香 川 大 学 経 済 論 叢 第71巻 第4号 1999年3月 279-305
エーレンベルヒと近代的企業論
一 一 商 科 大 学 設 立 に 関 す る 報 告 書 を 中 心 と し て 一 一梶 脇 裕
I
序 1898年,ライプチッヒにドイツで初めての商科大学が設立されてからすでに 100年が経過した。その間,紅会は近代的に整序され,人間生活は飛躍的に向上 したが,今日,さらなる産業社会の進行,すなわち,近代化の近代化が進行し, かかる近代化の一層の発展可能性に直面する現代社会において大学の果たす役 割は,社会全体の知的レベルを向上させる量的側面と先端研究により技術・科 学の発展を担う質的側面でますます大きなものになっているといわれる。 もとより, ドイツにおける商科大学も近代化によりもたらされた産業社会を 背景として生成したものである。それは,つまり,独占資本の形成・確立期で あった当時,企業の集積・集中による経営管理の高度化・複雑化の諸問題が企 業の科学的研究を求め,さらに帝国主義的海外市場進出の澗熟期であった当時 のドイツ独占資本が諸外国に対する国際競争上の優位を確保せんがため,近代 (1) 大橋昭一 r21世紀の大学・企業・社会を展望して」大橋昭一編 f21世紀の大学・企業・ 社会』関西大学出版部.1998年.24ページ。 (2 ) ドイツ資本主義の発展は19世紀初頭のナポレオン戦争の敗北とプロイセン改革を もって始まり.1834年の関税同盟成立を契機として本格的産業革命期に突入した。 1866 年に始まる好況は独仏戦争によって一時中断されたものの,ドイツ帝国の成立,対仏戦争 勝利による賠償金を要因としてふたたび現出せしめられる。かかる自由主義的発展段階 において会社創業の時代が到来した。 しかしながら.1873年から始まる大不況は.1929年から32年の恐慌に次ぐ激しい恐慌 であった。かかる未曾有の大不況の下,企業家たちは近代化に役立った技術進歩を継続さ せ,費用の徹底した節約を断行した一方,技術革新に遅れた企業の閉鎖あるいはより大規 模な企業への吸収・合併を通じて生産と経営の集積・集中を進めた。また,株式会社制度 の普及を媒介として資本の集中が促され,このことは産業資本と金融資本の有機的結合 を生成せしめた。280ー 香川大学経済論叢 1336 的専門知識の獲得を通じて, ドイツ商人階層の指導的要素の育成と酒養を図ら んとしたことから,その担い手として商科大学が要請され,その中心的科目の 科学化が促進された,ということである。 商科大学の設立運動に際して,中心的役割を果たしたのがドイツ商業教育協 会(DeutscherVerband fur das Kaufmannische Untenichtswesen)であり,その 理論的代弁者を務めたのがエーレンベルヒ (Ehrenberg,R)であった。本稿で取 り上げるところのかれの商科大学設立に関する報告書はドイツ商業教育協会に 委託されたアンケート調査,エーレンベノレヒ自身の調査,他の諸文献などに基 づいて作成され,同協会が主催した
1
8
9
7
年のライプチッヒ会議に提出されたも のである。 エーレンベルヒは,周知のごとく,私経済学否定論者として有名であるが, もともとかれは農業経済学者チューネン(T凶nen,J
.
.
H. von)の方法に倣った 1891年,新通商条約の下,ドイツ資本主義は順調に進展し,輸出の増大,筒気工業,電 化の進展,投資の増大を刺激要因として1890年代後半,経済高揚期を迎える。ここにお いて金融資本と緊密に絡み合う産業資本が飛躍的な拡大を遂げたことで,独占の形成,確 立をみるのである。かかる独占資本は資本を国内の狭騒な市場ではなく,国外市場に投資 するべく,海外への進出を図るのである。 Vgl Mottek, H /Becker, WjSchrδter, A, Wirtschaftsgeschichte Deutschlands. Von der Zeit der Bismarckschen Reichsgrttndung 1871 bis zur Niederlage des faschistischen deuおじhenlmperialismus1945.. Ein Grun -dris, 3.Bd, 2.. AufL, Berlin1975.(大島隆雄・加藤房雄・田村栄子訳『ドイツ経済史 一一ビスマルク時代からナチス期まで (1871-1945年)一一』大月脅底, 1989年を参照。) ( 3 ) 商科大学の設立について,周知のごとく,ドイツ商業教育協会が中心的役割を果たし た。 1897年のライプチッヒ会議では r商科大学の設立は必要であると証明されるか。そ して商科大学はいかなる基礎の上に設立されるべきであるか」という議題のもとに開催 され,商科大学の設立を既定方針として決議した。続くアイゼナッハ会議では商科大学の 設置方法,入学条件,学科科目とその教育方法,在学期間,寄付金問題,官吏志望者の入 学条件,財政問題,ドイツ商業教育協会の努力目標について討議された。 2ヶ月を待たず して開催されたハノーヴァー会議はアイゼナツハ会議における議題のより詳細な具体的 検討に入り,ドイツ商業教育協会の商科大学設立運動の努力はライプチッヒにおけるド イツ初の商科大学創立に結笑されるのである。岡田昌也『経営経済学の生成』森山書庖, 1978年, 35-57ページを参照。 ( 4 ) Ehrenberg, R, Handelshochschulen II. Denkschrift uber die Handelshochschule, verfast im Auftrage des Deutschen Verbandes fur das Kaufmannische Untenkht -swesen, in:Verofj初tlichungen des Deutschen Verbandes fur das Kaufm伽nische Untemchtswesen, 4.Bd., Braunschweig1897.1337 エーレンベルヒと近代的企業論 281 精密比較研究に基づく私経済学の樹立を主張し,多くの業績を残している。 シェーンプノレーク (Schdnpflug,F.)は,精密比較研究の発展の前提となるべき 個別経済学の完成と学問的根拠付けがエーレンペルヒの本来的課題であったに も関わらず,かれのその放棄が「自己の学問的墓穴を準備した」とし,かれの 転向を誤りと論断するが,その一方,エーレンベルヒの研究が内的統一性を欠 きながらも,-きわめて注目すべき,高い水準での個別研究」であることを認め ている。 さらに,エーレンベルヒの転向前の私経済学的研究が「彼以後の私経済学者 および経営経済学者に大きい影響を与えているのである」という市原季一氏の 指摘や「エーレンベルヒが厳密科学的方法を主張した点では,ワイヤーマン・ シェーニッツ (Weyermann,M. R. & Schonitz, H.)が評価し,理論科学の必要性 については,ワイヤーマン・シェーニッツとニツクリッシュ (Nicklisch,Hゎ)が, そして企業計算論については,ワイヤーマン・シエーニッツ,シュマーレンバッ ハ(Schmalenbach,E..)および、ニックリッシュが継承していくことになるので ある」という森哲彦氏の指摘は共に,私経済学の理論発展に対するエーレンベ ルヒの貢献を評価するものである。したがって,エーレンベルヒは
1
9
1
2
