関西学院大学総合政策学部
卒業論文
研究指導者:鎌田康男 教授
タイトル:現代日本の食文化と多文化共生
―消費社会の視点からの考察―
2005 年 3 月卒業
学籍番号:
1109 氏名:西久保茉李
現代日本の食文化と多文化共生
−消費社会の視点からの考察―
目次 序章:・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2 1 章:日本の食文化の変遷 ―第二次世界大戦後の日本の消費社会化をたどって−・5 1 節:第二次世界大戦までの日本における伝統的食文化 2 節:占領国アメリカの世界戦略と戦後の日本 3 節:日本の消費社会化と食文化の位置づけ 2 章:現代日本の食文化考察・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・15 1 節:70年代の女性の社会進出と食文化の変容 2 節:差異化された記号消費としてのエスニック料理 3 節:メディアに見るグルメ指向 3 章:日本の食文化における多文化共生を目指して −結論に変えて−・・・・・・24 1 節:本質の抜け落ちた日本の食文化と多文化共生的側面 2 節:日本人の振り返るべき食文化の原点序章 文化とは人間が自然界に対処しながら蓄積してきた、人間らしい行動様式のことであり、 環境と密接な関係を持つがゆえに個性的な特徴を持つ1、と文化人類学の立場から食を研究 している石毛は述べている。ラテン語のcolere(耕す)から派生した文化は自然 nature の 対極と考えられ、大地を耕す、培養するという意味を持つ。他の動物に比べ、環境に対す る身体的適応能力の無い人間が自然との共存を求め、生活の利便性を追求して自然環境を 改変してきた結果、形成されたのである。このように、文化はその民族のおかれた自然と 歴史状況に大きく影響されながら、独自性を生み出していくものであり、当然食文化も同 様の過程を経て形成されたものである。2アジアモンスーン地帯に属する日本は四方を海に 囲まれ孤立した島国であるために、古くから独自の文化を育んできたことはよく知られて いる。日本では、土地独特の四季とともに稲作が盛んに行われ、古くから米食文化が発達 した。また、米食中心ゆえの独自の調味料を使用することや、素材に余り手を加えず素材 そのものの風味を引き立たせるような、素朴な調理方法が行われてきたこと、農業という 肉体労働にあわせた食事のリズムが存在することなども、歴史的過程を経て形成され守ら れてきた日本独特の食文化なのである。 しかし明治維新以降、西欧諸国に始まった近代化の波が次第に日本に押し寄せるように なり、また、栄養学の発展や欧米列強への対抗を目指した富国強兵政策なども影響して、 日本の食文化は肉食を取り入れるなど、徐々に変化を遂げ始めた。そして、第二次世界大 戦の後、アメリカの占領下に置かれるようになった日本はアメリカ型の消費文明の影響を 強く受け、以前の生活とは異なる、合理的価値を至上のものとして追求する社会へと変化 することとなったのだ。そこで、日本独自の食文化の前に歩み出てきたのがマクドナルド やケンタッキーなどアメリカの多国籍巨大外食産業であった。これらアメリカの消費文明 1 石毛直道『食事の文明論』中央公論社 1982 年 P,2 参照 2 和辻哲郎『風土』岩波書店 1967 年 P,135∼136 参照
である多国籍巨大外食産業はたちまち人々の生活に取り入れられ、新しいライフスタイル を作り出すほどの影響力を持つようになった。現在の日本においても、ほとんどの地域に あたりまえのように多国籍巨大外食産業の店が立ち並び、その数や種類が増え続けている 現状からも、それらが日本の食文化に与えた影響は明らかであろう。また、このようなア メリカの消費文明の普及は、日本をアメリカ型消費社会へと変貌させることとなった。日 本はアメリカと同様に経済的合理性を優先させ、人々に消費を促す社会へと変化してしま ったのである。このようにアメリカによって、日本に消費文明と日本の消費社会化がもた らされた結果、日本固有の食文化は大きく変容することとなってしまったのだ。日本に浸 透した消費社会では、次第に食を食としてではなく記号として消費するようになっていっ たのである。「人びとはけっしてモノ自体を(その使用価値において)消費することはな い。・・・・人びとは自分を他者と区別する記号として(最も広い意味での)モノを常に操 作している。」1日本の食文化もまた、ボードリヤールの述べる記号消費社会へと変貌したの である。消費社会における食はもはや生命を維持するための行為ではなく、現代人がそれ によって他者との差異を手に入れアイデンティティを確立するための手段となったの だ。’70 年代から盛んになった女性の社会進出に伴い発達した中食産業や外食産業は、日本 の伝統的な食のあり方を変容させる大きな一因となり、2食を記号として消費する記号消費 社会を促進させたのである。また、今日いたるところで見られる数々のエスニック料理店 や、マスメディアによって伝達される大量のグルメ情報も、日本がアメリカ型消費社会へ と変化を遂げ、食を消費対象として扱うようになったことの一つの表れなのである。 消費社会化にともない、エスニック料理店や多国籍巨大外食産業を盛んに取り入れ、柔 軟にその姿を変化させてきた日本の食文化に注目すると、一見世界各国の食文化の交流が 満ち溢れているかのように見受けられる。しかし、これは日本が消費社会へと変貌するこ 1 ジャン・ボードリヤール『消費社会の神話と構造』今村他訳 紀伊國屋書店 1997 年 P,68 引用 2 吉見俊哉『カルチュラルターン、文化の政治学へ』人文書院 2003 年 P,203∼206 参照
とで獲得した経済力により取り入れた食文化であり、食が記号消費の対象物として扱われ た結果の現象でしかない。つまりそこには、各国の料理の本質を理解し、各文化との交流 として取り入れられた食文化の融合などはほとんど見られず、それゆえに、現代の日本の 食文化には多文化共生的側面はほとんど存在しないと言えるだろう。すべては消費社会に 利用された食の記号消費化によってもたらされた現象であり、現在日本の食文化は多文化 共生とは言い難いものなのである。 本稿では、現在日本の食文化のあり方が単なる消費社会化の結果として、消費の歯車の ひとつになっているのではないかという問題を投げかけると共に、現代日本の食文化にお ける多文化共生的側面を考察することを目的とする。そこで、まず1章では、第二次世界 大戦以前の日本の伝統的食文化について述べ、それを変化させた第二次世界大戦後の占領 国アメリカによる世界戦略について論じ、それによって消費社会へと変化していく日本社 会と、そこでの新たな食の位置づけについて示していく。2章では、消費社会における新 たな食文化の構造について、女性の社会進出による食文化の変容、エスニック料理店の拡 大とマスメディアによって促進されるグルメ指向の増加傾向に注目しながら論じていく。 そして最後に3章では、他国の食文化の本質はもちろん自国の食文化の本質にさえも着目 することなしに、際限なく食を消費する現代日本の食文化の問題点を批判的に述べ、食文 化における多文化共生を目指して、日本の食文化が振り返るべき食の原点を示して論を閉 じる。
