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日本金融システム史に基づく高校「公民科」経済学習の教育内容開発(2) : 近代経済史(大正~昭和初期)の教材化

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Ⅰ.はじめに

 高校「公民科」の科目「現代社会」や「政治・経 済」では,『大日本帝国憲法』と『日本国憲法』を対 比的に取り上げる等,明治〜昭和 20 年の政治史学習 を行うのに対し,同時期の経済史学習は全く行われて いない。  他方,高校「地理歴史科」の科目「日本史 A」や 「日本史 B」では歴史的思考力を培うため,部分的に 政治や経済に関する事象を扱う。例えば,近現代が対 象の科目「日本史 A」は,平成 21 年版『学習指導要 領』「2 内容とその取扱い」の「(2)近代の日本と世 界」で,「開国前後から第二次世界大戦終結までの政 治や経済,国際環境,国民生活や文化の動向について, 相互の関連を重視して考察させる」とある。但し, 「我が国が中央集権国家を築いて資本主義経済を発展 させ,政治,経済,社会,文化の各分野にわたって近 代国家として成長を遂げるが,世界経済の混乱等の中 で全体主義へ転換し,競争に突入していったことを大 きな流れでとらえ」1)させるという,歴史的事象や事 象間の因果関係等の多面的・多角的な考察が主で,政 治や経済を中心に扱う「公民科」とは学習内容も異な る。また「日本史 A」,「日本史 B」は選択科目ゆえこ れらを履修しない生徒は,明治〜昭和 20 年の日本経 済に関する歴史的事象を学習せず卒業している。  そこで本稿では,「直接金融,間接金融」の概念を 中心に,日本金融システム史の変遷過程の学習を通し て明治〜現代までの経済史を学習できる高等学校「公 民科」科目「政治・経済」の教育内容開発をおこなう。  既に,近代経済史(明治期)の教材化と部分的試行 を発表した。2)本稿では,大正〜昭和初期(1927 年, 金融恐慌)の教材化を試みた。依拠したのが星岳雄と A・カシャップの理論的枠組(「表 1」)である。

Ⅱ.教育内容開発(「大正〜昭和初期…頻発

する外的ショックへの対応による金融

システムの進化期(1)」)

1.導入─「戦前期金融システム」の全体像の提示  まず大正〜昭和初期の全体像として,「日中戦争以

日本金融システム史に基づく高校

「公民科」経済学習の教育内容開発(2)

─近代経済史(大正〜昭和初期)の教材化─

The Journal of Economic Education No.33, September, 2014

Development Teaching Contents of the High School Civics Economic Lesson Practice Based on the History of Corporate Financing and Governance in Japan (2) : In the Case of the Japanese Modern Economic History (from the Taisho to the Early Showa Era)

Matsui, Katsuyuki 松井 克行(西九州大学) 表 1 日本の金融システムの変遷 時 期 主な家計金融資産 主な企業の外部資金調達方法 主な特徴 (1)【第 1 期】 ①明治期 証券特に株式 「直接金融」中心 証券が極めて重要 ②大正〜昭和初期(1927 年,金融恐慌) ③昭和初期(1928 年,銀行法施行〜 1937 年 7 月 (日中戦争勃発) (2)【第 2 期】 ① 1937 年 9 月(臨時資金調整法公布)〜 1945 年 8 月 (戦時金融統制) 預金 「間接金融」中心 銀行優位 ② 1945 年 8 月〜 1952 年 4 月(占領統治期) ③ 1952 年 4 月〜 1990 年代前半 (3)【第 3 期】 1990 年代後半〜現在 預金 「間接金融」と「直接金融」の併存 市場中心 星岳雄,A・カシャップ(鯉渕賢訳)『日本金融システム進化論』日本経済新聞社,2006 年,p.419,表 9・2 を一部改変。網掛け 部分が本稿での開発部分。学習内容開発に際し,「地理歴史科」の科目「日本史 B」,「日本史 A」の教科書の記述内容を参考にした。