年 私 経 済学を否定する立場に立ったのであるが,私経済学(経営学)の発展に少なくな い貢献を果たしてきたと考えられる。 そこで本稿では,エーレンベノレヒの経営学の発展に対する寄与を考えるべく, かれの活動における初期の諸出版物の中から,特に商科大学設立に関する報告 (5 ) チューネンに関する研究解説書の一つに rかれ(チューネン)の墾風を慕ふ人達が ThUnen Archivといふ雑誌を作ってチウネンに倣って研究を進めて行ったが,それさへ 研究方法が具鐙約であるといふ黙には重きを置いて居るが,チウネンの理論がどこで統 ーされているのかを探究することを忘れ勝ちであった」という指摘がある。近藤康男『チ ウネン孤立園の研究』地球出版, 1928年, 3ページ。括弧内は筆者。 ( 6 ) Schonpflug, F., Betriebsωirtsc加iftslehre,Methoden und Hauptstゆ 仰ngen,2.. Aufl, Stuttgart1954, S..45.(古林喜楽監修,大橋昭一・奥田幸助訳r経営経済学』有斐閣, 1970 年, 42ページ。) ( 7 ) Ebenda.. (向上訳書, 42ページ。) (8 ) 市原季一『経営学論考』森山書庖, 1975年, 156ページ。 (9 ) 森哲彦『経営学史序説一一ニックリッシュ私経済学論一一一』千倉書房, 1993年, 39ペー ジ。括弧内は筆者。-282ー 香川大学経済論叢 1338 書を取り上げ,その中におけるかれの主張と近代的企業論との聞にいかなる関 連性があるか,検討することを試みる。その際,まず,エーレンベルヒの私経 済学を簡単に述べた後,報告書の内容を細見し,その後近代的企業論との関連 を考察するという手順をとる。 11 エーレンベルヒ私経済学の概要 エーレンベルヒによれば,当時, ドイツ国民経済学は,演縛的方法をとるイ ギリス古典派経済学と帰納的方法をとるドイツ歴史学派経済学の混請したもの であった。このような矛盾する諸方法を含む当時の状況では正確な国民経済的 知識は得られず,国民経済的研究はまず,国有の経営の視点から経済生活を探 究しなければならず,私経済の科学的研究たる私経済学の確立に基づいてのみ 可能であった。そこで,その私経済学を厳密に形成する方法として,エーレン ベルヒは,チューネンから受げ継いだ精密比較法を採用するのである。かれは その特色について「その手法は経済史や統計学とは何等関係を持たない。精密 比較法は,歴史学派のごとく事象の歴史的諸条件を調査するのではなく,事象 の個々の諸原因を,多くの歴史的諸条件に左右されないで調査するのである。 私は『記述すねのではなく,分析するのであり,精確な諸観察に基づいてーーそ の諸観察は国民経済がそれから成るところの『経済諸単位』においてのみ可能 であるが一一経済生活において作用する個々の諸原因の影響範囲をより精確に 測定し,それによってその影響範囲を,別の相互作用的諸要素の諸作用から分 離し,それを『孤立させる』ょう努めている。この目標のために私はあらゆる 経済諸単位をそのような方法で取り扱う必要はなく,表面的にのみ生じ得るで あろう多くのことすら取り扱う必要はない。むしろ毎回若干の経済諸単位のみ (10) Vgl.Ehrenberg, R, Sozialreformer und Unternehmer. Unparteiische Betrachtun・ gen, Jena 1904, S..49 (11) Ehrenberg, , T.R errorismus in der Wirtschajts= Wissenschajt Gegen den Kath -eder= Soua!ismus,!2./3. Heft, Ber1in 1910, S.. 46
1339 エーレンベルヒと近代的企業論 -283 を分析するが,それをきわめて徹底して行うのである」と述べている。 以上のごとく,精確な観察は,エーレンベルヒの場合,経済諸単位において のみ可能なものであるのであるが,それは経済諸単位の収支だけが厳密に確定 されるからである。そして,経済諸単位の中でも社会の大部分の欲求を充足さ せる点,ならびに多様な最高度の発展を可能にする点で最も重要なのが企業で あり,その企業が稼得経済 (Erwerbswirtschaften)という特徴のゆえに,収支計 算と帳簿作成を強いられることから,結局,精密比較法の成立にとって最も意 義を有するのは企業であり,よってエーレンベルヒ私経済学の対象は「企業」 と規定されるのである。 ところで,かれは企業が職業的労働の発生以来,直接的生産によって社会の 欲求を充足させ,またそこにおいて大部分の人聞が各人に応じた労働を遂行し ているため,経済的企業についての理論の科学的解明は急務であるにも関わら ず,そのことは,近代的企業 (neuzeitlicheUnternehmung)にとっての資本の意 義を過大に評価する社会主義者的資本主義観に大きく阻害されており,企業の 誤った理解がこれまでなされてきたとする。 それではエーレンベルヒのいう近代的企業とはいかなるものか。それは,一 方では欲求と充足を架橋する機関たるところにその本質があり,他方では,社 会主義者的視点の資本主義的企業が資本を過大に評価したのに対して,企業の 創業と管理に向けられる企業者の力に意義をおいている。 企業者労働は,エーレンベノレヒによれば,近代的企業の典型たる株式会社に (12) VgL Ehrenberg, R, Die Ziele des Thlinen-Archives, in: Thunen-Archiv , L Bd., Jena1906, S..12
(13) Vgl Ehrenberg, R, Das Wesen der neuzeit1ichen Unternehmung, in: Thunen -Archiv, 1.Bd, Jena1906, S.34社会主義者の資本主義的企業観は企業にとっての資 本の意義を過大評価し,企業の本質を資本の自己増殖にあるとしたが,周知のごとし中 西寅雄氏の提唱した個別資本説は経営概念を使用価値生産過程として技術的範鴎に属せ しめ,企業概念を価値形成過程として社会的・経済的範鴎に属せしめると同時に,価値増 殖過程として特殊・歴史的資本単位と規定した。経営学研究グループ『経営学史』亜紀書 房, 1972年, 392-431ページを参照。 (14) 中村義寿「ディートリッヒ経営科学への道一一エーレンベルヒからディートリッヒへ 一 一Jr六甲台論集.! (神戸大学)第 24巻,第 2号, 1972年 7ページを参照。
284 香川大学経済論叢 1340 おいて一層明確なものになる。株式会社を法律的視点からみると r有限責任制」 と「資本会社制」と把握することができるが,このような把握は株式会社の本 質的理解を妨げるものである。株式会社の特徴は資本提供と企業者労働の完全 な講離にあり,つまりその行程は「分業J,より正確にいえば r社会的分化」 の領域に属するものである。したがって,一般の商事会社に存在するような企 業者と資本家の人格的統一は株式会社では全く解き放たれ,企業者と資本家は 全く異なる社会集団を形成する。そして,その企業者労働は,さらに
1
つの分 化を,すなわち,創業者と経営管理者の分化を生む。このように法律的視点を 越え,経済学的視点の下に株式会社を考慮して得られた事実の中に,株式会社 をそのもっとも本質的な点において特徴づける契機がある。 以上のごとく,エーレンベルヒの近代的企業(その典型的形態としての株式会 社)は資本提供と企業者労働が完全に分離し,企業者労働における創業と管理に 重点をおくことをメルクマールとする。この場合,資本提供者たる資本家は企 業の外部に位置し,企業構成員とはみなされない。それゆえ,エーレンベルヒ の場合,資本家の受け取るべき利潤,すなわち利子や危険保険料は,企業にとっ て費用であっても,純収益ではない。つまり,エーレンベノレヒのいう純収益は, 企業に対する本来的利潤,頭脳労働者たる企業者と手労働者たる一般労働者の 賃金を包含するものではあるが,利子や危険保険料といった資本家の利潤はそ れから除かれるものとされ,このことはエーレンベルヒの企業理解の一つの特 徴であるとされる。 ともかく,かれにおいては,資本家は企業において後退せられるどころか, 企業から外部に放逐され,代わって企業者が企業の中枢を占めることとなり, これに伴い企業内の労働関係が資本:労働という構図ではなく,経営:労働の(15) Vgl Ehrenberg, R., Das Wesen der neuzeit1ichen Untemehmung, S.75ff
(16) V g ebenda.l , S. 79
(17) 大橋昭一『ドイツ経営共同体論史 ドイツ規範的経営学研究序説一一』中央経済社,
1966年, 111ページ,ならびに市原季_.rニックリツシユ』同文官官, 1982年, 15ページ を参照。