1章 日本の食文化の変遷 ―第二次世界大戦後の日本の消費社会化をたどって− 1節 第二次世界大戦までの日本における伝統的食文化 日本はその地理的環境により、古くから米食文化としての伝統的食文化を持つ。サムラ イに対する評価として与えられる土地の範囲が、米の収穫単位である石高によって表され ていたことからもわかるように1、米は日本社会の中心的役割を果たし、特別視されてきた。 第二次世界大戦以前の日本では農業社会としての生活様式が残されており、多少の地域差 はあったにしても、自給自足により生活を営む人々も多く存在していた。明治維新以来様々 な分野での近代化が推進されていたとはいえ、工場などで働く労働者たちや、農業に従事 している人々の肉体労働を支えていたのは主食である米であり、また、家庭で家事を行う 主婦にとって、家事の中でも特に重要な仕事と考えられていたのは、やはり少なくとも一 日一回以上は行われる、釜での飯炊きであった。2また、第二次大戦前の家庭の食卓にはい つも似たようなおかずが並び、人々は特におかずにこだわる傾向を持たなかった。3当時の 日本の食文化は米によって支えられていたのであり、人々の生活は米と密接な関係を持っ ていたのである。高度経済成長期後の日本人の食事に占める栄養量ごとの割り合を見てみ ると、動物性たんぱく質を含む動物性食品が占める割合は15%ほどと非常に低く、その 一方で、でんぷん質を含む米飯の割合はおよそ半分近くと非常に高い。4経済成長を遂げて もなおも日本の食文化における米の重要性は変わらず、この点からも伝統的日本の食文化 において、いかに米への依存度が高かったのかをうかがい知ることができる。以上のよう に、戦前の日本の食文化はもっぱら米中心の食文化であった。 一方、当時の日本には、年中行事や結婚式、法事などのハレの日には、特別なご馳走を 食べる習慣があった。普段の食卓には姿を現さないような手間暇のかかる料理や普段より 1 石毛直道『食事の文明論』中央公論社 1982 年 P,17 参照 2 同上 P,8 P,15 参照 3 同上 P,28 参照 4 同上 P,18- 20 参照
も品数の豊富な料理など、特別なご馳走を行うごく限られた機会だったのである。そして この日は特別なご馳走に加え、ハレ着を身にまとうことや労働をしないことなど、普段と は異なる生活が行われたのであった。1また、酒に関しても、日本では古くから酒は祭りや 宴会の際に飲む特別なものと考えられていたため、第二次世界大戦前の日本でも、酒を個 人的に飲むことはまだ日常化されていなかったと考えられる。2当時の日本の食文化には、 全体的に非常に質素で素朴な傾向があり、このように限られた数少ない機会にだけ贅沢な ご馳走を口にすることができるという傾向があった。 さらに、第二次世界大戦前の日本の食文化の特徴として最も重要であったのは、共同体 の共同空間としての食文化の役割であろう。「家族の中の不在者の食事を用意することによ って、旅先で食事に不自由しないように願うのと同時に、・・・家族の連帯を強調すること をおこなっていたのである。」3とあるように、当時の日本において、家族が共に食事をする ことは家族にとってのしきたりとしての重要な意味を持っていた。一つのチャブ台を囲む ことで、家族の中で最大の権威を持つ父親を中心とした共同体の連帯感を確認し強める場 としての役割を担っていたのだ。生命維持のために空腹を満たすという意味に加えて、家 族が集合しお互いに顔を向き合わせる共同空間としての役割が、当時の食文化では非常に 重要であると考えられていた。このような当時の日本の食文化の持つ役割は、テンニエス の言うゲマインシャフト的な結合体としての性格を含んでいると言える。テンニエスによ れば、ゲマインシャフトとは「実在的有機的な生命体」4であり、「すべての信頼にみちた親 密な水いらずの共同生活」5をおくる結合体のことである。テンニエスは、ゲマインシャフ トの基本的種類の一つとして肉親を挙げている。肉親とは一緒に住み一緒に食事をするだ けでなく、「記憶だけで維持されうるし、たとえいかに遠く離れていても、近くにいるとい 1 石毛直道『食事の文明論』中央公論社 1982 年 P,26- 28 参照 2 同上 P,36 参照 3 同上 P,62 引用 4 テンニエス『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』岩波書店 1957 年 P,34 引用 5 同上 P,35 引用
う感じと想像、ゲマインシャフト的な活動の感じと想像を伴っている」1結合体を指す。共 にチャブ台を囲み食事をするという日本のならわしは、まさにこのように相互に信頼しあ った親密な共同体としての家族、つまりゲマインシャフト的な共同体を守る役割を果たし ている。伝統的日本の食文化は、家族にとって共同体としての連帯感を確かめ合う唯一の 機会であり、ゲマインシャフト的な共同体を守るという重要な役割を担っていたのである。 食事と宗教には古くから密接な関わりが存在するのであるが、当時の日本の食文化にも また、宗教的特徴を垣間見ることができる。「食事は日常生活における小さな儀礼としての 性格をそのなえていたのである。そこで食事を厳粛にたべなくてはならないといった、習 わしの文化もある。」2日本の食文化はまさに、このような習わしを持つ文化である。礼儀を 大切にする日本では、伝統的食文化の習わしとして食事の際のおしゃべりをよしとしない 教育がなされた。また、米粒をこぼすことや食事を残すことなどもタブー視されていた。 これは日本が稲作国家であるがゆえに、百姓が汗水流して作った米に対する感謝の気持ち と、稲に宿る穀霊への信仰心を大切にする、日本独特の宗教的特徴の表れなのである。人々 が「バチがあたる」「もったいない」と言って食べ物を大切にする傾向や、現代にも残る「い ただきます」や「ご馳走様」などの挨拶も同様に、食べ物に宿る神への信仰心や感謝に由 来する習性なのである。3 このように、第二次世界大戦前の日本の伝統的食文化にはさまざまな特色があり、これ らは日本の独特の自然環境や礼儀やしきたりを重んじる人々の価値観と共に、長い歴史を 通して形成されてきたのである。 2節 占領国アメリカの世界戦略と戦後の日本 明治維新以降、日本の社会は徐々に西洋の文化を取り入れ変化していった。そして、西 1 テンニエス『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』岩波書店 P,51 引用 2 石毛直道『食事の文明論』中央公論社 1982 年 P,63 引用 3 同上 P,131- 133 参照
