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現代社会における時間意識と「学校の時間」に関する考察 一内的時間と外的時間のバランス形成のために一
人間教育専攻
現代教育課題総合コース 赤 峯 優 衣
現代社会においては、スマートフォンが多く の人々の聞に普及し、 短時間"で簡単にコミュ ニケーションがとれるようになり、知りたい情 報は すぐ"に得られるようになった。また、
自動車号電車などの交通網の発達により、 早くぐ"
目的地に到着することも可能となつた‑家の中 では電イ化七鴎撃製
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品による家事の手間の業生産の過程においても機械の導入が進み、作 業の 効率化"が図られている。
こうした技術の発展は、生活をより便利で快 適にし、現代の豊かさを支えている。こうした 豊かさと共に、「時間は短く、早いものがよしリ という価値観が柾会の中に浸透している。その 価値観の下では、人間の時間意識にも変化が生 じており、それに合わせた行動がなされている。
時間の速さや効率の追求は、人間の行動を活発 にするというメリットがある。しかし、それが 過度に受け入れられていくと、常に短期での結 果を求められ、先を見据えた行動を
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齢、られる。その結果、ゆとりのない生活から欝病や自殺と いった問題に発展することもある。
本論文のテーマは、そうした現代社会の状況 が、教育を受ける子どもへ与える影響は果たし てどのようなものであろうかという問いを中核 にしている。時間の速さや効率化を求める価値 観は、幼少の頃から、子どもたちの中に埋め込 まれる。その結果として、子どもが将来大人に
指導教員 谷 村 千 絵
なった際にも、現代社会の大人と同様に、深刻
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な問題に陥る可能性は高い。し、かにして、その ような駒首環に歯止めをかけられるのだろうれそこで本論文においては、子どもが日前聞に関 する価値観を形成する上で、重要な立ち位置を 占めるであろう「学校の時間」に着目し丸学 校においては、
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年間のカリキュラム、1
日の 時間割、1
時間の授業というように、「時間」が 細分化されている。それらの附苛は、教育にお ける様々な目標をもとに、綿密に計画されて成 り立っている。しかし、それぞれの時間のスケ ールには収まらない、子どもの発達や成長があ るのではないか。現在の学校のシステムにおい ては、決められた短い時間の中で効率化を求め る思考が強要されることになってはいないだろ う7J'b学校は、子どもが主体となって学習がな される場である。それは、知識の習得だけでな く、ものごとに対する姿勢や価値の創造にもあ る。そのーっとして、「時間の速さや効率化を求 める価値観を受け入れすぎるあまり、病気にな ったり、命を落としたりする前に、疑問を抱け るようにするJということが未来ある子どもが 身につけるべき姿勢であると考える。それを身につける上で、子どもが学校で過ご す基盤となる「学校の時間」は鍵を握っている。
「学校の時間」において、すでに管理化された タイムスケジュールが先行してしまえば、子ど
− 46 − もの時間意識は、現代社会にあるものと変わり ないものとなってしまうからである。そこで本 論文では、「学校の時間」の再構築について検討 することを目的とした。
第
1
章では、現代社会の時間意識とつながる2
つの時間観についてまとめた。明治時代に西 洋の技術が導入され、高度経済成長において労 働の変化があった。その時に、季節のように回 帰を可能とする「円環の時間」および「横軸の 日者間Jから、戻ることはない不可逆的な「直線 の時間」および「説瀞由の時間Jへと時間観の変 化がなされた。その後者の時間観が現代担会の 時間意識の中心となる。しかし、人間の荷主は 時間と関係を結ぶことによって柄主を保持して おり、「直線の時間Jおよび「説蹄由の時間Jを中 心とした時間観は、人間とよりよい関係を結び にくく、過酷なものである。同様に、「学校の時 間」である時間割キ校彊についてもみていくと、それらは隠されたカリキュラムとして機能し、
「学校の時間」の身体化によって、時間的秩序 への馴致や望ましいふるまいをもった人格の完 成がめざされている。現代社会における時間意 識と同様に、「学校の時間」も子どもキ朝市にと っても、よりよい関係を築きにくいものとなっ ている。
第
2
章では、個人が内部で意識する「内的時 間」と現代社会における時間意識や「学校の時 間」などの外部から与えられる時間である「外 的時間」との関係について考察した。教育の「未 来を思考する」としづ特性が、現代社会におけ る「直線の時間」および清輝曲の時間jなどの「外的時間」と結びつき、未来を過度に思考す ることにつながっている。そうした状況は、子 どもが同じ「学校の時間」を共有していても、
それぞれの「内的時間」と「学校の時間」との
関わり方にばらつきを生んでいる。表面的には
「学校の時間」に適応できていたとしても、「内 的時間」が置き去りにされたことによって、心 身に不和を生じさせる可能性は高い。
また、郡市は常に、子どもの未来の姿を見据 えつつ、現在の子どもの姿を見ながら指導にあ たっており、子どもの「内的時間」と「外的時 間」の媒介者として前生している。しかし、現 代社会においては、大人自身が「外的時間」に 追われているために、子どもの「内的時間Jに 寄り添うことが難しく、常に葛藤を生んでいる。
そうした事態は、「外的時間」の提示の仕方の技 術を向上させることによって解決が図られてい るが、それは根材句な解決となっていない。未 来を方向付けるのは教育の営みとして必要であ るが、その未来を過度に思考するあまり、「外的 時間」が主軸におかれ、子どもの「内的時笥」
州呆障されることにならない。それは結期句に、
未来を思考しているにも関わらず、子どもの未 来を壊していることに他ならなし、。
第
3
章では、それを回避するために第1
章、 第2
章をふまえ、「内的時間jと「外的時間」の バランスを図り、「学校の時間Jそのものを再構 築する方法の検討を行った。バランスを図ると は、「外的時間」を主軸におき、「内的時間jを 添わせることではなく、「内的時間J
と「外的時 間jが互いに働きかけを行う対話的関係を築くということである。そして、対話的関係を築く 過程を、子ども自身によって行えるようにする ことが最も重要なのである。その具体的な方法 として、剛院教育の実践や、年齢主義を超えた 社会およて)苛矯の提案を挙げたそうした実践 そ提案が積み重ねられていくことで、子どもや 税制「学校の時間」とよりよい関係を結ぶこ
とができるのではなし治、