1341 ヱーレンベルヒと近代的企業論 -285-構図で捉えられることになる。 その労働関係についてブレンターノ (Brentano,L)は,労働関係を契約関係 に捉え,商品としての労働力の販売者たる労働者の団結を通じて,労働契約関 係を完全に確立させ,労働者権利を保障せんとしたが,エーレンベノレヒは,こ うした契約関係が労使聞の対立を常に強調するものである一方,企業内部では 企業者と一般労働者の聞に共通利害が存し,それらの聞に協調関係が成立する と考えるのである。 「特に,最終的に人々は『労働関係』を単なる『労働契約』として扱うこと をやめる方がよい。労働関係が一契約にJ帰することは,比較的二次的な意義の 事実である。このような労働関係の形式主義的見解だと,企業者と賃金労働者 を常にお互い相対しあって駆り立てんとする人たちの諸事業だけが遂行され, 両諸部分の互いの給付を下げる傾向が強まるのであるが,しかし一方で,全体 社会は明らかに,企業者が賃金労働者のためにできるだけ多くを給付し,賃金 労働者が企業者のためにできるだけ多くを給付することにもっとも強い関心を 示すものである。労働関係の核心は,企業者ならびに賃金労働者が企業の諸器 官であれそのため,かれらの聞に存在する利害の対立よりも重要であるとこ ろのその繁栄に対する共通の関心をかれらが有しているということ,まさにそ (18) ラッツ (Ratz,U)はブレンターノの所説の特徴を次のごとく述べる。「社会的事象の主 たる担い手としての個人の経済的・道徳的完成という目的に志向した自由主義的誘壇社 会主義者は,個人に自由と自己決定の可能性を与えることを社会政策の最善の目的とし た。社会政策を広く労働政策と同一視したブレンターノの見解によると,これらの諸原理 は組織化された労働者の自助の中で最高に,すなわち,完全なる団結権の備わった強固な 労働者組織によって保証された。ブレンターノによって具体化された自由主義的社会政 策が団結の最も重要な諸課題のうちのその一つを,市場における『労働』という商品の供 給に関する支配を労働者に保障し,それによって一一各々別の売り手が有するような ー一一自由や自らの個人に関する自己決定のカを保障することに見い出したことは,ブレ ンターノの社会政策の特徴であるJo(Ratz, U., Arbeiteremanz妙。tion zωischen Karl
Marx und Lujo Brentano.. Studien zur Geschichte der Arbeiterbewegung und der Burgerlichen Sozialreform in Deutschland, Berlin 1997, SS.. 244-245.) VgL Brentano, L., Privatwirtschaftsleha und Volkswirtschaftslehre, in:Bank-Archiv, 12.. Jg.., Nr 1, Berlin 1912, S. 4.(奥田治人訳「私経済学と国民経済学J~千里山商学J (関西大学)第
42号, 1996年, 191ページを参照。)大河内一男『濁逸社曾政策思想史伯』白本評論社,
-286~ 香川大学経済論叢 l342 の点にあるのである」。 このようにかれは,企業者(頭脳労働者)と一般労働者(手労働者)が企業の 繁栄に共通の関心を有し合っていることを根拠とする協調関係を,労働契約関 係に基づく対立関係よりも重視し,そしてその協調関係を基盤として「労働共 同体」が生まれるとするのである。 III 商科大学設立に関する報告書における主張 前節ではエーレンペノレヒの私経済学がどのような特徴をもつか,簡単に述べ たが,かれの活動における初期的作業であった
1
8
9
7
年の報告書ではいかなる主 張がみられるであろう。 まず,エーレンベルヒにとって「商業J,r商人階層J,r商人」という語は, 固有の商業のみならず,大工業をも包括するものであれさらに無数の様々な 諸部門と諸補助営業を伴う大取引商の全領域を包括するものである。そこには 様々な事業が含まれており,あらゆる商人は相互に共通の特性を有している。 しかし,その他の点で各々の諸事業は種々異なるもので,むしろ,ここでは全 小売商を分離しなければならず,大取引商・大工業と小売商は互いに密接な関 係にあるが,両者の経営には全く別の原理が働いている。 エーレンベルヒは r大取引商と小売商が互いに関係を持ち,それらの聞に境 界線が引かれず,大取引商はしばしば行われるよりもず、っと徹底して,小売商 の利害と関係しなければならないことを確信している。しかし,大取引商や大 工業は一一両者は通常のもっとも広い意味で理解され,ここで学問的諸定義は 考慮されていないーーより長期間に渡って広範囲の領域を取り扱うのに対し て,小売商は場所的に狭く限定された,直接的欲求の充足に関わっているとい う事実,そして,それによって小売商の経営には大取引商や大工業とは全く別 ω の前提諸条件がみたされるべきであるという事実は無視できない」と述べ,以 (19) Ehrenberg, ,.R Terrorismus in der Wirtsι加ifts= Wissenschajt, SS 51-52 (20) Ehrenberg, R, Handelshochschulen,!ISS..1-21343 ヱーレンペノレヒと近代的企業論 -287二一 上のことから,ここで「商業J,r商人階層J,r商人」という語を問題とする場 合,大取引商と大工業だけを考察の対象とするのである。そしてかれは,当時 の大取引商・大工業の経営が高度に複雑化し,それを担う者には困難で,多面 的な諸要求が求められるとする。 そこで,かれの考える商人的特性をみてみよう。「あらゆる商人は当然,まず 第一に自分の職業に対する喜びと愛情を必要とする。さらに一一このことは特 にドイツで広く理解されていることではないが一一お金儲けに対する喜びを必 要とし,それから経済性,信頼,規律好色勤勉さ,人間的知識,あらゆる種 類の人間との付き合いの上での明敏さを必要とする。将来,かれは優れた観察 力と総合判断力を有しなければならない。つまり,迅速な把握能力,進取の精 神,迅速な決断能力,冷静に思慮する好機とリスクの正しき比較検討,すなわ ち端的にいうと 'W事業眼h つまり w処理すること』における能力と呼ばれる ものを有しなければならない」。こうした諸特性は,エーレンベlレヒによれば, 先天的なものであるが,しかし,それらは「教育によっても影響を受け,高め ω られもすれば,妨げられもする」のである。 以上のごとき諸特性を伸暢させるべく,エーレンベルヒが必要とみなした諸 知識はまず習字,簿記等の初等知識に始まり,より一層高度な諸知識,とりわ け事業経営の進展に関する過去の経験的諸知識,商習慣の知識,商法,手形法, 破産法などの法律的知識,外国語と外国人の需要や風習に関する知識,商品学, 機械工学,化学工学に関する知識にまで及ぶ。さらにそれは,一般的なものか ら各々事業部門に固有かつ必要な専門的なものへと特殊化していくのである。 ところで,エーレンベルヒは当時の
1
9
世紀末の状況をみて,1
9
世紀末がそれ 以前の時代とは画然たる相違のあることを指摘する。それは,かれのいうとこ ろ4
つの事柄に起因する。 第一に,経済活動における世界的結合の強化である。「今日アメリカで進んで いることは,ハンブルクの商人やラインの工業家の生活利害にとって1
世紀 (21) Ebenda, S.2 (22) Ebenda,-288- 香川大学経済論叢 1344 前ドイツのあるどこかの別の地方でおこった諸事件がそうであったよりも重要
ω
なものとなっている」。 第二に,経済的諸変化が急速になったことにより不確実的状況が招来したこ とである。「今日は既に過去であり騰貴』と『下落』の聞に隠れ潜む利益を そこから引き出すためには未来を今日にしなければならない」。かかる状況にお いては,不合理で統制不能な要因が作用しているが,最終的に専門知識に基づ く冷静な判断によることが正しき方向である,とエーレンベルヒはいう。 第三に,個々の商工、業家の公的生活への関与がますます緊密になっているこ とである。「個々の商人と工業家の生活を国家,州,地方自治体,同業組合にお ける公的生活と結び付げる諸関係は中世の終わり以来,今日ほどおびただしく, 邸) 緊密になったことはない」。エーレンベlレヒは,商工業家の属する階層が国家権 力への影響を強め,結局,この階層が他の階層に比して相対的優位を得るとい う。その根拠として,諸知識の有無があげられている。 最後に r商工業にとって技術 (Kunst)や科学が以前と比べ,非常に大きな直接 担曲 的意義を持つようになった」ことである。技術について,エーレンベルヒは, 経済生産量へのその作用は確かにこれまで集約的なものでなかったが,国民需 要の均整化と生産による需要充足化によりそれが外延的に拡大してきたとし, さらに科学については,とりわけ自然科学の経済生活に対する影響が強まって きたとしている。 いずれにせよ,このような諸事柄はさらに高度な知識が商人に要請される契 機となる。エーレンベルヒは確かに,一般教育水準が,少なくともあらゆる国 民階層に標準的教育が行きわたってきたという意味では向上したが,もし商人 階層がこのような一般的な動向にのみしたがっていたとしたら,その階層はそ れでは十分な活動をなしえなかったであろうとし rむしろその階層は,その動 (23) Ebenda, 3..4 (24) Ebenda (25) Ebenda (26) Ebenda1345 エーレンベルヒと近代的企業論 -289-ー 位1) きに先立つ任務を持っている」と述べる。 商工業家を含む「稼得活動をする市民階級 (erwerb拙 おigerBurg側
