日本一高く、日本一美しい山は、いかにして誕生したのでしょう。
富士山は、鼓動する地球の活動が生み出した
大自然のあるがままの姿です。
数十万年前の激しいマグマ活動で、
地上に姿を表わした小さな火山はその上に、
何度もの噴火を繰り返し
荒ぶる火の山として、また麓の地を豊かに潤す水の山として
より高く、より優美に、今の類い稀な姿と
とりまく雄大な自然の景観をつくりあげてきました。
そんな創世期の富士山を感じることのできる
西麓エリアの構成資産を中心に、まずは巡ってみます。
誕 生
荒ぶる山と美の源泉
/こせのうみ《富士五湖西部》エリア
誕 生 富士五湖のなかでも、青木ヶ原樹海に接する西湖の周辺は、富士山の噴火活動が湖と森を誕生させたころの 太古の風景が今も息づいている。 西暦864年の貞観の噴火より以前、富士山北西麓には、「䆜の海(セノウミ)」という一つの大きな火山性湖が広 がっていた。さらに5,000年以上前にはもっと巨大な「古䆜の海(コセノウミ)」が広がっていたとみられている。 まず、古䆜の海から本栖湖が分かれ、さらに1,200年前の大噴火による大量の溶岩流が「䆜の海」を二つに分 断。西湖と精進湖を誕生させた。そして、埋めつくされた広大な溶岩流の上に、約1,200年かけて育った原生の森 が青木ヶ原樹海。以来、噴火による地形の変化はほぼ無く、湖と森は十世紀の時の流れをそのままたたえている。 西湖の北西岸に「根場浜」という景勝地がある。浜辺に立つと、正面に望む富士山から樹海の森をつたい湖水 があふれ流れてきているように見える。足もとに打ち寄せるさざ波は驚くほど清らかだ。鏡のような湖面に、逆さ 富士 を映すこともある。また西湖は、その透明な湖底で、ヒメマスやフジマリモなど、希少な生命を育み守っても いる。その象徴が2010年、70年ぶりに発見された「クニマス」。一度は絶滅したとされていた田沢湖の固有種が、 西湖の湖底でひっそりと生き続けてきた。 一方、湖畔から樹海の森に一歩足を踏み入れれば、そこは、火山たる富士山を内側からのぞいた世界。むきだ しの溶岩に生き物のようにからみつく樹々の根、神秘的な森を覆う苔の絨 毯。芽吹きの季節や紅葉のころ富士山の原生の森は美しさを極める。 西湖周辺に点在する「竜宮洞穴」「西湖コウモリ穴」「西湖野鳥の森公園」 「富岳風穴•鳴沢氷穴」等、観光名所を結ぶ散策路を利用すれば、そんな樹 海の森を手軽に探検できてしまう。 後に富士山信仰が繁栄する時代、西湖には「青木龍神」の別名が冠され ていた。その誕生時からずっと、西湖と樹海の森は切っても切れない関係に ある。
富士山の大噴火が生み出した
太古の湖と原生の森
さい こ 空からの西湖の眺め西 湖
構 成
資 産
荒ぶる山と美の源泉
/こせのうみ《富士五湖西部》エリア誕 生
遥 拝
富士講
巡 拝
登 拝
荒ぶる山と美の源泉
信仰のめばえ
信仰の大衆化
水の霊場巡り
山頂へ至る道
荒ぶる山と美の源泉
/こせのうみ《富士五湖西部》エリア 東海自然歩道 紅葉台から富士山竜宮洞穴
︵溶岩洞穴群︶
青木
ヶ
原樹海
東海自然歩道
富士山の噴火により誕生した 溶 岩 洞 穴 群 のうち 約 半 数 が 青 木ヶ原樹海にある。夏でも氷柱が 消えない洞穴など、外からは見え ない富士山の神秘が息づく場所 であり、富士山噴火の凄まじいパ ワーが伻って見えてもくる。 その一つ「竜宮洞穴」は湖につ ながり深い洞穴で、苔むした洞穴 入 口 に は 小さな 祠 があり、水 神 の「豊玉姫命」が祀られている。 れっきとした神社庁登録の「䆜海 (セノウミ)神社」である。古代の 湖 の 名 が 付 けられてることから も歴史の古さが偲ばれ、言い伝 えでは、洞穴には竜神が棲み、近 隣 で 干 ば つ に なる と雨 乞 い が さ れ た という。また 富士講 の 時 代 に は 巡 礼 の 霊場でもあった。国 指定天然記念物。 西暦864年の貞観大噴火で流れ出た膨大な溶岩流(青 木ヶ原溶岩流)は、北西麓にあった広大な湖「䆜の海」に 達し、大半を埋没させた。この時にできた約30平方kmに およぶ溶岩地帯の上に形成された原始林が青木ヶ原樹 海。