.12熊本県阿蘇地方の土砂災害から学ぶ
政策研究大学院大学 特任教授 池谷 浩 はじめに 今年7月11日から14日にかけて本州付近に停滞した梅雨前線に向かって湿った空気が流れ込み九州 北部を中心に、気象庁が「これまでに経験したことがないような大雨になっている」と発表(7月12 日6時45分熊本地方気象台)するほどの豪雨が記録された。 気象庁の降雨資料によると熊本県阿蘇乙姫では、7月12日最大1時間雨量108.0㎜、2時~6時ま での4時間に384.5㎜という豪雨が降った。阿蘇地方に降った豪雨は白川を流れ下り、県都熊本市で も洪水氾濫の被害が発生している。この豪雨は気象庁により「平成24年7月九州北部豪雨」と名付け られた。 九州北部豪雨により各地で被害が発生したが、熊本県下だけをみても死者・行方不明者25名、重・ 軽傷者11名、全壊家屋209棟、半壊家屋1,262棟など(8月10日現在、消防庁調べ)悲惨な被害が発生 している。 本文では特に阿蘇地方に発生した土砂災害の実態から、何を学ぶかについて述べることとする。 1.土砂災害の実態 阿蘇地方の土砂災害では、死者・行方不明者22名、全・半壊家屋30棟という被害が発生している(国 土交通省砂防部調べ)。これら悲惨な土砂災害を発生させた土砂の移動現象は、崩壊や崩壊土砂の流 動化に伴う土石流である。 具体的な土砂災害事例として阿蘇市一の宮町坂梨の災害を示そう。 死者6名、全壊家屋6棟という悲惨な被害を出した坂梨地区の土砂災害(写真1)は、上流域での 数箇所にわたる崩壊による土砂と立木が多量の水とともに流下したことによっている。 崩壊発生前から泥水が多量に道路を流れていて、午前6時頃「ドーン」という音がした直後に杉の 木が立ったまま津波のように押し寄せてきたという住民の証言(7月14日、西日本新聞)からも崩壊 現象が発生してすぐに下流域で災害をもたらしている様子がうかがわれる。 阿蘇地方での土砂災害発生時刻に関して、筆者らによる現地での聞き取り調査により時刻が特定さ れた10箇所のうち、最も発生時刻が早かったのは阿蘇市一の宮町三野三閑で発生した表層崩壊による もので、午前5時前に災害(死者1名)が発生した。続いて午前5時頃に3箇所、6時前に1箇所、 6時頃に4箇所、6時30分頃に1箇所、災害が発生している。 すなわち、ほとんどの土砂災害は、時間雨量が80㎜を超す豪雨の最中に発生していることが分かる (図1参照)。写真1 阿蘇市一の宮町坂梨地区の土砂災害
図1 2012年7月12日の豪雨(気象庁阿蘇乙姫観測所) 2.人的被害はどこで発生したか
阿蘇市一の宮町坂梨で発生した土砂災害(図2)を取り上げて調べてみよう。この災害では死者6 名のうち5名が1軒の家屋で発生していて、もう1名は屋外で亡くなっている。
図2 阿蘇市一の宮町坂梨地区の災害状況 被害を発生させた土砂の流下方向を倒れた木の向き等から調べると(図中の矢印)、5名が犠牲と なった図中①宅はまさに流れの直撃をうける場所に存在している。 全壊となった図中②宅の住人は「自宅1階に大量の土砂が流れ込み、2階で身動きが取れなくなっ た。外を見ると近くの古木さん宅が押しつぶされるように流されていた」と述べている(7月14日、 毎日新聞)。 同じく全壊となった図中③宅の住人は、「家の前の道路は流木混じりの濁流、6時過ぎ勤務先に出 勤できないかもと連絡した。その直後、台所のガラス戸が割れ濁流が入ってきた」(7月17日、熊本 日日新聞)と述べているように直撃のレベルが異なっている。 なお、屋外での死者1名については、土砂氾濫域の下流端に近い道路を歩いていて土砂の流れに巻 き込まれたもの(7月14日、西日本新聞)であった。 今回被災した阿蘇地方のうち、阿蘇市一の宮町地区では平成2年7月2日の豪雨により土石流が多 発し被害が生じていた。そこで再度災害防止対策として砂防堰堤等の防災施設が施工された。 今回の災害ではその時に作られた砂防堰堤が効果を発揮して流出土砂や流木を貯留し、下流での被 害を防止している箇所が多く見受けられた(写真-2参照)。土砂災害防止対策の基本は砂防堰堤等 のハード対策で安全な国土を創出することであることが今回の災害で実証された。