J)
」は フランス革命ならびに近代交通の発達以来,社会の進展を牽引してきた。エー レンベルヒによれば,そのような高い地位は「諸義務を負い,その遂行なしにω
それは主張され得ない」のであり,特に「商人階層は一般教育の上で相当の程 度を求められ,しかも内面陶冶ならびに形式陶冶の上でも相当の程度を求めらω
れる」のである。ここにおいて,かれは豊富な知識を備え,精神を錬磨した商 工業家の社会的意義を非常に重要なものと認識していたと思われる。 かくてエーレンペノレヒは,当時の商人に必要な諸特性,ならびにそれを最大 可能に引き出すべく諸知識について言及することで,一般商工業家の社会的意 義を確認した後, ドイツ商人に考察の目を向ける。ドイツ商人は,かれのみる ところ,他の諸外国の商人と比べ r勤勉さ,根気さ,信頼性,義務感,時聞に 対する正確性,従1I贋,正直さ,倹約,そしてあらゆるところで最も安価な仕入 れ先をみつける才能,しかし特に,所与関係,つまり外国の流儀や慣習に至る 所で適応する才能」において優れている。 かれは,こうしたドイツ商人の諸利点が大部分国民教育によるものであり, このことは海外,特にイギリスにおいて高く評価されているが,しかし,圏内 の商業教育制度・教育施設等の整備は決して十分なものとはいえず,そのこと によってドイツ商人が高度な専門知識を十分に身に付けていないとし,その状 況について「特に,しばしばより高度な専門知識に欠ける。例えば,我が国で は,取引の必要から諸領域の一つで自主的な改革提案をなし得るための関税制 度や鉄道制度に関する諸知識を十分有している商人はわずかしかいない?」と 指摘する。 (27) Ebenda, 5..5リ (28) Ebendゐ括弧内は原文のママ (29) Ebenda.. (30) Ebenda. (31) Ebenda, S.. 6290-ー 香川大学経済論叢 1346 さらに,かれによると, ドイツ商人には自由で,より広範な視点,つまり精 神的地平が限られている。これは新たなアイディアの評価,新たな精神的潮流 および社会的潮流の評価,本来的な職業域に属さないあらゆる諸給付の評価に とって大きな障害となるものである。 また, ドイツ商人は時間不足ならびにドイツ国家官僚組織の硬直性等のため に,公的生活に対する関心・関与が稀薄であり続けた。しかし,この点につい てエーレンベルヒは, ドイツ商人階層内でようやく公的生活に対する理解が浸 透し始めてきたとし,その推進手段がなによりも一般予備教育の充実から始め られるべきことを強調する。「幸運にも,このような必要の認識がドイツ商人階 層においてより深い根をおろし始め,ここでまず努力されるべき諸目的につい ての議論が既に進行している。疑いもなしまず第一に商人階層の予備教育の 印) 改善もそれに含まれることであるお こうして,エーレンベノレヒにおいては教育問題に重点、がおかれ,教育機関の 一般的目的には「全経済文化,国家生活,自然,残り考えられる諸領域のあら ゆるものとの商人の職業活動の連闘を浮かび上がらせることによって教育意欲 (3~ω を喚起すること」ならびに「観察力と自己思考能力を養成すること」が設定さ れる。しかしながら,かような一般教育,専門教育の高度化に懐疑的な態度を 示す人々が当時多数存在し,かれらの間では次のようなスローガンが叫ばれた。 (却 すなわち「ドイツではもはや知識ではなく,才能が必要とされている」と。 エーレンベノレヒは実践が商人にとって特に重要なものであることを認める一 方,高等教育がそれに劣らず重要であることを力説する。かれは,知識への一 面的努力が才能にとって非常に危険なことであると同時に,実践的才能だけに 基づく事業経営がもはやアウトデートなものであるのは全く自明のことである とし r商業の大天才たちでさえ,現在もはや実践的才能だ砂によって商人の第 (32) Ebenda, S.. 7. (33) Ebenda, S.. 8 (34) Ebenda (35) Ebenda (36) Ebneda, S.. 9
1347 エーレンベルヒと近代的企業論 -291 一線に達するわけではない。…才能を傷つけずに適確な精神学習によってそれ
。
1) を容易にさせることは,商人階層にとって教育の重要な課題である」と述べる のである。 したがって,かれによれば,才能を傷つけることなし適切な精神学習を通 じて,商業教育上の目標に最も接近する国民が諸国民間の競争において優位に 立ち,とりわけドイツ国民には,その本性とこれまでのあらゆる諸経験によっ てこのような道が示されているのである。ドイツの採るべき指針についてかれ は,-ドイツ商人の養成教育の体系化,かれの知識の外延と正しい選択,かれの 精神的地平の拡大,自由な経済活動の国家的鼓舞と促進の統合的な力と合目的 (跡 的な方法,これらを通じて,この競争相手たちを超えることができる」と主張 する。 このように商業教育の意義を強く説くエーレンベルヒであったが,かれの前 にはさらに大きな障害があった。それはドイツ商人階層が専門教育に偏見を有 していること,つまり,商人の一般教育向上を目指すべく努力はするが,理論 的な専門予備教育からはなにも知ろうとしないというかれらの傾向,これで あった。「商人は自分の必要とする本来の専門諸知識を実践においてのみ習得す ることができる」という言葉にその傾向が顕現している。それゆえ,この方向 の主張者にとって商業諸学は存在しないものなのである。これまで商業学校で は,学生たちは連関を理解することなしまた自発的に思考することもできず にただ窓意的に選出された事柄を機械的に覚え込むだけであった。その際,専 門教育に懐疑的な論者たちは,-商業学校で浪費した時聞は一般教育の向上を通 じてさらに好ましく利用されるのがよく,残りのすべては実践において必ずや みつかるであろう」と主張するのである。 エーレンベルヒはかかる意見が耳を傾けるに十分価値があり,真撃に考慮さ (37) Ebenda (38) Ebenda, S.. 10 (39) Ebend匂 (40) Ebenda.-292- 香川大学経済論叢 1348 れるべきものであるとし,そして,商業諸学が現在のところ決して科学の名に 値するものではないが,しかし商業が他の人間活動と同様に科学的認識の対象 になりうると確信している。したがって,かれにとって商業諸学は科学化され なければならないものであった。 商業諸学は,かれによれば,習字,簿記,商業算術等のあらゆる純技術的諸 技能を除外しなければならない。というのは,こうした諸技能は科学の対象で は決してないからである。これらの諸技能は覚え込まなければならないもので あるが,諸技能の習得が商業諸学の目的では決してないのである。したがって, 「上記であげられた諸技能を理論的に学習せんとすることが総じて合目的的で あるかどうか,あるいはそのことが実践にゆだねられるべきであるかどうかを 追求しではならない」のである。 しかし,かれはまた同時に「あらゆるその他の『商業諸学』は実際,諸科学 であるが,しかし,それらすべてがこれまで科学的に取り扱われてきたわけで 仰) はない」という。かれによると,一方で商法や商業に関係した分野を持つ国民 経済学は科学的に処理されているが,他方,商業史,商業地理学,商業科学, 商業植物学はいまだその科学的性格を欠くのである。もっとも,かれのみると ころ,商業学的な教科書では事業経営に関する記述が散見されるようになれ たとえそれらの記述が国民経済学の諸分野と混請されていようとも,科学的基 礎に基づく「商業経営学」を創出する試みとして評価されうるものが登場して いるのであった。 ところで,このような商業諸学の科学化が商人たちに有用であるか否か,と いうことについてエーレンベルヒは,その論述
(
B
e
a
r
b
e
i
t
u
n
g
)
や陳述(
V
o
r
t
r
a
g
)