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前の二〇年間の日本経済において,株式市場を通じた 資金調達がきわめて重要…略…社債発行が銀行借り入 れよりも重要…略…銀行融資は,最も重要性の低い資 金調達源泉」3)という事実を,「表 3」から読み取らせ たい。 2.大戦景気(1915 〜 19 年)  まず高校生に大戦景気期に直接金融が盛んであった 状況を示すため,以下の「表 4」を資料として提示す る。4)  次に,第一次世界大戦(1414 〜 18 年)が日本経済 に与えた影響を考察する。1914 年 7 月,大戦開始によ り日本経済は急拡大した。その理由は,①対連合国 (英仏露),②対アジア,③対米,各国への輸出の拡大 (3 要因)による。5)ここで大戦開始により,各国が金 本位制を中断したことを指摘したい。しかし,本稿で 例示した高校日本史の教科書はここではなく,3 つ後 の章(「恐慌の時代」)で「1917(大正 6)年以来の金 輸出禁止が続く中で,外国為替相場は動揺と下落を繰 り返した」6)と記すのみでわかりにくい。しかも「金 本位制度の停止」ではなく「金輸出禁止」と表現して いる。7)そこで「表 5」を活用し,高校生に「主要国 の金本位制の停止・復帰・離脱」の状況を確認させ, 主要国が大戦を機に金本位制を停止し,戦後の復帰後, 世界恐慌(1929 年)を機に次々と離脱した国際動向 と日本を比較させたい。 表 2 単元指導計画(網掛け部分が本稿での開発部分) 時 主な学習内容 第一時 市場中心の金融システム(直接金融)の確立。【第 1 期】① 1867 〜 1912 年(明治期)…市場中心の金 融システム整備期。 第二時 ② 1912 年(大正期)〜 1927 年(昭和初期)…頻発する外的危機への対応による市場中心金融システム の進化期(1)。大戦景気(1915 〜 9 年),戦後恐慌(1920 年),関東大震災(1923 年),金融恐慌 (1927 年), 第三時 銀行法施行(1928 年),世界恐慌(1929 年)と昭和恐慌(1930 年),金解禁(1930 〜 1 年),高橋財政 (1931 〜 6 年),日中戦争勃発(1937 年 7 月)。 資本市場中心(「直接金融」)から銀行優位のシステム(「間接金融」)への転換。【第 2 期】① 1937 〜 1945 年(戦時金融統制)…政府主導による転換。 第四時 ② 1945 〜 52 年(占領統治期)…銀行の地位強化。 ③ 1952 〜 73 年(高度経済成長期)…銀行中心に企業の系列化。銀行借入(「間接金融」)以外の資金調 達手段を政府が制限。護送船団方式。 第五時 ④ 1973 〜 96 年(高度経済成長の終焉〜ビッグバン宣言)…金融自由化(政府の規制緩和)。債券発行 による資金調達が著しく増大,銀行借入の重要度の相対的に低下。外債市場による資金調達の拡大。 第六時 銀行優位(間接金融)から資本市場中心のシステム(直接金融)への再転換。【第 3 期】 貯蓄重視から証券・債券購入重視に移行するか ? ①銀行危機と金融ビッグバン(1996 〜 2001 年)。 ②世界金融危機と日本(2002 年〜) 〔単元目標〕 ①生徒が,日本近現代経済史の学習を通して,既習の経済的な考え方を活用できる。 ②生徒が,統計資料を基に経済の実態を確認し,その実態を理論(経済学の概念や考え方)を用いて説明できる。 ③生徒が,学習を通して,国内・国際の政治・経済的知識を総合的に考察できる。 松井克行「日本金融システム史に基づく高校『公民科』経済学習の教育内容開発(1)─近代経済史(明治期)の教材化─」経済 教育学会『経済教育』第 31 号,2012 年,pp.124-125 より抜粋し,一部を修正,一部を省略した。 表 3 「大企業と民間部門の資金調達(戦前)」(%) 借入金 社債 株式 積立金 近代産業 1902-1915 年 10.0 8.6 61.8 19.6 1914-1930 年 11.7 15.9 55.0 17.4 1928-1940 年 13.7 20.9 53.3 12.1 民間非金融部門 1902-1915 年 64.9 4.2 26.1 4.8 1914-1930 年 53.5 6.6 33.2 6.7 1928-1940 年 44.4 11.9 40.7 3.0 ・近代産業は,製造業,鉱業,電気,ガス,鉄道,海運の合計である。民間非金融部門は,法人企業部門と個人部門の合計である。 数値は年末値の期間平均値。寺西重郎『日本の経済システム』岩波書店,2003 年,p.78 より抜粋。データの詳細は,藤野正三 郎・寺西重郎『日本金融の数量分析』東洋経済新報社,2000 年,第 9 章参照。

