝ ⁝
⁝ ⁝
⁝ ⁝
⁝ ⁝
⁝ ⁝
⁝ ⁝
⁝ 霊
ー西暦表記における錯誤について
l
恵 信 尼 文
書 ﹁
大 事
? ﹂ 和 讃
の 構 成 上 の 諸 問 題
⁝ ⁝
⁝ ⁝
⁝ ⁝
⁝ ⁝
⁝ ⁝
⁝ ⁝
⁝ ⁝
⁝ ⁝ 長 阿 弥
陀 経 の 諸
衆 鳥
に つ い て
⁝ ⁝
⁝ ⁝
⁝ ⁝
⁝ ⁝
⁝ ⁝
⁝ ⁝
⁝ ⁝ 西 法
然 と 親 鸞
八 第
•••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••
i
舟西方指南抄をめぐって………•••平
ー 宝 物 展 観 の 問 題 点
I
八 学 術 講 旗
>
部 会
>
松
令
J I I
行
尾 京
田 智
「大風?」について…•…………••高下恵
︱ ‑
︵ 一
豆 ︶
証(
=︱
‑ ︶
龍︵含︶雄 ︵
三 ︱ ︱ ‑ ︶
信︵
二四
︶
. . . .
. . . .
. . . .
. . . .
. . . .
. . . .
. . . .
. . . .
. . . .
. . . .
. . . .
. . . .
. . . .
. . . .
. . . .
. . . .
. . . .
. . . .
. . . .
. . . .
.
︱
‑ F
︳ ー
︶
山 勝 海
︵ 空
︶
信心正囚︑称名報恩という対目をもって本願の信行の分済を定め︑真宗教義の綱格とされたのは覚如上人であり︑
それを普及されたのは蓮如上人であった︒覚如上人の﹁口伝紗﹂
﹁しかれども下至一念は本願をたもつ往生決定の時刻なり︒上尺一形は往生即得のうへの仏恩報謝のつとめなり︒
そのこAろ経釈顕然なるを︑
違せるもの敷︒さればいくたびも先達よりうけたまはりつたへしがごとくに︑他力の信をば一念に即得往生ととり
さだめて︑そのときいのちをはらざらん機は︑
へり
︒
信因称報説の成立をめぐっ
一念も多念もともに往生のための正因たるやうにこAろえみだす条︑すこぶる経釈に
いのちあらむほどは念仏すべし︒これすなわち上尽一形の釈にかな
しかるに世の人つねにおもへらく︑上尺一形の多念も宗の本意とおもひて︑それにかなはざらん機のすてが
てらの一念とこ4ろうる欺︒これすでに弥陀の本願に違し︑釈尊の言説にそむけり︒そのゆへは如来の大悲短命の
根機を本としたまへり︒⁝⁝されば真宗の肝要一念往生をもて淵源とす︒﹂
信因
称報
説の
成立
をめ
ぐっ
て
て
(真聖一―一•33)には次のようにいわれている。 じつ
実
︵ 本 願 寺 派 ︶
梯 i
し円 ;
このような信因称報説は
信因
称報
説の
成立
をめ
ぐっ
て
うに要約できよう︒
﹁本
願紗
﹂
﹁改
邪紗
﹂等
︑
﹁正信偽﹂の﹁憶念弥陀仏本願︑自然即時入必
上人の著作の随所に見られるが︑その論旨は次のよ まず本願の信心と称名は︑三心乃至十念とあるように時閻的に前後次第し︑正因決定の時をいえば︑名号を聞き︑
摂取不捨のことわりを信受する一念である︒その時一声の称名もまたずに往因満足し︑摂取不捨の利益にあづかり正 定緊に入らしめられる︒この聞信一念業成を︑臨終業成に簡んで平生業成と名づけられた︒
乃至十念の称名は他力催促の大行であるが︑すでに往因決定後のいとなみであるから︑自身往生の業因に擬すべき ものではなく︑摂取不拾の仏恩を報謝する報恩行である︒
かくて信心が正囚であることは︑称名が非因の報恩行であ ることを顕はし︑称名が報恩行であることは︑正因は信心の一法であることを反顕している︒即ち侶因と称報は互顕 するが︑その主とするところは信一念の平生業成という信囚をあらわす為の法門であるといえよう︒
覚如上人はこの説を確立することによって宗祖の信心による現生正定緊説を徹底し︑対内的には親鸞門流の安心の 統一をはかり︑対外的には浄土宗鎮西派など多念義系の臨終業成説を破って︑真宗を浄土教の正嫡として位置づけよ
うとされたのであろう︒
﹁信巻﹂末の本願成就文の釈に準拠し︑
定︑唯能常称如来号︑応報大悲弘誓恩﹂を証文とし︑先逹の口伝によって立てた説であると覚如上人は強調されてい る︒しかしそれと同時に次のような人間観に裏づけられていることを忘れてはならない︒即ち重い宿業をかかえた罪 体の凡夫にとって死の縁は無量であり︑臨終のありさまはわが力の及ぶところではなく︑死ねるようにしか死ねない ものである︒また無常迅速は︑臨終正念に住するひまも与えず︑
命の現実を無視して︑念仏し修善すれば思いのままに正念の臨終をむかえ︑仏の来迎も感得で彦るように考えている
このような信因称報説は﹁最要紗﹂
一瞬に死をもたらすこともある︒こうした凡夫の生
称名とは破満の徳をもつ最勝真妙の正業であり︑ 涅槃の真因であるとされるが﹁乃至十念﹂は﹁行巻﹂に明して正定業とされている︒ 宗祖のに一念
のは︑自づからをたのむ自力によって虚構された甘い人間観でしかない︒そんな廿い信仰はきびしい宿業の現実の前 臨終正念を期することさえで含ない罪業深重の凡夫を正機とするが故に︑如来は摂取不捨の光益をもって平生に摂
一声の称名さえ称えるいとまのない至極短命の機を本とするが故に名号を聞信する一念に救いが成就するよう に誓願されているのである︒下機を救うところに弥陀の大悲の至極をみるのが浄土教の伝統ならば︑その真実義は信
① 一念の平生業成にあるというのである︒
﹁口伝紗﹂に﹁一念も多念もともに往生のための正因たるやうにこ
Aろえみだす条︑すこぶる経釈に違せるもの敗︑
⁝⁝されば真宗の肝要一念往生をもて淵源とす﹂
信因
称報
説の
成立
をめ
ぐっ
て
取し
︑
では
くつ
れ去
るし
かな
い︒
といわれたものを︑
﹁一
念多
念文
意﹂
︵真
聖ニ
・
619)
往生も多念往生もいずれもがひがごとではないとして﹁浄土真宗のならひには︑念仏往生とまふすなり︑
またく一念
往生︑多念往生とまふすことなし﹂といわれたものと対照すると︑前者は明らかに一念義的な発想といえよう︒
信心正因を強調される宗祖に一念義的傾向はあったにしても︑本願の信行を﹁若不生者﹂の証果に向う生因法とみ︑
R