の仕方が問題であるとする。かれによれば,論述は科学的なものでなくてはな らず,それは,つまり大量の個別の諸事柄から本質的なことを選び出し,それ を動的な諸原因に帰せしめなければならず,他方で,陳述は活気づいた鼓舞的 要素をもたねばならず,それは,つまり日常生活の当然の諸事実と結び付けら (41) Ebenda, S.. 11 (42) Ebenda1349 エーレンベルヒと近代的企業論 -293-れなければならないが,ただし,高度な科学の諸目的を決して見失ってはなら ない。 そして,以上のような条件がみたされて初めて,商業諸学は商業活動という 職業への意欲を弱めることなし商人活動と他の文化界との連闘を明確にし, そのことによってその職業が理知的になり,関心を引く,必然的たるものに整 い,その職業のあらゆる方面に対する理解を喚起し,洞察力を鋭くし,視野を 広くすることを可能にするのである。もっとも,それは商業諸学が商人の利潤 追求にどのように資するかを意味するものではないことに留意する必要があ る。 エーレンベ1レヒは,このように商業諸学が適切に論述・陳述されるのならば, 商人階層の教育課題を克服し,それをもって商業実践に直接的効果がもたらさ れるのだが,ただし利潤追求が決して商業諸学の本質になきことを主張するの である。加えてかれは,科学的に加工され,整理された商業諸学を中心とする 専門教育が商業教育において大きな比重を占めるとみなしではならず,商業教 育は一般教育と専門教育の正しき関係のもとに構築されるべきものなのであっ て r一般教育は,より高度な専門教育の建設がその上に築かれるべき確固たる 基礎でなければならない」と述べ,一般教育と専門教育の関係を正しく把握せ んとした。 さて,エーレンベルヒは商業教育のあり方について,以上のごとく考えてい たわけであるが,実際の
1
9
世紀末におけるドイツ商業教育制度の状況はいかな るものであったのだろう。 当時, ドイツでは商工業家を志望する者は6
年制の実科学校か,あるいは9
年制の学校(ギムナジウム,実科ギムナジウム,高等実科学校)に通学し,後者の 機関に属すごく一部の者が大学や工科大学へ進学していた。ちなみに,人文系 のギムナジウムではラテン語を含む古典語の授業が行われていた。 商業教育協会の委託としてエーレンベノレヒが行ったアンケートからは, ドイ (43) Ebenda, S. 13294 香川大学経済論叢 1350 ツ商人階層がその実用性,商人に対するギムナジウム学生の姿勢,徒弟期間で の仕事の点を考慮して(古典語を含む)人文系学校教育に多大な期待を寄せてい ω ないという結果が明らかになっていた。むしろ,商人階層はこうした人文系ギ ムナジウムよりも,実科教育施設に商業教育の利点、を見い出していた。さらに 商人階層は,基礎学校修了後の教育進路の選定に際しての早期選別の不合理性 を解消すべく,統合学校の導入を特に推薦した。 エーレンベノレヒは9年制学校における6年の通学ならびに6年制のラテン語 免除の実科学校の修了を不十分なものとみなすが,その際,かれは
1
8
9
6
年2
月 のハンブルク商工会議所の意見書を取り上げ,その意見書の中で要望されてい る実科ギムナジウムにおけるラテン語免除の分科の設置を,実科学校修了生の 学習の継続の面から注目している。 他方,商業教育制度の問題は実践的側面にも関わる。すなわち徒弟期間,商 業補助人制度である。当時, ドイツにおいては3
年の徒弟期聞が強制されるの が一般的であった。一部の徒弟に対しては期間短縮の可能性が与えられていた が,それはあくまで例外的措置であり, ドイツ商人階層は基本的に3
年の徒弟 期間を受け入れ,それに固執してきた。 エーレンベlレヒによると,商人の徒弟期聞は手工業における「資格証明書」 と同じ意味をもつものであり,それは,つまり,一方では稼得活動の技術が実 践を通じて学ばれ得なければならないといういかなる時代にも共通した正しき 見解であると同時に,他方では諸給付に対するある一定の報酬を得るために, 全員が一定の同じ時聞を「学習する」という時代錯誤的な見解に立脚している ということである。特に後者における見解は,徒弟期聞をもって各個人の職能 的才能を均質化せしめる点において,全く「中世的見解」といえるのである。 かかる状況において3
年の徒弟期間の強制は,有能な若者を商業活動から疎 遠にせしめるべく方向に働き,さらに徒弟期間における教育的質の低下がより 一層不都合な状況を創出させるのである。こうした事態は,エーレンベルヒの (44) Vg ebenda.l , S. 14.1351 エーレンベノレヒと近代的企業論 -295-いうところ,次の 4つのことに起因する。すなわち,分業の進展,事業規模の 拡大,事業行程の迅速化,徒弟養成上の悪しき習慣である。 そして,かれは,確かに徒弟期聞における副次的労働は労働に対する尊厳, より高度な労働への準備機会を提供し,結果として個々人の秩序と時間厳守の 姿勢を生むとするも,最終的に徒弟期間の延長は,商人養成上むしろ有害にな ると考え r今や,残念ではあるが,ますます多く行われてきているように,そ れらはより長く延長されてはならない。というのは,そうでないと,それらは 若い商人の後の成長に最も必要な前提,すなわち職業への意欲をあまりにも容 易く奪うからである。なぜなら,それらは貴重な,より高度な養成教育にとっ (品) て必要な時聞を若い商人から奪うからである」と述べる。 こうして,エーレンベルヒにおいては有能で教養のある若者には徒弟期間の 短縮が必要とされるのであり,かれは r多くの諸ケースにおいて,特に有能で 教育のある若者たちの場合,同じような結果はより短期間において達成され得 るであろう」と述べ r徒弟期間は必要不可欠であるし,そうあり続けている。 しかしそれは多くの場合,その期間において学ばれ得ることに対して,あまり にも長過ぎる。それは,才能あるいは門地によって高い地位に就くことに適し ている若い商人たちには特に短縮されなければならない。そして,門地との引 きかえにこのような若い人々には特別な予備教育が必要である」と断言する。 要するに,エーレンペノレヒは徒弟期間を必要なものと認めるも,徒弟期間に おける習得果実に対する期間の長期的傾向を問題とし,そして,期間短縮の対 象者を才能や門地に見合った地位につくべき商工業家志望者に限定するのであ る。 このようなエーレンペノレヒの主張に対して,当然 r階級教育」との批判がな され
n
門地』によって高い地位に,つまり大企業の指導に適している若い商 ω 人たちは全くいないであろう。才能は遺伝しない」といったような反対意見が (45) Ebenda, SS..16-17 (46) Ebenda, S 17 (47) Ebenda (48) Ebenぬ-296'- 香川大学経済論叢 1352 あげられた。しかし,エーレンベノレヒにおいては,才能が遺伝しないというの が誤りであり,さらに,常に遺伝されてきた商人の良き伝統のごときものが無 条件に存在するのである。 故にかれは,新たな階級教育を提唱するのではなく,むしろ良き伝統を継承 する有能な若者に新たな道を指し示さんとしたのであり,かれの次の言葉の中 に,かれの徒弟期間に関する主張の本質を見い出すことができる。「われわれの 論究の本質的成果は,このような徒弟期間の短縮の必要性ではなしその不十 分さの認識である」。エーレンベルヒは徒弟期聞において学ばれ得る内容そのも のの充実に第一次的な意義をおくのである。 かたや,商業補助人制度はどうであろう。商業補助人制度は,商工業家志望 者たちが起業するか,あるいは事業共同経営者,取締役,支配人,主任,部門 チーフ等の指導的立場に就く前に,徒弟期間後,一連の年月を商業補助人とし て働くシステムである。このような過程を経て商工業家にならんとする若者は, 養成訓練に実践面から必要かつ十分な時聞をあてることができ,それによって 自らの才能を伸ばし,昇進を果たしうる。しかし,富裕な商工業家の子弟の場 合,より多くの修養時間が許されているにも関わらず,それが決して有効に利 用されてこなかった。 エーレンベノレヒは,こうした養成訓練に際しては圏内・海外の事業支庖の専 門知識の獲得が不可欠であり,とりわけ外国実務の場合には,言語知識の修得 が必須であるとする。このことは専門知識の拡大を必然的にもたらすが,かれ は, r)レーティン (Routine)Jという言葉で表されるものがむしろ重要であるとい う。「ルーティン」とは,かれによれば,なぜ、それがそのようであるのか,また それがひょっとしたら別の方法でなされ得ることができないであろうかといっ たことに頭を悩ませないで,また特に,本来の職業活動と他の文化界との連関 もはっきりと意識せずに,事業経営におげる諸技能を従前通り獲得することで ある。かれはそれが重要であるとするが,ただし,外国実務についてその完全 (49) Ebenda, S. 18