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 上記の「表 6」に前述の日本史教科書の記載例を示 す。  「表 6」の教科書本文は,第一次世界大戦を機に, 日本の工業生産と輸出が盛んになり,成金が台頭する 半面,物価高騰に苦しむ庶民の存在や農業の停滞とい う二重構造や格差社会の顕在化を記述している。  しかし,富裕層と庶民にのみ着目し「中間層」9) 捉えていない点が問題である。「戦前期金融システム」 では,金融市場は株式や公社債の発行市場を通じて富 裕層や中間層の貯蓄を動員したからである。10)特に, 金融市場は富裕層と中間層の長期性貯蓄を動員し,近 代産業へ長期資金を供給した。他方,農業等の在来産 業の金融を銀行が行った。銀行は中間層の比較的短期 性の貯蓄と零細貯蓄を動員して農業等の在来産業・中 小産業への融資を行う傍ら,大企業には株式担保金融 を通じて間接的に設備資金を供給した。11) 3.戦後恐慌(反動恐慌)(1920 年)  日本史教科書の本文記載例を以下の「表 7」に示す。  1920 年代の日本経済の評価を巡り,「慢性的不況」 の停滞性を強調する否定的見解と,大戦による経済・ 社会構造の変化が 1920 年代も継続し,内需を中心に 着実に成長したとする肯定的見解がある。12)教科書記 述は前者に偏るため,岸田真の「第 1 次世界大戦の急 成長の反動と相次ぐ経済危機に苦しむと同時に,大戦 を契機とする経済構造の変化が着実に進展し,1930 年代以降の準備したのがこの時代であった」13)と,両 者をバランス良く提示する見解を基に教科書記述を検 討する。  「表 7」の教科書本文の第一段落は,「戦後恐慌」か 表 4 「直接金融が中心の大戦景気」  1914 年とブームのピークになった 19 年の事業資金を比較すると,全産業の 16 倍もの増加となり,とりわけ急増し たのは化学,金属,織布などで,造船業や紡績業では 100 倍を超える激増ぶりであった。(略)  1918 年の休戦後も,ヨーロッパ復興需要による価格上昇期待が膨らみ,投機が投機を呼ぶバブル経済に一層の拍車 がかかった。株式ブームは,造船など重化学工業から,電力,紡績,銀行などに広がり,開業まで数年を要する電力 会社の設立に際して,権利株の転売を目的として募集数の数千倍の申込みが殺到する事態も起きた。(略)  20 年に入って第Ⅰ四半期のみで入超額は 2 億円を超え,外為銀行は政府所有の正貨払い下げを受けても資金手当が 困難となった。この結果,金利は急騰し,日銀も貸出を厳格化したため,金融市場は一挙に引き締まった。そして, 20 年 3 月 15 日に投機筋の株式投げ売りが始まり,商品先物取引も総崩れとなり,未曾有の反動恐慌が発生して第一次 世界大戦ブームは収束した。 山崎志郎『日本経済史』放送大学教材,2003 年,pp.97-98 より抜粋。 表 5 「主要国の金本位制の停止・復帰・離脱」(抜粋) 国名 金本位制の停止 金本位制への復帰 金本位制からの離脱 イギリス (8 月復帰,1920 年 12 月再停止 )1919 年 4 月 8) 1925 年 4 月 1931 年 9 月 ドイツ 1915 年 11 月 1924 年 10 月(平価切下げ) 1931 年 7 月(為替管理開始) フランス 1915 年 7 月 1928 年 6 月(平価切下げ) 1936 年 9 月 アメリカ 1917 年 9 月 1919 年 7 月 1933 年 4 月 日本 1917 年 9 月 1930 年 1 月 1931 年 12 月 三和良一・原朗『近現代日本経済史要覧補訂版』東京大学出版会,2010 年,p.114 より抜粋。 表 6 「高校『日本史』教科書記載例─大戦景気」 ・鍵言葉(教科書本文中の斜字):「大戦景気」,「成金」 ・本文(抜粋)「第一次世界大戦は,明治末期からの不況と財政危機とを一挙に吹き飛ばした。日本は,英・仏・露な どの連合国には軍需品を,ヨーロッパ列強が後退したアジア市場には綿織物などを,また戦争景気のアメリカ市場に は生糸などを輸出し,貿易は大幅な輸出超過となった。(略)  このような大戦景気の底は浅く,空前の好況が資本家を潤して成金を生み出す一方で,物価の高騰で苦しむ多数の 民衆が存在した。また,工業の飛躍的な発展に比較して,農業の発展は停滞的であった。」 ・データ:「大戦開始後の物価指数(賃金,東京米価,東京卸売物価)(1914 〜 26 年)」と「第一次世界大戦前後の貿 易(輸出額,輸入額)」(1912 〜 21 年)のグラフ。前者から,1919 年に米価は 1914 年の約 2.8 倍に上昇し,賃金は翌 1920 年に同水準に上昇した等の情報を読み取れる。後者から,大戦時の 1915 〜 18 年が輸出超過等の情報を読み取れ る。 『詳説日本史 B』山川出版社,2013 年,pp.322-323。『日本史 A』山川出版社,2013 年,pp.124-125。両者は同一。