洋文明の浸透によって富国強兵政策が進められるようになり、またそれによる兵士の体力 強化のために栄養学が取り入れられたことで人々の栄養意識が高まるといった変化が起こ り、この頃を境に日本の伝統的食文化は変容を続け、当時とは大きく異なる現代の食文化 へと姿を変えたのである。しかし、当時から現在に至るまでの間に、食文化をこれほどま でに大きく変容させるに至った背景には、ひとつの大きな出来事が影響している。それは、 第二次世界大戦に降伏した日本がアメリカの被占領国となったことである。占領国アメリ カは世界的なヘゲモニー掌握を目指す世界戦略のもと、日本の消費社会化を計画的に推し 進め、結果として日本固有の伝統文化を変容させたのである。ここで、忘れてはならない ことは、このアメリカの改革による日本文化の変容が、決して自然発生的に起こった出来 事ではないということである。むしろ、これは占領国アメリカによって恣意的になされた のである。つまり、日本はアメリカの世界戦略に引き込まれたのである。そこで、以下、 第二次世界大戦後の占領国アメリカの企てた世界戦略について述べていく。 アメリカは大量生産・大量消費を可能にし、世界でもっとも早く大衆消費社会への道を 歩み始めた。そして、その一例が自動車の量産であった。ドイツから始まった自動車の発 明にともない、アメリカは自動車の大量生産に力を注ぎ、誰もが買える大衆化した自動車、 T型フォードを一気に普及させたのである。自動車の生産を標準化、規格化することで大 量生産を行い、これによってアメリカは大衆消費社会をつくりあげたのであった。1 このように形成されたアメリカの大衆消費社会であるが、それが世界的に勢力を持ちえ るほどまでに発展したのは、モノの利便性や経済効率の追求だけではなく、人々の消費欲 求を促進させモノが売れ続けるための恣意的な操作を行ったためであった。その役割を担 ったのがマーケティングの一環としての、モノのデザインであった。アメリカでは193 0年ごろのデザイナーの出現をきっかけに、外観デザインによって新たな市場を獲得する 方法が注目された。そして、デザインによっていかに商品を差別化していくかが、デザイ 1 柏木博『デザインの20世紀』日本放送出版協会 1992 年 P,74- 76 参照
ンの最大の目的とされるようになったのだ。1そこで、デザイナー達は常に新しい市場を獲 得することを目指し、とめどなく新たな表層デザインを作り続け、「彼らは、つねにものを 『陳腐化』させていく市場の論理と結びついてデザインしていくことになった。」2のだ。つ まり、デザイナーもまた、大量消費社会の発展のための一つの歯車として扱われていたの である。一方で、1930年代、アメリカの民主主義の前に立ちはだかってきた社会主義 やファシズムの脅威に対抗し、アメリカ的生活様式、つまり物質的豊かさを示すことでア メリカの優位性を表すというイデオロギー論争が起こった。そこで、デザイナー達はアメ リカのユートピア的な未来像を描き、それを展覧会において展示することでアメリカのモ ダンなイメージを見せつけたのだった。3このようにして、デザイナーの描くアメリカン・ ウェイ・オブ・リビングを見せつけたることによって、アメリカはその優位性と権力を強 化していったのである。 以上のように、アメリカの大衆消費社会が発展を遂げていった背景には、モノのデザイ ンを利用するという戦略があった。そして、後にこの大衆消費社会のアメリカ式生活様式 は世界中に広がることとなるのであるが、そこにもまた上述の、アメリカの計画的な世界 戦略が潜んでいるのだった。ここで、アメリカが恣意的に自らの優位的なイメージを作り 出し、人々に植え付けるために利用したのは、日用品であった。「アメリカの日用品のデザ インをプロパガンダとして示すということは、・・・・大量生産・大量消費による生活のス タイルを、アメリカ的なものとして示すことであった。」4アメリカは、第二次世界大戦中、 このような日用品を大量に戦地に持ち込み、それらを放置していった。兵士に大量の日用 品を身に付けさせたのは、決して兵士の現地での生活のためだけではなく、また、それら の放置は偶然の出来事ではなかった。それらは意図的な戦略だったのである。5アメリカの 1 柏木博『デザインの20世紀』日本放送出版協会 1992 年 P,92- 95 参照 2 同上 P,100 引用 3 同上 P,149-150 参照 4 同上 P,152 引用 5 同上 P,152 参照
戦略は、アメリカ的生活を最もよく表す日用品のデザインを通して、敗戦国の人々にアメ リカに対する憧れを抱かせることで、確実にアメリカ的生活様式を拡大していこうとする ものだった。つまりそれは、モノとモノのデザインを利用して大量消費社会を世界に浸透 させ、それによって世界的な権力を獲得するという図式である。戦後、日本はもちろん、 世界各国へ拡大したマクドナルドをはじめとする多国籍巨大外食産業も、それによって利 益を獲得する目的だけではなく、アメリカ的生活様式を世界に浸透させ、確実に世界的優 位性を確立していくことを目的としていたのである。 このようなアメリカの世界戦略は、グラムシ1が用いたヘゲモニーの概念に相当する。グ ラムシの概念によれば、「ヘゲモニーというのは、一般的には社会階級間の関係に関わる概 念であり、とりわけ、ある階級内グループあるいは階級集団が、他の階級や集団の能動的 同意を獲得することによって、指導的役割を果たしている状況を意味している。」2ここで重 要なことは、ヘゲモニーを機能させるためには、国家の権力を支える「強制力」だけでは なく、市民社会を成り立たせている「同意」をも必要とするということである。要するに、 支配階級が支配を行う際には、国家の強制力に頼った支配を行うだけではなく、支配下に ある人々の同意を得ることなしには支配状態を存続させることはできないのである。3第二 次世界大戦後のアメリカの世界戦略の目的はヘゲモニー掌握を拡大し、世界的な優越国家 となることであった。「世界的ヘゲモニーは、社会構造、経済構造、政治構造として描き出 すことができる。そして、世界的ヘゲモニーとは、・・・・むしろ三つの構造すべてでなけ ればならないのである。」4アメリカは、第二次世界大戦を通して、経済を著しく強化させた ことで社会的にも経済的にも政治的にも優位性を獲得した。それゆえ、世界的ヘゲモニー を獲得するための世界戦略に乗り出したのである。それが先に述べたような、モノとモノ 1 アントニオ・グラムシ(1881-1937)イタリア・マルクス主義の思想家。大衆の持つ力に着 目し、その分析の重要性を指摘した。また、党と大衆と知識人をめぐる独自の論説は、サイ ードなどへ影響を及ぼした。 2 スティーブン・ギル『地球政治の再構築』遠藤誠治訳 朝日選書 1996 年 P,123 引用 3 同上 P,124-126 参照 4 同上 P,132- 133 引用