1353 エーレンベノレヒと近代的企業論 -297-ー な成果を求める場合,精確な観察・比較に必要な予備知識の修得が前提になる ことを付け力日えている。 このように,かれにあっては,徒弟期間,商業補助人制度の廃止が唱えられ るのではなしむしろそれらをより効果的に機能させんがために,予備教育の 充実化が強調されるのである。 かくて,かれにおいて改めて予備教育充実化の必要性が認められるに至る。 当時,父親の事業を継承する前に大学および、工科大学へ進学する富裕な商工業 家の子弟の数が増加する傾向にあったが,これについて,エーレンベJレヒは 「個々の諸講義あるいは全講義コースでさえ,並外れて大きな向学心がある場 合にのみ,深い,持続的な効果を得るものである。いわゆる別の諸職業種や諸 目的のために建てられた教育施設への通学は商人にとって,かれの精神が本来 の職業活動からそれるという大きな危険性を苧んでいる。また,そのような諸 大学で学ばれ,学ばれるであろう種類のものは商人に決して適しているとはい (50) えない」と強く訴える。 エーレンペlレヒは r上級の商業学校は,大多数の若い商人たちの教育の欲求 を合目的的にみたすことに全く適している」と述べることで,高等商業教育機 関の設立を明確かつ緊急の課題と位置付け,高等商業教育機関の設立要求を「さ (52) らに押し進めて実行することがもはや不必要」なことであり,むしろそれを自 明なることとし,そして,高等商業教育機関設立の次なる課題,すなわち高等 商業教育機関の中心的科目の構築について,それがいまだ未完成にあることを 指摘して,商業経営学の科学的整備を早急になすことを主張するのであった。
I
V
近代的企業論との関連 前述の報告書におけるエーレンベルヒの主張の中に近代的企業論の萌芽をみ (50) Ebenda, S.. 20 (51) Ebenda (52) Ebenda, S.. 211354 香川大学経済論叢 298 るとすれば,次の点が指摘できるであろう。 エーレンベルヒは企業(その典型的形態としての株式会社)概念の本質を,経済 学的思考に依拠して,資本提供と企業者労働が完全に分離し,資本家と企業者 が全く別個の社会集団を形成することに存するとした。かれによれば,株式会 社の典型的姿態は旧来の企業所有者がその株式を市場に解放した際に現出し, そのことによって変型が完了する。かような所有と経営の分離論はエーレンベ ノレヒ私経済学の1つの重要なメルクマ-)レであったことはすでにIIでみたが, 1897年の報告書では,大取引商・大工業における企業経営の複雑高度化を背景 として生起しつつあった経営管理職能の実体化にいち早くかれが気づいていた それは決して「経営管理」なる明確な表現が用い エーレンベノレヒが大取引商・大工業の経営を担う ことがうかがえる。むろん, られているわけではないが, 者としての商人に要請した特性は,商人が経営の主体的要素として経営の客体 的要素に働きかけて,経営過程の円滑かつ効果的な遂行を達成せんとする, ま さにそのための資質と考えることができる。 後年,企業における資本の後退,所有と経営の分離,経営:労働の労使関係 をエーレンベルヒが論ずる過程は,かような1897年における卓見を基礎に展開 されたものといえるであろう。 山崎敏夫氏は, 19世紀末には個人企業型の大企業は既に稀で, 20世紀初頭に は経営階層組織が導入されてはいるが,創業者やその同族が企業の中枢の地位 「企業者的企業」が大勢を占めるも,創業者やその同族となんら関係を もたぬ経営者が実質的企業指揮を担う,いわゆる「経営者企業」がその重要性 ドイツがアメリカと同様に独占資本形成期から第一次 世界大戦までの期間において,専門経営者の出現をみたことを確認している。 につく としており, を増した, こうした所有者の後退と経営者の台頭の根拠を,エ}レンベルヒは後年,一 方での株式会社制度の普及による株主の小資本家化,他方での企業経営の複雑 高度化に随伴する専門知識の必要性に求めるのであるが,後者の点に関係して, 山崎敏夫『ドイツ企業管理史研究』森山香庖, 1997年, 266-267ページ。 (53)
1355 エーレンぺルヒと近代的企業論 -29少ー 先の報告書の中でエーレンベノレヒは,多様な社会的,経済的,制度的,技術的 諸変化に直面した当時の企業経営における高度な近代的専門知識の必要性をい ち早く理解し,企業経営の主体的要素たる商人の養成の必須条件として,近代 的専門知識の科学的整備・体系化が急務であることを明確に意識している。 商業に関する諸知識は,一般的に, 16世紀以前には一豪商家において先祖か ら子孫に代々継承されていくべき私的知識・技術であった。 1558年,メーダー (Meder, L) が,商人としての自らの経験を披濯した『商業の本~ (Handel Buch, 1558)を著してから,秘伝的私的知識・技術が公開され出すのであるが,それは, 商業の進展に伴って,商業事業の本質についてより深く追究する必要性が人々 (5~ の間で認識され始めたという事情がある。それからは,私的商人知識の叙述を 内容とする資料が徐々に出版されたが,資料の体系的整理はなお進まなかった。 1675年に出版されたフランス人サヴァリー (Savary,l) の『完全なる商人~ (Le 仰 ゆitnegoじiant,1675)はその転機となったものである。それ怯他の人の経験をも
ω
活用した商業事業のあらゆる問題に関する綿密な体系的叙述であった。かれに よって説かれた主張は,むろん, ドイツにも伝わり,サヴァリーの常に道徳的 な叙述スタイル,つまり,全国民経済に対する個人の好ましい経済管理の重要 性の強調は, 1911年『一般商業経営学.D (Allgemeine Handelsbetriebslehre, 1911)を (自由 発表したシェーア (Schar,l
F.)に影響を及ぼしたとされる。 その後,lレートヴィッチ (Ludovici,C G.. )からロイクス (Leuchs,J
M )に至 る約5
0
年聞はドイツにおける商業学の形成・発展期であった。この時代,商業 学は官房学体系の中に組み込まれ,学問的学科として取り扱われたが,それは, 官房学者たちが商人の利潤利害と国家の繁栄との結合を図る上で,経営経済的 な諸問題と国民経済的な諸問題に取り組まなければならなかったからである。(54) V g.lWalther, A, Einfuhmng in die Wi出chaftslehreder Unterneh押zung,L Bd..: Der Betrieb, 2.. AufL, Zurich 1959, S“33
(55) V gLebenda, 5..34. (56) VgL ebenda. (57) V gLebenda
-300-ー 香川大学経済論叢 1356 ところが, 18世紀以来,イギリス古典派経済学が北ドイツの諸大学に流入し始 めると,それが19世紀の初頭には支配的な地位を占め,そのことが官房学の解 体をもたらし,その中に包摂せられていた商業学は大学から排除され,低俗化 倒 していった。 ω) 19世紀中,商業学は衰退し,そして当時の商業学の本来の担い手機関たるべ き高等商業教育機関の不在が,結局のところ,商業学の非体系化・非科学化の 決定的な一因となる。 さらに,エーレンベルヒも指摘しているがごとし当時のドイツ商人階層内 部では,商業事業に本来的に必要な専門知識は徒弟期間や商業補助人制度にお ける経験・実践を通じてのみ習得可能なものであると信じる固恒な見解が依然 残存しており,商業学に対する商人階層の無関心が商業実践や企業の科学的研 究の進展にどれほど障害となったか想像するに難くない。 19世紀末の独占資本確立を背景として企業の本質的傾向を資本の後退,経営 (58) Vgl.Seyffert, R., Betriebswirtschaftslehre, ihre Geschichte, in: Handwarterbuch der Betriebswirtschajt, L Bd.., Stuttgart1926, Sp 1211.岡田昌也「経営経済学前史序説 (二・完)jr甲南経営研究1(甲南大学)第 25巻,第 1号, 1984年, 65-68ページ参照。 (59) ただし,商業学の表退については反論もある。岡本人志氏によれば,ウェーパー(Weber, E)の研究以降, 19世紀を経営経済学説上暗黒の時代」とする見解が定着するのである が,岡本氏は,ウェーパーとその後継者たちが 19世紀の諸潮流のうち商業学的潮流だけ を重視し,他の諸潮流を無視した点,さらに19世紀と 20世紀の聞の経営経済学の動向を 人為的に遮断せしめた点を欠点として指摘する。また,ウェーパー以降の研究を批判した 論者たちに対しても,かれらの意見が19世紀の商業学の大震文献を学説史研究から捨象 した一面的な学説研究であると述べる。こうした見解をもとに,岡本氏自身はクーン (Kuhn, T. S.)の科学革命概念を援用してビュツシュ(Busch,J G.)以来の '19世紀的商 業学パラダイム」がリンドヴルム(Lindwurm,A.)やエミングハウス(Emminghaus,K. B..A)らの研究を機にパラダイム転換を 1920年頃に完了させたことから, 19世紀が経営 経済学形成史の流れにおいて決して無視できない時期であったとしている。岡本人志「経 営経済学の源流j r経済経営論集J(桃山学院大学)第 21巻,第 2・3合併号, 1979年を 参照。 (60) VgL Seyffert, R, a. a..0, Sp 1212岡田昌也「経営経済学前史序説(ニ・完)j, 74-75 ページを参照。 (61) VgL Seyffert, R, a. a. 0.., Sp.1211, Ehrenberg, R, Handelshochschulen II, S.10. 岡田昌也「経営経済学前史序説(二・完)j, 76ページを参照。