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ら「関東大震災」発生後の経済動向を説明する。但し, 「戦後恐慌」への政府の対応の言及が無く問題である。 1920 年の反動恐慌で 150 の銀行が倒産したため,14) 橋蔵相(原敬内閣)は,日本銀行の特別融通措置によ り事態の沈静化を図った。「二〇年中の日本銀行によ る特別融通額は総額二億四二〇〇万円に達し,これが 日本銀行が救済機関化する端緒となった」。15)さらに, 「政府は日本銀行を通じて 2 億 5,500 万円に及ぶ救済融 資をおこない,恐慌の収束に成功したが,大戦期に多 額の負債や過剰な投資をかかえた企業を存続させる結 果ともなり,『財界整理』と不良債権問題が 1920 年代 の日本経済の大きな課題となった」。16)この銀行延命 策が凶となり,後の金融恐慌(1927 年)後の金融シ ステム再編に至る。従って,その経過を高校生に説明 すべきである。  また,第一次大戦後,先進各国は金本位制復帰を模 索していた(「表 5」参照)。その理由は,「国際的な 通貨安定化のため」17)である。国際連盟主催でブ リュッセル(1920 年),ジェノア(1922 年)で国際経 済会議が開催。当時,激しいインフレに直面した先進 各国は通貨価値を安定させ,金本位制へ復帰すべく金 融引締政策を展開したため,1920 年代,世界的にデ フレが進展した。  世界的デフレの中,日本の物価水準は相対的に割高 となり国際競争力を失った。日本の輸出産業は,生産 と輸出を回復した欧州諸国との厳しい競争に苦しん だ。18)教科書の「1919(大正 8)年から貿易は輸入超過 に転じ,…略…国内の生産を圧迫した」の背景を教え たい。  国際収支の輸入超過は,日本から海外への正貨流出 と円相場の低落を招く。そこで政府・日本銀行は,大 戦期に獲得した在外正貨(政府・日本銀行が海外保有 する外貨資産。1920 年末,約 10 億円保有)を為替銀 行に払い下げ,それで決済し,海外への正貨流出を防 いだ。だが,払い下げ額は 1929 年までに約 10 億円に 達した。さらに既存の外債の元利支払や海軍購入物資 代金支払等のため毎年 1 億円程度の支出が必要となっ た。そこで政府は外債発行等を行った。「しかし,在 外正貨の払い下げだけでは巨額の貿易赤字をすべて決 済することはできず,日本の対米為替相場は 1924 年 には金本位制にもとづく平価(100 円= 49.85 ドル) を約 20%下回る 100 円= 38.5 ドルを記録し,その後 1930年の金本位制復帰(金解禁)まで,平価を5-10% 下回る水準で推移した」。19)  この「在外正貨による国際収支決済」は,金本位制 停止下で外貨資金の不足による為替相場の低落に歯止 めをかける為替管理政策である。為替相場の円高誘導 は内外物価を通じて国内経済にデフレ圧力を加えるの であるが,正貨準備の枠外の在外正貨の活用により, これを回避したのである。岸田は,「近い将来におけ る金本位制への復帰を念頭に為替相場の維持をめざし ながらも,戦後の不況に苦しむ国内経済へのデフレ圧 力を回避しようとした苦肉の策」20)と評価する。「戦 時期の貯蓄」である在外正貨を消費し外債発行で新た に外貨調達するという政策の継続は,国際収支の赤字 増大という犠牲を伴う苦肉の策であった。この過程を 生徒に示し,政策の意図と政府の役割の重要性を理解 させたい。 4.関東大震災(1923 年)  この状況下の 1923 年 9 月 1 日,関東大震災が生じた。 政府は被災地の銀行や企業に対する手形(債権)の決 済不能を防ぐため,9 月 7 日,被災地に関する債務の 決済期限を 30 日延長する支払猶予令(モラトリアム) 表 7 「高校『日本史』教科書記載例─戦後恐慌から金融恐慌へ」 ・鍵言葉(教科書本文中の斜字):「戦後恐慌」,「金融恐慌」,「モラトリアム」 ・本文(抜粋)「1919(大正 8)年から貿易は輸入超過に転じ,とりわけ重化学工業は輸入品が増加して,国内の生産 を圧迫した。1920(大正 9)年には,株式市場の暴落を口火に欧米に先んじて戦後恐慌が発生し,綿糸・生糸の相場は 半値以下に暴落した。ついで 1923(大正 12)年には,日本経済は関東大震災で大きな打撃を受けた。銀行は,手持ち の手形が決済不能となり,日本銀行の特別融資で一時をしのいだが,不況が慢性化する中,救済は進まなかった。  その後 1927 年(昭和 2)年,議会で震災手形の処理法案を審議する過程で,片岡直温蔵相の失言から,一部の銀行 の不良な経営状態が暴かれ,ついに取り付け騒ぎがおこって銀行の休業が続出した(金融恐慌)。時の若槻礼次郎内閣 は,経営が破綻した鈴木商店に対する巨額の不良債権を抱えた台湾銀行を緊急勅令によって救済しようとしたが,枢 密院の了承が得られず,総辞職した。  ついで成立した立憲政友会の田中義一内閣は,3 週間のモラトリアム(支払猶予令)を発し,日本銀行から巨額の 救済融資をおこない,全国的に広がった金融恐慌をようやくしずめた。(以下,省略)」 ・写真「銀行におし寄せた預金者たち」(1927 年,預金の払い戻しを求めて行列する群衆)。 『詳説日本史 B』山川出版社,2013 年,pp.339-340,『日本史 A』山川出版社,2013 年,p.137。両者は同一。

