民主化の力としてのナショナリズム —台湾の民主化を事例に— [ PDF
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(2) しいのであるが、 アンダーソン以前のナショナリズム論は、. ズム、国民国家の勃興は、達成すべき理想として世界各地. 山口に従い、 「客観説」 「主観説」 「折衷説」にわけ、そして. へと飛び火し、世界各地でそれぞれに適合したかたちで模. 山口自身のナショナリズム論を検討する。これらアンダー. 倣されるようになる。. ソン以前のナショナリズム論は、ネイションとは何かとい. 出版資本主義はネイションの土台が如何に形成されたか. うネイションを実体化した問いの立て方をしながらも、そ. を、モジュール論は何故かくも世界各地にネイション、ナ. の実それらは、これをネイションとしたいといった結論が. ショナリズム、国民国家が広まったのかを説明するもので. 先にあるようなものであったり、ナショナリストのイデオ. ある。アンダーソンは印刷と資本主義の合体に最大の重要. ロギーをそのまま写し取ったようなものであったりと、ネ. 性を与え、それ故にナショナリズムを近代の産物と見る。. イション・ナショナリズムを的確に把握することに失敗し. それは近代を体現し、近代的諸価値の土台であるが故に、. ているばかりでなく、実体的なものとして把握することに. それは一度つくりだされるとモデルとなり、世界各地へ広. さえ失敗している。. まる。だからアンソニー・スミスは、アンダーソンをナシ. そこで登場するのがアンダーソンの『想像の共同体』で ある。これはかの有名な定義からもわかるように、ネイシ ョンを実体的なものとして捉えていない。 曰く、 「国民とは. ョナリズム論における近代主義者と呼ぶ。この近代主義の 徹底をアーネスト・ゲルナーにみることができる。 ゲルナーの『民族とナショナリズム』は『想像の共同体』. イメージとして心に描かれた想像の政治共同体である」 。 こ. とほぼ同時期に出版されたものである。ゲルナーのネイシ. れはある種のコペルニクス的転換であったのであろう、ネ. ョン・ナショナリズム論を一言でいえば、それは近代産業. イションを実体的なものとして捉えないという方法論は、. 社会の構造的必然といったところであろう。何故ネイショ. 以後のネイション・ナショナリズム論のスタンダードとな. ン・ナショナリズムが近代の必然であるのか。近代産業社. る。. 会とは、それが機能するためには文化的な同質性を必要と. アンダーソンはネイションの起源を出版資本主義を媒介. し、そのためのイデオロギーを生み出すことのできる社会. にした共同体の胚の創造にみる。宗教改革によるドイツ語. である。何故なら、近代産業社会とは高度に分業化が進ん. 訳聖書の普及は活版印刷技術の発展によって可能となった. だ社会であり、それ故に移動可能で知識と技術をもった人. が、それによって出版資本主義が成立し、印刷された言葉. 間を必要とする。それらの人間は流動的であるが故に、平. が登場する。この印刷された言葉は主権国家のという限定. 等である。さらに、分業化に適応する人間は置換可能でな. された範囲内でしか流通しないものの、その流通範囲内に. らなければならない。すべての人間を置換可能にするため. おいてはそれを共同体として創造することが可能となる。. には、大衆に対して公的で規格化された義務教育が必要と. 共同体を創造することが可能となることによって、個々人. なる。大衆に義務教育が施されると、読み書き能力を備え. は自己の存在を確認することが可能となり、また、本来な. た人間の数は増えていき、その個人は必然的にそれまで一. らば知り合うべくもない遠くはなれた人々と、同一の時間. 