のデザインを敗戦国にばら撒き、アメリカ型消費社会を世界に浸透させるという仕掛けで あった。この戦略はモノの持つイメージをプロパガンダとして使用するイメージ戦であり、 敵を直接的に攻撃する型式のものだけだはない。1つまり、占領国アメリカは被占領国が自 発的にアメリカ的消費社会化を目指すように仕向けたのであり、強制だけではなく同意に も基づいた支配を実現し、確実に世界的ヘゲモニー獲得し、国際的な世界秩序を築き上げ ることに成功したのである。 戦後、アメリカの占領下にあった日本は、まさにこのアメリカのヘゲモニー掌握という 戦略に引き込まれた。アメリカ兵によって持ち込まれた食料の持つ栄養的価値や美味だけ ではなく、斬新なお菓子やその包み紙、雑誌や漫画などが、人々にアメリカのモダンなイ メージを植え付け、憧れを抱かせた。また、アメリカはGHQの指導のもと、日本のメー カーにアメリカ軍家族のための住宅や家電製品、生活用品などを作らせた。日本のメーカ ーにアメリカの製品を生産させることで、常にアメリカの日常生活に触れる機会を与え、 人々の間にさらにアメリカの生活様式の物質的豊かさとそのイメージを植え付けたのであ る。2そして、マクドナルドやケンタッキーなどのアメリカの多国籍巨大外食産業をはじめ、 アメリカの生活様式や日用品、衣服などが次々と日本に取り入れられ、アメリカン・ウェ イ・オブ・ライフが日本に浸透していくこととなったのである。 3節 日本の消費社会化と食文化の位置づけ 第二次世界大戦により強大な経済力を獲得したアメリカによる世界戦略は、日本社会に アメリカの消費文明を浸透させることとなったのであるが、それと同時に日本は社会構造 上さらに大きな変化を遂げることになった。それはアメリカによってもたらされた消費文 1 スティーブン・ギル『地球政治の再構築』遠藤誠治訳 朝日選書 1996 年 P,132- 133 引用 2 柏木博『デザインの20世紀』日本放送出版協会 1992 年 P,154- 155 参照
明の産物としての変化であり、日本の消費社会化である。要するに、日本はアメリカの消 費文明の影響を受け、自らも大量生産・大量消費を特徴とする消費社会へと変化したので ある。アメリカの世界戦略によってもたらされた消費文明の持つ、物質的豊かさや高い産 業技術などが日本に与えた影響は大きく、日本はアメリカに習い右肩上がりの経済成長を 求めて、経済的利益や効率性・合理性を至上のもとする消費社会へと変貌した。そしてま た、それにともない人々の生活様式や価値観も次第に変化していき、人々は消費願望を増 大させ、消費活動に価値を見出すようになったのである。 このような日本の消費社会化にともなう人々の価値観の変化は経済活動のみに関わらず、 当然また、古くから守られてきた日本の伝統文化においても影響を及ぼし、次第に伝統文 化を変容させることになった。例えば、人々のファッションの変化は、利便性に優れ、斬 新なアメリカ式のファッションを積極的に取り入れることから始まった。もはや人々がフ ァッションに求めるものは日々の生活において寒暖をしのぐための物理的必要性ではなく、 他人との差異化を計るための記号としてのファッションであり、社会的評価であったのだ1。 このように日本の衣服における文化もまた、消費社会化による人々の価値観の変化によっ て変化してしたのである。 しかし、ファッションにおける変化以上に消費社会化の影響を受け、変化していった日 本の伝統文化がある。それは日本の食文化である。1節で述べたように、日本の伝統的食 文化には日本の独自の自然環境や歴史的背景と共に形成されてきた特色があり、その特色 は厳粛で素朴で禁欲的なものであった。しかし、日本の消費社会化にともない「食事はま ず腹の足しになることを目的としていた段階から、快楽の追求としての段階へ日本人の食 卓が変化しつつある」2とあるように、人々は食文化に快楽を追及するようになったである。 食はもはや生命の維持のための手段ではなく、味わい楽しむものへと変化したのである。 1 ジャン・ボードリヤール『消費社会の神話と構造』紀伊国屋書店 1995 年 P,68 参照 2 石毛直道『食事の文明論』中央公論社 1982 年 P,26 引用
つまり、消費社会化にともない日本の食文化にグルメ指向が浸透してきたのである。第二 次世界大戦後の経済成長によって、日本は他国と比べて国内の階級差の少ない経済国へと 成長し、飢えに対する不安のない皆が食える社会へと発展した。言い換えれば、現代の日 本社会には食べ物が溢れており、お金さえ払えばいつでも誰もが何でも食べることのでき る社会になったのである。その結果、公然と食の快楽について語ることができる社会へと 変化し、1それと同時に、食べることに関する実用的情報から趣味的情報まで、あらゆる食 の情報が万人に公開されるようになったのである。2このような日本の食文化における変化 は日本の消費社会化によってもたらされたものであり、その結果、食の快楽化がもたらさ れることになったのである。 生命維持のための糧としての食から快楽のための食へと変化し、さらに今日、人々が食 を他者との差別化をはかるための記号として、またファッションとして消費する傾向が生 じている。それが、食の記号化である。モノが氾濫した消費社会において、人々は「他の 人間に取り囲まれているのではもはやなく、モノによって取り巻かれている。」3人々がモノ に価値を見出し、極度に消費活動を追及する消費社会において、モノは他者との間に差異 性を見出すための手段であり、あらゆるものが記号として消費されるのである。これはま た食文化においても例外ではなく、日本の消費社会化にともない食文化は必然的に記号化 してしまったのである。 また、「近代の世界文明に接触したことを機として、日本人ほど食生活にあたらしい要素 をとりこんで、変えてしまった民族はないかもしれない。」4とあるように、世界の食文化を 消費対象として積極的に取り入れる傾向もまた、消費社会化によってもたらされた食文化 の変容のひとつである。日本の消費社会化はあらゆるものの消費活動を推進し、その結果、 1 石毛直道『食事の文明論』中央公論社 1982 年 P,44 参照 2 同上 P,104,105 参照 3 ジャン・ボードリヤール『消費社会の神話と構造』紀伊国屋書店 1995 年 P,11 引用 4 石毛直道『食事の文明論』中央公論社 1982 年 P,146 引用
世界の食文化までをも消費対象へと変容させたのである。日本の消費社会によって取り入 れられた世界の食文化は、本来各々の国で親しまれている料理とは異なる、日本流の食に 変形される。そしてその代表が、カレーライスやトンカツ、ラーメン、オムライスなどで あり、一方でこれらの料理は既に海外においても日本料理として認識されているほどであ る。これは、異文化をありのままに受け入れることをせず、独自に変形させて受容すると いう日本独特の文化の受け入れ方によるものである。そしてこのことは、後述する多文化 共生の問題にもつながっているのである。 日本の消費社会化によって、日本の食文化は大きな変容を遂げた。日本の食文化におけ る伝統的な特色は失われ、そこには新たに消費社会的な傾向が生じることとなったのであ る。そこで次章では、第二次世界大戦後の急速な消費社会化にともなって形成された、現 代日本の食文化について考察していく。
