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巡礼地から観光巡礼地に至る変遷の一過程について:

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(37) 本研究では,フランスのルルドにおいて,「少女ベルナデット」を媒介とした「マリア出現」

がきっかけとなり近隣の地域の人々によって巡礼地とされたマサビエルの洞に,「泉」と「奇蹟」

のストーリーが加わることで,観光巡礼地として発展した経緯を明らかにするとともに,その現 状と課題を報告する.調査方法としては,ルルド研究の第一人者であり,かつマリア研究の世界 的権威であるルネ・ローランタン神父René Laurentin(1917-2017)が膨大な資料をまとめあ げたLourdes 1858, Documents authentiques 11957)およびVie de Bernadette 1978 に収 められた資料を主な題材とした.19世紀にルルドがどのような経緯で巡礼地となったのか,な ぜ観光巡礼地に変容し発展したのか,近代という時代とその社会状況等を踏まえながら考察する.

また観光巡礼地固有の場所性について,20192月と8月に行った現地調査から検討する.

1.近代的聖地ルルド:新しいタイプの巡礼地 

ルルドはスペイン国境付近のオート・ピレネー県に位置する,人口14,000人の都市である.

ローマ時代までその歴史を遡ることができ,中世期に建設された城塞を中心に発展してきたもの の,長い間忘れられていた場所であった.しかしながら18582月,ベルナデット・スビルー Bernadette Soubirous(1844-1979)を媒介者とした「マリア出現」と「泉」の発生を機に,カ トリック巡礼地として急速に発展する.近年,SNS

の流行により「いきなり観光地」と呼ばれるように なった地域が存在するが,ルルドもまたいわば「い きなり巡礼地」として思いがけなく発展した地域と 言えよう.もちろん,インスタグラムが媒介になっ たわけではない.ルルドにおいては,「マリア出現」,

媒介者「ベルナデット」,「泉」,「奇蹟(治癒)」と いうストーリー性に人々は即興的に熱狂したので ある.まずは近隣の住民の間で噂が広まり,次いで フランスおよび近隣諸国へと一気にその噂は拡散 した.

1ルルドの位置

https://www.communes.com/plan-lourdes

1

本研究では,フランスのルルドにおいて,「少女ベルナデット」を媒介とした「マリア出現」

がきっかけとなり近隣の地域の人々によって巡礼地とされたマサビエルの洞に,「泉」と「奇 蹟」のストーリーが加わることで,観光巡礼地として発展した経緯を明らかにするとともに,

その現状と課題を報告する.調査方法としては,ルルド研究の第一人者であり,かつマリア 研究の世界的権威であるルネ・ローランタン神父RenéLaurentin(1917-2017)が膨大な資料を まとめあげたLourdes 1858,Documents authentiques1 (1957)およびVie de Bernadette(1978) に 収められた資料を主な題材とした.19 世紀にルルドがどのような経緯で巡礼地となったの か,なぜ観光巡礼地に変容し発展したのか,近代という時代とその社会状況等を踏まえなが ら考察する.また観光巡礼地固有の場所性について,2019年2月と8月に行った現地調査 から検討する.

1. 近代的聖地ルルド:新しいタイプの巡礼地

ルルドはスペイン国境付近のオート・ピレネー県に位置する,人口 14,000 人の都市であ る.ローマ時代までその歴史を遡ることができ,中世期に建設された城塞を中心に発展して きたものの,長い間忘れられていた場所であった.しかしながら1858年2月,ベルナデッ ト・スビルーを媒介者とした「マリア出現」と泉の発生を機に,カトリック巡礼地として急 速に発展する.近年,SNSの流行により「いきなり観光地」と呼ばれるようになった地域が 存在するが,ルルドもまたいわば「いきなり巡礼地」として思いがけなく発展した地域と言 えよう.もちろん,インスタグラムが媒介になったわけではない.ルルドにおいては,「マ リア出現」,媒介者「ベルナデット」,「泉」,「奇蹟(治癒)」というストーリー性に人々は即 興的に熱狂したのである.まずは近隣の住民の間で噂が広まり,次いでフランスおよび近隣 諸国へと一気にその噂は拡散した.

図1ルルドの位置 https://www.communes.com/plan-lourdes 2. マリア出現とベルナデット・スビルー

ルルド

巡礼地から観光巡礼地に至る変遷の一過程について:

ルルドを事例として

羽 生 敦 子

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2.マリア出現とベルナデット・スビルー

(1)「出現」の経緯

ルルドの巡礼地としての始まりは,14歳の貧しい無学の少女ベルナデット・スビルーが見た「白 い貴婦人」La dame blancheの出現にあった.2月の寒い日,薪を拾いに妹と友人の三人でマサ ビエルの洞の近くに行った際,ベルナデットだけがその存在を目撃し声を聞いたのである.

ベルナデットは1858211日から716日まで合計18回の「出現」に立ち会う.16 回目にようやく「白い貴婦人」の正体が「無原罪のマリア1」であることが明らかになる2.第 2回目の出現から,まちの噂になり,回を追うごとに多くのルルドの住民がベルナデットに付き まとう.その経過を時系列に沿って紹介する.