部エリートのものだった高文化にアクセスできるようにな. と同一の空間を共有する同一の共同体に属しているという. る。教育の発達によって高文化への平等なアクセスが普及. 感覚を獲得することができるようになる。これが出版資本. すると、その高文化は一部の特権的なものではなくなり、. 主義によって形成されたネイションの胚である。このネイ. 普遍的な高文化となる。流動的であったが故に平等であっ. ションの胚は、ラテン語の没落、行政俗語の誕生などの要. た近代社会は、読み書き能力の普及によって、文化的にも. 因と相俟って、 ネイションとなる。 近代の必然的な流れか、. 平等となる。. 偶然的な流れか、それはネイションとして想像されるよう. この同質的で平等な社会がネイションの土台であり、そ. になる。ある限定された範囲内で、それを一つの共同体と. れこそがネイションとなる。 近代社会の成立条件のために、. して想像可能になることでネイションは準備された。. ネイション・ナショナリズムは近代産業社会の構造的必然. このネイションは、18世紀末の革命の嵐の中で、国民. とされるのである。. 国家、共和制、公民権、人民主権などといった理念の必要. アンダーソン、ゲルナーとみてきて、一つの、しかし根. 不可欠の土台となり、それは実現されるべきモデルとなっ. 本的な疑問が生じる。それはネイションとは創造や発明な. た。このモデルがひとたびつくりだされると、それはモジ. どといえるほど、全くの無から生じるものなのであろうか. ュールとなって、ある意味無自覚に、ある意味自覚的に、. という疑問である。確かにネイションもナショナリズムも. 様々な社会へと移植され、さまざまな政治的、イデオロギ. 近代のものであろう。とはいえ、ネイションは無から生ま. ー的パターンと結合していく。 これがモジュール論である。. れないのではないだろうか。誰が何もそこに実感がないも. 南北アメリカと西欧で起こった、ネイション、ナショナリ. のを信じるだろうか。どうして何の実在もないものに愛着.
(3) を感じることができるであろうか。この疑問に答えてくれ るのがアンソニー・スミスであり、私は彼の論が最も有効 であると思う。. 有効である。 以上から私はスミスの論に最も有効性を感じる。 よって、 エスニー概念を敷衍したスミスのネイション、ナショナリ. スミスのネイション・ナショナリズム論の核心は、エス. ズムの定義をもって、とりあえずのこの論文での定義とす. ニー概念である。これによってネイション、ナショナリズ. る。それは、ネイションとは歴史上の領域、共通の神話と. ムのほとんどは理解できると思う。 エスニーとは、 「共通の. 歴史的記憶、大衆的・公的な文化、全構成員に共通の経済、. 祖先・歴史・文化をもち、ある特定の領域と結びつきをも. 共通の法的権利・義務を共有する特定の名前のある人間集. ち、 内部での連帯感をもつ、 名前をもった人間集団である」 。. 団であり、ナショナリズムはある人間集団のために自治、. ネイションはこのような性格を持つエスニーを土台につく. 統一、アイデンティティを獲得維持しようとして、現にネ. られる。ただし、一つのネイションが一つのエスニーで構. イションを構成しているか、将来構成する可能性のある集. 成されているわけではない。ネイションは複数のエスニー. 団の成員によるイデオロギー運動であるというものである。. から構成されていることが普通である。しかし、そのとき. 第二章では台湾の歴史をみていく。それは台湾の支配者. も、ある一つの支配的エスニーがあり、それを核に複数の. 史、政治史ともいうべきものである。台湾の歴史は外来政. エスニーが統合されるかたちでネイションは構成される。. 権による統治の歴史なのであるが、民主化によって最後の. この核となる支配的エスニーがネイションの性格や領域を. 