信心が正因であるように︑念仏を﹁安養浄土の往生の正因﹂と云われる宗祖は少くとも一念義ではなかった︒
﹁教行信証﹂でいえば︑本願の一二心は﹁信巻﹂で明して三心即一の信心とし︑
それは大菩提心︑金剛心であるから
﹁行巻﹂の大行を法体名号と
するか︑称名とみるかに異説はあっても︑そこに乃至十念の義意が釈顕してあるとみることに異論はない︒そこでは
一声に無上功徳を具して万機を念仏成仏させる一乗無上の行法で︑
ところで信心とは︑過去の追憶でも︑未来の予想でもなく︑
つねに現前の仏勅に信順する心であるとすれば︑信の
﹁信心ありとも︑名号をとなへざらんは詮なく候︒また一向名号をとなふとも信心あ
信因
称報
説の
成立
をめ
ぐっ
て
﹁化巻﹂に簡非される自力諸善に超異した真の成仏道であるといわれている︒
かかる行法を選択回向して一切群生海を救わんと思しめす如来の願心に感応し︑行法をわが道と信受することを信 心というのである︒それゆえ称名を所信所就の行法とすれば︑信は能信能就の機受であるから︑行信とは能所︑機法
③ の一体関係をあらわしている︒
行法は信受されてはじめて私の救われる成仏道となるのだから︑私の救われる時をいえば信の一念であるにちがい ない︒また同じ念仏であっても摂取不捨の本願を疑うものには︑僑慢と不安が交錯して真の救いはない︒ただ信じて 称うるところに破満の現成があるのだから︑行の如実不如実︑救いの成不成は信と疑で決判さるべぎである︒だから
④ 信心を機受の極要とするのである︒
﹁末
灯紗
﹂
︵真
聖ニ
・
673)に
さくば往生しがたくさふらふ︒されば念仏往生とふかく信じて︑
往生にてあるべくさふらふなり﹂といわれている︒信心とは︑
て選択回向したもうた本願を信受し名号を領受したことであるから︑それは念仏もうさんと思いたつ心でもあり︑煩 悩する人生の現実に念仏という涅槃道の実践となって具現しなければならない︒即ち称名とならない信心は空虚な抽 象的観念にすぎず︑
一念
は︑
しかも名号をとなへんずるは︑うたがひなき報土の
いずれの行も及びがたぎ身に至極の易行を成仏道とし
また信心のない称名は如来を見失った不安の叫びでしかありえないのである︒
いつでもただ今の一念でなければならない︒その信をあらしめる現前の仏勅とは︑ただ今きこえてくる本願 の名号でなければならない︒それは位をいえば第十七願の諸仏讃嘆の名号であるが︑現実には私が今称えて聞く念仏 の声である︒宗祖が所称の名号を釈して本願招喚の勅命なりと領解されたように︑本願の名号を称えることは︑名号
四
う〇 しく信知せしめられると同時に︑ に於て大悲の本願を聞くことであった︒愛憎に翻弄されながらも念仏するとき︑愛憎に狂うている自身の虚妄をきび
不実の身を限りなく大悲し痛みたまう如来に値遇するのである︒
こうして信因称報説が︑正因決定の時を受法の初際の信一念とし︑その後の称名は非因の報恩行とみる直線的な信
行観に立って正因決定の時を裁断するのに対して︑
五
を行をはなさない動的な主体的な永遠の今とし︑生きてあるどの今も称名となって招喚したまう如来に値遇し︑自力 虚仮を否定されつつ︑本願海に帰入する時とみ︑信じて称え︑称えて聞倍するという円環的な信行観であった︒
巻﹂に念仏即南無阿弥陀仏即正念と︑称名︑名号︑信心の融即が語られるのも︑一一一法の円環的なあり方を示されてい
たとみるべきであろう︒
かくて煩悩し︑如来に背ぎつづける現実に︑念仏となって限りなく現成する如来に喚びさまされながら涅槃道を歩 んでいくことが︑行に奉え︑信を崇める往相であるならば︑称名を非因の報恩行に限定してしまうことはできないと かくいえばとて宗祖が称名に報恩の意義を認められなかったというのではない︒すでに﹁正信偽﹂には﹁憶念弥陀
仏本願︑自然即時入必定︑唯能常称如来号︑応報大悲弘誓恩﹂といわれている︒
しかし称名して仏恩に報いよという
ことと︑称名が報恩行だということとは同じではない︒それは念仏を選択回向したまう本願を信楽する即時に必定に 入らしめられるから︑常に称名してかかる行道を与えたまうた大悲の仏恩に報いよといわれたものとみるべきであろ
信因
称報
説の
成立
をめ
ぐっ
て
いわねばならぬ︒
宗祖の行信説は︑
﹁ 行
正因決定の時剋を信一念としながらも︑それ
信因称報説の成立をめぐって
その報恩について宗祖は﹁和讃﹂に﹁他力の信をえんひとは︑仏恩報ぜんためにとて︑如来二種の回向を︑十方に
ひとしくひろむべし﹂といわれているように︑単に自己の救われたことを惑謝するということに止まらず︑自己の救
われた本願念仏の教法を︑十方の有縁に伝え︑もろともに念仏の大道を歩むことが真の報恩であると見られていた︒
それは善導大師の﹁自信教人信︑難中転更難︑大悲弘︵伝︶普化︑真成報仏恩﹂の教語にしたがって念仏をもって自
信教人信することのほかに仏祖への報恩はないというのが宗祖の生涯を貫ぬく姿勢だったことは︑すでに﹁恵信尼文
尽十方無碍光如来の御名を称え︑仏徳をたたえるとき︑
れる︒だからたとえ追害者であっても︑我と同じく大悲されている仏子であることに気づけば︑彼等の﹁この世︑
ちの世までのことをいのりあわせ︑⁝⁝たゞひがふたる世の人々をいのり︑弥陀の御ちかひにいれ﹂と思念し行動す
ように仏を念ずることが仏子を念ずることになり︑ われも人も怨親平等に大悲されていることを信知せしめら
そこに自行化他という仏化助成の実践がなされることを報恩とい
このような観点から念仏の対人的︑対社会的意味での報恩性をあらわされているのが︑﹁御消息集﹂第一一通︵真聖ニ
• 696)︑第八通
(7 10 )︑第三通
(6
98
)である︒前二通は性信房宛であり︑第一二通は教忍房宛になっている︒
性信房宛の御消息は︑
の
いずれも建長八年ごろ︑性信房が鎌倉での念仏訴訟事件を無事におさめた報告に対する返信
である︒事件のくわしい内容はわからないが︑念仏者が反社会的︑反倫理的行動をとるという祁告に対して性信房は︑
念仏は朝家の御ため︑国民のために︑世の中安隠なれ︑仏法ひろまれとの念願をこめて中すのだから︑決して反社会