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を発し,27 日に「震災手形割引損失補償令」を発布。 銀行が保有する被災地に関連する手形(震災手形)を 日本銀行が再割引し,融資を回収できず日銀に損失が 発生した場合,1 億円を限度に政府が補塡する仕組み であった。21)  教科書未記載の重要事項は,日銀が再割引した多額 の債権が未回収となった事実である(1924 年 3 月末の 当初の期限までに日銀が再割引した震災手形の総額 4 億 3082 万円中,26 年末で 2 億 680 万円が未回収)。震 災と無関係な不良債権が多く含まれていたのであ る。22)寺西は,「1920 年,22 年の恐慌時には日銀が安 易な救済融資を行ったため,銀行のモラル・ハザード が助長されて市場規律が麻痺していた面もある」,23) 「一九二〇年代には大株主とそれと結びついた経営者 のモラルハザード(背徳行為)が横行し,重大な社会 問題となった」24)とモラル・ハザードの横行を批判す る。モラル・ハザードの他の例には,利益が無いのに 配当を行う「蛸配当」,高い経営者賞与,経営者によ る株価操作等がある。モラル・ハザードは 1930 年代 に,機関投資家(保険会社,銀行業等)や事業会社の 株式保有が高まり,個人大株主の横暴へのチェック機 能が強化されたため収まった。25)高校生にこれらの実 態について教える必要があるだろう。 5.(昭和)金融恐慌(1927 年)  「表 7」の教科書本文の第二段落は,(昭和)金融恐 慌の記述だが,性質の異なる恐慌の第 1 波と第 2 派を 混同しており改善の余地がある。第 1 波は,1927 年 3 月 15 日の東京渡辺銀行の休業からいくつかの都市中 堅銀行の破綻が生じた 22 日を指す。第 2 波は,4 月 18 日の台湾銀行の休業から全国的な銀行取付と 36 の銀 行休業へ波及した 21 日を指す。26)  恐慌の第 1 波の原因は,震災手形に関連した銀行の 資産内容の劣化に関する情報の流布(端緒は片岡蔵相 の失言)による銀行取付である。結果的に経営状態の 悪い不良銀行を淘汰し,金融システムの効率化に寄与 したという肯定的評価が一般的である。27)関東大震災 時に発行された震災手形が不良債権化し(支払い期日 は再度の延期で 1927 年 9 月末。28)だが 1926 年末の未 決済額 2 億 680 万円),若槻内閣が 1927 年 1 月,震災 手形損失補償公債法と震災手形善後処理法の 2 法案を 国会で審議中,東京渡辺銀行への信用不安の情報が広 がり,同銀行等,経営状態が悪化した銀行を一掃し, 当時,蔓延していた銀行経営者のモラル・ハザードへ の誘惑を断ち切り,市場規律を立て直す効果があった からである。29)震災手形関係 2 法案が貴族院で可決さ れた3月23日,混乱は終息した(施行は5月1日)。震 災手形を所持する銀行が,所持高に応じて政府発行の 5 分利公債を借受け,これを担保に日本銀行から借入 れ,債務者に貸付けることで震災手形の処理が決定 し,30)預金者の銀行資産の質への評価が好転した。31)  一方,恐慌の第 2 波の原因は,4 月の台湾銀行の経 営危機とその救済を巡る混乱である。政府指導の下, 経営再建をめざした台湾銀行は,3 月 27 日,鈴木商店 への新規融資を打切り,同商店は事実上倒産した。だ が,その結果,同商店への多額の融資が回収不能にな るため台湾銀行への信用不安が高まり,三井銀行等の 大手銀行が同行へのコール資金(銀行間の短期的な融 資)を引上げたため,同行の資金繰りが悪化し休業の 危機に直面した。32)議会閉会後ゆえ若槻内閣は,政府 保証による上限 2 億円の日本銀行特別融資を定めた緊 急勅令により同行の救済を企図したが,33)25 名の顧問 官で構成される枢密院が4月17日に勅令案を否決した ため,同行は翌 18 日より休業し,若槻内閣は総辞職 に追い込まれた。枢密院の勅令案否決の理由は,形式 的には,憲法の緊急要件を欠くため議会を開催し法律 で実施すべきとの判断によるとされるが,34)実質的に は,伊東巳代治ら幣原喜重郎外相の中国外交を軟弱と 批判する立憲政友会系の勢力による若槻内閣打倒とい う政治的理由が大きい。35)さらに山崎志郎は,具体的 理由として,若槻内閣が議会開催の努力をしなかった こと,補償限度額 2 億円の根拠がないこと,台湾銀行 関係者の責任が不明確なこと等を挙げている。36)  第 2 波の原因は,「台湾銀行の破綻を契機にコール 市場がショートしたため,人々の間に銀行システムの 期間変換機能(筆者注:銀行が預金者から短期で預金 を借り,長期で借手に貸す機能)への懐疑が広まり, 人々が将来消費のための資金を現金化するため,競っ て銀行預金の引出した面が強い」。37)寺西は,伝染効 果または自己実現的な全国的取付により,「預金者が 他の預金者による預金引出しを見て銀行の支払い準備 の枯渇を予想し,自分も預金引出しを行う結果,現実 に健全な銀行の準備が枯渇し,倒産に至る」38)結果を 招来したと推察する。背景には,預金者が銀行の情報 を十分に持たないという「情報の非対称性」がある。  以上,(昭和)金融恐慌の第 1 波は,不良銀行を淘 汰し金融システムの効率化に寄与したが,第 2 波は, 預金者が「情報の非対称性」の中で非効率的に行動し, 健全経営の銀行へも取付騒ぎを起こした。預金者は, 一刻も早く引出さねば銀行の準備金が不足する(流動