2章 現代日本の食文化考察 1節 70年代の女性の社会進出と食文化の変容 1950年代半ばから1970年代初頭にかけて日本経済は急速に発達し、その成長速 度は世界的に見ても驚異的なものであった。戦後の復興からそれ以上の経済的繁栄を求め て、日本は国の全勢力を挙げて経済成長の推進を図ったのだ。これが高度経済成長時代で あり、日本の社会構造を完全な消費社会へと変容させた時代である。当時の日本ではオー トメーション化が進む中、企業は合理化を推進し、勤勉な日本人は日夜働き続けその生産 性を急激に向上させた。また、交通機関の建設や整備も急速に進められ、大型航空機や輸 送船、新幹線や高速道路などが開通され、大量輸送や高速輸送が実現としたことも経済成 長に大きな貢献を果たした。1そして、ついには日本の国民総生産(GNP)がアメリカに ついで西側諸国の中で2位になるほどの経済大国へと成長したのであった。2 日本は高度経済成長にともない、家庭における生活様式を大きく変容させることとなっ た。日本の得意分野として高度技術を誇った家電製品を代表に、あらゆるもののオートメ ション化やそれに伴った大量生産による低コスト化が進み、人々の生活は以前とは比べ物 にならないほどの利便性と効率性を実現した。そして特に、家電製品の中でも人々の憧れ であった、『三種の神器』3と呼ばれるテレビ・洗濯機・冷蔵庫が家庭に普及したことは、家 事の合理化を推進させ、それによって女性の社会進出が可能となったのである。これらの 家電製品の普及は、これまで一日の大半を家事に従事していた主婦たちの仕事を大幅に軽 減させ、それによって女性が家事から開放され、社会に参加することを可能にしたのであ った。4一方、経済成長にともなう人々の価値観の変化も、女性の社会進出に大きな影響を 1 間宏編著『高度経済成長下の生活世界』文真堂 1994 年 P,14, 22 参照 2 同上 P,6 参照 3 三種の新器とは、日本の天皇が即位の際に代々受け継ぐ3種の宝物のことを指す。この3種の 宝物とは、八咫鏡(やたのかがみ)と呼ばれる鏡・八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)と呼 ばれる勾玉・天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)と呼ばれる剣のこと。 4 吉見俊哉『カルチュラルターン、文化の政治学へ』人文書院 2003 年 P,203- 205 参照
与えた。高度経済成長期の人々が最も価値を置くものは「3C」と呼ばれるカー・クーラ ー・コテッジであった。人々は豊かな消費生活に価値を見出すようになったのである。そ して、その実現を目指し、共働きをしてでも高収入を獲得するため、ひたすら労働に従事 するようになり、1それと同時に、余暇を充実させるための消費を増大させていったのであ る。 このように女性の社会進出が進められたのであるが、女性によって支えられていた家庭 の食生活はそれにともない大きく変化することになった。家庭に普及した家電製品が女性 から家事の負担を軽減したことと同様に、女性の社会進出にともなって、社会の側にも家 事を補助するための産業システムが急速に発達し始めたのである。それが、外食産業や中 食産業2と呼ばれる産業である。そもそも外食産業は料理茶屋として、中食産業は行商や仕 出し、出前として江戸時代から多く存在していた。3しかし、上述のような高度経済成長に ともなう家庭の生活様式や人々の価値観の変化によってもたらされた女性の社会進出が、 これらの産業を急激に発展させたのである。女性の積極的な労働への参加は家事時間の短 縮の必要性と経済的余剰をもたらし、それと同時に女性の余暇への参加は消費活動を増大 させた。その結果、日本の食文化に、食の簡便化と趣味化と言った、相反する傾向が生じ ることになったのだ。4これにともない、これまで家庭で行われていた料理の手間と時間を 省くために、外食産業や中食産業に依存する傾向や、また一方では誕生日や宴会などの特 別な食事としてこれらのサービスを利用する傾向が、急激に増大していったのである。5 一方、中食産業や外食産業の発展により、日本の食文化は家族が共に食事をする団欒と しての食事の役割を失っていった。日本の家庭における食卓としては、もともと古くから 使用されていた銘々膳に変わり、明治30年ごろからチャブ台が普及するようになり、第 1 間宏編著『高度経済成長下の生活世界』文真堂 1994 年 P,18,23 参照 2 中食産業とは、冷凍食品やレトルト食品などの加工食品、惣菜などの調理済み食品を指す。 3 石毛直道監修・井上忠司編『講座 食の文化―第五巻・食の情報化』財団法人味の素文化セ ンター 1999 年 P,180- 182, 184- 186 参照 4 同上 P,254- 255 参照 5 同上 P,210 , 213- 214 参照
二次世界大戦後になって徐々にダイニングテーブルが使用されるようになった。1蓋を盆と して使用する1人用の箱膳である銘々膳や、四脚のついた大きな一つの台であるチャブ台 による食事は、食事作法の教育の場として礼儀と規律が重んじられ、家族の中で最大の権 威を持つ父親を中心に家族のつながりを確認する場であった。一方、イスに腰掛けるダイ ニングテーブルによる食事は、食事作法が崩壊し、むしろ積極的にコミュニケーションを 図り楽しく食事をすることにより家族のつながりを確認する場であった。2それぞれ異なっ た形ではあるが、どちらにおいても家族が共に食事をすることで家族の絆を確かめ合うと いう、食事の役割が存在していた。しかしながら、中食産業や外食産業が発展することに よって、このような食事の役割が薄れてしまったのである。中食産業や外食産業はその利 便性と効率性により、家族がそれぞれのライフスタイルに合わせてばらばらに食事をする ことを可能にした。つまり、個食化が発展したのである。その結果、家族が集合して共に 食事をする機会は極端に減少してしまい、日本の伝統的食文化の根本的なあり方は変容さ せられてしまったのである。 70 年代の女性の社会進出は、中食産業や外食産業の発展を推し進め、家族の団欒として の食事の役割を希薄化させることで、結果的に伝統的日本の食文化を変容させることとな ったのである。そして、それと同時に簡便化と趣味化の傾向強められた日本の食文化は、 近年更なる変容を遂げていくのである。 2節 差異化された記号消費としてのエスニック料理 日本の消費社会化にともない人々の消費願望が増大し続ける中、近年、日本の食文化に おける趣味化の傾向は更に強まり、人々は中食産業や外食産業に更なるグルメ指向を追求 するようになった。そして、そのようなグルメ指向の追求の結果、世界の食文化に人々の 1 石毛直道監修・井上忠司編『講座 食の文化―第五巻・食の情報化』財団法人味の素文化セ ンター 1999 年 P,108 参照 2 同上 P,110 , 112 参照