1回目は211日,その後第2回目が14日.第3回目が18日.第4回目が19日,第 5回目が20日と連続して「出現」があった.第6回目の21日は早朝にもかかわらず100人も の人々がマサビエルの洞でベルナデットとともに出現を待ち受けていた.第7回目は23日,第 8回目は24日と続き,第9回となる25日には,朝の2時から人々が集まりはじめ,最終的に 350人を数えた.この日こそ,ベルナデットが「白い貴婦人」の言われるがままに土を両手 で掘ったところ泉が湧き出した日にほかならない.第10回目の27日には約1,000人,第11 回目の28日には1,150人,第12回目の31日には真夜中から人々が集まり,1,500人ほど に上った.第13回目の32日は1,650人,第14回目の3日は3,000人,第15回目の4 日は8,000人あまりを数えたという.その日はルルド市内でマルシェ(朝市)が出ていたため,

通常よりもさらに見学者数が増えたようである.第16回目の325日に「白い貴婦人」の正 体が明らかになる.第17回目は,47日,そして,最後の出現である第18回は716 であった3.(Laurentin, 1957ほか)

2月からのベルナデットの動向は,教会関連者だけではなく,治安をみだす行為として警察と 司法にも敵視された.当然のように,ベルナデットは「幻視者」として警戒された.54日に は,ルルド市長が,「幻覚(出現)を見たというものは全員逮捕する,さらにルルドの病院に収 監する」と宣言したほどである4

ベルナデットは民衆と権力の双方から監視され,今日,芸能人や事件関係者たちがメディアに 日々晒されている状況を思わせるような日々であった.

(2)奇蹟について

前述したように,第9回目の出現(1858225日)の出現の際,「白い貴婦人」の言わ れるままにベルナデットは,汚泥を掘りはじめる.すると泉が湧き出た.その2日後,20年間 盲目だったルイ・ブリエットがその水で右眼を洗うとその場で視力が快復し,目撃した大衆によ りルルドの泉の噂が町を越え急速に広がった.ただの汚い洞が,神聖な場所へと変容し,瞬く間 に巡礼地となったのである.一般にはルイ・ブリエットの治癒がルルドの奇蹟の最古の例として 知られるが,1862118日にローレンス司教によってブリエットと同時に奇蹟として認定 された例が存在する.それは,カトリーヌ・ラタピーというルルド近郊在住の38歳の女性の例

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(39) 手を浸すと,右手が事故以前と同様に動くようになったという.現在,ルルド聖域内の医療検証 所( Le bureau des constatations médicales)には,奇蹟と認められた70人の症例が時系列順 に紹介されているが,1番目にラタピーが紹介されている.パネルには,彼女が228日の夜中,

突然のインスピレーションに導かれ,子供を連れ,ルルドに向かい,洞でその右手を水に浸けた 経緯が書かれているが,おそらくブリエットのように大衆の目前で起きた「奇蹟」ではなかった ため,人々の話題になりにくかったのであろう.あるいは,右手が自由になるという「地味な奇 蹟」だったせいかもしれない.その後,奇蹟の恩恵を受けた女性の息子が司祭になったという事 実がパネルでは特記されていた.いずれにしても1862年,両者ともローレンス司教によって奇 蹟認定が行われている.ラタピーがルルドの洞に行った228日は,ベルナデットが初めて「白 い貴婦人」の出現を見てから2週間強,泉が湧き出てから3日しか経ていない.出現あるいは 泉のうわさはルルド市中から郊外まで瞬く間に広がっていたことがわかる.

(3)「出現」ストーリーの拡散

うわさが近隣地域へ拡散した理由として,おそらく,「洞窟という場所性」,「奇蹟(治癒)」,「無 学の貧しい少女」の3点がとりわけ重要であったのではないか.「マサビエル洞窟という辺鄙な 場所で少女がマリア出現に立ち会い,マリアのお告げのまま土を掘る,すると,泉が沸き,その 水が奇蹟を起こす」という現在進行形のストーリーは,地方に住む人々にとって十分にセンセー ショナルなものであり,実際にその現場に立ち会ってみたいという衝動に駆られたとしても不思 議はない.325日になり,「白い貴婦人」の正体は「聖母マリアの無原罪の御宿り」である ことが明らかになる.この時点では「巡礼」というより,ベルナデットがマリアの出現をみる瞬 間を見たいという欲望,あるいは治癒という現実的な奇蹟を求めての行動であったのではないか と考えられる.54日には洞に群衆が殺到し,岩にしがみつくものも出て,ガーブ河岸では人々 が折り重なるほどであった.警備隊が組織され,洞窟に行くための歩道橋のようなものも作られ た.

他方で,遠方への拡散に当たっては,そのストーリー性,つまり物語というコンテンツだけで は,ルルドまでの巡礼を促しえないのではないか.主人公を,「貧しい少女ベルナデット」と抽 象的に表現しているかぎり,これまでのマリア出現の話と同工異曲の二次創作的なストーリーに しかならない5.巡礼地ルルドの発展には,「目撃者ベルナデット」というイメージキャラクター が必要であった.また,遠方の人々にその存在を周知させ関心を持たせるための技術,つまりメ ディアも必要である.ルルドは写真や新聞というメディアにより発展した点で,これまでにない 新しい巡礼地であった.

3.新しいメディア:写真

関一敏は,写真という新しいメディアとルルド巡礼の関係について以下のように述べている.

人々は聖母を体験した者を,またその話を聞いて触れる4 4 4 4 4 4ことを欲していた.19世紀社会技 術史上の発明がそこで真価を発揮することになった.写真の生産である.(関, 1993 : 230

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ルルド巡礼は,宗教史が複製技術時代に入ったことを告げる出来事であった.関も参照してい るが,ローランタンの著書Visage de Bernadette 19792巻から成り,1巻は資料とその分 析に基づくベルナデットの紹介,第2巻はアルバム,要するにベルナデットの写真集である.