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性危機)と慌てたのであろう。39)従って解決策は, 「機能不全化したコール市場・銀行間貸借市場に替 わって日銀による流動性供給機能」40)の担保である。 そこで政府は,3 週間のモラトリアム(支払猶予令) 期間中に「日本銀行特別融資及損失補償法」を制定 (5 月 9 日,公布施行)し,日本銀行の「最後の貸し 手」機能を制度化した。41)  「表 7」の教科書本文の第三段落には,モラトリア ムと日本銀行の巨額の救済融資の事柄の記載のみゆえ, その意味や,モラトリアムの間に発券された有名な 「裏白紙幣」のエピソードを,資料で補いつつ説明し たい。42)

Ⅲ.おわりに─本研究の意義と課題─

 本稿では,大正〜昭和初期の日本金融システム史に 基づく高校「公民科」経済学習の内容開発を行った。 本稿の意義は,高校日本史の教科書を参考に,適宜, 資料を補いつつ,星・カシャップの「日本の金融シス テムの変遷」の枠組に従った「公民科」の「政治・経 済」の授業が実施可能なことを示した点にある。特に, これまでの「公民科」の同時期区分の授業は,「大正 デモクラシー」を鍵言葉とする政治学習一色であっ た。43)それを改善する手立てを示した点で意義が認め られよう。  今後の課題は,第一に,未だ教員用の授業用資料レ ベルの教育内容を授業指導案レベルに具体化すること である。第二は,1928 年以降の教育内容開発である。 註 1) 文部科学省『高等学校学習指導要領解説地理歴史編』教 育出版,2010 年,p.52。 2) 松井克行「日本金融システム史に基づく高校『公民科』 経済学習の教育内容開発(1)─近代経済史(明治期)の 教材化─」経済教育学会『経済教育』第 31 号,2012 年, pp.123-129。 3) 星岳雄,A・カシャップ(鯉渕賢訳)『日本金融システム 進化論』日本経済新聞社,2006 年,p.52。 4) 但し,第一次大戦期及び戦後の 1919 〜 20 年のバブル期 での株式所有の大衆化傾向が戦間期にも持続していたか どうかは確認されていない。寺西重郎『戦前期日本の金 融システム』岩波書店,2011 年,p.783。 5) 三和良一『概説日本経済史近現代〔第 3 版〕』東京大学出 版会,2012 年,p.91。教科書(篠山晴生・佐藤信・五味 文彦・高埜利彦他『詳説日本史 B』山川出版社,2013 年, p.322。高村直助・高埜利彦他『日本史 A』山川出版社, 2013 年,pp.124-125)も同様である。 6) 篠山晴生・佐藤信・五味文彦・高埜利彦他,同上書, p.340。高村直助・高埜利彦他,同上書,p.138 参照。 7) この表現は,金輸出禁止の傍ら,国内での金貨兌換を禁 止していなかった当時の日本の状況を鑑みたためと思わ れる。寺西,前掲書,2011 年,p.863 参照。 8) イギリスは,1919 年 4 月に金本位制を停止,8 月に一旦 復帰,1920 年 12 月に再停止との表現は,複雑で理解し難 い。