写真2 砂防堰堤(写真左端)の災害防止効果(中園川)((株)パスコ提供) 3.人命を守るために阿蘇災害から学ぶこと 地域住民の安全を確保するためには砂防堰堤のようなハード対策と避難というソフト対策による対 応が必要であるが、今回の災害では何故避難により人命を守ることはできなかったのだろうか。 阿蘇市では午前4時に避難勧告を出し、防災行政無線を使って避難を呼びかけた。現地調査時に地 元の区長さんが個別に避難を呼びかけた事実も確認している。 このような状況の下、避難に関しての現地での聞き取り調査や新聞記事からは、多様な実態が浮か び上がった。 ・避難しようにも外は暗く大雨で、家の前の道路には水が勢いよく流れている状況で、とても避難は できなかった(一の宮町手野)……場合によっては早期避難も難しいという実態 ・「ゴー」という音とともにすぐに土砂が流れてきた。逃げる暇がなかった(一の宮町中坂梨)…… 前兆現象で避難することが難しい実態 ・午前5時頃地震のように家がゆれて目が覚めた。外を見ると目の前の道路と畑は泥水が流れる川と なった(7月13日、日本経済新聞)……4時の避難勧告に気付いていない人がいるという実態 これらからも分かるように避難勧告だけで全ての住民の避難がうまくいくというものではない。今 回の災害でも事前に避難した方も多くいるようだったが、崩壊等の現象が起きてから避難した方も多 くいた。 では、どうすれば今回の阿蘇地区の土砂災害から少なくとも人命を守ることができたのであろうか。 同じ阿蘇地区の土砂災害で命が助かった人々からの話が一つのヒントになると考えられる。 ・家の窓から木が入ってきたので慌てて逃げた(一の宮町東手野) ・1階に土砂が入ってきて2階へ逃げた(一の宮町坂梨) ・「バキッ」という大きな音がして木と土砂が崩れてきた。2階に避難した。(一の宮町三閑) 土砂災害から少なくとも人命を守るためには、まず自分の住んでいるところの地形をよく調べ、土 砂災害の危険区域かどうかを知る。区域内である場合は近くで安全なところはどこかを平時から確認 し、避難勧告等が発令されたら安全な場所にすみやかに移ることが大切である。 一方、危険区域外だと思っているところでも何か変だ、いつもと異なる現象が起こっている、と感
じたら近くの安全な場所に移動する。もしそのような場所が分からない時は自宅の2階などで山から 遠い部屋に移ることが命を守るために必要である。 もちろん、大雨警報や土砂災害警戒情報などが発令されたら、住民の皆さんが早めの避難をし、避 難して何も無かった場合でも「避難してよかったと思える楽しい避難」の実施を検討する必要がある だろう。 そして、これらの避難行動ができるよう防災情報の発令時期や、確実に住民全員に防災情報が伝わ りそれにより避難行動に移ることができるような情報伝達・受信方法を平時から確認しておくことが 大切である。 末筆ながら本災害で亡くなられた多くの御霊に心より哀悼の意を表するとともに、被災された皆様 にお見舞い申し上げる次第である。 『一般財団法人消防科学総合センター 季刊「消防科学と情報」No.110,2012,秋季号』より転載
平成2年7月九州北部豪雨災害の被害と対応
熊本県阿蘇市総務課 総務課長 髙木 洋 1 はじめに 阿蘇市は、九州のほぼ中央部、熊本県の北東に位置し、平成17年2月に2町1村(一の宮町・阿蘇 町・波野村)が合併し誕生、面積は約376.25㎢、人口約29,000人の日本を代表する活火山である阿蘇 山の麓に広がる市です。 地形は、阿蘇五岳を中心とする世界最大級のカルデラや広大な草原を有し、比較的平坦地の多い阿 蘇谷と、起伏に富み傾斜地の多い阿蘇外輪地域で形成されています。気候は、年平均気温が約13℃で、 年間降水量は約3,000mm です。四季を通じて比較的冷涼で多雨な地域であるため、平坦地では稲作を 中心とした農業が盛んであり、山間地では高冷地野菜の生産にも取り組んでいます。 2 消防団の紹介 阿蘇市消防団は12分団28部73班で組織され、条例定数834名に対して現在801名(団長1名、副団長 3名、女性消防団員7名含む)となっています。また、ポンプ車4台、小型動力ポンプ付普通積載車 52台、小型動力ポンプ付軽積載車18台、計74台の消防車両等により活動を行っています。 3 九州北部豪雨の概要 平成24年7月12日は、未明から雷を伴った激しい豪雨になり、24時間で493mm の降水量となりまし た。午前5時までの3時間に288.5mm、午前6時頃には1時間に108mm を記録、いずれも観測史上最 大値を更新し、想定を遥かに超えた数時間にも及ぶ豪雨となりました。 