2巻の裏表紙には,以下の記載がある.

「ベルナデットは写真に撮られた初めての聖女である.ローランタン神父は25年の月日を かけて散逸していた75葉の写真を蒐集した.そして,それぞれの写真の日付や撮影者を確 定し,本物か偽造か分類し,最良のプリントを鑑定した.また,モデルを見て撮影されたも の(描かれたもの)か,想像によって描かれた肖像画―例えばモーリス・ドゥニ6による肖 像画もそうなのだが―,の価値を判定した7

撮影者の一人デュフールDufourは,ベルナデットにさまざまなポーズを要求する.写真1 ベルナデットに忘我(extase) の状態で,と要求したものである8.写真2は跪いて祈るように 要求した写真である.ここでは特別な装飾(数珠や絨毯)を用意されている.彼女をより神話的 なヒロインと見せるための仕掛けであった.

写真1 写真2

また,18581023日のL’Illustration紙(図2)においても,ベルナデット・スビルー の似顔絵(本人とは似ても似つかない)とマサビエルの洞が紹介されている9

(5)

(41) 2 L’Illustrationで報告されるベルナデットとマサビエルの洞

写真や木版画を掲載した新聞の流通により,ルルドを舞台とする一連のストーリー(コンテン ツ)とそのキャラクターとしての少女ベルナデットのイメージが確立されていく.巡礼者が携帯 するためのベルナデットのポートレート(写真3)を見る限り,マリア信仰というよりもやはり,

「ベルナデット」自身が聖女としてすでに信仰の対象となっていたように感じられる.あるいは アイドル的な存在として人気だったのか.このように,「信仰」以外の要素が当初からルルド巡 礼に纏わりついており,今日のコンテンツツーリズムに通じるものがあった.

写真3 巡礼者用のポートレート写真

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4.観光巡礼地としてのまちづくり 

ベルナデットによる「白い貴婦人」目撃直後,前述したように民衆は熱狂したが,教会関係者 がただちにその事実を認めることはなかった.ベルナデット自身がマリア出現を語ったわけでは ないが,「騒動」は民衆をとおして目撃者の証言抜きで勝手に動き始め,教会の権威と町の秩序 を乱すものとして警察は不信感を示した.ベルナデットが地方語しか話せなかったという条件も,

教会,司法,警察それぞれが独自の解釈を生み出した原因である.しかし,地方語を話す司教(チ ボー司教)が彼女と出会ったことで,教会においては,幻覚を見る少女(visionnaire)はマリ アの声を聞く少女になった.マリア出現から4年後の1862年にタルブ司教区のローレンス司 教によって公式にマリア出現を認める教書(Mandement)が発布され,ルルドはマリア巡礼地 として教会のおすみつきを得たのである.以後ルルドは,教会主導の下,観光巡礼地として発展 する10

1861年,タルブ司教区はマリア出現のあった洞窟を購入し,以後少しずつその周辺の土地を 取得する.ルルド発展のキーパーソンとなるローレンス司教によって設立された慈善団体の仲介 があったといわれる.その後,ルルド聖域を囲む土地の一角が,カルメル会,ドミニコ会,聖母 訪問修道会,聖母被昇天会に譲渡され,同時に商業区域が規制されていく(Chevrier, 2016 : 5).

実際,1860年代はじめから,すでに宿泊施設や土産物店の営業が始まっていた.観光(ツーリ ズム)と同様,巡礼もまた宿泊や土産物店(専門店)といった経済システムを構築するものだが,

この場合は司教区が土地に関する権限を占有し,商業地域を聖域に続く2本の道とその付近の 小さな通りに限定したのである.経営者のほとんどはルルドの住民であり(初期にできたホテル のひとつにはベルナデットの兄弟によるものもあった),現在までそれは受け継がれている.ル ルドにおいては聖域と商業地区が当初から整備されており,観光巡礼地への発展は当然の帰結と も言えよう.

ベルナデットが「白い貴婦人」を見た時代は第二帝政期であった.産業を奨励したナポレオン 三世のもと,フランス南西部においても鉄道が整備されつつあったという時代背景は重要である.

「いきなり巡礼地」ルルドが持続性をもった聖地となったのは,写真や新聞等の木版画の挿絵の 流通とともに鉄道というインフラの存在があればこそであろう.

ペレール兄弟が投資していた「南部鉄道」(Chemin de Fer du Midi)は,ピレネー地方のタ ルブとポー間の鉄道の開設を予定していたが,マリア出現による巡礼者の増加を見越して,遠回 りにはなるが,ルルドを経由することを決定した.この鉄道路線開設のためにローレンス司教が 国の組織(Travaux publics)に直訴したという事実もある.こうしてルルド駅は18664 に開業した(Chevrier, 2016 : 6)(図3

それまでの巡礼は,徒歩か馬車によるものであった.身体的な苦行によって,キリストの苦痛 を体感することも,巡礼の目的のひとつであった.一方,鉄道の開設以降,列車による巡礼が「ル ルド巡礼」のシンボルとなる.パリから800キロ強の距離であるが,鉄道利用により多くの巡 礼者の来訪が可能になった.さらに特徴的なのは,傷病者による巡礼が可能になったことである.