的でも反倫理的でもないと申しひらきをしたようである︒宗祖はそれを全面的に支持し︑すべての念仏者の心得るべ うとするのは︑大乗菩薩道の報恩に通ずるものであった︒ ることが﹁仏の御恩を報じまひらせたまふになりさふらふべし﹂
︵御
消息
集・
宜聖
ニ・
71 0)
といわれるのである︒
書 ﹂
︵真
聖五
・
101)も伝えている通りである︒
'
ノ
この
思うてはげむべきであるとして 視する傾向があると非難しているのである︒また 親の消息によっても知られる︒基親は︑ を︑ひがごと4はさふらふべからず﹂ 意することばが教忍房宛の御消息に見うけられる︒ ﹁御身にかぎらず念仏まふさんひと人\は︑
﹁西方指南紗﹂下本︵真聖四・
2 1 1 )
所収の兵部卿基
わが御身の料はおぼしめさずとも朝家の御ため国民のために念仏をま ふしあはせたまひさふらはばめでたふさふらふべし︒往生を不定におぼしめさんひとは︑
七
一声
に
まづわが身の往生をおぼ
しめして御念仏さふらふべし︒わが身の往生一定とおぽしめさんひとは︑仏の御恩をおぽしめさんに︑御報恩のた
めに御念仏こ4
ろにいれてまふして︑世のなか安隠なれ︑仏法ひろまれとおぼしめすべしとぞおぼえさふらふ﹂
自身の往生を一定してのうえの念仏は︑教人侶の意義をもつところから拡大して社会性をもった報恩のいとなみと ところで往生一定のうえの称名を報恩として意味づけることは︑元来一念義系の思想なので︑誤解のないように注
﹁なほ/\一念のほかにあまるところの御念仏を法界衆生に回向すとさふらふは︑釈迦・弥陀如来の御恩を報じま
いらせんとて︑十方衆生に回向せられさふらふらんは︑
信因
称報
説の
成立
をめ
ぐっ
て
みなされているのである︒ きこととして一般化されているのである︒即ち曰く
さるべくさふらへども︑二念・三念まふして往生せんひと 称名報恩説はもと一念義の人たちが主張していたらしいことは
一念義のものは一念の称名で業成するから多念は報恩に過ぎないといって軽
﹁西方指南紗﹂中末︵真聖四・163)に収められて法然聖人の法語と
されている﹁決定往生の三機﹂のなかにも︑行の一念に往生が決定すと信じたのちの称名は︑仏恩報謝のいとなみと
﹁一声に決定しぬと︑こ4
ろのそこより真実に︑うら/\と一念も疑心なくして︑決定心をえてのうへに︑
二•676)に収録されているがそこに 信因称報説の成立をめぐって
不足なしとおもへども︑仏恩を報ぜむとおもひて︑精進に念仏のせらるA
なり
﹂
いきのかよはんほどは往 といわれている︒それは信一念業成︑称名報恩説ほどすっきりしたものではないが︑同じ系列の思想であることは明
「最須敬重絵詞」(真聖三•846)によれば、覚如上人は幸西系の一念義を勝縁上人から伝授されており、
などでも多念義批判はあっても一念義を非難することはなかった︒むしろ﹁真宗の肝要︑
といって︑宗祖よりももっと一念義寄りの境位におられたといえよう︒それゆえ信因称報説をずばり云い切られたの
であ
ろう
︒
しかし信因称報説そのものは幸西大徳を承けたとは考えられず︑
とみるべきである︒
﹁口
伝紗
﹂︵
真聖
三・
2 6 )
下の﹁信のうへの称名のこと﹂という一章に︑高田の覚信房︵
□
‑五八寂︶の臨終の故事を引いて信囚称報が宗祖や直弟たちの信条だったことを証明されている︒
﹁よろこびすでにちかづけり︑存ぜんこと一瞬にせまる︒刹那のあひだたりといふとも︑
生の大益をえたる仏恩を報謝せずんはあるべからずと存ずるについて︑
ものなり﹂ らかである︒
四
︵真
聖
﹁口
伝紗
﹂
一念往生をもて淵源とす﹂
やはり宗祖の思想を先逹より伝承された
かくのごとく報謝のために称名つかまつる
⑥ 覚信房のこの言葉を直接傍証する文献はないが︑恐らく門弟たちの語りぐさになっていたらしく︑﹁歎異紗﹂第十
四条
︵真
聖二
・
786)の終りにもそれと推定される文章がみられる︒この覚信房の子の慶信房の上書が﹁末灯紗﹂
八
といって信因称報説がのべられている︒
なこと/¥<如来大悲の恩を報じ徳を謝すとおもふべぎなり﹂ ﹁一向に金剛の倍心ばかりにて︑仏恩のふかさ師主の恩徳のうれしさ︑報謝のためにたゞ御名をとなふるばかりに
と信因称報とみられる領解の是非を問い︑宗祖はそれを認可されているから︑覚信房親子は同じ信条をもっていたこ ところで覚如上人が信因称報を宗祖教学の真髄であると云い切られたのは﹁いくたびも先逹よりうけたまわりった
えし﹂教義だったからである︒その先達とは如信上人にちがいなかろうがそれをたしかめるすべはない︒それにひき かえ覚如上人が十九オのとき法門上の疑義を問いただしたと
の「歎異紗」第十四条(真聖二•785)、第十六条(同•787)には、
る︒第十四条は︑念仏して滅罪しようとする異義を宗祖の信一念入正定緊説によって批判し
﹁弥陀の光明にてらされまひらするゆへに︑
さず
ば︑
﹁慕
帰絵
詞﹂
九
一生のあひだまふすところの念仏は︑
たしかに﹁口伝紗﹂と共通する信因称報説が見られ 一念発起するとぎ金剛の信心をたまはりぬれば︑すでに定緊のくらゐ
におさめしめたまひて︑命終すればもろ/\の煩悩悪障を転じて無生忍をさとらしめたまふなり︒この悲願ましま
いかでか生死を解脱すべきとおもひて︑か4るあさましぎ罪人︑
この第十四条で滅罪念仏の異義を︑また第十六条で回心滅罪の異義を論破するにあたって︑唯円房は臨終というぎ り/\の状況を設定する︒そしてもしこと/\に回心し念仏して罪を滅しなければ往生できないのならば︑すべての 思いが罪障であるような凡夫は︑臨終まで回心し︑称名しつづけなければならない︒
にもあい︑病悩苦痛をせめて正念に住せずしておわ﹂るかもしれない業報の身であり︑
信因称報説の成立をめぐって とがわかるのである︒
て日の所作とす︒このやうひがさまにやさふらふらん﹂
しかし﹁いかなる不思議のこと
また﹁いづるいき︑いるほど
み
一(真聖三•780)にしるされている唯円房
信因称報説の成立をめぐって
をまたずしてをはる﹂無常迅速の生命をかかえているものにとって︑それは不可能ではないか︒それに臨終まで回心