イギリスは第一次大戦中は,金輸出を禁止せず(実 際は海運上の困難等のため金輸出は困難)(高橋秀直 「1925 年のイギリスの金本位制再建とロンドン外国為替市 場への影響:当時の政策担当者の想定の検討」一橋大学 経済学研究科『一橋経済学』第 6 巻第 1 号,2012 年, pp.103-116 参照),戦後の「1919 年 4 月 1 日に金貨・金地 金の輸出禁止命令が出される。…略…この命令について は同年 9 月に,イングランド銀行との協定に基づいて輸 入された帝国内新産金の輸出は認められる,といった修 正が行われたりするのであるが―,それは最終的には 20 年の法律(筆者注:『金銀(輸出統制)法』)に整えられ る」(金井雄一『ポンドの苦闘─金本位制とは何だったの か』名古屋大学出版会,2004 年,p.45)の説明のように, 1919 年 4 月〜 1920 年 12 月は一連の金本位制停止の流れ で捉えられる。従って,「1919 年 4 月に命令で停止,1920 年 12 月に法律で正式に停止(但し,5 年間の時限立法)」 と表現を改める方がよいと思われる。 9) 寺西は「中間層」を,原朗(「階層構成の新推計─1920− 1940 年国勢調査による再検討」安藤義雄編『両大戦間の 日本資本主義』東京大学出版会,1979 年,pp.325-364) に基づき,1930 年の有業者のうち「農林漁業(5 町歩未 満の地主や自作農),農林漁業(その他,自作の林漁業者 を指すと思われる),営業収益税納付中小商工業自営者)」 と規定する。寺西はさらに,普通選挙法施行後,有権者 に加わる独立技能者や商工業職員を「新中間層」に区分 する。寺西,前掲書,2011 年,p.88,表 1-3-2 参照。 10) 寺西,同上書,p.899。 11) 寺西,同上書,p.901。 12) 1920 年代を通じて実質 GNE = GNP の平均成長率は 2.1% と低水準ながら成長を維持し,「不況下の経済発展」が特 徴であった。浜野潔ほか『日本経済史 1600−2000 歴史に 読む現代』慶應義塾大学出版会,2009 年,p.152。 13) 浜野潔ほか,同上書,p.160。 14) 星・カシャップ,前掲書,p.37。 15) 杉山伸也『日本経済史 近世−現代』岩波書店,2012 年, p.316。 16) 浜野ら,前掲書,pp.164-165。 17) 高橋,前掲論文,p.128。 18) 浜野潔ほか,前掲書,pp.169-170。 19) 浜野潔ほか,同上書,p.170。 20) 浜野潔ほか,同上書,p.171。 21) 浜野潔ほか,同上書,p.172。 22) 寺西,前掲書,2011 年,p.265。 23) 寺西,同上書,2011 年,p.227。 24) 寺西重郎『日本の経済システム』岩波書店,2003 年, p.140。 25) 寺西,同上書,2003 年,pp.140-141。 26) 寺西,前掲書,2011 年,p.275。 27) 寺西,同上書,2011 年,p.277。 28) 山崎志郎『日本経済史』放送大学教材,2003 年,p.137。 29) 寺西,同上書,2011 年,p.277。 30) 浜野潔ほか,前掲書,p.265。 31) 寺西,前掲書,2011 年,p.281。 32) 浜野潔ほか,前掲書,p.173。 33) 当初,片岡蔵相は,日本銀行に支援を要請したが,日本 銀行は,既に台湾銀行への多額の貸付金があったので政 府保証を求めた。寺西,前掲書,2011 年,p.276。

