翔
仁 会 グ ル ープ
経
営 ( 診 療 ) 理 念
(「夢」とは心が満たされることである。)
すべての利用者様に医療・福祉を介して夢を実現する
「夢」
エスポ
だより
7月号
介護老人保健施設
エスポワール北広島
TEL
011-376-3911 FAX 011-377-5621
北広島市輪厚
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特集:東日本大震災 人道支援レポート
リハビリ・栄養課コーナー 連載開始
被災地ボランティア報告 医療法人社団 翔仁会 介護老人保健施設 エスポワール北広島 介護支援専門員 引木啓太 ボランティア期間 平成 23 年 5 月 12 日~平成 23 年 5 月 20 日
この度私は、平成23年5月12日~平成23年5月20日、岩手県陸前高田市にあります「介護老人保健 施設松原苑」で、活動させて頂きました。 街の様子は、報道等で観ていましたが実際に肌で感じる事で、唖然とし言葉を失いました。以前の街の状態 はわかりませんが見渡す限り一面瓦礫が広がり、腐敗臭・土埃の臭いが混ざり異臭を感じる程でした。実際に 家があったと思われる場所で、何かを探している人、ただ半壊した建物の前で呆然と立ちつくしている人様々 でした。 「松原苑」は高台の位置にあった為、津波の被害はありませんが地震による影響は見てわかるものでした。 補修工事は行われていましたが、施設内外は粉塵や壁、床のヒビが顕著に見られ、資材が届かない為に工事が 着工できない状況でした。 施設は198床定員で2階・3階が入所のフロアでした。看護部長より、主に3階の入所者様の方は屋根が 崩壊した為に、他の施設か2階へ避難し2階フロアは、オーバーベットである事。職員の方も、9割の方が被 災され自宅が無くなった方、身内が被災し行方不明になっている方もいて、施設内で生活し休みも満足にとれ ていないとの現状を聞きました。 行ってきた活動は、主に3階フロアの清掃や物品の片付け、利用者さんの使っている衣類の洗濯・整理等の 環境整備を行い、利用者さんが3階で生活出来るよう準備をする事でした。また、活動中に職員の方や関係者 の方とも交流する機会も多くありました。 「居室にカーテンが1 枚も無く引き千切れているのは、外に避難した時に入所者様の防寒の為、引っ張ってレ ールから外したから千切れているんです。」 「夜、不眠を訴える方が多く、医者としてはゆっくり休んで欲しいから眠剤を勧めるが、被災された方は『寝 たら、地震や津波が来たら困るから寝てなんかいられない』と言っている。医者でありながら何もしてあげら れない…。」 等々、体験された事を聞かせて頂きました。 5月18日には、3階の一部のフロアで受け入れ体制が整い、法人内の他の施設で生活されている60名ほ どの方が、戻ってくる事が出来ました。入所者様が、 「やっと、家に帰って来られた気分です。」 と、笑顔で話される方もいて、私の中で喜びと同時に一つの達成感を得られました。ボランティア開始当初の 3階フロアは誰もいなく、風の音等が聞こえてくるだけの寂しさもありましたが、入所者様が戻ってきてから は徐々に賑わう様子も見られていました。 この度、何かの役にたてればとの思いでボランティアに参加しましたが、逆に活動を通じて多くの事を学ば せて頂けたと思います。他県から派遣されてきた福祉・医療従事者の方々や「松原苑」の職員の方々との出会 いや共に生活する事で多くの事を学び、特に人と人との繋がりや助け合って生活していく事の大切さを学べた と思います。 今回、このような貴重な経験をさせて頂き、職員や関係者の方々に深く感謝し今後の自身の活動の糧とした いと思います。また、被災地の方々には1 日も早い復興をお祈り申し上げたいと思います。
医療法人社団 翔仁会 介護老人保健施設 エスポワール北広島 総務課 渋谷真人 ボランティア期間 平成 23 年 5 月 12 日~平成 23 年 5 月 20 日 東北地方太平洋沖地震で被災された皆様に心よりお見舞い申しあげるとともに一日も早い復興を心よりお祈 り申し上げます。 平成23 年 3 月 11 日に発生した東北地方太平洋沖地震から約 1 ヵ月が過ぎたころ全国老人保健施設協会を通 じ、上司から被災地へのボランティア派遣の話がありました。 連日、メディアなどの報道から被災地の映像や一部の情報より被害の大きさや深刻さに衝撃を受けておりま したが、現地で活躍する自衛隊や警察、消防、そして全国から集結したボランティアの方々を見ていると、復 興支援へ対する気持ちが強くなり被災地へのボランティア派遣に立候補し活動する機会を頂きました。 北海道北広島市にあります当法人からボランティア派遣先の岩手県陸前高田市の老人保健施設へは、私を含め た2 名で車とフェリーを使い向かいました。派遣先の陸前高田市は津波の被害が最も大きく余震もほぼ毎日起 きている状態であり移動中は再び巨大地震が発生するのではないかという恐怖心が何度も頭をよぎりました。 苫小牧港からフェリーへ乗船し青森港で降り国道を通り被災地まで向かうルートで走行中、山道を抜けたあた りから景色が一転しました。 車のナビゲーションで案内している道がない。目印となる建物や信号機がない。 それでもなんとか道路であろう道を通りなんとか現地までたどり着くことができました。 派遣先の老人保健施設は山の中腹にあり津波の被害は免れておりましたが、マグニチュード9.0 の巨大地震の 影響により内壁、外壁は剥がれ落ち窓ガラスは一部破損しており共有スペースの天井は抜け落ちている状況で したが倒壊の危険性はなく入所者様が生活しておりました。しかし、最も被害が大きい最上階で生活していた 入所者様は同一法人内の施設などに一時的に避難しておりました。今回派遣されたボランティアの主な活動内 容は、一時的に避難している入所者様が一日でも早く帰設できるように施設の復旧及び環境整備を実施するこ とでした。 今回、被災地へのボランティア派遣は全国老人保健施設協会による全面的なバックアップのもと北は北海道、 南は鹿児島まで年齢、性別、職種が違う方々と復旧作業をおこない生活を共にしてきました。再び起きるかも しれない地震への恐怖や慣れない作業や共同生活、常に緊迫している状況のなかでの復旧作業でしたが、現地 の皆様が持つ強い復興への希望と、現地の復興に力を注ぎたいという志が同じボランティア仲間に支えられ無 事に活動を終えることができました。 最後にボランティア活動先の理事長様をはじめ職員の皆様、全国老人保健施設協会には深く感謝しておりま す。この場をお借りし厚くお礼申し上げます。