﹁ひとたびとりてながくすてぬ﹂と誓われた摂取不捨の願力が無意味になる
これは明らかに宗祖が「末灯紗」第一条(真聖二•656)に臨終正念を祈り、
﹁真実信心の行人は︑摂取不捨のゆへに正定緊のくらゐに住す︒このゆへに臨終まつことなし︑来迎たのむことな
といわれたものを忠実に相伝したものであるが︑この﹁信心のさだまるとき﹂という救済成立の時剋をつきつめ︑
承されていることは﹁口伝紗﹂の論法が﹁歎異紗﹂のそれとそっくりであることによってわかる︒
た
だ一度の回心の時である初帰の一念とし︑そのとき摂取不捨にあづかって正定榮に住し現生の救いが成就するから︑
それ以後の称名は摂取不捨の仏恩を念報するいとなみと受けとるべきであるというのである︒この説が覚如上人に伝
力真実のむねをあかせるもろ/\の正教は︑本願を信じ念仏をまふさば仏になる⁝⁝﹂という本願の信行を往生成仏
の因とみるものであった︒それを第二条のように﹁たゞ念仏して弥陀にたすけられまひらすべし﹂と行に信を摂めて
専修念仏であらわすこともあれば︑第一条のように︑行を信に摂めて﹁たゞ伯心を要とすとしるべし﹂と唯侶為要と
云われることもあった︒そして多念義的︑自力的な異端を批判するために宗祖の他力信心による現生正定緊説を尖鋭
にあらわす時には︑信因称報という一念義的立場を表に出してこられる︒
﹁歎異紗﹂自身︑第十五条に﹁浄土真宗には今生に本願を信じて︑かの土にしてさとりをばひらくとならひさふら ところで﹁歎異紗﹂の信行論は︑信因称報に限るものではなく︑むしろ甚本的には第十二条︵真聖ニ・780)に﹁他 し︑信心のさだまるとき往生またさだまるなり﹂ し
て ではないかと批判している︒ し念仏しなければ救われないのならば︑
来迎を期する従来の浄土教信仰を批判
10
③ ② ① 註
うぞ﹂といい︑
また信心一異の詳論をのべられているように︑信心に重点をおく立場にたってはいる︒それにしても
﹁歎異紗﹂に準拠しながら︑専修念仏や信行ともに往因とみる立場をさしおいて︑信因称報が宗祖教学の核心である と洞察し相承されたのは覚如上人の択法眼によるといわねばならぬ︒
かくて信囚称報説は︑宗祖の代表的な著作にはあらわに見られない︑どちらかといえは一念義的な傾向をもつ信条 であるが︑覚信︑慶信︑如信︑唯円など晩年の有力な門弟たちが宗祖から伝承しており︑
たところがあるが性信︑教忍などにも教示されているから︑宗祖にこのような考え方があったことは疑えない︒
それを明白に教義化されていないところに一念義的発想と一線を画する宗祖の思想的境位があった︒そして覚如上人
ロ伝によって信因称報の教義を樹立しなければならなかった所以もそこにあったといえよう︒
「口伝紗」下(真聖・一――
•27)
・「同」下(同・裟)参照
﹁銘
文﹂
︵真
聖・
ニ・
595)
﹁六
要紗
﹂二
︵真
聖・
ニ・
233
•
247)
参照
信因称報説の成立をめぐって
が﹁口伝紗﹂を著して
⑤ ④
また報恩の意味に少し異っ
ただ
﹁信
文類
﹂本
︵真
聖二
・
68)
・﹁
高僧
和讃
﹂︵
真聖
ニ・
507)・「冠溝讃」(同•485)参照
﹁末
灯紗
﹂︵
真聖
ニ・
679)所収の慶信房あての蓮位房
の添
状参
照
聖人の著作を拝読していると今の場合︑主として﹃教行証文類﹄についてであるが││'﹁如来﹂という表現が
非常
に多
く︑
しかも︑重要な箇所において用いられていることに注意を呼びおこされる︒ここにその主なものを挙げ
② ﹁発願回向﹂と言ふは︑如来已に発願して衆生の行を回施したまふの心なり︒
③ り︑他力と言ふは︑如来の本願力なり︒
⇔︑
如来
:・
・・
・中
略⁝
⁝菩
薩の
行を
行じ
たま
ふし
時︑
三業
の所
修︑
④
こる
とな
し︒
⑤ 紺︑謹で真仏土を按ずれば︑仏は則ち是れ不可思議光如来なり︒土はまた是れ無量光明土なり︒
(口}
① り︑大行とは則ち無碍光如来の名を称するなり︒ る
なら
ば︑
試 論
│
│
親 鸞 聖 人 の 如 来 観
親鸞
翌人
の如
来観
一念一刹那も清浄ならざることなし︑真心ならざ
稲は
垣 な
不 ふ
拿
回
田
二
じ邑麿ぢ
親鸞
聖人
の如
来観
一般的な傾向といえよう︒
いま
りは︑行文類の始めで︑浄土真宗における行を規定しているものである︒これは︑もと︑
⑥
とは︑謂わく無碍光如来の名を称するなり﹂によったものであろう︒なお︑法然上人では﹁正定の業とは︑即ち是れ︑
⑦ 仏の名を称するなり﹂といわれている︒
回は︑善導大師の﹃玄義分﹄六字釈の文を釈したものである︒善導大師の﹃観経疏﹄の場合︑
あるいは釈迦如来をさしており︑弥陀は主として﹁仏﹂で呼ばれている︒その善導大師の文を釈する時︑聖人が﹁如 りは︑浄土真宗における根本語ともいうべぎ他力を釈したもので︑
そこに﹁如来﹂といわれている︒なお︑これは
⑧
曇鸞大師の﹁阿弥陀如来の本願力﹂といういい方によられたものであろう︒
﹁至心釈﹂の文である︒これは︑後に詳しくとりあげるつもりであるが︑善導大師の﹁彼の阿弥陀仏の因中
⑨
に菩薩の行を行じたまふし時云々﹂によられたものと思われる︒
困は︑真仏を明らかにしているものであるが︑
そこに﹁如来﹂といわれている︒これは︑化仏について﹁謹で化身
⑩
土を顕さば︑仏は無量寿仏観経の説の如し︒真身観の仏是れなり﹂と﹁仏﹂という表現でもって言われているのに対
して注目すべきである︒
以上のように︑
ので
ある
︒
﹃教行証文類﹄においてその核をなしているようなところで﹁如来﹂という表現が用いられている
﹁如来﹂という言い方が多くなされているということは︑
一例をあげるならば︑同朋舎刊の﹃真宗資料集成﹄第一巻には名号本尊として六幅
合﹁如来﹂と言い改められているのである︒
⇒
ま ︑
,
¥`
ヽ>
り
来﹂という表現を用いておられることに注意したい︒ 等が挙げられるであろう︒
﹃教行証文類﹄に限ったことではなく︑聖人の
善導大師で﹁仏﹂といわれているところが聖人の場
﹁如来﹂は諸仏如来 ﹃論註﹄の﹁称彼如来名
られており︑例えば︑
⑫ 為すなり﹂と述べておられるように︑ 親鸞聖人の如来観