(7)

34) 阿部武司「戦間期における長期不況とその克服」宮本又 郎編著『新版日本経済史』放送大学教育振興会,2008 年, p.104。 35) 浜野潔ほか,前掲書,p.174,脚注 21)。三和,前掲書, p.115。杉山,前掲書,p.348。寺西,前掲書,2011 年, p.276。 36) 山崎,前掲書,p.138。次の田中内閣は,臨時議会を召集 し,同様の法案を立法化し,台湾銀行を救済した。  山崎,同上書,p.139。 37) 寺西,前掲書,2011 年,p.278。 38) 寺西,同上書,2011 年,p.277。 39) 寺西は,パニックが,銀行間の同業者預金の急速な引出 し,コール市場の引揚げに波及し,都市から全国へ拡大。 地方小規模銀行の休業を招いたと推察する。他方,石井 は,地方への危機拡大の理由を,第一次大戦後の不良債 権の蓄積のみに求める。寺西,同上書,2011 年,p.281。 石井寛治「戦間期の金融危機と地方銀行」石井寛治・杉 山和雄編『金融危機と地方銀行 - 戦間期の分析 -』東京大 学出版会,2001 年,p.16。 40) 寺西,前掲書,2011 年,p.282。 41) 寺西,同上書,2011 年,p.282。 42) 但し,大判(B5 版)の教科書への掲載例がある。鳥海 靖・三谷博・渡邉昭夫『現代の日本史 A』山川出版社, 2013 年,p.109。 43) 歴史学でも同じ傾向が見られる。  例:成田龍一『大正デモクラシー』岩波書店,2007 年。

参照

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