1357 エーレンベルヒと近代的企業論 -301ー 管理の実体化と自覚しつつあったエーレンベルヒにとって,以上の状況は克服 すべき課題であったのであり,そこで,かれは高等商業教育機関たるべき商科 大学の設立運動に奔走し,その大学の中心的科目の確立を求めることになる。 もっとも,中心的科目確立の課題に最初に応えたのは,ゴムベルク (Gomberg, 自 由 L.)であった。エーレンベ1レヒの精密なる企業の科学的研究,すなわちIIの冒頭 においてみたごとき精密比較法に基づくかれの私経済学は,商科大学の中心的 科目として構想されたものというよりは,むしろ講壇社会主義に反対する理論 制) 的土台として構想されたものであったとされる。 それはともかく,われわれは,企業者精神を酒養するべく商業知識の体系化・ 科学化を前提として,学習教育を通じた商人階層の専門知識獲得を説くエーレ ンベルヒの主張に,素朴なものではあるが,経営プロフェッショナリズム思想 につながる流れを見い出し得るのである。 ちなみに,同じヨーロツパ圏のイギリスでは,企業経営を経験と勘に頼り, 特別な専門知識を必要としないものとする経営アマチュアリズム思想が
2
0
世 紀初頭に支配的であった。しかし,一部の学者や実業家たちの聞では第一次世 界大戦の前後から経営管理職の専門職化が主張されていた。シェルドン (Shel -don, 0..)はその論者の一人であり,かれは経営管理が専門職化し,経営管理の複 雑性,困難性,責任がますます増しつつあると考えていた。そこでかれは,経 営管理の活動には機転と理想、を持ち,最高度の科学的技能を持ち,組織やリー (62) ヴy}レザー(Walther,A)はゴムベノレクについて次のごとく述べる。「ゴムベルクは 1903年 r商業経営学と個別経済学J(Handelsbetriebslehre und Einzelwirtschajtslehre, 1903)を著した。ゴムベlレクはわれわれにとって非常に重要な人物である。というのは, かれは個別経済学を国民経済学と並立させ,個別経済学に次のような諸任務を,つまり, 記述経済論,経済経営学,会計学を課したからであるJ(Walther,A, a.a.. 0, S..4L括弧 内は筆者。)ゴムベルクは商業経営学を商業企業の可能な限りの経済性原則による経済的 財貨の調達と使用の原則を教えるものと規定し,この商業経営学の基礎づけのため,商業 経営学をー特殊部門として含めた普遍的な個別経済学の構築を企図する。その際,個別経 済学の中心に会計学をおき,伺別経済的因果関連の発見に努め,さらに,目的論的に経済 活動の実践に対する合目的的遂行の手段を提供せんとした。岡田昌也 r経営経済学の生 成J,97-142ページを参照。 (63) 岡田昌也『経営経済学の生成J,92ページ。-302ー 香川大学経済論叢 1358 (6~ ダーシップの優れた能力を持つ人々が求められるとして,専門職の倫理性,そ の知識と技術の確立,開業者団体の設立を中心に専門職に関する主張を展開し た。 とりわけ,経営管理者の育成についてシェルドンは,研究と訓練の重要性を 述べたが,経験が研究の進展を促すべく活用されなけばならないことも同時に 曲 目 指摘しており,それは,いわば,理論と実践経験の相対的価値ならびにその相 乗効果をかれが強調していたことを示すものであろう。エーレンベノレヒが理論 と実践経験の関係をより詳しく,より明確に論じている箇所は,本稿で取り上 げたかれの報告書の中ではほとんどみられないにせよ,既にみたどとしかれ が徒弟制度や商業補助人制度をあくまで否定しなかったのは,商人育成に際す る実践経験の意義を決して軽視していなかった証左といえるのではなかろう か。 それはさておき,われわれは,エーレンベルヒが既に
1
9
世紀末の段階で企業 における経営管理職能の着目に基礎をおいて,その職能に近代的専門知識を要 請し,さらにその知識の科学化・体系化のために,商業経営学の精密なる科学 的完成を要求した点を看過してはならない。V
結 以上のごとしエーレンベルヒは,パーリ/ミーンズ(Ber1e,A. A&
Means, G引C)が実証的研究に基づいた所有と経営の分離論を唱える 30年以上も前か ら経営管理が企業におげる独立した実体的要素であることに気づきつつあっ て,その要素が高度な専門能力を不可欠とすることを確信している。本稿では そのことが,かれによっても主張されるところの所有と経営の分離論の端緒と (64) Sheldon, 0, The PhilosoJうhy0
/
Management, London1924, pp..43-44. (企業制度 研究会訳『経営のフィロソフィー』雄松堂書店, 1974年, 42ページ。) (65) Cf..ibid, pp.. 250-251.(向上訳書, 239-240ページを参照。)-303-なる思考であったと同時に,未熟な段階ではあるが,経営プロフェッショナリ ( 附 ズム思想、に連繋するものとして,近代的企業論との関連づけを試みた。 エーレンペJレヒは,後年"講壇社会主義陣営と激しく論争することになる。 ラ イ プ チ ッ ヒ 大 学 で の 精 密 経 済 研 究 所(Institutf白rexakte Wirtschaftsfor -schung)設立のために,精密比較経済研究連盟(Vereinigungfur exakt = vergleichende Wirtschaftsforschung)から
3
万マルクの援助金拠出の約束を得て,同大学の転任 かれの学問・科学に対する姿勢そのものが非難の的 かれに対して大産業資本家や地主の利益代 表者,御用学者として偏向教授の熔印が押される程,辛嫌なものであった。後 世の研究者たちが抱くエーレンベルヒの「不道徳なイメージ」はこうした事情 エーレンベルヒが それは両者の研究方法の違いから生まれたものであったが,l
i
l
i
i
エーレンベルヒと近代的企業論 1359 を画策したことに至って, それは,周知のごとし となった。 から発していると思われる。 エーレンベノレヒの研究活動やその業績は広い分野にわたり,深甚な る内容を包蔵している。故に,エ}レンベノレヒの辿った方向性に対する評価は, 今後さらにかれの文献を調査,吟味することによって確定しなければならない であろう。その際,一理論というものが常にその時代の個性と必然性をもって, しカ》し, (66) 現代のドイツ人経営者は,経営管理職が人々を動かすといった活動にその本質を立脚 させており,本来的な業務プロパーに志向する公式的専門知識を根拠に経営管理職を専 門職とみなす考えには否定的であるとされるが,イギリス・アメリカでは対照的に,人々 を動かすこと,まさにそれがー専門と認められる傾向にあるといわれる。実際のところ, ドイツとイギリス・アメリカにおいて行われている経営者活動に著しい相違があるわけ ではなく,意識の問題として経営者活動を専門と呼ばないところにドイツ的特徴がある とされるのである。ただし,ここ最近,ドイツのトップ経営者たちは日常的な諸活動にお いて動機づけを最も重視する傾向にあり,かれらが従業員たちへの人的配慮に,つまり人 間あるいは人間的社会関係に関心を特におき始めているということから, ドイツでは経 営管理をー専門職とみなす考えがいまだ稀薄であるにも関わらず,一般的な考えないし イギリス・アメリカ的な考えでの経営管理の専門化は進行しているとされる。 Cf.Eber -wein, W.