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(43) 3 ルルド聖域の外観が描かれたChemin de Fer du Midi の絵葉書

5.ルルドの現状について

(1)観光地か巡礼地か

筆者は,「観光地」でもあれば「巡礼地」でもあるというルルドの両義性を踏まえ,「観光巡礼地」

というやや熟さない用語を使用しているが,それは自身が「信仰」の外側にいるからだろう.ル ルド聖域内で来訪者16名に調査票に記入してもらったところ(調査表添付),来訪の理由として ほとんどの人(15名)が「巡礼」(Pèlerinage)を選択し,「観光」(Tourisme)を選んだ人は0 名であった.その他1名の回答は「好奇心Curiosité,新しい場所への興味Découverte」11であっ た.これには,インタビューを実施したのが聖域内であったことも影響している.中には,「観光」

という言葉に不快そうな顔をした人もいた.宗教と観光について研究を進めたコリンズ=クライ ナーとクリオットの調査からも示唆されるように,旅行者の意識が「巡礼」か「観光」を決める のだろう12.質問票には個人の宗教に関する項目も入れたが,興味深いことに「無宗教」(Athée)

と回答しながら目的を「巡礼」とした被調査者がいた.

グラフ1 ルルド来訪の目的

8

理由としてほとんどの人(15人)が「巡礼Pèlerinage」を選択し,「観光Tourisme」を選ん だ人は0人であった.その他1名の回答は「好奇心Curiosité,新しい場所への興味Découverte」

11であった.これには,インタビューを実施したのが聖域内であったことも影響している.

中には,「観光」という言葉に不快そうな顔をした人もいた.宗教と観光について研究を進 めたコリンズ=クライナーとクリオットの調査からも示唆されるように,旅行者の意識が

「巡礼」か「観光」を決めるのだろう12.質問票には個人の宗教に関する項目も入れたが,

興味深いことに「無宗教Athée」と回答しながら目的を「巡礼」とした被調査者がいた.

グラフ1 ルルド来訪の目的

グラフ2 来訪者の宗教

また質問項目のうち,「ベルナデットの話を知っていますか」という問いには,すべての 目的

巡礼 観光 その他

ギリシャ正教会… 宗教

無宗教 2名

その他

(イスラム) カトリック

プロテスタント 1名 プロテスタント

ギリシャ正教会 その他 無宗教 1名

カトリック 12名 巡礼15 その他1名

(8)

グラフ2 来訪者の宗教

カトリック 12名 プロテスタント

1名 ギリシャ正教会

0人

その他

(イスラム)

1名 無宗教

2名

宗教

カトリック プロテスタント ギリシャ正教会 その他 無宗教

また質問項目のうち,「ベルナデットの話を知っていますか」という問いには,すべての人が知っ ていると回答した.出現当初は,「ベルナデット詣で」がルルド巡礼の目的のひとつだったので はないかとの仮説を立てたが,現在ルルド聖域内では,ベルナデットを想起させるものは洞窟し かない.ベルナデットのイメージ(写真など)はどこにもないのだ.洞窟の前に立って,彼女は ここでマリアをみたのか,と思いを馳せるしかない.聖域の中心は,あくまで「マリア」であり,

815日の聖母被昇天日には最大規模のろうそく行列(Procession)が行われ,ライトに照ら されたマリア像が行列のクライマックスを飾る.ルルドで「ベルナデット詣で」をするためには,

「ベルナデットの道」(Chemin de vie de Bernadette)という徒歩での観光コースを辿るしかな い.生家ではスビルー家の子孫の話を聞くこともできるが,それ以外には直接ベルナデットに関 わる建物はほとんどない.とはいえ,市内の商店街では数軒の空き店舗にベルナデットの写真が 貼られているように(写真4)聖域外の旧市街地ではルルドの象徴としてのベルナデットを感じ ることができる.

写真4 空き店舗に貼られるベルナデットの写真

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(45) 巡礼か観光かは主体が決めることのように思われるが,観光行動論で観光者の動機や欲求を理 解するための枠組みとしてよく用いられるのが「push要因」と「pull要因」という概念であろう.

「push要因」とは旅行という行動を人に起こさせる個人的要因である.小口・花井(2013: 26 は「佐々木(2000)によると,人を旅行に向かわせる欲求,すなわちpush要因は,大きく2 つに分けられるという.一つは旅先での新しい経験や珍しい経験を求める「新奇性欲求」であり,

もう一つは休養やリラクゼーションを求める「逃避欲求」である.一方,「pull要因」とは,「人 をある特定の場所に向かわせる要因」であり,「誘因要因」とも呼ばれる.例えば美しい自然の 情景や娯楽施設は,人にその場所に行ってみたいという欲求を起こさせる」と紹介するが,ルル ドの場合は「push要因」が精神的安寧あるいは奇蹟体験をもとめての「新奇性要求」,これを「信 仰」13とするなら,「pull要因」は洞窟という場所の神秘性ではないか.それが巡礼の要素と観 光の要素が共存する観光巡礼地という位置づけが妥当であると考える所以である.