ツガ、ヒノキなど針葉樹にミズナラなど広葉樹が混ざ る混合林で、溶岩の伱間のわずかな土壌や苔むした倒木 の上に樹々が必死で根をはる姿など、若い火山の富士山 ならでは、貴重な森の様相を観察できる。 世界に誇れる富士山の森を安全に楽しめるのが東海自 然歩道。東京・高尾山と大阪・箕面を結ぶ、全長1,700km に及ぶ自然歩道のう ち、青 木ヶ原 樹 海 を 横 断 す る コ ー ス で は 、ガ イド ツアー も 充実。溶岩洞穴群や 野鳥観察、森林浴な どを 満 喫しな がら、 富 士 山 の 噴 火 が い かに絶大であったか 想像してみたい。 富士山は大きく分けて4つの異なる火山が重なってできている と考えられている。年代順にまず「先小御岳火山」が、現在の富 士山の北側に誕生。そこに「小御岳火山」が重なり、さらに約10 万年前頃から「古富士火山」が活動をはじめ、山頂からの爆発的 な噴火を繰り返しながら小御岳を覆う一方、大規模な山体崩壊 が起きるなど、2万年前頃までは成長と崩壊が繰り返された。 約1万年前頃活動を開始した「新富士火山」は、まず粘度の 少ない玄武岩質の溶岩流を大量に流出させて広いすそ野を形 成。その後の度重なる噴火で優美な円錐形の成層火山体が完成させたとみられている。有史以降は小中規模の噴 火が中心だが、延暦•貞観•宝永の時代それぞれ大規模な噴火があった。 このように富士山が独立峰として類い稀に高く美しい姿になれたのは、三つのプレートが重なりあう地球上でも珍し い地点にあることや、4階建て構造の火山であること、流れやすい玄武岩の溶岩でできているためなど、様々な要素が 奇跡的に重なりあったためである。富士山の誕生
コラム コラム コラム1
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富士山火口古 代、麓 に広 がってい た 巨 大 な うみ から、後に分かれて誕生 した精進湖は、周囲およそ5km と五湖のうちで一番小さい。そし て最もプランクトンが豊富で、そ のぶん透明度は浅く湖水は緑色 をしている。湖に流れこんだ溶岩 流の様子を観察できる景観も独 特の魅力になっている。 西 湖 • 精 進 湖 • 本 栖 湖 が、元 は 「古䆜の海(コセノウミ)」という一 つの大きな湖だったことの裏付 けとして、3つの湖は現在も常に 水位が連動しているという。さら に、台風や大雨で精進湖の水位 がある程度以上に上昇すると、近くの湿地帯に、富士五湖につぐ第六の湖が出現する。幻の湖といわれる「赤 池」である。これらの現象は、湖同士が地下でつながっていることを推測させるものと注目されている。池の出 没時、水に沈む湿原の幻想的な眺めは、富士山誕生のロマンもたたえている。 富士五湖が、富士山の噴火活動で誕生した火山性のせき止め湖という、似通った生い立ちでありながら、そ れぞれ異なる個性に富むことも、富士山という大自然のスケールを物語っている。 最も小さい精進湖が、五湖のなかで最も早くその名を国外に広めた富士山の湖といえるかもしれない。明 治時代、イギリス人のハリー・スチュワート・ホイットウォーズは一年がかりで富士山麓を巡り、特に精進湖か らの富士山の眺めを 東洋のスイス と称え、ジャパン・ショージ の名で世界に紹介した。 また湖の北西岸の景勝地「他手合浜」からは、「子抱き富士」と親しまれる富士山が望める。手前にある大室 山を富士山が抱っこしている。大室山は富士山にたくさんある側火山の一つ。噴火を繰り返してきた富士山を 象徴する風景として眺めみても感慨深いものがある。 精進湖の名の由来は、富士山に登る前に湖で沐浴し精進潔斎がされたためという説や、富士山の「背地(せ のち)」にあたるため、など諸説がある。
ジャパン•ショージと世界が讃えた霊峰富士に抱かれる水景色
精進湖
構 成
資 産
居村集落
と
中道往還
かつての巡礼路でもあった旧中道 往還。北岸には、かつて宿場町として 賑わった「精進集落」がある。しかし、昭 和40年代に集落の多くが、自然災害対 策のため青木ヶ原樹海の中の開拓地 に移住。時を止めたかのような往時の 面影を今に伝えている。三
方分山
•
パ
ノ
ラ
マ
台