f
Tholen,J
, Euyv-Manager OY'Sp,t初didlsolation? International Manage -押zent- An Anglo - German Comparison, Ber1in/New York 1993, p引92ff大橋昭一「第二次世界大戦後ドイツにおける経営者論の展開」海道進・吉田和夫・大橋昭一編『現 代ドイツ経営経済学』税務経理協会, 1997年, 164-171ページ,ならびに大橋昭一r17企 業と経営」加藤雅彦他編『事典現代のドイツ』大修館書底, 1998年, 285-286ページを 参照。
-304ー 香川大学経済論叢 1360 つまり,その時代の社会経済的背景に制約され,登場してくるものであるがゆ えに,その点を十分に考慮して判断することが大事であると思われる。エーレ ンベルヒの所説も例外ではなしかれの主張が当時の独占資本確立と帝国主義 的海外進出の時期に合致した理論であったのは疑いのないところである。 ともあれ,本稿で考察したところの報告書において,エーレンベルヒが,当 時の企業の本質を洞察し,企業経営の担い手たる商人,つまり企業者のあるべ き姿を考え,その教育・育成を問題としていたことは,その後,このような主 題が近代的企業論に受け継がれていくことにおいて評価すべき点があるように 思われる。 参 考 文 献 一 覧 Brentano, L, Privatwirtschaftslehre und Volkswirtschaftslehre, in:Bank-Archiv, 12 Jg, Nr..1, Berlin 1912, SS..1-6 奥田治人訳「私経済学と国民経済学j ,千里山商学』 (関西大学)第42号, 1996年, 179-196ページ)
Eberwein, W
.
f
Tholen,J
, Eu.仰ro-Ma仰n問叫a伊g!,eror砂:sρJ必endゐ1刷冴d1sω0,μ1at:肋ωton?1:μnte門rn似a油tがi的i必i仰,o0押
ment-AηAnglo-Ge門問naωnComlり戸an:路son,Berlin/New York 1993
Ehrenberg, R, HandelshochschulenIl Denkschrift uber die Handelshochschule, verfaβt im Auftrage des Deutschen Verbandes fur das Kaufmannische Unterrichtswesen, in: Veraffentlichungen des Deutschen Verbandes fur das Kaufmannische Unterricht -swesen, 4. Bd, Braunschweig 1897, SS.1-56 Ehrenberg, R, Sozialreformer und Unternehmer Unparteiische Betrachtungen, Jena 1904 Ehrenberg, R, Die Ziele des Thunen-Archives, in:Thunen-Archiv, L Bd, Jena 1906, SS.1-33
Ehrenberg, R, Das Wesen der neuzeitlichen Unternehmung, in:Thunen-Archiv, L Bd, Jena 1906, SS..34-96
Ehrenberg, R, Terrorismus in der Wirtschafts= Wissensc加if.Gtegen den Katheder= Sozialismus人2./3..Heft, Berlin 1910
Mottek, H /Becker, W./Schrδter, A., Wirtschajtお;geschichteDeuおchlands..Von der Zeit der Bismarckschen Reichsgrundung1871 bおzur.Niederl勾ed
,
ιs faschistischen deuおー(67) 大橋昭一『ドイツ経営共同体論史一一ドイツ規範的経営学研究序説一- J
,
117-118ペー ジを参照。1361 エーレンベルヒと近代的企業論 305
ιhen lmperialismus1945 Ein Grundriβ, 3. Bd, 2.. AufL, BerJin 1975.. 大島隆雄・ 加藤房雄・田村栄子訳『ドイツ経済史ービスマルク時代からナチス期まで(1871-1945年) 一』大月書庖, 1989年)
Ratz, U, Aγbeiteremanzitation zωischen Karl Marx und Lujo Brentano.. Studien zur
Geschichte der Aγbeiterbewegung und der Burgerlichen Sozialrelorm in Deutschland,
Ber1in 1997
Schonpf!ug, F., Betrieb抑 irtschaltslehre,Methoden und Hauptstramungen, 2. Aufl.,
Stuttgart 1954 古林喜楽監修,大橋昭一・奥田幸助訳『経営経済学』有斐閣, 1970年)
Seyffert, R, Betriebswirtschaftslehre, ihre Geschichte, in:Handwarterbuch der Betrieb -swirtschalt, L Bd, Stuttgart 1926, Sp 1198-1220川
Sheldon, 0., The Philosophy 01 Manage押zent,London 1924 企業制度研究会訳『経営の フィロソフィー』雄松堂書庖, 1974年)
Walther, A, Ei句所hrungin dieU弓rtschaftslehreder Unternehmung, 1.Bd..: Der Betrieb,
2. Auf!, Zurich 1959 市原季一『経営学論考』森山書底, 1975年 市原季一『ニックリッシユ』同文舘, 1982年 大河内一男『濁逸社曾政策思想、史伯』日本評論社, 1949年 大橋昭一『ドイツ経営共同体論史 ドイツ規範的経営学研究序説一』中央経済社, 1966年 大橋昭一「第二次世界大戦後ドイツにおける経営者論の展開」海道進・吉田和夫・大橋昭一編 『現代ドイツ経営経済学』税務経理協会, 1997年, 157-174ページ 大橋昭一 '21世紀の大学・企業・社会を展望して」大橋昭一編 '21世紀の大学・企業・社会』 関西大学出版部, 1998年, 1-36ページ 大橋昭一'17企業と経営」加藤雅彦他編『事典 現代のドイツ』大修館書底, 1998年, 282-293 ペーシ 岡田昌也『経営経済学の生成」森山醤庖, 1978年 岡田昌也「経営経済学前史序説(ニ・完)jr甲南経営研究1(甲南大学)第25巻,第1号, 1984 年, 65-77ページ 岡本人志「経営経済学の源流j ,経済経営論集J(桃山学院大学)第21巻,第2・3合併号, 1979年, 479-512ページ 経営学研究グループ『経営学史』亜紀書房, 1972年 近藤康男『チウネン孤立図の研究』地球出版, 1928年 中村義寿「テ'ィートリッヒ経営科学への道一エーレンベルヒからディートリッヒへーj r六甲 台論集J(神戸大学)第24巻,第2号, 1972年, 1-20ページ 森哲彦『経営学史序説ーニックリッシュ私経済学論一』千倉書房, 1993年 山崎敏夫『ドイツ企業管理史研究』森山香庖, 1997年