写真5 ライトに照らされ担がれるマリア像

(2)フランス第二位の宿泊施設数

ルルドはスペインとの国境に近いピレネー山脈の麓にあるカトリック巡礼地であると同時に,

パリに次いでホテルのベッド数が多いフランス第二の観光地である.年間600万人の来訪者を 数える.その内訳は,40%がフランス人,30%がイタリア人,20%が他のヨーロッパ諸国から,

5%がアメリカあるいはアジアからの来訪者である(Ephphata).筆者が現地で聞いた情報(聖 域内のガイドからの情報)によれば,南米からの来訪者とインドのタムール族とスリランカの人 の来訪が増加しているとのことであった.聖域周辺の半径500メートルの地域に,土産物店が 集中している.とりわけBoulevard de la GrotteRue de la Grotteでは400近くの土産物店 がひしめき合っている14.筆者は2019年の2月と8月に2度の調査を行った.2月の調査時は 冬季のオフシーズンであり,半分以上の店舗が閉まっていたが,8月の調査(2019814 日~18日)では,観光客(巡礼者)が商店街に溢れ,団体客を乗せたバスが狭い道を交差する 様子なども確認できた.4月から10月までのシーズン中は傷病巡礼者の多さからか「憐憫の国 のディズニーランド」(Disneyland de la pitié)と表現されるほど混雑する(ibid). 

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写真6 Rue de la Grotteにあふれる人々

土産物店の数も驚くべきものである.その露骨な商業主義や,売られている土産物の俗悪さは ゾラやユイスマンスの時代から非難されている.聖水に関しては今日,聖域内にて無料で,自由 に飲み,持ち帰ることができる.そのための容器もまた主要な商品であり,さまざまなタイプの ものが売られている.また,パリの露店の土産物店のように,Lourdesのロゴ入りTシャツや 手提げかばん,あるいはマリア像や数珠など様々な商品が混然と陳列されている.印象的なのは,

どの土産物店も同じように同じものを売っていることである.近年では,ネット販売によるルル ド聖域内の水の販売は禁止されているにもかかわらず,容器に入れて販売している商売人もいる ようである(ibid).

写真7 Lourdesのロゴ入りバック 写真8 聖水持ち帰り容器

(3)観光巡礼地としてのルルドの失速:観光客(巡礼者)の減少とライバル巡礼地の台頭 前述したとおり,ホテルの数ではパリに続き第二位の観光巡礼地ルルドであるが,近年巡礼者 の減少という問題に直面している.この10年で,80万人から575,000人にまで減少し,

商業従事者や宿泊施設経営者は30%の売り上げ減少を計上している.もちろん,信者の寄進だ けが収入源である聖域にとっても大きな損失である(ibid).

電子版L’Express紙(2017423日号)は巡礼者減少の理由として,まず,カトリック

教会における聖職者の危機(La crise des vocations dans lʼÉglise catholique)を挙げている.

(11)

(47) 礼を企画・運営する母体および,ルルド巡礼者の減少を招いている.次に,巡礼地間の競争に言 及している.とりわけ,ポルトガルのファチマ巡礼とスペインのサンティアゴ巡礼が強力なライ バルであり,これらの巡礼地ではマーケッティング効果によりこの5年で巡礼者が50%増加し ていると報告している15.さらに,交通手段の変化もルルドの苦戦の原因のひとつであろう.

2000年代になり,SNCF(フランス国有鉄道)が傷病者のための特別列車を走らせた.2012 53日,ルルド合意(Les Accords de Lourdes,2013年から2017年までの5年間の合意)

SNCF, RFF(Réseau Ferré de France,フ ラ ン ス 鉄 道 ネ ッ ト ワ ー ク ), 巡 礼 機 構(Les Organisations de Pèlerinages), フ ラ ン ス 巡 礼 司 教 区 長 協 会(LʼAssociation Nationale des Directeurs de Diocésains de Pèlerinages),巡礼機構欧州連盟(La Fédération Européenne Des Organisations de Pèlerinages), ノ ー ト ル・ ダ ム・ ド・ ル ル ド 聖 域(Les Sanctuaires Notre-Dame de Lourdes) 間で締結され,巡礼列車のために最高に質の高いサーヴィスが保証さ れたが162017年以降,この合意の延長がされていない.SNCFは列車が老朽化し,利益率が 悪いという理由で,普通列車や救急列車(Voiture-ambulances)のほとんどを廃止した17.安 価な巡礼方法がなくなり経済的に余裕のあまりない人たちの巡礼の機会が奪われてしまってい る.ルルド巡礼は季節性が高いうえ,利益率は低い.コスト・パフォーマンスの悪い路線に,

SNCFは将来性を見ていないのだろう.

今回の調査では,鉄道と飛行機の組み合わせによる来訪が多く見られた.フランス国内および ベルギーからの個人旅行者5名は自家用車,電車,飛行機の利用,フランス国内およびベルギー からの団体旅行者11名は大型バス(car)と電車での来訪との結果であった.また,出身地を 問う質問に対しては,フランス以外に,イタリア,アフリカ,ジブチ,エチオピア,ベルギー,

ドイツ,モーリシャス島,グアドループの名が挙がった.被調査者16名は,かなり国際色が豊 かであった.ちなみに団体旅行と答えた在仏華人の団体は「巴黎人天主堂」と書かれたベストを 着ており,総勢150名とのことであった.彼らは鉄道でルルド入りをしている.

インタビュー調査を行ったのが,聖母被昇天の祝日815日ということもあり,ルルドの失 速をあまり感じることはなかった.

(4)ルルド市と土産物店の対立

ゾラやユイスマンスが,皮肉をこめて描写したルルドの「土産物店」と「土産物」には現在も 苦言がやまない.Made in Chinaのマリア像から数珠にいたるあらゆる製品が槍玉に上がる.