注目が集まり、各国のエスニック料理が急速に日本に取り入れられることになったのであ る。この傾向は、中食産業や外食産業のみに限らず、家庭での食卓においてもまた同様の ことであり、世界各国の料理が家庭で作られることは、現代日本の食文化においては決し て不思議なことではない。人々はエスニック料理店で他国の食文化を消費したり、エスニ ック料理のお弁当を持ち帰ってそれを消費したり、料理本を見ながら作られたエスニック 料理を家庭の食卓で消費したりするのである。このようなエスニック料理の急激な普及は、 次々と新しく建設される商業複合施設などのレストラン街において、必ずといって良いほ ど多くのエスニック料理店が含まれている現状からも明らかである。例えば、筆者の住む 地域近郊にある商業施設1に設置されているファストフード系フードコートには、15店舗 のうち本格インドカレーやハワイアン料理、韓国料理、アジアンヌードルといった4店舗 ものエスニック料理店が含まれている。この例からも、エスニック料理はもはやファスト フードの仲間入りをするほどに日本の食文化に浸透していることがわかる。 このように、近年急激な増加傾向にあるエスニック料理であるが、その背景には日本の 食文化の消費社会的な特徴が現れている。日本の食文化の中にこれほどまでにエスニック 料理が姿を現すこととなったのは、日本社会の経済成長に伴って人々の消費願望が増大し た結果、人々の間に他者との差異化を求める記号消費への欲望が生じ始めたことが強く影 響している。そしてそれは食文化においてもまた、例外ではない。これが1章3節の最後 に述べた食の記号化といった現象である。今日、エスニック料理が日本人に人気を集めて いるのは、人々が食に対してさえも他者との差異化を求め、エスニック料理を食べる行為 が社会的ステータスや自己のアイデンティティの確立の一助となることを期待するためで ある。エスニック料理に求められるのは快楽や美味だけではなく、他者との差異性を表す 記号なのである。要するに、現代人はエスニック料理を食べる自分自身を客観的に見つめ、 他者の視線を逆照射するという図式で、自らが現代の消費社会の一員であることを確認し 1 兵庫県伊丹市に位置する『ダイヤモンドシティテラス』という商業複合施設を指す。
満足感を得るのである。これはボードリヤールが批判する差異化を求めた記号消費である とともに、ヴェブレンの言う衒示的消費であると言えるだろう1。衒示的消費とは必要以上 の消費により財産を無駄遣いすることによって富と名声を誇示することであり、その金銭 的実力の刻印を相手に見せびらかすことによって満足感を得られる。2つまり、消費により 他者との間に優越的差異を見出すことのできた自分を見せびらかすことで、自己満足と自 己のアイデンティティを確認するのである。人々はもはや従来通り物理的に食を消費する のではない。現代のエスニック料理の普及が物語っているのは、生命維持のための栄養学 的側面でも、美味に対する欲望を追求する快楽的側面でもなく、ひたすら差異化された記 号消費を食に求める現代人の姿なのである。 一方でまた、エスニック料理を食べる行為とは、上述のようにその社会的意味と価値を 記号として消費することであると同時に、その結果エスニック料理の持つ意味や価値を無 化させることでもある。ボードリヤールは「差異はこれらのモデルにもとづいて巧妙に生 産され再生産されるのである。それゆえ、自己を他者と区別することは、あるモデルと一 体となること、・・・・にほかならず、しかもそれゆえにあらゆる現実の差異や特異性を放 棄することでもある。」3と述べている。つまり、このような記号消費はモノを消費すること でモノが持つ価値を無化させ、再び別のモノに対して新たな差異的記号を作り出すという、 繰り返しの構造を持つのである。人々は「お互いに他人を追い越そうと競争して、かれら の衒示的消費の正常の標準をますます高い点につり上げ」4る。記号消費は他者との差異性 を獲得するための競争であり、その競争の結果モノの価値は一度無化され、またさらに別 の価値が次々に作られるのである。要するに、エスニック料理に関しても、人々がそれを 記号として消費することでその意味や価値は消滅し、そして新たに優位的な価値を持つエ 1 ヴェブレン『有閑階級の理論』小原敬士訳 岩波書店 1961 年 P,70-71 参照 2 同上 P,86- 87 参照 3 ジャン・ボードリヤール『消費社会の神話と構造』今村仁司・塚原史訳 1995 年 P,113 引用 4 ヴェブレン『有閑階級の理論』小原敬士訳 岩波書店 1961 年 P,88 引用
スニック料理が現れ、消費されていくのである。 このように記号消費として日本の食文化に取り入れられているエスニック料理であるが、 その浸透の速さは人々の記号消費への欲望が日本の食文化の中にいかに蔓延しているかを 顕著に物語っていると言える。なおも急速に広がるエスニック料理ブーム。しかしその背 景には、日本社会において自己のアイデンティティを確立するための手段としてのエスニ ック料理の姿があり、そこに、単なる記号と化した食としての現代日本の食文化の変わり 果てた姿を見ることができる。 3節 マスメディアに見るグルメ指向 今日、マスメディアによって伝達される大量の情報は、現代社会に多大な影響力を与え ていることは周知の通りである。グルメに関しても大量の情報が社会に溢れており、それ らが伝統的食文化に与える影響は大きく、マスメディアは日本の伝統的食文化を変容させ る影響力の一つとなっている。その代表となるのがテレビによって伝達される料理番組で ある。1957年、現在も続く最長寿の料理番組1の放送が始まって以来、これまでに多く の料理番組が放送されてきたのだが、近年それらの数は著しい増加傾向にあると言える。 例えば、ここ9年間の料理番組の数の増加傾向を見てみると、1995年10月5日から の1週間におけるその数は全部で39であったのに対し、2004年には全部で58であ り、9年間で20近くもの料理番組が増加していることがわかる。2また、その内容に関し ても、以前の料理番組と近年のそれとの間には大きな相違点が見られる。以前の料理番組 では、専門の先生に習い、家庭でも簡単に作ることができる料理の作り方や手順を紹介す るといった内容が主流であった。しかし、今日の料理番組では、評判のあるレストランの 料理を紹介したり、プロの料理人たちに料理の腕を競い合わせたり、家庭ではとても手に 1 NHK「きょうの料理」 1976 年に働く女性の増加に合わせ夜の再放送も開始した。 2 毎日新聞(1995 年 10 月5日∼10 月 11 日, 2004 年 10 月5日∼10 月 11 日)テレビ欄参照