中華民国に到って始めて、 それが台湾に根付いたのである。. 決めることになる。このエスニーにも様々なパターンがあ. そこから台湾という地の独自性、大陸とは別の歴史がある. り、そのエスニーの性格によってそのネイションがエスニ. ということがわかるのである。. ックな性格を色濃くもったり、市民主義的・領域主義的な. まず冗長ではあるが、民主化を台湾の歴史の中に位置付. 性格を色濃くもったりする。そしてこのエスニー概念によ. けるために、大航海時代から論は始まる。そこから鄭氏政. って、ネイションという概念を開かれたものにできる。支. 権、清、日本植民統治、中華民国国民党の支配と続き、最. 配的なエスニーを核に複数のエスニーが統合され、支配的. 後に民主化の内容が描かれる。. なエスニーは他のエスニーやエスニックな残滓を国家の中. 台湾の民主化とはとりもなおさず、政治制度の民主化、. に統合したりしながらネイションが形成されるのであるが、. 選挙を広く台湾住民に開くことである。台湾の民主化は決. それは歴史的・政治的な力関係によって決まるのであり、. して分離・独立運動ではない。もし台湾が分離独立運動で. それによってネイションの多様な性格が理解できる。支配. あったならば、それは国民国家への道とはならなかったか. 的エスニーがネイションの性格を決めるとはいえ、ネイシ. もしれない。台湾の民主化は日本植民統治の最期にその萌. ョン自体が複数から構成されている限り、周辺的エスニー. 芽がみられる。日本の国会に議員を送り込もうという運動. もネイションに影響を及ぼす。ネイションを一枚岩の実体. である。それは日本において承認されたものの、ついぞ行. として描くのではなく、歴史的・政治的力関係を反映した. 使されることのないまま敗戦を迎えた。これが台湾民主化. 多様性をもったネイションを描くことが、このエスニー概. の原点である。これによって台湾の民主化運動は分離・独. 念で可能となる。. 立運動となることはほとんどなかった。あくまでも民主化. このようなエスニー概念から導かれたネイションには大. 運動だったのである。中華民国の民主憲政という建前、そ. きく分けて二つの類型がある。領域的・市民的ネイション. して台湾をめぐる国際環境の変化などによって、1987. とエスニックなネイションである。領域的・市民的ネイシ. 年に戒厳令が解除され、民主化の第一段階が終わった。そ. ョンとは、大衆を動員するにあたって市民権や平等、民主. してこの年以降、本格的な民主化が始まる。国会議員選挙. 主義といった西洋的価値を導入し、それによって結び付け. を行ない、国家元首の民選を行ない、複数政党制が確立さ. られるネイションである。エスニックなネイションは、血. れ、 台湾住民に広く選挙を開くことで民主化は達成された。. 統や土地、文化などの同一性に重きを置き、それを強調す. 台湾の歴史とは、大陸とは全く違った、台湾独自の歴史. るネイションである。しかしこの二つの類型は相対的なも. である。日本の統治を受け、国民党の支配を受け、それで. のであり、どのネイションも多かれ少なかれこの二つの性. も民主化を達成した独自の歴史なのである。. 格をもつ。それはエスニーの性格、エスニーがどのように. 第三章では、一章と二章をもとに、台湾の民主化を分析. ネイション化するのかによって区別されるのであるが、ど. する。台湾の民主化の第一段階を達成したのは 南ナショ. のようなネイションもエスニックな基盤なしには存在せず、. ナリズムである。これは省籍矛盾から発するものである。. 市民的な価値なしには成立しない。とはいえ、ネイション. 省籍矛盾とは、台湾最大のマジョリティである 南系と台. がどのような性格をもつのかを判断する際に、この分類は. 湾の支配者である国民党との間にある、政治的・経済的格.