この記録は、あくまでも観測点での数値であり、被害が激しかった山際の地域の時間雨量はもっと 多かったものと思われます。まさに気象台でも表現されたように「これまでに経験のないような」状 況でありました。これは発達した梅雨前線と阿蘇カルデラの上昇気流が発生しやすい特殊な地形が大 きく影響したものと思われます。 この大雨で、阿蘇市ではかつてない被害に襲われました。阿蘇特有の火山灰土及び地形・地質が影 響し、大規模な土砂崩れが発生、21名の方々が亡くなられ、依然1名の方が行方不明となっています。 同時に、阿蘇市を横断する一級河川白川水系の支流である「黒川」が氾濫し、河川沿いの多くの家 屋が浸水しました。住家被害は、阿蘇市全体で全壊60棟、大規模半壊13棟、半壊1,108棟、床上浸水38棟、 床下浸水が389棟にも上ります。また、山腹・林道崩壊が356箇所、その他農業及び畜産関係、商業関 係、主要道路、公共施設など甚大な被害となりました。 ○被害状況 【人的被害】 ・死 者 21人(熊本県23人) ・行方不明 1人(熊本県 2人) ・重傷者 1人【住家被害】 ・全 壊 60棟 ・大規模半壊 13棟 ・半 壊 1,108棟 ・床上浸水 38棟 ・床下浸水 389棟 【農林畜産業被害】 ・農地被害 2,068ha 10,806箇所 ・山腹・林道崩壊 356箇所 【公共土木施設】 ・道 路 306箇所 ・河 川 132箇所 ・橋 梁(落橋) 4箇所 4 土砂災害の概要 災害に至った要因、その主因として、次の3点が挙げられます。 ① 今までにない雨量 これまでに経験した事のないような大雨が短時間に集中的に降ったこと。 ② 阿蘇特有の火山灰土 阿蘇地域の山々は有史以来の火山活動によりできたものであり、溶岩で出来た岩盤の上に火山灰が 堆積、幾層にも重なり合う薄い地層であること。 そして、この火山灰土は地元では、黒墨土(くろぼくど)とも呼ばれ、多量の水分を含むと膨張し 崩れ易くなる傾向があり、その上に、終戦後の国の造林政策により、育ちが早く根入りの浅いスギが 植林されていたことも被害が大きくなった要因と考えられています。 ③ 特殊な地形 阿蘇市はカルデラ内に位置し、外輪山との高低差により上昇気流が発生しやすい地形であること。 人々は永い歴史の中で阿蘇カルデラ内の中央部(平坦部)を農地として求め、併せて台風等の風の 写真1 車ほどの大石が多数転げ落ちてきた災害現場
被害を避け、また、岩からしみ出る水を求め、山際に集落を形成し現在に至っており、崩れ落ちたお びただしい量の土砂や岩石、流木は土石流となり、集落を襲い、貴重な人命を奪うばかりか、集落の 狭い道路を埋め尽くし、救助・救出活動や復旧作業の大きな妨げにもなりました。 5 消防団活動について 消防団員については午前3時頃に出動要請を行い、それぞれの受け持ち地域の警戒活動にあたりま した。午前4時には市当局からの一部地域の避難指示、その他全域の避難勧告発令に伴ない、警戒活 動とともに避難の呼び掛けと避難誘導にあたっています。その後は豪雨により、みるみる道路をはじ め至る所で冠水が始まり、道路とそれ以外の境が判らず危険な状況の中で避難誘導を行った班もあり ました。 その後、午前5時頃から6時頃にかけ数十箇所で土砂崩れ等が発生したことを受けて救助要請が相 次ぎ、それぞれが管轄する分団または班毎に災害発生箇所に出動し救助活動を開始、翌日以降も不明 者の捜索活動にあたっています。災害発生から数日間は避難勧告・指示の発令(解除)が繰り返され たため、その度に避難の呼び掛けと避難誘導にあたりました。また避難指示発令中は、それぞれの集 落から人が居なくなったため、防犯対策として巡回パトロールや夜間待機など、昼夜を分かたず活動 に従事しました。 消防団員によっては自宅や車が浸水した団員もおりましたが、消防人としての崇高な使命感から自 らを顧みず、住民の安全・安心を守るため消防団活動に従事していただき、改めて本市、消防団員を 誇らしく頼もしく感じたところです。しかし、消防団員の安全を未然に守ることも市に課せられた重 要な役目でもありますので、身体・生命の危険を感じたら自らも避難するなど“引く”ことも指示を していました。 非常に危険な中での活動でありましたが、大きな事故もなく安堵しています。 6 被災者支援について 発災当初から全国の方々・企業等から多数の支援物資や救援物資・食糧等をご提供いただき、必要 な方々に必要なものが早く届くよう仕分け作業や配布を進め、有効に活用させていただきました。皆 様方には心から感謝申し上げます。 また、社会福祉協議会内に「ボランティア支援センター」を設置、全国から駆けつけていただいた 写真2 救助・救出活動の様子