とはいえ,一生に一度来られたら本望だと思っている巡礼者たちにとって「記念の品」は不可欠 である.一方でたしかに,日本の温泉街や浅草の仲見世のように立地する土産物店は,「ノスタ ルジック」であるが,「古臭い」印象も与える.観光客(巡礼者)のニーズに合っているのかど うか,真剣に検討すべき時期に来ているのではないだろうか.実際,2018年に入り,ルルド市 が大鉈をふるいはじめた.電子版地方紙『ラデペッシュ』(Ladepeche.fr)(2018105日)

によると,聖域に続く道路で営業している66店舗(Bancs de la Grotteと呼ばれる)の民営化 を市は発表したのである.これまで,それらの店舗の土地はルルド市所有であって,店は個人の ものであった.つまり,市は安い地代を徴収するが,店舗にかかる費用はそれぞれの店舗が支払 うという制度を,1911年以来100年近く継続してきた.リフォームを定期的に行う店舗と行わ

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ない店舗があるが,全体的に老朽化したことは一目瞭然である.この大鉈のきっかけとなったの 2014年に施行されたピネルPinel 法である.この法律の内容は,土地の所有者は店舗の所有 者であり,店舗のリフォーム等にかかる費用はすべて土地の所有者が支払うというものである.

ところが,ルルド市にはこれを支払うほどの財政的余裕がなく,増税するしかないという事態に 陥っている.そこで,市長が民営化という発言をしたのであった.この発言には外部資本を投入 したいという経済的な面以外に,商店街のこれまでのイメージを一新したいという思惑があるの ではないだろうか.もちろん商店主からの反発はあるが,市は20195月に,Rue de la Grotte の店舗の一部の入札を公表した.

今回,Rue de la Grotteの数軒の商店にインタビューを実施した.

1)南仏プロヴァンス地方の商品を扱う店の女性オーナーの話の要約

土産物の販売は2013年より開始.2013年以前は同店内で食べ物を中心とした土産物 18を経営していたが,他店との差別化を図りプロヴァンス地方の商品を中心に販売する ようになった.店(Mur) の所有者と地主(Terrain) は別にいるが,彼女自身は営業権(Fonds de commerce)を所有しているので,自由に商品を選び商売をすることができるとのこと であった.

彼女の話から,フランスの商店の構造は建物の所有者,地主,営業権の三本立てである ことがわかった.この店舗の土地所有者はルルド市でないことが判明し,ピネル法適用外 のケースであった.

2)名入れタオル店の男性従業員(ミシンを扱う)の話の要約

彼はイタリア人であり,経営者ではないので詳しい話はわからないが,ルルド関連商品 はまったく扱っていないとのことであった.3年位前から営業開始した.イースターから 10月までのシーズン以外は営業をしていない様子であった.

3)教会関連商品を売る女性従業員の話の要約

40年前から営業している.別にさらに一店舗をルルド市内で営業.Rue de la Grotte 店舗は季節営業だが,もう一つの店は一年中営業している.専門店ではあるが,観光客も 気軽に店内に入れる.Rue de la Grotteの特徴から観光客が入ってくるのは当然だろうと のこと.商品のカタログがあり司祭などの衣装や装飾品などが詳細に掲載されていた.フ ランス製品であることが強調されていた.

4)ルルド土産だけを扱う土産物店(キッチュな外観の店)の経営者の話の要約(写真9 冬でも一定の観光客はあり一年中営業している.特に2月は第一回目の「出現」があっ た月なのでそれなりに客はいるとのことであった.50年前くらいから営業しているが正 確にいつからかはわからない(忘れた?)との回答であった.家族経営(店内には,夫婦,

20代か30代くらいの息子)の店舗である.客の国籍を聞いたところ,①イタリア人,② イギリス人,③スペイン人ということであった.近年はアジア人(中国人,韓国人)が多く,

8月中はインド系の客が多いとも話していた.

(13)

(49) 写真9 年間を通して営業する土産物店

5)ベトナム系レストラン店の男性従業員の話(店内は狭いが,舗道に4テーブルを設置)

店主はその場にいたベトナム系らしい女性だが,接客を行うのは元気のよい(かなり強 気な)フランス人である.そのフランス人は,815日の聖母被昇天の祝日には250 以上の客の来店があり非常に忙しかったこと,この店舗の他,ルルド市内(旧市街)に店 舗があること.また3軒目を考えていることなどを饒舌に語ってくれた.以前,ルルド市 内の店舗ですしを提供したこともあったが,ルルドによい素材がないのでやめた話や3 目は朝食を出す店にしたいとの見通しを語っていた.この場所(Rue de la Grotte)では いつから営業しているのか,との質問には,10年以上前からとの回答があった.

以上の5店舗はいずれも,ルルド市の売却対象外のようであった.それは1)の女性の話から,

フランスで商売を行うには,土地,建物の契約の他に営業権が重要であることが分かったためで ある.またピネル法に関して一言も意見が出なかったことも対象外であると推測された理由であ る.今回ルルド市が売却をすることができるのは,営業権が発生しない店舗だと思われる.イン ターネット上で公開された店舗を確認したが,外見を確認するだけに終わってしまったため今後 の調査が必要である.

(5)商店街の分類

ゾラやユイスマンスが非難した商店街には,相変わらず「世俗的な」「商業主義的な」雰囲気 が継続し存在するものの,単にルルド土産を扱う店ばかりではなく,業種はいくつかのカテゴリー に分類することができる.本稿では以下の7種に分類する(表1).