精進集落のある旧中道往還から峠道に入 り、御坂山塊の「三方分山」と「パノラマ台」を目 指すことができる。昔の石仏群が残るつづら折 りの「女坂峠」を登っていくと、やがて視界が開 け、ジャパン・ショージ と賞賛された絶景を眼 下に一望できる。 三方分山からの精進湖の眺め しょう じ こ誕 生
遥 拝
富士講
巡 拝
登 拝
荒ぶる山と美の源泉
信仰のめばえ
信仰の大衆化
水の霊場巡り
山頂へ至る道
竜
ヶ
岳
と
ダ
イ
ヤ
モ
ン
ド
富
士
本栖湖の南岸に接する標高1,485mの「竜ヶ岳」 は、千円札の富士山 の中にも登場している。本栖 湖畔から登れる富士山眺望の山としても人気が高 い。特に冬期には朝陽の「ダイヤモンド富士」を鑑 賞できる。「ダイヤモンド富士」とは、太陽がちょう ど富士山の頂きに重なってダイヤモンドのように 輝く現象。夕陽の「ダイヤモンド富士」鑑賞スポッ トとして山中湖畔が有名だが、竜ヶ岳では鑑賞期 間が12月下旬から1月上旬にあたるため、初日の 出に、富士山と太陽が織りなす神々しい風景を拝めるので人気がある。 竜ヶ岳の名前の由来として、本栖湖の湖底に棲む竜の伝説が幾つかある。その一つに、竜ヶ岳は 昔は「小富士」と呼ばれていたが、富士山の大爆発を予知した竜が、小富士の山頂に駆け昇って村 人に告げて救ったことから、以来、竜ヶ岳と呼ばれ信仰されるようになったという。古来から日本人 は富士山麓の湖に竜神の存在を見いだしていたのである。 波の穏やかな湖面に富士山の姿 がくっきりと映し出される 逆さ富 士 は、古くから日本人に愛でられ てきた。富士五湖すべてで見られ る絶景で、江戸時代の浮世絵師• 飾北斎の冨嶽三十六景など、絵画 や文学作品にも描かれている。 なかでも、五湖のなかで最も深 く、瑠璃色の湖水と称される本栖湖 の逆さ富士は、主に春の凪ぎの日 など、年 に 数 回 ほどしか 見られ な い。また 千円札と旧五千円札の富 士山 に採用されていることでも有 名。デザインの元になったのが、大 正から昭和に活躍し、富士山をこよ なく愛した写真家として知られる故岡田紅陽氏の作品「湖畔の春」である。 有史以前の古代にはどうであったろうか。富士五湖の周辺では、古くは縄文時代から、古墳時代、奈良•平安 時代の遺跡が数多く見つかっている。それは荒ぶる火の山を畏れながらも共生し、麓に豊かにもたらされる水 を求めて人々が住み着いていた証である。 古代の巨大な湖「古䆜の海(コセノウミ)」から最初に分かれて誕生した本栖湖。その湖底から水中遺跡が見 つかっている。富士山の噴火の影響で集落が水没したものと考えられ、主に古墳時代初頭の壺や高杯、縄文時 代のものとみられる土器や石器も見つかっている。 いくたび湖や村が埋没しても、繰り返し富士山の麓で生きることを求めてきた古代の日本人も逆さ富士を 愛でていたのかもしれない。 本栖湖北西岸の登山道を登ると「湖畔の春」の撮影ポイントとみられる中之倉峠がある。本栖湖の広がり、 手前の竜ヶ岳、そびえる富士山の高さと稜線の美しさ、逆さ富士を映す湖の深みが、絶妙な調和をもって望め る。岡田紅陽氏が人生をかけて見いだした至極の富士山を、今わたしたちも、ほぼ同じ構図で目にできるが、 遥かな時間の中で刻々と姿を変えてきた富士山と湖からすれば、今この時代だけに見ることのできる絶景と いえる。湖底の水中遺跡が物語る
霊峰富士と日本人とのつながり
本栖湖
構 成
資 産
竜ヶ岳からのダイヤモンド富士荒ぶる山と美の源泉
/こせのうみ《富士五湖西部》エリア もと す こアーチを描く幅200m、高さ20mの大岩壁を、滝が数百 数千の筋状になって流れ落ちている。滝の上に川は無く、 その水量のほとんどが、富士山に降った雨や雪が、水を透 しやすい溶岩層に染み込んで、不透水性の溶岩層との間 を縫って長い歳月をかけ湧き出している、いわゆる富士山 の伏流水。一面に水しぶきをあげる滝の前に立つと、水を もたらす山としての富士山の一面を顕著に感じられる。富 士山西麓で“富士の巻狩り”をした源頼朝も滝の美しさを 和歌にして讃えている。 富士講の開祖といわれる行者「長谷川角行」が「人 穴」での修行と並行して水行をした地として、富士講信者 の巡礼の聖地にもなっていた。その様子が富士講関連の 絵図などにも描かれている。