1万4千名を超すボランティアの方々と依頼者とのマッチングを進め、家屋に流入した土砂・泥の排 出作業、家屋の清掃等にご協力いただきました。 阿蘇市は、高齢化率が30%を超え高齢者のみの世帯も多く、被災された方々から大変感謝されまし た。 災害瓦礫仮置き場・土砂置き場については、市内7カ所に設置、また、自宅敷地内に流入した土砂 等の排土作業費も、行政で負担、想像を超える量であったものの、産業廃棄物協会や建設業協会等の 協力をいただき、何とか撤去することが出来ました。 併せて、特に暑い時期であり伝染病の発生も懸念されたことから、防疫作業を徹底しました。 また、災害救助法の規定に基づき、被災者生活再建支援金・災害見舞金の給付、応急住宅修理の受 付け、応急仮設住宅の建設を進めて参りましたが、救助法の基準額や救助内容が今の生活スタイルに 順応していない部分も多く、被災された方々に大変申し訳なく感じることもありました。 仮設住宅への入居要件を満たさない被災世帯については市営住宅で対応、また、床上浸水世帯は、「住 宅の応急修理制度」の支援対象外であることから熊本県に要望し県独自の制度として、補助制度を新 設していただきました。 7 阿蘇方式による創造的な復旧 阿蘇地域は日本で最初に国立公園に指定された地域であり、豊かな自然と景観を誇る市です。また これまで、阿蘇の大草原を含めその自然景観を国民共有の財産として護り次世代に引き継ごうと世界 文化遺産登録や世界ジオパーク認定を目指し、地域づくりを進めてきました。 しかし、災害復旧事業の中でコンクリート構造物がカルデラ内に点在することになれば当然その景 観は損なわれてしまうことになります。自然石を活用した流路工や間伐材を用いた型枠等の使用によ り、周辺の自然景観と調和した工法とすることで、将来的には「阿蘇方式」と呼ばれるような先進的 な復旧事業、災害防止関連事業となることを望んでいます。 8 火山地質調査と関係自治体との連携 今回の教訓として、火山地質と向き合う必要性を痛切に感じましたので、全国の同様の地質を持つ 自治体と連携し、関係機関への専門調査と防災対策を働きかけていきたいと思っています。 (イメージ)自然石を活用した流路工
9 命を守るために ソフト面として、危険地区においては、明るいうち雨が激しくなる前の早め早めの避難、「予防的 避難」をしっかりと実行しています。住民の方々にも地域の土砂災害、浸水の危険性を認識していた だいた上で、「自分の命は自分で守る」といった意識を確実にし、高齢化が進む中での自主防災組織 のあり方、重要性を市民の皆さんと考え、誰もが速やかに避難できる体制づくりを急務としています。 10 真の復興に向けて 今回の九州北部豪雨災害により甚大な被害を受けた阿蘇市ではありますが、真の復興のためには、 次の4点が実現して初めて真の復興と言えると考えています。 ① ハード面の復旧 治山・砂防・河川から身近な道路、農地、上下水道等の市民生活の隅々にわたる復旧 ② 恒久的な安心・安全の確立 住み慣れた地域での恒久的な安心・安全な暮らしの実現 ③ 被災された方々の心の復旧 生活再建への新しい意欲と向上心、また、これまで以上に郷土を愛する心の育成 ④ 防災意識の高揚 被災された方々は元より阿蘇市民が今回の災害を教訓に高い防災意識を持つこと 11 おわりに 完全復興までにはまだまだ遠い道のりであり、二度とこのような惨事を繰り返すことのないよう市 としての責務を果たすとともに、県がやるべきことは県に、国がやるべきことは国にお願いし、スピー ド感と使命感をもって復興に努めていきたいと考えています。 震災に遭いながらも駆けつけていただいた東北からのボランティアの方々や阿蘇を想い暑い中に 黙々と活動を続けていただいた1万4千名を超すボランティアの方々の思い、阿蘇に想いを寄せ支援 物資や義援金等をいただいた多くの方々の思いを大きな後押しとして全力で取組んで参ります。 今回の被災にあたりご支援をいただきました関係者の皆様方すべてに深く感謝申し上げます。 『一般財団法人消防科学総合センター 季刊「消防科学と情報」No.115,2014,冬季号』より転載