(4) 差である。この 南ナショナリズムを梃子に、本省人と呼. のような 南ナショナリズムから発するものではなく、民. ばれる人々を結集することで、 初期の民主化は達成された。. 主主義という理念で結ばれあう、台湾という地の経験をも. この初期の民主化が達成され、本格的な政治制度の民主. とにした台湾ナショナリズムから発する、新たな台湾ネイ. 化が始まる90年代に入ると、様相が少し変わってくる。. ションなのである。それは中華民国という擬似国民国家か. 南系、客家系、先住民族諸族、外省人と四つのエスニッ. ら台湾という身の丈にあった国民国家への発展であり、そ. ク・カテゴリー(四大族群)が強調され始める。しかし、. れは選挙という制度によって触発された国民意識をもとに. これらのエスニシティが強調されても分離・独立運動には. している。それ故に、台湾では民主化が国民国家へと到る. 到らない。何故なら台湾の民主化が選挙という国家の範囲. 道なのである。. に限定された、ナショナルに限定されたものを争点に、そ れを広く住民に開くことであったからだ。よってこの四大 族群をまとめることが民主化の次の争点となる。これを族 群和諧という。この族群和諧は最大マジョリティである. 3.結論 最期に四章が結論となる。台湾を事例に見たように、ナ. 南系を核として他のエスニシティを統合するというかたち. ショナリズムとは民主化を進展させた原動力である。それ. をとる。ここに 南系を核とした新たなネイション創造を. は緩やかに開かれたネイションを創造し、それをもとに国. 見出すことができる。スミスの論でいえば、 南系という. 民国家を建設し、そこに広く国民に開かれた政治制度をつ. エスニーを核としたネイション創造である。 南系という. くりだす。ネイション、国民国家、民主主義、それら近代. 支配的エスニーを核に、選挙という近代的な制度によって. 的諸価値を実現するのがナショナリズムなのである。それ. ネイションを創造するために、台湾の新たなネイションは. らにかわる価値が登場しない今、それらを理想に社会が動. 領域的・市民的ネイションの性格を色濃くもつ。. いている今、それらを実現するナショナリズムは必要不可. この新たなネイション創造は、支配的エスニーである. 欠な力であるのだ。 ナショナリズムとは排他的なものでも、. 南系が台湾人というネイションの枠組みをつくるのだが、. 偏狭なものでも、過激なものでもない。それは近代に必要. それは民主化の進展とともに発展してきたものであるが故. 不可欠の、未だにとってかわるもののない近代的諸価値実. に、国家建設とともにあらわれる。台湾ではまさに、ネイ. 現のための、必要な力なのである。. ション・ビルディングがステイト・ビルディングとなるの である。選挙というナショナルな範囲に限定されたイベン トを通じて、 南系を中心に族群和諧というかたちでネイ ションが創造され、選挙という国家的イベントを通じるが 故に、国家建設という側面をももつようになる。だから台 湾の民主化は中華民国の国民国家化というベクトルをもつ。 台湾の民主化は 南ナショナリズムから出発し、既存の 中華民国の実質的な領域と枠組みを利用し、そこに新たな 台湾人というネイションを創造し、その新たなナショナリ ズムによって、それにあった台湾大の国民国家をつくろう とするものである。 台湾の民主化は国民国家化のベクトルをもつ。それは国 民国家の外枠、領土や国際的な主権などは中華民国からそ のまま継承し、しかし、国家元首や国会議員の選挙という ものを通じて、すべての住民に国民というかたちで主権を 委譲することでなされたものである。そういった意味で台 湾の国民国家へ到るパターンは、ステイトに合わせてネイ ションを創造していくパターンであるということができる が、日本植民統治や国民党による圧政という経験、台湾と いう経験は、 一つの歴史的なまとまり、 歴史的記憶であり、 それ自体がネイションのようなものであるともいえる。し かしともあれここでのネイションは、以前の民主化運動時.
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さて,日本語として定着しつつある「ポスト真実」の原語は,英語の 'post- truth' である。この語が英語で市民権を得ることになったのは,2016年
Q.民営化とはどういうものですか、また、なぜ民営化を行うのですか。
自分の親のような親 子どもの自主性を育てる親 厳しくもあり優しい親 夫婦仲の良い親 仕事と両立ができる親 普通の親.
処分の違法を主張したとしても、処分の効力あるいは法効果を争うことに
その後、徐々に「均等範囲 (range of equivalents) 」という表現をクレーム解釈の 基準として使用する判例が現れるようになり
「教育とは,発達しつつある個人のなかに 主観的な文化を展開させようとする文化活動
しかし、近代に入り、個人主義や自由主義の興隆、産業の発展、国民国家の形成といった様々な要因が重なる中で、再び、民主主義という
と言っても、事例ごとに意味がかなり異なるのは、子どもの性格が異なることと同じである。その