入らないような豪華な食材を使用した料理や高級料理店の料理を紹介したりといった、グ ルメ指向の番組が急激に増え続けているのである。1また、マスメディアを通して伝達され るグルメ情報はテレビのみに限られたものではない。実用的なクッキングブックや美味随 筆の趣味の本、食べ歩きのガイドブックなど、料理のカラー写真や作り方、評論などのグ ルメ情報が万人に公開されているのである。2こういった料理本も1957年の料理番組が 開始されたころから出版されていたのであるが、やはりグルメ番組と同様に、今日の料理 本とはその内容に異なった傾向が見られる。当時の料理本といえば、実用的で手軽な料理 のレシピを紹介することのみを目的とするものであった。しかし、今日、書店などで多く 見られる料理本は、その大半がグルメガイドである。近隣の都市にある評判のレストラン や各地の有名な名産料理を扱う全国の、そして世界のレストランなど、あらゆるレストラ ンの情報などが紹介されている。また一方で、プロの技を身に付けるための料理学校や調 理師学校も増え続けており、それらもまた、グルメの情報伝達手段の一つとしての役割を 果たしているのである。3 今日、マスメディアによって伝達されるグルメ情報はその数も内容も大きく変容し、そ の結果、社会に溢れるこうした大量のグルメ情報によって、現代人のグルメ指向が促進さ れるようになったである。人々はテレビ・雑誌・新聞などあらゆる媒体を通してグルメ情 報を受け取り、当たり前のようにグルメに関心を持つようになる。このようなマスメディ アによってもたらされたグルメ指向は、2章2節で述べたエスニック料理の場合と同様に、 日本の消費社会化にともなって、人々が食を差異化された記号として消費することにより 生じた現象であると考えられる。現代の日本人の間に広まるグルメ指向は、食の快楽化に ともない、食べることを楽しむ行為から生じた傾向だけではない。人々は現代社会の中で 1 石毛直道監修・井上忠司編『講座 食の文化―第五巻・食の情報化』財団法人味の素文化セ ンター 1999 年 P,258- 259, 290 参照 2 石毛直道『食事の文明論』中央公論社 1982 年 P,105 参照 3 同上 P,105 参照
自己のアイデンティティを確認し保持するために、マスメディアによって伝達されるグル メ情報を消費し、積極的に自らをグルメ指向にするのである。つまり、人々はグルメ指向 であることによって、自らのアイデンティティを確立しようとするのである。アイデンテ ィティというのは、潜在的に自己の内部に存在するものではなく、自らの所属共同体から 影響を受けて徐々に形成されるものである。1人間は常にこのアイデンティティを追及する のであり、際限なく大量の情報が伝達される現代社会では、特にその傾向は強く現れる。 そして、人々が自己のアイデンティティを確認できるひとつの大きな手段は、差異化を求 め記号としてのモノを消費する、記号消費なのである。要するに、人々は差異化された記 号としてのモノを消費し、それによって自らの差異性を確認することで、それを自己のア イデンティティとして自らの拠りどころとしながら、消費社会の一員としての生活を送っ ているのである。2現代社会では、食においてもこのような差異化された記号が追及され、 それゆえに、人々はマスメディアによって伝達されるグルメ情報にさえも自己のアイデン ティティを求めようとするのである。他者との差異性を求め、記号と化したグルメ情報を 人よりもいち早く、より多く追求することで社会的ステータスと自らのアイデンティティ を確立し、社会の一員であることを確認するのである。このようにして、今日、グルメ指 向が人々の間で拡大していっているのである。そして、それは単に美味しい料理を食べる ことを目的としたものではなく、食を記号として消費することで、自己のアイデンティテ ィの確立をより強固なものにするための一つの手段であると考えられる。3 第二次世界大戦後、完全な消費社会化を遂げた日本の経済成長は、人々に経済的なゆ とりをもたらした。そして、それによって際限なく食を消費するグルメ指向を生み出し、 そこにマスメディアの力が加わることで、更なるグルメ指向を促進しているのである。消 費社会化によって変容させられた、このような現代特有の日本の食文化システムに完全に 1 G.H.ミード『精神・自我・社会』青木書店 1973 年 P,218- 219 参照 2 同上P,215- 217 参照 3 同上P,229- 230 参照
組み込まれた人々は、マスメディアによって伝達される差異化された記号としてのグルメ 情報によって、食を浪費しているとさえ言えるのである。
3章 日本の食文化における多文化共生を目指して (結論) 1節 本質の抜け落ちた日本の食文化と多文化共生的側面 第二次世界大戦後、日本は消費社会へとその姿を変え、それにともない人々の価値観 や生活様式もまた大きな変容を遂げた。そしてその結果、世界の中でも類を見ないほどの 変化を遂げた日本の食文化であったが、その現状は2章でこれまでに述べてきた通りであ る。経済価値を至上のものとして追求する人々の価値観、また、利便性や効率性を求め普 及するオートメーション化により変化する生活様式など、消費社会がもたらしたこれらの 変化は、日本の食文化に食の快楽化と記号消費をもたらし、その結果日本の食文化は実に 多様なものへと変容したのである。都市に広がるエスニック料理などの外食産業や、家庭 に取り入れられる多様なお惣菜やお弁当、そして加工食品。また、テレビや雑誌、広告や 料理学校などさまざまなメディアを通して伝達される多様な食情報。世界的に見ても実に 驚異的な速度で各国の食文化を取り入れ吸収することによって、日本の食文化はこれほど までに多様性を帯びた食文化へと発展したのである。そして、現代の日本の食文化はその 多様性のゆえに、一見、世界の食文化が融合し多文化共生を実現しているかのように見受 けられる。しかし、果たしてその多様性は、世界の食文化が融合した結果生じたものなの であろうか。現代の日本の食文化には、多文化共生的側面は存在するのであろうか。 そもそも多文化共生における「共生」とはどういった概念なのか。共生には、生態学的 意味を持つシンビオシスと社会的意味を持つコンヴィヴィアリティとの、二つの意味があ る。シンビオシスは、二種の生物が空間的に接して、また、関係を持ちながら生活をして いることを意味する。そして、これらの両方がこの関係により利益を得ている状態を「相 利共生」といい、一方だけが利益を得ている状態を「偏利共生」という。一般的には「相
利共生」の方が共生を意味することが多い。1一方コンヴィヴィアリティという概念は、イ リイチやオークショットら思想家によって確立されるのであるが、それは、宴の場におけ る打ち解けた雰囲気を基本イメージとし、開放性、異質な者の許容、参加者によるルール の遵守を原理としたしものである。2 戦後、急速に世界の食文化が取り入れられたことによって、現代の日本の食文化は世界 の食文化と共存していると言える。しかし、上述のように現代の日本では、消費社会化に ともない人々の価値観が変化し、人々が食に求めるものは単なる快楽や、また差異性を確 立するための記号であって、このように際限なく増大する人々の欲望によって世界の食文 化が取り入れられ消費されているのが、日本の食文化の現状なのである。このような食文 化においては、食の本質が食の快楽性や差異性の影に追いやられてしまい、人々が食の本 質に目を向けることはほとんどない。日本の伝統的食文化には世界の食文化と同様に、自 然環境や歴史との密接な関わりによって形成された文化の本質が存在しているのであるが、 それは、1章1節で示した伝統的食文化の特色からも見られるように、島国日本の独特の 気候や自然環境にもとづいて形成された食文化の独自性や、家族の規律の場としての食事 習慣、仏教などの影響による食の禁欲性などである。現代の食文化はこのような食の本質 を欠いているのであり、世界の食文化との間に多文化共生的側面を見出すことは困難であ る。なぜなら、日本の伝統的食文化の本質にさえ目を向けない現代社会が、他国から取り 入れた食文化の本質などに目を向けるはずはないのであり、要するに、ここに見られるの は決して日本の食文化と世界の食文化の融合などではなく、消費社会化にともない増大し た人々の食に対する欲望を満たすための手段としての食文化なのである。これは、上述の 共生概念の中で、「偏利共生」に当てはめることができるであろう。つまり、世界の食文化 を取り入れることで、日本だけが一方的に経済効果という利益を獲得しているのであって、 1 廣野喜幸「共生」 『事典 哲学の木』講談社 P,250 参照 2 同上 P,251 参照