1昔ながらの土産店

2フランスの典型的な商品を扱う土産物店  3アクセサリー店

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写真10 アクセサリー店 4教会関連品専門店

5スーパーマーケット方式:かごが用意され,多種多様なルルドグッズが用意されている.

フランスともルルドとも無関係商品を扱う店 飲食店 カフェ,レストラン

1 カ系など)

表1

ちなみに,ルルド聖域の入り口では,kakigoriも売られていた.

写真11 kakigooriとその内容についてパネルで説明をしているかき氷屋

巡礼者,観光者目当てのあたらしい業種の店舗はますます増えていくのであろう.2の

「フランスの典型的な商品を扱う土産物店」は,フランス旅行の一環としてルルドを訪れる 観光客の存在を示しているようである.19

6. 終わりに

19世紀中葉,「いきなり観光地」のごとく成立したルルドは,鉄道,写真,新聞など近代 の産物を利用しながら,当初から観光巡礼地というこれまでにない新しい形態の巡礼地と して発展した.ベルナデットというキャラクターはルルド巡礼において「中心」ではないが,

彼女の存在がなければマリアも出現することはなかった.またそのストーリー(コンテンツ)

が不在であれば,ルルドは観光巡礼地として宗教を問わず人々を魅了することはなかった であろう.近年,とりわけ2015年の一連のテロ後はフランスにおいて宗教に対する関心が 低い.しかしながらスピリチュアルツーリズムの人気は年々上昇している(Atout France,

Canard enchaîné N.152).この新しいツーリズムは「信仰」を中心に置いた巡礼とは異なり,

「自分自身」を見つめ直すなど,「自己」を中心に置いている20.ルルド巡礼において,昨

種類 内容

1昔ながらの土産物屋 数珠(大衆向けの)、マリア像、キーホルダー、マグカップ、皿、財布、ろうそくなど 2フランス土産の店 プロヴァンス地方の土産物、フランスの典型的な菓子、パテ、ワインなど 3アクセサリー店 時計や一般のアクセサリー

4教会関連商品専門店 司祭ら、教会関係者たちの袈裟、教会の装飾品など 5スーパーマーケット方式の土産物店 買い物かごが入り口に用意された店舗、ルルド土産の専門店 6フランスともルルドとも無関係商品を扱う店 名入りタオル、一般の服飾品を扱う

7飲食店 ブラッスリー、カフェ、ピザショップ、中華、ベトナム料理など

ちなみに,ルルド聖域の入り口では,KAKIGOORIも売られていた.

写真11 KAKIGOORIとその内容についてパネルで説明をしているかき氷屋

観光客(巡礼者)目当てのあたらしい業種の店舗はますます増えていくのであろう.2の「フ ランスの典型的な商品を扱う土産物店」は,フランス旅行の一環としてルルドを訪れる観光客の

(15)

(51) 存在を示しているようである19

6.終わりに

19世紀中葉,「いきなり観光地」のごとく成立したルルドは,鉄道,写真,新聞など近代の産 物を利用しながら,当初から観光巡礼地というこれまでにない新しい形態の巡礼地として発展し た.ベルナデットというキャラクターはルルド巡礼において「中心」ではないが,彼女の存在が なければマリアも出現することはなかった.またそのストーリー(コンテンツ)が不在であれば,

ルルドは観光巡礼地として宗教を問わず人々を魅了することはなかったであろう.近年,とりわ 2015年の一連のテロ後はフランスにおいて宗教に対する関心が低い.しかしながらスピリ チュアルツーリズムの人気は年々上昇している(Atout France, Canard enchaîné N.152).こ の新しいツーリズムは「信仰」を中心に置いた巡礼とは異なり,「自分自身」を見つめ直すなど,

「自己」を中心に置いている20.ルルド巡礼において,昨今,ライバル巡礼地のスペイン・サンチャ ゴのように身体的な苦痛を伴うことで巡礼が完結することはない.しかし,ルルドの周囲には,

冬はスキー場,夏はハイキングやマウンテンバイクで滑降を楽しむことのできる温泉保養地コー トレ(Cauteret) や,世界遺産のガヴァルニー圏谷(Cirque de Gavarnie) があることから,聖 域内では精神的な充足感を,近郊ではハイキングで肉体的な充足感を得ることが可能である.観 光巡礼地の楽しみ方は,「信仰」を一方の極としつつも,自分自身を見つめるスピリチュアルツー リズムを経て,一般的な観光に至る広い事象を包合しており,それらを結びつけているのがストー リーとキャラクターなのではないか.19世紀におけるマリア出現の地はルルドに限らないが,

160年もの間,観光客(巡礼者)の絶えない例が他にはないことも事実である.この観点からル ルドを他の巡礼地と比較し,その特質をいっそう浮かび上がらせることを次の研究の課題としたい.

謝辞

この研究はJSPS科研費19K12588の助成を受けたものです. 

【参考文献】

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Dauberive, Bernard (1896) Guide du pèlerin et du touriste : Lourdes et ses environs, illustration et plan, G. Bonamy, Editeur, Paris.

羽生敦子(2018「観光地ルルドにおけるホスピタリティに関する試論」言語・文学研究論集, 白百合女子 大学言語・文学研究センター, (19) : 41-58

Laurentin, René (1957) Lourdes 1858 Documents authentiques 1, P. Lethielleux, Paris.