が伝えられているが︑その四幅までが﹁如来﹂となっている︒このように︑聖人において﹁如来﹂という表現が非常
にし
ばし
ば︑
しかも︑重要な箇所において用いられているのである︒
が︑しかし︑同時に︑
しか
し︑
だからといって︑直ちに聖人において
﹁如来﹂と﹁仏﹂とが何か別のものを意味していたといおうとするものではない︒現に﹁仏﹂という表現も多く用い
﹃大経﹄の宗体を示して﹁如来の本願を説きて経の宗致と為す︑即ち仏の名号を以て経の体と
﹁如来﹂と﹁仏﹂とは別のものではないのである︒
上でみてぎたこともまた︑聖人においては︑事実なのである︒
﹃涅槃経﹄等︑聖人に深い影 たしかにそうなのではある
このような事実は何を意味するのであろうか︒それを解<︱つの手がかりとして︑当時︑人々の間で仏を﹁ほとを
いけ﹂と蔑称する風習のあったことがあげられるかと思われる︒生桑完明師の研究によれは︑
程で﹁仏﹂が﹁如来﹂と改められている箇所があり︑
表現が用いられており︑ ﹃浄土和讃﹄再稿の過
それは恐らく上述の理由によるものであろう︑
る︒しかし︑このことはあまり決定的なことと解することはできない︒何故ならは︑師も述べておられるように︑仏
は一方でどこまでも大解脱身を意味し︑決して蔑むべきものではなく︑ ということであ
その意味において他の箇所では﹁仏﹂という
⑱ また︑先の箇所も後に再び﹁仏﹂に改められているからである︒
そうであるならば︑私共は︑聖人が﹁如来﹂という表現を好んで用いておられることに関して︑もっと別な︑聖人
御自身の内にあるところの理由を求めていかねばならない︒その場合︑より詳しくは︑
響を与えた経典や︑同じく﹁如来﹂という表現の多く用いられている天親菩薩や曇鸞大師についてみていかねばなら
ないが︑それは課題として残しておき︑今は聖人御自身の文についてみていくこととする︒
一 四
してその理由を明らかにしている︒
は
時︑
一一
一業
の所
修︑
この文は︑前にも述べたように善導大師の文によられたものと思われる︒その大師の文は次のようである︒
⁝⁝此の雑毒の行を回して︑彼の仏の浄土に求生せんと欲せん者は︑此れ必ず不可なり︒何を以ての故に︑
しく彼の阿弥陀仏︑因中に菩薩の行を行じたまふし時︑乃至一念一刹那も︑三業の所修︑皆な是れ真実心の中に
⑮ 作したまひしに由てなり︒
この文は︑普導大師が﹃観経﹄の三心を注釈された文の一部であるが︑
集﹄の中でそれによって一章を立てる程に重要視しておられたものであり︑
また︑その門流の間でもよく読まれた部
⑯
分である︒聖人は︑今挙げた文を﹁信文類﹂で一一度にわたって引用しておられる︒
さて︑この共に衆生の行と法蔵菩薩の行について語られている二つの文を比較する時︑二つのことに気づく︒
﹁仏﹂が﹁如来﹂に言い改められていることであり︑もう︱つは︑両者において仏あるいは如来が語られている 文脈が異なっているということである︒この二つのことは互に関連しあっている︒
まず︑善導大師の文についてみていこう︒そこにおいては︑衆生が自ら修めた行をもってしては浄土に往生できな い旨を述べる第一文は︑因位菩薩の行を述べる第二文に﹁何を以ての故に﹂で結はれており︑第二文は︑第一文に対
親鸞聖人の如来観 実の心なし︒是を以て︑如来︑
ものと思われる︒まず︑その文を記す︒
つまり︑仏の行う行の真実性は衆生の行う行の雑毒性に対して語られているので
) の
﹁三
心釈
﹂
一 五
一 っ
は法然上人がその著﹃選択
次の文は聖人が﹁至心﹂について釈しておられる文の一部であるが︑私共の課題に対して多くの示唆を含んでいる
⁝⁝一切の群生海︑無始より已来︑乃至今日今時に至るまで︑械悪汚染にして清浄の心なし︑虚仮詔偽にして真
一切苦悩の衆生海を悲憫して︑不可思議兆載永劫に於て菩薩の行を行じたまふし
⑭
一念一刹那も清浄ならざることなし︑真心ならざることなし︒
まさ
それは﹁為すー為さない﹂という﹁修﹂の次元のことではなく︑その修を根元的に規定している﹁性﹂のことがら のである︒そうしたあり方の根深さが﹁海﹂といわれ︑また の如より来生するという動態は︑ ある︒このことは︑別の言い方をするならば︑仏がその因位に行じたまうた行が︑衆生が行うべ誉行の模範として語られている︑ということである︒仏の行は︑衆生がそれを見ならい︑それへと近づきゆくべきものとして︑どこまでも衆生の前に立てられている︒それは衆生の行の目的としてある︒﹁二河白道﹂の管に明らかのように﹁娑婆の火宅﹂と﹁極楽宝国﹂とが此彼相い対するものとして説かれ︑此を捨て彼に去くことが求められている善導大師において︑
﹁仏
﹂と
いう
︑
より静的な表現がふさわしかったのではなかろうか︒
方︑群賊悪獣が逼め来り︑貪瞑水火の焙や波の絶え止むことのない火宅の教主については﹁如来﹂という︑より動的
これに対して︑聖人の場合には︑如来の為したまへる行は︑衆生の行に対する単なる模範としてではなく︑
悩の衆生海という衆生の現実のあり方を深くみつめ︑これに向って起こされてきた大悲の行として述べられている︒
⑰ 衆生の現実のあり方について語る第一文は︑如来の行を語る第二文に﹁是を以て﹂という接続詞で結ばれており︑第
二の文で述べられることに対する根拠を示している︒さらにまた︑その第二文には︑﹁一切苦悩の衆生海を悲憫して﹂
⑱ という句が挿入されている︒これは善導大師の文には見られない︒つまり︑それは︑如来が菩薩の行を行じたまうに
⑲ 至る根拠を明らかにしているのである︒聖人は﹁如来﹂を﹁如より来生したまへる﹂ものと領解しておられるが︑そ
一切苦悩の衆生海を悲憫するという衆生の現実に対する現実的な係わりのなかでお
こされてぎたものである︒衆生の清浄の心なく︑真実の心なきあり方は︑衆生自らがこれを断ち切ろうとして断ち切
ることのできる程度のものではなく︑たまたま起る善への意志をものみこみ︑ な表現がふさわしかったのであろう︒ ﹁西岸上の人﹂である阿弥陀仏については︑
親鸞
聖人
の如
来観
おし流してしまう如ぎ暴流的なものな