このような日本と世界の食文化の関係に、多文化共生的側面を見出すことは難いといえる のである。 今日、日本には世界各国の食文化が溢れている。しかし、その大半は本質を欠いた食文 化であると考えられる。このような世界の食文化の本質に目を向け、日本の食文化におけ る多文化共生を実現させるためには、まず、日本の伝統的食文化の本質に目を向けること から始めなくてはならない。 2節 日本人の振り返るべき食文化の原点 日本曹洞宗の開祖である道元1の著に、『典座教訓』・『赴粥飯法』がある。『典座教訓』は 禅の修業道場において食に関する業務を担当する典座の職務の重要性を記したものであり、 『赴粥飯法』は典座の調理した食事を食べる際の修行僧の心得を記したものである。ここ に記されているのは仏教における食の思想であり、差異性や快楽性を求めるあまり失われ てしまった現代の日本の食文化の本質であると考えられる。 『典座教訓』における典座とは、上述のように修行僧たちの食事をつかさどることがそ の役目なのであるが、道元が留学した中国の多くのすぐれた禅僧たちもこの典座の職を経 験しており、この職につくことは非常に尊いことであるとされていた。典座は「食事を作 るには、必ず仏道を求めるその心を働かせて、・・・・修行僧達が気持ちよく食べられ、身 も心も安楽になるように心がけなければならない」2のであり、修行僧の供養を行うという 重要な任務であるがゆえに、『典座教訓』の中にもいくつかの典座としての心得が示されて いる。まず一つに材料を敬い大切にすることが示されている。典座は差別的にものの良し 悪しを判断するのではなく、上等な材料であろうが粗末な材料であろうが、すべての材料 1 道元(1200 年∼1253 年)1223 年に中国の南宋に留学し、当時の代表的臨港都市である明州 (現在の寧波)にて禅学を勉強した。 2 道元 『典座教訓・赴粥飯法』中村璋八・石川力山・中村信幸訳 講談社学術文庫 1991 年 P,22 引用
に深い真心をもって大切にしなければならないのである。1二つ目は、食事を作る作業は自 分の手で行い、常に細心に注意を払わなければならにという心得である。典座はすべての 作業に心をこめ、自らが行わなければならない。2三つ目の心得は、修行僧に供養する食事 を作るという思いを持ち続け、相手に対する真心を忘れないことである。3典座は修行僧の 肉体や心を育てるために食事を作るのであり、常にその意識を持ち続けなければならない のである。現代の日本の食文化において、人々が追求するのは経済的利益や快楽、社会的 ステータスなどのあらゆる欲望であるのに対して、ここに記されている心得は食に何かを 求めるのではなく、むしろ食に対して敬意と真心を向けることなのである。 一方で『赴粥飯法』は上述のように典座の作った食事をいただく時の心得が記されてお り、これもまた、日本の食文化の原点となりえる心得である。まず一つに、身だしなみや 座席の位置などの基本的な作法が示されている。修行僧達は、食事に参加する際にはきち んとした正しい姿で赴き、また、座席は出家受戒の年次順などさまざまに取り決められた 位置に座らなければならない。二つ目の心得は、食事を食べる前に行う妄想と反省である。 修行僧たちは、与えられた食材の経路や食事が作られるまでの作業、食事をいただくこと の意味や目的を考えなければならない。また、自分は供養を受けるに値するだけの正しい 行いができているか、そして、食事の場において卑しい心や道理をわきまえない心が起き ないか、自らを反省しなければならない。『赴粥飯法』の中には、手を合わせ頭を下げると いう動作が非常に多く示されている。それは、与えられる食事に対しても、また他の修行 僧たちや住持に対しても行われる、感謝の気持ちの表現である。また、道元の心得の中に は、禁欲的な側面も示されている。「一旦食べ終わったら、もっと食べたいという気持ちを 捨てなさい。」4とあるように、修行僧たちは自分に分け与えられた食事だけに集中して食べ 1 道元『典座教訓・赴粥飯法』中村璋八・石川力山・中村信幸訳 講談社学術文庫 1991 年 P,46- 47 P,98 参照 2 同上 P,31 参照 3 同上 P, 131 参照 4 同上 P,215 引用
なければならず、食への欲求を表すことはタブー視されていた。ここに示されている心得 もまた、現代の日本人が失ってしまった食の思想を表している。食を与えられることのあ りがたみや、食材や食事を作ってくれる者への感謝の気持ち、また、神聖な場であり規律 を守るべき場として食事を尊ぶ意識、そして食への禁欲。かつての修行僧の食に対する姿 勢と我々の姿勢とには、実に大きな相違が見受けられるのである。 第二次世界大戦後、アメリカの占領下に置かれて以来、ひたすらに消費社会化を推進し 経済的利益を追求してきた日本社会であるが、そのような消費社会化により大きく変容し てしまった現在の日本の食文化を生きる我々は、食文化の本質をこの『典座教訓』・『赴粥 飯法』にもう一度学ぶべきである。自らの振り返るべき食文化の原点に立ち戻り、自国の 食文化の本質をもう一度見直すことが必要なのではないだろうか。
参考資料 【文献】 1, 石毛直道『食事の文明論』中央公論社 1982 年 2, 石毛直道監修・井上忠司編『講座 食の文化―第五巻・食の情報化』財団法人味の素文 化センター 1999 年 3, ヴェブレン『有閑階級の理論』小原敬士訳 岩波書店 1961 年 4, 柏木博『デザインの20世紀』日本放送出版協会 1992 年 5, G.H.ミード『精神・自我・社会』青木書店 1973 年 6, ジャン・ボードリヤール『消費社会の神話と構造』今村他訳 紀伊國屋書店 1997 年 7, スティーブン・ギル『地球政治の再構築』遠藤誠治訳 朝日選書 1996 年 8, テンニエス『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』岩波書店 1957 年 9, 道元 『典座教訓・赴粥飯法』中村璋八・石川力山・中村信幸訳 講談社学術文庫 1991 年 10, 間宏編著『高度経済成長下の生活世界』文真堂 1994 年 11, 吉見俊哉『カルチュラルターン、文化の政治学へ』人文書院 2003 年 12, 和辻哲郎『風土』岩波書店 1967 年 【辞書・辞典】 13, 廣野喜幸『事典 哲学の木』講談社 (五十音順)