――――(1978) Vie de Bernadette, Desclée de Brouwer, Paris.

――――(1979) Visage de Bernadette 1, 2, P. Lethielleux/Lʼoeuvre de Grotte, Paris.

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(16)

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関一敏(1993)『聖母の出現 近代フォークカトリシズム考』, 日本エディターズ出版部, 268p.

【URL】

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http://www.hotelalourdes.com/lourdes/(2019515日検索)

https://www.lemonde.fr/religions/article/2018/02/11/l-eglise-reconnait-un-nouveau-miracle-survenu-a- lourdes_5255213_1653130.html(2019510日検索)

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http://www.lourdes-infos.com/65100lourdes/IMG/pdf/c_om_sncf_et_rff.pdf(20191022日検索)

https://www.lourdes-france.org/dernier-train-corail-de-pelerinage-arrive-lourdes/ 20191022日検 索)

【雑誌】

Les dossiers du Canard enchaîné N 152 juillet 2019. 44p « Tourisme spirituel : Embouteillage sur les voies du Seigneur »

【写真】

写真1, 2, 3の出典先 Lauretin 1979 Visage de Bernadette 1 写真 4, 10, 11 20198月 筆者撮影

写真 5, 6, 7, 8, 9 20192月 筆者撮影

【注】

1 1854128日に教皇ピウス9世の回勅によって無原罪の御宿りの教義は公認された.キリストの「無 原罪の宿り」の清浄性を母マリア自身の受胎時にまで延長する教義.(関一敏(1993)『聖母の出現 近代 フォークカトリシズム考』日本エディターズ出版部,268p)

2 Voulez-vous me faire la grâce de venir ici pendant quinze jours? Je ne veux pas vous rendre heureuse dans ce monde, mais dans lʼautre. Je désire quʼil vienne ici beaucoup de monde. Vous prierez pour les

(17)

(53) pécheurs. Vous baiserez la terre pour les pécheurs. Pénitence! Pénitence! Pénitence! Allez dire aux prêtres quʼil doit se bâtir ici une chapelle. Je veux quʼon vienne ici en procession. Allez boire à la fontaine et vous y laver. Vous mangerez lʼherbe qui est à côte. JE SUIS LʼIMMACULEE CONCEPTION 上記の文章はBernard Dauberive (1896) Guide du pèlerin et du touriste : Lourdes et ses environs, illustration et plan G. Bonamy, Editeur からの引用であるが、JE SUIS LʼIMMACULEE CONCEPTION の声は第16回目の出現時であり,それ以前の文章に直接続くものではない.ガイドブックということもあり,

最初の言葉とクライマックスの言葉を紹介したのではないか.

3 

 ローランタンは,220日から44日までのルルドへの来訪者数のグラフを作成した(Laurentin, 1957) 35日から17日までの来訪者数の減少については「悪天候」のためと分析している.またこの 人数は,警察(警備)がカウントしたと記している.

4 54日 Le préfet de Lourdes déclare : Toute personne qui se dit visionnaire sera immédiatement arrêtée et conduite à lʼhospice de Lourdes (Laurentin, 1999 : 138-139)

5 マリア出現譚の類似的典型 :子供もしくは若い羊飼いの娘への出現,聖母のメッセージ,奇蹟の泉,自然 発生的な巡礼,信者による礼拝堂の建立,その場所の不思議を記録する活動的な司祭の登場(J.-F. Soulet

1974)la Vie quotidienne dans les Pyrénées sous l’Ancien Régime du XVIe au XVIIIe siècle, Hachette, Paris : 226-227).

6 Maurice Denis (1870-1943) フランスのナビ派の画家.風景画と宗教画を多く残す.

7 Bernadette est la première sainte photographiée. Lʼabbé Laurentin a passé 25 ans à retrouver ses 75 photos dispersées. Il les a datées, attribuées à leurs photographes, il a trié lʼauthentique et les contrefaçons, expertisé les meilleures épreuves, jugé de la valeur de chaque portrait (peint) fait dʼaprès nature ou de pure fantaisie – ce qui est le cas, même pour Maurice Denis.

8 ベルナデットは忘我の状態は自分じゃわからないと言っている.

9 L’Illustrationでは,Voltaireの言葉,「奇蹟というものはパリ科学アカデミー,あるいはロンドン王立学 会,医学界の立会いの下なされる現象である」を引用し19世紀という科学の時代にミラクルとは,と懐疑 的な立場にいる.またルルドでおこったこの騒動が大変話題になっていることも記載されている.

10 Le renouvellement de lʼorganisation spatiale de la ville de Lourdes sʼest opéré sous la conduite des acteurs ecclésiaux. Marie-Hélène Chevrier (2016 : 5)

11 好奇心Curiosité, 発見Découverte,これこそツーリズムの特徴なのではないだろうか.恐らく一般的に

はツーリズムとマスツーリズムが同義語となっているために「ツーリズム」のニュアンスが嫌遠されるの であろう.

12 山中弘(2012『宗教とツーリズム』(世界思想社)の序章で,理論的な「宗教―ツーリズム」論が紹介 される.さらに,コリンズ=クライナーとクリオットによるキリスト教に縁の深い聖地を訪れたカトリッ クとプロテスタント双方の巡礼団の意識と行動の調査を紹介する(Collins-Kreiner&Kliot 2000 : 55-67).

「宗派でみると,カトリックの77%が巡礼者だと考えているのに対し,プロテスタントの場合は35%と大

参照

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