﹁無始より已来﹂のものとして語られているのである︒
一 六
一切
苦
親鸞
聖人
の如
来観
を更に徹底していかれたものであろう︒
それ
は︑
聖人の領解をとりあげてお含たい︒
一 七
である︒そうした性のものである衆生を悲憫して如より来生したまふたのが﹁如来﹂なのである︒
以上︑聖人が善導大師によりつつ述べられた文を手がかりとして︑聖人において﹁如来﹂という表現が﹁一切苦悩 の衆生海﹂という衆生の現実のあり方と深く係わっているものであることをみてきた︒如ー来という動的な領解は衆 生のあり方への自覚の深化と相即する︒この後の面をより詳しくみるために︑ここで︑同じく善導大師の文に対する
﹁至誠心釈﹂の一節﹁不得外現賢善精進之相内懐虚仮﹂についてである︒これは︑普通︑
⑳
⑪
の相を現じて内に虚仮を懐くことを得ざれ﹂と読まれ︑虚仮を誡め︑外と内とが偽りなく相応し︑調うことを求めて
﹁外に賢善精進
いるものとして受けとられている︒この当為の要求を意味する文を︑聖人は︑
⑫
ざれ︑内に虚仮を懐ければなり﹂と読みかえ︑悲歎述懐のことばとしておられるのである︒この聖人の領解は︑法然
⑳
上人が今の文について﹁外を翻して内に蓄へる﹂と﹁内を醜して外に播す﹂の二つの場合を出しておられる後の場合 相応して︑賢善精進になることは真実心でなければならない︒
ない︒もし︑そうであるならば︑ ﹁外に賢善精進の相を現ずることを得
﹃観経﹄の説く﹁至誠心﹂は︑﹁至とは真なり︑誠とは実なり﹂で︑真実心をいう︒内に虚仮を懐くことなく︑内外
七仏通誡の偽にも﹁自浄其意﹂と示されているように︑
仏道修行においては︑どこまでも内を清めていくのでなければならない︒善は内に少しの毒をもまじえていてはなら
それは雑毒の菩であり︑虚仮の行であって︑真実の業とはいえないのである︒先の 文は︑衆生のもつべき真実心を誡めのかたちで述べているものに他ならない︒こうした真実を求めていくことにおい
このように︑内外相応して賢善精進であろうとすることは︑
の衆生にとって︑
あろうとする思念は︑ たしかに至誠心であり︑真実心である︒
つの真実心ということができよう︒それは︑道念当為の真実に対する悲歎述懐の真実である︒
善禅大師の文に対する聖人のこのような領解をみてくるならは︑
る︒
しか
し︑
厳しければ厳しい程︑第二の面の深さがあらわになる︒聖人の領解は︑ しかし︑現実
それは︑どこまでも当為の要求にとどまり︑現実のものとなることは難しい︒内外相応して真実で
かえって︑その奥底に深く虚仮の根ざしていることをあらわにする︒聖人は﹁内に虚仮を懐け
り﹂と読んでおられるが︑それは︑内なる虚仮の遠い過去よりつづいて断えることのなかった根深さを︑改めて語っ
ているものに他ならない︒こうした内なる虚仮を深くみつめ悲しむことは︑先の場合とは異った意味におけるもう一
そこにわが身自らのあり方をとらえる自覚の深ま
りを見ることができる︒善導大師においては︑真実が厳しく追求されており︑聖人においては︑内が深く内省されて
いる︒ここで注意しなければならないのは︑聖人の領解が直接的に出されたものではなく︑善禅大師を介して開かれ
てきたものであるということである︒善導大師においては︑すでに多くの人々が指摘しておられるように︑二つの面
⑳
があ
る︒
︱つは今みてきたように内外相応して真実であろうとする面であり︑もう︱つは﹁機の深信﹂にみられるよ
うな︑真実であろうとして真実であり得ない自己自身に対する深い内省である︒この二つは文字の上では矛盾撞着す
⑮ それは単なる矛盾撞着と解すべきではなく︑修道者の内なる事実と受けとるべぎであろう︒第一の面が
そうした善導大師を介して︑ことにその第二
の面を徹底していかれたところに開かれてきたものであろう︒聖人は︑晩年︑善導大師の﹁至誠心釈﹂の言葉によっ
ていくつかの和讃をつくっておられるが︑そこでは大師の言葉がより内化されて受けとめられているのである︒ て︑阿弥陀仏因位の行は衆生の行の模範なのである︒
親鸞
聖人
の如
来観
一八
親鸞
聖人
の如
来観
では︑この﹁如来の本願﹂という表現において何が言われようとしているのであろうか︒ここで言われている﹁願﹂ い
られ
てお
り︑
論 ︑
﹁仏願﹂という表現はみられる︒
しか
し︑
文章としては語られているが︑
一 九
しか
し︑
未だ
﹁如
来の
本
にこ
ヽ
﹁仏願﹂という表現が多い︒
一 方 ︑
﹁如来の本願﹂については︑例えば︑﹁弥陀如来︑法蔵比丘のむかし︑平等 以上︑私共は︑聖人において如来が如ー来という如の活動態として領解されていること︑そして︑そうした解領が
衆生というもののとらえ方と深く係わっていることをみて含た︒衆生の悪なる現実は︑遠い過去に根ざしているもの
であり︑これを克服しようとして克服しうるものではない︒そうした理想主義は︑聖人の場合︑破られている︒そし
て︑衆生の内面の事実が深く内省され悲歎されている︒その悲歎の底において如来が如ー来として領解され信受され
ているのである︒如来は真如一実が真如一実にとどまることなく己れを外にして衆生の側に働きいでている真如一実
⑱ の活動態に他ならない︒それは︑仏として静ではなく︑如来として動なのである︒
現は︑善導大師や法然上人においてはみられない︒善溝大師の場合︑
願故﹂︑﹁望仏本願意﹂等と表現されている︒法然上人の場合にも︑例えば︑ このようにみてくるならば︑聖人における﹁如来の本願﹂という表現に改めて注意を呼びおこされる︒こうした表
⑰
⑱
﹁彼阿弥陀仏四十八願﹂︑﹁随順仏願﹂︑﹁順彼仏
⑳ ﹁略選択﹂に﹁依仏本願故﹂とあるよう
の慈悲に催されて︑普く一切を摂せんがために造像起塔等の諸行をもって往生の本願と為たまはず︑R 一行をもってその本願と為たまへるなり﹂というように︑ ただ称名念仏の
願﹂という端的な表現はみられない︒それは︑聖人において熟してきたものであるといえよう︒聖人においても︑勿
﹃教行証文類﹄についてみるならば︑それは主として偶文において用
R 一般には﹁如来の本願﹂およびそれに類した表現が多い︒ 四
③ ② ① 註
それらについては別の機会に味っていきたい︒ 場
合︑ ,1 ま ︑
と 親鸞聖人の如来観
いうまでもなく法蔵菩薩の願である︒それは︑国土人天の善悪を親見するという智彗心にもとずいて発されてき
た衆生救済の願いであり誓いである︒それは︑迷いと悟りとの間で︑両者が接するところで発されたものであって︑
悟りに達していると共に衆生の迷いの奥底を摂めとっている︒それが法蔵菩薩の願である︒この法蔵菩薩の願が﹁仏
願﹂といただかれる場合︑それは︑法蔵菩薩の願が単なる一菩薩の発したまうた願というのではなく︑深く衆生の迷
いの奥底を徹照する仏智より発されているものであることを言おうとしているのであろう︒
れる場合︑なお︑彼岸的色彩を残している︒それが﹁如来の本願﹂といただかれる場合︑それは︑法蔵菩薩の発願が︑
真如一実が真如一実にとどまることなく︑衆生の現実の内に働き来り︑その閻を根元的に破すという︑真如一実の活
動態であることを言おうとしているものである︑
以上︑聖人における﹁如来﹂という表現に注意しながら︑
きた︒聖人の如来観についてなお触れなければならない多くのことがら︑例えば︑聖人において﹁如来﹂は︑多くの
﹁無碍光如来﹂と呼ばれているが︑ 実のわが身のこととして受けとめられているのである︒
⑧ ⑦ ⑥ ⑤ ④ とうかがわれうる︒仏願は﹁如来の本願﹂としてより内化され︑現
それが衆生との係わりにおいていわれていることをみて
その﹁無碍光﹂とはどのように領解されていたか︑等々が残されている︒
﹁行
文類
﹂︑
一七
頁︒
この
頁数
は﹃
親鸞
聖人
全集
﹄︵
同刊
行会︶のものである︒以下同様︒なお︑この全集を親全
と略
記す
る︒
同︑
四八
頁︒
同︑
七一
頁︒
︱一
七頁
︒
しか
し︑
﹁信
文類
﹂︑
参照
﹁ ︒
真仏
土文
類﹂
︑ニ
ニ七
頁︒
﹁信
文類
﹂︑
九九
頁参
照︒
﹁行
文類
﹂︑
六七
頁参
照︒
﹁行
文類
﹂︑
七三
頁︑
七九
頁︑ な
お︑
同︑
︱ニ
︱頁
︑
﹁信
文類
﹂︑
︱ 1 0
︱二
七頁
一三
四頁
参照
︒
﹁仏願﹂といわ
⑳ ⑳ ⑲ ⑱ ⑰ ⑯ ⑮ ⑭ ⑬ ⑫ ⑪ ⑩ ⑨
親鸞聖人の如来観
一七
一頁
︒
︵法蔵館︑昭和四十 ﹃観経散善義﹄︑親全・加点篇3︑
﹁化
身土
文類
﹂︑
二六
九頁
︒
同書︑四六六頁以下︒
﹁教
文類
﹂︑
九頁
︒
生桑完明著﹃親鸞聖人撰述の研究﹄
五年︑七二頁以下︶参照︒
﹁信
文類
﹂︑
一︱
六頁
以下
︒
註⑨
を参
照︒
﹁倍文類﹂10二頁︑一︱九頁︒
﹁信楽釈﹂では二つの文は﹁何を以ての故に﹂で結ばれ ており︑善導大師の場合と同様な文脈となっている︒
︵同︱ニ︱頁参照︶ところが︑﹁欲生釈﹂では二つの 文は﹁是の故に﹂で結ばれており︑﹁至心釈﹂と同じ文 脈となっている︒︵同︑一二七頁参照︶これは︑本文で 後にみるように︑聖人の領解が善導大師を介して開かれ
てきたことを示しているのであろう︒
同じ文脈で語られている﹁欲生釈﹂では﹁一切苦悩の群 生海を衿哀して﹂が挿入されている︒同︱二七頁参照︒
﹁証
文類
﹂︑
一九
五頁
︒ 例えば﹃選択本願念仏集﹄︵﹃昭和新修・法然上人全集﹄︑
平楽寺書店︑昭和四十九年第二刷︑三二八頁︶参照︒
良忠︑﹃選択伝弘決疑紗﹄巻第三︵﹃大正新修大蔵経﹄第
八三巻︑七一頁中段︶参照︒
R
⑫ ⑪ ⑳ ⑳ ⑳ ⑰ ⑳ ⑮ ⑳ ⑳ ⑫親全・加点篇3
︑一七0頁︒他に︑﹁信文類﹂(‑0ニ 頁︶︑﹃唯信証文意﹄︵親全・和文篇︑一七八頁以下︶︑
﹃愚禿紗﹂下︵同・漢文篇︑ニ︱頁︶︑﹃西方指南抄﹄中
本︵同・輯録篇︱二六頁︶等参照︒
﹃選
択本
願念
仏集
﹄前
掲全
集︑
一一
=︱
‑三
頁︒
このことを鋭く指摘したのは︑曾我量深﹁七祖教系論﹂
︵﹃曾我絨深選集﹄第一巻所収︑弥生書房︑昭和四十五
年︑一二七頁以下︶であろう︒
より詳しくは︑拙稿﹁宗教的真理としての他力﹂︵奈良 県立短期大学﹃研究季報﹄第二二巻第一号︑昭和四十九
年︑四五頁︶参照︒
﹃一念多念文意﹄︵親全・和文篇︑一四五頁以下︶︑﹃唯 信紗文意﹄︵同︑一七0頁以下︶参照︒
﹃観経散善義﹄︑親全・加点篇3
︑一
七二
頁︒
同︑一七三頁︒
同︑一七九頁︒
同︑ニ︱六頁︒
﹃選
択本
願念
仏集
﹄︑
前掲
全集
︑一
二四
七頁
︒ 同︑三二0頁︒ そのいくつかを挙げるならば﹁如来の本願﹂︵九頁︑一 一五頁︶︑﹁如来の弘願﹂︵二七六頁︶︑﹁如来の誓願﹂
︵一三二頁︑二八八頁︶︑﹁如来の願海﹂︵二六五頁︶︑
﹁如来選択の願心﹂︵九五頁︶等である︒
が化身土巻︵末巻︶の冒頭に述べる次の言葉に照して︑明らかである︒
夫拠
姦立
諸修
多羅
面杷
決真
偽﹁
一教
一誡
外教
邪偽
異執
一者
︑
らずしも明確であるとはいえないが︑
で白
ある
︒
﹃教行信証﹄化身土巻には︑明確な視点として︑﹁外教邪偽の異執﹂に対する否定がある︒このことは︑親鸞自ら
﹃涅
経槃
﹄言
︒
I人間における虚妄性の否定
l 親鸞の鬼神不礼について
親鸞
の鬼
神不
礼に
つい
て
[
‑
> ト ノ ノ ニ
﹁ 帰
1一
依於
仏者
︑終
不ー
ー一
更帰
一一
依其
余諸
天神
こ
ここに示される﹁外教邪偽の異執﹂が︑具体的にいかなるものを意味しているのか︑
︑ ︑
それを教誡する基準が﹁諸の修多羅﹂であり︑
さて︑ここでは特に問題を限定して︑親鸞における鬼神不礼の意義について︑
山 :
︵﹃
冥聖
全﹄
2の175
頁 ︶
ということについては︑
いささかの考察を試みたい︒ ﹁仏への帰依﹂であることは明
崎 :
り ゆ う み よ う
龍 明
︵ 本 願 寺 派
︶
かな
親鸞
の鬼
神不
礼に
つい
て
親鸞の著述には︑いくつか﹁鬼神﹂の語をみることができる︒
定することは困難であるように考えられる︒以下︑鬼神の語がみえる箇所と︑その周辺についてみていきたい︒
ッカフルnトヲ
七 ヨ テ ノ ヲ セ ム
^ シ 一
︳
﹃般舟三昧経﹄言﹁優婆夷︑聞直仁三昧瓦四学者︑乃至自帰文叩仏﹁帰1一命法丘空命比丘僧﹃不レ得レ事
1一
余 道
﹁
nトヲ
. .
9
レ ト ナ リ コ ト ヲ
不レ
得レ
拝レ
於レ
天︑
不加
戸祠
一一
鬼神
﹁不
レ得
レ視
1一吉良日こ
レ ト ナ リ ス ル コ ト ヲ セ バ ム ト
又言﹁優婆夷︑欲レ学三云胚乃至不レ得忌狂天祠
1 1
祀神一﹂︵﹃真聖全﹄2の175
頁︑
以下
いず
れも
傍点
筆者
︶
七シム
オ ウ ヲ イ ナ
︐
四方四維皆悉擁二護一切洲渚及諸城邑﹁亦置
1一
鬼神
1而
守 一 一 護 之 一
︵ 同
︑
2の176
頁 ︶
ノ. .
.
^ ム カ シ テ ナ セ リ シ カ ド モ シ テ ノ ノ
・
・
・
/
︱
‑ シ テ
懇時世尊︑慕彼諸悪鬼神衆由説レ法︒時於二彼諸悪鬼神衆中﹁彼悪鬼神︑昔於
1一
仏 法 元 旦 決 定 信
﹁ 彼 於
I
災 I
ト ガ テ
時玉翌悪知識﹁心見
1一
他過
↓以
1一
是因
縁﹁
生
1一
悪鬼
神︱
シテイテ願仏於ュ此閻浮提一切国土﹁彼諸鬼神分布安置︑為一一護持一故︑
七ジム
> マ
︱ ー ノ
我今為此所集大衆﹁顕示甚深仏法↓復為レ護
1一
世問
一故
︑
ニ ク ノ
﹃首拐厳経﹄言︒﹁彼等諸魔︑
カ ラ ム 出 ノ カ ラ ム ノ
多
□
此魔民﹁多1一此鬼
神︑
しかし︑それらによるかぎり︑
ガ ノ ヲ 二
為レ
護二
切諸
衆生
一故
︑
テ
・
・ ヲ ス
以一
一此
閻浮
提所
集鬼
神﹁
分布
安置
︑
︵ 同 ︑
2の
1 8 5
頁 ︶
彼諸鬼神︑彼等群邪︑亦有︱︱徒衆﹁各各自謂︑成二無上道一我滅度後末法之中︑
ー ー ナ テ ト メ ム ヲ シ テ オ ト サ ム ノ ニ ン
多 此 妖 邪
﹃ 熾 盛 世 間
﹁ 為
善知識入訳諸衆生落︱︱愛見坑﹁失1 1
1一
菩提
路︱
二﹃灌頂経﹄言﹁三十六部神王︑
ノ
・
・ ヲ シ テ ト カ ク シ カ ハ リ テ ル ト ク ル ヲ ヒ ト ヲ
万億恒沙鬼神為
1
11脊属﹁陰レ相番代︑護盈茎三帰
者 上
﹁鬼神﹂の概念を規
︵ 同 ︑
2の180
頁 ︶
イ テ フ ト フ ト 七 ソ ト
我等於︱︱此説祉型随喜
1
︵ 同 ︑
2の182
頁 ︶
スベシ護持養育
︵ 同 ︑
2の190
頁 ︶
︵ 同 ︑
2の191
頁 ︶
る ︒ つ
ぎに
という用例である︒
ニ ジ
9
ン テ セ ム モ ノ
^
﹃地蔵十輪経﹄言﹁具正帰依︑遠
1
1離一切妄執吉凶﹁終不己匹依邪神外道一﹂
ヲ ヅ ク
^ ジ テ
又言﹁或執
‑
1種種若少若多︑吉凶之相﹁祭=鬼神﹁乃至而生ー一極重大罪悪業﹁近
1一
無間
罪↓
舷滅炉是大罪悪業﹁不レ會出家及受=具戒ご右令=一出家或受
1一具戒﹁即便得レ罪
ハヽヽ—->トセ、ヽヲ
﹃集
一切
福徳
一二
昧経
﹄中
言﹁
不レ
向=
余乗
﹁不
レ礼
︱︱
余天
こ
マデ―->トッカヘヽヽ—﹃本願薬師経﹄言﹁若有︱︱浄信善男子・善女人等﹁乃至尽形不レ事=余天一﹂
﹃菩
薩戒
経﹄
︱‑
=
‑i
﹁出
家
A l
法︑応下向孟墾ぎ礼隼ハ叩ぷ匹み雀i
︱礼
昆
5
六諷
応レ
町へ
鬼神
ヲ応
い如
﹂
••ノラルワウセ﹃起信論﹄曰﹁或有二衆生f無箪口根力﹁則為
1一諸魔・外道・鬼神
1所忌皿惑こ
ノ ク ハ ク
・
・ ナ リ ス ペ テ オ サ ム ト
大智律師云﹁神謂鬼神︑惣収四趣︑天・修・鬼.獄こ
ト ハ ク ッ カ ヘ ム カ ト
・
・
︱
‑ I
ク ズ ッ カ フ ル
n
ト イ ズ ク ン ゾ
﹃ 論 語
﹄ 云
﹁ 季 路 問
︑ 事
= 鬼 神
↓ 子 曰
︒ 不 レ 能 レ 事
︑ 人 焉 能 事
1一
鬼神
こ
﹁鬼
神﹂
の語は以上の幾つかと︑
—ーヌ
信知
︑
以上は
﹃教行信証﹄以外の著述に﹁鬼神﹂の語を探ると ﹃教行信証﹄化身土巻︵末巻︶に見える﹁鬼神﹂の語である︒管見のかぎりでは︑
二者
聖弟
子説
︑
言者
天仙
説︑
化身士巻本巻に示される
聖道諸教︑為一一在世正法﹁而全非一一像末法滅之時機﹁已失レ時乖レ機也︒浄土真宗者︑在世正法︑像末法
ズ ギ ヒ ト シ ク ン ク マ フ ヲ ヤ ヲ テ ョ リ テ ニ ク ル
︱ ー ヲ セ
9 9
滅︑濁悪群朋︑斉悲引也︒是以拠=経家扁含師釈へ弁二説人差別一者︑凡諸経起説不レ過二五種↓︱者仏説︑
ハ ズ タ ラ
四者鬼神説︑五者変化説︒雨者四種所説不レ足=信用﹁斯一云一経者則大聖自説也
親鸞
の鬼
神不
礼に
つい
て
﹃末
灯紗
﹄
︵第
八通
︶と
︑
﹃和讃﹄にみることができ
如レ
是之
人︑
︵ 同 ︑
2の191
頁 ︶
︵ 同 ︑
2の191
頁 ︶
︵ 同 ︑
2の192
頁 ︶
︵ 同 ︑
2の201
頁 ︶
︵ 同 ︑
2の201
頁 ︶
﹃教行信証﹄における
︵ 同 ︑
2の166
頁 ︶
ニ四
シ ダ ジ
若未
四懺
1一 悔